サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第47話

土曜の朝。コロニーの天頂に白い陽光が広がりはじめるころ、ルナはミルクティー色のニットの襟を整え、三日月のネックレスを確かめてから玄関に靴をそろえた。

「チャコ、行ってくるね」

「おう。ウチは後から合流するわ」

「わかった。忘れ物ないよね――行ってきます!」

「いってらっしゃい。焦らんと、深呼吸やで」

 

ソリア学園のゲート前は、すでに色とりどりのフラッグとホログラムの案内が踊っている。文化祭は二日構成――土曜・日曜の午前が一般公開、日曜の午後は在校生限定。今年のソリアは《地域連携モデル校》に指定され、ロカの自治会や商店区、救助隊のブースまで軒を連ねる。いつもより、視線も来場者も多いはずだ。

 

昇降口で上履きに履き替えると、ルナは真っ先に自分たちの展示教室へ。ドアを開けると、すでにメノリ、シャアラ、シンゴ、ベルが集まっていた。タブレット看板に「地球再生ラボ ― くらしと再生」と走り書きのロゴが回っている。

 

「おはよう、みんな」

「おはよう、ルナ」

「おはよー! 開場まで二十分! 最終チェックいくよー」シャアラが腕まくりする。

シンゴは壁際の配電盤を点検し、「電源系統OK、非常切替OK。CO₂循環モデルは自動起動タイマー設定済み」と報告。

ベルは避難動線テープを確認し、ドア脇の“非常口→”アイコンの輝度を一段上げる。

 

ルナはタブレットの展示順を最後に調整した。トップは短い導入ムービー、次に「大気循環ミニ模型」、その先に「土壌浄化と藻類」。「重力の“感じ方”実験」「“明日のくらし”対話ゾーン」などを確認する。

 

「……よし、問題なさそうだな」

振り返ると、メノリがタブレットを抱えたまま立っていた。きりりとした眼差しで全員を見渡し、低い声で言う。

「いいか? 今年は地域連携モデル校。視察も多い。いつも通りでいいが、“いつも以上”に、頼むぞ」

そして、言い終えると同時に、ふっと視線がルナに向いた。

ルナは胸のネックレスにそっと指を添え、頷いた。「うん。オープニングの三十秒、私がちゃんと伝える」

 

廊下の向こうからハワードの声が響く。「おーい! 試食の最終リハ終わったぞー! カオルの鉄板、今日もキレッキレだ!」

続いてカオルが顔をのぞかせる。「リハは終わった。あとは本番でミスしないだけだ。」

「もちろん! …“世界が変わる一本”は自重しとく!」

「最初からそうしろ」

メノリが半眼になり、シャアラはくすっと笑った。

 

始業のブザーが鳴る。体育館のステージ袖で待機する間、ルナは昨夜まとめたメモを最後に一読した。

《——はじめまして。ソリア学園・地球再生ラボです。きょうは“未来のふつうのくらし”の話をします。土と水と光、そして人の手がつくる循環が、コロニーでも惑星でも同じように働くこと。わたしたちの地域と、遠くの星をつなぐアイデアを、三つだけ持ってきました……》

深呼吸。舞台袖でメノリが小さく頷く。合図のライト。ルナは一歩、前へ。

 

「――みなさん、おはようございます」

マイクの先、集まった来場者のざわめきがすっと引いていく。

「ソリア学園は今年、“地域と学び”をつなぐ挑戦をしています。私たち『地球再生ラボ』は、身近な暮らしのなかにある循環の力を、体験でお見せします。三十分後には中庭で“ハワード・ドック”の試食提供も始まります。まずは——楽しんで、驚いて、いっしょに話しましょう。どうぞ、よろしくお願いします」

 

拍手が広がる。袖に戻ると、メノリが小さく親指を立てた。

「上出来だ。声も表情も、ちょうどいい」

「ありがとう。ね、みんな——」ルナは振り向き、教室で待つ仲間の顔を一人ずつ見た。「今日は思いっきり、楽しもう!」

「「「おおーっ!」」」

ハワードが拡声器を掲げ、シャアラが飛び跳ね、ベルは苦笑しながらも拳を上げ、シンゴは機材ケースをぱたんと閉めて「準備完了」と手短に。カオルは頬の端だけを少し上げた。

 

開場。

廊下へ溢れだす来場者の列。最初に飛び込んできたのは近隣区画の親子連れ、自治会の腕章をつけた年配の男性、そしてメディアのカメラマン数名。

「いらっしゃいませ。お一人ずつタブレットの矢印に沿ってお進みください」

ルナは笑顔で先頭のお母さんに声をかける。シャアラは子どもに土壌キットを手渡し、「ここに水を三滴、いっしょにやってみよう」。

 

