サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第22話

夜風が甲板を撫でる。

 ロウソクの火が消え、代わりに月光が静かに照らしていた。

 先ほどまで笑い声に包まれていた空間は、今は潮の匂いと波音だけが支配している。

 

 ルナはまだ少し名残惜しそうに、甲板の中央に残る足跡と汗の跡を見つめていた。

 その横には、二人の戦いの余韻がまだ漂っているようだった。

 

 ふと、見張り台の階段の影から人影が現れる。

 「……まだ起きてたのか」

 リュウジだった。

 髪が少し乱れ、袖口には包帯の隙間から血が滲んでいる。

 

 「……やっぱり、怪我してる」

 ルナが眉を寄せて近寄る。

 「たいしたことない」

 いつもの調子でリュウジは肩をすくめようとした。

 しかし、ルナの手がそれを止める。

 

 「ダメ。放っておくと化膿するかもしれない」

 ルナの声は柔らかいが、有無を言わせない強さがあった。

 彼女はしゃがみこみ、リュウジの腕を取る。

 細い指が袖をまくり上げ、擦り傷の赤みが露わになる。

 

⸻

 

 「……ちょっと、しみるかも」

 ルナが濡らした布を優しく当てると、リュウジは顔をしかめた。

 「いてっ……」

 「ほら、言ったでしょ?」

 ルナがくすっと笑う。

 その笑みは、少しだけ昔のルナに戻ったようで――

 リュウジは、思わずその横顔を見つめていた。

 

 「どうかした?」

 「いや……お前、やっぱり強いなって思って」

 「え?」

 「みんなの前であんなことがあっても、ちゃんと笑って、みんなを支えて。……たいしたもんだ」

 ルナは手を止め、少し俯いた。

 「……私、強くなんかないよ」

 「強いさ」リュウジは即答した。

 「怖くても、迷っても前に立つ奴が、本当に強いんだ」

 

 その言葉に、ルナの胸が少し熱くなった。

 夜風の冷たさが、逆にそれを際立たせるように感じる。

 

⸻

 

 ルナの笑みが、少しだけ苦い。

「私が落ちたとき、リュウジ……自分を責めたんだよね」

 

リュウジは目を逸らし、海の黒へ視線を投げた。

波が割れて、月が砕ける。

 

「……ああ。操縦桿を握ってたのは俺だ。言い訳はしたくない」

ルナは小さく首を振る。

「誰か一人に全部の責任を背負わせたら、結局、あの時と同じ。リュウジが一番それを知ってるでしょ」

 

リュウジがのぞき込む。

ルナは一瞬ためらい、胸の底の重石に触れるように言った。

 

「……ナノマシンのこと、怖いよ。自分の身体なのに、自分じゃないみたいで。明るく言ったけど、ほんとは、震えてる」

「怖いと言えるうちは、まだ大丈夫だ」

「どうして?」

「恐怖を認めて握れるやつは、制御できる。訓練で教わった」

「それは宇宙飛行士の話でしょう」

「そうだがな。……それに、お前は一人じゃない」

 

不器用な掌が、ためらいがちに髪の上に乗った。

ポン、ポン。

脱獄囚の時に言ったのと同じ調子で、でも今夜のほうが、ほんの少しだけ優しい。

 

「よく頑張ったな」

「……ずるい」

ルナは笑いながら、目尻を指でぬぐった。いつの間にか、にじむものがあった。

 

「ねえ、リュウジ」

「ん」

「今日、みんなが劇をやってくれたでしょ。リュウジとカオルは模擬戦を。私、途中でね、怖いのが少し消えたの。ああ、私、本当に守られてるって。……だから言わせて」

ルナはまっすぐ彼を見た。

「ありがとう。私、あなたに助けられてばかりだ。――でも、これからは私も、あなたを支える。勝手に前に出てぜんぶ背負おうとしたら、止めるから」

「頼もしいな」

「でしょ?」

 

二人で、同じ星の群れを見上げる。

海面に散った光が、呼吸に合わせてかすかに揺れた。

 

「あ、扉、また殴ったらダメだからね」

「気をつける」

「約束」

「……ああ。約束だ」

 

リュウジが立ち上がる。肩の痛みでわずかに顔をゆがめるのを、ルナは見逃さない。

「もう少しだけ座ってて」

ルナは自分の上着を脱ぎ、そっと彼の肩にかけた。

「夜は冷えるよ」

「お前のほうが寒いだろ」

「私は平気。ほら、ナノマシンがあるから」

冗談めかして、でも声はふわりとやわらかい。

リュウジが息で笑う。短く、けれど確かに。

 

甲板の端、波音が少し強まる。

遠くでハワードのいびきが途切れ、また規則正しく始まった。

見張り台には淡く光の輪がかかり、ロープが月明かりを吸う。

 

「明日も、穏やかに進むといいね」

「進ませる。――俺が」

「頼りにしてる」

「……お前もな」

 

沈黙が落ちる。けれどそれは、気まずさではなく、安心の重みだった。

言葉にしなくても通じるものが、たしかにそこにあった。

 

「おやすみ、リュウジ」

「おやすみ、ルナ」

 

ルナが立ち去る足音が、板目に吸いこまれていく。

リュウジは肩の上の上着を握り、包帯の結び目を指先で確かめた。

夜風が一度だけ強く吹いて、やがて静まる。

 

星は変わらず、その場にあった。

オリオン号は、ごくわずかに軋みながら、まっすぐに大陸の方角へ滑っていく。

二人の約束を、甲板が、海が、空が聴いていた。

 

⬜︎

 

カモメの声が遠くで響いた。

 夜の終わりを告げるように、東の空が少しずつ群青から橙へと色を変えていく。

 静寂の中、甲板に響く軽快な音――コン、コン、コン――。

 

 「おい! 起きろって!」

 ハワードの叫びが見張り台から降ってきた。

 寝室で丸まっていたシンゴが目を擦りながら顔を出す。

 「なんだよ、朝っぱらから……」

 「いいから、早く来いって! みんな! 早く!!」

 

 その声に、寝ぼけ眼のシャアラやアダム、ベル、メノリまでもが次々と甲板に出てくる。

 「どうしたんだ?」とカオルが声を上げると、

 ハワードは見張り台の上で、涙を浮かべたまま、震える指で前方を指した。

 

 「……前を、見ろよ!」

 

 その言葉に、全員が視線を前へ向けた。

 

⸻

 

 目の前に広がるのは、果てしない海――

 ……ではなかった。

 

 朝陽を受けて金色に輝く陸地。

 岩肌が、森が、砂浜が、陽に照らされてまぶしく光る。

 見慣れた無人島の風景とは違う、はるかに広大な――「大陸」。

 

 「う、うそ……」とシャアラが呟いた。

 「ほんとに……陸だ!」

 シンゴが声を上げ、アダムがぱっと両手を広げた。

 「やったぁぁぁぁ!!!」

 

 ベルが拳を握りしめ、感極まった声で言った。

 「見てみろよ……ずっと向こうまで続いてる! 本物の大陸だ!」

 

 ルナは両手を胸に当て、震える声で呟いた。

 「やっと……辿り着いたんだね……」

 

 その言葉をきっかけに、みんなの頬に涙が浮かんだ。

 この旅路で失ったもの、乗り越えた夜、嵐、そして希望。

 それら全てがいま、報われた瞬間だった。

 

⸻

 

 一方、操縦室。

 リュウジとチャコも同じ景色を見つめていた。

 

