一方その頃、宇宙管理局の整備区画では、リュウジ、チャコ、タツヤ班長の三人がネフェリスの点検を続けていた。
魔のゾーンに対する無人機実験の日程が決まり、まだ有人調査へ進む段階ではないものの、その先を想定した準備も少しずつ始まっている。もし無人探査によって現在の仮説が実証され、有人調査へ移行する可能性が生まれた時、候補となる船の状態をその時点から調べ始めるのでは遅い。そのため三人は、ネフェリスの現状を改めて一から洗い直していた。
格納庫の中央に停泊しているネフェリスは、外から見れば以前とほとんど変わらない。だが内部では複数の点検パネルが開かれ、中枢制御系、重力制御、姿勢制御、航法演算系から次々と診断データが送られている。
チャコは中枢コンソールへ接続したまま、過去の航行ログと現在の応答試験を重ねていた。
画面には同じ操作を入力した際の応答曲線が二本表示されている。
一本は以前のネフェリス。
もう一本は現在。
見た目には僅かな差だった。
だがチャコは何度か表示倍率を変えた後、難しい顔で唸った。
「……アカンな」
リュウジが横を見る。
「何がだ?」
「前のデータログより遅れとる」
チャコは二本の曲線を拡大した。
「ほら。ここや。入力してから姿勢制御が噛むまで、前よりほんの少し後ろへズレとる。重力制御側も同じや。通常航行やったら気にならん程度やけど、瞬間的に補正かけ続けるような場所やと、この差が積もる」
リュウジは画面へ視線を固定する。
「演算の遅延か?」
「それもある。でも演算だけやない。中枢から制御ユニットへ指示が渡って、その後に実機が反応するまで全部ひっくるめて遅なっとる」
「どうにかならないのか?」
リュウジが聞く。
チャコはすぐには答えず、別の診断画面を開いた。そこにはネフェリス内部の系統図が映し出され、サヴァイヴ由来の中枢系と、後年コロニー側で交換された補助系統が複雑に繋がっている。
「そない言うてもやな、ネフェリスは元々サヴァイヴの技術やねん」
チャコは小さな手で中枢部分を示した。
「あっちの技術は、コロニーの何世代も進んどる。全部やないけど、中枢制御も重力系も神経応答も、今のこっちの技術で完全に同じもん作れ言われても無理や。とうてい追いつけるわけないわ」
タツヤ班長が開かれた配線部を覗き込みながら頷いた。
「まあ、今のネフェリスはサヴァイヴの技術とこっちの技術が合わさってるからね」
「せやねん」
チャコがすぐに答える。
「最初のまんま残っとる部分もある。でも壊れたところ全部をサヴァイヴ製で直せるわけやないから、こっちの部品使って変換かませたり、制御側で誤差吸収したりしとる」
リュウジが系統図を見る。
色分けされた線のうち、純粋なサヴァイヴ系統として残っている部分は確かにある。
だが、その周囲にはコロニー製の代替部品。
互換制御装置。
変換モジュール。
さらにチャコが独自に追加した補正回路まで入り込んでいる。
一隻の船の中に、異なる時代の技術が同居していた。
◇
チャコは過去の整備記録を呼び出した。
「ネフェリスも、ブライアンの救出やブルンクリンの粉塵帯で何度も修復しとるんや」
画面に補修履歴が並ぶ。
外装フレーム。
姿勢制御系。
重力制御補助。
航法センサー。
中枢との通信経路。
一度大きな損傷を受けた場所を直した後、別の任務でまた別の部分へ負荷が掛かる。そのたびに完全交換出来ない部品を補いながら、ネフェリスは飛び続けてきた。
「今まではウチのアドリブで、騙し騙し性能を上げてきたんやけどな」
チャコは少しだけ自嘲気味に笑った。
「制御タイミングずらしたり、演算処理まとめたり、遅い部品に合わせるんやなくて先読みさせたりな。ネフェリス自身が持っとる余裕使って、何とか元の性能に近いところまで持っていっとった」
「それで今まで問題なかったんだろ?」
タツヤ班長が聞く。
「普通に飛ぶ分にはやな」
