文化区画。
ハワードが初めて主演を務める舞台の公演当日。
劇場の周辺には、開演を待ちわびる観客たちの姿があった。
華やかな衣装に身を包んだ女性たち。落ち着いたスーツ姿の男性たち。公演のパンフレットを片手に、出演者について語り合う人々。
劇場の入口には大きな公演ポスターが掲げられ、その中央には主演俳優としてハワードの名前が記されている。
俳優の道を志すと決めてから、彼は幾つもの舞台に立ってきた。
最初は学生として。
そして、やがて本格的な劇団の公演へ。
役者としての経験を重ねてきた彼が、ついに主演という大役を任されたのだ。
その晴れ舞台を観るため、スペースホープの一行も劇場を訪れていた。
◇
「……わあ」
劇場の入口で、クミコが感嘆の声を漏らした。
「凄い……。思ってたより、ずっと立派な劇場ですね」
隣にいたユウコも、建物を見上げながら頷いた。
「本当。何だかちょっと緊張しちゃいますね」
「ふふっ。舞台を観に来ただけなんだから、そんなに緊張しなくてもいいのよ」
そう言って微笑んだのは、エリンだった。
その姿を見たミラは、思わず目を細めた。
今日のエリンは、いつもとは少し違っていた。
深みのある紺色のフォーマルドレス。
身体の線を上品に見せる仕立てで、肩には薄手のショールを羽織っている。
普段は自然な仕上がりの化粧を好む彼女だが、今日は目元にも丁寧に色が乗せられていた。
長い緑色の髪は後ろで緩やかにまとめられ、耳元には小さな銀色のイヤリングが光っている。
決して派手ではない。
けれど、普段の制服姿とは違った大人の華やかさがあった。
「……エリンさん」
ミラが思わず声をかける。
「何?」
「今日、いつもよりお綺麗ですね」
エリンは少し驚いたように瞬きをした。
そして、柔らかく笑う。
「……あら、ありがとう。せっかくの観劇だもの。少しおしゃれしてきたのよ」
「本当に素敵です!」
クミコも嬉しそうに頷いた。
「いつものエリンさんも綺麗ですけど、今日は何だか特別な感じがします」
「もう、クミコまで」
エリンは小さく笑った。
「あなたたちだって、よく似合ってるわよ」
実際、今日の五人も普段とは違っていた。
ミラは淡いベージュのドレスに、落ち着いた色のジャケットを合わせている。
ユウコは黒を基調とした上品なワンピース。
クミコは明るいクリーム色のドレスに、小さなアクセサリーを合わせていた。
スズカとナリタも、それぞれ落ち着いた色合いのフォーマルな服装を選んでいる。
「……皆さん、本当にお綺麗です」
スズカが少し照れたように言う。
ナリタも頷いた。
「こういう場所に来るの、少し緊張しますね」
ミラは優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。今日は仕事じゃないんだから、楽しみましょう」
「はい!」
その返事に、エリンも満足そうに頷いた。
「じゃあ、中に入りましょうか」
◇
受付で電子チケットを提示し、一行は劇場の中へ入った。
赤い絨毯が敷かれた通路。
柔らかな照明。
壁には過去の公演写真が飾られ、観客たちはパンフレットを眺めながら開演を待っていた。
「……凄いですね」
クミコが小さく呟いた。
「何だか、本当に特別な場所へ来たみたいです」
エリンは微笑んだ。
「ふふっ。舞台って、始まる前の雰囲気もいいのよね」
彼女にとって、ハワードの舞台を観るのは初めてではない。
以前も彼の出演する公演へ足を運び、役者として成長している姿を目にしていた。
だが、今回は違う。
主演。
舞台全体を背負う立場だ。
彼がどんな芝居を見せるのか、エリンも心から楽しみにしていた。
「……あっ、エリンさん」
ミラが端末を確認する。
「お席、こちらみたいです」
「ええ。ありがとう」
リュウジから送られてきた電子チケットには、座席番号が記されていた。
一行は番号を確認しながら、中央寄りの客席へ向かった。
すると。
「……エリンさん?」
突然、聞き覚えのある声がした。
エリンが顔を上げる。
そこには、二人の少女が立っていた。
「……あら!」
エリンの表情が明るくなった。
「メノリ! シャアラ!」
◇
「お久しぶりです、エリンさん」
メノリが丁寧に頭を下げた。
その隣で、シャアラも嬉しそうに微笑む。
「お久しぶりです!」
エリンは二人の姿を見て、少し驚いたように目を細めた。
メノリは、黒を基調とした落ち着いたフォーマルドレスを着ていた。
余計な装飾は少なく、彼女らしい知的で大人びた雰囲気がある。
一方のシャアラは、淡い青色のドレス。
柔らかな色合いが彼女の雰囲気によく似合っており、髪も普段より丁寧に整えられていた。
「……まあ」
エリンは思わず微笑んだ。
「二人とも、見ない間に随分と大人っぽくなったわね」
シャアラは少し照れたように笑った。
「……ありがとうございます」
メノリも、わずかに口元を緩める。
「エリンさんも、今日はいつも以上に素敵ですね」
「あら、ありがとう。せっかくの舞台だから、少し気合いを入れてきたの」
エリンは嬉しそうに笑った。
そして、二人へ尋ねる。
