ルナが公開した活動報告は、宇宙管理局の公式ホームページから、クラウドファンディング「故郷への一歩」の支援者へ向けて配信された。
地球から遠く離れたコロニー。
宇宙船の中。
仕事場。
生活区画。
それぞれ異なる場所で、同じ通知音が鳴った。
――地球現地調査・活動報告が更新されました。
報告の文章は、支援者だけに届いたわけではない。
ルナがこれまで歩いてきた道を知る者達にも届いていた。
かつて、同じ惑星で生き延びた仲間達。
サヴァイヴのメンバーにも。
◇
シャアラは、自宅の机へ向かっていた。
小さな作業部屋。
壁際には、これまでに書き終えた原稿の記録媒体や、紙に印刷した資料が整然と並べられている。
机の上には、書きかけの小説。
画面に表示されているのは、森の中を進む少女達の場面だった。
暗い森。
先の見えない道。
それでも、一人の少女が最初に枝を払い、仲間達が歩ける道を作ろうとしている。
シャアラは、そこで手を止めていた。
「うーん……」
少女の台詞が決まらない。
勇敢すぎる言葉では、その人物らしくない。
怖がっているだけでは、前へ進めない。
強く見せたいのではない。
弱さを持ったまま、それでも皆のために動く人を書きたかった。
それが難しかった。
シャアラは椅子の背へ身体を預け、息を吐く。
「ルナだったら、何て言うかな……」
無意識に名前が漏れた。
その直後。
机の端に置いていた端末が、柔らかな通知音を鳴らした。
画面に表示された見出しを見て、シャアラはすぐに身体を起こす。
「地球の報告……!」
執筆画面を閉じるより先に、通知を開く。
表示されたのは、ルナの活動報告だった。
最初に書かれている、支援者への感謝。
東側地下に見つかった、支持層として利用出来る可能性がある硬い地盤。
地表の移動。
湿った軟弱層。
小規模な空洞。
そして。
「モンサンミッシェル……?」
シャアラの声が、静かな部屋へ落ちた。
地球の歴史を扱う資料で、その名前を見たことがある。
海に囲まれた岩山。
空へ伸びる尖塔。
幾つもの時代を重ねて建てられた、石造りの建造物。
今は、灰色の土の下に埋まっている。
写真には、美しい建物の姿はなかった。
代わりに掲載されているのは、過去と現在の地形を重ねた図。
地中レーダーが捉えた、石壁やアーチと推定される反射。
青い線で囲まれた保存調査区域。
シャアラは、画面へ顔を近づけるようにして読み進めた。
――地球を再生するために、地球に残っている歴史を壊すことから始めたくない。
「ルナらしい……」
その一文を読んだ瞬間、シャアラの目元が少し緩んだ。
ルナは昔からそうだった。
何かを手に入れるために、別の誰かが大切にしているものを簡単に踏みにじることが出来ない。
サヴァイヴでも、ただ生き残ればいいとは考えなかった。
食料が必要でも、森を全て壊そうとはしなかった。
自分達の家を作る時も、周りの生き物や水の流れを見ていた。
誰かの意見を通すために、別の誰かを黙らせることもしなかった。
誰も管理していない。
誰も所有していない。
だから好きに壊していい。
ルナが、そう考えるはずがなかった。
シャアラは報告を最後まで読み終える。
上手くいったことだけではない。
問題。
予定変更。
追加費用の可能性。
まだ建設出来るとは決まっていないこと。
不安になる内容も、隠さずに書いてあった。
「頑張ってるんだね……」
シャアラの声は、少しだけ震えていた。
ルナの顔が浮かぶ。
明るく笑っている顔。
不安を感じていても、皆の前では最初に立ち上がる姿。
でも今の文章には、無理に強く見せようとする言葉がなかった。
分からないことは分からない。
出来なかったことは出来なかった。
その上で、次に進むと言っている。
それが嬉しかった。
シャアラはコメント入力欄を開く。
だが、すぐには文字を打てなかった。
小説なら、いくらでも言葉を考えられる。
それなのに、大切な友達へ送る言葉は難しい。
