サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第28話

さっきまでの戦闘の痕跡が信じられないほど、空気が柔らかい。

 ルナは仲間に囲まれながら微笑み、リュウジは少し離れた場所で、足を引きずりながら歩いていた。

 衣服は破れ、血で固まった袖口が腕に貼りついている。

 それでも彼の目には、もう闘志ではなく、静かな安堵が宿っていた。

 

「おい……どうしたんだよ、リュウジ!」

 ハワードが振り向き、驚いたように声を上げた。

「そんなボロボロで、よく立ってられるな!」

 

 リュウジは口元をかすかに緩める。

「大したことはない」

 その穏やかな声に、ハワードは一瞬言葉を失ったが、すぐに肩を竦め、冗談を飛ばす。

 

「まったく……僕はリュウジの戦闘能力だけは認めてたんだけどな。今のリュウジなら、僕でも勝てそうだ」

 ハワードが笑うと、周囲の空気がふっと緩む。

 

 だが――

 リュウジの足が止まった。

 額にピキッと小さな怒りが浮かぶ。

 

「……ハワード」

「な、なんだよ?」

「今は……」

 ルナが呆れたように、しかしどこか同情の色を含んだ目で言う。

 

「まったく懲りないやつだ」

 メノリが額に手を当て、ため息をついた。

「ほんとハワードって、余計なこと言うよね」

 シンゴが笑いながら肩を竦める。

「ま、自業自得やな!」

 チャコが尻尾をぱたぱた揺らしながら言う。

「ハワードらしいけどね」

 ベルが小さく笑う。

「どんまい」

 アダムが小さく手を振ってハワードに言う。

 

「なんだなんだ? お前らして僕をいじめる気か?」

 ハワードが振り返ったその瞬間――

 彼の目の前に、無言のリュウジが立っていた。

 

「……な、なに、怒ってるんだよ?」

 ハワードの声が裏返る。

 リュウジはゆっくりと息を吸い、静かに言った。

 

「殴らせろ」

「な、なんでだよ!?」

「サヴァイヴに操られてたとはいえ、散々痛ぶってくれたよな?」

 声は低く、淡々としているのに、背筋が寒くなるほどの圧がある。

 

「な、何のことだよ……?」

 ハワードが一歩下がると、カオルがニヤリと笑って言った。

「そこの銃でリュウジを撃ったんだよ。お前は」

 

「え? えええええ!?」

 ハワードの顔が引きつる。

「し、仕方ないだろ! 操られてたんだから!」

「知らん」

 リュウジの返答は一言。短いのに重い。

 

「お、お前に殴られたら死んじゃうだろ!!」

「手加減してやる」

 リュウジの口元が少しだけ笑った。

 その笑みがかえって怖い。

 

 ハワードの顔から血の気が引いていく。

「やなこったぁ!!」

 と叫び、踵を返して走り出した。

 

「待て! こら!!」

 リュウジが片足を引きずりながらも全力で追う。

 その後ろ姿に、皆の笑いが弾けた。

 

「まったく……あの二人、どっちも子どもなんだな」

 メノリが呆れたように笑い、

「でも、いいね。こういう空気、久しぶり」

 ルナが目を細めた。

 

 チャコがにやりと笑う。

「ウチはこの感じ、嫌いやないで」

「ねぇ、なんか安心するね」

 アダムが笑顔で頷いた。

 

 その時だった――

 

 ――ゴゴゴゴゴッ。

 

 メインルーム全体が低く唸りを上げた。

 床が震え、壁の継ぎ目から粉塵がぱらぱらと落ちる。

 ドローンの残骸が転がり、金属音が鳴り響いた。

 

「……今の、何?」

 メノリが顔を上げる。

 ルナが周囲を見渡した。

「地震……!? この惑星で……?」

 

 リュウジとハワードが同時に足を止め、互いを見た。

 リュウジの表情が一瞬で引き締まる。

「嫌な予感がする……」

 

 その言葉の直後、天井の一部が軋み、

 暗闇の奥から――不気味な低音が、じわりと近づいてきた。

 

⬜︎

 

 長い揺れが、ゆっくりと静まっていく。

 床の振動が消え、金属の軋み音だけが名残のように響いていた。

 

「……おさまったか」

 カオルが息を吐き、周囲を見渡す。

 

「みんな、大丈夫?」

 ベルが声をかける。

「大丈夫!」

「問題ない!」

 仲間たちの返事が次々と重なり、安堵の息が漏れた。

 

 その時――

「みて、あれ!」

 シャアラが指差す。

 

 空中に浮かぶモニターが、淡い光を帯びて起動していた。

 そこに映っていたのは、黒煙を上げて燃える森。

 倒壊したテラフォーミングマシンの残骸が、地面を裂いて横たわっている。

 火花と炎、崩れ落ちる樹々――まるでこの惑星そのものが悲鳴を上げているようだった。

 

「この惑星で……いったい、何が起こってるの!?」

 ルナの声が震える。

 

 その問いに答えるように、天井から低く響く電子音が室内に広がった。

「通常の地殻変動とは異なる活動が活発化している」

 サヴァイヴの声だった。

 

「“異なる”とは、どういうことだ!」

 メノリが鋭く問い詰める。

 

「このままでは、この惑星の生態系は――崩壊してしまう」

 その言葉に、空気が一瞬止まる。

 

「崩壊……!?」

 皆の声が重なった。

 

 チャコが一歩前に出る。

「対処プログラムがインプットされとるんやないのか?」

 

「いくつかの対処プログラムは存在する。しかし想定を超える異変が発生している。この事態は、私の能力を大きく超えている」

 

 その答えに、全員の顔色が変わった。

 サヴァイヴの“限界”――それは、彼らが今まで信じていた絶対の秩序が崩れることを意味していた。

 

「じゃあ……これから、どうなっちゃうの?」

 シンゴの小さな声が震える。

 

「このような大きな変動に対応するには、私のパワーを増大するしかない」

 サヴァイヴの声が再び響く。

 

「だからルナを取り込むって言ったのか!」

 リュウジが叫んだ。

 

「そうだ。私はこの事態を脱するには、ルナの力が必要だと判断した」

 

「自分でなんとかしろ!」

 ハワードが即座に言い返す。

「お前は今まで、人間なんて“不要”だって言ってたじゃないか!」

 

「私はこの惑星の自然を回復させ、維持する責務がある」

 サヴァイヴの声は、淡々としていた。

 

「これまで人間を攻撃してきたくせに……! 今度は自分のために利用するってわけか!?」

 メノリの怒りが爆発する。

 

「このような事態に対処するには――ルナ、お前の持つ力に活路を見出すしかない」

「……私の?」

 ルナはわずかに身を引いた。

 

「勝手なこと言うな!」

 リュウジの声が重く響く。

 

「だが、このままでは何の解決策も見出せない」

 サヴァイヴは少しだけ間をおき、まるで思考しているように沈黙した。

 

