サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第44話

ソファで何気なく流れている情報番組に相槌を打ちながら、ルナとチャコは同じカップの温かさを指で確かめていた。湯気はもう薄い。そこへ、浴室の方からひやりとした空気を連れて、リュウジが戻ってくる。Tシャツにスウェット、片手にアイスコーヒー。向かい合うように腰を下ろすと、テーブルに一枚のチラシをコトリと置いた。

 

「明後日、みんなでここに行こう」

 

ルナが拾い上げ、声に出して読む。

「グランピング施設『ナチュラル』……?」

 

「ああ。ロカC2にできたキャンプ場みたいだ」

 

リュウジはストローを軽くくわえ、氷の音を鳴らす。

 

「私は大丈夫だけど、チャコは?」

 

「問題ないで。なんや、キャンプでもするんか?」

 

「いや、ちょっとな。細かいことは俺が連絡しとく」

 

「へぇ~。自然と触れ合えるキャンプ施設なんだ」

ルナはチラシを覗き込む。木のデッキに白いベルテント、星空の下で灯るランタン。森なのに、床は平らでベッドまである――“サバイヴの夜”とは、まるで違う顔の“外”がそこにあった。

 

「ずっとキャンプしとったもんやろ」

チャコが肩をすくめる。

 

「そうだけど、サバイバルとキャンプは違うでしょう。ーーふふ。ありがとう、リュウジ。楽しみにしておくね」

 

「了解」

 

リュウジは短く頷くと、端末を取り出してグループチャットを開いた。画面には〈サヴァイヴ班(帰還後)〉の名。指が軽快に踊り、メッセージが投下される。

 

【リュウジ】明後日。ロカC2「ナチュラル」。昼集合。

【持ち物】着替え・歩きやすい靴・タオル。参加希望、ここで挙手。

 

返事は秒で返ってきた。

 

【ハワード】うおお!グランピング!行く!!肉は何キロ必要だ!?

【シンゴ】挙手!ドローン持ってく!夜の星景タイムラプス撮る!

【メノリ】参加。勉強道具も持っていく。夜の読書タイムを確保したい

【ベル】挙手。ハーブティーを用意する

【シャアラ】マシュマロ買ってく!串も!

【カオル】……どういう風の吹き回しだ?

【リュウジ】たまにはな。休む。楽しむ。

【カオル】了解。

 

リュウジは画面をルナに見せる。ルナは笑いながら、ぽん、と胸を弾ませた。

 

「すごい。みんな楽しみにしてる」

 

「せやけどルールは決めとき」チャコが指を一本立てる。「“食いすぎ禁止”と“夜更かしはほどほどに”や」

 

「それ、主にハワード向けだね」

ルナがくすくす笑うと、リュウジの端末にまた通知が弾む。

 

【ハワード】聞こえてるぞ!俺は盛り上げ役だ!!

【メノリ】イコール騒音源だ。22時以降は静粛

【ハワード】了解……(小声)

 

「そういえば泊まる?」ルナが首を傾げる。

 

リュウジは一拍おいて、氷を軽く回した。「いや、次の日から学校だろ、泊まらない。夕方には帰るつもりだ」と言いながら、チャットに今の内容を打ち込んだ。

 

ルナはチャットに視線を戻す。リュウジのメッセージが投下され、皆んなからは残念の通知が広がった。

「楽しみだな〜」

ルナは嬉しそうに呟いた。

 

ーーーー

 

次の日、人工太陽がちょうど真上に差しかかる頃。

ソーレ・デッラ・ルーナの中にあるコーヒーショップは、昼休みの人波でほどよく賑わっていた。

 

窓際の席に腰を下ろしたリュウジは、湯気の立たないアイスコーヒーを一口すすり、ふと店内を見回す。サヴァイヴから帰還したあの日に、ふらりと立ち寄ってから――この店はすっかり「お気に入り」になっていた。

 

「ねぇ、あの人カッコよくない?」

 

隣のテーブルから、小声のつもりなのだろうひそひそ話が聞こえてくる。宇宙服でも制服でもない、ただの私服のはずだが、S級パイロットとして鍛えられた背筋と、無駄のない動きはどうしても目立つらしい。

 

「やっぱりそう思うよね? さっきからチラチラ見ちゃうんだけど……」

 

「でも声かけるのはムリ~。オーラやばいもん」

 

視線が何度か刺さるのを感じながらも、リュウジは顔をしかめるでもなく、ただ苦笑してストローを指で回した。慣れていると言えば慣れている。こういう視線は、サヴァイヴに行く前から何度も浴びてきた。

 

「人気者だな、オーナー」

 

