その日の業務がほとんど終わった後も、旅行事業部の一角だけはまだ明かりが落ちなかった。
クミコとマユは新人五人の訓練記録を机いっぱいに広げ、翌日から再開する基礎訓練の内容を考えていた。エリンからは「基礎訓練に戻して」と言われただけで、具体的に何をどう組み直せばいいのかは教えてもらっていない。
最初に自分達が考えていた基礎訓練表も残っている。姿勢、歩行、方向転換、接客動作、物品の受け渡し、報告、設備確認。内容そのものが間違っていたわけではない。しかし今日エリンが新人達を見た時、自分達が見逃していた細かな部分を次々と指摘した。
「……どうする?」
クミコが端末を見ながら呟いた。
「それを考えてるんでしょう?」
マユも疲れた顔で答える。
「そうなんだけどさ。エリンさんが今日見てたところ、そのまま訓練に入れればいいって話でもないよね」
「多分ね」
クミコは椅子の背へ身体を預けた。
「右足が外向いてるとか、振り向く時に上半身から動いてるとか、私そこまで見てなかった」
「私も。出来てるか、出来てないかで見てた」
「歩けてる。止まれてる。しゃがめてる。だから次、って」
「でもエリンさんは、その中を見てた」
二人とも、そこで黙った。何となくヒントは見えている。けれど、まだ言葉に出来ない。
「五人とも普通に歩けるんだよね」
「うん」
「それなのにエリンさんは止めた」
「うん」
「……何を見ればいいんだろう」
クミコが頭を抱える。マユも訓練計画表へ視線を落とした。
今日の最後にエリンから言われた言葉も残っている。
――貴方達が教育係でしょう?
明日の内容は二人で決める。エリンへ提出する必要もない。自由にしていいと言われたはずなのに、その自由が思った以上に難しかった。
◇
「まだいたの?」
二人が同時に顔を上げた。いつの間にか、少し離れた通路にエリンが立っていた。
「エリンさん」
「何してるの?」
「明日の訓練を考えてました」
「こんな時間まで?」
エリンが時計を見る。すでに通常勤務時間は大きく過ぎていた。
「ちょっと悩んでて……」
クミコが正直に答えると、エリンは机の上に広げられた資料を一度見た。
「まだ決まらない?」
「はい」
「そう」
エリンはそれ以上責めなかった。ただ、二人の顔を見て、少しだけ考える。
「じゃあ久しぶりに、二人の訓練見てあげようか」
「え?」
クミコとマユの声が重なった。
「新人じゃなくて?」
「今日は貴方達」
「私達ですか?」
「そう。どうせ基礎で悩んでるんでしょう?」
二人は顔を見合わせた。エリンは机から離れると、シュミレーションルームの方角へ向かう。
「十分だけ。私もまだ仕事残ってるから」
「今からですか?」
「嫌なら帰るけど」
「やります!」
クミコがすぐに立ち上がる。マユも慌てて資料をまとめた。
「私もお願いします」
「じゃあ準備して」
エリンはそれだけ言って先に歩き出した。
◇
久しぶりにクミコとマユが「教わる側」としてシュミレーションルームの中央へ立った。
エリンは複雑な設定を入れなかった。客室表示すら必要最低限で、設備異常も急病人も出さない。ただ二人へ、普段通りに客室内を歩き、乗客役を想定して物を渡し、しゃがみ、振り向き、報告するよう指示した。
「クミコ、歩いて」
「はい」
クミコが通路を進む。
「止まって」
数歩で止められる。
「今、何見てた?」
「前です」
「前の何?」
「……通路です」
「通路のどこ?」
「……」
答えられない。
「もう一回」
クミコが戻り、再び歩く。
「止まって。今度は?」
「前方と、右側の座席を見てました」
「左は?」
「あ……」
「もう一回」
それだけだった。歩き方を直されたわけではない。足の位置でもない。何を見ていたのかを聞かれただけ。
次はマユ。
「そこに乗客が座ってると思って、水を渡して」
「はい」
マユがグラスを持つ。
「どうぞ」
「止まって」
すぐにエリンが言う。
「今、左手どこ?」
マユが自分の身体の横を見る。
「ここです」
「もし船が揺れて、乗客が急に手を伸ばしたら?」
「……支えられません」
「そうね。もう一回」
マユがやり直す。今度は空いている手をすぐ使える位置に残す。
「うん。次」
説明はほとんどない。
◇
クミコはその様子を見ながら、少しずつ違和感の正体に気づき始めていた。
エリンは「正しい形」を教えていない。ただ質問している。何を見ていたのか。なぜそこへ立ったのか。今どこに手があるのか。誰が後ろにいたのか。次に何が起きても動けるのか。
「マユ、報告して」
「客室後方、異常ありません。収納部も確認済みです」
「その間、クミコどこにいた?」
「……前方です」
「見えてた?」
「途中までは」
「途中からは?」
「見えてません」
「じゃあ『客室後方、異常なし』って報告してる間に、前方でクミコが倒れてても分からない?」
マユが一瞬黙る。
「……はい」
「もう一回」
エリンは答えを教えない。マユは自分で立ち位置を変え、報告前に一度周囲へ視線を送る。
