サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第32話

――惑星の大気圏を抜けた衝撃が静まり、

揺れていた操縦室も、やがて穏やかな静寂に包まれた。

 

「……着陸、完了。」

リュウジが呟くと同時に、

緊張で張りつめていた空気が一気にゆるむ。

 

そしてすぐに、モニターに視線を向ける。

次々と、他の宇宙船が光の尾を引いて降下してくる。

炎に包まれた機体が、次々と大地へ――やがて、穏やかに着陸していった。

 

「早く……ルナのところに行きましょう!」

シャアラが勢いよく立ち上がった。

 

「せや! はよ行かんとあかん!」

チャコが尻尾を振りながら外へと走り出す。

 

「おい、待ってくれよ!」

ハワードが慌ててその後を追う。

 

「僕も行く!」とシンゴが叫び、

「俺もだ!」とベルも続いた。

 

立ち上がる音、足音、ドアが開く音――

皆が次々と外へ飛び出していく。

 

リュウジはひとり、静かに残り、

耐熱シールドの開放スイッチに手をかけた。

 

機械音が鳴り、分厚いシールドがゆっくりと開いていく。

差し込む陽光が、温かく操縦室を照らした。

 

「……あんなに、宇宙船が。」

外の光景に、リュウジは思わず息をのむ。

 

大地の向こうまで、無数の宇宙船が並んでいた。

金属の装甲が太陽光を反射し、きらめく。

それはまるで、この惑星に“新しい時代”が訪れたかのような光景だった。

 

「リュウジ。」

 

背後から声がした。

振り返ると、メノリとカオルが立っていた。

二人とも真剣な表情で、どこか――恐れすら含んだ目をしていた。

 

「……一緒に行ったんじゃないのか?」

リュウジが静かに問う。

 

「ルナのことだ。」

メノリが短く答えた。

 

「ルナのおかげで、この惑星が救われたのは確かだ。」

メノリの声は揺れていた。

 

「だが――決して褒められるやり方じゃない。」

カオルが低く、力のこもった声で言う。

その瞳には怒りではなく、深い“恐れ”と“哀しみ”が宿っていた。

 

リュウジは黙ってその目を見つめ、やがて小さく頷いた。

 

「ルナは……私たちのためなら、命を顧みず一人で行動してしまう。」

メノリが唇を噛み締める。

「今回もそうだった。自分を犠牲にしてまで――私たちを守ろうとした。」

 

「……ああ。」

リュウジの声が低く響く。

 

「このままあんなやり方を続けていたら……いずれ、命を落とす。

お前が一番、それをわかっているだろ。」

カオルの言葉が、静かに胸に突き刺さる。

 

リュウジは短く目を閉じた。

あの時のルナの姿――青い光に包まれながら、

たった一人で宇宙船を操縦していたあの背中が、

脳裏に焼き付いて離れない。

 

「……ああ。分かってる。」

 

短く、それだけ答える。

 

「だから、最初に私が行く。」

メノリが言った。

 

「次は俺が行く。」

カオルも迷いのない声で続けた。

 

二人の目は、決意に満ちていた。

それは叱るためではなく――“本気で守りたい”という眼差しだった。

 

「最後は任せた。」

メノリが言う。

 

「お前の言葉が、一番ルナに効く。」

カオルが静かに続ける。

 

リュウジは黙って二人を見送り、

彼らが外へ向かって歩いていく背中を目で追った。

 

そして――操縦席に視線を戻す。

 

ため息がひとつ、こぼれた。

「……まったく、世話が焼けるな。」

 

そう呟きながら、リュウジはひとつひとつ、

操縦室の機器のスイッチを切っていった。

 

冷たい金属のスイッチに触れるたび、

彼の胸の中では、確かな鼓動が鳴り響いていた。

 

それは――“もう二度と、あんな別れは繰り返さない”という決意の音だった。

 

ーーーー

 

操縦室のハッチを抜けた瞬間、土の匂いが強く鼻腔をくすぐった。ついさっきまで焦げた装甲の匂いと焦げついた金属粉にまみれていた胸中に、湿った風がひとすじ入り込んでくる。視界がひらけ、やわらかな朝の光の下――彼女はそこにいた。

 

 

 ルナの体を、仲間たちが円のように囲んでいる。中心で彼女は背筋を伸ばし、どこか空虚な、しかしはっきりした輪郭を伴う沈黙をまとっていた。シャアラが肩に手を置き、何かを労わるように言葉をかけているが、ルナはただ静かに頷くだけだ。ハワードは落ち着きなく周囲を見渡し、シンゴは潤んだ目を拳で拭い、チャコは「しょうもないやっちゃ」とぼやきながらも、靴先で土を弄っている。ベルは視線を低く落とし、タコは胸に手をあてて「よかったです~」と半泣き、アダムは一歩離れた場所で、ぎゅっと両手を握りしめながらルナの横顔を見守っていた。

 

 その輪に、メノリが入っていく。

 彼女の足取りは速くもなく、遅くもない。砂を踏むたび、静かな決意が音になって周囲に伝わった。近寄るメノリを前に、ルナは一歩、半歩……いや、微動だにしない。両の手を素直に体の前で組み、目だけを真っ直ぐに向ける。

 

 乾いた音がひとつ、空に弾けた。

 

 メノリの平手が、ルナの左頬を打っていた。力任せではない。だが、その一撃には、こらえ続けた感情の重さが宿っていた。ルナの顔が、わずかに右へ振れる。頬が紅潮し、細く吐き出した息が朝の風にほどける。誰も声を出さない。鳥の鳴き声すら、今だけは遠い。

 

「――何を、考えてるんだ!。」

 

 メノリの声は低い。静かで、しかし刃のように鋭い。

 ルナは唇を結び、目を逸らさない。

 

「私たちは、ルナが、ここにいることが――そのことが、必要なんだ。わかってるいるのか?」

 

 返答はない。だが、黙って聞くという意思が、ルナの立ち姿から伝わってくる。メノリは続けた。

 

「立派だった? 確かにそうだ。惑星を救い、みんなの命を繋いだ。誰だって賞賛する。だが――それは、『ルナがいなくなってもいい』って意味じゃない。私たちはずっと言ってきたはずだ。勝手な行動はするな、独りで抱え込むな、必ず戻ってくるって約束した――そのどれも、ルナ!忘れた訳じゃあるまい!。」

 

 言葉の合間、ルナの喉仏がかすかに上下する。呼吸に、わずかな揺らぎ。メノリは一歩踏み出し、ルナの両肩を掴んだ。指先に、怒りと、哀しみと、安堵が混ざる。

 

「怒ってる。すごく怒ってる。許せないと今も思ってる。でも――」

 

 メノリは、ぐっとルナを引き寄せた。

 抱擁は強く、荒っぽく、そしてひどく優しい。

 

「――生きて帰ってきてくれて、ありがとう。」

 