カウンターからやってきた店員が、焼きたてのスコーンを載せた皿をストンとテーブルに置く。茶色く焼けた表面がこんがりと光っていた。

 

「どうも」

 

リュウジは軽く会釈し、苦笑を深める。

 

「昨日ニュース見たぜ。慰霊式と、そのあとステファン財閥の会見。……なんか、やっと色々、報われたな」

 

「あんまり騒がれるのは好きじゃないんだけどな」

 

そう言いつつも、声色はどこか柔らかくなっていた。

スコーンをちぎり、口に運びながら、彼の意識は自然と「昨夜」へと戻っていく。

 

 

「リュウジ、明日は何してるの?」

 

夕食を終え、食後のコーヒーの香りがリビングに漂っていた頃。

ミネラルウォーターのボトルを片手に、ルナがふわりとソファに腰を下ろした。正面のソファ、ちょうどリュウジと向かい合う位置だ。

 

「明日か?」

 

リュウジはカップをソーサーに戻し、視線をまっすぐルナへと向ける。

 

「検診とソリア学園に行くつもりだけど。……何かあったか?」

 

真っ直ぐに見据えられて、ルナの心臓がドクンと鳴る。

メノリとシャアラに背中を押された言葉が、頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。

 

――“コロニーに来て間もないんだから、教えてって言えばいいのよ”

――“一緒に回りたいって言えばいい”

 

「その……あのね……」

 

言い出そうとして、喉のところで言葉がつかえる。

「明日、もし午後に時間があったら、一緒にどこか――」

その一言が、なぜかとても遠い。

 

「ん?」

 

リュウジが首を傾げた。琥珀色の瞳が、普段通りに穏やかで、それがまたルナを焦らせる。

 

「えっと、その……」

 

「リュウジ、明日、午後暇やったら、ルナとどこか行ってきたらええねん」

 

ソファの背もたれに寝転んでテレビを見ていたチャコが、タイミングを計ったかのように口を出した。

 

「チャコ!」

 

ルナは思わず立ち上がりそうになり、けれど嬉しさを隠しきれず、頬がぱぁっと明るくなる。

 

「別に構わないが」

 

リュウジは一度チャコを見てから、もう一度ルナへ視線を戻した。

 

「俺はあんまりコロニーのこと知らないけど。……それでもいいか?」

 

「うん、リュウジと一緒ならどこでもいい!」

 

言ってから、自分で真っ赤になった。けれど、嘘でも誇張でもない、本心だった。

 

「なんなら夕食も外で食べてくるとええねん」

 

チャコがニヤニヤしながら追い打ちをかける。

 

「チャコはどうするんだ?」

 

「ウチのことは気にせんでええがな。なんとかする」

 

いつも通りの平然とした顔。ルナがちらとチャコを見やると、片目をつぶってウインクされた。

 

「分かった。なら――ソーレ・デッラ・ルーナで待ち合わせでいいか?」

 

「うん、大丈夫!」

 

ルナは勢いよく頷く。

胸のあたりがそわそわして、じっとしていられない。何を着て行こうか、どこを回ろうか、思考が忙しく騒ぎ始めていた。

 

「時間と場所は、また連絡する」

 

リュウジはそう言ってカップを持ち上げ、コーヒーを一口。

ルナは「うん!」と返事をし、立ち上がる。

 

「じゃあ、私はお風呂に入ってくるね」

 

鼻歌混じりの足取りで、タオルを抱えながらバスルームへ消えていく。その背中を見送りながら、チャコが小声でリュウジに話しかけた。

 

「明日はデートやな」

 

「……そういう類なのか、これは」

 

「他に何があるんや。女の子からの“どこでもいい”は特別扱いや」

 

「そういう理屈もあるのか」

 

リュウジは苦笑しつつ、カップの底に残ったコーヒーを飲み干した。胸のどこかが、ほんの少しだけ、そわりと揺れる。

――サヴァイヴでは、生きるために手一杯だった。

――今は、「誰かと過ごすための時間」を考えてもいい。

 

そんなことを思いながら、その夜は静かに更けていった。

 

 

「……で、今日はその待ち合わせ待ちってことか?」

 

現在に戻り、店員がひょいと椅子の背に腕をかけながら笑う。

 

「そんな大したもんじゃない」

 

リュウジは視線を落とし、アイスコーヒーの表面を軽く揺らした。

とはいえ、時計を見てしまう回数が、いつもより明らかに多いことは自覚している。

 

隣の席の女性二人組はまだこちらを見てひそひそやっているが、その視線の先にいる本人は、穏やかな顔でただコーヒーを飲んでいた。

 

