サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第30話

夜の風が、焚き火の残り香を静かに運んでいく。

 食事を終えた仲間たちはそれぞれの場所へと散っていった。

 

 ルナはそっとその背中を見送り、静かに息を吐いた。

 

 ――今日も、よく笑った。

 

 その安堵の一方で、彼女の視線は自然と宇宙船の方へ向いていた。

 金属の外壁が夜の光をわずかに反射している。

 

ーーーー

 

 リュウジは宇宙船に足を向けた。

 宇宙船の中は静まり返っており、冷たい空気がゆっくりと肌を撫でる。

 廊下の照明がひとつ、またひとつと足元を照らしていく。

 重力制御ユニットやエネルギーシステムの点検を済ませ、最後は操縦室だけだ。

 

 操縦室の扉が自動で開くと、そこに先着がいた。

 操縦席に身を預け、静かに佇み姿がある。

 

 「何してるんだ?」

 その声にルナが顔を上げる。

 

 「綺麗だなって思って」

 振り向いたルナの頬を、星の光が静かに照らした。

 

 「星か・・・」

 リュウジはルナの隣に腰を降ろして、同じように星空を見つめた。

 「こんなに綺麗なのは初めて見た」

 

 ルナは横目にリュウジを見つめた。

 「リュウジ、宇宙船の点検をしてたんでしょ?」

 

 「宇宙船に乗る時は必ずやる。昔からの習慣だ。」

 リュウジは小さく笑い、星空を見つめる。

 「もう二度と、宇宙船を操縦することはないと思ってたんだけどな。」

 

 ふっと力を抜いたその言葉に、過去の重みが滲んでいた。

 

 ルナは静かに呟いた。

 「……ねぇ、リュウジ。ひとつ聞いてもいい?」

 

 リュウジは答えず、ただ視線を彼女に向けた。

 ルナは迷いながらも言葉を紡ぐ。

 「“悲劇のフライト”の真実……あなた、話さなかったわよね。

  誰も信じないって言ってたけど、それだけが理由?」

 

 リュウジの瞳がかすかに揺れた。

 「俺が目を覚ました頃には、もう根回しは終わってた。

  俺一人が生贄にされる構図は……できあがってたんだ。」

 低く落とされた声が、操縦室に響く。

 

 「本当に、それだけの理由?」

 ルナの言葉に、リュウジは少しだけ目を細め、視線を逸らした。

 そして、静かに星空を見上げる。

 

 「本当は、“ナッシュ”って人を守りたかったんじゃないの?」

 その名前が出た瞬間、リュウジの肩がわずかに動いた。

 「……どうして、そう思う?」

 「あなたは、誰よりも仲間想いで優しい人。

  誰かのために命を惜しまない。

  だから、きっと誰かを守ろうとしたんじゃないかって。」

 

 ルナの瞳には迷いがなかった。

 その真っ直ぐな眼差しに、リュウジは小さく息を吐き、微笑を浮かべた。

 

 「お前は……本当に不思議な奴だ。」

 「え?」

 「俺は、自分のせいで誰かが傷つくのが嫌なだけだ。」

 

 その言葉は静かだったが、どこか苦しげでもあった。

 「……リュウジは優しすぎるわ。」

 ルナは不安そうに言った。

 「その優しさがあなたのいいところなのは分かってる。

  でも、それで苦しむのは違う。」

 

 リュウジは少しだけ目を閉じた。

 「分かってる。もう一人で抱え込むつもりはない。」

 「本当に?」

 ルナが問い詰めるように尋ねると、リュウジは柔らかく笑った。

 「当たり前だ。……今は、お前たちがいる。」

 

 その言葉に、ルナは胸を撫で下ろし、穏やかに微笑んだ。

 「外で星を見ましょう? きっと、みんなもいるわ。」

 「ああ、行こう。」

 

