サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第52話

授業開始三十分前の屋上は、まだほとんど人気がない。

 

弱く風が吹き、校庭を囲む防護フェンスの網がかすかに鳴っている。人工空の奥で、照明パネルが昼の色に調整されていく途中なのか、どこか淡く白んだ光が広がっていた。

 

そのフェンス際のベンチに、リュウジは腰を下ろしていた。

片手には、紙コップのコーヒー。

ソリア学園に復学してから、いつの間にか出来上がった“日課”だ。

 

「……」

 

熱さが少しだけ落ち着いたコーヒーを一口含み、喉を通る感覚を確認するように飲み下す。

眼下には、まだ生徒の少ない校庭。体育倉庫前に集まり始めた部活の一年生たちが小さく見える。

 

――今日も、何事もなく終わればいい。

 

そう思った矢先だった。

 

ポケットの中で、携帯端末がぶるりと震えた。

 

画面を取り出して確認すると、表示された名前にリュウジはわずかに眉を寄せる。

 

「……ペルシア?」

 

こんな時間に、しかも通話。

嫌な予感が、先に胸をかすめた。

 

指先で通話ボタンを押し、耳に当てる。

 

「俺だ。どうした?」

 

いつも通りの、落ち着いた声色で。

 

しかし、返ってきた声は――いつもの軽い調子ではなかった。

 

『……落ち着いて聞いてほしいの』

 

ペルシアの声が震えていた。

ふざけた響きを混ぜる余裕も、わざとらしい芝居も、そこにはない。

 

リュウジの背筋が、自然とわずかに伸びる。

 

「何があった」

 

短く促す。

数秒の沈黙の後、ペルシアは言った。

 

『探査に出ていたブライアンの探索機が――行方不明になった』

 

時間が、一瞬だけ止まった気がした。

 

屋上に吹き込む風の音が急に遠ざかり、代わりに自分の心臓の鼓動だけが耳の奥で響く。

 

「……本気で言ってるのか」

 

抑えたつもりの声は、しかし明らかに強くなっていた。

 

『当たり前でしょ!! 冗談で言えるわけないじゃない』

 

ペルシアの声が、震えながらも鋭く跳ねる。

その語気に、彼女自身の恐怖と怒りが入り混じっているのが分かった。

 

『一昨日、セーシング領域を超えて百キロほど進んだところで――いきなり消失したの』

 

「……消失?」

 

ただの通信途絶じゃない。

嫌な単語が、脳裏をよぎる。

 

「無人通信機は? ビーコンは残ってるのか」

 

『セーシング領域ギリギリに設置してある通信機以外は、全部……同じタイミングで消えたわ。痕跡も、警報も、何も残さず』

 

ペルシアは歯噛みするように続ける。

 

『だから、それ以上の情報は取れていない。全てが一瞬で――切られたの』

 

リュウジは無意識に、ベンチから立ち上がっていた。

紙コップの中でコーヒーの表面が揺れ、ふちから一滴だけこぼれ落ちる。

 

「探索はどうなってる」

 

『総力をあげてやってるわ。宇宙管理局も、連邦連盟も。でも……』

 

そこで言葉が濁る。

 

『でも、セーシング領域ギリギリしか探索できない。中には入れないの。普通のパイロットじゃ』

 

風が一段強くなり、制服の裾をはためかせた。

 

『セーシング領域外を安全に飛べるのは――アズベルトとあなたしかいない』

 

ペルシアの声が、そこで少し低くなった。

 

『だから、宇宙連邦連盟から正式に話が行くはず。ブライアンたちの捜索に――あなたを出したいって』

 

「まさか」

 

リュウジは額に手を当て、短く息を吐く。

 

「俺に、ブライアンの捜索をしろって言うのか?」

 

自分でも驚くほど、声には動揺が混ざっていた。

 

すぐに、否定の言葉が喉を突いて出る。

 

「無理だ。俺は現場からもしばらく離れてる。実戦の感覚だって、どれだけ鈍ってるか……アズベルト先生はどうした。先生を出せないのか」

 

『アズベルトは――体調に問題があって、今は操縦できない』

 

ペルシアは淡々と言おうとして、しかし抑えきれないものが滲む。

 

『だからこそ、あなたの名前が出ている。……それでも、強制じゃないわ』

 

リュウジは黙った。

 

屋上のフェンスに目を向ける。

目の前にはいつも通りのロカA2の景色。

けれどさっきまで“平和”の一部だったそれが、一瞬で別の意味を帯びる。

 

――もし、自分が行かなければ。

――もし、誰も行けなかったら。

 

『探索の依頼は正式に宇宙連邦連盟局長から連絡が行く。でもこれは、先に私から伝えておきたかっただけ』

 

ペルシアが、ようやく絞り出すように言った。

 

『……ごめんね。本当は、こういう電話の仕方はしたくなかった』

 

「……分かった」

 

短く、だが確かにリュウジは答える。

 

承諾ではない。ただ、状況を受け止めたという合図。

 

その瞬間――ペルシアの声色が、さらに変わった。

 

