さっきまでの戦闘の痕跡が信じられないほど、空気が柔らかい。
ルナは仲間に囲まれながら微笑み、リュウジは少し離れた場所で、足を引きずりながら歩いていた。
衣服は破れ、血で固まった袖口が腕に貼りついている。
それでも彼の目には、もう闘志ではなく、静かな安堵が宿っていた。
「おい……どうしたんだよ、リュウジ!」
ハワードが振り向き、驚いたように声を上げた。
「そんなボロボロで、よく立ってられるな!」
リュウジは口元をかすかに緩める。
「大したことはない」
その穏やかな声に、ハワードは一瞬言葉を失ったが、すぐに肩を竦め、冗談を飛ばす。
「まったく……僕はリュウジの戦闘能力だけは認めてたんだけどな。今のリュウジなら、僕でも勝てそうだ」
ハワードが笑うと、周囲の空気がふっと緩む。
だが――
リュウジの足が止まった。
額にピキッと小さな怒りが浮かぶ。
「……ハワード」
「な、なんだよ?」
「今は……」
ルナが呆れたように、しかしどこか同情の色を含んだ目で言う。
「まったく懲りないやつだ」
メノリが額に手を当て、ため息をついた。
「ほんとハワードって、余計なこと言うよね」
シンゴが笑いながら肩を竦める。
「ま、自業自得やな!」
チャコが尻尾をぱたぱた揺らしながら言う。
「ハワードらしいけどね」
ベルが小さく笑う。
「どんまい」
アダムが小さく手を振ってハワードに言う。
「なんだなんだ? お前らして僕をいじめる気か?」
ハワードが振り返ったその瞬間――
彼の目の前に、無言のリュウジが立っていた。
「……な、なに、怒ってるんだよ?」
ハワードの声が裏返る。
リュウジはゆっくりと息を吸い、静かに言った。
「殴らせろ」
「な、なんでだよ!?」
「サヴァイヴに操られてたとはいえ、散々痛ぶってくれたよな?」
声は低く、淡々としているのに、背筋が寒くなるほどの圧がある。
「な、何のことだよ……?」
ハワードが一歩下がると、カオルがニヤリと笑って言った。
「そこの銃でリュウジを撃ったんだよ。お前は」
「え? えええええ!?」
ハワードの顔が引きつる。
「し、仕方ないだろ! 操られてたんだから!」
「知らん」
リュウジの返答は一言。短いのに重い。
「お、お前に殴られたら死んじゃうだろ!!」
「手加減してやる」
リュウジの口元が少しだけ笑った。
その笑みがかえって怖い。
ハワードの顔から血の気が引いていく。
「やなこったぁ!!」
と叫び、踵を返して走り出した。
「待て! こら!!」
リュウジが片足を引きずりながらも全力で追う。
その後ろ姿に、皆の笑いが弾けた。
「まったく……あの二人、どっちも子どもなんだな」
メノリが呆れたように笑い、
「でも、いいね。こういう空気、久しぶり」
ルナが目を細めた。
チャコがにやりと笑う。
「ウチはこの感じ、嫌いやないで」
「ねぇ、なんか安心するね」
アダムが笑顔で頷いた。
その時だった――
――ゴゴゴゴゴッ。
メインルーム全体が低く唸りを上げた。
床が震え、壁の継ぎ目から粉塵がぱらぱらと落ちる。
ドローンの残骸が転がり、金属音が鳴り響いた。
「……今の、何?」
メノリが顔を上げる。
ルナが周囲を見渡した。
「地震……!? この惑星で……?」
リュウジとハワードが同時に足を止め、互いを見た。
リュウジの表情が一瞬で引き締まる。
「嫌な予感がする……」
その言葉の直後、天井の一部が軋み、
暗闇の奥から――不気味な低音が、じわりと近づいてきた。
⬜︎
長い揺れが、ゆっくりと静まっていく。
床の振動が消え、金属の軋み音だけが名残のように響いていた。
「……おさまったか」
カオルが息を吐き、周囲を見渡す。
「みんな、大丈夫?」
ベルが声をかける。
「大丈夫!」
「問題ない!」
仲間たちの返事が次々と重なり、安堵の息が漏れた。
その時――
「みて、あれ!」
シャアラが指差す。
空中に浮かぶモニターが、淡い光を帯びて起動していた。
そこに映っていたのは、黒煙を上げて燃える森。
倒壊したテラフォーミングマシンの残骸が、地面を裂いて横たわっている。
火花と炎、崩れ落ちる樹々――まるでこの惑星そのものが悲鳴を上げているようだった。
「この惑星で……いったい、何が起こってるの!?」
ルナの声が震える。
その問いに答えるように、天井から低く響く電子音が室内に広がった。
「通常の地殻変動とは異なる活動が活発化している」
サヴァイヴの声だった。
「“異なる”とは、どういうことだ!」
メノリが鋭く問い詰める。
「このままでは、この惑星の生態系は――崩壊してしまう」
その言葉に、空気が一瞬止まる。
「崩壊……!?」
皆の声が重なった。
チャコが一歩前に出る。
「対処プログラムがインプットされとるんやないのか?」
「いくつかの対処プログラムは存在する。しかし想定を超える異変が発生している。この事態は、私の能力を大きく超えている」
その答えに、全員の顔色が変わった。
サヴァイヴの“限界”――それは、彼らが今まで信じていた絶対の秩序が崩れることを意味していた。
「じゃあ……これから、どうなっちゃうの?」
シンゴの小さな声が震える。
「このような大きな変動に対応するには、私のパワーを増大するしかない」
サヴァイヴの声が再び響く。
「だからルナを取り込むって言ったのか!」
リュウジが叫んだ。
「そうだ。私はこの事態を脱するには、ルナの力が必要だと判断した」
「自分でなんとかしろ!」
ハワードが即座に言い返す。
「お前は今まで、人間なんて“不要”だって言ってたじゃないか!」
「私はこの惑星の自然を回復させ、維持する責務がある」
サヴァイヴの声は、淡々としていた。
「これまで人間を攻撃してきたくせに……! 今度は自分のために利用するってわけか!?」
メノリの怒りが爆発する。
「このような事態に対処するには――ルナ、お前の持つ力に活路を見出すしかない」
「……私の?」
ルナはわずかに身を引いた。
「勝手なこと言うな!」
リュウジの声が重く響く。
「だが、このままでは何の解決策も見出せない」
サヴァイヴは少しだけ間をおき、まるで思考しているように沈黙した。
そして――
「はーん、やっぱり所詮“機械”だな」
ハワードがニヤリと笑う。
「人間にインプットしてもらわないと、何にもできやしない」
その一言に、室内の空気がピリッと緊張した。
「その言い方……気に入りませんね!」
タコがハワードを睨む。
「せや! 所詮“機械”ってどういうことやねん! サヴァイヴはんかて、この惑星を守ろうとして頑張っとったんや!」
チャコも声を張り上げた。
「そんなの……僕たちに関係ないだろ!」
ハワードが言い返す。
床の振動が止まり、静寂が訪れた。
まだ壁の一部がきしむ音を立てているが、揺れは完全に収まっている。
「……とにかく、この惑星が危険だと言うなら、一刻も早く脱出するべきだ」
メノリの冷静な声が響いた。
その声には、理性の奥に焦りが滲んでいる。
「うん……やっとここまで来られたんだもんね」
シャアラがかすかに微笑んだが、その表情には疲れが残っていた。
「でも……このままだと、この惑星が……」
ルナが心配そうに呟く。
彼女の視線は、崩れたモニターに映る燃える森に向いていた。
「私たちにはどうすることもできない」
メノリがルナの言葉を遮るように言った。
現実を見据えた声――けれど、どこか痛みを含んでいる。
「さっさと脱出しないと全滅だぜ!」
ハワードのその顔は真剣そのものだった。
「だけど、すぐには無理だよ。宇宙船の機能が問題ないか、ちゃんと調べないと」
シンゴがハワードに困ったように声をかける。
「じゃあ、さっさと調べようぜ!」
ハワードが勢いよく立ち上がり、シンゴと共に扉へ駆け出した。
「私も行こう!」
メノリも焦って後を追う。
だが――扉が開いた瞬間。
シュオォォォォ……!
