サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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それぞれの前線

 

 グレートフォックスの食堂では、まだ笑い声が続いていた。

 

「じゃあ、家を作った時は誰が一番働いたんです?」

 

「それは皆ですよ」

 

「絶対、一人くらい途中でサボった人いたでしょう」

 

「えっと……」

 

 ルナが微妙に視線を逸らす。

 

「いましたね?」

 

「名前は言いません」

 

「いたんだ」

 

 作業員達の笑い声が広がる。

 

 数日前までとは、まるで違う光景だった。

 

 地球という、人が防護服なしでは歩くことすら出来ない場所。

 

 外へ出るたび酸素残量を確認し、帰還すれば粉塵を落とし、シャワーを浴び、疲れた身体へ食事を入れる。

 

 最初は、それだけで一日が終わっていた。

 

 だが今では。

 

 こうして一日の最後に、誰かの昔話を聞く余裕がある。

 

 グレートフォックスの中が、少しずつ調査隊の生活の場になり始めていた。

 

 その食堂の端。

 

 フォックスは食事を終えると、静かに席を立った。

 

「フォックスさん?」

 

 ルナが気づく。

 

「通信だ」

 

「宇宙管理局からですか?」

 

「ああ」

 

「何かあったんでしょうか」

 

「定期連絡だ」

 

 ルナの顔に一瞬浮かんだ心配を見て、フォックスはそれだけ付け加えた。

 

「分かりました」

 

「話を続けてろ」

 

「はい」

 

 フォックスは食堂を出る。

 

 背後では、すぐに別の質問が始まった。

 

「ルナさん、ハワードってどんな人だったんです?」

 

「どうして皆さん、ハワードの話を聞きたがるんですか?」

 

「絶対面白い人でしょう」

 

「……否定出来ませんけど」

 

 再び笑い声。

 

 フォックスは一度だけ後ろを振り返った。

 

 悪くない。

 

 長期間の現場では、作業効率だけでは持たない。

 

 食事。

 

 睡眠。

 

 休息。

 

 そして、任務とは関係のない会話。

 

 そういうものが崩れた時から、人間の判断も崩れていく。

 

 フォックス自身、それを何度も見てきた。

 

 今の地球調査隊は、ようやく「続けられる状態」になっている。

 

 それを確認してから、通信区画へ入った。

 

 ◇

 

「ナウス」

 

『はい』

 

「回線を」

 

『宇宙管理局本部との暗号通信を接続します』

 

 正面モニターが切り替わる。

 

 数秒の通信待機。

 

 やがて画面に、一人の女性が映し出された。

 

『フォックス』

 

「ペルシア」

 

 宇宙管理局統括官。

 

 ペルシアだった。

 

 いつも通りの髪。

 

 いつも通りの表情。

 

 ただし、どこか疲れている。

 

 背後には大量の資料が積まれており、机の端には飲みかけのコーヒー。

 

 いつもの統括官室とは、少し違う。

 

 フォックスは画面を見て、眉を僅かに動かした。

 

「そこはどこだ」

 

『いきなりそこ?』

 

「統括官室じゃない」

 

『よく分かったわね』

 

「見れば分かる」

 

『局長室よ』

 

 フォックスは数秒黙った。

 

「何してる」

 

『仕事』

 

「何で局長室で」

 

『それは後で話す』

 

 ペルシアは片手を振り、強引に話を切り替えた。

 

『先に地球』

 

「ああ」

 

 フォックスは地球調査の定期報告を開いた。

 

「活動は順調だ」

 

『その言い方、順調じゃない時も順調って言う人の言い方ね』

 

「問題はある」

 

『ほら』

 

「だが、進んでる」

 

 地形図を共有する。

 

 緑。

 

 黄色。

 

 赤。

 

 青。

 

 調査によって意味を持ち始めた丘の地図。

 

「東側で支持層になる可能性のある岩盤を確認した」

 

『見たわ。六から八メートルくらいだったわね』

 

「追加ボーリングでも連続してる」

 

『じゃあ、本体基礎の候補にはなる?』

 

「可能性はある」

 

『可能性、ね』

 

「ああ」

 

 ペルシアは少し笑う。

 

『ルナちゃん達に移ったわね、その言い方』

 

