シャトルの中では皆が寝静まり、かすかな寝息と時折寝返りを打つ音だけが響いていた。だがルナの瞼には眠気は訪れず、昼間の出来事が何度も蘇っては胸を締め付ける。
――不用意な発言は皆を失望させるだけだ。
メノリにそう言われたときの冷たい視線、そして小さくしか返せなかった「ごめん」という言葉。思い出すたびに喉の奥が熱くなり、心が沈んでいく。
やがてルナは堪えきれずに寝袋を抜け出し、外へと歩み出た。夜の空気は冷たく、星々の瞬きがあまりにも鮮やかで現実味を失わせるほどだ。そんな静けさの中、かすかに橙の光がゆらめいているのを見つけた。
近づけば、それはシャトルから少し離れた場所で燃える焚き火だった。
炎を囲む影が二つ――カオルとリュウジだ。
思わずルナは足を止め、シャトルの外壁の陰に身を潜めた。息を潜め、二人の声に耳を澄ます。
「……で、明日からどうするつもりだ」
低く静かな声はカオルのものだ。火に照らされる横顔は影を落とし、どこか険しい。
リュウジは薪を一本くべ、淡々と返した。
「丸太と蔓を倍以上にするしかない。今日の失敗はその証拠だ」
カオルは腕を組み、しばらく火を見つめた後、ぽつりと口を開いた。
「……なあ、シャトルを使う案はどう思う?」
ルナの心臓が跳ねた。思わず胸に手を当てる。
――自分が提案した案。その言葉が、今、カオルの口から出ている。
リュウジは短く息を吐き、しばし考え込むように炎を見つめた。
「難しいだろうな」
「やっぱりそうか」
カオルの声には予想通りという響きがあった。
リュウジは低い声で続ける。
「まず重すぎる。鉄板一枚でも数人がかりで運ぶことになる。しかも木の上まで引き上げるのは至難の業だ」
カオルはうなずきながら顎に手を当てる。
「強度さえ確保できれば、あれ以上の材料はないんだがな」
「それに……」リュウジは火を見つめたまま言葉を継ぐ。
「シャトルはまだ俺たちの唯一のシェルターだ。嵐や獣に襲われたとき、最後に戻れる場所を失うのは危険すぎる」
その言葉にルナの胸がぎゅっと締め付けられる。
(やっぱり……私の案は、無茶だったんだ……)
カオルは無言で薪を火に押し込み、ぱちぱちと爆ぜる音だけが夜に響く。やがて低く、落ち着いた声で言った。
「ルナは皆を思って提案したんだ。……悪く思うなよ」
リュウジは焚き火の炎に目を細め、僅かに肩をすくめた。
「分かってる。ただ、現実は甘くない。それだけだ」
炎の揺らめきに照らされた二人の横顔は真剣そのもので、無駄な感情の揺れをほとんど見せない。だが、そこには仲間をどう守るかという確かな意思が込められているのが伝わってきた。
ルナは胸の奥がちくりと痛むのを感じながらも、二人が自分のことを軽んじているわけではないことを理解した。むしろ、現実を直視し、皆を守るための道を必死に探しているのだ。
――自分にはまだ、その冷静さも、重みを受け止める力も足りない。
シャトルの陰に潜むルナは、頬を伝う涙をそっと拭った。
火の温もりが届かない場所で、彼女はひとり小さく息を殺し、二人の背中をただ見つめていた。
夜の火は、もうほとんど燃え尽きていた。灰がふっと舞い上がり、星の光がそれをさらっていく。シャトルの外壁に寄り添うルナは、暗がりに身を潜めたまま、カオルとリュウジの低い会話を聞いていた。二人の声は小さく、それでいて確かな重みがあった。
「……だが、シャトルで使わん部品なら流用してもいいと思う」
リュウジの声は静かだ。焚き火の残り火に照らされた彼の横顔は、いつもより少し柔らかく見えた。
カオルが短く反応する。
「使わない部品って、具体的には?」
「例えばだ」リュウジは炎を見つめながら言った。「客席と操縦席を区切る仕切り板とか、エマージェンシールームの外壁に使われている鉄板。ああいうのはシャトルの本体ではあるが、構造的に外しても母体の強度に致命的な影響を与えない箇所があるはずだ。あれをうまく外して基礎材に使えれば、丸太の量はぐっと減らせる」
ルナは思わず息を飲む。あの銀色のシャトルの壁が、ここで役に立つという発想は彼女にもあったが、具体性が足りなかった。リュウジは初めから現実の目で計算している。
カオルは短く「確かにな」と言い、腕を組んで眉間にしわを寄せた。
「でも、溶接してあったり取り付けが一体化してたりして、簡単に外せないんじゃないか?」
「そうだ、普通なら外せない」リュウジが頷く。「だがチャコがいれば話は違う。チャコには電子カッターがあるだろ。あれで分離できれば、切り離して運べる。板の一枚一枚は三、四人で運べる重さにできるはずだ」
ルナは胸の奥が跳ねるのを感じた。チャコが持っている旧式の機器――彼女のジャックイン機能や分析機能だけではない、物理的に切断する装備があったことを思い出す。チャコはいつも自分の能力を卑下するが、こうした冷静な分析には強い。
「それに蔓を最低限にして、木組みで保持するってのはどうだ?」リュウジは続けた。「木組みをきちんと作れば、蔓の負担は格段に減る。丸太の接合を増やして力を分散させれば、蔓はただの補助にすぎなくなる」
カオルはその言葉にふっと鼻で笑った。静かな夜の空気の中で、その笑いは柔らかかった。
「随分と考えてるんだな、リュウジ」彼は呟くように言った。
「設計は難しい。木組みは職人仕事だ」リュウジは認める。「だがシンゴがいる。丸太を正確に削るのは得意分野だし、チャコがもし電子カッターで鉄板を切り離せれば、材料の調達は可能だ。やれないことはない」
暗がりでルナは、胸の中がじんと熱くなるのを感じた。仲間たちの顔が思い浮かぶ。――皆の力が合わされば、見えない壁は越えられるかもしれない、と。
カオルは肩の力を抜き、短く吐き出した。
「……お前が言うなら、試してみる価値はあるな。」
言葉が途切れた。彼はゆっくりとルナの隠れた場所の方へ視線を向けているような錯覚をルナは覚えたが、実際には火の揺らめきを見つめているだけだった。
リュウジは静かに続ける。
「それでも丸太の数は増やす必要はある。蔓も今までより太く頑丈なものを探す。だが蔓ばかりに頼らない。接合を増やし、三角構造を多用して揺れを分散させる設計にする。チャコが設計図を描き、シンゴが加工を担当すれば、精度は出せる」
その案を聞いて、カオルは少しだけ感情が表れたように笑った。
「お前、随分と具体的だな」彼は短く言う。言葉は少ないが、ルナはそこに評価の気持ちを読み取った。
「ルナはいつか、自分の限界を超えて倒れる」リュウジが、ふと低くつぶやく。言葉は針のように鋭いが、その奥にはまた別の温度がある。
「もしあいつが倒れたら、今のメンバーじゃ生き残れない」
火のはぜる音が答えであるかのようにパチリと弾ける。
カオルはその言葉に黙って頷くと、ふっとさらに呟いた。
「……あいつは、不思議なやつだ。俺が閉ざした心を、なぜか揺さぶってくる」
その言葉は、ルナの胸をぎゅっと掴んだ。彼らはルナを見守り、時に距離を置き、しかし確かに彼女のことを見ている。ルナは静かに、暗がりの中で拳を握りしめる。涙が一粒、頬を伝い落ちたが、冷たい砂の中に吸い込まれて見えなくなった。
リュウジが、少しだけ笑ったように聞こえる声で付け加える。
「もしかしたら、お前の心は開いてくれるかもしれないな、カオル」
カオルは火を見つめたまま、鼻先で小さく笑った。言葉は短い。
「……そんな時が来るといいがな」
ルナは息を整え、ゆっくりと体を縮める。二人の会話を聞きながら、彼女の中の重さが少しずつ軽くなっていくのを感じる。具体策が出たこと、仲間たちが自分のことを案じてくれていること、それらが希望の火種となった。
しかし同時に、ルナは自分がこれから背負う責任の大きさも感じていた。皆の期待に応えられるか、不安が胸の奥で蠢く。だが今はまだ、言葉を発する時ではない。
焚き火の炎はほとんど尽き、残り火が灰の奥で赤く脈打つように瞬いていた。
カオルとリュウジの会話が途切れると、夜の静寂が再び戻ってくる。しばらく黙ったまま火を見つめていたカオルは、やがて立ち上がった。
「……魚を取りに行ってくる」
短く言い残すと、近くに立て掛けてあった釣り竿を手に取り、振り返ることなく闇の中へ歩き去っていった。砂を踏む音が次第に遠ざかり、やがて夜風のざわめきにかき消される。
残されたのはリュウジひとり。火のそばに残り、静かに夜空を仰ぐ。どこか遠くを思い出すような、沈んだ横顔。
――そのとき、ふと背後からごく小さな気配を感じた。
リュウジは眉をひそめ、すぐさま立ち上がる。
「……誰だ!」
声は低く鋭く、闇に向けて放たれた。焚き火の残り火がぱちりと弾け、辺りに緊張が走る。
しばしの沈黙のあと、シャトルの影から小柄な姿がゆっくりと現れた。
「……ごめん、驚かせちゃった?」
両手を胸の前で合わせ、少し照れたように笑うルナだった。頬は赤く、焚き火の光と恥じらいが混じった色に染まっている。
リュウジは一瞬、驚きに目を見開いたが、すぐに小さく息を吐いた。
「……ルナか」
彼女はうつむきがちに近づき、視線を合わせようとしない。その仕草は、盗み聞きをしていたことを暗に示していた。
リュウジは腕を組み直し、焚き火の残り火を見やりながら低く呟いた。
「……なんでこんな時間に外に?」
リュウジの問いは、いつもの冷たい調子に聞こえたが、その奥に微かな警戒と――そして気遣いが混ざっているように思えた。
ルナは唇を開きかけ、すぐに閉じる。心臓が強く打って、喉が詰まる。
(どうして私は隠れてたんだろう……。でも、あの話を聞いたら……どうしても、黙っていられなかった)
「……眠れなくて」
ようやく絞り出した声は、ひどく小さく震えていた。
リュウジは腕を組んだまま視線を外さず、炎の揺らめき越しにルナを見据えていた。その沈黙が余計にルナを焦らせる。
「それに……」
ルナはほんの少し勇気を振り絞り、彼の方を見上げた。
「……さっき、話してたの。聞こえちゃった」
リュウジの瞳が細められる。驚きではなく、諦めにも似た響きがそこにあった。
「……盗み聞きか」
「ち、違うの!」ルナは慌てて首を振った。「そのつもりじゃなかった。ただ……気になって、外に出たら……聞こえてきて」
言い訳のように早口になる。だがリュウジはすぐに追及せず、ふっと小さく鼻で笑った。
「……まあ、いい」
それが許しの言葉だと気づき、ルナは胸をなでおろす。だがすぐに次の言葉が出てきた。
「……ありがとう」
「何がだ」
「シャトルの部品を使う案。……私、また無責任なことを言っちゃったって落ち込んでたから。リュウジがちゃんと考えてくれてたの、嬉しかった」
リュウジは焚き火を見つめたまま、しばらく答えなかった。赤い火がその横顔を浮かび上がらせ、硬い表情を揺らめかせる。
「……別に、お前のためじゃない。俺たちが生きるために、必要なことを考えただけだ」
突き放すような声。けれど、ルナの胸にはなぜか温かいものが広がっていた。
「それでも、嬉しいよ」
ルナはにっこり笑った。焚き火の残り火が消えかけた暗がりで、その笑顔だけが柔らかな光のように輝いて見えた。
リュウジは言葉を返さず、ただその笑顔を数秒だけ見つめたあと、ふっと目を逸らした。
「……お前は、不思議なやつだ」
その呟きは炎に飲まれ、夜空に消えていった。
ルナは胸が熱くなるのを感じながら、そっと火のそばに腰を下ろした。二人の間を満たすのは、ただ静かな夜の音と、まだ消えきらない焚き火の匂いだけだった。
夜は静かに、更けていった。
焚き火の炎は小さくなり、木の枝の先が白く赤く光っては崩れていく。その度に火の粉がふわりと宙を舞い、夜風に攫われて星空に溶けていった。
ルナは膝を抱えて座り、炎を見つめていた。リュックの中身を確かめるでもなく、ただそこにいる安心感を噛み締めるように。隣にはリュウジ。彼は組んだ腕をほどき、片膝を立てて座っている。視線はどこにも定めず、ただ暗い森の奥を警戒しているようでもあり、夜空に浮かぶ星を眺めているようでもあった。
ルナはふと、自分が一言も発さずにいられるのを不思議に思った。いつもなら誰かと一緒にいれば、場を明るくしようと自然と声をかけてしまう。けれど今は、何も言わなくてもよかった。リュウジが隣にいるだけで、沈黙が苦しくならなかった。
(なんでだろう……。ただここにいるだけなのに、落ち着く)
夜風が頬を撫でた。森の匂いと潮の匂いが混じり合い、湿った冷気が体に染み込む。ルナは少し身震いし、リュックを抱き直した。そのわずかな仕草に気づいたのか、リュウジは無言で自分の腰に掛けていた上着を外すと、ぽんとルナの肩に掛けた。
