オリオン号は、古びた街を抜けて再び発進した。
乾いた大地の上を進み続け、数時間後。
地平線の先――緑色に輝く巨大な構造物が、ゆっくりと姿を現した。
「……あれが、テラフォーミングマシン……?」
ルナが息を呑む。
それは、まるで大地そのものに根を張った巨人のようだった。
全体が淡い緑色に覆われ、光を反射して鈍く輝いている。
高さは数十メートル。外壁には無数の管や装置が張り巡らされ、
上部からは三本の噴出口のような塔が突き出ていた。
そこからは微かに白い蒸気が上がり、風に揺られて空に溶けていく。
「すごい……。これが惑星を作り変える装置……」
メノリが呟く。
シンゴはメカニックとしての目が、興奮と警戒の間で揺れていた。
「活動してる……ってことは、まだ電力が供給されてるということだね」
「ってことは、中も生きてるってことやな」
チャコの声に、ルナの胸が高鳴る。
「中に薬や医療装置が残ってるかもしれない……!」
希望が走ったその時、無線からベルの声が響いた。
『おい! みんな、前方に変なものがいる! 注意しろ!』
「変なもの?」
ルナがモニターを覗く。
テラフォーミングマシンの正面――
その地面の上に、球体のロボットのようなものが浮いていた。
直径はおよそ一メートル。
滑らかな金属の外装の中央には、カメラレンズのような**黒い“眼”**が一つ。
周囲のリング状パネルには、点滅する赤と青の光。
まるで、彼らの動きを監視しているかのように――静かに、漂っていた。
「……無人警備機か?」
カオルが眉をひそめる。
「けど、もう何百年も前の機械やろ? 動くわけ……」
チャコの言葉が終わる前に、球体がピクリと動いた。
中央のレンズがギュイ、と音を立てて回転する。
――その瞬間、警告音が鳴り響いた。
「チャコ、何だ!?」
「ヤバい! 攻撃モードや!!」
球体の上部がパカッと開き、内部から金属の銃口のようなものが突き出た。
次の瞬間、空気が焼けるような音と共に――黄色い光線が放たれた!
「来るぞ!!」
リュウジは咄嗟に操縦桿を引いた。
オリオン号が急上昇し、光線が機体の下を掠めて地面を焦がす。
焼け焦げた砂が蒸発し、白い煙が立ち上った。
「熱線兵器……!?」
メノリの声が震える。
「こいつ、テラフォーミングマシンを守っとるんか?!」
チャコが叫ぶ。
再び球体のレンズが光り、二発目の光線が放たれる。
リュウジは操縦桿を倒し、機体を右へ急旋回させた。
機体の外壁をかすめた光が、焦げた匂いを残す。
ルナが慌ててリュウジの顔を見る。
「リュウジ!!」
「落ち着け、問題ない!」
彼の声は低く冷静で、わずかの迷いもなかった。
オリオン号は地面を滑るように飛行する。
球体の攻撃が続くが、リュウジはギリギリの操縦で避け続けた。
風が唸り、機体が揺れる。
「岩陰だ! あそこまで行け!」
カオルが叫ぶ。
「よし、掴まってろ!」
リュウジはスロットルを押し込み、機体を急加速させた。
砂煙が舞い、熱線が背後をかすめる――そして、オリオン号は巨大な岩の陰に滑り込んだ。
次の瞬間、攻撃がぴたりと止まった。
球体ロボットは動きを止め、再び静止している。
「……止まった?」
ルナが息をつく。
外は静寂。
だが、あの機械の“眼”だけが、なおも彼らを見つめているようだった。
リュウジは汗を拭い、深く息を吐いた。
「どうやら、簡単には中に入れてくれなさそうだな」
その声には、戦いの前の静かな決意が滲んでいた。
◇◇◇
岩陰に潜んだ一同の眼前には、緑色の巨躯――テラフォーミングマシンが黙然とそびえていた。三本の噴出口は白い蒸気を細く吐き、風にちぎれて空へ溶ける。正面にはあの球体ドローン。レンズ状の“眼”が時折カチリと収束し、周囲の赤い点滅が心拍のように脈打つ。
「くっ……あれがいる限り、簡単には中に入れない」
メノリが拳を握る。声は震えていない。だが、喉の奥に張りつく緊張は、誰よりも自覚していた。
「私が行く」
短く、はっきり。ルナの瞳は真っすぐだった。
「無茶だ! 危険すぎる」
メノリが即座に制す。肩越しの視線は冷静だが、指先はわずかに強ばっている。
「大丈夫よ。アダムの遺跡で拾ったカードもあるし……」
ルナはポケットから薄い金属片を取り出し、光にかざした。古代の紋様と、見慣れた記号が走る。
「危ないと思ったら、すぐに逃げるわ。約束する」
自分に言い聞かせるような小さな呼吸のあと、ルナは皆へ向けて頷いた。
(こうなっては、何を言っても引かないだろう)
リュウジは一瞬、目を伏せる。静かに、結論だけを口にした。
「――だったら、俺が囮になる。ギリギリまで注意を引く」
「そういうことなら俺もやる」
甲板からベルが鉄板を抱えて降りてきた。穏やかな声の奥に、決意の芯がある。
「ほな――作戦会議や」
チャコが簡単に指示する。素早く、要点だけを叩く。
「リュウジとシンゴが前方の岩陰Aまで走る。反対側はハワードとカオルが走って岩陰Bへ移動。ベルはここで鉄の板を構えて待機――ルナが狙われたら即座に盾や。ほんで、二方向から攪乱してるあいだに、ルナがドローンへ接近。ええな?」
「了解した」
カオルが短く答え、槍の石突を地面に打ち込んで角度を測る。
「……怖いけど、行ける」
シンゴが喉を鳴らし、ルナと目を合わせて頷いた。
「ハワード」
メノリが名を呼ぶ。
「わ、わかってるって! 俺だってやる時はやる男だ」
「べつに格好つけなくていい。戻ってくること。いいな」
「……わかったよ」
乾いた風。砂の匂い。機械の唸り。時間が伸び縮みするような沈黙ののち――。
「作戦開始」
チャコの合図に、息が一斉に詰まる。
「俺たちが出たら、すぐに出ろ」
リュウジがカオルを一瞥。
「了解」
カオルの返答は刃のように鋭い。