ーーーー

大気循環ミニ模型

 

教室中央の透明ボックス。片側は温風パネル、もう片側は冷却板。底には霧発生ユニット。

「ここが“暖かい海”、こっちが“冷たい大陸”。スモークで空気の流れを見てね」

シャアラの合図で霧が立ちのぼり、薄い白筋が温側から冷側へ回り込み、天井面で還流する。 

 

シンゴがタブレットをかざすと、簡易風速と温度差のグラフがリアルタイムに重ね表示された。

「温度差が小さくなると、流れは弱まります。嵐は“差”から生まれるんです」

子どもが「わぁっ」と声を上げ、保護者が写真を撮る。見せ場は十秒、説明は十秒、次の組へ——流れは滑らかだ。

 

ーーーー

土壌浄化と藻類パネル

 

入口左の長机に、三本の土壌カラム(砂・砂利・活性炭)と、薄緑の藻類パネル。

「この濁った水、通してみますね」

 

ルナが計量カップから一段目へ水を落とす。砂層で粗い粒子が止まり、活性炭層を抜けるころには色が薄くなる。

「土と微生物の“しごと”です。パネル側は藻が栄養塩を吸って酸素をつくる。触ってはだめだけど、気泡、見えるかな?」

 

ベルは安全カードを指差す。「アレルゲン表示はここ。触水はスタッフのみ。非常停止は赤ボタン」

近隣自治会の人が頷く。「非常時に簡易ろ過で応用できそうだ」

ルナは笑顔でタブレットのQRを示す。「設計図、公開してます。後で見られますよ」

 

ーーーー

 

重力の“感じ方”実験

 

奥の机には、直径90cmの黒いメンブレン(合成ラバーシート)。脚にはしっかり滑り止め、縁には黄色の“球落下禁止ライン”。シンゴが中央に銀色のアルミ円柱――“重い星”を静かに置くと、薄くたるんでいた膜がすうっと沈み、小さな盆地のような窪みが現れた。脇のケースには大・中・小のプラスチック球が並んでいる。

 

「まずはスタッフデモから。順番は“転がす→気づく→説明”。子どもは大球だけだぞ」

メノリが短く確認し、視線で合図を送る。

 

「試すよ」

ベルが縁に立ち、大球を指でそっと押し出した。球はまっすぐ進もうとしながら、緩やかに弧を描き、やがて中央の“星”の周りへ。くるり、くるり――軌跡が螺旋になるたび、子どもたちから「おぉー」と声が漏れる。

 

「いま、球は“まっすぐ”転がした。けれど、布(空間のたとえ)が重い星でへこんでるから、道そのものが曲がる。**これは重力の“たとえ”**で、本物の重力制御とは違う。ここで大事なのは“まっすぐのつもりでも、地形しだいで曲がる”って気づくこと」とメノリが言う。

 

すかさずシャアラがタブレットを掲げる。淡いブルーの吹き出しとともに、三枚のスライドがディスプレイにミラー表示された。

1枚目:上から見た見取り図。

2枚目:横断図で、布のへこみ断面。

3枚目:注意書き「転がすのは一人ずつ/球は順番で返す/黄色ラインを越えない」。

 

列の合間には、シャアラが小さな子向けのミニ解説を挟んだ。「ここは“空間のマット”。重いものが乗ると“ぼふっ”てへこむ絵、描いてみたよ。見える? だから道が曲がっちゃうの」

ディスプレイの横断図に、子どもが「トンネルみたい」と指をさす。「いい気づき。けど穴じゃなくて、ふかふかの布がへこんでる感じね」とシャアラが笑う。

 

ーーーー

“明日のくらし”対話ゾーン

 

出入口脇の円卓。スツールとスケッチボード、付箋、ミニ投票端末。

メノリがにっこりと促す。「三分だけ座って、あなたの“明日のふつう”を一言メモしてください」

テーマは三つ:水の使い方/移動と安全/食とエネルギー。

「投票はタブレットで。良いねが多い案は午後の“まとめボード”に載せます」

 

メノリはさりげなく回り、年配の手にペンを渡し、子どもには絵の枠を渡す。

 

壁面のスクリーンには付箋のキーワードが雲のように増殖していく——“非常時もおいしい水”“小さな循環を家に”“夜道の見守りドローン”

 

ーーーー

 