――この後、ルナがここにやってくる。

――どんな表情で現れるのか。

――どんな一日になるのか。

 

その答えは、まだ一口分ほど先の未来に、静かに待っている。

 

ーーーー

 

扉のベルが小さく鳴った。

紺のコートの裾が、外気の名残りをさらりと揺らす。オフホワイトのワンピースに、黒のスラックスを重ねたルナが、店内の光へ溶け込むように一歩踏み入れた。

 

視線が自然と店内を泳ぐ。

――どこ……。

 

窓際。氷の音を指先で弄びながら、外の回廊をぼんやり眺めている後ろ姿。肩のライン、座り姿勢の静けさ。あの落ち着いた背中を、ルナはもう見間違えない。

 

「……見つけた」

 

ふわりと笑みが浮かぶ。歩くたびに、三日月のネックレスが胸元で小さく光った。

 

隣のテーブルの女性客二人が、同時にこちらを見て目を丸くする。

 

「え、彼女持ち!?」「マジ? さっき“声かけよっかな~”とか言ってたのに……」

 

ひそひそ声が、笑いを含んだため息に変わった。ルナの耳にも届いて、頬がほんのり熱くなる。けれど――足取りは止まらない。

 

「お待たせ、リュウジ」

 

彼が顔を上げる。驚きは一瞬。すぐに、目尻がやわらぐ。

 

「……似合ってるな」

 

それだけで、胸の奥があたたかく満たされた。

ルナは椅子を引き、向かいに腰掛ける。包帯の白が、彼の右手にまだ残っているのを見て、そっと視線を左手へ移した。

 

「コーヒー、飲み過ぎないでよ」

 

「気をつける」

 

くすっと笑い合う。ささやかな合図みたいに、いつもの空気が戻ってきた。

 

「じゃ、行こうか」

 

リュウジが立ち上がり、店員に軽く会釈する。ルナも続こうとして――小さく息を呑んだ。彼が自然に、左手を空けて歩幅を合わせてくれる。右手はかばうように、ポケットのあたりで落ち着いている。

 

ルナはリュウジを横目で見ると、胸の鼓動が一拍、甘く跳ねた。

 

 

ソーレ・デッラ・ルーナ――月の太陽。

エアポートと直結した巨大モールは、人工の昼が緩やかに傾き始め、アトリウムの天蓋が薄桃色に染まりつつあった。ホール中央には、来港機の発着時刻を示す水盤のディスプレイ。周縁には「スカイガーデン」「オービタル・テラス」「ルミナ・ドーム」の矢印が踊る。

 

「行きたい場所、あるか?」

 

「……ううん。案内して。月の太陽のこと、まだ全然知らないから」

 

昨夜、メノリに言われた言葉を、そのまま乗せた。

リュウジは少しだけ考えて、視線を上へとやる。

 

「じゃあ――スカイガーデン。島を思い出すかもしれない」

 

「行きたい!」

 

返事が早すぎて、二人で小さく笑った。

 

 

スカイガーデンは、アトリウムの最上層にあった。

螺旋エレベーターを上りきると、湿った温室の香りが迎えてくれる。水耕栽培の棚が幾段にも重なり、ミント、バジル、レタス。ところどころ、白い小花――クローバーも、愛らしく葉を揺らしていた。

 

「シロメツクサ……」

 

ルナの瞳に、島の陽だまりがふっと宿る。

花冠の写真、あの午後の風。彼女の指先が、そっとクローバーの葉に触れた。

 

「持って帰りたいな、って顔してる」

 

「……ばれた?」

 

「顔に書いてある」

 

「じゃあ、見なかったことにして」

 

二人で笑う。歩くごとに、ガラス越しの光が三日月のネックレスに跳ねて、ルナの喉元で淡く瞬いた。

 

「そういえば」

 

リュウジが足を止め、ルナの横顔を覗く。

 

「そのネックレス、やっぱりお前にぴったりだ」

 

「……ふふ。貰いっぱなしで、なんだか申し訳ないけど」

 

「前にも言っただろ、俺は金の使い道を知らない。喜ぶ顔が見られるなら、最適な使い道だ」

 

真正面からそんな風に言うのはずるい――ルナは心の中でぶつぶつ言いながら、頬を両手で押さえた。

 

温室を抜けると、薄い風が頬を撫でた。スカイガーデンの縁には、滑走路を見下ろす展望回廊がある。着陸灯のラインがゆっくりと点灯を始め、遠い滑走路を走る誘導車の光だけが細い軌跡を描いていた。

 

「綺麗……」

 

「夜のほうが“月の太陽”らしい」

 