「あなたたちも、ハワードの応援に来たの?」
「はい」
メノリが頷いた。
「主演が決まったと聞いたので、予定を空けました」
シャアラも笑顔になる。
「私もです。ハワード、凄く張り切っていましたから」
「ふふっ。そうでしょうね」
エリンは小さく笑った。
「本当に、あの子らしいわ」
◇
「……あの、エリンさん」
シャアラが、後ろにいる女性たちへ視線を向けた。
「こちらの皆さんは……?」
「ああ、そうだったわね」
エリンは振り返った。
「スペースホープの乗務員たちよ。こちらがミラ、ユウコ、クミコ。それからスズカとナリタ」
紹介された五人が、それぞれ頭を下げる。
「初めまして。ミラです」
「ユウコです。よろしくお願いします」
「クミコです!」
スズカとナリタも挨拶した。
メノリとシャアラは丁寧に頭を下げる。
「初めまして。メノリと申します」
「シャアラです。よろしくお願いします」
メノリは、改めて五人を見渡した。
「皆さんも、ハワードの舞台を観に来られたんですね」
「はい。リュウジさんがチケットを用意してくださったんです」
ミラが答える。
「……なるほど」
メノリは小さく頷いた。
そして、何かを考えるように視線を落とした。
「……リュウジも来るんですか?」
エリンが微笑む。
「ええ。もちろんよ。まだ来ていないけど、間に合うはずだわ」
「…………」
その瞬間。
メノリの表情が、わずかに変わった。
「……そうですか」
短い返事だった。
シャアラは、その横顔を見て小さく苦笑した。
エリンは気づかなかったが、メノリの目には何とも言えない諦めの色が浮かんでいた。
◇
一行は、それぞれの座席へ移動した。
メノリとシャアラの席は、偶然にもリュウジたちの席のすぐ隣だった。
エリンの隣にはミラ。
その先にはユウコ、クミコ、スズカ、ナリタが座っている。
メノリとシャアラは、反対側に並んでいた。
ちょうどリュウジの席が、メノリとエリンの間に用意されている形だった。
「……随分、近い席だったのね」
エリンが笑う。
シャアラも嬉しそうに頷いた。
「はい。まさかエリンさんたちと同じ列だとは思いませんでした」
その言葉に、メノリは少しだけ目を細めた。
そして、リュウジの席番号を確認する。
「…………」
何も言わなかった。
◇
開演五分前。
劇場の照明が少しずつ落ち着き始め、観客たちも自分の席へ戻っていた。
『まもなく開演いたします。携帯端末は音の出ない設定にしていただき、公演中の撮影や録音はご遠慮ください』
案内放送が流れる。
エリンは端末を確認した。
「……リュウジ、まだかしら」
すると、通路の方から足音が近づいてきた。
「……すみません。こちらの席で合っていますか?」
低く落ち着いた声。
エリンが顔を上げる。
「あっ、リュウジ!」
そこには、スーツ姿のリュウジが立っていた。
黒に近い濃紺のスーツ。
白いシャツに、落ち着いた色のネクタイ。
普段の服装とは違い、今日は完全に観劇用の正装だった。
髪も整えられ、いつも以上に端正な雰囲気をまとっている。
「お待たせしました、エリンさん」
「ふふっ。間に合ってよかったわ」
「すみません。少し用事が長引いてしまいまして」
リュウジは軽く頭を下げた。
すると、その隣から声がした。
「……リュウジ」
メノリだった。
リュウジが振り返る。
「……メノリ?」
メノリは、少しだけ目を細めた。
「本当に来たんだな」
「……何だ、その言い方は」
リュウジが苦笑する。
シャアラも嬉しそうに手を振った。
「リュウジ、久しぶり!」
「……シャアラ。久しぶりだな」
二人とも、以前より随分大人びて見えた。
「元気そうだな」
「うん! リュウジも元気そうでよかった」
シャアラは笑った。
メノリは、そんな二人のやり取りを横目に見ながら、静かに言った。
「……それで、お前はここに座るのか?」
「……ああ?」
リュウジが首を傾げる。
手元のチケットを確認した。
「……そうだが。席番号も合ってる」
そして、メノリの隣に腰を下ろそうとする。
その瞬間。
「……待て」
メノリが静かに制止した。
「……何だ?」
「そこに座るのか?」
リュウジは眉を寄せた。
「……だから、そうだが」
メノリは数秒間、リュウジを見つめていた。
そして。
「……はぁ」
小さくため息を吐いた。
◇
「……すみません、ミラさん」
突然声をかけられ、ミラが顔を上げた。
「はい?」
メノリは、エリンの隣に座っていたミラへ丁寧に頭を下げた。
「ミラさん、リュウジと席を変わってもらってもいいですか?」
「……え?」
ミラが目を丸くする。
「ええと……?」
突然の申し出に、状況が理解できなかった。
隣のエリンも首を傾げる。
「……メノリ?」
しかし、メノリは真剣だった。
「すみません。今日はリュウジの面倒を見る気になれないので」
「…………」
ミラが固まった。
エリンも、思わずリュウジへ顔を向ける。
「……どういうこと?」
リュウジ本人も、何を言われているのか分からない様子だった。
「……おい、メノリ」
「何だ?」
「俺は別に、面倒を見てもらうつもりなんてないぞ」
