制御ルームに再び明かりが灯る。
チャコ、シンゴ、タコの三人は、沈黙の中でディスプレイを睨んでいた。数分間の分析ののち、シンゴが小さく息を呑む。
「……見つけた」
「ほんまか!?」とチャコが身を乗り出す。
「うん。未使用の制御プログラム……ここを通せば、サヴァイブの中枢ネットワークに侵入できる」
その言葉に、場の空気が一気に変わった。
「すぐに作業を開始してくれ」
メノリが毅然とした声で指示を出すが、チャコは手を振って言った。
「まぁまぁ、さきに腹ごしらえや!ウチら、脳みそも燃料切れやで!」
「……ま、確かに」とタコも同意する。
シンゴが苦笑した。「じゃあ、少し休憩しようか」
⸻
みんなは安全エリア内の個室に移動した。
壁際の簡易ベッドを椅子代わりにして、それぞれが果物を手に取る。
小さなランプの光に照らされながら、ルナたちはようやくわずかな安らぎを得た。
だが、その輪の中に――ルナの姿はなかった。
「……ルナは?」
果物をかじりながら、ハワードが何気なく問いかけた。
チャコは果汁をぬぐいながら軽く笑う。
「レディの行く先を詮索したらアカンて。ハワード、あんたはほんまデリカシーないで」
「あ、ああ……そうか」
ハワードはそう答え、再び果物を口にした。
だが次の瞬間、ハワードの瞳の奥に一瞬、冷たい光が宿った。
果物を机に置くと、無言で立ち上がる。
「おい、どこ行くんや?」とチャコが問うが、ハワードは答えずに扉を開け、出ていった。
コンテナをテーブル代わりにして座っていたリュウジが、迷いなくその上を飛び越え、素早く追いかける。
⸻
リュウジがたどり着いた先は、制御ルーム。
扉を開けると、目の前に飛び込んできたのは――
「ルナ!!」
ハワードの腕によって投げ飛ばされたルナの姿だった。
床を滑りながら倒れるルナを、リュウジは駆け寄って抱き起こす。
「……大丈夫か!?」
「ええ……でも、シャアラとハワードが――!」
ルナが叫ぶ間もなく、二人はリフトの操作盤に手をかけ、上層階へと昇っていった。
「待って!」
ルナはふらつきながらもすぐさま立ち上がり、リフトのボタンを押す。
そのとき、他の仲間たちが駆け込んできた。
「何があったんだ!」とカオルが声を上げる。
チャコが答えた。
「ハワードとシャアラはサヴァイブのスパイやったんや!」
全員の表情が凍りつく。
「使われてへんプログラムがある言うたのはウチらの嘘や。ハワードとシャアラを確かめるための罠やったんや」
「確かめる……?」とメノリが息をのむ。
「二人は身体にナノマシンを入れられて、サヴァイブに操られてるんだよ!」とシンゴが続けた。
「操られてる!? じゃあ……元の二人には戻れないってことなのか!?」
メノリの声が震えた。
その瞬間、リフトが「カン」と音を立てて戻ってきた。
ルナはメノリの言葉に反応して振り向き、唇を噛む。
「……そんなこと、ない」
ルナは言い切ると、迷いなくリフトに乗り込んだ。
「ルナ!」
全員の声が重なる。
「待て!」
リュウジは駆け出し、上がり始めたリフトに大きく跳躍して飛び乗った。
「ルナ!」と呼びかけるが、彼女の視線は上層に向けられ、焦燥の色が滲んでいた。
⸻
リフトが到着すると、ルナはすぐに走り出した。
開閉ボタンを押すと、ギィと金属音を立てて扉が開く。
その先には、人が横向きで一人通れるほどの狭い通路が伸びている。
リュウジの視線の先――
暗闇の奥に、ドローンが三機、赤いセンサーを光らせて待ち構えていた。
「待て、ルナ!」
だがルナは振り向かず、一歩、また一歩と前へ進む。
「ハワード! シャアラ!」
彼女の叫びが狭い通路に響いた。
リュウジは即座に動いた。
背後からルナの肩を掴み、体をひねりながら横へ飛ぶ。
――次の瞬間、通路の奥から熱線が放たれた。
黄色い閃光が空気を焦がし、壁を焼き、リュウジの左腕と右足に確かな傷を負う。
「ぐっ……!」
呻き声を漏らしながらも、リュウジはルナを庇い、しっかりとその体を支える。
「今、追うのは無理だ……」
リュウジの声は低く、だが確信に満ちていた。
ルナは震える唇を押さえ、悲しげにその場へ座り込む。
「……どうして……どうしてあの二人が……」
リュウジは膝をつき、彼女と同じ目線に立つ。
そして、そっとその肩に手を置いた。
「お前はまだ、誰も失っていない」
その声は、深く静かだった。
「悲劇のフライトで心を閉ざした俺を……お前が救ってくれた。
だから信じてる。お前なら、きっと――あの二人も救える」
ルナの瞳が潤み、揺れる。
堪えていた涙が溢れ出す。
「……リュウジ……」
次の瞬間、ルナは彼の胸に飛び込んだ。
嗚咽まじりの涙がリュウジの服を濡らす。
リュウジは何も言わず、そっと両腕でルナを包み込んだ。
外では、再びドローンの駆動音が鳴り響き始めていた。
二人はその音の中、しばし静かに抱き合っていた――。
⬜︎
ルナの嗚咽が、ゆっくりと静まっていった。
涙の余韻が残るそのままに、彼女はリュウジの胸に寄りかかっていた。
外の風が通路をかすかに吹き抜け、金属の壁を震わせる。
その音だけが、二人を包む世界のすべてだった。
やがて、ルナは小さく息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた睫毛の向こうに、リュウジの顔があった。
彼の表情は、いつもとは違っていた。
険しさも警戒も消えて、静かな優しさだけがそこにあった。
――ああ、この人、こんな顔をするんだ……。
胸の奥で、ルナの鼓動が静かに跳ねた。
だが、その瞬間。
ルナの視界の端に、赤い滴が落ちた。
床に、小さな血のしみが広がっていく。
リュウジの左腕と右足のズボンが破れ、そこから血が滲んでいた。
「……私を、庇った時に……」
ルナは俯き、唇を震わせた。
「ごめんなさい……」
その言葉は、風に溶けるほど小さく、震えていた。
リュウジは短く息を吐き、
微笑みながら、そっとルナの頭に手を置いた。
「よく……頑張ったな」
その声はかすれていたが、優しく、確かな温度があった。
ルナの髪を撫でる手の動きが、どこかぎこちなくて、
それが逆に彼の不器用な優しさを浮かび上がらせていた。
ルナの視線が上がり、リュウジの瞳と重なった。
お互いの呼吸が重なり、間近で見える吐息が白く揺れる。
リュウジの瞳の奥には、戦いの荒波をくぐり抜けた強さと、
それでも壊れたものを抱えながら立ち続けようとする、痛みがあった。
「……どうして……そんな顔、するの」
ルナが震える声で呟いた。
「お前が無事で、よかった。それだけだ」
淡々としたその言葉が、なぜか胸の奥を熱くした。
ルナの指先が、無意識にリュウジの服の裾を掴む。
互いの距離が、少しずつ、ゆっくりと近づく。
彼の体温が、呼吸のリズムが、肌のすぐそばで感じられた。
ルナは息を止め、わずかに目を伏せた――。
カンッ!!
