サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第63話

宇宙管理局長室の空気は、砂を噛むみたいに乾いていた。

 

 壁一面のモニターには「救助行動報告」「管制ログ」「外部協力先一覧」――見慣れた文字が並んでいる。

 だが、その場にいる監察官たちの視線は冷たく、どこか「断罪」を待っている匂いがした。

 

「ペルシア担当官」

 白髪混じりの監察官が、書類を軽く叩いて言う。

「あなたは、規定に反し、宇宙ハンターへ救助要請を行った。

 この一点だけで、重大な規律違反だと理解しているかね?」

 

 椅子に浅く腰を掛けていたペルシアは、脚を組んだまま、欠伸を噛み殺すように息を吐いた。

 

「理解してるわよ。紙の上じゃそうなってる」

 

「紙の上ではない。宇宙管理局の規則だ」

 別の監察官が語気を強める。

「彼らは民間――いや、半ば違法組織に等しい存在だ。

 宇宙管理局が彼らと接触したと知られれば、連盟への説明責任、外部からの批判、管理局の威信――」

 

「メンツの話?」

 ペルシアが食い気味に遮った。

 睫毛の下の瞳が、鋭く光る。

 

「威信とか、批判とか、そういう“飾り”のこと?」

 彼女は肩をすくめ、椅子の背にもたれる。

「ウルフたちに頼まなければ、ラスぺランツァは今頃、セーシング領域のどこかで宇宙空間を彷徨ってた。

 私に言わせれば、規則よりよほど重大な話でしょうに」

 

 監察官たちの顔が一斉に強張った。

 局長席にいた上官が小さく咳払いをして、場を静めようとする。

 

「ペルシア君。情に流された判断が、組織を危険に晒すこともある。

 今回は結果的に救助成功に繋がった。だが――」

 

「情じゃないわ」

 ペルシアはきっぱり言い切った。

「計算よ。あの時点で動ける船は足りない。時間も足りない。

 だから、金で最速の手を買った。それだけ」

 

「それが規定違反なのだ」

 監察官は机上の書類をめくり、冷然と言う。

「“管理局は宇宙ハンターを利用しない”。

 この一文がある限り、あなたの行動は――」

 

「じゃあその一文、書き換えたら?」

 ペルシアは笑いながら、けれど本気の目で言った。

「現場は一文に従って死ぬためにあるんじゃない。

 死なせないためにあるのよ」

 

 沈黙。

 局長室の時計の秒針だけが、やけに大きく鳴った。

 

 しばしの押し問答のあと、結論は端的だった。

 形式上の処分――減給三ヶ月、監察記録の付与。

 だが「懲戒免職」や「職務停止」には至らない。

 局長は終始、苦い顔をしていた。

 

「……以上だ。反省文は形式でいい。早めに提出しろ」

 

「はーい」

 ペルシアは立ち上がる。

 反省の影も、殊勝な態度もない。

 むしろ「面倒くさい仕事が終わった」みたいに肩を回しながら、出口へ向かう。

 

 彼女は振り返りもせず、ドアをぴしゃりと閉めた。

 

 廊下に出た瞬間、ペルシアは深く息を吐く。

 

「まったく嫌になっちゃうわ」

 

 誰に聞かせるでもない独り言が、白い壁に吸い込まれていった。

 

      ◆

 

 ソーラ・デッラ・ルーナのフロアは、帰還の熱がまだ残る午前中だった。

 遠くで歓声の名残がくすぶっている。

 医療班が走り回り、報道陣が出入りし、管理局員たちが行き交う中、ペルシアは帽子を目深に被ってコーヒーショップへ入った。

 

「ブレンド二つ。濃いめで」

 

 店員が驚いた顔で頷く。

 ペルシアはカウンターに肘をつき、受け取りを待ちながら指の動きで癖みたいに机を叩いた。

 目の下のクマは厚化粧で隠しても隠れ切れていない。

 それでも彼女の目は冴えていた。

 

 紙カップが二つ、手のひらに渡される。

 

「ありがと」

 

 ペルシアは両手にそれを持ち、封鎖区域へ向かう通路に足を向けた。

 ここは救助後の整備・検証のため立ち入り制限が敷かれている。

 ――にもかかわらず、歩いていくペルシアを止める者は一人もいない。

 

 封鎖パネルの横を抜けると、薄暗い区画の奥に、無残な姿のネフェリスが眠っていた。

 装甲は裂け、キャノピーは替えのフレームが仮固定され、腹部の一部は焼け焦げている。

 それでも、あの船は帰ってきたのだという現実が、そこにあった。

 

 そして――

 

 ネフェリスの前の床に、ひとり座っている影。

 

 左膝を立て、背を壁に預け、肩を落として。

 包帯とガーゼが痛々しいが、どこかいつも通りの背中だ。

 

 ペルシアは、ため息混じりに口角を上げた。

 

「やっぱり来てると思ったわ」

 

 男――リュウジは、顔を上げた。

 左目の上に白いガーゼ。

 血は止まっているが、縫った跡がまだ熱を持っているのがわかる。

 

「……ありがとう」

 

 差し出されたコーヒーを受け取り、彼は小さく頷いた。

 ペルシアはもう一つのカップを自分の口に運び、ふう、と息を吐く。

 

「病院を抜け出して良かったの?」

 

「大した怪我じゃない」

 リュウジはガーゼの端に指を触れた。

「寝てたって、面倒が減るわけじゃない」

 

「面倒って便利な言葉ね」

 ペルシアが鼻で笑う。

「で、何針縫ったのよ?」

 

「十八針」

 

「……ばか」

 ペルシアは一拍遅れて、吐き捨てるように言った。

 でも声は思ったより弱かった。

 

 リュウジが、少しだけ肩をすくめた。

 

「そんなことより、そっちは大丈夫なのか?」

 

「まあね」

 ペルシアはカップを振ってみせる。

「減給三ヶ月だって。

 局長室で“規則がー威信がー”ってやつよ」

 

「……お前らしいな」

 

「褒めてる?」

 

「半分はな」

 

 沈黙が落ちる。

 ネフェリスの傷だらけの機体が、二人の間で静かに影を落としていた。

 

 リュウジの視線が、そのボロボロの船体をゆっくりなぞる。

 

「お前の判断がなければ、俺たちは帰れなかった」

 

 ペルシアは意外そうに眉を上げた。

 

「珍しく素直じゃない」

 

「事実だ」

 リュウジは短く言う。

 その声はいつも通り淡々としているのに、重さが違った。

「誰か一人でも欠けてたら、駄目だった。

 ……あのタイミングで、あいつらを呼んだのは正解だった」

 