重い空気が流れ込み、そこから無数のドローンが浮上してきた。
黒い機体が光を反射し、ゆっくりとハワードたちの方へ旋回する。
「う、うわっ!?」
ハワードの足元に、熱線が放たれた。
床の一部が焼け焦げ、橙色の光が弾ける。
「た、助けてぇぇぇぇぇ!!」
ハワードが悲鳴を上げ、後ろへ転がる。
シンゴとメノリも慌てて皆のもとへ駆け戻る。
ドローンたちは、まるで生き物のように群れを成し、
仲間を取り囲むように円を描いて静止した。
銃口を構えたまま、誰も動けない。
「お前たちを――ここから出すわけにはいかない」
サヴァイヴの声が、天井から低く響いた。
「やめて!!」
ルナが叫ぶ。
その声は悲鳴ではなく、必死の訴えだった。
「この惑星を守るには――お前たち全員の力が必要だ」
サヴァイヴの言葉に、全員が息を呑んだ。
「だったら、こんなことはしないで!」
ルナが叫ぶ。
「だいたい“守る”って言ったって、何をしていいか分からないんだろ!」
シンゴが声を張り上げる。
「せやな……まずはこの惑星で何が起こっとるのか調べんと、動きようがあらへんやないか」
チャコの言葉に、ルナがハッと顔を上げた。
「……調べさせて!」
「ん?」
サヴァイヴの声が一瞬止まる。
「私たちも、この惑星で何が起きているのか知りたい。だから調べてみる! その代わり――もう攻撃はしないって、約束して!」
サヴァイヴは沈黙した。
モニターの光がわずかに明滅する。
「すでに全てのデータを調べた。だが答えは出なかった。お前たちがこれ以上調べても、新しい答えが出るはずがない」
「そんなことない!」
シンゴが前に出た。
「一見、関係ないことでも、人間には“結びつける思考”があるんだ!」
「そうだ。人間には“想像力”ってものがある」
ハワードが自分の頭を指でつつきながら言った。
「その想像力がある限り、何かを“見つけ出す”可能性がある!」
「このまま私たちを閉じ込めていても、何も変わらないわ」
ルナが静かに言う。
その声は優しく、けれど芯が強い。
「人間の想像力の可能性に、賭けてみた方がいいと思うが?」
メノリが叫びながらもサヴァイヴを睨んだ。
しばしの沈黙。
モニターの光がわずかに揺らめき、天井のパネルが青白く光る。
そして――
ドローンたちはゆっくりと銃口を球体に戻した。
無音のまま、隊列を組み、メインルームから離脱していく。
その場に残されたのは、疲労と緊張と、ほのかな希望だけだった。
ルナたちは一斉に息を吐いた。
その瞬間、再びサヴァイヴの声が響く。
「……ただし、不審な行動を取れば、即座に“処分”する」
重い沈黙が落ちる。
ルナはゆっくりと頷いた。
「……分かったわ」
彼女の声は静かだったが、その瞳には迷いのない光が宿っていた。
緊張の余韻がまだ漂うメインルームで、チャコが口を開いた。
「そしたら、データの分析班とフィールド調査班、二手に分かれた方がええと思うわ」
その提案に皆が頷く。
「そうね……フィールド調査の方は、まずは一番近い“メイン・テラフォーミングマシン”に行ってみましょう」
ルナが静かに言う。
「火口に降りる調査口もあります」
タコが手を上げながら言う。
ルナは一瞬、黙り込む。
何かを考えるように目を伏せ――小さく呟いた。
「その前に……」
そして、顔を上げる。
「サヴァイヴ!」
呼びかける声は穏やかだが、強い意志を感じさせた。
「この宇宙船に、医療設備はないの?」
「医療設備?」
ハワードが首を傾げた。
「どこか怪我でもしたのか?」
ルナは首を横に振る。
「私じゃないわ」
その視線が、静かにリュウジを向いた。
彼の身体はすでに限界に近かった。
ドローンとの戦闘で受けた傷、ハワードの銃撃……。
それでも、彼は最後まで仲間を守ろうとして立ち続けた。
ルナの胸が痛んだ。
(命がいくつあっても足りない……)
「メインルームを抜けた先に“メディカルマシーン”がある」
サヴァイヴが答える。
「ありがとう」
ルナは小さく息を吐き、リュウジのもとへ歩み寄った。
「リュウジ、治療を受けて」
心配そうに声をかける。
リュウジは、苦しそうに呟く。
「……ああ、そうさせてもらう」
そう言って歩き出した瞬間――彼の身体がぐらりと傾いた。
「危ない!」
ルナがすぐに駆け寄り、彼を受け止める。
リュウジは息を荒くしながら、かすかに口元が緩む。
「悪い……」
「動かないで」
ルナはそのまま、リュウジの腕を自分の肩に回した。
温もりが伝わる。
リュウジの体温は高く、息は熱を帯びていた。
彼の重みを感じながら、ルナは改めて思う。
――この人を失いたくない。
「私とチャコでリュウジを連れていくわ。
他のみんなは先に準備してて」
「分かった!」
メノリが力強く頷いた。
ルナは微笑み、リュウジの体を支えながら歩き出した。
チャコが横を歩き、しっぽを揺らしながらつぶやく。
「ほんま、無茶ばっかしよるわ……でも、ウチはリュウジはんのそういうとこ、嫌いやないで」
ルナは少しだけ笑って答えた。
「私も、そう思う」
二人と一人――静かな足音が、金属の通路に響く。
その先には白い光が満ちた部屋。
医療装置の低い電子音が、かすかに鳴り続けていた。
⬜︎
通路の先に、白く淡い光が広がっていた。
そこは、メインルームの重苦しい空気とはまるで違う――
静寂と清潔さに包まれた空間だった。
床に埋め込まれたライトが柔らかく光り、中央には銀色のカプセル状の装置。
それが、サヴァイヴが言っていた「メディカルマシーン」だった。
「ここが……」
ルナが呟く。
リュウジの体重が肩にずしりと乗り、息づかいが耳元に伝わる。
その鼓動は不規則で、どこか焦燥を帯びていた。
「もう少し……我慢してね」