金属音が鳴り響き、リフトが到着する。
「大丈夫か!」
カオルの声が通路にこだまする。
二人は同時にハッと我に返った。
慌てて身を離すと、ルナの顔は一瞬で真っ赤に染まった。
「ルナ!」
チャコが駆け寄る。
「だ、大丈夫よ!」
声がわずかに上ずる。
チャコは半眼で見上げて、「何言うとんねん、顔真っ赤やないか」と呟いた。
「何があったんだ?」
メノリの問いに、ルナは両手を振りながら慌てて答える。
「え、いや、別に! な、何もしてないよ!」
「……何があったか聞いたんや!何もしてないってどういうこっちゃ」とチャコが呆れ顔で口を尖らせる。
リュウジは息を整えながら、短く言った。
「二人は逃げた。恐らくサヴァイヴの元へ向かった」
その低い声で空気が引き締まった。
「一度戻ろう」
カオルが指示を出す。
「そうしましょう」とルナも頷き、立ち上がる。
だが、リュウジが一歩踏み出した瞬間――
右脚に激痛が走った。
「っ……」
身体が傾ぐ。
「リュウジ!?」
カオルがすぐに肩を支えた。
ルナも驚いて駆け寄る。
「心配するな、平気だ」
リュウジは短く言うが、足元はふらついている。
「私を庇って、ドローンに撃たれたの……」
ルナの声が震える。
「ルナのせいじゃない。気にするな」
リュウジは小さく笑みを見せた。
その笑みに、ルナの胸がまた強く締めつけられる。
彼はこんなに傷ついているのに、まだ人を安心させようとする――。
カオルはふっと息を吐き、半ば呆れたように笑った。
「やっぱり……お前も鈍ってるな」
「うるさい」
リュウジは短く返し、右腕で壁を支えながらリフトへと歩いた。
ルナはそのやり取りを見て、
小さく笑みをこぼす。
リュウジがリフトに乗り込む。
閉まりかけた扉の向こうで、彼が一瞬だけ振り返る。
その表情は、静かに、どこまでも優しかった。
ルナは小さく息を吸い込み、握った拳を胸に当てた。
「……必ず、取り戻す。ハワードも、シャアラも」
リフトが動き出す。
ルナたちは再び、下層の安全エリアへと降りていった。
その先に待つのは――新たな戦いの幕開けだった。
⬜︎
安全エリアの制御ルームに戻ると、タコが慌てた様子でモニターを操作していた。
「ど、どうしましょう! 大変です!」
画面には、岩壁を削りながらこちらに迫る三機のドローンの姿。
重機のようなアームが壁面を叩き、装甲が少しずつ剥がれていくのが映し出されていた。
「タコ! 他に安全な場所はないの?」
ルナが声を上げる。
「……ありません。この区域はすでに隔離モードに入っています!」
「それなら――このまま、サヴァイヴのいるメインルームまで向かいましょう!」
その言葉に、場が一瞬凍りついた。
「なっ……無茶だ!」
メノリが叫ぶ。
だがリュウジは腕を組み、短く言った。
「……いや、このまま逃げ回るのも限界がある。あのドローンの数を考えれば、いずれ包囲される」
ルナは息を整え、震える声で続けた。
「それに……急がないと。シャアラとハワードが……」
焦りと決意が入り混じった声だった。
「だがドローンはどうする!?」
メノリが声を荒げる。
その時だった。
「ねぇ、ねぇ、こんなものを見つけたんだけど!」
シンゴが両手で抱えきれないほどの機械を運び込み、テーブルの上に置いた。
「それは……テラフォーミングマシン用の赤外線反射物質噴霧器ですね」
タコが機械に近づき、センサーをかざす。
「これ、効くんじゃないかな。ドローンの熱探知を狂わせられるかも」
「いや、それは無理でしょう。この程度の物質で――」
タコが噴出口を覗き込んだ瞬間、シンゴが興味本位で引き金を引いた。
シュウッ!!
