翌日。
木星圏内に位置する宇宙管理局。
大型整備ドックの一角では、宇宙船《ネフェリス》が静かに整備用の架台に固定されていた。
船体の周囲には複数の整備用アームが伸び、各所で点検用の照明が灯っている。
かつてサヴァイヴからの帰還を果たし、その後も数々の危険な任務を乗り越えてきた特別な宇宙船。
今、そのネフェリスは、東の未探索領域へ向かうための改修を検討されていた。
そして、その巨大な船体を見上げる二人の姿があった。
サツキとシンゴだった。
「……うわぁ。やっぱり凄いなぁ!」
シンゴが思わず声を上げた。
その目は、機体のあちこちに向けられている。
「サツキさん、見てくださいよ! あの外部フレームの配置! 普通の恒星間輸送船と全然違いますよ!」
「ええ。でも、まずは全体の構造を確認しましょう。昨日チャコから送られてきた資料だけじゃ、判断できない部分が多すぎるもの」
サツキは、手元の端末を操作しながら答えた。
二人が今日、宇宙管理局へ来た理由。
それは、昨日チャコから届いた通信にあった。
◇
昨日の夜。
恒星間輸送船の整備業務を終えたサツキとシンゴのもとに、チャコから通信が入った。
内容は、ネフェリスの改修に関する技術的な相談だった。
東の未探索領域の調査に向けて、機体の制御系統や耐久性、緊急時の復旧能力などを見直す必要がある。
そのうえで、恒星間輸送船の整備に携わっている二人の意見を聞きたいというものだった。
『……でな、二人とも。ネフェリスを東の未探索領域に対応できるようにしたいんやけど、ちょっと見てほしいところがあるんや』
通信画面の向こうで、チャコは珍しく真面目な顔をしていた。
サツキは送られてきた図面を確認しながら答えた。
「……チャコ。これ、かなり大掛かりな話になるわよ?」
『せやから相談しとるんや。今の機体でも普通の航路なら十分やけど、東は話が別やろ?』
「……そうね」
サツキは画面を拡大した。
主制御系統、姿勢制御、重力制御。
それぞれの接続状況を確認していく。
隣にいたシンゴも、身を乗り出していた。
「……ねえ、チャコ。ここの外部フレームって、前の救助任務で負荷がかかった部分だよね?」
『せや。補修は済んどるけど、今度の任務にそのまま使えるかは別問題や』
「だよね……」
シンゴは考え込んだ。
そして、サツキへ顔を向ける。
「……サツキさん。これ、実物を見ないと分からなくない?」
「……ええ。私もそう思ってたところ」
サツキは端末を置いた。
「チャコ、正直に言うわ。図面や整備記録だけでは、私たちも判断できない」
『……やっぱりか』
「特に、過去に大きな負荷を受けた部分と、改修する制御系統の位置関係を直接確認したいの。実際の機体を見ないまま、できるともできないとも言えないわ」
チャコは少し考えた。
『ほんなら、一回こっちへ来るか?』
「……ええ。明日、シンゴと一緒に行くわ」
『了解や。見学と技術確認の手続きは、こっちで話を通しとく』
その返事を聞いて、シンゴは嬉しそうに笑った。
「よーし! 明日はネフェリスを直接見られるんだね!」
だが、サツキはすぐに釘を刺した。
「シンゴ。見学じゃないわよ。私たちは、技術的に何ができるのか判断しに行くんだから」
「分かってるって!」
シンゴは元気よく答えた。
その顔が、少しも反省していないように見えたのは気のせいではないだろう。
◇
そして、現在。
二人は約束どおり、宇宙管理局の整備ドックへ足を運んでいた。
「……おっ、来たな!」
整備用通路の奥から、チャコの声が聞こえてきた。
振り返ると、猫型ロボットのチャコが端末を片手に歩いてくるところだった。
「チャコ!」
シンゴが大きく手を振る。
「おはよう!」
「おはようさん! 昨日の今日で来るとは、二人とも仕事が早いなぁ!」
「昨日の通信を聞いたら、気になるに決まってるじゃない」
サツキは小さく笑った。
「それに、あの資料だけで判断するのは無理よ。一度、機体本体を見てみないと」
「せやな」
チャコは頷いた。
「ウチも、画面だけで全部伝えるんは難しいと思っとったんや」
そして、ネフェリスを見上げる。
「何しろ、こいつは普通の船とちゃうからな」
サツキも視線を向けた。
ネフェリスには神経応答制御という特殊なシステムが搭載されている。
操縦者の反応と機体制御を高度に結びつけるその仕組みは、一般的な恒星間輸送船とは大きく異なっていた。
さらに、姿勢制御や重力制御も複雑に連携している。
個々の装置が正常に動くことと、船全体が極限状態でも安全に動けることは、必ずしも同じではなかった。
「……まず、外部フレームと推進系統を確認したいわ」
サツキが言った。
「それから、機械室の配置も。追加する装置があるなら、整備動線まで考えないといけないもの」
「分かったで」
チャコは端末を操作した。
「ほんなら、まず外から見ていこか」