「客室後方、異常ありません。収納部確認済みです」
「うん」
たった一言。でもマユの表情が変わった。
◇
「次、クミコ。そこに座ってる乗客から呼ばれたと思って」
「はい」
クミコが近づき、しゃがむ。
「どうされましたか?」
「止まって」
「はい」
「今、マユ見える?」
クミコは姿勢を変えず視線だけ動かす。
「……見えません」
「後方は?」
「見えません」
「前方は?」
「少しだけ」
「その位置、本当にいい?」
「……」
クミコは初めて、自分がしゃがんだ場所を見た。接客としては間違っていない。乗客と目線を合わせることも出来ている。でも、その瞬間、客室の大部分を捨てている。
「ちょっと位置ずらします」
クミコが半歩動き、再びしゃがむ。今度は乗客へ身体を向けながらも、視線を少し動かせば通路とマユの位置が確認出来る。
エリンは何も言わず、少しだけ頷いた。
クミコの目が変わった。
今まで新人達へ教えていた基礎。歩く。しゃがむ。止まる。報告する。物を渡す。それぞれを一つの動作としてしか見ていなかった。
でも実際には、その動作をしながら何を見られるか、次に動けるか、別の乗務員と繋がっているか。そこまで含めて基礎なのかもしれない。
「エリンさん」
クミコが思わず声を掛ける。
「何?」
「基礎って……出来るかどうかだけじゃないんですか?」
今度は途中で止めず、最後まで聞いた。
エリンは少しだけクミコを見る。
「出来るかどうかは最初に見るところね」
「最初?」
「歩ける、しゃがめる、物を渡せる、報告出来る。それが出来ないなら、まずそこから。でも現場で必要なのは、その動作をしながら他のことも出来ることよ」
マユもエリンを見る。
「他のこと?」
「周りを見る。次の動きを考える。誰かが困ってないか気づく。揺れたらすぐ身体を支える。何か起きた時に、その動作を途中で切って別のことへ移れる」
エリンは少しだけ間を置いた。
「基礎って、何も起きてない時に綺麗に出来るだけじゃ足りないの。何か起きても崩れないために身につけるものだから」
「……」
二人が黙る。
エリンはそれ以上詳しく説明しなかったが、今までより一歩だけ踏み込んでいた。
「新人達、出来るでしょう?」
「はい」
「だったら『出来ました、次』じゃもったいないわよ」
クミコが目を瞬く。
「出来る子なら、もっと余裕を作れる。歩きながら周りを見る余裕。接客しながら他の乗務員を見る余裕。報告しながら次の状況を拾う余裕。基礎を繰り返す意味って、そういうところにもあるから」
マユがゆっくり頷いた。
「余裕を作る……」
「本番って、想定してないことに頭を使うでしょう? その時に、歩くことや立つことまで一つずつ考えてたら遅いもの」
そこでエリンは話を切った。
「まあ、あとは二人で考えて」
「そこまで言って最後は私達なんですね」
クミコが少し困った顔をする。
「全部言ったら意味ないでしょう?」
「……はい」
「教育係なんだから、自分達で見つけるところも残しておきなさい」
これで、二人にも少しだけ輪郭が見えた。
エリンが基礎にこだわっているのは、単純な型の反復ではない。難しいことに対応するための余裕を身体の中へ作るためでもある。
ただし、一ヵ月という期間そのものに別の意味があることや、その時間を使ってクミコとマユ自身にも「教える側の目」を育てようとしていることまでは、エリンはまだ話さなかった。
◇
今度はマユが言う。
「明日の訓練、少し変えられそう」
「私も」
クミコが頷いた。
エリンは二人の顔を見ても、正解とは言わなかった。
「じゃあ今日は終わり」
「え、もうですか?」
「十分って言ったでしょう?」
「もう少し見てもらえませんか?」
「駄目。続きは二人で考えて」
「……はい」
クミコは少し残念そうだったが、先ほどまでの迷いだけの顔ではなくなっていた。
◇
「エリンさん」
別の声がした。
三人が振り返ると、いつの間にかシュミレーションルームの入口に何人も集まっていた。
ユウコ、ナツキ、アズサ、サリー、ミドリ、ハズキ。少し後ろにはホーネットまでいる。
「……何してるの?」
エリンが聞く。
ユウコが少し笑った。
「見てました」
「いつから?」
「途中からです」
ナツキも頷く。
「クミコがしゃがんだところくらいから」
「結構見てたじゃない」
「久しぶりだったので」
ユウコの言葉に、エリンが首を傾げる。
「何が?」
「エリンさんが直接基礎訓練を見てるところです」
アズサが少し遠慮がちに手を上げた。
「あの……私達も見てもらっていいですか?」
「え?」
エリンは思わず聞き返した。
するとサリーも続く。
「私もお願いします」
「私も」
ミドリも続く。
「私もです」
ハズキまで。
エリンは一人ずつ見た。
「ちょっと待って。何で急にそうなるの?」
ホーネットが楽しそうに答える。
「だって見てたら、自分が今ちゃんと出来てるか気になるじゃん」
「ホーネットも?」
「もちろん」
「貴方まで?」
「何その言い方」
エリンは少し額へ手を当てた。