『強制じゃない。ただ……』

 

途中で、言葉が細くなる。

 

「どうした」

 

問いかけると、間を挟んでから、彼女は言った。

 

『ただ、ブライアンの探索機には――タツヤ班長が、副操縦士として乗っているのよ』

 

その一言に、リュウジの呼吸が止まった。

 

「……なんだと?」

 

声が掠れる。

 

タドルトムント財閥の班長だった男。

今は民間の旅行会社でアルバイトしながら、幼い一人娘・ユイを育てている――はずだった。

 

「タツヤ班長は、旅行会社でアルバイトしてるはずだろ……」

 

脳裏に、壮行会の日の光景が蘇る。

ブライアンと交わした会話。

 

――『副操縦士はタツヤ班長。』

 

「……まさか、あの壮行会の時に俺が言ったからか!?」

 

あの一言が、彼を危険な探査任務へ押し出してしまったのではないか――そんな考えが一瞬で頭を支配する。

 

『違う』

 

ペルシアが即座に否定した。

 

『元々、ブライアンはタツヤ班長を誘っていた。それだけよ。あなたのせいじゃない』

 

はっきりとした口調だった。

けれど、その裏側で、彼女の声は確かに揺れている。

 

『……ユイには?』

 

リュウジは唇を引き結んだまま、搾り出すように尋ねる。

 

『一昨日、伝えてあるわ』

 

ペルシアの声が、少しだけ低くなった。

 

『今は保育所で預かってもらってる。でも、一人にさせておけないから――私は木星に向かってるところ。これから、ユイを迎えに行く』

 

「そうか……」

 

フェンスの向こうの空を見上げながら、リュウジは呟いた。

目の奥で、何かがじりじりと焼けるように熱くなる。

 

『リュウジ』

 

ペルシアが、静かに名を呼んだ。

 

『これは本当に、強制じゃない。あなたが“行かない”と言っても、私は責めない。どういう選択をしても……私はあなたの判断を尊重する』

 

そこで、ふっと通話が切れた。

 

耳から端末を離し、画面を見る。

通話終了の表示が、味気なく光っている。

 

「……」

 

屋上に、再び風の音だけが戻る。

 

紙コップのコーヒーは、もうすっかり冷めていた。

リュウジはそれをベンチの横のゴミ箱に投げ入れ、しばらく空を睨むように見上げた。

 

ブライアン。

タツヤ班長。

ユイの笑顔。

ペルシアの震える声。

 

――強制じゃない。

 

彼女は、そう言った。

だが、彼女がタツヤの名を口にした瞬間から、自分の中で答えはほとんど決まってしまっていたことも――リュウジは、理解していた。

 

「……嫌な女だな」

 

誰に向けたでもない、小さな苦笑が漏れる。

 

そして再び、携帯が震える。きっと宇宙連邦連盟局長からだろう。

リュウジはポケットの中で、携帯を強く握りしめた。

 

◇ ◇ ◇

 

木星行きの宇宙船、その客室の片隅で。

 

ペルシアは、通話を切った端末を握り締めたまま、硬いシートに腰を下ろしていた。

 

周囲の乗客たちは、まだ出発前のざわめきの中にいる。

子どもの笑い声。スーツ姿のビジネスマンの話し声。荷物を棚に上げる音。

 

そのどれもが、遠い世界の音のように感じられた。

 

「……はは」

 

乾いた笑いが、喉からこぼれる。

 

「私は――嫌な女だわ」

 

視界がぼやける。

頬に、温かいものが一筋、二筋と伝い落ちた。

 

「ごめん、リュウジ……」

 

小さく、小さく呟く。

 

さっきの電話。

タツヤの名前を口にした瞬間――彼がどうするか、ペルシアは分かっていた。

 

あの男は、“守れるかもしれない誰か”がいる限り、自分を切り捨てられない。

その弱さと強さを、彼女は誰よりもよく知っている。

 

「タツヤ班長の名前を出せば、あなたが探索に行くなんて……最初から分かってたのに」

 

唇を噛む。

それでも、言わずにはいられなかった。

 

「ごめん……ごめん……」

 

肩が細かく震え、嗚咽が混じる。

 

船内アナウンスが、出発準備の完了を告げる。

少し遅れて、シートベルト着用を促す電子音。

 

ペルシアは震える指でベルトを引き寄せ、バックルを留めた。

 

「ユイを……泣かせるわけには、いかないから」

 

自分に言い聞かせるように、かすれた声でつぶやく。

 

窓の外では、木星ステーションの灯がゆっくりと遠ざかり始めていた。

その向こうには、セーシング領域のさらに先――何も見えない、未知の闇。

 

そこへ向かうことになるであろう少年の顔が、涙に滲んだ視界の中に浮かんでは消えていく。

 

ーーーー

 

教室の扉が、そっと開いた。

 

「失礼しま――」

 

リュウジが一歩、教室に足を踏み入れた瞬間、ざわっと空気が揺れる。

いつもと同じ服、いつもと同じ歩幅。だが、その顔つきは――どこか違っていた。

 

