スペースホープの面々が、ワイルドフライト賞の受賞を祝って居酒屋で盛り上がっていた頃。
宇宙管理局の発着区画では。
低い駆動音とともに、一隻の宇宙船がゆっくりと格納位置へ滑り込んでいた。
ネフェリス。
東側未探索領域。
そして、そのさらに奥に広がる〝魔のゾーン〟。
この数日間、何度もその入口へ向かい。
無数の隕石群を観測し。
進入経路を探り。
結局、そのたびに奥へ踏み込むことなく撤退を繰り返してきた船だった。
着艦誘導灯が船体の下を流れる。
姿勢制御スラスターが短く噴射。
やがて。
ネフェリスの脚部が、整備ドックの床へ静かに接地した。
『接地確認』
『推進系停止』
『外部電源へ切り替えます』
管制からの声。
船内では。
リュウジが操縦系統を一つずつ落としていく。
タツヤ班長は横で帰還ログを確認。
チャコはシステム席からネフェリスの中枢応答を最後まで追っていた。
調査が終わったからといって。
船が止まった瞬間に仕事が終わるわけではない。
むしろ。
今日拾った異常。
重力基準のずれ。
姿勢制御の応答。
隕石群接近時に生じた通信ノイズ。
その全てを、今のうちに記録しておかなければならない。
ペルシアは通信席で最後の回線を閉じる。
「本部、ネフェリス帰還。全員異常なし」
『確認しました』
短い返答。
それを聞いて。
ようやく。
ペルシアはヘッドセットを外した。
「はぁ……」
大きな息。
「今日も何も見えなかったわね」
システム席から。
チャコが顔を上げる。
「何も、ではないで」
「分かってるわよ」
ペルシアが席を立つ。
「隕石は見た」
「嫌っちゅうほどな」
「それ以外が見たいのよ」
リュウジが操縦席から立ち上がる。
「明日は入らない」
「当たり前」
ペルシアは即答した。
「今日これだけ機体に細かい誤差が出たんだから、先に全部見直す」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってる」
ペルシアは。
じっとリュウジを見る。
「その顔」
「何だ」
「明日の朝になったら〝一か所だけ確認したい〟とか言いそう」
「言わない」
「今日だけで信用がないのよ」
「今日は再進入してない」
「しようとはしたでしょう?」
「……」
「ほら」
リュウジが黙る。
タツヤ班長が。
その横から苦笑した。
「まあまあ。明日は俺もリュウジもネフェリス側を見るから」
「タツヤ班長」
「何?」
「本当にお願いしますよ」
「任せて」
ペルシアはタツヤ班長には通常口調のまま。
「リュウジが船に乗ろうとしたら止めて」
「そこまで?」
「そこまで」
「俺、信用ないな」
リュウジがぼそりと言う。
「今さら気づいたの?」
チャコが笑った。
「せやな。明日はうちもネフェリスの神経、全部見直したい」
リュウジがチャコを見る。
「右舷の応答か」
「それもやけど、魔のゾーン近く入った時の重力基準値な。正常範囲ではあるけど、いつものネフェリスと違う」
「分かった」
タツヤ班長も頷く。
「じゃあ明日は調査飛行なし。解析と機体確認」
「そうして」
ペルシアは言った。
今度は。
冗談ではなかった。
「一日止まるのも調査だから」
リュウジは一度だけ。
ペルシアを見る。
そして。
「ああ」
短く頷いた。
◇
ネフェリスのハッチが開いた。
外は。
すでに深夜だった。
昼間なら。
発着区画を行き交う整備員。
管制担当。
管理局職員。
補給班。
多くの人間がいる。
だが今は。
ほとんど人影がない。
必要最低限の夜勤要員だけ。
照明も一部が落とされ。
広い格納区画には。
ネフェリスの機関が冷えていく金属音だけが響いていた。
ペルシアが。
タラップを降りる。
一段。
また一段。
「……ん?」
最後まで降りたところで。
一人。
人影があった。
管理局の制服。
端末を両腕で抱え。
きっちりとした姿勢で立っている。
「フレイ?」
「お帰りなさい、統括官」
フレイだった。
ペルシアは。
周囲を見る。
誰もいない。
「皆は?」
「夜も遅いので、皆さん帰宅させました」
「全員?」
「夜勤要員を除いて」
「そう」
ペルシアは。
僅かに息を吐いた。
「それでいいわ」
フレイは。
ネフェリスの方を見る。
「リュウジさん達は?」
「リュウジとタツヤ班長とチャコは残る」
「残られるのですか?」
「明日は調査やらないから」
ペルシアは背後のネフェリスを見る。
「システムとか、今日出た細かい誤差とか。今のうちに一回全部見直すって」
「なるほど」
「だから朝までやるって意味じゃないわよ」
念のため付け加える。
「最初の確認だけして、明日ちゃんとやるように言ってある」
「承知しました」
「ファルコとクリスタルは?」
フレイが聞くより先に。
ペルシアが続けた。
「二人はアーウィンを整備ドックへ格納したら、そのままあがるように伝えてあるわ」
「承知しました」
フレイは。
すぐに端末へ入力する。
「本日の調査参加者について、全員の帰還処理を行っておきます」
「お願い」
「健康状態の申告についても?」
「異常なし。ただ、正式な記録は各自に出させて」
「はい」
「あと」
ペルシアが少し考える。
「リュウジの連続操縦時間、今日の分だけ別で抜いておいて」
「エリンさんからの確認用ですか?」
「……半分」
フレイが見る。
「残り半分は?」
「私用」
「何に使用するのでしょう」
「明後日また〝行ける〟って言い出した時に数字を突きつける」
「なるほど」
フレイは。
極めて真面目に頷いた。
「有効だと思います」
「でしょ?」
ペルシアが。
少しだけ得意そうな顔をする。
◇
そこへ。
ネフェリスから。
リュウジが降りてきた。
「ペルシア」
「何?」
「明日の解析開始、十時でいいか」
「いいわよ」
「タツヤ班長にも伝えておく」
「お願い」
「お前は?」
「何が?」
「明日」
「来るわよ」
即答。
「何時からだ」
「朝から」
「……寝ろ」
「はいはい」
「聞いてるのか」
「聞いてる」
フレイが。
無言でペルシアを見る。
その視線に気づく。
「何?」
「いえ」
「何、その顔」
「リュウジさんと同意見です」
「フレイまで?」
「統括官は、この数日間、通常業務と調査業務を並行されています」
「分かってる」
「本日の睡眠時間も十分ではありません」
「大丈夫よ」
「統括官」
「大丈夫」
ペルシアは。
いつものように。
軽く返した。
リュウジが。
少しだけ眉を寄せる。
だが。
それ以上は言わなかった。
「じゃあ十時」
「うん」
「チャコとタツヤ班長にも言っておく」
「よろしく」
リュウジが戻っていく。
フレイは。
その背中を見送る。
「やはり似ていますね」
「誰と誰が?」
「統括官とリュウジさんです」
「全然違うわよ」
「そうでしょうか」
「違う」
ペルシアは。
自信満々に否定する。
「リュウジは無茶する」
「統括官もされます」
「私は仕事してるだけ」
「リュウジさんも調査をしているだけだと仰ると思います」
「……」
ペルシアが止まった。
「フレイ」
「はい」
「最近、エリンに似てきてない?」
「光栄です」
「褒めてない」
「承知しています」
「ほんっと可愛くない」
だが。
少し笑っていた。
◇
二人は。
発着区画を離れた。
深夜の宇宙管理局。
昼間とは。
まるで別の建物に見える。