何度か書いては消す。
『すごいね』
消す。
『モンサンミッシェルを見つけたなんて信じられない』
まだ確定ではない。
消す。
やがてシャアラは、飾らない言葉を入力した。
『ルナ、報告を読んだよ。良いことだけじゃなくて、難しいことも書いてくれてありがとう。過去を守りながら未来を作りたいっていう言葉、すごくルナらしいと思った。無理をしないで、必ず帰ってきてね』
送信する。
コメントが公開されたことを確認してから、シャアラは書きかけの小説へ戻った。
森の中。
皆の前へ出る少女。
決まらなかった台詞。
シャアラは少し考え、指を動かした。
――怖くないわけじゃない。でも、ここに道がないなら、私達で探そう。
文章を読み返す。
「うん」
シャアラは小さく頷いた。
「これなら、いいかも」
ルナの活動報告は、遠く離れた場所で、一つの物語を前へ進めていた。
◇
冥王星の管制室。
広い窓の向こうには、暗い宇宙と、遠く小さく見える太陽があった。
管制画面には、冥王星周辺を航行する輸送船や調査船の位置が表示されている。
ベルは担当区画の航路データを確認していた。
目の前には複数の船。
到着予定時刻。
燃料状況。
進入角度。
冥王星圏では、小さな誤差でも到着時刻や燃料消費へ大きく影響する。
ベルは余計な動きをせず、一つずつ数字を追っていた。
隣の席では、ナミが通信とシステムの監視を行っている。
「第三輸送船、進入航路の補正が完了したよ」
ナミが報告する。
「誤差はどうですか?」
「許容範囲内。ただ、推進出力に少し揺らぎがある」
「船側に確認をお願いします」
「分かった」
ナミが通信回線を開く。
管制室には、仕事の声と機器の電子音だけが流れていた。
その時、二人の個人端末へ同じ通知が入った。
ナミが先に画面を見る。
「あ……」
「どうしましたか?」
ベルは管制画面から目を離さずに尋ねる。
「ルナさんの地球活動報告が更新されてる」
ベルの手が一瞬だけ止まった。
「地球の報告ですか?」
「うん」
「今の便が安定してから見ます」
「そうだね」
二人はすぐに仕事へ戻った。
気になる。
それでも管制中に気持ちだけで画面を切り替えることはしない。
数分後。
輸送船が安定航路へ入り、次の確認まで短い間が出来た。
「ベル、今なら読めるよ」
「はい」
ナミが報告ページを共有画面へ表示する。
二人は並んで文章を読み始めた。
ナミは文章を最初から順番に読む。
ベルは先に添付された地形図と調査結果へ視線を向ける。
支持層。
地表変位。
湿潤帯。
空洞。
保存調査区域。
「モンサンミッシェル……」
ナミが小さく呟く。
「こんな形で残っていたんだね」
「まだ推定です」
「そうだった。可能性が高い、だね」
ナミはすぐに表現を修正する。
ベルは支持層の範囲を見ていた。
「東側だけですか」
「建設には狭いのかな」
「機械の大きさが分からないと判断出来ません」
「でも、中央区域を使わない場合、配置は難しくなりそうだね」
「そうですね」
ベルは短く頷く。
惑星開拓を学び、実際に現場へ関わってきたからこそ分かる。
建設地点だけでは足りない。
輸送路。
資材置場。
電源設備。
作業員の活動拠点。
保守点検のための空間。
一つの設備を動かすために、その何倍もの場所と条件が必要になる。
「ルナさん、中央部を保存区域にしたんだね」
「あの人なら、そうすると思います」
ベルの返答は早かった。
「迷わなかったと思う?」
「迷ったでしょう」
「そうなの?」
「費用も増えます。使える場所も減ります。支援者への説明も必要になります」
ベルは地図を見たまま続ける。
「迷わない方がおかしいです」
「それでも、保存すると決めた」
「はい」
ナミは報告文の一節を見る。
――誰も守る人がいないからこそ、私達が慎重に扱わなければならない。
「ルナさんは、優しいね」
「優しいだけではありません」
ベルは静かに言った。