「リュウジくん、遅かっ――」

 

前の黒板の前に立っていたスペンサーが振り返り、いつものように注意の言葉を口にしようとして、そこで言葉を飲み込んだ。

 

リュウジの表情に、怯んだからだ。

 

覚悟と決意だけを貼りつけた、あの顔。

誰かが何を言っても止まらない、“行く”と決めた目。

 

――サヴァイヴの島で、何度も見た顔だった。

 

教室のあちこちで、息を呑む小さな音が重なる。

 

「……」

 

ルナは席に座ったまま、思わず立ち上がりかけて、手だけ机の端をぎゅっと掴んだ。

喉の奥まで出かかった「どうしたの?」が、そこで固まる。

 

(やだ……やだよ……その顔)

 

声に出そうとしても、声帯が凍りついたように動かない。

心臓の鼓動だけが速くなっていく。

 

リュウジは何も言わず、自分の席に向かって歩く。

周囲の視線を一切、気にかけていないような、まっすぐな足取り。

 

椅子を引き、腰を下ろしたその瞬間、彼はゆっくりと目を閉じた。

 

――考えているのか、それとも、何かと向き合っているのか。

 

誰も、そこに言葉を差し込めなかった。

 

スペンサーが、黒板の前で一度だけ咳払いをし、何事もなかったかのように授業を再開する。

だが、教室全体の集中は明らかに、彼の言葉から別の一点へずれていた。

 

(リュウジ……)

 

ルナは何度も名前を呼びかけそうになって、そのたびに机の下で拳を握りしめて踏みとどまる。

ただ、隣のシャアラやメノリ、後ろのハワードたちも、それぞれに息を詰めているのが空気で分かった。

 

しばらくして――。

 

廊下の方から、慌ただしく靴音が近づいてくる気配がした。

硬い革靴が複数、床を叩く乾いた響き。何人分かの短い会話も交じる。

 

スペンサーが話す手を止め、教室の扉の方へ視線を向けた。

 

次の瞬間。

 

「失礼する」

 

低く通る声とともに、勢いよく扉が開かれた。

 

灰色のスーツに、胸元には宇宙連邦連盟のバッジ。

五十代ほどの、鋭い目つきの男が一人、教室に足を踏み入れた。

 

「ここは授業中です。どなたですか、許可なく――」

 

スペンサーが慌てて前に出るが、その肩に、別の手がそっと置かれる。

 

「スペンサー先生。ここは、彼らに見せておくべきだろう」

 

教室の後ろの扉から入ってきた学園長が、穏やかながらも一切の反論を許さない口調で言った。

 

「……学園長」

 

スペンサーは戸惑いながらも口を閉じるしかなかった。

 

前に立つ男は、ゆっくりと教室を見渡した。

その視線が、まっすぐに一点に止まる。

 

「S級パイロット・リュウジ」

 

閉じていた瞼が、静かに開かれる。

 

「……俺だ」

 

リュウジは椅子から立ち上がり、机の横にまっすぐ立った。

 

男は彼の横まで歩み寄ると、内ポケットから一枚の書類を取り出し、掲げて見せた。

重々しい電子紙の表面には、宇宙連邦連盟の紋章と、いくつもの認証コードが浮かび上がる。

 

「宇宙連邦連盟安全保障規則・特別条項第七号に基づき、S級パイロット・リュウジの一時行動権限および任務割当権を、宇宙管理局に移譲する決定が下った」

 

教室中に張り詰めた空気が、さらに硬くなる。

 

「……条件は?」

 

リュウジは、わずかに顎を上げて尋ねた。

 

その声には、怯えも迷いもない。ただ、事実だけを求める冷静さがあった。

 

男は電子紙を軽く振り、内容をもう一度確認するように目を落とす。

 

「宇宙管理局長は、君の提示した条件――すべて、呑むと明記している」

 

短い返答。

教室の後方で、カオルの眉がぴくりと動いた。

 

(やはり……話はつけていたか)

 

「……承知した」

 

リュウジは、静かに頷いた。

 

その一言に、ルナの心臓がぎゅっと掴まれたように痛む。

 

(条件って……何を、約束させたの……?)

 

問いかけたいのに、口が動かない。

 

男は書類を閉じると、改めてリュウジの正面に立ち、姿勢を正した。

 

「それでは――」

 

教室全員の視線が、二人に釘付けになる。

 

「西の未探索領域中央部にて消息を絶った、宇宙探査機《ブライアン一行》の捜索任務を、宇宙連邦連盟局長および宇宙管理局長両名の名において、君に命じる」

 

「ブライアンが消息を絶った!?」

 

堪えきれず、カオルが声を上げた。

 

「ま、待て!」

 

メノリも椅子から立ち上がりかけ、机に手を突いた。

 

教室がざわめきに揺れかけるが、その中心で、リュウジだけが静かだった。

 

彼は左胸の上に、そっと右手を当てる。

ゆっくりと息を吸い、吐き――その瞳には、迷いの影が一片もなかった。

 

「我が命に誓い、謹んで拝命します」

 

その言葉は、教室中に凛と響いた。

 