 操縦席の窓から差し込む朝陽が、計器のパネルを黄金色に染めていく。

 チャコはモニターに映る地形データを見て、目を丸くした。

 「間違いない、この先、陸地や!」

 「……やっとか」

 

 リュウジの口元に、微かに笑みが浮かぶ。

 チャコはその表情を見て、ふっと尾を揺らした。

 

 「長かったなぁ。よくまぁ、ここまでたどり着いたもんや」

 「お前がいてくれたからな」

 「お、おう? いきなり何やねん、照れるやんか」

 「それと……みんなも、よく頑張った」

 リュウジの声は穏やかだった。

 あの冷たい口調ではなく、柔らかい風のような響き。

 

 チャコは笑いながら、モニター越しに前方を見つめた。

 「ほんまやな……これが、新しい世界か」

 「そうだ。ここからが本当のサバイバルだ」

 

 リュウジが操縦桿を静かに押し、オリオン号は大陸の海岸線へと向かって滑っていく。

 外では、仲間たちの歓声が響き続けていた。

 その声を聞きながら、リュウジは小さく呟いた。

 

 「――よくやったな、みんな」

 

⸻

 

 無線では、ルナの声が聞こえてくる。

 「見て、リュウジ! 本当に着いたよ!」

 

 リュウジは思わず窓の外を見上げ、

 柔らかな笑みを浮かべた。

 

 潮風が帆を揺らし、オリオン号は静かに砂浜へと近づいていく。

 

 誰もが言葉を失い、ただその景色を見つめていた。

 ――ここが、新しい旅の始まり。

 

⬜︎

 

陽はすでに高く昇り、海面が黄金色に輝いていた。

 波は穏やかに、オリオン号の船首を撫でるように寄せては返している。

 

 操縦室では、リュウジが真剣な眼差しで前方を見つめていた。

 大陸は、ただの平地ではなかった。海岸線のすぐ奥には巨大な断崖が連なり、

 まるで壁のように彼らの前に立ちはだかっていたのだ。

 

 「……すごいな。まるで要塞みたいだ」

 リュウジが低く呟く。

 隣でチャコがモニターを覗き込みながら、口笛を吹いた。

 

 「ほんまやな。あんな崖、登るんはちょっと骨が折れそうや」

 「どこか、入り口になりそうな場所を探す」

 リュウジが操縦桿を少し倒し、船の進路を南に取る。

 チャコは頭を傾け、船外カメラの映像を切り替えた。

 

 「……ん? あそこ見てみ。北のほうに川が流れとる。あれなら、内陸に繋がっとるかもしれん」

 「川、か……なるほどな」

 リュウジの声にわずかに希望が混じる。

 

 その時、背後から軽い足音が響いた。

 振り返ると、ルナが息を弾ませて立っていた。

 

 「ねえ、見た? すごいね! 本当に、陸がある!」

 目を輝かせるルナに、チャコはニヤリと口元を上げた。

 「おっ、ルナ。まるで遠足前の子どもみたいやな。なぁリュウジ?」

 「……おい、からかうな」

 リュウジは苦笑しながら操縦桿に目を戻す。

 

 「いいじゃない、チャコ。こんな気持ち、久しぶりなんだもん」

 ルナはガラス越しに広がる大陸を見つめていた。

 海の向こうに見えるその断崖は、まるで新しい冒険への門のようだった。

 

 「なぁ、リュウジ。さっき言うた川、北のほうにある。あそこを上れば、中に入れると思うで」

 チャコが操作盤を指でなぞり、地図データを表示する。

 「確かに……潮の流れも穏やかだ。いけるな」

 

 「じゃあ決まりね!」

 ルナが勢いよく言うと、リュウジとチャコは顔を見合わせた。

 「ほんま、ルナは迷いがないなぁ」

 「それが、あいつの強さだ」

 「なんや、ちょっと照れくさい言い方やん?」

 チャコの茶化しに、リュウジは鼻で笑いながら操縦桿を前に押した。

 

 「よし、北に進路を取る。川沿いに入って、上陸地点を探すぞ」

 

 オリオン号のエンジンが再び低く唸りを上げる。

 海風が帆を膨らませ、船体がゆっくりと旋回していく。

 朝陽に照らされた船影が波に伸び、

 彼らの新しい旅路を指し示すように、まっすぐ北の大地へと進んでいった。

 

⬜︎

 

オリオン号は北の川沿いをゆっくりと進み、やがて水流が途切れた先に、岩場の広がる岸辺が見えてきた。

 ごつごつとした黒い岩が、波に打たれて白く泡立つ。海風が強く、塩の香りが鼻を刺した。

 

 操縦席の中、チャコがモニターを見ながら口を開く。

 「リュウジ、この辺りがええんちゃうか? 水深も浅いし、岩は多いけど、上陸はできそうや」

 「……ああ、ここならいける」

 リュウジが頷くと、操縦桿を慎重に操作し、重力制御ユニットを微調整する。

 

 オリオン号の底部が水面に触れ、金属のきしむ音が響く。

 波が船体を押し上げ、軽く揺れながら静かに岩の上へと乗り上げていった。

 

 「よし……停止完了」

 チャコがモニターを確認しながら言う。

 「オリオン号、ついに大陸上陸や!」

 リュウジはゆっくりと息を吐き、操縦席から立ち上がった。

 

⸻

 

 甲板に出ると、ルナがすでにそこにいた。

 潮風が髪を揺らし、目の前に広がる岩の大地を見つめている。

 

 「すごい……これが、大陸……」

 その声は震えていたが、確かな実感がこもっていた。

 「ずっと遠くから見てただけなのに、こうして立つと本当に……現実なんだね」

 

 リュウジは無言で頷き、岩場を見渡す。

 「足場は悪いが、安定はしてるな。少し奥に入れば平地もありそうだ」

 「なら、あっち側に拠点を置くのがええな」

 チャコが尾を揺らしながら指を差す。

 

 「……リュウジ」

 ルナが小さく呼ぶ。

 「ん?」

 「ねえ、ありがとう。ここまで……連れてきてくれて」

 リュウジは少しだけ笑みを浮かべ、視線を空へ向けた。

 「礼を言うのはまだ早い。これからが本番だ」

 

 「硬いこといいなさんな。ほらルナ、せっかくリュウジが頑張って操縦したんやから、もうちょい褒めてええと思うで?」

 チャコがからかうように言う。

 ルナは頬を赤らめ、目を逸らした。

 「……もちろん、リュウジ。すごく頼りになったよ」

 「なんや、言わせてるみたいやな」

 「うるさいぞ、チャコ」

 そう言ってリュウジが軽く頭を小突くと、チャコが「いたたた!」と声を上げる。

 その様子に、ルナの笑顔が少しだけ戻った。

 

⬜︎

 

オリオン号は岩場に静かに身を預けていた。

 波が岩肌を叩き、乾いた潮の香りが風に混ざる。

 空は澄み渡り、白い雲がゆっくりと流れていた。

 

 甲板に全員が集まっていた。

 ルナが前に立ち、振り返って仲間たちに目を向ける。

 その表情には、緊張と期待が入り混じっていた。

 

 「……行こう。これが、私たちの新しい一歩だよ」

 

 ルナがそう言うと、チャコが甲板の手すりから身を乗り出して笑った。

 「気ぃつけてや、岩場はツルツルやで。滑ったら海の中まっしぐらや!」

 「チャコ……脅かさないでよ」とシャアラが苦笑する。

 その声に少し場の空気が和らいだ。

 