 二人は並んで操縦室を出た。

 扉が静かに閉まり、通路の先には夜の冷たい空気が待っていた。

 艦外へ出ると、星々が広がり、世界が銀色の光に包まれている。

 

 リュウジは空を見上げながら、ゆっくりと息を吐いた。

 「……やっぱり、綺麗だな。」

 「ええ、とても。」

 

 風が二人の間をすり抜け、焚き火の残り火がちらちらと舞う。

 その光が一瞬だけ、ルナとリュウジの頬を同時に照らした。

 

⬜︎

 

 静かな夜風が草原を渡り、星の光が一面に降り注いでいた。

 リュウジとルナは、肩を並べてその中を歩いていた。

 どこまでも続く夜の草原。遠くで虫の音がかすかに響く。

 

 ふと、ルナが足を止めた。

 「見て……」

 

 その視線の先、草原の上に二つの影があった。

 月明かりに照らされ、シャアラとベルが並んで座っていた。

 星空を見上げながら、何かを話しているようだ。

 

 「おい。」

 リュウジが軽く手を挙げると、シャアラも笑顔で手を振り返した。

 

 ベルとシャアラが立ち上がり、リュウジとルナも歩み寄る。

 その瞬間――

 

 「なーんだ!こんな所にいたのか!」

 森の中からシンゴの声が弾けた。

 振り向けば、手を振りながら彼が駆けてくる。

 

 「お!偶然やな!」とチャコも現れ、

 「ほんとに〜」とタコが続く。

 その後ろから、ゆっくりとカオルの姿も見えた。

 

 ルナは思わず笑みをこぼし、膝に手をついて声をかけた。

 「あら、あなた達も来てたの?」

 

 「ねぇ、何してたの?」とシャアラが尋ねる。

 タコは胸に手を当て、真面目な顔で言った。

 「つい、この美しい星空に誘われまして。」

 

 「へぇ〜、なかなかロマンチストね。」

 ルナが優しく笑うと、皆も自然に笑顔を浮かべた。

 

 そのとき、森の方から声が響く。

 「おーい!みんなー!」

 

 ハワードが両手を振って走ってくる。

 その後ろには、メノリとアダムが手を繋いで歩いていた。

 

 やがて全員が揃い、草原の上に横並びに腰を下ろした。

 誰からともなく、自然と空を見上げる。

 

 無数の星々が、まるで希望の光のように瞬いていた。

 それは、彼らを包み込むように穏やかで、どこか懐かしい光だった。

 

 「明日は……この宇宙に向かって飛び立つんだな。」

 メノリの静かな声が夜風に溶けた。

 

 「こうして星を眺めるのも、これで最後になるかもしれないぞ。」

 ハワードの声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。

 

 「不吉なこと言わないでよ!」とシンゴが顔をしかめる。

 「せやせや!」とチャコも頷く。

 

 「死ぬために行くんじゃないさ。」

 穏やかに空を見上げながら、カオルが言った。

 その言葉に、皆の視線が集まる。

 

 「そうだ、生きるためだ。」とベルが力強く言い、

 「生きるためだね。」とシャアラが微笑んだ。

 

 ルナは静かに夜空を見上げ、両手を胸の前で組んだ。

 「帰ってこようね。どんなことがあっても――生き抜いて。」

 

 彼女の声は、柔らかく、けれど確かな意志を帯びていた。

 

 その言葉に、皆が頷く。

 焚き火のような温かさが、星の下に広がっていった。

 

 夜風が頬を撫で、星々がまるで彼らを祝福するかのように輝いていた。

 

 夜空は、どこまでも澄み渡っていた。

 無数の星が瞬き、風が草原をやわらかく撫でていく。

 

 「……大丈夫だよな。」

 そんな中、ハワードがぽつりと呟いた。

 その声は夜気に溶け、どこか心細げに響いた。

 

 「今更、何言うとんねん。」

 チャコが顔をしかめて言う。

 

 「だってよ、明日は宇宙船に乗るんだろ?