中庭では湯気と香りが人を呼び寄せていた。

「いらっしゃいませー! 焼きたて三分、辛味はお好みで調整できますよ!」

ハワードの声、鉄板で弾ける油の音。カオルは流れ作業で、パンの温度、ソーセージの芯温、トッピングの順を寸分違わず回し続ける。

「手袋交換!」カオルのアラートに即座に応じ、ごみ箱の蓋を開けて動線を確保。

「安全カード、ここです! アレルゲン“卵・乳・小麦”、表示あります」ハワードが指差し案内。

「うん、完璧」ルナは胸の中で呟き、また展示教室へ駆け戻った。

 

合間、ルナはポケットの端末をのぞく。先ほど送ったメッセージは既読になっていない。

《リュウジ、今日から文化祭はじまるよ。オープニング、うまくいった。あとで報告するね》

――返事はない。けれど、胸の奥の心配を、いまは一度しまっておく。やるべきことが、山ほどあるから。

 

ーーーー

 

正門前。アーチに吊られた〈ソリア学園 文化祭〉の横断幕が風にはためき、親子連れと地域の人で歩道が埋まっている。屋台の匂い、校舎から漏れる歓声、スピーカーの呼び込み――まるで小さな街の縁日だ。

 

「えらい、盛り上がっとるなぁ……」

 

チャコが肩の関節をくいっと回しながら見上げていると、背後から柔らかな声。

 

「――あれ? チャコ?」

 

振り返れば、落ち着いた笑みのエリンが立っていた。薄いベージュのコートに紺のワンピース、髪の緑が陽を受けてやわらかく光る。

 

「エリンやないか!」

チャコはぱぁっと顔を明るくして駆け寄る。「エリンも文化祭に来たんか?」

 

「ええ。あなた達の展示、ネットでも話題になってるしね。」

エリンは目を細めて頷く。その肩越しに、キャップの鍔を指で持ち上げる仕草――

 

「エリン〜、何してるの?」

 

サングラス越しに金髪がきらり。ペルシアだ。

 

「ペルシア、こちらリュウジの仲間のチャコ。」とエリンが紹介する。

 

「おお、あんたがペルシアかいな。」チャコが目を丸くする。

 

ペルシアは口角を上げた。「その声は、リュウジとの通信でゲラゲラ笑ってたやつね。やっと顔と一致したわ。」

 

「リュウジがあんだけ揶揄われるの、初めて見たもんやから。」チャコもニヤリ。

 

「まぁ、リュウジを揶揄うのが私の仕事みたいなものだしね。」

 

「そんな仕事はないでしょ。」エリンがくすりと笑い、肘で軽く小突く。

 

通用門の方から、子どもが「重力のやつ、もう一回!」と駆けていく。キャンパス内はどこも列ができ、係の生徒がタブレット片手に導線をさばいている。

 

「そういや、ペルシア。」チャコが思い出したように前のめり。「ルナに色々、洋服やらネックレス送ってくれてありがとな。めっちゃ喜んどったわ。」

 

「いいのよ、リュウジのお金で買ったものだし。」ペルシアは悪びれず肩をすくめた。

 

エリンの笑顔がぴしっと止まる。「――また、リュウジにブランド服、買わせたの?」

 

「いいじゃない。私はリュウジとエリンと違って安月給なんだから。」ペルシアが苦笑い。

 

「ドルトムント財閥の系列会社を辞めなければ、充分もらえてたでしょ。」エリンは半眼でため息。

 

「はいはい、説教は後で。まずは――」ペルシアは校内マップの看板に近づき、人差し指で“喫煙所”のアイコンをトン、と叩く。「喫煙所。」

 

「まったく……。」エリンが肩を落とし、チャコに向き直る。「私達で先に回りましょ。」

 

「せやな。」チャコはきびすを返し、校庭の奥を指さす。「中庭にハワードがやっとる屋台があるから、そこ行こか? “ハワード・ドック”や。」

 

「いいわね。」エリンが微笑む。

 

三人は来場者の流れに紛れ、校門をくぐった。

 

ーーーー

 

中庭。焼けたソーセージの匂いと、マスタードの酸が風に乗る。

〈ハワード・ドック〉の赤い幟の下、ハワードがマイクを握って吠えていた。

 

「さぁさぁ寄ってらっしゃい! 本日限定・ハワード・ドック! 焼きが自慢、蒸しもある! 君の空腹、俺が救う!!」

 

「“世界一”って言うなよ。」グリドル前のカオルが、フライ返しで鉄板をカンと叩く。

 

「はいはい、銀河級で手を打ちまーす!」とハワード。客席から笑いが起きたそのとき――

 

「ハワード、繁盛してるわね。」

 

