フレデリックは、手のひらほどの小型レコーダーを掲げて、軽く皆に見せた。
「今日は“みんなの体温”だけ、もらわせてください。約束します——リュウジさんには、ひと言も聞きません。彼のことは、皆さんの言葉の中から浮かび上がらせたい」
コテージの外は、人工太陽が傾き、木洩れ日が金色に砕けていた。炊事場の鉄製シンクが、柔らかく光を返している。フレデリックは深呼吸をひとつ、まず外の組へ歩き出した。
⸻
炊事場にて、ベルとシャアラ。
金属の着火棒をカチカチ鳴らす音。シャアラが身を乗り出し、火床の下に紙と細い枝をねじ込んでいる。
ベルはふわふわ白いマシュマロに竹串を刺しながら、慎重に間隔を揃えていく。
「シャアラさん、火、つきそうです?」
「うーん……つき“かけ”!」
カチ、シュッ……煙が立ちのぼり、シャアラの前髪がふるふる揺れた。
「ほら、ベル、ふーって!」
ベルはしゃがみこみ、口をすぼめた。「ふー……」
炎が紙の端を舐め、ぱち、と小さな音を立てる。その瞬間、二人の顔が同時に明るくなった。
「今の顔、最高です。録ってもいいですか?」
「え、顔は録れないのでは……?」とベルが小首をかしげる。
「声で分かりますって」とフレデリックは笑い、レコーダーの赤いランプを灯した。
「質問を変えます。——“最初の火”を覚えていますか? 無人惑星で」
シャアラは火床を守るように両手を広げ、ちょっとだけ遠くを見る目になった。
「最初は全然上手くいきませんでした。着火する器具もありませんでしたので、木と板を擦ってつけました。それにベルの手は豆が潰れて血だらけでした。」
ベルは目を伏せ、微笑む。
「それでも、最後はシャアラが頑張ってくれて火が着くことができました……。あのとき、炎が立った瞬間——これでみんなが、生きられるかもって、はじめて胸の奥で灯りがついた感じがしました」
「怖さは?」とフレデリック。
「ありました。ずっと。でも、同時に“役割”ができると、怖さが形になる。」
シャアラがくるりと立ち上がり、竹串をひとつ手渡す。
「はい、記者さんも役割どうぞ。——“焦がさない係”!」
「責任重大だ」とフレデリックは笑い、肩の力が抜けた。
「ねぇフレデリックさん」
シャアラが火のオレンジを覗き込みながら、声を落とす。
「わたしたち、よく“がんばったね”って言われるけど……実は“たのしかった”って言うと、怒られるかな」
「怒りませんよ。どう“楽しかった”です?」
「できなかったことが、できるようになる時間が、いっぱいあった。たとえば今日のこれ。マシュマロをちょっとだけ焦がして、外カリ中トロにできるようになったら、誰かが“おいしい”って言ってくれるでしょう? ——あの星でも、それが毎日あったの」
ベルがそっと続ける。
「悲しみも、ありました。でも……あの炎の輪っかの中は、確かに“生活”でした」
フレデリックは、短く「ありがとう」とだけ答えた。
レコーダーの波形が、穏やかに脈を打っている。
⸻
林縁/チャコとシンゴ
コテージ脇の小道。植栽データ通りに整えられた人工林だが、風に擦れ合う葉の音は、本物の森と変わらない。
チャコは幹に掌を当て、内蔵センサーで“木の健康診断”をしていた。肩には夕光が乗る。
「導管の流速、良好。土壌水分、基準内。……ようできた擬似生態やね」
「シミュレーション値とズレが出ないの、すごいですね」
シンゴが腕組みし、幹の節を覗き込む。「太陽スペクトルもロカ仕様に最適化されてる。……でも、サヴァイヴの大いなる木は、もっと不機嫌な音がした」
「不機嫌、て表現ええな」チャコが笑う。
「せやけど、あの木のおかげで、ウチら何回も助かっとる。避雷の導き、風の読み、枝のきしみ……ぜんぶ“声”や」
フレデリックは二人の横顔を見比べた。
「技術の話をしてるのに、どこか“祈り”みたいですね」
「祈りやなくて“姿勢”やと思う」
シンゴは言葉を選ぶように続ける。
「目の前のものを、機能で区切って扱うのは得意です。ぼくたち。でも、あの星でやられたのは……“関係”の方でした」
「関係?」
「誰かが火を守ってる間、誰かが水を汲む。誰かが笑わせてる間、誰かが泣く権利を守る。——そういう“見えない設計図”の方が、よっぽど壊れやすかった。で、壊れたら、工具や理屈じゃ直らない」
チャコが肩をすくめる。
