地球では、ルナ達が灰色の大地を少しずつ調べていた。
そして、そのさらに遠い宇宙では。
リュウジ達が、人類が十分に足を踏み入れていない東側未探索領域――その先に広がる〝魔のゾーン〟を前に、何度も進んでは引き返す日々を続けていた。
エリンも、その調査に無関係ではなかった。
むしろ。
かなり深く関わっていた。
ネフェリスから送られてくる航行記録。
隕石群の観測結果。
リュウジの連続操縦時間。
睡眠。
食事。
身体状態。
判断ログ。
それらを宇宙管理局側で確認し、ペルシア達と何度もやり取りをしていた。
特に、リュウジが「まだ行ける」と言い始めた時は厄介だった。
入れるかどうか。
ではない。
帰れるかどうか。
それを何度言っても、本人は僅かな隕石群の隙間を見つければ、その先の可能性を計算してしまう。
だからその日も。
エリンは通信画面越しのリュウジへ、少し低い声で言っていた。
「もう一度だけ言うわよ」
「はい」
リュウジは妙に素直な返事をする。
その返事が、逆に信用ならない。
「無理はしない」
「分かっています」
「〝分かっています〟じゃないの」
エリンの目が細くなる。
「隕石群が一時的に薄くなったからって、撤退を決めた後にもう一度入ろうとしない」
「……はい」
「今、間があったでしょう」
「ありません」
「あるわよ」
通信の向こう。
少し離れた場所で、ペルシアが笑いを堪えているのが見える。
チャコもシステム席で聞いているらしく、耳が僅かに動いた。
「リュウジ」
「はい」
「調査は奥へ入った距離を競うものじゃないの」
「分かっています」
「帰ってきて、次の人にデータを渡すところまでが調査よ」
「はい」
「貴方が全部見なくていい」
エリンはそこで一拍置いた。
「分かった?」
「分かりました」
今度は間がなかった。
エリンは数秒、画面の向こうのリュウジを見る。
昔だったら。
この返事だけでは絶対に安心出来なかった。
今も完全に安心しているわけではない。
けれど。
タツヤ班長がいる。
ペルシアがいる。
チャコがいる。
ファルコとクリスタルもいる。
一人で無茶をして、一人で帰ってくる任務ではない。
「ペルシア」
『何?』
「ちゃんと見てて」
『見てるわよ』
「〝面白そうだからもう少し行こう〟とか言わないでよ」
『言わないわよ!』
「貴方なら言いそうなのよ」
『今回は言わないって』
「今回は?」
『言葉の綾』
エリンは小さく息を吐いた。
「タツヤ班長にもお願いしますって伝えておいて」
『はいはい』
「〝はい〟は一回」
『はい』
ペルシアが妙に素直になる。
リュウジが僅かに口元を緩めた。
それを見逃さず、エリンが言う。
「何笑ってるの?」
「いえ」
「貴方の話よ」
「分かっています」
「ならいいわ」
そこでエリンは時計を見る。
いつまでも宇宙管理局へいるわけにはいかない。
ここ数日は未探索領域の調査対応で本部へ顔を出す時間が増えていた。
だが。
エリンの本職は、宇宙管理局ではない。
「じゃあ、私は戻るから」
リュウジが少しだけ目を上げる。
「スペースホープですか?」
「ええ」
「お仕事、気をつけて」
「そっちに言われたくないわ」
即答だった。
ペルシアが吹き出す。
『それはそう』
「ペルシアもよ」
『何で私まで』
「貴方達全員」
エリンは最後に一度だけ画面の全員を見る。
「必ず帰ること」
『了解』
ペルシア。
「分かりました」
リュウジ。
『任しとき』
チャコ。
それぞれの返事を確認してから。
「じゃあ、行ってくるわ」
通信を切った。
◇
宇宙管理局を出てから、スペースホープまではそう遠くない。
それでも移動中、エリンの頭はすでに仕事へ切り替わっていた。
今日のシュミレーション。
午後の編成確認。
次便の乗務員配置。
昨日提出された報告書。
乗客対応で一件、振り返らなければならない事例もある。
リュウジの隕石群と比べれば、ずっと穏やかな仕事に見えるかもしれない。
しかし。
エリンにとっては違った。
宇宙船が飛ぶ。
乗客が乗る。
その人達を無事に目的地へ送り届ける。
その責任に、大きいも小さいもない。
スペースホープの建物へ入り。
旅行事業部のフロアへ向かう。
エレベーターの扉が開いた。
「おはよう――」
エリンは言いかけて。
足を止めた。
何かがおかしい。
静かではない。
かといって、忙しく動き回っているわけでもない。
妙に。
そわそわしている。
ユウコが端末を開いては閉じる。
ナツキが時計を見る。
クミコとアズサが何かを小声で話す。
サリーも仕事をしているようで、視線が何度も同じ方向へ流れている。
マユは端末へ入力しているが、いつもより指が少し遅い。
ハズキも時々、中央モニターを確認していた。
そして。
ホーネットに至っては。
完全に落ち着きがない。
「まだ?」
「まだですね」
ミドリが答える。
「何時から?」
「正式発表は午後です」
「午後って何時?」
「それは分かりません」
「じゃあずっと待つの?」
「ホーネット、仕事しなさいよ」
ユウコが苦笑する。
「してるよ」
「端末、さっきから同じページ」
「これは情報収集」
「TOP10のページよね」
「だから情報収集」
エリンは数秒、その光景を眺めた。
「……何してるの?」
その一言で。
何人かの肩が同時に跳ねた。
「あっ」
「エリンさん」