ふっと差し込んだ柔らかな声に、ハワードが振り向く。緑の髪を陽に透かし、整った笑みを湛えたエリン。肩にちょこんと座ったチャコが手を振る。

 

「エ、エリンさん!? う、うわ、び、美人……」

ハワードの手が空中で固まり、掲げていた紙皿がふらりと傾く。

 

「おい。」カオルが低く呼ぶ。ハワードがはっとして姿勢を直した――が、カオルのほうも一瞬お玉の動きが止まっていたのをチャコは見逃さない。

 

「なんやカオル、口あいとるで。」

「……油がはねる。下がってろ。」ぶっきらぼうに返しつつ、耳の先だけが赤い。

 

「で、なににする?」とハワードが取り繕うように笑顔を作る。

 

チャコがずいっと前に出た。「値切り交渉や。一本ニダールで、どないや?」

 

「はぁ!?」ハワードの声が裏返る。「原価ってもんが――」

 

「無茶言うな。」カオルが即座に遮る。「一本三ダール。これが限界だ。」

 

「ほなまとめ買い割や。」チャコは腕組みして、顎を上げた。「ウチら、みんなへの差し入れで二十本いくで。焼き十、蒸し十。ついでに辛口ソースも全員のせ。現金一括、ゴミはこっちで回収、受け取りは一回でええ。そんでニダールにまけたってや。」

 

「二十……?」ハワードの目が輝く。「売上はデカいぞ、カオル!」

 

カオルは指を折りながら、ざっと頭の中で計算する。「パン仕入れ、ソーセージ原価、調味料ロス、ガス代、紙資材――ニダールは原価ぎりぎりだ。」

 

エリンがふっと微笑んだ。「差し入れは、ルナたちの展示班と、手伝っている先生方にも。『ハワード・ドック、ごちそうさま』って一言、アナウンスに載せておくわ。宣伝効果も、少しはあるでしょう?」

 

ハワードが「おお……!」と身を乗り出す。

カオルは一拍置いて、ため息をひとつ。「……十本以上のまとめ買いに限って、一本ニダール。ただし次はない。これ一回きりだ。いいな?」

 

「まいど!」チャコが親指を立てる。

 

「じゃあ、約束どおり二十本。」エリンは迷いなく端末を取り出し、キャッシュレスで支払いを済ませた。「受け取りは――そうね、五分後で大丈夫かしら?」

 

「いや、すぐ用意します。」カオルが手元のトングを持ち替える。「ハワード、焼き十で段取りする。蒸し、蒸籠(せいろ)は任せた。」

 

「ラジャー!」ハワードはマイクをミュートにして、いきなり俊敏になった。パンを温め、ソーセージをくるりと回し、辛口ソースのボトルを並べる。先ほどまでの軽口が嘘のような連携だ。

 

「ところで――」エリンが包み紙の山を受け取りながらたずねる。「ルナたちは今、どこ?」

 

「展示室です。」カオルが即答する。

 

「おおきに。ほな、これ持って顔出してくるわ。」チャコが紙袋をたすき掛けに提げ、ぴょんと肩に戻る。

 

エリンは両手いっぱいにドックの紙袋を抱え、柔らかく会釈した。「ごちそうさま。あとで、私たちのぶんも買いに来るわ。」

 

「いつでもどうぞっ!」ハワードが上機嫌に手を振る。去り際、彼はもう一度うっかり見惚れて、カオルに小声で突っ込まれた。「手を動かせ。」

 

 

校舎の陰、掲示板の脇――「喫煙所→」の矢印に従って進むと、ひっそりとしたスペースにベンチが二つ。そこでペルシアが「やっと着いた」とぼやき、銀紙から一本取り出して唇にあてがった。

 

カチ、とライター。火が先端を染め、白い煙がふわりと立つ。肺に落として、長く吐く。

 

「――そんな格好で来てると、騒がれるわよ。」

 

低い声が重なった。振り返ると、紺色の詰襟に金の肩章、深い庇の制帽。胸にはS級パイロット証が光る。鋭い目つき、整った輪郭。ブライアン――“怪物”の異名で呼ばれる、リュウジの同輩だ。

 

ペルシアはサングラスをずらし、半眼を向ける

 

ブライアンは肩をすくめた。「構わない。俺は騒がれるのは嫌いじゃない。」

 

「はいはい。で――リュウジに会いに来たわけ?」

 

「ああ。」ブライアンは短く答えて、ベンチに腰を下ろした。「リュウジ・パイロットに聞きたいことがある。」

 

「あっそ」ペルシアはもう一口吸って、灰を落とす。

 