  今日のシュミレーションですら手が震えたんだぜ。」

 ハワードは自分の手を差し出してみせた。

 その指先は、確かに小刻みに震えていた。

 

 「ホンマ、臆病なやっちゃな。」

 チャコが呆れたように言う。

 

 「べ、別にビビってる訳じゃないぞ!」

 ハワードが声を張る。

 

 「どうだか。」

 チャコが肩をすくめる。

 

 「なんだと!」

 「やるんか!」

 

 二人が互いに睨み合う――

 そして次の瞬間、プッと同時に吹き出して笑った。

 

 「……なにそれ。」

 ルナが思わず笑い、他の仲間たちもつられて笑い出した。

 夜の静寂が、温かな笑い声に包まれる。

 

 だがその中で、ただ一人――

 リュウジは静かに空を見上げていた。

 

 その視線に気づいたハワードが、ふと声を掛けた。

 「なぁ、リュウジ……お前は怖くないのか?」

 

 リュウジは少しだけ首を傾げ、ハワードを見た。

 「怖くないって?」

 

 「いや……ほら、明日のことだよ。

  俺なんか、正直ビビってる。」

 

 「リュウジに限ってそんなことはないだろ。」

 メノリが微笑みながら言った。

 

 「せやせや。一緒にしたら失礼やろ。」

 チャコが腕を組んでうなずく。

 

 だがリュウジは、軽く笑みを浮かべて言った。

 「そりゃ、怖いに決まってるだろ。」

 

 「ほれみぃ、怖いわけ――……なんやて!?」

 チャコが目を見開き、ハワードも思わず息を呑んだ。

 仲間たちの視線が一斉にリュウジへと集まる。

 

 星空の淡い光が、リュウジの横顔を照らしていた。

 その瞳は静かで、しかし深い決意の色を宿している。

 

 「この惑星に生きとし生ける命、

  そして――お前たちの命を背負ってるんだ。

  怖くて堪らないさ。」

 

 淡々とした声だった。

 だがその一言には、確かな重みがあった。

 

 「それにしては落ち着いてるな。」

 ハワードが小さく笑って言う。

 

 「人にもよるがな。」

 リュウジはゆっくりと立ち上がり、夜空を見上げた。

 「一人で背負えるだけ背負って、恐怖心から逃げずに受け止める。

  それが――宇宙飛行士ってもんだ。」

 

 そう言ってリュウジは、柔らかく笑った。

 その横顔には、確かな覚悟があった。

 

 ルナは、思わず息を呑んだ。

 その表情には迷いも恐れもなく、ただまっすぐな光があった。

 ――まるで星空と同じ、静かに燃える光。

 

 「その手の震えが、命の重さだよ、ハワード。」

 リュウジが微笑みながら言う。

 「……案外、お前も宇宙飛行士に向いてるのかもな。」

 

 「え?」

 ハワードは一瞬呆けた顔をし、次の瞬間、照れくさそうに笑った。

 「は、ははっ……そうかもな。」

 

 風が吹き、草原を渡る。

 笑い声が再び広がり、空には流れ星が一筋、静かに落ちていった。

 

⬜︎

 

まだ東の地平は色を持たず、世界は夜の名残を抱いたままだった。

 焚き火は灰に還り、微かな赤が呼吸のように膨らんでは縮む。

 草原を渡る風は冷たく、遠くの森からは、目覚めを迷う鳥の小さな鳴き声が一度だけ響いて途切れた。

 久々に今日は外で寝ていた。

 

 その静けさの中、ひとつの影が音もなく立ち上がる。

 リュウジだ。

 彼は足元の砂利を踏む音さえ殺し、寝ている仲間の列を縫うように歩き、闇と朝の境い目へと身を溶かしていった。

 

 ルナは横になったまま、それを見ていた。

 瞼の隙間に、彼の背中がすべり込む。

 (“どこへ行くの――?”)