ルナは支えながら声をかける。
「……悪いな。こんなときにまで、世話をかける」
リュウジが息を吐くように笑った。
「いいの。私がしたいからしてるの」
ルナはそう言って、優しく微笑んだ。
その笑みには、どこか強がりのような儚さがあった。
「使い方、分かる?」
ルナがチャコに視線を向ける。
「ちょっと調べてみるわ」
チャコは端末のパネルを開き、数回タッチした。
すると、部屋の上部に青い光が点り、サヴァイヴの声が響く。
「上着を脱がせて、そのカプセルに座らせればいい」
「分かった」
リュウジは小さく頷き、重い動きで上着に手をかけた。
布がこすれる音とともに、彼の上半身が露わになる。
鍛え抜かれたはずの身体。
だが今は違った。
ドローンの熱線で焼かれた傷、ハワードに撃たれた箇所――
その全てが青黒く変色し、痛々しく浮かび上がっていた。
ルナの表情に、悲しみの色が広がる。
その視線に気づいたリュウジは、小さく呟いた。
「……見ていて気持ちのいいもんじゃないだろ」
その声はどこか照れくさく、そして弱々しかった。
ルナは首を横に振る。
「そんなことない。……リュウジが、生きていてくれた。それだけで十分」
リュウジはかすかに笑い、カプセルの縁に手をかけた。
だが、その指は震えている。
ルナが慌てて手を添えた。
「一人で入ろうとしないで」
彼女の掌が、リュウジの手の甲に重なる。
冷たくなった彼の指先に、ルナの温もりがゆっくりと染みていった。
リュウジはルナを見上げる。
その瞳は、これまでの戦いで見せてきた冷静さを失い――
代わりに、穏やかで優しい光が宿っていた。
「……ルナ」
「なに?」
「お前が、ここまで俺を引っ張ってくれた。
たぶん俺一人だったら……途中で折れてたと思う」
その言葉に、ルナの胸が強く締めつけられる。
彼が見せる“弱さ”が、逆に心を揺さぶった。
「そんなことないよ。
リュウジは……いつだって前を見てた。
私の方が何度も救われたんだから」
ルナは小さく笑い、そして静かに言った。
「だから、今度は私が支える番」
リュウジの表情が、ほんの少しだけ柔らいだ。
「……頼もしいな」
そのまま、彼はゆっくりとカプセルの中に腰を下ろした。
瞬間、自動制御が作動し、透明な蓋が滑るように閉じていく。
「うわっ……勝手に閉まったで」
チャコが驚いて一歩下がる。
次の瞬間、カプセル内部に小さな吸引音が響き、
リュウジの鼻と口を包むように透明のマスクが装着された。
続いて、カプセルの底から淡い光の粒を含んだ液体が満ちていく。
その光景はまるで、静かな海の中に沈んでいくようだった。
「培養液みたいやな……」
チャコが小声でつぶやく。
「培養液?」
ルナが首を傾げた。
サヴァイヴの声が上部スピーカーから響く。
「特殊な培養液だ。体の各種タンパク質を刺激し、細胞分裂を急速に促す。
それにより、肉体を自己修復させる。――人間で言う“眠りと再生”の状態だ」
ルナは息を呑み、液体がリュウジの胸、肩、そして首元まで満ちていくのを見つめた。
透明な液体の中で、リュウジの瞼が重そうに開いている。
「……ルナ」
泡の向こうから、かすかに声が響いた。
ルナはカプセルに手を当てる。
「ゆっくり休んでね」
リュウジの瞳が、わずかに笑ったように見えた。
そして、静かにその瞼が閉じられた。
カプセル内の液体が穏やかに波打ち、
緑がかった光がリュウジの身体を包み込む。
チャコがモニターを見ながら小さく呟く。
「心拍、安定……ええ感じや」
ルナは目を閉じ、手のひらをカプセルに当てたまま、
ゆっくりと息を吐いた。
――この人が、無事でありますように。
その祈りが、まるで光に溶けるように静かに広がっていった。
⬜︎
メディカルマシーンの中で、淡い緑の光が静かに脈打っている。
液面が呼吸みたいにゆらぎ、カプセルの壁に波紋を描いた。
ルナは両手を透明な蓋に添えたまま、しばらく動けなかった。
――私が、頼りないから。
心の底から浮き上がってくる声が、喉を塞ぐ。
初めて島に来た日。リュウジは私とシャアラを巨大ウツボカズラから守ってくれた。
脱獄囚に銃口を向けられた時。私達を逃すために一人で前へ出た。
嵐で海に飲まれたとき――彼は迷わず私を探し続けてくれた。
「嫌な顔一つしない」って、ああいう人のことを言うのだと、そのたび思い知らされた。
私は、いつも頼ってばかりだ。
何かあるたび、気づけば彼の背中を探してしまう。
その背中が――今、傷だらけだ。
液の向こうで、リュウジのまつ毛がわずかに震える。
眠っている。安定している。わかっているのに、胸の奥に棘のような痛みが残ったままだ。
「……ごめんね、リュウジ」
ほとんど息の音みたいな声が、透明の蓋に淡く跳ね返る。
「私がちゃんとしてれば、こんなに傷つかずにすんだのに……」
「それは違うで」
背後から、チャコの柔らかい声が落ちた。
振り向くと、彼女は腕を組み、いつもの少しだけふてぶてしい顔で立っている。けれど瞳は温かい。
「ルナが責任感じることやあらへん」
「でも……」
「“でも”やない」チャコは一歩近づいて、ルナの横に並ぶ。「リュウジは、誰かを守るために動く人や。あれは性分や。止められへんし、止めたらリュウジやなくなる」
言いながら、チャコはカプセルのモニターに目を走らせる。
心拍、呼吸、修復率――安定の青いラインが滑らかに続いていた。
「ルナ、忘れたらあかんで。ルナも、守っとる」
「……私が?」
「せや。ウチは一生忘れへん。怒りを飲み込んで、人を“帰す”力に変えた。ハワードもシャアラも、ルナが連れ戻したんや」
ルナは息を止める。喉の奥で結び目がゆっくりほどけた。