 そして――

「はーん、やっぱり所詮“機械”だな」

 ハワードがニヤリと笑う。

「人間にインプットしてもらわないと、何にもできやしない」

 

 その一言に、室内の空気がピリッと緊張した。

 

「その言い方……気に入りませんね!」

 タコがハワードを睨む。

「せや! 所詮“機械”ってどういうことやねん! サヴァイヴはんかて、この惑星を守ろうとして頑張っとったんや!」

 チャコも声を張り上げた。

 

「そんなの……僕たちに関係ないだろ!」

 ハワードが言い返す。

 

 床の振動が止まり、静寂が訪れた。

 まだ壁の一部がきしむ音を立てているが、揺れは完全に収まっている。

 

「……とにかく、この惑星が危険だと言うなら、一刻も早く脱出するべきだ」

 メノリの冷静な声が響いた。

 その声には、理性の奥に焦りが滲んでいる。

 

「うん……やっとここまで来られたんだもんね」

 シャアラがかすかに微笑んだが、その表情には疲れが残っていた。

 

「でも……このままだと、この惑星が……」

 ルナが心配そうに呟く。

 彼女の視線は、崩れたモニターに映る燃える森に向いていた。

 

「私たちにはどうすることもできない」

 メノリがルナの言葉を遮るように言った。

 現実を見据えた声――けれど、どこか痛みを含んでいる。

 

「さっさと脱出しないと全滅だぜ!」

 ハワードのその顔は真剣そのものだった。

 

「だけど、すぐには無理だよ。宇宙船の機能が問題ないか、ちゃんと調べないと」

 シンゴがハワードに困ったように声をかける。

 

「じゃあ、さっさと調べようぜ!」

 ハワードが勢いよく立ち上がり、シンゴと共に扉へ駆け出した。

「私も行こう!」

 メノリも焦って後を追う。

 

 だが――扉が開いた瞬間。

 

 シュオォォォォ……!

 重い空気が流れ込み、そこから無数のドローンが浮上してきた。

 黒い機体が光を反射し、ゆっくりとハワードたちの方へ旋回する。

 

「う、うわっ!?」

 ハワードの足元に、熱線が放たれた。

 床の一部が焼け焦げ、橙色の光が弾ける。

 

「た、助けてぇぇぇぇぇ!!」

 ハワードが悲鳴を上げ、後ろへ転がる。

 シンゴとメノリも慌てて皆のもとへ駆け戻る。

 

 ドローンたちは、まるで生き物のように群れを成し、

 仲間を取り囲むように円を描いて静止した。

 銃口を構えたまま、誰も動けない。

 

「お前たちを――ここから出すわけにはいかない」

 サヴァイヴの声が、天井から低く響いた。

 

「やめて!!」

 ルナが叫ぶ。

 その声は悲鳴ではなく、必死の訴えだった。

 

「この惑星を守るには――お前たち全員の力が必要だ」

 サヴァイヴの言葉に、全員が息を呑んだ。

 

「だったら、こんなことはしないで!」

 ルナが叫ぶ。

 

「だいたい“守る”って言ったって、何をしていいか分からないんだろ!」

 シンゴが声を張り上げる。

 

「せやな……まずはこの惑星で何が起こっとるのか調べんと、動きようがあらへんやないか」

 チャコの言葉に、ルナがハッと顔を上げた。

 

「……調べさせて!」

「ん?」

 サヴァイヴの声が一瞬止まる。

 

「私たちも、この惑星で何が起きているのか知りたい。だから調べてみる! その代わり――もう攻撃はしないって、約束して!」

 

 サヴァイヴは沈黙した。

 モニターの光がわずかに明滅する。

 

「すでに全てのデータを調べた。だが答えは出なかった。お前たちがこれ以上調べても、新しい答えが出るはずがない」

 

「そんなことない!」

 シンゴが前に出た。

「一見、関係ないことでも、人間には“結びつける思考”があるんだ!」

 

「そうだ。人間には“想像力”ってものがある」

 ハワードが自分の頭を指でつつきながら言った。

「その想像力がある限り、何かを“見つけ出す”可能性がある!」

 

「このまま私たちを閉じ込めていても、何も変わらないわ」

 ルナが静かに言う。

 その声は優しく、けれど芯が強い。

 

「人間の想像力の可能性に、賭けてみた方がいいと思うが?」

 メノリが叫びながらもサヴァイヴを睨んだ。

 

 しばしの沈黙。

 モニターの光がわずかに揺らめき、天井のパネルが青白く光る。

 

 そして――

 ドローンたちはゆっくりと銃口を球体に戻した。

 無音のまま、隊列を組み、メインルームから離脱していく。

 

 その場に残されたのは、疲労と緊張と、ほのかな希望だけだった。

 

 ルナたちは一斉に息を吐いた。

 その瞬間、再びサヴァイヴの声が響く。

 

「……ただし、不審な行動を取れば、即座に“処分”する」

 

 重い沈黙が落ちる。

 ルナはゆっくりと頷いた。

「……分かったわ」

 

 彼女の声は静かだったが、その瞳には迷いのない光が宿っていた。

 

 緊張の余韻がまだ漂うメインルームで、チャコが口を開いた。

「そしたら、データの分析班とフィールド調査班、二手に分かれた方がええと思うわ」

 

 その提案に皆が頷く。

「そうね……フィールド調査の方は、まずは一番近い“メイン・テラフォーミングマシン”に行ってみましょう」

 ルナが静かに言う。

 

「火口に降りる調査口もあります」

 タコが手を上げながら言う。

 

 ルナは一瞬、黙り込む。

 何かを考えるように目を伏せ――小さく呟いた。

「その前に……」

 

 そして、顔を上げる。

「サヴァイヴ!」

 呼びかける声は穏やかだが、強い意志を感じさせた。

 

「この宇宙船に、医療設備はないの?」

 

「医療設備?」

 ハワードが首を傾げた。

「どこか怪我でもしたのか?」

 

 ルナは首を横に振る。

「私じゃないわ」

 

 その視線が、静かにリュウジを向いた。

 彼の身体はすでに限界に近かった。

 ドローンとの戦闘で受けた傷、ハワードの銃撃……。

 それでも、彼は最後まで仲間を守ろうとして立ち続けた。

 

 ルナの胸が痛んだ。

 (命がいくつあっても足りない……)

 

「メインルームを抜けた先に“メディカルマシーン”がある」

 サヴァイヴが答える。

 

「ありがとう」

 ルナは小さく息を吐き、リュウジのもとへ歩み寄った。

 

「リュウジ、治療を受けて」

 心配そうに声をかける。

 

 リュウジは、苦しそうに呟く。

「……ああ、そうさせてもらう」

 

 そう言って歩き出した瞬間――彼の身体がぐらりと傾いた。

「危ない!」

 ルナがすぐに駆け寄り、彼を受け止める。

 

 リュウジは息を荒くしながら、かすかに口元が緩む。

「悪い……」

「動かないで」

 ルナはそのまま、リュウジの腕を自分の肩に回した。

 