オペレーションルームも。
照明が半分ほど落とされ。
夜勤担当者が静かに端末へ向かっているだけ。
廊下を歩く人間も少ない。
人がいない分。
ペルシアの靴音と。
フレイの靴音が。
妙に大きく響いた。
「フレイ」
「はい」
「本当に皆帰した?」
「はい」
「シャオメイも?」
「帰宅させました」
「ジェームズは?」
「整備区画を追い出しました」
「追い出したの?」
「帰宅するようお伝えしました」
「絶対、言い方もっと固かったでしょ」
「通常通りです」
「イーナは?」
「本日の勤務を終了しています」
「ローズは?」
「二十一時頃に帰宅しました」
「へぇ」
ペルシアが少し意外そうな顔をする。
「ちゃんと帰ったのね」
「明日も通常業務がありますので」
「そうね」
ローズ。
現在は。
ペルシアが宇宙船へ出ている間。
統括官業務のかなりの部分を補助している。
以前とは。
比べものにならない。
ただ報告を受け。
上へ流すだけではなく。
何を先に通すのか。
何を現場へ戻すのか。
誰へ相談するのか。
一つずつ。
ペルシアから叩き込まれてきた。
だから。
今では。
日常的な調整の多くなら。
ローズ自身で処理出来る。
だが。
統括官という仕事は。
それだけでは終わらない。
最終的に。
誰かが判断しなければならないものがある。
複数部署で意見が割れた案件。
外部機関との調整。
危険度の高い航路承認。
事故調査の進行。
予算。
人事。
長期計画。
局長へ上げる前に。
統括官として見なければならない資料。
ローズへ任せられる仕事が増えた分。
ペルシアの仕事がなくなったわけではない。
むしろ。
統括官としてしか出来ない仕事が。
よりはっきりと残るようになった。
そして。
魔のゾーン調査を始めてから。
その仕事は。
ほとんど夜に回っていた。
◇
統括官室。
扉が開く。
「……ただいま」
ペルシアが。
誰もいない部屋へ呟いた。
フレイが。
僅かに眉を動かす。
「ここはご自宅ではありません」
「気分よ、気分」
室内には。
ローズが整理して帰った資料。
処理済み。
確認待ち。
要決裁。
それぞれのフォルダが。
綺麗に分けられていた。
「……ローズ、ちゃんとやってるじゃない」
「本日分の通常案件は、大部分を処理されています」
「偉い偉い」
「本人へ直接お伝えください」
「言うと調子乗るから嫌」
「統括官も褒められると調子に乗られます」
「私はいいの」
「基準が不明です」
ペルシアは笑いながら。
上着を椅子へ掛けた。
そして。
一番最初に向かったのは。
机ではなく。
部屋の隅のコーヒーメーカー。
「統括官」
「何?」
「今からコーヒーを?」
「今からだからよ」
「睡眠へ影響します」
「寝る頃には切れてる」
「何時まで仕事をするおつもりですか」
「終わるまで」
「……」
「何、その顔」
「予想通りでした」
機械が低く鳴る。
やがて。
コーヒーの香りが。
深夜の統括官室へ広がった。
ペルシアは。
カップを持ち。
自分の机へ座る。
「さて」
画面を開く。
未処理。
十二件。
「……思ったより少ない」
「ローズさんが対応されていますので」
「ありがたいわね」
「はい」
ペルシアは。
最初の資料を開いた。
宇宙港周辺の救助体制見直し。
次。
新規管制装置導入の予算協議。
次。
外部救助機関との連携基準。
次。
事故調査報告書。
「うーん」
先ほどまで。
ネフェリスで。
隕石群を見ていた人間とは思えない。
画面。
数字。
文章。
確認。
修正。
承認。
ひたすら。
地味な作業が続く。
「フレイ」
「はい」
「この予算、整備側の意見入ってる?」
「ジェームズさんからの所見を四ページ目に添付しています」
「……本当だ」
「確認してください」
「はいはい」
「返事は一回で十分です」
「はい」
また。
資料。
「この外部連携基準、救助班側が厳しすぎない?」
「現場からは、その程度必要との意見です」
「でもこれじゃ初動遅れるわよ」
「統括官判断で修正案を提出されますか?」
「そうね」
文字を打つ。
ペルシアは。
文句を言いながら。
仕事は速い。
面倒。
多い。
疲れた。
帰りたい。
口では。
色々と言う。
だが。
一度始めると。
重要なところは飛ばさない。
現場の意見。
数字。
過去事例。
責任の所在。
必要なら。
自分で別資料まで開く。
フレイは。
その横で。
必要な資料をすぐに出す。
ペルシアが見落としそうなら止める。
言葉が曖昧なら確認する。
二人の。
深夜の仕事。
もう。
珍しくもない光景だった。
◇
しばらくして。
時計は。
日付が変わる頃を示していた。
ペルシアは。
資料から目を離す。
そして。
目元を指で押さえた。
「うーん……」
椅子の背へ身体を預ける。
両腕を。
上へ。
「んんー……!」
大きく。
背伸び。
肩。
背中。
首。
全部が。
凝り固まっている。
「……疲れた」
小さな声。
いつもの。
「仕事したくない」
とは少し違う。
本当に。
身体が疲れていた。
フレイは。
その様子を見逃さなかった。
「統括官」
「何?」
「少しでも休まれますか?」
ペルシアは。
伸ばしていた腕を下ろす。
「大丈夫」
「十分でも構いません」
「大丈夫よ」
「目を閉じるだけでも」
「平気」
ペルシアは。
再び。
画面へ向かう。
フレイは。
数秒。
何も言わなかった。
いつもなら。
もう少し強く言うところだった。
しかし。
今日は。
ペルシアが何を考えているのか。
何となく分かっていた。
自分の仕事だから。
というだけではない。
フレイも。
ここにいる。
いつも。
遅くまで。
統括官の補助へ付き合っている。
調査期間に入ってからは。
ペルシアがネフェリスへ出ている間。
管理局側で情報を整理。
帰還したら。
通常業務を一緒に処理する。
そんな日が。
何日も続いている。
ペルシアは。
そこを気にしている。
自分だけ。
「少し寝る」
と言うのが。
嫌なのだろう。
フレイを残して。
自分だけ休む。
それが。
出来ない。
普段なら。
「資料多い!」
「フレイ厳しい!」
「もう帰る!」
文句ばかり。
隙を見つければ。
どこかへ逃げようとする。
けれど。
こういうところだけは。
妙に律儀だった。
フレイは。
そのことを。
もう知っていた。
「統括官」
「何?」
「私は業務として残っています」
「知ってる」
「統括官がお休みになられても、問題ありません」
「大丈夫だって」
「そうですか」
それ以上。
言わなかった。
代わりに。
フレイは。
ペルシアの机に置かれていた。
冷めかけのコーヒーを見た。
「新しいものをお入れしましょうか」
「いい」
「冷めています」
「それくらいがいいの」
「承知しました」
ペルシアは。
画面から目を離さず。
「フレイ」
「はい」
「ありがと」
あまりにも。
唐突。
フレイの手が。
ほんの一瞬止まった。
「何がでしょうか」
「いつも」
「……」
「遅くまで付き合わせてるから」
フレイは。
ペルシアを見る。
ペルシアは。
画面を見たまま。
こちらを見ない。
「統括官の補佐は私の業務です」
「分かってる」
「では」
「それでも」
ペルシアが言う。
「ありがとうくらい言わせなさいよ」
フレイは。
ほんの僅かに。
表情を緩めた。
「承知しました」