「正解ねえ」

 

 ペルシアはカップを口元に当てたまま、少しだけ目を伏せる。

 

「……そうね。

 いいチームだったわ、ラスぺランツァは」

 

 言ってから、彼女は自分の言葉に小さく驚いたみたいに、ふっと笑う。

 そこには滅多に見せない柔らかさがあった。

 

 リュウジは何も言わず、コーヒーを一口飲む。

 苦味が喉を落ち、胸の奥が少しだけ静かになる。

 

「でもさ」

 

 ペルシアが、ぽつりと零した。

 

「宇宙管理局で待つのは、辛かった」

 

 その一言は、彼女にしては信じられないほど小さくて、弱かった。

 まるで手のひらからこぼれた砂粒みたいに。

 

 リュウジがゆっくり顔を向ける。

 

「……待つ方が?」

 

「ええ」

 ペルシアは目尻を擦るわけでもなく、ただ前を見たまま続けた。

「状況が読めない。

 耳だけが命綱で、でもその耳が途切れる。

 管制室から外に出られない。

 “私はここでできることをやってる”って言い聞かせても、

 心のどこかで、ずっと焦げるみたいに焼けてた」

 

 彼女は肩をすくめ、苦い笑みを浮かべる。

 

「誰もいない宇宙地図を、何十時間も見つめ続けるって、拷問よ。

 ……らしくないこと言ったわね。忘れて」

 

「忘れない」

 

 即答。

 リュウジの声は低く、やけに真っ直ぐだった。

 

「俺は、お前が管制で待ってたことを知ってる」

 

 ペルシアの瞳が、小さく揺れた。

 彼女はわざとらしく眉を寄せる。

 

「なに、それ。慰め?」

 

「違う」

 

 リュウジはネフェリスを見上げ、次いでペルシアに視線を戻した。

 

「俺は現場にいた。

 現場が生きるためには、管制が必要だ。

 お前がいたから、俺たちは帰還ルートを選べた。

 ……それだけ」

 

「それだけ、ね」

 

 ペルシアは口元を隠すようにカップを飲み干した。

 空のカップを見つめてから、肩を落として呟く。

 

「まったく嫌になっちゃうわ」

 さっきと同じ言葉。

 でも今度は、どこか笑っている。

 

「減給三ヶ月って、結構痛いぞ」

 

「だから?」

 ペルシアが横目で見る。

 

「……三ヶ月分の請求、俺に回せ」

 リュウジはため息混じりに言った。

 

 ペルシアは一瞬きょとんとして、それから盛大に吹き出した。

 

「はっ、あんた何言ってんのよ。」

 

「金ならある」

 

「なんかムカつく」

 

 二人の笑い声が、薄暗い区画に反響した。

 ネフェリスは黙ったまま、けれどどこか誇らしげにそこにあった。

 

 ペルシアは立ち上がり、空のカップを軽く振ってみせる。

 

 リュウジはカップを片手に、ゆっくりと立ち上がろうとした。

 その動きはまだぎこちない。

 脱臼を戻した肩が、まだ痛むのだろう。

 

 ペルシアはその様子を見て、眉を寄せた。

 

「いい? 無理したら、今度は私がこれでもかって叱るから」

 

「はいはい」

 

 リュウジは軽く手を振る。

 でも、その返事の奥には、ちゃんと聞いている気配があった。

 

 ペルシアは背を向けて歩き出し、数歩いってから振り返る。

 

「……ラスぺランツァ、解散って言ったけどね」

 彼女は少しだけ目を細める。

「希望の名前は、案外しぶといわ」

 

 リュウジがふっと口元だけ笑った。

 

「希望ってのは、そういうもんだろ」

 

「……だといいわね」

 

 ペルシアは手を振らず、帽子を深く被り直して去っていった。

 背中は相変わらず強気で、粗雑で、まっすぐだ。

 

 リュウジはその背中を見送りながら、ネフェリスの機体に視線を戻す。

 

 あの船は壊れた。

 けれど、壊れたからこそ、戻れた命がある。

 

 そして――

 

 地上で待っていた顔の数だけ、自分はまだ生きていく理由をもらっている。

 

 リュウジは苦いコーヒーをもう一口飲んで、静かに息を吐いた。

 

「……帰ってきたな、俺たち」

 

 ぼそりとこぼした言葉は、ネフェリスの傷ついた装甲に吸い込まれるように消えていった。

 

ーーーー

ハワード財閥本社ビルのエントランスホールは、いつも通り人と情報と光で溢れていた。天井近くまで伸びるガラス越しに、ソーラ・デッラ・ルーナから差し込む光が、白い床に柔らかく反射している。

 その真ん中で、エリンは小さく息を吸った。

 

 紺のスーツに身を包み、胸の前で両手を揃えている。その手には、きちんと包まれた菓子折りがひとつ。ネイルは控えめなピンクで整えられ、髪もいつものキャビンアテンダント仕様より、わずかにきっちりめにまとめてある。

 

「緊張してます?」

 隣に立つハワードが、ひそひそ声で覗き込んだ。

 

「少しだけね」

 エリンは、苦笑しながらも背筋をすっと伸ばした。表情だけ見れば、いつもの落ち着いたチーフ・パーサーの顔だ。

 

 その反対側にはメノリがいる。こちらはいつも通りの凛とした姿勢で、濃紺のジャケットに細いストライプのスカート、ヴィスコンティ家の徽章を胸元につけていた。

 

「大丈夫。パパは理不尽な人間じゃないし、今回のことはむしろ感謝しているくらいだよ」

 ハワードが笑ってみせる。

 

「そうです。エリンさんは胸を張ればいいんです。」

 メノリが横顔のまま、落ち着いた声で付け加えた。

 

「そう?」

「そうです」

 二人の視線を受けて、エリンは小さく頷いた。

 

「じゃ、行こうか。社長室は最上階。……いつもよりちょっとだけ、緊張するエレベーター」

「ハワード、余計なこと言うな」

 メノリが即座に刺すような横目を向ける。

 そのやり取りに、エリンは思わずふっと笑った。緊張で固まりかけていた頬が、少しだけ緩む。

 

     ◇

 

 最上階でエレベーターが止まり、静かな音とともに扉が開く。

 厚い絨毯の敷かれた廊下を、三人は並んで歩いていった。廊下の両脇には、ハワード財閥が関わったプロジェクトの写真や、航路地図、歴代の宇宙船のホログラムが飾られている。

 

「ここから先は、私語は慎めよ、ハワード」

「分かってるって。メノリだって、ちょっと緊張してるだろう?」

「そんなことはない。……みんなの前に立つのは慣れているからな」

 言いつつも、その横顔はほんのわずかに強張っていて、エリンにはそれが可笑しくもあり、頼もしくもあった。

 