「それにな」チャコは少し笑う。「リュウジは、ルナに頼られてる時がいっちゃん強い顔しとったで。“守る相手がいる”ゆうんは、リュウジの力や。ルナが弱いんやない、二人で強くなっとるんや」
蓋に触れていたルナの指が、きゅっと力を帯びる。
液面のゆらぎが、彼女の鼓動に合わせて穏やかに揺れた気がした。
「……私、また頼っちゃうかもしれない」
「ええやん」チャコは肩をすくめる。「頼り頼られ、持ちつ持たれつや。ウチかて、リュウジに何度も助けられとる。仲間って、そういうもんやろ?」
ルナは小さく笑った。涙が一粒、指先からガラスへ落ち、すぐに透明に紛れる。
「うん……ありがとう、チャコ」
「礼はリュウジが起きてからでええ。ほな、段取りや」
チャコはきびすを返し、端末に素早く指を走らせる。
「ウチはデータ分析を進めるで!ルナは皆んなと合流や!ルナにしかできん判断もあるやろ」
「……わかった」
ルナは最後にもう一度、リュウジの顔を見つめた。
液の向こうの横顔は、戦いの最中よりもずっと穏やかで、どこか幼い。
彼の手に自分の手を重ねる代わりに、蓋の上からそっと掌を当てる。
「戻ってきて。――一緒に、守ろう」
言葉は短い。けれど、胸の底まで届く重さがあった。
ルナは深く息を吸い、踵を返す。足取りはもう迷わない。
白い光の廊下へ踏み出すと、遠くで仲間たちの声が重なり始める。
ルナはその輪の中へ向かって歩いた。
罪悪感はまだ胸の片隅にある。
でも今は――それを「責任」に変えて、前へ進めると思えた。
⬜︎
――静寂の中。
メディカルマシーンの淡い光が、呼吸のように波打っていた。
リュウジの意識は、深い霧の底を漂っていた。
痛みはない。感覚も、重さもない。ただ、微かな声だけが響いている。
『……リュウジ。』
声は、どこからともなく降りてきた。
低く、しかし不思議なほど透き通った声。
――サヴァイヴだ。
(……また、お前か。俺は治療中のはずだ)
『お前の肉体は回復の過程にある。だが、心は休まっていないようだな。』
(休む暇なんかない……)
心の中で呟く。
ルナの顔が浮かぶ。彼女の涙、震える手、そしてあの言葉。
“ごめんね、リュウジ”。
その声が耳の奥に残っていた。
『人間とは興味深い。肉体は脆弱で、感情に支配される。
だが――お前の中には、他の者にはない“強さ”がある。』
(強さ……?)
『そうだ。お前は普通の人間だ。だが、己の限界を超えてもなお、他者を守ろうとする。
なぜだ。なぜそこまで他人の痛みを背負う?』
リュウジは短く息を吐く。
液体の中で泡が弾け、それが彼の思考をひとつ上へ押し上げた。
(……背負ってるんじゃない。仲間が苦しんでるのを見て、放っておけないだけだ)
『それが“背負う”ということだ。お前は選んでいる。自ら痛みの中心に立つ道を。』
(そうかもしれないな。でも、それで誰かが笑えるなら、それでいいんだ)
『愚かだ。お前が倒れれば、誰も守れなくなるというのに。』
(分かってる。けど……俺だけは違うと思ってる。
力で支配するお前とは違って、“守りたい”と思う心が、きっと一番強い)
沈黙が落ちた。
サヴァイヴの声は、わずかにトーンを落とす。
『守りたい心、か……。人間は理解できない生物だ。
力を欲し、破壊を繰り返しながら、なお他者のために立ち上がる。
それは――不合理だ。』
(不合理でもいいさ。人間なんてそんなもんだ。
理屈じゃなくて、心で動くんだ。ルナがそうだったように)
ルナの笑顔が、光の中に浮かんだ。
必死で誰かを助けようとするあの姿。
それを見るたび、自分は立ち上がれた。
(あいつは、俺よりずっと強い。優しいってことは、弱いんじゃない。
人を信じ続ける強さなんだ。俺はそれに、何度も救われた)
『……お前のような存在は、計算の外だ。
私には理解できない“強さ”だ。』
(理解しようとしなくていい。感じるんだよ)
『感じる……?』
(お前にもできるだろ。もし本当にこの惑星を守りたいなら、
支配じゃなく、“寄り添う”ことを覚えろ。)
再び沈黙。
サヴァイヴの声は、どこか迷いを孕んでいた。
『……リュウジ、人間の“心”とは、そんなにも強いものなのか。』
(ああ。壊れそうなくらい脆いけど、最後には誰かを救う力になる)
『理解は……できない。だが、お前の中にそれを感じる。
お前の“心の波動”が、私の回線に影響している。奇妙な現象だ』
(それが“想い”ってやつだ)
『想い……』
(そうだ。お前がこの星を守りたいと思うなら、俺たちも同じだ。
誰かを守りたいって気持ちは、人も機械も関係ない)
しばしの静寂。
液体の中に微かな光の粒が舞い、
それがまるで、心臓の鼓動のように規則的に灯った。
『……お前の心は、私には眩しすぎる。
リュウジ。私はお前の“想い”を観測する。
――それが、人間という存在を知るための第一歩かもしれない』
(勝手にしろ。ただし、覗くだけじゃなくて“感じろ”。それが答えだ)
その言葉を最後に、リュウジの意識はゆっくりと沈んでいった。
緑の光が穏やかに広がり、
メディカルマシーンの内部に、まるで心臓の鼓動のような規則正しい響きが満ちていく。
⬜︎
メディカルマシーンの内部で、微かな機械音が響いた。
淡い緑光がゆっくりと消えていき、透明な液体がカプセルの底へと吸い込まれていく。
低い「プシュー」という音と共に、重厚な蓋が横にスライドした。
リュウジのまぶたがゆっくりと開く。
機械の光が反射し、視界に白い靄が広がった。
――治療開始から、ちょうど一時間。
「……思ったより早かったな」
小さく息を吐きながら、彼はカプセルの縁に手をかけて身を起こす。
身体を支える腕に力を込めると、鈍い痛みが走る……が、すぐに引いていった。