「何、その返事」
「受領しました」
「お礼を申請書みたいに処理しないで」
「では」
一拍。
「どういたしまして」
「よろしい」
ペルシアが。
少し笑う。
やはり。
疲れていても。
こうして会話出来るくらいには。
まだ余裕がある。
◇
その時だった。
机の端に置いた。
ペルシアの個人端末が。
小さく震えた。
「ん?」
着信。
メールではない。
電話だった。
ペルシアが。
画面を見る。
表示された名前。
「……カイエ?」
珍しい。
カイエから。
この時間に。
しかも。
電話。
ペルシアは。
少し眉を上げながら。
通話を取った。
「もしもし?」
『ペルシアさん』
「カイエ」
やはり本人。
「こんな遅くにどうしたの?」
『遅い時間にすみません』
「別にいいけど」
ペルシアは。
時計を見る。
「カイエが電話してくるなんて珍しい」
『はい』
少し。
間。
『今は、宇宙管理局にいますか?』
「ええ」
ペルシアは。
机の上へ広がる資料を見る。
「まだ仕事してるけど」
一度。
椅子へ深く座り直す。
「どうしたの?」
そして。
少しだけ笑う。
「本当に珍しいわね。カイエから電話なんて」
『……』
電話の向こう。
カイエが。
少しだけ迷っているような間。
いつものカイエなら。
必要なことは。
比較的早く口にする。
だから。
その沈黙だけで。
ペルシアは。
何かあると分かった。
「カイエ?」
『はい』
「何?」
『あの』
そして。
カイエは。
静かな声で言った。
『今から行ってもいいですか?』
「……え?」
ペルシアは、思わず声を漏らした。
端末を耳に当てたまま。
ゆっくり顔を上げる。
そして。
机の向こうで資料を整理していたフレイを見る。
フレイも、手を止めていた。
視線だけで。
――何ですか。
そう聞いている。
ペルシアは片手で端末を少し離し、小さく首を傾げた。
自分にも分からない。
再び耳へ戻す。
「今から?」
『はい』
「急ぎの案件なの?」
声が少し低くなった。
この時間。
日付はもう変わっている。
カイエが、わざわざ電話をしてきた。
しかも。
今から直接会いたい。
普通の話ではない。
業務上の事故。
ハワード財閥旅行会社でのトラブル。
乗務員。
宇宙船。
もしかすると、エリン絡みか。
いくつもの可能性が、疲れた頭の中を一気に通り過ぎる。
だが。
電話の向こうのカイエは、妙に落ち着いていた。
『それは、会った時に話をします』
「……」
ペルシアの眉が寄った。
「何それ」
『すみません』
「余計気になるんだけど」
『そうですよね』
「分かってるなら言いなさいよ」
『それは出来ません』
「……」
本当に。
何なのだ。
ペルシアは額へ手を当てた。
目の前には、統括官として処理しなければならない通常案件。
別端末には、今日持ち帰った魔のゾーンの航行ログ。
明日はネフェリスのシステム見直し。
リュウジ達の解析もある。
その上。
今からカイエ。
「今日じゃなきゃ駄目?」
少し疲れた声で聞く。
電話の向こう。
わずかな間があった。
『いえ』
「……」
『出来れば、の話です』
「出来れば、ねぇ……」
断ろうと思えば。
断れる。
明日でもいい。
カイエ自身がそう言っている。
だが。
カイエが。
この時間に。
わざわざ自分から「会いたい」と言っている。
それを聞いてしまった後で。
何事もなかったように仕事へ戻れるほど、ペルシアも無関心ではなかった。
「……はぁ」
小さく。
ため息。
それから。
「分かったわ」
『ありがとうございます』
「夜間入口から入りなさい」
『はい』
「受付には私から話しておく」
『ありがとうございます』
「それと」
『はい』
「急がなくていいから」
少しだけ声を柔らかくする。
「こんな時間なんだから、ちゃんと気をつけて来なさい」
『はい。分かりました』
「じゃあ後で」
『失礼します』
通話が切れた。
◇
ペルシアは。
しばらく暗くなった端末を見つめていた。
「……何だと思う?」
フレイへ尋ねる。
「分かりません」
「予想くらいしなさいよ」
「情報が不足しています」
「真面目ねぇ」
「統括官が不真面目すぎるだけです」
「今それ言う?」
「今だからです」
ペルシアは。
椅子の背へ身体を預けた。
「カイエが夜中にねぇ……」
「珍しいですね」
「でしょ?」
「はい」
「仕事かしら」
「可能性はあります」
「個人的な相談?」
「可能性はあります」
「エリン絡み?」
「可能性はあります」
「全部可能性じゃない」
「情報がありませんので」
「使えないわね」
「無理に推測して誤った情報をお伝えするより適切です」
「はいはい」
ペルシアは再び端末へ向いた。
「来るまで仕事するわよ」
「はい」
フレイも。
何事もなかったように作業へ戻る。
だが。
ペルシアは。
明らかに先ほどまでより集中出来ていなかった。
一つ資料を読む。
数行戻る。
また読む。
「……」
別資料を開く。
数分後。
「フレイ」
「はい」
「カイエ、何だと思う?」
「先ほども回答しました」
「気になるのよ」
「承知しています」
「だったら何か考えて」
「統括官」
「何?」
「二十分もすれば分かります」
「正論で返さないで」
◇
約二十五分後。
内線が鳴った。
『夜間受付です。統括官』
「はい」
『ハワード財閥旅行会社の方々がお見えです』
「方々?」
ペルシアの目が細くなった。
「……何人?」
『三名です』
「三人?」
電話では。
カイエは。
自分が行く。
そういう話し方だった。
「名前は?」
受付担当が答えた。
その瞬間。
ペルシアの表情から。
完全に。
柔らかさが消えた。
「……はい?」
聞き返す。
だが。
聞き間違いではない。
「分かったわ。通して」
内線を切る。
そして。
ペルシアは。
ゆっくり。
フレイを見る。
「……フレイ」
「はい」
「私、カイエに騙された」
「何があったのでしょうか」
「一人じゃない」
「何名ですか」
「三人」
「どなたが?」
ペルシアは。
嫌そうな顔で答えた。
「宇宙事業部本部長」
「はい」
「クルーズ」
一拍。
「……ハワード・クルーズ氏ですか?」
「他に誰がいるのよ」
フレイの目が僅かに大きくなる。
ハワード財閥旅行会社。
その宇宙事業部本部長。
そして。
ハワード財閥の頂点に立つ男。
ハワード・クルーズ。
深夜。
この二人が。
カイエと一緒に。
統括官室へ来る。
どう考えても。
軽い相談ではない。
「……帰りたい」
「統括官」
「分かってるわよ」
ペルシアは。
両手で顔を覆った。
「ただでさえ魔のゾーンで神経擦り減ってるのよ?」
朝から。
いや。
この数日。
隕石。
隕石。
隕石。
重力異常。
隕石。
リュウジの無茶。
エリンからの確認。
通常業務。
そして。
今。
ハワード財閥総帥。
「今、このメンバーと対峙したくない……」
「対峙という表現は適切ではないかと」
「私の気持ちの問題よ」
「では変更する必要はありません」
「変なところで優しいわね」
コンコン。
扉が叩かれた。
ペルシアの顔が。
すっと仕事のものへ変わる。
ただし。
機嫌は悪い。
「どうぞ」
扉が開いた。
最初に。
カイエ。
「夜分遅くに失礼します、ペルシアさん」
「……」
ペルシアは。
無言で。
カイエを睨んだ。
カイエの肩が。