「……そうか」
メノリは淡々と答えた。
「だったら、なおさら問題ないな」
「……いや、意味が分からないんだが」
シャアラは、そんな二人を見て小さく笑いをこらえていた。
ミラは困ったようにエリンへ視線を向ける。
「……エリンさん、どうしましょう?」
エリンも、少しだけ苦笑した。
「……そうね。席を替わるくらいなら、別にいいんじゃない?」
「……分かりました」
ミラは頷いた。
そして、リュウジへ顔を向ける。
「リュウジさん、よろしいですか?」
「ああ。俺は構わないが……」
リュウジはメノリを見た。
「……本当に、何なんだ?」
メノリは、すでに舞台へ視線を向けていた。
「……すぐに分かる」
「…………」
リュウジは、釈然としない表情を浮かべた。
それでも、開演直前に揉めるわけにもいかない。
結局、ミラがメノリ側へ移動し、リュウジがエリンの隣に座ることになった。
エリンは小さく笑った。
「……何だか、変なことになったわね」
「……すみません、エリンさん」
リュウジは苦笑した。
「いえ、あなたが謝ることじゃないでしょう?」
エリンはそう答え、舞台へ視線を戻した。
その隣で、メノリが静かに呟く。
「……これでいい」
シャアラが小声で尋ねた。
「……メノリ、大丈夫かな?」
「……知らない」
メノリは短く答えた。
「私はもう面倒を見ない」
その言葉の意味を、この時のエリンたちはまだ理解していなかった。
◇
やがて。
客席の照明がゆっくりと落ち始めた。
劇場を包んでいたざわめきが静まり、観客たちの視線が舞台へ集まっていく。
幕の向こうで、静かな音楽が流れ始めた。
エリンは自然と背筋を伸ばした。
ミラも、初めて観る本格的な舞台に少し緊張した様子だった。
ユウコはパンフレットを膝の上に置き、クミコは目を輝かせて舞台を見つめている。
スズカとナリタも、静かに開演を待っていた。
そして。
幕が上がった。
◇
舞台は、重厚な物語だった。
戦乱によって故郷を失った若者が、理想と現実の間で苦悩しながら、人々を導いていく。
華やかな舞台装置。
精密に計算された照明。
そして、俳優たちの力強い演技。
物語は序盤から観客を引き込んでいた。
やがて、舞台の中央に一人の青年が現れる。
豪華な衣装。
凛とした立ち姿。
そして、客席の奥まで届く、よく通る声。
ハワードだった。
『……私には、まだ守るべきものがある!』
その声が、劇場に響き渡る。
舞台の上のハワードは、普段の彼とはまるで別人だった。
ふざけた冗談を言うこともない。
周囲の反応を見て調子に乗ることもない。
ただ、役としてそこに立っている。
エリンは思わず息を呑んだ。
(……凄い)
以前の舞台でも、ハワードの成長は感じていた。
けれど、今日は明らかに違う。
台詞の間。
視線の使い方。
立ち姿。
そして、感情を声に乗せる技術。
すべてが、以前より洗練されていた。
(……本当に、頑張ったのね)
エリンは、少しだけ目を細めた。
ミラも舞台から目を離せないでいた。
ユウコとクミコも、すっかり物語に引き込まれている。
スズカとナリタも同じだった。
誰もが、ハワードの演技を素晴らしいと思っていた。
ただし。
一人だけ、様子がおかしい人物がいた。
◇
「…………」
エリンの隣。
リュウジだった。
彼は舞台をまっすぐ見つめている。
その表情は、普段とほとんど変わらない。
しかし。
「…………っ」
肩が、小さく震えていた。
最初、エリンは気のせいかと思った。
だが、しばらくすると、また。
「……っ、……」
今度は明らかだった。
リュウジは片手で口元を押さえ、少しだけ俯いている。
エリンは小声で尋ねた。
「……ねえ、リュウジ」
「……はい」
「大丈夫?」
リュウジは、ゆっくりと顔を向けた。
「……大丈夫です」
声は落ち着いていた。
しかし、目元が少しだけおかしい。
「……本当に?」
「……はい」
エリンは不思議そうに首を傾げた。
体調が悪いのだろうか。
それとも、何か気になることがあるのだろうか。
けれど、舞台が続いている以上、詳しく尋ねるわけにもいかない。
エリンは再び舞台へ視線を戻した。
その時だった。
ハワードが、舞台の中央へ歩み出た。
そして、感情を込めた声で叫んだ。
『たとえ世界のすべてが私を否定しようとも、私はこの道を歩み続ける!』
力強い台詞。
劇場が静まり返る。
観客たちは、主人公の決意に心を動かされていた。
しかし。
「……ふっ」
エリンの隣から、小さな音が聞こえた。
彼女は、ゆっくりと顔を向けた。
「…………」
リュウジが、口元を押さえていた。
肩が震えている。
「……リュウジ?」
「……っ、……すみません」
リュウジは、必死に声を抑えていた。
エリンは目を細めた。
「……ちょっと」
「……はい」
「変なシーンじゃないでしょう?」
「……すみません」
リュウジは小さく頭を下げた。
しかし。
「……ふっ、……」
また、小さく吹き出した。
エリンは、とうとう気づいた。
この人。
笑っている。
◇
舞台の上では、ハワードが真剣な演技を続けていた。
彼の演技は見事だった。
