ソーラ・デッラ・ルーナの通信室は、夜が明けてもなお仄暗かった。
天井の照明は最低限、機械のモニターの光が人の顔を青く染める。
焦げた匂いと、エナジードリンクの甘ったるい匂いが混じった空気の中で、ペルシアは机を叩いた。
「まだ見つからないの!?……散々“堕ちたら終わり”って言ってたの、あの子よ! 無茶するに決まってるじゃない!」
制帽の影が大きく揺れる。
声は怒号に近いが、その奥にあるのは苛立ちよりも、焦りと恐怖だ。
「まだ、レーダーにも探索機からも連絡ありません!」
若いオペレーターがかすれた声で答える。
彼の指先は震えていた。
全管制がフル稼働してからどれだけ経ったかも、もう数える余裕がない。
ペルシアは一度、息を吐いた。
机の縁に指をかけ、深く、深く、宇宙地図を見つめる。
(セーシング領域内にいる事は間違いないのに……一体、どこにいるのよ)
真っ黒な空間に、薄い線と点。
数字。
航路。
小さな光。
どれもが“情報”であるはずなのに、今はどれもが“足りない”。
――その時だった。
「あれ?」
若いオペレーターの声が、かすかな震えを帯びて跳ねた。
ペルシアは振り向かない。
瞬きひとつせず、地図を睨んだまま口を開く。
「どうしたの?」
「い、いえ……レーダーが何かを探知しまして」
若い男が慌ただしくモニターを切り替える。
画面が一段暗くなり、別の表示が浮かび上がった。
レーダー画面の中心に、微かに光る白い点。
ゆらゆらと不安定に点滅し、消えたかと思えば、また灯る。
「隕石同士がぶつかった時の微弱な電波じゃないか?」
別のオペレーターが呟く。
疲労のせいか、どこか投げやりな口調だった。
だがペルシアは、背筋の内側でぞわりと何かが走るのを感じた。
――違う。
――これは“そういう揺れ方”じゃない。
「すぐに宇宙地図を重ねて!」
ペルシアが切り裂くように言うと、室内の空気が一気に引き締まった。
「わ、分かりました! モニター出します!」
オペレーターが震える指でコマンドを叩く。
レーダーと航路図が同期し、白い点に座標が貼り付けられる。
次の瞬間、通信室の全員が息を呑んだ。
白い点が落ちているのは――
数時間前、ルナが恐る恐る示した地点。
コロニー西側の縁ではない。
地球の裏側、南側のセーシング領域内。
「ここは……さっき言っていた……」
誰かが言葉を落とす。
ペルシアは肩で一度、笑った。
笑いというより、こらえきれない安堵の漏れだ。
「間違いない。ネフェリスよ」
言い切る声に、もう迷いがなかった。
「どうしてこんな所に!?」
若いオペレーターが混乱したまま声を上げる。
――それは全員の疑問だったが、今は答えを求める時間じゃない。
「今はそんな事どうでもいい!」
ペルシアが一歩前に出る。
目の下のクマも、やつれた頬も、全部剥き出しのまま。
「近くの探索機に連絡! 座標データを送って!
スターフォックスにも、救助船にも、全部!
最短で南側へ回り込めるルートを引き直して!」
「し、しかし南側ルートは補給が――」
「補給なんて後でいくらでも考えればいい!!
今は“生きている点”を見失う方がよっぽど致命的よ!」
怒鳴り声が天井に跳ね返り、機械音の中へ溶ける。
「……了解!」
オペレーター達が一斉に動き出す。
キーボードの連打音。
通信回線の切り替え。
各コロニーへの同報。
出撃済みの全船にルート更新が流されていく。
ペルシアは自身の耳元の通信機を押し込み、低い声で言った。
「フォックス。聞こえる?」
応答はすぐに返る。
長い待機で枯れた声の奥に、火が入る。
『こちらスターフォックス。聞こえてる。何か掴んだのか?』
「掴んだわ。座標送る。
南側、地球裏手のセーシング領域内。
ルナが示した地点と一致。
……“点”は不安定。時間がない」
『……了解。すぐルート変更する。
全開で行く』
通信越しに“よし、行くぞ!”という号令が混じる。
フォックスの向こうでクルーが一斉に息を吸う音。
スターフォックスが再び牙を剥く。
ペルシアは視線をモニターへ戻す。
白い点はまだ、消えたり点いたりを繰り返している。
まるで、脈拍みたいに。
(……生きてなさい。
お願いだから、その点滅を止めないで)
祈るような言葉を、唇の内側で噛み締めた瞬間――
通信室の扉が勢いよく開いた。
「ペルシアさん! 会議室は……」
「後で行く!」
ペルシアは遮る。
家族達の歓声も罵声も知っている。
でも今、彼女がいるべき場所はここだ。
「救助が接触するまで、私はここで見張る。
誰も点を見失うな。
どんなノイズでも、どんな微弱な変化でも、報告しろ。」
ペルシアの声は静かになった。
静かになったぶん、芯の硬さが増す。
「……はい!」
誰も逆らわない。
できるわけがない。
