サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第25話

夕暮れが過ぎ、夜の帳が森に降りた。

 空には雲が薄くかかり、星々の光は滲んで見える。

 焚き火が小さく爆ぜる音だけが、静まり返った森に響いていた。

 

 仲間たちはそれぞれに腰を下ろし、果実を分け合って夕食をとっている。

 だが――その輪の中で、二人だけが黙っていた。

 シンゴと、リュウジである。

 

 シンゴは果実を前にしても、手を伸ばそうとしなかった。

 火の光に照らされた頬はやや青ざめ、目はどこか虚ろだった。

 ハワードとシャアラを失って以来、彼の心に開いた穴は、まだ埋まらない。

 

 一方のリュウジもまた、何も口にしていない。

 ナイフを片手に、焚き火の向こうの暗闇を静かに見据えていた。

 その姿は、まるで獣のようだった。

 ただ、何かを「待っている」――いや、「感じ取ろうとしている」ような緊張感が漂っていた。

 

 「……リュウジ、」

 声をかけようとしたルナの手を、そっとカオルが抑えた。

 「今はよせ。」

 焚き火の光がカオルの横顔を照らす。

 その表情はいつもよりも険しかった。

 

 ルナは唇を噛み、俯く。

 果実を手に取り、黙って一口齧る。

 ほんのりと甘い味が口に広がったが、喉を通らない。

 

 沈黙の中で、アダムが小さく首をかしげた。

 リュウジを見つめながら、無意識に声を上げる。

 「……リュウジ、食べないの?」

 

 その声に、ルナが慌てて振り返る。

 「こら、アダム!」

 火の音に混じるような鋭い声だった。

 「邪魔しちゃダメでしょ。」

 

 アダムはびくっとして、ルナの腕にしがみつく。

 ルナはハッとして、言い過ぎたと感じた。

 だがそのとき――リュウジの視線がゆっくりとアダムに向いた。

 

 その眼差しは鋭かった。

 炎に照らされ、瞳が赤銅色に光る。

 ルナは思わず息を呑む――(しまった、アダムが怯えちゃう……)

 

 しかし、次の瞬間。

 リュウジの表情が柔らかくほどけた。

 「……おいで。」

 

 低く、静かな声。

 アダムはためらいがちに、けれどその声に引き寄せられるように近づいていった。

 

 リュウジは膝をつき、片手に持っていた果物を差し出す。

 「一つ、食べるか?」

 「いいの?」とアダムが目を丸くする。

 「ああ。ゆっくり食べろ。」

 そして小さく頭を撫でた。

 

 アダムは照れたように笑って、「ありがとう!」と果物を受け取った。

 その笑顔が、暗い森に一瞬だけ光を落とす。

 

 「ホンマ、リュウジはアダムには甘いなぁ。」

 チャコがニヤリと笑いながら呟いた。

 ルナはその言葉に小さく笑みを返す――どこか救われたような気がした。

 

 アダムが果物を齧り始めると、リュウジは立ち上がった。

 音を立てず、ナイフを腰に戻しながら、カオルとベルのもとへ向かう。

 

 「……今夜は交代で見張りをしよう。」

 低く告げるリュウジの声は、焚き火の音にかき消されるほど小さい。

 ベルはすぐに頷いた。

 「分かった。」

 

 カオルがリュウジの横顔を見つめ、眉を寄せる。

 「何を感じるんだ?」

 リュウジは森の暗闇を一瞥し、言葉を選ぶように間を置いた。

 

 「……分からない。」

 「ただ――ずっと、見られてる気がする。」

 

 ベルとカオルの視線が同時に鋭くなる。

 「動物か?」とベルが低く問う。

 リュウジは首を横に振る。

 「違う。……もっと、“意思”を感じる。」

 

 その言葉に、カオルは黙って頷いた。

 焚き火がぱちりと音を立て、橙の火花が空に舞う。

 風の向きが変わり、森の奥から木の軋む音がわずかに聞こえた。

 

 夜は静かだ。

 だが、その静寂はどこか不気味に感じられた。

 

 カオルはリュウジの横に並び、ナイフの柄に手を添える。

 「……わかった。交代で見張る。何かが来る前に、こっちが気づく。」

 

 リュウジは短く頷くと、焚き火の明かりの外――暗闇へと目を向けた。

 その瞳は鋭く、どこまでも冷静で。

 けれど、その奥には、誰よりも仲間を想う熱が確かに宿っていた。

 

 森の闇が深く、冷たく、音もなく彼らを包み込んでいく。

 その夜、誰もがわずかに息を潜めながら――

 次に何が起きるのかを、ただ静かに待っていた。

 

⬜︎

 

森の夜は深く、焚き火の橙が頼りなかった。

 火の粉がひとつ、またひとつと宙を舞い、暗い空へと吸い込まれていく。

 木々のざわめきと、仲間たちの寝息だけが夜を満たしていた。

 

 皆、疲れ切っていた。

 果実を食べ、ついに力尽きるように床に横たわった。

 アダムはいつものようにリュウジの傍で寝ようとしたが、ルナがそっとその肩に触れた。

 「今日はダメよ、アダム。ちゃんと自分の寝袋で寝なさい。」

 「えぇ〜……」と不満げに唇を尖らせたが、ルナの柔らかな笑みに諦めたように頷く。

 そして、ルナはアダムの髪を撫で、静かに自分の寝床に戻った。

 二人は焚き火の灯を背に、寄り添うようにして眠りについた。

 

 夜の帳がゆっくりと降りる。

 虫の声がかすかに聞こえ、森の奥から風が流れ込んできた。

 その中で、リュウジが静かに目を開く。

 立ち上がる音もなく、焚き火の傍に座っているベルに近づいた。

 

 「……交代しよう。」

 リュウジの声は低く、夜気に溶けて消えるようだった。

 

 ベルは顔を上げ、少し微笑んだ。

 「ありがとう。特に異変はなかったよ。」

 「そうか。」

 リュウジは小さく頷き、腰のナイフを抜いて光にかざした。

 刃先が焚き火の灯を反射し、一瞬だけ赤く光る。

 

 「じゃあ、おやすみ。」

 ベルはその場に横たわり、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。

 「……ああ。おやすみ。」

 

 リュウジは焚き火のそばにしゃがみ込み、静かに空を仰いだ。

 雲の切れ間からわずかに星がのぞく。

 「……朝から感じてた気配、今はないな。」

 小さく呟きながら、空を見上げたまま考える。

 

 (メインコンピュータが近いのかもしれない……)

 胸の奥でそんな直感がよぎる。

 だが、油断はできなかった。

 何かが確実に、自分たちの行動を監視している――そんな気配が、この森にはある。

 

 パキッ、と乾いた音が静寂を裂いた。

 リュウジの体が一瞬で緊張に包まれる。

 ナイフを握る指が自然と強まった。

 音のした方向に視線を向けると――そこに、ルナが立っていた。

 

 「……ルナ?」

 リュウジが驚いたように声を上げる。

 ルナは申し訳なさそうに小さく笑みを浮かべた。

 「ごめんね、起こしちゃった? 今、大丈夫?」

 

 「……ああ、平気だ。」

 リュウジは力を抜き、落ちていた木の枝を拾って火にくべる。

 炎がふっと高くなり、ルナの顔を照らした。

 

 ルナはリュウジの隣に腰を下ろした。

 火の音が二人の間にだけ響く。

 しばらく黙っていたが、ルナが口を開いた。

 

 「……リュウジ、無理してない?」

 リュウジは眉を上げ、少し困ったように笑った。

 「どうしたんだ、いきなり?」

 