苦悩する主人公の姿は観客の心をつかみ、台詞の一つひとつに説得力がある。
けれど。
リュウジにとっては、少し事情が違った。
ハワードとは、長い付き合いだった。
無人惑星サヴァイヴで過ごした日々。
ソリア学園での生活。
何かにつけて大げさな言葉を並べ、妙に格好をつけようとするハワード。
いつも自信満々で、時々どうしようもなく調子に乗り、メノリに冷静な一言を返されていたハワード。
その彼が。
今。
舞台の中央で、誰よりも真剣な顔をしている。
しかも、驚くほど格好いい。
演技も本当に上手い。
それは分かっている。
分かっているのだが。
(……駄目だ)
リュウジは必死に笑いをこらえた。
(……あいつ、あんな顔するのか)
舞台の上のハワードは、恋人との別れを前に、静かに目を伏せていた。
その表情は、実に繊細だった。
声も震えている。
観客たちは、その悲しい場面に引き込まれていた。
だが、リュウジの頭には、別の光景が浮かんでいた。
いつかのハワード。
皆の前で得意げに胸を張り、芝居がかった口調で自分の考えを語っていた姿。
格好をつけすぎて、メノリに一言で切り返されていた姿。
あの、いつものハワード。
その顔と、今の舞台の顔が重なる。
(……いや、上手いんだが)
リュウジは口元を押さえた。
(……本当に、上手いんだが……)
それでも、どうしても。
可笑しい。
◇
舞台では、ハワードが静かに膝をついた。
『……どうか、私を許してほしい』
重く、悲しい台詞。
観客たちは息を呑んでいた。
エリンも、胸を締めつけられるような思いで舞台を見つめていた。
その時。
「……っ、ふ……」
また、隣から小さな音がした。
エリンは、ゆっくりと顔を向けた。
リュウジが俯いている。
肩が震えている。
口元を押さえた手にも、力が入っていた。
「……リュウジ」
エリンが小声で呼ぶ。
「……はい」
「……あなた、笑ってるでしょう?」
「……すみません」
返事が早かった。
エリンは、一瞬だけ呆れたように目を細めた。
「……もう」
そして、さらに声を落とす。
「ハワード、あんなに真剣に演じてるのよ?」
「……分かっています」
「だったら……」
「……すみません。本当に……」
リュウジは必死だった。
しかし、その声はわずかに震えていた。
エリンは小さくため息を吐いた。
そして、ふと反対側の席へ目を向けた。
ミラ。
その隣にはメノリ。
メノリは、舞台をまっすぐ見つめていた。
けれど、その表情には、何となく事情を理解しているような雰囲気があった。
エリンは、そこでようやく思い出した。
開演前。
メノリは、わざわざミラに席を替わってほしいと頼んだ。
そして、こう言ったのだ。
──今日はリュウジの面倒を見る気になれないので。
(……まさか)
エリンは隣のリュウジを見た。
リュウジは、まだ必死に笑いをこらえていた。
(……こういうことだったの?)
◇
その頃。
メノリは、舞台へ視線を向けたまま小さく息を吐いていた。
隣のミラが、そっと顔を寄せる。
「……メノリさん」
「……はい」
「もしかして、こうなるって分かっていたんですか?」
メノリは、少しだけ目を細めた。
「……ある程度は」
「……そうだったんですね」
ミラは、反対側の席から聞こえる小さな物音に視線を向けた。
リュウジは、どうやらまだ苦戦しているらしい。
メノリは、静かに続けた。
「……昔から、ああなんです」
「……え?」
「ハワードが真剣になればなるほど、リュウジは昔のあいつを思い出してしまうんです」
ミラは、少しだけ驚いた。
メノリは舞台へ視線を戻した。
「……もちろん、ハワードの演技は素晴らしいと思っています」
「……はい」
「でも、リュウジにとっては……」
少しだけ間を置く。
「……あの顔で、あんな台詞を言われるのが、どうしても可笑しいんでしょうね」
ミラは、思わず口元を押さえた。
笑いそうになったからではない。
むしろ、ようやく事情を理解したからだった。
「……なるほど」
そして、小さく苦笑した。
「……それで、席を替わってほしいと」
「……はい」
メノリは、静かに頷いた。
「今日は、ハワードの演技に集中したかったので」
その言葉には、一切の迷いがなかった。
◇
舞台は、さらに盛り上がっていった。
ハワードの演技は、時間が経つにつれて力を増していた。
観客の視線を引きつける。
台詞の一つひとつを、丁寧に届ける。
そして、感情が高まる場面では、一気に空気を変える。
エリンは、素直に感動していた。
(……本当に、成長したわね)
ハワードが俳優の道を選んだこと。
その選択を後悔せず、こうして舞台に立っていること。
それが何より嬉しかった。
けれど。
隣では。
「……っ、……ふっ」
まだ、リュウジが苦戦していた。
エリンは、とうとう小さく眉を寄せた。
「……リュウジ」
「……はい」
「……お願いだから、少し落ち着いて」
「……すみません」
リュウジは小さく頷いた。
しかし、次の瞬間。
舞台の上で、ハワードが大きく腕を広げた。
『たとえこの命が尽きようとも、私は決して諦めない!』
力強い声。