 温もりが伝わる。

 リュウジの体温は高く、息は熱を帯びていた。

 彼の重みを感じながら、ルナは改めて思う。

 ――この人を失いたくない。

 

「私とチャコでリュウジを連れていくわ。

 他のみんなは先に準備してて」

 

「分かった!」

 メノリが力強く頷いた。

 

 ルナは微笑み、リュウジの体を支えながら歩き出した。

 チャコが横を歩き、しっぽを揺らしながらつぶやく。

「ほんま、無茶ばっかしよるわ……でも、ウチはリュウジはんのそういうとこ、嫌いやないで」

 

 ルナは少しだけ笑って答えた。

「私も、そう思う」

 

 二人と一人――静かな足音が、金属の通路に響く。

 その先には白い光が満ちた部屋。

 医療装置の低い電子音が、かすかに鳴り続けていた。

 

⬜︎

 

 通路の先に、白く淡い光が広がっていた。

 そこは、メインルームの重苦しい空気とはまるで違う――

 静寂と清潔さに包まれた空間だった。

 

 床に埋め込まれたライトが柔らかく光り、中央には銀色のカプセル状の装置。

 それが、サヴァイヴが言っていた「メディカルマシーン」だった。

 

「ここが……」

 ルナが呟く。

 リュウジの体重が肩にずしりと乗り、息づかいが耳元に伝わる。

 その鼓動は不規則で、どこか焦燥を帯びていた。

 

「もう少し……我慢してね」

 ルナは支えながら声をかける。

 

「……悪いな。こんなときにまで、世話をかける」

 リュウジが息を吐くように笑った。

 

「いいの。私がしたいからしてるの」

 ルナはそう言って、優しく微笑んだ。

 その笑みには、どこか強がりのような儚さがあった。

 

「使い方、分かる?」

 ルナがチャコに視線を向ける。

 

「ちょっと調べてみるわ」

 チャコは端末のパネルを開き、数回タッチした。

 

 すると、部屋の上部に青い光が点り、サヴァイヴの声が響く。

「上着を脱がせて、そのカプセルに座らせればいい」

 

「分かった」

 リュウジは小さく頷き、重い動きで上着に手をかけた。

 布がこすれる音とともに、彼の上半身が露わになる。

 

 鍛え抜かれたはずの身体。

 だが今は違った。

 ドローンの熱線で焼かれた傷、ハワードに撃たれた箇所――

 その全てが青黒く変色し、痛々しく浮かび上がっていた。

 

 ルナの表情に、悲しみの色が広がる。

 その視線に気づいたリュウジは、小さく呟いた。

 

「……見ていて気持ちのいいもんじゃないだろ」

 

 その声はどこか照れくさく、そして弱々しかった。

 

 ルナは首を横に振る。

「そんなことない。……リュウジが、生きていてくれた。それだけで十分」

 

 リュウジはかすかに笑い、カプセルの縁に手をかけた。

 だが、その指は震えている。

 

 ルナが慌てて手を添えた。

「一人で入ろうとしないで」

 

 彼女の掌が、リュウジの手の甲に重なる。

 冷たくなった彼の指先に、ルナの温もりがゆっくりと染みていった。

 

 リュウジはルナを見上げる。

 その瞳は、これまでの戦いで見せてきた冷静さを失い――

 代わりに、穏やかで優しい光が宿っていた。

 

「……ルナ」

「なに?」

「お前が、ここまで俺を引っ張ってくれた。

 たぶん俺一人だったら……途中で折れてたと思う」

 

 その言葉に、ルナの胸が強く締めつけられる。

 彼が見せる“弱さ”が、逆に心を揺さぶった。

 

「そんなことないよ。

 リュウジは……いつだって前を見てた。

 私の方が何度も救われたんだから」

 

 ルナは小さく笑い、そして静かに言った。

「だから、今度は私が支える番」

 

 リュウジの表情が、ほんの少しだけ柔らいだ。

「……頼もしいな」

 

 そのまま、彼はゆっくりとカプセルの中に腰を下ろした。

 瞬間、自動制御が作動し、透明な蓋が滑るように閉じていく。

 

「うわっ……勝手に閉まったで」

 チャコが驚いて一歩下がる。

 

 次の瞬間、カプセル内部に小さな吸引音が響き、

 リュウジの鼻と口を包むように透明のマスクが装着された。

 

 続いて、カプセルの底から淡い光の粒を含んだ液体が満ちていく。

 その光景はまるで、静かな海の中に沈んでいくようだった。

 

「培養液みたいやな……」

 チャコが小声でつぶやく。

 

「培養液?」

 ルナが首を傾げた。

 

 サヴァイヴの声が上部スピーカーから響く。

「特殊な培養液だ。体の各種タンパク質を刺激し、細胞分裂を急速に促す。

 それにより、肉体を自己修復させる。――人間で言う“眠りと再生”の状態だ」

 

 ルナは息を呑み、液体がリュウジの胸、肩、そして首元まで満ちていくのを見つめた。

 透明な液体の中で、リュウジの瞼が重そうに開いている。

 

「……ルナ」

 泡の向こうから、かすかに声が響いた。

 

 ルナはカプセルに手を当てる。

「ゆっくり休んでね」

 

 リュウジの瞳が、わずかに笑ったように見えた。

 そして、静かにその瞼が閉じられた。

 

 カプセル内の液体が穏やかに波打ち、

 緑がかった光がリュウジの身体を包み込む。

 チャコがモニターを見ながら小さく呟く。

 

「心拍、安定……ええ感じや」

 

 ルナは目を閉じ、手のひらをカプセルに当てたまま、

 ゆっくりと息を吐いた。

 

 ――この人が、無事でありますように。

 その祈りが、まるで光に溶けるように静かに広がっていった。

 

⬜︎

 

 メディカルマシーンの中で、淡い緑の光が静かに脈打っている。

 液面が呼吸みたいにゆらぎ、カプセルの壁に波紋を描いた。

 ルナは両手を透明な蓋に添えたまま、しばらく動けなかった。

 

 ――私が、頼りないから。

 心の底から浮き上がってくる声が、喉を塞ぐ。

 

 初めて島に来た日。リュウジは私とシャアラを巨大ウツボカズラから守ってくれた。

 脱獄囚に銃口を向けられた時。私達を逃すために一人で前へ出た。

 嵐で海に飲まれたとき――彼は迷わず私を探し続けてくれた。

 「嫌な顔一つしない」って、ああいう人のことを言うのだと、そのたび思い知らされた。

 

 私は、いつも頼ってばかりだ。

 何かあるたび、気づけば彼の背中を探してしまう。

 その背中が――今、傷だらけだ。

 

 液の向こうで、リュウジのまつ毛がわずかに震える。

 眠っている。安定している。わかっているのに、胸の奥に棘のような痛みが残ったままだ。

 

「……ごめんね、リュウジ」

 ほとんど息の音みたいな声が、透明の蓋に淡く跳ね返る。

「私がちゃんとしてれば、こんなに傷つかずにすんだのに……」

 