「もう勤務時間終わってるんだけど」
ユウコが笑う。
「じゃあ明日でもいいです」
ナツキも頷く。
「私も明日で大丈夫です」
「そういう問題じゃなくて……」
「エリンさん」
アズサが少し期待するような目で見る。
「お願いします」
「私もお願いします」
サリー。
「お願いします」
ミドリ。
「私も」
ハズキ。
ホーネットだけは敬語も使わず、にっと笑う。
「私も見てよ、エリン」
エリンはしばらく全員を見た。
「分かった。ただし今日は終わり。明日、時間作るから」
「はい!」
アズサ達の返事が揃う。
ホーネットが嬉しそうに笑った。
「久々のエリン塾だね」
「何よ、それ」
「昔みたいじゃん」
エリンは呆れたように息を吐いたが、口元には少しだけ笑みがあった。
◇
クミコとマユは、その光景を少し離れたところから見ていた。
ユウコも、ナツキも、ホーネットも、アズサ達も、今では自分達よりずっと経験がある者もいる。それでもエリンに基礎を見てほしいと言う。
自分達だけが出来ていないわけではない。新人だけが基礎を必要としているわけでもない。
クミコは、先ほど自分がしゃがんだ場所をもう一度見た。
「マユ」
「何?」
「明日の訓練、分かったかも」
「私も少し」
「出来るかどうかだけじゃなくて……出来てる時に、何が見えてるか見るんだよね」
マユは少し考えた。
「それと、その動作の次にちゃんと動けるか」
「うん」
「一つの動作だけで終わらせない。それに、出来る動作ならもっと余裕を作れるかを見る」
「うん。それだと思う」
二人はまだ完全な答えを持っていない。それでいい。
今日エリンが見せたのは、答えではなく見方だった。
歩けるかではなく、歩きながら何を見ているか。報告出来るかではなく、報告している間に何を失っているか。接客出来るかではなく、その姿勢のまま次の異常へ反応出来るか。そして、基礎動作そのものへ意識を取られず、本当に判断が必要な場面へ頭を使えるだけの余裕があるか。
基礎を「出来る・出来ない」で終わらせず、その中にある癖や視野、そして余裕まで見る。
そこまで考えた時、クミコはようやく明日の訓練計画に最初の一行を書き込んだ。
隣ではマユも、自分の端末へ新しい項目を追加している。
そして翌日。
新人五人だけではなく、スペースホープの先輩達まで巻き込んだ久しぶりの基礎訓練が始まることになるのだった。
ーーーー
翌日、スペースホープのシュミレーションルームでは、いつもとは少し違う光景が広がっていた。
客室を模した訓練区画の片側では、クミコとマユがルド、エア、スズカ、ナリタ、シャワーの五人を集め、昨日作り直した基礎訓練を始めている。もう片側では、エリンの前にユウコ、ナツキ、ホーネット、アズサ、サリー、ミドリ、ハズキが並び、その少し後ろにミラ、ラン、シルヴィアもいた。
同じ「基礎訓練」という名前でも、二つの区画の空気はまるで違った。
クミコとマユの側では、二人が一つずつ動きを確認しながら、新人達へ問い掛けていく。
「ルド、今歩いてる間に何人の位置を確認出来た?」
「エア、今の方向転換でもう一回やってみて。今度は後ろにスズカがいるつもりで」
「シャワー、急がなくていいよ。渡すことだけじゃなくて、渡した後に手がどこに残ってるかも見てみよう」
昨日エリンから教えられた言葉をそのまま使っているわけではない。二人なりに考え、自分達の言い方へ変えている。
それに対して、五人も真剣だった。
ルドは歩きながら視線の範囲を意識し、エアは方向転換した後に必ず周囲を確認する。スズカは接客時に自分の立ち位置を少しずつ変え、ナリタは報告中も客室全体から意識を切らさないようにしている。シャワーも、動作そのものを急ぐのではなく、一つ終わった時に次へ動ける姿勢を残すことを覚えようとしていた。
そのすぐ横では。
「ホーネット、止まって」
「え?」
「今、左側見てなかったでしょう?」
「見てたよ」
「見てない」
「見たって」
「じゃあ誰が立ってた?」
「……」
ホーネットが黙る。
エリンは腕を組んだまま、容赦なく言った。
「もう一回」
「ええー……」
「返事」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい!」
その様子を見ていたナツキが思わず口元を押さえた。
「ホーネット、怒られてる」
「笑うなよ!」
「でも自分で頼んだんでしょう?」
ユウコも横から笑う。
「昨日、あんなに『私も見てよ、エリン』って言ってたじゃん」
「昨日の私を止めたい!」
「ホーネット」
エリンの声が飛ぶ。
「喋ってる暇あるならもう一回」
「頼まなきゃ良かったー!」
シュミレーションルームにホーネットの叫び声が響いた。
新人側にいたシャワーが思わずそちらを見そうになったが、すぐにマユの声が入る。
「シャワー、こっち」
「あ、はい!」
シャワーは慌てて意識を戻した。
◇
「次、ユウコ」
「はい」
ユウコが前へ出る。
「そこに乗客がいると思って、荷物を受け取って収納して」