チャコの声から、先ほどまでの軽さが消える。
「でも今回は厳しいな」
格納庫が静かになる。
リュウジがチャコを見る。
「魔のゾーンだからか」
「せや」
チャコは頷いた。
「今までみたいに、多少遅れてもウチが補正したらええって場所やない。あそこは重力そのものが周期的に動いとる可能性があるんやろ?」
「ああ」
「せやったら船が今どう動いたか見てから直すんじゃ遅い。流れが変わる前に読んで、次の状態へ準備しとかんとあかん」
リュウジは先日まで解析していたデータを思い出す。
魔のゾーンの内側では、重力干渉に逆らおうとするほど姿勢制御と推進系の負担が増える可能性が高い。
だからこそ、基本的には流れへ乗る。
最低限の衝突回避だけを行う。
その方法を考えている。
しかし最低限だから簡単という意味ではない。
むしろ、一回一回の制御を正確な瞬間に入れなければならない。
「遅延が一定なら補正出来ないのか?」
リュウジが聞く。
「一定ならな」
チャコは別のログを表示した。
「でも見てみ」
数値が微妙に揺れている。
「温度で変わる。負荷で変わる。中枢が何個の処理を同時に抱えとるかでも変わる。遅れそのものより、遅れ幅が一定やない方が面倒なんや」
タツヤ班長が腕を組む。
「つまりリュウジが操縦した時に、毎回同じ感覚で船が返してこないってこと?」
「そこまで酷くはないで。でも極端な話、そういうことや」
「それは嫌だなあ」
「嫌で済めばええけどな」
チャコは画面を指で弾いた。
「リュウジみたいな奴ほど危ないかもしれへん」
「俺が?」
「そうや。反応遅れたら無意識に自分で合わせるやろ」
リュウジは黙った。
否定出来ない。
「一回なら合わせる。二回目も合わせる。ほんで三回目には船の癖読んで普通に飛ばし始める」
「それの何が悪い?」
「船が直ったわけやない」
チャコの返しは早かった。
「リュウジが補正しとるだけや」
リュウジの目が細くなる。
「それを『ネフェリスはまだいける』って判断したらアカン。今回見たいのは、お前が飛ばせるかやない。ネフェリスそのものが、安全基準の中でどこまで動けるかや」
タツヤ班長がゆっくり頷いた。
「それ、エリンが気にしてた話と同じだね」
「……そうですね」
今度はリュウジも素直に答えた。
エリンが以前から警戒していたこと。
能力の高い者に合わせて限界を設定すると、本来引くべき線がどんどん遠くなる。
リュウジなら操縦で補える。
チャコなら現場修復で補える。
だが、それを前提にした時点で安全基準ではなくなる。
◇
チャコはネフェリスの中枢へ視線を戻した。
「それに今回は、ウチ自身も前と同じこと出来る保証ないで」
「どういうことだ?」
「もう結構いじっとるからや」
チャコは苦笑する。
「ここを速くしたら、今度こっちが追いつかん。こっちにバッファ入れたら、別の制御が一拍遅れる。昔はまだ余裕あったけど、その余裕を修復のたびにちょっとずつ使ってきた」
「性能を取り戻すために、別の余白を使ってきたってことか」
タツヤ班長が言う。
「せやな」
ネフェリスは壊れるたびに弱くなったわけではない。
むしろその都度、チャコ達の手によって再び飛べるところまで戻されてきた。
時には以前より使いやすくなった部分さえある。
だが、それは無限ではない。
元々存在していた設計上の余裕。
処理能力の余白。
冗長系。
チャコの先読み。
それらを少しずつ使いながら、異なる文明の部品同士を繋いできた結果でもあった。
「サヴァイヴに同じ部品が残ってれば話早いんやけどな」
チャコが呟く。
「それを取りに行くための船が、今これだからな」
リュウジが言う。
「せやから困っとんねん」
チャコがじろりと睨む。
タツヤ班長が苦笑する。
「ものすごい循環してるね、その問題」
「笑い事ちゃうで、班長」
「分かってる分かってる」
◇
リュウジはネフェリスの操縦席へ座った。