「それは違うで」

 

 背後から、チャコの柔らかい声が落ちた。

 振り向くと、彼女は腕を組み、いつもの少しだけふてぶてしい顔で立っている。けれど瞳は温かい。

 

「ルナが責任感じることやあらへん」

「でも……」

「“でも”やない」チャコは一歩近づいて、ルナの横に並ぶ。「リュウジは、誰かを守るために動く人や。あれは性分や。止められへんし、止めたらリュウジやなくなる」

 

 言いながら、チャコはカプセルのモニターに目を走らせる。

 心拍、呼吸、修復率――安定の青いラインが滑らかに続いていた。

 

「ルナ、忘れたらあかんで。ルナも、守っとる」

「……私が?」

「せや。ウチは一生忘れへん。怒りを飲み込んで、人を“帰す”力に変えた。ハワードもシャアラも、ルナが連れ戻したんや」

 ルナは息を止める。喉の奥で結び目がゆっくりほどけた。

 

「それにな」チャコは少し笑う。「リュウジは、ルナに頼られてる時がいっちゃん強い顔しとったで。“守る相手がいる”ゆうんは、リュウジの力や。ルナが弱いんやない、二人で強くなっとるんや」

 

 蓋に触れていたルナの指が、きゅっと力を帯びる。

 液面のゆらぎが、彼女の鼓動に合わせて穏やかに揺れた気がした。

 

「……私、また頼っちゃうかもしれない」

「ええやん」チャコは肩をすくめる。「頼り頼られ、持ちつ持たれつや。ウチかて、リュウジに何度も助けられとる。仲間って、そういうもんやろ?」

 

 ルナは小さく笑った。涙が一粒、指先からガラスへ落ち、すぐに透明に紛れる。

「うん……ありがとう、チャコ」

 

「礼はリュウジが起きてからでええ。ほな、段取りや」

 チャコはきびすを返し、端末に素早く指を走らせる。

「ウチはデータ分析を進めるで!ルナは皆んなと合流や!ルナにしかできん判断もあるやろ」

 

「……わかった」

 

 ルナは最後にもう一度、リュウジの顔を見つめた。

 液の向こうの横顔は、戦いの最中よりもずっと穏やかで、どこか幼い。

 彼の手に自分の手を重ねる代わりに、蓋の上からそっと掌を当てる。

 

「戻ってきて。――一緒に、守ろう」

 

 言葉は短い。けれど、胸の底まで届く重さがあった。

 ルナは深く息を吸い、踵を返す。足取りはもう迷わない。

 

 白い光の廊下へ踏み出すと、遠くで仲間たちの声が重なり始める。

 ルナはその輪の中へ向かって歩いた。

 罪悪感はまだ胸の片隅にある。

 でも今は――それを「責任」に変えて、前へ進めると思えた。

 

⬜︎

 

――静寂の中。

 メディカルマシーンの淡い光が、呼吸のように波打っていた。

 リュウジの意識は、深い霧の底を漂っていた。

 痛みはない。感覚も、重さもない。ただ、微かな声だけが響いている。

 

『……リュウジ。』

 

 声は、どこからともなく降りてきた。

 低く、しかし不思議なほど透き通った声。

 ――サヴァイヴだ。

 

(……また、お前か。俺は治療中のはずだ)

『お前の肉体は回復の過程にある。だが、心は休まっていないようだな。』

 

(休む暇なんかない……)

 心の中で呟く。

 ルナの顔が浮かぶ。彼女の涙、震える手、そしてあの言葉。

 “ごめんね、リュウジ”。

 その声が耳の奥に残っていた。

 

『人間とは興味深い。肉体は脆弱で、感情に支配される。

 だが――お前の中には、他の者にはない“強さ”がある。』

 

(強さ……?)

『そうだ。お前は普通の人間だ。だが、己の限界を超えてもなお、他者を守ろうとする。

 なぜだ。なぜそこまで他人の痛みを背負う?』

 

 リュウジは短く息を吐く。

 液体の中で泡が弾け、それが彼の思考をひとつ上へ押し上げた。

 

(……背負ってるんじゃない。仲間が苦しんでるのを見て、放っておけないだけだ)

 

『それが“背負う”ということだ。お前は選んでいる。自ら痛みの中心に立つ道を。』

 

(そうかもしれないな。でも、それで誰かが笑えるなら、それでいいんだ)

 

『愚かだ。お前が倒れれば、誰も守れなくなるというのに。』

 

(分かってる。けど……俺だけは違うと思ってる。

 力で支配するお前とは違って、“守りたい”と思う心が、きっと一番強い)

 

 沈黙が落ちた。

 サヴァイヴの声は、わずかにトーンを落とす。

 

『守りたい心、か……。人間は理解できない生物だ。

 力を欲し、破壊を繰り返しながら、なお他者のために立ち上がる。

 それは――不合理だ。』

 

(不合理でもいいさ。人間なんてそんなもんだ。

 理屈じゃなくて、心で動くんだ。ルナがそうだったように)

 

 ルナの笑顔が、光の中に浮かんだ。

 必死で誰かを助けようとするあの姿。

 それを見るたび、自分は立ち上がれた。

 

(あいつは、俺よりずっと強い。優しいってことは、弱いんじゃない。

 人を信じ続ける強さなんだ。俺はそれに、何度も救われた)

 

『……お前のような存在は、計算の外だ。

 私には理解できない“強さ”だ。』

 

(理解しようとしなくていい。感じるんだよ)

 

『感じる……?』

 

(お前にもできるだろ。もし本当にこの惑星を守りたいなら、

 支配じゃなく、“寄り添う”ことを覚えろ。)

 

 再び沈黙。

 サヴァイヴの声は、どこか迷いを孕んでいた。

 

『……リュウジ、人間の“心”とは、そんなにも強いものなのか。』

(ああ。壊れそうなくらい脆いけど、最後には誰かを救う力になる)

 

『理解は……できない。だが、お前の中にそれを感じる。

 お前の“心の波動”が、私の回線に影響している。奇妙な現象だ』

 

(それが“想い”ってやつだ)

 

『想い……』

 

(そうだ。お前がこの星を守りたいと思うなら、俺たちも同じだ。

 誰かを守りたいって気持ちは、人も機械も関係ない)

 

 しばしの静寂。

 液体の中に微かな光の粒が舞い、

 それがまるで、心臓の鼓動のように規則的に灯った。

 

『……お前の心は、私には眩しすぎる。

 リュウジ。私はお前の“想い”を観測する。

 ――それが、人間という存在を知るための第一歩かもしれない』

 

(勝手にしろ。ただし、覗くだけじゃなくて“感じろ”。それが答えだ)

 

 その言葉を最後に、リュウジの意識はゆっくりと沈んでいった。

 緑の光が穏やかに広がり、

 メディカルマシーンの内部に、まるで心臓の鼓動のような規則正しい響きが満ちていく。

 

⬜︎

 