「必要な言い方だ」

 

『分かってる』

 

 フォックスは中央部の青い区域を表示する。

 

「モンサンミッシェル推定区域は、建設区域から外した」

 

『ルナちゃんが決めたんでしょ』

 

「ああ」

 

『やっぱり』

 

 ペルシアは即答した。

 

 驚きはない。

 

『あの子ならそうすると思った』

 

「工事条件は悪くなる」

 

『でしょうね』

 

「輸送路も修正が必要だ」

 

『費用も増える』

 

「ああ」

 

『でも、使わない』

 

「ああ」

 

 フォックスは短く返す。

 

 ペルシアは椅子の背へ少し身体を預けた。

 

『ルナちゃん、迷った?』

 

「迷ってた」

 

『そう』

 

「だが、決める時は早かった」

 

 ペルシアの目が少し柔らかくなる。

 

『それならいいわ』

 

「支援者向けの報告も自分で出した」

 

『読んだ』

 

「全部書いた」

 

『費用が増える可能性もね』

 

「ああ」

 

『あれは良かった』

 

 ペルシアは真面目な声になった。

 

『支援金が入ってる以上、都合のいい結果だけ出したら駄目。分からないものは分からない。予定が変わったら変わった。それを出す方が、後でずっと強い』

 

「ルナもそう考えた」

 

『成長したわね』

 

「元からそういうところはあった」

 

『そうね』

 

 ペルシアは笑う。

 

『でも昔のルナちゃんだったら、支援者が心配しないように、自分の不安まで全部飲み込んだかもしれない』

 

 フォックスは何も否定しなかった。

 

『今は?』

 

「周りに言うようになった」

 

『へぇ』

 

「疲れた時も、前よりはな」

 

『前よりは、ね』

 

「ああ」

 

『完全じゃないのね』

 

「ルナだからな」

 

『なるほど』

 

 ペルシアは楽しそうに笑った。

 

『で、チームの方は?』

 

「問題ない」

 

『揉めてない?』

 

「最初は担当同士で少しあった」

 

『今は?』

 

「夕食でサヴァイヴの話を聞いて笑ってる」

 

 ペルシアが一瞬黙った。

 

『……何それ、見たい』

 

「見せ物じゃない」

 

『録画してない?』

 

「してない」

 

『ナウス』

 

『プライバシー上、無断記録は推奨されません』

 

『真面目ね』

 

「当たり前だ」

 

『でもいいわね』

 

 ペルシアの声が少し柔らかくなる。

 

『現場って、そこまで行けば強いから』

 

「そうだな」

 

『誰がどう疲れるとか、誰が何に強いとか、説明しなくても分かるようになってくる。そうなれば、何かあった時も早い』

 

「今はそこまで来てる」

 

『なら、地球側は思ってたより良さそうね』

 

「ああ」

 

 そこで。

 

 フォックスは少し間を置いた。

 

「そっちは」

 

 ペルシアの表情が止まる。

 

『何?』

 

「東側未探索領域」

 

 さらに一拍。

 

「リュウジの魔のゾーンの調査はどうだった」

 

 ペルシアは。

 

 大きく。

 

 深く。

 

 ため息を吐いた。

 

『散々よ』

 

「そうか」

 

『もう少し驚いてくれてもよくない?』

 

「予想してた」

 

『腹立つわね』

 

 ペルシアは机の上の資料を一枚持ち上げる。

 

 そこには航路図が表示されていた。

 

 ただし。

 

 航路よりも、赤い印の方が多い。

 

「何だ、それは」

 

『隕石群』

 

 ペルシアは即答する。

 

『この数日間で、嫌っていうほど見たわよ』

 

 画面を切り替える。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 映像には、暗い宇宙を埋める大量の岩塊。

 

 大小様々。

 

 ゆっくり流れているもの。

 

 猛烈な速度で交差するもの。

 

 互いに衝突し、砕け、さらに小さな破片を撒き散らしているもの。

 

『入り口だけでこれ』

 

「密度は」

 

『場所による』

 

 ペルシアは指で地図をなぞる。

 

『少ない時は、数百キロくらい何もないように見える』

 

「見える?」

 

『そう』

 

 ペルシアの声が低くなる。

 