柵に寄りかかるルナの肩先に、リュウジが並ぶ。

しばしの沈黙。宇宙船の腹が、頭上に小さく唸る。

 

 

夕刻――アトリウムの光が藍に傾くころ。

二人は下層へ降り、回廊沿いの小さなトラットリアに入った。窓の向こう、誘導灯が星の河みたいに瞬いている。

 

「ご注文は?」

 

「えっと……おすすめを」

 

「俺は、トマトとバジルのパスタ。それと、前菜の盛り合わせを」

 

店員がメモをとり、すっと引く。

ルナが首を傾げた。

 

「詳しいね」

 

「昔、ここでフライトの合間に食べた。味が落ちてなければ、当たりのはずだ」

 

「それ、信頼できそう」

 

ほどなく運ばれてきた湯気に、ルナの表情がほころぶ。

ひと口。トマトの甘みと酸味、飛び跳ねるようなバジルの香り。島で採った野草の記憶が、一瞬、舌の上で呼吸した。

 

「……美味しい」

 

「よかった」

 

会話は絶えないけれど、必要以上に言葉は要らない。

ルナが水のグラスに手を伸ばして、ふと思い出したように笑う。

 

「ねぇ、コーヒーのおかわり、頼む?」

 

「今日はやめておく」

 

「えらい」

 

からかうでもなく、嬉しそうに。

リュウジは小さく肩をすくめ、フォークを置いた。

 

デザートに選んだのは、**“ルナ・チーズケーキ”**と名付けられた半月型のケーキ。表面の艶が、まるでネックレスの三日月と呼応するように光っている。

 

「名前で選んだ?」

 

「そうかもしれない」

 

「……もう」

 

ルナは笑って、フォークをそっと入れる。

やわらかな甘さがひろがって、胸の奥の緊張までほどけていく。

 

 

食後、二人は再び通路へ。

夜のルミナ・ドームで行われる短い星空投影まで、あと十五分。

 

「歩こうか」

 

「うん」

 

人の波が少しだけ薄くなった回廊を、肩が触れそうな距離で並んで歩く。ルナはふいに立ち止まり、滑走路の方を指さした。

 

「ね、あれ。小さいけど、離陸するのかな」

 

「補助推進の音だな。巡航に入ると、もっと静かになる」

 

説明を聞くのが、ただ嬉しい。

ルナは横顔を見上げる。右手の包帯に目が留まって、無意識に自分の指先で左袖口をつまんだ。

 

「痛くない?」

 

「もう大丈夫だ」

 

「なら、よかった」

 

言葉はそれだけなのに、胸の奥に“安心しました”の行が何行も滲む。

リュウジが、彼女の視線の意味に気づいたように、左手をゆっくりと伸ばした。

 

「――行くぞ、ルミナ・ドーム」

 

差し出された手の温度。ルナは一瞬、きょとんとして、それから左手を重ねた。指が絡む、というほど強くは握らない。ただ、確かめるように。

 

「うん」

 

歩き出す。

背後で「やっぱ彼女持ち……」と先ほどの女性客の、あきらめ半分の笑い声がまた聞こえた。ルナは振り返らない。頬に少しだけ熱を宿したまま、前を向く。

 

 

ドームに入ると、天井一面に擬似星空が広がった。

人工太陽が完全に落ち、アトリウムの灯りが夜色に沈むにつれて、星の粒は数を増す。ナレーションが流れ始めたが、言葉は耳をかすめるだけで、ほとんど届かない。

 

ルナは、隣にいるひとりの呼吸だけを、静かに感じていた。

 

――あの日、絶望の中で、諦めずに舵を切り続けた人。

――帰ってきてくれた人。

――「ただいま」と、言ってくれた人。

 

投影が終わり、薄明かりが戻る。

ルナは小さく息を吸って、勇気を一つ、胸の前で握りしめた。

 

「ね、リュウジ」

 

「ん?」

 

「……この月の太陽のこと、もっと教えて。明日じゃなくても、また。私、いろんなとこ、あなたと一緒に見てみたい」

 

リュウジは少しだけ目を見開き、すぐにやわらいだ声で答えた。

 

「ああ。いつでも」

 

それだけで、足元の世界が、少し明るくなる。

ルナはうなずき、軽く揺れた三日月の光を喉元で受け止めた。

 

二人はドームを出て、夜のアトリウムへ。

発着案内の水盤は、青い文字で静かに時刻を更新している。どこかへ向かう船、どこかから戻ってくる船。それらの光の往復の中で、二人の歩幅はぴったりと重なっていた。

 

「ルナ」

 

「なに?」

 

「今日は――よく、似合ってる」

 

