スペースホープ本社、旅行事業部。
午後の事務所には、今日も慌ただしい時間が流れていた。
ワイルドフライト賞を受賞して以来、スペースホープへの注目度は明らかに高まっている。新しい旅行商品の企画、フライトの運航調整、乗務員の教育、そして新規採用者の訓練。
かつて経営危機に陥り、社員が次々と去っていった会社とは思えないほど、今のスペースホープには活気があった。
そんな事務所の一角で、リュウジが席を立った。
「それでは、エリンさん。今日は突然お邪魔してしまって、すみませんでした」
向かいに立っていたエリンは、柔らかく微笑んだ。
「いいのよ。久しぶりにあなたの顔も見られたし、それにハワードの嬉しい知らせも聞けたもの」
「本人も随分喜んでいましたよ」
「ふふっ。でしょうね。初めての主演なんて、あの子にとっては大きな出来事だもの」
エリンは、リュウジの端末に表示された舞台の案内をもう一度眺めた。
「それじゃあ、当日はよろしくね」
「はい。楽しみにしています」
リュウジは軽く頭を下げた。
その近くでは、ミラとシルヴィアも立ち上がっていた。
「リュウジさん、今日はありがとうございました。またいらしてくださいね」
ミラが微笑む。
シルヴィアも丁寧に頭を下げた。
「お忙しいとは思いますが、また皆さんのお顔を見にいらしてください」
「ああ。二人ともありがとう」
リュウジは頷き、事務所の奥にいた若いパイロットたちへも軽く手を上げた。
「お前たちも、訓練頑張れよ」
「はい! ありがとうございました!」
元気な返事が響く。
リュウジは最後にエリンへ会釈すると、事務所を後にした。
自動扉が静かに閉まる。
エリンは、その扉をしばらく見つめていた。
「……ふふっ」
小さな笑みが浮かぶ。
ハワードの初主演舞台。
かつて進路について悩んでいた少年が、ついに自分の力で大きな役をつかんだ。
しかも、その舞台にリュウジが誘ってくれたのだ。
今日は随分と嬉しい知らせが重なった。
「……楽しみね」
エリンは小さく呟き、自分の席へ戻っていった。
その後ろ姿を、ミラとシルヴィアが静かに見送っていた。
「……シルヴィアさん」
ミラが小さな声で呼びかける。
「はい、ミラさん」
「……エリンさん、嬉しそうでしたね」
シルヴィアは、少しだけ目を細めた。
「ええ。本当に嬉しそうでした」
二人は顔を見合わせた。
しかし、それ以上は何も言わなかった。
◇
夕方。
スペースホープの旅行事業部では、その日の業務がようやく終了した。
フライトを終えた乗務員たちも帰社し、シミュレーションや書類整理を担当していた社員たちも、それぞれの仕事を片づけている。
事務所には、ほぼ全員の顔が揃っていた。
ミラ、ラン、シルヴィア、ホーネット。
ユウコ、ナツキ。
クミコ、マユ、アズサ、ミドリ、ハズキ、サリー。
そして、新たに入社したルド、エア、スズカ、ナリタ、シャワーの五人。
いつもなら、それぞれが帰り支度を始め、雑談を交わしながら事務所を後にする時間だった。
「……あー、今日も疲れた!」
ユウコが椅子の背にもたれ、大きく伸びをした。
隣にいたナツキが笑う。
「ユウコ、さっきも同じこと言ってたよ」
「だって、本当に疲れたんだもん。今日の訓練、いつもより難しくなかった?」
「まあ、今日は少し大変だったね。でも、前より連携はよくなってたと思うよ」
「……そうかなぁ」
その近くでは、クミコとマユが新人五人の訓練記録を確認していた。
「ルド、ここは今日の反省点を書いておいてね」
「うん、分かった!」
「エアは、後方への報告が遅れたところも忘れないで」
「はーい!」
クミコとマユは、少し前まで自分たちが教わる側だったことを思い出しながら、後輩たちの記録を確認していた。
そんな中。
「……ねえ、みんな!」
明るい声が、事務所に響いた。
エリンだった。
手元には、自分の端末を持っている。
その表情は、いつもより少しだけ嬉しそうだった。
「帰る前に、ちょっといいかしら?」
社員たちが一斉に顔を上げる。
「はい!」
ミラが返事をする。
エリンは微笑んだ。
「今日ね、リュウジが来てくれたのよ」
その瞬間、昼間いなかったランが少し驚いたように顔を上げた。
「……リュウジさんが?」
「ええ。最初は何か仕事の相談かと思ったんだけど、違ったの」
エリンは嬉しそうに端末を操作した。
事務所の中央に設置された表示パネルへ、舞台公演の案内が映し出される。
華やかな照明。
出演者たちの写真。
そして、主演として大きく記されたハワードの名前。
「ハワードが、今度初めて本格的な舞台で主演を務めることになったんですって!」
「……えっ!?」
ホーネットが顔を上げた。
「ハワードって、あのハワード?」
「そうよ。今は俳優として頑張ってるの」
「へえ! 凄いじゃない!」
ホーネットは嬉しそうに笑った。
エリンも頷く。
「でしょう? 私も聞いた時は驚いたわ」
そして、全員を見渡した。
「それでね、ハワードがリュウジに複数枚の電子チケットを送ってくれたそうなの。ほかの人も誘ってほしいって」
エリンは少しだけ笑みを深めた。
「ねえ、みんな。舞台を観に行きたい人、いる?」
…………。
事務所が静かになった。
誰も何も言わない。
しかし、全員が無反応だったわけではない。
クミコは一瞬だけマユを見た。
マユはアズサへ視線を向ける。
アズサは口を開きかけたが、何かを思い直したように閉じた。
ユウコはナツキの肘を軽くつつき、ナツキは小さく首を振った。
ミドリは手元の端末へ目を落とし、ハズキは妙に背筋を伸ばしている。
新人五人も、そわそわと顔を見合わせていた。
誰も手を挙げない。
エリンは少し不思議そうに首を傾げた。
「……あら?」
そして、柔らかく微笑む。
「別に無理にとは言わないわよ。仕事の予定もあるでしょうし、興味がある人だけでいいんだから」
それでも、誰も返事をしなかった。
◇
「……そういえば」
エリンは、ミラとシルヴィアへ顔を向けた。
「ミラ、シルヴィア。二人は昼間、予定を確認してみるって言ってたでしょう?」
「……はい」
ミラが少しだけ背筋を伸ばした。
「仕事の予定はどうだったの?」
シルヴィアがミラへ視線を向ける。
ミラも、少しだけ困ったように笑った。
「あの、エリンさん……」
「何?」
「お返事は明日でも大丈夫ですか?」
エリンは一瞬だけ目を丸くした。
そして、すぐに頷いた。
「ええ、もちろんよ」
「ありがとうございます」
「シルヴィアも、明日でいい?」
「はい。私も、もう一度勤務予定を確認してからお返事したいと思います」
「分かったわ」
エリンは微笑んだ。
そして、改めて全員へ顔を向ける。
「ほかのみんなも、今すぐ決めなくていいからね。行きたい人は明日教えてちょうだい」
そう言って、端末を閉じた。
「それじゃあ、私は先に帰るわね」
「……えっ?」
ユウコが思わず声を漏らす。
エリンが顔を向けた。
「どうしたの、ユウコ?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「……そう?」
