その時だった。
「よーし! 上がったぞ!」
ハワードの声が、火の向こうから響いてきた。
水浴びを終えた男性陣が戻ってくる。濡れた髪を乱暴にかき上げるハワード、震えながら笑うシンゴ、その横で苦笑いするベル。そして少し遅れて、カオルとリュウジが現れた。
「寒いな……」カオルが小さく呟き、焚き火に歩み寄る。
リュウジは黙ったまま腰を下ろし、濡れた横顔を炎に照らされた。
ルナは彼を見つめながら、胸の奥でひとり呟く。
(……いつか、きっと向き合わなきゃ。でも今は……まだ)
焚き火を囲む声と笑いが再び広がり、重たい空気は波の音にかき消されていった
焚き火の炎は夜風にあおられて、ぱちぱちと音を立てながら舞い上がる。
さきほどまでの重い会話は、男性陣が戻ってきたことで少しずつ薄れていった。
「さ、寒かったぁ……!」シンゴが腕を擦りながら火にかじりつくように座る。
「おい、火の前は俺の場所だぞ!」ハワードが割り込もうとし、シンゴが抗議の声を上げる。
「ふふっ……二人とも子供みたい」シャアラがくすりと笑う。
「まぁ、子供なんだろう」カオルが低く呟いたが、その口調にはわずかに柔らかさがあった。
ベルは黙って火の側に腰を下ろし、安心したようにため息をついた。
その様子を見て、ルナは思わず笑みを浮かべる。(みんな、やっぱりこうやって笑ってる方が似合うんだ)
「なぁ、なんか面白い話ないのか?」ハワードが火の明かりを背に胸を張る。
「じゃあ僕が!」シンゴがすぐさま手を挙げる。「この前、シャトルの残骸で見つけた変な部品さ、チャコに聞いたら――」
「おいおい、それ言わんでええやんか!」チャコが慌てて両手を振る。
「なんだよ、教えてくれよ!」ハワードが乗り出す。
「えっと……それはな、元々はトイレの――」
「シンゴ!」チャコが耳まで赤くし、慌てて口を塞ごうとする。
「わはは! お前ら最高だな!」ハワードが大声で笑い、火の周りに笑い声が広がった。
その笑い声にシャアラも釣られ、メノリまでもが小さく吹き出す。
「……くだらないけど、悪くはないな」メノリは少しだけ頬を緩めた。
「ほら、次は怖い話とかどう? この星にいる“森の影”とか……」シャアラが声をひそめる。
「やめてよ……夜にそんなこと言わないで!」シンゴが青ざめて火を見つめる。
「わぁ、怖がっとる顔や!」チャコが尻尾を揺らしながらからかう。
ルナはそんな皆の様子を眺めながら、心の奥で(こうして笑い合ってる時が、一番大切なんだ)と感じていた。
――けれど、ちらりと視線を横に送ると、リュウジはやはり炎を見つめているだけで、笑いに加わろうとはしなかった。
その姿にルナの胸は少しだけ締め付けられる。
(リュウジ……あなたは、今、どんな気持ちでこの火を見ているの?)
だが彼女はその問いを胸にしまい込み、あえて声を上げた。
「ねぇ、次はみんなでしりとりしよう! この星で見つけたもの限定!」
「よし、面白そうじゃないか!」ハワードがすぐに乗り、シンゴが「僕からね!」と元気よく叫ぶ。
「じゃあ、まずは“石”!」
「石……し、し……し、シダ植物!」シャアラが慌てて答える。
「次はウチか? “つ”やな……ツル! 今日運んだやつや!」
「ナイス!」ルナは笑いながら拍手する。
焚き火の周りに、仲間たちの笑いと声が広がっていく。
それは疲れや痛みを少しだけ忘れさせる、柔らかくてあたたかな時間だった。
焚き火を囲む輪は、最初こそ静かに食事をしていたが、やがてルナが「しりとりしよう!」と声を上げたのをきっかけに、軽口と笑い声で賑やかになっていった。
「“ル”か……ルナ!」
ハワードが得意げに指をさすと、ルナは思わず赤くなって「ちょっと! この星で見つけたものってルールにしたでしょ!」と抗議する。
「でもさ、ルナは僕らにとって大発見だろ?」
ハワードが冗談めかすと、シャアラがくすくす笑った。
メノリも「……まったく、子どもみたいだな」と呟きながらも、口元に薄く笑みを浮かべていた。
ベルも最初は遠慮がちに輪に入っていたが、仲間のやり取りに肩を震わせて笑い、焚き火の明かりに照らされたその顔は少し柔らかく見えた。
「なぁ、次は怖い話にしようぜ!」ハワードがいたずらっぽく提案する。
「ええっ!?……」シンゴが弱気に言うと、ハワードが「ほら見ろ、やっぱり!」と笑い声を重ねる。
――その時。
「いい加減にしろ」
焚き火のはぜる音を切り裂くように、リュウジの低い声が響いた。
一瞬で笑い声が消える。
「……なんだよ、せっかく盛り上がってたのに」ハワードが不満そうに顔をしかめる。
リュウジは焚き火を見据えたまま、冷ややかに言葉を続けた。
「遊んでる場合か。明日からは鉄板を森から運ぶんだぞ。今日以上の重労働だ。――体を休めることを考えろ」
重く沈む空気に、誰もすぐには口を開けなかった。
だが、ルナは小さく息を吸って、仲間たちを見回すと、はっきりと声を出した。
「……リュウジの言う事も一理あるわね」
みんなの視線が、驚いたようにルナに集まる。
「確かに、楽しい時間も大事。でも、私たちにはもっと大事なことがあるよね。――明日、動けなくなったら困る。だから今日は、もう休もう」
言葉を選びながらも、ルナは微笑みを浮かべるように努めた。
「それに……また、笑える時間を作ればいいじゃない。ね?」
一瞬の沈黙の後、メノリが腕を組んで「……ふむ、ルナの言うことはもっともだろう」と頷いた。
シャアラも「そうね……また時間を作ればいいもの」と小さく微笑む。
ベルも「……わかった」と短く返し、ハワードも少しむくれながら「……はいはい、わかりましたよ」と肩をすくめる。
仲間たちはそれぞれに疲れた身体を引きずりながらシャトルへと戻っていく。
⬜︎⬜︎⬜︎
焚き火の前には、リュウジとルナだけが残った。
ルナはその横顔を横目で見ながら(リュウジは……みんなを守るために、あえて冷たいことを言ってるんだよね)と心の中でつぶやき、そっと薪をくべた。
焚き火の炎は小さくなりつつあり、赤く揺れる火が二人の影を長く砂地に映していた。
シャトルの中からは仲間たちのかすかな寝息が聞こえる。波の音と薪のはぜる音、そして遠くの虫の声だけが辺りを満たしていた。
ルナは薪を一つ手に取り、そっと火にくべる。その火がぱちりと弾けると、少し肩が揺れた。
横にはリュウジが黙って座っている。背筋を伸ばし、視線は炎の奥、遥か彼方を見ているようだった。
(……やっぱり無口だな)
ルナは膝を抱えながらちらりと隣をうかがう。昼間の彼は人一倍動き、重労働を引き受けていた。冷たい言葉を放つけれど、その裏にある意図を考えれば――仲間のためだった。そう思うと、胸が少し熱くなる。
「……ねえ」
気がつくと声が出ていた。
リュウジが僅かに顔を動かす。
「なんだ」
「さっきのみんなに言ったこと……あれ、本気で怒ってたわけじゃないよね?」
ルナは焚き火を見ながら、小さな声で尋ねた。
リュウジは数秒、無言のままだった。
やがて炎が弾ける音と同時に、低く答えた。
「……怒ってはいない。だが、気を緩めすぎるのは危険だ。あの状況で、誰かが体を壊せばどうなる?」
「……そうだね」
ルナは頷きつつも、口元をほころばせた。
「でも、みんなのことを考えてるからこそ、ああいう言い方になったんでしょ。リュウジって、優しいんだと思う」
「……優しい?」
リュウジの声に微かな皮肉が混じる。
「そうだよ」
ルナは真っ直ぐに顔を向けた。
「だって、誰も言いにくいことをちゃんと伝えてくれたんだもん。冷たく聞こえても、それでみんなを守れるなら……それって優しさだよ」
リュウジは視線を火に戻し、短く息を吐いた。
「……そういうのを優しさと呼ぶなら、俺は知らなかったな」
その言葉の奥に、ほんの少しの影が見えた気がして、ルナの胸がきゅっと締めつけられる。
けれど彼の表情は、炎の揺らめきに隠されてはっきりとは見えなかった。
「……ふふ」
ルナは照れ隠しのように笑い、両手を火にかざす。
「じゃあ、私がそう決めちゃう。リュウジは優しいんだって」
リュウジは小さく肩をすくめた。否定はしなかった。
波の音が寄せては返し、夜の空気はひんやりと肌を撫でた。
ルナはまぶたが重くなってきたのを感じながらも、必死に目をこすって火を見つめ続ける。
そのとき、不意にリュウジの声が落ちてきた。
「眠いなら、寝ろ」
「……ううん、起きてるよ。だって私、火の番をすると言ったし」
「火なら俺が見てる」
「でも……」
言いかけて、ルナはリュウジの横顔を見た。
鋭い目つきなのに、どこか穏やかさが滲んでいる。
「……ありがと」
小さな声でそう呟き、ルナは少し頬を赤くして膝に顔を埋めた。
炎が二人の間で静かに揺れ、長い夜は続いていった。
⬜︎⬜︎⬜︎
三日かけて、ようやく最後の鉄板を大いなる木の根元に並べることができた。重労働に追われ続けた皆の顔には疲労の色が濃く浮かんでいたが、その表情の奥には達成感の影も見え隠れしていた。
「ふぅ……やっと揃ったな」
カオルが手のひらで額の汗をぬぐう。
「これで土台はしっかりするはずだろう」
メノリも胸を張るように言い、規律を重んじる彼女らしい安堵の笑みを浮かべた。
だが、まだ作業は終わりではない。次は木組みだ。伐り出した長い丸太を加工し、鉄板と組み合わせて骨組みを作らなければならない。
ルナは手元のリュックを握りしめながら皆に声をかける。
「ここからは削って組み合わせる作業だね。時間はかかるけど、少しずつやっていこう」
「おっしゃ!僕がやってやるよ!」
ハワードが勢いよく前に出て、腰に手を当てて丸太に触れた。
だが、その手をチャコがすかさずぴしゃりとはたいた。
「アホ言うたらあかん!そんなんガサツに触ったら台無しやで!」
「な、なんだよ!僕だって役に立ちたいんだ!」
唇をとがらせるハワードに、チャコは尾をぶんと振って胸を張る。
「これは繊細な作業や。削りすぎたら強度が落ちるし、角度間違えたら木組みが組まれへん。ここはウチとシンゴの出番や」
「確かに……接合部分の角度を合わせないと組み上がらない。僕、定規代わりの治具を作れるよ」
「せやろ?ウチは表面の削りを計算してやるわ。ハワード、あんたは力仕事の方で頼むで。運ぶとか、押さえるとか」
「む、むぅ……」
不満げにうなだれるハワードだったが、ルナがにこっと笑って言葉を添える。
「ねえハワード、力仕事もすごく大事だよ。持ち場があるってことは、それだけ頼られてるってことだから」
その一言に、ハワードは少し頬を赤くしながら「し、仕方ないな……」と呟いた。
リュウジはそのやり取りを少し離れた場所で見ていたが、やがて無言で腰を下ろし、自分のナイフを取り出すと別の丸太に刃を入れ始めた。その姿にカオルも黙って隣に腰を下ろし、同じように木を削り出す。
火花のようにぱらぱらと削り屑が舞い落ち、大いなる木の下に新しい音が響いた。仲間たちがそれぞれの役割を果たし、ひとつの大きな作業が始まっていく。
⬜︎⬜︎⬜︎
鉄板の運搬が無事に終わり、次は丸太を削る作業に取り掛かった。しかし、現実は思った以上に手強かった。大いなる木の上に組み上げる丸太は予想以上に硬く、ナイフや斧で削るのにも時間がかかる。木屑がぽろぽろと落ち、汗が額に伝う中、ルナは少し肩を落として息をついた。
「やっぱり、大変だよね……」
ルナの呟きに、メノリは冷静に頷いた。