◇
三人は整備用の昇降リフトへ乗り込んだ。
リフトがゆっくりと上昇し、ネフェリスの船体側面へ近づいていく。
間近で見る外装は、遠くから眺めていた時とはまったく印象が違った。
滑らかな装甲の継ぎ目。
姿勢制御用スラスターの配置。
船体を支える内部フレームの位置。
シンゴは端末を構え、許可された範囲で各部の状態を記録していった。
「……へえ」
シンゴが感心したように呟く。
「思ってたより、整備用のスペースが少ないんだね」
「そうなのよね」
サツキが頷いた。
「この構造だと、新しい装置を積むこと自体はできても、故障した時に取り外せるかどうかが問題になりそう」
「せや」
チャコが答える。
「東の未探索領域やったら、整備ドックに戻って修理するなんて簡単にはできへん。船内で復旧できるようにせなあかん」
「……だったら、追加装備を考える前に、今ある系統の冗長性を確認した方がよさそうね」
サツキは端末へ指を走らせた。
「ここは交換できる。ここは補強が必要。……それから、ここのケーブル経路は見直した方がいいかもしれない」
シンゴも頷いた。
「うん。予備系統があっても、同じ場所を通ってたら一緒に壊れる可能性があるもんね!」
「そういうこと」
サツキは小さく笑った。
チャコも満足そうに頷く。
「ええ目の付けどころや。やっぱり二人を呼んで正解やったな」
「……まだ何も決めてないわよ」
サツキは即座に返した。
「実物を確認して、改修できる見込みがあるか判断するのはこれからなんだから」
「分かっとる、分かっとる」
チャコは楽しそうに笑った。
◇
外部の確認を終えた三人は、続いて機械室へ向かった。
サツキにとって、その場所は特別だった。
かつてネフェリスが危機に陥った時、彼女はこの機械室で復旧作業を続けていた。
姿勢制御ユニットと重力制御ユニット。
焼けた配線。
次々と鳴り響く警告。
あの時のことは、今でも忘れられない。
「……ここも、随分直したのね」
サツキが静かに言った。
「せや。あの時の損傷箇所は、帰還後にかなり手を入れたからな」
チャコが答える。
サツキは新しい保護カバーを見つめた。
「……あの時は、本当に無我夢中だったわ」
「そらそうやろ。あんな状態で冷静に全部判断できる方がおかしいわ」
「……でも、チャコがいてくれたから助かったのよ」
サツキは微笑んだ。
「私一人だったら、どこから手をつけていいのか分からなかったかもしれない」
チャコは少しだけ照れたように鼻を鳴らした。
「何言うてんねん。あん時はみんな必死やった。それだけや」
シンゴは、二人の話を静かに聞いていた。
自分が直接経験していない、ネフェリスでの危機。
それを乗り越えた二人が、今こうして再び機体の前に立っている。
シンゴは少しだけ表情を引き締めた。
「……ねえ、チャコ」
「何や?」
「僕も、この船のことをもっと知りたいんだ」
チャコが顔を向ける。
「昨日の通信を聞いてから、ずっと考えてた。僕がどこまで役に立てるか分からないけど……もしサヴァイヴを探しに行くなら、僕も力になりたいんだ」
その声は真剣だった。
サツキも、静かに頷いた。
「……私も同じよ」
◇
「……でも、技術的に難しいところがあるなら、ちゃんと言うわ」
サツキはネフェリスの制御装置へ視線を向けた。
「行きたいからって、何でもできると言うつもりはないの。無理な改修をして、誰かが帰れなくなるようなことだけは避けたいから」
チャコは真面目な顔で頷いた。
「……せやな。それが一番大事や」
シンゴも大きく頷いた。
「僕も! ちゃんと安全に行って、安全に帰ってこられる船にしたい!」
そして、少しだけ笑った。
「……それにさ」
「ん?」
「もし本当にサヴァイヴへ行けたら、もう一回あの場所を見たいんだ」
サツキが顔を向ける。
シンゴは静かに続けた。
「僕たちがみんなで船を造った場所とか、暮らしてたところとか……今、どうなってるのか気になるんだよね」
無人惑星サヴァイヴ。
あの星で過ごした日々は、決して楽なものではなかった。
しかし、仲間と協力して機械を修理し、必要なものを造り上げていった経験は、今のシンゴの原点でもあった。
メカニックとして働くようになった今でも、あの頃に学んだことは彼の中に残っている。
「……ポルトさんにも報告したいしね」
シンゴが小さく笑った。
その名前を聞いて、サツキは静かに目を伏せた。
そして、ぽつりと言った。
「……私も、ポルトさんのお墓参りをしなきゃ」
チャコが顔を上げる。
「……サツキ」
「私、まだ一度も行けてないでしょう?」
サツキは、ネフェリスの機械室を見渡しながら続けた。
「ポルトさんには、本当にたくさんのことを教えてもらったの。今の私がメカニックとして働けているのも、あの人のおかげだから」
その声音には、深い懐かしさがあった。