 ルナが先に縄梯子を掴み、慎重に岩へと降りていく。

 波しぶきが頬に当たり、少し冷たい。

 両足で岩を踏みしめた瞬間――ルナの胸の奥に熱いものが込み上げた。

 

 「ついに……着いたんだ……」

 

 その声を聞き、次に降りてきたリュウジが静かに頷いた。

 「この岩……長い年月、風と潮に削られてるな。人の足跡はない」

 「つまり、ここは……誰も踏み入れたことのない地ってことか」

 メノリが眼鏡の奥から岩肌を見つめる。

 科学者のような瞳の奥にも、確かな感動があった。

 

 ハワードが岩に降り立ち、両腕を広げて叫んだ。

 「うぉぉぉ! 俺たち、やったんだな!!」

 「ハワード、うるさいって!」とチャコが笑う。

 「いいじゃない、たまには素直に喜んだって!」

 ルナが笑いながら言うと、みんなも自然と笑みを浮かべた。

 

⸻

 

 ベルが岩を叩いて「しっかりしてるな」と呟き、

 アダムは裸足で岩に立ち、潮の音に耳を傾けていた。

 「この音……なんだか懐かしいね」

 「そうだね、アダム。海の音は、どんな星でも同じなのかもしれんな」

 ベルが優しい声で答える。

 

 その隣では、シンゴが岩に膝をつき、サンプルを採取していた。

 「塩分濃度が高いな……でも、このあたりなら真水も近くにあるかも!」

 「さすがやな、シンゴ。調べるんも早いわ」とチャコが感心したように言う。

 

 シャアラは岩の隙間に小さな花の芽を見つけ、そっと指を伸ばした。

 「見て……生きてる……ちゃんと、ここにも命があるのね」

 ルナはその小さな芽を見つめ、微笑んだ。

 「そうだね……生きてる。この星の中で、また新しい世界が始まるんだね」

 

ルナが空を見上げる。

 朝の光が岩肌を照らし、海の向こうには小さくオリオン号の帆が光っていた。

 

 「さあ、行こう。

  ここから――私たちの新しい冒険が始まるんだから」

 

 風が彼女の髪を揺らし、みんなの背中を押すように吹き抜けていった。

 その先に広がるのは、未知の大陸。

 そして、希望に満ちた、新たな物語の幕開けだった。

 

⬜︎

 

岩場を越えた先には、茶色の大地が広がっていた。

 乾いた風が吹き抜け、遠くには奇妙な形をした植物群が点在している。

 空には鳥のような影が二、三羽舞い、海からの潮風と土の匂いが混じっていた。

 

 ルナは深呼吸をして、その大地の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 「……この星の匂い、少し懐かしいね」

 「そうね、どこか温かい感じがする」

 隣に立つシャアラが、微笑んだ。

 

⸻

 

 「ここなら潮の流れも悪くない。魚も寄ってくるだろう」

 カオルとベルが岩場に座り、釣り糸を垂らす。

 リュウジは隣で仕掛けを整えながら、ちらりとカオルの手元を見た。

 

 「ずいぶん慣れたな」

 「何ヶ月サバイバルをやってると思ってるんだ」

 「まあな」

 ふたりの間に流れる沈黙は、以前のような緊張感ではなかった。

 海風に混じる塩の香りと、リールの音だけが心地よく響く。

 

 「……ルナ、少し元気戻ってきたみたいだな」

 リュウジの言葉に、カオルは釣竿を揺らしながら頷く。

 「お前が言った船上パーティ、悪くなかった。いい判断だった」

 「そう思うなら、今度はお前が笑わせてやれ」

 「俺はそういうタイプじゃない」

 リュウジが苦笑し、カオルも口元を緩めた。

 

 その瞬間、釣竿が大きくしなった。

 「来たぞ!」

 リュウジが声を上げ、カオルが一気に竿を引き上げる。

 海面から銀色の魚が飛び出し、太陽の光を反射してきらめいた。

 

 「でかいな……!」

 「みんなが喜びそうだな」

 ベルの言葉に、カオルは一瞬だけ視線を彼に向け、黙って笑った。

 

⸻

 

 ルナとシャアラは、岩場を離れて少し内陸に進んでいた。

 足元は乾いた砂と細かな石が混じり、遠くにはトゲトゲしい植物が並んでいる。

 

 「ねぇ、あれ見て。サボテンみたい」

 ルナが指さす先には、丸く膨らんだ緑色の植物が太陽に照らされて輝いていた。

 「ほんとだ……でも、触ると危ないかも」

 「大丈夫。トゲが柔らかい。……これなら、食べられるかも」

 

 ルナはナイフで慎重に表面を削り、内部の透明な果肉を取り出した。

 「わぁ……みずみずしい!」

 「少し味見してみるね」

 シャアラが指先で少し掬って口に含む。

 「……少し酸っぱいけど、食べられそう」

 「よし! これを刻んで、果物と混ぜたらサラダにできるかも!」

 

 ルナは嬉しそうにリュックから容器を取り出し、

 採取した果肉を詰めていく。

 その表情は、まるでかつての元気なルナそのものだった。

 

 「ねぇ、シャアラ」

 「なに?」

 「きっと、ここでもちゃんと生きていけるね」

 「うん……ルナがいれば、大丈夫だと思う」

 シャアラの言葉に、ルナは少し照れたように笑い、

 またサボテンの果肉をひとつ摘み取った。

 

⸻

 

 その頃、メノリとハワードは岩の隙間を抜け、平らな地形を進んでいた。

 風が強く、服の裾をはためかせる。

 

 「しかし……なんという場所だ」

 メノリが果てしなく広がる大地に眉をひそめる。

 「まるでこの大陸自体が、生きてるみたいだな」

 「生きてる?」

 「ほら、見ろよ。地面が脈を打ってる……って言ったら信じるか?」

 「ハワード、冗談を言う暇があるなら食料を探せ」

 「冗談じゃないって! なんで僕が――」

 ハワードがダチョウのような動物を遠くに見つけた。

 

 「……あれ、食べられるかもしれない」こりゃ、面白くなってきたな」

 「ハワード、勝手に動くな!」

 「わーってるって!」

 そう言いながらも、ハワードはどこか楽しそうに笑っていた。

 

⸻

 

 船の近くでは、アダムがパネルの内部を覗き込み、何かを繋いでいた。

 「チャコ、ここエネルギーの流れが不安定だよ!」

 「わかっとる! そこを左に、ちょいと押さえてみ!」

 「こう?」

 「そうや!」

 ピッ――と音がして、計器の光が安定した。

 

 「よし、これで電力は戻ったね!」

 シンゴが声を上げる。

 「ふぅ……これで、ルナたちが帰ってきても照明が使える」

 「アダム、偉いで!」

 チャコが頭を撫でると、アダムは嬉しそうに笑った。

 「ボク、がんばった!」

 

⬜︎

 

昼の陽射しが、乾いた岩の表面を白く照らしていた。

一度、皆んなはオリオン号に戻っていた。

 照り返す熱気に、ルナは思わず手のひらで額の汗を拭う。

「うーん、今日は暑いね……」

「このあたり、風が通らないからな」

 リュウジの言葉に、ルナも頷いた。

 

「あれ?カオルとベルは?」

一緒に釣りに行ったのに、今ここにいるのはリュウジだけという事にルナは首を傾げた。

 

リュウジは軽く笑みを浮かべて、自分が歩いてきた道のりに視線を向けた。

「あの二人なら、もう少し魚を釣ってくるそうだ」

 

 