「せやからウチらは、よく喧嘩もしたし、笑い合ったりしてな」
「……なるほど」フレデリックが目を細める。「つまり調律、というか」
「そうや。みんなの“音程”がズレると、生きていけん。」
シンゴは、幹から手を放すと、空を見上げた。
人工空に、細い飛行ルートの白線が伸びている。
「帰ってきてからの方が、むずかしいこともある。数値がすべてを語る場所では、“あの時の濁った和音”をどう説明すればいいのか、まだ分からない」
フレデリックはレコーダーを握り直した。
「分からないまま、こうして話してくれることが、もう“説明”になってます」
チャコがにやりと笑う。
「うまいこと言いよるやん。記事、期待しとるで。——変に煽ったら承知せぇへんけどな」
「肝に銘じます」
⸻
炊事場その2/カオルとハワード
鉄板がジュウ、と景気よく鳴り、脂が火を踊らせた。
ハワードはトングを片手に胸を張る。
「見ろカオル! この完璧な火加減! ミディアムレアの向こう側、“ミラクルレア”だ!」
「言葉まで焼き過ぎだ。落ち着け。お前の声がいちばん強火なんだ」
「細けぇなぁ。ムードは高火力でいくもんだろ?」
「お前のはムードじゃなくて騒音だ。……それ、塩振り過ぎ。砂漠化が始まってる」
「違う、これは“エンタメ調理”!」
「ただの我儘だ。肉の気持ちを考えろ」
ハワードがむっとして、今度は胡椒を華麗にひねる。
カオルは無言でトングを奪い、肉の位置をずらし、火から逃がした。
「お前は“焼く”より“騒ぐ”のが本職だろ」
「失礼な! 俺は陽気係兼、場回し主任だぞ?」
「正式名称:騒々しい係。現場公認」
フレデリックが笑いをこらえながら近づく。
「いい匂いだ……。——では、焼けるまでの三十秒だけ、教えてください。“役目”の話」
「役目、ね」
カオルは火を見つめたまま、短く息を吐く。
「俺は、走る役。前に出る役。危ないときは、できる限り背負うことだ」
「それ、怖くは?」
「怖いに決まってるだろ。でも——」
カオルは言葉を切り、唇の端をわずかに上げた。
「横で誰かが背中を押してた。“行け”とも“行くな”とも言わないで、ただ、立ってた」
「誰が?」とフレデリック。
「決まってるだろ。……俺が追いつくって決めた背中だ」
ハワードが肩で笑う。
「リュウジのことは訊かないって言ってたのに、勝手に滲み出ちまうな」
「訊かなくても、出るんですよ。——ハワードさんは?」
「俺はさっき言った通り、陽気係。空気を重くしない、笑わせる、動かす。時々やらかす。黒焦げスープ事件? あれは伝説化したからヨシ!」
「伝説じゃない、汚点だ」カオルが即ツッコミを入れる。「鍋が泣いてた」
「でもさ、誰かが失敗した時に、最初にネタにして笑いに変えるのは俺の役目だ。責めるより、前に進めるからな。——ほら今も、肉が“前進”してる!」
「それはただ焦げて前線から撤退してるだけだ。よこせ」
カオルは器用に焦げ目の浅い面を上にし、脂の抜けたところへ移す。
「静かすぎると、人は悪い想像をする。火の音、笑い声、くだらないツッコミ。そういう“雑音”が、俺たちの生活音だったのは間違いない。」
カオルは横目でハワードを見て、鼻で笑う。
「自分で“くだらない”って言えるのは、少しだけ偉いな」
「だろ?」
短い沈黙。鉄板の上で脂がまた弾ける。
カオルは焼け具合を確かめ、ひと切れをフレデリックの皿へ置いた。
「……騒々しいし、我儘だし、面倒くさい。けど、賑やかで楽しい夜が、確かにあった。あいつの大声で、怖さが少し薄まったのも、事実だ」
ハワードが照れ隠しのようにトングを回し、胸を張る。
「聞いたか? 公式に“効能あり”いただきましたー!」
「調子に乗るな。肉は“いま”だ。食え」
フレデリックは笑いを飲み込み、「いただきます」と小さく礼をしてから、録音ボタンをそっと切った。
⸻
2階テラス/ルナとメノリ
テラスの手すりに肘を置くと、人工の森の上に夕光が湖みたいに広がって見えた。
風が運ぶ匂いは柑橘に似て、遠くから炊事場の笑い声が微かに届く。
フレデリックは二人に正対せず、半歩だけ離れて手すりにもたれた。
「ここからの景色、好きです。——お二人、“戻ってきてから”の話を聞かせてください」
メノリは頷き、先に口を開いた。