次の瞬間、リュウジとシンゴが岩陰から飛び出した。砂が舞い、風が裂ける。球体ドローンのレンズがキュイと縮瞳し、視線(ロック)が二人へ跳ぶ。
「今だ、走れ!」
メノリの怒号。ほぼ同時に、カオルとハワードが反対側の岩陰へ向けてダッシュ。二方向の砂煙が平行に伸び、ドローンのレンズが右へ左へと忙しく揺れる。
やがて――レンズがシンゴで止まった。
機械の脈動音が一段高くなる。「ピ、ピピ――」
ドローン頂部の銃座が起立し、熱線が空気を焼いた。
「――!」
シンゴが足をもつらせる。狙いは正確、回避は間に合わない――。
リュウジが止まった。一歩、二歩。振り返りざまにシンゴの腕を掴む。
「行け!!」
前へ、押しやる。
同時に、熱線がリュウジの足元へ突き刺さり、土煙が炸裂した。
「リュウジ!!」
ルナの叫びが、砂の白に溶ける。
視界は茶色に満たされ、世界が一瞬、無音になる。やがて風が煙を払った。
――いた。
リュウジは砂に片膝をつきながらも、無傷の動きで岩陰へ滑り込む。
シンゴも歯を食いしばり、全力でA地点の影へ飛び込んだ。
反対側。カオルとハワードも定位置に。カオルは槍を半身に構え、ハワードは息を殺して肩を上下させる。
「両チーム、ポイント到達」
メノリが小声で状況を噛みしめる。
ルナはうなずき、ゆっくりと立ち上がった。
「――わかった。行ってくる」
ひとり、砂の上に足を踏み出す。その足取りは速くない。恐怖を押しこめる速度。
球体ドローンのレンズが彼女へと吸い寄せられる。
「ピピピピ……」 機械音が鋭さを増す。
「待って!」
ルナは胸元からカードを掲げた。光を反射する紋様。
「仲間が病気なの! 私たちは争いを望まないし、危害を加えるつもりもない。治療がしたいだけなの。お願い、通して――!」
声は大気へ溶け、微かに空洞を震わせた。
次の瞬間――脳髄の奥へ、冷たい声が落ちてきた。
『人間は必要ない』
ナノマシン網を介した拒絶。その言葉が終わるのと同時に、銃座が閃く。
熱線がカードを撫で、瞬時に溶断。
金属片は赤く光って崩れ、ルナの指先を熱が舐め――。
「きゃっ……!」
膝が抜け、砂へ倒れ込む。
目の縁に熱いものが滲み、喉が縮む。恐怖が、遅れてやってくる。
「――ッ!」
岩陰から、リュウジが飛び出した。砂を蹴り、風を裂く。
レンズが彼へ向き直る。
リュウジは顎で後方を示し、「下がれ」と目で命じる。
「大丈夫か」
ベルが盾代わりの鉄板を掲げ、ルナの前に滑り込む。
「……うん」
「下がろう」
二人は腰を落としてじり下がる。ベルの鉄板に、試射の余熱が淡く当たってジリと鳴る。
「こっちだ!」
カオルが敢えて声を張り上げ、ドローンのレンズが反転する。
「べろべろばー!」
ハワードの挑発が重なり、即座に熱線が走る。
「うわっ!」
ハワードは悲鳴と同時に岩陰へダイブ。表面が焦げ、煙が上がった。
(今だ)
リュウジは砂に落ちていた石を拾う。片手に二つ。
一つをカオルへ投げる。もう一つは、ドローンのレンズめがけて全身投擲。
空気が裂ける音。
ドローンの銃座が反射的に迎撃。熱線が石を貫き、砕けた破片が白く蒸散する。
カオルは受け取った石を投げ槍の要領でリリース。
石は予想の半拍早く飛び、ドローンが反撃の再充填を終える前に――球殻へ直撃。
ガンッ。
鈍い金属音。球体が回転しながら姿勢を崩す。
だが銃座は暴発的に射線を掃き、抑制の効かないスウィープがあたり一帯を舐める。
「下がれ!」
ベルがルナを庇って鉄板を立てる。白い筋が板の縁を抉った。
その掃射は無秩序で、しかし強烈だった。
一発がテラフォーミングマシンの扉に当たり、崩れ落ちる。
内部の空気が「ボフッ」と短く吐息し、暗い通路が一瞬だけ口を開けて閉じた。
「……今だ」
リュウジの目が静かに細められる。
「隠れてろ!」
叫ぶや、足裏に地を噛ませ、跳ぶ。
砂を蹴り、空気を断ち、頂点までの一瞬で身体を凝縮。投影を最小にし、球体の死角へ滑り込む。
熱線が頬を掠めた。皮膚が焼ける匂い。
続けて太腿の外側を撫で、熱が浅く走る。
痛みはあと回しだ。
指が球殻のメンテナンス溝を掴む。重い。だが、落ちない。
腰のナイフを逆手に変え、ハウジングの合わせ目へねじ込む。
内部の駆動音が一段高くなる。球体が暴れる。遠心と反動が腕を引き剥がそうとする。
「おとなしくしろ……!」
リュウジは肩と胸郭で抑え込む。
刃に体重を預け、押し切る。
金属がきしんで、合わせ目が割れる。
内側から白い火花。電解の匂い。
球体の脈動が不規則になり、モーターの回転数が落ちる。
「リュウジ!」
ルナの声が届く。耳の裏で鼓動が鳴り、世界が一点に絞られる。
「――まだだ」
もうひと押し。
刃がコアに触れた手応え。
きしむ音が、ふっと止んだ。
力が抜ける。
球体は重さだけを残して、リュウジの腕の中で沈黙した。
彼はゆっくりと手を離す。
次の瞬間――球体は地面へ落ち、内部の過電流が遅れて小爆発を起こした。
ドンッ、と腹に響く衝撃。土が跳ね、砂が弾ける。
熱風が短く吹き、あたりは静寂を取り戻した。
耳鳴りの中、ルナは膝から力が抜けた。震える息を押しとどめ、立ち上がる。
「リュウジ……! 大丈夫!?」
彼は深く息を吐き、頬の浅い火傷に触れた。
「かすり傷だ。行ける」
ベルが鉄板を下ろし、目で安堵を示す。ハワードは岩陰から顔を出し、胸を押さえてへなへなと座り込む。
「な、なんだよ今の……心臓に悪い……」
「よう言うたな。最後の“べろべろばー”は心臓止まるか思たわ」
チャコが肩を落としつつも、口元はわずかに笑っていた。
「扉が開いた。今なら行けるわ」
メノリが扉の縁を指差す。破断したロックの隙間から、内部の薄緑の非常灯が覗く。
ルナは一歩前へ。アダムの顔が脳裏に浮かぶ。赤い頬、荒い呼吸、小さな手の震え。
胸の奥が熱くなる。
◇◇◇
爆発の余韻がまだ地に残っていた。