「おはようございます」
ユウコ、ナツキ達が次々に振り返る。
ホーネットだけは普通だった。
「おかえり、エリン」
「ただいま」
エリンはフロアへ入りながら周囲を見る。
「何、この空気」
「何かあったの?」
そこへミドリがすぐに反応した。
「エリンさん、今日なんです!」
「何が?」
「TOP10です!」
エリンは一瞬だけ黙る。
「……ああ」
それだけだった。
ミドリの方が驚く。
「反応、薄くないですか?」
「知ってるもの」
「そうじゃなくて!」
ミドリは端末を持って立ち上がった。
「今日は、全コロニーの旅行会社を対象にしたTOP10の発表日なんです」
◇
TOP10。
旅行会社に勤める者なら、知らない者はほとんどいない。
各コロニーに存在する旅行会社を対象として、その一年の総合評価から順位をつける。
宇宙旅行業界では、最も権威のあるランキングの一つだった。
一位から十位。
ただ十社。
たったそれだけ。
だが、その十社へ入る意味は大きい。
名前が掲載された瞬間から予約が殺到する。
上位へ入った会社は、一年先まで主要便の予約が埋まることさえ珍しくない。
旅行会社にとって。
TOP10とは単なる賞ではない。
信用。
ブランド。
技術力。
安全性。
そして。
そこへ旅行を任せても大丈夫だという、業界からの強烈な保証に近いものだった。
特に小規模な会社にとって、一度でも名前が載れば状況は一変する。
銀行の融資。
企業との契約。
学校の研修旅行。
政府関係機関の移動。
何もかもが変わる。
だから。
ミドリだけではない。
ユウコ。
ナツキ。
クミコ。
アズサ。
サリー。
マユ。
ハズキ。
そしてホーネットまで。
皆、朝から妙に落ち着かなかった。
「ちなみに」
エリンがフロアを見渡す。
「皆、何を期待してるの?」
一瞬。
沈黙。
「いや……」
ホーネットが口を開く。
「もしかしたら、ってあるじゃん?」
「ないでしょ」
後方から、呆れたような声がした。
ミラだった。
隣にはラン。
二人ともすでに仕事用の端末を持っている。
ミラはフロアの面々を見渡す。
「気持ちは分かるけど」
少し苦笑する。
「スペースホープは、まだようやく軌道に乗りかけたばかりなのよ?」
ランも頷いた。
「予約だって増えてきたのは最近だし」
「大きな便を安定して回せるようになったのも、まだそんなに長くないでしょう」
ミラが続ける。
「TOP10なんて、夢のまた夢よ」
「分かってますけど……」
ミドリが少し肩を落とす。
「でも、ゼロじゃないですよね」
「夢を見るのは自由だけどね」
ランが柔らかく笑う。
エリンも自席へ向かいながら言った。
「私もミラとランと同じ意見よ」
「えぇー」
ホーネットが露骨に不満そうな声を出す。
「チーフパーサーが夢ないこと言わないでよ」
「夢と現実は分けなさい」
「厳しい」
「現実よ」
エリンは端末を机へ置いた。
その横で。
クミコが少し迷った後、手を上げる。
「エリンさん」
「何?」
「あの……」
「うん」
「エリンさんは、過去に受賞したことありますか?」
一瞬。
若い乗務員達の視線が一斉にエリンへ集まった。
ドルトムント。
かつて宇宙旅行業界で、その名を知らない者はいなかった会社。
そこで五年間。
そのうち三年間はチーフパーサー。
現場の実績だけを聞けば、TOP10という言葉とも無縁ではなさそうに思える。
だが。
「ないわよ」
エリンはあっさり答えた。
「えっ」
クミコが目を丸くする。
アズサも同じ顔。
「一度もですか?」
「ないわ」
「意外……」
その時。
「ふふっ」
小さな笑い声。
シルヴィアだった。
エリンがそちらを見る。
「何?」
「いえ」
シルヴィアは口元へ手を当てながら、少しだけ笑っている。
「エリンさんは、ドルトムントの時から、こういう賞レースにはあまり興味がなかったですもんね」
「ああ」
ミラも思い出したように笑う。
「そうだった」
ランも頷く。
「周りが騒いでいても、エリンさんだけ次の便の座席表を見てましたよね」
「興味がないわけではないわよ」
エリンは少しだけ眉を上げる。
「え?」
シルヴィアが見る。
「意味がないと思ってるだけ」
一瞬。
フロアが静かになった。
ホーネットが首を傾げる。
「同じじゃない?」
「違うわよ」
「どう違うの?」
「賞を取ることを目標に仕事をしても意味がないってこと」
エリンはそう言いながら、自席の端末を立ち上げた。
ホーネットはまだ納得していない。
「でもTOP10に入れば、旅行会社としても一気に有名な会社の仲間入りだし」
「ええ」
「予約だってたくさん来るよ?」
「来るでしょうね」
「じゃあ意味あるじゃん」
エリンは手を止めた。
そして。
ホーネットを見る。
「じゃあホーネット」
「何?」
「TOP10の評価基準、分かる?」
「……え」
今度はホーネットが止まった。
「ほら」
「いや、知ってるよ」
「言ってみて」
「えーっと……」
ホーネットが視線を泳がせる。
「接客とか」
「それから?」
「安全?」
「それから?」
「……料金?」
「適当ね」
「大体合ってるじゃん」
そこで。
ユウコが恐る恐る手を上げた。
「確か……」
皆の視線が集まる。
「乗務員の質」
一本。
「技術の高さ」
二本。
「対応の工夫」
三本。
「価値に見合った価格」
四本。