 そのときだった。

 ハワードが突然、小声で呼びかけた。

「おい、みんな。ちょっとこっち来てみろよ!」

 

 彼は岩の窪みにしゃがみ込み、指で「静かに」と合図する。

 ルナたちは不思議そうに顔を見合わせながら近寄った。

「何? 何か見つけたの?」

 ルナが囁くと、ハワードは口元に笑みを浮かべ、岩の陰をそっと指さした。

「いいから見てみなって……驚くぞ」

 

 ハワードの呼びかけで、集まったルナとメノリ、チャコ、シャアラ、リュウジ、アダム、シンゴ。みんなが岩陰から顔を出す。

 

 ――そこには、二羽の大きな鳥のような生き物がいた。

 体高は人間の背丈ほどもあり、長い脚と首。羽は淡い橙色で、どこか優しい印象を与える。

 地面には、ふわふわした小さな雛が三羽。親鳥がくちばしで雛の羽を整え、雛たちは甘えるように鳴き声を上げていた。

 その光景は、まるで地球の草原で見る家族のようだった。

 

「……すごい。あれ、ダチョウに似てるけど、この星の生き物なんだね」

 ルナの声は驚きと感動に満ちていた。

「せやけど、なんかええ光景やなぁ。おかんが雛を守っとるんやで」

 チャコが目を細める。

「本当だね……愛情って、どんな星でも同じなんだ」

 シャアラも穏やかに微笑んだ。

 

 そのとき、ハワードが小声で笑う。

「なあ……あのサイズなら、肉もたっぷり取れそうだろ? 最初は狙おうと思ったんだけど」

 みんなが同時にハワードを睨む。

「ちょっと! そんなこと言わないでよ!」

 ルナが眉をひそめる。

 ハワードは両手を上げて降参のポーズを取った。

「話を最後まで聞けよ!……ああいう親子を見たら、流石の僕も狙うのをやめたよ」

 その声には、少しの優しさがにじんでいた。

 

「僕、ほしい」

 アダムがぽつりと呟いた。

「え?」

「僕、あの子たち……かわいい。いっしょに暮らしたい」

 その無垢な言葉に、みんなが少し笑う。

「アダム、ペットじゃないんだ。あの子たちはこの星の自然の中で生きてる」

 メノリが穏やかに言う。

 ルナはそんなやりとりを聞きながら、なぜか胸の奥が少しだけ痛んだ。

 あの親子が寄り添う姿――自分にはもうない「家族」の記憶が、ほんの一瞬、頭をよぎったのだ。

 その瞳が、ほんの少し寂しげに光る。

 

 そんな静かな時間を破ったのは、ハワード自身だった。

 

「っと、うわっ!」

 足を滑らせた彼が、岩肌に手をついた拍子に小石が転がり落ちる。

 カラン……と乾いた音が響いた瞬間、親鳥の首がぐるりとこちらを向いた。

 大きな黒い瞳が、鋭く光る。

 

「バカ!!」

 メノリの叫びが響く。

「わ、わ、やばいぞ……!」

「逃げるわよ!」

 ルナが叫ぶと同時に、全員が一斉に走り出した。

 

「ちょ、待て待て! 本気で追ってきてるって!!」

 ハワードが悲鳴を上げる。背後では「ドドドドッ」と地面を蹴る音。

 親鳥が驚くほどの速さで追いかけてきていた。

「うっそやろ!? ウチ、こんなん聞いてへん!!」

 チャコが全力で走りながら叫ぶ。

「ハワード! あんたのせいや!」

「僕のせい!? いや、まあ、そうなんだけど!」

「文句は後にしろ! 今は逃げるぞ!!」

 メノリの声が風に乗る。

 

 砂煙の中を、みんなが必死に駆け抜ける。

 だが次の瞬間――。

 

「うわっ!」

 アダムが足を取られ、地面に倒れた。

「アダム!!」

 ルナが叫んで振り向いた。

 その時、リュウジがすでに動いていた。

 迷うことなくアダムの腕を取り、軽々と抱き上げる。

「逃げるぞ!」

 短く言い放ち、ルナの横を駆け抜けた。

 

 風が唸り、砂が舞う。

 リュウジの腕の中でアダムが驚いた顔をしていたが、恐怖よりも安心の色が濃かった。

 ルナは必死で並走しながら叫ぶ。

「もう少し! あの丘を越えたら!」

 

 しばらく走り続け、やがて足音が途絶える。

 振り返ると、親鳥たちは巣の方へ戻っていくところだった。

「……ふぅ、やっと諦めたみたいだな」

 リュウジが息を整えながら言う。

 彼はそっとアダムを降ろし、目線を合わせた。

「怪我は大丈夫か?」

「う、うん……ちょっと転んだだけ」

 アダムはそう言ったが、手のひらには赤く擦り傷が広がっていた。

「これは結構いたそうやなぁ……」

 チャコが覗き込みながら言う。

 

 ルナも膝をついてアダムの手を包んだ。

「痛くない?」

「だいじょうぶ……僕、平気だよ」

 アダムは笑顔を作るが、目にうっすら涙が浮かんでいる。

 リュウジが静かにその手を見つめ、短く言った。

「戻ったら、消毒してやる」

「はーい!」

 アダムが少し照れくさそうに笑うと、ルナも安堵の笑みを浮かべた。

 

「まったく、誰かさんが騒ぐからこうなるんだ」

 メノリがジト目でハワードを見る。

「仕方ないだろう! でもさ、結果的にいい運動になったろ?」

「運動ちゃうわボケ!」

 チャコが即座にツッコミを入れる。

 シンゴが苦笑しながら言った。

「まあでも、こうして無事でよかったよね。あの鳥、意外と速かったなぁ……」

 シャアラも頷く。

「でも……なんだかあの親鳥、怒ってたというより、雛を守ろうとしてたように見えたわ」

 ルナはその言葉に小さく頷き、遠くの空を見つめた。

「……そうだね。親って、どんな星でも強いんだね」

 

 静かな風が、岩の間を抜けていった。

 その音は、まるでさっきの親鳥の鳴き声のように、優しく響いていた。

 

⬜︎

 

西の空が赤く染まり、薄暗い大陸の影が静かに伸びていく。

 昼の騒動のあと、仲間たちは拠点へ戻り、それぞれの役割をこなしながら夕食の準備を進めていた。

 焚き火の上では、チャコが木の杓文字を手にして鍋をかき混ぜている。

 風に乗って、香ばしい香りが漂った。

 

「ふっふ~ん♪ 今日のスープは“サボテンの実と魚の絶妙ブレンド”や!」

 チャコの鼻歌交じりの声が、周囲の空気を和ませる。

「昨日も似たようなこと言ってた気がするけどな」

 カオルが呆れたように笑いながら腰を下ろした。

「そりゃあ、昨日のは“やや失敗作”やったんや。今日はリベンジや!」

「“やや”どころじゃなかったけどね」

 ハワードが頬を引きつらせながらぼそっと呟く。

「なにか言ったか?」

「な、なんでもないよ!」

「そやろな!」

 チャコの目が細くなり、ハワードは慌ててスプーンを手に取った。

 