「……えっ」
思わず顔を上げると、リュウジは炎の方を見たまま、何も言わない。
ルナの胸がじんと熱くなる。
「ありがとう」
小さな声で呟くと、彼はやはり反応を返さず、ただ森の音に耳を澄ませ続けていた。
沈黙。けれど、温かい。
遠くで夜鳥の声がした。風に揺れる葉がさわさわと囁き、海の方からは波の砕ける音が届く。星は流れるように瞬き、時折、ひとすじの光が夜空を横切った。
ルナは何度も欠伸を噛み殺しながら、瞼が重くなるのを感じていた。火の暖かさと上着の匂い――少し鉄の匂いが混じるそれは、彼女にとって妙に安心できる香りだった。
(眠っちゃだめ……。リュウジが見張りをしてるのに、私だけ……)
そう思いながらも、体は正直だった。背中を木の幹に預けると、瞼がゆっくりと閉じていく。最後に見たのは、炎の橙色に照らされたリュウジの横顔――鋭く、けれどどこか遠い表情。
リュウジはちらりと横を見やった。ルナが静かな寝息を立てている。彼女の肩に掛けた上着が少しずり落ちていたので、そっと掛け直す。
「……ほんと、不思議なやつだ」
誰にも聞こえないほどの小さな声で呟く。
そして彼は再び視線を夜の闇へ向けた。眠ることのない瞳が、夜明けの気配を探し続ける。
やがて東の空がわずかに白み、闇の帳がほどけていく。木々の葉の間から零れる光が少しずつ強くなり、焚き火の残り火よりも確かな明るさを場に与えていった。
◇◇◇
ルナが小さく寝返りを打つ。リュウジは立ち上がり、背伸びを一つして息を吐いた。新しい一日が始まる――そう告げる朝の気配の中で、彼はほんのわずか、肩の力を抜いた。
東の空がすっかり白んで、森の木々の間から朝の光が差し込んできた。まだ太陽そのものは姿を現していないが、夜の闇は確かに後退しつつある。鳥たちがいっせいにさえずり出し、森は一気に賑やかさを取り戻していた。
ルナはゆっくりと瞼を開いた。肩に掛かっている上着に気づき、そして隣に座っているリュウジの姿を見て、胸が少し温かくなる。彼は火の消えかけた焚き火の前に座り、まだ夜の続きのように姿勢を崩さず周囲を見張っていた。
「……リュウジ」
小さな声で呼びかけると、彼はわずかに首を動かしてこちらを見た。
「起きたか」
それだけ。相変わらず無駄のない声。
ルナは欠伸をかみ殺しながら、上着をきゅっと抱き寄せた。
「うん……。でも、リュウジは……まだ起きてたの?」
彼は一瞬黙って、火の残りを枝で突きながら答えた。
「……別に珍しいことじゃない」
「もしかして……ずっと?」
ルナの問いに、リュウジは否定もしなかった。黙ったまま火の赤い残り火を見つめている。その沈黙が答えだと悟り、ルナの胸が少し締めつけられる。
「ねえ、ちゃんと休んでるの?」
思わず口から出ていた。少し強めの声だった。
リュウジは眉を動かし、ルナの方をちらりと見る。
「寝なくてもやっていける。そういう体になっただけだ」
「だけって……。そんなの、体に悪いよ」
ルナはすぐに食ってかかる。
「この生活だって、毎日体を動かして大変なのに。もしリュウジが倒れたら、どうするの? 私たち、困るよ」
「困らない」
短い返事だった。だが、その言葉にルナはむっとする。
「困る! ……少なくとも、私は困る」
勢いで口にしてから、はっとして唇を結んだ。頬が熱くなる。だが言葉を引っ込めることはできなかった。
リュウジは少しだけ目を細めた。まるで意外だというように、そしてどこか、困ったように。
「……お前って、本当に妙なやつだな」
「妙ってなによ」
ルナは不満げに眉を寄せた。
「普通は……俺が倒れても代わりはいくらでもいる、そう思うはずだ」
リュウジは小さく息を吐いて続けた。
「でも、お前はそうは言わない」
ルナはしばし黙り込んだ。だがやがて、まっすぐにリュウジを見て言った。
「だって、代わりなんていないよ。リュウジはリュウジだもの」
その言葉に、リュウジは視線をそらした。焚き火の灰を枝で掻き混ぜる動きが少しだけ荒くなる。照れ隠しのようにも、苛立ちのようにも見えた。
「……とにかく」
ルナは立ち上がり、朝の冷たい空気を吸い込む。
「リュウジもちゃんと休んでね。リーダーなのは私かもしれないけど、リュウジがいてくれるから、私は前を向けるんだよ」
振り返ってそう告げると、リュウジは何も答えなかった。ただ、ほんのわずか、口元が緩んだように見えた。
◇◇◇
太陽が顔を出し始め、森の緑が黄金色に照らされる。新しい一日の始まりを告げる光の中、二人の間に流れる空気はどこか柔らかく、昨夜よりも少しだけ近く感じられた。
朝の空気は澄んでいて、夜露に濡れた葉がきらきらと光を反射していた。簡素な朝食を済ませたあと、仲間たちは自然と円を描くように集まり、今日の作業について話し合う雰囲気になっていた。ルナは胸の奥で強く鼓動を感じながら、一歩前に出た。昨夜、リュウジとカオルが語り合っていた言葉が頭の中で何度も繰り返される。だが口にするのは自分自身の声でなければならない――そう思い定めて。
「みんなに……提案があるの」
声がやや震えたが、はっきりとした響きだった。ルナの言葉に全員の視線が集まる。
「やっぱり……大いなる木に家を作るなら、シャトルの鉄板を使ったほうがいいと思うの」
その瞬間、張り詰めた空気が走った。
「その意見は……昨日、却下したはずだろう」メノリが眉を寄せて冷静に応じる。
ルナは小さくうなずきながらも、まっすぐに言葉を紡ぐ。
「全部を使うんじゃないの。例えば……客席と操縦席を分けている鉄板とか、エマージェンシールームの仕切りの鉄板とか。あのくらいなら、三人か四人で力を合わせれば運べるはず。基礎にあれを使えば、丸太だけよりもずっと強くなると思う」
チャコが目を丸くし、「ほうか……それがほんまにできるんやったら、耐久力はぐっと増すやろな」と感心したように言う。
すぐにシンゴも食いついた。「それだよ! 鉄板なら虫食いの心配もないし、床がぐらつかなくなる!」
ベルも腕を組んでうなずいた。「……なるほどな。丸太の数も減らせるし、土台がしっかりすれば安全だ」
しかし、メノリは厳しい眼差しを崩さなかった。
「……それを外すのにどれくらいかかると思っている?」
短く放たれた問いは、現実の重さを突きつけるものだった。
ルナは唇を結びながらも、一歩踏み出すように声を強めた。
「確かに簡単じゃない。でも……チャコなら電子カッターを備えているはず。それを使えば溶接を切り離せる可能性がある。蔓を大量に使わなくても、木組みと鉄板を合わせれば、もっと頑丈な基礎にできるはずだよ」
チャコは腕を組んで考え込むように唸ったあと、にやりと笑う。
「……まぁ、やってみる価値はあるな。丸太を正確に削って組むんは大変やけど、ウチならなんとかなるやろ」
「……まずは調査だな。シャトルの鉄板がどんな状態か、外せるのかどうか。確かめないことには始まらない」
やがてリュウジが静かに口を開いた。
ルナは小さく息を吐き、頷いた。
「じゃあ、私と……リュウジ、チャコ、シンゴで調べに行く。他のみんなは食料集めをお願いしていい?」
それぞれが頷き、次の作業へ向けて小さな流れが生まれ始めた。
◇◇◇
シャトルの残骸は、何度見ても胸の奥を締めつけられるような景色だった。ひしゃげた外殻は太陽を反射して鈍く光り、焦げ跡と割れた配線が痛々しく残っている。だが、ここが自分たちの命を守ってきた場所であり、これから新しい家を作るための資源でもある。そう思うと、ルナは深く息を吸い込んで前へ踏み出した。
「じゃあ……調べてみよう」
ルナの声に、シンゴが頷き、背負った小さな道具袋を抱え直す。チャコは目を光らせるように機体全体を見回し、リュウジは無言で懐中ライトを取り出した。
「ここ……だよね」ルナが仕切りを指さす。
「間違いないな」リュウジが短く答える。彼は指先で鉄板を叩き、金属音を確かめた。「厚さは十分だ。丸太よりも頼りになる」
シンゴが興味津々といった様子で近づき、膝をついて留め具の部分を覗き込む。
「うわ、やっぱりガッチリ溶接されてる……。ボルト留めとかなら楽だったのに」
チャコがすかさず首を振る。
「いや、ボルトでも外すんは大変やったで。けど……ウチの電子カッターなら、ある程度は削れるはずや」
ルナは身を乗り出した。「本当に?」
「ただし、時間はかかるやろな。切断するんは容易とちゃうし、電力の消費もでかい」
その言葉にルナは一瞬顔を曇らせたが、それでもすぐに笑顔を作った。
「でも、できる可能性があるってことだよね。それなら……試してみる価値はあると思う」
シンゴが勢いよく頷く。「うん! 鉄板を基礎にできれば、丸太の数を半分に減らせるし、ぐらつきも防げる! それに、オオトカゲとかが下から攻撃してきても……これなら耐えられるかもしれない!」
その熱弁に、ルナの胸も熱くなる。しかし横でリュウジが低く言った。
「簡単に考えるな。避難場所としての機能は最低限確保されるが、鉄板を外したら、このシャトルは今よりさらに脆くなる」
沈黙が広がった。確かに、それは無視できない問題だった。今夜の寝床を危険にさらすのは、誰も望んでいない。
「……でも」ルナは小さく呟き、仲間の顔を見回した。「私たちが本当に安心して眠れる場所は、ここじゃない。大いなる木の上なんだよ」
リュウジは黙ってルナを見つめ、ふっと視線を逸らした。
「……お前は、諦めないんだな」
チャコが肩をすくめる。「まぁ、それがルナのええとこや」
シンゴも笑って加わる。「そうだよ! ルナがリーダーだから、僕たちは次の一歩を踏み出せるんだ」
ルナの胸に温かいものが広がる。だが同時に、責任の重さも強くのしかかってきた。
「……ありがとう。じゃあ、この鉄板を外すのにどれくらいかかるか、試しながら見てみよう」
リュウジは短くうなずき、懐中ライトで鉄板の隅を照らした。その鋭い眼差しには、冷徹さと同時に、どこか仲間と未来を思う気配が滲んでいた
シャトル内部は、静寂に包まれていた。
外では風に木の葉が揺れ、時折かすかなざわめきが聞こえるだけ。だが、その静けさとは裏腹に、ルナたちの胸は高鳴っていた。
「じゃあ……やってみるで」
チャコが前足のカバーを外し、収納された小型の工具を展開した。先端が淡い青色に光り、低い唸り声のような音を発する。電子カッター。旧式のロボットに搭載されていたはずのその機能が、今、この状況で新たな意味を持つ。
「ほんとに切れるんかな……」シンゴがごくりと唾を飲む。
「やるしかないだろう」リュウジが短く答え、ルナの隣に立つ。
チャコは小さく息をつくように機械音を鳴らし、鉄板の端にカッターを押し当てた。次の瞬間、眩しい火花が散った。
「わっ!」思わずルナは一歩後ろに下がる。
ジジジジ……ッ!という鋭い音が空気を震わせ、鉄と熱の焦げた匂いが漂う。青白い火花が暗がりを照らし出し、仲間たちの顔が一瞬ごとに浮かび上がる。
「……切れてる!」シンゴが目を輝かせる。
確かに、鉄板の表面に細い切れ目が走っていた。まだ浅いが、確かに金属が削れている。
「すごいよチャコ!」ルナは声を弾ませた。
「ふふん、ウチをなめたらアカンで」チャコは得意げに胸を張るように言ったが、その声に少し疲労が混じっているのをルナは聞き逃さなかった。
リュウジは腕を組んで冷静に様子を見ていた。「……悪くないな。ただ、これを一枚外すまでやるとなると時間はかかるし、チャコのバッテリーも心配だ」
チャコが肩をすくめる。「せやな。長時間は無理や。けど、部分的に切れ目を入れて、あとは俺たちで叩き割るっちゅうやり方ならいけるやろ」
「それなら……」シンゴが前に出る。「僕が工具を工夫して、てこの原理で外せるようにするよ!」
ルナは二人を見比べ、胸の奥に希望が灯るのを感じた。
「うん、きっとできるよ。時間はかかっても……絶対に」
チャコが再びカッターを当て、さらに短い切れ目を作る。火花が飛び散るたびにルナは思わず目を細めたが、その光景は未来への一歩のように見えた。
やがて、鉄板の端に数センチほどの切り込みができた。指で触れると、確かに溝ができている。
「ほんまに……いけそうやな」チャコがぼそりと呟く。
ルナはその光景を見つめながら、強く拳を握った。
「これで……みんなの家ができる。絶対に」
彼女の声に、リュウジがちらりと横目を向ける。その瞳は冷たいようでいて、どこか静かな肯定を含んでいた。
◇◇◇