ペルシアは制帽のつばをぎゅっと押さえ、もう一度モニターを睨んだ。
「……お願い、間に合って」
それは命令でも、怒号でもない。
ただの祈りだった。
白い点が、ふっと消えた。
室内の心臓が止まる。
パッと灯った。
「……まだ生きてる」
ペルシアは喉の奥でそう呟き、拳を握り締める。
「リュウジ、チャコ、エリン、マリ、クリスタル、サツキ……
今、行く。
だから――そのまま堪えて」
彼女の背中越しに、通信室の機械が低い唸り声を上げ続ける。
今日の宇宙は、まだ終わらせないと言うように。
ーーーー
ネフェリスの船内は、静けさとは無縁だった。
損傷した船体の奥で、金属がきしむ。配線が焼ける匂いが鼻を刺す。どこかで冷却液が床に落ち、ぱちぱちと泡を弾く音がした。
機械室――
サツキとエリンが壁面パネルを開き、露出した配線束に両手を突っ込んでいる。
サツキの額には汗が滲み、指先は黒く煤けていた。
エリンは肋の痛みを押し殺すように呼吸を浅くしつつ、迷いなくケーブルを差し替えていく。
「このライン、生きてる……! エリンさん、こっち、バイパス通します!」
サツキが必死に声を張る。女の子らしい澄んだ声が、今は痛々しいほど切羽詰まっていた。
「お願い、サツキ。焦らないで。一本ずつ、確実に繋いで」
エリンは呼び捨てのまま、柔らかく釘を刺す。
優しいのに、命令のようにぶれない声音だった。
「は、はい……っ!」
その瞬間、姿勢制御と重力制御ユニットの配線に青白い電気が走った。
閃光。
焦げた煙が、口元に絡みつく。
「ま、まずい……!?」
サツキが反射的に手を引き、熱で赤くなった指を胸元に握りしめる。
同時に、船内の警告音が甲高く鳴り響いた。
耳を裂くようなビープ。
連続する異常表示。
『姿勢制御ユニット、ブラックアウト。重力制御ユニット、出力ゼロ。――落ちます!』
操縦席から飛んできたエリンの声が、機械室のスピーカーを震わせる。
「これ以上は持たへん!!」
副操縦席でジャックインしているチャコが叫んだ。
猫型の身体が計器に食い込み、背中の接続端子が赤く点滅している。
彼の声は、いつもより二段高い。
操縦席、リュウジは片目の視界で前を睨み、左手だけで操縦桿を保持していた。
右腕は外れた肩のせいで力が入らず、固定したままぶらりと垂れている。
血で濡れた左瞼の痛みが脳を鈍らせるが、そんな事に構っている暇はない。
「諦めるな!」
唸るような声が操縦室に響く。
「分かっとる! けど限界や言うとるやろ!」
チャコが噛みつくように返す。
計器が一つ、内側から破裂した。
ガラス片が宙を舞い、床に叩きつけられて砕ける。
船体がぐらりと沈むように傾いた。
「チャコ! 神経応答制御を俺に接続しろ!」
リュウジが叫ぶ。
それは、最後の手段――ネフェリスの神経応答制御を自分の中枢に直結し、姿勢を“身体で”支配するやり方だ。
「オーバーヒートや! 繋いだ瞬間に焼けるで!!」
チャコの声に、本気の恐怖が混じる。
「構わない」
リュウジは一切引かない。
片目の奥に、サヴァイヴで何度も見た“あの眼”が宿る。
警告音は止まらない。
船体はさらに揺れた。
重力制御が死んだ空間で、全員の体がふわりと浮き、すぐに別方向へ引っ張られる。
「――ちょ、待って! 何か来る!」
操縦席の後ろ、モニターとレーダーに張り付いていたマリが、はっと息を呑んだ。
マリは肩をすくめるように身を乗り出し、モニター越しの闇を凝視する。
視力の良さが売りだという言葉が、冗談じゃないと分かるほど鋭い眼だった。
「右前方……高速接近! 複数! この反応、隕石じゃない!」
彼女の声が、リュウジの“片目”となって飛ぶ。
「何が起こってる!」
リュウジが歯を食いしばる。
「ネフェリスの機体に何か打ち込まれとる! 被弾や、被弾!!」
チャコが計器を読み取りながら叫ぶ。
ドン、と鈍い衝撃。
船体が左右に踊る。
牽引しているシャトルが、ロープ越しに暴れ、ネフェリスを引きずり込もうとする。
「……くっ!」
リュウジは左手一本で操縦桿を引き、姿勢を必死に立て直す。
神経応答制御なしで、この状態を保つのは無理に近い。
操縦席のリュウジは左手で操縦桿を握りしめ、片目の視界だけで船の姿勢を保っていた。
右腕は肩の脱臼で力が入らず、ベルトで固定したまま微かに揺れる。
それでも操縦席の背に押しつけられた背中は、まるで氷みたいに冷えていた。
「……くそ、もう一回来るぞ」
薄く笑うような声が喉から漏れる。自分に言い聞かせる声だった。
背後でマリがモニターに張りつき、視界の端に映る微小な反応を追いかけている。
彼女の声は乾いていたけれど、芯があった。
「右前方、破片群。……いや、速度が違う。作為的に誘導されてる」
目を細め、次の瞬間、叫ぶ。