「担任のスペンサー先生のところへ、手続きに行ったとき、書類に“本人の署名”って欄があるんだ。彼女の筆圧は、ずっと変わらないが……最後の字だけ、少し強くて」
ルナが目を瞬かせる。「え、そうだった?」
「気づいてないなら、それでいい」
メノリはふっと笑った。
「“戻ってきた自分”を、ちゃんと自分で受け取った筆圧。私にはそう見えた」
フレデリックはレコーダーを傾ける。
「ルナさんは……どうです? “戻ってきた自分”」
ルナは視線を下に落とし、テラスの木目を指でなぞった。
「ときどき、ここにいない気がします。体はあるのに、気持ちがサヴァイヴの夜に置いてきぼりで。……でも、誰かの笑い声が聞こえると、戻ってくる」
「誰か、とは?」
「みんなの。——それから、コーヒーの匂い」
ルナは照れたように笑う。「目を閉じると、思い出すんです。朝の火、焼き魚の香り、遠くの鳥の鳴き声。……あの星は、怖くて、きれいだった」
メノリが横から静かに添える。
「彼女は、いつだって“ぜんぶ”を見る。危険も、美しさも、同じ重さで抱える。——だから、怒るときは、本気だ。あの会見の時のように」
ルナは小さく肩をすくめた。
「このコロニーでは、私の怒りは“若さ”に見えるのかもしれない。でも、あの会見の時は、ただ……誰かの言葉で、誰かの時間がまた切り捨てられるのが、嫌だった」
フレデリックは心の中で、昨夜のメモをなぞった。
“現場は数字で動いていない。体温で、痛みで、責任で動いてる——”
「ルナさん。あの言葉、今日も録らせてください。“体温”の話」
ルナは頷いた。
「私たちは、寒い夜を分け合って、朝を迎えました。震える手で、誰かの手を包むだけで、少しだけ温度が上がる。……だから、言葉も同じだと思います。数字は大切。だけど、誰かの体温まで奪うように使っちゃいけない」
メノリが目を細める。
「——それを守るのが、私の役。彼女が真っ直ぐに歩けるように、余計な風から庇う」
「庇われてばかりじゃ、だめなんだけど」
ルナが照れ笑いを浮かべる。
フレデリックは、風がページをめくるような沈黙を少しだけ置き、口を開いた。
「最後にひとつ。“帰ってきて”いちばん最初に、嬉しかったのは?」
ルナは、胸元の三日月のトップを指先ではさんだ。
「……みんなの“ただいま”が、同じ方向から聞こえたこと。誰も欠けなかったって瞬間が、ちゃんとあったこと」
メノリは「同意だ」と短く言い、柵の向こうの人工の空に目をやった。
⸻
階下から、シャアラの「焼けたー!」という弾む声。
続いてハワードの「肉、第二波いくぞー!」、カオルの「焦らすな」、チャコの「甘い匂いでセンサーが狂うわ!」、シンゴの「データは狂わないよ!」という応酬が、にぎやかに重なって届く。
フレデリックはレコーダーの録音を一旦止めた。
ランプが静かに消える。
「——前編は、ここまでにしておきます。火が落ち着いたら、また続きを。他の話も聞かせてください」
ルナとメノリが頷く。
二階のテラスに、焼けた砂糖の香りと、香ばしい肉の香りが流れ込んできた。
ーーーー
コテージのキッチンは、湯気とスパイスの匂いで満ちていた。玉ねぎがじっくり甘くなる音、鍋肌をなでる木べらのかすかなこすれ。エプロン姿のリュウジは、無駄のない手つきで大鍋のカレーを混ぜ、味を確かめると塩をひとつまみ落とした。
ドアのところで気配が止まる。
「入っていいですか?」
振り向かずに、彼は顎で合図する。「手、洗ってからな」
「心得てます」
フレデリックは水道で手をすすぎ、タオルで拭いてから小さなレコーダーを掲げた。
「約束は覚えてる。“あなたには”聞かない。——でも、仲間のことを教えてほしい。彼らの顔が、文章の中でもきちんと息をするように」
リュウジは木べらを立て、弱火に落とす。「……それなら、構わない」
「ありがとうございます。じゃあ、順番に聞かせてください」
ちょうどその時、外の炊事場から「焼けたぞー!」とハワードの声、すかさずカオルの「騒ぐな、肉が縮む!」というツッコミが飛び込んでくる。キッチンの空気が一瞬ゆるむ。リュウジは苦笑して、左手のタイマーを三十分にセットした。
「まずは——ルナから」
木べらが再びゆっくり動き出す。カレーの表面がつややかに波打った。
「人には“無茶するな”って言うくせに、いちばん無茶をするやつだ」