ブライアンはわずかに頷き、内ポケットから厚紙を二枚取り出した。「一週間後、ロカでパーティをやる。お前とエリンの分だ。」

 

ペルシアは受け取って、指で縁を弾く。上質紙に浮かぶ金の箔押しが光る。「へぇ。気が向いたら行くわ。」

 

「そうしてくれ。」ブライアンは立ち上がる。制帽の庇を指で押し上げ、ちらりと校庭の喧噪へ目をやった。「……賑やかだな。たまには、こういうのも悪くない。」

 

踵を返し、制服の背が群衆へと紛れていく。ペルシアはその背中が見えなくなるまで目で追って、ふぅと大きく吐息をこぼした。

 

「はぁ……怪物は相変わらず直球ね。」

煙が真っ直ぐに伸びて、空の青へ溶けていく。ペルシアはもう一度、静かに火をくゆらせた。

 

ーーーー

 

展示室の前は、人の波でふさがっていた。廊下まで伸びる列、肩越しに覗く親子、自治会の腕章を巻いた年配のグループ。きらめく模型と説明パネルの光が、ガラス戸の隙間から漏れている。

 

「ぎょうさんおるなぁ……」チャコが肩で息をしながら目を丸くする。

エリンは混雑の様子を一瞥し、やわらかく微笑んだ。「本当に。――あ、気づいたわね」

 

視線に気づいたのか、展示室の奥からメノリがこちらを見つけ、相手をしていた自治会の老人たちに「少々、失礼します」と会釈してから、すい、と人波を縫って出てくる。

 

「お久しぶりです、エリンさん。それにチャコも。よく来たな。」

「これ、差し入れ。〈ハワード・ドック〉で焼きと蒸しを十本ずつ。スタッフの分にしてちょうだい。」エリンが両手の紙袋を差し出す。

「お気遣い、ありがとうございます。助かります。」メノリの目尻がほっと緩む。

「にしても、すごい人数やな。何人ぐらい来とるん?」チャコが身を乗り出す。

「さっきカウントで四百ちょっと。この枠は定員いっぱい。次の回は整理券です。」とメノリ。手元のタブレットには来場者の流れと各コーナーの混雑度が色で表示されている。

 

「メノリー!」展示室の奥からシャアラの声。

「今行く!」メノリは即答し、ふたりへ向き直る。「ゆっくり見ていってください。差し入れはスタッフルームへ運んでおきます。」小さく会釈して、担当持ち場へ駆け戻った。

 

入れ替わるように、今度はルナがこちらに気づく。ベルに一言断りを入れると、駆け寄ってきた。頬は汗でほんのり赤い。

 

「エリンさん、チャコ――ようこそ、地球再生ラボへ。」

「かなり人気みたいだね。」エリンが目を細める。

「ウチが作ったティザー動画のおかげやな。」チャコが胸を張る。

「うん、半分はね。」ルナはいたずらっぽく笑った。

「半分?」とエリンが首を傾げる。

「もう半分は――ほら。」ルナが苦笑いで指さした先、〈④“明日のくらし”対話ゾーン〉には若い女性たちが列を作り、メノリに矢継ぎ早に質問している。

 

『あの、S級パイロットのリュウジさんはいないんですか?』

『申し訳ありません。本日はおりません。』

メノリが疲れ気味の笑顔で受け答えし、別の来場者を案内していく。

 

「なるほど、半分はリュウジ目当てっちゅうわけかいな。」チャコが肩をすくめる。

「そうなの。」ルナも苦笑して肩を落としたが、すぐに表情を立て直して来場者へ視線を戻す。

 

そのときだった。廊下の奥からざわめきが伝わる。

「おい、S級パイロットの人が来てるらしいぞ――」

 

ルナの瞳がぱちんと見開かれる。心臓が一拍、強く跳ねた。

(もしかして……リュウジ?)

 

「ルナ、行ってきたらええ。」チャコが背中を押す。

「……いいの?」

「ええ。ルナの代わりにウチがここ、やっといたる。アテンドは任せぇ。」チャコが胸をどん、と叩いた。

「チャコ、ありがとう! すぐ戻るからね!」ルナは小走りから一気にスプリントへ。人の合間を縫い、廊下のざわめきへ吸い込まれていく。

 

「ふふっ。若いっていいわね。」エリンが目を細める。

すぐに表情を仕事モードへ切り替え、「さて、私も手伝うわ。差し入れをスタッフに配って、列整理を手伝う。チャコは入口で声がけをお願い。」

「まかせとき。」チャコは肩から降り、入口横の立て看板をすっと動かして流れを作る。「――はい、次のお客さんここ一列やで。ベビーカーは右側、③の重力実験は球の返却箱、忘れんようにね!」

