サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第64話

会場の空気が整え直され、ペルシアが軽くマイクを叩いた。

 

「それでは改めて、リュウジS級パイロットへの質疑応答を続けます。質問のある方は挙手を」

 

 すぐに、何本もの腕が上がる。

 ペルシアが指名すると、最前列の記者が立ち上がった。

 

「まずは、ラスぺランツァのクルーについて教えてください。今回の任務は“寄せ集めの即席チーム”だったと聞いています。どのような評価をされていますか?」

 

 リュウジは椅子に深く背を預けず、背筋を真っ直ぐにしたまま答えた。

 声は普段通り淡々としているが、言葉の端々が柔らかくなっているのが分かる。

 

「確かに即席で編成された――けど、誰一人“即席の実力”じゃなかった」

 

 リュウジは机の上の制帽に一度視線を落とし、記者席を見返した。

 

「まず、クリスタル。

 救護兼副操縦士だ。医療知識があるだけじゃない。操縦の判断が早い。

 船外作業に出たときも、危険域の境界を一歩も踏み越えなかった。

 あれは度胸じゃなくて“技術”だ」

 

 会場の記者がメモを走らせる音が増える。

 前列端のクリスタルは表情を変えず、けれど耳だけ少し赤くなった。

 

「次にサツキ。

 メカニックとしては、正直言って“異常なほど落ち着いてた”。

 重力制御と姿勢制御が落ちたタイミングで、普通なら手順を見失う。

 けど彼女は配線の焼けた臭いを嗅いだ瞬間に、まずエネルギーの流れを切り替えた。

 焦げた箇所だけを見てると全体のバランスは取れない。

 あの場で“船全体の呼吸”を見て修復に入れるのは、本当に腕がある証拠だ」

 

 サツキが隣のマリをちらりと見て、小さく肩をすくめた。

 “そんなに褒められるほどじゃないわよ”と言いたげだが、唇は少し上がっている。

 

「マリ。

 通信系が死んだあとも、レーダーと光学系をつないで“俺の片目”をやってくれた。

 あの状態で航路を外さず戻せたのは、彼女が“見えるもの”を正確に言語化してくれたからだ。

 白い塵の正体を見抜いたのもマリだし、中継ベイの最後の投下タイミングを判断したのも彼女だ。

 目が良いだけじゃなくて、頭の中で距離と速度を即計算してる。

 通信技師って肩書きで片付けられる人じゃない」

 

 マリは小さな声で「…当然やるべきことをやっただけだ」と呟いた。

 けれど、その指先が少しだけ震えているのを、隣のエリンが見逃さなかったふうに目を柔らかく細める。

 

「チャコは言うまでもないな。

 ネフェリスのシステムを身体ごと繋いだ。

 “分からへん”って言いながら、一番危ないとこを一番先に嗅ぎ取ってた。

 俺が操縦に集中できたのは、チャコが“船そのものの心臓”を守ってくれてたからだ。

 あいつがいなかったら、あの時点で船は終わってる」

 

 チャコが腕を組んだまま、わざとらしく鼻を鳴らす。

 

「何を今さらや。ウチはいつも通りやで」

 

 軽い笑いが起きる。

 だが、その笑いは空回りしない。

 緊張の中にちゃんと“生きて帰ってきた実感”が混じっている笑いだ。

 

 リュウジは、そこで一度呼吸を置いた。

 

「で――エリンさんだ」

 

 彼の声の温度だけが、ほんの少し上がる。

 たったそれだけで、会場の空気がふっと柔らかくなるのが分かる。

 

「エリンさんはコックピットコンディション担当。

 要するに、俺たち全員の“状態を整える役”だ。

 それを、ただの気配りだと思うなら間違い。

 あの船内で一番、周囲の状況を読んでたのはエリンさんだ。

 飲み物のタイミング、食事のタイミング、声かけのタイミング。

 誰かが限界に近づく“二歩手前”で必ず一息入れてくれる。

 しかも、俺の操縦の邪魔を一切しない距離感のまま、な」

 