まだ電源は点検モードのまま。
それでも手を置けば。
感覚は覚えている。
サヴァイヴを離れ。
何度も遠方へ飛び。
仲間を救い。
傷つき。
そのたび戻ってきた船。
「……これ以上は無理なのか?」
リュウジが静かに聞く。
チャコは少し考えた。
「無理とは言うてへん」
その言葉にリュウジが顔を上げる。
「ただ、今までみたいに『ウチが何とかしたる』だけではアカンって話や」
チャコは中枢系統図を広げる。
「一回、全部見直す」
「全部?」
「サヴァイヴ側のシステムを無理に今のコロニー規格へ合わせるんやなくて、逆にコロニー側の補助系をネフェリスの動きへ合わせられへんか考える」
タツヤ班長が覗き込む。
「今までと逆にするの?」
「せや。今までは交換出来る部品を入れて、ネフェリス側で吸収させとった。でも、その吸収処理が増えすぎて遅れになっとる可能性もある」
「補助装置をネフェリスに合わせる……」
リュウジが呟く。
「出来る保証はない。でも試す価値はある」
チャコはそこで一度言葉を切った。
「ただし」
「何だ?」
「今度はウチ一人のアドリブではやらん」
珍しくはっきりした言葉だった。
「サツキにも見てもらう。ジェームズにも機械側の限界値出してもらう。必要なら管理局の技術班も使う。どこまで直せるかと、どこから先は〝直ったように見えるだけ〟なんか、そこ分ける」
リュウジは数秒黙った後、頷いた。
「分かった」
タツヤ班長も笑う。
「それがいいね。今回ばっかりは、チャコの職人芸だけで飛ばすわけにいかないし」
「普段から職人芸だけちゃうわ!」
「いや、だいぶ職人芸でしょ」
「班長まで何言うてんねん!」
チャコの声が格納庫に響く。
そのやり取りに、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
だが。
三人の視線はすぐネフェリスへ戻った。
魔のゾーンへ人を送り込む日は、まだ決まっていない。
無人機の結果次第では、そこまで進まない可能性もある。
それでも。
もし。
次へ進む日が来るなら。
リュウジの操縦技術でも。
チャコの勘でも。
無理を押し通さなければ飛べない船ではいけない。
必要なのは、「飛ばせるネフェリス」ではなく。
誰が見ても。
数字で。
機械で。
安全だと言えるネフェリスだった。
ーーーー
ネフェリスの中枢系統を一通り洗い出した後、チャコはしばらく端末の前で唸っていた。
これ以上、自分一人の判断で触るべきではない。先ほど自分でそう言った以上、まず呼ぶ相手は決まっている。
「サツキに繋ぐで」
チャコが通信端末を操作する。リュウジは操縦席の横から立ち上がり、タツヤ班長も近くの作業台へ腰を預けた。
「今から?」
「善は急げや。どうせデータ送るんやったら、見ながら話した方が早いやろ」
「まあ、それはそうだね」
数回の呼び出し音の後、大型モニターに映像が立ち上がった。
『はい』
最初に映ったのはサツキだった。
そのすぐ横。
『あれ?』
シンゴもいる。
「おっ」
チャコの顔が一気に明るくなる。
「サツキ! シンゴ! 久しぶりやな!」
『久しぶり、チャコ』
サツキが笑う。
シンゴも画面へ少し顔を寄せ、柔らかく笑った。
『久しぶり。チャコ、全然変わってないね』
「なんやそれ!」
その横からリュウジも画面へ近づく。
「久しぶり」
シンゴの表情がさらに和らいだ。
『リュウジも久しぶり。三人揃ってるの、なんか懐かしいね』
『本当に久しぶりね』
サツキも笑う。
リュウジ、チャコ、シンゴ。
三人とも、あのサヴァイヴで生き延び、同じ宇宙へ帰還した仲間だった。
ネフェリスに使われている技術がコロニーの常識からどれほど外れているのかも、シンゴは知識として聞いただけではない。サヴァイヴそのものを見て、その文明の痕跡に触れて帰ってきた一人だ。
短い再会の挨拶を交わした後、チャコはすぐ本題へ入った。