ルナの喉の奥から、かすれた息が漏れる。

 

(やっぱり――行くんだ)

 

男は満足げに頷くと、別の職員から受け取った包みを差し出した。

 

「こちらを。宇宙連邦連盟S級パイロット用特務コートだ」

 

リュウジは無言でそれを受け取り、包みを開く。

 

紺よりも深く、夜よりも重い黒に近い濃紺のロングコート。

襟と袖に、宇宙管理局と宇宙連邦連盟の二つの紋章が銀糸で刺繍されている。

 

肩でひと振りして羽織ると、その姿だけで空気が変わった。

 

――あの島で、ネフェリスの操縦席に座る前に見せた顔と同じ。

――戦場に向かうパイロットの顔。

 

ルナは息を呑む。

胸元に、冷たいものと熱いものが同時に広がった。

 

リュウジは、コートの内側の胸ポケットに手を入れる。

そこには、硬質なカードケースが収められていた。

 

ぱちり、と蓋を開け、中の二枚のカードをしまう。

 

一枚は、宇宙連邦連盟S級パイロット資格証。

もう一枚は、サヴァイヴでパンデッタから貰った青いカード。

 

それを無言で胸元のホルダーに差し込み、カチリとロックをかける。

 

準備は、それだけで整った。

 

「……行こう」

 

リュウジは男に向かって短く告げ、くるりと踵を返した。

 

そのまま扉に向かって歩き出す――

 

「ま、待って!!」

 

震える声が、ようやく教室の中に飛び出した。

 

ルナだった。

 

椅子から半分立ち上がった体勢のまま、机を握りしめている。

指先は血の気を失って白くなり、唇も小刻みに震えていた。

 

リュウジの足が、一瞬だけ止まる。

 

……だが、振り返らない。

 

「心配するな」

 

その背中越しに、いつもの柔らかな低い声が届いた。

 

「全部、上手くいく」

 

その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようでもあった。

 

ルナの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

 

――上手くいく、なんて。

――そんな保証、どこにもないのに。

 

それでも、彼はそう言うしかないのだと、ルナは理解していた。

 

(行かないでなんて……言いたくない。言っちゃいけない)

 

誰かを守るために飛ぶ人の背中を、引き留める言葉だけは――ルナの口から出したくなかった。

 

「……絶対、戻ってきてよ」

 

喉の奥から、辛うじて絞り出せたのは、その一言だけだった。

 

それが届いたのかどうかは分からない。

ただ、扉に向かうリュウジの肩が、ほんのわずかに揺れた気がした。

 

次の瞬間。

 

教室の扉が、静かに閉まる音がした。

 

重く、長く、響く音だった。

それはまるで、この日常と――その外側に広がる、再びの“サヴァイヴ”の境目を区切る音のように感じられた。

 

ーーーー

 

リュウジが教室を出ていったあと――。

 

そこには、音という音がすっぽり抜け落ちたような静寂だけが残った。

 

誰も椅子を引かない。誰も教科書をめくろうとしない。

空調の低い唸りと、外を走るエアカーの微かな音だけが、遠くから届いてくる。

 

ルナは、まだ半分立ち上がったまま、机の端を握りしめていた。

さっき閉まった扉の方を見つめたまま、視線が動かない。

 

(全部、上手くいく……)

 

頭の中で、彼の声だけが何度も再生される。

胸の奥が、うまく呼吸の仕方を思い出せずに軋んでいた。

 

その沈黙を、唐突に破ったのは――やっぱり、ハワードだった。

 

「せ、先生!!」

 

がたん、と勢いよく椅子を引いて立ち上がる。

 

「て、テレビ! テレビつけてくれ!!」

 

「……え?」

 

黒板の前で呆然としていたスペンサーが、間の抜けた声を出した。

 

「今、きっとニュースになってる! 宇宙管理局の会見だよ! 状況が分かんないと、落ち着かないだろ!!」

 

ハワードにしては、意外と筋の通った主張だった。

 

「テレビ……ああ、テレビ……」

 

心ここに在らずな顔のまま、スペンサーはぼそりと呟き、天井のAIマイクに向かって指示を出す。

 

「教室モニター、ニュースチャンネルを映してくれ」

 

教室前方のホログラムモニターが、ぱっと点灯した。

広告と天気予報の途中だったらしい映像が一瞬流れ、すぐに画面が切り替わる。

 

——【宇宙管理局 本部 記者会見場】

 

重厚な会見室の映像が映し出された。壇上には宇宙管理局長が立ち、その背後の壁には、宇宙管理局と宇宙連邦連盟の紋章が並んでいる。

 

《……繰り返します。西の未探索領域において消息を絶ったブライアン一行の捜索のため、宇宙連邦連盟はS級パイロット・リュウジを派遣することを正式に決定しました》

 

局長の落ち着いた低い声が、教室にもそのまま響いてきた。

 

「やっぱり……」

 

シャアラが、胸の前で手を組み、ぎゅっと握りしめる。

 

「本当に、行くのか……」

ベルも思わず呟いた。

 