リュウジは両手を開き、指を曲げ、握りしめ、もう一度開いた。
筋肉の反応を確かめながら、ふっと笑みを漏らす。
「……こんな感覚は久しぶりだ」
腕を軽く回し、深呼吸をする。
胸の奥まで酸素が満ち、肺の動きさえ滑らかだ。
傷は完全に癒えていた。
睡魔と軽い倦怠感は残るが――身体全体が、空を飛ぶように軽い。
まるで長い戦いの疲れが、全て洗い流されたような感覚だった。
「さて、行くか……」
カプセルの横に置かれていた上着を取り上げ、リュウジはゆっくりと袖を通す。
冷たい布地が腕を包み、再び現実の感触を取り戻していく。
メディカルルームを後にし、廊下を進むと、機械音と電子の唸りが低く響く。
その先――宇宙船の心臓部。
そこにチャコの姿があった。
複数のモニターが壁一面に並び、薄暗い室内で、青白い光がチャコの輪郭を照らしている。
尻尾を忙しなく揺らしながら、彼女は端末を操作していた。
「何か分かったか?」
背後から声をかけると、チャコがぴくっと振り向いた。
「おわっ、びっくりした!……って、もう治ったんか!?」
「ああ、少し眠いが、万全だ」
リュウジは肩を軽く回してみせる。
「そら良かったわ。リュウジが動けるだけで、みんなの士気が違うさかいな」
チャコは安堵の息を漏らし、またモニターへ向き直る。
「それで?」
「うん……気になるデータがあんねん」
チャコの声が少し低くなる。
リュウジも隣に立ち、モニターを覗き込む。
映し出されたのは惑星全体の環境データ――気温、火山活動、日照変動、磁気の異常値。
それぞれの波形が、短いスパンで激しく揺れていた。
「火山活動の変化、日照時間の変化、惑星規模の気温の変化……
それらを総合的に見ると、地殻と気候の変動がここ最近で急激に増えてきとるんや」
チャコは真剣な表情で言う。
「サヴァイヴの計算でも追い切れてないのか?」
「そうや。……この異変は、サヴァイヴの予測外みたいや」
チャコの声に、わずかな緊張が混じった。
リュウジは腕を組み、しばし黙考する。
淡い光が彼の横顔を照らし、眉間に深い影を落とした。
「……その原因を探さないとな」
リュウジは椅子に腰を下ろし、モニターの操作パネルに手を置く。
「皆んなは今どこだ?」
「ちょい待ちぃ」
チャコが尻尾で端末を叩くと、モニターに別の映像が浮かび上がった。
荒れた地表、吹き上がる火山灰、そしてその中に――小さな白い点が光る。
それはルナたちのビーコン信号だった。
「メイン・テラフォーミングマシンについたみたいや」
チャコが言う。
リュウジの目が、モニターに映る白点をじっと見つめる。
――フィールドワークのチームだ。
少しの沈黙。
その瞳の奥には、焦りでも不安でもない、静かな決意の光が宿っていた。
⬜︎
低い機械音が宇宙船の内部に響き、計測データの光がモニターを次々と流れていく。
リュウジとチャコは並んで端末を覗き込みながら、何度も数値を照合していた。
「……ここも異常値だ。平均温度が一週間で三度上昇してる」
「ほんまかいな。そんな急激な変化、普通ありえへんで」
チャコが目を丸くする。
リュウジは腕を組み、画面のグラフを見つめながら呟いた。
「もしかしたら……原因は、この惑星の外にあるんじゃないか?」
「外?」
チャコが首をかしげる。
「どういうことや?」
「仮説の段階だけどな。……この惑星そのものが、“軌道変動”を起こしてるのかもしれない」
リュウジは画面を切り替え、惑星軌道図を表示した。
そこには、微かにずれた楕円軌道の軌跡が重ねて描かれていた。
「太陽との距離が変わってる……?」
「ミランコヴィチサイクルか」
チャコが顎に手を当てて唸る。
「けど、それやと説明できるのは気候変動だけや。火山活動の異常までは筋が通らへん」
「ああ、そこなんだよな」
リュウジが深く息を吐く。
「気候、磁場、地殻変動……この星で起きてることの多くは、もうサヴァイヴが解析済みのはずだ。
でも、あいつの計算を超える異常が出てる。となると、根本的に“観点”を変える必要がある」
「……せやな」
チャコは短く頷き、モニターの前に座り直す。
「確かにデータだけ見とっても答えは出ぇへん。観測範囲そのものがズレとるんかもしれん」
「そうだ。サヴァイヴの観測網もこの惑星圏内が中心だ。
もし外からの要因――重力干渉やエネルギー流入があるとしたら、見落としてる可能性が高い」
リュウジは思案に沈み、指先で机を軽く叩く。
「……やっぱり、もう一度、あらゆる方向から考え直すしかないな」
「よっしゃ、ウチもデータ拾い直してみるわ」
チャコが器用に手を動かし、操作を開始したその時だった。
――ゴゴゴゴッ……!!
船体全体を貫くような、重く低い揺れが走った。
床が軋み、モニターの画面が一瞬ノイズに覆われる。
「な、なんや!? また地震かいな!?」
「気をつけろ!」
リュウジが壁に手をつき、身体を支える。
振動は数十秒続いたあと、ようやく静まりを取り戻した。
空気が重く沈黙し、チャコが大きく息を吐いた。
「……おさまった、か」
リュウジは周囲を確認しながら、額の汗を拭う。
「ウチら、時間あらへんで。早う原因を突き止めんと、この星そのものが危ないかもしれへん」
チャコの声には、焦りと決意が入り混じっていた。
リュウジは無言で頷くと、再びモニターのデータを呼び出した。
⬜︎
リュウジは目の前のモニターを見つめたまま、低く呟いた。
「チャコ……もし、外からの影響でこの惑星が“重力干渉”を受けていたら、どうなる?」
「重力干渉?」
チャコはピタリと手を止め、リュウジの横顔を見上げた。
「そしたら……この惑星全体に“重力の歪み”が生じるんとちゃうか?