 その隣で、ベルが静かに笑っていた。

「ふふ……賑やかだね。こうしてみんなで食卓を囲めるの、悪くないな」

 彼は手慣れた手つきで魚の串焼きを裏返しながら言う。

「ベル、それ焦げてるぞ」

 カオルが指摘すると、ベルは肩をすくめて答えた。

「焦げ目がいいんだよ、カオル。香ばしさが増すんだ」

「……理屈はわかるが、加減ってものがあるだろ」

 そのやり取りに、シンゴが笑いながら割って入る。

「でもベルの焼いた魚、おいしいんだよ! 前に食べたときも外カリッで中ふっくらだったし!」

「お、わかってるね、シンゴ」

「おだてても追加の魚は出さないからな」

 カオルが冷静に釘を刺すと、焚き火の周囲に笑い声が広がった。

 

⸻

 

 一方その少し離れた場所では、ルナがアダムの手に包帯を巻き終えたところだった。

 消毒の匂いがほんのり漂い、リュウジが横で確認するように覗き込む。

「よし……これでいい。もう動かすなよ」

「うん、ありがとう」

 アダムは嬉しそうに微笑んだ。

「えらかったね、アダム」

 ルナが頭を撫でると、アダムは少し照れくさそうに笑う。

 

 リュウジは黙って立ち上がり、包帯を片付けるルナをちらりと見た。

「……ルナ、手当て上手いな」

「え? あ、ありがと。昔お父さんに教わったの。旅に出るとき、ケガの手当てくらいはできるようにって」

「……そうか」

 短い会話だったが、どこか穏やかな間が流れた。

 ルナはリュウジの横顔を見つめながら、小さく笑う。

(前よりずっと、優しい表情をしてる……)

 

 外からチャコの声が響いた。

「ルナ~! リュウジ~! アダム〜!スープできたでぇ~!」

「うん、今行く!」

 ルナが返事をして立ち上がる。アダムもそのあとを小走りで追った。

 

⸻

 

 焚き火のそばでは、みんながすでに輪になって座っていた。

 スープの湯気が立ち上り、橙色の光に包まれている。

 シャアラは膝にノートを広げ、今日の植物観察の記録を書き込んでいた。

「この大陸の植物、まだまだ未知のものが多いわね。根に水分を蓄えるタイプが多いみたい」

「乾燥地帯やからやろな。ウチも成分分析してみよか?」

「お願い。できればサンプルを明日の朝もう少し採りたいわ」

「任せとき!」

 

 メノリは地図を広げながら、明日の行動計画を確認していた。

「明日は北側の崖を越えた先まで調べてみたい。あの辺り、平原が続いているのが見えたからな」

「あそこは風が強い。滑落の危険もある」

 カオルが慎重に言うと、メノリは頷く。

「分かっている。リュウジとカオル、二人が先行して地形を確認してくれないか?」

「了解。無理はしない」

「ああ」

 リュウジの短い言葉に、メノリは小さく笑った。

「ええ、頼りにしてる」

 

 そんな話を聞きながら、ハワードが魚を口に運ぶ。

「いやぁ、しかし今日はいろいろあったな。まさかダチョウみたいな奴らに追いかけられるとはな!」

「ハワードのせいやろ!」

 チャコが即座にツッコミを入れる。

「まぁまぁ」

 ベルが穏やかに笑って言うと、メノリが頷いた。

 

 リュウジはその言葉に目を伏せ、焚き火の炎を見つめた。

 ルナはそんな彼の横顔を見つめ、胸の奥で何かを感じ取った。

 

 そのとき、アダムが明るい声で言った。

「でも、みんなで逃げたの、ちょっと楽しかったね!」

「アダム、転んでたじゃん!」

 シンゴが笑いながら突っ込み、チャコが続ける。

「せやけど、リュウジがかっこよかったで~。映画のヒーローみたいやったわ!」

「変なこと言うな」

 リュウジが苦笑し、ルナの顔が少し赤くなった。

「ふふ……ほんと、頼もしかったけどね」

 彼女の言葉に、火の粉が一つ、夜空へ舞い上がる。

 

⬜︎

 

 夜の大地は、昼の熱をすっかり失っていた。

 砂と岩の間を通る風は冷たく、オリオン号の外壁を静かに撫でていく。

 その夜、仲間たちは疲れ切って寝静まっていた。

 機体の中からは穏やかな寝息が聞こえ、唯一、外で焚き火がぱちぱちと音を立てている。

 

 その前に座っていたのは、リュウジだった。

 炎の光が彼の横顔を照らし、影がゆらめいている。

 瞳の奥では、燃える炎を映したまま、何かを遠くに見ているようだった。

 

「……リュウジ?」

 静かな声が、夜気を揺らした。

 振り向くと、ルナがオリオン号の陰から現れた。

 薄手の上着を羽織り、髪が月明かりに透けている。

「何してるの? 眠れないの?」

 

 リュウジは小さく笑って首を横に振った。

「ただ……座ってただけだ。大地の匂いを嗅ぐのが、久しぶりだからな」

 そう言って焚き火の棒を突きながら、炎の揺らめきを見つめる。

 ルナはその隣にゆっくり腰を下ろした。

 焚き火が二人の間に光の輪を描く。

 

「……今日のダチョウの雛、かわいかったね」

 ルナが柔らかく笑う。

「あの小さいの、親の足の間で丸くなって……」

 言いながら、彼女の表情はどこか遠くを見つめていた。

「家族って、いいものだね」

 その一言に、リュウジが少しだけ目を細めた。

 風が吹き、焚き火の火の粉が宙に舞う。

「……今じゃ、みんなが家族みたいなもんだろ」

 小さく、だが確かな声でリュウジが言った。

 

 ルナは一瞬、驚いたように彼を見つめた。

 焚き火の赤い光が、彼の瞳を優しく照らしている。

 やがて、ルナの口元に穏やかな笑みが浮かぶ。

「……うん」

 その笑顔は、炎の揺らめきよりも温かかった。

 

 少しの沈黙のあと、ルナが小さく口を開いた。

「ねえ、リュウジのご両親って、どんな人だったの?」

 彼は一度、炎を見つめたまま黙り込む。

 やがて、穏やかな声で答えた。

「さあな。物心ついた時には、もう二人とも死んでたから」

 焚き火の音だけが響く。

 ルナはハッとして、すぐに小さく頭を下げた。

「……ごめん、そんなつもりじゃ……」

「気にするな。別に、悲しい話でもない」

 リュウジは静かに笑った。

 その笑顔は、どこか懐かしさを帯びていて、ルナの胸が少し締めつけられる。

 

 そして――ルナは無意識に、心の奥からこぼれるように言葉を口にした。

「……もし、また誰かと家族になれるなら……きっと、リュウジみたいな人がいいな」

 

 その言葉が夜気を震わせる。

 ルナ自身、何を言ったのかに気づいた瞬間、頬が熱くなった。

 リュウジがわずかに目を見開く。

 だが、何も言わず、ただ静かに火を見つめていた。

 彼の唇が、何か言おうとしてわずかに動いたその時――。

 

「ルナ! リュウジ!」

 甲板の方からシャアラの声が響いた。

 ルナは弾かれたように立ち上がる。

「どうしたの!?」

「アダムが……! アダムがすごい熱なの! 早く来て!」

 

 シャアラの声は切羽詰まっていた。

 リュウジとルナは顔を見合わせ、すぐに頷いた。

「行こう」

「ええ!」

 二人は焚き火のそばから駆け出し、オリオン号の中へと走り込む。

 炎の灯りが背後で揺れ、夜風に消えていく。

 

 静かな夜の大地に、再び緊張が走ろうとしていた。

 

⬜︎

 

 夜の静寂を裂くように、オリオン号の内部には小さな息遣いが響いていた。

 外では風が砂を運び、壁面をさらさらと撫でる。

 しかし機体の中は、重たい熱気と焦りに包まれていた。

 