『それで安心して進もうとすると、奥から一気に流れてくる』

 

「周期は」

 

『まだ取れない』

 

「重力場との関係は」

 

『チャコが解析してる。でも単純な軌道運動じゃないみたい』

 

 フォックスの目が細くなる。

 

『重力の歪みが変わると、隕石群の流れも変わる。しかも大きいのだけじゃない。細かい破片が厄介』

 

「レーダーに映りにくい」

 

『そういうこと』

 

 ペルシアは別のデータを表示する。

 

『ファルコなんて、最初の日に「これ全部避けりゃいいんだろ」なんて言ってたけど、二日目には黙ったわ』

 

「そうか」

 

『クリスタルも、近づくほど空間が落ち着かないって言ってる』

 

「感覚でも?」

 

『ええ』

 

「進入出来たのか」

 

 フォックスの問い。

 

 ペルシアは再びため息を吐く。

 

『ほとんど出来なかった』

 

「ほとんど?」

 

『境界線を少し越えた程度』

 

「リュウジが操縦したのか」

 

『もちろん』

 

 ペルシアは椅子へ深く座った。

 

『あそこをまともに飛べるの、今のところリュウジしかいないもの』

 

 だが。

 

 その後の声には、呆れが混じる。

 

『それでね』

 

「何だ」

 

『隕石群が多すぎて全然奥へ入れないでしょう?』

 

「ああ」

 

『リュウジ、少しでも中へ入ろうとしたのよ』

 

 フォックスは黙った。

 

『ほら、その顔』

 

「止めたんだろ」

 

『止めた』

 

「誰が」

 

『全員』

 

 即答。

 

『私も、タツヤ班長も、チャコも、ファルコも、クリスタルも』

 

「それで」

 

『一回は引いた』

 

「一回は?」

 

『次の日、また言い出した』

 

 フォックスは目を閉じた。

 

「そういう奴だ」

 

『でしょう?』

 

 ペルシアは机を指で軽く叩く。

 

『本人はね、「昨日より流れが薄い」「右側に抜ける空間がある」「あと少しだけなら進める」とか、全部理由つけてくるの』

 

「間違ってはいない」

 

『だから余計に面倒なのよ』

 

 ペルシアは少し声を強くする。

 

『無茶を無茶の顔でやってくれた方が止めやすいわよ』

 

「あいつは合理的に無茶をする」

 

『そう!』

 

 ペルシアが指を差す。

 

『そこなのよ!』

 

 まるでフォックス本人が目の前にいるかのような勢いだった。

 

『本人の中では「危険を承知で突っ込む」じゃないの。「この条件なら帰れる確率がある」なのよ』

 

「ああ」

 

『しかも過去に一回帰ってるでしょう?』

 

「魔のゾーンの入り口からな」

 

『それが本人の中にあるから、余計に厄介』

 

 ペルシアは眉間を押さえる。

 

『自分が出来たことを、出来ないとは考えないのよ』

 

「昔と条件は違う」

 

『言ったわよ』

 

「聞いたか」

 

『聞いた』

 

 少し間。

 

『聞いただけ』

 

「だろうな」

 

『もうほんっと腹立つ』

 

 ペルシアは椅子の背へ倒れ込んだ。

 

『それでさっきまで、こっぴどくエリンに怒られてたわ』

 

 フォックスの目が僅かに動く。

 

「エリンに?」

 

『ええ』

 

「本部で?」

 

『そう』

 

 ペルシアは少し楽しそうになる。

 

『帰ってきて報告したら、エリンがログを最初から全部見たのよ』

 

「それで」

 

『まず一言』

 

 ペルシアはエリンの真似をするように、声を少し落とした。

 

『「何で撤退判断の後に、再進入案が出てるの?」』

 

 フォックスは黙って聞く。

 

『リュウジが「隕石流が一時的に薄くなったから」って答えた』

 

「それで」

 

『「私が聞いてるのは、入れそうだった理由じゃない。撤退を決めた後に、何でまた入ろうと考えたのって聞いてるの」』

 

 フォックスの口元が、ほんの僅かに動いた。

 

『リュウジ、黙る』

 

「そうなるな」

 

『そこからよ』

 

 ペルシアは楽しそうに指を折り始める。

 