「無理もないだろう。シャトルから大いなる木に移動して、数時間後にはまたシャトルに戻る。作業時間も限られているし、体力を考えれば当然だ」
ルナは丸太を抱えながら深呼吸し、仲間たちに声をかける。
「私たちは私たちでできることをやろう。手伝えることはやるけど、木組みの作業はチャコとシンゴとリュウジしかできないから」
「そうやな」
チャコはしっかり頷きながら、削る作業を一旦止めて丸太の角度を確認する。シンゴも斧を脇に置き、リュウジに視線を送った。
「リュウジ、ちょっと来てくれへん?」
チャコの声に、リュウジは黙ったまま二人のもとへ歩み寄る。
「この角度で削るのがいいか、相談したいんや」
シンゴが図面と削りかけの丸太を指差す。
リュウジは無言で頷き、丸太に手をかけながら角度を微調整する。作業の手を止めて話す三人の間には、集中と緊張感が漂った。
⬜︎⬜︎⬜︎
丸太削りの作業を終え、空が茜色に染まる頃、ルナたちはシャトルに戻った。身体中に筋肉痛を感じながらも、皆の顔には安堵の色が浮かんでいる。火のそばに集まり、夕食を手に取ると、ようやく少し落ち着いた空気が流れた。
ルナはため息をつきながら、箸を動かす手を止め、ふとリュウジを見る。
「ねぇ、リュウジ。明日からの作業、どうする?」
リュウジは静かに魚を口に運びながら視線を上げる。
「三人で大いなる木に泊まり込む方が効率がいい。昼間だけじゃ作業が終わらないだろう」
ルナは少し驚き、眉をひそめる。
「でも、何もない大いなる木に泊まるのは危険じゃない?」
チャコがにっこり笑い、箸で魚を押さえながら口を開く。
「それは大丈夫や。リュウジがおるんやから、万が一のことがあっても対処できる。それに、三人でやれば作業効率も上がるしな」
シンゴも同意するように頷いた。
「僕もそう思う。昼だけの作業だとどうしても時間が足りなくなる。丸太削りも鉄板の配置も、泊まってやった方が精度も上がるはず」
メノリは少し眉を寄せつつも、口調は淡々としたまま。
「無論、体力管理も考慮すべきだろう。しかし作業の進行を優先するなら、泊まり込みは合理的だ」
シャアラは箸を止め、ルナに視線を向ける。
「ルナが心配するのも分かる。でも、三人なら大丈夫だと思う。リュウジがついているんだもの」
ルナは少し照れくさそうに頬を赤らめ、でも黙って頷く。
「……分かった。じゃあ、明日から三人は大いなる木で泊まり込みってことね。でも、気をつけてね」
ベルは筋肉痛の肩を揉みながら、軽く笑った。
「俺たちは昼間の作業だけで精一杯だ。三人が泊まるなら、それで進めた方が効率がいいな」
ハワードも陽気に口を挟む。
「なるほど、俺たちは休みをもらえるわけだ。筋肉痛で動けないし、ちょうどいいな」
カオルがため息混じりに呟く。
「俺たちは食料集めだ・・・・」
夕食を囲む火の光に照らされ、三人の泊まり込み作業の計画が自然と決まった。空は茜色から藍色へと変わり、シャトルの中には夕暮れの穏やかな空気と、仲間同士の信頼感が静かに広がっていった。
ルナは心の中で、リュウジがいるからこそ木の上での泊まり込みも安心だと思い、少しだけ胸を撫で下ろした。
⬜︎⬜︎⬜︎
夕食を終え、仲間たちは次々にシャトルの中で休息をとり始めた。ルナは火の番を買って出て、リュウジも自然とその隣に座った。砂浜に吹く海風が心地よく、波の音が遠くで穏やかに響く。
ルナは火を見つめながら、静かに話しかける。
「リュウジ……無理しないでね。明日からも、作業は続くけど、ちゃんと休む時間も必要だよ」
リュウジはしばらく火の炎を見つめた後、ゆっくりと答えた。
「……分かってる。でも、やらなきゃいけないこともある。丸太も鉄板も、木の上に置かないと進まない」
ルナは少し口を尖らせて、でも優しい口調で続ける。
「でも、無理して倒れたら意味ないよ。ちゃんと休むことも立派な仕事なんだから。私も、あなたがちゃんと休んでほしいと思ってる」
リュウジは黙って火を見つめ、やがて「ああ」とだけ返した。
ルナは頬を少し赤らめながら、火の光に照らされたリュウジを見つめる。
「それなら安心。私も一緒に火を見てるから、落ち着くまでゆっくりしてて」
波の音と焚き火のパチパチとした音だけが砂浜に響く。二人は無言のまま火を見つめ、互いの存在を静かに感じながら、夜が深まるまで穏やかな時間を過ごした。
ルナは心の中で、仲間としてだけでなく、一人の人間としてリュウジを大事に思う気持ちを再確認した。リュウジもまた、誰かに心配されることの温かさを、少しずつ受け入れ始めているようだった
⬜︎⬜︎⬜︎
次の日、夕暮れの光が森を柔らかく包む中、丸太作業を終えたリュウジ、チャコ、シンゴの三人は、今日から大いなる木の上に泊まることになっていた。森の奥にそびえる巨大な木の足元で、作業の疲れがじわりと身体に残る。
「じゃあ、そろそろシャトルに戻るね」ルナが声をかけると、シンゴもチャコも手を止めずにそれぞれ返す。
「気をつけて」
「きぃつけてな」
リュウジは黙ったまま、黙々と丸太の作業を続ける。ルナは二人に向かって、少し笑みを浮かべながら言った。
「二人を頼むね。食料はここに置いていくから。明日も持ってくるからね」
しかしリュウジは、わずかに顔を上げると冷静に言う。
「必要ない。自分たちのことは自分たちでやる」
チャコはにっこりと笑って答えた。
「そういうことや、2〜3日経ったら様子を見に来てくればええで」
ルナは少し渋々ながらも頷き、最後に声をかけた。
「気をつけて」
その言葉を残して、ルナはシャトルへ向かい歩き出す。背中には仲間を信頼する思いを抱えつつ、夕暮れの森を進んでいった。
ルナがシャトルに戻ると、夕陽に染まった室内には、疲れが少し滲む仲間たちがそれぞれの場所にいた。ベルは椅子に腰を下ろし、シャアラは小さなテーブルで作業をしている。ハワードは足を投げ出し、どこか得意げな顔で座っている。カオルは静かに窓の外を見つめていた。メノリは、いつものようにきちんと背筋を伸ばして座り、鋭い目でルナを見つめる。
ルナは深呼吸をひとつして、今日の大いなる木の作業の状況を簡単に整理した。そして、チャコとシンゴ、リュウジが木の上で泊まりながら作業をすることを伝える。さらに、チャコが「2〜3日経ったら様子を見に来てくればええで」と言ったことも、正直に報告した。
「つまり……しばらくは私たちが大いなる木の上まで行かなくても大丈夫ってことだね」ルナは少し寂しそうに言った。
メノリは額に薄く皺を寄せ、「そうは言っても、心配になるのは当然だろう」と口を開く。彼女の声には、いつも通りの厳格さと責任感が混じっていた。
シャアラも続けて言う。「本当に大丈夫かな…………」
その声には、仲間を思う気持ちと、少しの不安が滲んでいた。
ルナは微笑みを返しながら答えた。
「わかってる。でも、リュウジがいる。無理はしないって言ってたから、信じよう」
カオルは、いつも通り淡々とした口調で付け加える。
「心配する必要はない。あいつらならやれる」
ハワードも手を叩くようにして笑いながら言う。
「そうだよ、心配ご無用!逆に、僕たちもその間にしっかり食料を集められるってもんだ!」
ルナは頷き、気持ちを切り替えるように言った。
「そうだね。じゃあ、私たちはいつもどおり、食料集めを引き続きやろう。無駄なく、確実に」
ベルも少し安心した表情で立ち上がり、荷物を整える。
「了解。明日からも頑張ろう」
メノリは相変わらず厳しい表情だが、口調は少し柔らかくなる。
「食料集めを怠るな。作業は継続だろう」
シャアラも手を動かしながら小声でつぶやく。「うん……みんなでやれば大丈夫だよね」
ルナは仲間たちの顔を順に見渡す。皆それぞれの立場で不安や疲労を抱えているけれど、こうして声をかけ合い、役割を分担し、動いている姿を見て、少し胸が熱くなるのを感じた。
外に出ると、夕陽がまだ空を朱に染め、砂浜と森の境界を柔らかく照らしていた。今日の食料集めは、いつもより慎重に、しかし確実に進める必要がある。ルナは心の中で、木の上で頑張っている三人の無事を祈りつつ、自分たちの持ち場でできることをやろうと、気を引き締めた。
⬜︎⬜︎⬜︎
三日間、シンゴ、チャコ、そしてリュウジが大いなる木に泊まり、丸太の加工や木組みの作業を進めてから、ようやく夜が訪れた。シャトルで食材集めを続けていたルナ、メノリ、シャアラ、ベル、カオル、ハワードの面々は、今日も順調に果物や魚を収穫し、砂浜での簡易な夕食を終えた後、火を囲んでひと息ついていた。
ルナは小さな炎を見つめながら、声を潜めてつぶやく。
「明日、一度大いなる木に様子を見に行こうか……」
メノリは厳しい表情のまま頷く。「そうだな、何があるか分からないしな。」
シャアラも小声で付け加える。「三人だけでずっと作業してるんだし……ちょっと心配だよね」
ルナは皆の頷きを確認すると、自然と笑みを浮かべ、心の中で少し安堵を覚えた。火の暖かさと仲間の存在が、今日の疲れをやわらげる。
⸻
翌朝、朝日の淡い光が砂浜と森を染める中、ルナはリュックを整えた。月梨や炎果の果物をひとつひとつ丁寧に詰め込み、食料の確認を終える。ベルも手伝い、魚を少し持たせることで、翌日の朝食にも困らないように準備を整えた。
「よし、行こうか」ルナは自分に言い聞かせるように小さく呟き、仲間たちと共に大いなる木へ向けて歩き出す。森を抜け、砂浜を越えると、先に作業を進めていた三人の影が見えた。
大いなる木の下に着くと、目に飛び込んできたのは、四本の丸太の両端が見事に加工されている光景だった。斧や削り跡が整然と残り、木組みのために正確に仕上げられている。ルナは思わず声を潜める。
「もう……こんなに進んだの……」
その瞬間、木の上から欠伸をしながら、寝ぼけた顔のチャコとシンゴが現れた。チャコは目を半開きにし、関西弁でぼそりと漏らす。
「うーん……眠い……でも、丸太、やっと加工終わったで……」
シンゴも大きく欠伸をしながら、ルナに気づくと、少し恥ずかしそうに笑った。
「おはよう、ルナ……。ちょっと寝不足だけど……やることはやったよ」
リュウジは黙々と作業台の近くに腰を下ろし、視線だけで「よく来たな」と告げる。言葉はなくても、ルナには彼の努力と集中力が伝わる。
だが三人の様子を横目に、ルナの胸には疑念が募っていく。目の前の成果は素直に喜びたい。けれど、それ以上に頭に浮かぶのは――一人、黙々と作業を続けるリュウジの姿。
ルナは決意を込めて、チャコを呼んだ。
「チャコ。ちょっと来て」
「ん? なんやルナ、そんな怖い顔して」
チャコは目を丸くしつつも、とことこと近づいてくる。
ルナは腕を組んで、丸太を指さした。
「……これ、本当に三日で終わらせたの? あんなに固かったのに」
チャコは口ごもり、しばらく視線を泳がせたあと、ぽつりと答えた。
「……リュウジが、ほとんど寝ぇへんとやっとったんや」
ルナは息をのんだ。
「……やっぱり」
胸の奥にこみ上げてくるのは怒りだった。ただし、それは責めるためではない。――以前、チャコが真剣な顔で言ったことを思い出す。
『ルナ、あの人無茶するから、あんたからも釘さしといてや。ウチじゃ止めきれへん』
その言葉を受け止め、ルナはずっと気を配ってきたつもりだった。それなのに、結果はこれだ。