ほんの僅かに固まる。
その後ろ。
宇宙事業部本部長。
さらに。
人のよさそうな穏やかな笑みを浮かべた。
ハワード・クルーズ。
「夜分に申し訳ないね、統括官」
「……いえ」
答えた。
だが。
声。
明らかに。
不機嫌。
カイエには。
ペルシアの目が。
はっきり語っていた。
――先に言いなさいよ。
カイエは。
申し訳なさそうに。
少しだけ頭を下げた。
だが。
もう遅い。
「どうぞ」
ペルシアは来客用ソファを示す。
三人が腰掛ける。
フレイも。
必要な資料を持って。
ペルシアの少し後ろへ位置を取った。
ペルシアは。
自分は机側の椅子へ座る。
そして。
挨拶もそこそこに。
「申し訳ないですけど」
はっきり言った。
「こちらも至急で処理しなければならない案件がありますので」
一拍。
「話は手短にお願いします」
「もちろんだ」
クルーズは。
穏やかに頷いた。
宇宙事業部本部長も。
「承知しています」
カイエだけ。
「……すみません」
もう一度頭を下げた。
ペルシアは。
じろり。
またカイエを見る。
「本当にね」
「はい……」
◇
だが。
そこから。
妙な時間が流れた。
誰も。
本題を始めない。
「……」
ペルシア。
「……」
カイエ。
「……」
宇宙事業部本部長。
クルーズは。
相変わらず。
穏やか。
フレイだけ。
完全に無表情。
ペルシアの指が。
机を。
とん。
とん。
小さく叩き始める。
一分。
まだ始まらない。
二分。
「……」
ペルシアの指。
とん。
とん。
とん。
カイエが。
少し気まずそうにする。
とうとう。
ペルシアが口を開いた。
「それで」
三人を見る。
「今日は?」
「あの」
カイエが答える。
「もう一人来ますので」
「……は?」
ペルシアの眉が。
ぴくり。
「もう一人?」
「はい」
「誰?」
「もうすぐ来ると思います」
「いや、名前を――」
コンコン。
扉。
ペルシアの口が止まる。
カイエが。
少しだけ安堵した。
「来たようです」
「……」
ペルシアは。
その顔を見て。
余計に腹が立った。
「どうぞ!」
先ほどより。
若干。
声が強い。
扉が開く。
「遅くなりました、ペルシアさん」
聞き覚えのある。
穏やかな声。
「……」
エマだった。
片手には。
大きめの紙袋。
「……エマ」
「はい」
「遅い!」
即答だった。
しかも。
本気。
エマが。
一瞬。
目を丸くする。
「す、すみません」
「こっちはね、さっきまで魔のゾーンから帰ってきて、今、通常業務やってるの!」
「はい」
「クルーズまで来るなんて聞いてないし!」
「それはカイエが……」
ペルシアの視線が。
カイエへ。
ぎろり。
「……すみません」
「あとで覚えときなさい」
「はい……」
ペルシアは再びエマを見る。
「で」
「はい」
「何で遅くなったのよ」
エマは。
「ああ」
と。
そこでようやく思い出したように。
持っていた紙袋を。
両手で前へ差し出した。
「実は」
「何?」
「ペルシアさんに、差し入れをと思って」
「……差し入れ?」
「はい」
紙袋。
落ち着いた和紙調。
中央に。
小さな店名。
ペルシアの目が。
そこへ。
止まった。
「……」
二秒。
三秒。
「え?」
紙袋を見る。
エマを見る。
もう一度。
紙袋を見る。
「ちょっと待って」
「はい?」
「これ……」
ペルシアは。
椅子から。
少し身を乗り出した。
「これって」
さっきまで。
完全に機嫌が悪かった人間とは。
思えない声。
「コロニーロカA2で超有名な和菓子屋のどら焼きじゃない!?」
エマの顔が。
にこっと緩む。
「はい」
「えっ、本物?」
「本物ですよ」
「嘘」
「嘘じゃありません」
「だって、あそこ予約しないと買えないでしょ?」
「そうですね」
「夕方には売り切れるじゃない」
「はい」
「今何時だと思ってるの?」
「深夜です」
「じゃあ何であるのよ!」
エマは。
少しだけ。
得意そうに。
「無理を言って、特別にさっき作ってもらったんですよ」
「……」
ペルシア。
完全に。
止まった。
そして。
「エマ」
「はい」
「貴方」
一拍。
「出来る子ね」
「ありがとうございます」
カイエが。
静かに横を向いた。
宇宙事業部本部長も。
僅かに口元を緩める。
クルーズは。
最初から。
全部分かっていたような顔で。
穏やかに笑っていた。
フレイだけ。
「統括官」
「何?」
「先ほどまでの不機嫌は」
「何の話?」
「……」
「私は最初から普通よ」
フレイは。
何も言わなかった。
だが。
ペルシアの機嫌は。
どう見ても。
直っていた。
◇
「開けていい?」
「もちろんです」
「今?」
「そのために持ってきました」
「さすがエマ!」
ペルシアは。
もはや。
話の手短さより。
どら焼きだった。
紙袋を受け取り。
中を覗く。
個包装された。
丸いどら焼き。
まだ。
ほんの少しだけ。
温かい。
「……温かい」
「作ってもらって、すぐ持ってきましたから」
「最高じゃない」
一つ取り出す。
袋を開く。
ふわり。
甘い香り。
焼きたての皮。
餡。
ペルシアの疲れ切っていた目が。
完全に。
生き返った。
「いただきます」
一口。
「……」
咀嚼。
次の瞬間。
「美味しい……!」
心から。
その一言だった。
肩が。
分かりやすく落ちる。
さっきまで。
目元を押さえ。
疲れたと呻いていた人間が。
今は。
両手でどら焼きを持っている。
「でしょ~?」
エマも。
嬉しそうに笑う。
「ここの餡、甘すぎないんですよ」
「そうなのよ!」
「皮もふわふわで」
「分かる!」
「焼きたてだと、もっと美味しいですね」
「最高」
完全に。
二人だけ。
空気が違う。
カイエが。
その様子を見ながら。
小さく息を吐いた。
「……持ってきてもらって正解だった」
宇宙事業部本部長が。
小声で答える。
「ここまで効果があるとは思わなかったがな」
フレイは。
端末へ。
何かを入力した。
ペルシアが。
すぐ反応する。
「フレイ」
「はい」
「何書いたの?」
「糖分摂取後、統括官の機嫌が著しく改善」
「消しなさい」
「事実です」
「消して」
「業務記録ではありませんので、記録していません」
「じゃあ何で端末触ったのよ」
「別件です」
「紛らわしい!」
そんなやり取りの横。
「いただきます」
エマが。
紙袋へ手を伸ばした。
ペルシアが。
どら焼きを食べながら。
ぴたり。
止まる。
エマも。
普通に一つ取る。
袋を開ける。
一口。
「……ん~」
目が細くなる。
「美味しい」
ペルシアは。
数秒。
その様子を見る。
「……エマ」
「はい?」
「それ」
「はい」
「差し入れでしょ?」
「そうですよ」
「私への」
「そうです」
「何で貴方が食べてるの?」
エマは。
どら焼きを持ったまま。
少し考える。
そして。
当たり前のように。
「いいじゃないですか」
「よくないでしょ」
「私も食べたいの我慢してたんですよ」
「……」
「作ってもらって」
一口。
「車の中でも」
もう一口。
「ずっと甘い匂いがして」
「……」
「でもペルシアさんに渡すまで食べないって決めてたんです」
幸せそう。
全く悪びれていない。
ペルシアは。
呆れた顔をする。
ただ。
怒ってはいない。
「どうせ――」
一度。
エマを見る。
紙袋を見る。
そして。
そこにいる。
カイエ。