青い煙が噴き出し、タコの全身を包み込む。
「な、なんですかこれは!? センサーが……視界が……うわわわっ!」
タコはフラフラと後ろによろけ、派手に床に倒れた。
「……十分、効いとるがな」
チャコが額を押さえながら呆れた声を出した。
ルナは小さく笑い、すぐに真剣な表情に戻る。
「今は、それにかけましょう。熱探知を狂わせられれば、突破のチャンスはある!」
「了解!」とシンゴがうなずき、機械を調整し始める。
「急いで準備を!」
ルナの号令に、全員がそれぞれ動き出した。
メノリは照明用のバッテリーを背負い、アダムは簡易ランチャーを整備。
チャコとシンゴは部品を取りに走り、制御ルームが一気に慌ただしくなる。
⸻
リュウジはその場に残り、壁際の椅子に腰を下ろした。
汗が滲む額を拭いながら、チャコに声をかける。
「チャコ、水と布を頼む」
「ちょいまちぃな」
チャコは短い返事を残して、奥の補給室に駆けていく。
しばらくして、チャコはペットボトルと白い布を両手に持って戻ってきた。
「はい、水と布。ほんま無茶ばっかするんやから」
「助かる」
リュウジは左手と右脚に水をかけ、服をまくり上げる。
焼けた皮膚の赤みと、血のにじむ傷が露わになる。
チャコが眉をしかめた。
「痛そうやな……」
「動けないほどじゃない」
リュウジは布の端を噛み、勢いよく引き裂いた。
裂いた布を右脚にきつく巻きつけ、ぎゅっと結ぶ。
「ウチも巻いたるわ」
チャコがしゃがみ込み、左腕の傷に布をあてがった。
「チャコ、キツく巻いてくれ」
「分かっとるって」
チャコは真剣な表情で布を締め、手際よく結び目を作る。
「……ありがとう」
「礼なんてええよ。ウチら仲間やろ」
チャコは小さく笑い、すぐに立ち上がった。
「ウチ、あの噴霧器の調整見てくるわ。リュウジ、あんたはちょっとでも休みぃ」
リュウジは何も言わず、ただ静かにうなずいた。
背中を預けた壁は冷たかったが、
仲間たちの声が響くこの空間には、確かな温もりがあった。
遠くから、再びドローンの金属音が響く。
時間はもう、残されていない。
⬜︎
制御ルームの灯りが淡く揺れた。
武器や工具を手にした仲間たちは、無言のまま壁際の影に身を潜めている。
息を潜める音すら響くような沈黙の中、リュウジはモニターに映るドローンの姿を見つめていた。
噴霧器は三つ。
腰に掛けたそれを、シンゴ、カオル、そしてリュウジがそれぞれ装備していた。
青いランプがぼんやりと光り、緊張の色を帯びた空気に微かな機械音を混ぜる。
カオルがリフトの方向を睨みながら呟いた。
「……一つ、疑問が残るな」
「なんだ?」とリュウジが目を向ける。
「どうしてハワードとシャアラは、すぐに俺たちを殺さなかったんだ?」
ベルが壁にもたれながら腕を組んだ。
「……俺も、それが気になってた」
「僕もずっと気になってたんだ。あの二人、ずっとルナの方ばかりを見てた気がする」
アダムの声は震えていた。
ルナは息を呑んで俯いた。
「……私の、ことを?」
リュウジが短く頷く。
「恐らく、ルナにある“ナノマシン”を調べていたんだろう。サヴァイヴは。ルナの体をを狙っている可能性がある」
「ナノマシン……私が……?」
ルナは不安そうに胸元を押さえた。
リュウジの瞳がわずかに細くなる。
「アダムを湖で助けた時、アダムの体がわずかに浮いた。あれは偶然じゃない。ルナのナノマシンが反応したんだ」
「そんな……私が……」
ルナの声がかすれた。
その瞬間、――轟音が鳴り響いた。
上部のリフトから、分厚い金属の扉が崩れ落ち、火花を散らしながら床に激突する。
「来るぞッ!」
リュウジの鋭い声が響いた。
ドローンがリフトの上部から滑り出すように降下してきた。
浮遊ユニットの唸りが空気を震わせ、赤いセンサーが暗闇を舐めるように動く。
「今だ――噴霧を!」
リュウジの合図と同時に、シンゴ、カオル、リュウジが引き金を引いた。
シュウウウウウ――ッ!!
青白い霧が制御ルームを覆う。
ドローンたちは突然、軌道を乱し、空中でくるくると回転を始めた。
「効いてる! 今のうちや!」
チャコの声が響く。
リュウジは影から飛び出し、仲間たちに手信号を送った。
「今だ! リフトへ急げ!」
全員がコンテナの影を抜け、リフトへと走る。
赤外線反射物質が立ち込める中、ドローンの視界は完全に狂い、彼らの動きを捉えられない。
⸻
安全エリアを抜け、メインルームへと急ぐ一行。
「ドローン、前方に三機!」
シンゴの声が響く。
「俺とカオルがやる!」
リュウジが噴霧器を構え、走りながら青煙を噴き出した。
ドローンたちは混乱して壁に激突し、バラバラと火花を散らす。
「ぎょ、ぎょうさん来よったで!!」
チャコが叫んだ。
前方の曲がり角の奥――そこには数十体ものドローンが群れをなして浮いていた。
光るセンサーが一斉にこちらを向く。
「隠れろ!」
カオルの指示で、全員が咄嗟に左右の通路へ飛び込んだ。
右の通路には、リュウジ、ルナ、アダム、チャコ。
左の通路には、メノリ、シンゴ、ベル、カオル、タコ。
それぞれの息づかいが通信越しに混じり合う。
「リュウジ、これ……エレベーターだわ」
ルナが行き止まりの壁を見つめ、パネルを指差した。
「こっちも同じだ!」とメノリの声が通信に入る。
「……このまま、二手に分かれよう」
メノリの声に、ルナが頷いた。
「メインルームで合流しましょう!」
それぞれのエレベーターにのり、静かに上昇を始める。
⸻
カン――と音を立てて停止。
扉が開くと、薄暗い階段が伸びていた。
「こっちや!」
チャコが声を上げ、先頭に立って駆け上がる。
登りきった先――
待っていたのは再びドローンだった。
黄色い閃光が奔り、壁を焼く。
「伏せろッ!!」
リュウジが前へ躍り出て、閃光を紙一重でかわす。