 社長室の前で足を止める。重厚な扉の前に立つ秘書に、ハワードが軽く顎を引いた。

 

「パパにアポは取ってある。入っていいってさ」

 秘書がノックをし、内側から「入れ」という低い声が返る。

 

 扉が静かに開いた。

 

     ◇

 

 社長室は、思ったよりも殺風景だった。壁一面に埋め尽くされたスクリーンには、各コロニーの交通量や、旅行会社の予約状況がリアルタイムで表示されている。巨大財閥の中枢というより、戦略司令室のような空気すらあった。

 

 奥の大きなデスクには、ハワードの父クルーズが座っている。視線は鋭いが、その奥の色は冷たくない。

 ソファスペースには、旅行事業本部長と、宇宙事業部の責任者らしき男が腰掛けていた。

 

「失礼します」

 エリンが先に一礼し、続いてハワード、メノリが頭を下げる。

 

「エリン・……ミドルネーム省略でいいのか?」

 クルーズが口元をわずかに緩めて言った。

 

「はい。エリンで構いません」

 エリンはすっと一歩前に出て、胸の前で菓子折りを両手で支えた。

 

「本日は、お時間をいただき、ありがとうございます。ご挨拶が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません」

 深く頭を下げる。

「それと……先日、私からの、無茶な依頼を受けてくださったこと。感謝してもしきれません。改めて、お礼を言わせてください。ありがとうございました」

 

 クルーズは、短く「ふむ」と唸ると、ソファを指し示した。

 

「座りなさい。そこまで硬くならなくていい。ここは取り調べ室じゃない」

 冗談めかした口調に、場の空気がわずかに和らぐ。

 

 エリンは「失礼します」と言って菓子折りをテーブルの端に置き、ソファに腰を下ろした。真っ直ぐな姿勢を崩さないまま、両膝の上で手を揃える。

 

「君のことは聞いている。ドルトムント財閥で十八歳にしてチーフパーサー。あそこの規律の厳しさを知っている者なら、その肩書きがどういう意味か分かるはずだ」

 旅行事業本部長が感心したように言った。

 

「それに――今回の捜索任務を、無事に完遂したラスペランツァの一員でもある」

 宇宙事業部の責任者が続ける。「我々としては、感謝しかない」

 

「光栄です」

 エリンは静かに微笑んだ。「ですが、今回の任務は、私一人の力ではありません。ラスペランツァの皆のおかげです」

 

 クルーズが、ぐっと組んでいた指を解いた。

 

「さて、本題に入ろう。ハワードから、君の申し出は聞いている」

 そこで一度、息を置いて続ける。

「我が社の旅行会社に、チーフパーサーとして籍を置く、そういう話だろう?」

 

 エリンは、そこで首を横に振った。

 

「いいえ」

 きっぱりとした否定に、その場の空気がわずかに揺れる。

 

 エリンは、まっすぐにクルーズを見つめた。「私がお願いしたいのは――チーフパーサーとしてではなく、一般の乗務員から、やり直させていただきたい、ということです」

 

「……一般乗務員から?」

 今度は旅行事業本部長が目を丸くした。

 

「現場から離れて一年経ちます。それに今回の捜索任務で、自分の力不足を嫌というほど思い知らされました」

 言葉を選びながら、しかし一語一語をはっきりと紡いでいく。

 

「私は、まだ足りないところだらけです。判断も、視野も、耐久力も。もう一度、一から現場で学び直さなければいけないと、心から思ったんです」

 

 ハワードが、横で小さく息を呑んだ。

 メノリは、黙ってその横顔を見つめている。その瞳には、わずかな驚きと、納得の色が混じっていた。

 

「……君ほどの実績があれば、うちに来てすぐにでもチーフに就いてもらって構わない。現場も助かる」

 宇宙事業部責任者が言う。「それを、あえて捨てるのか?」

 

「捨てるつもりはありません」

 エリンは首を振った。「もう一度、自分の足で取りに行きたいだけです。ハワード財閥の名前を借りて“座る”チーフではなく、ハワード財閥の名に恥じないチーフ・パーサーになりたいんです」

 

 室内に、短い沈黙が落ちた。

 空調の音と、壁のスクリーンで切り替わるデータのかすかな電子音だけが聞こえる。

 

 その沈黙を破ったのは、クルーズの低い笑いだった。

 

「困ったな」

 重く見えた口元が、ぐっと緩む。「この期に及んで、ハワード財閥の旅行会社に入らない、なんて言われたら、どうしようかと思っていたが……そうではないらしい」

 

「パパ……」

 ハワードが苦笑まじりに肩をすくめる。

 

「君がうちに来ないのは困る。今回の依頼を受けてくれたこともそうだが、それ以上に――君のような人材は、どこでだって欲しがる。ドルトムントだろうが、別の財閥だろうが、な」

 クルーズは、鋭い目を細めて続ける。

 

「だが、君自身が“やり直したい”と言うのなら、それは尊重すべきだろう。……本当にいいのか?給料は当然、チーフより大きく下がる。それに、最初の一年は、会社の社宅に入ってもらうことになるが」

 

「問題ありません」

 エリンは即答した。

「贅沢をするつもりもありませんし、今は立場より経験が欲しいんです」

 

 クルーズは、しばしじっとエリンを見つめた。

 やがて、ふっと小さく息を吐く。

 

「――分かった。旅行事業本部としても異論は?」

 視線を向けられた本部長が、慌てて姿勢を正した。

 

「もちろんです。むしろ歓迎です。厳しい現場を知っている者ほど、下から経験を積んでくれるのは心強い」

 

「宇宙事業部としても、異存はない。むしろ、今後も協力をお願いしたいくらいだ」

 責任者も頷く。

 

 クルーズは、改めてエリンを見た。

 

「では、一週間後から勤務してもらおう。配属先は、旅行事業本部で調整する。……チーフ・パーサーではなく、“一般乗務員”としてのスタートだ」

 

「ありがとうございます」

 エリンは、深く頭を下げた。胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 これでようやく、自分の足で立てる。そんな実感が、じわじわと現実味を帯びてくる。

 

「それで――ハワードから聞いたが、もう一つ、お願いがあるそうだな」

 クルーズが、楽しげに目を細めた。

 

「あ、はい」

 エリンは、少しだけ表情を緩めた。「二つ目のお願いです」

 

「今日の午前十一時から、宇宙管理局で記者会見があります。ブライアンさん達の救出と、ラスペランツァのこと、それから……ネフェリスのことも話すことになると思います」

 