宇宙事業部本部長。
クルーズ。
フレイ。
全員を見る。
「どうせ、皆で食べるつもりだったんでしょ?」
エマが。
少しだけ笑う。
「はい」
「やっぱり」
「ペルシアさん一人で全部食べたら、エリンさんに怒られそうですし」
「何でエリンが出てくるのよ」
「絶対言いますよ?」
エマは。
エリンの真似をするように。
少しだけ声を落とした。
「〝こんな時間に何個食べたの?〟って」
「……」
ペルシア。
言い返せない。
カイエが。
小さく笑った。
「たぶん言いますね」
「カイエまで」
「それに」
エマが続ける。
「ペルシアさん、絶対止まらないじゃないですか」
「止まるわよ」
「何個で?」
「……」
「何個で?」
「三個」
フレイが。
すぐに口を挟む。
「一個にしてください」
「何で!?」
「現在深夜です」
「二個」
「一個です」
「交渉させなさいよ」
「健康管理上、推奨しません」
「エマ」
「はい?」
「もう一個取って」
「はい」
「私の」
「はいはい」
エマが笑いながら。
二個目を紙袋から取り出す。
フレイが。
「統括官」
「これはエマが勝手に出した」
「ペルシアさんが頼みましたよね」
エマが即座に裏切る。
「エマ!」
「事実です」
「貴方、フレイ側なの!?」
「どら焼き側です」
一瞬。
沈黙。
そして。
カイエが。
とうとう吹き出した。
「ふっ……」
「カイエ、笑わない!」
「すみません」
「全然反省してないでしょう」
「少しだけ」
「もう!」
深夜。
統括官室。
数分前まで。
魔のゾーン帰りの疲労と。
大量の通常業務と。
突然現れたハワード財閥の首脳陣を前に。
明らかに苛立っていたペルシア。
それが。
今では。
高級どら焼きを片手に。
エマと取り合いをしていた。
クルーズは。
その様子をしばらく。
穏やかに見ていた。
そして。
「統括官」
静かに。
声を掛ける。
ペルシアの動きが。
少し止まる。
ようやく。
ここへ来た。
本当の理由。
それを。
話す時間だった。
――――
「統括官」
クルーズの穏やかな声が、統括官室へ落ちた。
ペルシアはどら焼きを持ったまま、そちらを見る。
「何です?」
ほんの数分前までとは違う。
機嫌は。
かなりいい。
目元に疲労は残っている。
魔のゾーンから帰還したばかり。
その後も通常業務を処理していたのだから、それは当然だった。
だが。
片手には。
コロニーロカA2でも有名な和菓子店の、まだ少し温かいどら焼き。
それだけで。
ペルシアの刺々しかった空気は、ほとんど消えていた。
「そういえば」
エマが二口目のどら焼きを頬張りながら言う。
「まだ本題を聞いてませんでしたね」
「貴方が遅かったからでしょう?」
「すみません」
「口に餡つけながら謝らない」
「え?」
エマが慌てて口元を拭く。
カイエが横から小さく笑った。
「ついてませんよ」
「カイエ!」
「すみません」
「二人とも夜中に私で遊ばないで」
そのやり取りを。
クルーズは穏やかに。
宇宙事業部本部長は少し困ったように。
見ていた。
フレイだけは。
いつも通り。
無表情に近い。
だが。
ペルシアが少なくとも先ほどより話を聞ける状態になったことには、安心しているようだった。
「それで」
ペルシアはどら焼きを皿へ置く。
今度こそ。
仕事の顔。
「この時間に、ハワード財閥の総帥と宇宙事業部本部長、それにカイエとエマまで連れて」
一人ずつ見る。
「何の話です?」
カイエが。
一度。
クルーズを見る。
クルーズが小さく頷いた。
宇宙事業部本部長が、口を開く。
「エリンについてだ」
ペルシアの目が。
ほんの僅かに動いた。
「エリン?」
「はい」
カイエが答える。
「エリンさんのことです」
「……」
ペルシアは。
椅子の背へ少し身体を預けた。
「エリンの何?」
◇
宇宙事業部本部長が。
手元の端末をテーブルへ置いた。
画面には。
見覚えのあるロゴ。
スペースホープ。
そして。
その横。
今日発表されたばかりの賞の名前。
「今年度の旅行会社評価で」
本部長が言う。
「スペースホープが、ワイルドフライト賞に選ばれた」
「ワイルドフライト?」
ペルシアが。
首を傾げた。
「何それ」
カイエが少し驚く。
「知らないんですか?」
「知らない」
「TOP10は?」
「名前くらいは」
「ワイルドフライト賞は、そのTOP10には入らなかったものの」
カイエは説明する。
「限りなく近い位置まで評価された旅行会社の中から、今後さらに成長する可能性が高い会社を選ぶ賞です」
「へぇ」
「乗務員の質、技術、安全性、対応力、価格に対する価値などを総合的に評価して」
「うん」
「来年以降、TOP10へ入る可能性がある会社として紹介されます」
「なるほどね」
ペルシアは。
意外なほど。
軽い反応だった。
エマが不思議そうに見る。
「もっと驚くかと思いました」
「だって」
ペルシアは。
またどら焼きを一口。
「賞でしょ?」
「賞ですけど……」
「それで?」
宇宙事業部本部長が続ける。
「スペースホープは」
一度。
言葉を区切った。
「あそこまで、エリンが再建した会社だ」
ペルシアの咀嚼が。
少しゆっくりになる。
「役員の不祥事、運航停止、信用失墜、乗務員の離職、予約減少、旅行会社として、一度は底まで落ちた」
本部長は。
淡々と。
しかし。
はっきり言った。
「それを乗務員教育から安全体制、接客、実地訓練、運航、一つずつ組み直した、今のスペースホープは」
一拍。
「良くも悪くも、エリンが作り上げたと言っていい」
ペルシアは。
黙って聞いている。
「今日」
カイエが言う。
「賞の発表を見ていたんです」
「そう」
「スペースホープの紹介映像も流れました」
「エリン映ってた?」
「はい」
エマが笑う。
「エリンさん、自分が目立ってる映像じゃなかったですけどね」
「でしょうね」
ペルシアは即答した。
「本人が選べるなら絶対そうするもの」
そして。
少しだけ。
考える。
「でもさ」
「はい?」
カイエ。
「TOP10って、そんなに大層なものなのかな」
三人が。
一瞬。
黙った。
宇宙事業部本部長は。
少しだけ眉を上げる。
「旅行会社の評価制度としては、最大級だ」
「へぇ」
「ペルシアさん」
カイエが言う。
「ドルトムントでも過去に入賞してますよね」
「ああ」
ペルシアは。
思い出すように天井を見る。
「確か……」
一拍。
「八位だったんじゃないかしら」
「ドルトムントで受賞するんですね」
エマが少し意外そうに言った。
「まぁね」
ペルシアは。
軽く肩をすくめる。
「でも、あれはあんまり参考にならないわよ」
「どうしてですか?」
カイエが尋ねる。
ペルシアは。
口元を少し歪めた。
「政治と金」
「……」
「ドルトムントらしいでしょう?通説じゃなくて」
ペルシアは。
昔を知る者の口調で続けた。
「あそこ、調査日を事前に入手してたみたいなのよ」
宇宙事業部本部長の表情が僅かに変わる。
「本当なのか?」
「私は直接その取引を見たわけじゃないですよ」
ペルシアは。
そこはきちんと線を引いた。
「でも、少なくとも現場には」
指を軽く振る。
「〝今年もこの辺り〝この便は気をつけろ〟そういう話が降りてきてた」
「調査員が乗る日が分かっていた?」
カイエ。
「ほぼね」
「それって……」