言葉はぶっきらぼうだが、声色はやわらかい。「そして常に前を見ている。『生きる方』に舵を切るのが反射みたいにできる。……あいつがいたから、皆は生きて帰ってきた。俺が言えるのは、それだけだ」
「なるほど・・・」
「決める時に決めて、折れる時に折れて、最後にまた立つ。そういう背中が、あいつにはあった」
外からシャアラの笑い声、ベルの落ち着いた返し。フレデリックは短く頷き、次の名を告げる。
「チャコ」
「見かけ倒しじゃない。優秀なロボットペットだ」
リュウジは鍋の端をさらいながら続けた。「ネフェリスで俺の操縦に付いてきた。計器の死角を埋めるのが速い。計算も、状況判断も。……うるさい時はうるさいが」
廊下の向こうで、まさにその“うるさい”声が木々の名前を連呼しているのが聞こえ、二人とも思わず笑った。
「シャアラさんは?」
「最初は、弱虫——だったな」リュウジは言葉を選ぶように一拍置く。「でも、あの生活でいちばん伸びた。怖いと言えるやつは、怖さを正しく扱えるようになる。今じゃ強い。誰かの手を取って、引っ張る方の強さだ」
フレデリックは“引っ張る方”と手帳に線を引き、次を促す。「ベルさん」
「力がある。体力も、我慢も。それと——サバイバルの知識は、俺も教わった」
鍋のふちにスパイスがこびりつく。リュウジは火を落とし、木べらで丁寧に馴染ませた。「火の扱い、風の向き、夜の音。理屈だけじゃない“勘”の裏付けを持ってる」
「カオルさん」
リュウジは答えを短くした。「信頼している、の一言で足りる」
「もう少し、何か——」
「要らない」彼は穏やかに遮る。「現場で誰に背中を預けるかって話は、語るより先に決まる。カオルは、そういうやつだ」
外で鉄板が弾ける。ハワードの「ミラクルレア!」、間髪入れずカオルの「語彙が焼けてるぞ」。フレデリックの口元が自然にゆるむ。
「シンゴさん」
「メカの腕は本物だ。あいつがいなかったら、帰ってこられなかった」
リュウジは戸棚から小さなフライパンを取り出し、バターを落としてクミンをパチパチと香り出しにかける。
「……船は、人が乗るから船だ。シンゴは“人の乗る船”を整える技術者だよ」
「ハワードさん」
「素直だ。みんなが思ってても口にしないことを平気で言う」
リュウジの頬に薄く笑みが乗る。「それで空気が悪くなる時もある。けど、責任って言葉の重さを、あいつは身で知った。そこからのハワードは、悪くない」
「メノリさん」
「ルナを支えながら、皆をまとめた。厳しさと優しさの配分を、自分で決められるようになってからは、頼もしかったな」
リュウジは言い終えると、火を止めたフライパンを鍋にあけ、香りを溶かし込んだ。カレーの色が一段深くなる。
フレデリックはレコーダーのメーターを確認し、静かに息を吐く。
「……ありがとうございます。言葉に熱があります。どれも、あなたから見た“彼ららしさ”だ」
「俺から見えた一面にすぎない。本人に聞け。俺が間違ってる可能性なんて、いくらでもある」
「それでもいいんです。誰かが誰かをどう見ているか——その矢印が、集団の輪郭になる」
「記者ってのは、そういうこと言うのが仕事か?」
「半分は。もう半分は、うまい飯にありつくことです」
リュウジは苦笑し、戸棚から小さなテイスティングスプーンを二本取り出す。「なら、仕事を一つ片づけろ」
一匙すくってフレデリックに渡す。
「熱いから気をつけろ」
ふっと吹いて口に運んだ瞬間、彼の表情がほどけた。「……スパイスが踊るのに、芯はやさしい。水の入れ方と火の落とし方が、丁寧です」
「子どもに食わせる飯は辛さより香りだ。あとで好みで足せばいい」
「その“あとで足す”余白が、さっきのみんなの話にも似てる。決めつけず、足し引きの余地を残す」
「評論は外でやれ。ここは調理場だ」
「了解です」
ちょうどその時、階段から軽い足音。テラスから戻ってきたルナとメノリが顔をのぞかせる。
「香り、すごいね」ルナが目を輝かせる。
「あと十五分で仕上げる」リュウジが時計を見ずに答えると、メノリが肩をすくめた。
「時間の管理まで正確。——フレデリックさん、取材は?」
「今は“言葉の寝かせ”中。いいカレーは寝かすともっとおいしくなるでしょ?」
「記者もスパイスも、寝かすと丸くなるのか」とメノリが笑う。ルナもつられて笑い、テラスへ引き返していった。