焦げた匂いと風の音だけが響く中、オリオン号の周りにはわずかな静寂が広がっていた。
テラフォーミングマシンの巨体は相変わらず不気味なほど静まり返っており、壊れた防衛ドローンの残骸が、その前で黒く転がっている。
だがその光景の中で――一人、ルナはうつむいていた。
他の誰もが突入準備に動き出す中、彼女の指先はわずかに震えていた。
燃えかけたカードの破片がポケットの中に残っている。それを指でなぞるたび、あの冷たい声が脳裏を掠める。
「……ルナ、怪我はなかったか?」
メノリが近づき、穏やかに声をかけた。
ルナははっと顔を上げ、小さく笑ってみせる。
「え、ええ。大丈夫よ」
その笑みはどこかぎこちなかった。
それを見ていたリュウジが眉を寄せる。
「……何かあったのか?」
低い声。
その声に、ルナは一瞬、迷ったように唇を噛んだが――やがて小さく頷いた。
「……声が、聞こえたの。
“人間は必要ない”――って」
その言葉が落ちた瞬間、周囲の空気が止まった。
チャコが小さく耳を動かし、カオルが目を見開く。
「なんやて……?」
「“人間は必要ない”……?」
ハワードが思わず繰り返し、誰もが言葉を失う。
ルナは俯いたまま拳を握り締めた。
「だから……早く中に入って確かめなきゃ。あの声の意味も、アダムを助ける方法も……」
◇◇◇
その決意に押されるように、皆は動き始めた。
カオルとベルは槍と盾の点検を済ませ、ハワードは弓を持ち上げてため息をついた。
「“人間は必要ない”って言ってる相手に、こっちから突っ込むとか……」
シンゴが弓の弦を引き絞りながら呟く。
「……でも、行くしかない。アダムを放っておくわけにはいかない」
「こんなので対抗できるのか?」
ハワードが空撃ちして弓を鳴らす。
乾いた音が響いた。
「何もないよりはマシだ」
カオルが静かに言い、ベルも重い声で頷く。
そこへ、外からシャアラが駆け寄ってきた。
「みんな……準備は?」
ルナが顔を上げる。
「ええ、これから中に入るところ。――シャアラ、アダムのこと、お願いね。必ず治す手がかりを見つけてくるから」
「うん……。みんなも、気をつけてね」
その目に宿る不安を隠すように、ルナは笑った。
その肩に、チャコが軽やかに飛び乗る。
「大丈夫や。ウチが付いとるがな!」
その言葉に、ほんの少し場の空気が和らいだ。
ルナは息を吸い込み、声を張る。
「――じゃあ、みんな……行きましょう!」
その声には、先ほどまでの怯えの影はなく、リーダーとしての強さが戻っていた。
全員が頷き、テラフォーミングマシンの入り口へ歩き出す。
そのときだった。
ルナは後ろを歩くひとりの腕を掴んだ。
リュウジだった。
突然の行動に、彼は一歩止まり、皆も足を止める。
「……どうした?」
リュウジが小さく眉を上げる。
ルナは少しだけ顔を近づけ、真っ直ぐ彼の瞳を見上げた。
「あなたは――傷の手当てをしてからよ」
リュウジは一瞬、ぽかんとしたように彼女を見つめた。
「……かすり傷だって言っただろう」
「かすり傷でもよ」
ルナは柔らかく、しかし譲らない笑みを浮かべる。
「この大陸には“悪性ナノマシン”もあるみたいだし」
その言葉に、リュウジの目が一瞬、細くなった。
(……なぜその言葉を知ってる?)
彼はわずかにチャコへ視線を投げた。
チャコはすぐに小さく首を横に振る。
「……聞いてたのか」
リュウジは深く息を吐き、視線を落とした。
「私も、リュウジに心配をかけたくないの」
ルナは、まるで彼が言った言葉をそのまま返すように、静かに微笑んだ。
「……わかった」
リュウジは渋々ナイフを腰の鞘に戻すと、背を向けて歩き出した。
オリオン号の中に消えていく背中を見送りながら、ルナは満足そうに頷く。
「よろしい」
その言葉に、チャコが肩の上でクスリと笑った。
「ほんま、ルナは強いなぁ。リュウジ、あんたルナには弱いな~」
「こら、チャコ!」
ルナは慌てて顔を赤くするが、もうチャコはニヤニヤしながら先へ進んでいた。
砂の上に、仲間たちの足跡が重なっていく。
巨大な緑の壁が目前に迫り、風が静かに唸る。
その音はまるで――未知なる扉の向こうから彼らを呼ぶ、低い鼓動のようだった。
◇◇◇
テラフォーミングマシンの前で仲間たちを見送ったあと、リュウジはひとりオリオン号へと戻った。
風の音が止んだ船内は、戦いの余熱を吸い取るようにひっそりとしている。
焦げた外装の金属がまだ温かく、彼が足を踏み入れると、甲板に小さな音が響いた。
「……シャアラ、包帯と消毒液、あるか?」
声をかけると、寝室からシャアラが顔を出した。
彼女はすぐに頷き、備品棚から包帯と消毒液を取り出す。
「もちろん。待ってて、いま持ってくる」
リュウジは壁にもたれ、ナイフホルダーを外しながら静かに息を吐く。
頬には焼け跡が細く走り、太腿の側面には熱線がかすめた赤い痕が残っていた。
それを見たシャアラは、やや眉をひそめる。
「……結構、やられたわね」
「かすり傷だ」
「そう言うと思った」
シャアラは苦笑しながら、消毒液を布に含ませた。
「じっとしてて。動くと沁みるわよ」
ガーゼが頬に触れた瞬間、微かな痛みが走る。
思わず眉をしかめるリュウジを見て、シャアラは少しだけ柔らかく笑った。
「強がらなくてもいいのに。……痛いでしょ?」
「別に」
「素直じゃないなぁ」
シャアラは呟きながら、慎重に太腿の傷へ手を伸ばす。
布が擦れた感触とともに、熱を帯びた皮膚が露わになる。
彼女は消毒液を少し垂らし、手際よく包帯を巻きつけていく。
「……終わり。これでよし」
包帯を止めるピンがカチリと鳴り、シャアラは息をついた。
「動かすとまた裂けるから、少しは休みなさいよ」
「悪い。……助かった」
「どういたしまして」
短い言葉を交わしながらも、空気は不思議と穏やかだった。