「……だから、いつか直接お墓の前で報告したいのよ。今もちゃんと仕事を続けていますって」
シンゴは静かに頷いた。
「……うん。僕も一緒に行きたい」
チャコはしばらく二人を見つめていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……ポルトはん、喜ぶやろなぁ」
「そうかしら?」
サツキが微笑む。
「喜ぶ前に、ちゃんと仕事しとるんかって怒られそうだけど」
「あははっ! それはあるな!」
チャコが笑った。
シンゴも思わず吹き出す。
「絶対そうだよ! 僕なんて、また工具の使い方から確認されそう!」
懐かしい笑い声が、機械室に広がった。
◇
しばらくして、三人は再び整備用端末の前へ戻った。
「……さて」
サツキが、確認した項目を整理する。
「チャコ。今日見た範囲で、改修の方向性は少し見えてきたわ」
「おっ、ほんまか?」
「ええ。ただし、まだ判断を確定させる段階ではないわね」
サツキは画面を指差した。
「特に、制御系統を追加した時の電源負荷と、整備性への影響はもう少し調べたいの。それから、船体フレームへの荷重も計算し直す必要があると思う」
シンゴが続ける。
「僕は、外装側の配線と補助装置の取り付け位置をもう少し確認したいな。今のままだと、緊急時に交換しにくいところがありそうだから」
チャコは二人の話を聞きながら、真剣な表情で頷いた。
「……なるほどな」
そして、少しだけ笑った。
「昨日、通信で相談してよかったわ」
サツキも微笑む。
「私も、直接来てよかったと思ってる。やっぱり、実物を見ないと分からないことは多いわね」
「そうそう!」
シンゴが元気よく頷いた。
「図面だけ見てた時より、ずっとイメージが湧いたよ!」
チャコは端末を閉じた。
「ほんなら、今日確認したことを一回整理しよか。リュウジやペルシアにも伝えなあかんしな」
「ええ」
サツキが頷いた。
「私たちも、持ち帰って検討できることは考えてみるわ」
シンゴも笑った。
「僕も頑張るよ!」
◇
整備ドックを出る前、サツキはもう一度ネフェリスを見上げた。
巨大な船体は、静かに照明を浴びている。
この船が本当に東の未探索領域へ向かえるのか。
今の段階では、まだ分からない。
技術的な課題は多く、検討しなければならないことも山ほどある。
それでも、今日実際に機体を確認したことで、二人には少しだけ具体的な道筋が見え始めていた。
「……サツキさん」
シンゴが隣から声をかける。
「何?」
「いつか、本当に行けるといいね」
サツキは、静かに微笑んだ。
「……ええ。そうね」
そして、もう一度ネフェリスへ視線を向ける。
「でも、まずはこの船が安全に飛べるかどうか。それをしっかり確認するのが先よ」
「うん!」
「もし、その先にサヴァイヴがあるなら……」
サツキは一度言葉を止めた。
そして、穏やかな表情で続けた。
「その時は、ポルトさんに会いに行きましょう」
シンゴは大きく頷いた。
「うん! 約束だよ!」
少し離れた場所で、その会話を聞いていたチャコが小さく笑った。
「……せやな」
そして、ネフェリスを見上げる。
「まずは、こいつをちゃんと仕上げなあかんな」
昨日の通信から始まった、二人の技術的な協力。
それはまだ、正式な改修計画でも、調査隊への参加決定でもない。
けれど、自分たちの目で機体を確認し、できることとできないことを見極めようとする二人の行動は、ネフェリスを再び未知の宇宙へ送り出すための、確かな一歩になっていた。
そしてサツキとシンゴの胸には、技術者としての責任とは別に、もう一つの願いが残っていた。
いつか、サヴァイヴへ。
ポルトが眠るあの星へ。
今の自分たちの姿を、報告するために。
―――――
宇宙管理局の大型整備ドック。
ネフェリスの機体確認を終えたサツキとシンゴは、チャコと一緒に、整備用通路を歩いていた。
昨日の通信で送られてきた図面と、実際に目にした機体。
その二つを比較したことで、二人には新しい疑問がいくつも生まれていた。
「……やっぱり、一度来て正解だったわね」
サツキは端末に保存した記録を確認しながら言った。
「ええ。外部フレームの状態も、機械室の配置も、図面で想像していたのとは少し違ったもの」
「そうだね! 僕も、もっと細かいところを見たくなっちゃったよ!」
シンゴは相変わらず元気だった。
「特に神経応答制御! あれ、普通の恒星間輸送船にはない仕組みだから、もっと勉強したいんだ!」
「気持ちは分かるけど、まずは今日確認した内容を整理しないとね」
「分かってるって!」
二人のやり取りを聞きながら、チャコは満足そうに笑った。
「ええこっちゃ。実物を見て疑問が増えるんは、技術屋として正常な反応やで」
「……そういうもの?」
サツキが首を傾げる。
「せや。図面だけ見て全部分かった気になっとる方が、よっぽど危ないわ」