扉が閉まると、キッチンに再び小さな静けさが戻る。フレデリックはレコーダーをいったん止め、ペン先で手帳の端をとんとん叩いた。
「——もう一つだけ、枠外でいいです。あなたは、いまの彼らを見て、どう感じますか??」
「枠外は受けない」リュウジは淡々と答える。「さっき言ったろ。俺には聞くなって」
「わかりました」フレデリックは肩をすくめ、すぐに笑いへ戻した。「じゃあ枠内で。さっきの評、ひとことずつ“短く”まとめてもいいですか? 見出し用に」
リュウジは鍋の底をさらいながら、順に口にした。
「ルナ:常に前を向く、生き抜く舵。/チャコ:見かけによらぬ有能。/シャアラ:いちばん育った、引っ張る強さ。/ベル:理と勘を結ぶ、先生。/カオル:信頼。以上。/シンゴ:頭を回し続ける技術者。/ハワード:素直と責任を併せ持つ声。/メノリ:厳しさと優しさで支えたまとめ役」
「完璧です」フレデリックは満足げにメモを置く。「記事の芯が立った」
外から、シャアラの「焼きマシュマロ一番、できましたー!」、続いてハワードの「特製ミラクルレア・マシュマロ!」。
すかさずカオルの「それはただの生だ!」が重なり、テラスの笑い声が風に転がる。
フレデリックは一瞬そちらに目をやってから、レコーダーをポケットへしまった。
「ねぇ、リュウジさん」
「なんだ」
「さっき“本人に聞け”って言いましたね。——いまの話を土台に、俺は彼ら一人ひとりに、また“本人の言葉”を重ねます。そうして初めて、あの島の生活に近づける気がします」
「好きにしろ。お前の仕事だ」
フレデリックは照れ笑いを浮かべ、手のひらを合わせた。「その前に、もう一杯。うまいカレーは、取材の醍醐味です」
「皿を出せ。ついでに外の奴らに持っていけ。騒ぎが静まる」
「それは無理な注文ですね」
フレデリックは笑い、白い皿を差し出した。よそわれたカレーは、熱と香りをまとって揺れる。
「——ありがとう。あなたが“彼らの話”で鍋を満たしたこと、ちゃんと書きます。」
「書くな。……いや、“彼らの話”なら、書いていい」
「了解です」
フレデリックが皿を抱えて出ていくと、キッチンには再び木べらの音だけが残った。リュウジはタイマーを一度見て、火を弱め、最後の一混ぜを落とす。
鍋の表面が静かに整う。
「——できあがりだ」
その声は、外の賑やかさへ自然に溶けていった。テラスから「いただきまーす!」の合唱。
取材はまだ続く。けれど、いまこの瞬間だけは、言葉より先に湯気が立つ。彼らの名前と同じくらい、確かな生活の匂いが。
ーーーー
コテージの二階、客間。窓の外では木立が風に鳴き、室内は湯気の立つカップの香りと、薄い午後の日差しで満ちていた。
ルナは椅子に浅く腰掛け、膝の上で指をそっと重ねる。向かいに座るフレデリックは、机の上に小さなレコーダーを置き、赤いランプを確かめてから顔を上げた。
「——回します。周りは賑やかですけど、ここは二人だけ。無理に答えなくていいことは、無理に聞きません」
「ありがとうございます。大丈夫です」ルナは小さく頷いた。
「最初に戻ります。あの不時着のとき——操縦桿を握ったのは、あなたでしたね」
ルナは一拍、息をためてから言葉を選んだ。
「誰かがやらなきゃいけない状況でしたので。機体は揺れて、計器はめちゃくちゃで……でも、チャコが横で必死に繋いでくれて、リュウジが隣で支えてくれました。私ひとりじゃ絶対に無理でした。不時着できたのは、二人のおかげです」
フレデリックはゆっくりと頷く。「“ひとりじゃない”と」
「はい」ルナはかすかに笑う。「あの時、握っていたのは操縦桿だけど、実際には、みんなの手を握っていた感じがしました」
「拠点づくりの話も聞かせてください。最初はシャトルで生活していた、と」
「ええ。最初の数日は“助かった”という安堵で何とかやれましたが、シャトル暮らしはストレスが溜まる一方でした。狭いし、夜は金属の音ばかりで眠れない。だから——大いなる木の上に、みんなで家を建てることにしました。リュウジやシンゴ、チャコが骨組みを、ベル、カオルとハワードが材を運んで……シャアラやメノリが飾り付けをしてくれてね。あの家に初めて寝転んだ夜、風の音が“怖い”じゃなくて“歌”に聞こえた気がしました」
「でも、季節は冬へ向かいました」