 声にするにはあまりに夜は脆く、思いは胸の奥で丸くなる。

 

 今日、この惑星を救うために、私たちは宇宙へ向かう。

 その確かな事実が、まだ朝の来ない空のように冷たく澄んで、ルナの中にあった。

 ここまで来られたのは、彼がいたからだ――そう思うほど、胸が静かに痛む。

 仲間をまとめる声、限界を越えるための沈黙、そして、誰かを守るときに見せる、あの迷いのない横顔。

 それらの奥にあった“闇”は、とても悲しく、深かった。

 “悲劇のフライト”。

 全ての憎しみや悲しみを一身に受けながら、全てを背負い込み、心の中で血の涙を流しながら、言葉の届かない場所で己を縛り続けた、その長い時間。

 見上げれば、星はいつも瞬いていたのに、彼の中の夜は、きっと星の届かない夜だった。

 

 (――それでも)

 今、彼は前を見ている。

 私たちと同じ星空を、同じ光で。

 

 ルナはゆっくり息を吐いた。吐く息は夜の端でほどける。

 そっと身体を起こし、毛布の端を直す。隣に寝ているアダムの肩に、ずれた布をやさしくかけ直す。

 チャコは小さないびきを立て、シンゴは腕を枕にして口を半開きにしている。

 メノリは眉根をうっすら寄せ、ベルは空を仰ぐように寝返りを打って、また静かになる。

 シャアラは指先を胸の上で組み、タコは意味のない歯切れの悪い寝言をひとつ転がした。カオルは静かに寝ている。

 (――起こさないように)

 ルナはつま先で地面の冷たさを確かめ、そっと立ち上がる。

 

 夜露が草の先で丸く光り、足首をかすめていく。

 遠ざかる足跡は、風の流れに沿って薄く残り、やがて消える。

 ルナはその消えかけの軌跡をたどるように、静かに歩いた。

 耳に届くのは、自分の呼吸と、薄闇を撫でる風の擦過音だけ。

 まだ陽はどこにもいない。

 空は深い群青に閉じられ、東のふちに、気づけば細い銀糸のような明るみが一本だけ置かれていた。

 

 (リュウジは、どこへ――)

 

 宇宙船の黒い影が、野辺の起伏からゆっくり頭をのぞかせる。

 冷たい金属の輪郭に夜がまとわりつき、ひんやりとした気配が肌を撫でた。

 ルナは歩を緩めず、しかし音を立てずに近づく。

 機体の表面に触れると、夜気を閉じ込めたような冷たさが掌に広がった。

 指先でそっと輪郭をなぞりながら、彼女は目を細める。

 (――この船で、私たちは宇宙へ出る)

 重力嵐の咆哮をくぐり抜け、逆位相の光で闇に道を刻む。

 怖くないわけがない。

 それでも前へ。

 彼が、そうして来たように。

 

 (ここにいる。)

 胸の奥が、そっとほどける。

 ルナは小さく頷き、機体から一歩離れる。

 

 そのまま、少し距離を置いた草むらに腰を下ろした。

 夜露がスカートの裾を濡らす

 (――ここまで来られたのは、あなたがいたから。

 あなたが、いつも誰かの前に立ってくれたから。

 私の心に明かりを灯してくれたから。)

 

 ルナは目を閉じ、胸の奥で短く祈る。

 (どうか、この朝が正しく始まりますように。

 どうか、彼の背中がまた、みんなを未来へ連れていきますように。

 そして――帰ってこよう。必ず)

 

 風が一段と冷たくなる。

 東が、ほんのわずかに白んだ。

 

 ルナは静かに立ち上がる。

 ルナは足音を落とし、皆を起こさないように、そして彼を見失わないように――そっと、宇宙船の中に向かった。

 

⬜︎

 

夜が終わりを告げ、ゆっくりと朝が始まっていた。

 地平の向こうに薄橙の光が差し込み、霧を透かして湖面を照らす。

 鳥たちが一斉に囀りはじめ、眠っていた世界が呼吸を取り戻すように動き出した。

 