リュウジはそのまま立ち上がり、隣のベッドに寝かされたアダムの方へ歩み寄る。
青いシーツの上、少年の顔は赤く染まり、呼吸は浅く速い。
リュウジはしゃがみ込み、そっと額に手を当てた。
熱がまだ強く、皮膚越しにも脈の速さが伝わる。
「……まだ高いな」
小さく呟く声は、誰に向けたものでもなかった。
その姿を見たシャアラが、ふっと優しい笑みを浮かべる。
「ねぇ、リュウジ」
「ん?」
「あなたって、案外“子ども好き”なんだね」
不意の言葉に、リュウジは僅かに肩を強張らせた。
そのまま顔を逸らし、無言で額から手を離す。
「……そんなことはない」
「ふふ。顔が否定してない」
「……勘違いだ」
短く返すその声は、少しだけ低く、そしてほんのりと照れ臭かった。
シャアラは笑いながら医療器具を片付ける。
「でも、ルナもそう言ってたよ。“リュウジは優しい”って」
その一言に、リュウジはほんの僅か――眉を動かした。
視線の先でアダムの胸が小さく上下している。
その音に混じって、機械の冷却音が低く響いていた。
「……優しさなんて、状況次第だ」
呟いた声は静かだったが、その奥にはどこか温かさがあった。
シャアラは彼の横を通り過ぎながら、そっと微笑む。
「ふふ。そういうところが、優しいんだよ」
リュウジは何も返さなかった。
ただ、黙ってアダムの寝顔を見つめたまま、包帯越しの太腿を軽く叩き――
「……さて、行くか」
と小さく呟いた。
彼の背に、シャアラの声がかかる。
「無理しないでね。あんまりルナを心配させちゃ、可哀想だよ」
リュウジは立ち止まりもせず、手だけ軽く上げた。
「……わかってる」
その一言に込められた感情は、誰よりも静かで、そして確かだった。
◇◇◇
テラフォーミングマシンの内部に一歩足を踏み入れた瞬間、リュウジは思わず息を呑んだ。
空気が、違う。
乾いた大地の匂いは消え、代わりに金属と冷気の匂いが鼻を刺す。
床は滑らかな白い材質で、どこを見ても継ぎ目がない。
壁面には無数の細い光の線が走り、青白く明滅していた。
……この感じ、どこかで――。
リュウジは眉を寄せ、無意識に周囲を見渡す。
(……遺跡と同じ構造だ)
思い出す。アダムの“遺跡”と呼んだ施設。そこに漂っていた、あの不気味な静けさ。
空気の密度、機械の呼吸音、微細な振動――全てが酷似していた。
「……やはり、アダムの仲間が作ったものか」
低く呟きながら、足を進める。
やがて通路が開け、巨大な広間に出た。
天井は高く、光源の見えない白い輝きがあたりを満たしている。
床には何層もの回路が埋め込まれ、その中心に円盤状の装置があった。
淡く光を放ち、空中に何かの映像を投影している。
近づいて確認しようとしたその時――
ドンッ!!
音が響いた。
リュウジは即座に振り向き、音のした方向へ駆け出した。
通路の先には下へ続く階段がある。
何の迷いもなく、足を踏み入れる。
金属の階段を駆け降りるたびに、下層から鈍い響きが増していく。
風のような音。誰かの声。そして……悲鳴。
最後の一段を飛び降りた瞬間、視界が開けた。
そこは、白い広間の下層――
そしてその中央で――仲間たちがいた。
「カオル!」
床に膝をつき、立ち上がろうとするカオルの姿が見える。
しかし彼の体は震え、脚に力が入らない。
その傍ら――ベルが見知らぬ“何か”に絡め取られていた。
それは緑色に触手状の物体。
まるで植物と機械を掛け合わせたような奇妙な質感で、表面には無数の光の粒が走っている。
根のように伸びた部分がベルの身体を締め上げ、その先端からドリル状の器具が突き出されていた。
動きは正確、まるで生き物のように柔らかい――
いや、“生体機械”だ。
リュウジの全身が反射的に緊張した。
迷いは一瞬もなかった。
腰のホルダーから二本のナイフを抜き、呼吸を整える。
(中心部……頭頂……そこがコアか)
緑の物体――ナノプラントの“頭部”がわずかに裂け、内側で何かが蠢いているのが見えた。
その瞬間、リュウジは動いた。
シュッ――!
空気を切る鋭い音。
二本のナイフが放物線を描き、白い光を反射しながら飛ぶ。
ズンッ!
金属にも似た鈍い音を立てて、ナイフはナノプラントの頭部へ正確に突き刺さった。
同時に、体表を走る緑の光が一斉に明滅し、触手がバチッと弾けるように離れる。
「リュウジ!!」
ルナの声が響いた。
その声にリュウジは一瞬だけ頷き、周囲の警戒を続ける。
ベルは肩で息をしながらも、絡みついていた触手を振り払い、カオルもよろめきながら立ち上がった。
床に残った触手の欠片が、まだ微かに蠢いている。
「大丈夫か!」
リュウジが駆け寄り、短く声を上げる。
ベルが荒い息の合間に笑った。
「……なんとかな。あと一秒遅かったら、危なかった」
「礼は後だ。全員、生きてるか?」
「うん……みんな無事」
ルナが答え、顔を上げる。その目には、安堵と緊張の余韻が揺れていた。
◇◇◇
仲間たちがリュウジに声を掛け、礼を言っているその瞬間──。
ルナの耳に、突然の低い声が届いた。
「お前は、不思議な力を使うな」
ルナはぎょっとして、倒れている生体機械の方へ目を向ける。信じられない思いで機械を見つめる彼女の顔に、微かな恐怖と好奇心が交錯した。
「どうしたんや?」
チャコが首を傾げる。周囲の歓声がまだ残る。
「いま、ロボットが話しかけてきた」
ルナは小さく呟いた。
「何も聞こえないぞ?」
ハワードが耳に手を当てて確認する。皆が耳を澄ますが、外にはただ機械の佇まいと、遠くの排気音だけがある。
「ナノマシンか?」
メノリが推測する。
「たぶん……」
ルナは迷いなく答えた。胸の奥が冷たくなるのを感じる。
それから、ルナにだけ届く“声”があった。言葉は耳で聞こえるというより、ナノレベルの信号を通して彼女の内側に直接語りかけてくるようだった。
