サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第41話

総合メディカルセンターの白い光に包まれながら、検診は骨の髄まで――視力、聴力、血液、生体ストレス、宇宙放射線暴露量まで、抜け漏れなく進んだ。ハワード財閥の名が効くのか、端末に並ぶ数値は次々と緑に変わり、判定は恐ろしく早かった。

「はい、これで全部。優秀ね」

 

 白衣の医師がタブレットを返す。ちなみにその隣のベイでは、チャコがメカニックに囲まれていた。

「そこ、もうちょい右や。オイル足らへん」

「はいはい、チャコさん、ジャイロの微調整入れますよ」

 

 くすぐったそうに肩をすくめるチャコに、小さな工具と光のアームが忙しなく踊る。

「これで完了。次の点検は一週間後で」

「おおきに。新品みたいや」

 

 検診が終わると皆んなはソリア学園へ直行した。校門をくぐれば、懐かしい風と、ガラス越しの青空。事務棟の応接室には、規律正しい空気と紙の匂いが漂っている。担任のスペンサーが、いつも通りの几帳面さで書類の束を並べた。

 人数が多いので、カオル達、男性陣は別の部屋で書類の確認を行なっている。

「では、ここからここまで。行方不明扱い解除、在籍継続届、それから――帰還者健康観察の誓約書ね」

「はい」

 

 ルナは黄色い上着の袖を軽くまくって、ペン先を走らせる。シャアラは真剣な表情で欄外の注意を読み、メノリはページの抜けがないかを一枚ずつ確かめていく。

「スペンサー先生、できました」

「ありがとう、ルナくん……うん、問題ないですね」

 

 赤いスタンプがぱしん、と気持ちよく落ちる。

「終わったわ」

 振り返るルナに、シャアラが小さくコクリとうなずいた。

 

「そうだ、メノリくん」

 

 スペンサーが思い出したように引き出しを開け、一枚の封筒を取り出す。

「リュウジくんに、これを渡しておいてくれるか?」

「分かりました」

 

 受け取ったメノリは、そのままルナへ。

「だ、そうだ」

「ええ。戻ったら届けるように伝えておきます」

「あ、ああ……助かるよ」

 スペンサーは少し困ったように頷いた。いつの間にかリュウジの連絡係がルナになっていたからだ。

 

 応接室を出ると、三人は中庭へ向かった。白い小径、風に揺れるポプラ、昼前の陽光。

「ええ!? じゃあリュウジは二日も帰ってこないの?」

 

 シャアラが驚いて足を止める。

「うん。何か用事があるみたい」

 

 ルナは上着のポケットに手を入れたまま、少しだけ視線を上げる。

「不自由はしてないか?」

 

 メノリの問いに、ルナは肩の力を抜いてほほ笑んだ。

「全然。むしろ快適だよ」

 その顔は嘘をつけない。むしろ、頬の色は帰還前よりずっと柔らかい。

 

「ねぇ、せっかくだし、今日は三人で女子会しようよ!」

 

 シャアラが手を合わせ、ぱっと花が咲くみたいに目を輝かせる。

「女子会!?」

 

 メノリが一拍遅れて肩を跳ねさせた。

「いいでしょう、メノリ」

「……うーん。まぁ、いいだろう」

「女子会って何するの?」

「ケーキを作ったり、夕食作ったり、おしゃべりしたり!」

「勉強もだ」

 

 メノリが釘を刺すのを、シャアラが「はーい」と伸びやかに受け流す。

「それで、どこでやるんだ?」

「一泊二日で――リュウジの家で!」

「ええ!?」

 

 ルナの声が裏返る。

「ダメかしら……?」

 

 シャアラの瞳が不安に揺れ、メノリも少しだけ頬をかく。

「うーん……リュウジに聞いてみないと」

 

 ルナは唇を結んで考える。――でも、きっと。

「まぁ、いいって言うかな」

 

 自分でも驚くほど自然に、頷いていた。

「一応、聞いてみるけど」

「やった!」

 

 シャアラが小さく跳ねる。

「それじゃあ、お昼ご飯食べたらリュウジの家に集合ね!」

「分かった」

 メノリは素早くスケジュールアプリにメモを入れる。

「うん!」

 ルナも封筒を胸に抱え、笑った。

 

ーーーー

 

ハワード財閥の事務局は、磨かれた金属の匂いがするほど効率的だった。受付でハワードが名を告げると、並べられた端末が一斉に起動し、係員たちが「こちらへどうぞ」と笑顔で道を空ける。用意された椅子に腰を下ろし、必要事項を入力して――印字、確認、電子署名。驚くほど滑らかに、奨学金の再開手続きは終わった。

「よし、完了。送ってくよ」

 

 ハワードの大きな手が軽くひらひらと振られる。ルナは「ありがとう」と頭を下げ、車に乗り込んだ。

 

 リュウジの部屋に戻るころには、背中にいい具合の疲れがたまっていた。ドアを閉め、ほっと息を吐くと、ソファの脇にリュックを下ろす。そのままキッチンへ。冷蔵庫から朝の残りのフルーツヨーグルトを取り出し、テーブルへ置いた。

「チャコ、お昼、食べましょう」

「待ってました」

 