劇場に響き渡る台詞。
舞台の照明が、主人公の姿を鮮やかに照らす。
その瞬間。
リュウジの頭に浮かんだのは、以前のハワードの姿だった。
人前で大げさに胸を張り、妙に芝居がかった言い方をしていた、あの頃の彼。
その姿が、今の真剣なハワードと完璧に重なってしまった。
(……駄目だ)
リュウジは、口元を押さえた。
(……これは、駄目だ……)
必死に耐える。
しかし。
「……ブッ!」
とうとう、吹き出してしまった。
◇
エリンの顔が、ゆっくりとリュウジへ向いた。
「…………」
リュウジは、両手で口元を押さえていた。
肩が激しく震えている。
笑い声を出さないよう、必死に耐えていた。
しかし、もう限界だった。
「……っ、……ふっ……」
エリンは、無言で肘を動かした。
こつん。
リュウジの脇腹を小突く。
「……っ!」
リュウジが少しだけ身体を跳ねさせた。
エリンは、小声で言った。
「……ちょっと!」
「……す、すみません……」
「……もう、あなたって人は……!」
エリンは、さらに小さな声で続けた。
「ここ、笑うところじゃないでしょう!」
「……分かってます……っ」
リュウジは必死に答えた。
しかし、その目元は完全に笑っていた。
エリンは、とうとう呆れたように目を伏せた。
「……もう、本当に……」
近くに座っていた観客が、少しだけこちらを振り返る。
エリンは、すぐに丁寧に頭を下げた。
「……すみません」
そして、リュウジへ顔を向ける。
リュウジは、もう舞台をまともに見られない状態だった。
「……っ、……すみません……」
声を抑えようとすればするほど、肩が震える。
とうとう、リュウジはゆっくりと立ち上がった。
「……エリンさん」
「……何?」
「……少し、外に出てきます」
エリンは、しばらく無言でリュウジを見つめた。
そして、小さくため息を吐く。
「……ええ。そうしてちょうだい」
「……すみません」
リュウジは、もう一度頭を下げた。
そして、口元を押さえたまま、できるだけ音を立てないように席を離れた。
周囲の観客へ小さく会釈しながら、通路へ向かう。
その背中は、まだわずかに震えていた。
◇
「…………」
エリンは、しばらくリュウジが出ていった方向を見つめていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
(……まったく、もう)
せっかくのハワードの主演舞台。
しかも、これほど素晴らしい演技を見せているというのに。
隣でリュウジが笑いをこらえきれなくなるとは、想像もしていなかった。
エリンは、少しだけ額に手を当てた。
そして、ふと反対側へ視線を向ける。
そこには、舞台を真剣に見つめるメノリの姿があった。
メノリは、こちらを一度だけ見た。
そして、何も言わずに小さく頷いた。
まるで。
──だから言ったでしょう。
そう言っているようだった。
エリンは、思わず小さく苦笑した。
(……そういうことだったのね)
メノリが席を替わってほしいと言った理由。
ようやく、すべてを理解した。
一方のシャアラは、舞台を見つめながらも、少しだけ困ったように微笑んでいた。
どうやら、彼女も何となく予想していたらしい。
そして、舞台の上では。
ハワードが、相変わらず素晴らしい演技を続けていた。
誰よりも真剣に。
誰よりも堂々と。
観客の心をつかみながら。
その演技に感動する者がほとんどの中、昔から彼を知るリュウジだけは、どうしても笑いをこらえきれなかったのだった。
エリンは舞台へ視線を戻した。
そして、小さく呟く。
「……あとで、ちゃんと叱らないとね」
もちろん、周囲には聞こえないほどの小さな声だった。
その横顔には、少しだけ呆れたような、それでいてどこか可笑しそうな表情が浮かんでいた。
舞台は、まだ始まったばかりだった。
ーーーー
木星圏、文化区画。
劇場の舞台上では、物語がいよいよ終幕へと向かっていた。
幾度もの困難を乗り越え、かつての故郷へ戻ってきた主人公。戦いの傷跡が残る街を前に、彼はゆっくりと顔を上げる。
中央に立っているのは、ハワードだった。
『……失ったものは、もう戻らない。それでも、私たちは明日を生きていかなければならない』
低く、しかし客席の隅々まで届く声。
先ほどまでの激しい感情を抑え、最後の台詞を静かに語る。その表情には悲しみと決意が入り交じり、観客の誰もが舞台へ引き込まれていた。
エリンも、その一人だった。
隣の席が空いたことで、ようやく舞台へ集中できるようになったのだ。
(……本当に、上手になったわね)
昔のハワードを知っているだけに、感慨深いものがあった。
財閥の後継者という立場と、自分の夢との間で悩んでいた少年。俳優になると決めてからも、簡単な道のりではなかったはずだ。
それでも彼は、ここまで来た。
そして今、主演として堂々と舞台に立っている。
『……この空の向こうに、まだ希望があると信じて』
最後の台詞が響く。
ハワードは静かに空を見上げた。
照明がゆっくりと落ちていく。
そして、幕が下りた。
一瞬の静寂。
次の瞬間。
パチパチパチパチッ!
