サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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教育

スペースホープを出たエリンが宇宙管理局へ到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 

 新人五人の初回シュミレーションを見届け、クミコとマユに一ヵ月間の基礎訓練を予定どおり進めるよう念を押した後、そのまま管理局へ向かったため、まだ頭の片隅にはスペースホープのことが残っていた。

 

 ルド達五人の完成度は、予想していた以上だった。

 

 だからこそ、あえて急がせなかった。

 

 学校で優秀だった人間ほど、出来ることを理由に基礎を飛ばしたくなる。教える側もまた、優秀な新人を前にすると難しいことをさせたくなる。

 

 その両方を止めてきた。

 

 そして今度は。

 

 まったく別の意味で「急がないこと」が必要な場所へ向かっている。

 

 魔のゾーン。

 

 何十年にもわたって多くの宇宙船を飲み込み、帰還者をほとんど出さなかった危険宙域。

 

 そこをどう越えるのか。

 

 その解析が、この数日で大きく進んでいるとリュウジから聞いていた。

 

 ◇

 

 宇宙管理局のオペレーション区画へ入ったエリンは、認証を済ませてから足早に奥へ進んだ。

 

 普段なら、遠くからでも分かる顔がいる。

 

 タツヤ班長。

 

 チャコ。

 

 そして。

 

 リュウジ。

 

 ところが、その日は三人の姿がなかった。

 

「……?」

 

 エリンは歩く速度を少し落とした。

 

 代わりに、中央の大型モニター前には見慣れた面々が揃っている。

 

 統括官席にはペルシア。

 

 その少し後ろで複数の端末を並べ、記録と進行表を確認しているフレイ。

 

 大型モニターの一角を使って機体負荷の数値を見ているジェームズ。

 

 情報整理用の端末を操作しているイーナ。

 

 その隣ではリリアが複数の照会資料を整理し、シャオメイが通信シミュレーションの画面を確認している。

 

 さらに少し離れた席にはローズもいた。

 

 エリンが室内へ入ったことに最初に気づいたのはイーナだった。

 

「あ、エリンさん」

 

 その声で、何人かが振り返る。

 

 ペルシアも顔を上げた。

 

「来たわね」

 

「うん」

 

 エリンは周囲を見回した。

 

 やはり、いない。

 

「リュウジ達は?」

 

 ペルシアは、何でもないことのように答えた。

 

「寝かせてる」

 

「……寝かせてる?」

 

「正確には、帰らせた」

 

 エリンの目が僅かに細くなる。

 

「どうして?」

 

 ペルシアは一瞬だけ、答えにくそうな顔をした。

 

 その表情だけで、エリンには何となく分かった。

 

「……何日寝てなかったの?」

 

「エリン」

 

「何日?」

 

「三日くらい」

 

「……」

 

 エリンは黙った。

 

 ペルシアはすぐに補足した。

 

「ずっと完全に起きてたわけじゃないわよ。机で少し寝たり、椅子で落ちたりはしてたみたい」

 

「それを寝たって言わないでしょう」

 

「私もそう言った」

 

「貴方が?」

 

「何よ、その反応」

 

 エリンはじっとペルシアを見る。

 

「数日前まで同じことしてた人が?」

 

「私はもう休んだの!」

 

 すぐに返ってくる。

 

「ちゃんと?」

 

「ちゃんと!」

 

「何時間?」

 

「昨日は七時間」

 

「食事は?」

 

「朝も食べたし、昼も食べる予定」

 

「予定じゃなくて食べて」

 

「分かったわよ」

 

 そのやり取りを少し離れたところで聞いていたジェームズが、モニターから目を離さないまま言った。

 

「こいつは監視しないとすぐ戻る」

 

「ジェームズさんまで大変ですね」

 

 エリンが少し苦笑する。

 

 ジェームズは顔も上げない。

 

「面倒だ」

 

「本人の前で言わないでよ」

 

「事実だ」

 

「あとでコーヒー奢るって言ったでしょう?」

 

「豆もだ」

 

「覚えてるわよ!」

 

 エリンは、そのやり取りを見て、少なくともペルシアの顔色が数日前より戻っていることを確認した。

 

 それだけで、少し安心した。

 

 ◇

 

「フレイさん、お疲れ様です」

 

 エリンが声を掛けると、フレイが端末から顔を上げた。

 

「お疲れ様です、エリンさん」

 

「ペルシア、本当に休めていますか?」

 

 本人を目の前にして尋ねる。

 

「以前よりは」

 

「フレイ!」

 

 ペルシアが即座に抗議する。

 

 フレイはまったく表情を変えない。

 

「事実です。睡眠時間と食事については改善しています。ただし、業務量についてはまだ調整が必要です」

 

「だそうよ」

 

 エリンがペルシアを見る。

 

「分かったってば」

 

「ローズさんも、ありがとうございます」

 

 エリンが少し離れた席へ声を掛ける。

 

 ローズは軽く視線を上げた。

 

「こっちは通常業務を回してるだけだ。気にするな」

 

「それでも助かります」

 

「ペルシア一人で管理局を回してるわけじゃないからな」

 

「……」

 

 ペルシアは僅かに目を逸らした。

 

 エリンは何も言わず、少しだけ笑った。

 

 ◇

 

「それで」

 

 エリンは中央の大型モニターへ視線を向けた。

 

「進んだんでしょう?」

 

 その一言で、部屋の空気が仕事へ戻る。

 

 ペルシアが統括官席へ座り直した。

 

「かなりね」

 

「リュウジからは、途中まで聞いた」

 

「どこまで?」

 

「魔のゾーン内部に周期的な重力干渉がある可能性。それに隕石群そのものが乗って動いてるかもしれないってところ」

 

「そこから進んだ」

 

 ペルシアは大型モニターを操作する。

 

 画面中央に、魔のゾーン外縁部。

 

 そして、そこから内側へ伸びていく複数の推定軌道。

 

 青。

 

 黄色。

 