 メノリが小さく頷いた。すでに招集がかかっているのだろう。

 

「その記者会見に出る時――ハワード財閥の旅行会社のジャケットか、制服を、お借りできないでしょうか」

 

「制服を?」

 旅行事業本部長が目を瞬かせた。

 

「せっかくなので、宣伝してきます」

 エリンは、柔らかな笑みで頷いた。

 

 一瞬の沈黙のあと、社長室に笑い声が広がった。

 

 

「悪くない発想だ」

 クルーズも肩を揺らした。「どうせ記者達は、君のことを根掘り葉掘り聞くだろう。その場で、“ハワード財閥の社員として答える”という形にしてしまえばいい」

 

「制服室に連絡しておきます。サイズは、事前データで確認していますから」

 旅行事業本部長が、すでに端末に指示を飛ばしている。

 

「ありがとうございます」

 エリンはもう一度、丁寧に頭を下げた。

 

「ただし、一つだけ条件がある」

 クルーズが指を一本立てる。

 

「今日、その制服を着て記者会見に出る以上――君は、そのときから“ハワード財閥の人間”だ。うちの看板を背負っているという自覚を持って話してくれ」

 

 その言葉に、エリンは真剣な顔で頷いた。

 

「もちろんです。……私なりのやり方で、きちんと伝えてきます」

 

「よろしい」

 クルーズは立ち上がり、テーブル越しに右手を差し出した。「ようこそ、ハワードグループへ。――エリン」

 

 エリンは菓子折りをそっと端に寄せ、差し出された手をしっかりと握り返した。

 

「お世話になります。よろしくお願いします」

 

 握手を交わす二人を見て、ハワードはどこか誇らしげに胸を張り、

メノリは小さく息を吐いた。

「やれやれ、また一人、厄介な優等生が増えたな」とでも言いたげな、しかし確かな安堵の笑みを浮かべながら。

 

 こうして――

 エリンは、ラスペランツァのクルーとして宇宙から帰還したその足で、ハワード財閥の新たな仲間として、一歩を踏み出したのだった。

 

ーーーー

 

ソーラ・デッラ・ルーナの記者会見場は、いつもより照明が強かった。白い床、白い壁、天井から吊られたライトが眩しく、そこに集まる視線の熱だけがやけに生々しい。

 

 ステージの奥に、横一列の長テーブル。背後のスクリーンには、宇宙管理局の紋章と「ラスぺランツァ捜索任務・帰還報告会見」の文字が浮かび上がっている。

 

 ざわめきの中、扉が開いた。

 

 先に姿を現したのはマリ、サツキ、チャコ、クリスタル、そしてエリン。

 五人はそれぞれの制服や作業服で、けれど同じ色の宇宙服がまだ記憶に焼き付いているせいか、どこか一体感を纏って見えた。

 

 エリンだけは空気が少し違う。

 ハワード財閥の旅行会社の制服――濃紺のジャケットに金のライン、胸元の徽章が光を弾く。救助の現場とは正反対の、あまりに“日常の側”の服装が、かえって彼女が現場から戻ってきたことを強烈に実感させた。

 

 客席が一度だけ、息を呑むように静まる。

 

 五人が席に着くと、別の扉からペルシアが入ってきた。

 制帽を被り、宇宙管理局の制服をきっちりと着こなしている。袖口に残る寝不足の痕跡は隠しきれていないが、歩みは微塵も揺れない。

 

 ペルシアは壇上中央に立つと、小さくマイクの位置を直した。

 

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。宇宙管理局、任務統括官のペルシアです」

 

 ざわめきが一段落ち、無数の記者用端末が立ち上がる電子音が重なる。

 

「本日の会見は、西の未探索領域におけるブライアン隊捜索任務、及び捜索チーム“ラスぺランツァ”の帰還に関するご報告です。

 なお、操縦士であるS級パイロット・リュウジは、諸事情により、この会見終了後、十二時より単独会見を行います。本会見はクルー五名からの報告に限定いたします。ご了承ください」

 

 前列の記者たちが一斉に腕を上げ、光学シャッターの音が雨のように降る。

 

 最前列には、カラス、フレデリック。

 カラスは相変わらず目が鋭く、フレデリックはペンを構えながらも、表情の奥に“帰ってきた安心”が滲んでいた。

 

 後列には、ブライアン隊の家族、タツヤとユイ、スターフォクスの面々。

 さらに、ルナ、シャアラ、メノリ、ハワード、シンゴ、ベル、カオルが静かに座っている。

 彼らは壇上の五人の姿を、まるで現実かどうか確かめるみたいに、まっすぐ見つめていた。

 

 ペルシアが手元のタブレットを滑らせる。

 

「では、順にお話を伺います。まず今回の任務に参加した理由について。

 通信システム担当、マリ。お願いします」

 

 マリは一度だけ唾を飲み、マイクに顔を近づけた。

 短い髪の奥の目は、まだ宇宙の暗さを引きずっているようにも見える。

 

「……私は、宇宙管理局所属です。参加理由は、ペルシアさんに押し付けられたから――と言いたいところですが」

 

 前列にくすっと笑いが漏れる。マリは少しだけ眉を上げ、続けた。

 

「通信が途絶した領域に入るのは、現場にとって命綱です。

 セーシング領域外に踏み込む船に、通信技師がいないという選択肢はなかった。

 それが全てです」

 

 淡々とした言い方なのに、最後の一文に、妙に強い芯があった。

 

 ペルシアが頷く。

 

「次、メカニック担当、サツキ」

 

 サツキは背筋を伸ばしてマイクの前に手を添えた。

 赤茶の髪を耳にかけ、小さく息を整える。女の子らしい柔らかな声に、しかし迷いはない。

 

「私は恒星間輸送船のメカニックです。

 今回の参加は……正直に言うと、リュウジとチャコのことを、自分の目で見ておきたかったからです」

 

 会場が静まる。サツキは視線を客席に向けず、まっすぐ前を見た。

 

「私の師匠は、サヴァイヴで亡くなったポルトさんでした。

 サヴァイヴ特集で、サヴァイヴで船を作り、大陸を渡った人がいると聞いていました。

 その操縦をしたのが、リュウジだと知って……どうしても、同じ現場に立って、技術と覚悟を見ておきたかったんです」

 

 壇上のチャコが、横から小さく「ほんまにびっくりしたわ」と呟き、サツキはそれに気づいて、ほんの少しだけ照れたように笑った。

 

 ペルシアが視線を走らせる。

 

「システムエンジニア、チャコ」

 

「ほいほい、ウチな」

 

 チャコは座ったままマイクを引き寄せ、関西弁のまま平然と口を開いた。

 記者たちが一瞬戸惑うのに、後列のルナたちは“いつものチャコだ”と分かって、どこか肩の力を抜いた。

 

「参加理由?