チャコがそう答えた時だった。
「……お前たち、来てたのか」
通路の向こうから、落ち着いた声が聞こえた。
三人が振り返る。
そこには、整備用の端末を片手にしたリュウジが立っていた。
「あっ! リュウジ!」
シンゴが嬉しそうに手を振った。
「おお、久しぶり! 元気だった?」
「ああ。お前も元気そうだな」
リュウジは小さく笑った。
シンゴの明るさは、昔から変わらない。
サヴァイヴで一緒に過ごしていた頃から、機械の話になると途端に目を輝かせる少年だった。
そして今、その少年は恒星間輸送船のメカニックとして働いている。
「……ネフェリスを見に来たのか?」
「うん! 昨日チャコから通信があったんだ。東の未探索領域に向けて改修するから、僕たちにも意見を聞きたいって!」
シンゴは嬉しそうに答えた。
「だからサツキさんと一緒に来たんだよ! やっぱり実物を見ないと、できるかどうか判断できないところが多くてさ!」
「そうか」
リュウジは頷いた。
そして、サツキへ顔を向ける。
「……どうだった?」
「まだ何とも言えないわね」
サツキは正直に答えた。
「手を入れられそうな部分はあるけど、過去の損傷箇所との関係や、電源系統への負担をもう少し調べないと。今の段階で大丈夫とは言えないわ」
「それでいい」
リュウジは短く答えた。
「できないことまで、できると言う必要はない」
サツキは少しだけ笑った。
「……相変わらずね」
「何がだ?」
「そういうところよ。昔から、危ないものは危ないってはっきり言うでしょう?」
リュウジは肩をすくめた。
「ネフェリスを壊したくないだけだ」
「……それだけ?」
「乗る人間もな」
その返事に、サツキは静かに頷いた。
◇
「……そうだ、シンゴ」
リュウジが何かを思い出したように口を開いた。
「何?」
「ちょうど管理局にルナが来てる。会いに行ってやれ」
「……えっ!?」
シンゴの目が大きく開いた。
「ルナが!?」
「ああ。地球関係の打ち合わせで来てるらしい。さっき連絡を受けた」
「本当!?」
シンゴは一気に表情を明るくした。
「うわぁ! 久しぶりだなぁ! 会いたい!」
チャコがにやりと笑う。
「何や、シンゴ。ネフェリスのことはもうええんか?」
「そんなことないよ! でも、ルナにも会いたいんだ!」
「ははっ、忙しいやっちゃなぁ」
サツキも小さく笑った。
「せっかくなんだから、行ってきたら? 今日は必要なところを一通り確認できたでしょう?」
「……いいの?」
「もちろん。その代わり、今日の記録は後で一緒にまとめてもらうわよ」
「任せて!」
シンゴは元気よく頷いた。
リュウジが端末を確認する。
「今なら本部の打ち合わせが終わってるはずだ。連絡してみろ」
「うん! ありがとう、リュウジ!」
シンゴは早速、携帯端末を取り出した。
画面にルナの名前を表示すると、迷わず発信する。
数回の呼び出し音。
そして。
『……もしもし?』
「ルナ!」
『……えっ? シンゴ!?』
通信越しに、驚いた声が返ってきた。
「今、宇宙管理局にいるんだ! リュウジから、ルナも来てるって聞いたよ!」
『本当に? どうして?』
「ネフェリスを見に来たんだよ! チャコから昨日連絡があってさ!」
『……そうだったんだ!』
ルナの声が明るくなる。
『ちょうど打ち合わせが終わったところなの。今どこにいるの?』
「整備ドック! これからそっちへ行ってもいい?」
『もちろん! じゃあ、本部のラウンジで待ってるね!』
「分かった! すぐ行くよ!」
通話が切れる。
シンゴは満面の笑みで顔を上げた。
「じゃあ、ちょっと行ってくる!」
「ああ、行ってこい」
リュウジが答える。
チャコが手を振った。
「道に迷うなよー!」
「迷わないって!」
シンゴは笑いながら通路を駆けていった。
その背中を見送り、サツキは小さく微笑んだ。
「……本当に、変わらないわね」
「そうだな」
リュウジも、ほんの少しだけ笑った。
◇
「……ああ、それとサツキ」
リュウジが再び口を開いた。
「何?」
「ペルシアが呼んでたぞ」
その瞬間。
サツキの表情が、分かりやすく曇った。
「…………はぁ」
深いため息が漏れる。
「……どうした?」
リュウジが首を傾げた。
サツキは額に手を当てた。
「……ペルシアさんに呼ばれると、碌な話じゃないのよね」
リュウジが少しだけ眉を上げる。
「……そうか?」
「だって、いつも突然なんだもの」
サツキは呆れたように続けた。
「ついでにあの宇宙船も見ていって、とか頼まれるのよ!?『ラスペランツァのよしみでしょ』とか言って」
チャコが吹き出した。
「あはははっ! 言いそうやなぁ!」
「でしょう?」
「めっちゃ想像できるわ!」
リュウジも口元を緩めた。
ブライアン隊の救助任務では、サツキも彼女の下で働いていた。
それ以来、サツキにとってペルシアは、尊敬する相手であると同時に、少しばかり調子を狂わされる相手でもあった。