「それから、フライト全体の安全性……だったと思います」
エリンが頷く。
「そうね」
「ユウコ、よく覚えてるね」
ホーネットが感心する。
「前に特集で見たから」
ユウコは少し照れたように答える。
ナツキがそこで首を傾げた。
「でも」
「何?」
「その調査って、どうやってやってるんですか?」
エリンも一度、ナツキを見る。
「私も詳しい方法までは知らないわ」
「公表されてないんですか?」
「ほとんどね」
そこへ。
シルヴィアが静かに口を開いた。
「通説ならありますよ」
クミコ達が一斉に見る。
「通説?」
「ええ」
シルヴィアは端末を置く。
「元パイロットや元乗務員。それに、旅行会社の運営に関わっていた人達が審査側にいるとも言われています」
「現場経験者?」
アズサが聞く。
「そう言われています」
シルヴィアは慎重に答える。
「ただ、正式には公表されていません」
「じゃあ、調査の日だけ頑張れば――」
クミコが言いかける。
「それが出来ないのよ」
ホーネットが横から入った。
皆が見る。
「調査員は一般のお客さんに紛れてるって話」
「えっ」
アズサが目を丸くする。
「いつ乗ってるか分からないの?」
「分からない」
ホーネットはあっさり答えた。
「普通に予約して、普通に乗って、普通に降りていく」
「乗務員にも知らされない?」
「知らされないって言われてる」
「じゃあ――」
アズサは少し考え。
「うーん……難しい」
率直な感想を漏らした。
皆も似たような顔になる。
調査員が来る日が分からない。
誰なのかも分からない。
それなら。
特別な対応のしようがない。
クミコが考え込みながら言った。
「つまり……」
一度言葉を探す。
「普通に、いい接客をするってことですか?」
数秒。
沈黙。
マユが隣で僅かに口元を緩めた。
「かなり簡単にまとめたね」
「だ、だって」
クミコは苦笑する。
「結局そういうことじゃない?」
アズサも考える。
「でも、確かに……」
ハズキも小さく頷いた。
エリンは。
少しだけ笑った。
「クミコの言うとおりよ」
「え?」
クミコ自身が驚く。
「本当に?」
「ええ」
エリンはフロアの中央へ視線を向ける。
「結局、それだけ」
若い乗務員達が静かになる。
「調査員がいつ来るのか分からない。誰なのかも分からない。だったら」
エリンは一人ずつを見る。
「全員のお客様へ、同じように真剣に向き合うしかないでしょう?」
声は強くない。
いつものエリンだった。
「今日は調査されるかもしれないから丁寧にする。今日は普通のお客様だから少しくらい雑でもいい。そんな仕事をしていたら、TOP10以前の問題よ」
ユウコが姿勢を正す。
ナツキも黙って聞いている。
「評価されるために安全確認するんじゃない。ランキングへ入るために、緊急時のシュミレーションをやるんじゃない。賞を取るために、お客様の不安を見るわけでもない」
エリンの視線が。
ミラ。
ラン。
シルヴィア。
そして若い乗務員達へ流れる。
「目の前のお客様を無事に送り届けるためよ」
誰も口を挟まない。
「その人が初めて宇宙船へ乗る人なら、不安を減らす。慣れている人なら、必要以上に邪魔をしない。身体が悪い人なら、負担を減らす。子どもがいるなら、周りも含めて見る。何かトラブルが起きたら、最初に安全を取る」
エリンは静かに続ける。
「そういうことを、一便一便積み重ねる」
そこで。
シルヴィアが小さく笑った。
「やっぱり、昔と変わりませんね」
「何が?」
「賞の話をしていたのに」
シルヴィアは少し楽しそうだった。
「結局、いつものフライトの話になります」
ミラも笑う。
「確かに」
ランも頷いた。
「TOP10の話が、いつの間にか今日の訓練の話になってますね」
「だって同じでしょう?」
エリンは当たり前のように返す。
「ランキングに入る会社がやっていることと」
一拍。
「私達が毎日やるべきことは、違わないわ」
その一言に。
若い乗務員達の表情が、少し変わった。
TOP10。
さっきまで。
それは遥か遠くにある名前だった。
有名企業。
巨大会社。
何十年も実績を積んできた旅行会社。
自分達とは違う世界。
そう思っていた。
けれど。
評価項目だけを見れば。
乗務員の質。
技術。
工夫。
価格。
安全。
全部。
今、自分達が毎日訓練していることだった。
「でも」
サリーが控えめに口を開く。
「それを高い水準で、ずっと続けるのが難しいんですよね」
「そう」
エリンはすぐに頷いた。
「そこが一番難しいの」
たまたま一便だけ上手くいく。
それでは足りない。
経験者が乗っている便だけ整う。
それでも足りない。
エリンが乗っている時だけ安全。
それでは意味がない。
「誰が乗っても、どの便でも、忙しい日でも、疲れている時でも、一定以上の質を保てる会社」
エリンは言った。
「それが本当に強い旅行会社よ」
ミラの表情が少しだけ真面目になる。
ランも同じだった。
これは。
二人にとっても他人事ではない。
エリンから任される側として。
エリンがいない便でも同じ質を作ること。
今、まさに自分達が求められていることだった。
「じゃあ」
ミドリが少しだけ期待を込めて言う。
「今は入れなくても、いつかは、ってことですか?」
エリンはミドリを見る。
「そうね」
否定しなかった。
「皆が頑張っていれば」