 そら、ネフェリスがウチにしか分からんからや。

 ウチがおらんかったら、あの船、三回は死んどったで」

 

 言い切って、鼻先を少しだけ上げる。

 笑いが起きるより先に、記者席が“その言葉の重さ”を飲み込む空気になった。

 

「それに――」

 

 チャコは少しだけ視線を落とし、鼻の奥をかすかに鳴らしてから、いつもの調子に戻る。

 

「リュウジ一人で飛ばすわけ、ないやろ。

 それだけや」

 

 後列のルナが、胸の前で手を握った。

 

 ペルシアは一瞬だけ、目尻を柔らかくしてから次へ振る。

 

「救護兼副操縦士、クリスタル」

 

 クリスタルはゆっくりとマイクに顔を寄せた。

 声は静かで、透き通った湖面みたいに落ち着いている。

 

「私はスターフォクスのクルーです。

 任務への参加理由は――救助が必要な現場に、医療担当がいないことの方が異常だから」

 

 短い一文で終えた。

 その短さが、逆にごまかしの無さを強調した。

 

 客席のどこかで小さく息を飲む音がした。

 クリスタルはその空気を気に留めず、淡々と補足する。

 

「そして、航外作業の牽引や接続は、私の専門です。

 必要な場所に必要な手が届くのが、現場の唯一のルールよ」

 

 静かな口調のまま、確かに“強い人間の言葉”だった。

 

 ペルシアが最後に目を向ける。

 

「コックピットコンディション、エリン」

 

 ハワード財閥の制服を着たエリンは、マイクに手をかけた瞬間、ほんの少しだけ笑った。

 あの緊迫の操縦室で、みんなに飲み物を配り、声を掛け、支えていた彼女の笑み。

 

「ハワード財閥 旅行会社所属のエリンです

 私が参加した理由は、簡単です。

 リュウジが一人で行くって聞いたから」

 

 会場の空気が、すっと引き締まる。

 

「一人で行かせる選択を、ペルシアも、私も、誰も“良し”とできなかった。」

 

 エリンらしいまっすぐさに、記者の何人かが頷く。

 

 ペルシアは一息つくと、場を区切った。

 

「ありがとうございます。

 では、次に“ネフェリス船内の状況”と“任務で最も大変だったこと”について、任務の経過を時系列で伺います。

 まず、宇宙爆発発生時の操縦室と船内の状況。

 “最初に異常を察知した者から”話してください」

 

 ペルシアの目線がチャコに向く。

 チャコは「しゃあないなぁ」と肩をすくめた。

 

「ほな、ウチからやな。

 まず爆発の前兆やけど――音や。

 ペルシアが集音で“来る”って言うた瞬間、ネフェリスの電子系統がごっそり沈黙した。

 モニターも、レーダーも、管制との回線も、ぶつ切りや。

 せやのに、船体はまだ生きとる。ほんで次の瞬間、電磁パルスの残滓みたいなノイズが一気に走って、遅れて衝撃波。

 あれは“宇宙爆発”以外、説明つかん」

 

 淡々と言っているのに、会場にいる誰もがその瞬間の冷たい暗さを想像して息を飲む。

 チャコは続けた。

 

「衝撃波でキャノピーガラスがいった。

 さらに姿勢制御と重力制御ユニットが連鎖で落ちた。

 ほんでや……」

 

 チャコは一瞬、言葉を選ぶみたいに口を閉じた。

 でもすぐに、いつもの調子で、しかし声の奥を固くして言った。

 

「リュウジが操縦席で気ぃ失うた。

 あのヘルメットに破片が刺さって、血ぃ垂らしてな。

 よく船体を保っとったんや」

 

 前列の記者が一斉にメモを取る音が走る。

 

 ペルシアが頷き、次の人に視線を送る。

 

「そのとき、救護としての判断は? クリスタル」

 

 クリスタルは静かにマイクへ手を伸ばした。

 声は低く、まるで深い海の底から浮いてくるみたいに落ち着いている。

 

「リュウジの意識は一時消失。

 衝撃波の影響で、マリとサツキは脳震盪でブラックアウト、エリンは肋骨にヒビ。

 航外作業の可能性も考えると、私が先に応急判断をして、全員の状態を“動けるか・動けないか”で切り分ける必要があった」

 

 短く言い切り、クリスタルは一度だけまぶたを下ろした。

 

「リュウジの傷は深かった。

 止血すれば視界が塞がる。

 操縦に片目は致命的――それでも彼は“他を優先してくれ”と言った。

 私は従った。

 現場では、操縦席が止まったら全員が死ぬ」

 

 淡々とした声のまま、言葉は鋼鉄みたいに重い。

 

 ペルシアは視線をエリンへ。

 

「エリン。船内のコンディション維持と、クルーの動きについて」

 

 エリンはハワード財閥の制服の袖口を軽く整えてから、笑みを薄く作った。

 だが、その目は冗談をはぐらかすときの明るさじゃなく、現場のままだ。

 

「爆発の直後は、みんな“何が起きたか理解する時間”が必要だった。

 あの暗さと警告音と臭いの中で、理性を保つのって簡単じゃない。

 だから私は、まず“やることを声で区切った”」

 

 エリンの声は清潔でよく通る。

 コックピットでリュウジの集中を乱さないよう動き続けていたときと同じだ。

 

「マリ、投下。サツキ、配線。チャコ、再点検。クリスタル、医療。

 それだけ言って、あとは飲み物を配った。

 変に手を止めさせたら、みんな心が折れるから」

 

 前列の記者が「飲み物……」と小さく口にする。

 真っ暗な宇宙での“飲み物配り”なんて、普通なら余計に見える。

 だが帰還した五人の顔を見れば、それがどれほど命背負った行為だったか、空気が理解していた。

 

 ペルシアがマリに話を振る。

 

「マリ。通信・中継ベイ運用の実態を」

 

 マリは一度、息を整えた。

 

「セーシング領域外に入ってからのノイズは、想定以上だった。

 中継ベイは10キロ間隔で投下したけど、最初にブライアン隊の中継ベイの破片を見つけた時点で、ただの“通信ロスト”ではないと確信した」

 

 冷たい口調のまま、マリは肩を落とさず続ける。

 

「爆発後は気を失っていましたが、セーシング領域内で最後の中継ベイも投下し終えて、残りは“微弱でも電波が出るものを作って放出する”しかなかった。

 正直、通信技師としてはかなり無茶なやり方。

 でもネフェリスの通信機材は、ほぼ死んでいたから」

 