 記者の一人が思わず「なるほど」と漏らす。

 前列端のエリンは、少し照れたように目を伏せたが、すぐにいつもの落ち着いた顔へ戻った。

 

「俺たちは、あの船の中で“互いの信頼を作る時間”が決定的に足りなかった。

 だから、誰かが“点と点を繋いで線にする役”をやらないと、そこで終わる。

 それをエリンさんがやってくれた。

 ――以上が俺のクルーへの評価だ」

 

 ペルシアが短く頷く。

 

「次の質問どうぞ」

 

 別の記者が立った。

 

「先ほどの会見で“ネフェリスのMVPはエリン氏”という意見がありましたが、リュウジ氏はどう思いますか?」

 

 リュウジは即答した。

 

「異論はないです。

 本人は納得してないと思いますが、

 俺たちが全員、自分の力以上の力を出せたのは、エリンさんのサポートに尽きます」

 

 “異論はない”。

 その言い切りに、会場の記者がざわつく。

 あまりに迷いがないからだ。

 指名された本人――エリンの頬が少しだけ赤くなる。

 

 すぐに次の追いが来た。

 

「本人が納得していない、というのはどういう意味ですか?

 具体的にどの点が不満だと考えますか?」

 

 リュウジは、困ったように笑った。

 それは“人の矜持に触れる話だ”というニュアンスの笑みだった。

 

「時間がなかったのもあるが――

 エリンさんは、いつもなら“事前に全員のことを頭に入れてくる”。

 好きなもの、癖、弱点、体調の変化の出方までな。

 でも今回は、宇宙船の中で聞いていたし、

 宇宙爆発の時に怪我もしましたしね」

 

 記者たちが“怪我?”と眉を上げる。

 リュウジの視線が一瞬、エリンへ向く。

 エリンは「大したことないわよ」とでも言うように、微笑みだけ返した。

 

 記者が食い下がる。

 

「怪我は致し方ないのでは?

 あの状況で無傷で帰るのは不可能だったと思いますが」

 

 リュウジは首を横に振った。

 その否定は“状況の否定”じゃない。“本人の価値観の説明”だ。

 

「チーフパーサーは乗客の安全を守るために、

 怪我や病気は以ての外です。

 俺も致し方ないとは思いますが、

 本人の矜持が納得しないのでしょう」

 

 “矜持”。

 その言葉は、軽くない。

 エリンが任務中、何度も何度も自分を律していた姿を知っているからこそ、リュウジはそこを選んだ。

 

 記者が「なるほど」と頷き、さらに問いを重ねる。

 

「では、エリン氏の“目指している所”はどこだと?

 リュウジさんから見て、彼女は何を求めていると思いますか」

 

 リュウジは少しだけ視線を遠くに置き、静かに答えた。

 

「……まぁ、目指してる所が高いです。

 エリンさんは」

 

 それだけ言って、リュウジは小さく笑った。

 笑いの質が、さっきまでと違う。

 戦場の中で同じ船にいた者だけが知る、

 “尊敬の笑い”に近いものだった。

 

 ペルシアがここで場を整える。

 

「次の質問を」

 

 別の記者が手を挙げ、立ち上がった。

 

「リュウジパイロット。

 あなたは即席チームと言いましたが、では“誰か一人欠けても任務は成功しなかった”と、本当に言い切れますか?

 S級パイロットであれば、単独でも帰還できたのではという意見もあります」

 

 会場がわずかに張り詰める。

 ――この質問は“英雄論”へ誘導する危険をはらむ。

 

 リュウジは、迷いなく否定した。

 

「単独なら帰還できたか?