「そこからが試練でした」ルナは目を伏せる。「大いなる木は高くて、風をまともに受ける。凍える日が増えて、ベッドから出るのも辛くなる日があって……そんな時、ベルが『洞窟に移ろう』って提案してくれました。最初は“そんな時間ない”って思いました。でもベルとリュウジが先に整備してくれて。スターホールって名付けた洞窟の拠点に移ることにしました」
「スターホール、いい名前だ」フレデリックが微笑む。「冬の生活は——厳しくなかったですか?」
「大変でした」ルナは素直に言う。「寒さもだけど、なにより食料の備蓄が目に見えて減っていく。棚の“隙間”で分かるんです。あの隙間って、心にも穴をあけました」
「食料は、どうやって?」
「……サツマイモを見つけました。」そこでルナは小さく苦笑した。「それとリュウジが海に潜って、魚を確保してくれて。帰ってくると手は切れてるし、体は冷え切ってるし……なのに普通にしている。こっちは怒る気力もなくなるくらいでした」
「リュウジさん、大活躍だったんですね」
「はい」ルナの声が、ひときわ明るくなる。「無茶ばかりするけど、みんなのために、必ず食料を持って帰ってきてくれる。……“空っぽ”の棚を埋めるのが、どれだけ心を温めるか、彼は分かっていたんだと思います」
フレデリックは手帳をめくり、少し悪戯っぽく目を細めた。
「ただ、さっきキッチンで本人が言っていました。“いちばん無茶をするのはルナだ”って」
「まったく、もう……」ルナは頬を指でかき、照れ笑いをこぼした。「よく“似た者同士”だって言われます。私も、目の前で困っている誰かがいると、気がついたら走っていて……戻ってみると、結構ぼろぼろ、みたいな」
「では——あなたから見て、“リュウジがいちばん無茶した瞬間”は?」
「うーん……」ルナは首をかしげ、少し考えてから、くすっと笑う。
「決められません。いつも無茶ばかりするので。変な言い方ですけど、彼の無茶には筋が通っています。誰かのため、っていう一本の筋が」
「なるほど」フレデリックは満足げに頷き、次の頁へペン先を滑らせる。
「では、彼が“変わった”——あるいは“戻った”と思うきっかけは、何だったと感じていますか?」
ルナのまぶたが、すこし長く降りた。
「……私は“悲劇のフライト”のこと、島でメノリやシャアラから聞くまで何も知りませんでした。彼が抱えていた闇は、とても深くて、冷たくて……触れることすら躊躇うような。その暗さの正体を、やっと理解できたのは——」
「——どうやって、彼から真実を聞けたんです?」
ルナはゆっくりと顔を上げ、まっすぐにフレデリックを見た。
「ある日、吹雪の中、リュウジが食料を探しに出て、帰ってこない日があった。『待つ』って決めたのは私なのに……居ても立ってもいられなくなって、探しに行ったんです。足跡はすぐ雪に消えるし、声も風にちぎれるし……それでも進んだ。やっと見つけた時、彼は崖から落ちて気を失っていて。動かせなかったから、その場でビバーグするしかなくて——」
部屋の空気が、ほんのわずか、冷たくなる。けれど、その中心にある声は静かだ。
「夜は長かった。寒さと、彼の呼吸の音と、焚き火の爆ぜる音だけの世界で、私は彼の手を握っていた。……目が覚めたときに、彼は話してくれた。“悲劇のフライト”で何があったのか。誰が操縦にいたのか。どこで、何を壊され、何を選んだのか。ステファンさんの会見で語られたのと、同じ内容でした」
フレデリックはペンを止め、静かに頷く。「——その夜から?」
「はい。そこから、少しずつ……彼は心を開いてくれるようになった。全部を“背負い直す”みたいに、ゆっくりと」
「いまお聞きした“悲劇のフライト”に関する部分ですが——」
「待って」ルナは優しく、しかしはっきりと遮った。「そこは、彼の許可を取ってからにしてください。私の言葉で、彼の傷に触れることはしたくない」
フレデリックは、まるで最初からその返事を待っていたように、穏やかに笑った。
「分かっています。必ず彼の許可を。——ありがとう、ルナさん。寒い夜の話を思い出させてしまって、ごめん」
「いいんです。話すことで、あの時の焚き火が、また少しだけ暖かくなった気がしますから」
窓の外で、誰かがはしゃぐ声。続いて、カオルの短いツッコミ。ルナは目だけで笑って、椅子の背にもたれた。
フレデリックはレコーダーのスイッチを切り、しばし沈黙を尊重する。やがて、ページを閉じた。