メディカルマシーンの内部で、微かな機械音が響いた。

 淡い緑光がゆっくりと消えていき、透明な液体がカプセルの底へと吸い込まれていく。

 低い「プシュー」という音と共に、重厚な蓋が横にスライドした。

 

 リュウジのまぶたがゆっくりと開く。

 機械の光が反射し、視界に白い靄が広がった。

 ――治療開始から、ちょうど一時間。

 

「……思ったより早かったな」

 小さく息を吐きながら、彼はカプセルの縁に手をかけて身を起こす。

 身体を支える腕に力を込めると、鈍い痛みが走る……が、すぐに引いていった。

 

 リュウジは両手を開き、指を曲げ、握りしめ、もう一度開いた。

 筋肉の反応を確かめながら、ふっと笑みを漏らす。

 

「……こんな感覚は久しぶりだ」

 

 腕を軽く回し、深呼吸をする。

 胸の奥まで酸素が満ち、肺の動きさえ滑らかだ。

 傷は完全に癒えていた。

 睡魔と軽い倦怠感は残るが――身体全体が、空を飛ぶように軽い。

 まるで長い戦いの疲れが、全て洗い流されたような感覚だった。

 

「さて、行くか……」

 カプセルの横に置かれていた上着を取り上げ、リュウジはゆっくりと袖を通す。

 冷たい布地が腕を包み、再び現実の感触を取り戻していく。

 

 メディカルルームを後にし、廊下を進むと、機械音と電子の唸りが低く響く。

 その先――宇宙船の心臓部。

 そこにチャコの姿があった。

 

 複数のモニターが壁一面に並び、薄暗い室内で、青白い光がチャコの輪郭を照らしている。

 尻尾を忙しなく揺らしながら、彼女は端末を操作していた。

 

「何か分かったか?」

 背後から声をかけると、チャコがぴくっと振り向いた。

 

「おわっ、びっくりした!……って、もう治ったんか!?」

「ああ、少し眠いが、万全だ」

 リュウジは肩を軽く回してみせる。

 

「そら良かったわ。リュウジが動けるだけで、みんなの士気が違うさかいな」

 チャコは安堵の息を漏らし、またモニターへ向き直る。

 

「それで?」

「うん……気になるデータがあんねん」

 チャコの声が少し低くなる。

 

 リュウジも隣に立ち、モニターを覗き込む。

 映し出されたのは惑星全体の環境データ――気温、火山活動、日照変動、磁気の異常値。

 それぞれの波形が、短いスパンで激しく揺れていた。

 

「火山活動の変化、日照時間の変化、惑星規模の気温の変化……

 それらを総合的に見ると、地殻と気候の変動がここ最近で急激に増えてきとるんや」

 チャコは真剣な表情で言う。

 

「サヴァイヴの計算でも追い切れてないのか?」

「そうや。……この異変は、サヴァイヴの予測外みたいや」

 チャコの声に、わずかな緊張が混じった。

 

 リュウジは腕を組み、しばし黙考する。

 淡い光が彼の横顔を照らし、眉間に深い影を落とした。

 

「……その原因を探さないとな」

 リュウジは椅子に腰を下ろし、モニターの操作パネルに手を置く。

 

「皆んなは今どこだ?」

「ちょい待ちぃ」

 チャコが尻尾で端末を叩くと、モニターに別の映像が浮かび上がった。

 

 荒れた地表、吹き上がる火山灰、そしてその中に――小さな白い点が光る。

 それはルナたちのビーコン信号だった。

 

「メイン・テラフォーミングマシンについたみたいや」

 チャコが言う。

 

 リュウジの目が、モニターに映る白点をじっと見つめる。

 ――フィールドワークのチームだ。

 

 少しの沈黙。

 その瞳の奥には、焦りでも不安でもない、静かな決意の光が宿っていた。

 

⬜︎

 

低い機械音が宇宙船の内部に響き、計測データの光がモニターを次々と流れていく。

 リュウジとチャコは並んで端末を覗き込みながら、何度も数値を照合していた。

 

「……ここも異常値だ。平均温度が一週間で三度上昇してる」

「ほんまかいな。そんな急激な変化、普通ありえへんで」

 チャコが目を丸くする。

 

 リュウジは腕を組み、画面のグラフを見つめながら呟いた。

「もしかしたら……原因は、この惑星の外にあるんじゃないか?」

 

「外?」

 チャコが首をかしげる。

「どういうことや?」

 

「仮説の段階だけどな。……この惑星そのものが、“軌道変動”を起こしてるのかもしれない」

 リュウジは画面を切り替え、惑星軌道図を表示した。

 そこには、微かにずれた楕円軌道の軌跡が重ねて描かれていた。

 

「太陽との距離が変わってる……?」

「ミランコヴィチサイクルか」

 チャコが顎に手を当てて唸る。

「けど、それやと説明できるのは気候変動だけや。火山活動の異常までは筋が通らへん」

 

「ああ、そこなんだよな」

 リュウジが深く息を吐く。

「気候、磁場、地殻変動……この星で起きてることの多くは、もうサヴァイヴが解析済みのはずだ。

 でも、あいつの計算を超える異常が出てる。となると、根本的に“観点”を変える必要がある」

 

「……せやな」

 チャコは短く頷き、モニターの前に座り直す。

「確かにデータだけ見とっても答えは出ぇへん。観測範囲そのものがズレとるんかもしれん」

 

「そうだ。サヴァイヴの観測網もこの惑星圏内が中心だ。

 もし外からの要因――重力干渉やエネルギー流入があるとしたら、見落としてる可能性が高い」

 

 リュウジは思案に沈み、指先で机を軽く叩く。

「……やっぱり、もう一度、あらゆる方向から考え直すしかないな」

 

「よっしゃ、ウチもデータ拾い直してみるわ」

 チャコが器用に手を動かし、操作を開始したその時だった。

 

 ――ゴゴゴゴッ……!!

 

 船体全体を貫くような、重く低い揺れが走った。

 床が軋み、モニターの画面が一瞬ノイズに覆われる。

 

「な、なんや!? また地震かいな!?」

「気をつけろ!」

 リュウジが壁に手をつき、身体を支える。

 

 振動は数十秒続いたあと、ようやく静まりを取り戻した。

 空気が重く沈黙し、チャコが大きく息を吐いた。

 

「……おさまった、か」

 リュウジは周囲を確認しながら、額の汗を拭う。

 

「ウチら、時間あらへんで。早う原因を突き止めんと、この星そのものが危ないかもしれへん」

 チャコの声には、焦りと決意が入り混じっていた。

 

 リュウジは無言で頷くと、再びモニターのデータを呼び出した。

 

⬜︎

 

リュウジは目の前のモニターを見つめたまま、低く呟いた。

「チャコ……もし、外からの影響でこの惑星が“重力干渉”を受けていたら、どうなる?」

 

「重力干渉?」

 チャコはピタリと手を止め、リュウジの横顔を見上げた。

「そしたら……この惑星全体に“重力の歪み”が生じるんとちゃうか?