 ――できない」

 

 ざわ、と波が立つ。

 

「俺がどれだけ操縦を上手くやっても、

 船の心臓を繋ぐ奴がいなければ落ちる。

 修理する奴がいなければ戻れない。

 怪我をした時に治療しなければ戻れない。

 俺の目が潰れた時、見てくれる奴がいなければ操縦もできない。

 それに、気持ちが折れた時――

 “折れないように繋ぐ奴”がいなければ、どんな技術もただの孤立だ」

 

 言葉は淡々としているのに、会場全体が静かに吸い込まれる。

 そしてそれは、英雄の否定でも自己卑下でもない。

 “現場の論理”だ。

 

 リュウジは最後に、短く付け足した。

 

「俺がいたから帰れたんじゃない。

 俺たちだったから帰れた。

 それ以上でも、それ以下でもない」

 

 前列端の五人が、互いに目を合わせる。

 チャコは「せやな」と小さく頷き、サツキは胸の奥にしまい込んでいた不安が解けたように息を吐く。

 マリは目を伏せ、クリスタルは微かな笑みだけ作った。

 エリンは何も言わず、膝の上で手を重ねたまま、静かに“受け取った”という顔をしていた。

 

 ペルシアがマイクを手に取る。

 

「……では、続けて質問のある方」

 

 会場にはまだ手が上がっている。

 けれど、質問の質が少し変わった。

 “英雄に称賛を投げるため”の質問ではなく、

 “現場で何が起きたかを知りたい”という、真っ直ぐな目の質問へ。

 

ペルシアが会場を見渡し、手元のタブレットに視線を落とした。

 

「後列の方、どうぞ」

 

 後列の記者が立ち上がる。年配の男で、声の響きが強かった。

 

「西の未探索領域で起きた“宇宙爆発”について伺います。

 ブライアン隊の捜索中に同様の現象が起こり、今回も同じく船体と中継ベイが同時に消失した。

 これは自然現象と考えるべきか、それとも――何者かの意図が介在している可能性があるのか。

 リュウジパイロットの所見を、できる範囲で聞かせてください」

 

 会場が一段静まる。

 リュウジは一瞬、ガーゼの下の左瞼に触れそうになってやめた。

 代わりに、右肩の固定帯を軽く直し、ゆっくりと口を開く。

 

「現時点で断言はできない。

 ただ、“自然現象だけで説明するには、出来すぎている”とは思ってる」

 

 短い言葉に、記者たちの視線が集まる。

 

「爆発のタイミングが、ブライアン隊の通信消失とほぼ一致していたこと。

 中継ベイが“破壊された”んじゃなく、“粉砕された”形だったこと。

 そして、爆発の直後に電磁パルスが来て、そのあと衝撃波が追いついたこと。

 これは偶然の積み重ねだと考えるより、

 “同じ構造の現象が同じ条件で再現されている”と見た方が合理的だ」

 

 ざわ、と紙をめくる音が広がる。

 

「だが――意図があるかどうかは、俺たちの任務の範囲外だ。

 俺たちがやるべきだったのは、

 “そこに手を突っ込んで、仲間を連れて帰ること”。

 それは果たした」

 

 線を引くような言い方。

 詮索を拒むのではなく、冷静に“現場の責務”へ戻す答えだった。

 

 ペルシアが頷く。

 

「次、前列の方どうぞ」

 

 カラスが立ち上がった。

 見慣れた鋭い目が、リュウジの顔の前でぴたりと止まる。

 

「リュウジパイロット。

 あなたは“最悪の場合を想定して宇宙ハンターに依頼していた”と言いました。

 つまり、出発前から今回の捜索が

 ブライアン隊の時と同じ結末を辿る可能性を見込んでいた、ということですね。

 ……その上で、なぜ一人で行くと宣言したのですか?

 クルーを集める余裕がないのは理解できますが、

 あなたが一人で行くと強硬に言えば、誰も止められない。

 それは“自己犠牲の英雄ごっこ”に見えた。

 今もそう思っていますか?」

 

 会場が息を呑む。

 正面からの刺し込み。

 だがリュウジは目を伏せない。

 

「英雄ごっこに見えたなら、そう見えたんだろう。

 俺はそれを否定しない」

 

 カラスが一瞬、眉を動かす。

 リュウジは続けた。

 

「ただ、俺は“止められないから一人で行った”んじゃない。

 “止められるべき状況じゃなかった”から行った。

 ブライアン隊の消失から時間が経てば、

 可能性は指数関数的に下がる。

 だから、行くなら一刻も早く、最短で、

 “誰よりも先に現場に届く方法”を選んだ」

 