 

エリンは対話ゾーンの端で足を止める。「藻類パネルの質問に二分だけ入るわ。」

「お願いします!」とシャアラ。

エリンは笑みのまま、来場者に向き直る。「藻類の光捕集効率は照度と温度に影響されます。こちらの小さな水槽で“生きている緑”を見ていただきながら、日常に落ちる話――たとえばベランダでの微小菜園との比較もできますよ。」

 

言葉と同時に、列がすっと前へ進む。メノリがそれを横目で確認し、タブレットに混雑度緩和のチェックを入れた。

 

廊下のざわめきは、なおも遠くで膨らんだまま。

ルナはその渦の中心へ向かって走る。胸の中で名前を呼びながら――

 

(リュウジ――!)

 

ーーーー

 

中庭へ出ると、昼の光が石畳を白く照らしていた。ルナは膝に手を当て、肩で息をする。視線を巡らせる――ベンチ、噴水、屋台の列。……いない。胸の奥に、じわりと不安が広がる。

 

そのとき、少し離れた花壇の前に“輪”ができているのが目に入った。人だかり。足は考えるより先に動いていた。

「すみません、通ります……失礼します」

肩をすぼめ、体を斜めにしながら人の壁を掻き分ける。輪の中心に立つ影が見えた。濃紺の制服、肩章、胸のカード、手にした制帽――見覚えのある意匠。

 

「リュウ――」呼びかけかけた瞬間、ルナの舌が止まる。違う。背丈も、立ち姿も、纏う空気も。彼ではない。

 

男が、ぴくりと顎を動かして振り返る。黄金色の瞳が、真っ直ぐにルナを射抜いた。

「今、リュウジの名を呼ばなかったか?」

低い声だった。

「すみません、人違いでした」ルナはすぐに頭を下げる。

 

踵を返そうとしたところで、その声が背を止める。

「待て」

ルナは振り向いた。「……はい。何か?」

「リュウジがどこにいるか、知らないか?」

「リュウジでしたら、今日は来ていません」

「そうか」男は短くうなずき、じっとルナの顔を見つめた。「それにしても……どこかで見た顔だな」

「はは……」苦笑いとともに、ルナは一歩だけ退いた。

 

男の口元が、ゆっくりと持ち上がる。

「そうか――記者会見の時の。……面白い」

笑みに合わせて、空気が変わった。肌の表面がひりつく。喉が乾く。重心が勝手に落ち、視界の輪郭が研ぎ澄まされる。――生き延びるために、あの島で何度も覚えた感覚。

(来る)

ルナは表情を引き締め、男を見据えた。周囲のざわめきが遠のき、いつの間にか人の輪はほどけるように後退していた。

 

「――そこまでよ、ブライアン!」

背後から澄んだ声が飛ぶ。ぴん、と緊張の糸が切れる音がして、男――ブライアンの纏う気配が、すっと浅くなった。

 

振り返ったルナの視界に、サングラスを額へ押し上げる女性が入る。キャップの鍔が昼の光をはねた。

「ブライアン。ルナちゃんに手を出したら、私があなたを殺すわよ」

一瞬、周囲の温度が下がった気がした。言葉どおりの冷たさを帯びた殺気。

ブライアンは肩をすくめ、口角だけで笑う。「試しただけだ。……すまなかった」

女性は長く息を吐き、首を小さく振る。「やれやれ」

 

ブライアンは改めてルナへ目を戻した。「いい眼をしているな」

「――いいから、どっか行きなさい!」女性が睨む。

「わかったよ。またどこかで会おう」ブライアンは軽く手を上げ、人ごみの向こうへ消えた。

 

取り残された静けさの中で、ルナは女性に向き直る。

「あの……ありがとうございます」

女性はサングラスを外し、キャップの縁に引っかけると、にこりと笑った。

「ルナちゃん、大丈夫だった?」

「――あ、はい! ……でも、どうして私の名前を?」

「あら、まだわからない?」女性はいたずらっぽく笑い、ルナの胸元――銀の三日月のネックレスを指先でちょん、と示した。

ルナははっと目を見開く。「もしかして――ペルシアさんですか?」

「そうだよ」片目を閉じてウインク。

 