 リュウジはその頃、すでに宇宙船を離れ、静かな湖のほとりにいた。

 水辺に突き出た大きな石に腰を下ろし、指先で冷たい空気を感じながら、ゆっくりと果実を齧る。

 酸味と甘みが口の中に広がり、目を細めて飲み込んだ。

 

 「……宇宙船を操縦するのは、久しぶりだな。」

 彼はぽつりと呟き、朝の光を映す湖面を見つめた。

 

 湖には、まだ淡い朝霧が漂っている。

 その中で、彼の顔が静かに揺れながら映っていた。

 

 リュウジは目を閉じ、頭の中で操縦の手順を思い描く。

 重力制御ユニットの調整、推進ノズルの角度――

 脳裏に浮かぶのは、幾度となく繰り返した訓練の記憶。

 指先が、知らず知らずのうちにコックピットの感触をなぞる。

 

 だが、その仮想の操縦席の中で、今回は一人ではなかった。

 横にはルナの姿。後ろにはシンゴとチャコ、ハワードの声。

 メノリとシャアラ、ベル、カオル――

 それぞれの顔が鮮やかに脳裏に浮かび、リュウジの表情に自然と笑みがこぼれる。

 

 「……今度は、みんながいる。」

 彼は小さく呟き、食べかけの果実を最後まで噛み締めた。

 種だけを掌に残して、湖に投げる。

 ぽちゃん、と小さな音がして、波紋が静かに広がった。

 

 湖に映る自分の顔が、わずかに揺れる。

 リュウジはそっと手を水に浸し、その冷たさで前髪を整える。

 濡れた手で頬を撫でると、眠気が消え、意識が澄んでいく。

 湖面の中で、見慣れた自分の瞳が揺らめく。

 そこには、もう迷いも恐れもなかった。

 

 「――さて、そろそろ行くか。」

 

 立ち上がると、風がひとすじ頬をかすめ、彼の髪を揺らした。

 背後では朝日がゆっくりと昇り、湖の表面が金色に染まりはじめる。

 その光を背に受け、リュウジはゆっくりと宇宙船の方へ歩き出した。

 

 足音は柔らかく、凛とした空気を切り裂いていく。

 冷たい朝露が靴底を濡らすたび、太陽が少しずつ彼の背を押していた。

 

 ――今日が、その日だ。

 彼の歩みには、迷いも、ためらいもなかった。

 

⬜︎

 

朝の光が、ゆっくりと操縦室の窓を満たしていく。

 薄金色の光が計器盤を撫で、長い夜を越えた船体の奥にまで静かに入り込む。

 その中で、足音がいくつも重なった。

 

 「カオル、もう来てたのか?」

 最初に声をかけたのはメノリだった。

 

 カオルはモニターを見つめながら、振り返る。

 「ああ。お前たちこそ早いな。」

 

 「ジッとしててもしょうがないからな。」

 ハワードが軽く笑いながら肩をすくめる。

 

 「アダムはどうだった?」とカオルが尋ねる。

 

 「なんとかね。タコと一緒にメイン・テラフォーミングマシンの方へ移動したわ。」

 シャアラが答え、額の汗を拭う。

 

 「そうか。」

 カオルは短く頷くと、再びコンソールに視線を戻した。

 スイッチ群に差す朝日が、鋼のような光沢を返す。

 

 そのとき、後方の扉が開く音が響いた。

 

 「――あれ? みんな早いわね。」

 明るい声と共に、ルナが入ってきた。

 肩の上にはいつものようにチャコの姿。

 

 「みんな、気合い入っとるなぁ。」

 チャコがルナの肩の上で腕を組み、得意げに言う。

 

 「リュウジは一緒じゃないのか?」

 ベルが周囲を見渡して尋ねる。

 

 「そういえばおらんな。」

 チャコはルナの肩から軽く飛び降り、操縦席の脇に腰を下ろした。

 