ーーーー
コーヒーの湯気が立ちのぼる。窓の外では、針葉樹が午後の風に小さく鳴った。
フレデリックはレコーダーの赤いランプを押し、顔を上げる。
「——続けましょう。冬が明けて、暮らしは少し落ち着きましたか?」
ルナはマグを両手で包み、頷いた。
「ええ。雪解けの水が流れて、土の匂いが戻ってきて……“春が来た”って、皆で笑いました。──でも、しばらくして、私たちの救難信号を拾った宇宙船があったんです」
「救難信号?」
「はい。恒星間輸送船“オリオン号”。最初は、やっと帰れる糸口かもしれないって、胸が熱くなった。でも……それが“悪夢”の始まりでした」
フレデリックの筆が止まる。「悪夢?」
「オリオン号は、ザンテ監獄から脱走した囚人たちに乗っ取られていたんです。後で、乗組員だった整備士のポルトさんから詳しく聞きました」
「……脱獄囚、ですか」
「ええ。ボブ、シルヴァ、そして——“悲劇のフライト”で宇宙ジャックをしたブリンドー。三人です」
部屋の温度がわずかに下がった気配がした。フレデリックは息を整え、問いを重ねる。
「衝突は、避けられなかった?」
ルナは短く目を閉じ、言葉を選んだ。
「彼らは私たちの船の“姿勢制御ユニット”ばかり狙って、何度も衝突してきました。ハワードが捕まったり……リュウジは、単独で相手を引きつけて、戦って。」
「脱獄囚たちは、最後には——?」
ルナはひと息つき、静かに続けた。
「オリオン号を無理やり操縦したまま、島にあった“テラフォーミング・マシン”に突っ込んで……そこで、彼らは命を落としました。助けられなかった命は、やっぱり胸に残ります。けれど、あの瞬間、私たちにできたことは、生き延びることだけでした」
「その後は?」
「コロニーに戻るには、もっと大きな手段が必要だと分かりました。惑星の“メイン・テラフォーミング・マシン”がある大陸へ渡るため、私たちは船を作って、海を越えたんです。……でも、島を出る前に、ポルトさんが宇宙病で倒れて。看病はしましたが、空を見上げたまま、静かに——」
言葉が途切れる。フレデリックは軽く首を垂れた。
「ご冥福をお祈りします。——大陸に渡ってからは?」
「細かい出来事は端折りますね」ルナは小さく微笑んだ。「私たちは“サヴァイブ”って呼ばれるメイン・コンピュータに会いました。そこで初めて知ったんです。あの惑星は、いま大きな“地殻変動”の只中にあるって」
「地殻変動……原因は?」
「私たちを呑み込んだ“重力嵐”が、惑星に衝突する軌道に入っていました。……このままだと、私たちの家に、また“終わりの夜”が来ると」
「——重力嵐が衝突する、と」
「ええ。だから、決めたんです。惑星に残っていた“たった一隻の宇宙船”で、重力制御ユニットの“逆位相”を使って、嵐を打ち消す。少なくとも、進路を曲げる。無謀だって分かっていました」
フレデリックは前のめりになる。「どうして、そこまで?」
その問いに、ルナの瞳がふっと明るくなった。
「私たち、あの惑星が好きなんです。氷の夜に肩を寄せた洞窟も、風が歌った大いなる木も、みんなで耕した畑も。名前をつけた湖も、泣きながら笑った焚き火も。好きな場所を、好きであり続けさせたい。ただ、それだけでした」
「……それで、重力嵐は?」
「消し去ることは、できませんでした。でも、衝突の軌道は“ずらせた”」
ルナは指先でマグの縁をなぞった。
「それからです。千年ぶりに、あの惑星を離れていた人たちが戻ってきたのは。彼らの祖先は、かつての大災厄から逃れ、星間を漂っていた。軌道が逸れた知らせで帰還できた彼らは、私たちに“ネフェリス”という宇宙船を託してくれました。」
「その“ネフェリス”で、あなたたちはコロニーへ」
「はい。みんなで、ただいまって。——長い遠回りでしたけど」
フレデリックは静かにペンを置く。
「ありがとうございます。ここまでの話で、もう十分です。……最後に、ルナさんの“これから”の目標を聞かせてください」
ルナはまっすぐに彼を見る。声に迷いはない。
「私は“惑星開拓技師”になる夢を、必ず叶えます。そして——もう一度、地球に、人が“暮らす”という当たり前を取り戻します。森が風で鳴って、川が朝日に光って、子どもたちが土を汚して笑う、そんな地球です。時間がかかっても、やります」
フレデリックは口元に、かすかな笑みを載せた。