一人ずつ。
「いずれランキングに載ることだってあるわよ」
その瞬間。
ホーネットが一番最初に反応した。
「ほら!」
「何が〝ほら〟なの?」
「エリンだって狙ってるじゃん!」
「狙ってない」
「今、載るって言った!」
「可能性の話よ」
「同じ同じ」
「違う」
フロアの空気が一気に軽くなる。
クミコが笑う。
アズサも少し嬉しそうだ。
ミドリに至っては、さっきまで以上に目が輝いている。
「じゃあ今日、いつもより頑張ります!」
「それが駄目だって話を今したでしょう?」
エリンが即座に返す。
「あっ」
ミドリが固まった。
ナツキが吹き出す。
ユウコも口元を押さえる。
「いつもより頑張るんじゃなくて」
エリンは少し呆れながら笑った。
「いつも通り、ちゃんとやるの」
「はい……」
「いい返事」
◇
エリンは時計を見る。
そろそろ。
本来の仕事を始める時間だった。
「はい」
軽く両手を叩く。
「TOP10の話はここまで」
「えー」
ホーネットが言う。
「午後までまだ時間あるよ」
「だから何?」
「予想とかしようよ」
「しない」
「一位どこだと思う?」
「知らない」
「スペンサー?」
「ホーネット」
「はいはい」
エリンはフロア全体を見る。
「とりあえず、今日はシュミレーションを始めましょう」
その一言で。
空気が変わる。
若い乗務員達が端末を置く。
椅子から立ち上がる。
ミラ。
ラン。
シルヴィアも自然に前へ出る。
ホーネットも、文句を言いながら動くのだけは早い。
「今日の内容は?」
ミラが尋ねる。
「通常フライト」
エリンが答える。
「ただし、途中から複数のイレギュラーを入れるわ」
「またですか?」
アズサが少し不安そうな顔をする。
「またよ」
「何が起きるんです?」
「言ったら訓練にならないでしょう」
「ですよね……」
「安心して」
エリンは少し笑う。
「失敗していい場所だからシュミレーションをするの」
クミコが頷く。
「はい」
「でも」
エリンの目が少しだけ鋭くなる。
「同じ失敗を何度も繰り返すのは駄目」
「はい!」
今度は返事が揃った。
「ユウコ、ナツキ。今日は前方区画」
「はい!」
「はい」
「クミコ、マユは中央」
「はい」
「分かりました」
「サリー、ミドリ、ハズキ、アズサは後方を中心に入って」
「はい!」
それぞれが動き出す。
「ミラ、ラン、シルヴィア」
三人がエリンを見る。
「今日は私が途中から抜ける想定でやるわ」
一瞬。
三人の表情が変わった。
「エリンさんが抜ける想定ですか?」
ミラが聞く。
「そう」
「途中から、私達だけで全体を見る?」
ランが確認する。
「ええ」
シルヴィアは短く頷いた。
「分かりました」
「ホーネット」
「何?」
「今日は好き勝手動かない」
「私、いつもちゃんと動いてるけど?」
シルヴィアが横から見る。
「ホーネット」
「……分かったって」
返事に、周囲から小さな笑いが漏れる。
エリンはそれを見ながら。
さっきまで皆が眺めていたTOP10のページへ、一瞬だけ視線を向けた。
一位から十位。
業界を代表する会社達。
今のスペースホープから見れば。
遠い。
本当に遠い。
会社は、ようやく立て直しの軌道へ乗りかけたばかり。
予約が戻り始めた。
大きなフライトも出来るようになった。
若い乗務員達も育っている。
それでも。
積み重ねた年月も。
実績も。
知名度も。
TOP10に並ぶ会社とは比べものにならない。
エリンは。
それでいいと思っていた。
今は。
「エリンさん?」
ミドリが呼ぶ。
「何?」
「行きますよ」
「ああ」
エリンは画面から視線を外した。
「ええ。行きましょう」
ランキングへ載ることが仕事ではない。
受賞することが目的でもない。
今日。
一人の乗客が目の前にいるなら。
その一人へ、出来ることをする。
明日。
別の乗客が来れば。
またその人へ向き合う。
それを。
一便。
また一便。
続ける。
結果として。
いつか誰かが、その仕事を評価する日が来るかもしれない。
その時に。
TOP10という名前がつくなら。
それでいい。
「それじゃあ」
訓練フロアの入口で、エリンが振り返る。
ミラ。
ラン。
シルヴィア。
ホーネット。
ユウコ。
ナツキ。
クミコ。
アズサ。
サリー。
マユ。
ミドリ。
ハズキ。
全員が、こちらを見ている。
「始めるわよ」
「はい!」
返事が揃った。
発表会は、まだ始まっていない。
スペースホープの名前が呼ばれる保証など、どこにもない。
それでも。
彼女達はいつものように、シュミレーションルームへ入っていった。
ランキングのためではなく。
次のフライトで乗る。
まだ顔も知らない、一人のお客様のために。
―――――
「それじゃあ、始めるわよ」
エリンの声とともに、シュミレーションルームの扉が閉じた。
先ほどまで。
TOP10。
その一言で落ち着きを失っていた乗務員達の表情が、少しずつ仕事のものへ切り替わっていく。
広い訓練フロアには、宇宙船の客室を模した設備が並んでいた。
座席。
頭上荷物棚。
簡易サービス台。
前方、中央、後方を分ける通路。
乗客役が使用する端末。
緊急時の誘導を想定した可動式の障害物。
普段のフライトと全く同じではない。
それでも、乗務員がどこを見るか。
誰に声を掛けるか。
何を優先するか。