 「まったく、あいつは……」

 メノリが額に手を当て、呆れたようにため息をつく。

 

 「まぁまぁ、まだ出発まで時間があるわ。」

 ルナが宥めるように笑った。

 

 「大丈夫。リュウジはきっと来るわ。」

 その笑顔には、不思議な確信があった。

 彼女の胸の奥には、ほんの少し前――夜明けの湖畔で見た彼の背中が焼きついていた。

 朝日を受けて歩き出すその姿を、ルナは今もはっきり覚えている。

 

そして――

 操縦室の扉が、ゆっくりと再び開いた。

 

 外の白い光が差し込み、逆光の中にひとりの影が立つ。

 「……悪い、待たせたな。」

 

 その声に、全員の視線が一斉に向いた。

 そこにリュウジがいた。

 

 だが、いつものリュウジとはどこか違って見えた。

 朝日を背に受けた彼は、鋭い光を宿した瞳でまっすぐ前を見据えている。

 前髪を上げて額を見せているだけなのに、その印象はまるで別人のようだった。

 

 「ど、どうしたの? 髪切ったの?」とシンゴが目を丸くする。

 

 「前髪が邪魔だったからな。少し水で濡らしただけだ。」

 リュウジは何気なく言いながら、操縦席へと歩みを進めた。

 その姿には、自然と誰もが目を奪われるほどの静かな迫力があった。

 

 「なんや見惚れとるんか?」

 チャコが悪戯っぽい笑みを浮かべ、ルナの顔を覗き込む。

 その頬は赤く染まっている。

 

 「う、うん……かっこいい……」

 ルナはチャコを見ず、ただリュウジの背 顔を見つめたまま、小さく呟いた。

 その声は囁きのように小さかったが、確かな温もりを含んでいた。

 

 「訓練学校でも、宇宙船を操縦するときはいつもその髪型だったな。」

 カオルが懐かしそうに呟くと、操縦席の背もたれ腰掛けしたリュウジが微かに笑った。

 

 「そうだったかもな。」

 

 リュウジは一つ息を吐いた。

 何気ない動作なのに、そこには張りつめた空気が流れた。

 まるで、操縦席そのものが彼のために用意されていたように感じられた。

 

 リュウジはしばし黙し、皆の顔をゆっくり見渡した。

 その視線の奥には、何かを決意した強さと、静かな覚悟が宿っていた。

 

 そして――彼は目を閉じて口を開く。

 

 「……俺は宇宙飛行士として、宇宙船を操縦したのは一年と半年だ。」

 その声は低く、しかしはっきりと空気を震わせた。

 

 「たったそれだけの時間だったが、その間に数多くの宇宙飛行士に出会ってきた。

 いい加減に操縦する奴、遊び半分な奴……命を背負う覚悟のない奴もいた。

 そういう連中と一緒に操縦することもあった。」

 

 リュウジの声が静かに、しかし重たく響く。

 「口では“信頼している”と言いながらも、心の奥底では信頼していなかった。」

 

 ルナたちは、息を呑むようにその言葉を聞いていた。

 リュウジの瞳の奥に、過去の痛みと後悔の影がかすかに宿る。

 

 「……だから、俺は一人で何でもやろうとした。

 その結果――あの事故が起きた。」

 

 操縦室の空気が重くなる。

 チャコが小さく唇を噛み、ハワードが拳を握った。

 ルナはただ、リュウジの横顔を見つめていた。

 

 「でもな――」

 リュウジはゆっくりと目を開き、皆を見渡す。

 その瞳には、迷いのない強い光が宿っていた。

 

 「今度は違う。今度は、それこそ仲間に任せる。」

 

 静寂の中、その言葉が心の底まで染み渡るように響いた。

 「……信頼してるぞ。」

 

 低く、力強く、短いその言葉に、誰もが胸を打たれた。

 

 カオルは黙って頷き、ハワードはそっと目を伏せる。

 シンゴの目が潤み、ルナは唇を震わせながら、微笑んだ。

 