「使わないと決めたなら、その分の別案も作らなければなりません。優しいだけでは、そこまで背負えません」
ルナは、過去を守ると言った。
それは綺麗な言葉だけでは終わらない。
設計変更。
追加調査。
費用増加。
工期延長。
全てを引き受ける判断でもある。
「覚悟が必要なんだね」
「そういうことです」
ナミはベルの横顔を見る。
口調は丁寧だが、言葉は短い。
その中に、ルナへの信頼があった。
「ベルは、コメントを書く?」
「あとで書きます」
「今、少し時間があるよ」
「長い文章は書きません」
「ベルは、いつも短いもんね」
「悪いですか?」
「ううん。分かりやすいと思う」
ナミが少し笑う。
ベルは自分の端末から報告ページを開いた。
入力欄へ、短い文章を打つ。
『地盤の結果は見ました。中央を外した判断も間違っていないと思います。建設地点だけでなく、輸送路と活動拠点も含めて確認してください。焦らず進めてください。必ず無事に帰ってきてください』
送信。
ナミが隣から見ていた。
「やっぱり短いね」
「必要なことは入っています」
「うん」
ナミも自分のコメントを入力する。
『正確に伝えてくれてありがとう。良い結果だけじゃなくて、分からないことも書かれていたから、今の状況をきちんと理解出来たよ。地球の過去も、調査チームのみんなの安全も、どちらも大切にしてね』
送信を終えた直後。
管制画面に次の接近船が表示された。
ベルはすぐに仕事の顔へ戻る。
「次が来ます」
「うん」
遠い地球の一歩を見届けた二人は、冥王星を行き交う船の安全へ意識を戻した。
それぞれの場所で、守るべきものがあった。
◇
恒星間輸送船の機関区画。
巨大な推進機関の低い音が、床と壁を震わせている。
シンゴは開放された整備パネルへ上半身を入れ、配線束の奥を確認していた。
「補助冷却系、もう一回流します!」
「待って」
少し離れた操作盤の前で、サツキが答える。
「今流したら、圧力差でシンゴの手元に逆流する」
「あっ、そうだった!」
「『そうだった』じゃない。さっき自分で言ったでしょう」
「いやぁ、別の配線を追ってたら忘れちゃって」
「忘れないで」
サツキは呆れながらも、操作盤の数値を確認する。
シンゴは機関部から顔を出した。
頬には黒い汚れ。
作業着の袖も、油と金属粉で汚れている。
「でも、原因は分かりましたよ」
「本当に?」
「多分!」
「多分で輸送船を飛ばさないで」
「今から確定させます!」
シンゴは笑顔で再び機関部へ潜り込む。
恒星間輸送船は、長距離を航行するための巨大な船だ。
一つの故障が、すぐに遭難へつながる。
だからこそシンゴは、明るく話しながらも、手元の確認だけは細かい。
「この接続部です!」
奥から声が響く。
「振動で固定具が少し緩んでます。冷却系の異常じゃなくて、センサー側の接触不良です!」
「交換出来る?」
「固定具ごと変えます。五分ください!」
「十分使っていいから、確認までして」
「了解です!」
サツキが小さく息を吐いた時、作業台に置かれた端末が通知音を鳴らした。
シンゴの端末だった。
「シンゴ、通知」
「誰からですか?」
「宇宙管理局のホームページ」
「ルナの報告かも!」
機関部の中で、金属音が止まった。
「見てください!」
「作業を終わらせてから」
「音読だけでも!」
「集中しなさい」
「気になる!」
「その固定具を落としたら、ルナの報告どころじゃなくなる」
「……はい」
シンゴは大人しく作業へ戻った。
数分後。
固定具の交換。
接続確認。
冷却系の試験。
センサー値の安定。
全てが終わる。
「修理完了です!」
「確認出来た?」
「三回しました」
「なら休憩にしましょう」
「報告!」
シンゴは工具を置き、手袋を外した。
だが指先は油で汚れている。
端末に触れようとして、サツキに手首を掴まれた。
「洗ってから」