エリンは少し不思議そうな顔をしたものの、すぐに微笑んだ。
「じゃあ、みんな。今日もお疲れ様」
「お疲れ様でした!」
全員の声が揃った。
エリンは自分のバッグを持ち、事務所の出口へ向かった。
そして、扉の前でふと振り返る。
「あっ、そうそう」
全員の動きが止まった。
「今回の舞台、私も本当に楽しみにしてるの。ハワードがどんな演技を見せてくれるのか、今から待ち遠しいわ」
嬉しそうに微笑む。
「それじゃあ、また明日ね」
自動扉が開いた。
エリンは軽く手を振り、事務所から出ていった。
扉が閉まる。
…………。
そして。
「…………はぁぁぁぁっ!」
アズサが、大きく息を吐いた。
◇
「……ちょっと待って!」
最初に動いたのはホーネットだった。
彼女は椅子から立ち上がり、ミラの方へ歩いてきた。
「今の話、どういうこと?」
ミラは苦笑した。
「……やっぱり、そこから説明した方がいいよね」
「当たり前じゃない! 昼間、私たちがいない間に何があったのよ?」
その横でランも頷いた。
「ミラ、私も詳しく聞いてないんだけど。リュウジさんが来たって、どういうこと?」
アズサも身を乗り出した。
「ミラさん! 私も気になってました!」
ユウコも頷く。
「私もです。リュウジさん、何しにいらしたんですか?」
ミドリとハズキも興味深そうに顔を向けた。
その反応を見て、ミラは小さく息を吐いた。
「……分かった。じゃあ、最初から説明するね」
ミラは、昼間の出来事を順番に話し始めた。
リュウジが突然スペースホープを訪ねてきたこと。
エリンがシミュレーション中だったため、ロビーで待とうとしていたこと。
自分とシルヴィアが事務所へ案内したこと。
そして、訓練を終えたエリンに、ハワードの舞台の電子チケットを見せたこと。
「……それでね、リュウジさんがエリンさんを舞台に誘ったの」
その瞬間。
「…………えっ?」
ランの動きが止まった。
ホーネットが目を丸くする。
アズサは口を開けたまま固まった。
ユウコも、何かを言いかけて止まった。
「……ちょっと待って」
ホーネットがゆっくりと口を開いた。
「今、何て言った?」
「リュウジさんが、エリンさんを舞台に誘ったの」
「…………」
ホーネットは数秒間黙った。
そして。
「……えええっ!?」
大きな声が事務所に響いた。
「リュウジがエリンを誘ったの!?」
「うん」
「仕事じゃなくて!?」
「そう」
「二人で!?」
「……いや、そこは少し違うんだけど」
ミラは慌てて手を振った。
「ハワードさんから複数枚チケットを送ってもらったみたいで、ほかの人も誘ってほしいって言われてるらしいの」
「……なーんだ」
ホーネットが少し肩の力を抜いた。
しかし、すぐに目を細める。
「……でも、最初にエリンを誘ったんでしょう?」
「……そうだけど」
「……ふうん」
ホーネットは意味ありげに笑った。
その隣でランが小さくため息をつく。
「ホーネット、変なこと考えてない?」
「別に?」
「……その顔、絶対考えてるでしょ」
「失礼ねぇ!」
ホーネットは笑った。
すると、シルヴィアが静かに口を開いた。
「ホーネット。あまり面白がってはいけませんよ」
「分かってるって」
「……本当に?」
「シルヴィアまで何よ!」
そのやり取りに、何人かが小さく笑った。
◇
「……それで、エリンさんはどうされたんですか?」
アズサがミラへ尋ねた。
「凄く嬉しそうだったよ」
「……やっぱり!」
アズサが身を乗り出す。
ミラは頷いた。
「ハワードさんが主演になったことも喜んでたし、リュウジさんに誘われた時も、柔らかい表情をされてた」
シルヴィアも静かに頷く。
「私もそう感じました。いつもより少し嬉しそうなお顔をされていましたね」
ランは少しだけ考え込んだ。
「……そうなんだ」
そして、ミラへ顔を向けた。
「ねえ、ミラ。エリンさん、最初からリュウジさんが来てるって知ってたの?」
「ううん。知らなかったみたい。私たちが戻ってきた時にお伝えしたら、随分驚いてたよ」
「……なるほど」
ランは小さく頷いた。
「じゃあ、本当に突然の訪問だったんだね」
「そういうこと」
ホーネットは腕を組み、楽しそうに笑った。
「……へえ。リュウジも、たまにはそういうことするのね」
その言葉に、ユウコが少しだけ首を傾げた。
「ホーネットさん、そんなに珍しいことなんですか?」
「珍しいでしょ。あいつ、普段は仕事ばっかりしてるじゃない」
ナツキも小さく頷いた。
「確かに、そういう印象はあるね」
ホーネットは続けた。
「しかも、わざわざスペースホープまで来たんでしょう? 連絡だけでも済む話なのに」
その瞬間、アズサがゆっくりと口元を押さえた。
「……えっ」
そして、小さな声で呟く。
「……それって、もしかして……」
「アズサ」
ナツキが苦笑した。
「そこから先は、勝手に決めつけない方がいいよ」
「……は、はい!」
アズサは慌てて頷いた。
◇
「……で、みんな」
ランが場を仕切り直すように口を開いた。
「結局、舞台には行きたいの?」
その問いに、事務所が静かになった。
そして。
「……行きたい」
最初に答えたのはクミコだった。
マユも頷く。
「私も」
「私も!」
アズサが元気よく手を挙げる。
ミドリも、小さく頷いた。
「……私も、観てみたいな」
「私も行きたい!」
ハズキが笑顔で答えた。
サリーも、控えめに手を挙げる。
「……私も」
ユウコは大きく頷いた。
「私も行きたいです! 舞台って、普段あまり観る機会がありませんから」
ナツキも微笑む。
「私も興味あります」
ミラは少しだけ笑った。
「……私も行きたいな」
ランも頷く。
「うん。私も」
シルヴィアは穏やかに微笑んだ。
「私も、ぜひ観てみたいと思っています」
ホーネットは当然のように胸を張った。
「私は最初から行く気満々だけど?」
「……でしょうね」
ミラが苦笑した。
さらに、新人五人も遠慮がちに手を挙げた。
「あの……私たちも」
ルドが口を開く。
エアも頷いた。
「舞台って、あんまり観たことなくて……」
「せっかくの機会ですし」
スズカが続ける。
ナリタとシャワーも同じように頷いた。
つまり。
全員、行きたかった。
◇
「……じゃあ、何でさっき誰も手を挙げなかったのよ?」
ホーネットが呆れたように言った。
しかし、その問いには誰もすぐに答えなかった。
しばらくして、マユが小さく口を開く。
「……だって」
「何?」
「……エリンさんとリュウジさんの邪魔をしていいのかなって」
その瞬間。
全員の動きが止まった。
「…………」
ホーネットが、ゆっくりと目を細める。
「……ああ」
ランも小さく頷いた。
「……なるほどね」
アズサが少しだけ声を落とす。
「……やっぱり、みんな同じこと考えてたんだ」
クミコが苦笑した。
「……うん」
ミドリも頷く。
「エリンさん、凄く嬉しそうだったから……」
サリーが控えめに続けた。