 ルナの体がわずかに震えた。だが、涙は落ちない。彼女は両腕を上げることもしない。ただ受けとめ、息を整え、静かに頷いた。メノリは腕を解くと、くるりと踵を返し、操縦室の入口――そこに腕を組んで立つ男を、迷いなく指差した。

 

「次は、あいつの番だ。」

 

 全員の視線が、扉口へと向く。

 鋼鉄の枠に寄りかかるようにして、カオルが立っていた。腕を組み、影の落ちた顔で、まっすぐルナを見据えている。近づいてくる気配はない。待っているのだ。嵐の中心のような静けさで。

 

 ルナは、スッと前に出る。

 足取りはためらいがない。頬にはメノリの掌の赤みが残るが、目は揺れていない。カオルの前で立ち止まる。距離は二歩。砂が風に鳴る。

 

 カオルは腕を解かない。

 静かに、しかし胸を締めつけるような圧力を放つ。言葉がなくても、責めているのがわかる。いや、責める以上だ。彼は――怖れている。

 

「……言い訳は、聞かない。」

 

 ようやく落ちた言葉は、乾いていた。

 

「俺は、怒ってる。心底な。だけどな、怒りたい相手はお前じゃない。お前を“連れ去ろうとする何か”だ。勝手に、無茶な選択をする、その癖にだ。」

 

 ルナの瞳が、わずかに揺れる。

 カオルは続ける。低く、静かに、火を押し殺すように。

 

「わかるよ。状況が一瞬で悪化して、誰かが踏み込まなきゃ全員が死ぬ――そんな瞬間。俺たちは何度も見てきた。そこで前に出るのが、お前だった。今回もそうだった。だがな」

 

 腕を組む肘が、微かに強まる。

 彼は視線を逸らさず、あえて残酷な真実を置く。

 

「それを続けた先にあるものは、英雄譚でも栄光でもない。空席だ。空っぽの場所だ。――そこに、俺たちをまた座らせる気か?」

 

 声が、砂原に落ちた。

 シャアラが息を呑み、ハワードが拳を握る音がした。シンゴの肩がふるえ、チャコは目を伏せる。ベルは帽子のつばをさわり、タコは胸の前で手を重ね、祈るように立つ。アダムは、噛みしめるように下唇を押さえた。

 

 カオルは、顎をわずかに操縦室のほうへ向け、指先で示した。

 

「――それと、もう一人。俺たちより手強いぞ。」

 

 その一言に、空気がわずかに震える。

 

 ルナは、深く息を吸った。

 そして――口を開く。

 

「……ごめんなさい。」

 

 それだけ。

 言い訳も、理由も、誓いも続けない。涙は流れない。頬の赤みだけが、ここまでのすべてを静かに物語っている。カオルは目を細め、ほんの僅かに首を縦に振った。許したわけではない。ただ、受け取ったのだ。真っ直ぐに差し出された、言葉の重さを。

 

 ルナは視線を前に戻し、操縦室へ向かって歩きだした。

 踏み出すたび、靴裏が土を押し、乾いた草が擦れる。風が袖口を撫で、さっきまで宇宙の冷たさに晒されていた体温が、惑星のぬくもりに馴染んでいく。

 

 宇宙船に向かって歩き出した時、いくつもの眼差しが彼女の肩をそっと押した。シャアラの安堵の笑み、ハワードの気まずそうなしかめ面、シンゴの潤んだまなざし、チャコの小さな溜息、ベルの静かな頷き、タコの励ましのサイン、アダムの「いってらっしゃい」という風のように軽い声。

 その全部を背中に受け、ルナは一度も振り返らず、まっすぐに進む。

 

ーーー

 

操縦室の扉が、静かな音を立てて開いた。

 薄暗い室内には、電子音がかすかに残響している。先ほどまで燃え上がるように光を放っていた計器たちは、いまや静まり返り、ただ残り香のように赤や青のランプが瞬いていた。

 その中心に――リュウジがいた。

 

 背を向けたまま、ひとつひとつのスイッチを丁寧に落としていく。

 腕の動きは迷いがなく、どこか儀式のように静かで、整然としている。機械たちが息を止めるたびに、室内の空気が少しずつ柔らかくなっていく。

 ルナは、ドアの前で立ちすくんでいた。

 

 「……リュ……」

 ようやく声を出そうとしたが、喉が詰まり、うまく言葉にならない。

 胸に手を当て、息を整えようとする。彼の背中が見える。いつもと同じ、少し猫背で、無駄のない動作。けれど――今はその“いつも通り”が、何よりも怖かった。

 

 「なんだ、来てたのか。」

 振り返りもせず、リュウジがいつもの調子で言った。

 その声音には怒りも、責めもない。

 それが、ルナの胸をいっそう締めつけた。

 

 「……あの……」

 どうにか声を搾り出そうとしたとき、彼は再び手を動かしながら言った。

 「ちょっと待っててくれ。機械を落としている。」

 

 「う、うん……」

 かろうじてそう答えた声は、かすれて震えていた。

 

 最後のランプが消え、低い電子音が一つだけ鳴って止まった。

 操縦室には、彼の息づかいとルナの心音だけが残る。

 

 リュウジはゆっくりと立ち上がり、ふうっと息を吐いた。

 「よし……いいだろう。」

 そして、何事もなかったかのように振り返り、軽く笑った。

 「皆んなのところに行こう。」

 

 その声は穏やかで、優しくて、何も変わっていないように聞こえた。

 けれどルナの目には、違って見えた。

 

 ――呆れられているのかもしれない。

 ――もう怒る気もないと思われているのかもしれない。

 ーーもう、私の事はどうでもいいと思われたかもしれない。

 

 彼の笑みが優しければ優しいほど、胸が苦しかった。

 足元がふらつく。

 どうして、何も言ってくれないの――?

 

 気づけば、咄嗟に彼の腕を掴んでいた。

 「……どうして、何も言ってくれないの……!」

 

 声は震え、指先には力がこもっていた。

 リュウジは一瞬驚いたように振り返り、困ったように眉を下げた。

 「……俺も、何か言おうとは思ったんだけどな。」

 

 低い声が静寂に響いた。

 「でもさ、俺も……同じことをやろうとしてたんだ。」

 

 ルナの瞳が大きく開かれた。

 

 「そう思ったら、何にも言えなくてな。」

 リュウジは小さく笑い、ゆっくりとその手をルナの頬へ伸ばした。

 指先が、メノリに叩かれた頬を優しくなぞる。

 

 「それに、ずいぶんと怒られたみたいだしな。」

 

 その一言に、ルナの胸が揺れた。

 抑えていた感情が、一気に溢れ出す。

 頬を撫でる彼の手の温もりが、堰を切ったように涙腺を刺激した。

 

 「……ごめん……なさい……」

 

 ようやく言葉になった。

 ルナの頬を、透明な涙がすうっと滑り落ちていく。

 その涙は、後悔と安堵と、そして――生きて戻れた証のように美しかった。

 