 椅子にぴょんと飛び乗ったチャコが、スプーンを構えて満面の笑み。二人で一口目を合わせると、甘い香りが口の奥でほどけた。

「ねぇ、今日ね。メノリとシャアラが来るの」

「そうなんか」

「うん、“女子会”。泊まるって」

「ウチはかまへんで」

「ありがとう、チャコ」

 

 ルナは嬉しくなって、ヨーグルトからのぞいたベリーを小さく弾く。ぷち、と音がした。

「楽しみだなぁ~」

 

 軽い昼食のあと、洗い物を手早く片づける。チャコは「用事、済ませてくるわ」と出かけていき、部屋は一旦静かになった。

 

 ルナは袖をきゅっと捲り、奥の部屋――段ボールが積まれた“倉庫”へ。床から天井まで、きっちりと詰んだ箱が壁のように連なっている。

「改めて見ると、すごい量ね……」

 

 最上段のラベルには整った字で「航行データ/旧規格」、その隣に「構造材応力の推移(推定)」、さらに「緊急時手順・自筆メモ」。ひとつ開ければ、紙の匂い。狐色に縁が焼けた分厚い資料や、タブレットに取り込まれたままの古いメモリカードが、几帳面に並んでいた。

「S級パイロットって……やっぱり凄い」

 

 思わず感嘆が漏れる。きちんと整えられた余白に、リュウジの癖のある筆跡。数字と矢印、そして小さな「ここで迷うな」という短い言葉。ページをめくる指先が、少しだけ熱くなる。

 

 と、そのとき――

 箱の底に、黒い厚表紙が目にとまった。金の細い縁取り。背にタイトルはない。

「……アルバム?」

 

 そっと持ち上げる。思いのほか、重い。開こうとして、ほんの一瞬ためらった。――見ていいのかな。

 迷いを飲み込んだ、その瞬間。

 リビングから、端末の着信音。

 

 ルナはアルバムを片手に、足早にリビングへ戻る。端末の画面に浮かぶ名前を見て、胸が、ゆるむ。

『いま大丈夫か?』

 

 耳にかかる声だけで、肩の力が抜けた。

「うん、大丈夫。どうしたの?」

『昨日、着ていた制服――知らないか?』

「制服って、紺色の?」

『ああ。持ってきたつもりだったんだが、なくてな』

 

 いつもの落ち着いた低音に、わずかな焦りが混じっている。

「あ……ごめん。今朝、紙袋に入ってるのを見つけて。血がついてたから、少し拭いて、干してたの」

『そうか。手間をかけさせたな』

「ううん、勝手なことしてごめん。どこにいるの? すぐ持っていくわ」

『大丈夫だ。それより悪いが、近くのクリーニング店に出してくれないか。場所と届け先は、あとでメールする』

「ええ、任せて」

『助かる。……またな』

「あ、それとね、今日、メノリとシャアラが泊まりにきたいって言うんだけど、いいかな?」

『ああ、構わない』

「ありがとう。それじゃあ、またね」

 

 切ろうとした指先に、かぶさるような女性の声が、かすかに滑り込んだ。

『ちょっと、まだー?』

『今いく』

 そこで通話は途切れた。

 

 ルナは、端末の黒い画面を数秒、見つめた。胸の奥に、小さな針の先ほどの痛み――そして、温かいものがせめぎ合う。

 

(……大丈夫。信じてる)

 

 息をひとつ吐き、気持ちを整える。アルバムはテーブルの端にそっと置き、寝室のハンガーから制服を丁寧に外した。袖に手を入れて形を整え、膝の上に広げて、血の跡がどのくらい残っているか確かめる。拭き取った後は薄くなっているが、袖口の縫い目に赤が滲んでいた。

「よし」

 

 押し入れから透明のガーメント袋を見つけ、制服を畳んで差し込む。ポケットにICカード、端末、ハンカチ。玄関前に揃えた靴のひもを結び直すと、端末が震えた。

 

 ――新着メール。

『クリーニング店:ソーレ・デッラ・ルーナ モールB1「ルミナ・クリーン」。即日仕上げ可。届け先指定:木星コロニーB2 管理局保管。特殊処理(血痕)OK。必要費用は店が立替、精算は俺。無理はするな』

 いつも通り簡潔で、隙がない。なのに、ところどころにこちらを気づかう言葉が滲む。

「……了解」

 小さくつぶやいて、ルナはドアを開けた。

 

 エレベーターを降りると、回廊に人工の風が流れ込んでくる。昼の照明は柔らかく、床のガイドライトが帯のように続いていた。

 モールのB1へ。人波の合間に「ルミナ・クリーン」の看板が見える。白いカウンター、無機質な機械の横で、くるんとした髪の店員が明るく頭を下げた。

「いらっしゃいませー」

「クリーニングをお願いします。血が、少し……」

 

 ガーメントを出すと、店員の目が一瞬だけ真剣になる。

「拝見しますね。……うん、大丈夫。繊維を傷めない処理、できます。即日仕上げでよろしいですか?」

「お願いします。仕上がりは、木星コロニーB2管理局で受け取りで」

「承知しました。処理内容、こちらで共有しておきます」

 