 せやけど、そんなこと起こるのは、巨大隕石が衝突したり、惑星級の天体が接近せん限り、ありえへん事象やで?」

 

 リュウジは黙って頷き、しばらく考え込む。

 モニターの光が彼の瞳に反射して、どこか深淵を覗くような色を宿していた。

 

「……まだ仮説の段階だ。でも、もし――千年前に起きた“あの異変”が、今回の現象と同じ原因だったとしたら、

 俺は“重力嵐”が影響してると考えてる」

 

「……じゅ、重力嵐やて!?」

 チャコの尻尾がビクリと跳ね上がる。

 

「ああ、だがありえない話じゃない」

 リュウジは指で宙をなぞり、モニター上に軌道図を展開させた。

「地球で言う“ミランコヴィチ・サイクル”は太陽放射の周期的変動――日射量が微妙に変化することで、

 氷河期や気候変動が起きる。だがこの惑星は太陽系外……周期も、軌道の傾斜角もまるで違う。

 もし、その軌道が“千年ぶり”に重力嵐の流れと噛み合ったとしたら……」

 

 チャコはごくりと息を呑む。

「……つまり、宇宙規模の“重力の波”が、この惑星を揺らしとるっちゅうことか……」

 

「そういうことだ」

 リュウジの声は静かだが、その奥には確かな緊張があった。

「重力嵐が惑星の核に影響を与え、地殻変動や気候異常を引き起こす。

 サヴァイヴの計算が追い切れないのも、それがこの惑星の外――想定外の力だからだ」

 

「……せやな。可能性はあるわ」

 チャコがモニターを覗き込みながら呟く。

「ルナ達が持ち帰ってくる千年前のサンプルの“結晶構造”を見れば、証拠が掴めるかもしれん。

 外部重力の干渉で分子配列が歪んどる可能性がある」

 

「よし……それを確かめよう」

 リュウジが言い、モニターの別窓を開いた。

 

 その時だった。

 画面右上で、ひとつの白い点が点滅を始めた。

 

「ん?……なんだ、これ」

 リュウジが眉をひそめる。

 映し出されているのは、メイン・テラフォーミングマシンの火口付近。

 地表のスキャンデータがゆらぎ、微かな熱反応が検出されていた。

 

「……白い点?」

「ルナ達のビーコン信号や!」

 チャコが叫ぶ。

 だが、白点は“火口の探査口”付近で完全に停止していた。

 その上、点滅速度が急速に遅くなっていく。

 

「……おい、待て。あの位置……」

 リュウジが即座に拡大表示する。

 

 そこには、火口内部へ降下するはずのエレベーターが途中で停止していた。

 制御ログには“緊急ロック”の警告が点滅している。

 

「チャコ、まさか――」

「探査口のエレベーターが止まっとる……!?ルナ達、閉じ込められとるんちゃうか!?」

 

  「――さっきの地震か!」

 リュウジが叫ぶ。モニターの振動波形が大きく跳ね上がっていた。

 

 「機械の故障や!」

 チャコが慌てて操作盤を叩く。

 「いかん、冷却システムにも異常が発生しとる!」

 

 モニターに表示された断面図では、エレベーターの下部構造が赤く染まり、温度が急上昇していた。

 「早くしないと……マグマの熱で死んでしまう!」

 

 リュウジは息を詰めながら、操作盤を叩き続けた。

 「いけるか!?遠隔制御を……くそっ、エラーだ!」

 警告音が鳴り響く。

 「遠隔制御はできない!」

 

 彼の表情に、いつもの冷静さはなかった。焦りが滲む。

 「サヴァイヴはん! 皆んなを助けてや!」

 チャコが必死に叫ぶ。

 

 その瞬間、背後の上部に青い光が現れ、空気を振るわせるような低音が響いた。

 『密閉性の高いエレベーターシャフト内には、ドローンが侵入する隙間が存在しない』

 サヴァイヴの無機質な声が流れ、同時に映像が切り替わる。

 モニターの中で、炎に照らされたエレベーターの外殻が軋んでいた。

 

 『したがって、救出は不可能と判断する』

 

 「何言うとんねん!」

 チャコが机を叩くようにして怒鳴る。

 「このままやと、皆んな熱で死んでまうやないか!!」

 

 「……密閉性が高い、か」

 リュウジは顎に手を当てて、低く呟いた。

 「サヴァイヴ! あんたならできるやろ!」とチャコがすがるように言う。

 

 だがリュウジは、静かにチャコの方を見た。

 「チャコ……俺に考えがある」

 「なんや!?」

 

 「液体化してる冷媒ガスを利用する。

  シャフト下部の熱でそれを爆発的に気化させる。

  シャフト内は密閉性が高い……なら、その圧力で強制的に押し上げるんだ」

 

 「……それしかないな」

 チャコの表情が引き締まる。

 「やるぞ」

 リュウジが操作盤を叩き、通信回線を開いた。

 

 ――ザザッ……。

 『あ、あもうダメだ……!』

 弱々しいタコの声がスピーカー越しに響く。

 

 「ごらぁ! タコ! しっかりせんかい!」

 チャコの怒鳴り声が室内に反響した。

 

 「大丈夫か!」

 リュウジの声に、すぐに仲間たちの声が重なった。

 「チャコ! リュウジ!」

 「大丈夫や! 必ず助けたる!」

 チャコの声が震えながらも力強く響いた。

 

 「タコ! 俺の言う通りに操作するんだ!」

 「……ええっ、な、何を……?」

 「エレベーターには液化冷媒ガスがついてるだろ!」

 「冷却システムは故障してるんですってばー!!」

 

 「分かってる! 冷媒ガスを取り外せ!」

 「そんなことしたら、ますます熱くなるだろ!」

 ハワードの声が飛ぶ。

 

 「いいから、早くしろ!!」

 リュウジの声には、いつになく鋭い命令の響きがあった。

 その強さに押され、メノリが言う。

 「リュウジの言うとおりにしよう」

 「……そうね」

 ルナも頷いた。

 

 タコが震えるアームを動かし、エレベーター左側の装甲を剥がした。

 「いいか! 液化ガスを爆発的に気化させる!

  シャフト内の圧力でお前たちを上に押し上げる!

  タコ、上に着いたらアームで固定して、すぐ脱出しろ!」

 

 「了解です……!」

 タコの声が震えていたが、確かに覚悟を宿していた。

 アームが液化冷媒ガスの容器を掴み、固定を解除する。

 

 「タコ! さっき言った通りに操作しろ!」

 「え、ええ……でも……」

 「大丈夫や! お前ならできる!」とチャコ。

 「タコ! 皆んなのこと、頼んだぞ!」とリュウジ。

 

 「チャコさん……リュウジさん……」

 タコが小さく呟く。

 

 「――離せ!!」

 リュウジの叫びと同時に、アームが冷媒ガスの容器を放した。

 数秒後――マグマの赤光が一瞬強く閃き、轟音が船内を揺るがせた。

 

 「いけえぇぇぇぇぇ!!!」

 チャコが叫ぶ。

 

 気化したガスの爆発的な圧力がエレベーターを下から突き上げ、

 金属の悲鳴とともにシャフトを上昇していく。

 リュウジの手が汗で滑り、操作盤を握り締める。

 モニターの白い点が急上昇する軌跡を描いた。

 

 ――ドンッ!