 リュウジは無言のまま、もう片方の手でルナの頭をそっと撫でた。

 掌の動きは優しく、穏やかで、まるで壊れものを扱うようだった。

 「……よく、頑張ったな。」

 

 その言葉が耳に届いた瞬間、ルナの中で何かが解けた。

 心の奥がふっと温かくなり、光が差すような感覚が広がっていく。

 それは救いであり、赦しであり、そして――愛情だった。

 

 視界が滲む。

 止めようとしても止まらない涙が、次から次へと零れ落ちる。

 嗚咽ではなく、ただ静かに溢れていく涙。

 リュウジのシャツを濡らすほどの涙。

 

 気づいたときには、ルナの身体は勝手に動いていた。

 彼の胸に飛び込むように抱きつき、両腕で強く、強く彼を掴んだ。

 

 リュウジの胸から聞こえる鼓動が、確かに生きていることを伝えてくる。

 その音が嬉しくて、怖くて、どうしようもなく愛おしい。

 

 彼はそっとルナの背に腕を回し、しっかりと抱きしめた。

 互いの体温が重なり、鼓動が一つになる。

 

 「無事で……良かった。」

 リュウジは耳元で、囁くように言った。

 

 その声が、ルナの心の奥深くに染みていく。

 涙が止まらない。嗚咽は出ない。ただ、涙が溶けるように流れ続けた。

 それでも、胸の奥に広がる光は確かだった。

 

 ――今、分かった。

 胸の奥でルナは静かに呟いた。

 

 ――私、ずっとこの人の背中を追いかけてきた。

 ――どんな時も信じて、憧れて、支えられて……。

 ――怖かった。もう会えなくなるのが。

 ――だけど今、やっと分かった。

 ――私……この人のことが、好きなんだ。

 

 言葉にはしなかった。

 ただ、胸の中で、祈るように呟く。

 それだけで、世界が少し温かくなった気がした。

 

 二人は静かに、長く抱き合っていた。

 

 窓の外には、穏やかな光が差し込んでいる。

 新しい惑星の空。

 その光は、まるで二人の未来を包むように――

 優しく、どこまでも透明に、操縦室を満していく。

 

 リュウジの腕の中で、彼女は静かに目を閉じた。

 機械の音も、警告灯も、もう何も聞こえない。

 ただ、温もりと鼓動だけが、世界のすべてだった。

 

 惑星の風が、操縦室の隙間から流れ込み、二人の髪を揺らす。

 戦いの余韻を溶かしながら、その風はまるで――

 二人の再会を祝福するかのように、優しく吹いていた。

 

 ルナはリュウジの胸に顔をうずめたまま、微笑んだ。

 「……ありがとう、リュウジ。」

 その声は、涙混じりで、けれど確かな希望の響きを帯びていた。

 

 リュウジもまた、小さく頷きながら、彼女の髪を撫で続ける。

 「もう一人で行くなよ。」

 「うん……もう行かない。」

 

 その短いやりとりが、何よりも深い約束になった。

 二人の間にあったすべての言葉――怒りも、悲しみも、後悔も――

 その抱擁の中で、静かに溶けていった。

 

 ――新しい光が、二人の背中を照らしていた。

 

ーーーー

 

 静かに、二人の呼吸が重なっていた。

 操縦室の中には、もう機械音ひとつ聞こえない。代わりに、外から差し込む光が金属の床を淡く照らしていた。

 互いの腕の中で、ようやく戦いの終わりを実感する。長い長い旅路の果てに、ようやく辿り着いた安堵の瞬間だった。

 

 ルナの涙がようやく止まったころ、彼女は少しずつ肩の力を抜いて、そっとリュウジの胸から離れた。

 顔を上げた彼女の瞳は、涙の跡を残しながらも、しっかりとした光を取り戻していた。

 リュウジは彼女を見つめたまま、短く息をつく。

 

 「……もう大丈夫か?」

 

 その声は、どこまでも穏やかで優しかった。

 ルナは小さく頷く。

 「うん……もう、平気。」

 

 リュウジは静かに頷き、少しだけ目を細めた。

 そして、軽く息を吐きながら言った。

 

 「じゃあ、みんなのところに行こう。」

 

 その言葉に、ルナはほっと笑みをこぼした。

 「うん。」

 

 二人は並んで歩き出した。

 足音が金属の床を軽く叩くたびに、操縦室の中に新しい空気が流れ込んでいく。

 外の光が少しずつ強くなり、扉の隙間から風の匂いが混じり始めた。

 

 歩きながら、ルナはふと口を開いた。

 「そういえばね――」

 「ん?」とリュウジが横目で見る。

 

 ルナは少し照れたように微笑んで言った。

 「あの時、ルイさんに会ったの。」

 

 リュウジの足が一瞬だけ止まった。

 「……ルイに?」

 

 ルナは頷きながら、柔らかい声で続けた。

 「うん。サヴァイヴが言ってたの。『私の心が逢わせてくれたんだ』って。」

 その言葉を思い出すように、ルナは胸の前で手を重ねる。

 「夢でも幻でもなかった。……ちゃんと、あの人はそこにいたの。」

 

 リュウジはしばらく黙っていた。

 懐かしさが胸の奥をくすぐるように広がっていく。

 やがて、ほんの少しだけ、笑った。

 

 ルナはその笑みを見て、嬉しそうに続ける。

 「ルイさんね、『あいつは昔から無茶ばっかりするから。ちゃんと自分のことも大切にするように』って言ってたわよ。」

 

 リュウジは思わず息を漏らした。

 「……まったく、お節介なやつだ。」

 

 けれどその声には、苦笑と共に、懐かしい温かさが滲んでいた。

 彼の視線が少し遠くを見ている――

 それは、時間の彼方で笑っていたかつての仲間を想う眼差しだった。

 

 ルナはそんな彼を見つめながら、ふと唇の端を上げた。

 「……力づくでも止めるからって、ルイさんに約束してきたからね。」

 

 軽くウインクして微笑むルナの表情は、どこか子供のようで、どこか大人びていた。

 その瞳の奥には、決意と愛情と、少しの照れが同居している。

 

 リュウジは思わずため息を漏らした。

 「……お前なぁ。」

 そう言いながら、ルナの額に指を当て、軽く弾いた。

 

 「いたっ!」

 ルナは額を押さえて、驚いたようにリュウジを見上げた。

 リュウジは肩をすくめ、悪戯っぽく笑った。

 

 「無茶したばかりの奴に言われてもな。」

 

 その言葉に、ルナは一瞬むっとした顔をして、すぐに唇を尖らせて笑った。

 「……それでも、言いたかったの!」

 

 リュウジも堪えきれず、プッと吹き出した。

 「お前、ほんと……しょうがないやつだな。」

 

 二人の笑い声が、静まり返った操縦室に柔らかく響いた。

 長い間張り詰めていた空気が、ようやく溶けていくようだった。

 その笑い声には、悲しみも、恐れも、もう残っていなかった。

 