「分かりました」
ユウコは慣れた動きで荷物役のケースを受け取り、頭上収納部へ入れる。
「止まって」
「はい」
「何が駄目だったと思う?」
ユウコは少し考えた。
「収納部に意識を向けすぎました?」
「それもある。あと右足」
ユウコが自分の足元を見る。
「少し通路側へ出てますね」
「そう。乗客が後ろから来たらぶつかる。もう一回」
「はい」
ユウコは素直に戻った。
ナツキが小さく呟く。
「やっぱり細かい……」
「ナツキ」
「はいっ」
「聞こえてる」
「すみません」
ホーネットが吹き出す。
「人のこと笑えないじゃん」
「ホーネットは今黙ってて」
「はいはい」
「はいは一回」
「エリン、それ私にだけ厳しくない?」
「気のせい」
淡々と返され、ホーネットがますます不満そうな顔をした。
アズサ達は笑いながら見ていたが、自分達の番が回ってくるとすぐ真顔になる。エリンは誰に対しても同じように細かかった。
アズサには、物品を受け取った瞬間に視線が手元へ落ちすぎることを指摘した。サリーには、報告の内容は正しくても身体が相手へ向きすぎて客室後方が死角になっていると止めた。ミドリには、乗客へ寄る時に通路中央を塞ぐ癖が残っていると言い、ハズキには、声を掛けられた瞬間に反射的に相手だけを見る癖を直させた。
どれも重大な失敗ではない。
普段の便なら問題なく処理出来ている。
だからこそ、エリンは止める。
「出来るから見ないんじゃないの。出来る人ほど、崩れるところが小さくなるから見つけにくいのよ」
そう言って、またやり直させる。
◇
その中で、ミラ、ラン、シルヴィアの三人だけは少し違った。
「ミラ、歩いて」
「はい」
ミラが客室通路を進む。
エリンは何も言わない。
途中でわざとアズサが通路へ半歩出る。
ミラは歩幅を少し縮め、そのまま進路をずらした。同時に後方へ視線を送り、ランとの距離も確認する。
「止まって」
「はい」
「今、何を見た?」
「アズサが出たので前方の通路幅を確認しました。その後、進路をずらす前に後ろのランとの距離を見ました」
「うん。いいわ」
それだけで終わった。
次はラン。
エリンが何も言わず、テーブルから小さなケースを落とす。
ランは反射的に拾おうとはしなかった。先に周囲を見て、人が来ていないことを確認してからしゃがむ。
「何で先に拾わなかったの?」
「拾うこと自体は急がなくてもいいので。通路で急にしゃがむ方が危ないと思いました」
「そうね」
シルヴィアも同じだった。
乗客役への対応中に別の方向から呼び掛けられても、すぐ身体を向けるのではなく、今対応している相手へ一言断ってから視線を移す。
「少々お待ちください。今確認いたします」
その上で、周囲の状況を見てから移動する。
エリンはほとんど止めなかった。
ホーネットがその様子を見て、不満そうに声を上げる。
「何で三人だけ全然止められないの?」
「見て分からない?」
「分かるけどさ!」
ミラが苦笑した。
「エリンさんが何を見てるか分かってれば、意識出来るから」
ランも頷く。
「昨日クミコとマユがやってるの見てたしね」
シルヴィアも落ち着いて続けた。
「動作そのものではなく、動作中にどこまで周囲を残せるかを見ているんですよね」
エリンは三人を見る。
「そういうこと」
「ほら!」
ホーネットが叫ぶ。
「分かってる人には答え合わせしてるじゃん!」
「昨日見てたでしょう?」
「見てたけど出来るとは言ってない!」
「じゃあ出来るまでやればいいじゃない」
「厳しい!」
また室内に笑いが起きた。
◇
一方、そのすぐ横では、新人五人の訓練が続いていた。
当然、エリン達の声は聞こえている。
ホーネットの「頼まなきゃ良かった」という叫びも、ユウコやナツキの笑い声も、エリンの厳しい指摘も、全部聞こえていた。
それでもルド達は、ほとんどそちらを見なかった。
「ルド、もう一回いこう」
クミコが言う。
「はい」
「今度は歩くだけじゃなくて、私が途中で声掛けるから。でも、呼ばれた瞬間に私だけ見ないで」
「分かりました」
ルドが位置へ戻る。
「エアはルドが歩いてる間、後ろから追って。距離を一定にしてみて」
「はい」
「スズカは二人が通った後の座席側を見て」
「分かりました」
「ナリタは最後尾。報告する時も前を切らないように」
「了解です」
「シャワーは私とマユの間で動いて。周りに引っ張られないで自分の範囲を見てね」
「はい」
五人の返事が揃う。
エリンは少し離れた場所から、ホーネットを止めながらも、その様子を視界の端で拾っていた。
ルドは一度もこちらを見ない。
エアも。
スズカも。
ナリタも。
シャワーでさえ、最初にホーネットの叫びへ反応した後は、クミコとマユから意識を外していない。
自分がいる。
目の前では、自分から直接指導を受けている先輩達がいる。
入社前。
五人はエリンから教わりたいと思ってスペースホープを選んだ。
それでも今。
自分達の教育係が誰なのかを理解している。