「避けられない! このままだと牽引ロープが――!」
同時に船体がどん、と沈むように傾く。
牽引している避難シャトルが、重力制御喪失のまま暴れ、ロープ越しにネフェリスの首を絞めるみたいに引っ張った。
「アカン! ロープ切れるで!」
チャコが副操縦席で吠えた。
計器の裏に繋いだ端子が熱で赤く点滅し、猫型の身体が小刻みに震えている。
「サツキ! 重力と姿勢、復旧できるか!」
リュウジが機械室に叫ぶ。
『やってますけど……! もう一回、配線が焼けたら分かんない!』
サツキの声が裏返った。
すぐにエリンの落ち着いた声が重なる。
『落ちないように、最大限いじってる。けど、機体のほうが先に音を上げそうよ』
リュウジは歯を食いしばり、操縦桿を左に切って姿勢を戻そうとする。
でも、反応が遅い。
船体の手応えが鈍い。
“もう限界”という感覚が、痛みより先に背骨を叩く。
「チャコ、神経応答制御――」
口を開きかけた瞬間だった。
『――待て、リュウジ。そいつは要らん』
耳元の無線に、あの不敵な声が割り込んだ。
低く、笑っていて、容赦がない。
「……スターウルフ」
リュウジが呟く。
『ご名答。今から“持たせる”。お前は操縦だけに集中しろ』
「何を――」
言い終わる前に、ネフェリスの左舷がぐっと引かれた。
船体が“持ち上がる”感覚。
まるで見えない巨大な手が機体を掴んだみたいに、落下のベクトルが止まる。
「な、何や!?」
チャコが目を見開く。
マリが窓の外を食い入るように見た。
そして息を飲む。
「ワイヤー……! スターウルフの探索機が、ネフェリスとシャトルにグラップルを――!」
闇の中、スターウルフの機体が二本のワイヤーを放っていた。
一本はネフェリスの損傷したフレームに刺さり、もう一本は牽引中のシャトルの基部へ深く食い込んでいる。
ワイヤーがぴん、と張り、まるで橋をかけるみたいに二隻の崩れかけた姿勢を引き上げた。
ネフェリスが、がくん、と持ち直す。
落下寸前の鼻先が持ち上がり、暴れていたシャトルの揺れが少しずつ収束していく。
「……っ、助かってる……?」
サツキの声が機械室から小さく漏れた。
信じられない、という響きだった。
『ワイヤー牽引、開始。――ほら、落ち着け』
スターウルフの声が無線で笑う。
『お前が神経応答制御に入ったら、今の右肩じゃ操縦どころじゃないだろ。無茶は俺が嫌いなんでね』
「嫌いって口で言う奴が、一番無茶だろ」
リュウジは唇の端を上げる。
痛みで表情が歪んでも、それでも笑う。
『うるさい。……来るぞ、次の衝撃』
スターウルフの声と同時に、破片群が再び近づいてくる。
だが今度は違った。
スターウルフの探索機が、ワイヤーのテンションを巧みに操作し、ネフェリスとシャトルの軌道を“上へ逃がす”。
「上だ、上に避けろ!」
リュウジが操縦桿を引き、スターウルフの動きに合わせる。
片目の視界でも分かる。
相手は熟練だ。
“支えるための飛び方”を完全に知っている。
船体が擦過するように破片群を抜けた。
ガン、と鈍い衝撃が一発。
でも致命傷にはならない。
「まだ生きとる……! いや、生かされとる……!」
チャコが歯を食いしばる声が震える。
その時だった。
宇宙空間の“下”から、影がせり上がってきた。
それは影というより、夜そのものだった。
巨大すぎて、まず“形”では認識できない。
視界が暗くなる。
星の光が遮られる。
「……な、なんやあれ……」
チャコが息を呑む。
次の瞬間、ネフェリスの下方に広がる巨大な船腹が、ゆっくりと姿勢を合わせてくる。
艦橋の灯が帯のように走り、母艦の推進ノズルが深い低音で唸った。
「グレートフォクス……!」
マリが叫んだ。
宇宙管理局の探索チームスターフォクスの母艦。
グレートフォクスはゆっくりと、しかし確実にネフェリスと牽引シャトルの“下”に潜り込む。
まるで受け皿のように二隻を包み、浮き上がらせる位置を取った。
『持ち上げます!速度を合わしてください』
機械音声が母艦側から響いた。
次の瞬間、グレートフォクスの推進が一段強く鳴った。
すべての機体が、目に見えない力で“持ち上がる”。
ネフェリスの船体がふわりと浮き、牽引シャトルが安定した軌道に滑り込む。
「……っ、持った……!」
チャコが力の抜けた声を出す。
「姿勢、安定……! 落下ベクトル消えました!」
マリが震える声で言う。
その声に、自分でも驚いているみたいだった。
機械室のスピーカー越しに、サツキが泣き笑いの息を漏らす。
『……もう、ダメかと思った……』
エリンが、いつもの軽さで、でも少しだけ鼻声で言った。
『ほら、サツキ。泣くのは帰ってからよ。今は、持ち場を守ろう』
『……はい……!』