 端末でフォームにチェックが入るたび、心配ごとが一つずつ片づいていく感覚が心地よい。

「料金は?」

「本日は立替で。後日、まとめて精算とのご指定です」

「助かります」

 サインを終え、控えを受け取る。制服は白いベルトコンベアに吸い込まれ、背後の扉の向こうへ運ばれていった。

 

 店を出て、モールの吹き抜けに立つ。喧噪はあるのに、耳の奥は静かだった。

 ――『ちょっと、まだー?』

 さっきの声を思い出す。胸の真ん中が、きゅっと狭くなる。でも、同時に、じんわりと温かいものも広がる。

(リュウジは今、何かを“片づけて”いる最中なんだ)

 慰霊広場での背中、握りしめた刃、滴る血、深く下げた頭。

 彼が“終わらせる”と言ったこと。あの言葉の重さを、私はもう知っている。

 

ーーーー

 

クリーニング店の控えをポケットにしまい、歩道の風を胸いっぱいに吸い込む。ソーレ・デッラ・ルーナの外縁を回ってリュウジのマンションへ向かうと、前方に見覚えのある二つの後ろ姿。片方は紙袋を抱えてスキップ気味、もう片方は両手を均等に使って重さを分配するように歩いている。

「おーい! シャアラ、メノリ!」

「ルナ!」シャアラがぱっと振り返り、手をぶんぶん振る。

 

「ちょうど今ついたところだ」メノリが小さく顎を引いた。紙袋の口から、ベリーの赤や生クリームのパックが顔を覗かせている。

「たくさん買ったのね」

「今日は“女子会スペシャル”だからね」シャアラの目がきらきらしている。

「計量器と温度計、持参だ。失敗はしない」メノリはいつもの調子で淡々と宣言した。

 

 三人でエントランスを抜け、エレベーターを上がる。ドアを開けると、朝のうちに片づけたキッチンが、迎えるように明るかった。大きなボウルと泡立て器、ふるい、シルパット、そして天板に敷かれたオーブンペーパーが整列している。

「わぁ、準備万端ね」

「導線と作業台は確保済み。換気もよし」メノリが窓を少し開け、空気の流れを確認する。

「じゃあ、エプロンつけて、手を洗って――ケーキ作り、始めます!」シャアラが宣言すると、三人の声が重なった。

「おー!」

 

 今日のメニューは二本立て。ひとつは苺とベリーのショートケーキ。もうひとつは、ビターすぎない、でもちゃんと“チョコ”なガトーショコラ。材料はテーブルに整列し、役割分担もすぐ決まった。

「スポンジはわたしがやる。温度管理が要だ」メノリがガス口に小鍋を置き、湯せんの準備をする。

 

「クリームとデコは任せて! フルーツの飾りはセンス勝負よ!」シャアラはベリーを洗い、キッチンペーパーで優しく水気を拭き取っていく。

 

「私は洗いものとサポート、それからシロップ作るね」ルナは計量カップに“極撰・太陽果樹園”のフルーツジュースを少し注ぎ、砂糖と合わせて弱火で溶かしながら香りを確かめた。「……うん、いい匂い」

 

 ボウルに卵と砂糖。メノリが湯せんにかけ、真剣な顔で温度計の目盛りを追う。

「三十四から三十六度。ここを外すと泡のキメが変わるらしい」

「はいっ、泡立て係シャアラ、参ります!」

「待て、いまは私だ」メノリが手早くハンドミキサーを動かす。細い腕に迷いはない。とろりとした薄黄色が、空気を含んで白に近づき、持ち上げた跡がゆっくり消えるまで――「はい、ここで粉」

 

「了解!」ルナが薄力粉をふるい、ふわあ、と粉雪のような雲がボウルに降りる。「きれい……」

「ここからはゴムべらで、さっくり」メノリの手首が、空気を潰さない円を描く。「ルナ、溶かしバター少量。温度は三十七」

「ばっちり」ルナが縁から回し入れ、混ぜ筋が消える手前で止める。

「型、用意できてる」シャアラが底に紙を敷いた丸型を差し出す。「いってらっしゃい、未来のスポンジ!」

 生地が流れ込み、表面が静かに張る。オーブンの扉を開けると、熱気に甘い気配が乗って頬を撫でた。

「一七〇度、二十五分。様子は見ながら」メノリがタイマーをセットする。

 

 焼成の間に、今度はガトーショコラの番だ。

「チョコ、湯せんで溶かす。水が入ると分離するから注意」メノリは湯気の角度まで目で追っている。

 

「卵黄と砂糖、白っぽくなるまで。はい、筋が残る!」シャアラはやる気満々で泡立て、腕がぷるぷるしてくると「交代!」とルナに笑顔でバトンタッチ。

 

 溶けたチョコにバターを落として艶が出たら、卵黄へ。粉を合わせ、最後はメレンゲで軽さを出す。

「メレンゲは、艶のあるツノ。砂糖は三回に分けて」メノリが指先で泡の角をつまみ、頷いた。「よし」

 

「混ぜすぎ注意、ルナもういいだろう」

「……はい、先生」

 

 型に流す前に、ルナはふと、オーブンの小窓を覗いた。中で膨らんだスポンジが、真ん中から山を作っている。

「……きれい」

「あと五分」メノリが微調整で温度を落とし、焼き上がりの高さを均一にする。「ケーキの“地平線”は、温度と時間で決まる」

「名言っぽい!」シャアラが笑って親指を立てた。

 