それを確認するには十分だった。
エリンは中央通路の外側へ立つ。
「今日の想定」
皆の視線が集まる。
「通常の旅行フライト」
エリンは言った。
「乗客数は八割」
端末を操作すると、模擬客室の各座席に乗客情報が表示される。
「高齢者二名」
「小さな子どもを連れた家族が一組」
「宇宙旅行が初めてのお客様が三名」
「医療上の配慮が必要なお客様が一名」
ユウコとナツキが、自分達の担当区画を確認する。
クミコ、マユ。
サリー。
ミドリ。
ハズキ。
アズサ。
それぞれが、自分の役割を頭へ入れていく。
「ただし」
エリンが続ける。
何人かの肩が僅かに強張る。
「途中から状況を変える」
アズサが小さく息を吐いた。
「やっぱり……」
「何?」
「いえ、何でもありません」
「言いたいことがあるなら言いなさい」
「絶対、普通には終わらないんだろうなって……」
「終わらないわよ」
即答。
アズサが肩を落とす。
ホーネットが横で笑った。
「諦めな、アズサ」
「ホーネットさんは楽しそうですね」
「だって訓練だし」
「ホーネット」
エリンが呼ぶ。
「何?」
「貴方にも役割あるから」
「分かってるって」
「勝手に面白そうな方へ行かないで」
「行かないよ」
シルヴィアが隣でホーネットを見る。
「その返事、あまり信用出来ないんだけど」
「シルヴィアまで?」
「普段の行動の結果よ」
「ひどい」
少し笑いが起きる。
エリンはそれを止めなかった。
緊張が強すぎる状態より、このくらいの方がいい。
ただし。
「ミラ」
「はい」
「今日の前半、全体を見るのは貴方」
「分かりました」
ミラの表情がすぐに変わる。
「ラン」
「はい」
「ミラの補助。ただし、ミラが判断を誤ったと思ったら止めて」
「分かりました」
「遠慮はいらない」
「はい」
「シルヴィア」
「はい」
「客室側の情報をまとめる。全部自分で処理しようとしないこと」
「分かりました」
エリンは一度、三人を見る。
昔なら。
自分が中央へ立ち。
自分が全て見て。
自分が全て拾っていた。
だが今は違う。
この三人には任せられる。
任せなければならない。
「私は途中から抜けるわ」
ミラが頷く。
「先ほどおっしゃっていた想定ですね」
「そう」
「エリンさんがいない状態で、最後まで対応する」
ランが確認する。
「ええ」
「戻ってこないんですか?」
クミコが少し不安そうに聞く。
「戻らない想定」
「完全に?」
「完全に」
クミコの顔に緊張が出る。
エリンはそれを見た。
「クミコ」
「はい」
「私がいないだけでしょう?」
「……はい」
「船が壊れるわけじゃない」
「はい」
「ミラもランもシルヴィアもいる」
三人へ視線が移る。
「ホーネットもいる」
「いるよ」
「ユウコもナツキも、皆いる」
「はい」
「一人いなくなっただけで全部崩れる編成なら」
一拍。
「その編成自体が駄目よ」
クミコは少しだけ目を見開き。
やがて頷いた。
「分かりました」
「いい返事」
◇
「開始」
シュミレーションが動き始めた。
最初の十分間は、本当に普通だった。
「お飲み物はいかがですか?」
ユウコが乗客役へ声を掛ける。
「ありがとうございます」
「温かいものと冷たいもの、どちらになさいますか?」
少し離れた場所では、ナツキが宇宙旅行初体験という設定の乗客へ、窓側から見える景色について説明している。
「もうすぐ重力調整に入りますので、少し身体が浮くような感覚があります」
「怖くないですか?」
乗客役が聞く。
「正常な動きなので大丈夫ですよ。もし気分が悪くなったら、すぐに呼んでください」
声は落ち着いている。
必要以上に安心させようとしない。
不安を否定もしない。
エリンは少し離れた場所から見ていた。
以前なら。
ナツキは「大丈夫です」を先に使いすぎていた。
今は違う。
なぜ大丈夫なのか。
何が起きるのか。
それを先に伝えられる。
成長している。
「中央通路、サービス進めるよ」
ホーネットが言う。
「分かった」
ユウコが答える。
その関係も、もう日常のものだった。
サービス台が中央へ進む。
そこへ。
エリンが端末を操作する。
第一のイレギュラー。
後方区画。
子ども役の乗客が急に立ち上がった。
「トイレ!」
同時に。
前方では、高齢者役の一人が荷物棚から自分で荷物を取ろうとする。
中央。
飲み物をこぼしたという設定の警告。
三か所。
同時。
ミラの視線が素早く動く。
「ラン、前方お願い」
「分かった」
「シルヴィア、中央の情報まとめて」
「分かりました」
「ホーネット、後方へ」
「了解」
判断は速い。
ただし。
全員へ細かく指示しない。
任せる。
「ユウコ」
ミラが呼ぶ。
「はい」
「中央のサービスを一度止めて。お客様には理由を伝えて」
「分かりました」
「ナツキは通路を空けて」
「はい」
エリンは黙って見ている。
悪くない。
いや。
かなりいい。
高齢者への対応。
子どもの移動。
こぼれた飲料。
一つ一つは小さい。
事故ではない。
しかし。
小さいものが重なった時。
客室の流れは簡単に崩れる。
エリンが一番見たいのは、そこだった。
誰か一人が全部へ走らないか。
目の前の問題だけで、周囲を見失わないか。
「サリー、少しいい?」
シルヴィアが呼ぶ。
「はい」
「中央の床処理、お願いします。私は乗客の流れを見ます」