「それに、リュウジさんが直接誘いに来られたんでしょう? だったら、私たちが大勢で行くのは……」
そこで言葉を止めた。
しかし、言いたいことは全員に伝わっていた。
邪魔になるのではないか。
せっかくリュウジがエリンを誘い、二人で舞台を観に行くことになったのに、自分たちが加わっていいのだろうか。
そんな遠慮が、全員の胸にあったのだ。
◇
「……でもさ」
ナツキが口を開いた。
「リュウジさんは複数枚チケットを持ってきたんですよね?」
「はい」
ミラが頷く。
「ほかの人も誘っていいとおっしゃっていました」
「だったら、邪魔ってことにはならないんじゃないですか?」
ナツキの言葉に、ユウコが頷いた。
「……確かに、そうですね」
しかし、すぐに少し困ったような顔になる。
「でも、リュウジさんは最初にエリンさんを誘ったんですよね?」
「うん」
「……そこが気になるんですよ」
ユウコは両手を組んだ。
「別に、みんなで行くのが嫌ってわけじゃないと思うんです。でも……二人で観に行くのを楽しみにしてる可能性だってありますよね?」
その言葉に、ハズキが大きく頷いた。
「……それです!」
アズサも続けた。
「そうそう! もし二人で観に行くつもりだったら、私たちが大勢で行ったら気まずいじゃないですか!」
ホーネットは、その様子を見て楽しそうに笑った。
「……あんたたち、考えすぎじゃない?」
「ホーネットさん!」
アズサが抗議する。
「だって、気になるじゃないですか!」
「まあ、気持ちは分かるけどね」
ホーネットは腕を組んだ。
「でも、エリンとリュウジよ? あの二人が、そんなに簡単に気まずくなると思う?」
その言葉に、ランが少し考えた。
「……確かに、あの二人なら普通に楽しみそうだけど」
ミラも頷く。
「エリンさんは、みんなで出かけるのも好きだからね」
シルヴィアが静かに続けた。
「それに、エリンさんご自身が皆さんを誘われたんですから。私たちが参加することを嫌がられるとは思いません」
「……ですよね」
サリーが小さく頷いた。
しかし、問題はそれだけではなかった。
◇
「……でもね」
ミラが少しだけ真面目な顔になった。
「私、昼間の様子を見ていて思ったんだけど」
全員の視線が集まる。
「エリンさん、リュウジさんが来られた時、本当に驚いていらっしゃったの」
「……そうなんだ」
ランが頷く。
「うん。最初は宇宙管理局の仕事の相談だと思ってたみたい」
ミラはゆっくりと続けた。
「でも、仕事じゃないって分かった時、少し嬉しそうだったんだよね」
その言葉に、クミコが小さく頷いた。
「……私も、そう思った」
マユも顔を上げる。
「うん。いつものエリンさんとは、ちょっと違う感じだったかも」
アズサが、ゆっくりと口元を押さえた。
「……えっ」
そして、小さな声で言った。
「……それって、もしかして……」
「アズサ」
ナツキが苦笑する。
「だから、そこから先は勝手に決めつけない方がいいって」
「……あっ、はい」
アズサは慌てて頷いた。
ミラも静かに続ける。
「もちろん、どういうお気持ちだったのかはエリンさんにしか分からないよ。ただ……」
少しだけ笑う。
「リュウジさんに誘われて、嬉しそうだったのは確かだと思う」
その言葉に、事務所が再び静かになった。
◇
「……ねえ、ホーネット」
ランが口を開いた。
「何?」
「ホーネットはどう思う?」
ホーネットは、少しだけ考えた。
そして、にやりと笑った。
「……面白いじゃない」
「……何が?」
「エリンが、仕事以外でリュウジに誘われたんでしょ?」
「うん」
「だったら、たまには二人で出かけてもいいんじゃない?」
その言葉に、ミラが目を丸くした。
「……ホーネット」
「何よ?」
「意外なんだけど」
「何が意外なのよ!」
ミラは少し困ったように笑った。
「てっきり、真っ先に一緒に行こうって言うと思ってた」
「……失礼ねぇ」
ホーネットは肩をすくめた。
「私だって、エリンが楽しみにしてるなら邪魔したくないわよ」
その言葉に、シルヴィアが少しだけ微笑んだ。
「……ホーネット、そういうところはちゃんと考えてるのね」
「ちょっと、シルヴィア! そういうところって何よ!」
「そのままの意味よ」
シルヴィアは涼しい顔で答えた。
そのやり取りに、周囲から小さな笑い声が漏れた。
しかし、ホーネットはすぐに少しだけ真面目な顔になった。
「……でもね」
全員が顔を向ける。
「エリンが自分からみんなを誘ったのも事実でしょ?」
「……そうだね」
ミラが頷く。
「だったら、私たちが勝手に『二人きりの方がいい』って決めつけるのも違うと思うわ」
その言葉に、ランが静かに頷いた。
「……それはそうだね」
「エリンがみんなで楽しみたいなら、普通に行けばいいのよ。逆に、二人で行きたいなら、そう言うでしょうし」
ホーネットは腕を組んだ。
「問題は、みんなが勝手に遠慮してることじゃない?」
その指摘には、誰もすぐに反論できなかった。
◇
「……でも」
今度は、マユが小さく口を開いた。
「エリンさんって、そういうことを自分から言う人でしょうか?」
その瞬間。
ミラとランが、同時に黙った。
「…………」
ホーネットも、少しだけ目を細める。
マユは続けた。
「エリンさん、私たちのことをいつも優先してくださるじゃないですか。もし本当は二人で行きたくても、みんなが行きたいって言ったら、きっと断らないと思うんです」
クミコが頷いた。
「……そうかもしれない」
サリーも静かに続けた。
「エリンさん、ご自分の希望より、周りのことを優先される時があるから……」
その言葉に、ミラは少し考え込んだ。
エリン。
チーフパーサーとして、誰よりも周囲の状況をよく見ている人。
乗務員が困っていれば、自然と手を差し伸べる。
誰かが失敗すれば、その原因を一緒に考える。
誰かが成長すれば、自分のことのように喜んでくれる。
けれど、自分自身の希望については、案外あっさりと譲ってしまうところもあった。
特に、後輩たちが楽しみにしていることなら、なおさらだった。
「……確かに」
ミラが小さく呟く。
ランも頷いた。
「エリンさんなら、みんなが楽しめるならそれでいいって言いそう」
シルヴィアが静かに口を開いた。
「……でしたら、まずはエリンさんのお気持ちを確認した方がよろしいかもしれませんね」
ホーネットも頷いた。
「そうね。勝手に決めつけるより、その方がいいわ」
◇
「……ちなみに」
ナツキが少しだけ手を挙げた。
「もう一つ気になることがあるんですけど」
「何?」
ランが顔を向ける。
「チケットって、何枚あるんですか?」
その瞬間。
全員の視線がミラへ集まった。
「…………」
ミラは一瞬だけ固まった。
「……え?」
「だから、チケットの枚数です」
ナツキが繰り返す。
「複数枚って言ってましたけど、具体的に何枚あるんですか?」
「……それは」
ミラはシルヴィアへ顔を向けた。
「……シルヴィアさん、確認されました?」
シルヴィアも、少しだけ困ったように首を振った。