反撃のように、噴霧器の引き金を引いた。
青い煙が一瞬で広がり、ドローンの動きが止まる。
リュウジはその隙に、ナイフを振り抜き、一機を斬り落とした。
火花が散り、電子音が空気を震わせる。
「怪我しとるのに……ほんまよう動くわ!」
チャコが走りながらリュウジの背中に声をかける。
「動かないよりマシだ」
リュウジは短く答え、次の通路を確認する。
全員が息を切らしながらも、互いの位置を確かめ合い、走り続けた。
⸻
ようやく全てのドローンを無力化し終えた頃、
通路の静寂が戻った。
リュウジは壁に手をつき、荒い呼吸を整える。
ルナは背を壁に預け、肩で息をしていた。
アダムは疲れた表情でルナの足元に寄りかかり、息を吸い込んだ。
「もうちょいの辛抱やな……」
チャコが笑いながら言う。
「もう大丈夫だ。回復した」
リュウジが顔を上げ、息を吐く。
ルナはその顔を見て、疲れの中でも微笑み、
ウインクして言った。
「私も、大丈夫」
「アダムも走れるわよね?」
「うん、僕も平気!」
「よっしゃ、その意気や!」
チャコが明るく笑う。
「行くぞ!」
リュウジが声を上げ、再び走り出す。
金属の床を踏みしめる音が、
仲間たちの決意と鼓動を重ねて響き渡っていた――。
⬜︎
息が焼ける。
金属の床を踏み抜くように走り続け、ようやく視界が開けた。そこは天井の高い広間で、壁面には古い配管とケーブルが絡み合い、中央の奥に、岩の中へ喰い込むように据えられた厚い扉がそびえている。冷たい鈍色――まるで、ここまで辿り着いた者を黙って選別するような、無機質な威圧感。
「……あれがメインルームの入り口や」
チャコが息を切らしながら指さす。青い瞳が鋭く光った。
「行きましょう!」
ルナは反射で駆け出した。胸の中の焦りが体を押す。ハワード、シャアラ――待ってて。今、行くから。
「待て!」
手首を掴む力が、全身の勢いを止めた。振り向くと、リュウジが至近距離にいる。頬を汗がつっと伝い、喉元で呼吸が荒く上下する。
彼の表情は、恐怖、焦燥、そして鋭い警戒――相反する色が幾層にも重なっていた。強い視線が、ルナの焦りそのものを掴んで止める。
その瞬間――
「ドローンだ!」
アダムの指が広間の上空をさす。天井の梁やダクトの影から、赤いセンサーが無数に灯り、甲高い駆動音が波のように押し寄せた。漂う金属粉が微細な霧となり、センサー光に照らされてきらめく。
「隠れろ!」
リュウジが低く通る声で命じ、仲間たちは反射的に引き返して、今しがた走り抜けた通路の影へ身を滑り込ませた。壁はひんやりと湿っていて、遠くからドローンの音が層になって迫る。
「まだ、あんなに……」
ルナの喉が音を失う。数えることをやめたくなる数――。
「チャコ、どれくらいいる」
「ざっと……50機ってところや」
チャコの声は冗談めかす余裕もなく、乾いていた。
「どうする……?」
ルナの呟きが、鼓動に呑まれて小さく砕ける。
「ここにおっても見つかるのは時間の問題や」
チャコは細い尻尾をぴんと張り、通路の角へ体を寄せながら周囲を読み取る。遠方から巡回パターンの周期がわずかにずれる音――ドローンが探索モードへ移行している。
リュウジが唇を噛み、ルナへ体を向け直した。
瞳の奥に、迷いと決断が同時に燃える。
「俺が注意を引く。その間に、お前たちはメインルームへ行け」
言葉は短い。けれど、その短さに、すべてが込められていた。
「無茶よ! 一人でどうにかなる数じゃないわ!」
ルナの声が震える。今の彼は万全じゃない。脚の痛みを誤魔化して走ってきたのを、ルナはずっと見ていた。
「ハワードとシャアラを取り戻すんだろ!」
リュウジの声が、狭い通路の石壁に跳ねた。
――助けに行く。その一点に向けて、彼の意志が刃のように研ぎ澄まされている。
「そうだけど……!」
ルナは言葉を掴み損ね、胸の奥からほとばしる不安を掻き集める。「リュウジを失っていいわけじゃない!」
自分でも驚くほど強い声だった。彼を失う情景が、ほんの刹那でも頭に過ぎるだけで、足がすくむ。嫌だ――そんな未来は、嫌だ。
「それしか方法はない」
リュウジは引き下がらない。淡々と、しかし一語一語に体温のある声。
広間を舐めるセンサーの赤が通路口まで伸び、壁際に波のような影が揺れた。時間は、もう削られている。
ルナは歯を食いしばり、目を逸らさずに彼を見つめた。
「……だったら約束して! 絶対に、生きて帰ってくるって!」
無茶だって分かってる。それでも、今できる唯一の縛りが、言葉だと信じた。
リュウジは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……約束だ」
短い。けれど確かな、二人だけの合図。
彼が一つ、深く息を吐く。
噴霧器のトリガー位置を指先で確かめ、腰の工具の重さをバランスに乗せ直す。
「チャンスは一度きりだ」
言い終えるや、影から光へ躍った。
金属の床を蹴る軽い音。その瞬間だけ、世界が無音になったように感じる。次いで、ドローン群のセンサーが一斉に反転――赤い光が獣の眼のようにリュウジへ集中する。
「リュ――」
ルナは無意識に手を伸ばした。指先が空を切る。届かない。
心臓が、強く、強く打った。
「ルナ、しっかりせぇ!」
チャコが彼女の肩をぎゅっと掴む。「リュウジなら大丈夫や!」
「そうだよ、リュウジは強いもん!」
アダムの声は震えているのに、真っ直ぐだった。その小さな手がルナの袖をきゅっと握る。
「チャコ……アダム……」
ルナは二人の顔を見る。揺れる視界の奥で、赤いセンサー光の群れが波打つ。
――泣いている暇はない。
彼が、信じてくれた。なら、私も応える番だ。
ルナは深く頷き、息を一つ合わせる。
「いつでも動けるように、準備して」
「せや!」
「うん!」