画面下にはテロップが流れている。

 

――【“英雄の復活か” 西未探索領域捜索ミッション始動】

――【悲劇のフライトから――史上最年少S級パイロット、再び前線へ】

 

記者席からはざわめきが絶えない。

一部のマイクには「HERO IS BACK?」といった文字が踊っていた。

 

やがて、局長が後方のスクリーンを指し示す。そこには簡略化された星図が浮かび上がった。

 

《捜索範囲は、ここ――ロカA2コロニーから西方に伸びる未探索区域。そのうち、未探索区域から約百キロ地点を中心とした領域です》

 

地図上に、赤い円形の範囲がハイライトされる。

 

《この領域は、以前からセーシング領域の外側として扱われており、遠隔センサーの信号が不安定、あるいは途絶するエリアです。ブライアン船の最終通信ログも、この領域で途絶しました》

 

「百キロ……」

 

シンゴが、思わず呟く。

 

「そんな、コロニーから近いのに……全く見えない領域があるのか」

 

「“近い”と言っても、未探索だ。何があるか分からない……」

 

カオルの表情は、険しいというより、何かを思い出しているようだった。

 

記者席から、いくつもの手が一斉に上がる。

その中で、指名された一人の記者が立ち上がった。

 

《“カラス”です》

 

ルナはびくりと肩を揺らした。

 

(カラス……!)

 

画面に映ったのは、サヴァイヴの帰還時に記者会見で、そしてリュウジの家で対面した男だ。

 

《質問は一点です、局長》

 

カラスは、あくまで穏やかな口調で切り出した。

だが、その言葉には棘が潜んでいるのが画面越しにも分かる。

 

《悲劇のフライトにおいて、彼――リュウジは、公式会見の場では一言も語らず、沈黙を貫きました。その沈黙を良いことに、彼一人にあらゆる誹謗中傷と憎悪を押し付けたわけです》

 

教室の空気が、ぴん、と張り詰める。

 

《そんな彼に対して、今度は“困ったときだけ”頼るのですか?

 沈黙させておいて、都合が良くなったら“英雄扱い”で前線に立たせる。——些か、虫が良すぎるのではありませんか?》

 

「っ……」

 

メノリが、思わず拳を握りしめる。

 

(言ってくれた……)

 

ルナの胸にも、強い感情がこみ上げた。

この世界の大人に対して、ずっと喉の奥で燻っていた疑問を、カラスがそのまま言葉にしてくれた気がした。

 

壇上の局長の眉が、わずかに動く。

 

《あなたの指摘には、一理あります》

 

逃げなかった。その一言で、教室の一部から小さなざわめきが起きる。

 

《我々は、彼の沈黙に甘えた。その結果、彼一人に巨大な重荷を背負わせたことも否定しません》

 

「……」

 

局長のその言葉に、ルナは目を見開いた。

 

《しかし、それでも――》

 

局長は、一度だけ視線を下に落とし、再び顔を上げる。

 

《それでもなお、我々は彼に頼らざるを得ない状況にあります。

 S級パイロットとしての技量、未探索領域における生還経験、そしてあの惑星サヴァイヴから全員を連れ帰った実績。

 彼ほど、この任務に適した存在はいないと判断しました》

 

《それは、彼の人間としての尊厳を、再び“手段”に貶めることにはならないのですか?》

カラスは引かない。

 

《だからこそ、すべての条件を、彼の側から提示させ、それを我々は無条件で受け入れました》

 

局長ははっきりと言った。

 

《今回の任務は、“命令”ではなく、“拝命”です。彼は自らの意思で、危険を承知のうえで引き受けた。その点を、どうか誤解なきよう》

 

「……あいつ」

 

カオルが小さく舌打ち混じりに呟く。

 

(全部、飲ませた上で、行くって決めたのか)

 

ルナは下唇を噛んだ。

 

(それでも――行くって、言っちゃうんだ……)

 

カラスが席に腰を下ろす。

すぐに、別の記者の手が挙がった。

 

《記者のフレデリックです》

 

画面に映ったのは、ロカC3のキャンプ場で会ったあの茶髪のパーマの青年だった。

ルナの胸がきゅっと掴まれる。

 

「フレデリックさん……」

 

小さく名前を呟く。

 

《まず初めに、彼の仲間たちと共にサヴァイヴの記録を取材した者として、一つ言わせてください。

 彼は“仲間を見捨てる”人じゃありません。

 ただ、それだけに、あまりにも危険すぎる》

 

フレデリックの声は震えてはいない。だが、その目は真剣そのものだった。

 

《ブライアン一行がそうだったように、未探索領域で何が起こるか、誰にも分からない。

 その状況で――あなた方は、本当に彼を“たった一人で”行かせるつもりなんですか!?》

 

教室の空気が、再びざわっと揺れ動いた。

 

「一人で……」

 

シャアラが、その言葉を反芻するように呟く。

 

(また……一人で、危ない場所に行かせるつもりなの……?)