 やがて、扉の向こうから明るい光が差し込んだ。

 眩しいほどの朝の光――惑星の太陽が、新しい一日を告げている。

 ルナがその光に目を細めながら、ふと呟いた。

 

 「ねぇ、リュウジ。……やっと、終わったんだね。」

 

 「いや。」

 リュウジは光を見つめたまま、ゆっくり首を振った。

 「――ここからが、始まりだ。」

 

 ルナはその言葉に目を見開き、すぐに微笑んだ。

 彼の横顔に、淡い光が差している。

 その表情を見た瞬間、ルナの胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

 二人は並んで、外へと歩き出す。

 足元に広がる土の感触。

 どこかで風が吹き、草の匂いが流れた。

 

 扉の向こうには、仲間たちの声が待っている。

 チャコの騒がしい文句も、メノリの冷静な言葉も、カオルのぶっきらぼうな忠告も――

 そのすべてが、いまは懐かしく、愛おしい。

 

 「行こう。」

 リュウジが短く言う。

 ルナは頷き、肩を並べた。

 

 そして二人は、光の中へと歩いていった。

 朝の太陽が、その背中を優しく包み込む。

 

 ――まるで、再び生まれ変わったように。

 

ーーーー

 

外に出ると、柔らかな風が頬を撫でた。

 惑星の青空が広がり、陽の光が二人の肩を包み込む。

 ルナとリュウジは並んで歩き出し、その先に――待っていた仲間たちの姿があった。

 

 チャコが真っ先に見つけ、両手を振り上げて駆け寄る。

 「ルナぁ! リュウジぃ!」

 その声に、ハワードもベルもシンゴも振り向いた。

 誰もが笑顔で、そして涙ぐんでいた。

 

 言葉にならない歓声と安堵が一斉に溢れ出す。

 それを見て、リュウジもルナも自然と笑みを浮かべた。

 長く張りつめていた心が、ようやく解けていくような感覚だった。

 

 だが――その穏やかな空気を、ひとりの足音が切り裂いた。

 

 メノリだった。

 彼女は静かに、しかし迷いのない足取りでリュウジの方へ歩み寄る。

 そして次の瞬間――。

 

 パシンッ!

 

 乾いた音が、青空の下に響き渡った。

 リュウジの顔がわずかに横を向き、頬が赤く染まる。

 「っ……!?」

 

 周囲が一瞬、凍りついた。

 「い、痛そう……」とハワードが呟き、

 「おぉ……ルナの時より倍は入っとるで……」とチャコが肩をすくめる。

 

 「え? な、なんで?」

 頬を押さえながらリュウジが目を見開く。

 

 だが、その答えを待つより早く――。

 

 「次は俺だ。」

 

 低く、静かな声が響いた。

 カオルだった。彼は迷いなく一歩前へ出る。

 その腕が一閃。

 

 バシィッ!

 

 今度は反対の頬に衝撃が走る。

 「いってぇ……!!!」

 リュウジは思わず顔をしかめた。

 

 「うわぁ……また痛そう……」

 アダムが小声で呟くと、シャアラも「ちょっと強すぎじゃない?」と目を丸くする。

 

 「ちょ、ちょっと待って!」

 ルナは慌てて二人の間に割って入ろうとした。

 「リュウジは――!」

 だが、その瞬間。

 

 二人の視線がルナに向けられた。

 無言のまま、静かに放たれる“殺気”。

 

 ――ひっ。

 

 ルナは思わず背筋を伸ばし、口をつぐんだ。

 (な、なんで……なんで私まで怖い……!)

 

 リュウジは両頬を押さえながら、呆れ顔で二人を見た。

 「……何だよ、いきなり。」

 

 メノリは腕を組み、冷ややかな目でリュウジを見据える。

 「よくよく考えれば――お前も同じことをやろうとしてたなって思って。」

 

 「……え?」

 リュウジが眉をひそめる。

 

 カオルがため息をつきながら口を開いた。

 「ルナだけを責めるわけにはいかない。ルナの行動の元を辿れば……サヴァイヴとの会話でお前が言ってたことが原因だ。」

 

 リュウジの表情が固まる。

 その肩に、さらに追い打ちをかけるようにメノリの声が重なった。

 「もしもあの会話をルナが聞いてなければ、あんな無茶はしなかった。違うか?」

 

 リュウジは唇を開きかけたが、何も言えなかった。

 喉の奥で言葉が詰まり、空気が出ない。

 

 ――確かに、そうかもしれない。

 

 頭では反論できても、心がそれを否定しなかった。

 メノリの目も、カオルの目も、本気だった。

 怒りでも憎しみでもない。

 心の底から心配しているがゆえの――痛みを伴う叱責だった。

 

 風が吹き抜け、リュウジの髪を揺らす。

 その下で、頬の赤みがじんわりと痛む。

 しかし、その痛みの向こう側には、仲間の想いがあった。

 

 ルナはそんなリュウジの背中を見つめながら、胸の奥がじんと熱くなるのを感じていた。

 ――この人は、やっぱり自分と同じなんだ。

 ――誰かを守ろうとして、全部背負おうとしてしまう。

 

 メノリはもう一度だけ睨むと、ため息をついた。

 「次に同じことを考えたら、その時は拳でいくからな。」

 「おいおい……もう十分痛いんだけど……」とリュウジが呟くと、ハワードが「いやぁ、よく耐えたよリュウジ……」と笑い、場の空気が少しずつ和らいでいく。

 

 チャコが両手を腰に当てて、呆れたように言う。

 「まったく、あんたら似たもん同士やなぁ。どっちも無茶ばっかしおって。」

 

 その言葉に、ルナもリュウジも思わず視線を交わし、そして――小さく笑った。

 痛みと涙のあとに訪れた、穏やかな空気。

 風が吹き抜け、遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。

 

 ルナの横でリュウジは頬をさすりながら苦笑した。

 「……とりあえず、次はお前が代わりに怒られろ。」

 「やだよ。」とルナが即答し、

 仲間たちの笑い声が、惑星の空の下に広がっていった。

 

ーーーー

 

風の匂いがひと段落したころ、銀色の外套をまとった青年が、控えめにこちらへ歩み出た。瞳は深い琥珀色で、言葉を探すように何度か唇を結び直す。

 「……あの、皆さん。先ほど、ルナさんを保護した船団の者が参っております」

 

 タコがすっと一歩前に出て、青年の声音に耳を澄ませると小さく頷いた。

 「自己紹介、バルテミヤさん。――“バルテミヤ”と言うそうです」

 

 青年は胸に手を当て、丁寧に頭を垂れる。

 タコが続ける。「“我らの長が、ぜひ皆さんを招待したい、と申しております”」

 

 張りつめていた空気がふっと和らぐ。いくつもの視線がルナに集まった。

 「行きましょう」

 ルナが静かに言い、微笑む。言葉の芯に迷いがなく、皆は自然と頷いた。

 

 「おう、ほな行こかい」

 チャコが肩をぐるんと回し、軽口で気勢を上げる。

 