 「ここ数日、果物もろくに食べてないでしょ? さっきもアダムにあげてたし。」

 ルナの声には優しさと心配が滲んでいた。

 

 「大丈夫だ。」

 リュウジは短く返した。

 

 だが、ルナは俯きながら、小さく叫ぶように言った。

 「うそ!」

 

 焚き火の火がはぜて、パチンと音を立てる。

 すぐにルナははっとして口を押えた。

 寝ている皆が起きないようにと、リュウジが手を下げて落ち着けという仕草をする。

 

 「……ごめん。」

 ルナは小さく頭を下げた。

 

 「リュウジ、ハワードとシャアラの件から、ずっと無理してるように見えるの。」

 リュウジは少し目を伏せたまま、炎を見つめた。

 「無理はしてない。」

 

 ルナはそれでも言葉を止めなかった。

 「情けないけど、今は……リュウジが頼りなんだよ。」

 

 リュウジは小さく笑った。

 「無理してるなら、ベルやカオルと交代なんてしないさ。」

 

 「そうだけど……」

 ルナの声が小さくなる。

 「自分を犠牲にして、皆に分けてるんじゃないの?」

 

 「俺は別に――」

 「また“訓練してるから大丈夫”って言うの?」

 

 リュウジの言葉を遮って、ルナは少し寂しげに笑った。

 「S級パイロットがすごいのは分かってる。あなたを見ればそれが分かる。

  でも……リュウジも普通の人間なのよ。

  食料が少ないのはみんな同じ。こんなことを続けたら、身体が壊れちゃうよ。」

 

 ルナの声は震えていた。

 リュウジはしばらく黙っていたが、やがてその瞳を真っ直ぐにルナへ向けた。

 火の明かりが二人の間で揺れる。

 ルナの胸が高鳴るのを感じた。

 

 「……前にも言っただろ。危ないと思ったら、ちゃんとする。」

 リュウジは優しく微笑んだ。

 

 ルナはほっとしたように息をつく。

 「……分かった。」

 

 リュウジは少し口元を緩めた。

 「それはそうと、無理してるのはルナの方じゃないのか?」

 「え? 私?」

 「ああ。笑顔を見せてるけど、責任を感じてるんだろう?」

 

 ルナは視線を落とした。

 「……やっぱりリュウジにはバレちゃうか。」

 苦笑いを浮かべながら、ぽつりと呟く。

 「夜、目を閉じるとハワードやシャアラの笑顔が浮かぶの。

  でも、もう二人はいない。もう会えないんだと思うと……やっぱり悲しくて。」

 

 リュウジは静かに言った。

 「辛い時は泣けばいい。悲しい時は、弱音を吐けばいい。無理に隠さなくてもいい。」

 ルナは少し唇を震わせた。

 「でも、私が……」

 

 リュウジは言葉を遮るように、柔らかく告げた。

 「いい加減、自分のことを許してやれ。」

 

 その言葉に、ルナの脳裏に“あの夜”が浮かんだ。

 岩陰でリュウジの傷を手当てした夜――

 彼に「自分を許して」と言った、自分自身の言葉。

 

 「……覚えてたの?」

 「当たり前だ。」

 リュウジの声は穏やかで、どこか懐かしい温もりを帯びていた。

 「だから、ルナも許してやれ。」

 

 「……うん。」

 ルナは小さく頷き、頬を赤らめながら笑みを浮かべた。

 その笑顔は、炎の光よりも柔らかく、優しかった。

 

 「何かあったら、いつでも言え。話くらいは聞いてやる。」

 「やっぱりリュウジは優しいね。」

 「優しすぎて気持ち悪いって、メノリには言われたけどな。」

 

 ルナはくすっと笑う。

 「メノリにも、アダムみたいに優しくしたら、きっと分かってくれるわよ。」

 「出来るわけないだろ。」

 二人の笑い声が、焚き火の音と混じって静かな夜に溶けていく。

 

 「……さて、少しでも寝ておけ。明日も早い。」

 「……もう少しだけ、一緒にいさせて。」

 ルナがそう言って、焚き火の火を見つめる。

 

 リュウジは少しだけ迷ったが、静かに頷いた。

 「……分かった。」

 

 その言葉に、ルナはそっと目を閉じた。

 橙の光が二人の頬を照らし、火の粉が星のように夜空へと消えていった。

 

 

⬜︎

 

 森を抜けた瞬間、一行の前に現れたのは――

 かつて人の営みがあったことを思わせる、灰色の石造りの街だった。

 崩れ落ちた建物の骨組みが影を落とし、乾いた風が砂と共に廃墟を横切る。

 

 「……街……?」

 ルナが息を飲んだ。

 

 「せやな。この街を抜けたら、メインコンピュータの中枢や。」

 チャコの目が遠くの高塔を捉える。

 雲を貫くようにそびえる巨大な建造物――そこが彼らの目的地。

 

 ルナは頷き、緊張した面持ちで言った。

 「行きましょう。」

 

 その時だった。

 

 ――「ピィィィィン!!」

 

 空気を裂く鋭い音が響いた。

 

 「危ない!」

 

 リュウジが即座に反応し、ルナを抱きかかえるように押し倒す。

 次の瞬間、彼らのすぐ横の地面が――黄色い閃光に焼き裂かれた。

 砂と石片が爆ぜ、焦げた匂いが立ち上る。

 

 「ドローンや!」

 チャコが指差す空に、三つの黒い影。

 それは直径一メートルほどの球体の機械だった。

 球体の中央には赤く光るレンズがあり、そこから無機質な電子音が響く。

 

 円頂部の蓋がスライドし、内部から光を凝縮する砲口が現れた。

 黄色のエネルギーが収束し、瞬く間に閃光を放つ。

 

 「くっ!」

 リュウジはルナを抱えたまま横へ転がり、地面を滑る。

 光線が背後を掠め、焦げた風が頬をなでた。

 

 「こっちにも来よったで!」

 チャコが森の方を見て叫ぶ。

 「こっちもだ!」

 メノリが反対側を指さした。

 廃墟の街を囲むように、複数のドローンが浮遊している。

 

 「逃げるわよ!」

 ルナがアダムの手を掴んで走り出す。

 

 「先に行け!」

 リュウジが短く叫び、ナイフを抜いた。

 陽光が刃に反射し、金属の輝きを放つ。

 

 「リュウジ!?」

 「このままじゃ逃げきれない! あの塔の下で落ち合おう!」

 「分かった! 気をつけて!」

 ルナの声が振り返りざまに響く。

 

 リュウジは頷き、彼らの背を見送った。

 そして再び正面へと視線を戻す。

 

 「三体……。」

 ナイフを二本、左右の手に構えた。

 金属の冷たさが掌に伝わる。

 

 

 一体目のドローンが低空で接近し、円頂部から光線を発射した。

 リュウジは地面を蹴り、前転しながら横に跳ぶ。

 地面を焼く熱線の軌跡がわずかに髪をかすめた。

 

 「チッ……狙いが正確だな。」

 

 起き上がりざまに、リュウジは右手のナイフを投げる。

 銀の閃光が走り、球体のレンズ部に吸い込まれた。

 

 赤い光が一瞬揺らぎ、ドローンがバランスを崩す。

 

 だが、爆発しない。

 レンズの内側で赤光が再び点滅する

 

 リュウジは息を吐き、足元の瓦礫を蹴り上げた。

 瓦礫が宙を舞い、敵のセンサーを一瞬だけ遮る。

 