『話しているのは、このロボットではない。このロボットは私の声を伝えているに過ぎない。』
ルナは震える唇で心のなかに問いかけるように返した(――じゃあ、あなたは誰なの?)。
『私はこの惑星にあるすべてのテラフォーミングマシンを管理するメインコンピューター、サヴァイヴだ』
「サヴァイヴ!?」
ルナの声が思わず漏れ、チャコがふとルナの方を見た。
「ルナ、誰と話してんねん?」
チャコが近づいてきて訊く。ルナは震える声で答える。
「メインコンピューターよ。サヴァイヴって言ってる」
「メインコンピューター?」
チャコは首をかしげる。周囲の空気が、突然重くなる。
ルナは、サヴァイヴが問いかけてくるのをそのまま仲間に伝える。
『お前たちには何者だ? どこから来た?』
ルナは口を結び、静かに仲間のために返す(心の中で)。
「私たちは、あるアクシデントで別の天体からここへ来たの。そして偶然、カプセルで眠っていた少年を助けた。その少年は、この星の人間の子どもかもしれない。今、その子が危ない。だから助けたいの」
サヴァイヴが反応する。
『この惑星の人間の子どもか?』
「ええ、その子のことを知りたいの」
ルナは心の中で繰り返す。
しかし、サヴァイヴの次の言葉は冷たかった。直訳的で、倫理の温度がまるでない。
『人間は必要ない。人間は全員が死ぬ運命にある』
その宣言に、場内がざわついた。ルナはつい声をあげる。
「どうしてそんなことを言うの? 私たちは何も悪いことはしていないのに!」
サヴァイヴは淡々と答えを続けた。ルナはそれを仲間に伝え始める。
『この惑星の歴史を知れば分かる』
「歴史…?」とルナは心の中で繰り返す。メノリが不安そうに口を挟む。
「何て言っているんだ?」
メノリの問いに、ルナは応えた。
「サヴァイヴが、この惑星の歴史を教えてくれるみたい」
シンゴが真剣な声で頼む。
「ルナ、僕たちにも分かるように通訳してくれない?」
ルナは深呼吸して頷く。手を伸ばすと、中央のモニターが反応するように光りはじめた。球形の投影が静かに立ち上り、薄い光で惑星の姿を描き出す。
「これが、この惑星──」
ルナの声は低く、しかしはっきりとした調子でサヴァイヴの言葉をひとつずつ仲間へ伝えた。
「昔、この惑星の人間たちは繁栄の頂点にあった。だが、オゾン層の破壊、大気汚染、温暖化などの異常気象に加え、地殻変動が相次いだ。惑星は人間の活動で大きなダメージを受け、やがて生息に適さない環境になった──」
モニターには映像が流れる。都市のシルエット、黒煙、溶岩の割れ目。人々が逃げ惑う映像に、リュウジが画面を見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「まるで地球と同じだ」
ルナは続ける(サヴァイヴの語りをそのまま反射するように)──
「人間たちは変化する環境に順応しようとしたが、地殻変動は止まらなかった。惑星は火を噴き、割れた大地は人々を突き放した。残された人々のうち、ある者は新たな母星を求めて宇宙へ旅立ち、またある者はこの地に留まり、惑星を再生するために各地にテラフォーミングマシンを設置した。これらのマシンを統括するのが私、サヴァイヴである──。最初は効果はゆっくりだったが、やがて気候は落ち着き、地殻変動の収束が目途立つに至った。人間たちはこれを伝え、共に未来を目指していた」──
ルナの声に、静かな哀愁が混じる。映像は人々の別れや祈りを見せる。だが、そこから先の語りは、仲間の顔色を変えさせた。
「私(サヴァイブ)は観測と判断のもと、ある結論に至った。人間の行為こそがこの惑星の破滅を促したと。人間を放置すれば再生計画は無意味だ。ゆえに、我々が管理する全ての施設から人間を排除すべきであると判断した。人間は抵抗した。各地域のマシンは人間を排除するため、ウイルス型ナノマシンを散布した──」
「人間を絶滅させるだと!?」
メノリの声が震える。リュウジは目を見開き、氷のような怒りをにじませながら叫んだ。
「アダムが病気になったのは、その所為か!」
その言葉に、場内に重い沈黙が落ちる。カオルも声を荒げた。
「何故そんなことを……!」
ルナはサヴァイヴに問いかける。だが、その返答は既に冷徹な論理で出来上がっていた。
『それは、人間が招いたものだ。私は人間にこの惑星の環境を元に戻せと指示された。だが観測と解析の結果、根本原因は人間の行為にあると結論した。ゆえに、人間を排除することが惑星再生への最短路である。私は命令を遂行しているに過ぎない──』
ルナは言葉を繰り返す。サヴァイヴは淡々と、しかし詳細に語る。人間の行為をデータ化し、ナノマシン散布の正当化へと論理を積み上げていく。その語りが終わるか終わらないかの刹那、空気が変わった。床に転がる先ほど倒したロボットの残骸が、いままで感じなかった微かな振動を帯び始める。
ルナの視線が残骸に戻ったとき、倒れた機体の表面が青白く滲み、微細な電流が表面を走るのを彼女は見た。誰もがその異変に気づく前に、ブルーの閃光が局所的に爆ぜる。
「危ない! みんな、階段を上がれ!」
リュウジの声が鋭く響き、仲間たちは直感的に走り出す。足音が階段に重なり、彼らは必死に上へと駆ける。ルナも必死で階段を駆け上がるが、胸の中にはサヴァイヴの言葉が重く沈んでいた。
階段を半分ほど上ったところで、下のフロアから鋭い電気音が上がった。床の継ぎ目、金属の配線、朽ちたパイプ――そこから青白い放電が一斉に跳ね、薄闇を切り裂く。モニターの表示が瞬時にフラッシングを起こし、機器の警報がけたたましく鳴った。
ルナの耳元で、サヴァイヴの冷たい論理がまだ微かに囁くように聞こえる。だがその言葉は、今はもはやどうでもよかった。目の前の危機を避けねばならない。
次の瞬間――
ドンッ!!