 「この人たちが……アダムの仲間、なんだな」

 リュウジが小声で呟くと、アダムは少し照れたようにはにかんだ。

 

 「うん、でも僕にも知らないことがいっぱいあるんだ。会って、話してみたい」

 ベルがまぶしそうに空を仰ぎ、「みんな、優しそうな顔をしている」と頷いた。

 

 バルテミヤに先導され、一行は最も近くに降り立った巨大母船へと向かう。

 側面のハッチは白金の膜のような素材で覆われ、近づくと音もなく開いた。

 内部に足を踏み入れると、足裏に柔らかい弾性が返る。淡い琥珀色の床が、脈動するように微かに明滅し、歩調に合わせて光の粒子が流れていく。

 「生体応答式の照明……か」

 カオルが目を細める。機械と自然の折衷――この文明の美意識が、そのまま艦内設計に染み込んでいるようだった。

 

 いくつかの曲線廊下を抜けると、視界がひらけた。

 案内されたのは、細長い楕円の広間。天井は緩やかなドームで、橙から藍へのグラデーションが流星群のように移ろい、壁面には植物の蔓に似た導光体が編み込まれている。

 部屋の奥――一段高い壇の中央に、装飾の施された椅子。

 そこに、オレンジ色のマントを肩から堂々と羽織り、立派な髭を蓄えた男が静かに座していた。年輪のような落ち着きと、焔の芯のような強靭さ。その両方を宿した眼差し。

 男は、こちらを見るやいなや、椅子から立ち上がった。

 

 「デレビタッテ!」

 朗々とした声が、広間いっぱいに響いた。

 

 言葉の意味は分からない。けれど、その抑揚と笑み――喜び、歓迎。伝えたい本心は、国も時も越えて伝わる。

 (この人が、この船団の……)

 訊ねるまでもなかった。自然と背筋が伸びる。

 

 「翻訳、任せてください」

 タコが胸の前で両手を重ね、短く深呼吸をしてから、男の言葉を追いかけるように口を開いた。

 

 「『よく来てくれた、勇敢なる旅人たちよ。われの名は――アンシェルアヌ』」

 名が告げられると同時に、男は右手を胸に当て、礼を示した。

 

 「『そなたらの行い、すべて見届けた。――我らの母星を救ってくれたこと、心より感謝する』」

 

 壇上の左右に控えていた随員たちが、同じく胸に手を当て、一斉に頭を垂れる。

 波のように押し寄せる敬意。

 その光景に、ハワードは耳の後ろをぽりぽり掻き、「なんか、こそばゆいな……」と照れ笑いを浮かべた。

 

 シンゴは背筋をぐっと伸ばし、チャコは「ど、どないしよ、ウチ、こういう格式ばったん苦手や……」と小声で眉を寄せる。

 ベルは目を伏せ、静かに息を吐いた。カオルは腕を組み、薄く笑ってうなずく。

 そしてルナは、一歩前に出た。

 「私も……助けていただきました。ありがとうございます」

 

 彼女が深く頭を下げると、仲間たちも続いた。

 アンシェルアヌは、同じだけ、いやそれ以上に深く頭を垂れ、礼を返した。礼と礼が静かな弧を描き、広間の空気が柔らかく溶け合っていく。

 

 「座ニ、ツイテクダサイ」

 

 バルテミヤが拙い共通語で促し、すぐにタコが補う。

 「どうぞ、お掛けください、とのことです」

 

 一行は、広間中央に並べられた半円形の長椅子に腰を下ろす。座面は体の形に合わせてわずかに沈み、背を預けると、まるで草原に寝転んだときのような弾力が返ってくる。

 

 アンシェルアヌが壇から降り、距離を縮める。

 彼は、まずアダムの前で立ち止まった。

 「アダム」

 

 名を呼ぶ声音が、どこか懐かしい弦の響きを帯びる。

 タコが訳す。「『よく戻ってきてくれた』」

 アダムは目を見開き、そして笑った。「ただいま」

 男の頬に、微笑が刻まれる。

 「『帰還の信号を受け、長い旅路をたどってきた。今日という日を……私は生涯忘れぬ』」

 

 アンシェルアヌは順に面を上げ、皆の顔を一人ひとり見ていく。

 その視線がルナに止まった。

 「『そなたは、光を呼ぶ者だ』」

 

 ルナが瞬きをすると、男は言葉を継ぐ。

 「『古い言葉で“ソラス”――夜を渡る者、と呼ぶ。絶望の淵で心をつなぎ、道を照らす者のことだ』」

 

 タコが丁寧に訳し終えるころ、チャコが隣で小突いてくる。

 「ルナぁ、ええ名前つけてもろたなぁ」

 

 ルナは照れて笑い、「みんなと一緒だから、ですよ」と小さく返した。

 

 アンシェルアヌは、次いでリュウジの前に立った。

 視線がまっすぐ交錯する。

 「『そなたは……刃を収めた剣だ』」

 

 タコが首を傾げる。「ええと、直訳するとそうなりますが……」

 「“剣の心は鞘にあり”ってやつか」

 

 カオルがぽつりと補い、アンシェルアヌは満足げに頷いた。

 「『狂暴ではない。だが、必要な時、必ず抜かれる剣。――その覚悟が私には見える』」

 

 リュウジは短く息を吐き、目の奥を細める。「……身に余る評だ」

 「え、身に余るって言い方かっこいいな……」とハワードがこっそりメノリに囁き、メノリは咳払いで誤魔化した。

 

 男はひとつ手を打つ。

 側面扉が開き、香り立つ湯気が広間に流れ込んだ。

 藻のスープ、果実を練り込んだ平たいパン、土器のような器に盛られた焼き根菜、発酵香のする透明な飲み物――見知らぬ色彩。けれど不思議と懐かしい匂い。

 「『ささやかだが、歓迎の食卓を』」

 

 「うわぁ……!」

 シンゴの目がきらきらと輝き、ハワードはもう手を伸ばしかけて、メノリに首根っこをつかまれた。

 「落ち着け。まずは挨拶が先だ」

 

 「えぇ~……腹の虫が交信を始めちゃうんだって……」

 「それを言うなら“抗議”だろ」

 ベルが肩を震わせて笑い、場の緊張がさらにほどける。

 

 アンシェルアヌは卓の向こうから、ゆっくりと語り始めた。

 彼らの“千年”――。

 この惑星の危機にあい、故郷を離れざるを得なかった日のこと。

 惑星が眠りにつくのを見届け、再び緑が戻る可能性を信じ、星図の外縁を渡り歩いた幾世代。

 やがて届いた“古い信”――アダムの両親たちが発した通信。

 復帰の時を示す符牒に、船団全体が進路を変え、長い長い円を描いて故郷へと帰る準備を続けてきたこと。

 

 タコの声音はいつになく抑えられ、言葉が翻るたび、皆の胸に映像が生まれては消える。

 シャアラは指先を握り、アダムは黙って頷く。

 チャコが、ぽつりと呟いた。

 「ほな、ウチらの“今”は……あんたらの“千年”の上に立っとるんやな」

 