 赤。

 

「今のところ一番大きいのは、どうやって突破するかを考えすぎてたってこと」

 

 エリンが少し首を傾げる。

 

「どういうこと?」

 

「操縦しない」

 

「……」

 

「正確には、必要以上に逆らわない」

 

 エリンの目が画面へ戻る。

 

「重力干渉に?」

 

「そう」

 

 ジェームズが横から短く言った。

 

「中に入れば奥へ引かれる」

 

 エリンがジェームズを見る。

 

「それは以前から分かっていたことですよね?」

 

「引かれることはな。問題は、それを異常として全部打ち消そうとしていたことだ。逆らえば推力を使う。姿勢制御が増える。隕石の流れともずれる。機体負荷も増える」

 

 エリンはゆっくり理解する。

 

「だったら……」

 

「乗る」

 

 ペルシアが言う。

 

「重力の流れに」

 

 ◇

 

 イーナが資料を切り替えた。

 

「こちらが、リュウジさんがサヴァイヴから帰還された時の航行ログと、今回の調査ログを重ねたものです」

 

 エリンが近づく。

 

「古い方、かなり荒れてるわね」

 

「はい。機体状態が違いすぎるため、完全な比較は出来ません。ただ、傾向はかなり一致しています」

 

 イーナの説明は簡潔だった。

 

 リリアも隣から補足する。

 

「記録上、外向きへの修正が多く行われていますが、その直後に再び内側へ軌道が変化しています」

 

 エリンの表情が少しだけ硬くなる。

 

 リュウジが昔、一人でその中にいた。

 

 今、数字で見れば、改めて異常さが分かる。

 

「それで、何もしない方がいいってこと?」

 

「何もしないって言うと語弊あるけどね」

 

 ペルシアが答える。

 

「大きい隕石との衝突回避。姿勢維持。最低限の船体制御。それ以外は重力干渉へ逆らわない」

 

「そうすると?」

 

「まだ机上解析だけど、魔のゾーンの奥、場合によっては反対側まで勝手に運ばれる可能性がある」

 

「……」

 

 エリンはモニターを見たまま、しばらく黙った。

 

 ものすごく単純に聞こえる。

 

 あれほどリュウジ達が危険を冒して進もうとしていた場所。

 

 その答えの一つが。

 

 「進もうとしない」。

 

 なのだから。

 

「リュウジ、納得したの?」

 

 ペルシアが少し笑う。

 

「一番そこが大変」

 

 ジェームズが言う。

 

「操縦馬鹿だからな」

 

「ジェームズさん」

 

「事実だ」

 

 エリンは少しだけ笑う。

 

「否定出来ません」

 

 ◇

 

「でも、行けたとして、帰りは?」

 

 エリンがすぐに真剣な顔へ戻る。

 

 ペルシア、ジェームズ、フレイ。

 

 何人かの顔が僅かに変わった。

 

「何? また何かあるの?」

 

 ペルシアが少しだけ楽しそうに言う。

 

「それね。リュウジ達、三日悩んだ」

 

「……三日?」

 

「ほぼ寝ないで。帰りの重力干渉をどう突破するか、いつ外向きに噴かすか、周期の谷をどう読むか」

 

「……」

 

「それで、ジェームズが来て」

 

 ジェームズは無表情。

 

「ワープすればいいと言った」

 

「……」

 

 エリンは数秒止まった。

 

「……そうね」

 

 チャコ達の反応とは違った。

 

 エリンは少し考えた後、あっさり頷いた。

 

「反対側まで抜けて、正確な現在座標が取れるなら」

 

 ペルシアがジェームズを指す。

 

「ほら! エリンもすぐ分かった!」

 

「何で俺に言う」

 

「操縦士じゃないからよ」

 

「俺も違う」

 

「貴方は技術屋」

 

「だから何だ」

 

「リュウジ達は三日」

 

「知ってる」

 

 エリンは苦笑する。

 

「帰り道を同じ場所に作る必要はないものね」

 

「そう」

 

 ペルシアは満足そうに頷く。

 

「ただし」

 

 エリンがすぐに続ける。

 

「座標が取れれば、でしょう?」

 

 今度はペルシアの顔から少し笑みが消える。

 

「そこが問題」

 

 ◇

 

 シャオメイが通信関連の画面を切り替える。

 

「魔のゾーンを抜けた後、既知の恒星やパルサーを十分に観測出来れば、位置の推定は可能です。ただし、魔のゾーン内部では通信と測位の両方が不安定になる可能性があります」

 

 エリンがシャオメイを見る。

 

「向こう側へ抜けるまで、現在位置が正確に追えない可能性もある?」

 

「はい、あります。特に内部へ入った後は、通常の測位情報をそのまま信用しない方がいいと思います」

 

「分かった」

 

 リリアがもう一つの資料を出す。

 

「帰還条件については、既知天体複数点での照合、恒星スペクトル、パルサー基準などを併用する案が出ています」

 

「一つだけで決めないのね」

 

「はい。誤差が大きすぎるため、複数の情報を突き合わせる方が安全だと思います」

 

 イーナも頷いた。

 

 エリンは大型画面をしばらく見る。

 

 行くだけなら、見えてきた。

 

 帰る方法も、考え方は見えた。

 

 でも。

 

 その間に。

 

 まだ大きな空白がある。

 

「……これ」

 

 エリンがゆっくり口を開く。

 

「有人で試すつもりじゃないでしょうね」

 

 ペルシアが即座に答える。

 

「まだやらない」

 

「まだ?」

 

「言葉尻取らないでよ」

 

「確認してるの」

 

「分かってる」

 

 ペルシアは大型モニターを切り替えた。

 

 今度、表示されたのは小型の無人探査機だった。

 

 ◇

 

「これ」

 

 エリンの目が少し変わる。

 

「無人機?」

 

「そう」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「しばらくしたら、まずこれを魔のゾーンへ入れる。人間より先にね」

 

 エリンは画面へ一歩近づく。

 