『連続操縦時間』

 

 一つ。

 

『睡眠』

 

 二つ。

 

『食事』

 

 三つ。

 

『反応速度』

 

 四つ。

 

『過去の遭難経験が判断に影響してなかったか』

 

 五つ。

 

『全部』

 

 手を広げる。

 

『一個ずつ聞かれてた』

 

「答えたのか」

 

『最初はね』

 

 ペルシアは笑いを堪える。

 

『途中から「はい」しか言わなくなった』

 

「想像出来る」

 

『最後なんて、エリンが「帰るために調査してるんでしょう。奥へ入るために帰還条件を使わないで」って』

 

 フォックスの表情が少しだけ真面目になる。

 

 その言葉。

 

 的確だった。

 

 危険を計算するための条件。

 

 撤退のための基準。

 

 それを「ここまでなら行ける」という進入理由へ読み替えれば、どこまでも奥へ行けてしまう。

 

「エリンが正しい」

 

『でしょう?』

 

「リュウジは」

 

『反論しなかった』

 

「珍しいな」

 

『正しいって分かってる時は、あの子反論しないもの』

 

 ペルシアは少し笑った。

 

『だから今、ものすごく大人しいわよ』

 

「いつまで持つ」

 

『明日まで』

 

「短いな」

 

『私もそう思う』

 

 二人の間に、短い笑いが落ちた。

 

 ◇

 

 そして。

 

 ペルシアは、ふと何かを思い出したように姿勢を直した。

 

『そう、それでエリンなんだけど』

 

「何だ」

 

『あの子、統括官の才能あるみたい』

 

 フォックスは無言。

 

『何、その反応』

 

「驚かない」

 

『少しは驚きなさいよ』

 

「前から人をまとめるのは上手い」

 

『そうなんだけどさ』

 

 ペルシアは机の上を指す。

 

『私がネフェリスで出てる間、本部側をエリンにかなり任せてたのよ』

 

「正式な統括官代行か」

 

『正式じゃない』

 

 ペルシアはそこは明確に否定した。

 

『最終決裁は局長と私。本部で現場情報をまとめて、必要な判断をこちらへ投げる役』

 

「実質のオペレーション責任者だな」

 

『まぁ、そう』

 

「それで」

 

『私より仕事出来るのよ』

 

「それは言いすぎだ」

 

『言いすぎじゃない!』

 

 ペルシアは即座に反論する。

 

『朝来るでしょう?』

 

「ああ」

 

『まず夜間ログ全部読む』

 

「ああ」

 

『その間にフレイへ、今日の優先順位を出させる』

 

「ああ」

 

『ジェームズの整備側の懸念を聞いて、シャオメイの通信条件と重なるところだけ抜く』

 

「ああ」

 

『必要なところだけ私に送ってくる』

 

「ああ」

 

『しかも、短い』

 

「いいことだ」

 

『私が送ると長いみたいに言わないで』

 

「言ってない」

 

『顔が言ってる』

 

 フォックスは表情を変えていない。

 

『それだけじゃないのよ』

 

 ペルシアは身を乗り出す。

 

『ジェームズがちゃんと話を聞くの』

 

「ジェームズは必要な相手なら聞く」

 

『私の時は最初、毎回「面倒だ」から入るのよ』

 

「今も言うだろ」

 

『言うけど!』

 

 少し声が大きくなる。

 

『エリンには、「その判断なら問題ない」って普通に言うのよ!』

 

「信頼されてるんだろ」

 

『フレイだってそう』

 

「フレイは誰にでも仕事はする」

 

『違うのよ』

 

 ペルシアは首を振る。

 

『私に対しては「統括官、資料が三件残っています」「統括官、確認してください」「統括官、逃げないでください」なのよ』

 

「お前が逃げるからだ」

 

『逃げてない』

 

「逃げてる」

 

『たまに抜けるだけ』

 

「同じだ」

 

『違う』

 

 一拍。

 

『でもエリンには』

 

 ペルシアが少し不満そうに口を尖らせる。

 

『「エリンさん、この優先順位でよろしいですか」「こちらは処理しておきました」なのよ』

 

「普通だ」

 

『普通じゃない!』

 

 ペルシアは机を軽く叩く。

 