 タイマーが鳴る。扉を開けると、ふわりと甘い風。竹串を刺すと、何もついてこない。

「成功」

 

 三人はハイタッチした。型から外して、逆さにして粗熱を取る。

 次は生クリームだ。氷水にボウルを当て、八分立て手前で止めたい。シャアラが勢いよく泡立てるうち、クリームの表情が一瞬ざらついた。

「あ、やばい」

 

「ストップ」メノリがすばやく“極撰”ジュースを小さじ一垂らす。「脂肪球のつながりを少し切る。温度を一度上げてから、また冷やす」

 ルナは氷を足し、ボウルの底を回して温度を整える。滑らかさが戻ると、三人同時に安堵の息が洩れた。

 

「ほっ……心臓に悪い」

「でも、ちょっとだけフルーツの香りがして、良いかも」ルナがクリームをひとすくい舐めると、ふわりとベリーの残り香。「うん」

 

 スポンジをスライス、シロップを打つ。クリームを薄く伸ばし、苺を規則正しく並べ、またクリーム。上からスポンジをかぶせ、側面を下塗りで“下地”を作る。

「メノリ、パレットナイフ似合う」

「道具は正しい角度で使えば、誰にでも似合う」

「それも名言っぽい!」

 

 仕上げのクリームをさっと回し、側面にストライプをつける。シャアラがベリーを盛りつけ、ミントの葉をちょんとのせる。

「完成!」

 テーブルに白い丸が二つ並んだ。ひとつはベリーショート。もうひとつ、やや低めで重心のあるガトーショコラが、しっとりと光を吸っている。

 

「チョコには粉糖で“雪”。ショートには……」ルナは冷蔵庫の隅から、細いチョコプレートを見つけた。「これ、描いてもいい?」

「なんて書くの?」

 ルナは少しだけ考えて、ペン型のチョコで小さく書いた。

『おかえり』

 シャアラが覗き込んで、嬉しそうに笑う。

「いいね。ルナの字、やわらかい」

「……うん」

 

 そこへ、玄関の方から電子錠の音。

「ただいまー……って、わ、すごっ」チャコが紙袋を抱えて戻ってきた。「えらいことになっとるやん」

「ちょうど完成したところ」

「味見役、いただきます!」チャコが箸――ではなく、フォークを高々と掲げる。「行儀はわるいけど、端っこ切って……」

「少しだけだぞ」メノリが目線で制す。

 

 一口、頬張ったチャコの目が、うっとろりと溶けた。

「……うまっ。幸せ、直送便……」

「よし、合格だ」メノリが僅かに口角を上げる。

「ルナのシロップ、効いてる。ほわっと香る」シャアラが、嬉しそうにルナの肩に額をこすりつける。

「ありがと」

 

 そのまま三人は、箱詰め用の小さいカットも用意した。明日、皆に配る分。ハワードの分はチョコを厚め、シンゴにはベリー多め、ベルは甘さ控えめに。

「カオルは?」

「……二種類、半分ずつ。きっと味に文句は言わないけど、食べ比べて表情が変わるの、見たい」

「メノリ、性格悪い?」

「研究熱心だ」

 三人は笑った。

 

 片づけを終えるころには、部屋に甘い匂いがやわらかく残り、窓の外の光が夕方の色に変わっていた。ショートケーキは冷蔵庫の一番高い段に、ガトーショコラはカットしないままラップで包み、風味を落ち着かせる。

「ね、夜はさ」シャアラがソファにごろんと転がり、クッションを抱いた。「恋バナ、しよ」

 

「勉強も、少しは」メノリがすぐ脇に座って教科書を開く。

「恋の方が“予習”が難しいのよ」シャアラが悪戯っぽくウインクする。

 

 三人は牛乳と、ほんの一口の“極撰”ジュースをグラスに注ぎ、軽く合わせた。

「女子会、開会!」

 笑い声が、焼きたての甘い空気に溶けていく。

 テーブルの中央、チョコプレートの小さな一言は静かに光っていた。

 “おかえり”。――いつでも。

 

ーーーー

 

フォークの先でクリームをすくいながら、四人はソファからぞろぞろとキッチンテーブルへ移動した。テーブルの真ん中には、ベリーが宝石みたいにきらめくショートケーキと、粉糖の雪をまとったガトーショコラ。甘い匂いが湯気みたいに立ちのぼり、窓の外の午後の光まで少しやわらかく見える。

 

「──で、これは何?」

 ルナが、テーブル端に置かれた八つに仕切られた紙袋へ手を伸ばした。紙の口を開くと、つるりとした光沢の束が手のひらに落ちる。

 

「写真や。サヴァイヴのん、現像してきたんやで」

 チャコはケーキを頬張りながら、得意げに胸をそらす。

 

「わぁ……」

 ルナは束ねられたゴムを外し、テーブルいっぱいに写真を広げた。甘い匂いの上に、潮と土と風の色がぱっと咲く。

「これは──最後に島に戻った時の、だね」

 輪の中心で皆が笑っている一枚を指で押さえ、ルナはやわらかく目を細める。

 