「チャコ……前にお願いしたよね。リュウジが無理をしないようにって。どうして止めなかったの?」
ルナの声は低く、けれど怒りよりも悔しさに震えていた。
チャコはしゅんと耳を垂らし、首をすくめる。
「止めたんやで? でもなぁ……あの人、ウチの言うことなんか聞かへんねん。『時間が惜しい』言うて、夜中も手ぇ動かして……気づいたら、ほとんど寝とらんのや」
「だからって……」
ルナは拳を握りしめた。
「そんなやり方じゃ倒れるに決まってる。ここは誰か一人が背負う場所じゃないのに。リュウジは……本当にどうして」
その瞳には、仲間を思う怒りと、止められなかった悔しさ、そして彼を心配する優しさが入り混じっていた。
チャコは気まずそうに頭をかき、ぽそりと笑う。
「……せやから、ルナが必要なんやろな。ウチには強く言えへんことも、ルナなら言えるやろ」
ルナは息を吐き、険しい表情を保ったままうなずいた。
「……わかった。私が直接、リュウジに言う」
⬜︎⬜︎⬜︎
チャコはルナに責められたあとの気まずそうな沈黙の中、自然と思い出していた。
それは――三日前、大いなる木に泊まり込み作業を始めた初日の夜のことだった。
その日も日が落ちるまでひたすら作業をして、辺りが闇に沈む頃、ようやくリュウジは「今日はここまでだ」と告げた。三人は小さな火を起こし、簡単な食事をとる。
「ふぅ……腹いっぱいになったら眠たなってきたわ」
チャコは思わず大きな欠伸をして、その場にごろんと横になった。シンゴも同じように布をかぶって丸くなり、すぐに寝息を立て始める。
リュウジはといえば、何も言わずに背を丸め、火の側で目を閉じていた。
(ちゃんと寝る気はあるんやな……)
そう思ったチャコは少し安心し、機械の身体を横たえた。
しかし――夜半、ふと目を覚ますと、耳にかすかな「削る音」が届いてきた。
チャコはすぐに異変を察し、光の届かない闇の中を歩く。火の番をしていたはずの場所にリュウジの姿はなく、音のする方へ足を進めると、大いなる木の根元にたどり着いた。
そこでは――リュウジが黒曜石の刃を手に、丸太に向かって無言で削り続けていた。
「……おい、リュウジ。さっきまで寝とったやろ。何してんねん」
声をかけると、リュウジは一瞬だけ手を止め、ちらりと振り返った。
「……もう十分だ。休んだからな」
「十分て……まだ数時間しか経っとらんやろ!」
チャコは思わず声を荒げる。
「ルナに言われとるんやで? アンタが無理せぇへんように、ウチからもちゃんと釘刺せって」
リュウジは表情を変えず、再び刃を丸太に当てる。
「……時間が惜しい。削れるうちにやっておく」
その冷たい響きに、チャコは唇を噛んだ。言葉では止められない――そう思い知らされた瞬間だった。
しばらくの沈黙のあと、チャコは肩を落とし、小さく息を吐いた。
「……しゃあないなぁ。ほんなら、ウチも手ぇ貸すわ」
「……お前にできるのか」
リュウジが刃を動かす手を止めずに言う。
「ウチをなんや思っとるんや。旧式でも計算くらいはできるんやで? 削る角度とか厚みとか、ウチに任せときぃ」
チャコは尻尾をふりながら丸太のそばに立ち、目を光らせて削り具合を計測し始めた。
リュウジは何も返さなかったが、ほんのわずか――その横顔に迷いの色がよぎったように見えた。
二日目の夜。
再び、大いなる木の下に夜風が吹き抜ける。
昼間の作業を終えた三人は、火を囲んで簡単な夕食を済ませた。シンゴはすぐに眠気に耐えられなくなり、寝袋に潜り込んでぐっすり寝息を立て始めた。チャコも横になったものの、昨日と同じように夜半になると妙な物音に目を覚ます。
(……またや)
胸騒ぎに駆られ、チャコは足音を忍ばせて木の根元へと歩いていった。
やはりそこには――リュウジがいた。
火の明かりも届かぬ暗がりで、黙々と丸太に刃を走らせている。夜露に濡れた髪が頬に張りつき、その表情はまるで何かに追われているように険しい。
「……また寝ぇへんのか」
チャコは半ば呆れた声で言った。
リュウジはちらりと視線を寄越すが、手を止めることはしない。
「作業は進む。無駄に寝る時間なんてない」
「そんなこと言うてもな……。いくらアンタでも、疲れるやろ? 体も心も」
チャコは丸太の影に腰を下ろし、じっと彼を見つめる。
リュウジの動きがわずかに止まった。だが次の瞬間、刃を押し当てる力が増したように見えた。
「……前にも言ったはずだ。俺は眠れない体質になった」
その言葉は淡々としていた。だが確かに、どこか諦めを含んでいるようにも響いた。
チャコは耳をピクリと動かし、鋭い視線をリュウジに向けた。
(眠れん体質……? そんなもん、自然にあるわけない。これは……あの悲劇のフライトと関係してるんやろな)
その考えが胸をよぎった瞬間、チャコは言葉を失った。
あの夜のことを思い出すたび、皆が口を閉ざし、リュウジの表情が固くなる。その痛みを思うと、これ以上踏み込むのは――あまりに酷や。
チャコは唇を噛み、俯いた。
「……そっか。ほんなら……もう何も言わんわ」
リュウジは答えず、再び黙々と刃を動かす。その音が夜の静けさに重なり、遠くで虫の羽音がかすかに響いた。
チャコはただその背中を見守りながら、胸の奥でルナとの約束を思い出す。
(無理せぇへんようにって、ルナはウチに託したのに……。でも、これ以上は――触れたらあかん気がする)
夜空には無数の星が瞬いていた。
リュウジはその光を一瞥することなく、ただ丸太に向かい続けていた。
⬜︎⬜︎⬜︎
チャコの回想が終わると、静かな風の音が耳に戻ってきた。
目の前には、険しい顔でじっと見つめてくるルナがいる。
「……チャコ」
ルナの声は低く、しかし責めるというよりも、心配でたまらないという響きがあった。
チャコはしばし迷った。ルナとの約束――「リュウジに無茶をさせないで」という言葉が胸に突き刺さる。けれど、もう隠し続けることはできない。
チャコは耳を伏せ、しょんぼりした様子で口を開いた。
「……ごめんな、ルナ。ホンマのこと言わなアカン。リュウジ……あの子、泊まった晩ぜんぶ、夜中も作業しとったんや」
ルナの瞳が大きく見開かれる。
「えっ……全部?」
「せや。初日の夜も、二日目も……三日目も。寝ぇへんと、ずーっと丸太削っとった。ウチ、何回も止めようとしたんやけどな……『眠れん体質や』って言いよって……」
チャコは声を落とし、視線を逸らした。
「ルナに止めて言われてたのに、結局ウチ……何もできへんかった。あんとき、もっと強く止めてりゃ……」
ルナはしばし沈黙した。焚き火のぱちぱちと爆ぜる音が、会話の隙間を埋める。
やがて彼女は小さく息をついた。
「……チャコ、ありがとう。教えてくれて」
チャコは驚いたように顔を上げる。
「怒らへんのか?」
「もちろん怒ってるよ。だって、リュウジがそんな無茶をしてたなんて……!」
ルナの拳が膝の上で震えていた。だがその顔は怒りだけじゃなく、深い悲しみを浮かべている。
「でも、チャコが黙ってたら、私はずっと知らないままだった。だから……正直に言ってくれて、本当にありがとう」
チャコの胸に熱いものがこみ上げた。耳をぴんと立て、恥ずかしそうに笑う。
「ルナは優しいな……。せやけど、ウチ、ほんまに情けないで。ルナに頼まれたのに、止められへんかった」
ルナは小さく首を振った。
「リュウジがそうまでして頑張る理由……きっと、私たちにはまだ分からないものなんだと思う。でも、だからこそ――これ以上ひとりで無茶させちゃいけない。私が、ちゃんと止める」
その声は決意に満ちていた。
⬜︎⬜︎⬜︎
ルナは深く息を吸い、立ち上がった。
その横顔は、いつもの明るさを失い、真剣そのものだった。
その気配に、近くで休んでいたメノリが目を細める。
「……ルナ?」
ベルも首を傾げ、声を潜める。
「なんか……ルナ、怒ってるみたいだ」
ハワードが肩をすくめてみせたが、笑いはすぐに引っ込んだ。
「いや……これはちょっと、やばい空気かもな」
カオルは腕を組み、焚き火越しにリュウジへ視線を投げる。
「……あいつ、気づいてるな」
確かにリュウジは気づいていた。
黙々と丸太を削っていたその手を止め、ゆっくりと顔を上げる。表情はいつもどおり無機質で冷静。だが、その眼差しにはかすかに警戒の色がにじんでいた。
ルナは迷いなく彼の前へ歩み寄る。
焚き火を囲む仲間たちの間に、張り詰めた沈黙が広がった。
火のはぜる音すら、妙に大きく響いて聞こえる。
シャアラは両手を胸の前で組み、震える声でつぶやいた。
「……ルナ、すごく怖い顔をしてる」
チャコは気まずそうに耳を倒し、目を伏せた。
「しゃあない……ウチが口滑らせたせいや」
誰もが息をのむ中、ルナはリュウジの正面に立ち、揺るぎない眼差しを向けた。
その瞬間、焚き火を囲んでいた皆が――ただ事ではない、嵐の前の静けさのような空気を、肌で感じていた。
ルナは一歩、焚き火の灯りから踏み出し、リュウジを真正面から見据えた。
「リュウジ……どういうこと?」
その声音は、普段の朗らかさを失っていた。
仲間を守るリーダーとしての強い意志と、抑えきれない苛立ちが混じった響きだった。
リュウジは作業を続けるでもなく、ただ無言でルナを見返す。
彼の瞳は澄んでいて、何一つ揺らいでいないように見える。
「こんなに早く丸太を仕上げられるわけないって、ずっと考えてた。チャコに聞いたわ。夜中に……ずっと作業してたんでしょう?」
ルナの言葉は鋭く、焚き火の音に混じって仲間たちの耳に突き刺さった。
リュウジは少しの間を置いて、低く答えた。
「ああ。……それがどうした」
短い言葉に、ルナは息を詰める。
「どうしたじゃない! 無理しないでって、私、何度もお願いしたはずよね。チャコだって心配して……」
「心配する必要はない」リュウジは冷たく遮った。「俺は平気だ」
その冷淡な響きに、ルナの胸がぐっと痛む。
「平気なわけないでしょ!」
思わず声を張り上げていた。
「人は眠らなきゃ、心も体も壊れるんだよ! そんなの、あなただって一番よく知ってるはずでしょ!」
焚き火の周りで見守っていたメノリやシャアラが息をのむ。
普段は朗らかなルナが、こんなにも強い語気で誰かを責めるのは珍しかった。
しかしリュウジは顔色一つ変えず、わずかに目を伏せた。
「……眠れないんだ」
小さく、だが確かに届く声だった。
「だから作業をしている。手を止めていると、余計に思い出す」
一瞬、焚き火のはぜる音だけが響いた。
仲間たちは誰も口を挟めなかった。
ルナは拳を握りしめ、彼の言葉を飲み込んだ。
胸の奥に熱いものが込み上げ、叱りつけたい気持ちと、支えたい気持ちが交錯する。
やがて彼女は少し震える声で言った。
「……それでも、私たちを心配させていい理由にはならない。あなたが無茶したら、私たちはもっと困るんだよ」
リュウジはようやく視線を上げた。
焚き火の炎が揺れる瞳の奥には、疲れと、それでもなお仲間のために動き続けようとする固い意志があった。
「……ああ」
その一言に、ルナは胸の奥がほどけていくのを感じた。
完全な納得でも、完全な和解でもない。
それでも――彼が自分の言葉を受け止めたのだと、確かに分かった。
ルナは深く息を吐き、ほんの少しだけ口元を和らげる。
「……お願いだから、ちゃんと休んで。リュウジが倒れたら、困るのは私たちみんななんだから」