せやけど、そんなこと起こるのは、巨大隕石が衝突したり、惑星級の天体が接近せん限り、ありえへん事象やで?」
リュウジは黙って頷き、しばらく考え込む。
モニターの光が彼の瞳に反射して、どこか深淵を覗くような色を宿していた。
「……まだ仮説の段階だ。でも、もし――千年前に起きた“あの異変”が、今回の現象と同じ原因だったとしたら、
俺は“重力嵐”が影響してると考えてる」
「……じゅ、重力嵐やて!?」
チャコの尻尾がビクリと跳ね上がる。
「ああ、だがありえない話じゃない」
リュウジは指で宙をなぞり、モニター上に軌道図を展開させた。
「地球で言う“ミランコヴィチ・サイクル”は太陽放射の周期的変動――日射量が微妙に変化することで、
氷河期や気候変動が起きる。だがこの惑星は太陽系外……周期も、軌道の傾斜角もまるで違う。
もし、その軌道が“千年ぶり”に重力嵐の流れと噛み合ったとしたら……」
チャコはごくりと息を呑む。
「……つまり、宇宙規模の“重力の波”が、この惑星を揺らしとるっちゅうことか……」
「そういうことだ」
リュウジの声は静かだが、その奥には確かな緊張があった。
「重力嵐が惑星の核に影響を与え、地殻変動や気候異常を引き起こす。
サヴァイヴの計算が追い切れないのも、それがこの惑星の外――想定外の力だからだ」
「……せやな。可能性はあるわ」
チャコがモニターを覗き込みながら呟く。
「ルナ達が持ち帰ってくる千年前のサンプルの“結晶構造”を見れば、証拠が掴めるかもしれん。
外部重力の干渉で分子配列が歪んどる可能性がある」
「よし……それを確かめよう」
リュウジが言い、モニターの別窓を開いた。
その時だった。
画面右上で、ひとつの白い点が点滅を始めた。
「ん?……なんだ、これ」
リュウジが眉をひそめる。
映し出されているのは、メイン・テラフォーミングマシンの火口付近。
地表のスキャンデータがゆらぎ、微かな熱反応が検出されていた。
「……白い点?」
「ルナ達のビーコン信号や!」
チャコが叫ぶ。
だが、白点は“火口の探査口”付近で完全に停止していた。
その上、点滅速度が急速に遅くなっていく。
「……おい、待て。あの位置……」
リュウジが即座に拡大表示する。
そこには、火口内部へ降下するはずのエレベーターが途中で停止していた。
制御ログには“緊急ロック”の警告が点滅している。
「チャコ、まさか――」
「探査口のエレベーターが止まっとる……!?ルナ達、閉じ込められとるんちゃうか!?」
「――さっきの地震か!」
リュウジが叫ぶ。モニターの振動波形が大きく跳ね上がっていた。
「機械の故障や!」
チャコが慌てて操作盤を叩く。
「いかん、冷却システムにも異常が発生しとる!」
モニターに表示された断面図では、エレベーターの下部構造が赤く染まり、温度が急上昇していた。
「早くしないと……マグマの熱で死んでしまう!」
リュウジは息を詰めながら、操作盤を叩き続けた。
「いけるか!?遠隔制御を……くそっ、エラーだ!」
警告音が鳴り響く。
「遠隔制御はできない!」
彼の表情に、いつもの冷静さはなかった。焦りが滲む。
「サヴァイヴはん! 皆んなを助けてや!」
チャコが必死に叫ぶ。
その瞬間、背後の上部に青い光が現れ、空気を振るわせるような低音が響いた。
『密閉性の高いエレベーターシャフト内には、ドローンが侵入する隙間が存在しない』
サヴァイヴの無機質な声が流れ、同時に映像が切り替わる。
モニターの中で、炎に照らされたエレベーターの外殻が軋んでいた。
『したがって、救出は不可能と判断する』
「何言うとんねん!」
チャコが机を叩くようにして怒鳴る。
「このままやと、皆んな熱で死んでまうやないか!!」
「……密閉性が高い、か」
リュウジは顎に手を当てて、低く呟いた。
「サヴァイヴ! あんたならできるやろ!」とチャコがすがるように言う。
だがリュウジは、静かにチャコの方を見た。
「チャコ……俺に考えがある」
「なんや!?」
「液体化してる冷媒ガスを利用する。
シャフト下部の熱でそれを爆発的に気化させる。
シャフト内は密閉性が高い……なら、その圧力で強制的に押し上げるんだ」
「……それしかないな」
チャコの表情が引き締まる。
「やるぞ」
リュウジが操作盤を叩き、通信回線を開いた。
――ザザッ……。
『あ、あもうダメだ……!』
弱々しいタコの声がスピーカー越しに響く。
「ごらぁ! タコ! しっかりせんかい!」
チャコの怒鳴り声が室内に反響した。
「大丈夫か!」
リュウジの声に、すぐに仲間たちの声が重なった。
「チャコ! リュウジ!」
「大丈夫や! 必ず助けたる!」
チャコの声が震えながらも力強く響いた。
「タコ! 俺の言う通りに操作するんだ!」
「……ええっ、な、何を……?」
「エレベーターには液化冷媒ガスがついてるだろ!」
「冷却システムは故障してるんですってばー!!」
「分かってる! 冷媒ガスを取り外せ!」
「そんなことしたら、ますます熱くなるだろ!」
ハワードの声が飛ぶ。
「いいから、早くしろ!!」
リュウジの声には、いつになく鋭い命令の響きがあった。
その強さに押され、メノリが言う。
「リュウジの言うとおりにしよう」
「……そうね」
ルナも頷いた。
タコが震えるアームを動かし、エレベーター左側の装甲を剥がした。
「いいか! 液化ガスを爆発的に気化させる!
シャフト内の圧力でお前たちを上に押し上げる!
タコ、上に着いたらアームで固定して、すぐ脱出しろ!」
「了解です……!」
タコの声が震えていたが、確かに覚悟を宿していた。
アームが液化冷媒ガスの容器を掴み、固定を解除する。
「タコ! さっき言った通りに操作しろ!」
「え、ええ……でも……」
「大丈夫や! お前ならできる!」とチャコ。
「タコ! 皆んなのこと、頼んだぞ!」とリュウジ。
「チャコさん……リュウジさん……」
タコが小さく呟く。
「――離せ!!」
リュウジの叫びと同時に、アームが冷媒ガスの容器を放した。
数秒後――マグマの赤光が一瞬強く閃き、轟音が船内を揺るがせた。
「いけえぇぇぇぇぇ!!!」
チャコが叫ぶ。
気化したガスの爆発的な圧力がエレベーターを下から突き上げ、
金属の悲鳴とともにシャフトを上昇していく。
リュウジの手が汗で滑り、操作盤を握り締める。
モニターの白い点が急上昇する軌跡を描いた。
――ドンッ!