「分かりました」
「マユ、反対側から人を流してください」
「はい」
自分で両方やらない。
他の人間へ渡す。
エリンの口元が、ほんの僅かに緩んだ。
シルヴィアも。
ちゃんと出来ている。
◇
二十分後。
「じゃあ次」
エリンが言った。
乗務員達に聞こえないよう、訓練端末へ追加条件を入力する。
医療配慮が必要な乗客の体調悪化。
同時に。
客室温度の一部異常。
さらに。
後方座席の乗客から強めのクレーム。
「寒すぎるんだけど!」
乗客役が声を上げた。
「申し訳ございません。すぐに確認いたします」
アズサが対応する。
「さっきも言ったよな?」
「はい。お待たせして申し訳ありません」
「確認じゃなくて、早く温度上げろよ」
一瞬。
アズサの言葉が詰まりかける。
「アズサ」
近くのハズキが小さく呼ぶ。
アズサが僅かに視線を動かした。
助けに入るのではない。
落ち着け。
その合図。
「現在、機内温度の一部に異常が出ている可能性があり、確認を行っています」
アズサは言い直す。
「すぐに温度を変更すると、他の区画へ影響する可能性がありますので、少々お待ちいただけますか?」
「どのくらい?」
「確認出来次第、こちらから必ずお伝えします」
乗客役が不満そうに座る。
対応は終わっていない。
だが。
何も言わず待たせる状態からは抜けた。
エリンは記録端末へ一つ入力する。
――アズサ。初動、僅かに遅れ。説明へ切り替えられた点は良。
その時。
「エリンさん」
ミラが呼ぶ。
「何?」
「医療対応に入ります」
「どうぞ」
「ラン、全体お願い」
「分かった」
自然だった。
いちいちエリンの許可を求めているのではない。
共有のために言っている。
ミラが体調不良役の乗客へ向かう。
「聞こえますか?」
丁寧に状態を確認する。
意識。
呼吸。
周囲の乗客を少し下げる。
必要な機材を別の乗務員へ頼む。
全部を一人で持たない。
エリンは。
そろそろだと思った。
「ラン」
「はい」
「ここから私は抜ける」
「分かりました」
「あと、任せるわ」
ランは一瞬だけエリンを見る。
緊張。
でも。
迷いはない。
「はい」
「ミラには伝えなくていい」
「分かりました」
エリンが一歩、訓練区域の外へ出る。
ここから。
自分は観察者。
何が起きても、基本的には口を挟まない。
サラから言われた言葉が、頭の隅に残っていた。
――この子達が、自分の足で立てる編成を作ること。
それが。
今のエリンの仕事だ。
◇
エリンが抜けても。
シュミレーションは崩れなかった。
「中央、通路を一度閉じるわ」
ランが言う。
「ユウコ、ナツキ。前方側へ乗客を誘導して」
「はい」
「はい」
「クミコ、マユ」
「はい」
「医療対応に必要な物を確認して。ミラへ届けて」
「分かりました」
クミコとマユが動く。
「ホーネット」
「何?」
「後方のクレーム、アズサ一人にしないで」
「分かった」
ホーネットが後方へ向かう。
「アズサ、どう?」
「説明までは出来ました。ただ、かなり不満が強いです」
「了解。私が横につく」
「お願いします」
ホーネットは客の前へ出る。
しかし。
アズサから対応を奪わない。
横へ立つ。
必要な時だけ支える。
シルヴィアは全体の情報をまとめ、ランへ短く上げる。
「前方、問題なし、中央、医療対応継続。後方、温度異常の原因確認中、サービス停止状態です」
「分かった」
ランは端末を見る。
「今はサービス再開しない」
誰かが言う前に判断する。
「飲み物を待ってるお客様には?」
ユウコが尋ねる。
「理由を伝えて待ってもらって。今は医療対応と通路確保が先」
「分かりました」
エリンは何も言わない。
ただ。
見る。
TOP10。
乗務員の質。
技術。
対応の工夫。
価格。
安全。
もし。
本当に今日。
調査員がこのシュミレーションを見ていたとしても。
エリンが気にするのは。
評価ではない。
この子達が。
今。
目の前の状況へ、どれだけ真剣に向き合っているか。
それだけだった。
◇
その時だった。
訓練フロアの外。
廊下から。
ばたばたばた――!
明らかに急いで走ってくる足音。
エリンが眉を寄せる。
ミドリも一瞬だけ外を見る。
だが。
「ミドリ」
ランが言う。
「前を見て」
「あっ、はい!」
すぐに戻る。
訓練中だ。
外で何か起きても。
今は、今の役割。
エリンだけが訓練区画の外側にいる。
足音は。
どんどん近づいてくる。
そして。
勢いよく。
扉が開いた。
「エ、エリンさん……!」
一人ではなかった。
総務部の若い女性社員。
そのすぐ後ろには、広報担当の女性社員。
二人とも。
息を切らしていた。
「ちょっと」
エリンが思わず眉を寄せる。
「どうしたの?」
「た……」
総務の社員が、膝へ手をつく。
「大変……です……!」
「まず息整えなさい」
「でも……!」
広報担当も。
普段は社外向けの対応をしているだけあって、落ち着いて話す方だった。
その彼女まで。
顔を赤くしている。
端末を握る手が、僅かに震えていた。
「エリンさん」
「何?」
「大変です」
「それは今聞いたわ」
「違うんです」
「何が?」
二人が。
一度。
顔を見合わせた。
エリンはその様子を見て。
一瞬だけ。
別の可能性を考えた。
事故?
フライト?
会社で何か問題が起きた?
リュウジ達の調査?
地球?