 その言葉に、前列のカラスが手を上げた。

 ペルシアが指す。

 

「カラス記者」

 

 カラスは立たず、冷たい目のままマイクに口を寄せた。

 

「宇宙爆発が原因と言いますが、未探索領域での“爆発”など前例がない。

 しかも中継ベイと船が同時消失する現象が二度起きている。

 これは――未知の兵装、あるいは外的攻撃を示唆しませんか?」

 

 鋭い問い。

 会見場に緊張が走る。

 

 ペルシアが答える前に、チャコが先に口を開いた。

 

「カラスは相変わらず口えぐいなぁ。

 せやけど“攻撃”と断定するには、材料が足らん。

 ウチらが見たんは、“爆発の結果”だけや。

 原因はまだ分からん。せやから今後の調査対象や」

 

 痛快な言い方だが、芯を外していない。

 ペルシアも同じ結論で頷く。

 

「現時点では、原因の断定はできません。

 ただし、異常現象の“発生範囲・波形・消失同時性”は記録済み。

 ブライアン隊の資料と突き合わせ、今後、調査委員会を立ち上げます」

 

 ペルシアの声に、会場のざわめきが写された。

 

 次にフレデリックが手を上げる。

 

「フレデリック記者」

 

 フレデリックは立ち上がったまま、熱を込めて言った。

 

「航外作業について伺う。

 避難シャトル発見後、牽引が必要な状態だったと聞いている。

 あの状況で、あれほどの航外作業をどうやって――特に、負傷者がいる中で実行したのか?」

 

 ペルシアが視線をクリスタルへ送る。

 クリスタルは静かに頷いた。

 

「シャトル後方のエマージェンシールームから侵入。

 乗員は脱水と酸欠に近かった。

 ブライアンは腰椎骨折で搬送不可。

 だから“牽引して帰る”以外の選択肢はなかった」

 

 淡々と述べるが、そこに恐怖の温度は隠れていない。

 クリスタルは続ける。

 

「私とエリンで、ネフェリスとシャトル双方の牽引ロープ固定を行った。

 外は暗く、衝撃波後のデブリが流れていた。

 接続は一瞬でもズレれば、両方の船体が裂ける」

 

 エリンがその言葉を継ぐ。

 

「正直、死と隣り合わせだった。

 でも、足を止めたら終わるから。

 クリスタルが先にワイヤーを撃って、固定して、私は補給と支援。

 “怖い”って言ってる暇はなかった」

 

 “怖いと言ってる暇はなかった”

 その言葉が、場に深く沈んだ。

 

 サツキが小さくうなずき、マイクを取る。

 

「船内ではチャコがシステムを繋ぎ直し続けてた。

 ナノマシンシールドを維持しながら、姿勢制御も重力制御も不安定で……

 いつでも船が堕ちてもおかしくなかった」

 

 女の子らしい声なのに、言っていることは生々しすぎた。

 前列の記者がひと呼吸、喉を鳴らす。

 

 ペルシアは場をまとめるように言う。

 

「そして帰路。

 ネフェリスは限界寸前でした。

 最後は、宇宙管理局が派遣した探索機と、グレートフォクスにより救助が行われています」

 

 この一文で、別のざわめきが立つ。

 “宇宙ハンターの介入”に触れたい記者が山ほどいる、という空気。

 

 案の定、カラスがもう一度手を上げた。

 

「宇宙ハンター、スターウルフの関与は事実ですか?」

 

 ペルシアが一瞬だけ目を細める。

 そして、短く答えた。

 

「詳細はリュウジの単独会見で話します。

 本会見はクルー報告に限定します」

 

 “言わない”ではなく“話します”。

 ペルシアの言葉選びに、記者たちは情報の匂いを嗅ぎ取って、逆に静まった。

 

ペルシアが「では、ここからは質疑応答に移ります」と宣言すると、会場は一気に熱を帯びた。最前列の記者たちは一斉に手を挙げ、フラッシュがまたたく。壇上の五人――マリ、サツキ、クリスタル、チャコ、エリン――は胸の前で呼吸を整え、互いに頷き合った。

 

 ペルシアは最初の記者を指名する。

 

「そちらの赤いネクタイの記者」

 

 呼ばれた記者は立ち上がり、タブレットを握りしめた。

 

「エリンさんに伺います。

 あなたは船内で“クルー全体の精神的支柱”だったと評価されています。

 極限状態で、どうやって平常心を保ち続けたのですか?」

 

 エリンは一瞬だけ目を伏せ、それから優しい声で答えた。

 

「……平常心なんて、とても。

 怖くて、逃げ出したい瞬間の方が多かったです。

 でも、誰かが“声を発し続けなければ”船は崩れると思ったんです」

 

「声、ですか?」

 

「はい。

 宇宙船が静まり返ると、乗っている全員の心が不安に沈みます。

 だから、飲み物を配ったり、食事を作ったり、状況を説明したり……

 私はただ“皆が自分の役目に集中できる環境を整えた”だけです」

 

 記者席がざわりと揺れた。

 その言葉は、決して派手ではない。

 しかし、どこか揺るぎない力があった。

 

 ペルシアが次の質問者を指す。

 

「では、そちらの女性記者」

 

 女性記者が立ち上がり、マリに視線を向けた。

 

「マリさんに伺います。

 “片目を負傷したリュウジパイロットの代わりに視界を補った”と聞きました。

 どのようにして冷静な判断を?」

 

 マリは軽く咳払いし、いつもの落ち着いた口調で答えた。

 

「リュウジの代わりになったわけじゃない。

 私はただ“見えるものを伝えただけ”。

 レーダーもモニターも壊れていく中で、頼りになったのは目視だけ。

 だから私は目を酷使して……正直、何度も視界が霞んだ」

 

「恐怖はなかったのですか?」

 

「ありましたよ。

 でも、後ろに皆がいると分かってたから。

 リュウジの声、エリンさんの声が絶えず聞こえたから……迷わずに済んだの」

 

 静かな拍手が客席の後方で起こった。

 

 次はチャコが指名された。

 

「チャコさん。

 “ネフェリスの崩壊を食い止めた立役者”と言われています。

 電子系統が壊滅した中、どうやって持たせたのですか?」

 

 チャコは鼻を鳴らし、関西弁の調子そのままで答えた。

 

「そんなん、根性と気合いやろ!……って言いたいとこやけどな。

 実際はウチがやったんじゃなくて、ネフェリスが踏ん張ったんや。

 ただ、ネフェリスが倒れんように、ウチの神経を繋いだだけや。

 せやから、途中で“焼き切れた”思たで。ほんまに」

 