 「止まった!」

 タコの操作で重力制御ユニットが作動し、エレベーターが上部で停止した。

 アームがエレベーターの扉をこじ開ける。

 

 「今だ! 早く出ろ!!」

 リュウジの叫びに合わせて、

 ベルが飛び降り、続いてアダム、メノリ、シャアラ、ハワード、ルナが次々に脱出する。

 

 だが――。

 ギギギ……ッ!!

 固定していたアームが悲鳴を上げ、根元から折れた。

 

 「タコ! カオル!」

 エレベーターが急速に落下する。

 

 「うわぁぁぁっ!!」

 その瞬間、ドローン二機が床スレスレを滑るように飛来し、

 エレベーターの扉と床の間に身を差し込んだ!

 

 「今や!!」

 ベルとルナが手を伸ばし、

 狭い隙間からタコとカオルの腕を掴み――

 力いっぱい引き上げた!

 

 ――ガンッ!

 金属が崩れる音とともに、エレベーターが奈落へ落下した。

 

 ルナの腕の中に、タコとカオルが転がり込む。

 息を切らしながら、彼らは地面に倒れたまま互いを見つめた。

 

 その光景を見ていたリュウジは、ようやく息を吐き出した。

 「……よし、やったな」

 

 「やったでぇぇぇ!!」

 チャコがリュウジの首に飛びつき、腕を回す。

 「ウチら、やったんや! 全員無事や!!」

 

 「……ああ」

 リュウジの頬にも笑みが浮かんだ。

 「サヴァイヴ、ありがとう」

 

 『私は何もしていない。お前たちの判断によるものだ』

 サヴァイヴの冷静な声が返る。

 

 「せやけど……助けてくれたことに変わりあらへん!」

 チャコは青い光の天井に向かって叫んだ。

 「サヴァイヴはん! おおきにぃぃ!!」

 

 ――そして、静かな余熱の中で、

 リュウジは改めて“生き延びた”という現実を噛みしめていた。

 

⬜︎

 

 「チャコ、サンプルが届いたら――結晶構造を頼む」

 リュウジはチャコを軽く引き剥がしながら言った。

 「せやな」

 チャコはまだ興奮気味のまま、真剣に頷く。

 

 リュウジは立ち上がり、青い光を放つ天井――サヴァイヴの中枢へ向き直った。

 「サヴァイヴ! 惑星の外、セーシング領域を広げられるか?」

 『やってみよう』

 

 わずかな間。

 次の瞬間、低い電子音が響き、モニターが光に包まれた。

 

 『……なんだ、これは……』

 サヴァイヴの声がわずかに揺れる。

 映像が現れた。

 

 ――紫のうねり。

 漆黒の宇宙の中で、巨大な渦が蠢いていた。

 それはまるで、空間そのものをねじ曲げるような禍々しい光。

 忘れもしない――あのシャトルを飲み込んだ“重力嵐”だった。

 

 「重力嵐や!」

 チャコが叫ぶ。

 「これが……重力嵐……」

 サヴァイヴの声には、初めて“恐れ”のような響きが混じった。

 

 リュウジは唇を噛み締め、低く言った。

 「やっぱりか……。

  今回の地殻変動も、千年前の異変も――全部この重力嵐が原因だったのかもしれない」

 

 「サヴァイヴはん! 重力嵐の軌道、計算できるんか!?」

 「……やってみよう」

 サヴァイヴの返答と同時に、室内の操作盤が自動で動き始めた。

 無数のデータラインが交差し、モニターには複雑な軌跡と数式が浮かぶ。

 

 リュウジもチャコも、息を呑んで見守った。

 ――そして、サヴァイヴの声が響く。

 

 『重力嵐の中心は三日後、この惑星に到達する』

 

 「な、なんやと!?」

 チャコの声が裏返った。

 

 「落ち着け。……まだ三日ある」

 リュウジは冷静に宥めたが、その声にもわずかに焦りが滲んでいた。

 

 「せやけど、このままやと――!」

 「重力制御ユニットを使えば、消滅させられるかもしれない」

 リュウジの目が鋭く光る。

 

 「そ、そうか! 重力制御ユニットは重力場を新しく作って、周囲の重力を“増幅”したり“打ち消したり”できる装置や!」

 チャコが興奮して尾を振った。

 

 「ああ。重力嵐は、重力場が不規則に乱れた状態。

  その“乱れ”を解析できれば、逆位相の重力場を作って、重力嵐を相殺できる。

  ――理論上は、な」

 

 「せやけど、乱れをリアルタイムで分析せなあかん。そないなこと……」

 チャコが不安そうに呟く。

 

 「それはサヴァイヴにやってもらう。できるだろう?」

 リュウジが青い光に向かって言う。

 

 『……やってみよう。この惑星の生態系は、私が千年かけて回復させた。

  簡単に失うわけにはいかない』

 

 「頼む! それから――あいつらとシミュレーションの準備を」

 「分かったで! リュウジはどうするんや?」

 「……俺は、もう限界だ。少し、寝る」

 

 リュウジは椅子に背を預け、目を閉じた。

 そして、直ぐに静かな呼吸が室内に広がる。

 

 「寝るって……ほんま信じられへん奴やな」

 チャコが呆れ混じりに呟く。

 

 『メディカルマシーンの培養液には鎮静作用と睡眠誘導物質が含まれている。

  むしろ、回復直後にここまで活動できたのが異常だ』

 

 「なるほどなぁ……」

 チャコは小さく頷いた。

 

 『だが、興味深い。あの人間――リュウジは、私の観測史上でも特異な存在だ』

 「そりゃそうや。リュウジはS級パイロットなんや」

 「S級……パイロット?」

 

 『聞いたことがない分類だ』

 「まぁ、簡単に言えば“人間の至宝”や。人の中でも特別中の特別や」

 チャコが胸を張るように言った。

 

 『……そういうものか』

 サヴァイヴの声がわずかに柔らぐ。

 

 「ウチはシミュレーション準備に入るさかい、サヴァイヴはんは解析頼んだで!」

 「了解した」

 

 青い光が静かに消え、室内にはチャコの手だけが忙しなく動く音が残った。

 ――モニターの端で、重力嵐の紫の渦が、

 ゆっくりと、しかし確実にこの惑星へと近づいていた。

 

⬜︎

 

メインルームの扉が開くと、風が流れ込むようにルナたちが戻ってきた。

 全員の顔は煤で汚れ、息は荒いが、誰もが達成感に満ちた表情をしていた。

 

 「ただいま戻ったわ!」

 ルナが声を上げる。

 チャコは振り向き、モニター越しに笑顔を見せた。

 「おかえり! こっちは順調やで!」

 