 その隙に距離を詰めた。

 左手のナイフを逆手に持ち替え、跳躍。

 「――ッ!」

 

 閃光が再び放たれるが、リュウジは真横に体を捻り、ギリギリで回避。

 瞬間、ドローンの真上へと飛び上がる。

 「もらった!」

 背面に回り込み、左手の刃を中心のレンズの縁に突き立てた。

 

 火花が弾ける。

 ナノスパークが舞い、機械が悲鳴のような電子音を発する。

 ドローンが制御を失い、落下――地面に激突して爆ぜた。

 

 

 二体目が真横から迫る。

 砲口が光を帯び、撃つ――が、リュウジは既に動いていた。

 地面を蹴り上げ、壁面を二歩、三歩と駆け上がる。

 熱線が背後を掠め、石壁が溶ける。

 

 上から反転し、重力に任せて急降下。

 空中で一回転しながら、残るナイフを逆手に構えた。

 

 「そこだ!」

 ドローンの上部、砲口の根元へと刃を突き立てる。

 バチバチと火花が走り、内部で回路が焼ける匂いが漂う。

 リュウジは体勢を立て直し、地面に着地。

 

 後方で金属音が鳴り、二体目も炎を上げて落下した。

 

 

 三体目。

 他の二体よりも明らかに大型。

 球体の外殻に刻まれた警告文字が赤く光り、

 

 リュウジは短く息を吐く。

 手元には一本――ナイフは一本しか残っていない。

 

 (正面からは無理だ。外殻を焼き切るしかない)

 

 ドローンが光を放つ瞬間、リュウジは地を蹴った。

 斜めに転がりながら、瓦礫を拾い上げて投げる。

 熱線が瓦礫に命中し、閃光と煙が弾けた。

 

 視界が白に染まる一瞬――

 リュウジはドローンの真下に滑り込み、ナイフを構えた。

 

 「終わりだ!」

 

 彼は球体の接合部、砲口ユニットの真下に刃を突き立てた。

 硬質な音と共に、内部のコアが露出。

 青白い火花が漏れ、制御音が乱れる。

 

 「ピィ――――」

 

 閃光が走り、ドローンの中心が弾けた。

 黄色の光が空に伸び、金属片が雨のように降り注ぐ。

 

 リュウジは地面に膝をつき、息を整える。

 額に汗が流れ、焦げた匂いが鼻を突く。

 「……三体、撃破。」

 

 ナイフの刃先に残るオイルを指で拭い、腰に戻す。

 灰色の塔が遠くで光を反射し、その影が廃墟の街を覆っていた。

 

 「……行くか」

 

 その呟きは、静まり返った街に溶け込み、

 消えたドローンの残響と共に風へと流れていった。

 

⬜︎

 

廃墟の街は再び静寂を取り戻していた。

 焼け焦げた石畳、倒れた柱、そしてドローンの残骸が焦げた匂いを放っている。

 リュウジはナイフを拭い、腰に戻すと深く息を吐いた。

 

 「……三体、片づいた。」

 

 周囲を見渡しても、ルナたちの姿はない。

 彼女たちは先に逃げたはずだ――そう思っていた。

 だが、その時だった。

 

 ――ドォォォォン!!

 

 地面が微かに震えた。

 遅れて、街の中央部から白い煙が立ち上がる。

 

 「……なんだ?」

 

 リュウジは目を細めた。

 煙の方向は、塔とは逆――街の中心部。

 (まさか……)

 

 考えるより先に、身体が動いていた。

 焼け焦げた柱を飛び越え、崩れた壁の隙間をすり抜ける。

 靴底が砕けたガラスを踏みしめるたびに、乾いた音が響いた。

 

 息を殺して、リュウジは近くの建物に身を潜める。

 中は暗く、瓦礫の匂いと、機械の油が混じった空気が淀んでいた。

 音を立てないように進み、しゃがみ込むと――

 地面に手を当てた。

 

 ……“ゴウッ……ゴウッ……”

 

 微かに、地中を這うような水の音が伝わってくる。

 

 「……地下か。」

 

 リュウジは辺りを見回した。

 割れた床の隅、埃に埋もれた鉄格子の蓋が目に入る。

 古びて錆びついていたが、形はまだ保たれている。

 

 「ここから行けそうだな。」

 

 ナイフの柄を差し込み、力を込めてこじ開ける。

 鉄が軋み、長年動かされなかった蓋が外れる。

 湿った風が顔に吹きつけた。

 

 リュウジは腰を落とし、ゆっくりとその穴の中に降りていった。

 

 

地下通路

 

 薄暗い空間。天井からは水滴がポツリポツリと落ちる。

 壁面には錆びたパイプが走り、ところどころに旧時代の標識が朽ちていた。

 足元には浅く水が流れており、踏み出すたびにチャプ、と音がする。

 

 (……この下に、誰かがいる。)

 

 リュウジは息を整え、音のする方へと静かに進んだ。

 懐中灯の弱い光が壁を舐め、古びたタイルの文字が一瞬だけ浮かび上がる。

 文字は読めない。

 

 (……地下水路か?)

 

 足音が次第に響き、遠くの方から声が聞こえてきた。

 最初は、かすかな囁きのようだった。

 だが、近づくにつれ、それははっきりとした言葉へと変わっていく。

 

 「……ハワードが……助けてくれたんだ。」

 

 それは、シンゴの声だった。

 リュウジは一瞬足を止め、息を詰める。

 

 「なんちゅうこっちゃ……こんなになってまで、うちらを助けてくれて……」

 チャコの声が続いた。

 (チャコも無事か……)

 

 さらに進む。

 湿った空気の中、微かに灯りが漏れていた。

 そして、その奥から聞こえたのは、ルナの声だった。

 

 「……皆んな、頑張りましょう。何があっても、生き抜くのよ。」

 

 その声を聞いた瞬間、リュウジは小さく息を吐いた。

 胸の奥にあった緊張が、わずかに溶けていく。

 

 (……生きてたか。よかった。)

 

 そのとき、鋭い声が響いた。

 

 「誰だ!」

 

 カオルの声。

 リュウジはすぐに答える。

 

 「俺だ。」

 

 一瞬、沈黙が流れ――

 

 「……良かった……」

 

 ルナのかすれた声が聞こえた。

 その声には、心の底からの安堵と、張り詰めていた糸が切れたような優しさが滲んでいた。

 

 リュウジは薄暗い通路を抜け、仲間たちの姿が見える場所まで歩みを進めた。

 皆の顔が灯りに照らされる。

 疲労と傷が刻まれていたが、誰もが確かに“生きていた”。

 

 リュウジは微かに笑みを浮かべ、

 「……遅れて悪かった。」

 とだけ言った。

 

 その瞬間、ルナが駆け寄り、震える声で言った。

 「いいえ……来てくれて、ありがとう。」

 

 リュウジは静かに頷いた。

 そして――、その視線の先には、塔の根元へと続く昇降路が、冷たい光を放っていた。

 

⬜︎

 

地下を流れる水の音が、かすかな光とともに反響していた。

 壁面に沿って伸びる金属パイプは長い年月を経て錆びつき、ところどころから水が滴っている。

 ランタンの光が反射して、水面にゆらめく波紋を描いた。

 

 「……これ、ただの排水路やないで。」

 チャコが立ち止まり、目を細める。

 「この先、空間が広がっとる。どうやら水路は――メインコンピュータに繋がってるみたいや。」

 

 「本当なの?」とルナ。

 「せや。構造的に見て、ここを真っすぐ進めば……たどり着くはずや!」

 