 

ルナの指先が震えた。

 

局長は一瞬、目を伏せ、すぐに記者に向き直る。

 

《いいえ》

 

きっぱりとした否定だった。

 

《現在、宇宙管理局および宇宙連邦連盟は、彼と共に行動する探査チームの募集を行っています。

 ただし、条件は極めて厳しい。S級パイロットの負担を軽減しつつ、足手まといにならず、最低限、自力で生還するだけの技量を持つ者に限られます》

 

《……それで、集まっているのですか?》

 

フレデリックの問いは、鋭くもどこか祈るようだった。

 

局長は、ほんのわずかに言葉を選ぶように間を置き――その沈黙が答えの半分を語ってしまう。

 

《……現時点で、正式な申請者は、まだいません》

 

その一言に、教室中から息を呑む音があがった。

 

「そりゃ、そうだろ……」

 

ハワードが、絞るような声で呟く。

 

「あんな領域、わざわざ行きたい奴なんて、そうそういないさ……」

 

《ただし》

 

局長は続ける。

 

《我々が強制的に誰かを連れて行くことは、決してありません。

 もし誰一人として名乗りを上げないのなら――》

 

そこで、一拍。

 

《――彼は一人で行く、と言っています》

 

その瞬間。

 

「っ……!」

 

ルナの胸から、小さな悲鳴のような息が漏れた。

 

(また“ひとり”で……?)

 

脳裏に、吹雪の中をよろめきながら歩くリュウジの背中が、鮮やかによみがえる。

崖下で倒れていたあの夜。

何度も一人で走り出したあの姿。

 

「ふざけるなよ……」

 

カオルが低く呟いた。

 

「一人で行かせるなんて、正気じゃない……!」

 

ベルも拳を握りしめ、唇を噛み締める。

 

だが、モニターの向こう側の現実は、容赦なく流れ続ける。

 

記者席のあちこちから、「英雄の復活だ」「無謀すぎる」「S級だからこそできる任務だ」と、様々な声が飛び交っていた。

 

英雄。復活。最年少S級。

 

そのどれもが、ルナには遠く、空虚な飾り言葉にしか聞こえない。

 

(英雄なんかじゃない。

 リュウジは、私の――)

 

そこまで思ったところで、彼女は自分の胸の内に浮かびかけた言葉に気づき、慌てて飲み込んだ。

 

“私だけの”なんて、言えない。

彼はみんなの仲間で、みんなのパイロットだ。

 

だけど――。

 

(それでも……大切なんだよ。

 一人で行かせたくなんか、ないのに)

 

視界が滲みそうになるのを、ルナは両手で必死に堪えた。

 

隣で、シャアラがそっとルナの腕に触れる。

 

「ルナ……」

 

小さく名前を呼ばれて、ルナはかろうじて頷く。

 

「……大丈夫。私は……まだ、何も諦めてないから」

 

呟いたその言葉は、自分自身への宣言でもあった。

 

モニターの中では、会見が続いている。

 

《繰り返します。今回の捜索任務は、極めて危険なものです。

 しかし、行方不明者を見捨てないという信念のもと、我々は最善を尽くします》

 

局長の言葉が終わり、記者たちのざわめきとフラッシュの光が画面いっぱいに広がった。

 

スペンサーが、しばらくじっとモニターを見つめたまま、ようやく我に返ったように、ゆっくりと口を開いた。

 

「……授業は、今日はここまでにしよう」

 

誰も反対しなかった。

 

チャイムも何も鳴っていないのに、教室の時間だけが、別の速度で進み始める。

 

ルナは、モニターが消えて暗くなった前方ではなく――

さっきまで誰かの肩越しに見えていた、扉の方を見つめた。

 

(リュウジ……)

 

心の中で、もう一度だけ名前を呼ぶ。

 

ーーーー

 

教室に重い沈黙が落ちていた。

リュウジが去った後の空席が、ひどく広く見える。

 

――ブルルッ。

 

ルナの携帯が震えた。

画面に表示された名前は、エリン。

 

「……エリンさん?」

 

震える指で通話を繋いだ瞬間、鋭い声が飛び込んできた。

 

「……もしもし」

 

『ルナ! 情けない声出さないの!』

 

「……!」

 

思わず背筋が伸びる。

 

『あなたが折れたら、あの子――リュウジが一番困るでしょ?』

 

その言葉に、ルナは喉の奥で詰まっていた息を吐き出した。

 

「……はい。大丈夫です」

 

『よろしい。で、ハワードは、近くにいる?』

 

「ハワードなら……います」

 

ルナはスピーカーに切り替え、ハワードに端末を差し出した。

 

「ハワード、エリンさんから」

 

「エリンさん!?」

 

驚いたように端末を受け取る。

 

『時間がないから単刀直入に言うね』

 

声の調子が変わった。

“元・宇宙クルーのプロの声”だ。

 

『今回の捜索ミッション、参加できるのは“宇宙連邦連盟に加盟している機関か、そのクルー”だけ』

 

カオル、メノリ、ベル、シャアラ、――みな息を呑む。

 

『だから私は――ハワード、あなたのところの旅行会社に“クルーとして籍を置きたい”の』

 