エマが少し顔を曇らせる。
「意味ないですね」
「そうなのよ」
ペルシアは。
あっさり同意した。
「それで調査日だけ」
一拍。
「特別編成を組むの」
「特別編成?」
カイエが聞き返す。
「ええ」
ペルシアは。
指を折っていく。
「各班のチーフパーサー」
一人。
「副パーサー」
二人。
「その下でも評価の高い乗務員」
三人。
「とにかく」
手を広げる。
「各班から〝出来る人〟だけ抜く」
エマの目が。
少し丸くなる。
「それで一便を作るんですか?」
「そう」
「普段一緒に働いていない人達で?」
「ええ」
「すごい編成ですね」
「見栄えはね」
ペルシアの声。
少しだけ冷たい。
「でも」
「会社の普段の姿じゃない」
カイエが言った。
「そういうこと」
ペルシアは頷いた。
「普段は別班、別便、別の教育水準。なのに調査の日だけ、一番いいところを寄せ集める」
「へぇ~」
エマが。
どら焼きを持ったまま。
少し苦笑した。
「エリンさんが嫌がりそうですね」
「嫌がるわよ」
即答。
ペルシアは。
笑った。
「ものすごく嫌がってた」
「やっぱり」
「エリンは」
少しだけ。
懐かしそうな目になる。
「お客様によって乗務員の質を変えるのが嫌なのよ。VIPだから、調査員だから、偉い人だから、そういう理由で」
一拍。
「普段よりいい乗務員を付ける。それを特別扱いだと思ってた」
エマが頷く。
「エリンさんらしいですね」
「でしょ?」
「じゃあ、エリンさんもその特別編成に?」
「入ってない」
カイエが。
一瞬止まる。
「え?」
「参加しなかった」
「断ったんですか?」
「ええ」
「よく会社側が許しましたね」
「そこはエリンだからね」
ペルシアが笑う。
「本人が」
少し声を低くする。
「〝普段の便を良くしてください〟」
「って言った」
「……」
「調査の日だけ良い会社に見せるくらいなら」
ペルシアは。
エリンの口調を思い出しながら。
「〝全部の便を同じ水準に近づけるべきです〟」
「って」
カイエが。
小さく笑った。
「言いそうです」
「言ったのよ」
「それで」
エマが聞く。
「ペルシアさんは?」
「私?」
「参加したんですか?」
「してない」
「ペルシアさんも?」
「だって」
ペルシアは。
何でもないことのように。
「エリンいないなら面白くなさそうだったし」
「……」
カイエ。
エマ。
宇宙事業部本部長。
三人とも。
一瞬。
何とも言えない顔になった。
「そこなんですか?」
カイエが聞く。
「そこよ」
「評価制度への反発では?」
「それもある」
「最初にそっち言ってください」
「私の動機としてはエリンがいない方が大きい」
「正直すぎます」
「嘘ついても仕方ないでしょう?」
フレイが。
後ろで静かに記録を見ていた。
たぶん。
何も書いていない。
書いていないと。
信じたい。
「でも」
ペルシアは。
話を戻すように。
クルーズ達を見る。
「ハワード財閥旅行会社には」
一拍。
「TOP10は厳しいでしょうね」
宇宙事業部本部長の眉が。
僅かに動いた。
「それは」
声が少し低くなる。
「どういう意味かな?」
ペルシアは。
別に挑発したつもりはない。
だから。
普通に答えた。
「会社の仕組みの問題ですよ」
「仕組み?」
「ハワード財閥旅行会社みたいに」
指でテーブルを軽く叩く。
「定期便、旅行便、特殊便、企業契約、そういう色々な運航を抱えてる会社。そこでは乗務員の質を一定に揃えるのは、かなり難しい」
本部長は。
黙って聞く。
「人事異動もある。新入社員も入る。経験者もいれば、まだ教育途中の乗務員もいる。当然でしょう?」
「もちろんだ」
「それで」
ペルシアは。
指を一本立てる。
「旅行会社としてのサービスだけを切り出して評価するTOP10」
もう一本。
「しかも誰が乗っても、いつ乗っても同じ水準を求められる」
首を少し傾ける。
「正直」
「分が悪すぎます」
宇宙事業部本部長の表情は変わらない。
ペルシアは続ける。
「ドルトムントみたいに」
少し皮肉っぽく笑う。
「裏で手を回して、評価日だけ最高編成。そんなことをするなら、話は別です」
クルーズが。
静かに聞いている。
「でも正当な評価で、巨大組織の一部門が旅行専門会社と同じ条件で競う」
ペルシアは首を振った。
「厳しいと思いますよ」
「では」
カイエが聞く。
「スペースホープなら?」
「あり得る」
即答。
「旅行専門だから?」
「それもある」
ペルシアは。
今度は少し真面目になる。
「会社全体の目的がお客様を運ぶこと、旅行を作ること、そこに集中してる。だから、人材教育も、運航基準も、接客も一つの方向に揃えやすい」
そこで。
クルーズが。
初めて。
少し深く踏み込む。
「ほう」
静かな声。
「君は」
ペルシアを見る。
「今回の評価が妥当だと?」
「ええ」
ペルシアは。
全く迷わなかった。
「妥当だと思いますよ」
「かなり高く評価しているようだね」
「そりゃしますよ」
「理由を聞いても?」
「簡単です」
ペルシアは。
笑った。
「乗務員の中で全コロニーNO,1のエリンが指導してますから」
カイエの表情が。
ほんの少し柔らかくなった。
エマも。
嬉しそうに笑う。
「ペルシアさん」
「何?」
「全コロニ一No,1って」
「私の中ではね」
「そういう意味ですか」
「何よ」
「いえ」
「でも」
ペルシアは。
そこから。
冗談ではなくなる。
「エリンだけじゃないですよ」
一拍。
「スペースホープの子達」
「真面目なのよ」
カイエが。
静かに聞く。
「乗務員として?」
「ええ」
「仕事だからやってるっていうより」
ペルシアは。
少し言葉を選ぶ。
「〝乗務員として上手くなりたい〟って思ってる子が多い。ユウコ、ナツキ、クミコ、アズサ、サリー、マユ、ミドリ、ハズキ」
ペルシアの口から。
若い乗務員達の名前が。
一人ずつ出る。
「技術に差はありますよ。もちろん、まだ失敗もする。エリンに怒られることもある。サラ先生に絞られた子だっている」
少し笑う。
「でも、それでも翌日来る。直そうとする。昨日より上手くなろうとする。ミラとランもシルヴィアも先輩だから上から教えるんじゃなくて、自分達もまだ学ぼうとしてる。ホーネットなんて」
一度笑う。
「普段はあんなだけど、必要な時はちゃんと動く」
カイエも。
エマも。
それは知っている。
「そういう会社だから」
ペルシアは言った。
「ワイルドフライトくらい」
一拍。
「別におかしくないでしょ」
クルーズは。
ペルシアを。
静かに見ていた。
「なるほど」
ただ。
それだけ。
そこで。
空気が変わった。
宇宙事業部本部長が。
一度。
クルーズを見る。
カイエ。
エマ。
皆。
少しだけ。
姿勢が変わる。
ペルシアは。
それを見逃さなかった。
「……で」
どら焼きを皿へ置く。
「ここからが本題?」
クルーズが。
小さく頷いた。
「そうだ」
「でしょうね」
ペルシアは。
腕を組む。
「ワイルドフライト賞の解説をするために、夜中に総帥まで来るわけないですもんね」
「その通りだ」
クルーズは。
穏やかな声のまま言った。
「我々が気にしているのは」
一拍。
「エリン自身だ」
ペルシアの目が。
少し細くなる。
「エリン?」
「ああ」
「今回スペースホープは、彼女が中心となって立て直した」