「いえ、ミラさん。私もそこまでは確認していません」
「…………」
沈黙。
そして。
「……えええっ!?」
アズサが声を上げた。
「そこ、一番大事なところじゃないですか!」
「……そう言われても」
ミラが苦笑する。
「昼間は、まさかこんな話になると思ってなかったから」
ランが小さくため息をついた。
「……まあ、そうだよね」
ホーネットは、そんなミラを見て楽しそうに笑った。
「ふふっ。ミラらしくないじゃない」
「……ホーネット」
「何?」
「今、結構困ってるんだから、あんまり笑わないでよ」
「はいはい」
ホーネットは笑いながら手を振った。
◇
「……でも、もし五枚くらいだったらどうする?」
ユウコが呟いた。
「エリンさんとリュウジさんで二枚使うとして、残り三枚ですよね?」
ナツキが頷く。
「そうなるね」
「……じゃあ、全員は行けないじゃないですか!」
アズサが言った。
クミコも困ったように笑った。
「……そもそも、私たちだけでも結構な人数だよね」
マユが周囲を見渡す。
「……うん」
ミラ、ラン、ホーネット、シルヴィア。
ユウコ、ナツキ。
クミコ、マユ、アズサ、ミドリ、ハズキ、サリー。
そして、新人五人。
全員で十七人。
そこにエリンとリュウジを加えれば十九人になる。
もちろん、ハワードがそこまで多くのチケットを用意しているとは限らない。
「……そもそも、全員で行こうとするのは無理があるかもしれないね」
ミドリが控えめに言った。
ハズキも頷く。
「……そうだね」
その言葉に、ルドたち新人五人も少しだけ顔を見合わせた。
自分たちは入社したばかりだ。
先輩たちより先に手を挙げるのは、さすがに気が引ける。
「……あの」
ルドが遠慮がちに口を開いた。
「私たちは、もしチケットが余ったらで大丈夫です」
エアも頷く。
「そうですね。先輩たちが行かれるなら、私たちは……」
しかし、その言葉を聞いたミラが、すぐに首を振った。
「……待って」
五人が顔を上げる。
「新人だからって、最初から遠慮しなくていいよ」
「……ミラさん」
「もちろん、全員で行けるかどうかは分からないけどね。でも、行きたい気持ちは先輩も新人も同じでしょう?」
ミラは穏やかに微笑んだ。
「そういうところまで、先輩に譲らなくてもいいんだから」
ランも頷いた。
「そうだね。まずはみんなの希望を聞いてから考えよう」
新人五人は、少しだけ安心したように頷いた。
「……ありがとうございます」
◇
「……で、結局どうする?」
ホーネットが、少しだけ呆れたように言った。
「みんな行きたい。でも、エリンとリュウジの邪魔になるかもしれない。しかも、チケットが何枚あるかも分からない」
指を折りながら続ける。
「……何も決まってないじゃない!」
その言葉に、事務所から笑い声が漏れた。
「……確かに」
ランが苦笑する。
ミラも小さく頷いた。
「そうだね。まずは確認しなければいけないことを整理しよう」
そう言って、ミラは端末を取り出した。
「一つ目。チケットが何枚あるのか」
画面に項目が表示される。
「二つ目。エリンさんとリュウジさんが、どういう形で観に行くつもりなのか」
続いて、もう一つ。
「三つ目。私たち自身の勤務予定」
ランが頷いた。
「それが分からないと、返事もできないね」
「うん」
ミラは頷いた。
「だから、明日エリンさんにお返事する前に、まず自分たちの予定だけは確認しておこう」
シルヴィアも静かに続けた。
「それと、もし人数が限られているのであれば、どなたが行かれるかについても考えなければいけませんね」
「……うーん」
ユウコが困ったように唸った。
「それが一番難しそうです」
ナツキが苦笑する。
「だって、みんな行きたいんですもんね」
「……そうなんですよ!」
アズサが大きく頷いた。
◇
「……ねえ、ミラ」
ランが、少しだけ声を落とした。
「何?」
「昼間、リュウジさんがエリンさんを誘った時って、どんな感じだったの?」
その問いに、ミラは少し考えた。
「……どんな感じって?」
「例えば、エリンさんが凄く驚いたとか。リュウジさんが緊張してたとか」
ミラは、昼間の光景を思い出した。
事務所の一角。
ハワードから届いた電子チケットを見せるリュウジ。
それを覗き込むエリン。
主演の話を聞いて嬉しそうに笑う彼女。
そして、舞台へ誘うリュウジ。
「……リュウジさんは、いつもどおり落ち着いてたよ」
ミラが答える。
「でも、エリンさんは少し驚いてたと思う。最初は仕事の相談だと思ってたみたいだから」
「……ふうん」
ランが頷く。
「それで?」
「ハワードさんの舞台だって分かったら、凄く嬉しそうだった」
ミラは少しだけ微笑んだ。
「それから、リュウジさんに誘われた時も、柔らかい表情をされてたよ」
その言葉に、ホーネットが口元を緩めた。
「……なるほどねぇ」
シルヴィアが横から静かに言った。
「ホーネット、また余計なことを考えてるでしょう?」
「何よ。何も言ってないじゃない」
「表情に出てるわよ」
ホーネットは肩をすくめた。
「……でも、エリンが楽しそうならいいじゃない」
その言葉に、シルヴィアは少しだけ目を細めた。
「……それは、そうね」
◇
「……私ね」
クミコが、少しだけ真面目な表情になった。
全員が顔を向ける。
「今日、リュウジさんとエリンさんが話しているところを見て、何だか嬉しかったんだ」
「……嬉しかった?」
マユが尋ねる。
「うん」
クミコは頷いた。
「だって、エリンさんって、いつも仕事のことを考えてるでしょう? 私たちの訓練とか、フライトのこととか、会社のこととか」
その言葉に、ミラも静かに頷いた。
「……そうだね」
「だから、たまにはエリンさんにも仕事を忘れて楽しんでほしいなって思うの」
クミコは少しだけ笑った。
「リュウジさんと一緒なら、きっと楽しい時間になると思うし」
マユも頷いた。
「……うん。私もそう思う」
その言葉に、サリーが小さく微笑んだ。
「私も。エリンさん、最近本当に忙しそうだから」
ミドリも静かに続けた。
「せっかくのお休みだし……」
そして、少しだけ言いにくそうに付け加える。
「私たちが大勢で行くより、お二人でゆっくり観ていただいた方がいいのかもしれないね」
その言葉に、事務所が静かになった。
◇
「……でもさ」
ユウコが小さく口を開いた。
「私たちだって、エリンさんと一緒に舞台を観たいんですよね」
ナツキが頷く。
「……そうだね」
「だったら、全員が遠慮して誰も行かないっていうのも、何か違う気がするんです」
その言葉に、ランが少しだけ目を細めた。
「……うん」
ユウコは続ける。
「エリンさんは、みんなで楽しむのも好きな人ですし。せっかく誘ってくださったのに、誰も行きませんって返事をするのも寂しくないですか?」
ミラが静かに頷いた。
「……確かに」
シルヴィアも微笑む。
「そうですね。エリンさんのお気持ちを考えるなら、私たちが勝手に遠慮することが正しいとも限りません」
ホーネットは、そんな全員の様子を見て小さく笑った。