『私の時と声の温度が違うの!』

 

「気のせいだ」

 

『絶対違う』

 

 フォックスは黙る。

 

 そこへペルシアが、とどめのように言った。

 

『シャオメイなんてね』

 

「何だ」

 

『この前、本部通信で普通に言ったのよ』

 

 ペルシアはわざと間を置く。

 

『「エリン統括官、この回線優先でいいですか?」って』

 

 フォックスは数秒黙った。

 

「間違えたのか」

 

『違う!』

 

 ペルシアが即座に叫ぶ。

 

『わざとよ!』

 

「何で」

 

『皆がそういう空気だからよ!』

 

 フォックスは僅かに眉を上げる。

 

『エリンも「私は統括官じゃないわよ」って言ってたわ』

 

「当然だ」

 

『そしたらシャオメイが、「でも今、この部屋で統括官みたいなことしてますよね」って』

 

「間違ってない」

 

『フォックスまで!』

 

 ペルシアは本気で不満そうだった。

 

『そのうちジェームズまで笑うのよ』

 

「ジェームズが?」

 

『口元だけ』

 

「珍しいな」

 

『でしょう?』

 

 ペルシアはそこで大きく息を吐く。

 

『もう私、居場所がない』

 

「あるだろ」

 

『ない』

 

「統括官室」

 

『エリンがいる』

 

「お前の部屋だ」

 

『入りづらいのよ』

 

「何で」

 

『全員ちゃんと仕事してるから』

 

「お前も仕事しろ」

 

『してるわよ!』

 

 フォックスは真顔のままだ。

 

 ペルシアは画面越しに睨む。

 

『だから今、局長室で仕事してるのよ』

 

「局長は」

 

『いる』

 

「同じ部屋に?」

 

『いる』

 

「迷惑だろ」

 

『「静かに仕事するなら好きにしろ」って』

 

「追い出されてないだけだ」

 

『局長は優しい』

 

「諦めてるだけだ」

 

『フォックス、今日ちょっと辛辣じゃない?』

 

「いつも通りだ」

 

 ペルシアは不満そうに頬を膨らませた。

 

 だが。

 

 その表情は、本当に困っている人間のものではなかった。

 

 むしろ。

 

 嬉しそうだった。

 

 フォックスはそれに気づいている。

 

「不満じゃないんだろ」

 

 ペルシアの表情が、一瞬止まる。

 

『何が』

 

「エリンが評価されてることだ」

 

 ペルシアは黙った。

 

 数秒。

 

 それから、小さく笑う。

 

『……まあね』

 

 先ほどまでの大げさな不満が少しだけ消える。

 

『嬉しいわよ』

 

 ペルシアは机の上の資料へ目を落とした。

 

『ジェームズも』

 

 整備側の危険を誰より早く拾う男。

 

『フレイも』

 

 ペルシアが集めた情報を、現実の仕事へ落としていく存在。

 

『シャオメイも』

 

 若いが、必要なら遠慮なく危険を指摘出来る通信技師。

 

『皆、私が無理やり引っ張ってきたり、口説いたり、お願いしたりして集めた人達なのよ』

 

「知ってる」

 

『だから』

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

『私がいなくても、その人達がちゃんと動いてるのは嬉しい』

 

「ならいいだろ」

 

『でも』

 

「何だ」

 

『私よりエリンの方が人気なのは腹立つ』

 

「そこか」

 

『そこよ』

 

 フォックスは小さく息を吐いた。

 

『しかもね』

 

 ペルシアはまた調子を戻す。

 

『エリンって、別に統括官っぽく振る舞おうとしてないのよ』

 

「ああ」

 

『怒鳴らないし』

 

「ああ」

 

『偉そうにもしない』

 

「ああ」

 

『でも、ジェームズが危険って言えば止める。フレイが資料を出せばその場で決める。シャオメイが通信を止めろって言ったら理由を聞いて、必要なら本当に止める』

 

「それが仕事だ」

 

『そうなの』

 

 ペルシアの声が少しだけ真面目になる。

 

『あの子、自分が一番詳しいふりをしないのよ』

 

 フォックスは黙って聞く。

 

『分からないものは、分かる人に聞く』

 

『でも』

 