 簡易ベッドの上、アダムの顔は赤く染まり、額には汗が滲んでいる。

 ルナはその傍らにしゃがみ込み、濡らした布を彼の額に当てながら必死に声をかけていた。

「アダム……大丈夫? わたしの声、聞こえる?」

 だが、アダムは荒い呼吸を繰り返すだけで、目を開ける気配はない。

 彼の胸が上下するたびに、小さな呻きが漏れた。

 

「アカン……! こら、ヤバいで!」

 チャコがセンサーをかざし、測定値を見て目を見開いた。

「熱が四十度あるで!!」

「よ、四十度!?」

 メノリが思わず声を上げる。

「そんなに……」

 シャアラは顔を覆い、ルナの隣にひざまずいた。

「アダム、大丈夫よ……もう少し頑張って」

 その手は震えていた。

 

 その横で、シンゴが工具を抱えたまま立ち尽くしている。

 彼の視線は機体の計器盤とアダムを交互に行き来していた。

「どうすれば……何か、冷やす方法は……」

「シンゴ落ち着け」

 リュウジの冷静な声が響いた。

 それでも彼の表情は硬い。

 

 その背後で――。

 ひとり、ハワードは寝袋にくるまったまま、「……も、もう食べられない……」と寝言を漏らしていた。

「ハワード、今だけはほんま静かに寝といてや……」

 チャコが呆れながらも小声で呟く。

 

 メノリが小さく息をつきながら呟いた。

「薬草か……何か自然の薬があればいいんだが……」

「しかし、この辺りは岩場だ。植物なんてほとんど見かけなかった」

 カオルが低く呟いた声が、重たい空気の中に沈む。

 

「……アダム、大丈夫よ。みんながいるから」

 シャアラがそっとアダムの手を握りしめた。

 その小さな指が微かに震える。

 

 リュウジが振り返り、短く命じた。

「シンゴ。オリオン号のメンテナンスは終わってるか?」

「い、一応、点検は全部済ませたけど……」

「よし」

 リュウジはすぐに決断した。

「進路を変更して、近くのテラフォーミングマシンまで移動しよう」

 

「テラフォーミングマシンに……?」

 ルナが驚いたように顔を上げる。

 リュウジは力強く頷いた。

「ああ。あそこなら、まだ作動してる医療機器や薬品の残骸があるかもしれない」

「薬でもあれば十分だ」

 ベルも静かに同意する。

 

 ルナは目を細めて考え、すぐにチャコを見た。

「チャコ!」

「せやな、ウチが計算するわ!」

 チャコの瞳が青く光り、計算を始める。

 

 「すぐにでも行きましょう!」

 シャアラが勢いよく立ち上がった。

 だがルナが手を伸ばして彼女を制した。

「シャアラ、落ち着いて。焦っても、暗闇の中じゃ危険だわ」

「でも、アダムがこのままじゃ……!」

「わかってる。でも今出たら、私たちまで危険に巻き込まれる」

 

 メノリが静かに頷きながら言った。

「ルナの言う通りだ。もう夜だし、この暗闇を進むのは無謀だ。地形もわからない」

「せやせや。あの島やったら足場も覚えとったけど、この大陸は何が出てくるかわからへん」

 チャコが補足する。

 

 リュウジは一同を見回し、低くしかしはっきりと言った。

「……明日の夜明けと同時に出発しよう」

 その声音には、揺るぎない決意があった。

 

 ルナはアダムの髪を撫でながら、静かに頷いた。

「そうしましょう。夜明けまで、私たちがついてるから」

 彼女の声は柔らかく、それでいて芯が強かった。

 焚き火の灯りが、眠れぬ仲間たちの顔を静かに照らし続けていた。

 

◇◇◇

 

夜のオリオン号は静まり返っていた。

 外の風の音すら薄れ、船体の金属が冷える小さなきしみが聞こえるだけ。

 みんなが寝静まる中、操縦室だけがほのかに光を灯していた。

 計器のランプが静かに瞬き、冷たい青が壁を染めている。

 

 リュウジはそこに立っていた。

 焚き火の残り香がまだ外の空気に漂う中、彼は操縦席の前で腕を組み、じっとモニターを見つめていた。

 ドアが小さく開く音。

 チャコがひょこっと顔を出した。

 

「呼んだか?」

「ああ、来てくれ」

 リュウジは短く言って、椅子を指さす。

 チャコはその上に軽く飛び乗り、足をぶらぶらさせながら首を傾げた。

 

「で、どうしたんや? 夜中にこっそり呼び出すなんて珍しいな」

「アダムのことだ」

 その一言で、チャコの表情が引き締まる。

「……やっぱりな。ウチも気になっとったんや」

 リュウジは頷き、モニターに映る体温データを指差した。

「ナノマシンがアダムにもあるのに、高熱を出すのはおかしいと思わないか?」

「せやねん……。ウチも最初からそれ、引っかかってたんや」

 チャコは腕を組み、しっぽをゆらゆら揺らす。

 

「もしかしたら――ナノマシンに異常があるのかもしれない」

 リュウジの声は低く、焚き火の残り火のように静かに揺れていた。

「……悪性ナノ、ちゅーうわけか?」

「可能性はある」

 チャコはため息をついた。

「もう一度、しっかり見ぃひんと分からんな……」

 

 リュウジは少し間を置いて言った。

「今日、アダムは手に怪我をしただろう」

「せやな……。あの岩場で転んだときのやつやろ?」

「ああ。あのとき、異物が体内に入った可能性は高い」

「つまり――そのときに“感染”したってことやな」

「その線が濃いな」

 

 チャコは目を丸くした。

「もしかして……あんた、最初から気づいとったんか?」

 リュウジは短く息を吐いた。

「アダムが高熱を出した時点で、“悪性ナノ”の可能性は頭にあった。

 だからこそ、今も稼働しているであろうテラフォーミングマシンに向かおうと思ったんだ」

 彼の声は冷静だったが、その奥には焦りを隠した熱があった。

 

 チャコはしばらく黙ってリュウジを見つめ、やがて小さく笑った。

「ほんま、流石やなぁ。ウチのセンサーより人間の勘の方が鋭いかもしれんで」

「褒められても嬉しくないな」

「そらそうやろな」

 チャコが肩をすくめるように笑う。

 

「それで、テラフォーミングマシンの場所はわかったか?」

「おう、さっき再計算したで。……ここから北に百二十キロや」

「百二十か……。明日の出発は早めにした方がいいな」

 リュウジは腕を組んで小さく頷いた。

「操縦の準備は俺がやっておく」

「了解や。ウチはアダムの様子をもう一回見てくるわ」

 

 チャコが立ち上がろうとしたその時、リュウジが低く言った。

「……チャコ。ルナには気づかれるなよ」

「……なんでや?」

「余計な心配はかけたくない。あいつはアダムのことを一番気にしてるからな」

「……なるほどな」

 チャコはニヤリと笑う。

「ほんま、優しいやっちゃな。……てか、それ、本人に言うたらええのに」

「……何をだ」

「“心配かけたくない”やて。それ聞いたら、ルナ泣いて喜ぶで?」

「……早く行け」

「はいはい。ほんま、不器用なやっちゃなぁ」

 チャコは笑いながら操縦室の扉を開けた。

 

 だが――その扉の向こうに、ひとりの影があった。

 ルナだった。

 薄暗い廊下で立ち尽くし、彼女はそっと鼻に指を当てて「シィー」とジェスチャーした。

 チャコは一瞬目を丸くしたが、すぐに口元をニヤリと歪めた。

 