彼は答えず、ただ視線をそらして再び作業に向き直った。
⬜︎⬜︎⬜︎
焚き火の炎がパチパチと弾け、沈黙を埋めるように火の粉が空へと舞い上がっていった。
誰もが言葉を失っていたが、その沈黙は先ほどまでの張り詰めたものではなく、少しずつ柔らかさを帯びていった。
「……ルナ、よく言った」
メノリがわずかに口角を上げ、短くそう告げる。普段は厳しい調子の彼女の声音に、労いの色が混じっていた。
その隣でシャアラが胸に手を当て、ほっと息を吐いた。
「よかった……本当に、ルナがいてくれて」
彼女の目元には涙が光っていたが、それは安堵の涙だった。
ハワードは肩をすくめ、大げさに首を振ってみせる。
「まったく……リュウジは相変わらず頑固すぎるね。でも、まあ……あれなら大丈夫だろう」
その軽口に、ベルが思わずくすりと笑った。
「……そうだな。あいつなら無茶しても、最後には立ってる気がする」
子どもっぽく欠伸をかみ殺したシンゴが、少し気まずそうに頭を掻いた。
「でも、僕も無理しすぎないようにするよ……。リュウジにだけ言うの、ずるいもんな」
チャコはしっぽを揺らしながら、焚き火の炎に目を細める。
「……ま、しゃあないわな。リュウジはああいう奴や。せやけど、ルナが釘を刺してくれたんや。これで少しは気ぃ抜くやろ」
その言葉に、皆が笑みを交わし合った。
火を囲む輪の中に、やっと穏やかな温かさが戻っていた。
ルナは少し赤くなった頬を両手で押さえながら、焚き火の炎をじっと見つめた。
まだ不安は消えない。けれど、確かに心の奥に小さな安心の灯がともっていた。
風が吹き抜け、木々のざわめきが焚き火に写っていた。
ルナはリュックを肩に掛け、木陰から全体を見渡す。
「さて……今日はチャコに作業の段取りをお願いしよう。細かい調整や測定は私達には無理だもの」
チャコは前足を地面にトントンと叩きながら、関西弁で答える。
「ほな、今日の作業やけどな。丸太の削りを続けつつ、鉄板を固定する枠組みを少しずつ組む。シンゴは測量と調整、ウチとは削りの仕上げをやるで」
ルナは頷き、全員の顔を見渡す。
「ベルやハワード、カオル、メノリ、シャアラは周囲の安全確認や運搬の補助、記録や食料管理をお願い。無理はしないでね」
リュウジは腕を組んで立ち、淡々と口を開く。
「俺も作業に加わる。削りを手伝えば進みが早くなる」
ルナは眉をひそめ、声を強めた。
「リュウジ……! 昨日まで無茶して寝てなかったのに、まだ作業するつもり?」
リュウジは表情を変えず、淡々と答える。
「無理はしてない。作業を進めるためだ」
ルナは少し苛立ちを込めて、焚き火の向こうの仲間たちに向かって声を張る。
「うるさい! 今日は大人しくしてなさい!」
チャコが横で小さく笑いながら、シンゴに向けて呟く。
「しゃあないな、ルナの言う通りや。今日は様子見やで」
ルナは深呼吸をして、気持ちを落ち着けながら言った。
「みんなだって疲れてるんだよ。リュウジ一人が突っ走ったら、結局困るのは私たち全員なの。だから今日は、大人しく見てること。それも大事な仕事!」
リュウジはルナをちらりと見て短く「ああ」と答えると、再び黙々と作業に戻った。
ルナは少し胸の苛立ちを押さえ込み、作業を始める仲間たちに目を向ける。
「じゃあ、作業開始。私たちは私たちでできることをやろう!」
仲間たちは頷き、それぞれの持ち場に向かう。ベルは慎重に丸太の周囲を巡り、ハワードは枝や小物を整理する。カオルは無言で周囲を見守り、必要に応じて手を差し伸べる。シャアラとメノリは道具や材料の整理を行う。
そして丸太作業の指示は、チャコが前足を地面にトントンと叩きながら始める。
「よっしゃ、今日の作業は丸太の削りや!まずは長い方から表面を均すで。シンゴ、角度計算しながら削るんや。ベル、枝や小物はどかして、作業の邪魔にならんように頼むで」
シンゴは頷き、目の前の丸太を前後に動かしながら正確に削る。チャコは削る面の順序や角度をチェックし、声をかけ続ける。
「そこの角、まだ凹んでるわ。シンゴ、もうちょい左や。力の入れすぎは割れにつながるで、慎重にな」
ルナは横目で作業を確認しつつ、他の仲間のサポートに回る。道具の整理や測定結果の確認など、全体の流れを止めないよう気を配る。
ルナは横目で見ると、言いつけを守ったリュウジが、丸太作業を一時中断して湖のほとりで釣りをしている姿が見えた。静かに立ち、水面をじっと見つめるその背中には、無理をせず自分のペースを守る決意が滲んでいる。ルナは軽く頬を緩め、心の中で「偉い……ちゃんと休んでる」と思う。
チャコは作業の指示を続ける。
「シンゴ、もう少し左の面を均せ。ベル、枝はまとめて置いとくんや」
作業が進むにつれ、丸太は滑らかに削られ、形が整っていく。シンゴもチャコの指示通りに角度を微調整し、確実に作業を進める。ルナは手伝いを最小限に抑え、全体の進行と安全確認に集中した。
湖の方では、リュウジが黙って釣りを続ける。時折、魚が掛かると静かに糸を巻き上げ、慎重に釣り上げる。ルナはその姿を横目で見ながら、彼が作業に加わらない分、自分たちの安全と効率を守る責任を改めて強く意識する。
午後の光が森の木々に差し込み、丸太の加工は着実に進む。チャコの的確な指示でシンゴは手際よく削り続け、ルナはサポートに徹しつつ、リュウジが釣りをしている湖の方向を時折見つめる。彼の姿は穏やかで、でもどこか孤独な空気を漂わせていた。
「シンゴ、削り具合はどうや?次は短い方に取りかかるで」
シンゴは頷き、丸太の端を微調整する。チャコはさらに細かく指示を飛ばし、作業は午後いっぱいで一区切りつく。丸太は整い、削り残しもほとんどない。
ルナは仲間たちを見渡し、安堵の息をつく。そして湖を見ると、リュウジは釣り糸を竿に巻き付け、釣りは終わっている。
「今日は全員でシャトルに帰るからね」
ルナは手を広げ、仲間たちに告げた。彼女の声には、朝の作業での厳しさを思い出させるような、ほんのりとした厳格さが混ざっている。
その言葉を聞いて、リュウジは口元にわずかに渋い表情を浮かべた。チャコも耳をぴくっと動かし、シンゴは眉をひそめた。しかし、誰一人として口を出す者はいなかった。今朝、ルナが「今日は大人しくしなさい!」と怒った姿が頭の中に浮かんでいたからだ。
□□◆□□
森を抜け、砂浜に降り立つと、目の前にはバケツから溢れんばかりの魚が整然と並んでいた。さすがに丸太作業を休み、湖での釣りに徹したリュウジの成果は圧倒的である。
メノリは目を丸くし、リュウジを見つめた。「なんでもできるんだな…」と、彼女らしい感嘆がもれる。感心とともに、どこか彼に対して尊敬の念を抱いている様子だ。
「これで腹いっぱい食べれるぜ!」ハワードは大きな声で叫び、バケツに手を伸ばして魚を手に取る。わがままでお調子者だが、仲間の前では純粋に喜ぶ様子が垣間見える。
ルナは微笑み、「ありがとう」と告げた。彼女の笑顔には、皆に安心感を与える柔らかさがあり、同時に「今はこれで十分」と、静かなリーダーとしての落ち着きも感じさせる。
リュウジは黙ったまま釣りの道具を片付ける。チャコは少しだけ肩をすくめて、「今日はもう作業せんのか…?」と問いかけるが、ルナの視線に押されて黙り込む。シンゴも渋々ながら頷き、丸太作業の続きはまた明日という暗黙の了解のもとで全員が動き出す。
砂浜を歩く足音、波の穏やかな音、そしてバケツに入った魚たちの静かな存在感。それらすべてが、仲間たちに小さな安堵と連帯感をもたらしていた。ルナは皆の背中を見ながら、「今日はしっかり休んでね」と心の中で思い、仲間と共にシャトルへと戻った。
海風がやわらかく頬を撫で、夕方の光が砂浜を黄金色に染める。その光景は、今日一日の成果を静かに讃えるかのようで、ルナの胸にも小さな満足感が広がった。
⬜︎⬜︎⬜︎
夜の帳がすっかり降り、シャトルの周囲には焚き火の赤い光だけが柔らかくゆらめいていた。夕食を終えた仲間たちは、次々とシャトルの中へと戻り、賑やかだった空気も次第に静けさを取り戻していく。砂の上に打ち寄せる波の音と、火のはぜる乾いた音だけが、夜を刻んでいた。
火の番に残ったのはリュウジだった。彼は膝を抱えるようにして焚き火の前に腰を下ろし、手にした枝で赤々と燃える薪を突き、崩れかけた炎を整えている。炎が彼の横顔を照らし出すたびに、深い影が生まれ、彼の表情をさらに硬く見せていた。
その背に、静かな足音が近づいた。ルナだった。シャトルの入り口に立ち、しばし迷うようにしてリュウジの背中を見つめていたが、やがて一歩踏み出し、焚き火の輪へと入っていく。
「リュウジ」
声をかけると、リュウジは小さく振り返った。しかし返事はなく、ただ再び炎へと視線を戻すだけだった。ルナは焚き火の反対側に腰を下ろし、炎を間に挟んで彼の姿を見つめる。
「今日は……その、ごめんね。怒ったりして」
ルナの声は、日中の厳しさとは違い、焚き火の炎のようにやわらかく揺れていた。彼女は両膝を抱え込み、顔を少し伏せる。昼間の自分の声の強さを思い返すと、胸の奥に小さな棘が刺さるような気がした。
しかしリュウジはやはり何も言わない。火の粉が弾ける音だけが、会話の代わりに二人の間を満たした。
「でも……」ルナは少し息を吸い込み、勇気を込めて言葉を続けた。「素直に休んでくれてありがとう」
焚き火の炎がルナの瞳に反射し、揺れる光を宿した。彼女はその光の奥で、返ってくるかどうかもわからない答えを求めるように、慎重に口を開いた。
「ねえ、眠れないって……どういう意味なの?」
その問いに、リュウジの手がわずかに止まった。薪を突いていた枝が、ぱきっと音を立てて折れる。だが彼はそれ以上の動きを見せず、ただ折れた枝を火の中へ投げ込み、炎に呑まれていくのをじっと見つめていた。
返事はなかった。ルナはそれ以上急かさなかった。彼の瞳の奥に、言葉では説明できない影があるのを感じてしまったから。無理に踏み込むことは、彼をさらに遠ざけてしまうと直感した。
しばらく二人は黙ったまま、焚き火の赤い光に包まれていた。炎は穏やかに燃え続け、夜風が時折、火の粉を空へとさらっていく。
やがてルナは静かに口を開いた。
「……今は、無理に話さなくていいよ。私に話してもいいって思えるときがきたら、そのときに聞かせてほしいな」
その言葉には責める色もなく、ただ彼を受け止めようとする優しさだけがあった。ルナは微笑むと、立ち上がり、砂を踏む小さな音を残してシャトルの方へ歩き出した。
リュウジは背中を見送ることなく、焚き火を見つめ続けた。だが彼の胸の奥には、ほんのわずかに、ルナの言葉が残した温もりが広がっていく。
シャトルの扉が閉じる音が静かに夜に溶け、再び波と火の音だけが響く世界へ戻る。リュウジは膝を抱いたまま、燃え盛る火を見つめていた。その表情は、いつもの冷たい硬さの中に、かすかな揺らぎを宿していた
夜はなお深く、焚き火の赤い炎はゆらゆらと頼りなく揺れていた。リュウジは腕を膝にかけ、頬杖をつきながら、その炎をただ無言で見つめ続けていた。
火の光は彼の横顔を赤く照らし、影は深く落ちる。その影の奥には、誰も踏み込めない孤独が張り付いていた。彼の耳に届くのは薪のはぜる音と、波が砂を舐める音、そして心の奥で決して消えることのないあの夜の記憶――。
──あのとき、もしも別の選択をしていたら。