操縦席のリュウジは、操縦桿にかけていた左手の力を、ようやく少し緩めた。
片目の奥が熱くなる。
血と疲労と痛みで、視界が滲む。
「助かった……」
呟きは、誰に向けた言葉でもなかった。
ただ、胸の奥からこぼれた息だ。
スターウルフの無線が、いつもの調子で笑う。
『助かった、じゃねぇよ。まだ帰るまでが任務だろ、英雄』
「誰が英雄だ」
リュウジは鼻で笑って返す。
でもその声は、さっきより確かに柔らかかった。
『……相変わらず減らず口だな』
「そっちは相変わらず、いいタイミングで来やがる」
『恩に着ろよ』
「気が向いたらな」
チャコがぷいっと鼻を鳴らす。
「……ほんま、死ぬか思たわ」
リュウジは操縦席から外を見た。
グレートフォクスの巨体が、ネフェリスとシャトルを包み込みながら、ゆっくりとセーシング領域の内側へ戻っていく。
その光景は、戦場に差した巨大な影の“安全”そのものだった。
そして、船内にようやく訪れた静けさ。
警告音はまだ完全には止まっていない。
けれど、あの絶望の揺れとは違う。
誰もが、同じことを思っていた。
――これで、ようやく帰れる。
リュウジは背を深くシートに預け、目を閉じた。
痛みも、熱も、恐怖も、まだそこにある。
でも今は――
その全部を抱えたままでも、“生きて帰る”道が、目の前に開けていた。
ーーーー
ソーラ・デッラ・ルーナの通信室は、さっきまでの重たい空気が嘘みたいに弾け飛んだ。
スピーカー越しに響いたリュウジとスターウルフの減らず口――あれが、確かに“生きている声”だったからだ。
「……っ、いた……! 聞こえたよな、今の!」
若いオペレーターが椅子から立ち上がり、信じられない顔のまま隣を掴んだ。
隣も同じ表情で、次の瞬間、二人は勢いよく抱き合っていた。
「生きてる、生きてるって……!」
「うわぁぁぁっ、よかったぁぁぁ!」
誰かが書類の束を放り投げる。宙に舞った紙がふわりと落ちてくるのを、誰も気にしない。
モニターの前のオペレーターはヘッドセットを放り、涙を滲ませたままガッツポーズを突き上げた。
背後では、別の班が飛び跳ねていた。
机を叩き、肩を揺さぶり合い、泣き笑いの声が渦になって絡まる。
誰かが「帰ってきたぞ、ラスペランツァが……!」と叫んで、別の誰かが「ブライアンさんもだ……!」と喉が裂けるほど叫び返す。
その喧騒の真ん中で、ペルシアだけが静かに息を吸った。
胸が痛いほど膨らむ。
息を吐くとき、喉の奥に溜まっていた苦しさが、まるで潮が引くみたいに抜けていく。
泣きたかった。
叫びたかった。
でも、今は――“やるべきことがある”。
ペルシアは震える手を押さえ込むように通信卓へ歩き、スイッチをひとつずつ叩いた。
全探索機、全管制、すべての回線へリンク。
管制室のざわめきが一瞬だけ薄まる。
彼女の声が、ソーラ・デッラ・ルーナから全域へ放たれた。
『リュウジパイロット及びブライアンパイロットの救出完了。全員、無事救出。
各探索機は現状航路を維持しつつ、安全に帰還せよ。――繰り返す、救出完了。全員、無事救出!』
言い切った瞬間、ペルシアは机の縁に指を食い込ませた。
膝が、ふっと力を失いそうになる。
泣きたい。
でも、泣くのは――あとでいい。
背後のオペレーターたちは、また歓声を爆発させた。
「うおおおおおおっ!」
「管制、勝ったぞー!」
「生きて帰ってくるんだ、確認したぞ!」
泣きながら笑いながら、肩を叩き合う。
まるで嵐の目が通り過ぎたみたいに、室内の空気が明るく震えていた。
その歓声は、会議室にまで雪崩れ込んでいた。
スピーカーから「全員無事救出!」が響き渡った瞬間、会議室は一拍遅れて、爆発した。
誰かが椅子を蹴って立ち上がり、誰かが泣き崩れ、誰かが手を叩いた。
罵声も怒号も、いまはただの涙に溶けて、その場の熱に飲み込まれていく。
「……よかった……!」
ルナは息を吸うのも忘れていた。
胸が痛いほどいっぱいで、目の前が滲んで、言葉が出ない。
ただ、腕の中の小さな体が震えていることだけが分かった。
「ユイちゃん……! 聞いた? 聞こえたよね……!」
ルナはぎゅっと抱きしめた。
ユイは一瞬きょとんとした顔でルナを見上げ、次の瞬間、堰を切ったように泣き出した。
「パパ、帰ってくるの……? パパ、ほんとに……?」
「うん、帰ってくる! リュウジも、チャコも、ユイちゃんのパパも……みんな、帰ってくる!」
ルナの声は涙で揺れていた。
それでも、言葉の芯は折れなかった。
ユイはルナの胸に顔を押しつけて、何度も何度も頷いた。
そのすぐ後ろで、ハワードが勢いよく立ち上がった。
「っしゃあああああ!!」
叫ぶや否や、振り向いて、メノリに飛びつく。
「メノリ! やったぞ! やった! 生きてるってさ!」
いつもの軽さを装おうとした声が、途中で完全に泣き声になっていた。