「こっちは、シロメツクサを取りに行った日の」

 メノリが一枚を取り上げた。写真の中では、花冠をかぶったルナとメノリとシャアラ、アダムが並んでいる。白い花が陽に透けて、四人の笑顔まで少し白く見えた。

 

「この二枚、続きだね。──あ、見て、こっちはアダムとリュウジが弓を作ってる」

 シャアラが別の束を広げた。大いなる木の根元、屈んで弦の張りを確かめ合う二人の横顔。片方は真剣で、片方は子どもみたいに楽しそうで、どちらも太陽の光を額に受けている。

 

「……いい写真ね」

 ルナは喉の奥でひっそり言って、指先で写真の角をなぞった。指に残るのは光沢の滑り、そして胸に広がるのは、あの湿った土と木陰の涼しさ。

 

「腕がええねん。被写体もええけどな」

 チャコが鼻を鳴らす。

 

 束をめくるルナの手が、ふいに止まった。紙の端をつまんだまま、肩ごと小さく固まる。

 

「ねぇ、チャコ……」

 

「なんや?」

 

「この写真って、全員分あるの?」

 

「そらそやろ。八部現像するのに時間かかったんやで」

 チャコは胸を張る。

 

「どうしたの、ルナ?」

 シャアラが覗き込んできて──「あっ」と口に手を当てた。

 

「……いい写真じゃないか」

 メノリは逆にやさしく微笑んだ。

 

「こ、これはちょっと見せられないわよ!」

 ルナはあわててその一枚をテーブルに伏せた。けれど、遅かった。視界の隅に、しっかり焼き付く。

 お姫様抱っこされたままの自分。頬は見る見るうちに真っ赤で、でも、どこか夢心地のまなざしは崩れない。腕の中の逞しい影、額の汗、近すぎる呼吸──すべてが一枚に閉じ込められている。

 

「ええ写真やないか〜」

 チャコがにやりと笑う。フォークの先で皿を小突き、リズムをつけるみたいに。

 

「恥ずかしいし、それに……わ、私、変な顔してる」

 ルナは頬に両手を当て、指の隙間からそっと写真を盗み見て、さらに真っ赤になった。

 

「何言うとんねん。ほれ、こっち見てみ」

 チャコが別の一枚をひょいと掲げる。

 シロメツクサの花冠を頭にのせたルナが、にやけた笑みでカメラを見ている。その背後で、リュウジが目を見開き、何かを言いかけて止まったような表情だ。驚きと、困惑と、どこか甘い戸惑いが混じる顔。

 

「な、な、なっ……!」

 ルナは言葉の階段を踏み外し、その場でしばたたく。

 

「私、こんな顔してるんだ……」

 

「リュウジといる時は、いつもこんな顔してるぞ」

 メノリが淡々と述べる。否定も誇張もない、ただの観測結果のように。

 

「うん、“乙女”の顔してる」

 シャアラが頬杖をつき、うっとりとした声音で追い打ちをかける。

 

「えぇ〜〜……」

 ルナは耐えきれずテーブルに突っ伏した。髪がふわりと広がり、頬はケーキの苺みたいに熟れている。

 

「今夜の恋バナ、楽しみだわ」

 シャアラがにっこり。フォークの先でベリーをひとつ転がし、ぽん、と口に放り込む。

 

「議題は三つやな」

 チャコが指を三本立てる。「一、出会いの瞬間(※リュウジの第一印象)。二、告白のタイミング(※予定含む)。三、初デートの行き先(※ソーレ・デッラ・ルーナ内限定でも可)」

 

「勝手に議題が整っているな……」

 メノリが小さく肩をすくめるも、さりげなくメモ帳を取り出している。整理魔はどこでも仕事が早い。

 

「出会いの瞬間は……」

 ルナは顔を上げかけて、また伏せた。「や、やっぱり今はパス!」

 

「ほな準備運動や。写真、並べ替えよ」

 チャコが素早く写真を回収し、時系列に並べ始める。

「ここが“花冠事件”。ここが“弓づくり共同作業”。ここが“みんなで焚き火”。で──これが“お姫様抱っこ”や」

 

「事件って言わないの」

 ルナが抗議するも、声は弱い。写真のうえの自分が幸せそうすぎて、言葉の芯がすぐ溶ける。

 

「ねぇ、これ、ルナの分はルナが持ってて」

 シャアラが、そっと“お姫様抱っこ”の写真をルナの前に押し出した。「大事に、ね?」

 

「……うん」

 胸の奥のどこかが、あたたかく灯る。指先が震えないように、写真の角を二本の指でそっとつまむ。

 

「アルバム、作るといい」

 メノリが提案する。「島の匂いは、いつか薄れる。けど、並べて物語にすれば、記憶は整理されて、長持ちする」

 

「タイトルは『サヴァイヴのち、月の太陽で』とかどう?」

 シャアラが楽しそうに笑う。

 

「センスあるやん。表紙は花冠つけたルナの写真で決まりや」

 チャコが指笛を鳴らすように口をすぼめた。

 

「や、やめてってば……!」

 ルナは両手で顔を覆いながら、指の隙間から皆を見た。笑い声、ケーキの甘さ、紙の触感、午後の光。全部がここにあって、全部がやさしい。

 