──あのとき、もっと早く判断していたら。
頭を振っても消えない影が、胸の奥でじわじわと広がっていく。だから彼は眠れない。目を閉じれば、夢のように再現される光景がある。火を噴く機体の残骸、聞こえてきた絶叫、そして手を伸ばしても届かなかった幻影。
「……」
リュウジは唇を固く結び、薪をつついた。火の粉が弾け、黒い空へと消えていく。まるで自分の想いが、触れられる前に掻き消えてしまうかのように。
先ほどのルナの言葉が、ふと胸をよぎる。
――「私に話してもいいって思えるときがきたら、そのときに聞かせてほしいな」
その声は確かに優しかった。押しつけでもなく、強制でもない。ただ「待っている」と告げるような、穏やかな響き。
だが、リュウジの胸は重かった。知ってしまえば、ルナも、仲間も――もう元の無邪気な笑顔ではいられなくなるだろう。
「……俺なんかに、言えるわけないだろ」
低く、自分に向けるように吐き出した声は、焚き火の中に吸い込まれ、消えていった。
時間の感覚は薄れ、ただ炎を守るように薪を足し続ける。その間にも夜はゆっくりと薄れていき、東の空がわずかに白んでいく。焚き火の赤が弱まるにつれて、夜明けが近いことを告げていた。
やがて、柔らかな朝の光が砂浜を照らし始めたころ。背後から足音が近づいてきた。リュウジは振り返らなくてもわかった。軽やかで、それでいてしっかりとした足取り。
「リュウジ」
声をかけてきたのはカオルだった。いつもの落ち着いた声音で、彼女は焚き火のそばに腰を下ろす。まだ眠気の残る目を細めながら、火の残り火を見つめた。
リュウジは軽く頷き、返事をしないまま視線を炎へ戻した。
「夜通しだったんだろう?」
カオルが問いかけると、リュウジは一瞬だけ肩をすくめるように動かした。肯定とも否定ともとれない仕草だった。
カオルはそれ以上追及しなかった。ただ、朝日を浴びて変わっていく海の色を眺めながら、しばし沈黙を共にした。その空気は責めるでもなく、干渉するでもなく、ただ「隣にいる」という事実だけを静かに伝えていた。
リュウジは無言のまま炎を見続けたが、その横顔には先ほどまでの硬さとは違う、わずかな緩みが浮かんでいた。夜を越えて迎えた朝の光が、彼の胸の奥の影をほんの少しだけ薄めていた。
朝の光が強さを増し、焚き火の赤と東の白が交じり合う。まだ冷たい空気の中、カオルは両手を膝に置いたまま、静かに火の残りを眺めていた。
「……もしルイが生きていたら今のお前を見て、なんて声をかけたんだろうな」
不意に、カオルが口を開いた。その声は低く、だが迷いなく響いていた。
「……隣でうるさいくらい励ましてくれたんじゃないか?」
リュウジは重い口を開いた。
「かもしれないな、あいつは優等生であり、それと同時に高い人間性を持っていた」
淡々とした口調だったが、その奥には言葉にできない重みがあった。焚き火の火の粉がパチリと弾け、二人の沈黙をつなぐ。
リュウジはしばし黙り込み、わずかに口元が緩んだ
「……アストロノーツ(宇宙飛行士)養成学校の時は楽しかったな。いつも1位の俺に勝てなくても楽しそうにしているルイと3位で悔しそうにしているカオル」
リュウジの記憶は懐かしいあの頃へと戻っていた。
「‥‥‥実践では負けてなかった」
カオルは首を横に振る。彼なりの負け惜しみなのだろう。穏やかに話を聞いていたカオルの表情はいつしか一変し、強張った表情になっていった。
「だがそんなくだらない対抗意識からルイと宇宙での共同実習中に事故で……」
リュウジは炎を見つめる瞳を細めた。
「……あれは誰のせいでもない。お前は知らないかも知れないがあれは学校側の責任だ。訓練生にあんな危険な航路を運航させ、エマージェンシーに巻き込んだな。だからお前が気にすることは何もないんだ」
それでもカオルの表情は変わらなかった。
「だが俺は!!………すまない」
急な大声にカオルはハッと我に返った。
もちろんリュウジは特に気にしているわけではなかった。
「……あの時、何が起きたのか、詳しくは知らないが、まだ悩んでいるならルナに相談してみろ」
カオルは首を傾げた。
「何故だ?」
「前に言っていただろう、あいつなら心を開いてくれるかもって、それに……」
リュウジは一度、咳払いし続けた
「あいつなら何とかしてくれるかもしれないと思っただけだ」
カオルは大きく眼を見開いた。
「……その時がくればな」
カオルの口元がわずかにゆがんだ。
そして
「リュウジ……」
リュウジは小さく目を動かした。焚き火の奥に視線を据えたまま、耳だけをカオルに傾けている。
「お前はあの悲劇のフライトで何があったんだ………エンジントラブルや隕石群の遭遇だけでお前があんな事故を起こす筈がないだろう…」
宇宙飛行士としての腕はリュウジよりもカオルはよく知っているつもりだった。
養成学校ではいつも争いつつも、内心では認めていた人物の一人だったからだ。ニュースで流れていた内容が真実だとはカオルは微塵も思っていなかった。
だがリュウジは口を開くことはなく、それ以上の会話はなかった。だが、朝日が完全に昇る頃、二人の間には昨夜までなかった僅かな「理解」の気配が漂っていた。
焚き火の火は、もう役目を終えるかのように小さく燃え続けていた。
⬜︎⬜︎⬜︎
翌朝。
シャトルの外に張り巡らされた布のカーテン越しに、淡い朝の光が差し込んでいた。潮の匂いを帯びた風が吹き込み、夜通し焚き火に当たっていた身体をやさしく撫でる。
ルナは火で炙った魚を手に取り、かじりながら辺りを見回した。みんなもそれぞれ、簡素ながらも温かな朝食を口にしている。焼けた魚の香ばしさと、昨夜の焚き火の残り香が混ざり合い、この星での暮らしが少しずつ形になりつつあることを感じさせた。
「……ねぇ、シンゴ、チャコ」
魚をほぐしながら、ルナが口を開いた。
「今日の家造り、どんな作業を進める予定なの?」
呼びかけられたシンゴは、魚の骨を丁寧に取り除きながら顔を上げる。まだ目の下には少し眠気の影が残っているが、その瞳は期待で輝いていた。
「うん。今日からは滑車を取り付けて、大いなる木の上に材料を運ぶんだ。まずは枠組みになる丸太を二本、それと鉄板をひとつ」
「枠組み……いよいよ形が見えてくるんやなぁ」
チャコはヒゲのようなセンサーを揺らしながら、関西訛りの声で感心したように言った。
「丸太を下で削るんは地道な作業やったけど、ここからは一気に“建物らしさ”が出てくるはずや」
ルナはパンと手を合わせ、小さく頷いた。
「なるほど……いよいよ大仕事って感じね」
鉄板や丸太を大木の上に運ぶ――それがどれほど大変か、ルナにも想像がついた。今までの力仕事に加えて、高所での作業も加わるのだ。危険も増す。だが同時に、ついに「家の完成」に近づいているという実感が胸を熱くさせた。
「でも、その分大変やろうな」
ルナは少し険しい表情を浮かべ、シンゴとチャコを見つめた。
「安全第一でやってね。丸太や鉄板を落としたら怪我じゃすまないし」
「分かってる」
シンゴは力強く頷く。
「だから滑車を使うんだ。重いものを効率的に持ち上げる仕組みなら、僕たちでもやれるはずだよ」
「そういうことや」
ルナは思わず笑みをこぼした。
「ほんと、頼りにしてるわ。……じゃあ私達は、材料を運ぶサポートや食事の準備、できることをしっかりやるから」
その言葉に、メノリやシャアラも静かに頷いた。彼女たちも「自分にできること」を分かっているのだ。
ルナは魚を食べ終えると、焚き火の残りに木片を足しながら、皆を見渡した。
「さあ、今日も気を引き締めていこう。滑車での作業、初めてのことだから慎重にね」
シンゴとチャコは真剣な表情で頷き合い、ハワードとベルは「怪我すんなよよ!」と笑い交じりに声をかけた。
――新しい一日が、ここから始まろうとしていた。
⬜︎⬜︎⬜︎
朝食を終えた一行は、それぞれ荷物を背に担ぎ、砂浜から大いなる木へと向かった。空はすでに白み始め、薄い雲の切れ間からは強い日差しが差し込んでいる。遠くから潮騒と鳥の鳴き声が交じり合い、生命に満ちたこの惑星の一日が本格的に始まろうとしていた。
ルナはリュックの紐をぎゅっと握りしめ、隣を歩くシャアラに微笑みかける。
「今日からは、いよいよ本格的な建て方に入るんだね。なんだか胸が高鳴るわ」
「うん……私も。けど、ちょっと怖いな」
シャアラは不安そうに足元を見つめながら言う。その声には期待と不安が入り混じっていた。
「大丈夫よ。みんなでやるんだから」
ルナはそう言い切り、彼女の肩を軽く叩いた。
やがて、巨大な枝を広げる「大いなる木」が目の前に立ち現れる。陽光を受けて緑がきらめき、堂々とした姿はまるで空に橋をかけるかのようだった。
「さぁ、始めよか」
チャコが腰に取り付けた工具を鳴らしながら、丸太や鉄板の置かれた場所へ歩み寄った。
シンゴはすぐさま丸められた図面を取り出し、広げて皆に見せた。
「まずは、ここに滑車を取り付ける。大木の幹に太いロープをぐるぐる巻きにして、その上に固定するんだ。滑車さえ付けば、重い丸太も上に引き上げられる」
「なるほどな」
カオルは腕を組み、幹をじっと見上げた。
「高さは相当ある。ロープの結び方ひとつでも命取りになるぞ」
「その確認は私がする」
メノリが一歩前へ出た。厳しい口調だが、その表情には仲間を思う真剣さが滲んでいる。
「安全を徹底しなければならないだろう」
「そうだね」
ルナも同意して頷いた。
「誰か一人でも怪我をしたら、作業どころじゃなくなるもの」
リュウジは黙ったまま、釣り竿を肩に掛けたまま全体を見回していた。その眼差しは鋭く冷静で、まるで何かを測るように木の高さや枝の太さを確認している。だが口を開くことはなく、ルナの視界の端で淡々と歩き続けているだけだった。
準備を終えたチャコとシンゴは、大いなる木の幹に取り付き、ロープをかけ始めた。
「シンゴ、そっち引っ張って!」
「うん、分かった!」
二人の息が合い、縄がきしむ音と滑車の金属音が響く。やがて高い位置に滑車が取り付けられ、ロープが下へ垂れ下がった。
「よし、これで持ち上げられるはずや!」
チャコが声を上げた。
「じゃあ、まずは丸太ね」
ルナは仲間たちに呼びかける。ベルとハワードが丸太の端を担ぎ、ロープに結び付ける。重さで地面が沈むほどの丸太が、仲間たちの力を合わせてゆっくりと宙に浮かび上がっていった。
「おお……!」
シャアラが思わず声を漏らす。
「気を抜くな!」
メノリが鋭く指示を飛ばす。
「少しでも揺らせばバランスを崩すだろう!」
ロープが軋み、額に汗が滲む。だが、皆の息がぴたりと合い、やがて丸太は大木の上の足場へと収められた。
「成功だ!」
シンゴが声を上げ、皆が歓声をあげる。
続いて二本目の丸太も同じ要領で引き上げられた。仲間たちは疲れを見せながらも達成感に満ちた表情をしていた。
「次は鉄板やな」
チャコが指差す。黒光りする鉄板は、丸太以上に重たく、取り扱いが難しそうだった。
「気を引き締めていくよ!」
ルナが皆を鼓舞するように叫ぶ。
その声に応えるように、仲間たちは再び力を込め、鉄板をロープに結わえて持ち上げ始めた。
⬜︎⬜︎⬜︎
金属が太陽の光を反射し、鈍い輝きを放ちながら少しずつ上へと昇っていく。重さにロープが悲鳴を上げるが、チャコの冷静な指示とシンゴの工夫で、鉄板は揺れることなく上へと収められていった。