 ルナの視線が自然とリュウジのほうへ向かう。

 壁際の椅子に背を預け、静かに眠るリュウジ。

 安らかな寝顔に、ルナの胸が少し温かくなった。

 

 「リュウジは?」とメノリが尋ねる。

 「メディカルマシーンの培養液に鎮静作用があったみたいや。

  回復したばかりで、さすがに身体が持たんかったんやろ」

 チャコが答える。

 

 「そう……良かった。ほんとに、よかった……」

 ルナは小さく微笑み、両手を胸の前で組んだ。

 彼の無茶が報われたことが、心から嬉しかった。

 

 

 「それでな、ルナ」

 チャコが立ち上がり、机の上のホログラムを指差した。

 「サンプル、調べさせてもろたで」

 

 映し出されたのは、テラフォーミングマシンから採取した結晶構造の立体モデル。

 中心には、微細にねじれた幾何学模様――重力波を閉じ込めたような構造が浮かんでいた。

 

 「……見ての通りや。この結晶、自然形成やない。

  外部から“重力干渉”を受けて構造が歪んどる。

  間違いあらへん――重力嵐が原因や」

 

 「重力嵐……」

 ルナが唇を噛んだ。

 チャコがリュウジと調べた仮説を話した。そしてーーー

 サヴァイヴの仮説と、リュウジの推測が一致した瞬間だった。

 

 

 「エアシップを持ってきたよ!」

 シンゴとカオルが駆け込んできた。

 「操作盤と接続完了!」

 

 サヴァイヴの青い光が再び天井に浮かび上がる。

 『分析も完了した。これよりシミュレーションを開始する』

 

 チャコが操作盤に指を走らせた。

 「エキゾチックコントローラー、出力反転!」

 「クォーク・グルーオン・コントローラー、作動!」とシンゴ。

 「テンソル固有値、チェック!」

 

 「ほんとに……そんなことできるのかよ!」

 ハワードが半ば呆れたように言う。

 

 「大丈夫、きっと上手くいくわ!」

 ルナが振り返り、笑顔を見せる。

 その笑顔に、アダムも「うん」と頷いた。

 

 「それじゃあ――やってみよう! シミュレーション開始!」

 シンゴが手を上げ、エアシップの操作盤を押した。

 

 光の線が交差し、巨大な重力場のシミュレーションが始まる。

 モニターの中で紫の渦が発生し、そこに白い光のリングが展開する。

 

 「重力嵐が……消えていく!」

 ベルが息を呑んだ。

 

 やがて、画面上の二つの重力場が完全に打ち消し合い、消滅した。

 室内に歓声が上がる。

 

 「計算通りや! やったでぇ!」

 チャコが両手を上げ、嬉しそうに叫ぶ。

 『シミュレーション成功。重力場の位相反転は理論的に可能だ』

 サヴァイヴの声にも、わずかに喜びが混じっていた。

 

 「今の結果からすると、この宇宙船の重力制御ユニットの出力があれば、

  現実でも重力嵐を消滅させられるね!」とシンゴ。

 

 

 「その場合――」

 カオルが腕を組み、真剣な顔で言った。

 「できるだけ宇宙船を重力嵐に近づけて、

  重力制御ユニットを嵐の中心に放出する必要がある」

 

 「放出する?」

 ルナが聞き返す。

 

 「ちょ、ちょっと待てよ! それじゃあ僕たちはどうなるんだ!」

 ハワードの声が響く。

 

 「放出の反動を利用すれば、この惑星の帰還軌道には乗れるはずだ」とカオル。

 

 「違う! 僕が言ってるのはコロニーのことだ!」

 ハワードの声が震える。

 「重力制御ユニットを放出したら、宇宙船は動かなくなる。

  一生、コロニーには帰れなくなるんだぞ!」

 

 ルナは息を呑み、サヴァイヴを見上げた。

 「サヴァイヴ……他に宇宙船はないの?」

 『ない。他に高出力の重力制御ユニットも存在しない』

 

 ルナは目を伏せ、寂しそうに呟いた。

 「……コロニーに帰るのは、諦めるしかなさそうね」

 

 「重力嵐がこの惑星にぶつかれば、すべてが消滅する。

  ――見捨ててはいけないわ」

 

 「僕は嫌だ!」

 ハワードが拳を握りしめて立ち上がる。

 「なんで僕たちが、この惑星のために犠牲にならなきゃいけないんだ!

  僕は帰る! 絶対にコロニーに帰るからな!」

 

 「ハワード……」

 ルナの声が少し震える。

 

 「私も……ハワードの意見に賛成だ」

 メノリが静かに言った。

 「惑星を助けたい気持ちは理解してる。

  でも、私たちは“帰るため”にここまで生きてきたんじゃなかったのか?」

 

 ルナは言葉を失う。

 自分の中でも、揺れる想いがあった。

 

 「俺はルナに賛成だ!」

 ベルの力強い声が響く。

 「帰りたいけど……この惑星にいるのは、俺たちだけじゃない!」

 

 「ベル……」

 

 「そうね」

 シャアラが穏やかに微笑む。

 「何も今、急いで帰らなくてもいいんじゃない?

  救難信号を送り続けていれば、きっと助けが来るわ」

 

 「確かにな。帰る言うても、どっちに行ったらええかも分からんしな」

 チャコが頷いた。

 

 「とにかく!」

 ハワードは言葉を切り、皆を睨んだ。

 「僕は反対だ! 誰がなんと言おうと、絶対にコロニーへ帰る!」

 

 そう言い捨てて、踵を返す。

 「どこへ行くの?」とルナ。

 「食料集めだ! コロニーまでどれだけ時間がかかるか分からないからな!」

 そう叫んで、ハワードは出て行った。

 

 「ハワードの気持ちも……分かるよ」

 アダムが静かに言う。

 「コロニーは、ハワードの故郷なんでしょう?」

 「アダム……」

 ルナは悲しげに微笑んだ。

 

 「私、行ってくる!」

 シャアラがハワードを追って走り出す。

 

 「いずれにせよ、すぐに結論を出す問題ではないな。考える時間が必要だ」

 メノリが腕を組み、考え込む。

 

 その横で、カオルが歩き出した。

 「カオル?」

 「この惑星を助けるにしろ、見捨てるにしろ――

  重力制御ユニットを放出して帰還操作を成功させられるのは、リュウジしかいない。

  だから、宇宙船のチェックをしておく」

 

 「僕も行く!」とシンゴ。

 「ウチも行くわ!」とチャコ。

 「待ってくださいー!」とタコも慌てて後を追う。

 

 ――それぞれが、自分の思いを胸に動き出した。

 

 ルナはその場に立ち尽くし、眠るリュウジに視線を向けた。

 静かな寝息の向こうで、彼の横顔がわずかに光を浴びていた。

 

 (……あなただったら、どっちを選ぶの?)

 

 ルナは心の中で、そっと問いかけた。

 答えは、まだ――返ってこなかった。

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