「……でもね」

 ぽつりと、指の隙間から言葉がこぼれた。「私、やっぱり嬉しいの。こうして笑って、この写真みたいに、また笑えるのが」

 

 メノリが頷き、シャアラが椅子ごと近づいて肩を寄せる。チャコは“ええやん、その顔”と短く言って、空になったフォークを皿に置いた。

 

「ほな、第一部は“ケーキと回想会”。第二部は“恋バナ本編”や」

 チャコが手のひらをぱん、と打つ。「その前に、ジュースおかわりな。ルナはどうする?」

 

「ちょうだい」

 ルナが顔を上げ、涙の名残を指でそっと拭った。頬はまだ熱い。でも、胸の奥はもう怖くない。写真の中の“乙女の顔”は、否定したい恥ずかしさじゃない。守りたい、今ここにあるものだ。

 

「……今夜の恋バナ、楽しみだね」

 ルナが照れ笑いを添えて言うと、三人の「おー!」が重なった。

 テーブルの上で、写真がさざ波みたいに光を返す。甘さと笑いの匂いの中、四人の女子会は、ゆっくりと、でも確かな熱を帯びていった

 

ーーーー

 

 湯気の立ちこめるバスルームからは、三人の楽しそうな声が響いていた。

「シャアラ、それ泡多すぎ!」

「え〜? だってフワフワで気持ちいいんだもん!」

「ルナ、背中流すぞ」

「ありがとう、メノリ」

 湯面がぱしゃりと光を跳ね、笑い声が弾けた。まるでサヴァイヴ時代の水場でのひとときのように、温かくて懐かしい時間。

 やがて、髪を乾かしながらエプロンをかけると、キッチンには香ばしい匂いが広がっていった。フライパンからは、肉と野菜の炒める音、オーブンの奥からは香ばしいグラタンの香り。窓の外はすっかり夜の色に包まれている。

 

 ソファに腰を降ろしたチャコは、ちらりとキッチンの方へ視線を向けた。

 そこには笑顔でじゃれ合いながら料理をしている三人の姿。

 ルナがサラダを盛り付け、シャアラがトマトソースを味見してメノリに差し出す。メノリは一口味見して、少しだけ頷いた。

「ええもんやなぁ……」

 

 チャコは思わず口の端を上げた。まるで本当の姉妹のようだと思いながら、視線をテレビに移した。

 

 そのとき、テーブルの上でルナの端末が小さく震えた。

「ルナ! 電話やで!」とチャコが声を上げる。

「ちょっと今、手離せないの!」とキッチンからルナの声が返ってきた。

「ええのか? リュウジからやで」

「――えっ!?」

 

 ルナはフライパンを慌てて火から下ろし、ハンカチで手を拭きながら駆け寄った。

「手、離せるやないかい」

 

 チャコが呆れ混じりに笑う中、ルナは胸の鼓動を落ち着けるように一度咳払いして、通話ボタンを押した。

「も、もしもし?」

「もしもーし!」

 明るく弾む可憐な声がスピーカーから響いた。

「え?」

 ルナは一瞬まばたきをして、画面の表示を見た。――確かに**『リュウジ』**と出ている。

「あの……どちら様でしょうか?」

「あら、忘れたの? ペルシアよ、ペルシア」

「ペルシア……?」

 

 ルナは首を傾げたあと、はっと顔を上げた。

「宇宙管理局の……!」

 

 サヴァイヴからコロニーへ帰還する途中、あの重力嵐を越えた先で通信した女性。落ち着いた声で誘導してくれた、あの人だった。

「そうそう、思い出してくれた? うれしいわ〜」

「はい、その節はお世話になりました」

「あら、いいのよ。久しぶりにリュウジと話せたしね」

 

 その直後、電話口の向こうから聞き覚えのある声が響いた。

「おい! ペルシア!」

「なによ! 電話中よ!」

「スリッピーを家まで送ってくる! 帰るなよ!」

「はいはい、いってらっしゃい〜」

 

 まるで漫才のようなやり取りが、スピーカー越しに響き渡る。

「ごめんね〜」と再びペルシアの声が戻ってきた。

「い、いえ……何してるんですか?」

「昼過ぎからスターフォクスとリュウジと呑んでるのよ」

「えっ……?」

「悲劇のフライトの件でお礼がしたいんだって。ほんと律儀よね〜、あの子」

 

 ペルシアがくすくす笑う声が聞こえる。

「でも……リュウジらしいです」

 

 ルナもつられて笑った。その口調に、ペルシアは少し間をおいて微笑む声を返した。

「ふふっ、ずいぶんとリュウジのこと、知ってるのね?」

「サヴァイヴで一緒に生活してましたから」

「なるほどね。──それに今は同棲してるんだっけ?」

「ど、同棲というか……」

 

 ルナの頬が一気に赤く染まる。

「サヴァイヴでの間に借りてた奨学金の家が止められちゃって、一週間だけ泊めてもらってるんです」

「奨学金? 親御さんは?」

「お母さんは三歳の時に宇宙病で、お父さんは八歳の時に事故で……」

 

 ルナの声が少しだけ小さくなった。

「……そう、嫌なこと話させちゃったね」

「あ、いえ! 全然。今はサヴァイヴで一緒だった皆が家族みたいなものですから」

「……」

 