「画面くらい大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない」
「早く読みたいのに」
「ホームページは逃げない」
どこかで聞いたような言葉だった。
シンゴは手を洗い、二人で休憩区画へ移動した。
報告ページを開く。
「モンサンミッシェル!?」
見出しを読んだ瞬間、シンゴが声を上げた。
「声が大きい」
「だって、モンサンミッシェルですよ!」
「推定」
「可能性が高い!」
「まだ確定ではないわ」
サツキは冷静に訂正しながら、添付された地中画像へ目を向ける。
シンゴもすぐに技術者の顔へ変わった。
「これ、石造部分だけじゃないですね」
「何が?」
「表層近くに別の材料があります。後から入れた補強材って報告に書いてありますけど……かなり新しい時代の構造かも」
「保存工事の跡?」
「多分。でも、その補強材まで崩れてるなら、内部は相当危ないです」
シンゴは画像を拡大する。
「ここ、空間が残ってます」
「内部へ入れると思う?」
「今は駄目です」
返答は即座だった。
「上から掘ったら、荷重が変わって崩れます。横から入口を探すとしても、周りの水の流れを止めてからじゃないと」
「ルナ達も同じ判断をしてる」
「よかった……」
シンゴは本気で胸を撫で下ろした。
次に、支持層の調査結果を読む。
「六から八メートルかぁ」
「深い?」
「大型機械なら、珍しくはないです。でも、上の造成層が不均一なのが厄介ですね」
「テラフォーミングマシンの振動条件が必要だと書いてある」
「それ、すごく大事です」
シンゴの目が輝き始める。
「停止してる時の重量だけじゃ足りません。動いてる時にどの方向へ振動が出るか、起動と停止で荷重がどう変わるか、全部必要です」
「設計側へ連絡した方がいいわね」
「僕達で振動モデル作れませんか?」
「仕事を増やす前に、今の輸送船を直しなさい」
「直しましたよ!」
「ほかにも点検項目が残ってる」
「休憩が終わったらやります!」
シンゴは報告文の最後まで読み進める。
上手くいったことだけではなく、難しいことも報告する。
その一文で、少しだけ表情を変えた。
「ルナ、変わりましたね」
「そう?」
「昔も皆に隠し事をする人じゃなかったけど、心配させないように、自分の不安は言わないことが多かったから」
サヴァイヴの頃。
ルナは最初に笑った。
自分も怖いのに、大丈夫だと言った。
皆の前で立ち止まることを、自分に許していなかった。
「今は、分からないってちゃんと書いてる」
シンゴは少し嬉しそうに言った。
「皆に頼れるようになったんでしょうね」
サツキが答える。
「うん」
「コメントを書く?」
「もちろんです!」
シンゴは勢いよく入力を始めた。
『ルナ、報告読んだよ! 支持層が見つかったのは大きいけど、運転時の振動条件は絶対に確認して! 起動時、通常運転、緊急停止で荷重が変わるはずだから、機械側のデータが必要だよ。モンサンミッシェルを掘らなかった判断も正しいと思う。内部へ入るのは、構造と水の流れを確認してからにしてね。僕に出来ることがあったら言って!』
送信。
サツキが読む。
「長い」
「必要なことは全部書きました」
「最後だけで十分だったんじゃない?」
「技術の話も必要です!」
「ルナが休んでいる時に、これを読んで作業を始めなければいいけど」
「……ルナならやりそうですね」
「でしょう?」
シンゴは少し考え、追加で短いコメントを送った。
『でも、今日はちゃんと休んでね!』
サツキが頷く。
「それは必要ね」
◇
舞台公演を終えたハワードは、楽屋の椅子へ深く座っていた。
衣装はまだ着たまま。
舞台用の化粧も落としていない。
鏡の周囲を囲む照明が、少し汗の残った顔を明るく照らしている。
「今日の僕、完璧だったな……」
誰に言うでもなく呟く。
直後、鏡の端へ貼られていた演出家からの注意書きが目に入る。
――第二幕、台詞が少し早い。
「ほぼ完璧だった」
言い直した。