「……は?」

 

一瞬、ハワードが理解を追いつけず固まった。

 

『言葉通りよ。私は参加資格を持たない。

 でも、クルー登録さえできれば、私は“正式に捜索隊に加われる”。

 リュウジを、一人で行かせないために』

 

その瞬間、教室のざわめきが止まった。

 

ルナも、心臓を掴まれたように胸が熱くなる。

 

「エリンさん……自分で、行くつもりなんですか?」

 

ルナの問いに、エリンは迷わず答えた。

 

『……リュウジ一人で、未探索領域になんて行かせられないわ。

 だから誰かが側にいなきゃいけないの。私は、その“誰か”になりたい』

 

強い決意が滲む声だった。

 

ハワードは震える声で問い返す。

 

「で、でも……なんで僕に?」

 

『あなたの家はロカA2で有数の財閥。

 宇宙連邦連盟にも太いコネがある。

 あなたの旅行会社は連盟加盟企業。

 つまり――“あなたの会社のクルー”になれば、私は参加できる』

 

「へ、でも僕は学生で、会社の権限なんて……」

 

『あるわよ。財閥の直系相続者で、優待理事の家族。

 “仮クルー登録”くらいなら、あなたが言えば動く』

 

ハワードは息を飲んで固まる。

 

エリンは、さらに静かに続けた。

 

『ハワード。

 あなたはあの島で変わったでしょう?

 “何もしない子”じゃなくなった。

 私がリュウジのために動くためには――あなたの手が必要なの』

 

ハワードは拳を握りしめた。

 

「……僕が、動けばいいってこと?」

 

『ええ』

 

「そして……エリンさんは、リュウジを……助けに行ってくれるんだね?」

 

『もちろん。

 あの子を一人にはしない。

 どんなことがあっても――私が隣にいる』

 

ルナの胸がぎゅっと痛んだ。

もしかすると嫉妬に似た感情かもしれない。

でも、それよりずっと強いのは安心だった。

 

(ありがとう……エリンさん)

 

ハワードは大きく息を吸い込み、決意を固めた。

 

「分かった。パパに相談するなんて生ぬるいことは言わない。

 “こうするから、協力して”って言いに行く」

 

『頼んだわ。ハワード』

 

「僕が動いて、エリンさんをクルーにできるんだね?」

 

『できる。必ず。

 私を――“リュウジのそばに”行かせて』

 

メノリが前に出る。

 

「ハワード、私も行く。

 お前一人じゃ心許ない。交渉は二人でやる」

 

「いや、それどういう意味だよ!」

 

「そのままだと言っただろう」

 

『ふふ……さすがメノリ。頼もしい』

 

メノリは髪を払って言う。

 

「問題ない。

 私の父は宇宙連邦議員だ。必要ならそちらにも話を通す。

 エリンさんをクルーにするくらい、必ず通す」

 

『ありがとう。二人なら絶対に大丈夫』

 

ルナは胸の前で強く両手を握った。

 

(リュウジ……これで、本当に一人じゃないよ)

 

ハワードは深呼吸し、端末に向かって言った。

 

「絶対に間に合わせるから。

 エリンさんをリュウジのところに行かせる」

 

『お願いね。

 リュウジの“帰ってくる場所”を、みんなで絶対に守るのよ』

 

通信が切れる。

 

教室に残ったのは、覚悟の炎だけだった。

 

ーーーー

 

ロカA2の中心区域。

 巨大なガラス壁が陽光を反射し、街の中でもひときわ目立つ高層ビル――ハワード家が経営する旅行会社の本社ビルがそびえ立っていた。

 

 足元でハワードは深く息を吸う。

 

「……よし、行くか」

 

 コートの袖を整えながら、隣のメノリが軽く顎を動かす。

 

「落ち着け、ハワード。肩が上がっているぞ」

 

「し、仕方ないだろ……緊張もするって!」

 

「交渉というものは、準備段階から始まっている。深呼吸くらいしておけ」

 

「はいはい……」

 

 二人は本社ビルの自動ドアをくぐった。

 

 大理石の床が反射する光、天井まで伸びるホロアート、受付カウンターでは数人のスタッフが忙しく動いている。

 

 受付の女性が立ち上がった。

 

「ハワード様、お帰りなさいませ」

 

「ただいま。えっと……今日はパパと話があってさ。旅行事業本部長と宇宙事業部の責任者も呼んでほしい」

 

「承知いたしました。それと――」

 

 受付嬢の視線が、隣のメノリに移る。

 背筋を伸ばして立つ少女の気迫に、表情がわずかに強張った。

 

「ご一緒のお嬢様は……」

 

「ソリア学園生徒会長のメノリ・ヴィスコンティです。本日はハワード君の相談に同行しております」

 

 丁寧な口調だが、芯の通った声だった。

 

「し、失礼いたしました!すぐ応接室にご案内いたします」

 

「ありがとうございます」

 

 受付嬢が手早く端末を操作し、二人を専用エレベーターへと案内する。

 

 扉が閉まり、静かに上昇が始まった。

 