 受話口の向こうが静かになった。

「ペルシアさん?」

「……ルナちゃんって、いい子ね」

 

 その言葉はふっと柔らかく、まるで抱きしめられたように心に響いた。

「えっ……」

「ルナちゃんはお洋服とか好き?」

「え? 嫌いではないですけど……あまり気を使ったことは」

「奨学金で苦労してるなら、なおさら! お姉さんに任せなさいっ!」

「え、あの、どういう――」

 

 そのとき、また遠くからリュウジの声。

「おいペルシア! いい加減、人の携帯返せ!」

「うるさいわね、今いいところなんだから!」

「誰と話してるんだ!」

「秘密よ!」

 

 通信の向こうでどたばたした音がして、次の瞬間、ペルシアの明るい声が聞こえた。

「それじゃあ、楽しみにしててね!」

「えっ、ちょっとペルシアさん!? あの――」

 ぷつん、と通話が切れた。

 

 静まり返るリビング。

 ルナは端末を見つめたまま、しばし言葉を失っていた。

「……リュウジやなかったのか?」

 

 テレビを見ていたチャコが首を傾げる。

「うん、ペルシアさんからだったの」

「ペルシア?」

「ほら、重力嵐でこっちに来た時に通信してくれた……」

「あぁ〜! あの時リュウジが遊ばれとった人かいな!」

 

 チャコは思い出したように手を打ち、ケラケラ笑う。

「おい、二人とも、そろそろできるぞ!」

 

 キッチンからメノリの声が響く。

「ルナ、お皿出して!」

「分かった!」

 

 ルナは端末をテーブルに置き、立ち上がった。

 キッチンの方では、三人分の夕食が湯気を上げている。

 ルナは笑みを浮かべながら、食器棚から皿を取り出した。

 

ーーーー

 

夕食の片づけが一段落すると、キッチンの湯気の名残がまだ温かいリビングに、ノート端末と薄い教科書がずらりと並んだ。テーブルの中央に置かれた小さな卓上ホロ投影機が、青白い板書を宙に浮かべる。

 

「よし、始めるぞ。今日は“取り戻す日”だ」

 メノリが指を鳴らすと、空間に**ソリア学園・補講プラン(仮)**のタイムラインが立ち上がった。

「前半は《航法・物理》、後半は《生命・社会》、最後に《言語表現》の三本立て。行方不明になってた期間の内容も混ぜていく。質問はいつでも」

 

「はーい!」とシャアラ。

「よろしくお願いします」とルナは背筋を伸ばし、ペンを握った。テーブル端ではチャコがクッションに座り、「ウチは監督や」と言いつつ、ちゃっかりフルーツジュースをストローで啜っている。

 

◇◇◇

 

「まず《航法・物理》。単元は相対速度と回避行動」

 メノリがホロに二つのベクトル矢印を描く。

「行方不明中に学園では、ダストチューブ内でのΔv最小回避が出てた。問題、ネフェリスが秒速12kmで進行、前方に中型隕石が秒速10kmで逆行。相対接近速度は?」

 

「えっと……12+10で22km/s!」とシャアラ。

「正解。で、可航限界まで3秒しかないと仮定したら必要な横方向回避距離は?」

 メモ用ホロに数字が走る。

「22×3で66km……だけど横方向だから、必要横速度は……」ルナが眉を寄せ、指を折る。「規定安全距離が1.5kmなら、1.5を3で割って0.5km/s、つまり500m/sの横成分があれば理論上は躱せる……けど、機体応答遅れとバリア展開損失を足して余裕を見ないと危ない」

 

 メノリが頷く。「いいね。行方不明の間に、実地で学んだ感覚が計算にちゃんと乗ってる。補足。バリア展開で最大8〜12%の推力低下、神経応答制御時は遅延0.08〜0.12秒の人機同調ラグが生じる。ここ、試験に出る」

 

「ラグって思ったより効くんやな……」とチャコ。

「効く。だから予見操舵が要る。――次、重力制御カット落下回避」

 メノリはさっと場面図を切り替え、ネフェリスの軌跡を弧で描く。

「こっちは行方不明期間の授業“発展編”。ルナ、あの時リュウジがやった“重力切って落としながら躱す”――原理を一言で」

「相対加速度をゼロ近傍に寄せて衝突確率を落とし、自由落下に姿勢制御を乗せて面で抜ける、かな」

「満点。シャアラ、落下中の姿勢安定を保つ制御優先順位は?」

「姿勢→熱→通信の順……でも、近接物標がある時はセンサー更新レートを落とさない!」

「よし。――二人とも、行方不明期間の穴はここで埋められる」

 

 青白い光の板書がほどけ、要点が三行に圧縮されていく。

・相対速度は和、回避は横成分と余裕の確保

・バリア展開は推力低下と同調ラグを見込む

・自由落下回避=相対加速度ゼロ化+姿勢優先

 

 ルナが小さく息をついた。「座学で聞くと、ちゃんと整理されるんだね」

「現場の熱は大事。でも言語化しておくと、次に体がもっと早く動く」

 

◇◇◇

 