エリンはそのことに何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ表情が柔らかくなった。
◇
「シャワー、今のどうだった?」
マユが尋ねる。
「前より周りを見られたと思います。でも、ルドさんが止まった時にそっちへ意識が行きすぎました」
「うん。私もそう見えた。でも自分で分かったならいいよ。次は止まった人を見るんじゃなくて、止まった理由も一緒に探してみよう」
「はい」
その横でクミコはルドに聞く。
「どうだった?」
「昨日より難しいです」
「歩くだけなのに?」
「はい。歩きながら他の人を見るとなると、自分の歩き方への意識が少し薄れます」
「じゃあ、そこだね」
クミコの声が少し明るくなる。
「歩き方を考えながら周りを見るんじゃなくて、歩き方を考えなくても出来るようにする。それなら周りを見る方に頭使えるでしょう?」
ルドが一瞬考える。
「……はい。分かります」
マユも横から頷いた。
「多分、そこまで出来たら次へ進めるんだと思う」
クミコとマユは気づいていない。
少し離れたところで。
その会話を。
エリンが聞いていた。
「……」
昨日より。
一歩。
進んだ。
答えを教えなくても。
二人で辿り着き始めている。
◇
「エリン!」
突然、ホーネットの声が飛ぶ。
「何?」
「今よそ見してた!」
「見てたわよ」
「新人の方見てたじゃん!」
「貴方も見えてる」
「嘘!」
「右足、また外向いてる」
「……」
ホーネットが自分の足を見る。
本当に。
少し。
外向き。
「うわあああ、頼まなきゃ良かった!」
今度こそシュミレーションルーム中に大きな笑い声が広がった。
クミコも思わず笑う。
マユも。
新人五人も少しだけ笑った。
でも。
「はい、続けるよ」
クミコが言うと。
「はい」
ルド達はすぐに戻った。
その切り替えを見て、ミラが少しだけエリンを見る。
エリンも視線だけを返す。
ミラには分かった。
エリンは新人達が自分の方へ来るかどうかも、見ていたのだ。
ランも同じことに気づいたらしく、何も言わず小さく笑う。
シルヴィアも、新人五人がクミコとマユの言葉だけに集中している姿を見て、静かに目を細めた。
ルドが以前エリンへ「直接指導を受けられないのか」と尋ねていたことを知っているからこそ、その変化の意味は大きい。
◇
エリンは何も言わなかった。
新人達へ自分を見ろとも言わない。
逆に、自分を見るなとも言わない。
ただ自分の側では、頼まれた先輩達をいつも通り厳しく見る。
隣ではクミコとマユが、自分達で考えた基礎訓練を進める。
二つの訓練が、同じ空間で並行して進んでいく。
片方では、すでに現場へ出ている乗務員達が、自分達の身体に残った小さな癖をもう一度見直す。
もう片方では、新人五人が、学校で身につけてきた基礎をスペースホープの現場で使える形へ磨き直していく。
そして、その新人達を教えているのは。
エリンではない。
クミコとマユだった。
それでも五人は迷わない。
ルドがクミコへ質問し、エアがマユの指摘を聞き、スズカが自分から確認を求める。ナリタは短い言葉で何度も質問し、シャワーは失敗するとすぐ二人の方を見る。
その光景を見ながら、エリンはようやく一つだけ確信していた。
クミコとマユが一番不安に思っていたこと。
――自分達の指導は、本当に新人達へ届いているのか。
答えは。
もう、とっくに出ていた。
ーーーー
午後になっても、スペースホープのシュミレーションルームでは二つの訓練が続いていた。
片側ではクミコとマユがルド達五人の基礎訓練を担当し、もう片側ではエリンがユウコ、ナツキ、ホーネット、アズサ達を容赦なく止め続けている。午前中には何度も「頼まなきゃ良かった」と叫んでいたホーネットだったが、昼休憩を挟んだ後も結局逃げずに戻ってきていた。
「ホーネット、また肩上がってる」
「だって疲れてきたんだって!」
「疲れたら基礎が崩れていいの?」
「そういう言い方ずるい!」
「もう一回」
「鬼!」
ホーネットが文句を言いながら開始位置へ戻る。その後ろではミラ、ラン、シルヴィアが苦笑しながらも、自分達の番になれば余計な口を挟まず、エリンが見ているものを理解した上で動いていた。
一方、新人達はもうエリンの方をほとんど気にしていなかった。
「ルド、今の方向転換もう一回やろう。歩幅はいいんだけど、曲がった後に左側が少し見えてない」
「はい。もう一度お願いします」
「エアはそのまま待ってて。次、ルドの後ろについてみて」
「分かりました」
クミコとマユの声だけを聞き、五人は目の前の訓練へ集中している。
そんな中、シュミレーションルームの扉が開いた。
「エリーン」
場違いなくらい明るい声だった。
エリンは振り返る前から誰か分かった。
「ペルシア?」
「来たわよ」
宇宙管理局の制服姿のまま、ペルシアが片手を上げて入ってくる。
「どうしたの?」
「報告。魔のゾーンの無人機試験、日程決まった」
その一言で、エリンの表情が仕事のものへ変わった。