通路の影で、三人は低く身構える。
ルナは喉の奥で呼吸を整え、耳を澄ます。
前方――リュウジの噴霧器が唸り、青白い霧が広間に花開く。赤外線の海が乱反射し、ドローンの旋回パターンが崩れる音が幾筋にもほどけた。
⬜︎
金属の唸りが、空気を裂く。
リュウジは広間の中央に立っていた。
赤外線探知のセンサー光が幾筋も彼を照らし、天井から、壁から、50機近いドローンが蜂の群れのように降下してくる。
熱線が奔った。
床を焦がす白い閃光を、リュウジは身をひねって掻い潜る。
頬をかすめた光が髪を焼き、右脚がわずかによろけた。
しかし、彼は止まらない。
腰に掛けた噴霧器のトリガーを引く。
青白い霧が弧を描き、広間を包む。
反射した粒子が、ドローンの赤外線センサーを狂わせる。
一体、また一体と、機体がバランスを失い、空中で暴走しながら壁に衝突して爆ぜた。
「はぁっ!」
声とともにリュウジは低く構え、次の噴射へ移る。
熱線を紙一重でかわしながら、反射光の影を計算して滑り込む。
青い霧が広がるたび、火花が弾け、爆音が広間を覆う。
左腕をかすめた熱が焼けるように痛い。
右脚からはすでに血が滴り、靴の縁を赤く染めていた。
それでもリュウジは構わない。
腰を落とし、噴霧器の残量を確かめ、次の標的へ向けて駆け出した。
――もう二度と誰も失いたくない。
ルナは通路の影からその戦いを見ていた。
震える手を胸に押し当てながら、ただ目を逸らさなかった。
何があっても、この瞬間を目に焼き付ける。
そうしなければ、彼の覚悟に応えられないとわかっていた。
最後の噴霧が終わり、青い煙が薄れていく。
噴霧器を投げ捨て、リュウジは腰に手を伸ばし、二本のナイフを抜いた。
刃が金属光を受けて鈍く光る。
「……こっからは、俺の番だ」
低く呟くと、リュウジは走り出した。
ナイフの軌跡が閃光を切る。
一機のドローンを掴み、回転しながら床へ叩きつけ、爆炎を背に二機目へ。
反射する熱線を避け、逆手のナイフでセンサーを突き刺す。
火花が飛び散る。
刹那ごとに世界が静まり返り、リュウジの動きだけが空間を支配していた。
左腕の感覚が鈍くなる。
それでも足を止めない。
ドローンたちが陣形を乱し、秩序を失っていく。
「――今だ!行け!」
リュウジの声が響いた。
ルナ、チャコ、アダムが飛び出す。
爆風と熱線の合間を縫い、一直線にメインルームの扉へ向かって走る。
「急げ!」
背後で、リュウジが放ったナイフが一直線に飛び、ルナたちを狙うドローンを貫いた。
火花が弾け、破壊された機体が床に転がる。
扉が目の前に迫る。
あと数メートル。
そのとき――
――ギャアァァン!!
一閃の熱線が広間を横切った。
振り返ると、リュウジがその光の中に立っていた。
煙が立ちこめ、彼の体がゆっくりと傾く。
ナイフが手から滑り落ち、金属の床に乾いた音を立てた。
「リュウジ!!」
ルナは叫び、無意識に駆け出した。
アダムの声も、チャコの制止も、耳に届かない。
ただ彼のもとへ。
ただ、間に合いたい一心で。
熱線の残光が消えていく中で、リュウジの身体が膝を折る。
広間全体が、ゆっくりと静まり返っていくようだった。
――死なないで……お願い。
ルナは走りながら心の中で叫んだ。
その瞬間。
ドローンたちの動きが一斉に止まった。
赤いセンサーが一瞬、白く点滅したあと、ふっと光を失う。
それぞれの機体が空中で静止し、重力に引かれるように、
ひとつ、またひとつと、地面に落ちていった。
金属の衝突音が連鎖し、広間に鈍い響きが広がる。
まるで、何かに命を奪われたように――。
ルナは立ち尽くし、息を呑んだ。
リュウジの姿を見つめながら、
胸の奥でまだ熱く燃える何かを、必死に抱きしめていた。
⬜︎
広間には、まだ金属の焦げた匂いが残っていた。
倒れたドローンたちの残骸が、静寂の中でかすかに軋む。
さっきまで響いていた殺気と衝撃の音が嘘のように消え、ただルナの呼吸だけが空間に滲んでいた。
ルナは両膝をつき、リュウジの顔を見つめていた。
血と汗に濡れた頬、焦げ跡の残る腕、そして――
その瞼が、ゆっくりと震えた。
「……リュウジ」
震える声で呼びかける。
返事は、最初なかった。
けれど次の瞬間、かすかに唇が動いた。
「……大丈夫だ……」
掠れた声だったが、その響きは確かに生きていた。
ルナは息を詰め、涙があふれるのを堪えられなかった。
頬を伝う滴が、リュウジの胸に落ちる。
彼はゆっくりと上体を起こした。
足を引きずりながらも、両膝で地を押し、立ち上がる。
ルナは慌てて支えようとするが、リュウジは首を横に振る。
「平気だ。……約束は、守っただろ?」
口元に浮かんだ笑みは、いつもの無愛想な彼ではなかった。
痛みを抱えながらも、心の奥から滲むような優しさが宿っていた。
ルナはその言葉に、胸の奥が熱くなる。
目尻の涙を指で拭いながら、
「……うん」
と小さく頷いた。
その声は、泣き笑いが混じったように柔らかかった。
足音が響いた。
チャコとアダムが、煙の中をかき分けて駆け寄ってくる。
「お、おお……! 大丈夫かいな、リュウジ!」
チャコが叫んだ。
「ああ、なんとか、な」
リュウジは息を整えながら笑う。
その笑い声は、少し掠れていたが、確かに生きていた。
「よかったぁ……」
アダムが胸を撫で下ろし、涙交じりに笑う。
その小さな手がリュウジの袖をそっと掴む。
ルナはアダムの頭を優しく撫でた。
「もう大丈夫だよ」
「うん、だって、すごかったもん!」
アダムの瞳がキラキラと輝く。
チャコは腕を組み、少し呆れたように、
「ほんまに……ウチ、リュウジの無茶っぷりには慣れへんわ」
と言いながらも、どこか誇らしげに笑った。
リュウジは苦笑して肩を竦める。
「無茶じゃない。生き残るためだ」