クルーズの声は。
責めてはいない。
むしろ。
冷静な経営者の声。
「教育、運用、サービス、人員配置、若手育成、今のスペースホープには」
一拍。
「彼女の考え方が、かなり深く根付いている」
「そうでしょうね」
ペルシアは否定しない。
「先ほど」
宇宙事業部本部長が続ける。
「良くも悪くも、今のスペースホープはエリンが築き上げたと言った」
「ええ」
「だからこそ」
少し間。
「我々は」
一拍。
「彼女がこのままスペースホープに残りたいと考える可能性を無視出来ないと思っている」
「……」
ペルシアは。
動かなかった。
カイエが。
静かに続ける。
「スペースホープの皆さんは、本当にエリンさんを慕っています」
「うん」
「エリンさんも皆さんを大事にされています」
「うん」
「今日の賞もエリンさんにとって、かなり大きな意味があると思います」
「それで?」
カイエは。
僅かに言葉を止める。
「もし」
「はい」
「エリンさん自身がスペースホープで、このまま続けたいと考えた場合、ハワード財閥旅行会社には戻ってこないんではないかと」
そこまで聞いた。
ペルシアは。
数秒。
黙った。
そして。
「ふっ」
突然。
笑った。
カイエが。
少し目を瞬く。
エマも。
「ペルシアさん?」
ペルシアは。
口元を押さえる。
「ごめんなさい」
でも。
まだ笑っている。
「いや、本当に?」
クルーズを見る。
「本気でそれ言ってるんですか?」
クルーズは。
怒らない。
「本気だ」
「へぇ」
ペルシアは。
今度は。
カイエを見る。
「カイエも?」
「……」
「エマも?」
二人が。
顔を見合わせる。
カイエが先に。
「分かりません」
エマも。
「私も分かりません」
「まったく」
ペルシアは。
大きく息を吐いた。
今度のため息は。
苛立ちというより。
呆れだった。
「そりゃ」
椅子へ深く座る。
「エリンはスペースホープのこと、大好きだと思いますよ」
三人。
黙って聞く。
「クミコみたいに、サリーみたいにエリンさん、エリンさんって来る子がたくさんいる。ミラもランもいる。シルヴィアもいる、ホーネットなんて」
少し笑う。
「何だかんだでエリンに懐いてる。それに」
カイエを見る。
「カイエ」
エマを見る。
「エマ」
そこにはいない。
「ククル、貴方達みたいに」
一拍。
「昔からずっと慕ってくれる子達もいる」
カイエが。
少しだけ目を伏せた。
ペルシアは続ける。
「ましてやスペースホープって、エリンが理想にしてる乗務員の形を」
一つずつ。
「教育、接客、安全、チームで支えること、全部。そのまま会社へ落とし込んでるようなところでしょう?そりゃ」
少しだけ。
優しい声。
「愛着だって湧きますよ。でも」
ペルシアは。
そこで。
声を変えた。
「それと」
一拍。
「ハワード財閥旅行会社を離れるかどうかは全然別」
クルーズは。
何も言わない。
ペルシアは。
少し。
遠いものを見る目になった。
「エリンが」
一度。
言葉を止める。
「悲劇のフライトの後」
部屋が静かになる。
その名前。
あの出来事。
今でも。
軽く語れるものではない。
「もう二度と」
ペルシアは言う。
「乗務員はやらないって決めたの」
カイエの表情が。
静かに変わる。
エマも。
どら焼きを食べる手を止めた。
「昔から」
ペルシアは。
ゆっくり話す。
「エリン、自分で乗務員ノートを書いてたでしょう」
「はい」
カイエが頷く。
「何十冊もあった。接客、安全、緊急対応、先輩から教わったこと、自分が失敗したこと、新人の頃から、ずっと書き記したノート、それを」
ペルシアの声が。
少し低くなる。
「処分したのよ」
カイエの目が。
僅かに大きくなる。
「全部?」
「ええ」
「何十冊も?」
「全部」
「……」
エマが。
小さく息を飲む。
「それくらい」
ペルシアは言う。
「あの子は乗務員という仕事と自分を切り離そうとした。もうやらない、戻らない、そう決めたの」
そして。
クルーズを見る。
「何でだか分かります?」
誰も。
答えない。
カイエ。
エマ。
宇宙事業部本部長。
クルーズ。
そして。
フレイも。
静かに聞いている。
「エリンはね」
ペルシアの声は。
不思議なくらい。
穏やかだった。
「ドルトムントに」
一拍。
「恩義を感じてたからよ」
「……」
「勝手に解雇された。自分が悪いわけでもないのに、それでも」
ペルシアは。
苦笑した。
「〝育ててもらった会社だから〟って思ってたのよ」
カイエが。
少しだけ。
目を伏せる。
知っている。
エリンなら。
そう考える。
「おかしいでしょう?」
ペルシアは笑う。
「あんな会社。最後はエリンを守れなかった。勝手に切った。それでもエリンは」
一拍。
「嫌いになりきれなかった」
長い時間。
自分を育てた場所。
先輩。
仲間。
フライト。
制服。
訓練。
失ったからといって。
そこで積み重ねた全てが。
悪いものへ変わるわけではない。
「だから乗務員を辞める時、もう戻らないって、自分なりに区切りをつけた」
ペルシアは。
そこで。
ほんの少し笑った。
「なのに、リュウジがブライアン捜索へ、一人で行くって言い出した」
ペルシアの声。
少しだけ。
呆れ。
懐かしさ。
心配。
全部が混ざる。
「未探索領域へ、一人で行かせられるわけないでしょう?」
エマが。
小さく頷く。
「エリンさんなら」
「ええ。だから」
ペルシアは。
クルーズを見る。
「ハワード」
その名前。
クルーズの孫。
あの時。
まだ学生だった少年。
「ハワードのところへ連絡した。ハワード財閥の旅行会社が宇宙連邦連盟加盟企業だったから、クルーとして籍を置ければ、捜索隊へ参加出来る」
クルーズは。
静かに聞いていた。
「エリンは、もう二度と乗らないって決めてた乗務員を」
一拍。
「リュウジを一人で行かせないために、もう一度やることにしたの」
カイエが。
唇を少し引き結ぶ。
エマも。
黙ったまま。
ペルシアを見る。
「そして、その時」
ペルシアの声が。
少しだけ明るくなる。
「ハワード財閥旅行会社はエリンを受け入れた。仮登録だけじゃなく、その後ちゃんと一人の乗務員として、雇った」
クルーズの目が。
僅かに動く。
「昔チーフパーサーだったとか、ドルトムントでどれだけ評価されてたとか、そういう肩書きじゃなく一般乗務員として」
ペルシアは。
クルーズを。
真っ直ぐ見る。
「エリンはそれ、忘れてませんよ。今のエリンは」
ペルシアが続ける。
「ハワード財閥旅行会社にものすごく恩義を感じてます」
宇宙事業部本部長が。
静かに尋ねる。
「スペースホープ以上に?」
「比較するものじゃないですよ」
ペルシアは即答する。
「スペースホープは自分が育てた場所。ハワード財閥旅行会社は」
一拍。
「自分をもう一度、乗務員に戻してくれた場所。全然違う」
そして。
「そもそも」
ペルシアは。
少し呆れたように言う。
「スペースホープを再建したことだって」
クルーズを見る。
「エリンはハワード財閥旅行会社の仕事としてやってるでしょう?」
「……」
「チーフパーサーとしての最初の大きな仕事。頼まれたから、やる。しかも」
少し笑う。
「エリンでしょう?中途半端で戻ってくるわけないじゃないですか」
カイエも。
思わず小さく笑った。
「確かに」