『最後に決める時は、自分で決める』

 

 それは。

 

 ペルシア自身が統括官という仕事の中で覚えてきたことでもある。

 

『……向いてるのよね』

 

「そうだな」

 

『即答するの、腹立つ』

 

「事実だ」

 

『でもさ』

 

 ペルシアは少し笑う。

 

『昔からそうだったのかも』

 

「何が」

 

『エリンって、チーフパーサーだったでしょう』

 

「ああ」

 

『皆が動ける状態を作って、自分は全体を見る』

 

「そうだな」

 

『誰かが無理してたら止める』

 

「ああ」

 

『誰かが育ったら任せる』

 

「ああ」

 

『客室が崩れそうなら、必要なところだけ前に出る』

 

「それが統括官業務と似てると言いたいのか」

 

『規模が違うだけでね』

 

 ペルシアは少し遠くを見るような目をした。

 

『私より向いてたりして』

 

「それは違う」

 

 フォックスが即座に言った。

 

 ペルシアの目が少し動く。

 

『珍しい。慰めてる?』

 

「違う」

 

『じゃあ何』

 

「お前とエリンは違う」

 

 フォックスは淡々と続ける。

 

「お前は人を見つける」

 

『……』

 

「必要な奴を引っ張ってくる」

 

『うん』

 

「エリンは、集まった人間を動ける形にする」

 

 ペルシアは黙る。

 

「役割が違う」

 

 短い言葉。

 

 だが、ペルシアには十分だった。

 

 自分が集めた。

 

 ジェームズ。

 

 フレイ。

 

 シャオメイ。

 

 イーナ。

 

 そして、フォックス達。

 

 個性的で。

 

 扱いづらくて。

 

 でも必要な人達。

 

 それを一つの場所へ集めたのはペルシアだ。

 

 そして。

 

 その集まった力を、エリンは自然に繋いでいる。

 

『……なるほどね』

 

「何だ」

 

『それなら、私の居場所あるわ』

 

「最初からある」

 

『でも統括官室には入りづらい』

 

「戻れ」

 

『嫌』

 

「仕事しろ」

 

『してるってば』

 

 フォックスは小さく息を吐いた。

 

 ◇

 

 通信の向こう。

 

 ペルシアがふと時計を見る。

 

『そっちは、もう夜?』

 

「ああ」

 

『ルナちゃんは?』

 

「食堂」

 

『まだサヴァイヴの話してる?』

 

「多分な」

 

 ちょうどその時。

 

 通信室の扉越しに、微かな笑い声が聞こえた。

 

『聞こえる』

 

「ああ」

 

『楽しそうね』

 

「そうだな」

 

 ペルシアは少し目を細める。

 

『ルナちゃん、大丈夫そうね』

 

「問題ない」

 

『ならよかった』

 

「そっちは」

 

『何?』

 

「リュウジを入れるなよ」

 

 ペルシアの顔から、少し笑みが消える。

 

『分かってる』

 

「本人が行けると言ってもだ」

 

『分かってるわよ』

 

 今度の声は、本当に真面目だった。

 

『エリンとも約束してる』

 

 リュウジの操縦時間。

 

 睡眠。

 

 食事。

 

 身体状態。

 

 判断の偏り。

 

 過去の遭難経験から来る心理的な影響。

 

 全部を見る。

 

 帰れる状態を崩したら、その時点で終わり。

 

『リュウジがどれだけ「行ける」って言っても』

 

 ペルシアははっきり言った。

 

『帰れない可能性が上がるなら、私が止める』

 

「それでいい」

 

『嫌われてもね』

 

「嫌われない」

 

『そう?』

 

「あいつも分かってる」

 

 ペルシアは少し笑った。

 

『そうね』

 

 リュウジは反発するかもしれない。

 

 黙るかもしれない。

 

 もう少しだけ、と言うかもしれない。

 

 それでも。

 

 止める役を嫌っているわけではない。

 

 むしろ。

 

 自分が止まれなくなることを、本人も知っている。

 

『じゃあ、そっちも』

 

「何だ」

 

『ルナちゃんを無事に連れて帰って』

 

「言われなくても」

 

『作業員も全員』

 

「ああ」

 

『モンサンミッシェルも壊さない』

 