「悪いけどな、今日は懐かし話やないねん。ネフェリスや」
サツキの表情が変わる。
『何かあったの?』
「飛べへんわけやない。ただ、ちょっと面倒なことになっとる」
シンゴも笑みを消した。
『ネフェリス? どこか壊れたの?』
「壊れたっちゅうより……今まで誤魔化しとったツケが来た感じやな」
『それ、チャコが言うと嫌な予感するね』
「なんでや!」
◇
チャコは先ほど確認したログを共有した。
ネフェリスの現行構成、旧航行ログ、現在の応答試験、修復履歴、重力制御、姿勢制御、神経応答系。そして、チャコ自身が過去に組み込んできた大量の補正処理。
データがサツキ側へ次々と転送されていく。
『……ちょっと待って』
サツキの声が止まった。
「なんや?」
『今、全部送った?』
「全部やで」
サツキはしばらく画面を見つめた。
シンゴも横から表示を覗き込む。その顔から、徐々に笑みが消えていった。
『チャコ』
「ん?」
『これ、どこまでが元のネフェリスなの?』
シンゴが先に聞いた。
「元っちゅうてもなぁ。もう何回も直しとるから――」
『そうじゃなくて』
シンゴは画面の一部を指す。
『サヴァイヴの技術として元々あったところと、コロニーに戻ってから交換したところと、チャコが後から足したところ。今、全部混ざってるでしょ?』
チャコが僅かに黙る。
「……まあな」
サツキが表示を整理していく。
『この青い印は?』
「正式な改修や。部品交換とか、整備計画に入れてやったやつ」
『黄色は?』
「ウチが後から入れた補正」
『赤は?』
「黄色の補正を補正するための処理や」
サツキの手が止まる。
『……紫は?』
「赤の処理が重かったから、別経路に逃がしたやつ」
『緑は?』
「ブルンクリンの件の後やな。姿勢制御の戻り悪かったから、タイミング先読みさせたんや」
沈黙。
サツキがゆっくりチャコを見る。
シンゴも同じようにチャコを見る。
「なんや?」
サツキが額へ手を当てた。
『チャコ』
「ん?」
『アドリブ多すぎる』
「……」
『多すぎる』
二回言われた。
シンゴも困ったように笑う。
『これは多いでしょ、チャコ』
「シンゴまで!?」
『だって、ぼく達がサヴァイヴにいた頃のネフェリスと、もう中身かなり違うよね』
「そら帰ってから色々あったんやから仕方ないやろ!」
『それは分かるよ。でも、これは“修理した”だけじゃないでしょ』
シンゴは柔らかい口調のまま、かなり核心を突いていた。
『チャコがその場その場でネフェリスに合わせて、別の船みたいに育てちゃってるよね』
「育てた言うな!」
タツヤ班長が横で吹き出した。
「いや、でもかなり正確かも」
「班長まで!」
◇
サツキは画面を拡大した。
『これ、一つ一つは理屈が通ってるの』
「ほら!」
『褒めてないから』
「ええ……」
『その時点では必要だったんだと思う。ブライアンの救出、ブルンクリンの件、その後の部品交換。その都度、今あるものだけでネフェリスを飛ばせる状態へ戻したんでしょう?』
「せや」
『でも、“その時の最適解”が積み重なりすぎてる』
画面上には、本来なら一つの制御経路で済むはずの場所を複数の補正処理が迂回している箇所がいくつも表示されていた。
シンゴもその一つを拡大する。
『これ、姿勢制御の信号だよね?』
「せやで」
『最初にサヴァイヴ側の中枢から出て、コロニー製の変換ユニット通って、その後チャコの補正入って……また別の補助演算通ってる』
「そこは応答差があったんや」
『うん。でもその後、もう一回チャコの補正入ってるよ』
「そこはブルンクリンの粉塵帯の後や。部品変えたら前の係数合わんようになったから」
『じゃあその次のこれは?』
「それは――」
チャコが止まった。
数秒。
「……何やったかな」
『ほら』
シンゴが笑う。
「待てや! 思い出す!」
『チャコ本人が一瞬分からないなら、他の人はもっと分からないでしょ』