「いつ?」
「来週。第一段階の投入をやる。最初から奥まで行かせるんじゃなくて、予定どおり外縁部から重力干渉の実測。それで問題がなければ次の段階」
「機体側は?」
「ジェームズが最終確認中。通信系はシャオメイ。フレイが試験条件と中止基準をまとめてる。今回は無人だからって雑にはやらないわよ」
「分かってるならいい」
「何よ、その信用のなさ」
「貴方だから確認してるの」
「失礼ね」
いつもの調子で返しながらも、ペルシアの声には以前のような急ぎ方はなかった。魔のゾーンに関しては、一つ進むたびに次の条件を確認する。有人機を急いで送り込まない。それは今やチーム全体の共通認識になっている。
ペルシアは詳しい資料を後で送ると言ったところで、ようやく室内を見回した。
「それで……何これ?」
「訓練」
「それは見れば分かる」
視線の先には、二つの訓練区画。
そして。
「……あれ?」
ペルシアの目が、新人五人で止まった。
「知らない子いる」
エリンは嫌な予感がした。
「ペルシア」
「何?」
「新人だから、変な絡み方しないでよ」
「しないわよ」
「今の返事、全然信用出来ない」
しかし、もう遅かった。
ペルシアは新人達の方へ歩き出していた。
◇
「こんにちはー」
突然、宇宙管理局の統括官に声を掛けられた新人五人が一斉に振り返った。
ルドが最初に姿勢を整える。
「こんにちは」
エア、スズカ、ナリタ、シャワーも続く。
ペルシアはそんな五人を順番に眺めた。
「新人?」
「はい」
「へえ。五人とも?」
「はい」
「名前は?」
距離を詰める速度が速い。
初対面とは思えない。
エリンが少し離れたところから額に手を当てる。
「相変わらずね……」
ミラも苦笑した。
「ペルシアさん、本当に早いですね」
新人達は一人ずつ名乗った。
「ルドです」
「エアです」
「スズカです」
「ナリタ」
「シャワーです」
「よろしく。ペルシア」
最後だけ肩書きすら言わない。
シャワーが困ったようにクミコを見ると、クミコが小声で教えた。
「宇宙管理局の統括官」
「えっ」
シャワーの背筋が一気に伸びる。
ペルシアが笑った。
「そんな固くならなくていいって」
「ペルシア、余計緊張させてる」
エリンが言う。
「何でよ。優しくしてるでしょう?」
「統括官って肩書きを隠して近づくからでしょう」
「聞かれなかったし」
「そういう問題じゃない」
そのやり取りを見て、ルド達にも少しだけ緊張が解けた。
◇
ペルシアは新人達が何をしていたのか尋ねると、そのまま訓練を少し見始めた。
クミコとマユも途中で止めず、予定していた歩行、方向転換、乗客対応、物品受け渡しまで一通り続けさせる。
数分。
ペルシアは意外にも何も言わなかった。
腕を組むでもなく、偉そうに構えるでもない。ただ新人達の足元や手の位置、視線の動きを眺めている。
やがて一通り終わると、満足そうに頷いた。
「しっかりしてるわね」
ルド達の表情が少し緩む。
「ありがとうございます」
ミラが横から説明した。
「皆さん、元々有名な養成学校の上位卒業生なんです。ルドがアフロディの首席、エアがテレジアの首席で、スズカが次席です」
「へえ」
「ナリタがイマジンの首席、シャワーが次席です」
「いまじん?」
ペルシアが首を傾げた。
「何それ?」
ミラが止まる。
ランもペルシアを見る。
「……え?」
「そんな学校あるんだ」
ペルシアは本気で知らない顔だった。
「ペルシアさん、イマジンをご存じないんですか?」
ミラが思わず聞く。
「知らない」
「かなり有名な乗務員養成学校ですよ?」
「そうなの?」
今度はランまで驚く。
「最近出来た学校とかじゃないですよ」
「へえー」
あまりにも軽い。
ナリタの眉がほんの少し動いた。
シャワーも驚いたようにナリタを見る。
イマジンは、二人が努力して上位成績を取った学校だ。その名前を知らないと言われれば、さすがに少し複雑だった。
さらにペルシアは笑いながら言った。
「まあ、乗務員の学校なんてどこも同じでしょ」
一瞬。
空気が変わった。
◇
最初に反応したのはエアだった。
「同じではないと思います」
声は丁寧だったが、結論ははっきりしている。
ペルシアがエアを見る。
「そう?」
「はい。学校によって教育方針も、訓練方法も、重点を置く技術も違います」
「ふーん」
その軽い返しに、今度はナリタも口を開いた。
「イマジンにも独自の訓練があります」
「そうなんだ」
ルドは二人を止めなかった。
ただ、自分も穏やかに続けた。
「ペルシアさんが乗務員養成学校についてどれほどご存じなのかは分かりませんが、私達もそれぞれの学校で何年も訓練してきました」
「うん」
「ですから……」
ルドは少し言葉を選んだ。
その横からエアが言う。
「私達の何が分かるんですか?」
ミラとランが一瞬目を見開いた。
新人が宇宙管理局統括官へ言う言葉としては、かなり踏み込んでいる。
しかしペルシアは怒らなかった。
むしろ。
「いいわね」
楽しそうに笑った。
「何がですか?」