「いつか——その地球で、あなたにまたインタビューできる日を、心から楽しみにしています」
カチ、と小さな音を立てて、レコーダーの赤い光が消える。窓の外では、雲がほどけて、遅い午後の光が森に降りた。二人はしばらく、言葉よりも静けさを分け合った。
ーーーー
夕方の冷たい風が、森の梢をさらさら鳴らしていた。
コテージの前で荷物を肩に掛けた一同に、フレデリックが深く頭を下げる。
「今日はありがとうございます」
「皆さんが楽しんでくれたのなら良かったです」とフレデリック。
「……あれ? リュウジは?」とハワードがきょろきょろ。
「そういえばいないな」とメノリ。
「先に帰っちゃったのかな」とシンゴ。
「でもグループチャットでは何も言ってないよ」とベル。
「何かあったのかな」とシャアラが眉を寄せる。
「心配する事はないだろ。リュウジだし」とカオル。
「せやな、そのうちケロッと帰ってくるやろ」とチャコも肩をすくめた。
「リュウジさんには僕から言っておきます」とフレデリック。
ルナはほんの少しだけ不安を残した笑みで、「また、ソリア学園でとお伝えください」と頼む。
「分かりました!」と親指を立てるフレデリック。
やがて「それじゃ、また」とメノリが締め、ハワードの「皆んなで夕飯食べてこうぜ!」という声に笑いながら、一行は出口の方へ歩き出した。足音が遠ざかり、場に静けさが戻る。
コテージの扉が静かに開く。
「皆んなは帰ったか?」
フレデリックが振り向くと、エプロンを外したリュウジが奥から現れた。傷の包帯は新しいものに替えられ、指先の動きももう迷いがない。
「はい」フレデリックは頷き、対面の椅子へと腰を下ろす。「この前、依頼された資料です」
薄茶の封筒が手渡される。ずっしり、と紙の重みが掌に乗った。
「すまなかったな」リュウジは封を切り、目を走らせる。
——墓所の所在地リスト。遺族代表の連絡窓口。慰霊碑の管理者、献花の可否と時間帯。公的記録の写し、証憑の控え……。
ページをめくるたび、紙の端が乾いた音を立てた。
「それと——リョクとナッシュは今、どうなっている?」
リュウジが顔を上げる。
フレデリックは資料用タブレットを軽くスワイプした。
「まず、ドルトムント財閥は“悲劇のフライト”の件で遺族や市民から非難の声が上がっています。主要部門の売却交渉が複数進行中で、解体されるのは時間の問題でしょう」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「リョク氏とナッシュ氏については、偽証や汚職など他の余罪もあり、間もなく身柄を確保される見込みです。宇宙連邦の監察と地検の合同で」
「そうか……」
リュウジは短く息を吐いた。安堵でも、溜飲でもない静かな呼気。
「悪いが、その見込みでもう十分だ。正義の帳尻は、専門家が付けてくれる」
彼は封筒の別の束を取り出した。地図に赤い印がいくつも踊っている。
「俺のやることは、こっちだ。——名前を、ひとつも落とさない」
リュウジは、言葉を添える。
「行程は……ロカの慰霊広場から始めて、小惑星帯の共同墓苑、土星環コロニーの散骨場、オルレアン・ドーム市民墓地、冥王星の共同墓地、火星の墓地……早くても二週間以上はかかるか」
「寝なければ一週間」
冗談めかして言い、すぐ苦笑に変える。「……冗談だ。なるべく効率よく回る。同行のカメラは要らない。記事にもしてくれるな」
フレデリックは即座に首を振った。
「もちろん。これは“見せる話”じゃない。——ただ、帰ってきたら、名前の読みだけ確認させてください。誤字は、悲しみをもう一度踏みにじることになる」
「頼む」
窓の外、夕雲が紫を深める。焚き火跡から、わずかに甘い匂い——焦げたマシュマロの残り香が流れた。ハワードが「焼きが命!」と騒いで、カオルに「騒々しい」「ただの我儘だ」と突っ込まれていたのを思い出し、二人してくすりと笑う。
「了解」フレデリックは立ち上がり、手短に握手を交わす。「気をつけて」
扉の向こうは、群青。コテージの灯りが背に温かい。
玄関の段差でリュウジは一度だけ空を見上げた。
——名前を落とさない。
ポケットの中の封筒が、行く先を指し示す羅針のように思えた。
遠く、街の灯がまたたいた。
明日へ続く道は、それぞれの足の下で、確かに伸びている。