「……やっと、まともな話になってきたじゃない」
「……ホーネット」
ミラが苦笑する。
「何よ?」
「最初から、もっと真面目に考えてよ」
「考えてるわよ!」
その返事に、また小さな笑い声が広がった。
◇
やがて、ミラは端末を閉じた。
「……とりあえず、今日はここまでにしよう」
「……えっ?」
アズサが顔を上げる。
「もう終わりですか?」
「だって、今の段階ではチケットの枚数も分からないでしょう?」
「……それはそうですけど」
「それに、エリンさんとリュウジさんのことも、私たちが勝手に決める話じゃないから」
ミラは静かに続けた。
「明日、エリンさんにお返事する時に、少しだけ確認してみようと思うの」
ランが頷く。
「そうだね。私もそれがいいと思う」
シルヴィアも微笑んだ。
「私も賛成です」
ホーネットは、少しだけ肩をすくめた。
「……まあ、仕方ないわね」
そして、にやりと笑う。
「でも、もしエリンが『みんなで行きたい』って言ったら、遠慮しないわよ?」
その言葉に、ユウコが勢いよく頷いた。
「もちろん!」
ナツキも笑った。
「その時は、みんなで楽しもうね」
クミコとマユも顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
新人五人も、少しだけ安心したように笑っている。
◇
しかし。
皆が帰り支度を始めた頃だった。
「……ねえ」
アズサが、ぽつりと呟いた。
その声に、近くにいたハズキが顔を向ける。
「何?」
「……もしさ」
アズサは少しだけ声を落とした。
「もし本当に、エリンさんとリュウジさんが二人で舞台を観たいと思ってたら……」
そこで言葉を止める。
ハズキも、少しだけ考え込んだ。
「……うん」
「……やっぱり、私たちが邪魔しちゃ駄目だよね」
その言葉に、クミコも静かに頷いた。
「……そうだね」
マユも、少しだけ寂しそうに笑った。
「でも、もし一緒に行けるなら……」
「……うん」
クミコが頷く。
「私も、行きたい」
その会話を、少し離れた場所でミラが聞いていた。
彼女は、事務所の奥にあるエリンの席へ視線を向ける。
そこには、今日も大量の訓練記録が整理されていた。
エリン。
いつも自分たちを支えてくれる人。
そして、リュウジ。
かつて若いパイロットたちを厳しく指導し、スペースホープを助けてくれた人。
二人とも、普段は誰かのために動くことが多い。
だからこそ。
たまには、自分たちのために時間を使ってほしい。
ミラは、静かに微笑んだ。
「……明日、ちゃんと聞いてみよう」
その言葉に、ランが顔を向ける。
「……うん」
そして、少しだけ笑った。
「エリンさん、どんな返事するかな」
「……さあ」
ミラも笑った。
「でも、きっといつものエリンさんらしい返事だと思うよ」
◇
一方、その頃。
スペースホープを出たエリンは、帰宅途中の交通機関の中で、もう一度ハワードの舞台案内を開いていた。
主演として記されたハワードの名前。
その文字を見つめるだけで、自然と笑みがこぼれる。
「……ふふっ。本当に、よかったわね」
小さく呟く。
そして、ふと今日のリュウジの姿を思い出した。
わざわざ会社まで足を運び、舞台へ誘ってくれたこと。
仕事の相談ではなく、ただ一緒に観に行かないかと声をかけてくれたこと。
最近は東の未探索領域に関する話ばかりだっただけに、少し意外だった。
「……たまには、こういうのもいいわよね」
エリンは小さく微笑んだ。
ハワードの晴れ舞台。
久しぶりに仕事から離れて過ごす時間。
そして、一緒に観に行くことになったリュウジ。
それらを思い浮かべながら、エリンは端末を閉じた。
明日、乗務員たちがどんな返事をするのか。
まだ何も知らないまま。
一方、スペースホープの事務所では、帰り支度をする乗務員たちの間で、最後まで同じ話題が続いていた。
「……行きたいよね」
「……うん」
「でも、邪魔したくないよね」
「……そうなんだよね」
誰もが舞台を楽しみにしている。
けれど、それと同じくらい、エリンとリュウジのことも気になっていた。
果たして、自分たちは一緒に行っていいのだろうか。
その答えを出せないまま、スペースホープの一日は静かに終わろうとしていた。
ーーーー
翌朝。
スペースホープ本社、旅行事業部。
事務所には、いつもどおりの慌ただしい時間が流れていた。
フライトの運航予定を確認する乗務員、昨日の訓練記録を整理する新人たち、そして各便の編成を調整するミラとラン。
その一方で、昨日から乗務員たちの間で密かに話題になっていることがあった。
ハワードの初主演舞台。
そして、リュウジがエリンを誘ったという、少し珍しい出来事である。
昨日の夕方、エリンが帰ったあとに行われた話し合いでは、結局何も決まらなかった。
全員が舞台を観に行きたい。
けれど、エリンとリュウジの邪魔をしていいのか分からない。
そもそも、チケットが何枚あるのかも確認していなかった。
まずは、そこからだった。
「……よし」
ミラは端末を閉じると、少し離れた席にいるエリンへ顔を向けた。
「エリンさん、少しよろしいですか?」
「あら、ミラ。どうしたの?」
「昨日の舞台の件なんですけど……」
その瞬間。
近くにいたクミコとマユの手が止まった。
アズサが顔を上げる。
ホーネットは、なぜか嬉しそうに椅子の向きを変えた。
エリンはそんな周囲の変化に気づかないまま、微笑んだ。
「ええ。予定を確認してくれた?」
「はい。それで、一つ確認したいことがありまして」
「何?」
「……チケットは、全部で何枚あるんでしょうか?」
エリンは、思い出したように頷いた。
「ああ、それね!」
そして、端末を取り出す。
「実は昨日、帰ってからリュウジに確認してみたの」
「……はい」
「そうしたらね、私とリュウジの分を除いて、五枚だったの」
「……五枚ですか?」
ミラが聞き返す。
「ええ。全部で七枚。私たちの分が二枚で、残りが五枚よ」
その瞬間。
少し離れた席から、小さな声が漏れた。
「……五枚」
クミコだった。
マユが隣で頷く。
「……思ってたより少ないね」
アズサは思わず両手を握った。
「……五人!」
その声が意外に大きく、エリンが顔を向けた。
「……あら、アズサも興味あるの?」
「えっ!? あ、はい! 凄く興味あります!」
アズサは慌てて答えた。
エリンは嬉しそうに笑った。
「ふふっ。そうなのね」
◇
「……でも、五枚なのよねぇ」
エリンは少し残念そうに画面を眺めた。
「できれば、もっとみんなを誘いたかったんだけど」
ミラが頷く。
「そうですね……」
「ハワードにとって初めての主演舞台でしょう? 私も、なるべくたくさんの人に観てもらいたいのよ」
エリンは微笑んだ。
「ハワードのためにも、みんなで行きたいんだけどね」
その言葉を聞いた瞬間。
ミラは、昨日の話し合いを思い出した。
──エリンさんとリュウジさんの邪魔をしていいのかな。
──本当は二人で観に行きたいんじゃない?