 淡々とした声に、理屈の鋭さがある。

 

「結果的にクルーが集まったのは、

 ペルシアが動き、エリンさんが名乗り、

 チャコが先回りしてくれて、

 マリとサツキとクリスタルが“来るべき理由”を持っていたからだ。

 俺が一人で行くと言ったから動いた人間がいるなら、

 それは“俺の宣言のせい”じゃなく、“あいつら自身の意思”だ」

 

 後列の家族席の方から、かすかな嗚咽が漏れた。

 だがその涙は、怒りではなく、何かを受け止めた涙に変わっていた。

 

 ペルシアが「次」と短く言う。

 

 フレデリックが立った。

 穏やかな顔の奥に、記者としての爪が隠れている目をしている。

 

「今回の任務で、あなたは右肩の脱臼、左瞼の裂傷など、

 操縦に致命的になり得る怪我を負っています。

 それでも操縦を続けた理由を、

 “責任”以外で説明できますか?」

 

 場がさらに静かになる。

 リュウジは少し考えてから、首をわずかに傾けた。

 

「……説明する必要があるのか?」

 

 フレデリックが怯まず見返す。

 

「はい。

 あなたの“悲劇のフライト”の後、

 宇宙連邦は“あなたを守るための規則”をいくつも作った。

 それでもあなたはまた現場で血を流した。

 その“理由”が、次の規則を作る材料になるからです」

 

 リュウジは、そこではじめて小さく笑った。

 乾いた笑みではなく、苦味を飲み込んだ笑みだ。

 

「責任以外で言うなら――

 “俺は昔、守れなかったから”だ」

 

 会場の空気が張り詰めなおす。

 

「“悲劇のフライト”で俺は、

 仲間の命を救えなかった。

 その現実に、ずっと背を向けてた。

 戻ってきた後も、

 どれだけ“克服した”と言われても、

 現場の同じ匂いを嗅げば、俺の中では終わってなかった」

 

 声の芯が少し低くなる。

 記者たちがペンを止める。

 言葉そのものに耳を澄ますようになる。

 

「だから今回、

 “また同じ匂いがしたときに、背を向けたら終わりだ”

 と思った。

 怪我をしたから止まる、っていう選択肢は、

 俺にはもう無かったんだ」

 

 リュウジは、まっすぐ前を見て言い切った。

 

「――それだけだよ」

 

 フレデリックは一度目を伏せ、静かに頷いた。

 

ペルシアが周囲を見渡し、茶色い髪の毛をした男性を指名した。

「ブライアン一行と同じ現象が起こる可能性があったなら、どんな対策を取っていたのか?」

 

 その質問が投げられた瞬間、リュウジの表情が少しだけ鋭くなった。

 

「――“ペルシアの耳” に頼っていました」

 

 ペルシアが驚いたようにリュウジを見た。

 

「ラスぺランツァは、ここに座ってる6人だけじゃない。

 ペルシアも、“7人目”として完全に必要不可欠だった」

 

 会場がざわつく。

 

「セーシング領域外では、電子系統が一瞬で死ぬ可能性がある。

 視覚的情報もレーダーも当てにならない時、頼れるのは“音”だけでした。

 ペルシアは、膨大な雑音の中から“隕石衝突音”と“破片の弾く音”を聞き分けた。

 まるでそこにいたかのように正確に。

 危険をいち早く察知してくれたのは……彼女の耳です」

 

「結果として俺たちは、彼女の言葉で“死角”を避け続けた。

 あれがなければ、俺達はブライアン一行と同じように消失していたでしょう」

 

 ペルシアは俯き、涙をこらえるように唇を結んだ。

 

 次の質問者が立つ。若い女性記者だった。

 

「ラスぺランツァが“消失した”と連絡が入った時、

 ソーラ・デッラ・ルーナでは捜索打ち切りの予定も出ていました。

 あなたはその事実を知っていますか?