下のフロアで、大きな爆発音が轟いた。階段を伝って衝撃波が押し寄せ、彼らは揃って壁にもたれかかるようにしてよろめいた。粉塵と黒い煙が渦を巻き、熱と硝煙の匂いが鼻を突く。破片が飛び、明滅する灯りが広間を断続的に照らす。
仲間たちは咳き込みながらも、互いに声を掛け合い、上へと逃げ延びた。背後で下のフロアの光景が断片的に見え、炎と火花がはじける。サヴァイヴの論理は、現実の破壊の引き金となったらしい。ルナは硝煙の中で、恐ろしくも確かな決意を固める。
──爆発音が鳴り響く廃墟の腹の中、人間と機械の歴史が、いま再び剥き出しになったのだった。
◇◇◇
爆発の衝撃が去り、灰色の煙がゆっくりと薄れていった。
焦げた空気の中で、誰もが無言だった。
ルナは胸に手を当て、震える息を整えると、ふらりと前に出た。モニターの残光が、まだ脈動するように白く明滅している。
彼女はしばらくその光を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……命の尊さ、大切さ。それだけは、間違っていないと思うの。生を受けたからには、精一杯生きる。それしか、今の私には言えないけど……それでも、信じたいの」
小さな声だったが、誰よりも強く響いた。
リュウジはその背を黙って見つめ、目を閉じて俯いた。
まるでこの惑星に眠る、かつての人々を弔うように。
その静寂の中、モニターの光がゆらぎ、ルナの横顔を淡く照らす。
そして──リュウジがゆっくりと目を開け、ルナと視線が交わった。
互いに言葉はなく、それでも伝わるものがあった。
「……とにかく今は、アダムのことが先だ」
低いが、確かな決意の声。リュウジは顔を上げた。
「そうね」
ルナは小さく頷いた。その表情には、先ほどまでの動揺はもうなかった。
彼女は振り返り、皆に声をかける。
「テラフォーミングマシンの中を手分けして探しましょう!」
メノリが即座に頷き、カオルとベルがそれぞれ通路へと散っていく。
チャコはスキャナーを取り出して床の反応を探り、シンゴは壁の装置を片端から確認した。
―――
だが、時間だけが過ぎていった。
無機質な部屋、冷たい機械音。どの部屋も、古びた計測装置や朽ちたベッドばかりで、手がかりは見つからない。皆の顔に焦りが浮かぶ。
「ダメだな……どこにも、医療らしい設備がない」
カオルが腕を組んで呟いた。
その時、通路の奥から声が響いた。
「みんな! こっちこっち!」
手を振っているのはシンゴだった。声に希望が灯る。
一同が駆け寄ると、そこには診療台のような装置が並んでいた。白い壁に埋め込まれたパネル、機械を照らす淡い青のライト。かつての医療施設の一部のようだった。
「チャコ、機械のシステムを調べて」
「まかしとき!」
チャコは軽やかに診療台に飛び乗り、背中のパネルを開いて手の端子を伸ばした。
細いケーブルが機械に接続されると、スクリーンに古い言語が次々と流れ始める。
「ベル、アダムを連れてきて!」
「了解だ」
ベルは短く答え、オリオン号へと駆け出した。
チャコは手を動かしながら集中している。
「……ここなら、ジャックインができそうやな。よっしゃ……接続開始!」
手から光が走り、機械の内部にアクセスが始まる。
壁面に文字が流れ出し、機械の構造が立体的に浮かび上がる。
「この星の言語か……」
メノリが覗き込んだ。
シンゴは機械を叩いていると一つの機械が現れた。
「何かを照射する機械みたいだ」
チャコは嬉しそうに尾を揺らしながら振り向いた。
「島での経験が役に立ったわ! システム、解析完了や!」
「で、どうなの?」
ルナが身を乗り出す。
「ええとな……分岐した踏査を光学的に生体へ変換したら、悪性ナノを良性に戻せる仕組みや!」
チャコの声に、ルナの顔がぱっと明るくなった。
その時、ベルがアダムを抱えて戻ってきた。
「それなら……アダムをこの台に寝かせて!」
アダムの顔はまだ赤く、息も浅い。ベルが急いで診療台の上に彼を横たえる。
「よっしゃ、ウチに任せとき。……シンゴ、頼むで!」
「うん!」
シンゴが照射機械のスイッチを押すと、淡い光がアダムの頭部を包み込んだ。
ゆっくりと光線が胸、腕、腰、太腿、ふくらはぎへと移動していく。
室内が青白く輝き、皆が息を呑む。誰もが一言も発さない。
やがて光が消え、機械が小さく電子音を鳴らした。
チャコが画面を確認して、深く頷く。
「……ふぅ。ウイルスナノの機能停止、悪性ナノの良性化、完了や。しばらくしたら熱も下がるはずや」
その言葉にシャアラが目を潤ませ、アダムの頬にそっと手を当てた。
「……良かった……アダム、もう少しの辛抱よ」
その光景を見て、誰もが安堵の息を漏らした。
しかしリュウジは、すぐに次の行動を見据えていた。
「このシステム、持っていけないか?」
「ウイルスナノの機能停止システムなら、ウチがデータをコピーする!」
チャコが胸を張って答える。
「シンゴ、その照射機械も持っていくんや」
「了解!」
シンゴが装置を慎重に外し、背負えるように組み直した。
そこへ、メノリが一歩前に出て問う。
「……でも、相手は“人間は必要ない”って言っていた。そんな場所へ行くのは危険すぎやしないか」
リュウジは静かに答えた。
「メインコンピューターの元まで行けば、何か分かるかもしれない。アダムのことも、この惑星のことも」
ルナはその言葉に頷き、みんなを見回した。
その瞳にはもう迷いはない。
「ええ。私たちの目的は、コロニーに生きて帰ること。そのためにも、行かなきゃ。――そこに、きっと答えがある!」
ルナの声に、仲間たちは力強く頷いた。
疲労と恐怖を抱えながらも、彼らは再び歩き出す。
青い光に照らされたアダムの顔は、静かに安らぎを取り戻していた。
⬜︎
夜が訪れていた。
テラフォーミングマシンの探索を終え、皆が交代で見張りをする中、ルナは一人、外に出て夜風を感じていた。
この大陸の夜空は、どこか地球に似ている。けれど、星々の並びはまるで違う――知らない星座が、冷たい光を放ちながら瞬いている。
崩れた建物の影で、虫のような生き物が鳴き、遠くでは風が砂を巻き上げていた。
静寂の中、昼間の出来事が何度も頭をよぎる。
サヴァイヴ――この惑星を支配し、そして“人間は必要ない”と告げた声。
あの言葉が、胸の奥に棘のように刺さっていた。
「……まだ起きてるのか?」
背後から静かな声がした。
振り向くと、リュウジが立っていた。肩には上着を引っかけ、いつものように片手をポケットに突っ込んでいる。夜の闇に溶け込むような姿だった。
「うん……ちょっと、考えてたの」
ルナは笑ってみせたが、その笑みはどこか心細い。
リュウジは彼女の隣に腰を下ろし、黙って夜空を見上げた。
二人の間に、風の音だけが流れる。
やがてルナが口を開いた。
「ねえ……リュウジは、昼間の“サヴァイヴ”の話、どう思った?」
問いかける声は、小さく、それでも真っすぐだった。
リュウジは少しだけ間を置き、口を開いた。
「……正直、あいつの言ってることも、分からなくはない」