「それくらい言える方がいい」
エアは少し戸惑う。
ペルシアは五人を見回すと、クミコへ尋ねた。
「ちょっと見てもいい?」
「え?」
「この子達」
クミコはエリンを見る。
エリンは少し考えてから頷いた。
「基礎だけなら」
「十分」
ペルシアの口元が、僅かに上がった。
◇
「じゃあルド。さっきと同じところ歩いて」
「……分かりました」
ルドが歩き出す。
数歩。
「右に曲がって」
ルドが方向転換する。
「はい、そこ」
ペルシアが言った。
「右へ曲がる時だけ、左肩がほんの少し落ちる」
ルドが止まる。
「……左肩?」
「そう。足は綺麗。でも身体を先に右へ送ろうとして、反対側の肩で帳尻合わせてる。通常重力なら大して問題ないけど、感覚重力が落ちた時にその癖出ると上半身が遅れるわよ」
ルドの顔から、さっきまでの僅かな反発が消える。
「もう一回」
ルドが歩く。
今度は意識して曲がる。
「意識しすぎ。今度は肩固めてる」
「……」
「力抜いて。曲がることじゃなくて、曲がった後にまっすぐ立てること考えて」
「はい」
クミコとマユも、思わず真剣に見始めた。
「次、エア」
「はい」
「普通に歩いて、ここで止まって」
エアが指定された位置へ進み、止まる。
「もう一回」
二回。
三回。
ペルシアは黙って見る。
「貴方、止まる直前だけ膝を固める癖あるわね」
エアが自分の足を見る。
「膝ですか?」
「停止位置を正確に取りたいんでしょう? 最後の半歩を筋力で止めてる。綺麗に見えるけど、揺れ入ったら逃げ場なくなるから、止まる時ほど少し余裕残した方がいいわよ」
「……はい」
エアの返事が先ほどより素直になる。
◇
「スズカ」
「はい」
「さっきの乗客対応」
スズカが乗客役の席へ寄り、自然に腰を落とす。
「いいわね。目線も柔らかいし、距離も近すぎない」
「ありがとうございます」
「でも立った後が遅い」
「え?」
「相手をちゃんと最後まで見ようとしすぎ。優しい子によくあるけど、会話が終わった後まで視線を残しすぎると、その分だけ周囲へ戻るのが遅れる」
スズカの表情が僅かに変わる。
それはクミコから言われてきた「前へ出る」という課題とも繋がっていた。
「接客を切るって意味じゃないわよ。相手を安心させたまま、視野だけ先に客室へ戻して」
「はい。やってみます」
「うん」
次。
「ナリタ」
「はい」
「報告して」
「後方、異常なし。収納部確認済み。運用継続可能です」
「内容はいい。でも一つ」
「何ですか?」
「最後まで相手の反応見すぎ」
ナリタが僅かに眉を寄せる。
「確認のためです」
「分かってる。でも報告相手が理解したか確認することと、相手が返事するまで客室から意識を切ることは別でしょう?」
「……」
「言い終わった時点で視野は客室へ戻していい。耳は相手に残す。目まで全部預けなくていいわ」
ナリタは数秒考えた。
「……なるほど」
「でしょ?」
ペルシアがにっと笑う。
◇
最後。
「シャワー」
「は、はい」
「そんな緊張しない」
「してません」
「してる」
「……はい」
「素直でよろしい」
ペルシアが笑う。
「水渡してみて」
シャワーがグラスを取り、乗客役へ近づく。
「どうぞ」
「うん。もう一回」
「はい」
二度目。
「もう一回」
三度目。
「……何か違いますか?」
シャワーが不安そうに聞く。
「動きは悪くない。でも私が見てると一歩目だけ歩幅短くなる」
「え?」
「最初だけ。二歩目から戻る。緊張した瞬間、身体を小さくしようとしてる」
シャワー自身は気づいていなかった。
「それ、別に恥ずかしいことじゃないわよ。緊張しない人なんていないし」
ペルシアは少し声を柔らかくする。
「ただ、自分が緊張した時に何が変わるかは知っときなさい。貴方の場合は最初の一歩。そこ分かってれば、本番で緊張しても『あ、今出た』って自分で戻せるから」
「……はい」
シャワーの返事も変わった。
◇
静かになった。
新人五人だけではない。
ミラとラン。
クミコとマユ。
周囲で見ていたユウコ達まで。
ペルシアを見る。
さっきまで。
「イマジン? 何それ?」
と言っていた人間と同一人物とは思えない。
ミラが思わず口を開く。
「ペルシアさん……」
「何?」
「何でそんなに分かるんですか?」
「何でって?」
ランも驚きを隠せない。
「基礎の見方が細かすぎます」
「そう?」
「そうですよ」
ミラが即答する。
「エリンさんと見てるところが少し違いますけど、明らかに経験者の見方です」
ペルシアは一瞬だけエリンを見る。
エリンは何も言わない。
ただ。
少しだけ。
呆れたような顔。
している。
ペルシアの口元が上がった。
「まあね」
「まあねって……」
ミラが困る。
ペルシアは新人五人へ振り返った。
「さっき、私に何が分かるんですかって言ったわよね?」
エアが少し身構える。
「……はい」
「別に怒ってないわよ」
ペルシアは楽しそうに笑った。
そして。
少し。
得意げに。
「こう見えて私、エトワール卒業生だから」
◇