劇場全体が、大きな拍手に包まれた。
「……凄い」
クミコが小さく呟いた。
ユウコも、感動した様子で拍手を送っている。
「本当に凄かったですね……」
ミラも頷いた。
「ええ。あっという間だったわね」
スズカとナリタは、初めて観た本格的な舞台の余韻に浸っていた。
やがて幕が再び上がり、出演者たちが一列に並ぶ。
最後に中央へ進み出たのは、主演のハワードだった。
彼が深く頭を下げると、客席からひときわ大きな拍手が起こった。
エリンも、惜しみなく拍手を送った。
「……おめでとう、ハワード」
その声は拍手に紛れ、誰にも聞こえなかった。
けれど、彼女の表情には心からの喜びが浮かんでいた。
◇
終演後。
観客たちは余韻を楽しみながら、ゆっくりと劇場を出始めていた。
エリンたちも人の流れに合わせて客席を離れ、ロビーへ向かった。
「いやぁ、本当に凄かったですね!」
ユウコが興奮した様子で話し始めた。
「最後の場面、私ちょっと泣きそうになりました!」
「分かります!」
クミコが大きく頷いた。
「私もです。ハワードさんの声が凄くよく通っていて、表情も本当に自然でした」
スズカも嬉しそうに顔を上げる。
「私、舞台ってもっと大げさなお芝居をするものだと思ってました。でも、あんなに自然な演技もできるんですね」
ナリタも頷いた。
「特に最後の台詞、凄く印象に残りました」
その話を聞いていたメノリが、少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます。ハワードも、皆さんにそう言っていただけたら喜ぶと思います」
シャアラも嬉しそうに頷く。
「本当に、今日は凄かったですね。私も感動しました」
エリンは微笑んだ。
「ええ。以前観た舞台よりも、随分成長していたわ」
そして、ふと思い出したように周囲を見渡した。
「……ところで」
ミラが顔を向ける。
「どうされました、エリンさん?」
「リュウジは?」
…………。
一同が黙った。
メノリは、わずかに目を細めた。
「……たぶん、外にいると思います」
「……そうね」
エリンは小さく息を吐いた。
そして、どこか呆れたような表情を浮かべた。
「……まったく、もう」
◇
劇場の外。
夜の文化区画には、柔らかな照明が広がっていた。
劇場前の広場には、終演後の観客たちが集まり、舞台の感想を語り合っている。
その少し離れたところに、リュウジの姿があった。
濃紺のスーツ姿で、建物の壁際に立っている。
手元の端末を眺めながら、何やら考え込んでいる様子だった。
もっとも、その口元には時折、小さな笑みが浮かんでいた。
「……ふっ」
思い出してしまったのだ。
舞台の上で、誰よりも真剣な表情をしていたハワード。
そして、あの大げさな台詞。
「……いや、あいつ本当に……」
リュウジは小さく首を振った。
演技が下手だったわけではない。
むしろ、驚くほど上手かった。
それが、かえって可笑しかった。
昔から知っているハワードが、あまりにも堂々と主人公を演じていたからだ。
すると。
「……リュウジ!」
聞き覚えのある声が響いた。
リュウジが顔を上げる。
そこには、エリンが立っていた。
その後ろにはミラたちスペースホープの五人、そしてメノリとシャアラもいる。
「……あっ、エリンさん」
リュウジは姿勢を正した。
「お疲れ様です。舞台、終わったんですね」
「ええ。終わったわよ」
エリンは静かに頷いた。
そして、リュウジの前まで歩いてきた。
「……リュウジ」
「はい?」
エリンは、じっと彼を見つめた。
「貴方のせいで、ちゃんと見れなかったじゃない!」
「…………」
リュウジが固まった。
後ろにいたミラも、思わず目を丸くする。
エリンは続けた。
「もう! せっかくハワードがあんなに真剣に演じてるのに、隣でずっと笑いをこらえてるんだもの。気になって仕方なかったわ!」
「……すみません」
リュウジは素直に頭を下げた。
「……本当に、すみませんでした」
「しかも、最後は吹き出して席を立っちゃうし! 周りのお客さんにも迷惑だったでしょう?」
「……はい」
「あなたねぇ……」
エリンは腰に手を当てた。
「私、最初は体調が悪いのかと思って心配したのよ?」
「……それは、申し訳ありません」
リュウジは珍しく、完全に恐縮していた。
エリンは小さくため息を吐く。
「……もう。昔からの友達なのは分かるけど、あそこまで笑わなくてもいいじゃない」
「……すみません」
リュウジはもう一度頭を下げた。
その姿を見て、シャアラは思わず口元を押さえた。
◇
「……リュウジ」
今度は、低い声がした。
メノリだった。
リュウジが顔を向ける。
「……何だ、メノリ」
メノリは腕を組んでいた。
「……お前、何をしに来たんだ?」
「……舞台を観に来たんだが」
「……そうか」
メノリは静かに頷いた。
そして、少しだけ目を細める。
「じゃあ、何で笑ってた?」
「…………」
リュウジは答えなかった。
メノリは続けた。
「ハワードが、どれだけ今回の舞台を楽しみにしていたか知ってるだろう?」
「……ああ」
「主演を任されてから、ずっと練習してたんだぞ」
「……知ってる」
「それなのに、お前は……」
メノリは小さく息を吐いた。
「……まったく」
リュウジは困ったように眉を下げた。