 知っていたとしたら、

 戻る途中で“諦めろ”という連邦側の声が聞こえた時、

 どう感じたでしょうか?」

 

 ペルシアが反射的に顔を上げる。

 だがリュウジはそれを気に留めず、ゆっくり答えた。

 

「知ってた。

 通信が届かない間、

 向こうが“切り捨てる準備”を進めてることくらいは想像できる」

 

 会場に小さなざわめき。

 

「俺がどう感じたか?

 ……正直、悔しかったよ。

 けど同時に、

 “切り捨てる準備をしてでも、向こうは秩序を守らなきゃならない”

 ってのも理解できる」

 

 リュウジの声が淡くなる。

 

「だからこそ、

 “理解できるから従う”じゃなく、

 “理解した上で結果で黙らせる”

 って決めてた」

 

 まるで昔の彼のような、冷たい決意。

 しかし、その奥には戻ってきた“仲間への温度”が確かに滲んでいた。

 

 ペルシアが短く息を吐き、指名を続ける。

 

「では、次の質問。中央の方」

 

 男性記者が立つ。

 

「今回、ブライアン隊の救出は成功しましたが、

 もし再び同じ現象が起こった場合、

 あなたは同じように現場へ向かいますか?

 S級パイロットとしての今後の動向も含めて聞かせてください」

 

 リュウジは、少しだけ眉を上げた。

 

「俺の動向の話か。

 ……先に言っておく。

 俺は“現場に戻りたいから戻った”んじゃない。

 必要だったから戻った」

 

 それは、逃げでも野心でもない、事務的な宣言だ。

 

「同じ現象が起きたら?

 状況次第だ。

 また“俺が最短で届ける”なら行く。

 俺より早く届く奴がいるなら任せる。

 それがS級の仕事だろ」

 

 淡々と言い切ると、

 リュウジは一度、前列端のクルーの方へ目を向けた。

 

「ただ――

 次からは、

 “俺一人が最短で届く状況”を作らないようにする。

 俺が戻った理由はそこにある。

 ブライアンの件も、

 俺がいなくて済む体制ができていれば、

 もっと早く救えたかもしれない」

 

 会場は静かに頷く空気に変わっていった。

 

 ペルシアが、時間を確認する。

 

「質問はあと二つです。簡潔にお願いします」

 

 最後の質問者として、カオルに似た年齢の記者が立った。

 少し緊張した顔で、言葉を選ぶ。

 

「……個人的な質問で恐縮ですが、

 今回の任務で“最も怖かった瞬間”はいつでしたか?」

 

 この質問に、会場が少し和む。

 だがリュウジの答えは軽くない。

 

「怖かった瞬間は、

 “途中で怖いと感じられなくなった時”だ」

 

 記者が瞬きをする。

 

「現場にいると、

 恐怖ってのは“生き残るためのブレーキ”になる。

 それが消えた時が一番危ない」

 

 リュウジは目を細める。

 

「俺が気を失った時、

 自分の身体が“船の部品”みたいに感じ始めた。

 その時、俺は

 “怖い”より先に“無機質な落ち着き”が来た。

 ……だから、あの瞬間が一番怖かった」

 

 会場が水を打ったように静かになる。

 

 ペルシアがうなずき、最後の質問を促す。

 

 女性記者が立ち上がった。

 

「最後に。

 あなたにとってラスぺランツァとは、どんなチームでしたか?」

 

 リュウジは一瞬考えた。

 そして、迷いなく答える。

 

「――“希望”だ」

 

 その一言は、軽いスローガンじゃなかった。

 現場で血を流し、互いに支え、

 “帰る”という一点に向けて線を繋いだ者の言葉だ。

 

「俺たちは寄せ集めだった。

 でも、寄せ集めのまま終わらなかった。

 必要な瞬間に、必要な役割をやる奴がいた。

 それが、ラスぺランツァだった」

 

 リュウジは制帽に手を置き、深く頭を下げた。

 

「以上です」

 

 ペルシアがマイクを取る。

 締めに入ろうとしたその時、リュウジがマイクを取り、会場に声を響かせた。

 「最後に……個人的に、皆さんにお伝えしたいことがあります」

 

 記者たちがざわつき、シャッター音が再び鳴り始める。

 

「このまま席を立たず、会見終了後もお待ちください。

 少しだけ……大切な話をさせてください」

 