「あ……ありがと」

 

頬にまた、やさしい熱が広がる。

 

ソーレ・デッラ・ルーナの夜景が、静かな波のようにまたたいている。

“月の太陽”の名にふさわしい光の下で、二人の影は寄り添い、長く伸びていった。

 

ーーーー

 

玄関のオートロックが閉まる音が、静かな部屋に吸い込まれた。

「……チャコいないのー?」

ルナが先にリビングへ顔を出す。返事はない。靴音も、テレビの小さな音も、しない。

 

「どこ行ったのかしら……」

 

首を傾げたその瞬間――

「あ——っ!」

棚の一角に視線が吸い寄せられ、ルナは思わず声を上げた。

 

「どうした?」

少し遅れて入ってきたリュウジが眉を上げる。

「あはは、な、なんでもない、なんでもないから!」

ルナは慌てて棚の前に回り込み、自分の身体で目隠しを作った。頬にうっすら朱が差す。

 

無言。じとっとした目。

リュウジがそのまま距離を詰め、ルナの肩越しに腕を伸ばす。

 

「……あ」

するり、と指先が“それ”を抜き取った。

 

彼の手に収まっていたのは――ピンク色のハート型の写真立て。

中の写真は、サヴァイヴにいた頃。お姫様抱っこされたルナが、みるみる真っ赤になって、それでも夢見心地の顔でリュウジを見つめている。

 

リュウジの口元が、ふっと緩んだ。

 

「じゃじゃーん!!」

背後の廊下から、威風堂々と現れる小さな影。

「チャコ!」

両手を腰に当て、胸を張る。尾は得意げに左右へ。

「どや? ウチからのプレゼントや! “ベスト・オブ・サヴァイヴ”やで!」

 

「何してるのよ、もう……!」

ルナが耳まで赤くして抗議する。

「ええやん、ええやん。可愛いもんは可愛い言うたらええんや」

チャコはケラケラ笑って、用意していた紙袋をガサゴソ。

「他にもな、第二弾あるで」

 

テーブルに並んだのは、同じハート型の小ぶりなフレームが二つ。

ひとつは花冠のルナと、目を丸くするリュウジ。

もうひとつは、焚き火を囲んで全員で写った集合写真。そこには、あの頃の空気がまるごと閉じ込められていた。

 

「……サヴァイヴの時の写真か」

リュウジはしみじみと呟き、指で埃一つない透明板を軽く拭う。

「せや! “見るたび思い出し笑い不可避セット”や!」

「要らないセット名まで付けないで……!」

ルナが顔を覆い、指の隙間からこちらを伺う。

 

リュウジは心もち真面目な顔に戻し、写真立てを持ち替えた。

「悪くない」

ぽつり、と。

「……え?」

「悪くないって言った。置くなら、ここだな」

 

そう言って、リビングの白い棚の“空席”へ、花冠の一枚を丁寧に立てかける。

隣には以前のままの無機質な黒い置き時計。ハートの輪郭が、そこだけ柔らかな色を差した。

 

「もう一枚は?」

チャコがニヤニヤしながら顎をしゃくる。

リュウジは少しだけ考え、集合写真をテレビ台の端に置いた。視界の端でいつでも仲間がこちらを見ている位置。

 

「ほな、メインはコレやな」

チャコが最後に取り出したのは、少し大きめのフレーム。

中には――白い塔を背景にした、今朝のニュースから切り抜かれた一瞬が収まっていた。献花台へ深く一礼するリュウジの背中。誰かが撮って、プリントしてくれたのだろう。下の小さなプレートに、メッセージが刻まれている。

 

「おかえり」

 

……一拍、空気が止まった。

ルナは胸の前で指をぎゅっと握り、そっと視線を落とす。

 

「チャコ」

リュウジが静かに呼ぶ。

「ん?」

「ありがとう」

 

短い言葉が、部屋の静けさにやわらかく馴染んだ。

チャコは一瞬だけ照れくさそうに頭を掻き、すぐにいつもの調子へ戻る。

 

「礼はええから、フルーツジュース飲もや!」

「一日一本、って言ったでしょ」

「今のは“感動の特例”や!」

 

「特例は出ない」

リュウジが即答し、冷蔵庫の前で振り返る。

 

「ねぇ……その、お姫様抱っこのやつは、やめない?」

ルナが恐る恐る切り出す。

「何故だ」

「は、恥ずかしい……」

「ええやん、ええやん。新婚みたいやで」

「新婚じゃない!!」

即座に真っ赤。チャコは机をバンバン叩いて笑う。

 