「……ほぉ。あとは若いもんに任せるとしよか」

 小声でつぶやくと、チャコは肩をすくめて笑い、そっとルナの横を通り抜けていった。

 その背中を見送りながら、ルナは胸の前で手を握る。

 リュウジが隠してまで守ろうとした“想い”――

 その意味を、静かに噛みしめるように。

 

◇◇◇

 

 夜明け前の空は、群青色に沈んでいた。

 大地の端から、わずかに光が滲み始めている。

 冷たい風がオリオン号の船体を撫で、金属の表面にうっすらと夜露を残していた。

 まだ誰も目を覚ましていない船内――その中で、ただ一人、ルナだけが起きていた。

 

 アダムの寝台のそばに座り、ルナは静かに彼の額に手を当てる。

 昨夜よりも熱は少し引いたように感じたが、それでも心配には変わりなかった。

 

「アダム……もう少しの辛抱だからね」

 優しく囁く声は、ほとんど息に溶けるほど静かだった。

 その指先が小さく震えているのは、冷たさのせいではなく――胸の中でまだ消えない不安のせいだった。

 

 ふと、昨夜の光景が脳裏に浮かんだ。

 ――操縦室の中で話していたリュウジとチャコの声。

 「余計な心配をかけたくないんだ。あいつには……」

 彼のあの言葉が、耳の奥で何度も繰り返される。

 

 ルナは胸の前で手を組み、目を伏せた。

(……リュウジ。どうして、そんなふうに……)

 彼が自分たちの誰よりも冷静で、誰よりも優しいことを、彼女は今になってようやく気づいていた。

 その優しさは、いつも無言で、そして誰にも見せようとしない。

 だからこそ、余計に胸が熱くなる。

 

 窓の外を見ると、東の空が少しずつ赤みを帯びてきていた。

 ルナは立ち上がり、深呼吸をする。

「……もうすぐ夜明け。みんなを起こさなきゃ」

 

―――

 

 やがて、船内に小さな音が響く。

 チャコがブリッジに入り、電子パネルを起動した。

「よっしゃ、システムチェック完了っと。航路設定は北120km、座標一致」

 軽快な電子音が続き、エンジンの補助電力が少しずつ温まっていく。

 

 そこへ、リュウジが入ってきた。

「準備はどうだ?」

「バッチリや」

「よし。出発は予定通りだ」

 リュウジは計器を確認しながら、表情を変えずに答えた。

 だが、その横顔を見て、チャコは小さくニヤリとする。

(まったく……“あいつには心配かけたくない”とか言いながら、もう顔に出とるやん)

 心の中でつぶやきながら、チャコは作業を続けた。

 

―――

 

 その頃、寝室では、シンゴが欠伸をしながら起き上がっていた。

「ふあぁ……夜明けか。早いなぁ」

「眠い~……」

 ハワードが寝袋から顔を出して呻く。

「文句言わんと起きぃや、坊っちゃん」

 チャコが声を張ると、ハワードは慌てて立ち上がった。

 

 メノリは髪を結びながら、ルナのそばに来る。

「アダムは?」

「まだ熱は高いままだわ」

「……このまま何もなければいいが」

「ええ。……でも、きっと大丈夫。リュウジたちがいるから」

 ルナは微笑んで言った。その表情は疲れを見せず、どこか穏やかだった。

 

―――

 

 カオルが装備チェックを終えて声をかける。

「リュウジ、燃料の残量は?」

「この天気だ問題ない。風も吹けば、テラフォーミングマシンまで行けるはずだ」

「了解」

 ベルが頷き、工具を肩に担ぐ。

「俺は外装を一通り見てくる。砂が入り込んでないか確認しとかないとな」

「頼む」

 リュウジが短く返す。

 

 そんなやり取りの中、ルナは静かに操縦室へと入った。

 リュウジがコンソールを操作している背中が見える。

 彼の肩越しに朝の光が差し込み、髪が金色に縁取られていた。

 ルナは少し迷いながら、声をかける。

「……リュウジ」

「どうした?」

「……昨日の判断、早かったね」

 リュウジは手を止め、少しだけ振り向く。

「当たり前だ。……あいつはまだ子どもだからな」

 そう言いながら、わずかに目を細める。

 その表情は厳しくも、どこか優しかった。

 

 ルナは小さく息をのんだ。

(……やっぱり、あの夜の言葉、本当だったんだ)

 胸の奥で、静かに何かが温かく広がっていく。

 

 やがて、チャコの声が船内スピーカーに響いた。

「全員集合~! オリオン号、テラフォーミングマシンへ向けて出発準備完了や!」

 それぞれの足音が集まり、船体がゆっくりと振動を始める。

 窓の外では、太陽が顔を出し、薄い光が大地を照らしていった。

 

 ルナは最後にもう一度、アダムの寝顔を見つめる。

「大丈夫。みんなで助けるからね」

 そう囁いてから、彼女は操縦席の隣――リュウジの横へと歩み寄った。

 

「出発するぞ」

「うん……!」

 

 エンジンが唸りを上げ、オリオン号の影が朝の光の中でゆっくりと浮かび上がる。

 大陸の地平線の向こう――未知の希望と危険が待つ場所へ、彼らの旅が再び動き出した。

 

◇◇◇

 

朝の光が大地を照らし、砂と岩の間を風が駆け抜けていく。

 夜の冷気がまだ残る空気の中、オリオン号の機体がゆっくりと唸りを上げた。

 操縦席に座るリュウジが、モニターに並ぶ緑のランプを確認する。

 

「……ソーラーシステム起動」

 リュウジの指がボタンを押すと、甲高い電子音が響き、艦内の照明が一斉に明るくなる。

 船体のソーラーパネルが展開し、朝の光を受けて銀色に輝いた。

 

「重力制御ユニット、起動」

 彼の低い声が響き、オリオン号の床がわずかに振動する。

 浮遊ユニットが作動し、重力の抵抗が消えていく感覚が広がった。

 

「全帰還接続、完了! システム・オールグリーン!」

 隣でルナがモニターを見ながら明るく声を上げた。

 その声には緊張と高揚が混じり、船内に少しだけ希望の色を灯す。

「よし……オリオン号、発進!」

 リュウジは操縦桿を握りしめ、力強く言い放つ。

「目標、北――9時の方向!」

 操縦桿を倒すと、機体が低くうなり、砂を巻き上げながら浮上した。

 

 外の風が急に強く吹き抜け、地面の砂が白く舞い上がる。

 オリオン号はそれを突き抜け、風を切って上昇していった。

 薄明るい空の下、機体が太陽光を反射してまばゆく光る。

 

「いい風や! この調子なら昼前には着くで!」

 チャコがルナの膝の上に乗り、尾を揺らしながら嬉しそうに呟く。

「頼むよ、チャコ」

「任せとき!」

 

 船内ではベルが機体の安定を確認し、カオルが窓の外を警戒していた。

 シャアラはアダムの容体を確認しながら、小さく祈るように手を組む。

 

―――

 

 数時間後。

 太陽は高く昇り、オリオン号は乾いた大地を越えて滑るように進んでいた。

 その時、上部デッキから無線が入る。

 

『おい、みんな! 森が見えたぞ!』

 その声に、船内の空気が一気に弾む。

「森?」

 ルナがモニターを確認する。緑の塊が画面の端に広がっていた。

「ああ、こっちでも確認した」

 リュウジが短く答える。

 窓の外、広大な荒野の先に、濃い緑が広がっているのが見えた。

 大陸に来て以来、初めて目にする豊かな自然だった。

 