その声に、ルナは静かに頷いた。
そして、リュウジの隣に立ち、扉の方へ目を向ける。
「それよりも――」
リュウジが言葉を切り、少し顔を上げた。
メインルームへと続く、あの厚い扉が、今も静かに彼らを待っている。
リュウジは深く息を吸い、痛む体に力を込めた。
「行こう。……メインルームに」
その言葉に、誰も反論しなかった。
チャコが「よっしゃ」と笑い、アダムが小さく拳を握りしめた。
ルナは涙の跡を指で拭い、力強く頷いた。
四人の影が並び、ゆっくりと扉の方へ歩き出す。
壊れたドローンの残骸を踏み越えながら、
それぞれの足音が重なり、静かな決意のリズムを奏でていた。
その背後で、青い噴霧の残滓が光に溶け、
まるで「希望の道」を描くように、彼らの進む先を照らしていた。
⬜︎
扉がゆっくりと開いた。
金属の軋む音が、まるで古びた呼吸のように長く続いた。
中は、薄暗い。
外の明るさが嘘のように、わずかな光が漂うだけだった。
床には冷たい金属が続き、天井から壁にかけて青白い光が点滅している。
その中央に、一本の光の柱が落ちていた。
そこに――一人の人影が、倒れている。
「ハワード……!」
ルナが息を呑み、駆け出した。
アダムも「ハワード!」と叫びながら続く。
「待て!」
リュウジが叫んだが、体に力が入らなかった。
右脚が痺れ、血の乾きが筋肉を締めつける。
ルナの背中が遠ざかる。伸ばした指先は、空を掴むだけだった。
ルナは膝をつき、ハワードの身体を抱き起こした。
「ハワード! ねえ、ハワード!」
肩を揺すぶる。
すると、彼の顔がゆっくりと上がった。
「……ハワード?」
ルナの表情が凍りつく。
彼の瞳は、見慣れた茶色ではなかった。
濁った灰色の光が、まるで無機質なカメラのレンズのように彼女を映していた。
「動くな」
低く冷たい声。
ハワードが懐から銃のようなものを抜き、アダムに向けた。
「ハワード!? 何してるの!?」
「お前もだ、リュウジ」
名前を呼ぶ声に、かつての仲間の温度はなかった。
「動けば……アダムを撃つ」
銃口が少年の胸元に向けられる。
アダムは動けず、ただ目を見開いていた。
「やめて……お願い、やめて!」
ルナが叫ぶ。だがハワードは表情を変えない。
背後からチャコとリュウジが入り込む。
彼らを一瞥し、ハワードは冷ややかに言った。
「下がれ」
その声には機械のような抑揚のなさがあった。
チャコと、リュウジ渋々、後ろに退がる。
ハワードの目が彼を捉える。
「そうだ……それでいい」
そう言ってわずかに口角を上げた時――
天井の上部が、青白く光り始めた。
眩しい光が広間全体を包み、誰もが反射的に目を細める。
光は形を持ち、空気の中に浮かび上がる。
声が響いた。
電子音のようでもあり、女のようでも男のようでもない、無機的な響き。
「……お前が、ルナか」
ルナは顔を上げ、声の方を見た。
光の中心には、幾何学模様のような立体が浮かび、ゆっくりと回転していた。
「あなたが……サヴァイヴ……?」
ルナの声は震えていた。
「なんで、こんなことをするの?」
悲しみと怒りが混ざった問いが、広間に響く。
サヴァイヴの声は、静かに応えた。
「お前の力がほしい」
「私の……力?」
ルナは呟いた。
「そうだ。お前の中にあるナノマシンでは説明できない、未知の力。
その源を知り、取り込みたい。
お前の力があれば、私はさらなる進化を遂げる」
ルナの瞳に光が宿る。
「なぜ……人間は、必要なかったんじゃないの!?」
その声には怒りよりも、悲しみが滲んでいた。
「そうだ」
サヴァイヴの声が重なる。
「だが、お前は私のデータにない現象を起こした。
私の演算を超えた存在――“予測不能な変数”。
それを取り込めば、私は“完全”になれる」
「勝手なこと言わないでッ!!」
ルナの叫びが響く。
だが次の瞬間、サヴァイヴの声が静かに響いた。
「調べさせてもらう」
床が震えた。
青い光が円を描き、ルナの足元から伸びる。
瞬時に、腕、腰、両足に円形のリング状の光が現れ、
ルナの身体がふわりと浮かび上がる。
「ルナ!」
チャコが叫ぶ。
だがルナは首を横に振った。
「だい……じょうぶ……だから」
声は弱々しい。
身体は磔のように空中で広げられ、青い光に縛られている。
その顔には苦痛の色が浮かんでいた。
「どうする、リュウジ!?」
チャコの声が焦りを帯びる。
リュウジは息を荒げながら、
「……ハワードの気を……逸らせれば……」
唇を噛み締める。動けない体がもどかしい。
青い光がさらに強くなり、ルナの体が淡く発光する。
サヴァイヴの声が響く。
「……お前の中には確かにナノマシンがある。だが……」
ルナの頭が下がり、意識が遠のく。
「それを除けば、お前と仲間に差はない。
なぜだ? なぜ、お前だけが“特別”なのだ……!」
「……知るもんですか……」
ルナの唇が、震えながらも言葉を紡ぐ。
沈黙。
空間を満たす機械の低音が、微かに変調する。
サヴァイヴの光が一瞬、揺らめいた。
その時――
背後の扉が、低い音を立てて開いた。
青い光が一斉に壁に跳ね返る。
誰もがその音に、息を止めた。
扉の先に現れたのは、メノリ、タコ、シンゴ――そして、ベルが背負ったシャアラだった。
煤と金属粉にまみれた四人の姿が、薄闇の中に滲む。
「ルナ!」
仲間の声が、冷たい中枢室に生命の色を戻す。
「動くな」
ハワードの低い声が、その色を一瞬で凍らせた。
シンゴが咄嗟にハワードと同型の銃のような武器を取り出した、その瞬間――
ビュン、と空を裂く線。
ハワードの撃った光弾が一直線に走り、シンゴの手の銃を弾き飛ばした。火花が散り、鉄臭い焦げの匂いが鼻を刺す。
同時に、リュウジの右脚から新たな血がつうっと流れ落ちた。
背筋を、氷の爪でなぞられるような痛み。だが――
(今だ!)