大いなる木の太い枝の上に立ったルナたち四人は、思わず息をのんだ。
「……広い」ルナはリュックを抱きしめるようにして枝の上を見渡した。足場はしっかりしており、枝の間隔も整っている。
シンゴが小型の測量端末を取り出し、枝の上に設置する。赤い光が走り、やがて立体ホログラムに枝の配置が浮かび上がった。
「ほら見て! ここ、横十五メートル、縦五メートルくらい。すごくきれいに並んでるんだ。床を作るのにちょうどいいよ!」
「十五×五か……」リュウジが低く呟いた。「丸太で枠を組んで、その上に鉄板を敷いて固定する。そうすれば基礎は安定するはずだ。
チャコがホログラムに線を引きながら尻尾を揺らす。
「鉄板は二・五メートル四方のが十枚ぐらい外せそうやったな。並べれば、このサイズにぴったりや。ズレんように木組みと一緒に固定せなアカンけど、蔓だけじゃ頼りないからな。木組みで支えれば、ぐらつきはだいぶ減るはずや」
リュウジは枝の端に立ち、腕を組んでじっと下を見下ろした。
「鉄板をここまで運ぶのは簡単じゃない。三人か四人で持てる大きさだが、斜面を登り、木の上に運ぶとなれば危険もある」
「でも……」ルナは枝の上で深呼吸し、みんなを振り返った。「ここなら安全だし、みんなで暮らすのにぴったりだと思うの。高さがあるから獣に襲われにくいし、見晴らしもいい。それに……新しい生活を始める拠点にしたい」
シンゴの目が輝いた。
「空の上の家か……! ルナ、最高だよ!」
チャコも大きく頷く。
「夢があるわな。手間はかかるけど、ウチらならやれる」
リュウジはしばし無言でホログラムを見つめていたが、やがて短く言った。
「……やるなら、見積もりを立てる。丸太の数、鉄板の切り出し、運搬の手順。どれくらいかかるか把握しないと無駄になる」
ルナは強く頷いた。
「わかった。じゃあ調査班の私たちで進めよう。他のみんなには、食料の確保をお願いしないと」
四人は視線を交わし合い、胸に静かな決意を刻んだ。
――ここに、彼らの新しい家を築くのだ。
◇◇◇
大いなる木の太い枝の上。調査を終えたルナたちは、ホログラムを閉じて腰を下ろした。風に揺れる葉音が絶え間なく耳に届き、下を見れば遥か地面が霞むようだった。
「……でもさ」ルナが膝を抱えて呟く。「この高さまで鉄板を運ぶって、やっぱり大変だよね」
リュウジが短く鼻を鳴らす。
「大変どころじゃない。二・五メートル四方の鉄板を十枚。持ち上げるだけで相当の労力を要する。登る途中で落とせば命取りだ」
「じゃあ、やっぱり無理かな……」ルナが視線を落としかけたその時、シンゴが勢いよく立ち上がった。
「いや! 方法はあるはずだ!」
チャコが尻尾をぱたぱた揺らしながら首をかしげる。
「ほうほう、シンゴ、何かええ考えでもあるんか?」
シンゴは枝の表面に棒で線を引き、木に沿って斜めに描いた。
「滑車を作るんだよ! 鉄板を縛り付けて、ロープを通した滑車で引き上げれば、力を分散できる。三人か四人で引っ張れば、重い鉄板だって持ち上げられる!」
「滑車?」ルナが首をかしげた。「そんなの、この島にあるの?」
シンゴはニヤリと笑う。
「島にはないけど……シャトルにはあるんだ。いや、正確には“作れる”。廃材の中に軸になりそうな金属棒があったし、外殻パネルの薄い部分を丸く切り抜けば、簡易の車輪にできる。あとはチャコのカッターで加工すれば――」
「おおっ!」チャコが目を丸くした。「ウチの工具を使うんか。なるほど、それなら溶接せんでも組み合わせ次第で形になるな!」
リュウジが腕を組んだままじっと聞いていたが、やがて小さく頷いた。
「理論上は正しい。ロープは蔓で代用できるが、強度に問題がある。そこを解決できるなら、現実的だ」
「強度は僕が確かめるよ!」シンゴは胸を叩いた。「チャコと一緒に蔓を何本も撚って太いロープを作るんだ。三本、四本を束ねて一本にすれば十分いける!」
ルナはシンゴの顔を見て、胸の奥がじんと熱くなった。
(シンゴ……前はまだ子ども扱いされてたのに、こんな風に頼もしく意見を出せるようになったんだ……)
「でも、滑車を取り付ける場所はどうする?」ルナが口を開く。「大いなる木の上の枝に固定できるのかな」
リュウジが視線を巡らせ、太くて水平に伸びた枝を指差した。
「あそこなら十分耐えられる。直径一メートル近い。枝の付け根に滑車を設置して、真下から引き上げればいい」
チャコが感心したように目を細める。
「せやけど、鉄板は横にデカいで。木にぶつからんように気ぃつけんとな」
「そこも工夫次第だ」シンゴが答える。「まず地面で鉄板をしっかり縛って、角を丸めるように藁や布で覆うんだ。そうすれば木肌を傷つけないし、引き上げやすい」
リュウジはふっと鼻で笑った。
「……随分考えてるな」
ルナも嬉しそうに笑顔を浮かべる
「シンゴがいなかったら、こんなアイデア出なかったわ!」
チャコは笑いながら肩をすくめる。
「はは、ええコンビやな。ルナとシンゴでだいぶ空気が変わっとるわ」
ルナは照れたように笑い、枝の上から眼下を見下ろした。
「……あそこから、この高さまで。確かに簡単じゃない。でも、やってみよう。私たちがここに住むために」
シンゴは勢いよく頷いた。
「うん! 僕、すぐに図面描くよ!」
チャコがにやりと笑い、枝の上に鉄板の簡易模型を描き出す。
「ほな決まりや。シャトルの廃材から滑車を作って、鉄板を空に運び上げる。考えただけでワクワクするで」
ルナは胸の奥に芽生える不安を押し込み、代わりに強い声で宣言した。
「――みんなで協力すれば、きっとできる。ここに、私たちの新しい家を作ろう!」
四人は視線を合わせた。大いなる木の枝の上で、確かな決意がひとつになった。
彼らの瞳には、重い鉄板さえ空へと引き上げる未来がはっきりと映っていた。
◇◇◇
砂浜に戻ったとき、空はすでに茜色に染まっていた。
潮の香りを含んだ風が吹き抜け、水平線の向こうに沈む太陽が海面を黄金に照らしている。ルナたちが大いなる木の調査を終えて姿を見せると、仲間たちは次々に顔を上げた。
「おかえり!」ベルが大声を上げて手を振る。
シャアラは胸に抱えていた小枝の束を落としそうになりながら駆け寄ってきた。
「ルナ! 無事でよかった……!」
「ただいま。ちゃんと調査してきたよ」ルナは笑顔で応える。
その輪の中で、メノリは腕を組んだまま彼女たちを見据えた。
「さて、収穫はあったのだろうな」
挑むような口調に、一瞬ルナは返答を迷ったが、すぐに背筋を伸ばした。
◇◇◇
夕暮れの焚き火を囲み、簡素な夕食をとりながら、ルナは仲間たちに調査の成果を語った。
「大いなる木の枝は十分に広くて、鉄板を基礎に敷けば家を建てられる。外せる鉄板も、だいたい十枚くらい確保できそうだよ」
皆の表情が変わる。驚きと期待と、わずかな不安が混ざった空気。
チャコが尻尾を揺らしながら、枝で砂に数字を書き始めた。
「ほな、ざっくり計算やけど……鉄板を全部運び上げるんに二日。丸太の伐採と加工に十日。木組みと設置で十日。合計で……せやな、少なくとも二十日~三十日はかかるな」
「そんなに……」シャアラが呟く。
「でも、詳しくは設計図を書いてからやな」チャコが結論づけるように言った。
その流れの中、ハワードが肩をすくめて口を開いた。
「とはいえ、木の上に拠点を置くなんて……本当に持つのかい? 風や嵐だってあるだろう?」
その言葉にすかさずカオルが反応した。
「だから鉄板を基礎にするんだろう。あれだけの厚みと重量があれば、簡単には揺るがない。丸太の木組みでさらに補強すれば、少なくとも俺たちが暮らすには十分だ」
「ふむ……なるほどね」
ハワードは顎に手をあて、珍しく素直に相槌を打った。
「俺はどちらかというと、家ができたら中を快適にする係がいいな。調理台や椅子、寝床の配置……そういうことなら得意分野だ」
「……やれやれ、快適さより先に頑丈さを気にしろよ」
カオルが苦笑しながら言うと、場に小さな笑いが広がった。
◇◇◇
その日の夜。仲間たちが次々と眠りにつく中、焚き火のそばではまだ二つの影が残っていた。
火の番を兼ねて、シンゴとチャコが砂浜にしゃがみ込み、枝を使って設計図を描いていたのだ。
「横十五メートル、縦五メートル。鉄板は十枚で基礎を敷く……」
シンゴは真剣な眼差しで線を引きながら唇を噛む。
「でも、丸太をどうやって枠組みに固定するかが問題なんだよ」
チャコも腕を組んで唸った。
「せやな……ただ積むだけやと安定せえへん。かといって縄で縛るだけやと、重みに耐えきれんやろうし……」
二人の手が止まる。焚き火がぱちりと弾け、静寂が流れた。
そのとき、不意に背後から声がした。
「何をしている」
振り返ると、炎に照らされたリュウジが立っていた。腕を組み、表情は相変わらず冷たい。
「リュウジ!」シンゴが思わず立ち上がる。「今、家の図面を考えてたんだ。でも……丸太の固定方法で行き詰まってて」
チャコも、ためらいながら口を開いた。
「なあリュウジ。あんたやったら、どうする?」
一瞬の沈黙。リュウジは焚き火に近づき、砂に描かれた線を無言で眺めた。やがて枝を取り、迷いなく描き加える。
「丸太と丸太を組むだけでは甘い。だったら――大いなる木自身に楔を打ち込んでつなげばいい」
砂の上には、大木の幹と丸太を斜めの楔で結ぶ図が描かれていた。
「木そのものを支柱にしてしまえば、安定する。大いなる木は巨大だ。多少の楔ではびくともしない」
シンゴの目が一気に輝いた。
「そっか……! 木をただの土台じゃなくて、建物の一部にしちゃえばいいんだ!」
チャコも手を打った。
「なるほどなぁ! そら強度は段違いや。丸太だけやと崩れるけど、大いなる木と繋がったら動かん」
二人は再び砂に線を走らせ、改良された設計図を描き始める。リュウジは火の明かりに照らされながら黙って見守り、口元にわずかな笑みを浮かべたようにも見えた。
ルナたちの新しい拠点――その未来の姿が、砂の上に少しずつ形を成していった。
◇◇◇
朝の光が差し始め、砂浜は柔らかな金色に染まっていた。チャコとシンゴが描いた簡易図面を囲み、仲間たちは輪になって座る。
シンゴが棒で砂をなぞりながら胸を張った。
「昨日の夜に描いた図面だよ。大いなる木の上に鉄板を敷いて、その上に丸太で枠組みを作るんだ」
チャコが尻尾を揺らしながら補足する。
「基礎は鉄板でがっちり固定や。丸太は木組みで繋げて、楔を打ち込めば揺れんはずやで」
ルナは食い入るように図面を見つめ、目を輝かせた。
「すごい! 本当に木の上に家が建てられるんだね!」
メノリは腕を組み、真剣な声で口を挟む。
「だが高さはどれくらいを想定している? 高すぎれば上り下りに時間がかかるだろう」
「地上から十メートルくらいだよ」
シンゴがすぐに答える。
「安全と利便性のバランスを取ったつもりさ」
シャアラは少し不安げに図面を見つめ、声を潜めた。
「でも……そんなに高い場所で、本当に眠れるかしら。風が強かったら……」
「大いなる木の枝が風を遮ってくれるはずだ」
ベルが力強く答えた。
「それに俺が丸太をしっかり組めば、揺れても崩れることはないと思う」
「快適さはどうするんだい?」
ハワードが眉を上げて言う。
「せっかく建てるなら、部屋を分けたり、眺めのいいバルコニーがあってもいいと思うんだけど」
「余計なこと言うな」
カオルが低く返す。
「まずは安全と実用性だ。飾りはその後でも遅くない」
「ふん、夢がないなあ」
ハワードが肩をすくめると、仲間たちの間に小さな笑いが起きた。
リュウジは図面から目を離さず、低い声で言った。
「鉄板と丸太を上まで運ぶのが最大の難題だな。滑車をうまく作れれば解決するが、強度を誤れば全員巻き込まれる」
「その滑車、僕に任せて!」
シンゴが拳を握る。
「シャトルの廃材を使えば、絶対に強度のあるやつを作ってみせる」
ルナは皆の意見を聞きながら、胸が熱くなるのを感じた。
一人では到底実現できない夢が、こうして仲間の知恵で形になろうとしている――。
「よし!」
ルナは前に出て、皆を見渡した。
「まずは丸太の伐採と滑車作り。それから鉄板の運搬。この順番で進めよう。みんなで協力すれば、きっとできる!」
仲間たちの顔に決意が宿り、砂浜に活気が広がっていった。
砂浜に描かれた図面を一通り眺め終えると、ルナは膝をつきながら仲間たちを見渡した。
「じゃあ、これからの作業を分担しよう。効率よく進めないと時間も体力ももったいないからね」
シンゴがすぐに顔を上げる。