「ああ」

 

『フォックスも無茶しない』

 

「俺はしない」

 

『そういう人が一番怪しいのよ』

 

「お前に言われたくない」

 

『ひどい』

 

 ペルシアが笑った。

 

『じゃあ、また明日』

 

「ああ」

 

『地球側のログ、引き続き送って』

 

「分かった」

 

『こっちも魔のゾーンのデータ送る』

 

「確認する」

 

『あと』

 

「何だ」

 

『エリン統括官には内緒ね』

 

「何を」

 

『私が局長室に避難してること』

 

「もう知ってるだろ」

 

『……知ってる』

 

「なら何で言った」

 

『一回言ってみたかっただけ』

 

「切るぞ」

 

『はーい』

 

 通信が終了する。

 

 モニターが暗くなった。

 

 フォックスは数秒、その画面を見つめた。

 

 地球。

 

 魔のゾーン。

 

 二つの調査は、全く違う場所で進んでいる。

 

 一方は。

 

 人類の過去が眠る地面を、一センチずつ確かめる仕事。

 

 もう一方は。

 

 千もの宇宙船を飲み込んだ宙域の境界を、一キロずつ確かめる仕事。

 

 どちらも。

 

 進むことだけが目的ではない。

 

 帰ること。

 

 残すこと。

 

 次へ繋げること。

 

 そのための調査だった。

 

 ◇

 

 フォックスが食堂へ戻ると。

 

「それでハワードが――」

 

 ルナの声が聞こえてきた。

 

 作業員達が、完全に話へ引き込まれている。

 

「ちょっと待ってください、そんなこと本当に言ったんですか?」

 

「言いました」

 

「その状況で?」

 

「はい」

 

「すごい人だな……」

 

「いろんな意味で」

 

 食堂に笑い声。

 

 スリッピーがフォックスに気づく。

 

「おかえり」

 

「ああ」

 

「何かあった?」

 

「問題ない」

 

 フォックスは短く答えた。

 

 ルナもこちらを見る。

 

「ペルシアさんからでしたか?」

 

「ああ」

 

「皆さん、大丈夫ですか?」

 

 その問い。

 

 ペルシアではなく。

 

 皆。

 

 リュウジ。

 

 タツヤ班長。

 

 チャコ。

 

 ファルコ。

 

 クリスタル。

 

 そして本部側にいるエリン達。

 

 ルナらしい聞き方だった。

 

「大丈夫だ」

 

 フォックスは答える。

 

「調査は?」

 

「進んでる」

 

「よかった」

 

 ルナは安堵する。

 

 フォックスは、それ以上は言わなかった。

 

 隕石群。

 

 再進入しようとしたリュウジ。

 

 エリンの説教。

 

 局長室へ逃げ込んだ統括官。

 

 今この場で全部話す必要はない。

 

 ただ。

 

「ルナ」

 

「はい?」

 

「明日も地上だ」

 

「あっ」

 

「もう終われ」

 

 作業員達から不満の声が上がる。

 

「フォックスさん、いいところだったのに」

 

「まだハワードの話、途中ですよ」

 

「続きは明日だ」

 

「えぇー」

 

 フォックスは気にしない。

 

 ルナが苦笑する。

 

「すみません。続きはまた明日ということで」

 

「約束ですよ」

 

「はい」

 

「ハワード編の続き」

 

「編って何ですか?」

 

 笑い声が続く。

 

 フォックスはその光景を見ながら、先ほどのペルシアの言葉を思い出した。

 

 ――現場って、そこまで行けば強いから。

 

 確かに。

 

 地球側も。

 

 宇宙側も。

 

 強くなっている。

 

 誰か一人が強いからではない。

 

 無茶をする人間を止める者がいる。

 

 疲れている人間へ休めと言う者がいる。

 

 分からないことを分かる者へ渡せる。

 

 そして。

 

 一日の最後には、笑える。

 

 それが出来る集団は、簡単には崩れない。

 

 外には。

 

 人間がまだ自由に呼吸することの出来ない地球が広がっている。

 

 さらに遠い宇宙には。

 

 隕石群に覆われた魔のゾーンがある。

 

 どちらの前線も。

 

 まだ入口に立ったばかりだった。

 

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