ルナは改めて姿勢を正し、ぺこりと頭を下げた。「初めまして、ルナです」

「堅苦しいのはなし。――はい、これ」ペルシアは自分のキャップをすっぽりとルナの頭に被せる。

「え、あの……これ、頂けません。ペルシアさんからは、もう色々……」

「気にしない、気にしない。似合ってるし、日差しも強いしね」

「……ありがとうございます。帽子も、洋服も、写真も、ネックレスも」ルナは照れくさそうに、でも嬉しそうに笑った。

 

「じゃ、ルナちゃんの展示を見に行きましょう」

「はい。地球再生ラボ、こちらです」

ふたりは歩き出す。石畳を踏む音、遠くのブラスバンドの練習音、屋台の呼び声。ルナは歩調を半歩だけ速めた。誰かに追いつくように――そして、誰かに胸を張って見せるために。

 

中庭の出口で、ペルシアが小さく囁く。「さっきの彼――ブライアン。あれでも加減してたわ。S級でも怪物の異名は伊達じゃない」

「……はい。少し、わかりました」ルナは帽子の庇を指で軽く押さえ、前を向く。

ペルシアの横顔が、満足げにほころぶ。「でも、あなたも負けてない。じゃ、行こう。みんな、驚く顔が見たいし」

 

扉の向こう、展示室のざわめきが近づいてくる。

ルナは胸の鼓動を整えながら、三日月のトップにそっと触れた。――大丈夫。

そして、ふたりは人波の中へと消えていった。

 

ーーーー

 

展示室に戻ると、空気が違っていた。さっきまでのバタバタとした喧噪が、同じ人数のまま、波が引いた浜みたいに落ち着いている。ざわめきはあるのに、流れが澄んでいる――そんな感じ。

 

「あれ」とペルシアが指さした先に、エリンがいた。

笑顔を崩さず、しかし目は島全体の“潮目”を読むみたいに広く動いている。通路の詰まりを見つけると、さりげなくロープ仕切りを半歩ずらし、入口側で立ち止まる子どもには膝をついて目線を合わせ、短く優しい言葉で誘導する。

「こちらから順番にね。――うん、上手!」

シャアラがタブレットで説明を切り替えるタイミングには、指先で合図。メノリには、水のボトルを手渡しながら小声で「③の開始を5分ずらして」と耳打ち。重力メンブレンの縁テープが少し浮いているのを見つければ、会話の流れを途切れさせずに、手元でぺたりと直す。質問の多い来場者グループには要点だけを二十秒でまとめ、次の導線へと“気づかれないまま”送り出した。

 

「エリンさん、凄い……」思わずルナの口から声が漏れる。

「あれが十八歳でチーフパーサーに選ばれた由縁なのよ」ペルシアが肩をすくめて笑う。「視野が広いし、些細な変化にすぐ気づく。しかも、誰も傷つけずに動かすのが上手いの」

 

ルナは頷いた。「リュウジがエリンさんを褒めていた理由、分かりました。…エリンさんがいると、場が安心します」

「そう。いるのといないのじゃ、背中の力の抜け方がまるで違うのよ」ペルシアの声はどこか誇らしげだ。

 

エリンは視線だけこちらに気づいて、ふわりと笑みを寄こすと、すぐにまた来場者の方へ向き直った。

「③“重力の感じ方”は列ここまでで一旦締めます。次の回は、そこの星印から並んでくださいね」

声は柔らかいのに、通る。人の流れが、きれいな弧を描いて整っていく。

 

ペルシアが小さく息をついた。「一年ぶりだと思ったけど、まったく鈍ってないね」

その横顔は、少しだけ嬉しそうだった。

 

ーーーー

 

夕方。校内放送の終了チャイムが静かに流れ、一日目の文化祭は穏やかに幕を閉じた。

最後のグループが展示室の扉を抜けると、ルナは胸の前で両手を重ねて、ふうっと長い息を吐く。熱を帯びた空気が、ようやく体の外へ抜けていく。

 

「ありがとうございます! エリンさんのおかげで上手くいきました」

ルナがすぐに頭を下げると、近くにいた面々も次々と集まり、口々に感嘆の声を上げた。

 

「導線のさばき、見事でした」メノリ。

「説明、めっちゃ分かりやすかったわ」チャコ。

「合間のフォロー、神タイミングでした」シンゴ。

「笑顔で“待ち時間”感じさせないの、反則級です」シャアラ。

「凄かった……」ベル。

 

エリンは少し首を傾げて微笑む。「私も楽しかったわ。久しぶりにお客さんと触れ合えて、良い時間だった」

 

その時、展示室の扉が開き、両手に紙袋をぶら下げたペルシアが、肩で息をして入ってきた。

「やっと終わったわね。――はい、差し入れのジュースとクッキー。」

 