そんなことを、みんなで延々と話し合っていた。
しかし、目の前のエリンはどうだろう。
自分から、もっと多くの乗務員を誘いたかったと言っている。
ミラは少しだけ苦笑した。
「……エリンさん」
「何?」
「皆さんを誘っても、本当に大丈夫なんでしょうか?」
「……え?」
エリンが首を傾げた。
「どういう意味?」
「その……リュウジさんとお二人で観に行かれる方が、ゆっくりできるのではないかと思いまして」
その瞬間。
近くにいたホーネットが、端末で口元を隠した。
ランも、さりげなく会話へ耳を傾けていた。
エリンは数秒間、ミラを見つめた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「何を心配してるのよ」
「……えっ?」
「リュウジは、もともとほかの人も誘ってほしいって言われてたのよ。だから、私だけじゃなくて、みんなにも声をかけてるんじゃない」
「……そうでしたね」
「それに、みんなでハワードの舞台を観に行けたら楽しいでしょう?」
エリンは、当然のように微笑んだ。
「もちろん、リュウジと二人でも楽しいと思うけどね」
その一言に、近くのクミコとマユが同時に顔を上げた。
アズサが、小さく息を呑む。
ホーネットの口元が、ゆっくりと緩んだ。
しかし、エリンは特に気にした様子もなく続けた。
「だから、遠慮しなくていいわよ。せっかくの機会なんだから」
「……ありがとうございます」
ミラは静かに頭を下げた。
そして、少し離れたところで聞いていたランと目を合わせた。
ランは小さく頷く。
どうやら、昨日の心配は必要なかったらしい。
少なくともエリン自身は、みんなで舞台を観に行くことを楽しみにしているようだった。
◇
「……それで、みんな!」
エリンが手を叩いた。
「チケットは五枚しかなかったけど、その日、予定が空いてる人はいる?」
その問いを待っていたかのように、ミラが端末を開いた。
「エリンさん、昨日のうちに皆さんの勤務予定を確認してあります」
「あら、そうなの?」
「はい。ちょうど公演の日は、フライトや訓練が重なっている人が多くて……」
ミラは一覧を表示した。
その日、予定が空いていたのは七人だった。
ミラ。
ユウコ。
クミコ。
ミドリ。
そして、新人のスズカ、ルド、ナリタ。
残るラン、ホーネット、シルヴィア、ナツキ、マユ、アズサ、ハズキ、サリー、エア、シャワーの十人は、フライトや訓練などの仕事が入っていた。
「……七人なのね」
エリンが小さく呟く。
「はい」
ミラは頷いた。
「今のところ、全員が予定を空けられるのは難しそうです」
「……そう」
エリンは少し考えた。
そして、予定が空いている七人へ顔を向けた。
「ミラ、ユウコ、クミコ、ミドリ。それからスズカ、ルド、ナリタ」
「はい!」
七人が返事をする。
「みんな、舞台には行きたい?」
…………。
七人は顔を見合わせた。
そして。
「……行きたいです!」
ユウコが最初に答えた。
クミコも頷く。
「私もです!」
ミドリが控えめに手を挙げる。
「私も、行ってみたいです」
スズカたち新人三人も、少し遠慮がちに頷いた。
「私たちも、できれば……」
最後に、ミラが微笑む。
「私も、ぜひ観に行きたいです」
エリンは、嬉しそうに頷いた。
「……そう。よかった!」
しかし、すぐに少し困ったような顔になる。
「でも、七人に対してチケットは五枚なのよね」
再び沈黙。
誰もが同じことを考えていた。
二人だけ、行けない。
◇
「……どうしましょうか」
ミラが呟いた。
すると、ホーネットが勢いよく立ち上がった。
「そんなの、簡単じゃない!」
全員が顔を向ける。
「……ホーネット?」
エリンが首を傾げた。
ホーネットは、にやりと笑った。
「七人とも行きたいんでしょ?」
「はい」
ミラが答える。
「でも、チケットは五枚しかない」
「……そうね」
エリンが頷く。
ホーネットは、胸を張った。
「だったら!」
そして、大きく宣言した。
「正々堂々、ジャンケンで決めればいいじゃない!」
「…………」
一瞬、事務所が静かになった。
そして。
「……ジャンケン?」
エリンが聞き返した。
「そう! 公平でしょ?」
ホーネットは当然のように答えた。
「誰が先輩とか、誰が新人とか関係なし。運だけで決めるの!」
ランが少し考えた。
「……まあ、それなら公平だね」
シルヴィアも頷いた。
「皆さんが納得されるのであれば、よい方法だと思います」
ナツキが小さく笑う。
「でも、舞台のチケットをジャンケンで決めるなんて、ちょっと面白いですね」
ユウコは、すでにやる気満々だった。
「私は賛成です!」
その言葉に、クミコも頷く。
「私もです。公平に決めるなら、その方がいいと思います」
ミドリも小さく頷いた。
「……うん。それなら納得できる」
新人三人も、顔を見合わせてから頷いた。
「私たちも大丈夫です!」
エリンは、その様子を見て少しだけ笑った。
「……ふふっ。みんな、本気なのね」
そして、頷いた。
「分かったわ。じゃあ、ジャンケンで決めましょう!」
◇
数分後。
旅行事業部の中央に、七人が集まっていた。
ミラ、ユウコ、クミコ、ミドリ、スズカ、ルド、ナリタ。
その周囲には、予定が合わず参加できない十人が集まっている。
まるで何かの大会でも始まるかのような雰囲気だった。
「……ちょっと待って」
ランが呆れたように言った。
「ジャンケンするだけなのに、何でこんなに大げさになってるの?」
ホーネットが楽しそうに笑う。
「いいじゃない! 盛り上がるでしょ!」
アズサも、すっかり応援する気になっていた。
「ミドリ! 頑張って!」
「……う、うん」
ミドリは少し困ったように笑った。
マユもクミコへ声をかける。
「クミコ、頑張ってね!」
「うん。ありがとう!」
サリーは、少し離れた場所で小さく微笑んでいた。
「……何だか、みんな楽しそう」
ハズキも頷く。
「うん! 私たち行けないのに、何か凄く盛り上がってるよね!」
そんな様子を見ていたエリンは、思わず笑ってしまった。
「……もう、あなたたち。ジャンケンくらい普通にできないの?」
ホーネットが笑う。
「エリン、こういうのは盛り上がった方が楽しいのよ!」
「……そういうもの?」