「ちょ、ちょっと、ハワード、離れろ!」
メノリは驚いて一歩引きかけ、すぐに踏みとどまる。
胸の奥が熱くて、怒鳴る声がどこか弱い。
「……落ち着け。みっともないだろう」
いつもなら叱るくせに、メノリの目も赤かった。
言葉の最後が小さく震えて、彼女は誤魔化すように顔を逸らす。
けれど、ハワードは離れなかった。
子どもみたいにしがみついたまま、嗚咽混じりに笑う。
「みっともなくていいんだよ……! 俺、マジで……マジでダメかと思った……!」
「……そうだな」
メノリは小さく息を吐き、ようやく彼の背に手を置いた。
「私も、だ。……本当に、よかった」
その言葉が、空気に落ちた瞬間、ルナの胸の奥で何かがほどけた。
涙が、一気に溢れる。
泣きながら笑いながら、ルナはもう一度ユイを抱きしめた。
小さな背中が、まだ震えている。
でもその震えは――さっきまでの恐怖じゃなく、待ちわびた希望の震えだった。
「……帰ってくる。みんな、帰ってくるよ」
ルナは自分にも言い聞かせるみたいに繰り返した。
会議室の窓の向こうで、ソーラ・デッラ・ルーナの管制室はなお忙しく動いている。
救助のための航路整理、医療班の配置、帰還プランの再構築。
けれどそこにあるのは、焦りだけじゃない。
――今度こそ本当に、迎えに行ける。
ルナは目を拭い、胸元の三日月をぎゅっと握った。
「……リュウジ。待ってるから。
今度は、ちゃんと“おかえり”って言わせてね」
その囁きは、周囲の歓声に紛れながら、まっすぐ空へ昇っていった。
ーーーー
左右から伸びた鋼索が、ネフェリスと避難シャトルの腹をがっちり吊り、さらにその下から、巨大な影がふわりと支えるように浮上してくる。
宇宙管理局の母艦、グレートフォクス。
その鈍い銀の装甲がネフェリスの底面に寄り添った瞬間、船内の重さが少しだけ抜けた。
誰も声が出なかった。
怖さが抜けたわけじゃない。
ただ、全員の肺が今になって呼吸の仕方を思い出しただけだった。
「……はぁ、助かった……」
エリンが椅子に手をつきながら、吐くように笑った。呼吸にまだ肋骨の痛みが混じっている。
操縦席のリュウジは、左目を血で潰したまま、ワイヤーの先――救助艇のシルエットを見上げる。
無線越しに聞こえる、聞き慣れた低い声。
「よく来たな、お前ら」
リュウジの声は掠れていたが、芯が戻っていた。
「しかも……宇宙管理局のグレートフォクスまで持ち出してくるとはな」
ふっと、あのぶっきらぼうな笑いが返る。
『ペルシアに頼まれたんだよ。
“そこにいる可能性がある。行け”ってな』
「ペルシアさんが……?」
マリが思わず目を丸くする。レーダー脇で、ずっと片目として声を振り絞っていたせいで、目の縁が赤かった。
「宇宙管理局って、宇宙ハンターを使うのって駄目じゃないかしら」
エリンが眉をしかめた。呼び捨ての口調のままでも、どこか呆れと心配が混じる。
『俺たちは金さえ払えば、どんな任務もやる』
ウルフの声は乾いていて容赦がない。
『規則は管理局の都合だろ。今は命が先だ』
その横から、別の無線が軽く割り込む。
『クリスタル。相変わらず美しいな。戻ってこないか?』
パンサーの陽気さが、妙にこの張り詰めた船内に馴染まない。
「嫌。私はスターフォクスが気に入ってるの」
クリスタルは即答だった。
物静かな声なのに、刃物みたいにきっぱりしている。
パンサーが「っはは」と短く笑った気配だけが返った。
「それで、なんぼで引き受けたんや?」
チャコがくるりと計器から顔を上げた。救助の光に浮かれてるようで、目はまだ怖いくらい真剣だ。
『十万ダール』
レオンの声はさらっと言った。
「ひゃあ、えらい額やな!」
チャコがひゅっと息を吸う。
「その金で極選、何年分買えんねん……!」
「……それは俺に請求回せ」
リュウジがため息混じりに言った。
左手の指で操縦席の縁を叩き、舌打ち一歩手前の息を吐く。
「ペルシアの財布に傷つけるわけにはいかないだろ」
『了解』とレオンが淡々と返す。
そこに、ウルフの声音が少しだけ低くなった。
『だが、俺たちは救出までが任務だ。
エアポートまで面倒見るつもりはないぞ』
「分かってる」
リュウジは短く返した。
「それより、あとどれくらいでソーラ・デッラ・ルーナに着く?」
『四時間ってとこだ』
四時間。
このボロボロのネフェリスと、骨折者を抱えた避難シャトルをぶら下げて、無事に帰れるかどうか――ぎりぎりの時間。
だが、返事はすぐ後ろから来た。
「四時間もあれば、復旧してみせるわ」
サツキが工具箱を抱え直す。女の子らしい柔らかな声なのに、言い方は真っ直ぐだった。
ふらつきはまだ残っているのに、目がもう仕事の目になっている。
「せや! ウチも手伝うで!」