リュウジはほんの少しだけ目元を細めた。

「……じゃ、これは預けておく」

そう言って、ハートのフレームをそっと持ち上げ、ルナのほうへ差し出す。

 

「……うん」

 

受け取った瞬間、ガラス越しの過去が、いまとやわらかく繋がる。

ルナは胸の前で大切に抱え、三日月のネックレスを指先でそっとなぞった。

 

「ほな、記念撮影といこか!」

チャコがいつの間にか端末を構えている。

「え、ちょっと心の準備が……」

「三、二――」

 

ぱしり。

ハートのフレーム、湯気、ネックレスの光、少し照れた頬。

新しい一枚が、音もなく未来のアルバムへ滑り込んだ。

 

「……悪くない」

写真を覗き込んだリュウジが、もう一度だけ同じ言葉をこぼす。

それは照れ隠しみたいでもあったけれど、ルナには、ちゃんと届いていた。

 

静かな部屋に、暮れゆくコロニーの灯りが差し込む。

棚の上、小さなハートが、ほんのりと夜色を映した。

 

ーーーー

 

エアタクシーが静かに離陸していく。

ルナの部屋の前。玄関脇には、リュウジが運んだ段ボールがきちんと二列に積まれている。上段は「サクラ&シン著作(取扱注意)」、下段は「極撰・太陽果樹園プレミアムミックス ×3」。

 

「荷物はここでいいか?」

「うん、ありがとう」

「中まで運ばなくていいのか?」

「だいじょーぶ〜」

 

扉の向こうから明るい声。チャコが肩にちょこんと乗って小さく腕を組む。

「色々散らかっとるんやろ。レディはそういうもんや。入室は“準備完了”サイン出るまで待機、や」

 

「気にすることか?」

「めっちゃ気にすることや」

 

ルナが少しだけ顔を覗かせ、ぺこりと頭を下げた。

「一週間……本当に色々ありがとう。」

 

「復旧は今日の午前中に通電・通水済み。ブレーカー上げれば使えるはず。冷蔵庫は……開ける前に覚悟決めたほうがええけどな」

肩の上からチャコが小声で耳打ちしてくる。

 

「ブレーカーは、俺が上げてくるか?」

「ま、待って、そこは自分でやる。ここは私の“ただいま”のスイッチだから」

 

その言い方が少しだけ誇らしげで、リュウジは「そうか」と短く頷いた。

代わりにショルダーバッグから、軍手と分厚いゴミ袋、それから小さな工具セットを取り出し、段ボールの上に置く。

 

「冷蔵庫、もし危険区域やったら、これ使え」

「“危険区域”て言わんといて……でも、助かるな」

 

チャコが段ボールを指して身を乗り出す。

「まずは極撰を冷やすのが最優先任務や。常温は罪や」

「ジュースは最後。片づけてから」

 

「はーい……」と口では言いながら、尾は名残惜しそうに箱に絡みついている。

 

「本、重いから、持つ時は膝使えよ。腰やるぞ」

「うん」

「サクラとシンのは上段の棚がいい。紙が古い。湿気、逃がしてやれ」

 

その名前を口にした時、ルナの目がやわらかく揺れた。

「……うん。あの本たち、ちゃんと居場所つくる。ね」

 

しばし、三人とも言葉を失う。廊下に、小さな空調音だけが流れた。

 

「じゃ、俺は先にC3に向かう」

リュウジが立ち上がり、段ボールの塔をもう一度見回す。

「急がなくていいからな。」

 

「うん」

扉の向こうから、少し笑う気配。

「……あのね」

 

「ん?」

「帰ってきて最初のスイッチ、押したら——ちゃんと“ただいま”って言う」

 

リュウジは、ほんの僅かに口角を上げた。

「それでこそ、ルナだ」

 

「そんで“おかえり”はウチの担当や」

チャコが胸を張る。「おかえりの練習済みや」

 

「過剰訓練だな」

苦笑して、靴音を一歩だけ下げる。

 

「……また、後でね」

 

「ああ」

 

短いやり取りのあと、リュウジは踵を返す。廊下の先、曲がり角に消える前に半歩だけ振り返り、軽く手を上げた。

扉が、やさしく閉まる。

 

 

「……よし」

ルナは深呼吸をひとつ。玄関の足元で靴を脱ぎ、ブレーカーのレバーに手を伸ばす。

“カチン”

一瞬の暗闇ののち、天井灯が順に灯っていく。白い壁紙、薄青のカーテン、観葉植物の鉢は少しだけしおれているけれど、確かにここは“自分の部屋”だ。

 

「ただいま」

 