「僕は鉄板のカットをやりたい! チャコとなら、電子カッターの操作も安全にできるし」
チャコも胸を張り、しっぽをぶんと振った。
「任しとき! 鉄板を切るんはちょっと手間やけど、ウチのセンサーで厚みを測れば失敗はせえへんで」
ルナはうなずき、二人を見て微笑んだ。
「うん、じゃあチャコとシンゴは鉄板のカットをお願い。基礎に使える大きさにしておいてね」
次にリュウジの方へ視線を向ける。
「私とリュウジは、もっと強い蔓を探しに行くよ。基礎をつなぐ部分は、今まで使ってた細い蔓じゃ不安だから」
リュウジは腕を組んだまま、低い声で答える。
「山の奥なら太いものがあるはずだ。時間をかけてでも、十分な量を確保する」
「うん。危険な場所もあると思うから、気をつけて進もうね」
ルナの言葉にリュウジは小さくうなずいた。
続いてベルが大きな手を上げる。
「じゃあ俺たちはどうする?」
「ベルとシャアラ、それからハワードとカオルとメノリは、食料の確保をお願いしたい」
ルナは力強く答えた。
「今のうちに保存できる食料を集めておかないと、作業を続けられなくなるから」
メノリが頷きながら冷静に言葉を添える。
「魚も獲って干しておけば保存が利く。私たちで分担して調達するのが良いだろう」
「了解!」
ベルが勢いよく拳を握ると、シャアラが不安げに口を開いた。
「私……食料集めって、ちゃんとできるかしら。でも……頑張ってみるわ」
「大丈夫だよ」
ルナは優しく笑いかけた。
「みんなで協力すれば、きっとできるから」
ハワードが手をひらひらさせて口を挟む。
「僕は魚を取るほうがいいな。前回はちょっと不運だったけど、今度は本気を出すよ」
カオルが短く鼻で笑う。
「余計なことはするな。せめて足を引っ張らない程度に動け」
「なっ……僕はちゃんと役に立つって!」
ハワードが言い返し、空気が少し険しくなる。
その瞬間、ルナが両手を広げて制した。
「ケンカはなし! みんな、それぞれの役割を全力でやればいいんだから」
仲間たちはそれぞれの持ち場を確認し合い、砂浜に心地よい緊張感が漂った。
新しい家を建てるという目標に向かって、いよいよ本格的な挑戦が始まろうとしていた。
◇◇◇
図面を囲んで話し合いを終えた仲間たちは、自然に立ち上がり、それぞれの持ち場へと散っていった。
ルナは背負い慣れたリュックの紐をぎゅっと締め直す。隣に立つリュウジも無言で肩に縄をかけており、その眼差しはすでに森の奥へと向いていた。
「じゃあ、行こうか」
ルナが声をかけると、リュウジは短くうなずいた。二人は足並みを揃え、太い蔓を探すために森へと歩き出す。波の音が遠ざかるにつれ、鳥や虫の鳴き声が濃くなっていった。
一方、チャコとシンゴは砂浜に残り、鉄板の前に並んだ。
「よし……ここからが本番やな」
チャコが両腕を回しながら目を輝かせる。
シンゴは自作の工具を抱えて真剣な表情を浮かべた。
「電子カッターの電力は限られてるから、効率よく進めないと。厚みを計測して、切りやすい場所を見極めよう」
「うん、シンゴの頭脳とウチのセンサーがあればバッチリや!」
二人は鉄板の縁を叩きながら、慎重にカットの手順を確認していった。
◇◇◇
その頃、食料調達班は大きく二手に分かれていた。
ベルとシャアラは森の縁へ向かう。ベルは大きな枝を削って槍代わりにし、シャアラは採取用の籠を抱えていた。
「シャアラ、あんまり音を立てたら獲物が逃げちゃうよ」
「ご…ごめんなさい」
申し訳なさそうな表情を浮かべているシャアラにベルは優しく笑みを浮かべた。
◇◇◇
一方、メノリとカオル、それにハワードは浜辺に沿って動き出す。
「私は貝や海藻を探す。保存もきくし、栄養も取れるから」
メノリは淡々とした口調で言い、潮溜まりに目を凝らした。
「僕は魚を狙うよ! 網代わりにこの布を使えば、きっと……」
ハワードは胸を張って布を掲げるが、カオルは呆れ顔で吐き捨てた。
「無駄口はいい。とにかく動け」
その鋭い一言に、ハワードは肩をすくめつつも後に続いた。
夕焼けの砂浜に、仲間たちの足跡が点々と残る。
誰もが自分に任された役割を胸に刻み、家を建てるという新たな目標に向かって、一歩ずつ踏み出していった。
◇◇◇
森の中は湿り気を帯び、太陽の光が樹々の隙間から細い筋となって差し込んでいた。砂浜を離れてしばらく歩くと、ひんやりとした空気が肌を撫で、遠くで鳥の声が一声だけ響いたあと、あたりは静寂に包まれた。
「……この辺りなら、太い蔓が見つかりそうだ」
リュウジが低く呟く。足取りは迷いがなく、枝を押し分ける動作も無駄がない。その背中を追いながら、ルナはリュックを抱えるようにしてついていった。
地面には細い蔓が這い、木の幹に絡まるものも多い。しかし引きちぎってみると、簡単にぷつりと裂けてしまう。ルナが試しに手にとって引っ張ると、あっけなく繊維がほどけてしまった。
「これじゃ、鉄板を吊るすのは無理だね……」
「そうだな」
リュウジは冷ややかに答え、しかしすぐに別の幹へ視線を向けた。
彼は腰に差していた一本の刃を取り出す。光を受けて青黒く輝くその刃は、彼自身が黒曜石を削って作ったものだった。刃先は欠けた部分が鋭いギザギザとなり、動かすたびに鈍い煌めきを放つ。
リュウジは自らの黒曜石ナイフを幹に絡みつく太い蔓へ押し当てた。
――ギリ、ギリ……。
刃が繊維を割き、じわじわと切り込みが進んでいく。蔓の表面から白濁した汁がにじみ、土と青臭い香りが漂った。
「硬い……けど、いける」
リュウジが低く呟き、力を込める。やがて蔓がぱんと弾けるように切断され、地面に落ちた。
「すごい! 本当に切れた……!」
ルナは目を輝かせ、思わず駆け寄った。手首ほどもある太い蔓を持ち上げてみると、弾力があってしなやかだ。
「これなら吊り具にできるはず」
「一本じゃ足りない。何本も束ねて編み込む」
リュウジは淡々と告げ、再びナイフを構える。
ルナはリュックの奥から、自分が預かっている小さな黒曜石の刃を取り出した。それもリュウジが削って作ってくれたものだ。
「私もやってみる」
「……怪我するな」
短い一言にルナは微笑み、慎重に蔓へ刃を押し当てた。
黒曜石は軽いぶん、深く食い込ませるには力がいる。だが刃先は確かに鋭く、繊維を裂く感触が伝わってきた。汗がにじみ、指先に蔓の汁がまとわりつく。何度も手を止めそうになりながら、それでも諦めずに刃を押し進めた。
やがて、ルナの手元からも一本の太い蔓が切り落とされた。
「やった……! 私でもできたよ」
誇らしげに顔を上げるルナに、リュウジは一瞬だけ視線を向ける。冷たい瞳の奥に、ほんのわずか柔らかさが宿ったように見えた。
「悪くない」
それだけ言って、また黙々と作業に戻る。
二人の足元には次々と切り出された蔓が積み上がっていく。束ねると腕ほどの太さになり、確かな強度を感じさせた。
「これだけ集めれば、鉄板を持ち上げられるよね」
ルナは額の汗を拭い、期待に満ちた声を上げる。
「まだ半分だ。倍は必要だ」
リュウジの答えは相変わらず冷静だったが、声に少しだけ温度があった。
その言葉に、ルナはにっこりと笑ってうなずく。再び刃を握り直し、蔓へと向かっていく。隣ではリュウジも無駄のない動きで刃を振るう。
森の奥に夜の気配が迫る中、二人は汗と土にまみれながら、確かに同じ未来を思い描いて蔓を切り続けていた。
森の奥で切り出した蔓を、二人は束ねて持ち帰っていた。腕にずっしりと食い込む重みと、湿った匂い。足元には葉や泥が絡みつき、汗で肌も服もべったりと張り付く。それでもルナは顔を上げて、茜色に染まりつつある木々の影を見渡した。
「これだけあれば、十分じゃないかな」
荷を下ろしながらルナが言うと、リュウジは首を横に振った。
「一本じゃ弱すぎる。束ねて編まなきゃ使えない」
そう言って、彼は蔓の端を手に取り、器用に三本を並べて編み始めた。ねじれの加減や締め具合は素人目には分かりにくいが、リュウジの指先は迷いがなく、蔓がするすると縄のような形になっていく。
「……すごい。なんだか慣れてるみたい」
ルナは驚きを隠せずに声を漏らす。
リュウジは短く「そうか」とだけ返し、作業を続けた。その素っ気ない態度に、ルナは小さく首をかしげる。どうしてこんなに器用なんだろう、何を経験してきたんだろう。けれど問いかけても答えは返ってこない気がして、言葉を飲み込んだ。
代わりに、リュウジは手元の蔓を差し出した。
「やってみろ」
「え、私が?」
恐る恐るルナは両手で蔓を受け取り、真似をしながら編んでみる。だがすぐに緩んで形が崩れてしまう。
「うーん……あれ、ぐちゃぐちゃになっちゃった」
悔しそうに笑うルナに、リュウジは横から手を伸ばし、無言で指を添えた。締める場所を少し変えるだけで、形が安定する。
「……あ、できた!」
ルナが嬉しそうに持ち上げると、リュウジは淡々と頷いた。
「それでいい。あとは数をこなせ」
「えぇっ、こんなのをいっぱい?」
思わず声を上げると、リュウジの口元がわずかに動いた。笑ったのかどうか、ルナには判別できなかった。
◇◇◇
二人は息を合わせて次々と編み込みを進め、やがて山のように蔓の束が積み上がった。ルナの手のひらは赤く擦れて痛んだが、どこか誇らしさが込み上げてくる。
束ねた蔓を肩に担ぎ、リュウジが短く言う。
「これで足りる」
「うん。これなら、みんなもきっと喜んでくれるね」
茜色に染まった森を抜け、二人は並んで砂浜へと戻っていった。
◇◇◇
砂浜へ戻るころには、空はすっかり夜に染まっていた。ルナとリュウジが両肩に束ねた蔓を抱えて姿を現すと、焚き火のそばに集まっていた仲間たちが一斉に顔を上げた。
「おかえり!」
シャアラがぱっと立ち上がり、駆け寄ってきた。彼女の瞳が、束ねられた蔓の山を見て驚きに丸くなる。
「すごい……こんなにいっぱい!」
ベルも力強い腕を組んでうなずく。
「これだけあれば、鉄板を持ち上げるのに十分だね。よく運んできたね」
ルナは息を切らしながらも、にっこり笑った。
「うん、リュウジがすごく上手に編んでくれたの。私も教わって一緒にやったんだよ」
リュウジはその言葉に反応を示さず、ただ黙って蔓を焚き火のそばに下ろす。その仕草がかえって仲間の目を引いた。
「おー、これはいい素材だ!」
シンゴが身を乗り出し、手に取ってみる。力いっぱい引っ張っても、びくともしない。
「編み方がしっかりしてる。これなら滑車にかけても切れないはずだ」
チャコも興味深げに首を伸ばし、感触を確かめる。
「ほんまやな。天然素材やけど、これなら十分使えるわ。ウチの計算やと、鉄板一枚でも数百キロあるさかい、強度が命や」
「数百キロ……」
シャアラが顔を青ざめさせる。
「そんなに重いの……」
「だからこそ、この蔓が役に立つんだ」
メノリが厳格な声で言う。
「私たち全員で協力して、効率的に作業を進める必要があるだろう」
そのとき、焚き火の向こうでハワードが大げさに手を叩いた。
「さっすがルナとリュウジ! 僕たちが食料を探してる間に、こんな大物を持ち帰るなんて。いやあ、主役は違うねえ」
「はしゃぐな」
カオルが低い声で制した。
「こういうのは目立てばいいってもんじゃない。大事なのは、最後まで作業をやりきることだ」
「ちぇっ、相変わらず冷たいなあ」
ハワードは肩をすくめたが、口元には苦笑が浮かんでいた。
ルナは焚き火を見渡しながら、一歩前に出て声を上げた。
「みんな、ありがとう。今日は本当に大きな一歩だと思う。鉄板を上に運ぶ方法は、滑車を使うってもう決まってるから、そのためにこの蔓を役立てたいの。あとは、どんな手順でやるかをみんなで考えていこう」
彼女の言葉に、火の粉が舞う静けさの中で仲間たちは次々とうなずいた。疲れているはずなのに、そこには確かな前進の手応えと、一つの目標に向かう高揚感があった。
◇◇◇
夜の帳が降り始め、焚き火の炎が一段と赤々と燃え上がる。その光に照らされながら、彼らの新しい挑戦が始まろうとしていた。
それから数日が経った。
課題となっていた蔓の確保と鉄板の切り出しは、仲間たちの手によって無事に片づいた。残るは、それらをシャトルの残骸から「大いなる木」のふもとへ運び出すという大仕事である。
その朝、仲間たちは全員で打ち合わせを終えると、二つの班に分かれた。ルナ、メノリ、シャアラの女性陣が蔓を、リュウジ、ベル、ハワード、カオルの男性陣が鉄板を担ぎ、森を抜けて進むことになった。シンゴとチャコは補助役として、道具や簡易の荷車、滑車部材を抱えて後に続く。