「そういうもの!」
エリンは小さく肩をすくめた。
「……まあ、いいわ」
そして、七人へ顔を向ける。
「それじゃあ、ルールを決めましょう」
◇
「まず、七人でジャンケンをして、勝った人から参加決定にします」
ミラが説明した。
「残った人たちは、残りのチケットをかけてもう一度ジャンケン。最終的に五人が決まるまで続ける形でいいでしょうか?」
「いいと思う!」
ランが頷いた。
シルヴィアも微笑む。
「分かりやすいですね」
エリンが七人を見渡した。
「みんな、それでいい?」
「はい!」
返事が揃った。
ホーネットは、楽しそうに両手を叩いた。
「よーし! じゃあ始めましょう!」
「……何でホーネットが一番張り切ってるの?」
ミラが苦笑する。
「いいじゃない。私、今日は応援係なんだから!」
ユウコが拳を握った。
「……絶対勝ちたい!」
その隣でクミコも、少しだけ緊張した顔になる。
「……私も」
ミドリは自分の手を見つめていた。
「……ジャンケンって、こんなに緊張するものだったかな」
スズカが苦笑する。
「私もです。何だか訓練より緊張してきました」
ルドも頷く。
「うん。こんな大勢に見られてジャンケンするの、初めてかも」
ナリタは、少しだけ笑った。
「……でも、楽しそうですね」
ミラは、そんな六人を見渡した。
「……よし。じゃあ、行こうか」
◇
「それじゃあ!」
ホーネットが声を張った。
「第一回戦!」
七人が円になって立つ。
「最初はグー!」
全員が拳を握る。
「ジャンケン……!」
そして。
「ポン!!」
七人の手が、一斉に前へ出された。
…………。
「あっ!」
アズサが声を上げた。
出された手は、グーとチョキの二種類だった。
ミラ、クミコ、スズカ、ナリタがグー。
ユウコ、ミドリ、ルドがチョキ。
つまり。
「……えっ?」
ユウコが固まった。
ホーネットが勢いよく指を差す。
「ミラ、クミコ、スズカ、ナリタの四人が勝ち!」
「……ええっ!?」
ミラが思わず目を丸くした。
「……勝った?」
クミコも、自分の拳を見つめている。
スズカとナリタは、しばらく状況を理解できない様子だった。
「……あの」
スズカが恐る恐る尋ねる。
「私たち、勝ったんですか?」
ホーネットは大きく頷いた。
「勝ったわよ!」
そして、楽しそうに宣言した。
「四人、参加決定!」
「……やったぁ!」
クミコが嬉しそうに声を上げた。
スズカとナリタも、顔を見合わせる。
「……やった!」
「本当に!?」
新人二人は、思わず小さく手を合わせた。
ミラは、少しだけ驚いたように自分の拳を見つめていた。
「……まさか、一回で決まるとは思わなかった」
ランが笑う。
「ミラ、おめでとう!」
「ありがとう、ラン」
エリンも嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。四人とも、おめでとう」
◇
しかし。
残った三人の表情は、少し複雑だった。
ユウコ。
ミドリ。
そして、ルド。
三人とも、チョキを出してしまったのだ。
「……うそぉ」
ユウコが、ゆっくりと両手で顔を覆った。
「……何でチョキ出しちゃったんだろう」
ナツキが思わず笑った。
「ユウコ、ジャンケンなんだから仕方ないでしょ」
「分かってるけど!」
ユウコは悔しそうに言った。
「最初からグーって言われたのに、何でチョキにしちゃったんだろう!」
「……それは、みんな最初はグーだからね」
ナツキが笑いながら答える。
ミドリは、少しだけ苦笑した。
「……私も負けちゃった」
ルドも、小さく息を吐いた。
「……ああ、残念」
しかし、まだ終わったわけではなかった。
残りのチケットは一枚。
その一枚を、三人で争うことになる。
ホーネットが、にやりと笑った。
「……さあ!」
三人へ顔を向ける。
「最後の一枚をかけた決勝戦よ!」
「……決勝戦って」
ミラが苦笑する。
しかし、ユウコは真剣だった。
「……絶対勝つ」
ミドリも、小さく頷いた。
「……うん」
ルドは拳を握った。
「……私も頑張ります!」
◇
三人が向かい合う。
周囲の乗務員たちも、自然と静かになった。
「……よし」
ホーネットが両手を叩いた。
「それじゃあ、行くわよ!」
三人が拳を握る。
「最初はグー!」
ユウコが小さく息を吸った。
ミドリは、じっと自分の手を見つめる。
ルドも、少し緊張した表情だった。
「ジャンケン……!」
そして。
「ポン!!」
…………。
数秒の沈黙。
ユウコの手は、グー。
ミドリとルドの手は、チョキだった。
「…………」
誰も、すぐには声を出さなかった。
そして。
「……えっ?」
ユウコが、自分の拳を見つめた。
次に、ミドリとルドの手を見る。
そして、もう一度自分の手を見る。
「…………」
数秒後。
「……やったぁぁぁぁ!!」
ユウコの歓声が、事務所に響き渡った。
「勝った! 勝ったぁ!」
思わず両手を上げる。
ナツキが笑いながら拍手した。
「ユウコ、おめでとう!」
「ありがとう、ナツキ!」
ホーネットも大きく笑った。
「はい! 最後の一枚はユウコに決定!」
エリンは、思わず口元を押さえて笑っていた。
「……もう、みんな。本当に楽しそうね」
◇
こうして。
七人によるジャンケン大会は、あっという間に決着した。
舞台へ行くことになったのは、ミラ、ユウコ、クミコ、スズカ、ナリタの五人。
残念ながら、ミドリとルドは参加できないことになった。
「……あーあ」
ミドリが小さく息を吐く。
その隣で、ルドも少し残念そうに笑った。
「……負けちゃいましたね」
「……うん」
二人は顔を見合わせた。
しかし、ミドリはすぐに微笑んだ。
「でも、ジャンケンで決めたんだもん。仕方ないよね」
ルドも頷く。
「はい。勝った皆さんには、楽しんできてほしいです」
その言葉に、ミラが二人へ近づいた。
「……二人とも、ごめんね」
ミドリは慌てて首を振った。
「ミラさんが謝ることじゃないですよ」
ルドも頷く。
「そうです。公平に決めたんですから」
ミラは少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう」
すると、ホーネットが横から口を開いた。
「そうそう! こういうのは、勝った人が楽しむ! 負けた人は次の機会に期待する! それでいいのよ!」