 アンシェルアヌは深く頷き、「『そうだ。だが、時間は縦ではなく、輪でもある』」と返す。

 「『私たちは、そなたらの“いま”に救われた。輪は、再び繋がったのだ』」

 

 「重力嵐は、もう惑星から遠のいている」

 メノリが確認すると、アンシェルアヌは視線を横に流し、従者の一人が光板を掲げる。

 紫の渦は、かつての禍々しさを残しながらも、軌道を外れ、暗い宇宙の向こうへと微かに遠ざかっていた。

 「『完全に去るまで、いくつかの潮汐が必要だ。だが――危機は凌いだ』」

 

 卓上の器が温かな湯気を上げるなか、アンシェルアヌは改めて一同に向き直った。

 「『礼をしたい。――一つ、申し出がある』」

 タコが目を瞬かせる。

 「『かつて我らが信じ、守り継いだ“調和の掟”――機械と自然と人の心が並び立つための“輪の誓い”を、ここに共に結びたい』」

 

 リュウジが静かに息を吸い、ルナと視線を交わした。

 「“輪の誓い”……」

 「『言葉だけの約束ではない』」アンシェルアヌは掌を広げる。「『互いの中枢へ通じる“橋”を築く。――疑いではなく、照らし合うために』」

 

 ルナが立ち上がる。

 彼女の胸元には、耳元のイヤリングが淡く光を拾っていた。

 「ありがとうございます。私たちも――、支え合いたい。惑星を、そしてここに生きるすべての命を、守っていきたい」

 

 言いながら、ルナは振り返った。

 メノリ、カオル、ベル、シンゴ、ハワード、チャコ、シャアラ、アダム、タコ、そしてリュウジ。

 

 目が合うごとに、小さな頷きが返る。

 「ルナの言う通りだ」

 メノリが腕を組み直し、短く言葉を添えた。

 「俺たちはもう、一人じゃない。輪で行こう」

 カオルの声は低く穏やかだ。

 「ウチら、やるでぇ。空、また青う戻すんや」

 チャコが両拳を胸の前でぎゅっと握る。

 「やること、山ほどあるけど……でも、楽しみだ」

 シンゴの顔に、少年らしい笑みが戻っていた。

 「腹、減ったけどな」

 ハワードが場違いな一言を差し込み、皆の笑いが弾ける。

 ベルは肩をすくめ、「それも輪の一部さ」と冗談めかして続けた。

 シャアラは目を細め、アダムは力強く、うん、と頷いた。

 タコは胸を張る。「翻訳、通信、後方支援、ぜーんぶ任せてください!」

 

 最後に、皆の視線が自然とリュウジに集まる。

 彼はひと呼吸置いて立ち上がり、アンシェルアヌに正対した。

 「……俺は、操縦士だ。できることは限られている。けれど――」

 

 指先が胸元のネックレスに触れ、微かな金属音が鳴る。

 「“輪”を繋ぐために、必要な舵なら、何度でも切る。俺たちの“いま”を、次に渡すために」

 

 アンシェルアヌの頬に、嬉しさが走った。

 「『心強い』」

 

 そしてアンシェルアヌが手を広げると、従者たちが食卓へ招く。

 ルナが皆を振り返る。

 「いただきましょう。――そして、これからの話を」

 

 リュウジが小さく笑って頷いた。

 「輪の、第一歩だ」

 

 席につくと、温かな香りが胸に落ちてくる。

 藻のスープは海風のように優しく、根菜は土の甘みを持っていた。透明な発酵飲料は口当たりが軽く、喉を通ると身体の芯まで温まる。

 

 「うまっ……!」

 ハワードが目を丸くし、アダムが嬉しそうに笑う。

 「ね? やさしい味」

 シャアラが頷き、チャコは「レシピ、ぜったい教えてもらおな」とメモを取る真似をした。

 メノリは湯気を見つめ、ひと匙啜ってから、小さく目を細めた。

 「――生き返る」

 その一言が、長い一日の終わりと、さらに長く続く明日の始まりを静かに告げた。

 

 食卓の端で、バルテミヤがタコに身を寄せ、ひそひそと何事か伝える。

 タコがこちらを向いた。

 「アンシェルアヌ様から、もう一つだけ――“星歌(ほしうた)の儀”に参列してほしい、と。帰還の夜、輪の誓いを天に奏でる、彼らの古い儀式だそうです」

 「星歌……」

 ルナが口の中で転がす。

 アンシェルアヌは頷いた。

 「『夜になれば、空に道が開く。――輪は、音から始まるのだ』」

 

 食事が進み、笑い声が重なり、時折、涙が光る。

 リュウジはふと、隣のルナを見た。

 彼女は穏やかな表情で、両手のひらを器の温もりに当てている。

 ――最後まで、生き抜け。

 彼女が守り抜いた想いが、確かな重みをもって、輪の中心に座っている。

 

 アンシェルアヌが杯を掲げた。

 「『帰還と、救済と、輪に――』」

 

 タコが一拍置いて訳す。

 「――乾杯、とのことです!」

 「乾杯!」

 杯と杯が触れ合い、澄んだ音がいくつも重なって、やがてひとつの響きへと溶けていく。

 

 遠い天頂には、もう夜の帳が薄く垂れはじめていた。

 星歌の儀が始まるころ、この惑星の空には、無数の光の縒り糸が走るだろう。

 機械と自然と人の心――三つ巴の輪が、再びつながる夜。

 

 その第一声を誰が奏でるか。

 この場にいる全員が、もう知っていた。

 

 ルナがそっと息を吸い、リュウジは静かに目を細める。

 彼らの“いま”は、確かに、次へと手渡されようとしていた。

 

ーーーー

 

食事が終わり、笑い声がようやく静まったころ、広間の奥でアンシェルアヌが立ち上がった。

 その姿は威厳を保ちながらも、どこか穏やかで、まるで長い旅を共に終えた仲間たちをねぎらう父親のようだった。

 「『皆さんのために部屋を用意しました。星歌の儀まで、どうかゆっくり休まれてください』」

 タコが柔らかく翻訳する。

 

 「へぇ~! やっとベッドで寝られる!」

 ハワードが大きく伸びをして歓声を上げる。

 「僕も……! もう床の上とか無理……」とシンゴが目を輝かせ、チャコが「まったく、寝相悪いのによう言うわ」と肘でつつく。

 

 そんな中で、ひときわ静かな声が響いた。

 「……大丈夫です。」

 

 全員の視線が一斉にルナへと集まる。

 ルナはまっすぐ立ち、少し緊張した面持ちで続けた。

 「お願いがあります。私たちが使ってきた“操縦室”を……そのまま、使わせていただけませんか?」

 

 その言葉に、ハワードが思わず立ち上がった。

 「お、おいルナ! せっかく部屋をもらったのに、なんでわざわざ……!」

 