声に出してみる。小さな反響が、胸の奥に帰ってくる。

「おかえり!」

チャコが即座に復唱し、肩から飛び降りて、廊下をころころ走った。

 

まずは窓を開けて空気を入れ替え、シンクに新しい水が流れるのを確認。台所の冷蔵庫の前で、二人は見つめ合った。

 

「開ける?」

「……開ける」

 

二人でカウントダウンして扉を引く。

「うっ」

「想定範囲内や!」

 

笑いながら、軍手・マスク・ゴミ袋で迅速に封じ込める。生鮮の整理、棚の拭き上げ、ベッドリネンの交換。

こうして体を動かしていると、気持ちまで少しずつ“帰ってくる”のが分かる。

 

段ボールを開け、まずはサクラとシンの本の置き場所を決めた。

上段の棚、窓から直射の当たらない右側。

『地球再生論』の背表紙に指を滑らせる。紙の温度が指先に移る。

 

「ここが、あの人たちの居場所」

「ええやん。ええ顔しとる」

 

ついでに、ハート型の写真立てを机の角へ。お姫様抱っこの一枚は、照れながらもしっかり正面。

「……見られると、ちょっと恥ずかしいけど」

「見るたび元気出るやろ。栄養価は極撰級や」

 

極撰と言えば、とチャコが箱に抱きつく。

「一本だけ、冷やしてええ?」

「一本“だけ”ね」

 

やがて、部屋に風が通い、床の木目が軽く光った。

ルナは窓辺に立ち、三日月のネックレスに触れる。

 

―――――

 

ロカC3に新しくできたキャンプ場は、人工気候の空の下とは思えないほど、深い緑に包まれていた。

木々の香りと、わずかに湿った土の匂い。ゲートには「Jupiter Colony – natural Camp」と書かれた木製のプレートがぶら下がっている。

 

その入り口の前で、ルナとチャコは立ち止まっていた。

 

「わぁ……すごい。本当に森みたい」

 

ルナは思わず息をのんだ。ゲートの向こうには、両脇に高い木が立ち並び、その間を一本の白い砂利道が奥まで伸びている。

コロニーの人工太陽から柔らかい光が差し込み、葉の隙間からこぼれるように揺れていた。

 

「やるやんロカ。ちゃんと“自然っぽい匂い”するで。人工調香、なかなかのクオリティや」

 

チャコが肩の上で鼻をひくひくさせながら、感心したように言う。

 

「ルナ〜!」

 

背後から声が飛んできた。振り返ると、黄色いパーカーにショートパンツというラフな格好のシャアラが、片手を大きく振りながら駆けてくる。その隣には、落ち着いた色のワンピースを着たベルの姿もあった。

 

「シャアラ!」

「ベルも一緒やったんか」

 

「こんにちは」とベルが柔らかな笑みを浮かべる。

 

「シャアラ、それなに?」

ルナが彼女の両腕に抱えられた、やけに膨らんだ袋に視線を向けた。

 

「マシュマロと串!」

胸を張って、シャアラはビニール袋を持ち上げる。

「グランピングだし、焚き火で焼かないともったいないでしょ?」

 

「グランピングって、“優雅なキャンプ”みたいなやつやろ?」とチャコが首をかしげる。

「せやけど、マシュマロは正義やな。ウチの分はあるんか?」

 

「ちゃんとチャコの分もあるよ〜」とシャアラが笑う。

 

「他のみんなはどうしたんや?」

チャコが辺りを見回す。

 

「メノリとハワードは、もう中にいるみたい」

シャアラが携帯端末を取り出し、地図アプリを確認する。「さっき『先に着いた』ってメッセージ来てた」

 

「シンゴとカオルも、さっき“到着”って来てた」

ベルも自分の端末を見て頷いた。

 

「それじゃあ、私たちも行きましょう」

ルナは笑顔で言い、ゲートの中へと歩き出した。

 

両脇には高い木々が生い茂り、葉擦れの音がささやきのように耳に届く。

白い砂利道を三人+一匹で歩いていくと、やがて木々の間に、こじんまりとしたコテージが姿を現した。

 

「……あそこかな?」

 

ルナはリュウジから送られてきた地図データを確認し、画面とコテージを見比べる。

 

「そうみたいだね」

ベルが前方を指さす。その先には、コテージの横のスペースで、何かを組み立てているメノリとシンゴ、椅子に座って腕を組んでいるハワード、木のポールに寄りかかっているカオルの姿が見えた。

 

「おーい、みんな〜!」

シャアラが手をぶんぶん振りながら駆け出す。

 

呼びかけに、四人が同時に振り返った。

 

「お、来たな!」

「遅かったじゃねぇか」

 