ランが笑った。
「ホーネット、随分簡単に言うね」
「だって、私なんて最初から仕事で行けないんだから!」
「……確かに」
ランが苦笑した。
その言葉に、周囲からも笑い声が広がった。
◇
「……それにしても」
シルヴィアが、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「新人のお二人も参加できることになって、よかったですね」
スズカとナリタが顔を向ける。
「……ありがとうございます!」
スズカが頭を下げた。
ナリタも続く。
「せっかくの機会なので、楽しんできます!」
その様子を見て、エリンが優しく微笑んだ。
「ええ。二人とも、楽しみにしていてね」
「はい!」
クミコも嬉しそうに笑った。
「スズカ、ナリタ。一緒に楽しもうね!」
「はい、クミコさん!」
ユウコも、満面の笑みだった。
「……いやぁ、よかったぁ!」
ナツキが笑う。
「ユウコ、さっきまで凄い顔してたもんね」
「だって、負けたら行けなかったんだよ?」
「それはみんな同じでしょ」
「……まあ、そうだけど」
ユウコは少し照れたように笑った。
ミラは、そんな二人のやり取りを見ながら小さく微笑んでいた。
結果として、先輩も新人も関係なく、全員が納得できる形で決まった。
それが何よりだった。
◇
「……じゃあ、決まりね!」
エリンが手を叩いた。
「ミラ、ユウコ、クミコ、スズカ、ナリタの五人」
「はい!」
五人が返事をする。
「ハワードの舞台、一緒に観に行きましょう」
エリンは嬉しそうに微笑んだ。
「私も楽しみにしてるわ」
その言葉に、ミラが頷いた。
「はい。ありがとうございます、エリンさん」
ユウコも笑顔で答える。
「楽しみです!」
クミコも、少しだけ目を輝かせた。
「私、ちゃんとした舞台って久しぶりなので、凄く楽しみです!」
スズカとナリタも、嬉しそうに頷いていた。
エリンは、その様子を見て満足そうに微笑んだ。
そして、端末を取り出す。
「じゃあ、リュウジに連絡しておくわね」
その瞬間。
ホーネットが、にやりと笑った。
「……ねえ、エリン」
「何?」
「リュウジ、何て言うかしらね?」
エリンは首を傾げた。
「……何てって?」
「いや、だって。七枚のチケットのうち、残り五枚をジャンケンで決めたんでしょう?」
「そうね」
「……何か、凄くない?」
ホーネットは楽しそうに笑った。
エリンも小さく笑った。
「ふふっ。確かに、ちょっと大げさだったかもしれないわね」
そして、端末を操作した。
◇
宇宙管理局。
リュウジは、自分の端末に届いたメッセージへ目を向けた。
差出人はエリン。
『リュウジ、昨日の舞台の件だけど、残りの五枚はミラ、ユウコ、クミコ、スズカ、ナリタが使うことになったわ。みんな楽しみにしてるみたい。ありがとう』
リュウジは小さく頷いた。
そして、返信を打つ。
『分かりました。皆さんにもよろしく伝えてください。当日は楽しみにしています』
送信。
しばらくすると、エリンから再びメッセージが届いた。
『ちなみにね、七人が行きたがったから、ジャンケンで決めたのよ』
「…………」
リュウジの指が止まった。
「……ジャンケン?」
思わず小さく呟く。
七人で五枚のチケットを争う。
しかも、スペースホープの乗務員たちが。
その光景を想像したリュウジは、少しだけ目を細めた。
そして。
「……ははっ」
珍しく、声を出して笑った。
端末へ返信する。
『そうだったんですか。随分盛り上がったみたいですね』
すぐにエリンから返事が届いた。
『ええ。ホーネットが随分張り切っちゃって。仕事じゃないのに、みんな真剣だったわ』
『想像できます』
『ふふっ。でしょう?』
リュウジは小さく笑いながら、端末を閉じた。
ハワードから送られてきた七枚の電子チケット。
最初は、誰を誘おうかと少し困っていた。
それが今では、まさかジャンケン大会まで開かれるほどの人気になっている。
「……ハワードが聞いたら、喜ぶだろうな」
リュウジは静かに呟いた。
そして、ハワードへ短いメッセージを送った。
『チケットは七枚とも使うことになった。スペースホープの乗務員五人も一緒に観に行く。みんな楽しみにしてるぞ』
数秒後。
『本当!? ありがとう!! 絶対にいい舞台にするよ!!』
ハワードらしい、勢いのある返信が届いた。
リュウジは、もう一度小さく笑った。
◇
一方、スペースホープ。
ジャンケン大会が終わったあとも、事務所には明るい笑い声が響いていた。
ユウコはナツキへ何度も勝った時の話をしていたし、クミコはスズカとナリタへ舞台の楽しみ方を話していた。
ミドリとルドも、残念そうではあったものの、参加する五人を素直に祝福していた。
そんな様子を見ながら、エリンは静かに微笑んだ。
仕事の話ばかりしていた日々。
フライトの訓練。
会社の立て直し。
そして、新しい乗務員たちの教育。
毎日が忙しく、気がつけば自分自身の時間を後回しにすることも多かった。
けれど、こうして皆が楽しそうにしている姿を見ていると、それだけで嬉しくなる。
「……ふふっ」
小さく笑う。
すると、ミラが顔を向けた。
「エリンさん?」
「何?」
「……ありがとうございます」
エリンは少しだけ首を傾げた。
「……何が?」
「こういう機会を作ってくださって」
ミラは微笑んだ。
「最近、みんな仕事で忙しかったですから。こうして一緒に楽しめる予定ができるのは、嬉しいです」
エリンは、一瞬だけ目を丸くした。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……そうね」
少しだけ間を置く。
「でも、今回は私じゃなくて、リュウジとハワードにお礼を言わないとね」
「……はい」
ミラが頷いた。
エリンは、事務所にいる乗務員たちを見渡した。
「せっかくだから、思いっきり楽しみましょう」
その言葉に、ミラは嬉しそうに微笑んだ。
「はい!」
こうして、ハワードの初主演舞台を観に行く七人が決まった。
リュウジとエリン。
そして、ジャンケンを勝ち抜いたスペースホープの五人。
舞台の幕が上がる日まで、あと少し。
それぞれが、久しぶりの休日を心待ちにしていた。