「それでも続けた理由は?」

 

「理由なんて一つや。

 “みんながおるから”や。

 船内で誰一人、声を荒げてへんかった。

 エリンは飲み物配って歩くし、サツキは火花散る中で配線いじっとるし、

 マリは血走った目で外見とるし……

 そんな状況でウチだけ逃げられるかい!」

 

 会場から笑いと涙が同時に漏れる。

 

 続いてサツキが呼ばれた。

 

「サツキさん、あなたは“姿勢制御ユニットと重力制御ユニットを短時間で復旧させた”と。

 どうやってあの状況で?」

 

 サツキは胸に手を当て、静かに答える。

 

「……奇跡でした。

 配線は焼け落ち、ユニットは半壊。

 でも、やらなきゃ“全員死ぬ”状況でした。

 だから考える前に手が動いた。

 私一人では無理でしたけど、エリンさんの声が常に届いていたから……」

 

「声、ですか?」

 

「はい。

 “そこ大丈夫?”

 “サツキ、水飲んで”

 “焦らなくていいわ”

 ――どれだけ救われたか分かりません」

 

 そしてサツキは隣を見る。

 

「だから私の復旧作業は、半分はエリンさんのおかげです」

 

 その言葉に、エリンが小さく肩を震わせた。

 

 次にクリスタル。

 

「クリスタルさん、あなたは“外での接続作業”を行いました。

 宇宙服越しでも危険な作業だったはずですが……どう乗り越えたのですか?」

 

 クリスタルは呼吸を整えてから語った。

 

「正直、恐怖はありました。

 シャトルの外側は裂け、破片が漂い、わずかな衝撃でも切り裂かれる状況でした。

 でも“あの中に人がいる”と分かっていた。

 だから足は止まらなかった」

 

 記者はさらに問う。

 

「その時、一番心に残った瞬間は?」

 

「……皆んなを見つけた時です。

 息が弱く、でも“声に反応して目を開けた。

 この人達を絶対、生かして帰す――

 そう思った瞬間、恐怖が消えました」

 

 記者席の空気が静かに熱を帯びていく。

 

 そして――

 最後の質問が投げかけられた。

 

「最後にお聞きします。

 ――ネフェリスの“今回のMVP”をひとり選ぶとしたら、誰ですか?」

 

 会場が一気にざわついた。

 誰もが「誰が選ばれるのか」と息を呑む。

 

 壇上の五人は顔を見合わせ――

 最初に口を開いたのはエリンだった。

 

「……皆んな、です。

 ラスぺランツァ全員。

 誰が欠けても、帰って来られませんでした」

 

 しかし記者は食い下がる。

 

「もちろん全員で成功したのは理解しています。

 “強いて”ひとり挙げるなら?」

 

 沈黙。

 エリンが戸惑いの息を漏らした瞬間――

 

「ほんなら、エリンやな」

 

 真っ先に答えたのはチャコだった。

 

 エリンは「えっ」と目を見開いた。

 

 どよめきが走る。

 

 サツキもすぐ続いた。

 

「私もエリンさんです。

 エリンさんの声で、まず最初から落ち着けた。

 ……それに、ご飯が美味しかった」

 

 会場が和やかな笑いに包まれる。

 

 マリが言葉を重ねる。

 

「飲み物、船内の整理、気が散らないようなサポート。

 誰も頼んでないのに、状況を“先に読んで”動いてくれた。

 場を整える力は、怖いほどすごかった」

 

 クリスタルもすぐ肯定した。

 

「船外作業もそう。

 肋骨にヒビが入っているのに、あれだけ動ける勇気。

 しかも忍者みたいな動きするし……

 正直、私も助けられた」

 

 記者席がざわつく。

 “忍者みたいな動き”というワードが広がり、笑い声も混ざる。

 

 チャコは最後に、ゆっくりとまとめた。

 

「ウチらは寄せ集めや。

 個々の能力は高くても、それを線で結ばんと力にならん。

 それをやっとったんはエリンや。

 点と点を、ちゃんと線にした」

 

 エリンは、ただ俯くしかなかった。

 

 会場の視線を浴びながら、彼女はマイクを握り直し――

 

「……今回の任務、私は至らぬ点が多かったと自己評価しています。

 皆んなの言葉は嬉しいです。

 でも……浮かれないよう、気を引き締めます」

 

 穏やかで、まっすぐな声だった。

 

 その瞬間、会見場から自然と拍手が起こった。

 誰に強制されたでもなく、ただ五人の言葉と絆に対して。

 

 ペルシアは深く頷き、締めのアナウンスへと移った。

 

「本日の前編は以上です。

 ――十二時より氏の単独会見を開始します」

 

 スクリーンに文字が映る。

 

 五人はゆっくりと立ち上がり、ペルシアを先頭に退席していった。

 拍手は、その背中が見えなくなるまで続いた。

 

ーーーー

 

会見場の照明が一段階落とされ、ざわめきがゆっくりと沈んでいく。

 前列の端――会場を見渡しやすい場所に、エリン、クリスタル、チャコ、マリ、サツキが並んで腰を下ろしていた。五人とも制服や作業服のままだ。目の下に残った疲労や、まだ抜けきらない緊張が、かすかに表情に影を落としている。けれど、その視線の先に立つ人物を見つめる眼差しだけは、誇らしさと安堵で静かに満ちっていた。

 

 扉が開く。

 

 記者たちが一斉に身を乗り出す音。

 フラッシュの雨。

 

 その中心を、リュウジが歩いてきた。

 

 黒を基調にしたS級パイロットの正装。肩章の銀が照明を弾き、胸元の徽章は一切の無駄なく整っている。制帽を脱ぎ、ゆっくり机の上へ置くと――その瞬間、視線が“傷”に集まった。

 

 左瞼に貼られたガーゼ。

 血の跡こそ洗い流されているが、痛々しい白が、彼が戻った“現実”を何より雄弁に物語っていた。

 

 リュウジは椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばす。

 普段よりも少しだけ表情が柔らかい。だが、目だけは変わらない。いつものように静かで、奥に火種を抱えたままの目だった。

 

 ペルシアが司会席から短く告げる。

 

「それでは、リュウジS級パイロットの単独会見を開始します」

 

 リュウジが一度だけうなずく。

 

 すぐに手が挙がった。

 

「質問いいですか!」

 

 ペルシアが頷き、最前の記者を指名する。

 

「そちらの方」

 

 記者は立ち上がり、苛立ちを隠さない声で切り出した。

 

「リュウジパイロット。あなたの会見が延期された理由をまず説明してください。

 私たちは“十二時ちょうどの会見”と聞いていましたが、あなたは今、十分遅れています」

 