「ぐっ……」
◇
サツキも頷く。
『そこが一番問題なの』
「ウチは大体分かっとるで」
『大体じゃ駄目』
「厳しいなぁ」
『ネフェリスを魔のゾーンに使う可能性があるんでしょう?』
「……せや」
『だったらなおさら』
サツキは別の補正処理を開く。
『この辺、コメントがほとんどない』
「ウチが覚えとるからな」
『だから、それが駄目なの』
「なんでや!」
『チャコがいないと整備出来ないじゃない』
チャコの口が止まる。
シンゴも静かに続けた。
『ぼく達がサヴァイヴから帰ってきた時だって、ネフェリスは普通の船じゃなかったよね』
「ああ」
リュウジが答える。
『あっちの技術がそのまま残ってる部分は、今のコロニーじゃ完全には再現出来ない。それは仕方ないと思う。でも、だからって“チャコにしか分からない部分”まで増やしたら、もっと扱える人が減るでしょ』
チャコは黙って聞いていた。
『昔なら、チャコがいれば何とかなるって思えたかもしれない。でも魔のゾーンへ行くなら、それじゃ怖いよね』
柔らかい言い方だった。
だがシンゴ自身もサヴァイヴから帰還した一人だからこそ、その言葉には重みがあった。
未知の場所で。
何かが壊れた時。
一人だけが答えを知っている怖さを。
彼も知っている。
◇
タツヤ班長が腕を組む。
「チャコ自身が、ネフェリスの部品みたいになっちゃってるんだね」
「言い方!」
シンゴが笑った。
『でも、ちょっと分かるね』
「シンゴまで乗るなや!」
『だってネフェリスに何かあると、みんな最初にチャコ呼ぶでしょ?』
「……まあ」
『それでチャコが画面見て、“あー、ここやな”って直す』
「……せやな」
『で、直ったからそのまま飛ぶ』
「……」
『そして次に違うところが壊れたら、またチャコが直す』
「……」
『完全にチャコ頼みだね』
「分かったわ!」
チャコが頭を抱えた。
リュウジが横から静かに言う。
「否定出来ないだろ」
「リュウジまで冷静に追い打ちかけんなや!」
◇
サツキは過去の整備記録をさらに遡った。
『ブライアンの救出前と今で、中枢処理かなり変わってる』
「せやな」
『ブルンクリンの粉塵帯の後はもっと大きいね』
「姿勢制御系にかなり負担掛かったからな」
『この時にコロニー製のユニットを入れてるでしょう?』
「せや」
『それに合わせるため、チャコがネフェリス側の応答を変えてる』
「そうや」
『その変更で出た遅延を消すために、さらに処理を足した』
「……せや」
『今は、その遅延を消す処理そのものが遅延を作り始めてる』
「……最悪やん」
シンゴが少し苦笑する。
『自分で作った道が増えすぎて、遠回りになってる感じだね』
「シンゴ、その言い方地味に刺さるで」
『でも分かりやすいでしょ?』
「分かりやすいけど!」
◇
サツキは三種類の表示を作った。
サヴァイヴ由来。
コロニー由来。
そして、チャコ独自補正。
色分けして表示すると、全員が一瞬黙った。
チャコ独自補正が予想以上に多い。
シンゴが目を丸くする。
『チャコ、これ……結構チャコだね』
「なんやその感想!」
『いや、ネフェリスの中にチャコがいっぱいある』
「やめろや!」
『でも本当に多いでしょ』
「細かい補正まで一個ずつ数えとるからや!」
『それを差し引いても多いね』
「ぐぬぬ……」
リュウジが画面を見ながら聞いた。
「全部外せるのか?」
『それは駄目』
サツキが即答する。
チャコが顔を上げた。
「なんでや?」
『必要だから残ってるものも多いでしょう? チャコの判断自体が間違ってたとは思わない』
シンゴも頷いた。
『ぼくもそう思う。これだけ何度もネフェリスが戻ってこられたのは、チャコがその場で合わせ続けたからでしょ』
チャコの耳が少しだけ上がる。
「せやろ?」
『でも調子に乗らないでね』
「一瞬くらい褒めさせろや!」
◇
サツキは真面目な表情へ戻った。