 無人探査機。

 

 大型船とは違う。

 

 小型。

 

 簡素。

 

 ただし、搭載予定の観測装置は多い。

 

 重力センサー。

 

 慣性計測。

 

 光学観測。

 

 周辺質量分布。

 

 放射線。

 

 通信。

 

 位置推定。

 

 推進装置。

 

「目的は?」

 

 エリンが聞く。

 

 ペルシアが答える。

 

「まず第一に、本当に何もしない方が奥へ運ばれるのか。第二に、どの程度の姿勢制御なら重力干渉を乱さないか。第三に、隕石群の流れと重力変動に、予測出来る周期があるか」

 

 そして一拍置く。

 

「それから、もし反対側へ抜けられたら」

 

 ペルシアは画面の向こう側を指す。

 

「向こうから何が見えるか」

 

 ◇

 

 その一言で、エリンの表情が少し変わる。

 

 魔のゾーン。

 

 誰もほとんど越えられていない。

 

 もし本当に無人機が反対側へ抜けたら。

 

 そこに何があるのか。

 

 星。

 

 宙域。

 

 天体。

 

 通信環境。

 

 そして。

 

 現在座標を確定出来るだけの情報。

 

「ワープ帰還のための座標確認も?」

 

「もちろん」

 

 ペルシアが答える。

 

「無人機自身をワープで戻すところまで出来れば一番いい」

 

 ジェームズが横から言う。

 

「ただし、一機目からそこまでは狙わない」

 

 エリンが振り返る。

 

「どうしてですか?」

 

「目的を増やせば、壊れた時に何が失敗したのか分からなくなる。最初は流され方を見る。それで十分だ」

 

「……なるほど」

 

「二機目以降で機能を増やす」

 

 フレイがその説明を引き取る。

 

「現段階では段階試験を想定しています。第一段階は外縁部への進入と重力干渉の実測。第二段階は内部への追従。第三段階以降については、前段階の結果を確認してから判断します」

 

「有人調査の再開条件とは分けるんですね?」

 

 エリンがフレイへ丁寧に尋ねる。

 

「はい。無人機が成功したことだけをもって、有人調査を許可する形にはしません」

 

「それなら安心しました」

 

 ◇

 

 ローズが腕を組んだまま静かに言う。

 

「無人機だから失ってもいい、という話でもない。何機も無駄にするような試験は認めない」

 

「はい。ローズさん。当然だと思います」

 

 エリンが頷く。

 

 ペルシアも答えた。

 

「分かってる。だから今、条件を詰めてる」

 

 イーナが現在の一覧を表示する。

 

「まだ未決事項がかなり残っています」

 

 項目が並ぶ。

 

 進入角度。

 

 速度。

 

 機体重量。

 

 姿勢制御許容値。

 

 通信方法。

 

 映像記録。

 

 内部データ保存。

 

 探査機喪失時の評価基準。

 

 反対側へ到達したと判断する条件。

 

 帰還試験へ進む条件。

 

 エリンは一つずつ目で追う。

 

「……ちゃんと未決ばっかりね」

 

「何よ、その言い方」

 

 ペルシア。

 

「褒めてる」

 

「本当に?」

 

「ええ。前なら、ここまで来たらもう飛ばしてたでしょう?」

 

「……」

 

 ペルシアが目を逸らす。

 

「否定しなさいよ」

 

「昔ならね」

 

 少しだけ不満そうなペルシアに、エリンは笑う。

 

「なら進歩したじゃない」

 

「リュウジにも似たようなこと言われた」

 

「でしょうね」

 

 ◇

 

 その時、フレイが端末上の時刻を確認した。

 

「統括官」

 

「何?」

 

「昼食の時間です」

 

「……」

 

「十五分前にもお伝えしました」

 

「今いいところなの」

 

「昼食です」

 

「あと十分」

 

「駄目です」

 

「フレイ」

 

「駄目です」

 

 ペルシアがエリンを見る。

 

「何とか言って」

 

「食べてきなさい」

 

「エリンまで!」

 

「何のためにリュウジ達休ませたのよ」

 

「私は三日寝てないわけじゃない!」

 

「関係ない」

 

「……」

 

 ジェームズが小さく言う。

 

「行け」

 

 ペルシアが顔をしかめる。

 

「ジェームズまで」

 

「コーヒー」

 

「それ昼食じゃない」

 

 エリンが即座に返す。

 

 ペルシアの両肩が落ちた。

 

 ◇

 

「分かったわよ」

 

 渋々立ち上がる。

 

「エリンも来る?」

 

「私?」

 

「どうせまだ昼食べてないでしょう?」

 

 エリンが一瞬止まる。

 

「……」

 

 ペルシアの目が細くなる。

 

「食べてないのね?」

 

「朝は食べた」

 

「聞いてない」

 

「スペースホープ出てそのまま来たから」

 

「ほら!」

 

 今度はペルシアが勝ち誇る。

 

「フレイ、エリンも」

 

「承知しました」

 

「フレイさんまで?」

 

「昼食を取られてから続きを確認していただく方が合理的です」

 

「……」

 

 エリンが少し困った顔をする。

 

 ペルシアがにやりと笑う。

 

「人のこと言えないじゃない」

 

「私は三日寝てないわけじゃないでしょう?」

 

「関係ないって言ったの誰?」

 

「……」

 

 ジェームズが無表情のまま言う。

 

「両方行け」

 

「ジェームズさんまで……」

 

「邪魔だ」

 

「言い方」

 

 ペルシアが笑う。

 

 ◇

 

 エリンは最後にもう一度、大型モニターへ視線を向けた。

 

 無人探査機。

 

 その先。

 

 黒く、まだほとんど何も分かっていない魔のゾーン。

 

 以前なら。

 

 リュウジがそこへ直接ネフェリスを向けようとした。

 

 今は違う。

 

 まず昔のログを読む。

 

 今のデータと比べる。

 

 重力干渉を仮説化する。

 