「よし……! これで今日の目標は達成や!」
チャコの声に、一同の顔がぱっと明るくなる。
ルナは仲間たちを見渡し、誇らしげに微笑んだ。
「みんな、本当にお疲れさま。危ない場面もあったけど、無事に終わってよかった」
高揚と安堵に包まれたその場に、爽やかな風が吹き抜けた。
大いなる木の上に並んだ丸太と鉄板――それは確かに、この惑星での「新しい家」の輪郭を形づくり始めていた。
大いなる木の幹の上は、見下ろすだけで足がすくむ高さだった。丸太を二本並べて架け渡した枠組みは、まだ頼りない。だが、ここに楔を打ち込み、しっかり固定できれば、ようやく“土台”と呼べるものになる。
「シンゴ、楔をこっちに渡して!」
声をかけると、シンゴが腰に下げていた小さな袋から木片を取り出し、慎重に差し出してくれる。手渡された瞬間、ルナの掌に伝わるのは生木のざらついた感触。これが彼らの命を守る拠点の一部になるのだと思うと、胸の奥が熱くなる。
リュウジは丸太の端にしゃがみ込み、片手でしっかり支えながら、反対側のベルと息を合わせて位置を微調整していた。
「もう少し右だ、ベル。……そう、そこだ」
普段はぶっきらぼうな声音が、このときばかりは真剣で落ち着いていた。ベルも黙ってうなずき、汗を額に滲ませながら重い丸太を支え続ける。
「よし、ルナ、今だ」
リュウジの合図に、ルナは槌を握り直し、楔を丸太と丸太の隙間に差し込んだ。最初の一撃は、乾いた音を立てて木の繊維を割り広げる。二撃、三撃。槌の衝撃が腕に響き、体ごと弾かれるような感覚がある。だが、そのたびに丸太同士の隙間が縮まり、がっちりと噛み合っていくのが分かった。
下から見上げていたチャコが、小さな手を口に当てながら声を漏らす。
「すごい……本当に、お家になってきた……!」
楔を打ち終えると、ルナは息を吐き出し、手のひらで額の汗を拭った。緊張で喉が渇いていたが、心の中には小さな達成感が芽生えていた。
だが、その横でリュウジはまだ気を抜いていなかった。丸太の端を叩き、強度を確かめるように音を聞き分ける。
「……悪くないな。これなら、次の段階に進める」
その表情は険しいままだが、わずかに口元が緩んでいるのをルナは見逃さなかった。
「ねえ、リュウジ」
思わず声をかけると、彼は顔を上げて目を細めた。
「なんだ」
「ありがとう。あなたがいなかったら、きっとここまでできなかった」
ルナがそう言うと、一瞬だけ彼は返事を忘れたように黙り込み、視線を逸らした。
「……礼なんていらない。生き延びるためだ」
それでも、その声には前より少しだけ柔らかさが混じっていた。
⬜︎⬜︎⬜︎
丸太の枠組みがしっかり固定されると、次は鉄板を床として敷く作業だ。
最後の鉄板が枠組みに収まると、木の上はようやく「床」を持つ拠点らしい形になった。
私は槌を置き、手のひらで額の汗をぬぐう。高所の作業で全身が疲れ切っていたが、その疲労の先にある達成感は言葉にできないほど大きかった。
「やった……やったよ、みんな!」
思わず声を弾ませると、ベルが笑顔で手を挙げ、シンゴも照れくさそうに両手を叩く。
「ウチの目測も正確やったやろ! 鉄板一枚もずれとらへんで!」
チャコが得意げに胸を張る。私も笑いながら頷いた。
「ありがとう、チャコ。君のおかげで全部きれいに収まったわ」
リュウジは冷静に鉄板を叩いて強度を確認する。
「……悪くないな。これなら寝床としても問題ない」
その冷たい声に混じるわずかな安堵が、私の胸を温めた。
シャアラは小さなため息をつきながら、そっと床に腰を下ろす。
「……ここなら、少し安心できそう」
彼女の声に、私は自然と微笑む。みんながこの拠点で安全に眠れる、そう思えた瞬間だった。
「よし、今日の作業はここまでだ。全員、お疲れ」
私の言葉に、仲間たちは互いに笑顔を交わす。普段はぶっきらぼうなリュウジも、肩の力が抜けたように床に腰を下ろした。
⬜︎⬜︎⬜︎
目の前に広がる鉄板の床。その一枚一枚が、私たちの努力と協力の証だった。怖くても、疲れても、互いを支え合って乗り越えた結果――それが、この形として確かにここにある。夕陽が森の奥に沈みかけ、柔らかなオレンジ色の光が大いなる木の上に差し込む。床に腰を下ろし、丸太に並べた簡易テーブルの上に、今日の狩りや採集で得た食材を広げる。
今日はルナの提案で大いなる木の上で一泊することとなった。
「いただきます!」
私の声に、みんなが元気よく応え、鉄板の上に置かれた料理に手を伸ばした。ベルは照れくさそうに顔を赤くしながら、慎重にお皿を運ぶ。
「おい……これ、すげぇな」
思わず呟いたのはハワード。彼はいつも通りふざけた口調だが、目は輝いていた。
「ウチの魚、焼き加減バッチリやろ! 焦げてへんで!」
チャコが得意げに胸を張ると、シャアラは小さく笑った。
「……本当に、焦げてないわね」
彼女の声には、いつもの不安げな雰囲気はなく、ほっとした安心感が漂う。
シンゴは小皿を持ちながら、真剣な顔で
「僕、この野草スープ、栄養価を計算してみたんだ。たぶん、明日の活動に十分なエネルギーになるはず」
と言う。皆が頷きながらスープをすすり、微笑む。
メノリは少し離れた場所で、母の形見のヴァイオリンケースを横に置き、黙って味わうように食べていた。私はそっと目を向け、心の中で「今日は皆で無事にここまで来られた」とつぶやいた。
リュウジはいつものように冷静に食べながらも、私の目をちらりと見る。口数は少ないが、今日の達成感が彼の表情ににじんでいるのが分かる。
「おかわり、欲しい人ー?」
私が聞くと、チャコが勢いよく手を挙げて
「ウチ、二杯目もらうで!」
と叫ぶ。ベルも恥ずかしそうに手を上げ、ハワードは満面の笑みで
「俺も! てか、全部食っちまうよ!」
と騒ぐ。
笑い声が大いなる木の上に広がり、夕暮れの風が優しく混ざる。ここにいる全員が、今日一日の努力を讃え合い、ただ一緒にいることを楽しんでいた。
私も心の底から笑いながら、仲間たちの顔を見渡す。疲れも不安もあるけれど、こうして皆と囲む食事は、何よりの宝物だと思えた。
⬜︎⬜︎⬜︎
夕食の片付けが終わると、夜の冷たい風が木の上を吹き抜けた。森の暗闇が広がる中、拠点の周囲に簡易の見張りを配置する。夜は危険が増す――それを誰もが理解していた。
「カオル、シンゴ、今日はこっち側を見張って」
私が指示を出すと、二人は無言で頷き、鉄板の床の端に立った。ベルも私の隣に腰を下ろし、目を細めて暗闇を見つめる。
チャコは懐中電灯代わりの小型ライトを抱え、嬉しそうに
「ウチ、暗視モードもあるで。ちょっと見とくわ!」
と関西弁で報告する。シンゴが技術的な操作方法を手短に指示し、チャコが機械音と共に光を微調整する。
「……なんだか、星がきれいだな」
シャアラが小さな声でつぶやく。私はふと上を見上げると、満天の星空が広がり、深い宇宙の静けさが胸に染み込む。
「ここまで来られたのも、皆のおかげだろう」
カオルがぽつりと言った。その声は無愛想で冷静だが、仲間への感謝と、少しの安堵が滲んでいる。私は心の中で微笑む。
「ねえ、ハワード。今日は星座、数えられる?」
私が振ると、彼は得意げに胸を張り
「もちろん! 俺が数えたら、絶対もっと面白い星の形見つけられるぞ」
と言って、皆の笑いを誘った。
メノリは少し離れた場所で、ヴァイオリンケースを開き、静かに弦を弾き始める。夜風に混ざる旋律は、森の闇の中で不思議な安心感を生む。
「……みんな、落ち着くだろう」
私は小さく頷く。規律や強さを重んじるメノリも、今はただ皆と同じ静かな時間を共有している。
「ウチも見守りしながら、たまには星、見てええか?」
チャコが笑顔で言い、私たちはうなずく。小型ライトの光が森をほんのり照らしつつ、星空を見上げる時間は、今日一日の疲れを忘れさせる特別なひとときだった。
私たちは言葉少なに、しかし互いの存在を感じながら、星空の下で静かに座った。疲れても、恐くても、互いに支え合えば夜も越えられる――そんな思いが、胸の奥でじんわりと温かく広がった。
◇◇◇
数日間の作業を経て、鉄板の床は全て敷き終わった。拠点の形は少しずつ家らしくなり、次は壁を作るためにさらに木材を大いなる木の上へ運ぶ作業だ。
「よし、みんな! 今日は壁用の丸太を上げるぞ!」
メノリが声を出すと、仲間たちは蔓を握り、木材を引き上げる準備にかかる。
「ベル、右手をもっと強く! シンゴ、ロープの角度を調整して!」
メノリはいつも通り、指示を飛ばしながら皆を鼓舞する。
1回目の木材がようやく大いなる木の上に上がると、全員息を切らし、汗で髪が額に張り付いた。
「ふぅ……」
ハワードが大きく息を吐く。ベルも手のひらを拭きながら肩で息をする。
「あと三回だ! がんばれ!」
メノリの声は力強く、まるで怒鳴るように響く。仲間たちは疲れを押して、再び蔓を握った。
だが、2回目の木材を上に運ぼうとしたとき、ハワードが眉をひそめた。
「ちょっと待てよ! メノリ、お前さ、指示ばっか出して肉体労働してねぇじゃん!」
「指示を出すことがサボりだと思うのか。私は皆が安全に作業できるように――」
メノリは反論するが、ハワードは手を振る。
「誰も頼んでねぇって! リーダーはルナだぜ!」
その言葉に、私は間に入った。
「ハワード、落ち着いて。メノリ、今は指示を出すよりも皆と一緒に蔓を持ってくれる?」
「……わかった」
渋々、メノリは黙って蔓を握る。指示を出すことが得意な彼女だが、今は仲間と共に力を合わせることを優先した。
「ありがとう。じゃあ、皆、もう一回気を合わせていくよ!」
私の声に、ハワードもベルもシンゴも頷き、蔓を握る手に力を込める。
こうして、拠点の壁作りの作業は、指示だけではなく互いに力を合わせることで少しずつ進んでいくのだった。
「せーの!」
皆で蔓を引こうと力を入れた瞬間、メノリが突然手を離した。
「イタッ!」
思わず声を上げるメノリ。蔓の表面に小さなとげがあったのだ。
「メノリ、大丈夫?」
私は慌てて駆け寄り、シャアラもすぐ隣に来る。二人で彼女の手を確認すると、人差し指からぽたっと赤い血が落ちていた。
「大変!」
思わず私は声を上げたが、メノリはすぐに手を振って否定する。
「問題ない……少しの傷だ」
相変わらず強がりで、顔には痛みを隠した険しい表情がある。
それを見たベルが眉をひそめる。
「小さな傷でも、バイキンが入ると危ない」
私は頷きながら、シャアラに目を向ける。
「シャアラ、ハンカチ貸して」
「はい……」
シャアラが手渡してくれた白いハンカチを受け取り、少し破ると言って口に咥えた。
「ん……」
ハンカチを口に咥えながら、器用に手を引っ張り裂き、破いた布をメノリの人差し指に巻きつけていく。
「これで止血になるはず。痛かったら言って」
布で軽く指を押さえると、メノリは少しだけ肩をすくめるが、黙って耐える。
「すまない……」
小さく呟くメノリの声には、いつもの強がりが薄くなり、ほんのわずかな感謝が滲んでいた。
「大丈夫だから、さっさと作業に戻ろう」
メノリはそう言ったが、皆の顔を見渡すと、仲間の手助けがあることを少しだけ素直に受け入れた様子だった。
ハワードが腕を組み、眉をひそめて文句を言う。
「なんであいつだけ休むんだよ!」
「もー、うるさいな!」