「よし……行こう!」
ルナの掛け声と共に、彼らの行進が始まった。
◇◇◇
蔓を運ぶ女性陣
蔓は長くしなやかで、一本だけなら腕で抱えられる。しかし必要量をまとめると途端に重さが増し、肩に食い込む。三人は背中に束ねて担ぎ、両手で押さえながら歩いていた。
「う、うぅ……思ったより、ずっしりするね……!」
シャアラが額に汗をにじませながら呻く。
「でも、この蔓がなければ上に家を作れないんだよ。大事な資材なんだから」
ルナは息を切らしながらも、笑顔で励ます。彼女の声が前へ進む力になるのか、シャアラは「うん……がんばる」と小さく返した。
「歩幅をそろえて。でないと蔓が振れて危ない」
メノリが冷静に指示を出す。彼女の落ち着きが全体を安定させ、三人は少しずつだが確実に足を進めた。
鉄板を担ぐ男性陣
一方、鉄板を運ぶ四人はさらに過酷だった。
切り出した鉄板は二・五メートル四方の分厚い板で、四隅をそれぞれが担ぐ。重量は腕に痺れをもたらし、足を進めるたび砂に沈み込む。
「こ、これは……筋肉痛どころじゃ済まないね……!」
ハワードが歯を食いしばりながら悲鳴をあげる。
「口を動かす余裕があるなら、その力を腕に回せ」
カオルが冷ややかに返す。
「なっ……僕だって真剣にやってる!」
ハワードが反発するが、鉄板がぐらりと揺れ、ベルが慌てて声を上げた。
「ハワード! 右に傾いてるよ!」
リュウジは無言のまま鉄板を押さえつつ、短く指示を飛ばす。
「前方、木の根。右足から越えろ」
「次は斜面。傾けずに、膝を使え」
その落ち着いた声に従い、三人は息を合わせる。鉄板は大きく揺れることなく、ゆっくりとだが確実に前へ進んでいった。
森を抜けて
シャトルから大いなる木までは、決して短い距離ではなかった。砂浜を越え、岩が点在する小道を抜け、さらに鬱蒼とした森を進む必要がある。
「……ふぅ、見て。ほら、森の向こうに……」
ルナが汗をぬぐいながら前を指差す。木々の隙間から、空に突き抜けるような巨木が顔をのぞかせていた。
「大いなる木……」
シャアラの目が輝き、メノリの表情もわずかに緩んだ。
やがて、二つの隊列は森を抜け、大いなる木の根元へと辿り着いた。鉄板を置いた瞬間、ベルがその場に座り込み、肩で大きく息をした。
「……やっと、着いた……!」
ハワードも背中を丸めて「もう腕が棒だよ……」と呻き、カオルは黙って汗を拭った。リュウジだけは深呼吸を一度しただけで、再び全体を見回していた。
女性陣も蔓の束を下ろし、肩を回して痛みに顔をしかめる。
「でも……ちゃんとここまで運べたんだね」
ルナが嬉しそうに呟くと、シャアラも頷いた。
「うん……これで、本当にお家を作れるんだ」
チャコとシンゴも荷物を下ろし、鉄板と蔓を確認した。
大いなる木の幹を見上げると、陽光を浴びた枝葉が高みに広がり、まるで天空を覆う屋根のように輝いていた。仲間たちは汗と疲労にまみれながらも、その光景に力を得るようにして、しばし見上げ続けていた。
鉄板と蔓をどうにか「大いなる木」の根元まで運び込んだ一行は、しばしその場にへたり込んだ。
重荷を肩から下ろした瞬間、全身の筋肉が痺れたように痛み、誰もが地面に座り込んだ。
「ふぅ……はぁ……っ……」
ベルが肩を押さえながら荒い息をつく。
「ほんとに……重すぎるよ、これ……!」
ハワードも大の字になり、草の上で腕をぶらぶらと振った。
「文句言う暇があるなら、腕の力つけることを考えろ」
カオルがぼそりと吐き捨てる。だが、その声にも疲労がにじんでいた。
ルナはそんな皆を見回しつつ、自分も息を整えた。肩にはまだ蔓の痛みが残っている。それでも、ここまで辿り着いた達成感が彼女の顔を明るくしていた。
「でも……見て。ちゃんと運べたんだよ。大いなる木のふもとに」
その言葉に、シャアラが小さく笑った。
「うん……これで、少しは未来が見えてきた気がする……」
「そやけど」チャコが腕を組み、鉄板を見ながらつぶやいた。
「まだ残りの板もあるやろ。全部運ばなあかんのや」
シンゴも頷く。
「そうだ。今日は一回で終わりじゃない。資材を集めきらないと、何も始まらないんだ」
言葉に、疲れ切っていた空気が一瞬にして引き締まる。
リュウジが立ち上がり、鋭い視線で仲間たちを見渡した。
「休憩は十分だ。次を運ぶぞ。時間を無駄にしている余裕はない」
その冷静な声に、全員がしぶしぶ体を起こした。
「えぇ〜……もうちょっと休ませてよ……」とハワードが弱音を吐くが、ベルが隣で立ち上がりながら声をかける。
「……俺たちがやらないと、他に誰もやれないんだ。行こう」
メノリは草を払って制服を正し、毅然と告げた。
「言う通りだ。計画を進めるなら、一度で終わらせるべきじゃない。往復して、資材を揃える」
ルナも小さく息を吐き、笑顔を作る。
「うん、みんなでやればきっと大丈夫。さ、もう一度シャトルへ戻ろう!」
こうして仲間たちは再び隊列を組み、シャトルの残骸が眠る砂浜へ向かって歩き出した。
長い道のりを戻る足取りは、さっきよりもずっしりと重い。すでに疲労が体を蝕み、森の道は果てしなく続くように感じられた。だが、それでも仲間たちの目は諦めを知らなかった。
「往復を繰り返せば、きっと……木の上に家が建つんだ」
ルナが小さくつぶやく。その声に呼応するように、皆の背筋がわずかに伸びた。
◇◇◇
遠く、森の隙間から光が差し込み、帰り着くべき砂浜を照らしていた。
シャトルの残骸が横たわる砂浜に戻ると、そこにはまだ外されていない鉄板が何枚も無造作に転がっていた。錆びた表面が夕陽を受けて赤銅色に輝いている。
「さぁて……二往復目だな」
シンゴが腰に手を当てた。
「当たり前だ」リュウジが短く言い放ち、すでに一枚の鉄板に手をかけていた。彼の動作は迷いなく、仲間に「やるしかない」と告げているようだった。
ベルが隣に歩み寄り、両腕で鉄板の端をつかむ。
「よし……リュウジ、こっち側持つよ」
「お、おい、ちょっと待てよ」ハワードが慌てて声を上げる。
「僕だって男だぞ? さっきはヘトヘトだったけど……やればできる!」
「口より手を動かせ」カオルが冷ややかに突き放す。だが、彼自身も無言で鉄板を押し起こし、位置を整える。
「……わかったよ!」
ハワードは歯を食いしばり、渋々ながら鉄板の角をつかんだ。
ルナはその様子を見ながら蔓の束を整え、女性陣に声をかけた。
「私たちは、さっきよりしっかり蔓をまとめておこう。引きずられないようにね」
「うん、了解……」
シャアラが汗を拭いながら頷き、メノリも淡々と蔓を抱えた。
「段取りを乱すなよ。効率が下がる」
砂浜の空気は重苦しく、鉄板を持ち上げる度にぎしぎしとした金属音が響く。汗が流れ、腕が震える。それでも誰一人として手を離そうとはしなかった。
「よし、持ち上げろ!」
リュウジの合図で、鉄板が砂浜から浮かび上がった。
ベルが声を張る。
「行くぞ、森へ!」
ぎこちない足並みを揃え、仲間たちは砂浜を後にする。背後ではシャトルの残骸が静かに横たわり、まるで彼らを試すかのように無言で見送っていた。
◇◇◇
森へ続く道はすでに一度歩いたばかりだが、再びその長さが牙をむく。樹木の根が足を取るたび、鉄板は揺れ、肩にのしかかる重みが容赦なく増していく。
「……っ、くそ……これでまだ半分も終わってないなんて」
ハワードが額に汗をにじませながらぼやく。
「黙って歩け」
カオルが前を向いたまま言い放つ。
「けど、確かに……これを全部運んだら、僕たちすごいことやってるんじゃないかな」
シンゴが口元に笑みを浮かべて言う。
「そやな。建物の基礎や。これができたら、あとは組み上げるだけやで」チャコが頷く。
ルナは振り返りながら仲間たちを見渡し、声を張った。
「もう少しだよ! みんなで力を合わせれば、絶対にできる!」
その言葉に、疲れきった空気の中でわずかに活気が戻った。
鉄板を抱えた仲間たちの足取りはまだ重かったが、確かに一歩ずつ森の奥へと進んでいった。
◇◇◇
頭上では木々がざわめき、まるで「大いなる木」が彼らの努力を見守っているかのように葉を揺らしていた。
森の中に響くのは、荒い息づかいと鉄板を地面に下ろす鈍い音だった。三度目の運搬を終え、仲間たちは大いなる木の根元に鉄板を置き、その場に崩れるように腰を下ろした。
「……っはぁ……やっと、三枚目……」
シンゴが汗まみれの額を押さえ、肩で息をしている。
チャコは脚部から小さく火花を散らしながら座り込み、苦笑を漏らした。
「ウチの関節、限界やわ……あと何枚あるんやっけ?」
「……七枚」
メノリが短く答える。息は整えていたが、その頬には確かな疲労がにじんでいた。
その瞬間、ハワードが声を上げた。
「も、もう無理だ! 腕がちぎれる……! 僕、明日立ち上がれなくなる!」
声が裏返り、目尻には涙がにじむ。まるで半べそをかきながら駄々をこねる子どものようだ。
「情けない」カオルが冷たく吐き捨てる。だが彼自身も、鉄板を持ち上げた腕をしばらく下ろしたまま動けずにいた。
ベルも膝に両手をつき、肩を震わせている。
「……でも、ほんと……重かったな……。俺も……さすがに、きつい……」
シャアラはルナのそばに座り込み、声を落とした。
「ルナ……わたしも……ちょっともう……足がふらふらで……」
ルナは全員の顔を見渡した。ハワードが泣き顔をしているのは目立つ。だが、それ以上に――メノリの真剣な表情の裏にも、カオルの無言の肩の震えにも、ベルやシャアラの汗だくの姿にも、そしてリュウジですら押し殺している深い疲労がにじみ出ているのがわかった。
(……そうだ。みんな、限界まで頑張ってるんだ。ハワードだけじゃない。顔に出してないだけで、全員疲れてる……)
ルナは胸の奥でそっとつぶやきながら、皆に向かって声をかけた。
「今日はここまでにしよう。三枚も運んだんだよ。十分すごい成果だと思う」
彼女の言葉に、仲間たちは小さく頷いた。
誰も反論せず、ただ重苦しい沈黙の中で安堵の息を吐いていた。
◇◇◇
木々の間から差し込む光はすでに赤く染まり、辺りはゆっくりと夜の気配に包まれ始めていた。
焚き火の火がぱちぱちと爆ぜ、煙が夜風に流れていった。
砂浜に腰を下ろした皆の前には、リュウジが海で捕ってきた魚が串刺しにされ、じりじりと焼けている。
「……おぉ、ええ匂いや」
チャコが鼻をひくひくさせながら、横に積まれた果物を尻尾で指した。
「ウチはこっちの果物な。ええ糖分補給になるで」
「助かるよ、チャコ。今日は体力使ったからね」
ルナは笑顔で応じつつ、みんなの疲労した顔を見回した。
「しかし……鉄板、たった三枚か」
ハワードが魚をひょいと持ち上げ、半分泣きそうな声を出した。
「僕の腕はもう、完全に壊れてるんだ……明日からは絶対ムリだぞ……」
「大げさだな」カオルが低い声で返した。「確かにきつかったが、全員同じだ」
「……うん」ベルが小さく頷いた。「俺も正直、足がまだ震えてる」
「そりゃそうやろ」チャコが苦笑して言う。「重たい鉄板を何度も往復したんや、普通の筋肉痛や」
「だが、進んでいることは確かだ」メノリがきっぱりと言葉を挟む。「今日の三枚は大きな成果だ。全員よくやった」
「メノリの言う通りだと思う」ルナは火を見つめながら頷いた。「少しずつでも進めばいい。拠点を作るのは一日でできることじゃないから」
「……」リュウジは魚を返しながら、黙ってその様子を聞いていた。火の光に浮かぶ横顔はいつも通り無口だが、仲間に食べ物を配るその仕草は無言の労いにも見える。
シャアラが焼き上がった魚を両手で受け取り、小さく微笑んだ。
「ありがとう、リュウジ……」
「……腹が減ってるなら早く食え。冷める」リュウジは素っ気なく返す。
「うん」シャアラはうなずいて、かじりついた。焼けた魚の香ばしい匂いが一気に広がり、火の周りに歓声がもれる。
「うまっ!」シンゴが目を輝かせる。「魚って、こんなに美味しかったんだ」
「俺も……こんなの久しぶりだ」ベルの顔にも疲れと同時に安堵がにじむ。
ルナは一口食べて、噛みしめるように味わった。素材そのまま、塩気も調味料もない。けれど、仲間と共に分け合うことで、どんなご馳走にも勝ると感じられた。
「ねぇ、みんな……今日はほんとにお疲れさま。大変だったけど……こうして一緒にご飯を食べられて、私はすごく嬉しいよ」
焚き火の明かりに照らされた仲間たちの顔は疲労に覆われていたが、その中に確かな充実感が浮かんでいた。
◇◇◇
焚き火の炎が小さく揺れていた。