「……いや、演技は本当に上手かったんだ」
「……だったら普通に観ろ」
「……分かってる」
「分かってないから、ああなったんだろ」
「…………」
リュウジは何も言い返せなかった。
メノリは、さらに続けた。
「だから私は、最初からお前の隣に座りたくなかったんだ」
「……そういうことだったのか」
「……今さら気づいたのか?」
メノリは呆れたように言った。
リュウジは小さく苦笑した。
「……悪い」
その返事を聞いて、メノリは深いため息を吐いた。
「……本当に、お前は昔から変わらないな」
◇
そんな三人のやり取りを、少し離れたところから眺めている人物がいた。
スズカとナリタだった。
二人とも、目を丸くしている。
「…………」
ナリタが小さく呟いた。
「……スズカ」
「……何?」
「……あの方って、S級宇宙飛行士のリュウジさんだよね?」
「……うん」
「…コロニーで四人しかいない?」
「……そうだよ」
「…………」
二人は再び、目の前の光景へ視線を向けた。
S級宇宙飛行士。
その存在は、宇宙航空の世界でも特別なものだ。
高度な操縦技術と豊富な経験を持ち、危険な任務を任される限られた人間。
新人乗務員の二人にとっては、簡単に声をかけられるような相手ではなかった。
そのS級宇宙飛行士が、今。
「……すみません、エリンさん」
「謝るだけじゃなくて、次から気をつけてちょうだい」
「……はい」
「リュウジ、お前もいい加減にしろよ」
「……分かってるって」
二人の女性に、立て続けに怒られている。
「…………」
スズカは、思わずナリタへ顔を向けた。
「……凄いね」
「……うん」
「……S級の人って、こんなふうに怒られるんだね」
「……私も、ちょっとびっくりした」
その声を聞いたユウコが、小さく笑った。
「ふふっ。二人とも、そんなに驚かなくても大丈夫だよ」
「……えっ?」
クミコも微笑む。
「エリンさんとリュウジさん、昔からの知り合いだからね」
ミラが穏やかに続けた。
「それに、エリンさんは相手が誰でも、必要なことはちゃんと伝える方だから」
スズカは、改めてエリンを見た。
今日の彼女は、いつもより丁寧に化粧をし、上品なドレスを身につけている。
その姿は、まさに大人の女性だった。
けれど今は、S級宇宙飛行士を前にして、まったく遠慮していない。
「……エリンさんって、やっぱり凄い方なんですね」
ナリタが小さく呟いた。
ミラは少しだけ笑った。
「……そうね」
そして、リュウジにも視線を向けた。
普段は危険な任務で冷静な判断を下す人物が、昔からの仲間の前では、こんな表情を見せる。
そのことが、少し不思議で、どこか面白かった。
◇
「……あの、皆さん!」
その時だった。
シャアラが、明るい声で口を開いた。
全員が顔を向ける。
「せっかくですから、みんなでハワードのところへ行きましょう!」
エリンが顔を上げた。
「……あら、会えるの?」
「はい!」
シャアラは嬉しそうに頷いた。
「終演後、楽屋に来てもいいって言われてるんです。関係者の方にもお話ししてあります」
「……そうなのね!」
エリンの表情が明るくなった。
「それなら、ぜひ会ってお祝いを言いたいわ」
ミラも頷く。
「そうですね。直接お祝いをお伝えできるなんて、嬉しいです」
ユウコも笑顔になった。
「私も、ぜひお会いしたいです!」
クミコ、スズカ、ナリタも頷いた。
メノリは、リュウジへ顔を向けた。
「……お前も来るんだろうな?」
「ああ。もちろん」
「……今度は笑うなよ」
「……分かってる」
その返事を聞いて、エリンが小さくため息を吐いた。
「……本当に分かってるのかしら」
リュウジは困ったように笑った。
「……大丈夫です、エリンさん」
「……もう、信用できないわ」
そのやり取りに、シャアラが思わず笑ってしまった。
◇
劇場の関係者用通路。
シャアラの案内で、一行はスタッフの受付へ向かった。
事前に話が通っていたようで、名前を確認すると、係員が丁寧に案内してくれた。
舞台裏の通路には、出演者たちの話し声や、舞台装置を片づけるスタッフの姿があった。
華やかな客席とは違い、ここには公演を支えた人々の仕事場としての空気がある。
「……わあ」
クミコが小さく声を漏らした。
「舞台裏って、こんな感じなんですね」
スズカも興味深そうに周囲を見渡す。
「さっきまで、あんなに綺麗な舞台だったのに……」
ナリタも頷いた。
「ここでは皆さん、まだお仕事をされてるんですね」
エリンは、そんな新人二人へ微笑んだ。
「そうよ。舞台って、出演する人だけで成り立ってるわけじゃないもの。照明も音響も、舞台装置も、たくさんの人が支えてるのよ」
「……なるほど」
ミラも静かに頷いた。
「私たちのフライトと、少し似ていますね」
「ええ。そうね」
エリンは微笑んだ。
「お客様から見えないところで働いている人が、たくさんいるのは同じよ」
そんな会話を交わしながら、一行は通路の奥へ進んだ。
やがて、シャアラが一つの扉の前で立ち止まった。
扉には、出演者名が記されている。
主演、ハワード。
「……ここです!」
シャアラが微笑んだ。
そして、軽くノックする。
コンコン。
『……はい!』
聞き慣れた明るい声が返ってきた。
「ハワード、私だよ!」
『……シャアラ!?』