 だが、その抗議を遮るようにカオルが口を開いた。

 「ルナの言うとおりだ。」

 その声には、いつになく静かな重みがあった。

 「あの船こそが、俺たちの家みたいなもんだ。」

 

 「……そうだね。」

 ベルが穏やかに頷く。

 「俺たちに豪華な部屋は似合わないよ。今さら寝床が変わったって、寝付きも悪くなるだけさ。」

 

 メノリも軽く腕を組み、苦笑しながら続けた。

 「私も同感だ。操縦室の機械音がないと、逆に落ち着かないかもしれない。」

 

 ハワードとシンゴは同時に肩を落とした。

 「マジかよ……」

 「せっかくふかふかのベッドが……」

 二人のぼやきにチャコが笑い、「ウチらはサバイバーやろ。寝床なんかより仲間がおる方がよっぽどええやん」と背中を叩いた。

 

 そんな彼らを見て、アンシェルアヌは朗らかに笑った。

 「『いいでしょう。好きなように使ってください。あの船は、あなた方の功績を刻んだ証なのですから』」

 タコが翻訳し終えると、ルナは深く頭を下げた。

 「ありがとうございます。」

 

 温かい空気が流れた――だが、その空気を破るように、リュウジが立ち上がった。

 その真剣な表情に、皆がハッとして彼の方を向く。

 

 「もう一つ……お願いがあります。」

 声は落ち着いているが、確かな決意を帯びていた。

 アンシェルアヌが一歩前に出て、静かに尋ねた。

 「『どうされましたか?』」

 

 リュウジはまっすぐその眼を見据えた。

 「――宇宙船を、一隻いただきたい。」

 

 広間に、わずかなざわめきが走る。

 ベルとシャアラが息をのむ。シンゴが「えっ」と声を漏らし、メノリとカオルは目を細めた。

 ルナも思わず彼の横顔を見つめる。「そうだった、忘れてた」とハワードは大きく目を見開いた。

 

 リュウジは続けた。

 「俺たちも……故郷に戻りたいんです。

  できれば、操縦や設備についてもレクチャーを受けたい。」

 

 その言葉には、確かな願いが込められていた。

 彼の背中には、この惑星で積み上げた日々の記憶、出会った仲間たちの想い、そして失われた時間への祈りが乗っていた。

 

 アンシェルアヌはしばらく黙ってリュウジを見つめていたが、やがて微笑み、ゆっくりと頷いた。

 「『……理解しました。』」

 彼は振り返り、背後に控えていた壮年の技師らしき人物に声をかけた。

 「『パンデッタ。――彼らに船を。必要な準備を整えなさい。』」

 

 呼ばれたパンデッタは背筋を伸ばし、一歩前に進み出た。

 髪は銀に近く、目元に深い皺を刻んだ熟練者の風格を持っている。

 「『かしこまりました。こちらへどうぞ』」

 タコが翻訳を終えると、パンデッタが軽く会釈した。

 

 リュウジは頭を下げ、短く礼を言う。

 そして仲間たちに視線を向けた。

 「チャコ、翻訳ついでに来てくれ。」

 

 チャコは目をぱちくりさせ、すぐに頷いた。

 「え? ウチか? ……まぁ、しゃーない。しゃべり担当は任せとき!」

 

 二人は肩を並べ、パンデッタの案内に従って歩き出した。

 背後でルナがその姿を見送る。

 リュウジの歩く背中は、どこか新しい旅立ちを予感させるものだった。

 

 「リュウジ……」

 ルナは小さく呟いた。

 その声は、誰にも届かないほどの微かな囁きだったが、彼女の瞳の奥には確かな光が宿っていた。

 

 やがて三人の姿は廊下の奥へと消えていった。

 その背中を見送りながら、メノリがぽつりと言った。

 「……休むって言葉を知らないのか。」

 「ほんまや。休む前に、もう次の準備かいな。」とチャコが苦笑する声が遠ざかっていく。

 

 ――新しい“旅”の始まりが、静かに幕を開けようとしていた。

 

ーーーー

 

パンデッタの案内で、リュウジとチャコは長い螺旋状の通路を下っていった。

 壁には滑らかに光る管が走り、ところどころで青い脈動を放っている。まるで血管のように、母船そのものが生きて呼吸しているようだった。

 しばらく進むと、重厚な隔壁の前でパンデッタが立ち止まる。手にした端末をかざすと、重い空気が抜けるような音がして扉が左右に開いた。

 

 ――そこは、下層格納庫。

 

 天井まで届くほどの広い空間に、銀色の光沢を放つ機体が静かに鎮座していた。

 艶やかな鏡面のような外装が、周囲の照明を柔らかく反射し、三角形の流線形を描いている。

 「……なんだ、これ……」

 

 リュウジが思わず息を呑む。

 形状は、これまでのどの宇宙船にも似ていなかった。船首から船尾までが一枚の金属のように滑らかで、接合部が見当たらない。

 「見たことのない形やな……ほんま、えらい未来感やで」とチャコが目を丸くする。

 

 パンデッタは誇らしげに微笑んだ。

 「こちらが、お二人にお渡しする“小型航宙艇《ネフェリス》”です。小型とはいえ、我々の最新鋭技術を搭載しております。」

 

 言いながら、胸元のポケットから一枚の透明な板――光の紙のようなものを取り出すと、リュウジとチャコに手渡した。

 「設計図および主要データです。読解には少々専門知識が要りますが……」

 

 リュウジが受け取って目を凝らす。

 板の内部に、細やかな回路とエネルギーの流れを示す線が浮かび上がる。まるで光が走る地図のようだ。

 「設計図、ってことか?」

 

 「せやなぁ。こっちの言語はよう分からんけど……後でコロニーの言葉に直しといたるわ。」

 チャコが器用に指を動かし、データを自分の端末へ転送していく。

 

 そして、ふとある箇所を見つけて目を丸くした。

 「……うそやろ!? この宇宙船、ヒッグス粒子エンジン積んどるやん!」

 「ヒッグス粒子……?」リュウジが顔を上げる。

 

 チャコは興奮を抑えきれず、両手を広げて説明した。

 「要は、重力場を直接制御できるタイプの推進機構や! 通常の推進剤とか慣性制御やなく、質量の“ゆらぎ”そのものを利用してるんや!」

 

 「なるほど……それなら、重力の中でも正確に姿勢を保てるな。」

 リュウジは納得するように頷いた。

 「荒れた重力波の中でも安定飛行できるってわけか。……サヴァイヴも驚くだろうな。」

 

 パンデッタは微笑を深めた。

 「その通りです。ヒッグス制御炉は、通常のエネルギー炉の五倍の効率を誇ります。

  また、操縦席は完全リンク式。神経反応を遅延なく反映し、操縦者の思考を直接姿勢制御に反映します。」

 