 “――この人は、本当に変わった。”

 ルナの胸の奥で、静かな感動が灯った。

 

 リュウジの言葉は、ただの指揮ではなく、信頼そのものだった。

 それは仲間全員の心をひとつにする、たった一言の「誓い」だった。

 

⬜︎

 

出発を前に、操縦室には張りつめた静寂が満ちていた。

 計器の光がひとつ、またひとつと点灯し、機体の金属が低く唸りを上げる。

 その振動が床を伝い、まるで宇宙船そのものが“目覚め”を迎えているようだった。

 

 誰もが言葉を発さない。

 ただ、それぞれの胸の中で――

 恐れと決意、緊張と誇りがせめぎ合っていた。

 

 リュウジはゆっくりと胸ポケットに手を入れ、銀色の十字のネックレスを取り出す。

 指先で鎖をなぞりながら、首の後ろでカチリと留める。

 それは、彼にとって唯一の“原点”を思い出させるものだった。

 

 「ルナ、出発まであとどれくらいだ?」

 低く落ち着いた声が、静寂の中に響く。

 

 ルナはリュウジの胸元の輝きに一瞬、視線を奪われる。

 「……あと五分よ。」

 そう答える声には、ほんのわずかな震えがあった。

 

 リュウジは軽く目を閉じ、深く息を吸い込む。

 空気の流れ、金属の軋み、仲間たちの気配。

 すべてを一つに感じ取りながら――静かに言葉を放つ。

 

 「シャアラ、落ち着け。」

 

 突然名前を呼ばれたシャアラが小さく肩を震わせる。

 「この惑星で一番成長したのはお前だ。自信を持て。」

 

 その言葉に、シャアラは目を見開いた。

 「う、うんっ!」と力強く頷くと、口元に小さな笑みが戻った。

 

 「そうだぜ、シャアラ! 自信持てよ!」

 ハワードが笑いながら肩を叩く。

 

 「お前は変わらないな。」リュウジはわずかに笑みを浮かべた。

 「コックピット・コンディションは俺たちの命と直結する。慎重にな。」

 

 その言葉に、ハワードの顔が一瞬で青ざめる。

 「だ、だよな……」

 

 だがリュウジは、穏やかに続けた。

 「だからお前に任せた。――シャトルを切り離したことを正直に話し、反省したお前だからこそだ。今度は皆を頼むぞ。」

 

 「お、おう!」

 ハワードは拳を握り、照れ隠しのように笑った。

 

 「シンゴ。」

 「は、はいっ!」とシンゴが姿勢を正す。

 「焦りが顔に出てるぞ。」

 「えへへ……」と苦笑いを浮かべる少年。

 

 「お前ほどの実力があって、何を焦る必要があるんだ?」

 「うんっ!」

 シンゴの表情が一気に明るくなる。

 

 「せやせや、いつも通りにドンと構えとき!」

 チャコが楽しげに言う。

 

 リュウジは、「チャコはこんな時でも変わらないな。」と笑った。

 

 「当たり前やろ。どんな時でも空見上げんねん。心はいつも――」

 「青空だろ?」

 リュウジが言葉を引き継ぐと、チャコはにっと笑って頷いた。

 

 「ベルは落ち着いてるな。さすがだ。」

 「まぁね。」ベルは涼しい顔で肩をすくめる。

 

 「この惑星に来て、ベルにはいろいろ学ぶことがあった。ありがとう。」

 「それは俺の方だよ。」ベルは照れくさそうに視線を逸らした。

 

 「メノリ、今日はいつにも増して鬼気迫る顔をしてるな。」

 「私はもともとこういう顔だ! 失礼な奴だな!」とメノリが即座に返す。

 

 「少しは肩の力を抜け。いつも通りでいいんだ。」

 「……ああ!」

 彼女の強い瞳が、柔らかく笑みを帯びた。

 