 チャコの声に、皆の顔に希望の色が灯る。

 「じゃあ、行こう。」

 カオルが短く言い、先頭に立つ。

 

 水を踏みしめながら、全員がゆっくりと奥へ進み始めた。

 地下は次第に広くなり、壁のひび割れから淡い緑色の光が漏れている。

 空気はひんやりとしていたが、どこか生き物の鼓動のような“温もり”を感じさせた。

 

 その背中を見つめながら、ルナは歩くスピードを落とす。

 そして、最後尾のリュウジに並んだ。

 

 「……ねぇ、怪我してない?」

 リュウジは一瞬だけ振り向き、静かに笑った。

 「大丈夫だ。」

 

 ルナはじっと彼の横顔を見つめた。

 「本当かな……?」

 「嘘ついてどうする。」

 

 短く返したリュウジの声には、妙な落ち着きがあった。

 「なら良かった。」

 ルナは小さく笑みを浮かべた。その表情は、どこか安心と誇らしさが入り混じっていた。

 

 (……良かった。)

 

 沈黙のまま、しばらく歩き続ける。

 やがて、前方の闇がふっと開けた。

 

ーーー

 

 視界いっぱいに、淡い緑色の光を放つ巨大な壁が現れた。

 透明な結晶のような材質で、無数の回路が木の根のように内部を走っている。

 壁全体が、まるで“生きている”かのように微かに脈打っていた。

 

 「間違いない……これが、メインコンピュータの場所や!」

 チャコの声が響く。

 

 「この中に……“サヴァイヴ”が?」

 ルナが呟くと、全員の視線が一点に集まった。

 

 「よし! 入ろう!」

 シンゴが一歩前に出たが、ベルがその肩を押さえた。

 「でも……どうやって?」

 

 その時――

 「見ろ、あの文字だ!」とメノリが声を上げる。

 壁の中央に、淡く光る古代文字が刻まれていた。

 

 アダムが前に出て、文字を覗き込む。

 「……僕、読めるよ。」

 皆が驚いて振り向く。

 「“手をかざせ”って……書いてある。」

 

 「手を……?」

 ルナとリュウジが思わず同時に呟いた。

 

 「多分、認証や。試してみる価値はあるで。」とチャコ。

 

 ルナは一瞬だけリュウジを見上げる。

 リュウジは無言で頷き、少し後ろに下がった。

 ルナは深呼吸をし、壁に刻まれた文字に手を伸ばす。

 

 ――ピッ。

 

 触れた瞬間、指先から淡い桜色の光が広がっていった。

 模様のように壁全体を走り、まるで春の花びらが咲き乱れるように、空間が色づく。

 やがて光は静かに収束し、壁が透明に変わった。

 

 重低音を響かせながら、巨大な扉がゆっくりと左右に割れていく。

 中から、白銀の光が溢れ出した。

 

 「いよいよやな……メインコンピュータ《サヴァイヴ》と対面や!」

 チャコが小さく息を呑む。

 

 「どっちが“サヴァイヴ”できるか、勝負だよ!」

 シンゴが強く拳を握った。

 

 「俺が先頭を行く。」

 カオルがナイフを抜き、鋭い眼差しで前を見据える。

 「皆、油断するな。」

 

 リュウジがその背を追い、

 ルナ、ベル、メノリ、チャコ、シンゴ、アダム――全員が続いた。

 

 光の中へと踏み出す一行。

 それぞれの足音が、金属の床を叩いて反響する。

 その奥に待つのは、惑星の記憶。

 そして、人類の未来を握る「サヴァイヴ」の中枢だった。

 

⬜︎

 

 扉を抜けた先、そこはまるで別世界だった。

 銀白色の金属と、無数に伸びる光のライン。

 天井は見えず、どこまでも奥行きを持つ空間――人間のスケールを超えた、人工の巨大迷宮だった。

 

 「……ここが、中枢……」

 ルナの声が小さく反響する。

 

 通路は複雑に交差し、足元の床は透明なガラス素材でできている。

 下には淡い青色の光が流れ、まるで電流が血管のように走っていた。

 

 十字路に差しかかると、リュウジが立ち止まる。

 「どっちだ……」

 「中はかなり広いね。」とシンゴが辺りを見渡す。

 「こないだみたいに、マップを手に入れられたらええんやけどな……」とチャコが肩を落とす。

 

 そのとき――

 

 「……ん? 音がする。」

 リュウジが顔を上げた瞬間、通路の先から低い機械音が響いた。

 次の瞬間、白い光に包まれたドローンがゆっくりと浮かび上がる。

 球体の中心には黒いレンズ。

 円頂部から、機械仕掛けの銃口が展開される。

 

 「またあいつや!」

 チャコが叫ぶ。

 

 ――ズドォォォンッ!

 

 黄色の熱線が放たれ、床を焼き焦がした。

 反射的にリュウジが顔を下げ、体をひねってかわす。

 背後の壁に熱が走り、赤く焼ける。

 

 「こっちだ!」

 リュウジが叫び、通路を駆け出した。

 ルナたちも慌てて続く。

 

 ドローンが一機が現れ、追撃の光を放つ。

 「ひぃっ!」とチャコが飛び跳ねて避ける。

 「走れぇぇっ!!」

 

 やがて突き当たりにたどり着いた。

 左右に分かれた通路。

 リュウジは瞬時に目を走らせ、状況を判断する。

 

 「右は……行き止まりだ! 左だ、行け!」

 ルナたちは頷き、左へと走る。

 リュウジは立ち止まり、迫りくるドローンを睨みつけた。

 

 (ここで止める!)

 

 ドローンが再び熱線を放つ。

 その瞬間、リュウジは壁を蹴り、身体を横に滑らせる。

 壁面を走りながら、熱線をギリギリでかわし――腰からナイフを抜いた。

 

 鋭い光を反射させながら、リュウジは一直線に跳ぶ。

 「――っらぁぁっ!!」

 ナイフがドローンの接合部を裂き、内部のコアが火花を散らす。

 

 ――ドゴォォォンッ!

 

 爆炎が広がり、熱風が通路を吹き抜けた。

 リュウジは着地し、転がるように走り出す。

 すぐに前方で皆が立ち止まっているのが見えた。

 

 「どうした!?」

 「また行き止まりや!」とチャコ。

 「違う、ドアだ!」とメノリが叫ぶ。

 「開いて!」とルナが手を前に突き出す。

 

 すると壁に刻まれた古代文字が一瞬輝き――

 ――ガシィィィン!!

 扉が左右に開いた。

 

 「開いた! 開いたで!」

 「急げ!」

 

 全員が中に飛び込み、扉が再び閉じる。

 直後――

 

 ――ドォォォンッ!!