 無人機を送る。

 

 その結果を見る。

 

 有人で飛ぶのは、さらにその後。

 

「……」

 

 エリンは少しだけ安心した。

 

「ペルシア」

 

「何?」

 

「この順番なら、私も反対しない」

 

 ペルシアが振り返る。

 

「無人機?」

 

「うん。ただし、無人機が一回成功しただけで、次の日リュウジ達乗せようとか言わないでよ」

 

「言わないわよ!」

 

「本当に?」

 

「言わない!」

 

「リュウジが行けるって言っても?」

 

「止める!」

 

「タツヤ班長が面白そうって言っても?」

 

「止める!」

 

「チャコが機体いけるでって言っても?」

 

「……」

 

「ペルシア」

 

「止めるわよ!」

 

 エリンはようやく笑った。

 

「ならいいわ」

 

 ◇

 

 その頃。

 

 宇宙管理局から少し離れた場所では。

 

 リュウジ。

 

 チャコ。

 

 タツヤ班長。

 

 そしてスリッピーまで。

 

 久しぶりに解析画面から離されていた。

 

 彼らが眠っている間にも、魔のゾーン攻略は止まっていない。

 

 ただ。

 

 今までとは違う形で進んでいる。

 

 有人機を前へ前へ押し込むのではなく。

 

 先に危険だけを、無人の探査機へ調べてもらう。

 

 仮説を数字へ。

 

 数字を条件へ。

 

 条件を帰還出来る計画へ。

 

 そうして初めて、人を乗せる。

 

 魔のゾーンへ入るための計画が。

 

 少しずつ。

 

「どう入るか」から。

 

「どう安全を証明するか」へ。

 

 変わり始めていた。

 

 

ーーーー

 

 

それから、数週間が経った。

 

 宇宙管理局では、魔のゾーンに関する調査が少しずつ次の段階へ進んでいた。

 

 過去の航行ログと現在の観測記録を重ねた解析。

 

 重力干渉の周期。

 

 隕石群の流れ。

 

 無人探査機を投入するための進入条件。

 

 通信が途切れた場合でも内部データを保持出来る記録方式。

 

 向こう側まで到達した場合、どのように現在座標を確定するのか。

 

 一つの仮説を見つけてすぐ有人機を送り込むのではなく、検証出来るものから順番に潰していく形へ変わったことで、以前よりも調査速度そのものは遅く見えた。

 

 しかし、その一歩一歩は確実だった。

 

 一方。

 

 スペースホープでも。

 

 新人五人の基礎訓練が進んでいた。

 

 一ヵ月の基礎教育期間。

 

 その方針は、エリンが最初に言った通り変えていない。

 

 ルド。

 

 エア。

 

 スズカ。

 

 ナリタ。

 

 シャワー。

 

 五人とも、毎日のようにシュミレーションルームへ入り、スペースホープの設備、報告系統、接客基準、安全確認、客室での役割分担を一つずつ覚えていった。

 

 そして。

 

 問題が一つあった。

 

 新人達が。

 

 あまりにも出来た。

 

 ◇

 

「終了します」

 

 マユが操作端末へ触れると、シュミレーションルームを再現していた機内音が止まり、壁面に映し出されていた客室表示が通常の訓練画面へ戻っていった。

 

 今日の想定は、通常の旅行便。

 

 ただし途中から、予定外の状況をいくつか追加していた。

 

 乗客一人の軽い体調不良。

 

 同時に別の場所で手荷物収納部のロック異常。

 

 幼い乗客が保護者とはぐれ、通路へ出る。

 

 さらに数分後。

 

 到着予定変更の案内。

 

 乗務員間で情報を共有しながら、通常サービスを完全に止めないこと。

 

 クミコとマユが、一週間ほど前から少しずつ難易度を上げて組んできた内容だった。

 

 結果。

 

 大きな問題は。

 

 なかった。

 

「……」

 

 クミコは評価端末を見つめた。

 

 悪いところがないわけではない。

 

 ルドは、全体を見る意識が強い分、自分で判断を抱え込みそうになる時がある。

 

 エアは判断が速く、迷わず言い切れる反面、一度決めた方針を変える時に僅かな硬さが出る。

 

 スズカは乗客への接し方が非常に安定しているが、前へ出るべき場面でも一歩引こうとすることがある。

 

 ナリタは情報の抽出が速い。ただ、その短さゆえ、相手によっては説明不足に聞こえる。

 

 シャワーは初日のような大きな緊張こそ減ったものの、想定外の質問を連続して受けると、ほんの一瞬だけ判断が遅くなる。

 

 ちゃんと。

 

 課題はある。

 

 だから。

 

 クミコは一つずつ伝えた。

 

「ルド、さっき後方の判断まで自分で持とうとしたでしょう? あそこはナリタに渡していいよ。ルドが全部分かってても、ルドしか分かってない状態になったら困るから」

 

 ルドは少し考えた後、素直に頷いた。

 

「はい。確かに、確認してから渡そうとしていました。次は最初から共有します」

 

「エアは、到着変更の案内が入った後。最初に決めた配置にこだわらなくていいからね」

 

「はい。切り替えるのが一手遅かったですね。次は案内が入った時点で組み直します」

 

「スズカは、シャワーが止まった時に気づいてたよね?」

 

「はい」

 

「だったら声掛けていいよ。ナリタが近くにいたから任せたんだと思うけど、気づいた人が最初に声掛けて大丈夫」

 

「分かりました。次からそうします」

 

「ナリタは報告もう少しだけ長くしてみようか。内容は合ってるんだけど、受け取る人が同じ理解をしてるとは限らないから」

 

「分かりました。要点に、判断理由を一つ付けます」

 

「うん。それくらいでいいと思う」

 

 最後。

 

 シャワー。

 

「シャワーはね、悪くなかったよ」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「うん。ただ、質問が二つ重なった時、一瞬止まったでしょう?」

 

「……はい」

 