 リュウジの目が輝く。

 「直接リンク式……? 神経応答制御か。すげぇな。」

 「ウチらの船にはなかった機構やなぁ。これ、誤操作したら脳ミソごとクラッシュするやつやないの?」

 チャコが冗談めかして言うと、パンデッタは小さく笑いながら首を横に振った。

 「安全設計は万全です。神経干渉層を三重に分け、意識の“深層”には接触しない仕組みになっています。」

 

 格納庫の照明が一段階落ち、機体の外殻ラインが淡く青く光る。

 「こちらへ。」

 パンデッタの案内で、機体の側面ハッチが開く。

 内部は想像以上に広く、壁一面が淡い光に包まれていた。

 リュウジは足を踏み入れ、周囲を見渡す。

 「……まるで、呼吸してるみたいだな。」

 「ほんまや。機械っちゅうより、生き物っぽい。」

 

 チャコが機体後方に回り込み、パネルを指で撫でる。

 「この素材……炭素繊維複合か? いや、ちゃう。波動結晶や。宇宙線でも劣化せえへん。」

 

 「船体強度は旧式の十倍。再生機能も備わっています。」

 パンデッタの説明に、リュウジは短く息を吐く。

 「これなら、たとえ再突入でも持ちこたえるな……」

 

 船内奥には、簡易ながらも寝台と生命維持装置が整っていた。

 「小型船とは思えないほどの装備だな。」

 「長期滞在を想定していますから」とパンデッタは頷いた。

 

 リュウジは操縦席に手を置いた。金属の冷たさではなく、どこか温もりを感じる感触。

 ――まるで、呼びかけに応じるように、微かな振動が掌をくすぐった。

 「……いい機体だ。」

 彼が呟くと、隣のチャコも小さく笑って言った。

 「せやな。ウチらの“帰り道”には、これくらいの相棒がちょうどええわ。」

 

 パンデッタはそんな二人を見て、静かに微笑んだ。

 「あなた方の旅が、無事でありますように。必要な操作と整備の訓練は、明日から始めましょう。」

 

 リュウジは力強く頷き、銀色に輝く三角の機体を見上げた。

 その光は、これまでの旅路のすべて――

 そしてこれからの未来への希望を映すように、静かに煌めいていた。

 

ーーーー

 

パンデッタはリュウジたちに向き直った。

 「星歌の儀(ほしうたのぎ)の準備があるため、私はこれで失礼いたします。訓練については、明朝より開始いたします。」

 穏やかに頭を下げると、足音を響かせながら格納庫を後にした。

 その背中が扉の向こうに消えると、広い空間にはリュウジとチャコの二人だけが残った。

 静寂。

 機体《ネフェリス》の外殻がわずかに光を反射し、低い振動音が響く。

 

 チャコは腕を組んで、ゆっくりと船体を見上げた。

 「……すごい宇宙船やな。」

 その声には、驚嘆と少しの興奮が混じっていた。

 

 リュウジは隣に立ち、同じように銀色の機体を見上げた。

 「ああ、正直、驚いた。ここまでの技術が残ってたなんてな。」

 

 チャコは手を腰に当てて息をつく。

 「これならホンマに……コロニーに帰れるかもしれへんで。」

 その言葉には、いつもの軽口ではない、ほんの少しの希望がこもっていた。

 

 「――ああ、問題ないだろう。」

 リュウジは短く答えた。

 その瞳は静かに光り、まるで既に帰還ルートを頭の中で計算しているようだった。

 

 だがすぐに表情を引き締め、少し眉を寄せる。

 「ただ……気がかりなのは、システムだ。」

 

 「システム?」とチャコが首を傾げる。

 リュウジは操縦席を一瞥しながら言った。

 「最新鋭すぎる。俺でも扱ったことのない制御系統がある。

  神経応答制御システムなんて、コロニーにもない、システムだ

  扱いを間違えたら、全員に危険が及ぶ。」

 

 チャコは思わず口笛を鳴らした。

 「流石のリュウジでも厳しいんか?」

 リュウジは肩をすくめ、苦笑を浮かべる。

 「こればっかりは、相性もあるからな。機械の性能がいくら良くても、人間との“呼吸”が合わなきゃ意味がない。」

 

 「せやなぁ……でも、あんたならどうにかするやろ。」

 チャコの言葉にリュウジは微笑んだ。

 「まぁ、努力はしてみるさ。ただし――」

 少し間を置き、視線を操縦席に落とす。

 「時間はあまりない。一週間が限度だ。」

 

 「なんでや?」

 チャコの声に、リュウジは低く答えた。

 「重力嵐が……消える可能性がある。」

 

 チャコの瞳が鋭くなる。

 リュウジは続けた。

 「俺たちがコロニーに戻るには、おそらくもう一度、あの“重力嵐”に突入しなきゃならない。

  あれが唯一、次元間を移動できる自然の門なんだ。」

 

 チャコは眉をひそめ、ゆっくりと頷く。

 「なるほどな……重力嵐そのもののエネルギーが、ワープ作用を生み出しとるんかもしれへんな。」

 「その可能性は高い。」

 リュウジは腕を組み、じっとネフェリスの前方ノーズを見つめた。

 「だから、嵐が完全に消える前に飛び立たなきゃならない。時間との勝負だ。」

 

 チャコはため息を漏らし、少し肩を落とす。

 「ほんまに休む暇もあらへんな……。ま、ウチららしいけどな。」

 

 リュウジは軽く笑った。

 「とりあえず、俺はもう少しこの機体の構造を調べておく。」

 

 チャコはあきれ顔で腕を組んだ。

 「また徹夜するんか? あんまり無茶すると、ルナに怒られるで。」

 

 その名前を聞いた瞬間、リュウジはふっと口元を緩めた。

 「今日は大丈夫だろう。……あいつが一番、無茶したんだからな。」

 

 その言葉に、チャコは思わず目を瞬いた。

 あのリュウジが――あの寡黙で冷静なリュウジが、まるで別人のように柔らかい笑顔を見せる。

 

 「……なんや、珍しい顔しとるで。」

 「そうか?」とリュウジは照れたように笑う。

 

 チャコはその笑顔を見つめ、少し呆れたように、けれどどこか嬉しそうに言った。

 「ま、ええわ。せいぜい気ぃ抜かんようにな。ウチはルナとみんなのとこ行ってくる。」

 

 「頼む。」

 リュウジは軽く手を上げた。

 

 チャコはくるりと背を向け、金属の通路を歩き出す。

 扉の前で一度だけ立ち止まり、振り返った。

 銀色に光るネフェリスの機体。その前に立つリュウジの背中が、静かな青の光に包まれている。

 

 「……まったく。ほんまに、ルナによう似てきたわ。」

 チャコは小さく笑い、格納庫を後にした。

 

 残されたリュウジは、一人静かにネフェリスを見上げる。

 無機質な船体が、まるで心臓の鼓動のようにわずかに震えていた。

 彼はその金属の冷たさに手を触れ、低く呟いた。

 

 「――頼むぞ。俺たちを、もう一度あの空へ。」

 

 格納庫の灯が静かに揺れ、銀色の船体を柔らかく照らしていた。

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