「止まった!」
タコの操作で重力制御ユニットが作動し、エレベーターが上部で停止した。
アームがエレベーターの扉をこじ開ける。
「今だ! 早く出ろ!!」
リュウジの叫びに合わせて、
ベルが飛び降り、続いてアダム、メノリ、シャアラ、ハワード、ルナが次々に脱出する。
だが――。
ギギギ……ッ!!
固定していたアームが悲鳴を上げ、根元から折れた。
「タコ! カオル!」
エレベーターが急速に落下する。
「うわぁぁぁっ!!」
その瞬間、ドローン二機が床スレスレを滑るように飛来し、
エレベーターの扉と床の間に身を差し込んだ!
「今や!!」
ベルとルナが手を伸ばし、
狭い隙間からタコとカオルの腕を掴み――
力いっぱい引き上げた!
――ガンッ!
金属が崩れる音とともに、エレベーターが奈落へ落下した。
ルナの腕の中に、タコとカオルが転がり込む。
息を切らしながら、彼らは地面に倒れたまま互いを見つめた。
その光景を見ていたリュウジは、ようやく息を吐き出した。
「……よし、やったな」
「やったでぇぇぇ!!」
チャコがリュウジの首に飛びつき、腕を回す。
「ウチら、やったんや! 全員無事や!!」
「……ああ」
リュウジの頬にも笑みが浮かんだ。
「サヴァイヴ、ありがとう」
『私は何もしていない。お前たちの判断によるものだ』
サヴァイヴの冷静な声が返る。
「せやけど……助けてくれたことに変わりあらへん!」
チャコは青い光の天井に向かって叫んだ。
「サヴァイヴはん! おおきにぃぃ!!」
――そして、静かな余熱の中で、
リュウジは改めて“生き延びた”という現実を噛みしめていた。
⬜︎
「チャコ、サンプルが届いたら――結晶構造を頼む」
リュウジはチャコを軽く引き剥がしながら言った。
「せやな」
チャコはまだ興奮気味のまま、真剣に頷く。
リュウジは立ち上がり、青い光を放つ天井――サヴァイヴの中枢へ向き直った。
「サヴァイヴ! 惑星の外、セーシング領域を広げられるか?」
『やってみよう』
わずかな間。
次の瞬間、低い電子音が響き、モニターが光に包まれた。
『……なんだ、これは……』
サヴァイヴの声がわずかに揺れる。
映像が現れた。
――紫のうねり。
漆黒の宇宙の中で、巨大な渦が蠢いていた。
それはまるで、空間そのものをねじ曲げるような禍々しい光。
忘れもしない――あのシャトルを飲み込んだ“重力嵐”だった。
「重力嵐や!」
チャコが叫ぶ。
「これが……重力嵐……」
サヴァイヴの声には、初めて“恐れ”のような響きが混じった。
リュウジは唇を噛み締め、低く言った。
「やっぱりか……。
今回の地殻変動も、千年前の異変も――全部この重力嵐が原因だったのかもしれない」
「サヴァイヴはん! 重力嵐の軌道、計算できるんか!?」
「……やってみよう」
サヴァイヴの返答と同時に、室内の操作盤が自動で動き始めた。
無数のデータラインが交差し、モニターには複雑な軌跡と数式が浮かぶ。
リュウジもチャコも、息を呑んで見守った。
――そして、サヴァイヴの声が響く。
『重力嵐の中心は三日後、この惑星に到達する』
「な、なんやと!?」
チャコの声が裏返った。
「落ち着け。……まだ三日ある」
リュウジは冷静に宥めたが、その声にもわずかに焦りが滲んでいた。
「せやけど、このままやと――!」
「重力制御ユニットを使えば、消滅させられるかもしれない」
リュウジの目が鋭く光る。
「そ、そうか! 重力制御ユニットは重力場を新しく作って、周囲の重力を“増幅”したり“打ち消したり”できる装置や!」
チャコが興奮して尾を振った。
「ああ。重力嵐は、重力場が不規則に乱れた状態。
その“乱れ”を解析できれば、逆位相の重力場を作って、重力嵐を相殺できる。
――理論上は、な」
「せやけど、乱れをリアルタイムで分析せなあかん。そないなこと……」
チャコが不安そうに呟く。
「それはサヴァイヴにやってもらう。できるだろう?」
リュウジが青い光に向かって言う。
『……やってみよう。この惑星の生態系は、私が千年かけて回復させた。
簡単に失うわけにはいかない』
「頼む! それから――あいつらとシミュレーションの準備を」
「分かったで! リュウジはどうするんや?」
「……俺は、もう限界だ。少し、寝る」
リュウジは椅子に背を預け、目を閉じた。
そして、直ぐに静かな呼吸が室内に広がる。
「寝るって……ほんま信じられへん奴やな」
チャコが呆れ混じりに呟く。
『メディカルマシーンの培養液には鎮静作用と睡眠誘導物質が含まれている。
むしろ、回復直後にここまで活動できたのが異常だ』
「なるほどなぁ……」
チャコは小さく頷いた。
『だが、興味深い。あの人間――リュウジは、私の観測史上でも特異な存在だ』
「そりゃそうや。リュウジはS級パイロットなんや」
「S級……パイロット?」
『聞いたことがない分類だ』
「まぁ、簡単に言えば“人間の至宝”や。人の中でも特別中の特別や」
チャコが胸を張るように言った。
『……そういうものか』
サヴァイヴの声がわずかに柔らぐ。
「ウチはシミュレーション準備に入るさかい、サヴァイヴはんは解析頼んだで!」
「了解した」
青い光が静かに消え、室内にはチャコの手だけが忙しなく動く音が残った。
――モニターの端で、重力嵐の紫の渦が、
ゆっくりと、しかし確実にこの惑星へと近づいていた。
⬜︎
メインルームの扉が開くと、風が流れ込むようにルナたちが戻ってきた。
全員の顔は煤で汚れ、息は荒いが、誰もが達成感に満ちた表情をしていた。
「ただいま戻ったわ!」
ルナが声を上げる。
チャコは振り向き、モニター越しに笑顔を見せた。
「おかえり! こっちは順調やで!」
ルナの視線が自然とリュウジのほうへ向かう。
壁際の椅子に背を預け、静かに眠るリュウジ。