 リュウジは隣にいるカオルに短く拳を突き出し、「カオル、頼むぞ。」

 「任せろ。」

 拳と拳が軽くぶつかり、短い音が響いた。

 その音がまるで合図のように、皆の胸に火を灯す。

 

 最後にリュウジはルナに向き直った。

 彼女の瞳は真っ直ぐに彼を見つめている。

 

 「心配するな。全部、上手くいく。」

 リュウジは拳を差し出した。

 

 「……ええ。」

 ルナはその拳に、自分の拳をトンと合わせる。

 小さな音が響き、その瞬間、緊張の空気がふっと和らいだ。

 

 リュウジは目を開き皆を見渡す。

 誰もがもう、不安な顔をしていない。

 代わりにあったのは――確かな信頼と、強い光だった。

 

―――

 

リュウジは深く息を吸い、操縦席に身を沈めた。

 指先が滑らかにコンソールの上を走り、スイッチの光が順に灯っていく。

 その一連の動作に、誰もが息を呑んだ。

 ――静寂の中、いよいよ出発の時が来た。

 

 「耐熱シールド、スタンバイ!」

 リュウジの声が鋭く響く。

 

 「耐熱シールド、スタンバイ!」

 カオルが復唱し、目の前のウィンドウが厚いシャッターによってゆっくりと閉ざされていった。

 金属の擦れる音が船体を満たし、外の光が徐々に遮断されていく。

 薄暗い操縦室に、各計器のランプだけが光を放つ。

 

 「最終確認をする――エネルギーシステム!」

 

 「外部供給路、切り離し完了。ジェネレーター起動中、重力制御システムへのフロー正常!」

 ベルの指が素早くキーを叩き、青い光がパネルに流れる。

 

 「重力制御ユニット!」

 

 「エネルギー供給正常。グルーオンコントローラー、エキゾチックコントローラー正常、テンソル変化率0%、安定!」

 シンゴの声が緊張に揺れながらも、正確に響く。

 

 「フライトプラン!」

 

 「重力嵐の軌道、変化なし。宇宙船初期パラメーター、チェック完了。」

 メノリが言い、ルナが続ける。

 

 「宇宙船軌道の再計算完了。パラメーター変化なし!」

 

 「フライトプラン、ロード正常、システム異常なしや!」

 チャコの声に、わずかな安堵の笑みが漏れる。

 

 「コックピット・コンディション!」

 

 「気密OK、気温二十三度。酸素・窒素・分圧正常。船内重力1.0G、気流安定!」

 ハワードが報告しながらも、その手は少し震えていた。

 

 「通信システム!」

 

 「ボイスチェックOK、感度良好!」

 シャアラの声がはっきりと返ってくる。

 

 リュウジは一つ頷き、最後に深く息を吐いた。

 「準備完了。――カウントダウン、三十秒から再開。」

 

 「三十、二十九、二十八……」

 ルナの声が操縦室に響く。

 淡い光の中、その声だけが時を刻むように響いていく。

 

 「重力制御ユニット、作動。」

 

 シンゴの指がパネルを操作し、船体全体が低く唸る。

 「出力上昇。テンソル変化率、三パーセント……安定。」

 

 「十、九、八……」

 ルナの声が震え、そして強くなる。

 

 「七、六、五……」

 全員の息が一つになる。

 誰もが無言のまま、自らの鼓動だけを聞いていた。

 

 「三、二、一――」

 

 「――リフトオフ!」

 リュウジの声が空間を切り裂く。

 

 次の瞬間、船体が静かに揺れ、底部から低い振動が広がった。

 床が浮くような感覚。

 誰もが一瞬、体の重みを失った。

 

 そして、

 ――宇宙船は、ゆっくりと宙へと浮かび上がる。

 

 その動きはまるで、惑星の重力そのものに逆らう意志の現れのようだった。

 窓の外では、分厚い雲が裂け、金色の光が船体を照らす。

 

 

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