思わず私は声を荒げ、ハワードの肩を軽く叩く。
「お願い! 少し休ませてあげて。手を怪我してるんだから無理させるのは危ないの!」
ハワードは一瞬ムッとした顔をしたが、私の真剣な表情を見てため息をつく。
「……分かったよ、仕方ねぇな」
メノリは蔓から手を離し、少し離れた場所に座った。
メノリも手当てされた指を見つめ、しばらく黙って座る。普段は強気で指示ばかり飛ばす彼女だが、今日は素直に休むことを受け入れた様子だった。
「よし、皆、もう少しだ。力を合わせてあと少しだけ!」
私は再び仲間たちに声をかけ、作業の合図を送る。疲れた体に力を込めながらも、互いに支え合う気持ちが、今日の大いなる木の上での挑戦を支えていた。
全ての木材を無事に大いなる木の上に運び終え、仲間たちは疲れを抱えつつ昼食の準備を始めた。メノリは作業をすることなく、腰を下ろして静かに休んでいる。
「さて、釣った魚をさっそく焼こうか」
リュウジとハワードが手にした魚を広げる。どれも昨日より大きく、輝く銀色の鱗が光を反射していた。
「こんなに釣れるなんて、リュウジの腕に感謝だね」
ルナは笑顔で言うと、ハワードがすぐに反応する。
「僕も釣ったんだぞ!」
対抗心むき出しで胸を張る。
そこへチャコが小さな魚を手に取り、にやりと笑う。
「ハワードつったちゅんはこの魚のことか?」
小指ほどのサイズの魚を取り出すと、シャアラが目を細めて
「かわいい……」
と微笑む。
ハワードはその光景を見つめながら、声を発した。
「肉体労働をした後にやってるんだ! 働かざる者食うべからず!」
その強い口調は、作業していない自分への罪悪感や、普段の自分を正当化したい気持ちの表れだった。
「ハワード!」
ルナはすぐに静止する。しかしその言葉は、メノリには刺さった。自分の存在価値を否定されたように感じたのだ。
そっと、メノリは魚を皿に置き、黙って立ち上がる。目を伏せ、誰にも気づかれないように歩き去ろうとする。
その背中に、シャアラは小さな声で呼びかけた。
「……メノリ?」
メノリは足を止めず、森の木々の間に静かに姿を消していった。
木々の間に姿を消したメノリの胸は、まるで重い鉛を抱えているかのように締め付けられていた。普段は冷静に、厳格に指示を飛ばす自分。仲間たちを導くことが自分の役目だと信じてきた自分。
しかし、今の自分は何をしているのか――
作業もせずに座っていた。ルナの「ハワード!」の声は、仲間に守られようとする純粋な意図だったのに、私の胸には鋭く刺さった。
「……私は必要ないんじゃないか」
小さく、誰にも聞こえない声で呟く。手を伸ばせば届きそうな場所に皆がいるのに、なぜかその輪に入る勇気が出ない。
自分が指示だけで立っている存在だという事実が、悔しくて、情けなくて、胸を締め付ける。けれど、そんな弱さを見せることは、メノリにとって許されないことだった。
だから、黙って立ち去る。
その歩みはゆっくりだが、どこか固く、自分の意志で決めた行動であることを示していた。
「……でも、手を貸してほしいって言えたら、少しは楽になれるのかもしれない」
メノリは心の中でそっと自分に言い聞かせる。規律や強さだけでは支えられない、自分の弱さと向き合う時間が、今、ここに来て初めて訪れたのだった。
◇◇◇
しばらくして、メノリは静かに拠点へ戻ってきた。手には槍を握り、背中にはルナのリュックを背負っている。表情はいつも通り強張っているが、その目には決意の色が滲んでいた。
「……食料を探してくる」
低く、しかし確かな声で告げる。
「だったら、カオルかリュウジも一緒に……」
ルナはすぐに提案した。森の中は危険が多く、特に一人で行くのは心配だからだ。
「一人でいい」
メノリは一瞬も迷わず答える。言葉の端には、頑なな意志と、誰にも頼らず自分の力でやり遂げたいという強さがあった。
私は深く息を吸い込み、仕方なく頷く。
「……わかった。気をつけてね」
メノリは何も言わず、森の中へと足を進める。葉の間に光る影を縫うように歩く姿は、普段の高圧的な生徒会長の姿とは違い、孤高の戦士のようにも見えた。
遠くでそれを見つめていたリュウジは、胸の奥に妙なざわめきを覚えた。
無意識に額に手をやり、彼はしばらくメノリの背中を見つめ続ける。
普段は冷静で冷たい彼の心にも、仲間の危険を察知する直感が、静かに警鐘を鳴らしていた。森の静けさと夕陽の橙色が、彼の胸騒ぎをより鋭く映し出していた。
森の中を歩き続けると、枝や葉の間から差し込む光が揺れ、風に乗って潮の香りが混ざる。メノリは背中のリュックと手に握る槍の重みを感じながら、足元の落ち葉を踏む音に気を配る。静寂の中、遠くで何かが羽ばたく音がした。
「……ん?」
視線を上げると、森の木々の隙間から白い海鳥が翼を広げ、青い空へ飛び立つのが見えた。翼の先端が光を受けて輝き、風を切る音が小さく耳に届く。
「……もしかしたら、卵があるかもしれない」
小さく呟き、メノリは瞬時に決意する。食料の手段は限られている。森の中で見つけられる小さな木の実や根では、仲間全員を養うには不十分だ。だから、ここで手に入れられるものを逃すわけにはいかない。
海鳥を目で追いながら、森の奥を必死に進む。木の根や低い枝に足を引っ掛けそうになりながらも、メノリは一歩一歩慎重に進む。やがて視界が開け、森を抜けると、前方に断崖絶壁がそびえていた。下には波が白く砕ける浜辺が見える。潮の香りが一層濃く漂う。
「……ここか」
思わず息を呑む。崖は予想以上に高く、岩肌は風雨に削られ、滑りやすく光を反射している。下から確認すると、崖の中腹に小さな巣があるのが見えた。海鳥の羽がわずかに見え、卵の存在を示唆している。
慎重に浜辺へ降り、足場を確かめながら、波打ち際に立つ。波の音と風が耳を打ち、孤独と緊張が胸を支配する。手のひらに握る槍の感触が、まるで自分の意志を支えるかのように伝わる。
「……やるしかない」
静かに息を整え、意を決して崖に手をかける。岩肌は冷たく、ところどころに苔が生えて滑りやすい。指先の感覚を研ぎ澄まし、一本一本の岩を確かめながら体重を預ける。背中のリュックがバランスを取りにくくするが、メノリはぎゅっと肩で支え、ゆっくりと上へと登る。
崖に手をかけ、慎重に指先の力を調整しながら上へと体を持ち上げる――その瞬間、突如として腕の奥に鋭い痛みが走った。
「……っ!」
思わず息を飲む。今日、森でケガをした指先だった。ハンカチで巻いたはずの指先から、血が再び滲み、布を赤く染めている。手に伝わる冷たさが痛みを際立たせ、力を抜きそうになる。しかし、メノリは唇を引き結び、目を閉じて息を整える。
「……弱音を吐くわけにはいかない」
誰も見ていないが、自分にそう言い聞かせる。仲間の食料のため、自分の決意のため、今は後退するわけにはいかない。
指先をぎゅっと岩に食い込ませ、腕の痛みに耐えながら再び崖へ手を伸ばす。血が滲む感触が指先から伝わるが、痛みと恐怖を押し込める。呼吸を整え、足場を慎重に確認し、手と足を連動させて少しずつ上へと進む。
しかし、その瞬間だった。足元の砂や小さな岩が不意に崩れた。
「……っ!」
身体のバランスが一瞬で崩れ、背中から重力に引かれる感覚が全身を襲う。胸が跳ね、心臓が喉まで上がるような衝撃。崖を握る手から力が抜け、腕に残る痛みが一層鋭く響いた。
目の前に広がる青い空と、下の白波が砕ける浜辺。風が耳を打ち、砂と小石が体に当たる感触が伝わる。背中から滑り落ちるその瞬間、孤独と恐怖が同時に押し寄せた。
「……だ、だめっ……」
心の中で叫ぶが、身体は制御できない
背中から崖を滑り落ちる感覚――だが、不思議なことに全身に衝撃は走らなかった。まるで、空間に浮かぶかのように、ゆっくりと宙に漂う。
恐る恐る目を開けると、視界には見覚えのある顔があった。
「……リュウジ?」
思わず声が漏れる。瞬間、自分が抱きかかえられていることに気がつく。足元にはまだ崖の岩や砂が見えるが、確かに自分は安全で、重力に押し潰されてはいなかった。
リュウジの腕の中で、体を揺らさず安定している。胸の奥に、言葉にできない安堵と驚きが押し寄せる。普段の彼の冷たい口調とは違う、静かで確かな手の温もりが伝わる。
「……落ちたのか?」
リュウジが静かに、しかし鋭い目で尋ねる。その声には、心配と驚きが混じっていた。
「……あ、ああ……」
メノリは小さく頷く。強がりで孤独を誇っていた自分だが、今はそのすべてが必要ないことを理解していた。
リュウジはゆっくりとメノリを下ろし、足元に立たせる。砂浜の感触が足の裏に伝わると、初めて現実に戻ってきたことを実感する。
「……一体、何をしていたんだ?」
リュウジの問いかけは、叱責でも非難でもない。ただ純粋に、メノリが危険な状況に身を置いたことへの驚きと、理由を知りたいという真っ直ぐな関心だった。
メノリは少し俯き、背中のリュックをぎゅっと握る。言葉を選び、静かに答える。
「……食料を、仲間のために……」
リュウジはその答えを聞き、眉を少しひそめる。しかし、口元にはわずかな理解の色が見え隠れしていた。
◇◇◇
砂浜の潮風が二人の間を通り抜け、森の緑と波の音が静かに混ざる。孤独な挑戦の先で、互いに認め合う瞬間が、確かに生まれていた。
砂浜に腰を下ろしたメノリは、少しだけ肩の力を抜き、指先を海面に伸びる光の揺らぎに重ねた。潮の香りと波の音が、ここでは誰も責めず、誰も期待せず、ただ存在を受け止めてくれるように思えた。
「……リュウジ、私、言ってもいいか」
低く、少しだけ震える声で、メノリは口を開いた。
「……ああ」
リュウジは無言で頷く。その瞳は鋭くも、今は責めることもなく、ただ静かに聞く態勢だった。
「幼い頃から、私は人の上に立てるようにと、厳しく教育されてきた……」
言葉が自然と胸から溢れる。小さな頃、母を亡くした時も、悲しみを声に出すことも許されず、家の立場として、常に強くあらねばならなかった。感情を押し殺し、規律と秩序だけを重んじる日々。
「泣くことも、怒ることも、甘えることも……自分の弱さを見せることも許されなかった」
手元のリュックを握り、指先で布をぎゅっとつまむ。胸の奥にずっと押し込んできた感情が、波のように少しずつ溢れ出す。
「だから……今の私は、皆の役に立っているのか……」
その言葉は小さく、でも自分の胸をえぐるほど鋭く響いた。規律と秩序に従い、強くあろうと努力してきた自分は、本当に仲間の力になれているのか。指先の小さな震えと、心の奥にある不安が、静かな海風の中で否応なく顔を出す。
孤独に耐え、決断し、指示を出す自分。けれど、誰かに頼られたり、ただそこにいて助けになれているのかを問うと、答えは簡単には出なかった。
「……私は、誰かの支えになれているのか」
メノリは自分自身に問いかける。目の前の波が、白く砕けるたびに胸の奥に小さな不安が膨らむ。孤独を強さに変えてきた自分が、初めて心の内をさらす瞬間だった。
砂浜に座るメノリの背中は、普段の規律正しい姿勢とは違い、少しだけ揺らぎ、誰にも見せない弱さと葛藤が滲んでいた。けれど、その揺らぎこそが、仲間を思う心の証であり、これからの成長の兆しでもあった。
メノリが砂浜に座り込み、波の音に耳を傾けながら胸の内をさらすのを、リュウジは静かに見守っていた。長い沈黙の後、彼はゆっくりと前に歩み寄る。