脳裏にいくつもの可能性が走る。
「事故?」
声が低くなる。
「違います!」
二人がほとんど同時に否定した。
エリンの肩から、僅かに力が抜ける。
「じゃあ何?」
「TOP10です!」
総務の社員が言った。
訓練フロアの何人かが。
ぴくり。
と反応した。
だが。
ランが鋭く見る。
「訓練中よ」
若い乗務員達は、慌てて前へ戻る。
エリンは総務と広報の二人を見る。
「発表されたの?」
「はい!」
広報担当が端末を差し出す。
「正式発表が始まりました」
「そう」
エリンの反応は薄い。
「なら後で見るわ」
「違うんです!」
「何が違うの?」
「その……」
二人がまた顔を見合わせる。
「スペースホープが」
エリンの目が僅かに動いた。
それでも。
まだ落ち着いている。
「何?」
「載ってます」
「……」
「TOP10に」
数秒。
エリンは何も言わなかった。
訓練フロアでは。
「医療対応、状態安定!」
ミラの声。
「中央通路、再開出来ます!」
シルヴィア。
「まだ待って。後方の温度確認が終わってから」
ラン。
こちらの会話を聞いていないわけではない。
だが。
訓練を続けている。
エリンは。
その様子を一度見た。
そして再び。
「もう一回言って」
総務担当を見る。
「はい」
女性社員が、少し震えた声で答える。
「旅行会社TOP10の正式ランキングに」
一度息を吸う。
「スペースホープの名前があります」
エリンは。
珍しく。
本当に言葉を失った。
「……何位?」
ようやく出た言葉は。
それだった。
広報担当が端末を操作する。
「まだ十位から順番に発表中なんです」
「じゃあ、どうして入ってるって分かるの?」
「事前通知です」
「事前?」
「ランクイン企業には、公式発表直前に広報対応のための通知が来るんです」
総務担当が補足する。
「私達も、今初めて知りました」
「会社側にも事前には?」
「一切ありませんでした」
エリンの目が細くなる。
「本当に?」
「本当です!」
「偽メールとかじゃない?」
「公式認証を確認しました!」
「発信元は?」
「TOP10運営委員会の正式回線です」
「会社名の表記ミスじゃない?」
「そこまで疑うんですか!?」
広報担当が思わず言う。
「だって」
エリンは訓練フロアを見る。
「うちよ?」
「うちです!」
「スペースホープよ?」
「そうです!」
「まだ軌道に乗りかけたばかりなのに?」
「私達もそう思いました!」
総務担当も、半分泣きそうな顔で答える。
エリンは。
もう一度。
端末を見る。
そこには確かに。
公式の紋章。
旅行会社TOP10。
そして。
通知先。
――スペースホープ。
その文字。
「……本当に?」
今度の声は。
誰かに聞いているというより。
自分に言っているようだった。
「はい」
広報担当が頷く。
「本当です」
◇
当然。
訓練中の皆も。
聞こえていた。
ミドリの顔が。
もう大変なことになっている。
口元を押さえ。
目を見開き。
今にも叫びそうだ。
アズサも。
クミコも。
サリーも。
ユウコも。
ナツキも。
皆。
明らかに集中力が揺れている。
ホーネットに至っては。
「えっ」
乗客役の目の前で固まった。
「ホーネット」
シルヴィアが低く呼ぶ。
「いや、待って」
「訓練中」
「聞いた?」
「聞いた」
「スペースホープがTOP10――」
「ホーネット」
「はい」
シルヴィアに止められた。
エリンは。
その光景を見る。
そして。
少しだけ。
息を吐いた。
「ラン」
「はい」
「訓練続けて」
一瞬。
皆がこちらを見る。
「エリンさん?」
ランが確認する。
「最後まで」
「……分かりました」
「今、TOP10に入ったからって」
エリンの声が、訓練フロアへ届く。
「途中のシュミレーションを放り出したら、さっき私が話した意味がないでしょう?」
ぐうの音も出ない。
ミドリが。
一番分かりやすく肩を落とす。
「は、はい……」
「目の前のお客様」
エリンは言う。
「まずそっち」
「はい!」
返事が揃った。
ただし。
全員。
少しだけ声が高い。
無理もない。
エリン自身だって。
内心では。
かなり動揺していた。
それでも。
「広報」
「はい!」
「正式発表までは何も出さない」
「はい」
「総務も」
「はい」
「社員への一斉通知、まだしないで」
「でも、もう社内で少し広がり始めてます」
「止められる?」
「……難しいです」
「でしょうね」
二人とも廊下を走ってきたのだ。
すれ違った人間に。
この様子を見られていないはずがない。
「じゃあ」
エリンは少し考える。
「公式発表まで、外への発信だけ止めて」
「分かりました」
「順位が出たら、広報文を作って」
「はい!」
「過剰に書かないでよ」
「え?」
「〝宇宙最高峰の旅行会社へ〟とか」
「あ……」
広報担当が目を逸らす。
「今考えたでしょう」
「少しだけ」
「駄目」
「はい」
「受賞しました。評価いただきました。これからも一便一便大切にします。それで十分」
「分かりました」
「あと」
エリンが続ける。
「今までのお客様と社員へのお礼は必ず入れて」
広報担当の表情が少し変わる。
「はい」
「私達だけで取ったものじゃないから」
「分かりました」
◇
その間にも。
TOP10の公式発表は進んでいた。
総務担当の端末。
十位。
まだスペースホープではない。
「十位、発表されました」
「どこ?」
ホーネットが遠くから聞こうとする。
「前見なさい!」
ランの声。
「はい!」
九位。
別の旅行会社。
八位。
別の会社。
総務と広報の二人は、画面を見ながら。
どんどん青ざめていった。
「何で顔色悪くなってるの?」
エリンが聞く。
「だって……」