 リュウジは少し肩をすくめ、口元をわずかに緩めた。

 

「悪い。

 朝、病院を抜け出したせいでな。さっきまで精密検査受けてた」

 

 ざわ、と会場が波打つ。

 

 冗談みたいに言う声の調子。

 だが、冗談にできるような状況ではなかったと、誰もが知っている。

 

「……検査の結果は?」

 

「命に別状はない。

 ただ医者には説教された」

 

 リュウジの口の端が、ほんの少しだけ上がる。

 その笑みは、どこか“昔の彼”を思わせた。

 前列の端で、それを見たチャコが小さく鼻で笑う。

 

「(説教どころやないやろ、あんた……)」

 

 ペルシアが咳払いを一つ、空気を引き締めた。

 

「では本題へ移ります。

 会見を始める前に、“宇宙ハンター要請の件”について、こちらから先に説明します」

 

 記者席の熱が再び上がる。

 誰もがそこに噛みつく準備をしている。

 

 ペルシアはまっすぐ前を見たまま、はっきりと言った。

 

「今回、スターウルフ――ウルフ、レオン、パンサーの三名に救助を要請しました。

 賛否があるのは承知しています。

 しかし、彼らを助けるために必要と判断した。

 その一点に尽きます」

 

 “必要だった”。

 その断言は、ペルシアらしい鋭さで会場を切る。

 

 だが、次の瞬間。

 リュウジが低い声で続けた。

 

「最悪の場合を想定して、捜索任務を進めるって決めた時点で、俺から頼んでたんだ」

 

 一拍。

 ペルシアの瞳が鋭く細くなる。

 リュウジはそれを、見ないふりをした。

 

 前列の端でサツキがわずかに息を呑む。

 マリは眉を寄せた。

 クリスタルは目を伏せる。

 

 ――“また一人で背負うつもりか”。

 その空気が、端の席に静かに刺さった。

 

 案の定、記者が食いついた。

 

「つまり、宇宙管理局の判断ではなく、あなたの独断で要請したと?」

 

 リュウジは少し目を細め、淡々と答える。

 

「独断じゃない。

 俺は“必要性”を提示した。

 ペルシアがその判断を呑んだ。

 それだけだ」

 

 記者がさらに詰める。

 

「宇宙ハンターは必要でしたか?

 違法だという意見もありますが」

 

 リュウジの返事は迷いがなかった。

 

「必要だった。

 あいつらがいなければ、俺たちはここにいない」

 

 その言葉が落ちると同時に、ペルシアがわざとらしく「ゴホン」と咳をした。

 それは“言いすぎだ、余計な火種を作るな”という無言の警告だった。

 

 だがリュウジは、あくまで静かにそのまま座っている。

 

 別の手が挙がる。

 

「探索機では駄目だったのか?

 なぜ戦力を増やさず、宇宙ハンターに頼った」

 

 リュウジが口を開こうとした。

 ――が、マイクが拾わない。

 音声が入っていない。

 

 前列の端でチャコが「ぷっ」と吹き出しそうになる。

 リュウジの額がわずかに引きつり、視線が司会席――ペルシアへ飛んだ。

 

 ペルシアは涼しそうな顔で、さらりと答える。

 

「探索機の出動は不可能でした。

 ラスペランツァから再び非常無線が入った際、

 宙を飛ぶ船はすべて、航路から左右百キロ圏への展開を命じていました。

 つまり、その時点で“飛ばせる船がなかった”のです」

 

 会場に、納得と疑念が入り混じったざわめき。

 リュウジは唇の端を上げるでもなく、下げるでもなく――ただ、椅子の背にもたれずに姿勢を保っている。

 

 そのまま、別の声。

 

「スターウルフは高額だと聞きますが」

 

 声の主はフレデリックだった。

 前列中央、静かにまっすぐな眼でリゅウジを見ている。

 

 ペルシアがうなずいた。

 

「ええ、承知しています」

 

 その瞬間、リュウジがいつの間にか机の脇にあったマイクを、すっと手に取った。

 

「今回は俺が頼んだ。

 請求は全部こっちに回すように手配済みだ」

 

 ペルシアの眉が跳ねた。

 “いつの間にマイクを持ち替えたのよ”とでも言いたい顔を一瞬だけして、すぐに涼しい顔へ戻す。

 

 記者席がどっと沸く。

 

 前列端でマリが小さく呟く。

 

「……ほんとに、最後まで抜け目ない」

 

 クリスタルは“抜け目ない”より“無茶”のほうを想像して、わずかに眉を寄せた。

 

 そこへ、低く張った声。

 カラスだ。

 

「つまり宇宙ハンターの要請は、“ダンナから”ってことになるんですか」

 

 リュウジは一度だけ息を吐き、淡い笑みを浮かべた。

 

「ああ。

 宇宙管理局が宇宙ハンターを要請するのは禁じられてる。

 だからペルシアには通話を代行させただけだ」

 

 “代行させただけ”。

 言葉の切っ先が、妙に優しい。

 

 ペルシアは表情を動かさない。

 だが、机の下で拳を握っているのを、前列の端に座る五人だけが知っていた。

 

 ――リュウジが全部背負うために、わざとそう言っている。

 局員たちの表情が、少しだけ軽くなっていく。

 “局の違反ではない”と世間に示されたから。

 

 だが、リュウジを知る者たちは、逆に痛みを覚えた。

 

 エリンは、制服の袖の中で指を握りしめた。

 チャコは眉を下げた。

 サツキは「また…」と唇を噛む。

 マリは目をそらし、クリスタルは静かに目を閉じる。

 

 ペルシアも、わずかに肩が揺れた。

 それが怒りなのか、悔しさなのか、それとも――感謝なのか。

 誰も断言できない。

 

 会場はまだ質問が続く勢いだったが、ペルシアが手を挙げ、制した。

 

「それ以上の詳細は運用上、答えられません。

 次の質問へ」

 

 しかしリュウジが、マイク越しに短く補足した。

 

「一つだけ言っとく。

 あいつらを呼んだのは“保険”じゃない。

 俺たちが“生きて帰るために必要な現実”だった。

 それだけだ」

 

 その声には、いつもの硬さと同じくらい、どこか静かな温度が混じっていた。

 

 前列端の五人は、誰一人声に出せないまま、ただその背中を見つめていた。

 己の責任を一身に引き受けるための、まっすぐすぎる背中を。

 

 そして会場は次の質問へ移っていく。

 フラッシュの光の中で、リュウジだけが――

 少しだけガーゼの端を指で押さえ、痛みを隠すように瞬きをした。

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