「……え?」
ミラ。
「はい?」
ラン。
新人五人も。
ほぼ同じ反応だった。
ペルシアは満足そうに笑っている。
「エトワールって……」
ルドが確認する。
「エトワール養成学校ですか?」
「他に何があるのよ」
「五年制の?」
「そう」
「寮生活の?」
「そうそう」
シャワーが思わず小さく声を上げる。
「知らなかったです……」
「言ってないもの」
ミラがエリンを見る。
「エリンさん、知ってたんですか?」
「知ってるわよ」
「何で教えてくれなかったんですか?」
「聞かれてないもの」
今度はエリンまで同じことを言う。
「二人ともそれ言うんですね……」
ランが呆れたように言った。
ペルシアは肩を揺らして笑った。
「学校名なんて今さらどうでもいいでしょう? 卒業して何年経ったと思ってるの」
エアが少し複雑そうにペルシアを見る。
「でも、さっき乗務員の学校はどこも同じだと」
「大枠はね」
「……」
「そんな顔しないの」
ペルシアは笑いながら言った。
「アフロディだろうがテレジアだろうがイマジンだろうがエトワールだろうが、最後に乗るのは宇宙船で、守るのは乗客でしょう? 学校の名前で揺れ方が変わるわけじゃないし、急病人が学校ごとに違う倒れ方するわけでもない」
ルド達は黙って聞く。
「もちろん教え方も特色も違う。そこで頑張ったことを軽く見てるわけじゃないわよ。でも、現場に出たら首席も次席も関係ない。身体に入ってるか、周りが見えてるか、隣の乗務員と繋がれるか。それを見るだけ」
その言葉は。
数日前。
エリンが言ったこととも。
どこか繋がっていた。
◇
エリンが腕を組む。
「ペルシア」
「何?」
「最初から普通に説明すればいいでしょう?」
「その方が面白いじゃない」
「新人相手に遊ばないの」
「遊んでないわよ。ちゃんと見たでしょう?」
「その前」
「コミュニケーションよ」
「距離の詰め方がおかしいのよ」
ホーネットが横から笑う。
「でもペルシアっぽい」
「でしょ?」
「褒めてないと思う」
ユウコが言う。
少しずつ空気が戻る。
新人五人も、先ほどまでの反発はほとんど消えていた。
エアがペルシアへ向き直る。
「先ほどは、失礼しました」
「何が?」
「何が分かるんですか、と言ったことです」
「別にいいわよ。分からない相手に分かったように言われたら腹立つでしょう?」
「……はい」
「でも今は少しくらい分かった?」
エアは僅かに口元を緩めた。
「少しだけです」
「よろしい」
◇
ルドが尋ねる。
「ペルシアさんも、エトワールでこういう基礎をずっと?」
「嫌ってほど」
即答だった。
「歩き方、姿勢、視線、声の出し方、手の位置。五年間ずっと。卒業してからもサラ先生に捕まると未だにやらされる」
エリンが少し笑う。
「この前もかなり止められてたでしょう?」
「それ言わないで」
「才能がある人ほど雑にすると罪が重いって言われてたじゃない」
「エリン」
「事実でしょう?」
「……事実だけど」
ミラとランが思わず笑う。
ペルシアは少し不満そうな顔をした後、ルド達をもう一度見た。
「だから、学校で出来てたから基礎は終わり、なんて思わない方がいいわよ。私だって今でも止められるんだから」
その一言は、先ほどまでよりずっと素直に五人へ入った。
「はい」
ルドが答える。
エアも。
スズカも。
ナリタも。
シャワーも。
◇
「はいはい、それじゃあペルシアの特別講義は終わり」
エリンが区切った。
「え、もう?」
「貴方、魔のゾーンの話しに来たんでしょう?」
「あ」
「忘れてたの?」
「忘れてない」
「今の間は何?」
「ちょっと新人が面白くて」
「ペルシア」
「分かったって」
ペルシアは笑いながらエリンの方へ戻る。
その途中。
クミコとマユの横で足を止めた。
「二人とも」
「はい?」
「ちゃんと見てるわね」
突然言われ、二人が目を瞬く。
「さっきの訓練。前よりこの子達、周りを見るようになってる」
「……ありがとうございます」
「そのまま続けなさいよ」
「はい」
それだけ言うと、ペルシアは再びエリンの方へ歩いていった。
クミコとマユは少し顔を見合わせる。
ルド達も。
何も言わず。
二人を見る。
「……じゃあ」
クミコが少しだけ照れたように端末を持ち直す。
「続きやろうか」
「はい」
五人の返事。
揃う。
その声を背中で聞きながら、ペルシアはほんの少しだけ笑った。
「いい子達じゃない」
隣を歩くエリンが答える。
「でしょう?」
「それに教育係の二人も悪くない」
「知ってる」
「ならもう少し褒めてあげたら?」
「今はいいの」
「また何か考えてる?」
「別に」
「絶対嘘」
「それより無人機の話」
「はいはい」
二人はそのままシュミレーションルームを出ていく。
その後ろでは、新人達の基礎訓練がもう一度始まっていた。
アフロディ。
テレジア。
イマジン。
そしてエトワール。
どの学校で学んだとしても。
スペースホープに入れば。
また基礎から。
その意味を、ルド達五人も少しずつ理解し始めていた。