「何?」
「まだ出ないんです」
「上へ行ってるだけでしょ」
「それが大変なんです!」
「何が?」
「エリンさん」
広報担当が。
震えた声で言う。
「八位まで来ました」
「見れば分かる」
「スペースホープ、まだ出てません」
「そうね」
「つまり」
エリンも。
そこで。
ようやく意味を理解した。
十位ではない。
九位でもない。
八位でもない。
なら。
少なくとも。
それより上。
「……七位以上?」
「そういうことになります」
エリンの表情が。
ほんの僅かに固まった。
これは。
さすがに。
想定していなかった。
TOP10に入る。
それだけでも現実感がない。
まして。
下位ではない。
◇
「エリン」
訓練区域からホーネットが声を飛ばす。
「何?」
「終わったら絶対教えてよ!」
「終わる前に発表終わるでしょう」
「じゃあ叫んで!」
「嫌よ」
「何位かだけ!」
「前見なさい」
「はい!」
今度はエリンに止められた。
シルヴィアが呆れたように笑う。
ミラは医療対応を終え。
ようやく少し状況を見る余裕が出ていた。
それでも。
「ラン」
「はい」
「シュミレーションは?」
「まだ終了条件に達していません」
「なら続けましょう」
「はい」
そのやり取りを。
エリンは聞いていた。
少し。
胸の奥が熱くなる。
TOP10へ入った。
その報告を聞いた直後でも。
ミラとランは。
ちゃんと目の前の仕事へ戻っている。
シルヴィアも。
ホーネットを止める。
ユウコ達も動く。
さっき自分が言ったことを。
もう実践している。
――評価されるために仕事をするんじゃない。
その証明を。
彼女達自身がしていた。
「七位」
総務担当が小さく言った。
エリンが画面を見る。
「違う会社です」
「そう」
「六位も……」
発表。
「違います」
広報担当が端末を握り締める。
「エリンさん」
「何?」
「これ……」
「うん」
「本当に……」
「落ち着いて」
「無理です!」
エリンは困ったように眉を寄せる。
五位。
発表。
スペースホープではない。
総務担当が。
「五位でもない……」
と呟く。
もはや。
二人とも。
喜ぶというより。
怖くなってきていた。
四位。
別会社。
「……」
エリンも。
何も言わなくなった。
四位まで。
出ていない。
残るのは。
三社。
わずか三社。
宇宙旅行業界で。
その一年。
最も高い評価を受けた三社。
そこに。
スペースホープがいる。
その事実だけで。
十分に異常だった。
◇
訓練フロアでは。
最後の想定。
機内状態は正常化。
体調不良者も安定。
クレーム客への説明も終わる。
「全区画」
ランが声を出す。
「状況確認」
「前方、問題ありません」
ユウコ。
「中央、医療対応終了しています」
シルヴィア。
「後方、温度も正常。乗客への説明も完了」
ホーネット。
「サービス再開出来ます」
ナツキ。
ランは全体を見る。
「分かった」
一度息を吸う。
「通常サービスへ戻します」
その瞬間。
エリンが端末を押した。
終了音。
ピーッ。
「終了」
皆の肩から。
一気に力が抜ける。
「終わったぁ……」
アズサ。
「疲れました……」
クミコ。
しかし。
次の瞬間。
全員が。
同時に。
エリンの方を見る。
さっきまでの疲労など。
どこかへ吹き飛んだ。
「エリンさん!」
ミドリが一番最初。
「何位ですか!?」
「まだ出てない」
「えっ!?」
「今、四位まで」
「四位!?」
フロアが爆発した。
「待って!」
ホーネットが走ってくる。
「じゃあ三位以上!?」
「走らない!」
エリンが止める。
ホーネットが急停止。
「でも!」
「分かってるから」
ユウコとナツキ。
クミコ。
アズサ。
サリー。
マユ。
ハズキ。
皆が。
総務担当の端末の周りへ集まりそうになる。
「近い近い!」
総務の女性社員が悲鳴を上げる。
「見えません!」
「共有モニター!」
ミドリが言う。
「広報さん、映せますか?」
「出来ます!」
「待って」
エリンが止める。
全員が固まる。
「何でですか!?」
ミドリ。
「シュミレーションの振り返り」
「今!?」
ホーネットが本気で驚く。
「今よ」
「三位以内の発表中だよ!?」
「だから?」
「だからって!」
エリンは。
本気で言っている。
ミラが。
思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
「ミラ?」
「すみません、エリンさん」
ランも苦笑する。
「でも、さすがに今日は発表を先に見てもいいんじゃないですか?」
シルヴィアも頷く。
「私もそう思います」
若い乗務員達が。
期待の目で三人を見る。
「ほら!」
ホーネットが言う。
「ミラ達も言ってる!」
エリンは。
一人ずつ見る。
ミラ。
ラン。
シルヴィア。
若い子達。
総務。
広報。
全員。
同じ顔だった。
そして。
エリンはようやく。
「……分かったわよ」
折れた。
「やった!」
歓声。
「ただし」
全員が止まる。
「発表見たら、振り返りはちゃんとやるからね」
「はい!」
過去一番。
返事が揃った。
「こういう時だけ良い返事ね」
エリンは呆れながら。
少しだけ笑った。
広報担当が。
訓練フロアの大型モニターへ。
TOP10の公式発表画面を映し出す。
そこには。
ちょうど。
大きく。
文字が表示されようとしていた。
――第3位。
全員が。
息を止めた。
スペースホープが。
まだ名前を呼ばれていない。
三位。
二位。
一位。
残された席は。
あと三つ。
ようやく軌道に乗り始めたばかりだと思っていた会社が。
今。
宇宙旅行業界で最も権威あるランキングの。
頂点に近い場所まで。
来ていた。