普段は明るく、冗談好き。
ところが、ひとたび仕事の話になると、誰よりも厳しくなる。
しかも、その切り替えが唐突なのだ。
「……まあ、行ってみれば分かるだろ」
リュウジが言った。
「そうね」
サツキは諦めたように頷いた。
「呼ばれてるなら、行くしかないもの」
「統括官室にいるはずだ」
「分かったわ。ありがとう」
そう答えると、サツキは端末を片手に歩き出した。
チャコは、その背中を見送りながら楽しそうに笑っていた。
「……なあ、リュウジ」
「何だ?」
「サツキ、嫌な予感しとるみたいやけど」
「ああ」
「案外、当たっとるかもしれんなぁ」
リュウジは、何も答えなかった。
ただ、少しだけ口元を上げた。
◇
宇宙管理局本部。
統括官室の前に到着したサツキは、軽く呼吸を整えてから扉の横にある呼び出し装置を操作した。
「サツキです。お呼びと伺いました」
『ああ、来たのね。入っていいわよ』
聞き慣れた声。
サツキは小さく息を吐き、扉を開いた。
「失礼します」
室内では、ペルシアが机に向かって書類を確認していた。
周囲には複数の端末が並び、その一つにはネフェリスの立体図が表示されている。
「あら、サツキ。早かったわね」
「ネフェリスの確認が終わったところでしたので」
「ちょうどよかったわ。座って」
「はい」
サツキは勧められた椅子に腰を下ろした。
ペルシアは端末を閉じ、楽しそうに微笑む。
「ネフェリス、どうだった?」
「まだ技術的な確認が必要です。外部フレームと制御系統について、いくつか気になるところがありました」
「そう。チャコからも後で報告をもらう予定よ」
ペルシアは頷いた。
そして、何気ない調子で続けた。
「ところで、サツキ」
「はい?」
「今の仕事、忙しい?」
サツキの眉が、わずかに動いた。
「……恒星間輸送船の整備業務ですか?」
「そう」
「それなりには。ただ、今のところ大きなトラブルはありません」
「ふうん……」
ペルシアは、少し考えるように頬へ指を当てた。
その仕草を見て、サツキは嫌な予感を覚えた。
「……あの、ペルシアさん」
「何?」
「もしかして、また何か頼み事ですか?」
「……あら」
ペルシアがにっこり笑った。
「よく分かったわね」
「…………」
サツキは、思わず額に手を当てた。
「……やっぱり」
◇
「まあまあ。そんな顔しないの」
ペルシアは楽しそうに笑った。
「まだ何も言ってないでしょう?」
「……ペルシアさんがそういう顔をされる時って、大抵何かあるじゃないですか」
「失礼ねぇ」
「ラスペランツァの時も、そうでしたから」
その言葉に、ペルシアの笑みが少しだけ深くなった。
「ああ、ラスペランツァね」
彼女は椅子の背にもたれた。
「懐かしいわねぇ。あの時は本当に大変だったわ」
「……大変なんてものじゃありませんでしたよ」
サツキは苦笑した。
「姿勢制御も重力制御も故障して、配線は焼けて、警告は止まらないし……。正直、今思い出しても怖いです」
「そうね」
ペルシアは静かに頷いた。
「でも、あなたは最後まで仕事を続けたでしょう?」
「……はい」
「チャコと一緒にネフェリスを支えてくれた。あの時、あなたがいなかったら、帰還はもっと難しかったと思うわ」
突然の言葉に、サツキは少しだけ目を丸くした。
「……ありがとうございます」
「だから、今回もあなたの力を借りたいのよ」
ペルシアが言った。
サツキは背筋を伸ばす。
「……今回、ですか?」
「ええ」
ペルシアは、机の端末を操作した。
ネフェリスの立体図が拡大される。
そこには、改修を検討している制御系統や、機体の点検項目が表示されていた。
「今回の東の未探索領域の件、チャコがネフェリスの中枢を担当することになってるのは知ってるわね?」
「はい。先ほど本人から聞きました」
「でもね、チャコ一人に全部任せるつもりはないの」
ペルシアは少しだけ表情を引き締めた。
「神経応答制御を一番理解しているのはチャコよ。それは間違いない。でも、機体全体の整備計画や改修の妥当性確認、必要な部品の調達、検証作業まで、あの子一人に背負わせるわけにはいかないでしょう?」
「……そうですね」
サツキが頷いた。
「しかも、チャコには地球側の活動から一時的に抜けてもらうことになる。だから、こちらへ来てもらった時間を効率よく使いたいのよ」
ペルシアはサツキを見つめた。
そして、何でもないことのように告げた。
「ねえ、サツキ。しばらくの間、恒星間輸送船のメカニックを休んで、こっちの仕事に協力してくれない?」
「…………はい?」
サツキの動きが止まった。
数秒の沈黙。
そして。
「…………えっ!?」
ようやく驚きの声が出た。
◇
「ちょ、ちょっと待ってください!」
サツキは思わず身を乗り出した。
「私が……宇宙管理局の仕事を、ですか!?」