チャコが勢いよく手を挙げる。
そのまま“繋いでた神経”を少し緩めるように息を吐いた。
マリが座席から半身を起こし、モニターの残骸を叩いた。
「とにかく生きてる表示だけでも戻せる? ノイズ拾うのが限界だ」
「できるよ。バイパス組む」
サツキは頷き、ふっと笑った。
「エリンさん、配線の束、持っててくれますか?」
「もちろん」
エリンは短く返し、机の下に転がる予備ケーブルを引っ張り出す。
指示を飛ばす癖はそのままなのに、動きだけで“ここは任せて”と言っていた。
クリスタルは救助艇のワイヤーの張力データを確認しながら、淡々と告げる。
「揺れが出たらすぐ言って。シャトル側の患者はまだ危ない。ブライアンの腰、固定はできてるけど、振動は致命的」
「了解」
リュウジは返し、また前を見た。
耐熱シールドで見えない宇宙の闇の向こうに、“帰る道”だけがある。
ウルフの無線が、少しだけ愉快そうに響く。
『“英雄の復活”ってやつは、こうでなくちゃな』
「やめろ、縁起でもない」
リュウジは鼻で笑った。
「ただの帰宅だ。――全員で、な」
『その意気だ』
救助ワイヤーがきしみ、グレートフォクスの影がさらに下から支える。
不安定だった船体の震えが、ほんのわずか、落ち着いた。
ネフェリスの中では再び、工具の音、配線の擦れる音、短い指示が飛び交い始める。
誰の顔にも疲労と傷が残っている。
それでも、目だけは強かった。
時間は四時間。
その間に、最悪の“帰還不能”を“帰還可能”に変える。
そしてリュウジは、赤く滲む視界の向こうで、ゆっくりと操縦桿を握り直した。
左手だけで。
でも、もう一人じゃない。
ネフェリスは、救助艇に抱えられながら、それでも前へ進み始めた。
ーーーー
ネフェリスの内部は、奇妙なほど静かだった。
あれほど船体が悲鳴を上げ、堕ちる寸前まで追い詰められていたのが嘘みたいに、いまは“仕事の音”だけが淡々と続いている。
グレートフォクスの巨大な影に抱えられ、スターウルフのワイヤーで吊られている。少なくともこの瞬間、急に墜落する心配はない。
それでも、船内の誰も気を抜いていない。
機械室では、チャコとサツキが肩を並べ、焼け焦げた配線の束を一本ずつ確かめていた。
チャコは両耳をピンと立てて計器のかすかな唸りを拾い続ける。
「……あかんとこ、まだ鳴いとるな」
チャコが低くつぶやく。
「うん、ここ……」
サツキは手袋の指先でバイパスの継ぎ目をなぞった。
女の子らしい柔らかさの残る声なのに、作業の手元は迷いがない。
「こっちのライン、熱が残ってる。冷却ループ、あと少しだけ持たせたい」
「持たせるしかあらへんな。ほな、予備から回すで」
チャコが器用に合流バルブを開ける。
「サツキ、そっちの“葉の茶”の匂い、ちょい薄なってへんか? 集中力落ちるやろ」
「ふふ、分かる?」
サツキが小さく笑い、工具を置かずに返した。
「あとでエリンさんに淹れてもらうわ。今は手、止められない」
操縦室側では、マリが使えそうなシステムを必死で掘り起こしている。
完全に死んだ回路、反応のない端子、ノイズだけを吐くモニター。
それでもマリは目を凝らし、“まだ息をしている何か”を探し続けた。
「……この航法補助、残ってる。表示は乱れるけど、座標だけは拾える」
マリが喉の奥で言い、指を滑らせる。
エリンがその背後で、紙コップに香りの強いブレンド紅茶を注ぎ、そっと差し出した。
「マリ、手を止めないで。飲みながらでいい」
エリンは呼び捨てで短く言った。
マリは一瞬だけ目を上げ、少しだけ肩の力を抜く。
「……ありがとう、エリンさん」
敬語の“さん”をきちんと付けながらも、声はいつもの調子に戻りつつあった。
エリンはもう一つ、葉で出すお茶の紙コップを片手に機械室へ向かう。
船内を縦横無尽に歩き回っているのに、その足音は不思議と誰の集中も邪魔しない。
気配が軽い。
それは、長いフライトで乗客の疲れも不安も、声ひとつで整えてきた人の動きだった。
操縦席のリュウジは、左手だけで操縦桿を握り、モニターを凝視している。
左目は血で潰れたまま、視界の半分が赤く染まっていても、まばたきひとつしない。
右肩の痛みが時折、肩甲骨の奥を刺す。
だが彼は、痛みを“外側”に押しやるように静かに呼吸を整え、船の揺れの向こうを見つめ続けた。
――四時間。
その数字が、船内の時計の端でゆっくり削れていく。
誰も口にしないが、全員が同じものを数えていた。
そして、四時間を迎えようとした頃。
機械室のハッチが開き、サツキとチャコが戻ってくる。
チャコは副操縦席に腰を下ろすなり、嬉しそうに言った。
「なんとか持ち堪えそうやで!」
声は軽い。だが、目は疲労で細くなっている。
「ただし――」