「全部同時に答えようとしなくていいよ。優先順位つけて、『先にこちらを確認します』って言えば、それで乗客も待てるから」

 

「はい。次はそうします」

 

 五人。

 

 真剣に聞いている。

 

 メモも取る。

 

 質問もする。

 

 何一つ。

 

 態度に問題はない。

 

 それどころか。

 

 次。

 

 同じ条件でやると。

 

 直っている。

 

 ◇

 

 一時間後。

 

 二回目のシュミレーション。

 

 クミコが言ったところ。

 

 全部。

 

 改善されていた。

 

 ルドは自分で抱えず、情報を早い段階でナリタへ渡した。

 

 エアは状況変更と同時に配置を見直した。

 

 スズカはシャワーが詰まりかけた瞬間、自分から声を掛けた。

 

 ナリタの報告には、短いながら理由が一つ添えられている。

 

 シャワーも、二つの質問が重なった時、焦らず順番を宣言してから対応した。

 

 マユが終了操作をする。

 

「……」

 

 また。

 

 沈黙。

 

 ルドが五人を代表するように尋ねた。

 

「クミコさん、マユさん。今回はどうでしたか?」

 

「……よかったよ」

 

 クミコは答えた。

 

 嘘ではない。

 

 本当によかった。

 

「さっき言ったところ、全部直ってた」

 

「ありがとうございます」

 

 ルドが笑う。

 

 エアも、自分の評価を確認するように尋ねた。

 

「ほかに改善した方がいいところはありますか?」

 

「……」

 

 クミコは端末を見る。

 

 探す。

 

 粗探しをしたいわけではない。

 

 でも。

 

 教育係なのだから。

 

 何か。

 

 言わなければいけないような気がしてしまう。

 

「今日は……これくらいかな」

 

「分かりました」

 

 エアは素直に頷いた。

 

 五人は嬉しそうだった。

 

 褒められたから。

 

 そして。

 

 教えてもらったことを出来るようになったから。

 

 それなのに。

 

 クミコの胸には。

 

 妙な重さだけが残った。

 

 ◇

 

 新人五人が着替えと記録作成のためにシュミレーションルームを出た後。

 

 室内には。

 

 クミコとマユ。

 

 そして。

 

 見学していたアズサ、サリー、ミドリ、ハズキが残った。

 

「……すごいね」

 

 アズサが最初に口を開いた。

 

「うん」

 

 ミドリも頷く。

 

「言われたところ、全部一回で直してた」

 

 ハズキは少し感心したように操作履歴を見ている。

 

「シャワーもかなり慣れたね。最初あんなに緊張してたのに」

 

「基礎が出来てるから修正が早いんだと思う」

 

 サリーが冷静に言った。

 

 普通なら。

 

 褒め言葉。

 

 クミコ達にとっても。

 

 教育している新人が成長しているのだから。

 

 喜ぶべき言葉。

 

 でも。

 

「……うん」

 

 クミコの返事。

 

 明らかに。

 

 弱かった。

 

 アズサが振り返る。

 

「クミコ?」

 

「何?」

 

「どうしたの?」

 

「別に」

 

「別にって顔じゃないよ」

 

「……」

 

 クミコ。

 

 誤魔化そうとした。

 

 でも。

 

 無理だった。

 

 隣にいるマユも。

 

 似た顔をしている。

 

 ミドリが二人を交互に見る。

 

「二人とも?」

 

 マユ。

 

 少し迷ってから。

 

「……ちょっとだけ」

 

「何が?」

 

 ハズキが聞く。

 

 マユは。

 

 新人達が出ていった扉を見る。

 

「私達」

 

 一度。

 

 言葉を止めた。

 

「ちゃんと教えられてるのかなって」

 

 ◇

 

「え?」

 

 アズサ。

 

 本気で分からない顔。

 

「教えられてるじゃん」

 

「そう見える?」

 

 クミコが聞いた。

 

「見えるよ」

 

「でも」

 

 クミコは。

 

 端末を持ったまま椅子へ座った。

 

「皆、最初から出来るんだよ」

 

「……」

 

「私達が一個言ったら、一回で直すでしょう? 同じこと二回言わなくていいし、基本動作なんてほとんど教えることないし」

 

 声は。

 

 いつものクミコより。

 

 小さい。

 

「この前なんて、私が次やろうと思ってた対応、ルドが先に新人達に説明してた」

 

 アズサが少し笑う。

 

「それルドがすごいんじゃない?」

 

「そう。すごいの」

 

 クミコ。

 

 すぐ頷く。

 

「だから困ってる」

 

「……」

 

「エアも、何か言えばすぐ理由まで分かるし。スズカは接客だけなら私より落ち着いてる時あるし、ナリタなんて情報整理めちゃくちゃ速いし、シャワーももう初日と全然違う」

 

 一つ一つ。

 

 口にするほど。

 

 クミコの不安が。

 

 言葉になっていく。

 

「私達が教えてるっていうより……答え合わせしてるだけみたいで」

 

 ◇

 

 その言葉に。

 

 マユも小さく頷いた。

 

「私も最近、同じこと思ってた」

 

「マユも?」

 

「うん」

 

「言ってよ」

 

「クミコも言わなかったでしょう?」

 

「……そうだけど」

 

 マユは、まだ新人達の記録が表示されている大型画面を見る。

 

「私達がエリンさん達から教えてもらってた頃って、出来ないことがたくさんあったでしょう?」

 

「うん」

 

「立ち位置から直されたし、周りも見えてなかったし、誰かが困ってても自分の仕事でいっぱいだった」

 

「……うん」

 

「でも、あの五人はそこまでじゃない」

 

 マユの言い方には。

 

 新人への嫉妬。

 

 なかった。

 

 むしろ。

 

 評価しているからこそ。

 

 不安。

 

「私達が一ヵ月掛かったことを、数日で出来るようになる。説明しようと思って準備してたことを、もう知ってる時もある」

 

 サリーが。

 

 静かに聞いている。

 