「そうよ」
ペルシアは涼しい顔で答えた。
「ネフェリスの改修に関する技術面の協力をお願いしたいの」
「……でも、私は今、恒星間輸送船の整備を担当しているんですよ?」
「知ってるわ」
「仕事を休むとなると、勤務先との調整も必要ですし、担当している整備計画だってあります」
「もちろん、そこは正式に調整するわよ」
ペルシアは頷いた。
「あなたが今の職場を辞める必要はないし、勝手にこっちへ引っ張ってくるつもりもないわ。勤務先に協力依頼を出して、必要なら期間限定の派遣という形にする」
「……そこまで考えていらっしゃるんですか?」
「当たり前でしょう?」
ペルシアは小さく笑った。
「私だって、統括官なんだから」
サツキは、しばらく彼女を見つめていた。
そして、ぽつりと呟く。
「……何だか、今日は本当にお仕事の話なんですね」
「ちょっと、それどういう意味よ!」
「いえ……いつも突然なので」
「失礼ねぇ!」
ペルシアの抗議に、サツキは思わず笑ってしまった。
◇
「……でも、ペルシアさん」
サツキは少しだけ真剣な表情になった。
「一つ聞いてもいいですか?」
「もちろん」
「どうして、私なんですか?」
ペルシアは、少しだけ目を細めた。
「……どうしてって?」
「ネフェリスの整備なら、宇宙管理局にも優秀な技術者の方がたくさんいらっしゃるでしょう?」
「ええ」
「それに、チャコもいます。私は確かにラスペランツァでネフェリスに乗りましたけど、宇宙管理局の技術者ではありません」
サツキは落ち着いて続けた。
「私より適任の方がいらっしゃるんじゃないでしょうか?」
ペルシアは、すぐには答えなかった。
机の上に表示されたネフェリスの立体図を見つめる。
そして、静かに口を開いた。
「……あなた、あの船が壊れた時に、実際に機械室で作業したでしょう?」
「……はい」
「しかも、通常の整備環境じゃなかった。制御系統が落ちて、電源供給も不安定で、まともな作業条件なんてほとんどなかった」
サツキは黙って聞いていた。
「そんな状況で、あなたは何を優先すべきか考えて、チャコと協力して復旧を進めた。あれは簡単な仕事じゃなかったわ」
「……でも、私一人の力ではありません」
「分かってる」
ペルシアは頷いた。
「だからこそよ」
サツキが顔を上げる。
「私は今回、技術者に何でも一人で解決してほしいわけじゃないの。チャコが見落とす部分を確認して、改修計画に無理があれば指摘して、必要なら止められる人が欲しいのよ」
ペルシアは端末を操作した。
ネフェリスの制御系統と、現在の改修検討項目が並ぶ。
「あなたは、あの船の故障を経験してる。それに今は、恒星間輸送船のメカニックとして現場で働いてるでしょう?」
「……はい」
「その経験を活かして、船体と機関系統の側から改修内容を見てほしいの。中枢そのものはチャコが担当する。でも、それ以外にも確認しなきゃいけないことは山ほどあるわ」
ペルシアは、そこで少しだけ笑った。
「それに、あなたならチャコにも遠慮せず意見を言えるでしょう?」
サツキは一瞬だけ考えた。
そして、苦笑した。
「……それは、まあ」
「でしょ?」
「でも、チャコはチャコで頑固ですからね」
「そうなのよ!」
ペルシアが大きく頷いた。
「だから、あなたが必要なの!」
その返事に、サツキはとうとう笑ってしまった。
◇
「……それで、具体的には何を担当するんですか?」
サツキが尋ねた。
ペルシアは待っていたように端末を操作した。
「まずはネフェリスの改修内容の確認。チャコが洗い出した項目を、整備する側の視点から再点検してほしいの」
「はい」
「それから、整備手順の整理と試験計画。必要な部品や装置があれば、調達に関する技術的な判断もお願いしたいわ」
「……なるほど」
「それと、ネフェリスだけじゃなくて、護衛に入る機体との連携も確認する必要があるのよ」
ペルシアは別の画面を開いた。
二機のアーウィンが表示される。
「護衛はファルコとクリスタルを候補にしているわ。だから、ネフェリスの改修内容が護衛側の通信や運用にどんな影響を与えるのかも見ておきたい」
サツキは画面を確認した。
「……そうですね。機体が違えば、通信装置の構成も、非常時の対応も変わりますから」
「ええ。それに、現地へ行ってから初めて問題が分かるようじゃ遅いでしょう?」
その言葉に、サツキは深く頷いた。
ペルシアの言うことは、もっともだった。
東の未探索領域。
通常の航路とは違い、十分な情報がない場所。
そこで機体にトラブルが発生した場合、現場の乗員だけで対処できるとは限らない。
だからこそ、出発する前の段階で、できる限り問題を洗い出しておく必要がある。
「……確かに、かなり大きな仕事ですね」
「そうでしょう?」
ペルシアは頷いた。
「だから、片手間でお願いするつもりはないのよ」
サツキは少しだけ目を伏せた。