楽屋の外では、スタッフ達が次の準備を進めている。
ハワードは水を飲みながら端末を開いた。
公演後の感想。
出演情報。
知人からの連絡。
大量の通知の中に、見慣れた企画名を見つける。
「故郷への一歩……?」
一瞬で姿勢を正す。
「ルナの報告じゃないか!」
楽屋中へ響く声だった。
近くを通ったスタッフが扉の外から「大丈夫ですか」と尋ねる。
「大丈夫! 地球が大変なんだ!」
返事をしたあと、ハワードは報告を開く。
一行目から声に出して読み始めた。
「『このたびは、私の地球での活動にご支援いただき――』」
途中までは、舞台の台本を読むような朗々とした声だった。
しかし、調査結果へ入ると、少しずつ静かになる。
支持層。
地表変位。
湿潤帯。
空洞。
モンサンミッシェル。
「えっ」
目を見開く。
「モンサンミッシェル!?」
再び声が響いた。
「残ってたのか!?」
すぐに次の行を読む。
「可能性が高い……まだ確定じゃないのか」
自分で修正する。
ハワードは添付画像を何度も切り替えた。
過去の姿。
現在の丘。
地中の構造。
青く囲まれた保存区域。
「これ、映画みたいじゃないか……」
地球の地面の下から、歴史的な建造物が現れる。
映像作品なら、主人公達はすぐ内部へ入り、秘密の通路を発見するだろう。
だがルナ達は、入らなかった。
掘らなかった。
保存すると決めた。
「そりゃそうだよな」
ハワードは自分へ言う。
「現実なんだから」
舞台なら、壊れた建物も次の公演では元に戻る。
危険な場面も、決められた動きと安全確認の上に作られている。
けれど地球に残ったモンサンミッシェルは、一つしかない。
壊したら終わる。
誰かが新しく作り直しても、同じものにはならない。
ハワードは報告の最後まで読む。
過去を守りながら未来を作る。
その言葉を読み終えたあと、しばらく画面を見ていた。
「ルナって、すごいよな」
今度は小さな声だった。
サヴァイヴの頃から、ルナは夢を語っていた。
地球を元に戻したい。
人が住める場所にしたい。
ハワードは応援していた。
だが、夢が現実の作業へ変わるということが、どういう意味なのかまでは考えていなかった。
実際には、問題ばかりだ。
地面が弱い。
工事費が増える。
歴史的な遺構が見つかる。
計画を変える。
支援者へ説明する。
それでもルナは、諦めたとは書いていない。
「よし!」
ハワードは立ち上がった。
「僕も応援コメントを書く!」
端末へ勢いよく入力する。
『ルナ!! モンサンミッシェルって本当にすごいじゃないか!! いつか地球で見られるようになったら、僕が最初の観光案内映像に出演する!! 主演は僕で――』
手が止まる。
「違うな」
全部消す。
今は自分の宣伝をする場ではない。
もう一度入力する。
『ルナ、報告読んだ! モンサンミッシェルかもしれない建物が残っていたことも驚いたけど、それを壊さないって決めたルナがすごいと思う。計画が変わっても、時間がかかっても、僕は応援してる。いつかみんなで地球を歩ける日を楽しみにしてる。絶対に無事に帰ってこいよ!』
「これだ」
送信する。
少し考え、最後に追記する。
『あと、映像化する時は僕に任せて!』
送信。
数秒後。
自分の二件のコメントを見比べる。
「最後の、いらなかったかな」
だが、削除はしなかった。
ルナなら、きっと困ったように笑う。
その顔が思い浮かんだからだ。
楽屋の扉が叩かれる。
「ハワードさん、次の打ち合わせです」
「今行く!」
ハワードは立ち上がり、鏡の中の自分を見る。
舞台へ立つ自分。
地球へ立つルナ。
場所も仕事も違う。
けれど、自分達はそれぞれ、昔語った夢の中へ入り始めていた。
◇
メノリの机には、処理を待つ仕事が積み重なっていた。
次の会議の日程調整。
出席者への資料送付。
移動経路の確認。
来客予定の変更。
上司が出席する会合の要点整理。
各部署から届いた問い合わせへの回答案。