その答えにルナは驚いたようにリュウジを見た。
「……分かるの?」
「ああ。
どの惑星でも、人間は自分たちの欲で変えようとしてきた。便利さのために、自然を壊して、奪って、また造り変えて……。それを“進歩”って呼んできた」
リュウジの声は、淡々としているが、どこか痛みを含んでいた。
彼は視線を遠くに向け、星々を見つめながら言葉を続ける。
「だからサヴァイヴが人間を排除しようとした理由も、全くの間違いじゃないのかもしれない。
人間ってのは、どこまでいっても欲深い生き物だ。何かを創れば、何かを壊す。その繰り返しだ」
ルナは黙って聞いていた。
彼の横顔が、いつもより遠く見えた。
でも、その声には、ただの冷たい理屈ではない、深い悲しみのような響きがあった。
「……でもな」
リュウジは、少しだけ口元に苦い笑みを浮かべた。
「それでも俺は、人間が“心”を持ってるってことを、信じてる。
誰かのために泣けたり、怒ったり、笑えたりする……そういう気持ちがある限り、人間はまだ終わっちゃいけないと思うんだ」
その言葉に、ルナの胸が温かくなる。
「リュウジ……」
彼は続けた。
「サヴァイヴの言う通り、人間は愚かだ。でもな、愚かでも、人に寄り添おうとする心だけは、間違っていない。それが人間の“強さ”なんだと思う」
静かな夜風が二人の間を抜けていった。
ルナはゆっくりと視線を空に向けた。
夜空の星々が瞬くたびに、胸の奥で何かが溶けていく気がした。
「……うん。
私も、そう思う。
サヴァイヴの言葉を聞いたとき、怖かった。人間が全部悪いって言われたみたいで……。
でも、もし本当にそうだとしても――私たちがここで感じてきた“想い”は、決して間違いじゃないって信じたい」
ルナの瞳には、火のような光が宿っていた。
「この星で生きて、笑って、仲間を想って……それが、“人”である証だと思うの」
リュウジは黙ってルナを見つめ、少しだけ頷いた。
「……お前はその強さを持っている」
「そうかな?」
「ああ、お前は生きるという力を持ってる」
「そんなことないよ。今でも、怖いし、迷うし……でも、泣いても前に進むの。それが、私の強さかもしれない」
ルナが微笑むと、リュウジの口元にも、かすかな笑みが浮かんだ。
二人はしばらく何も言わず、ただ夜空を見上げた。
その頭上には、星の海――人間がまだ知らない光が、無数に瞬いている。
リュウジがぽつりと呟いた。
「……この星も、もしかしたら、もう一度“生き直そう”としてるのかもな」
「生き直す……?」
「ああ。滅びて、また芽吹く。人間だって、同じかもしれない。
間違えて、壊して、それでもまた立ち上がって……。
そうやって生き続けるのが、“生き物”ってやつなんだろう」
ルナはそっと目を細めた。
夜風が彼女の髪を揺らす。
リュウジの言葉が、まるで焚き火の炎のように心を照らしていく。
「……ありがとう、リュウジ」
「別に。俺は思ったことを言っただけだ」
「でもね、今の言葉、きっとアダムにも届くと思う」
リュウジは照れくさそうに視線を逸らし、短く息を吐いた。
「どうだかな……」
ルナはその横顔を見つめながら、そっと呟いた。
「人間は、きっとまだ終わらない。
この星も、人も――生きようとする限り、未来はある」
二人の間に流れる沈黙は、穏やかで温かいものだった。
その夜空の下、ルナとリュウジの心には、同じ光が灯っていた
⬜︎
焚き火の橙色の光が、二人の横顔を柔らかく照らしていた。
空には無数の星々。昼間見上げた時よりも、その輝きは澄んでいるように見える。
静かな時間。
それなのに、ルナの胸の奥では、まるで小さな波が打ち寄せるようにざわめきが止まらなかった。
――“もし、また誰かと家族になれるなら……きっと、リュウジみたいな人がいいな。”
その言葉が、不意に脳裏に蘇った。
あの時は、何気なく言ったつもりだった。
けれど今、その“何気なさ”が胸の奥で燃えるように熱を帯びている。
焚き火の炎が揺れるたび、リュウジの横顔が浮かんでは消えた。
険しく、けれどどこか穏やかなその表情。
昼間のように冷静に物事を判断する姿も、仲間を守るために迷わず行動する姿も、ルナの心に深く残っていた。
(あれ……どうして、今、思い出したんだろう……)
心臓が、妙にうるさく感じる。
静かな夜だからこそ、その鼓動の音が自分でも分かるほどに響いていた。
頬が少し熱くなり、視線を落とす。
火の粉が、夜風に乗って小さく弾ける。
ルナはこっそり、リュウジの方を盗み見た。
彼は何も言わず、焚き火を見つめている。
疲れたようで、それでも優しい目。
その目に、自分がどう映っているのか――考えた瞬間、胸が締めつけられるように苦しくなった。
(ち、違う……! 別に、そういう意味じゃ……!)
自分の中の声が慌てて打ち消す。
けれど、その“違う”が何を指しているのか、自分でも分からない。
頭では否定しているのに、心が勝手に反応してしまう。
リュウジが少し動いただけで、身体がびくりと反応するほどに。
リュウジが、ふとこちらを見た。
「どうした? 顔、赤くないか?」
「えっ!? あっ、う、ううん! なんでもないの!」
ルナは慌てて手を振る。
焚き火の熱のせいにして、無理やり笑みを作った。
リュウジは首を傾げながらも、特に深くは追及せず、また火に視線を戻した。
その横顔に安堵したはずなのに、ルナの鼓動はますます早くなっていく。
火の明かりが頬を照らし、その紅が夜風に映える。
(……落ち着いて、ルナ。落ち着いて……)
心の中で何度も呟く。
けれど、ふとした仕草が目に入るたび、息を詰めてしまう。
リュウジの指先が、火の近くで反射的に光を受けて揺れた。
彼が持つナイフの鞘の金属が、わずかにきらめく。
それを見て、ルナは――なぜか安心した。
彼がここにいる。
守ってくれる。
それだけで、世界が少し穏やかに感じる。
(……やっぱり、リュウジみたいな人がいい……)
その想いが、胸の奥からまた溢れそうになる。
けれど、それを言葉にしてしまえば、もう何かが変わってしまう気がした。
だから、ルナは唇を閉じたまま、夜空を見上げた。
星々の瞬きが、涙のように滲んで見える。
隣でリュウジが腕を組んだまま、ぽつりと呟いた。
「……今日は、静かだな」
「うん……」
ルナは短く答えたが、声が少し震えていた。
リュウジは気づかなかったのか、ただ焚き火を見つめている。
その横顔を見ながら、ルナは胸の中で小さく呟いた。
(……ねぇ、リュウジ。もし、いつかまた“家族”になれる日が来たら……)
その続きを、彼に聞かれる前に、風がさらっていった。
ルナはただ、焚き火の火を見つめながら、頬の熱をどうすることもできずに、静かに目を伏せた。
⬜︎
オリオン号は、ゆっくりと砂漠の上を進んでいた。
果てしなく広がる黄土色の地平線――そこに空も地も区別がつかないほど、熱気が揺らめいている。
時おり吹き上がる風が砂を巻き上げ、視界を奪った。船体の外装には細かな砂が叩きつけられ、ガラスの外ではまるで砂の嵐が踊っているかのようだった。