 

 外から熱線が扉に直撃した。

 金属が赤熱し、中心部がじわりと溶け始める。

 

 「やばいがな! なんとかせんとっ!」

 チャコが室内を見回し、額に汗を浮かべる。

 「どこか、制御装置は……!」

 

 その時、チャコの視界に“上下の矢印”が目に入った。

 「――あれやっ!!」

 

 飛び跳ねるようにパネルに飛びつき、手の平で叩く。

 「うごけ! うごけぇぇ!!」

 

 カチン、と音が鳴り、機械的な唸りが響く。

 床がわずかに震え、全員がバランスを崩した。

 

 「……下に、下がってる!?」

 「エレベーターや!!」とチャコが叫ぶ。

 

 だがその直後、扉の一点が焼け落ち――

 熱線が一直線に貫いた。

 

 「っ!!」

 閃光が走り、室内に焦げた匂いが広がる。

 悲鳴が上がったが、誰も倒れてはいなかった。

 

 「全員無事か!?」

 「平気やっ! 焦げただけや!」とチャコが息を荒げて答える。

 

⬜︎

 

 エレベーターは金属音を軋ませながら、長い長い下降を続けた。

 静寂の中、皆の呼吸だけが聞こえる。

 その沈黙を破るように、やがて「カン……」という乾いた音が響いた。

 

 ――ガコンッ。

 

 エレベーターが止まり、扉が左右に開く。

 

 「……一番下、みたいやな。」

 チャコが呟く。

 

 リュウジがゆっくりと顔を出し、周囲を確認する。

 壁は金属でできており、光のラインが断続的に明滅している。

 「……静かすぎるな。」

 

 ルナが恐る恐る覗き込む。

 その直後、――「キィィィィンッ!」という甲高い電子音が響いた。

 

 「ドローンだっ!」

 メノリの声が鋭く響く。

 通路の奥から白い閃光が走り、球体のドローンが姿を現した。

 中心のレンズが回転し、頂部の砲口がこちらを向く。

 

 「来るぞっ!」

 「走れッ!!」

 

 カオルの声が響き、全員が一斉に走り出した。

 リュウジが先頭に立ち、ルナ、アダム、チャコたちが後に続く。

 ドローンが背後から熱線を放ち、通路の壁が赤く焼け爛れる。

 

 

 やがて、前方にまたしても十字路が現れた。

 足を止めたリュウジとルナが、左右を見渡す。

 

 「どっちだろう……」

 ルナの声が震える。

 

 その時――

 

 「……ステチコ。」

 

 聞き慣れない声が、通路の奥から聞こえた。

 ルナがハッと顔を上げる。

 薄暗い霧の中から、何かがゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

 それは――人間でも、機械でもなかった。

 オレンジ色の身体に、クリーム色の顔。

 おでこは異様に長く、途中にネジのようなものが埋め込まれている。

 細い腕がこちらを向き、まるで「おいで」と手招きをしていた。

 

 「な、なにあれっ……!」

 ルナが頬に手を当て、思わず声を漏らす。

 その存在はどこか気味が悪くもあり、しかし敵意は感じられなかった。

 

 「ステチコ。」

 

 もう一度、声が響く。

 不思議なことに――その言葉の意味が、ルナには分かった。

 

 「……“こっちだ”って、言ってるわ。」

 ルナが困惑した表情で呟く。

 

 「行ったら捕まるつもりなんだよ!」

 シンゴが焦りの声を上げた。

 

 「こっちからも来たぞ!」

 ベルの声に全員が振り向く。

 後方の通路からもドローンの群れが迫ってくる。

 青白い光が壁を照らしながら、急速に距離を詰めてくる。

 

 「……行くぞッ!」

 リュウジが判断し、迷わず“生き物”とは逆方向に走り出した。

 

 「ロイドダッデバッ!」

 

 背後から、奇妙な声が響いた。

 先ほどの生き物が、ドローンの後ろに回り込みながら叫んでいる。

 「……今度は“待って!”って言ってる!」

 アダムが振り向きながら叫ぶ。

 「私にもそう聞こえる!」

 アダムの手を握って走るルナも同じことを言った。

 

 「ロイドダッデバッ!」

 

 その言葉に反応するように、ドローンの動きが一瞬止まった。

 レンズが生き物の方へ向き、次の瞬間――

 

 ――ズドォォォォンッ!!

 

 熱線が放たれた。

 生き物は「キャッ」と短く鳴き、慌てて後退する。

 背後に火花が散り、通路が崩れた。

 

 「やっぱり……」ルナが息を呑む。

 「ドローンに撃たれるってことは……あの子、私たちの味方なんじゃない?」

 

 アダムが頷く。

 「うん……なんか、そんな気がする。」

 

 ルナとアダムの目に、ほんのわずかな希望の光が宿る

 

⬜︎

 

ドローンを撃ち倒した場所から少し離れた通路で、ルナたちは足を止めていた。

 先ほどの奇妙な生き物――オレンジ色の身体にクリーム色の顔を持つ存在――が逃げていった方向を、ルナは振り返っていた。

 

 「……今の、なんなんだろう。」

 ルナが呟いたその瞬間、

 ――キィィィィィィィンッ!

 甲高い音が響く。

 

 「また来た!」

 ルナが顔を上げると、別の通路の奥から白い光を放ちながらドローンが浮上してくる。

 「くっ……!」

 リュウジが反射的に身構えた。

 

 「走れぇぇっ!!」

 カオルの声と同時に全員が駆け出す。

 背後から放たれた熱線が床を焼き、焦げた煙が立ち上がる。

 だが逃げた先の通路――その前方にも、また別のドローンが姿を現した。

 

 「前からも来よったでぇぇ!」とチャコが叫ぶ。

 

 「こっちや!!」

 チャコが通路の横を指差し、走りながら誘導する。

 だがその先は――

 「行き止まりやんかぁ!!」

 

 チャコの悲鳴が響く。

 通路の奥は完全に閉ざされ、逃げ場はない。

 熱線の音が近づいてくる。

 

 「下がれ!」

 リュウジが腰のナイフを抜き、皆の前に立つ。

 その目は鋭く、冷たい光を帯びていた。

 ルナたちは背を壁につけ、焦りと恐怖に息を詰める。

 

 「どうする……」

 メノリの呟きが掻き消えるほどの轟音。

 ――ズドォォォンッ!

 

 熱線が壁を掠め、火花が散ったその時。

 

 「ワテニコォォッ!!」

 

 通路の下から奇妙な声が響いた。

 全員の視線が床へ向く。

 

 「な、なんや、今の声!?」とチャコ。

 

 その瞬間、足元の壁の一部が音を立てて開き、人一人がやっと通れるほどの穴が現れた。

 そこから――例の“奇妙な生き物”が、また顔を出した。

 

 「アルドゥラムゲェイト!」

 嬉しそうに跳ねながら声を上げる。

 

 「……っ!? ぼ、僕の名前だ!」

 アダムが驚いて目を見開く。

 

 「なに? どういうこと?」とルナ。

 「こいつ、アダムの名前を……?」とメノリが眉をひそめる。

 

 リュウジがドローンの接近音を聞き取りながら、焦りの視線を送る。

 「ルナ、どうする?」

 

 ルナは生き物を見つめた。

 その瞳には恐怖よりも――どこか、懸命に何かを伝えようとする光があった。

 

 数秒の沈黙。

 ルナの胸の鼓動が速まる。

 息を吸い込み、真剣な表情で言った。

 

 「……ここは、この子にかけてみましょう!」

 

 「はぁ!? マジかいな!?」とチャコが驚く。

 「しゃーない! イチカバチかや!」

 チャコが腹をくくるように叫んだ。

 

 リュウジは短く頷き、「先に行け!」と命じる。

 「うん!」

 

 ルナはアダムの手を握り、滑り込むように壁の穴へ飛び込んだ。

 続いてチャコ、シンゴ、メノリ、カオル、ベルが次々と中へ。

 

 最後に残ったのは――リュウジ一人。

 

 ドローンの熱線が放たれた瞬間、リュウジは横へ飛び、壁を蹴って宙を舞う。

 「――はぁっ!」

 ナイフが閃き、ドローンの銃口を切り裂いた。

 スパークが走り、金属が弾ける。

 

 すぐさま二体目が発射態勢を取る。

 リュウジは飛び込みざま、もう一閃。

 だが、熱線が肩口を掠め、灼けるような痛みが走った。

 

 「っ……!」

 焦げた匂いが立ちのぼる。

 しかしリュウジは構わず、ドローンを斬り伏せる。

 

 爆発が起きる寸前、彼は壁の穴に滑り込み――

 手を伸ばして、扉を閉じた。

 

 ――ガシィン。

 

 分厚い金属の扉が閉まり、外の光が遮断される。

 直後、背後で爆発の衝撃が走り、壁全体が震えた。

 

⬜︎

 

通路の先は滑り台のように、下に伸びている。足を滑らせてそのまま身を投げた。

リュウジが滑りながら肩口を押さえた。

 

 「やっぱり……鈍ってるな。」

 掠めた傷がまだ熱を帯びている。わずかに感覚と身体の動きがずれていた。

 だが彼は眉ひとつ動かさない。

 

 ――ザザザァッ……!