恒星間輸送船のメカニックとしての仕事。
そして、ネフェリスの改修。
どちらも簡単に扱っていい仕事ではない。
「……しばらく、こちらに専念してほしいということですね」
「ええ。少なくとも、改修計画と主要な検証項目が整理できるまではね」
ペルシアは穏やかに答えた。
◇
「……ちなみに」
サツキが、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「何?」
「この仕事に協力した場合、私もサヴァイヴへ行ける可能性があるんでしょうか?」
ペルシアは、すぐには答えなかった。
少しだけ表情を和らげる。
「……サツキ」
「はい」
「ポルトさんのお墓参りをしたいんでしょう?」
サツキは、驚いたように目を丸くした。
「……ご存じだったんですか?」
「チャコから聞いたわ」
ペルシアは頷いた。
「あなたがポルトさんの教え子だったことも、あの人のお墓へ行きたいと思っていることも」
サツキは静かに目を伏せた。
「……そうですか」
「気持ちは分かるわよ」
ペルシアは穏やかに続けた。
「でも、今の段階で一緒に行けるとは約束できない。乗員は必要な役割と安全上の条件で決めることになるから」
「……はい」
サツキは頷いた。
「それは理解しています」
「ただね」
ペルシアは少しだけ笑った。
「今回の仕事に協力してもらうことと、実際にネフェリスへ乗ることは別よ。まずは改修に集中してほしいの」
「……そうですね」
サツキは静かに答えた。
「私も、それが一番大切だと思います」
そして、少しだけ微笑む。
「もし将来、本当にサヴァイヴへ行けることになったら……その時は、ポルトさんにちゃんと報告したいです」
ペルシアは、優しく頷いた。
「ええ。そうできるといいわね」
◇
「……それで、どう?」
ペルシアが尋ねた。
「協力してくれる?」
サツキは、すぐには答えなかった。
自分の仕事を思い浮かべる。
現在担当している恒星間輸送船。
一緒に働いている整備班の仲間たち。
それぞれに役割があり、予定されている作業がある。
自分一人の判断で、明日から休むわけにはいかない。
「……ペルシアさん」
「何?」
「私としては、協力したいと思っています」
ペルシアの表情が明るくなる。
「本当?」
「はい。ただ、今の仕事を途中で放り出すことはできません。勤務先とも相談しなければいけませんし、担当業務の引き継ぎも必要です」
「もちろんよ」
ペルシアは即答した。
「そこは私の方から正式に依頼するわ」
「……ありがとうございます」
「期間も、最初から無期限にはしない。まず必要な作業範囲を決めて、それに合わせて調整しましょう」
サツキは頷いた。
そして、少しだけ笑った。
「……それなら、お受けしたいです」
ペルシアは満足そうに微笑んだ。
「よかった!」
しかし。
「……でも、ペルシアさん」
「何?」
「一つだけ、お願いがあります」
「あら、珍しいわね」
サツキは、真剣な表情で言った。
「もし私が協力することになったら、技術的に危険だと判断したことは、遠慮せずに報告させてください」
ペルシアは静かに頷いた。
「もちろんよ」
「リュウジが行きたいと言っていても、チャコが大丈夫だと言っていても、私が危険だと思ったら、ちゃんと意見を言わせてください」
その言葉を聞いたペルシアは、ゆっくりと笑みを深めた。
「……それを待ってたのよ」
「……え?」
「私が欲しいのは、何でも『大丈夫です』って言う技術者じゃないもの」
ペルシアは、ネフェリスの立体図へ視線を向けた。
「駄目なものは駄目って言ってくれる人。必要なら、計画を止める判断材料を出してくれる人。そういう人が必要なのよ」
そして、サツキへ顔を向ける。
「だから、遠慮なんてしなくていいわ」
サツキは、静かに頷いた。
「……分かりました」
◇
「……それにしても」
サツキが、ふと小さく呟いた。
ペルシアが顔を向ける。
「何?」
「今日、リュウジにペルシアさんが呼んでいると聞いた時、てっきり簡単な頼み事だと思っていたんです」
「……そうなの?」
「はい。『ついでにあの宇宙船も見ていって』とか、『ラスペランツァのよしみでしょ』とか、そういうお話かなって」
ペルシアは一瞬だけ黙った。
そして。
「あはははっ!」
声を上げて笑い出した。
「何よそれ! 私、そんなに無茶な頼み方してる!?」
サツキは苦笑した。
「……ご自覚がないんですか?」
「失礼ねぇ!」
ペルシアは笑いながら抗議する。
そして、少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「……でも、そうね」
サツキは嫌な予感がした。
「……何でしょう?」
ペルシアは、にっこりと微笑む。
「ラスペランツァのよしみでしょ?」
「…………」
サツキは、ゆっくりと額に手を当てた。