「後半、《生命・社会》に移る。単元は閉鎖生態系の基礎とコロニー法・情報倫理」

 メノリの指先から、緑の環状図が咲く。

「学園では“エコドームのO₂/CO₂循環”をやった。サヴァイヴで体感済みだろうけど、式で書けるかが評価される。――ルナ、酸素収支の最小モデルを書いてみて」

「d[O₂]/dt=光合成−呼吸−漏洩……で、光合成はk·I·[Chl]、呼吸はr·Pop、漏洩はλ·[O₂]」

「いい。係数名は授業仕様と概ね一致。シャアラ、非常時の優先順は?」

「水→空気→熱→食。水は循環効率次第、空気はCO₂センサの正確さが命」

「そう。――そして摂食は“心”にも関係する。ここ、先生は強調してた」

 

 スクリーンが切り替わり、今度は条文の短冊が並ぶ。

「行方不明中に進んだ《コロニー法》は、“報道と個人の権利”。昨日の会見を踏まえて、要点だけピン留め」

 メノリは三つ、印を打った。

① 真実性・公益性・相当性――三要件

② 未成年者・被害者の二次被害防止義務

③ 編集における文脈省略の危険**(切り取り)**

 

「質問。昨日、カラスの挑発はどこまで許容される?」

 ルナが少し考え、「相当性のラインを試す質問。けど、二次被害の回避を欠けばアウト……かな」

「うん。境界の理解が大事。怒りは正当でも、言葉は刃になる」

 

 シャアラが手を挙げた。「メノリ、私たち、行方不明のテストはどう扱われるの?」

「学園は補講・口頭試問での単位認定を出す方針。だから今みたいに、式で書ける・言葉で説明できるを両輪で積む」

 

◇◇◇

 

「ラスト、《言語表現》――“要約と再構成”。行方不明の間に、声明文の書法と質疑応答のフレームをやった」

 メノリは短い段落を空中に映すと、「これ、昨日のステファンの会見要旨。三文で要約して」と課題を出す。

 ルナがペン先を走らせる。

「① 追悼の意と沈黙への反省。② 収集した証拠に基づく“真実”の提示。③ 個人に過剰な責を負わせない、という提言」

「簡潔で筋がいい。――次、反論を想定して“再構成”。“捏造だ”と責められた時の一文」

「『一次資料の提示(点検報告書・通信記録)と、関係者の証言の相互補強によって立証します』」

 メノリの口元が緩む。「よく訓練されてる」

 

「よし、仕上げ。口頭試問ごっこ行くぞ。私が試験官」

 メノリが背筋を伸ばすと、空気が少しだけ引き締まった。

 

 ――試問①「自由落下回避で、通信断に踏み切る判断基準は?」

「生残確率の上昇と干渉リスクの比較。近接密度が閾値を越え、通信系が姿勢制御を阻害するなら断つ」(ルナ)

 

 ――試問②「エコドームでCO₂上昇。最初の一手は?」

「センサ異常の排除→換気・藻類系の励起→消費行動の調整。人の動揺抑制も同時に」(シャアラ)

 

 ――試問③「報道に対し、未成年当事者として言える“一文”は?」

「『命を悼む場に、事実で向き合ってください。私たちの生活の安全も守ってください』」(ルナ)

 

「――合格。二人とも“言える言葉”を持ってる」

 

 張りつめていた空気がふっと緩み、シャアラが大きく伸びをした。

「ふあぁ……でも、なんかスッキリした!」

「知識が“怖さ”を小さくするからな」メノリが微笑む。「最後に宿題。三十分だけ」

 

 ホロに宿題が並ぶ。

・航法:ラグを含む回避時間の計算問題 ×3

・生命:O₂収支の簡易シミュレーション(係数を仮定)

・言語:昨日の会見を150字要約+自分の一文

 

「三十分……で終わる?」とルナ。

「終わらせる。量じゃなく質。分からなければ飛ばせ。**“立ち止まらない”**が今の授業だ」

 

 三人は一斉に視線を落とした。ペン先と仮想キーの音が、静かな部屋に小気味よく刻まれる。チャコは邪魔をしないようにテレビの音を絞り、時々うんうんと頷きながら、ページをめくる音に合わせてストローを啜った。

 

 やがて三十分。

「タイムアップ」メノリが手を叩く。「提出」

 ルナとシャアラの端末から、回答データがメノリのタブレットに吸い込まれていく。

「航法は二人とも正解。生命は係数の置き方が良い。言語――ルナ、その150字、とても良かった。『真実は誰かの痛みの上に積むな』、覚えておけ」

 ルナは照れたように笑い、シャアラは「えへへ」と肩を揺らした。

 

「総評。――行方不明の“穴”は、もう穴じゃない。サヴァイヴの経験が、授業を太くしてくれてる。あとは、続けること」

 メノリは卓上ホロを閉じ、ふっと息を抜く。「今日はここまで。よく頑張ったな」

 

 勉強道具を整え、三人で軽くハイタッチ。

 その背中を見ていたチャコがぽつりとつぶやいた。

「知っとるか? ウチら、ちゃんと“帰ってきとる”で」

 ルナとシャアラは顔を見合わせ、同時に頷く。

 青白いホロの余光が消え、部屋には静かな達成感と、温かな夜の匂いが残った。

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