「……なんか、全然緊張してないよな、メノリ」

 

「当たり前だ。私は依頼者ではなく“補佐”だ。緊張する立場ではない」

 

「いや、その理屈でいくと僕が完全に詰んでるんだけど!?」

 

「詰んでいるかどうかは、お前の交渉次第だ」

 

「きっつ……!」

 

 軽口を叩きながらも、ハワードの手のひらは汗ばみ、メノリは彼の前髪をさりげなく整える。

 

「ほら、これくらいは手伝ってやる」

 

「……ありがと」

 

 エレベーターが最上階に到着。

 扉が開くと、厚い絨毯、歴代会長のホログラム肖像画、重厚な扉。

 

 秘書が二人を出迎えた。

 

「ハワード様、メノリ様。会長がお待ちです」

 

「行くぞ」

 

「ああ」

 

 二人は扉をくぐった。

 

 

 窓の前に座るハワードの父、旅行会社会長。

 その両脇には旅行事業本部長と宇宙事業部の責任者が並んでいた。

 

「おや、ハワード。何かあったのかね?」

 

「あ、うん……ちょっと、話したいことがあって」

 

 ハワードは緊張しつつも父の前に立つ。

 一方、メノリは丁寧に会釈をした。

 

「改めまして、ソリア学園のメノリ・ヴィスコンティと申します。本日はハワード君の相談に同席しております」

 

「ヴィスコンティ家の……議員殿のお嬢さんか。息子が世話になっているようで」

 

「いいえ。みんなのために必要なことをしているだけです」

 

 父は興味深そうに娘を見つめたあと、ハワードを促す。

 

「では、本題を聞こうか」

 

「……うん」

 

 ハワードは深呼吸し、一度だけ拳を握りしめた。

 

「パパ。僕から“お願い”があるんだ」

 

「ほう」

 

「うちの旅行会社の“クルー枠”に――

 エリンさんを正式に登録してほしい」

 

 宇宙事業部の責任者の眉が動く。

 

「エリンさん?……ああ、ドルトムント財閥の旅行会社に勤めていたという?」

 

「そう。

 で、ただ登録するだけじゃなくて、

 “未探索領域捜索任務への参加資格”を付与してほしい」

 

「理由は?」

 

 ハワードは迷いなく言い切った。

 

「リュウジを――一人で行かせないためだ」

 

 部屋の空気は一瞬で重くなる。

 

「ブライアンの探索機が行方不明になって、リュウジが呼ばれたってのは知ってるよね?

 “誰も集まらなかったら一人で行く”って、宇宙管理局長が言ってた」

 

 ハワードの声は震えていなかった。

 

「リュウジは……悲劇のフライトで、全部背負ったんだ。

 サヴァイヴで僕たちを守るためにずっと無茶して、ようやく笑うようになったところなんだよ。

 そんなリュウジを、僕はまた一人で危険地帯に行かせたくない」

 

 メノリが静かに続ける。

 

「エリンさんは、彼を支えるために同行を望んでいます。

 しかし、宇宙連邦連盟の規則上、参加できるのは“加盟企業のクルー”のみ。

 ならば貴社の枠で正式に登録するのが最も早い方法です」

 

 父は腕を組んだまま、しばらく沈黙する。

 

「ふむ……その提案、会社にとってどんな利点がある?」

 

「“未探索領域捜索協力企業”として名が残る。観光業としても、宇宙事業部としても強いブランドになります」

 

「なるほど」

 

 父は頷き、旅行本部長に目配せした。

 

「だが、条件がある」

 

 ハワードが息をのむ。

 

「条件……?」

 

「エリンさんは、帰還後――

 “正式に当社のチーフ・パーサーとして働く”こと」

 

 旅行本部長が驚いたように眉を上げるが、父は続けた。

 

「臨時ではなく、“正規採用”だ。

 それを承諾するなら、特例でクルー登録を認めよう」

 

「……! そんな条件なら……!」

 

 ハワードは笑った。

 

「エリンさんなら絶対に喜ぶよ!

 僕も、全力でフォローする!」

 

 父は満足げに微笑む。

 

「なら決まりだ。今から手続きを進める」

 

 その瞬間、ハワードの膝が少しだけ震えた。

 

(……やった。これで、エリンさんはリュウジのそばまで行ける)

 

「ありがとう、パパ!」

 

「礼は帰還後だ。

 お前もハワード家の一員として、責任を取る覚悟を持て」

 

「もちろん」

 

 父の言葉に、ハワードの背筋は自然と伸びていた。

 

 応接室を出た瞬間、彼はへなへなと壁にもたれかかった。

 

「……ふぅ〜、なんとかなったな……」

 

「よくやった。今日の交渉は、お前が主役だった」

 

「……メノリがいてくれたからだよ」

 

「ふん。褒めても何も出ないぞ」

 

 そう言いながら、メノリの口元はわずかに緩んでいた。

 

「急ごう。エリンさんに“登録完了予定”を伝えるんだろう?」

 

「ああ!」

 

 二人はビルを飛び出し、仲間の待つ場所へと走り出した。

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