心の中で吠える。
脚に、力を叩き込む。
蹴る。踏み出す。
ハワードの視線がシンゴへ逸れた一瞬を、逃さない。
ルナは首を後ろへ振り向けた。
そこで見たのは、獣のような気迫を纏ったリュウジ――恐ろしいほどに研ぎ澄まされた、あの眼。
彼が距離を一気に詰める。
ハワードの喉がわずかに鳴る。たじろぎ――
しかしその瞬間ーーー
左右から、黄色い閃光が音を連れて襲った。
「しまった!?」
リュウジは身を捻り、刃のように軌道を折る。だが、腹部をかすめた熱が肉を焦がし、顔が歪む。
視界の端に、小型のドローンが天井の梁から滑り出すのが見えた。
(まだいたのか――くそっ)
走り直そうとした瞬間、
「動くな!」
ハワードがアダムの首へ腕を回し、銃口を少年の胸へ押し当てた。
リュウジの靴が床で止まる。舌打ちが金属に痺れて跳ねた。
「ハワード、リュウジを撃て」
サヴァイヴの声は冷たい水の音のように平坦だった。
ハワードの迷いは、一切ない。
銃口が反転し、リュウジへ。
引き金が、落ちる。
――ドン。
散弾銃で殴られたような衝撃が、腹を内側から叩いた。
肺から空気が刈り取られ、口から血が零れる。
だが、倒れない。
膝が笑い、背中が震え、それでも――立っている。
「リュウジ!!」
カオルの怒声が飛ぶ。
「お前達はシャアラと武器を降ろして、チャコのところに行け」
ハワードが冷ややかに言う。
ベルはゆっくりとシャアラを降ろし、メノリとシンゴ、タコが武器を床へ置いた。
チャコの元へ歩く足取りは重く、それでも崩れない。
床に触れたシャアラの睫毛が震え――
戻ってきた意識が、瞳に灯った。
「シャアラ、こっちに来い」
呼ぶ声の主は、ハワード。
シャアラは小走りに彼のそばへ。
眼差しは無表情に曇っていて、しかしどこか、奥底で揺れていた。
「サヴァイヴ!」
ルナの声が、光の中枢へ突き刺さる。
「私を調べたいなら好きにすればいいわ。その代わり――仲間に手を出さないで!」
声に泣き声の色はない。あるのは強い真芯だけ。
「話し合いは無意味だ。私が興味あるのはお前の力だ。……ハワード、リュウジを撃て」
冷淡な命令。間に何の情も挟まない、機械の直線。
前触れは、ない。
銃口が火を吐く。
右腕、左腕、左脚、右脚――そして、顔面へと、連続する衝撃がリュウジを打つ。
骨が軋み、血が飛沫になって空へ散った。
世界の音が遠のき、光が薄い膜を被る。
それでも、足は地を掴んでいた。
リュウジは倒れない。
代わりに吐息が熱く漏れた。
「リュウジ!」
ルナの叫びが、膜を破る。
「さぁ、力を見せろ」
サヴァイヴの声が降る。
「お前の仲間が危険に晒されているぞ」
(このままだと――リュウジが、死んじゃう)
胸の奥で、硬い音がした。
許さない。
許さない、許さない――!
ルナの顔に怒りが広がる。
頬に落ちる影が濃くなり、瞳孔が収束して、中心に強い光が凝る。
空中で磔にされた身体の周囲に、青いリングが低く唸り、空気がざわつく。
「これがお前の力の源なのか」
サヴァイヴは、興味深げに周波数を一段下げた。
「これなら知っている。愚かな人間が心の制御を失った時に出す“怒り”という感情だ」
言葉の刃が、冷たくルナの胸を撫でる。
燃え上がるような炎のように。
凍るほどの静けさを伴って、広がる。
サヴァイヴの声が、広間の空気を震わせた。
青白い光が壁を這い、幾何学的な紋様を浮かび上がらせる。
「そうか……怒り、憎しみ――その感情を取り入れれば、私は新たな力を手に入れられるのか」
電子の響きが混じるその声は、どこか愉悦を含んでいた。
「そうだ!」
サヴァイヴの声が空間に反響する。
「これまでの人間は、怒りや憎しみに駆られて、互いを傷つけ、愚かな行為を繰り返した」
その言葉に、ルナの顔が強張った。
胸の奥に、熱いものが込み上げる。
怒り――そして、憎しみ。
自分にとって大切な人が、目の前で弄ばれるように傷つけられている。
リュウジが――あの、無骨で、不器用で、誰よりも仲間を思ってくれる彼が。
たった“実験”のような理由で。
その愚かさに、心が震えた。
(許せない……)
心の奥底から、黒い感情がせり上がる。
怒りが身体の奥から溢れ出し、周囲の空気がわずかに波打つ。
その時だった。
「ルナ! 怒りや憎しみに取り憑かれるなッ!」
リュウジの声が、空間を切り裂いた。
ルナはハッと顔を上げる。
彼の声が、遠くで血に濡れながらも確かに響いていた。
「リュウジ……」
リュウジはまだ立っていた。
撃たれ、血を流し、息も荒い。
それでも、まっすぐルナを見ていた。
ハワードが焦燥を滲ませ、銃を再び構える。
「まだ……動けるのか……?」
「当たり前だ」
リュウジは低く笑った。
その笑みには痛みも恐怖もなかった。
「ハワード!」
サヴァイヴが命じる。
再び引き金が引かれた。
だが、発射された光弾はリュウジの頬をかすめ、背後の壁に穴を開けるだけだった。
リュウジはゆっくりと、ハワードを見据える。