 

 滑走面は金属のような質感で、冷たい風が肌をかすめる。

 まるで巨大な機械の内部を滑り落ちるようだった。

 

 リュウジが勢いを殺さぬまま出口に飛び出す。

 

 ――ガシャン!

 

 三メートルほどの高さから落下し、金属床に着地した。

 膝をつきながらも、すぐに周囲を確認する。

 

 「……なんだ、ここは?」

 リュウジが呟くと、メノリが周囲を見回した。

 

 「ゴミの……集積所みたいだな。」

 辺りには壊れたパーツや廃棄ドローンの残骸、金属片が積まれている。

 空気は少し埃っぽく、照明はほとんど生きていない。

 

 「みんな、大丈夫?」

 ルナが声をかけると、全員が頷いた。

 チャコが頭にくっついた埃を払いながら、「ウチの毛ぇ、真っ黒や……」とぼやく。

 

 その時、

 「スデチコ!」

 先ほどの奇妙な生き物が、集積所の壁にある手摺りを登りながら、嬉しそうに声を上げた。

 「こっちです、だって。」

 アダムが通訳するように言う。

 

 「行こう!」

 ルナの声に全員が動いた。

 

 手摺りを登ると、人が横向きでようやく通れるほどの隙間があった。

 金属の壁がきしむ音を立てながら、彼らは身体を滑り込ませる。

 狭い通路の先に扉があり、奇妙な生き物がその前でぴょんぴょんと跳ねた。

 

 「スデチコー!」

 

 生き物が小さな手でボタンを押すと――

 「ピピッ」

 機械音が鳴り、扉が静かに左右に開いた。

 

 中に入ると、リフトのような足場があり、生き物が上で手を振っている。

 「イダウロチェロ!」

 「“乗って!”だって!」とアダムが言う。

 

 全員がリフトに乗り込むと、生き物が小さなレバーを引いた。

 ゴウン……という重い音が響き、足場が下へと降り始める。

 振動が足元から伝わり、空気が冷たく変わっていく。

 

 ――数分後。

 

 リフトが止まると、目の前に広がるのは、

 今まで見たどの部屋よりも広い――巨大な制御室だった。

 

 壁一面に無数のモニター、天井から垂れ下がるケーブル、

 中央にはこの惑星全体を模した立体投影がゆっくりと回っている。

 

 「なんや、ここ……?」

 チャコが息を呑む。

 

 「スデルームデッカ!」

 生き物が誇らしげに胸を張る。

 

 ルナが周囲を見渡しながら言った。

 「ここは……メインコンピュータから完全に隔離された場所みたい。つまり――“サヴァイヴ”が監視できない場所。」

 

 その言葉に全員が一瞬、息を呑む。

 

 「ウォシュウウォ、アルドゥラムゲェイト!」

 生き物が再びアダムの方を見て声を上げた。

 

 「え? 僕に? 僕に話があるって?」

 アダムが驚いたように目を丸くする。

 

 「……おい、待て。」

 メノリが一歩前に出る。

 「その前にまず――お前の正体を教えろ。」

 険しい声。警戒の色が隠せない。

 

 「そうだよ! 君は一体、何者なの?」とシンゴも続く。

 

 生き物は首を傾げ、小さく瞬きをした。

 「ワシタワ。」

 

 「え? な、なんやねん、それ。」

 チャコが腕を組み、指先からコードを伸ばす。

 「もうええわ! お前ロボットやろ? ウチとジャックインして、言語変換できへんか?」

 

 「エエキュウ!」

 生き物――ワシタワは嬉しそうに声をあげ、自身の指先からも細いコードを伸ばした。

 

 カチリ、と小さな音。

 金属同士が噛み合う感触が響く。

 

 次の瞬間、室内に微かな電流の音が走り――

 

 チャコの瞳が青く光った。

 そして、ワシタワの電子音が、人間の言葉に変換されていく。

 

⬜︎

 

 チャコと生き物――いや、旧式ユニットの身体をつなぐケーブルが淡く光っている。

 

 『システム良好。通信経路、安定。』

 

 「……しゃべった!?」

 シンゴが目を丸くした。

 

 生き物――いや、ユニットはゆっくりと首を傾げ、柔らかい電子の声で言った。

 「はい。音声変換プログラム、正常作動。……通信、可能です。」

 

 「君……名前は?」

 シンゴが恐る恐る尋ねる。

 

 ユニットは少し考えるように瞳を明滅させた後、

 「はい。私の正式名称は――ツァルコン。」

 

 「ツァルコン……?」

 ルナが口に出すと、チャコがぽかんとした顔で首を傾げた。

 「呼びづらいなぁ。ツァルコン、ツァルコ……ツァル……」

 そう呟いたあと、チャコの目が輝いた。

 

 「せや! タコでええがな!」

 

 「はあ!? なんでだ!」とメノリが呆れたように言うが、

 すぐにシンゴが吹き出した。

 「うん! その方が呼びやすいよ!」

 

 「……タコ?」

 ツァルコンは不思議そうに目を瞬かせた。

 「なんか嫌な感じがするのは、その“軟体動物”の名称以外に……何か意味があるからじゃないですか?」

 

 「気にせんでええから!」

 チャコが慌てて手を振る。

 「ウチの世界では、ちょっと変わった褒め言葉や!」

 

 「……理解不能ですが、受け入れます。」

 そう言って、ツァルコン――いや、タコは静かに頷いた。

 

 その仕草に、ルナは小さく笑みをこぼした。

 この奇妙な存在にも、確かな知性と温かさがある。

 そんな気がした。

 

 「タコ、この部屋は……何なんだ?」

 メノリが問いかける。

 

 タコはわずかに頷き、口を開いた。

 「それも含めてアルドゥラムゲェイト。あなたに、報告すべきことがあります。」

 

 アダムは目を瞬かせた。

 「僕に?」

 

 タコは淡々と、しかしどこか人間的な柔らかさを帯びた声で続けた。

 

 「はい。――あなたのご両親からのメッセージです。」

 

 室内の空気が一瞬、止まった。

 アダムの肩がわずかに震える。

 「……ぼ、僕の……?」

 

 喉が渇く音が聞こえた。

 アダムは唇を噛みしめ、ゆっくりと唾を飲み込む。

 

 チャコも、ルナも、誰も言葉を発せなかった。

 ただ、モニターの微かなノイズ音だけが、静かに響いていた。

 

⬜︎

 

タコが小さく頷き、触手のような指先で制御盤をなぞると、

 淡い青色の光が部屋全体を包みこんだ。

 

 ――ピィィン……。

 

 電子音が鳴り響き、宙に二つの光の粒が浮かび上がる。

 それは次第に形を成し、やがて――人の姿となった。

 