秘書として、誰よりも先に予定の衝突へ気づき、誰にも混乱が起きない形へ整える。
一つ終われば、次が来る。
端末には、複数の予定表が同時に表示されていた。
「十五時の会議は三十分前倒し。移動時間が足りないな」
メノリは独り言のように呟く。
「こちらを遠隔出席へ変更する。資料は事前送付。……次」
画面を切り替える。
無駄な動きはない。
連絡文も短い。
相手が判断するために必要な情報だけを並べる。
その時、個人端末へ通知が入った。
仕事用ではない。
クラウドファンディング「故郷への一歩」の更新通知。
メノリの指が止まった。
すぐには開かない。
目の前の連絡文を最後まで仕上げる。
送信先。
日時。
添付資料。
誤りがないことを確認して送る。
それから、椅子へ深く座り直した。
「三分」
自分へ言い聞かせる。
「三分だけだ」
報告ページを開く。
だが、三分では終わらなかった。
メノリは最初から最後まで、一行も飛ばさず読んだ。
支援への感謝。
調査結果。
支持層の可能性。
不均一な造成地盤。
地表の移動。
保存区域。
モンサンミッシェル。
工事費が増える可能性。
計画変更。
そしてルナ自身の考え。
「……良く書けている」
小さく呟く。
感情だけではない。
事実と意見が分けられている。
確定していないことを断定していない。
不利な情報も隠していない。
支援金を使う者として、説明しなければならない内容が入っている。
文章の構成には少し甘い部分もある。
専門用語の説明を、もう一段分かりやすく出来る箇所もある。
だが、活動報告として大きな問題はなかった。
「フォックス達が確認したのか」
メノリは、文章の慎重さからそう推測した。
それでも、中心にある言葉はルナ自身のものだった。
――私は、地球の過去を守りながら、未来を作っていきたいと思っています。
メノリはその一文を見つめる。
ルナは昔から、皆の希望を先に考えた。
自分の望みを後ろへ置く。
誰かが困らないように動く。
それが強さであり、危うさでもあった。
今回の判断も、モンサンミッシェルを守るという正しさだけで背負い込めば、ルナ自身を追い詰める。
費用が増える。
調査期間が延びる。
支援者から批判される可能性もある。
守ると決めるだけでは足りない。
その負担を、皆へ分けなければならない。
メノリはコメント欄を開いた。
すでに仲間達の書き込みが並んでいる。
シャアラ。
ベル。
シンゴ。
ハワード。
「ハワードは余計な一文を足しているな」
映像化の部分を見て呟く。
それでも削除しろとは思わなかった。
あれはあれで、ハワードなりの応援だ。
メノリは入力を始める。
『報告は読んだ。事実と未確定事項を分けて書いた点は良い。中央部を保存対象とした判断にも異論はない。ただし、その判断によって増える負担を一人で背負うな。設計変更、費用、専門家の手配は、それぞれ担当へ任せろ。お前の仕事は全てを自分で処理することではない。調査チーム全員で帰還し、直接報告しろ』
読み返す。
少し硬い。
だが、メノリらしい。
送信しようとして、手を止める。
最後に一文を加えた。
『最初の一歩は、確かに進んでいる』
送信。
画面を閉じる。
三分の予定は、九分になっていた。
「……遅れた分は取り戻せる」
メノリは仕事の画面へ戻る。
だが、口元にはほんの僅かな笑みが残っていた。
◇
ハワード財閥旅行会社。
次のフライトを控えた乗務員用の打ち合わせ区画で、カオルは航路資料を確認していた。
A級パイロットとして採用されてから、すでに複数の便を経験している。
それでも、出発前の確認を簡単に済ませることはなかった。
航路。
気象。
到着先の管制状況。
燃料。
代替着陸地点。
緊急時の退避経路。
一つずつ、自分の中へ入れていく。
同じテーブルには、カイエ、ククル、エマがいた。
カイエは客室と操縦室の連携項目を確認している。
ククルはサービス用の備品一覧を端末へ表示し、足りないものがないかを見ていた。