 やがて森を抜けたとき、視界の先に――

 巨大な門のような構造物が姿を現した。

 

 それは、地球にかつて存在した凱旋門を思わせる形をしていた。

 崩れかけた外壁には苔が生え、しかしその中に不思議な荘厳さが残っている。

「……なんやこれ……」

 チャコが思わず声を漏らす。

「まるで……昔の文明の遺跡みたい」

 ルナが息を呑んだ。

 

 オリオン号はゆっくりとその門をくぐるように進んでいく。

 中へ入ると、そこには――

 古びた建物が整然と立ち並んでいた。

 瓦礫や崩れた塔、風に揺れる蔦の隙間から、かすかに光が差し込んでいる。

 

「この星にも……文明があったんやなぁ」

 チャコが呟いた。

「もしかしたら……アダムの仲間なのかもしれない」

 シンゴの言葉に、誰もが息をのむ。

「アダムは別の惑星から来たのではないのか?」

 メノリが首を傾げた。

「分からない……けど、何かが残ってる気がする」

 ルナの言葉は、どこか直感めいていた。

 

 リュウジが静かに操縦桿を握り直す。

「だったら探索してみよう。……恐らくここは“街”だ」

「そうね。病院があるかもしれないわ」

 ルナが頷くと、リュウジは短く返した。

「よし――」

 その時、カオルが前方を指さした。

「あの大きい建物が怪しい。中心にある、あれだ」

 リュウジが視線を向ける。

 確かに、立ち並ぶ建物の中でひときわ大きな構造物があった。

 半球状の屋根とガラスの破片――まるでかつての都市の中央施設のようだ。

 

「行ってみよう」

 リュウジは静かに頷き、操縦桿を倒した。

 

 オリオン号が傾き、廃墟の街の上空を滑るように進んでいく。

 太陽の光が古びた街路に差し込み、砂塵がきらめいた。

 そして――アダムを救うための新たな希望へ、彼らは翼を向けた。

 

◇◇◇

 

オリオン号を降りると、彼らの目の前には古びた建物がそびえていた。

 ひび割れた外壁には蔦が絡みつき、入り口のガラス扉は半ば崩れ落ちている。

 かつての病院のような構造。

 風が吹くたび、石の破片がカラン……と乾いた音を立てた。

 

「ここが……医療施設?」

 ルナが呟く。

「多分な。設備さえ残ってれば、何か手がかりがあるはずだ」

 リュウジは腰に差したナイフを軽く抜き、視線を前に向けた。

 

「へぇ~……ずいぶん雰囲気あるじゃん。お化けでも出そうだな」

 軽い足取りで先に進むハワードが笑いながら言う。

「ちょ、ちょっと待って」

 ルナが声を上げた。

「……一応、用心して進んだ方がいいと思うの」

 その声に、ハワードは肩をすくめる。

「なにビビってんだよ、どうせただの廃墟だろ?」

 

 リュウジはハワードの横を通り抜けながら言った。

「“ただの廃墟”が、今まで何度あった?」

 短く言い残し、ナイフを構え直す。

「……あの遺跡の時みたいに、何かあるかもしれない」

 

 その言葉にベルが頷き、持っていた槍を握り直した。

「俺もそう思う」

 そしてメノリが周囲を見回しながら言う。

「これだけの文明が残ってるんだ。……誰か、まだ“生きてる”可能性もある」

「可能性はあるな」

 カオルも静かに頷いた。

 

「よ、よし! それなら……ぼ、僕は最後尾でみんなを護るよ!」

 ハワードが急に声を張り上げた。

「先行は……チャコに任せる!」

「ビビったからって、なんでウチに命令しとるんや!」

 チャコが眉を吊り上げる。

「な、なんだと!? 俺はリーダーシップを――」

「どの口が言うとんねん!」

 二人が言い合いを始めたところで、リュウジが小さくため息をつく。

「……行こう」

 呆れ混じりの声とともに、彼は先陣を切って建物の中へと足を踏み入れた。

 

―――

 

 中は静まり返っていた。

 長い時間が経ったせいか、床一面に砂が積もっており、踏みしめるたびにザリ……と音がする。

 壁の塗装は剥げ落ち、機器は錆びついて形を失っている。

 どの部屋も空っぽで、使えそうなものは見当たらない。

 

「……何もないな」

「ほんまに廃墟やな……」

 チャコが呟いた瞬間――。

 

 「うわぁあああああ!!」

 突然、甲高い悲鳴が響き渡った。

 全員が振り向く。

「ハワード!?」

 リュウジが声を上げ、駆け出す。

 ルナとベル、カオルもすぐに後を追った。

 

 暗い通路の奥で、ハワードが床に押し倒されていた。

 その上にのしかかっていたのは、……人体模型だった。

「ぎゃあああ! 離れろぉぉぉ!!」

「ちょ、落ち着けって!!」

 リュウジが模型を引き剥がし、ため息をつく。

「……お前な」

「な、なんでこんなもんが倒れてくるんだよ!」

「そりゃ、お前が触ったからやろ!」

 チャコのツッコミに、場の空気が少しだけ和らいだ。

 

 だがリュウジは模型の倒れた方向を見て、眉をひそめる。

 床に、いくつもの容器が転がっていた。

 ガラス製の薬瓶のようだが、中身はどれも濁っており、文字も擦れて読めない。

 チャコが一つを拾い、センサーで確認する。

「中身は変色してる……。成分崩壊。使い物にならへんわ」

 

「……せっかく医療施設なのに」

 ルナが悔しそうに呟いたその時、ハワードがひとつの瓶を拾い上げた。

「……おい、これ」

 瓶の表面を指でこすり、光にかざす。

 そこには見覚えのある文字が刻まれていた。

 

「この文字……! あの遺跡にあったのと同じだ!」

「ということは……やっぱりここも、アダムの仲間が建てた施設なのか」

 メノリが真剣な表情で言う。

「アダム……」

 ルナは無意識にその名を呟いた。

 

 その時だった。

 建物の奥――暗闇の向こうから、「コツ、コツ……」と何かの足音が聞こえた。

 全員が一斉に身構える。

 リュウジがナイフを抜き、先頭に立つ。

 カオルとベルも槍を構え、すぐ背後につく。

 メノリ、ルナ、シンゴは壁際に下がり、チャコがライトを向けた。

 

 足音がだんだん近づいてくる。

 ひとつ、またひとつ――そして、止まった。

 静寂が広がり、全員が息を呑む。

 

 ――その直後。

 

「みんな……!」

 聞き慣れた声が響いた瞬間、ルナが顔を上げた。

「シャアラ!?」

 光の中に立っていたのは、息を切らしたシャアラだった。

「どうした!?」

 リュウジがナイフを下ろしながら尋ねる。

 

 シャアラは涙目で言葉を紡いだ。

「アダムが……苦しそうで……見てられなくて……」

 その声には震えが混じっていた。

 ルナは一瞬息を呑み、すぐに立ち上がる。

「……もう、時間がないわ」

 振り返り、仲間たちを見渡す。

「急ぎましょう。テラフォーミングマシンへ!」

 

 リュウジが頷き、すぐにナイフを収めた。

「よし、全員戻る。オリオン号を出すぞ!」

 その言葉に、全員が動き出す。

 廃墟の光が彼らの背を照らし、舞い上がる砂塵の中を、仲間たちは駆け抜けていった。

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