 ひとりはアダムと同じ色の肌を持つ青年のような男性。

 穏やかな瞳と静かな笑みを湛え、

 その隣には、薄いオレンジ色の肌をした女性が並んでいた。

 肩にかかるほどの髪が光に揺れ、温かく微笑んでいる。

 

 ルナたちは息を呑んだ。

 ――その姿を見れば分かる。

 この惑星の“人間”、そしてアダムの“両親”であると。

 

 「……お父さん! お母さん!」

 

 アダムの声が震えた。

 その叫びは、この静かな空間に切なく響く。

 

 ルナは静かに歩み寄り、アダムの肩に手を置いた。

 「……アダム。」

 その名を、まるで包みこむように優しく呼ぶ。

 

 タコが一歩前に出て言った。

 「――ご両親のメッセージ、言語変換して伝えます。」

 

 ホログラムの中の父親が、静かに口を開いた。

 『アルドゥラムゲェイト。この映像がお前の目に触れることを願って、このメッセージを記録する。』

 

 その声は落ち着いていて、どこか懐かしい温かさを帯びていた。

 続いて、母親が優しく微笑んで言う。

 

 『しばらくね、アルドゥラムゲェイト。

 いえ……あなたは、私たちと会うのは“初めて”と感じるかもしれないわね。』

 

 アダムは唇を震わせながら、小さく呟いた。

 「……やっぱり……本物だ。」

 

 父親の声が、穏やかに重なる。

 『悲しいが、三歳までの記憶では、私たちとの思い出も曖昧なものだろう。

 それでも――お前が生きていることを、私たちは信じている。』

 

 「ううん……僕、覚えてるよ。」

 アダムの目に涙が浮かぶ。

 「僕のいた遺跡で、お父さんとお母さんの映像を見たんだ。」

 その言葉に、ルナの胸も締めつけられる。

 

 ――あの孤独な遺跡の少年が、ようやく家族に会えたのだ。

 

 ホログラムの中で、父親が小さく頷いた。

 『お前にはまだ分からないことが多いだろう。だから――これまでの経緯を話そう。』

 

 光が強くなる。

 部屋の中央に、古代の都市、崩れた塔、そして青く輝く惑星の地表が映し出されていく。

 それは――この惑星の「過去」だった。

 

⬜︎

 

ホログラムの映像が、ゆっくりと切り替わっていく。

 古代の都市――崩れた塔。

 黒く焦げた大地の上に、赤く光る亀裂が幾筋も走っていた。

 

 『……私たちの惑星は、ある時期、暗黒の時代を迎えた。』

 

 アダムの父の声が、静かに響く。

 その口調は穏やかだが、どこか重く、痛みを含んでいた。

 

 『既に温暖化やオゾン層の破壊など、環境問題は深刻化していた。

 しかし、それに追い打ちをかけるように――

 大規模な地殻変動の波が次々と押し寄せ、我々の住む惑星は壊滅的な打撃を受けた。』

 

 映像の中では、大地が裂け、海が沸騰し、巨大な噴煙が空を覆っていく。

 黒い雲が太陽を遮り、世界が赤く染まっていく。

 

 『それは単なる惑星の生命活動なのか、

 あるいは――暴走した人間への報復なのか。

 ……それは、いまだ分かっていない。』

 

 ルナは思わず胸の前で両手を組んだ。

 その光景は、彼女たちがこの惑星で見てきたどんな嵐よりも恐ろしく、そして哀しかった。

 

 『人口は激減し、生き残った人類は二つに分かれた。

 一つは、新たな母星を探すため、宇宙へ旅立つ者。

 もう一つは、この惑星の環境を再生し、再び命の星に戻そうとする者。』

 

 アダムの父がそう言うと、隣に立つ母が柔らかく微笑んだ。

 

 『テラフォーミング――惑星環境再生の知識を持っていた私たちは、この星に残る道を選んだの』

 

 母の声に合わせて、映像には巨大な施設群が映し出される。

 火山の山頂に設置された巨大な装置――

 それが、光を帯びてゆっくりと動き出す。

 

 『まず、私たちはこの火山の山頂に設置した“最大のテラフォーミングマシン”を中心に、

 各地へ小型のテラフォーミングマシンを打ち上げた。』

 

 父の説明に合わせ、無数の発射光が空へと上がっていく。

 空が再び青を取り戻し始め、荒廃した地表に草の芽が生える。

 

 『それら全てのテラフォーミングマシンは、

 このコントロール宇宙船に搭載されたコンピュータが管理していた。』

 

 母の言葉と同時に、映像の中心にひとつの白い球体が現れる。

 内部には光が脈打ち、生きているかのように呼吸している。

 

 『我々は願いを込めて、そのコンピュータに“サヴァイヴ”と名付けた。』

 父の声が静かに響く。

 

 ルナが小さく呟く。

 「……サヴァイヴ。」

 その名には、希望と祈りが宿っていた。

 

 『――そんな時、お前は生まれたんだ。』

 

 父親の表情が、柔らかなものに変わる。

 ホログラムの中で、母が幼いアダムを抱いて微笑んでいる映像が映る。

 その腕の中の赤ん坊の瞳は、今と同じ――淡い青。

 

 『あなたは、この惑星の未来を担う“希望の子”として、みんなに迎え入れられたのよ。』

 母の声が優しく重なった。

 

 アダムは息を飲み、拳を握りしめる。

 「……僕が……希望の子……」

 

 「アダム……」とルナがそっと寄り添い、

 リュウジは黙ってその光景を見つめていた。

 

 映像の中で、父と母が穏やかに微笑み合う。

 だが――その微笑みの奥には、どこか悲しい影が宿っていた。

 

『お前は皆んなの愛情を受けて、すくすくと育っていった。』

 父親の声には、かすかな誇りと温もりがあった。

 幼いアダムが仲間の科学者たちに抱かれて笑う映像が映る。

 

 『そして――あなたが三つになった時。』

 母親が少し目を伏せ、声を震わせながら言った。

 『サヴァイヴはこう結論を出したの。

 “千年後にはテラフォーミングが完了し、惑星は元に戻る”と。』

 

 『私たちは喜んだ。希望が見えたからだ。

 母星を探して旅立った同胞たちへメッセージを送った。』

 父親が語る声が、映像の中の荒廃した空に重なる。

 

 『――しかし、時を同じくして、サヴァイヴがおかしくなった。』

 

 母親の表情が険しくなる。

 『サヴァイヴはテラフォーミングマシンを使って、恐ろしいウイルス型のナノマシンを散布したの。』

 

 『我々の仲間は、その“ウイルスナノ”に侵され、次々と倒れていった。』

 父の言葉と共に、倒れゆく科学者たちの姿が光の中に映る。

 焦点を失った瞳、崩れ落ちる身体。

 

 『そして――いつしか、私たちも。』

 母の声がかすかに震える。

 

 ルナは手を口に当て、涙をこらえた。

 チャコも何も言えず、両手をぎゅっと握りしめていた。

 

 『私たちは考えた。……何としても、お前だけは助けてやりたい、と。』

 父の声は静かに、それでも確かな決意を帯びていた。

 

 映像には、透明なカプセルの中で眠る幼いアダムの姿。

 母がその額に手を当て、微笑む。

 

 『コールドスリープカプセルに寝かせたあなたを、

 サヴァイヴの手が届かない孤島へ送ったの。

 テラフォーミングマシン――それと、私たちの思いを乗せたコンピュータとともに。』

 

 アダムは唇を噛み、堪えきれずに涙を落とした。

 