エマは乗客情報と食事対応の表を確認している。
「今回、特別食が二件」
エマが言う。
「一件はアレルギー対応。もう一件は医療上の食事制限」
「配置、分けた方がいいね」
ククルが答える。
「取り違えないように、色だけじゃなくて容器の形も変えよう」
「その方がいい」
カイエも頷く。
「エリンさんへ最終確認を出す」
「お願い」
カオルは会話を聞きながら、航路図へ目を落としていた。
自分の担当へ集中している。
だが、客室側で何が進んでいるかも耳に入れている。
以前よりも、操縦席の外を見るようになっていた。
ククルの端末が通知音を鳴らす。
「ん?」
画面を見る。
「あっ!」
「何?」
エマが顔を上げる。
「ルナちゃんの地球報告、更新されてる!」
カイエもすぐに端末を見る。
「今?」
「今日の活動が終わったみたい」
ククルはカオルを見る。
「カオルも見る?」
「確認が終わってからだ」
「航路資料、もう三回見てるじゃん」
「四回目だ」
「増えてる」
エマが小さく笑う。
「少し休憩してもいいんじゃない、カオル?」
「出発まで時間はある」
カイエも言った。
「私達も一度休憩しよう」
カオルは三人を見る。
反対しても、どうせ隣で読み始める。
「……分かった」
四人はテーブル中央の共有画面へ、ルナの活動報告を表示した。
ククルが最初の文章から声に出して読む。
「『このたびは、私の地球での活動にご支援いただき――』」
「全部読むの?」
カイエが尋ねる。
「みんなで見るんだから、読んだ方がいいでしょ」
「自分で読める」
「カイエは黙読が速すぎるんだよ」
「ククルが遅いだけ」
「二人とも、内容が入らないよ」
エマが穏やかに止める。
カオルはすでに先を読んでいた。
モンサンミッシェルという文字で、視線が止まる。
「……モンサンミッシェル」
カオルの声に、三人も画面を見る。
「本当に?」
ククルが目を見開く。
「可能性が高い、だね」
エマが慎重に読み直す。
「まだ確定じゃない」
カイエも言う。
「でも、地中に石造構造が残ってる」
過去と現在の地形比較。
青い保存区域。
ククルは画像を見ながら、表情を曇らせた。
「こんなに埋まっちゃってるんだ……」
「地表からは何も見えないんだね」
エマが静かに言う。
「知らないで工事していたら、壊してたかもしれない」
カイエの言葉に、四人が少し黙る。
「ルナちゃん、止めたんだね」
ククルが言う。
「当然だろ」
カオルは短く答えた。
「当然って」
「ルナなら止める」
「それはそうだけど」
ククルは少し笑う。
「カオル、ルナちゃんのこと、すごく信じてるね」
「昔からそういう奴だ」
サヴァイヴで、ルナは皆を先へ進ませた。
ただし、前へ進むことだけを正しいとはしなかった。
誰かが置いていかれるなら待った。
危険なら戻った。
必要なら、別の道を探した。
だから今回も、建設を進めるために遺構を壊すとは思えなかった。
「でも、工事は難しくなる」
カイエは現実的な部分を見る。
「中央を使えないなら、機械の配置を変えないといけない」
「輸送路も長くなるみたい」
エマが言う。
「お金も増えるかもしれないって」
ククルの声が少し小さくなる。
「支援した人、怒らないかな」
「怒る人はいるかもしれない」
カイエが答える。
ククルが不安そうな顔をする。
「でも、隠して後から分かる方が悪い」
カオルが言った。
「今書いたのは正しい」
「うん」
エマは支援者から届いているコメントを見る。
「分かってくれている人も多いよ」
「本当だ」
ククルが画面をスクロールする。
「『時間がかかってもいい』、『残っているものを大切にして』……」
カイエもコメント欄を見る。
「ルナちゃんが正直に書いたから、支援者も正直に応えている」
「信頼ってことかな」
エマが言う。
「そうだと思う」
ククルは嬉しそうに頷く。
その後、仲間達のコメントも見つける。