サツキが続ける。エリンにだけ向ける丁寧さを忘れず、でも言葉はきっぱりだ。
「姿勢制御も重力制御ユニットも、過負荷には耐えられないわ。
ちょっとした乱流でも、バイパスが弾ける。慎重に」
「十分だ」
リュウジが短く返す。
それから、視線を外さずに言った。
「マリ、通信は?」
マリは唇をかみ、首を横に振る。
「駄目だ。完全に死んでる」
悔しそうに呟いたが、すぐに息を吐き直す。
「ただ、航法補助とレーダーは最低限生きてる。
着陸誘導のビーコンが拾えたら、手動で合わせる」
「……まぁいい」
リュウジはほんの少しだけ口角を上げた。
そして、顎で窓の外を示す。
「それより、モニター見てみろ。
ソーラ・デッラ・ルーナが、見えてきた」
破損したスクリーンに映るのは、闇の底で光る“星の街”。
人工の灯りが規則正しく並び、回廊のようなリングが淡く煌めいている。
遠いのに、はっきりと“帰る場所”だと分かる姿。
「……本当に、綺麗ね」
エリンがぽつりと呟いた。
胸がじんと熱くなるのを、冗談めかす余裕もなく受け止めながら。
そのとき、無線が入り、ウルフの声が落ち着いた調子で響いた。
『リュウジ。俺達はここまでだ』
リュウジは前を見たまま、短く返す。
「ああ、助かった」
それだけで十分だった。
言葉の裏に、命を拾った重みが詰まっている。
ウルフがふっと笑った気配がする。
『次は落とすなよ、坊主』
「……善処する」
リュウジが鼻で笑い、すぐに表情を引き締めた。
「クリスタル。そろそろ飛び立つ。俺に合わせろ」
『了解』
クリスタルの静かな返事が返る。
物静かなのに、そこには揺るぎない強さがあった。
「ナウスも助かった」
リュウジが続ける。
牽引していた避難シャトルの姿勢データを目で追い、わずかに頷いた。
『それじゃあ、切り離す』
ウルフの声が淡々と告げた。
次の瞬間、スターウルフのワイヤーがゆっくりと緩み、グレートフォクスの影がそっと下へ離れていく。
重さが戻る。
だが、今度は“自分たちの船”として――ネフェリスが応えた。
リュウジは左手で重力制御ユニットの出力を慎重に上げる。
船体がふわりと浮き上がり、耐熱シールド越しの視界に、ソーラ・デッラ・ルーナの灯りがじわじわ近づいてくる。
「行くぞ」
リュウジが低く告げた。
「了解」
マリが即座に返す。
「うん」
サツキが頷く。
「ほな、最後まで持たせたる」
チャコが軽く指を鳴らす。
「ええ」
エリンが微笑む。
ネフェリスは、スターウルフとグレートフォクスからゆっくり距離を取りながら、
――ようやく、自分の足で帰還の航路へ入った。
その背後で、遠ざかるウルフたちの影は、闇に溶ける前に一度だけ小さく揺れた。
まるで「生きろ」とでも言うみたいに。
ーーーー
ネフェリスの機体が、ゆっくりとソーラ・デッラ・ルーナの光圏へ滑り込む。
宇宙空間の闇の中、コロニーの外殻が放つ白い帯は、まるで帰る場所を示す灯台みたいだった。
「……耐熱シールド、オープンする」
リュウジの声は低い。けれど、張り詰めていたさっきまでとは違う。
長い緊張の航行を終えた今、そこにあるのは“帰還”のための静かな集中だった。
「チャコ、解除手順は?」
「分かっとる。いくで、リュウジ」
副操縦席のチャコが、計器に繋いだ小さな身体をわずかに前傾させる。
ジャックインの名残が、彼女の耳と尻尾の根元を微かに震わせていた。
「耐熱シールド、ロック解除……開放」
ピッ、という軽い電子音。
キャノピーガラスを覆っていた鋼鉄のシールドが、ゆっくりと解けていく。
「ナノマシンシールド、展開する」
リュウジが操縦桿を握る左手に、静かに力を込める。
右肩はゆるく脱臼したまま、体の横に垂れている。
血で塞がった左目と、片腕での操縦。
それでも、彼の背中は不思議なくらい真っ直ぐだった。
「……展開、確認」
マリがモニターを見ながら報告する声は落ち着いていた。
赤い警告灯が点滅するコックピットで、その声だけが妙に澄んで響く。
「外部圧、安定。シールド出力、ギリギリだけど……持ってる」
「了解だ」
リュウジは短く返し、機首をわずかに下げた。
ゆるやかな振動がコックピット全体に広がる。
コロニー周辺の航行域に入った証拠だ。
微細な重力として、機体に“空気のような抵抗”がまとわりつく。
「着陸誘導ビーコン、捕捉できる?」
「……待って」
マリの指先がレーダーの感度を丁寧にいじる。
生きている計器は少ない。
どれも限界の熱と衝撃で、半ば眠っているみたいな反応だった。
それでも――
ふ、と白い線がレーダーに浮かび上がる。
「来た。ビーコン捕捉。方位、二時。距離、あと四〇キロ」
その言葉が落ちた瞬間、コックピットの空気が一段ほど軽くなった気がした。
「……よし」
リュウジの口元が、わずかに笑う。