魚の残り香がまだ辺りに漂っている砂浜で、ルナは両手を膝に置き、みんなを見回した。
「夜の見張りは……私がやるね」
そう告げると、一瞬だけ空気が揺れた。けれど返ってきたのは意外にも反論のない沈黙だった。
誰も「代わるよ」とは言わなかった。むしろ、疲れ果てた身体を抱え、仲間たちはそれぞれの足取りでシャトルの中へと消えていった。
メノリも、ベルも、カオルも。シャアラでさえ「ありがとう……」と小さくつぶやき、力尽きたように背を向けていった。
(……流石に疲れたんだね)
ルナはみんなの後ろ姿を見送りながら、焚き火の前に腰を下ろした。
砂浜の夜は思いのほか冷え込む。遠くで波が砕ける音と、パチパチと爆ぜる薪の音だけが、世界のすべてのように響いていた。
焚き火をじっと見つめていると、ふと、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
(私がちゃんとしなきゃ……みんなの前では、不安な顔は見せられない)
父の形見のリュックを胸に抱きしめ、ルナは小さく息を吐いた。
時間の感覚はすぐに曖昧になった。炎の揺らめきを見ていると、心の奥にいろんな声や記憶が浮かんでは消える。
――仲間の疲れた顔。
――今日運んだ鉄板の重さ。
――そして、誰よりも黙って動き続けたリュウジの姿。
(……リュウジ、どんな気持ちで、あんなに一人で頑張ってるんだろう)
問いかけのように考えながら、まぶたがだんだん重くなっていく。
(……少しだけ……目を閉じても……)
炎が滲み、暗闇に溶けていった。
◇◇◇
――次に気づいたとき、眩しい光が頬に差し込んでいた。
朝日だった。
ルナは驚いて身体を起こそうとして、はっとした。
すぐ隣に、人の気配があった。
「……リュウジ……ずっと起きてたの?」
思わず声をかけると、彼はゆっくりとこちらに視線を移した。
「……お前、途中で寝落ちしてただろ」
静かな口調だったが、責める響きはなかった。
ただ事実を述べるような声音に、ルナの頬は思わず熱くなる。
「……ごめん。でも、見張りは私が……」
言いかけた言葉を、彼はかぶせるように遮った。
「火を絶やしたら、みんな凍える。……任せて寝とけ」
短いその一言に、夜通し火を見ていたであろう重みがにじんでいた。
ルナは何も言い返せず、胸の奥が不思議な温かさに包まれた。
(……結局、私を守ってくれてたんだ……)
火の残り香と潮風が混じる朝の空気の中、ルナはリュウジの横顔をそっと見つめ続けた。
潮の香りを含んだ朝の風が、ルナの髪をやわらかく揺らした。
火のそばに座るリュウジは、夜を徹して起き続けた疲れを感じさせることなく、ただ静かに炎を見つめていた。
その横顔は、強さと孤独を併せ持っていて……ルナは胸の奥がきゅっとなるのを覚えた。
「……任せて寝とけ」
先ほどの彼の言葉が、まだ耳の奥に残っている。
(ありがとう……って言いたいのに……)
喉まで出かかった言葉を、ルナは飲み込んだ。
簡単なひと言なのに、いざ口にするとなると照れくさくて仕方がない。
だからルナは、代わりに小さく息を吸い込み、火のそばにあった枝を一本拾い上げた。
「……そろそろ、朝の分の火を強めないとね」
努めて明るく言いながら、枝を炎にくべる。
小さな火花が弾けて、リュウジの頬を一瞬照らした。
彼は一瞥だけルナに寄越し、すぐにまた視線を炎に戻した。
無言のその横顔は、拒絶ではなく、ただ彼なりの距離の取り方。
ルナはそれを理解して、黙って隣に座り直した。
(……言葉じゃなくてもいいよね。こうして一緒にいれば、少しは伝わるはず……)
胸の奥にしまい込んだ「ありがとう」は、まだ言葉にはならない。
けれどルナの仕草と温かな沈黙は、きっとリュウジに届いている――そんな気がした。
夜明けの光が少しずつ砂浜を照らし出し、仲間たちの眠るシャトルも赤く染めていく。
新しい一日の始まりを告げる朝焼けの中、ルナは焚き火の前で静かに目を細めた。
「……じゃあ、私、みんなを起こしてくるね」
ルナは照れ隠しのように笑みを浮かべて立ち上がり、シャトルの中へ向かった。
焚き火の火が背後でぱちぱちと弾け、空気はまだ夜の冷たさを残している。
シャトルの中は湿った木の匂いと、仲間の寝息が満ちていた。
「おはよう、そろそろ起きよう?」
そっと声をかけると、布に包まれた影がもぞもぞと動いた。
「うぅ……体が……動かない……」ハワードが呻き、顔だけ布から出した。
「私も……全身が痛いの……」とシャアラは涙目で小さく呟く。
ベルは寝返りも苦しそうで、「昨日の鉄板……腕に残ってる……」と目を閉じたまま声を絞った。
メノリも普段の毅然とした姿はなく、「少し、無理をしすぎたようだな……」と低く息を吐いた。
(……そっか。昨日あんなに重い鉄板を運んだんだもんね)
ルナは胸の奥がちくりとした。無理に起こすことなんてできない。
「今日は……休みにしよう!」
ぱん、と手を叩いて明るく声を響かせた。
「体を休めるのも大事な仕事だから!」
安心したように、みんなはまた布に顔を埋めていった。
外に戻ると、リュウジとカオル、それにチャコが焚き火のそばにいた。
リュウジが振り返り、「どうだった?」と短く訊いた。
「みんな筋肉痛で動けそうにないみたい。だから今日は休みにするの」
「……なら好都合だ」
リュウジは立ち上がり、焚き火越しに仲間たちを見やった。
「カオルとチャコは動ける。俺と一緒に枠組み用の丸太を伐る。十五メートルを二本、十メートルを二本だ」
「ちょっと待て」カオルが低く口を挟んだ。
「丸太伐りは一人でも骨が折れる。俺とお前で十分だろ」
チャコも慌てて首を振った。
「ウチも参加せなあかんて! 古い機能でも、計測くらいはできるんや。丸太の長さ測ったり角度見たり、誰かがおらんと効率悪いわ」
ルナは一歩踏み出し、リュウジの前に立ちはだかった。
「だ、駄目だよ! みんなが休んでるのに、リュウジたちだけ無理したら同じことになる! 休むことも大事なんだから!」
焚き火の光に照らされたリュウジの瞳が、一瞬だけ細められた。
だが彼は首を横に振り、冷静に言い放った。
「……俺は休む必要はない。カオルも同じだろ」
「まあな」カオルは肩をすくめる。
「体は動く。だがリーダー気取りのお前がそんな顔してたら、みんな余計に不安になるんじゃねえか?」
ルナはぎゅっと唇を噛んだ。
「……だから、みんなで休もうって言ったんだよ」
「お前は火の番でもしてろ」リュウジは短く突き放す。
「なっ……!」
ルナの頬がぷくっと膨らんだ。
「私だって役に立てるのに……!」
「ルナ」チャコが小さく声をかける。
「ウチらもリュウジに振り回されるんは正直しんどいけどな……。でも、今のうちに動ける奴がやっとかんと、拠点づくりが延び延びになってまうんや」
「……」
ルナはチャコの言葉に反論できず、俯いた。
カオルが焚き火の枝を一本つまんで、炎に突っ込む。
「お前が気にする気持ちは分かる。だが、何もせずにじっとしてる方が俺たちには辛いんだよ」
リュウジは無言で森の方を見つめていた。
ルナは小さく息を吐き、くるりと背を向けた。
「もう、勝手にすればいいんだから……」
足を砂浜へと向け、波打ち際に腰を下ろす。リュックから釣り糸を取り出し、岩場に糸を垂らした。
「……私だって役に立てるんだから」
小声で呟きながらも、視線は波間よりも焚き火の方を気にしてしまう。
(どうして、あんなに無理をするんだろ……。休めばいいのに……)
浮きを見つめながらも、頭の中はリュウジの姿でいっぱいだった。
波打ち際に腰を下ろしたルナは、釣り糸を岩の隙間に糸を垂らした。
水平線の向こうでは朝日が昇り、薄い金色が海を染めていく。
焚き火の煙と潮の香りが混じり合い、疲れ切った体に心地よい眠気を誘う。
だが、胸の中は眠るどころかざわざわと落ち着かなかった。
(なんでリュウジは……あんなに無理するんだろう)
糸の先で浮きが揺れても、彼女の目は虚ろに海を眺め続けるだけだった。
昨夜、火の番を一晩中続けていたリュウジ。今朝も一睡もせず、当然のように作業に出ようとしている。
普通なら無茶だと怒鳴りたいのに、彼はどこか冷静で、決して揺らがないように見えた。
(まるで……前からこういう状況に慣れてるみたい……)
ルナは小さく首を振った。
「そんなはずないよ……」と声にならない声が漏れる。
けれど心の奥で、リュウジがただの「転入生」ではないことを、なんとなく感じていた。
「ルナ、釣れてるか?」
振り返ると、少し離れたところでチャコが手を振っていた。
その隣にはカオルの姿もある。二人はすでに森へ入る準備を整えており、肩に石斧や測定用の枝を担いでいた。
「……全然だよ」
ルナは無理に笑って返す。
チャコは小走りで近づき、膝をついてルナを覗き込んだ。
「リュウジのこと、気にしとるんやろ?」
「えっ……!」
図星を突かれて、ルナの胸が跳ねた。
カオルは腕を組み、焚き火の方へ顎をしゃくった。
「アイツは昔からああいう奴だ。背負い込みすぎて、自分を削ってでも前に進もうとする」
「……昔から?」
ルナは首を傾げた。けれどカオルはそれ以上語らず、視線を海に逸らした。
「だから気にする必要はない」
そう言って、カオルはチャコと共に森へ向かっていった。
残されたルナは再び海へと視線を戻し、浮きを見つめた。
(リュウジ……やっぱり何か隠してる……)
頬に海風が触れ、ふと昨夜の焚き火越しの横顔が脳裏に浮かぶ。
疲れているはずなのに、どこか覚悟を秘めたような真剣な眼差し。
それを思い出した瞬間、ルナの胸がじんわりと熱を帯びた。
「……バカ」
小さく吐き捨てるように呟いたが、その声はどこか優しかった。
波打ち際で浮きがふいに沈み込む。ルナは慌てて竿を引き上げた。
小さな魚が跳ね、朝日を浴びて銀色に光った。
「よしっ!」
ようやく笑顔がこぼれた。
(……釣れた魚、リュウジに食べさせてあげよ。きっと、少しは力になるはずだから)
ルナはそう心に決め、再び糸を垂らした。
波の音の向こうで、リュウジが森へ入っていく足音が遠ざかっていく。
◇◇◇
森の奥へと入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
木々のざわめきが、まだ朝の柔らかい光を受けて揺れている。
「ここなら十分な太さの丸太がある」
リュウジが立ち止まり、目の前の巨木を顎で示した。
高さは天を突くように伸び、幹は人が三人で抱えても余るほどだ。
「……本気で、これを切るつもりか?」
カオルは腕を組み、冷たい視線をリュウジに投げる。
「俺とお前ならまだしも、チャコまで付き合わせるのはどうなんだ」
チャコは慌てて手を振った。
「ウチは平気や! 計測も必要やしな。せやけど……こんなデカい木、切れるんか?」
リュウジは腰のベルトから黒曜石のナイフを抜き、刃先で木肌を軽く叩いた。
「これじゃ削るのが精一杯だ。伐採用には不向きだな」
そう言って、脇に置かれていた手製の斧を持ち上げた。
石を削って刃にし、頑丈な枝に固定した簡易の道具だ。
「力任せに斬るんじゃない。削るように、角度を一定に保てばいける」
そう言うと、リュウジはためらいなく斧を振り下ろした。
木肌に乾いた音が響き、樹皮が一片剥がれ落ちる。
チャコが目を丸くした。
「ほんまに切れてる……!」
だが、カオルは眉をひそめたままだ。
「お前、一睡もしてないんだろ。そんな体で無茶すれば、倒れるのは目に見えてる」
「倒れるような体なら、最初からここまで来ていない」
リュウジは淡々と答え、再び斧を振るった。
カオルは舌打ちをして木に背を預けた。
「勝手にしろ。ただし俺は、お前がぶっ倒れても担いで戻る気はない」
「心配しなくていい。俺は倒れない」
無表情で言い切るリュウジに、チャコは小さく肩をすくめた。
「二人とも意地張らんといてや……。ウチ、ちゃんとサポートするから」
その後も、リュウジとカオルは交代で斧を振るい続けた。
打ち込むたび、木屑が飛び散り、森に響く音が次第に大きくなっていく。
汗が額を流れ落ち、呼吸が荒くなっても、リュウジの目は一度も揺らがなかった。
◇◇◇
一方その頃、砂浜では――
ルナが釣り糸を垂らし、静かな波音を聞いていた。
心のどこかで「またリュウジが無理をしていないだろうか」と気にかけながらも、魚が掛かるたびに「これを渡せば少しは力になる」と自分を納得させていた。
やがて、森の中で大きな音が響く。
――バキィィィッ!