「それで?」

 

「だから」

 

 マユは。

 

 少しだけ目を伏せた。

 

「この一ヵ月が終わった時に、あの五人が『クミコさんとマユさんからこれを教わりました』って言えるものがあるのかなって」

 

「……」

 

 その言葉。

 

 クミコの胸にも。

 

 同じものがあった。

 

「そう、それ」

 

 小さく。

 

「それなんだよ」

 

 ◇

 

 教育係に選ばれた時。

 

 怖かった。

 

 でも。

 

 嬉しかった。

 

 エリンが。

 

 自分達を。

 

 もう。

 

 教えてもらうだけの新人ではなく。

 

 後輩を任せられる人間として見てくれた。

 

 だから。

 

 応えたかった。

 

 一ヵ月後。

 

 新人達が変わっている。

 

 成長している。

 

 それを。

 

 エリンへ見せたかった。

 

 でも。

 

 実際には。

 

 最初から。

 

 出来る。

 

 自分達が一生懸命覚えたものを。

 

 もう知っている。

 

 自分達が何度も失敗して理解したことを。

 

 一度説明すれば。

 

 すぐ理解する。

 

 だったら。

 

 自分達が教育係である意味は。

 

 どこにある。

 

「エリンさんだったら」

 

 クミコが。

 

 ぽつり。

 

 言った。

 

「もっと教えられるんだろうな」

 

 マユ。

 

 何も言わない。

 

「ミラさんとか、ランさんとか、シルヴィアさんなら」

 

「……」

 

「多分、もっと細かいところ見つけるでしょう?」

 

 マユも。

 

 否定出来ない。

 

 技量だけを比べれば。

 

 そうだ。

 

「私達」

 

 クミコは。

 

 膝の上で手を組んだ。

 

「選ばれたの、早かったのかな」

 

 ◇

 

 アズサが。

 

 すぐ。

 

「そんなことないよ」

 

「でも」

 

「エリンさんが決めたんでしょう?」

 

「そうだけど」

 

「だったら」

 

「だから不安なの」

 

 クミコ。

 

 少しだけ。

 

 強い声。

 

 すぐ。

 

「……ごめん」

 

「いいよ」

 

 アズサ。

 

 怒らない。

 

 クミコは。

 

 息を吐く。

 

「エリンさんが決めたからこそ、失敗したくないんだよ。『やっぱりクミコとマユじゃ早かった』って思われたくない」

 

 その言葉には。

 

 昔からのクミコがいた。

 

 早く認められたい。

 

 早く前に立ちたい。

 

 副パーサーになりたい。

 

 成長したい。

 

 そう思うほど。

 

 自分の出来ていないところが。

 

 気になる。

 

 以前とは。

 

 立場が違うだけ。

 

 同じ焦りが。

 

 形を変えて。

 

 戻ってきていた。

 

 ◇

 

「私は」

 

 マユが。

 

 静かに続けた。

 

「新人達がすごいのは嬉しい」

 

「うん」

 

「五人とも、ちゃんと私達の話も聞いてくれるし。分からないことは聞いてくれるし、出来ても変に自慢しない」

 

「うん」

 

「だから余計に」

 

 一拍。

 

「私達が何を返せてるのか分からない」

 

 ハズキが。

 

 少し考える。

 

「でも、二人が言ったところ直ってるよ?」

 

「それは」

 

「教わってるってことじゃない?」

 

 マユ。

 

 すぐには答えない。

 

「……そうなんだけど」

 

「足りない?」

 

「分からない」

 

 正直だった。

 

 ◇

 

 その日の午後。

 

 新人達は自主復習へ移った。

 

 シュミレーションルームの大型画面には、午前中の記録が再生されている。

 

「ここ」

 

 ルドが。

 

 自分の動きを止める。

 

「クミコさんに言われたところ。この段階で私は後方情報まで自分で確認しようとしてる」

 

 エアが画面を見る。

 

「確かに。だから私への共有も少し遅れてる」

 

「次は最初に渡す」

 

「うん」

 

 少し離れたところ。

 

 スズカがシャワーへ。

 

 穏やかに言う。

 

「ここ、マユさんが言ってたところだね」

 

「はい。私、全部一人で答えようとしてました」

 

「でも二回目は出来てたよ」

 

「マユさんが、順番を言葉にしていいって教えてくれたので」

 

 ナリタも。

 

 自分の記録を見ながら。

 

「報告理由。一文追加した方が受け手の確認が減る」

 

「ナリタ、もうメモしたの?」

 

「した」

 

 そんな会話。

 

 クミコとマユは。

 

 知らない。

 

 ◇

 

 休憩スペース。

 

 クミコとマユ。

 

 二人。

 

 隣同士。

 

 飲み物。

 

 ほとんど減っていない。

 

「……」

 

「……」

 

 珍しく。

 

 クミコが喋らない。

 

 マユも。

 

 静か。

 

 そこへ。

 

 自動扉。

 

 開く。

 

「二人とも、ここにいたんですね」

 

 声。

 

 ミラ。

 

 その後ろ。

 

 ラン。

 

 クミコとマユ。

 

 顔を上げる。

 

「ミラさん」

 

「ランさん」

 

 ミラは。

 

 二人の前。

 

 テーブル。

 

 見る。

 

 飲み物。

 

 ほぼそのまま。

 

 それから。

 

 二人の顔。

 

「……何かありました?」

 

「別に」

 

 クミコ。

 

 反射的。

 

 ラン。

 

 すぐ。

 

「クミコ」

 

「……はい」

 

「その『別に』、エリンさんに言ったら絶対通らないよ」

 

「……」

 

 マユ。

 

 少しだけ。

 

 苦笑。

 

 でも。

 

 クミコ。

 

 笑えない。

 

 ミラは。

 

 そこ。

 

 見逃さなかった。

 

「新人達のこと?」

 

 二人。

 

 僅かに。

 

 表情。

 

 動く。

 

「やっぱり」

 