それは、誰かを安心させるための笑みじゃない。
自分自身に“ここまで来た”と告げる、静かな確認の笑みだった。
「リュウジ、速度落とす?」
クリスタルの声が背後の通信から届く。
物静かな気配の底に、芯の強さがある。
「落とす。牽引シャトル側の負荷も見てくれ」
「了解。……シャトル側、安定。ブライアンは眠ってる。痛み止め、効いてるわ」
その声は、どこか優しい。
けれど彼女自身も、きっと限界の中にいたはずだ。
それでも、声の一本も震えていない。
「サツキ、姿勢制御、いけるか?」
「うん、大丈夫。……本当にギリギリだけど、今はおとなしくしてくれてる。
リュウジ、上手く操縦して。急な負荷だけは、無理よ」
少女らしい柔らかな口調。
その奥に、ちゃんとプロの“祈りじゃない現実の判断”が混ざっている。
「分かった。ありがとう」
その返事の瞬間、エリンが小さく肩を震わせた。
「リュウジが、声に出して“ありがとう”って言うなら、もう平気ね」
「……え?」
不意を突かれたようにリュウジが目を細める。
エリンは紙コップを手に、操縦席の後ろから覗き込んだ。
片側の肋骨を痛そうにかばいながらも、表情は穏やかだ。
「無茶してる時のあなたは、“ありがとう”なんて言わない。
言う余裕があるってことは、ちゃんと帰ろうって思えてる証拠」
「……エリンさんは、観察が鋭いですね」
リュウジの敬語が、少しだけ柔らかい。
その一言で、エリンは満足そうに笑った。
「私の仕事だもの」
それだけ言って、ふっと背を引く。
リュウジの集中を切らさない距離の取り方まで、相変わらず完璧だった。
「……降下に入る」
リュウジが告げる。
左手だけで操縦桿を押し引きし、機体を横滑りさせるように誘導線に乗せた。
窓の外に、ソーラ・デッラ・ルーナのランディング・ベイが見えてくる。
四角い光の塊が、宇宙の闇に浮かぶ“帰巣本能の場所”。
「誘導線、ロック。速度――規定以内」
マリが淡々と数値を読み上げる。
その声の調子が、いつの間にか“いつもの航行”と同じになっていた。
「チャコ、出力は?」
「そこそこ持っとる。
……ほんま、よぉここまで保ったわ。ネフェリス、えらい子やで」
チャコが、ちょっと泣き笑いみたいな声で言う。
それは彼女の機械への敬意と、仲間への安堵が混ざった声だった。
「ネフェリス、減速フェーズへ」
機体の腹が、じわりと重くなる。
重力制御が半歩先で踏ん張りながら、引きずられるように姿勢を整えていく。
ネフェリスと牽引されるシャトル。
二つの影が、ゆっくりとベイの中心へ落ちていく。
「接地まで、三〇秒」
マリが言う。
サツキが計器を見つめ、チャコが計器の値を噛み締める。
クリスタルの呼吸が、耳元で静かに整っているのが分かる。
そして――
「……着陸脚、展開」
ギィ……と軋む金属音。
痛んだ機体が最後の力を絞り出すみたいに、足を伸ばす。
「……いける。脚、ロック確認」
サツキが、小さく息を吐いた。
「接地――」
リュウジが操縦桿を微かに引き、
“落ちる”のではなく“置く”ように機体を下ろす。
ドン、と一度だけ鈍い衝撃があって、
次の瞬間――ネフェリスは静かに止まった。
宇宙の闇の中で、長い航行の末に、ようやく“地面”を得た重み。
その重さに、誰も言葉を出せないまま数秒が過ぎた。
「……着陸完了」
マリの報告が、やっと現実を引き戻す。
「終わった……」
サツキが呟く。
チャコは椅子にずるりと沈みこみ、
「……ほんま、終わったんやな」
と、呆けたように笑った。
クリスタルの声がゆっくりと届く。
「シャトル側、安定。
ブライアンもタツヤ班長も、生きてる。……全員、無事よ」
その一言で、コックピットの空気が程ける。
緊縛の糸が切れるみたいに、息が一斉に漏れた。
エリンが手を胸に当て、静かに目を閉じた。
「帰ってきた、ね」
「……ええ」
リュウジは抜け落ちそうな疲労を、言葉ひとつで押し留めるように返す。
操縦桿から左手を離すと、指先が微かに痺れていた。
腕も目も、体じゅうが悲鳴を上げている。
けれど胸の奥――そこだけは、不思議なくらい静かだった。
“生きて帰る”
“全員で帰る”
その約束が、今、ここで果たされたんだと、
彼の身体のいちばん深いところが理解していた。
窓の外。
ランディング・ベイの向こうに、無数のライトと人影が見える。
きっと、ルナたちがいる。
誰かが泣いて、誰かが笑って、
この機体の帰還を待っている。
「……さぁ、行こう」
リュウジが小さく言った。
それは仲間に向けた言葉でも、
新しい自分自身に向けた言葉でもあった。
ネフェリスのハッチが解放される準備音が、静かに鳴り始める。
その音は、長い夜の終わりを告げる合図みたいに、
優しく、確かに響いていた。