木が大きく傾き、枝葉を揺らしながら地面に倒れる重低音が森全体を震わせた。
「よし……一本目だ」
リュウジが息を吐き、斧を肩に担ぐ。
チャコは思わず拍手をした。
「すごいやん! これで枠組みの柱が一本完成や!」
カオルはリュウジをちらりと見て、短く言った。
「無茶苦茶だな……」
しかしその口調は、わずかに皮肉よりも感心の色を帯びていた。
リュウジは何も答えず、ただ切り株に手を置き、次に倒す木を探し始めた。
◇◇◇
朝の陽射しが強さを増し、砂浜の白い砂がじりじりと照り返し始めていた。
火のそばに腰を下ろしていたルナの前に、釣り上げた魚がいくつも並んでいる。
銀色に光る鱗はまだ生きているかのように輝き、潮の香りと相まって、食欲をそそる匂いが漂っていた。
「……ふぅ、けっこう釣れたかな」
ルナは濡れた手を拭いながら微笑む。
彼女の心のどこかには、森へ行ったリュウジやカオルたちの姿がちらついていた。無理をしていないだろうか、体を壊していないだろうか――そんな不安を抱えつつも、できることをしようと釣りに専念していたのだ。
そのとき、背後で砂を踏む重たい音がした。
振り返ると、まだ眠気を引きずったような顔でベルが立っていた。
肩を大きく落とし、両腕をだらりと垂らしているが、目だけは「腹減った」と訴えている。
「ベル、やっと起きたんだ」
ルナは笑いながら立ち上がり、手にした魚を二匹ほど彼に差し出した。
「お昼にこれ食べて。残りは私が持っていくから」
ベルは目を丸くし、受け取った魚をじっと見つめた。
「……これ、ルナが釣ったのか?」
「そうだよ。ほら、ちゃんと焼けばおいしくなると思う」
ベルはぎこちなく頷き、口元に小さな笑みを浮かべた。
「……ありがとう。俺でも、焼くくらいならできると思う」
そう言って魚を大事そうに抱え、砂浜の焚き火へと向かっていった。
その背中に「任せたよ!」と声をかけ、ルナは残りの魚を布に包み、森へと足を踏み入れた。
◇◇◇
――森は湿った空気で満ち、木漏れ日がちらちらと揺れている。
ルナは布包みを両腕に抱えながら、小走りで奥へと進んだ。
その耳に、やがて「ガツン、ガツン」と鋭い斧の音が響いてきた。
汗の匂いと木屑の粉が漂い始め、彼女の胸は少し高鳴る。
(……やっぱり、やってるんだ)
心配が現実になっているのを悟りつつ、足を速める。
やがて視界が開け、そこには一本の巨木が地に横たわる光景が広がっていた。
木の切り株からは真新しい切り口が光り、森に独特の香りを漂わせている。
「よし……二本目だ」
リュウジは額の汗を拭うこともなく、肩に斧を担ぎ直していた。
その横でチャコが拍手をし、カオルは木に背を預けて息を整えている。
「みんな……!」
ルナは駆け寄り、布包みを開いて魚を見せた。
「お昼にこれ、持ってきたんだ。ベルにはもう渡してあるから、あとはここで食べて」
チャコがぱぁっと顔を輝かせた。
「うわぁ! ナイスタイミングやん、ルナ! めっちゃ腹減っててん!」
カオルもちらりと魚に視線をやり、短く言った。
「助かる」
リュウジは魚を見て一瞬だけ目を細めたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「……ありがたい。だが、食う前にもう一本片づける」
そう言って、次に狙う木を探し始める。
「ちょ、ちょっとリュウジ!」
ルナは慌てて声を上げる。
「せっかく魚持ってきたんだから、休んでからでもいいじゃない!」
リュウジは足を止めず、低い声で返す。
「時間を無駄にするな。どうせ腹は逃げない」
ルナは頬を膨らませて立ち尽くした。
(……ほんと、どうしてあんなに無理するんだろう)
彼女の胸にまた小さな不安と苛立ちが芽生えたが、その手の中の魚の温もりだけが、仲間のためにできる自分の役割を思い出させてくれていた。
◇◇◇
「……行くぞ、倒れる!」
リュウジの鋭い声が森に響いた。斧を最後に大きく振り下ろすと、幹に走っていた亀裂がぱきぱきと広がり、ついに三本目の巨木が大地を揺らしながら倒れ込んだ。
ドォォン――。
地面が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。森に一瞬だけ静寂が戻り、すぐに葉のざわめきが余韻を作った。
「……はぁ、はぁ……」
リュウジは斧を地面に突き立て、肩で荒く息をした。普段冷たい表情の彼も、額から滴る汗と紅潮した頬で疲労を隠しきれていない。
「よしっ、倒れたな」
カオルは腕を組んで木を見下ろし、満足げにうなずいた。
「これで枠組みの大物は揃ってきた。だが――」
視線を横にやると、リュウジの息遣いの荒さに気づき、眉をひそめた。
「リュウジ。……少し休め」
「俺はまだ――」
「これ以上無理して倒れられたら逆に足手まといだ」
低い声で言い切るカオルに、リュウジは短く息を吐き、反論はしなかった。
ルナはすかさず手を叩いて声を上げる。
「やっぱり休憩するの! せっかく魚持ってきたんだから、みんなで食べようよ」
チャコはすぐに頷いて、背中の荷物から火打石を取り出した。
「ウチに任せとき。木屑もいっぱい集めたし、火ぃつけるんはすぐや」
しばらくして、枝先に炎がともり、魚の香ばしい匂いが漂い始める。
森の中、切り倒した三本の巨木のそばに腰を下ろし、四人は焚き火を囲んだ。
焼き魚の皮がパリッと音を立てる。ルナは嬉しそうにほぐしながら、口に運んだ。
「ん~、おいしい! やっぱり魚があると元気出るね」
チャコも魚の身を小さくちぎって味わいながら言う。
「ほんまやなぁ。果物ばっかやと体が軽くても力は出えへん。やっぱり栄養って大事やわ」
カオルは無言で魚を口に運んでいたが、少し目を細めた。
「……悪くないな」
ルナはそれを聞いて、ぱっと笑顔になった。
「ね、だから言ったでしょ? 無理してばっかじゃなくて、こうやって休むのも大切なんだって」
彼女の視線は自然とリュウジへと向かう。
リュウジは串を握ったまま黙っていたが、やがて短く言った。
「……俺は、時間を惜しみたくないだけだ」
その低い声に、ルナの胸が少し締めつけられる。
「……そんなに焦らなくても」と喉まで出かかった言葉を飲み込み、代わりに優しい声で返した。
「でも、みんなで力を合わせれば、きっと間に合うよ」
リュウジは焚き火を見つめたまま反応を示さない。だが、その肩がわずかに緩んだのをルナは見逃さなかった。
チャコが気まずさをほぐすように、尾を揺らして笑った。
「ま、ほら。こうして美味しいもん食べてたら、なんやかんや元気出てくるやろ」
ルナは焚き火の温かさを頬に感じながら、改めて周囲を見回す。
(焦っているのはリュウジだけじゃない。カオルだって……私だって……)
けれど、こうして魚を囲み、互いの言葉を聞き合う時間が、少しだけ皆の距離を縮めているように思えた。
◇◇◇
短い休息が終わると、再び森の奥に響き渡る鈍い音が始まった。リュウジの振るう黒曜石の刃が幹に深く食い込み、カオルの太い腕が続けざまに木肌を削る。息を合わせるように二人が交互に斧を振り下ろすたび、木の芯から湿った香りが立ちのぼった。
ルナは火の番を続けながらも、その様子を気にして視線を送っていた。チャコは彼女の隣で削った木片を拾い上げ、何やら硬さを調べている。
「ウチらがこうしてんのも、結局はリュウジらの力があってこそやなぁ……。丸太って、想像以上に重いんやもん」
「うん……」
ルナは膝に顎をのせるようにして答えた。
「でも、二人とも無理してないかな。もう十分倒したのに」
チャコは尾を揺らしながらため息をついた。
「ほんまは止めた方がええんやろけどな。あいつら、止めても聞かへんやろ」
その言葉どおり、リュウジもカオルも止まる気配はなかった。四本目の木は、午前よりも太く硬い。それでも二人は迷いなく刃を打ち込み続ける。額の汗が流れ、服が背中に貼りついていく。
やがて「メリメリ」と木が割れる音が響き、ルナは思わず立ち上がった。
「倒れるよ!」
警告と同時に、四本目の巨木が地響きを立てて傾き、重々しい衝撃と共に地面に横たわった。森の鳥が一斉に飛び立ち、辺りが一瞬ざわめく。
「……よし」
カオルが短く息を吐く。その肩は大きく上下していた。
ルナは駆け寄り、腕を広げるようにして二人を睨んだ。
「もう、いい加減にして! 休んでって言ったのに……!」
リュウジは淡々と答えた。
「……必要な分を揃えただけだ」
カオルも短く付け足す。
「これで基礎の枠は完成する。無駄な労力じゃない」
二人の強い言葉に、ルナは悔しさと安堵が入り混じった息を吐いた。
(ほんとに……勝手なんだから。でも、こういう時の二人は、誰よりも頼りになるんだ)
その場に残されたのは、倒れた四本の丸太と、汗に濡れた三人の姿。森の奥にはまだ深い静けさが広がっていたが、確かな成果がそこにあった。
倒れた四本の丸太は、想像を超える重さだった。地面に横たわる幹を前に、ルナは思わず息をのむ。
「これ……どうやって運ぶの……?」
その問いに、リュウジが無言で丸太の端を持ち上げた。筋肉が軋むように盛り上がり、低い声で言う。
「二人で担げば、一本は運べる」
「……そういうことだ」
カオルも反対側に回り、無言で手をかける。
二人が声を合わせるように力を込めると、ずしりとした重みが地面から浮かび上がった。丸太が持ち上がった瞬間、ルナは慌てて脇に回り込み、邪魔にならないよう枝払いを手伝う。
「ちょ、ちょっと待って! そのままじゃ歩きにくいでしょ!」
チャコも四肢をばたばたと動かしながら幹に取りつき、小さな刃を出して余計な枝を落とし始めた。
「ウチも手ぇ貸すわ! 邪魔な枝は全部取ったる!」
森の静けさの中、枝を切り落とす音と重い息遣いが続いた。やがて一本目の丸太はすっきりした形になり、リュウジとカオルが肩で担ぎ直す。
「……いくぞ」
「おう」
二人が息を合わせると、丸太は地面を擦ることなく運び出された。ルナとチャコはその後をついて行き、時折道を払って歩きやすくする。
やがて、大いなる木が視界に現れた。巨木は夕陽に照らされ、赤銅色の幹が燃えるように輝いていた。四人はその根元まで運び、慎重に丸太を下ろす。
「ふぅ……一本目、完了」
ルナが額の汗をぬぐい、笑顔を作る。
「まだ三本あるんやけどな」
チャコが半ば呆れたように言い、リュウジが淡々と応じた。
「一本ずつ運べば終わる」
その後も、同じ作業が繰り返された。二本目、三本目、そして四本目。枝を払い、担ぎ上げ、根元へ運ぶ。汗が滴り、腕は痺れるほどだったが、着実に丸太が大いなる木のもとに並べられていく。
「これで、枠組みに使う木はそろったな」
カオルが短く呟く。
リュウジも頷き、刃を枝に突き立てて腰を下ろした。
「今日はここまでだ。……これ以上は無理だろう」
その言葉にルナは胸をなで下ろす。彼の口から「無理」という言葉が出るのは珍しい。それほどの労力だったのだ。
「うん、そうしよう。シャトルに戻って、ちゃんと休もう」
チャコも大きく伸びをしながら同意する。
「ウチのバッテリーもそろそろ切れそうやしなぁ……。メンテナンスもせな」
夕暮れの森をあとに、四人は足取りを揃えた。肩に残る疲労は重い。しかし、大いなる木の根元に積み上げられた丸太が、確かな成果として彼らを後押ししていた。
◇◇◇