「……メノリ」
低く、落ち着いた声で呼ぶ。けれどその声には厳しさも含まれていた。
「……?」
メノリは少し顔を上げ、半信半疑の視線を彼に向ける。
「お前は……今、弱さを見せている。でもそれでいい。弱さを認められるのも、強さの一部だ」
リュウジは静かに言葉を続ける。
「ただ……仲間のために卵を取るという目的があるなら、迷っている場合じゃない。痛みも、恐怖も、すべてはそのためにあるんだ。だから、行け」
その言葉は厳しいけれど、押し付けではない。メノリに任せる意思と、仲間のために行動しろという確かな信頼が込められていた。
メノリは肩を小さく揺らし、ゆっくりと息を整える。波の音と風が、少しだけ心をほぐしてくれる。
「……分かった」
小さく呟く声に、かすかに覚悟の色が宿る。幼い頃から誰にも弱さを見せられなかった自分が、初めて人の前で、心を少しだけ開く瞬間だった。
リュウジは頷き、手を差し伸べる。
「俺がいる。無理はするな、でも、やるべきことはやれ」
その言葉を胸に、メノリは背中のリュックを確認し、槍を握り直す。指先の痛みと血はまだ残っているが、それでも再び崖へ向かう決意が胸に湧き上がる。
「……ありがとう、リュウジ」
かすかな声で告げると、メノリは立ち上がり、再び崖に挑むための歩みを始めた。孤独の中で得た覚悟と、誰かに認められたことで少しだけ軽くなった心――その両方を胸に、彼女は一歩ずつ慎重に前へ進む。
メノリは肩で深く息を吸い、砂浜に立つ足をぎゅっと地面に踏み込んだ。指先の痛みと血の感触を確かめながらも、心は以前より少し軽くなっていた。リュウジの言葉が胸に残り、孤独の中で感じた不安を押しやる力を与えてくれる。
「……行く」
小さくつぶやき、再び崖に手をかける。腕に走る痛みを無視するように、慎重に体重を預け、指先の感覚に意識を集中させる。岩肌は冷たく、苔や小さな砂粒で滑りやすいが、手のひらと足の感触を頼りに、確実に一歩一歩登っていく。
心臓が早鐘を打つ。風が吹くたびに身体が揺れる。崖の高さに目を奪われそうになるが、メノリは深呼吸し、目の前の巣と卵だけを見つめる。手に力を込め、足場を微調整しながら進む。
やがて、崖の中腹にある小さな巣に手が届いた。そこには白くて丸い卵が二つ、揺れることなく静かに横たわっている。メノリは息を止め、慎重に指先で卵を包み込むように持ち上げた。腕の痛みも、血の滲みも、恐怖も、一瞬忘れるほどの緊張感が走る。
「……よし、取れた」
小さく呟くと、胸の奥に大きな達成感が広がった。孤独の中で自分の力で成し遂げたこと、仲間のために一歩踏み出せたことが、心を温かく満たす。
慎重に崖を降り、足元の砂浜に再び立ったとき、海風が髪と顔を撫で、波音が拍手のように響いた。手に卵を抱え、メノリは一瞬目を閉じる。心の底から、今自分は役に立てたのだと感じた。
「……これで、皆に返せる」
そう呟き、背中のリュックに卵をしまう。痛む指先も、血に濡れた布も、今は誇りに変わる。
◇◇◇
森を抜け、拠点の木々が見えてきたとき、仲間たちが何気なく作業をしている姿が目に入る。自分が持ち帰る食料が、皆の笑顔につながることを思うと、胸がじんわりと熱くなる。
拠点に戻ったメノリは、深く息を吐き、少しだけ肩の力を抜いた。
「……やれた」
小さくつぶやくその声には、孤独な戦いを乗り越えた達成感と、仲間のために自分が役立てたという確かな手応えが込められていた。
遠くでリュウジが見守っていることにも気づく。互いに視線が合い、わずかに頷く。言葉はなくても、互いの信頼と理解が静かに交わされた瞬間だった。
拠点の木々を抜け、少し湿った土の感触を踏みながら、メノリは慎重に歩を進めた。手に抱えた卵は、まだ温か達成感が満ちていた。
「ただいま……」
小さく呟きながく、先ほどの緊張と孤独の記憶を重く思い出させる。しかし、胸の奥にはら、拠点に姿を現す。仲間たちは作業の手を止めて振り向き、彼女の手元を見た。白く丸い卵を抱えるメノリの姿に、皆の目が一斉に輝く。
「わっ! 本当に卵だ!」
シャアラが小さく手を叩き、嬉しそうに笑う。
「よくやったな、メノリ!」
ベルも思わず拳を握り、力強く頷く。
ハワードは大きく目を見開き、少し照れくさそうに「す、すごい……!」と声を漏らす。
ルナは優しく微笑み、そっとメノリの肩に手を置いた。
「メノリ、本当にすごいよ」
メノリはわずかに俯きながらも、肩にかかるルナの手の温もりに少しだけ心を解かされる。
「……皆のため……」
口にしたその言葉は、これまで誰にも言えなかった心の内をそっと映していた。
リュウジは少し離れたところから、その様子を静かに見つめる。いつもは冷たい表情の彼も、今は無言のままメノリの勇気と成長を認めている。
メノリは慎重に卵を手渡す。シャアラが受け取り、そっと「大事にね」と囁く。
その瞬間、拠点には言葉にできない達成感と温かさが満ちた。孤独な戦いを乗り越えた者の誇り、仲間のために踏み出した勇気――それらが、静かに、しかし確かに共有されていく。
ルナはにっこり笑い、皆に声をかけた。
「今日の努力はみんなに届いたよ」
メノリは少し照れたように目を伏せるが、胸の中には温かいものが広がっていた。これまで押し込めてきた弱さも、仲間と共有することで、少しずつ力に変わる――その実感を、初めて心から味わっていた。
◇◇◇
仲間たちが卵の手渡しで笑顔を見せている拠点の一角、遠くからリュウジが静かに歩み寄った。足音はほとんど聞こえず、まるで影のように近づく。手にはルナの形見のリュックを抱え、そっとシャアラに差し出した。
「追加だ」
低く、いつもの冷静な口調で告げる。その声には、普段の厳しさとは違う、誰にも見せない優しさがほんのわずかに混ざっていた。
シャアラは少し驚きながらもリュックを受け取り、好奇心と慎重さで中を確認する。すると、クッション替わりの草に守られた卵がぎっしりと詰まっている。メノリの持ってきた量の倍はあろうかという量に、思わず目を見開く。
その光景を見たメノリは、一瞬驚きの表情を浮かべた。唇をわずかに開き、目を大きく見開くその顔に、普段の強さとは違う一瞬の動揺が映る。しかしすぐに、穏やかな笑みを浮かべ、首を小さく振りながら、低く呟いた。
「まったく……」
その言葉には、優しさと照れ、そして心の中での静かな感謝が込められていた。
(ありがとう……)
目には見せず、胸の奥でだけ、リュウジへの感謝をそっと抱く。
リュウジはその場を静かに去っていく。歩く姿には何も変化はないように見えるが、口元がわずかに緩んでいるのが、遠目でも分かる。自分がしてきたことを誰かに気づかれずとも、心の中で満足しているのだろう。
その様子を、ルナは少し離れた場所から見つめていた。
リュウジの僅かな微笑み、メノリの優しい笑み――互いに気持ちを交わしていないのに、心の温度が伝わる瞬間。
なぜか、ルナの胸には複雑な感情が生まれた。安堵、嫉妬、羨望――言葉にできない感覚が押し寄せる。目の前の二人を見ながら、ルナは小さく息を吐き、自分の感情を整理しようとした。
光と風が、今日の冒険の余韻を柔らかく包み込み、仲間たちの笑い声が静かに響く。その中で、ルナの心の奥には、今まで感じたことのない、微妙で温かい感覚が芽生え始めていた。
夕暮れの光が拠点の木々を赤く染め、砂浜や丸太の作業場に長い影を落とす。日中の忙しさと緊張が少しずつ解け、仲間たちは小さな達成感と安堵の余韻に浸っていた。
ルナは少し離れた場所に座り込み、視線をリュウジとメノリに向ける。二人の間に生まれた微妙な空気を見つめながら、胸の奥にざわつく感情を抑えきれずにいた。嫉妬、羨望、安堵――言葉では説明できない、複雑な心の動きが胸を押し上げる。
「……どうして、あんなに自然に心を交わせるんだろう」
小さく呟くルナ。自分も仲間を思い、心を配っているつもりなのに、二人の間に流れる空気はどこか特別で、羨ましくもあった。
それでも、仲間たちの笑い声が耳に届くと、胸のざわつきは少しずつ和らぐ。シャアラが卵を丁寧に並べ、ハワードやベルが興奮気味に「これで夕飯もバッチリだな!」と笑い、チャコも得意げに分析結果を披露する。
「今日の作業、大成功やな」
リュウジは遠くから軽く頷き、メノリも小さく笑みを浮かべる。ルナはその光景を眺め、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。仲間と共に過ごす時間が、こんなにも心を満たすものだとは思わなかった。
◇◇◇
やがて、夜が静かに訪れる。空には無数の星が瞬き、拠点の上空を柔らかい月光が包む。仲間たちは火を囲み、手作りの夕食を分け合いながら笑顔を見せる。
ルナはそっと立ち上がり、月明かりの下で見渡す。疲れた表情を見せつつも、笑い合う仲間たちの姿に、胸の奥が穏やかに満たされる。
「今日も皆のおかげで乗り切れたね」
ルナは柔らかく呟き、心の中でリュウジやメノリ、そして他の仲間たちへの感謝を巡らせる。自分一人では到底成し得なかったことも、みんなと共にだから成し得たのだと、深く実感する。
数日かけて拠点の基礎を仕上げた仲間たちは、いよいよ壁と屋根の取り付け作業に入った。大いなる木の枝に組んだ床板の上に、皆が運んだ丸太や木材を立てかけ、縄や蔓で固定していく。
「よし、ここを支えてて!」
ルナは腕まくりしながら声を張る。シャアラやシンゴが慌てて木材を押さえ、ベルが大きな腕でぐっと固定する。その間にチャコが蔓の強度を確認し、ハワードは半ば文句を言いながらも手を動かしていた。
「いやぁ、こんな大きな壁を立てるなんて、僕の家では大工さんに任せる仕事だよ!」
「ハワード、口より手ぇ動かし!」
チャコがつっこむと、仲間たちの間に小さな笑いが生まれた。
カオルとリュウジは少し離れた位置で黙々と作業を続けていた。二人は迷いなく動き、縄を締める手際も早い。二人の姿を見て、ルナは「やっぱり頼もしいな」と心の中で呟いた。
屋根の材料には、大きな葉や防水性のある草を編んだものを使用する。シンゴが設計図を広げ、みんなに説明した。
「ここは三つの区画に分けるんだ。男子の寝室、女子の寝室、そして真ん中は共通スペース。テーブルと椅子を置くだけだけど、雨の日はここで食事や話し合いができるよ」
「へぇ、まるで本当に家みたいだな」
ベルが感嘆の声を上げると、ルナは笑顔でうなずいた。
「そうだね。もう“仮の拠点”じゃなくて、私たちの家になるんだ」
壁を取り付ける作業は重労働だったが、完成していくにつれて仲間たちの顔には自然と笑みが浮かんでいった。屋根の葉を最後に敷き詰めたとき、雨風をしのげる立派な家の姿がそこに現れていた。
「できた……!」
ルナの声に皆が息をつく。疲れはあったが、それ以上に胸の中に満ちる達成感が大きかった。
「男子寝室はこちら、女子寝室はこちら。共通スペースにはテーブルと椅子……ふふ、もうキャンプじゃないな」
メノリが静かに言うと、シャアラが「本当だね、なんだか安心する」と笑顔を返す。
「よし、じゃあ今日はこの家のお披露目パーティーだ!」
ハワードが得意げに言い出し、チャコが「また口実作っとるやろ」と突っ込みを入れる。その場の空気はさらに和やかになり、完成したばかりの家は仲間たちの笑顔と共に、温かい息吹を宿していった。