『必要なのは、全部消すことじゃなくて整理すること』
「一個ずつか?」
『うん。これは何のために入れたのか。今も必要なのか。外したら何が起きるのか。同じ役割の補正が重複してないか』
「ネフェリスの棚卸しだな」
リュウジが言う。
『そうね』
シンゴが少し笑う。
『チャコの頭の中も棚卸しした方がいいね』
「なんでウチまでや!」
『だって設計図にない部分、ほとんどチャコの頭の中でしょ』
「……」
『でしょ?』
「……せやけど」
タツヤ班長が笑った。
「今回はシンゴの勝ちだね」
「何の勝負や!」
◇
しばらく笑いが続いた後、サツキが改めて聞いた。
『魔のゾーンへ有人で入るかどうかは、まだ決まってないんでしょう?』
「ああ」
リュウジが答える。
「先に無人機を入れる。それで仮説を確認する」
『なら、その間に出来るだけ整理しよう』
「頼めるか?」
『もちろん』
シンゴも画面越しに頷く。
『ぼくも出来ることはやるよ』
リュウジが少し目を細める。
「シンゴも?」
『当たり前でしょ』
シンゴは穏やかに笑った。
『ぼく達も一緒にサヴァイヴから帰ってきたんだから。ネフェリスだけチャコとリュウジの問題みたいにされても困るよ』
「……そうか」
『それに、あっちの技術がどれだけ普通じゃなかったかは、ぼくも見てる。専門的なところはサツキやチャコほど分からなくても、“サヴァイヴのものを今のコロニーだけで完全に置き換えるのは無理がある”っていう前提くらいは分かるからね』
チャコが嬉しそうに笑う。
「やっぱシンゴやな!」
『でもチャコのアドリブが多すぎるのは別の話だからね』
「そこ戻るんかい!」
◇
「ほな、追加データも送るで」
チャコが端末を操作する。
サツキが嫌な予感を覚えたように眉を寄せる。
『追加?』
「まだある」
『どのくらい?』
「ちょっと」
シンゴがすぐに笑った。
『チャコの“ちょっと”って信用出来ないね』
「なんでや!」
『今のデータ見た後ならそう思うでしょ』
『私もそう思う』
サツキまで同意する。
「二人して酷ない!?」
『容量は?』
サツキが聞いた。
チャコは目を逸らす。
「……二百七十六ギガくらい」
沈黙。
シンゴがゆっくり瞬きをする。
『それは“ちょっと”じゃないね』
「ログも入っとる!」
『それでも多いでしょ』
「ネフェリス色々あったんや!」
『それはぼくも知ってるけど、二百七十六ギガは多いね』
「シンゴが優しい口調で詰めてくる!」
タツヤ班長がとうとう声を上げて笑った。
◇
サツキは深くため息を吐いた。
『とりあえず全部送って』
「はい」
『今後アドリブで変更したら、必ず記録を残して』
「毎回?」
『毎回』
「戦闘中でも?」
『終わったら』
「夜中でも?」
『記録だけ残して』
「めんどくさ……」
『チャコ』
「はい!」
シンゴが画面の向こうで笑う。
『それ、昔から変わらないね』
「何がや?」
『怒られそうになると返事だけすごくいいところ』
「やかましいわ!」
久しぶりに交わすやり取りは、サヴァイヴで過ごしていた頃とどこか変わらなかった。
だが、話している内容はあの頃よりずっと重い。
ネフェリスを再び未知の領域へ送り出せるのか。
サヴァイヴの技術とコロニーの技術を繋ぎ合わせた船を、これ以上どこまで維持出来るのか。
そして何より、チャコ一人の感覚へ依存したままではいけない。
これまでチャコの勘とアドリブによって繋がれてきたネフェリスを、今度はサツキ、シンゴ、リュウジ、タツヤ班長も加わり、一つずつ解きほぐしていく。
魔のゾーンへ向けて必要なのは、無理やり性能を引き上げることではない。
まずは、今のネフェリスを正しく理解すること。
チャコにしか分からない船ではなく。
誰が見ても。
どこがサヴァイヴの技術で。
どこがコロニーの技術で。
どこからがチャコのアドリブなのか。
それを説明出来る状態へ戻すことだった。