やがて砂浜に近づくと、シャトルの影が夜の闇に溶け込み始めていた。火の気配が待っている。その温もりを思い浮かべながら、ルナは静かに息を吐いた。
「……みんなで、ほんとにここに家を作れるんだね」
その小さな言葉に、誰も答えなかった。ただ、疲労に沈む表情の奥で、それぞれが同じ思いを胸にしていた
シャトルに戻った頃には、すっかり陽は落ちていた。
焚き火の赤い灯りに照らされ、休んでいた仲間たちが顔を上げる。
「おかえり!」
シャアラが真っ先に声をかけ、手を振った。その表情には安堵と心配が入り混じっている。
ルナは額の汗を拭い、笑みを作る。
「ただいま。……やっと丸太を倒せたよ。今日は四本」
「四本も……!」
シンゴの目が丸くなる。彼はまだ体を庇うようにして座ったままだ。
「僕らは……全然動けなかったのに」
「ええんやで、シンゴ。体休めるんも作業のうちや」
チャコが焚き火のそばに腰を下ろし、体をぎしぎしと鳴らした。機械仕掛けの彼女でさえ、長時間の作業で外装が煤と木屑にまみれている。
「ほんま、伐採ってのは想像以上に骨が折れるわ……」
ベルは肩を落とし、申し訳なさそうに言った。
「……俺ら、全然役に立てなかったな」
「違うよ」ルナがすぐに首を振った。
「今日は体を休めることが一番大事だったんだもん。明日からまた、みんなで動けるように」
その言葉にベルは少し顔を上げ、弱々しく笑った。
一方、ハワードはというと火に照らされる頬を膨らませ、半ば拗ねたように口を開いた。
「……でもさ、僕だって木を切り倒すぐらいできたはずだよ。筋肉痛だからって置いてかれるなんて、不公平だ」
「何言ってんだ。お前、今日立ち上がるのもやっとだったろ」
カオルが冷たく返すと、ハワードは口を閉じて魚をつつき始める。
そのやり取りを見て、シャアラが苦笑した。
「ふふ……でも、みんな無事でよかった」
火の上でじゅうじゅうと焼ける魚の匂いが漂い始める。串をくるりと回していたのはリュウジだった。彼は黙々と焼き加減を見極め、頃合いを見て仲間に配る。
「食え。疲れが取れる」
そう言って渡された魚にルナがかぶりつくと、熱々の肉汁が口いっぱいに広がった。
「……うん、美味しい。力が戻ってくる気がする」
「ほんまや、栄養満点やな!」
チャコも豪快にかじりつき、満足そうに笑った。
しばし、焚き火の周りは魚を食べる音だけが響いた。疲労に沈黙が重なり、だがその静けさは心地よい。
やがて、シンゴが口を開いた。
「……僕さ、正直、悔しかった。みんなが頑張ってるのに、僕は動けなかった。もっと力があればなって」
「シンゴ、それは違う」ルナが穏やかに遮る。
「今日は動けなかったかもしれない。でも、シンゴの知識やアイデアがなかったら、伐採した木をどう使うかも決められなかった。ちゃんと役に立ってるんだよ」
「……ほんと?」
シンゴが小さく笑うと、ハワードが横から言った。
「そうそう。だから僕の“場を盛り上げる力”も必要ってわけだな!」
「うるさい」
カオルが即座に切り捨てると、メノリも真剣な顔で続けた。
「だが、今日は体調を崩す者が出なかったのは収穫だろう。今後は休養と作業のバランスを考える必要がある」
リュウジは黙って焚き火を見つめていたが、最後に一言だけ漏らした。
「……明日は全員休め。丸太はもう十分だ」
その言葉にルナは驚き、そして胸が温かくなる。冷たく聞こえる声の奥に、仲間を思う気持ちが確かに感じられたからだ。
火の粉が夜空へ舞い上がり、焚き火を囲む輪の中に静かな安堵の空気が広がった。
◇◇◇
翌朝。
鳥のような生き物の鳴き声に混じって、森の木々を渡る風の音が耳に心地よく響いていた。前日の疲労がまだ体に残っているのか、シャトルの中は珍しく静まり返っている。
「……みんな、まだ寝てるんだ」
ルナはそっと起き上がり、リュックを抱えて外へ出た。空は青く澄み、日差しが穏やかに降り注いでいる。
その背中に声がかかる。
「早いな」
振り返れば、リュウジが既に焚き火のそばに腰を下ろしていた。火は小さく、灰の中に赤い炭が残っている。
「おはよう、リュウジ。……昨日、ちゃんと休んだ?」
「ああ」
ぶっきらぼうにそう返す彼を見て、ルナはふっと笑った。
⸻
その頃、仲間たちもゆっくりと目を覚ましてきた。
「……体が、鉛みたいだ」
ベルが呻き声を上げて起き上がる。両腕と脚をさすりながら顔をしかめた。
「昨日、無理して起き上がったのが祟ったな」
メノリも同じように体を伸ばし、ぎこちない動きで外に出てくる。
「……だが、これも訓練のうちだ。今は体を癒やすことに専念しよう」
「そういう割に、メノリだって顔色悪いぞ」
ハワードが揶揄うように笑うと、彼女は冷たい視線を返した。
「余計なことを言うな。お前も休め」
「え、僕は昨日からずっと休んでるけど?」
「だから余計に言うなってんだ!」
そんな二人のやり取りに、シャアラがくすりと笑った。
「ふふ……なんだか少し、学園にいた頃の空気に戻ったみたい」
⸻
◇◇◇
昼過ぎ。
皆で簡単な昼食を取りながら、ルナが提案する。
「今日は、無理に何かを進めなくてもいいと思う。心も体も休ませるのが一番の仕事。……ね?」
「せやな。ええ案やで、ルナ」
チャコが同意し、仲間たちの間にゆるやかな空気が流れた。
焚き火を囲む輪は、いつもより柔らかい笑顔で満たされていた。
それぞれが弱さをさらし、無理をせず、ただ同じ時間を過ごす。
そのことが、何よりも大きな力になっているとルナは感じていた
休養日ということで、皆はそれぞれ思い思いに時間を過ごした。
シンゴはシャトルの中で工具を広げ、小さな機械の修理を始める。
「昨日は全然動けなかったから……今日は頭だけでも働かせないとね」
彼はまだ体を庇いながらも、指先を器用に動かしていた。
ベルは火のそばに座り、ただぼんやりと空を眺めている。だが、その瞳には以前よりも確かな光が宿っていた。
「……俺も、ちゃんと役に立ちたい」
小さく呟いた声を、ルナは聞き逃さなかった。
シャアラは洗濯と片付けに精を出していた。
「せめて私にできることは……これくらいだから」
彼女の手際はよく、昨日の疲労を感じさせない。
チャコはというと、背を伸ばして日向ぼっこをしている。
「ふにゃぁ……太陽光、充電効率ばっちりやな。休むんも最高のメンテナンスや」
一方で、カオルとリュウジだけは落ち着かない様子だった。
「……動かなくていいのか?」
カオルがぽつりと呟くと、リュウジは焚き火に枝をくべながら答えた。
「丸太は十分倒した。今は無理に動くな」
「……お前にしては珍しいな」
「別に。合理的なだけだ」
そう言い切るリュウジの横顔に、ルナは思わず微笑む。冷たく聞こえても、その言葉の底には仲間を気遣う思いが透けて見えたからだ。
◇◇◇
夕暮れ時。
焚き火の周りに座っているのはルナ、メノリ、シャアラ、チャコの四人だけだった。男たちは浜辺の奥で水浴びをしており、ここには火のぱちぱちと燃える音と、鳥の声が微かに響くだけだった。
「ふう……今日はやっと体を休められたわね」
シャアラが火を見ながらほっとしたように笑う。
「そうだね。ちょっとでもこうやって落ち着ける時間があると、すごく大事に思えるよ」
ルナも微笑んだが、心の奥では小さな疑問がずっと燻っていた。
思い切って口を開く。
「ねえ……リュウジって、どんな人なの?」
その一言に、メノリとシャアラの表情が固まった。二人は顔を見合わせ、言葉を選ぶように視線を火に落とす。
「……ルナ、本当に知らないのか?」
メノリの声は低く、真剣だった。
「え……?」
シャアラが小さくうなずき、言葉を継ぐ。
「リュウジは、“悲劇のフライト”の生存者なの」
ルナの胸がどくんと跳ねた。
「悲劇の……フライト……?」
チャコが驚いたように目を丸くする。
「ウチもその事故のことは知っとるで。ドルトムント財閥の旅客機やろ? 火星から木星に向かっとった長距離便。エンジンの故障や隕石群の直撃で、大惨事になったって……コロニー中のニュースで散々騒がれとったやんか」
「そうだ。最終的に緊急用のエアシップに止まることすらできず、乗客の八割が命を落とした……あれはコロニー史に残る大事故だった」
メノリの口調は冷ややかで、炎の奥を射抜くように鋭い。
「……そんな……」ルナは声を失った。
「リュウジは英雄と呼ばれる一方で、多くの人を殺した張本人と糾弾もされた。あれは事実上、社会的な処刑に近かっただろう」
その瞬間、チャコの瞳がさらに大きく揺れる。
「……えっ? ま、待って……ウチ、事故のことは知っとるけど……まさか操縦士がリュウジやったんか!? うそやろ……」
「そうだ」メノリは短く言い切った。
「だから彼は宇宙飛行士の資格を持っている。シャトルでの操縦や補助の捌き方を見て、おかしいとは思わなかったか?」
チャコは呆然としたまま炎を見つめる。
「……道理で。あの冷静さ……ただ者やないとは思っとったけど……」
ルナは膝の上で拳を強く握りしめる。
(リュウジが……そんな過去を……。八割もの命が失われた事故の中で生き残って、すべての罪を背負わされて……だから、あんな孤独な目をしているんだ……)
火の粉が宙を舞い、夕闇に吸い込まれていく。
ルナの胸には、答えの出ない重い思いが静かに沈んでいっ
ルナは唇を噛みしめたまま、炎を見つめていた。
火の明かりが、メノリとシャアラ、チャコの横顔を揺らし映し出している。そのどれもが真剣で、重い空気を共有しているのが伝わってきた。
(リュウジが……悲劇のフライトの生存者……。宇宙飛行士として、あの旅客機を任されて……でも、失敗したって、そういうこと……? 八割の人が……死んだ……)
胸が締め付けられる。彼の冷たい瞳の奥に、いつも感じていた影。その正体がようやく繋がってしまったような気がした。
(……生き残ったこと自体が罪みたいに言われて……どんな思いで今まで過ごしてきたんだろう)
一度だけ、リュウジが皆の前で見せた背中を思い出す。寡黙に、黙々と作業をこなす姿。仲間を寄せ付けないような態度。だけどその手際は完璧で、誰よりも周りを守ろうとするようにも見えて――。
(もしも私だったら、耐えられない……。大切な人をたくさん失って、それでも生きろって言われて……周りからは「罪人」だって言われて……。そんなの……)
胸が痛む。涙がにじみそうになるのを堪えて、ルナは強く瞬きをした。
(リュウジは……悪くない。だって、ひとりの力で隕石群を止めたり、エンジンを直したりなんてできない。誰にだって限界があるはず。……それなのに、全部を背負わされて……)
火の赤い光がリュックの金具をきらりと照らした。父の形見を握りしめながら、ルナは胸の奥で小さくつぶやく。
(私は……信じたい。リュウジは、悪い人なんかじゃない。だって、何度も私たちを守ってくれた。冷たい態度に見えても、危ないときは必ず前に立って……そんな人が、本当に人を殺すはずがない)
ぐっと顔を上げると、メノリとシャアラ、チャコがまだ黙って炎を見つめていた。ルナは何も言わず、ただ心の中で決意する。
(私は……彼を責めない。むしろ、助けたい。あの孤独な影から……いつか、解き放ってあげたい。私にできることがあるなら……絶対に)
風が少し強くなり、火の粉がぱちんと弾けて夜空に散った。
その瞬間、ルナの胸の中に新しい想いが芽生えた。重い事実を知ったはずなのに、不思議と「距離が近づいた」ような気がしたのだ