「ペルシアさん、ありがとうございます」ルナの顔がふわりと明るくなる。

 

「こっちも終わったぞ!」

威勢のいい声とともに、ハワードとカオルも入室。

ハワードはルナを見るなり、にやりと口角を上げた。「なんだ、その帽子。似合ってるけど、デート帰りか?」

 

ペルシアが眉をぴくりと跳ねさせ、むっとした表情で小声を漏らす。「……あの声。あれがハワード財閥の御曹司ね。可愛くない」

 

メノリが話題を戻す。

「そっちはどうだった?」

カオルが顎でハワードを指しながら、淡々と報告する。

「完売。……作ってたのは俺で、呼び込みはこいつだが」

「プロは役割分担が命なんだよ」ハワードが胸を張る。「僕が『ハワード・ドック! 今ならできたて!』って叫ぶと、行列伸びるんだ」

 

「こっちはエリンさんのおかげで上手く回ったよ」シンゴが続ける。

「ほんとに。詰まりそうなところを、するっと解いてくれて」ベルも頷いた。

カオルが少し驚いた顔でエリンを見る。

「エリンさんが手伝ってたのか」

 

ハワードが肩を落として抗議する。

「ずるいよ。こっちにも派遣してほしかった」

 

コトン、と紙コップを置きながらペルシアが片眉を上げる。

「なら、私が手伝ってあげようか?」

 

「貴方はやめておきなさい」

エリンが即座に制止した。

「ええー、なんでよ」

「あなた、客の心理を読みすぎて煽動するから。屋台が炎上するわ」

 

皆がどっと笑う。シャアラが目を輝かせたまま言った。

「でも、エリンさんの接客や気配りは本当に凄かったのよ。言葉の並べ方と、手の合図が、ぴたっと合うの」

 

エリンは首を振る。

「ううん、接客なら私よりペルシアの方が上手なの」

 

チャコが首を傾げる。

「そうなんか?」

「ええ。ペルシアは私と違って“耳”がいいから」

メノリが聞き返す。

「耳がいい?」

 

エリンは指先で空を指しながら、短く説明を重ねた。

「声色やトーンの揺れから、その人の感情を拾うのがとても上手いの。『疲れてる声』『迷っている声』『遠慮している声』――そういう細い糸を、三百六十度に目がついてるみたいに捉えて、そっと背中を押す。だから、相手は**“自分で進んだ”って実感**を持てるのよ」

 

視線が一斉にペルシアへ集まる。

ハワードが頭をかきながら笑った。「へぇ〜。最初に通信で話した時は“マイペースな人”って印象だったけど、実はすごいんだな」

 

ペルシアは肩をすくめ、どこか照れた仕草で言う。

「あれはね、リュウジの声色が安定してるのを確認しつつ、行方不明者の“全員”がいるか確かめたの。こっちからストレートに『全員いる?』って訊くと、もし失ってた場合に心の傷をえぐるでしょ。だから自然に全員に声を出してもらうよう仕向けたの。――その息の重さで、だいたい分かる」

 

カオルが腕を組む。

「普通に聞けばいいのではないのか?」

「“普通”が、一番刺さる時があるのよ」ペルシアは静かに言った。「言葉は刃にも包帯にもなる。現場で一度やらかすと、忘れられないの」

 

一瞬、空気が柔らかく沈む。

ルナは胸の奥で、その言葉の重さを反芻した。――“現場は数字で動いていない。体温で、痛みで、責任で動いてる”。ステファンの会見が、ふと蘇る。

 

「……とりあえず、糖分の続きね」ペルシアが空気を軽く持ち上げるように、クッキーの箱を開けた。

「助かります」シンゴが工具箱みたいな笑顔で受け取り、ベルは紙コップにジュースを注いで皆へ回す。

チャコはストローを三本まとめて咥えかけ、ルナに見つかって肩をすくめた。「今日は“特例”な?」

「だめ。二本まで」

「交渉決裂や」――笑いがまた、輪を広げた。

 

ルナが壁の時計を見上げる。

「片付け、二十分で区切りましょう。明日の朝に微調整。――メノリ、最後の巡回、お願いできる?」

「ああ、任せてくれ」

 

軽い足どりで歩き出す背に、ペルシアがぽん、とルナの帽子のつばを指先で弾いた。

「明日も、その笑顔で。――“安心させる係”、あなたも向いてるわ」

 

「……頑張ります」

ルナは小さく笑い返し、展示の隅々に目を配る。

一日目の熱気は、静かな達成感に変わって、胸の内に灯り続けていた。明日の光に、ちゃんと繋がるように――。

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