「でしょ?」
「スペースホープを好きだから、自分の会社へしたいじゃない」
ペルシアの声が。
はっきりする。
「好きだから、ちゃんと立て直して、自分がいなくても、動ける会社にして、戻る。それがエリンですよ」
クルーズは。
しばらく。
何も言わなかった。
ペルシアは。
テーブルの上のどら焼きへ。
もう一度手を伸ばす。
「仮にですよ」
一個取る。
フレイが。
何か言おうとする。
ペルシアは。
見ない。
「仮に」
袋を開ける。
「ハワード財閥旅行会社が」
一拍。
「明日破綻したとしても」
宇宙事業部本部長が。
僅かに眉を寄せる。
「縁起でもないな」
「例えです」
「続けてくれ」
クルーズは。
動じない。
「会社が破綻して、給料が出ない。船も減る。仕事も減る。それでも」
ペルシアは。
真面目に言った。
「会社側から〝エリン、もう要らない〟って捨てられない限り」
一拍。
「あの子から離れることはしないですよ」
カイエの表情が。
変わる。
エマも。
ゆっくり。
ペルシアを見る。
「それくらいエリンって」
どら焼きを持ちながら。
苦笑する。
「恩を忘れない人だから。だから」
ペルシアは。
クルーズへ向き直った。
「貴方達が今することは」
一拍。
「こんな夜中に宇宙管理局へ来て、私にエリンの気持ちを確認することじゃないです」
宇宙事業部本部長が。
何も言わず聞く。
「エリンがスペースホープに残るんじゃないか、うちへ帰ってこないんじゃないか、そんな心配をすることでもない」
ペルシアは。
カイエ。
エマ。
そして。
クルーズ。
順番に見る。
「エリンがどん底だった会社を、ここまで持ってきたんでしょう?」
「はい」
カイエが答える。
「若い乗務員を育てて、運航を戻して、信用を戻して、今日、業界から来年TOP10へ入るかもしれない会社だって、評価された。だったら」
ペルシアの声が。
柔らかくなる。
「心配する前に」
一拍。
「褒めてあげなさいよ」
誰も。
すぐには答えなかった。
「エリン。今日、絶対嬉しいですよ」
少し笑う。
「表にはあんまり出さないでしょうけど」
エマが。
くすっと笑う。
「それは想像出来ます」
「でしょ?〝皆で取った賞だから〟とか言ってそう」
カイエも。
少し笑う。
「言っていそうですね」
「絶対言ってる」
そして。
ペルシアは。
クルーズを見る。
「でも」
一拍。
「たまには〝皆のおかげ〟じゃなくて〝エリンが頑張ったからだ〟って言ってあげてもいいんじゃないですか?」
クルーズの目が。
少しだけ。
柔らかくなる。
◇
「君は」
クルーズが。
ゆっくり言った。
「エリンを随分よく見ているんだな」
ペルシアは。
一瞬。
何を言われたのか分からない顔をした。
そして。
「当たり前でしょう?」
即答。
「何年一緒にいると思ってるんです?」
「なるほど」
「それに」
ペルシアは。
どら焼きを一口。
「私、あの子の副パーサーだったんですよ」
少し。
誇らしげ。
「誰より近くでエリンがどう働くか、ずっと見てた」
フレイが。
その横顔を見る。
文句を言う。
逃げる。
甘いものへ釣られる。
仕事が多いと騒ぐ。
でも。
人を見る時だけは。
驚くほど。
真っ直ぐだった。
「だから」
ペルシアは。
もう一度言った。
「安心してください。エリンはちゃんと戻りますよ」
そして。
少しだけ。
悪戯っぽく笑う。
「むしろ心配なのは」
カイエが。
嫌な予感。
「何ですか?」
「戻ってきた後」
一拍。
「スペースホープ基準でハワード財閥旅行会社の乗務員全員にシュミレーション始めることじゃない?」
「……」
カイエが固まる。
エマも。
止まる。
宇宙事業部本部長の顔から。
一瞬。
血の気が引いた。
「あり得るな」
クルーズだけが。
穏やかに笑った。
「でしょう?」
ペルシアが楽しそうに笑う。
「エリンならやるわよ」
「ペルシアさん」
カイエが。
真面目な顔で言った。
「今、その話はしないでください」
「何で?」
「現実になりそうなので」
「エマは?」
「……」
エマは。
食べかけのどら焼きを見つめる。
「その時」
一拍。
「差し入れ持っていけばエリンさん、少しは軽くしてくれますかね」
「無理ね」
ペルシアが即答する。
「ですよね」
「エリンは甘いもので訓練内容変えないもの」
「ペルシアさんとは違いますね」
カイエ。
「カイエ」
「はい」
「今日やけに言うわね」
「事実なので」
「フレイみたいになってきた」
「光栄です」
「もう!」
深夜の統括官室に。
小さな笑いが広がった。
◇
それでも。
クルーズだけは。
最後に一度。
静かに。
ペルシアの言葉を噛みしめていた。
スペースホープ。
今日。
業界から。
未来を期待された会社。
その中心には。
エリンがいた。
だからこそ。
失うのではないかと考えた。
だが。
ペルシアは。
全く違う見方をしていた。
エリンが。
スペースホープを好きであること。
愛着を持っていること。
そこで働く人間を大切にしていること。
それは。
ハワード財閥旅行会社への気持ちを。
消す理由にはならない。
むしろ。
恩義を忘れない。
その性格だからこそ。
スペースホープも。
ここまで本気で立て直した。
「……そうか」
クルーズが。
静かに言った。
「我々は」
一拍。
「少し失礼な心配をしていたのかもしれないな」
ペルシアは。
どら焼きを頬張りながら。
「少しじゃないですよ」
容赦がなかった。
宇宙事業部本部長が。
苦笑する。
カイエも。
申し訳なさそうに目を伏せる。
「すみません」
「私に謝られても」
ペルシアは言う。
「明日」
一拍。
「エリンに言ってあげて」
「何をですか?」
エマが聞く。
「〝おめでとう〟って」
当たり前のことのように。
「それだけでいいのよ」
そして。
「今日くらい」
少しだけ笑う。
「あの子がやったことをちゃんと褒めてあげなさい」
その言葉に。
カイエも。
エマも。
静かに頷いた。
「はい」
「分かりました」
クルーズも。
穏やかに。
頷いた。
「ああ、そうするとしよう」
ペルシアは。
ようやく満足したように。
もう一口。
どら焼きを食べる。
「うん!やっぱり美味しい」
「ですよね~」
エマも。
また一つ。
手を伸ばす。
「エマ」
「はい?」
「それ三個目じゃない?」
「ペルシアさんも二個目です」
「これは私への差し入れ」
「皆で食べるって言ったじゃないですか」
「言ってない。貴方が言った」
「細かいですね」
「どら焼きは別」
カイエが。
静かにため息。
宇宙事業部本部長は。
とうとう笑う。
クルーズも。
小さく肩を揺らした。
そしてフレイだけが。
「統括官」
いつもの声音。
「三個目は禁止です」
「まだ二個よ!」
「念のためです」
「誰も三個目食べるって言ってないでしょう!?」
深夜。
魔のゾーンの調査から戻り。
疲労と通常業務に追われていた統括官室は。
ほんの少しだけ。
温かい場所になっていた。
話の中心にいたエリン本人は。
この頃まだ。
スペースホープの仲間達と。
自分の受賞祝いに笑っている。
自分がいない場所で。
こんなにも。
自分の行く末を心配され。
そして。
誰より自分を知る古い友人から。
「心配する前に褒めてあげなさい」
と。
言われていることなど。
知るはずもなかった。