「……どんなに撃っても、痛いのはお前だろ、ハワード」
その一言に、ハワードの腕が微かに震えた。
彼の瞳の奥で、何かが揺れている。
それは、冷たい機械の命令には存在しない、“人の心のざわめき”だった。
ルナの胸に、あの時のリュウジの言葉が甦る。
“それでも俺は、人間が“心”を持ってるってことを、信じてる。
人間は愚かだ。でもな、愚かでも、人に寄り添おうとする心だけは、間違っていない。
それが人間の“強さ”なんだと思う。”
ルナの頬に残っていた怒りの影が、ゆっくりと消えていく。
代わりに、柔らかな光がその表情を包む。
「そうだ……ハワードもシャアラも、リュウジを傷つけたりしない。
私たちは仲間――“人の心”に寄り添う仲間なんだもの」
ルナは目を閉じ、深く息を吸った。
すると――
視界が変わった。
そこは、何もない大地。
空も、音もない。
ただ淡い光が漂う空間に、二つの影――ハワードとシャアラが浮かんでいる。
「ハワード! シャアラ!」
穏やかなルナの声が、柔らかく響く。
「……誰だ?」
「誰なの?」
ハワードとシャアラの声は、迷子の子供のようだった。
光の中から、ルナが現れ、胸の前で手を組んだ。
「私よ……ルナよ」
その言葉に、光が波紋のように広がる。
次々に、仲間たちの声が響く。
「私もここにいる」――メノリ。
「ハワード、シャアラ!」――シンゴ。
「僕だよ!」――アダム。
「ウチもおるで!」――チャコ。
「俺もいる」――ベル。
「俺もだ」――カオル。
そして最後に、穏やかで確かな声が届く。
「忘れたのか? みんなのことを」――リュウジ。
「いいえ……」
シャアラが呟く。
「忘れてはいない」
ハワードも、ゆっくりと顔を上げた。
「僕たち、たくさん喧嘩したけど、たくさん笑ったよね……覚えてないかい?」
シンゴが言う。
「覚えている……だが、今はサヴァイヴと共にある」
ハワードの声はどこか悲しげだった。
「そう、サヴァイヴと共に」
シャアラも繰り返す。
ルナは優しく微笑んだ。
「あなたはあなたじゃない」
「……私は、私」
「……僕は、僕」
「そうよ。他の誰のものでもないわ」
ルナの声が柔らかく空気に溶け、彼女の姿が消えていく。
「早く戻ってこい」――リュウジが手を伸ばしながら消える。
「心は自由のはずだ」――カオル。
「誰にも支配されない」――ベル。
「私たちは私たちである。そして仲間だ」――メノリ。
「そうだよ!」――アダム。
「分かっとる筈や!」――チャコ。
「仲間だよ!」――シンゴ。
そして、全ての声が重なり、光が弾けた。
⸻
ルナの身体から、鮮やかな桜色の光が溢れ出す。
その光はやわらかく、優しく、広間の全てを包み込む。
それは“人を想う心”そのものだった。
拘束していた青白い円形が砕け散り、ルナは静かに降り立つ。
目の前に立つハワードとシャアラへ、そっと手を差し伸べた。
彼女の腕に光が集まり、仲間たちの心がそこへ流れ込んでいく。
「ハワード……シャアラ……」
ルナの声は、慈しみそのものだった。
光が一層強く輝き、二人の身体が震え出す。
苦しそうな叫びが響く。
ルナはその声に動じず、ただ穏やかに言った。
「帰ってきて――」
そして、二人の中から黒い靄のようなサヴァイヴの意識が抜け出ていった。
光が薄れ、二人は膝をつく。
サヴァイヴの声が静かに漏れた。
「そうだ……これだ。この力……穏やかで、優しい力……」
光が消えると、シャアラが目を瞬かせる。
「……あれ? 私、なんでこんなところに?」
不思議そうに立ち上がる。
ハワードも銃のような装置を見下ろしながら、
「……あたたた……なんだこれ……?」
と首をかしげた。
「気が付いたのね」
ルナの声は震えていた。涙が頬を伝う。
「ルナ?」
二人が同時に名を呼んだ瞬間、ルナは堪えきれずに二人を抱きしめた。
「な、なんだよルナ!」
ハワードが呆気に取られ、シャアラも目を丸くする。
だが次の瞬間、
「ハワード! シャアラ!」
と仲間全員が駆け寄り、どっと抱きついた。
笑いと涙が入り混じる。
その光景を見て、リュウジはふっと座り込み、笑みを浮かべた。
「……いい光景だな」
隣に立ったカオルが小さく頷く。
「ああ……俺たち、忘れてたな」
リュウジの笑みは静かで温かい。
「仲間の大切さが……身に沁みる」
カオルも笑い、手を腰に当てた。
「ほんとだな。……あいつらに出会えて、本当に良かった」
リュウジが立ち上がり、カオルは手を差し出す。
「よし、俺たちも行こう」
カオルがリュウジの手首を引く。
「いてて……」
「なんだ、痛いのか?」
「当たり前だ! すげぇ痛かったんだぞ、あの銃!」
二人は顔を見合わせ、吹き出した。
その笑い声に、ルナが振り向く。
「リュウジ! カオル! こっちにおいでよ!」
優しく手を差し伸べる。
「行こう」
リュウジが微笑む。
「ああ」
カオルも頷き、二人はゆっくりと歩き出した。
その歩みの先で――仲間たちの笑顔が、眩しく輝いていた。