 ミラ。

 

 椅子を引く。

 

「座っていい?」

 

「はい」

 

 ランも。

 

 その隣。

 

 座る。

 

「何がうまくいってないの?」

 

 クミコは。

 

 しばらく。

 

 答えられなかった。

 

 そして。

 

 ようやく。

 

「……うまくいってないのかも、分からないんです」

 

「どういう意味?」

 

「新人達」

 

 一拍。

 

「凄すぎるんです」

 

 ミラとラン。

 

 顔を見合わせる。

 

 クミコは。

 

 堪えていたものを。

 

 少しずつ。

 

 言葉へ変えた。

 

「何言ってもすぐ出来るようになるし、最初から知ってることも多いし、私達が教える前に気づくこともあって。だから最近……私達の指導って、本当に届いてるのかなって思って」

 

 マユも。

 

 静かに続ける。

 

「私達が教えてるというより、あの五人が元々持っているものを確認してるだけみたいに感じるんです」

 

 そして。

 

 少し。

 

 間を置く。

 

「私達じゃなくても、いいんじゃないかって」

 

 ◇

 

 ミラ。

 

 何も言わない。

 

 ランも。

 

 すぐには答えない。

 

 クミコは。

 

 その沈黙。

 

 余計。

 

 不安になる。

 

「……やっぱり」

 

「何が?」

 

 ミラ。

 

「私達には早かったですか?」

 

 今度は。

 

 ミラの表情。

 

 少し変わった。

 

「誰がそんなこと言ったの?」

 

「誰も」

 

「じゃあ、何でそうなるの?」

 

「だって」

 

「クミコ」

 

 声。

 

 強くはない。

 

 でも。

 

 止める。

 

 クミコ。

 

 口。

 

 閉じる。

 

 ミラは。

 

 一度。

 

 ランを見る。

 

 ランも。

 

 小さく頷く。

 

 そして。

 

 ミラは。

 

 クミコとマユへ向き直った。

 

「二人とも、一個だけ勘違いしてると思う」

 

「……何をですか?」

 

「新人教育って」

 

 一拍。

 

「相手が知らないことを、どれだけたくさん知ってるか競う仕事じゃないよ」

 

 クミコ。

 

 目。

 

 僅かに。

 

 動く。

 

 マユも。

 

 ミラを見る。

 

 ミラは続ける。

 

「新人が優秀だったら、教えることがなくなると思ってる?」

 

「……少し」

 

 クミコ。

 

 正直。

 

「じゃあ」

 

 ミラ。

 

 少しだけ笑う。

 

「エリンさんは、私達にもう何も教えることないと思う?」

 

「……」

 

 即答。

 

 出来なかった。

 

 いや。

 

 答え。

 

 分かっている。

 

「ないわけ」

 

 ない。

 

 ◇

 

 ランが。

 

 静かに言った。

 

「五人がすごいなら、二人の仕事が難しくなっただけだよ」

 

「難しく?」

 

「うん」

 

 ランは。

 

 テーブルへ肘をつかず。

 

 ゆっくり二人を見る。

 

「出来ない人に『これはこうだよ』って教えるのは分かりやすい。でも、出来る人に何を教えるかは、もっと見ないと分からないでしょう?」

 

「……」

 

「ルドが出来るから何も言わないんじゃなくて、ルドが出来るから、その先で何を抱え込みやすいかを見る。エアが判断出来るから、その判断が強すぎる時を探す。スズカが優しいから、引きすぎる瞬間を見る」

 

 クミコとマユ。

 

 黙って聞く。

 

「ナリタが速いなら、その速さに周りがついて来られてるかを見る。シャワーが成長したなら、緊張がなくなったかじゃなくて、緊張しても動けるようになってるかを見る」

 

 マユ。

 

 ほんの少し。

 

 目を大きくする。

 

 全部。

 

 自分達が。

 

 ここ数週間。

 

 見つけて。

 

 新人達へ伝えてきたことだった。

 

 ランは。

 

 最後に。

 

 小さく笑った。

 

「それ、誰が見つけたの?」

 

「……」

 

 クミコ。

 

 答えられない。

 

「二人でしょ?」

 

 ◇

 

 そこで。

 

 クミコは。

 

 初めて。

 

 少しだけ。

 

 自分達がやってきたことを。

 

 別の角度から見た。

 

 新人達。

 

 最初から。

 

 完璧だったわけではない。

 

 自分達が。

 

 毎日。

 

 見て。

 

 気づいて。

 

 言葉にして。

 

 五人が。

 

 それを直してきた。

 

 直るのが。

 

 早すぎた。

 

 だから。

 

 「元々出来ていた」。

 

 そう錯覚していた。

 

「……でも」

 

 クミコ。

 

 まだ。

 

 完全には。

 

 晴れない。

 

「私達が言ったことなんて、エリンさん達ならもっと早く分かると思います」

 

 ミラ。

 

 少し笑った。

 

「当たり前じゃない?」

 

「……え?」

 

「エリンさんと同じもの見えるなら、私だってとっくにチーフパーサーとして完成してるよ」

 

 ラン。

 

 横。

 

「それはそう」

 

「ラン」

 

「何?」

 

「そこは少しフォローして」

 

「事実でしょ」

 

 二人の間。

 

 いつもの通常口調。

 

 クミコ。

 

 少しだけ。

 

 口元。

 

 緩む。

 

 ミラは。

 

 その変化を見て。

 

 続けた。

 

「エリンさんと比べてどうするの。あの人、何年乗務員やってると思ってるの?」

 

「……それは」

 

「二人が今やることは、エリンさんになることじゃないよ」

 

 一拍。

 

「新人五人をちゃんと見ること」

 

 ◇

 

 マユが。

 

 静かに尋ねる。

 

「じゃあ……今のままでいいんでしょうか」

 

「今のまま、は違う」

 

 ミラ。

 

 即答。

 

 マユ。

 

 少し驚く。

 