「シャアラちゃん、優しい」
「ベルくん、短い」
「シンゴ、長い」
「ハワードくん、最後に自分の話を入れてる」
カイエが淡々と言う。
「全部、本人らしいね」
エマが笑った。
「私達も書こうよ」
ククルが提案する。
「全員で一つ?」
「それぞれでもいいけど」
「勤務中に四件並ぶのもどうなの」
カイエが言う。
「仲がいいって分かっていいじゃん」
「ホームページはグループチャットじゃない」
「じゃあ、代表はカオル」
「何で俺だ」
「サヴァイヴのメンバーで、今ここにいる中では一番ルナちゃんと長く活動してたから」
「私達だってルナちゃんと一緒に仕事してるけど、サヴァイヴにはいなかったものね」
エマが言う。
カオルは少し考える。
「三人の言葉も入れろ」
「じゃあ一緒に考えよう!」
ククルが端末を中央へ置く。
「まず、『ルナちゃん、すごい!』」
「軽い」
カイエが即座に言う。
「じゃあ、『報告を読みました』」
「固いよ」
「エマは?」
「『皆さんが無事に調査を続けられていることに安心しました』から始めたら?」
「いいね!」
四人で文章を組み立てる。
ククルが明るさを足す。
カイエが曖昧な表現を直す。
エマが柔らかく整える。
カオルが余計な部分を削る。
最後に完成した文章を、カオルが代表して送信した。
『報告を読んだ。調査チーム全員が無事に活動を続けられていることに安心した。モンサンミッシェルの可能性がある区域を守ると決めたことも、正しいと思う。計画が変わっても、進んでいることに変わりはない。焦らず、全員で帰ってこい。こちらでも出来ることがあれば協力する。――カオル、カイエ、ククル、エマ』
ククルが送信済みの画面を見る。
「カオルの部分だけ、やっぱり短くて硬い」
「全員で決めただろ」
「最後の『全員で帰ってこい』はカオルだよね」
「必要だから入れた」
「うん。いいと思う」
エマが微笑む。
カイエは時計を確認した。
「休憩終了。確認へ戻るよ」
「はーい」
ククルが返事をする。
カオルも航路資料へ戻る。
画面には、これから自分達が飛ぶ宇宙の道。
その向こうでは、ルナが地球に新しい道を作ろうとしている。
場所は違う。
だが、どちらも安全に人を運び、未来へつなぐための仕事だった。
◇
同じ頃。
クラウドファンディングの活動報告ページには、少しずつ新しいコメントが増えていた。
支援者達の言葉。
専門家からの助言。
地球の文化遺産を研究する者からの連絡。
そして、かつて同じ惑星で生き延びた仲間達の言葉。
ルナが休憩区画へ下がった後も、通知は続いていた。
シャアラから。
ベルとナミから。
シンゴとサツキから。
ハワードから。
メノリから。
カオル、カイエ、ククル、エマから。
彼らは、もう同じ場所にはいない。
自宅で物語を書く者。
冥王星で船の安全を守る者。
恒星間輸送船を整備する者。
舞台に立つ者。
多忙な秘書として、人と予定をつなぐ者。
旅行会社で宇宙を飛ぶ者達。
それぞれが自分の夢を追い、自分の仕事を持ち、自分の場所で生きている。
サヴァイヴにいた頃のように、毎日同じ家へ戻ることはない。
焚き火を囲むこともない。
誰かが食料を探しに行けば、全員で帰りを待つこともない。
それでも。
一人が遠い地球で一歩を踏み出せば、皆がその一歩を見る。
危険があれば心配する。
間違っていれば止める。
前へ進んでいれば、進んでいると伝える。
離れていても、関係は終わっていなかった。
サヴァイヴは、もう生き残るための場所ではない。
けれど、そこで生まれたつながりは、それぞれの未来の中に残っている。
地球低軌道を進むグレートフォックス。
その船内に置かれたルナの端末では、新着通知の数字が静かに増え続けていた。
明日。
ルナがそれらの言葉を読む時。
自分が地球で踏み出した一歩が、決して一人だけのものではなかったことを知る。
遠く離れた仲間達もまた、それぞれの場所から同じ未来を見ていた。