「……やっぱり言うんですね」
「あははっ! だって、あなたが言ってほしそうだったんだもの!」
「言ってほしくありませんでした!」
サツキの抗議に、ペルシアはますます楽しそうに笑った。
統括官室に、久しぶりの明るい笑い声が響く。
◇
その頃。
宇宙管理局本部のラウンジでは、シンゴがルナと再会していた。
「ルナ!」
「シンゴ!」
二人は、顔を見合わせて笑った。
「本当に久しぶりだね!」
「うん! 元気そうでよかった!」
ルナは嬉しそうに微笑んだ。
シンゴは椅子に腰を下ろすと、早速ネフェリスの話を始めた。
「今日さ、サツキさんと一緒にネフェリスを見てきたんだ! チャコから昨日通信があって、改修の相談をされたんだよ!」
「……そうだったんだ」
ルナは静かに頷いた。
東の未探索領域。
サヴァイヴを探しに行くための計画。
その話は、彼女もすでに聞いていた。
チャコが今回の任務に協力することも、地球での活動を進める自分にとって簡単なことではない。
それでも、ルナはチャコを送り出すと決めていた。
「……シンゴも、協力するつもりなの?」
「うん!」
シンゴは力強く頷いた。
「もちろん、僕が行けるかどうかはまだ分からないけどね。でも、メカニックとして役に立てることがあるなら、頑張りたいんだ!」
ルナは、その言葉を聞いて微笑んだ。
「……シンゴらしいね」
「そうかな?」
「うん。昔から機械のことになると、本当に楽しそうだったもの」
シンゴは照れくさそうに笑った。
「へへっ……でも、あの頃よりは成長したと思うよ!」
「そうだね」
ルナは頷いた。
「きっと、ポルトさんも喜ぶと思う」
その名前が出た瞬間、シンゴの表情が少しだけ穏やかになった。
「……うん」
そして、小さく笑う。
「僕さ、いつかポルトさんのお墓に行って、今の仕事のことを報告したいんだ」
ルナは静かに頷いた。
「……私も、またあの場所へ行きたいな」
二人は、しばらく窓の外を眺めていた。
遠くには、宇宙管理局の施設を行き交う輸送船の姿が見える。
かつて何もない惑星で必死に生き抜いていた自分たちが、今はこうして別々の場所で、それぞれの未来を歩んでいる。
そのことが、少しだけ不思議だった。
「……ねえ、ルナ」
「何?」
「いつか、またみんなでサヴァイヴに行けたらいいね」
ルナは少しだけ目を細めた。
「……うん」
そして、穏やかに微笑んだ。
「でも、まずはみんなが無事に帰ってくることだよ」
「……そうだね!」
シンゴは力強く頷いた。
◇
一方、統括官室。
サツキは、ペルシアから受け取った資料を端末へ保存していた。
正式な協力依頼は、これから勤務先との調整を経て進めることになる。
まだ何も決まったわけではない。
けれど、サツキの気持ちは固まりつつあった。
「……それじゃあ、ペルシアさん。勤務先と調整ができましたら、改めてご連絡します」
「ええ。よろしくね」
ペルシアは頷いた。
そして、少しだけ真面目な表情になる。
「……サツキ」
「はい?」
「今回は、ラスペランツァの時みたいな無茶をするつもりはないわ」
サツキは静かに顔を上げた。
「……はい」
「むしろ、あんなことを二度と繰り返さないために、今から準備するのよ」
その言葉には、統括官としての強い意志が込められていた。
かつて、ネフェリスの機械室で必死に復旧作業を続けたサツキ。
船を動かし続けようとしたチャコ。
負傷しながら操縦桿を握り続けたリュウジ。
そして、帰還を信じて待っていた仲間たち。
ラスペランツァが全員帰還できたのは、誰もが最後まで諦めなかったからだった。
だが、だからといって、次も同じように帰ってこられるとは限らない。
「……分かっています」
サツキは静かに答えた。
「私も、あんな危険な状況は二度と経験したくありません」
そして、少しだけ微笑む。
「ですから、今度は出発する前に、できることを全部やっておきたいです」
ペルシアも微笑んだ。
「……ええ。それでこそよ」
サツキは一礼し、統括官室を後にした。
扉が閉まる。
ペルシアは、しばらくネフェリスの立体図を見つめていた。
「……ふふっ」
小さな笑みが浮かぶ。
チャコ。
サツキ。
そして、リュウジ。
少しずつ、必要な人材が集まり始めている。
だが、今回の計画は、まだ出発を許可できる段階ではない。
だからこそ、今は一つひとつの準備を積み重ねていく必要があった。
「……さて」
ペルシアは新しい書類を開いた。
「今度は、ちゃんと全員で帰ってこられる計画にしないとね」
その声音には、いつもの軽さはなかった。
宇宙管理局の統括官として。
そして、かつてチーム《ラスペランツァ》を率いた一人として。
ペルシアは、ネフェリスの改修計画を静かに見つめ続けていた。
サヴァイヴへの道は、まだ遠い。
けれど、その道を現実のものにするための準備は、確かに動き始めていた。