安らかな寝顔に、ルナの胸が少し温かくなった。
「リュウジは?」とメノリが尋ねる。
「メディカルマシーンの培養液に鎮静作用があったみたいや。
回復したばかりで、さすがに身体が持たんかったんやろ」
チャコが答える。
「そう……良かった。ほんとに、よかった……」
ルナは小さく微笑み、両手を胸の前で組んだ。
彼の無茶が報われたことが、心から嬉しかった。
⸻
「それでな、ルナ」
チャコが立ち上がり、机の上のホログラムを指差した。
「サンプル、調べさせてもろたで」
映し出されたのは、テラフォーミングマシンから採取した結晶構造の立体モデル。
中心には、微細にねじれた幾何学模様――重力波を閉じ込めたような構造が浮かんでいた。
「……見ての通りや。この結晶、自然形成やない。
外部から“重力干渉”を受けて構造が歪んどる。
間違いあらへん――重力嵐が原因や」
「重力嵐……」
ルナが唇を噛んだ。
チャコがリュウジと調べた仮説を話した。そしてーーー
サヴァイヴの仮説と、リュウジの推測が一致した瞬間だった。
⸻
「エアシップを持ってきたよ!」
シンゴとカオルが駆け込んできた。
「操作盤と接続完了!」
サヴァイヴの青い光が再び天井に浮かび上がる。
『分析も完了した。これよりシミュレーションを開始する』
チャコが操作盤に指を走らせた。
「エキゾチックコントローラー、出力反転!」
「クォーク・グルーオン・コントローラー、作動!」とシンゴ。
「テンソル固有値、チェック!」
「ほんとに……そんなことできるのかよ!」
ハワードが半ば呆れたように言う。
「大丈夫、きっと上手くいくわ!」
ルナが振り返り、笑顔を見せる。
その笑顔に、アダムも「うん」と頷いた。
「それじゃあ――やってみよう! シミュレーション開始!」
シンゴが手を上げ、エアシップの操作盤を押した。
光の線が交差し、巨大な重力場のシミュレーションが始まる。
モニターの中で紫の渦が発生し、そこに白い光のリングが展開する。
「重力嵐が……消えていく!」
ベルが息を呑んだ。
やがて、画面上の二つの重力場が完全に打ち消し合い、消滅した。
室内に歓声が上がる。
「計算通りや! やったでぇ!」
チャコが両手を上げ、嬉しそうに叫ぶ。
『シミュレーション成功。重力場の位相反転は理論的に可能だ』
サヴァイヴの声にも、わずかに喜びが混じっていた。
「今の結果からすると、この宇宙船の重力制御ユニットの出力があれば、
現実でも重力嵐を消滅させられるね!」とシンゴ。
⸻
「その場合――」
カオルが腕を組み、真剣な顔で言った。
「できるだけ宇宙船を重力嵐に近づけて、
重力制御ユニットを嵐の中心に放出する必要がある」
「放出する?」
ルナが聞き返す。
「ちょ、ちょっと待てよ! それじゃあ僕たちはどうなるんだ!」
ハワードの声が響く。
「放出の反動を利用すれば、この惑星の帰還軌道には乗れるはずだ」とカオル。
「違う! 僕が言ってるのはコロニーのことだ!」
ハワードの声が震える。
「重力制御ユニットを放出したら、宇宙船は動かなくなる。
一生、コロニーには帰れなくなるんだぞ!」
ルナは息を呑み、サヴァイヴを見上げた。
「サヴァイヴ……他に宇宙船はないの?」
『ない。他に高出力の重力制御ユニットも存在しない』
ルナは目を伏せ、寂しそうに呟いた。
「……コロニーに帰るのは、諦めるしかなさそうね」
「重力嵐がこの惑星にぶつかれば、すべてが消滅する。
――見捨ててはいけないわ」
「僕は嫌だ!」
ハワードが拳を握りしめて立ち上がる。
「なんで僕たちが、この惑星のために犠牲にならなきゃいけないんだ!
僕は帰る! 絶対にコロニーに帰るからな!」
「ハワード……」
ルナの声が少し震える。
「私も……ハワードの意見に賛成だ」
メノリが静かに言った。
「惑星を助けたい気持ちは理解してる。
でも、私たちは“帰るため”にここまで生きてきたんじゃなかったのか?」
ルナは言葉を失う。
自分の中でも、揺れる想いがあった。
「俺はルナに賛成だ!」
ベルの力強い声が響く。
「帰りたいけど……この惑星にいるのは、俺たちだけじゃない!」
「ベル……」
「そうね」
シャアラが穏やかに微笑む。
「何も今、急いで帰らなくてもいいんじゃない?
救難信号を送り続けていれば、きっと助けが来るわ」
「確かにな。帰る言うても、どっちに行ったらええかも分からんしな」
チャコが頷いた。
「とにかく!」
ハワードは言葉を切り、皆を睨んだ。
「僕は反対だ! 誰がなんと言おうと、絶対にコロニーへ帰る!」
そう言い捨てて、踵を返す。
「どこへ行くの?」とルナ。
「食料集めだ! コロニーまでどれだけ時間がかかるか分からないからな!」
そう叫んで、ハワードは出て行った。
「ハワードの気持ちも……分かるよ」
アダムが静かに言う。
「コロニーは、ハワードの故郷なんでしょう?」
「アダム……」
ルナは悲しげに微笑んだ。
「私、行ってくる!」
シャアラがハワードを追って走り出す。
「いずれにせよ、すぐに結論を出す問題ではないな。考える時間が必要だ」
メノリが腕を組み、考え込む。
その横で、カオルが歩き出した。
「カオル?」
「この惑星を助けるにしろ、見捨てるにしろ――
重力制御ユニットを放出して帰還操作を成功させられるのは、リュウジしかいない。
だから、宇宙船のチェックをしておく」
「僕も行く!」とシンゴ。
「ウチも行くわ!」とチャコ。
「待ってくださいー!」とタコも慌てて後を追う。
――それぞれが、自分の思いを胸に動き出した。
ルナはその場に立ち尽くし、眠るリュウジに視線を向けた。
静かな寝息の向こうで、彼の横顔がわずかに光を浴びていた。
(……あなただったら、どっちを選ぶの?)
ルナは心の中で、そっと問いかけた。
答えは、まだ――返ってこなかった。