「教育係なんだから、二人も毎日変わらないと。昨日通じた教え方が、明日も通じるとは限らない。あの五人の成長が早いなら、二人も追いつかないといけない」

 

「……」

 

「でも」

 

 ミラの声。

 

 少しだけ。

 

 柔らかくなる。

 

「追い越されそうだから、自分達には価値がないって考えるのは違う」

 

 ランも頷いた。

 

「新人に抜かれないことが教育係の仕事じゃないよ。ちゃんと育てることが仕事」

 

 その言葉。

 

 クミコ。

 

 胸。

 

 少しだけ。

 

 痛い。

 

 同時に。

 

 軽くなる。

 

「……抜かれたら」

 

 クミコ。

 

 苦笑。

 

「悔しいですけどね」

 

「それは悔しがっていい」

 

 ミラ。

 

 笑う。

 

「私だって嫌だし」

 

 ラン。

 

「私も」

 

 ◇

 

 少し。

 

 空気。

 

 柔らかくなる。

 

 それでも。

 

 マユ。

 

 まだ。

 

 一つだけ。

 

「でも、一ヵ月終わった時に……私達が何を教えたのか分からなかったら?」

 

 ミラは。

 

 少し考えた。

 

「じゃあ聞けば?」

 

「誰にですか?」

 

「新人達に」

 

「……」

 

 クミコ。

 

 目。

 

 瞬く。

 

「教育って、教える側だけで採点するものじゃないでしょう?」

 

 その言葉に。

 

 マユも。

 

 少し。

 

 表情。

 

 変わる。

 

「何が分かりやすかったか。何が分かりにくかったか。学校と何が違ったか。もっと教えてほしかったものは何か。一ヵ月終わったら、五人に聞けばいい」

 

 ランも。

 

「それも二人の訓練になるね」

 

「……」

 

 クミコ。

 

 しばらく。

 

 黙る。

 

 そして。

 

 小さく。

 

「怖いです」

 

「何が?」

 

「『特にありませんでした』って言われたら」

 

 ミラ。

 

 一瞬。

 

 それから。

 

 笑った。

 

「その時は落ち込めばいいよ」

 

「ミラさん!」

 

「でも」

 

 一拍。

 

「聞く前から勝手に落ち込むよりいいでしょう?」

 

 ◇

 

 クミコ。

 

 返せない。

 

 その通りだった。

 

 今。

 

 自分達。

 

 新人に。

 

 何も聞いていない。

 

 ちゃんと届いているか。

 

 新人達。

 

 どう感じているか。

 

 聞かず。

 

 勝手に。

 

 自分達には。

 

 何も教えられていない。

 

 そう。

 

 決めていた。

 

「……マユ」

 

「うん」

 

「聞いてみようか」

 

 マユ。

 

 少し考え。

 

 頷く。

 

「うん」

 

 そして。

 

 ミラとランへ。

 

「ありがとうございます」

 

 クミコも。

 

 頭。

 

 少し下げる。

 

「すみません。なんか……勝手に落ち込んで」

 

 ミラ。

 

 首。

 

 横。

 

「いいよ」

 

 ランも。

 

 少し笑う。

 

「教育係も初めてなんだから」

 

 ◇

 

 その時。

 

 休憩スペースの外。

 

 廊下側。

 

 五人の新人が。

 

 自主復習を終え。

 

 戻ってくる。

 

 先頭。

 

 ルド。

 

 その隣。

 

 エア。

 

 スズカ。

 

 ナリタ。

 

 そして。

 

 シャワー。

 

「クミコさん、マユさん」

 

 ルドが。

 

 少し遠くから。

 

 声。

 

「さっきのシュミレーションについて、もう一つ確認したいところがあるんですが、お時間大丈夫ですか?」

 

 クミコ。

 

 顔。

 

 上げる。

 

 少し前までなら。

 

 ――また私達より先に気づいたのかな。

 

 そう。

 

 不安に思ったかもしれない。

 

 でも。

 

 今。

 

 少し違った。

 

「うん。大丈夫」

 

 立つ。

 

「どこ?」

 

 ルド達。

 

 近づく。

 

「後方の共有についてです。クミコさんから早く渡した方がいいと言われたので、どの段階なら情報不足にならないのか確認したくて」

 

「……」

 

 クミコ。

 

 一瞬。

 

 止まる。

 

 自分が。

 

 言ったこと。

 

 ちゃんと。

 

 残っている。

 

 その横。

 

 シャワーも。

 

「私もマユさんに聞きたいことがあります。質問が重なった時の優先順位なんですけど、乗客の体調が関係する場合は変わりますよね?」

 

 マユ。

 

 目。

 

 少しだけ。

 

 大きくなる。

 

「うん。変わるよ」

 

 シャワー。

 

 すぐ。

 

 端末。

 

 開く。

 

「教えてください」

 

 ◇

 

 ミラとラン。

 

 少し離れたところ。

 

 それを見る。

 

「……届いてるじゃん」

 

 ラン。

 

 小声。

 

 ミラ。

 

 少し笑う。

 

「ね」

 

 クミコとマユには。

 

 まだ。

 

 聞こえていない。

 

 二人とも。

 

 もう。

 

 新人達との話へ入っている。

 

 教育係として。

 

 完成しているわけではない。

 

 迷う。

 

 焦る。

 

 自分より優秀に見える新人を前に。

 

 自分達の価値。

 

 見失うこともある。

 

 でも。

 

 教えた言葉は。

 

 ちゃんと。

 

 相手の中へ残っていた。

 

 そして。

 

 新人達が凄いからこそ。

 

 次に必要になるものも。

 

 少しずつ。

 

 変わり始めている。

 

 基礎を教える一ヵ月。

 

 その終わりが近づくにつれて。

 

 クミコとマユの教育も。

 

 ただ手順を伝える段階から。

 

 五人それぞれの癖を見つけ。

 

 その先を一緒に考える段階へ。

 

 静かに。

 

 変わり始めていた。

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