 『お前は、たったそれだけの装備で送り出された。

 私たちを冷たいと思うかもしれない。……だが、あの状況では、それが精一杯だった。』

 父の声は、微かに震えていた。

 

 『でもね……』

 母が優しく続ける。

 『私たちの“思い”が防御壁となって、あなたの宇宙船へのサヴァイヴの侵入を食い止めたの。

 それだけが、私たちの心の支えだったわ。』

 

 『私たちはコントロール宇宙船に残り、主導権を奪い返すべく戦った。

 お前を守るためにも……!』

 

 父の叫びに似た声が響く。

 しかし、次の瞬間――母の静かな声がその音を包み込んだ。

 

 『でも、勝てなかった。

 結局……サヴァイヴに侵入されない、この“ちっぽけな安全エリア”を作るのが精一杯だったの。』

 

 映像の背景に、広大な空間の中で赤い警告灯が点滅する。

 通信断、エネルギー低下、隔離領域確保――次々と警報が走る。

 

 『本当は、私たちは“機械の中に生きて”、お前の成長を見守りたかった。

 でも、思念のコピーを残せば、それを探られてお前に危険が及んでしまう。

 それだけは避けたかったの。』

 

 『……やがて、私たちは死ぬだろう。』

 父が淡々と、しかしどこか覚悟を込めて言う。

 『私たちの意思は、お前と一緒にいるコンピュータにしか残らない。』

 

 ルナの目がわずかに開かれる。

 ――そう、“アダムと共にいた”あのコンピュータ。

 

 『惑星の環境が元に戻ったとき、

 私たちの意思と一体になったコンピュータが、

 あなたと共に生きてくれる人物を選び、あなたを目覚めさせてくれるでしょう。』

 

 母が穏やかに微笑む。

 その瞬間――リュウジが小さく息を呑んだ。

 「……それが、ルナだったのか。」

 

 カオルも頷くように言う。

 「だからルナだけ、アダムと通じ合えるように“ナノマシン”を入れたのか……。」

 

 ホログラムの父母は、まるで聞こえていたかのように微笑んだ。

 

 『私たちの意思は、それで力尽きるだろう。

 その場合、サヴァイヴが侵入し、お前たちに危険な目を合わせるかもしれない。』

 

 「だから突然、冬になったのか……。」

 ベルが小さく呟いた。

 

 父の声が再び、力強く響く。

 『アルドゥラムゲェイト。

 これからもどんな困難が立ちはだかろうとも、その人物たちと逞しく生きてくれ。

 そして――まだ“メインコンピュータ・サヴァイヴ”の支配が続いているのなら、

 その支配から惑星を救ってくれ。』

 

 父は小さく笑う。

 『いや……その言い方は、少し違うかもしれないな。』

 

 母が頷き、静かに言葉を継ぐ。

 『サヴァイヴは確かに、この惑星の環境を遵守し、“人間は必要ない”と結論づけたわ。

 でもね――私たち人間が生きることだって、この惑星の自然の一部のはずよ。』

 

 『未来は、お前たちの世代に委ねられた。』

 父が静かに告げる。

 

 光が揺らぐ。

 二人の姿が淡く透けていく。

 

 『さよなら、アルドゥラムゲェイト。』

 母が微笑み、涙を浮かべながら言った。

 『あなたの――大きくなった姿を、一目見たかった……。』

 

 その言葉を最後に、ホログラムはゆっくりと消えた。

 

 「お父さん……! お母さんっ!」

 

 アダムは崩れ落ちるように床に膝をつき、

 溢れんばかりの涙を流した。

 

 ルナはその背中に手を置き、リュウジは黙ってその光景を見つめていた。

 誰も、何も言えなかった。

 

 ――ただ、その場所に“命の記憶”だけが、確かに残っていた。

 

⬜︎

 

「――これで映像は、おしまいです。」

 

 タコの機械的な声が、静まり返った空間に響いた。

 ホログラムの光が完全に消えると、部屋には誰の声も残っていなかった。

 わずかに聞こえるのは、コンピュータの冷たい駆動音だけ。

 

 アダムは膝をついたまま、涙に濡れた頬を上げた。

 「お父さんと……お母さんは……どうなったの?」

 

 声は震え、掠れていた。

 タコは少しだけ動きを止め、そしておでこに手を当てる。

 青白い光が一瞬、彼の頭部で明滅した。

 

 やがて――彼は、悲しそうに目を伏せた。

 「……こちらへ。」

 

 それだけを言うと、タコは身体を回転させ、後方のリフトへと誘導した。

 アダムたちは無言のままその後に続く。

 

 リフトが静かに動き出し、ゆっくりと下の階層へと降りていく。

 金属の軋む音が、やけに遠くに感じられた。

 

 アダムは俯いたまま、拳を握り締めていた。

 その横顔を見つめるルナの胸が、痛む。

 「……アダム……」

 その小さな呟きは、彼の耳には届かなかった。

 

 やがて、リフトが止まる。

 目の前の扉が開かれると、そこには広大な空間が広がっていた。

 

 冷たい空気が流れ込み、淡い青色の光が辺りを照らしている。

 無数のカプセルが宙に浮かび、それぞれの中には――人間の姿。

 

 「……!」

 

 誰も言葉を発せなかった。

 ただ、小さな呻き声が漏れただけだった。

 

 「なんだ……ここは?」とメノリが呟く。

 「地下の……墓地みたいだね……」とシンゴが言う。

 

 その言葉に、誰も否定できなかった。

 冷たく、静かで、それでいて穏やかな――“眠りの場所”だった。

 

 タコの足が止まった。

 「……ここです。」

 

 ゆっくりと宙を漂うように進み、指先を一つのカプセルに向ける。

 ボタンを押すと、機械音と共にカプセルが降りてくる。

 蒸気のような白い霧が漏れ、光が差し込む。

 

 カプセルの中――そこには、アダムの両親が並んで眠っていた。

 穏やかな表情。

 まるで、今も夢の中で微笑み合っているかのように。

 

 「……お父さん! お母さん!!」

 

 アダムは叫びながら駆け寄り、

 カプセルの透明な壁に両手をついた。

 顔を擦り付け、溢れる涙がガラスを濡らしていく。

 

 嗚咽が静寂の中に響いた。

 その音が、誰の胸にも深く突き刺さる。

 

 ルナは震えるアダムの背中に手を置いた。

 その目は、ただ静かに涙をこぼしていた。

 

 リュウジも、黙ってその光景を見つめていた。

 ――両親を失うということ。

 その痛みがどれほど深いものか、彼には分かる。

 

 彼は心の中で静かに呟いた。

 

 (……悲しい結末かもしれないが……それでも、“親の死に目”に会えたのは、きっと幸せなことなんだろうな)

 

 自分は物心ついた時には、すでに両親はいなかった。

 その温もりも、声も知らない。

 けれど――いなくなった痛みだけは、よく分かる。

 

 (……悲しみの深さに、違いなんてない。)

 

 そう呟くと、リュウジはゆっくりと目を閉じた。

 静かに頭を垂れ、手を胸に当てる。

 

 ――黙祷。

 

 その姿に、ルナも、カオルも、メノリも、ベルも、チャコも、

 そしてシンゴでさえも自然と頭を下げていた。

 

 タコのライトが小さく瞬き、まるで祈るように沈黙を守る。

 

 青い光の中、アダムはまだ泣き続けていた。

 だがその涙の中に――ほんの少しの安らぎがあった。

 もう一度、会えたから。

 そして、二人が確かに“ここにいた”と知れたから。

 

 長い長い時間を超えて、

 この惑星に再び“命のぬくもり”が灯っていた。

 

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