「みんな連れてきたよ!」
その瞬間。
扉の向こうから、何かが動く音がした。
『……ちょっと待って! 今開ける!』
◇
数秒後。
ガチャッ。
楽屋の扉が開いた。
「……みんな!」
そこに立っていたのは、ハワードだった。
舞台衣装から着替え、少しラフな服装になっている。
髪にはまだ舞台用の整髪料が残っており、顔にもわずかに化粧の名残があった。
しかし、その表情は晴れやかだった。
「……来てくれたんだね!」
ハワードは嬉しそうに笑った。
「本当にありがとう!」
シャアラが微笑む。
「ハワード、お疲れ様!」
メノリも静かに頷いた。
「……よかったぞ。随分上達したな」
「……メノリ!」
ハワードは嬉しそうに顔を向けた。
「君にそう言ってもらえるなんて、今日はいい日だね!」
「……大げさだな」
メノリは小さく笑った。
すると、エリンが一歩前へ出た。
「……ハワード」
「……あっ!」
ハワードが顔を上げる。
「エリンさん!」
その声には、少年の頃と変わらない嬉しさがあった。
エリンは柔らかく微笑んだ。
「お疲れ様。とっても素晴らしかったわ」
「……本当ですか!?」
「ええ。以前の舞台より、ずっと演技に深みが出ていたわね。主人公として舞台を引っ張る力もあったと思う」
ハワードは、少し照れたように笑った。
「……ありがとうございます!」
そして、改めて全員を見渡した。
「みんなも、今日は本当にありがとう! まさかこんなに大勢で来てくれるなんて思ってなかったよ!」
ミラが微笑んだ。
「こちらこそ、素晴らしい舞台をありがとうございました」
ユウコも頷く。
「本当に感動しました! 最後の場面、凄くよかったです!」
クミコも嬉しそうに続けた。
「私もです。最初から最後まで、ずっと引き込まれていました!」
スズカとナリタも、少し緊張しながら感想を伝えた。
ハワードは、その一つひとつに嬉しそうに頷いていた。
◇
「……それで」
ハワードは、最後に一人の人物へ顔を向けた。
リュウジだった。
「……リュウジ!」
「……ハワード」
「来てくれてありがとう!」
ハワードは満面の笑みを浮かべた。
「どうだった? 今回の舞台!」
その問いに、リュウジは静かに頷いた。
「ああ。よかったぞ」
「……本当!?」
「ああ。演技も随分上達したな」
その言葉に、ハワードの表情がぱっと明るくなった。
「……ありがとう!」
リュウジは、少しだけ微笑んだ。
そして。
「……面白かったぞ」
その瞬間。
ハワードの笑顔が、さらに大きくなった。
「……そうか!」
嬉しそうに頷く。
「リュウジにそう言ってもらえるなんて、嬉しいな!」
しかし。
その背後から、静かな声がした。
「……別の意味でね」
エリンだった。
「…………」
リュウジの動きが止まった。
ハワードが首を傾げる。
「……え?」
エリンは、にっこりと微笑んでいた。
ただし、その笑顔は少しだけ怖かった。
「……ねえ、リュウジ」
「……はい、エリンさん」
「あなた、何か言うことがあるんじゃない?」
「…………」
リュウジは静かに目を逸らした。
その様子を見て、メノリが深いため息を吐く。
「……やっぱりな」
シャアラは口元を押さえている。
ミラも、思わず苦笑した。
そして、ハワードだけが状況を理解できずにいた。
「……えっ?」
もう一度、全員を見渡す。
「……ちょっと待って。何の話?」
エリンは、相変わらず微笑んだままだった。
「……ハワード」
「はい?」
「あなたの演技は、本当に素晴らしかったわ」
「……ありがとうございます!」
「ええ。私は心から感動したの」
そして、ゆっくりとリュウジへ視線を向ける。
「……ただね」
「……はい?」
「この人が、隣でずっと笑ってたのよ」
「…………」
楽屋が静まり返った。
ハワードは、ゆっくりとリュウジへ顔を向けた。
「…………リュウジ?」
「……何だ?」
「……笑ってたの?」
「…………」
リュウジは、少しだけ困ったように笑った。
「……いや、ハワード」
「……うん?」
「本当に、演技は素晴らしかったんだ」
「……ありがとう?」
「……ただ」
そこで、リュウジの口元がわずかに緩んだ。
ハワードは、その変化を見逃さなかった。
「…………」
ゆっくりと目を細める。
「……おい」
リュウジは口元を押さえた。
「……悪い」
その姿を見たメノリが、呆れたように呟く。
「……また始まった」
エリンは、とうとう深いため息を吐いた。
「……もう! リュウジ!」
「……すみません、エリンさん」
そして、ハワードはようやく理解した。
自分が人生を懸けて挑んだ初主演舞台。
それを観に来てくれた昔からの親友が。
どうやら、真剣な演技を見ながら笑っていたらしい。
「…………」
ハワードは数秒間黙った。
そして、大きく息を吸った。
「……リュウジィィィ!!」
楽屋に、主演俳優の声が響き渡った。
その迫力だけは、舞台の上とまったく変わらなかった。
もっとも。
その声を聞いたリュウジが、とうとう小さく吹き出してしまったことで、エリンとメノリの説教が再び始まったのは言うまでもない。
そして、その光景を見つめるスズカとナリタは、また一つ学んだ。
S級宇宙飛行士であっても、昔からの仲間たちの前では、まったく頭が上がらないことがあるのだと。