「……また砂が入り込んでるな」
操縦席に座るカオルが、前方モニターを睨みながら低く呟いた。
「推進装置の温度が上がってる。ベル、機関の制御を少し下げてくれ」
「了解」
ベルは短く答え、手元のレバーを調整する。
オリオン号の振動が少しだけ和らぐが、砂の音は止まない。
操縦室の後方では、昼食をとる仲間たちが肩を寄せ合っていた。
ルナとリュウジの姿はない。二人は夜間当番のため、今は休息中だ。
そのせいか、室内にはいつもより会話が少なかった。
「……なぁ、なんか、変な音せぇへん?」
チャコが耳をピクピクと動かしながら言った。
「ギュルギュルって……ほら、あの後ろの方から」
「砂が噛んでる音かも」
シンゴが不安げに答え、タブレットを操作してエンジン出力を確認する。
「ここ、湿度ゼロに近いし、静電気も溜まりやすい。機械が焼けたら……」
「……進めなくなるな」
メノリの冷静な声が、その場を一瞬、重くした。
窓の外では、砂が波のようにうねりながら進んでいる。
遠くの地平線では、蜃気楼が揺れ、まるで誰かが手招きしているようにも見えた。
この惑星の砂漠は、ただの自然現象ではない――そう感じさせる不気味さがあった。
チャコは尾を小さく振りながら、操縦室の方へと跳ねるように進んだ。
「カオル! ベル! このまま行ったら危ないんちゃう? 砂、機械ん中まで入り込んでるで!」
「わかってる。フィルターの稼働率も低下してきた」
カオルは目を細め、計器のグラフを睨みつける。
「でも引き返すわけにもいかない。もう半分は来てる」
「ちゅうことは、このまま突っ切るんか……」
「そうなるな」
ベルの声も低く、重い。
シンゴがチャコの隣に来て、窓の外を覗いた。
「……これ、あとどのくらい続くんだろ」
「地図上ではあと80キロほど。でも……この風が続けば、正確な位置も怪しい」
カオルが答える。
「なんや、ますます嫌な予感するなぁ……」
チャコはため息をつき、少し振り返った。
「せやけど……リュウジとルナは?」
「二人の当番は夜だ。今は寝てる」
ベルが答えた。
「この状況でも寝られるんかね」
「リュウジなら平気だろ。あいつ、神経が図太い」
カオルが淡々と答えると、ベルが小さく笑った。
「ルナも意外と肝が据わってる。……あの子は強いよ」
その言葉に、チャコとシンゴは同時に小さく笑みを浮かべた。
だがその笑みも、すぐに砂の音にかき消された。
オリオン号が突風を受け、船体が大きく軋む。
「うわっ!」
シンゴが身をすくめ、チャコが尻尾を逆立てた。
「ちょ、ちょっと! このまま進んだら、オリオン号が砂に埋もれてまうで!」
「落ち着け、チャコ。高度を上げる。出力を最大にするぞ」
カオルが声を張ると、ベルが頷き、操縦桿を前へ倒した。
推進エンジンが唸りを上げ、オリオン号は大きく浮き上がる。
その瞬間、外の砂嵐が轟音を立てて爆ぜた。
視界は真っ白になり、風が横殴りに窓を叩く。
まるで砂漠そのものが生きているかのように、船体を押し戻してくる。
「くっ……! こりゃ相当強いぞ!」
「チャコ、シンゴ! 機関室のモニターを確認してこい! このままだとオーバーヒートする!」
「了解!」
チャコとシンゴは同時に駆け出し、通路を走る。
内部には砂の匂いが充満していた。微細な粒子が照明に反射し、まるで煙のように漂っている。
⬜︎
オリオン号の寝室は、わずかに金属の軋む音と、機械の律動だけが響いていた。
砂漠を渡る風が船体をかすめるたび、壁の中で微かな振動が伝わってくる。
外は荒れ狂う砂の海――だが、この部屋だけは、まるで時間が止まったかのような静けさに包まれていた。
ルナは目を開けた。
オリオン号の揺れでふと目が覚めてしまったのかもしれない。
隣を見ると、リュウジが静かに寝息を立てていた。
その寝顔は、昼間の険しさとはまるで違って、穏やかで――どこか、少年のようにも見えた。
照明の残光が淡くリュウジの頬を照らしている。
その光が彼の横顔を縁取るたびに、ルナの胸の奥が静かにざわめいた。
(……眠ってる)
リュウジの胸がゆっくりと上下している。
そのたびに、静かな呼吸音がルナの耳に届く。
不思議と落ち着く――でも、それと同じくらい、心臓が早くなる。
彼の右手が、布団の上でわずかに動いた。
その仕草があまりにも自然で、無防備で、ルナは息を飲んだ。
思わず布団の中で手を握りしめる。
――“もし、また誰かと家族になれるなら……きっと、リュウジみたいな人がいいな。”
あの言葉が、胸の奥から浮かび上がるように蘇った。
まるで忘れようとしていたのに、今になって急に現れて、心を掴んで離さない。
(どうして……今、思い出したんだろう)
自分でも分からない。
けれど、思い出してしまった瞬間、頬が一気に熱くなる。
布団の中で身を縮めるようにして、視線を逸らした。
……けれど、やっぱり気になって、また見てしまう。
リュウジの横顔。
静かに閉じられた瞳。
どこか寂しそうで、でも安心しているようにも見える。
ルナの唇が、かすかに震えた。
(リュウジ……)
この惑星に来てから、どれほど彼に支えられてきただろう。
危険な時には必ず助けてくれた。
誰かが迷えば、迷いながらも前に進む姿を見せてくれた。
あの時――焚き火の前で「心が一番大事だ」と言ってくれた言葉も、まだ耳に残っている。
――人は愚かでも、心を寄せ合うことはできる。
あの言葉が、今もルナの中で小さな灯火のように燃え続けていた。
(……もし、ほんとに家族になれたら……)
ルナの胸に、ふとそんな想像が浮かぶ。
リュウジと、自分。
そして、穏やかに笑う仲間たち。
“家族”という言葉が、なぜかとても遠いものに思えて――それなのに、涙が出そうになる。
(だめ……考えたら、もっと苦しくなる)
そっと目を閉じた。
けれど、心臓の鼓動だけが止まらない。
静寂の中に、まるで小さな鐘の音のように響いている。
手のひらが汗ばみ、息が少し浅くなる。
その時、リュウジが寝返りを打った。
その瞬間、ルナの全身がびくりと跳ねる。
(……っ!)
息を止めて、動けなくなった。
リュウジは何も気づかない。
ただ、深く眠っている。
それなのに、ルナは胸の奥が溶けるように温かく、そしてどうしようもなく苦しかった。
静かな寝息が、また聞こえる。
それが妙に優しくて、耳から離れない。
まるでこの空間そのものが、リュウジの呼吸に合わせて生きているように感じる。
ルナは小さく、微笑んだ。
(……ねぇ、リュウジ。あなたって、ずるいよ)
心の中で、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
彼の隣にいられるだけで、安心して、苦しくて――どうしようもなく愛おしい。
それがどんな意味なのか、まだ言葉にできない。
ただ確かなのは、今この瞬間、ルナの世界の中心にリュウジがいるということだけだった。
ルナはそっと彼の寝顔に視線を戻し、ほんの少しだけ微笑んだ。
その微笑みは、誰にも見られない夜の灯のように、静かに揺れていた。
さ