それぞれが手を振ったり、軽く顎を上げたりして出迎える。

 

「全員揃うのは久しぶりやなぁ」

チャコがルナの肩からピョンと飛び降り、きょろきょろと周囲を見回した。

 

「帰ってきてから、みんな色々あったからね」

シンゴが笑いながら言う。「検査に、手続きに、家族サービスに」

 

「お前は特に、妹弟の視線がやばかったろ」

ハワードが意地悪く笑い、シンゴが「ま、まぁ……」と頭をかいた。

 

「やぁやぁ、皆さん、よく来たね!」

 

唐突に、コテージの扉が開いた。

現れたのは、茶色のくせっ毛をふわりと風になびかせた青年だった。カジュアルなシャツに、胸元には記者証。どこか柔らかい物腰だが、目の奥には仕事人特有の光がある。

 

「誰だ、あのおっさん?」

 

「言ったな、おっさんって……」と男が苦笑するより早く、ハワードが眉をひそめて呟いた。

 

「場所を間違えたか?」

メノリが携帯端末で予約情報を確認し始める。

 

「お前は確か……記者会見の時に……」

カオルがじっと青年の顔を見つめ、思い出すように目を細めた。

 

「せや! 最後に質問しとった!」

チャコがぽんと手を叩く。

 

青年は、ぱっと顔を明るくした。

 

「そう! 記者のフレデリックです!」

胸に下げた記者証を軽く指で弾き、にこやかに頭を下げる。

「今日はよろしくお願いしますね」

 

「きょ、今日は?」

ルナが首をかしげる。

 

「あれ? 皆さんは何にも聞いていない感じ?」

 

フレデリックがきょとんと目を丸くした。

 

「今日はここでグランピングするってことしか聞いてないけど……」

シャアラが振り返る。

 

 

「ちょっと! リュウジさん!」

フレデリックがくるりと振り向き、コテージの中へ向かって声を張り上げた。

 

「どうしたんだ?」

 

しばらくして、コテージの中からエプロン姿のリュウジが現れた。

黒いシャツの上から、ベージュのエプロン。袖はまくり上げられ、手には布巾。どう見ても“準備中のシェフ”だ。

 

「お、みんな揃ったか」

 

リュウジは一人一人の顔を順番に見て、短く確認するように呟いた。

 

「一体、どういうことなんだ?」

 

メノリの眉がぴくりと上がる。

横ではハワードも腕を組み、露骨に怪しんでいる。

 

「今日はここで、皆さんに“無人惑星サヴァイヴ”のことを取材させてもらうつもりで集まってもらいました」

 

フレデリックが一歩前に出て、はっきりと告げた。

 

「えええっ!?」

 

反射的に、全員の声が揃った。

木々の間に、驚きの声が反響する。

 

「そうなの?」

シンゴが目を丸くして、リュウジに尋ねた。

 

「言ってなかったか?」

リュウジが本気で不思議そうに首を傾げる。

 

「聞いてねぇよ!!」

ハワードが叫ぶ。「“たまには遊ぶ。休む”って言葉のどこに“取材”が入るんだよ!?」

 

「急にグランピングするって言うから、おかしいとは思ったが……」

カオルがため息をつきながらも、どこか納得したように肩をすくめる。「やっぱりな、って感じだ」

 

「ふふっ」

ルナが小さく笑った。

「今度からは、ちゃんと伝えてね」

 

責めるというよりは、どこか楽しんでいるような、穏やかな声音で。

その笑顔に、リュウジは一瞬だけ居心地悪そうに目をそらし、すぐに「ああ」と短く頷いた。

 

「まぁまぁ」

フレデリックが両手を広げる。

「取材と言っても、そんな堅苦しいものじゃありません。あくまで“皆さんの記録”です。まずはお昼を食べながら、のんびりお話してもらえれば」

 

「お昼?」

シャアラがきょろきょろと辺りを見回す。

 

「……匂い、ええな」

チャコの鼻がぴくりと動いた。

 

コテージの中からは、香ばしい肉の匂いと、ホイルで包まれた野菜が焼ける匂いが漂ってきている。

リュウジのエプロンの端には、うっすらとソースの染みがあった。

 

「とりあえず、中に入れ」

リュウジが顎でコテージの方を示す。

 

 

「グランピング取材、か」

メノリが小さく呟く。

 

「なかなか面白そうやん」

チャコが嬉しそうに言う。

 

ルナは、胸元の三日月のネックレスをそっと指で押さえながら、コテージの扉をくぐった。

ここで話すことが、きっとまた誰かの未来を繋ぐのだろう——そんな予感と一緒に。

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