 会場の空気が一気に引き締まり、ざわめきが収束した。

 

ーーーー

 

記者会見の終了を告げるはずだった司会の声が、リュウジの一言で止まった。

 会場は再び静まり返り、シャッターの小さな音だけが呼吸の代わりみたいに落ちていく。

 

 リュウジは背もたれに軽く身を預け、左目のガーゼの端を指先でそっと押さえた。痛みを確かめるような仕草なのに、その表情は驚くほど穏やかだった。

 前列の端に座る仲間たち――チャコ、クリスタル、サツキ、マリ、エリン――が、同時に顔を上げる。ペルシアも、何かを察したように眉をわずかに寄せた。

 

「……個人的な話です」

 

 リュウジは静かに言い、会場を一度ゆっくりと見渡した。

 いつものように鋭くも、壁を作るでもない。そこにいる誰もが、今まで見たことがないほどの柔らかさを、彼の目元に確かに感じ取った。

 

「S級パイロットの称号を返上しようと思っています」

 

 一瞬、時間が止まったように会場が静まり返った。

 次の瞬間、シャッター音とどよめきが爆発する。

 

「本当ですか」「なぜ今」「引退ですか」

 言葉が交錯する中、リュウジは手で軽く制するだけだった。

 

「落ち着いて聞いてくれ。

 返上するのは“今すぐ”じゃない」

 

 騒めきが少しずつ形を整えていく。

 

「俺が返上するのは、ブライアンが現場に復帰してからだ。

 ――それが条件」

 

「条件、というと? 個人的に決めた条件ですか?」

 

「ああ。

 俺が抜けたあとに現場が崩れる形はしたくない。

 ブライアンが戻れば、俺の役目は終わる」

 

 淡々とした言い方なのに、芯がぶれない。

 “決めた人間の声”だった。

 

 別の記者が食い下がる。

 

「それは宇宙管理局長や連盟と事前に調整した話ですか?」

 

 リュウジはふっと笑って、肩をすくめた。

 

「事前に伝えたさ。

 局長には今回の任務を受けるにあたり、俺の条件を全部呑むように言っておいた」

 

 その笑いの角度が、少しだけ少年みたいに見えた。

 

「条件の一つは、チームが集まらなければ俺一人で行くこと。

 もう一つは、俺の頼みを“何でも叶えること”」

 

 記者たちの目がまた大きく見開かれる。

 ペルシアが司会席でゴホン、と咳払いした。

 リュウジはちらりとそちらを見て、さらに笑う。

 

「……いや、冗談じゃないぞ。

 ちゃんと正式に条件として出した。

 ――結果オーライだ」

 

 最前列の端でチャコが小さく鼻を鳴らし、マリは静かに視線を伏せた。

 サツキが“あのときの空気”を思い出すように息を飲むのが、横顔越しに見えた。

 

 次の質問が飛ぶ。

 

「今回の捜索任務が、返上を決めた直接の理由ですか?」

 

 リュウジはしばらく言葉を探すように間を置き、ゆっくりと頷いた。

 

「今回の任務で思い知ったんだ」

 

 穏やかな声なのに、そこには深い重みがあった。

 

「俺はずっと、

 “どこで生きるか”と“どこで死ぬか”を混同してた。

 宙にいれば生きてる。

 宙を離れたら死んだも同じだ――って、勝手に決めつけてた」

 

 会場のざわめきが消える。

 記者たちが、息を止めたように静かになった。

 

「でも違った。

 飛ぶことは手段であって、目的じゃない。

 俺が生きる場所は、宙だけじゃない。

 今回、それを教えられた」

 

 左瞼のガーゼに手が触れそうになり、彼は途中でやめて、代わりに制帽の縁を指先でなぞった。

 

「だから、やりたいことを見つけた」

 

 すぐに質問が重なる。

 

「その“やりたいこと”とは具体的に?」

 

 リュウジは首を振る。

 

「今は言わない」

 

 拒否の仕方は柔らかいのに、揺るがない。

 “これは俺が育てるものだ”という線引きだった。

 

 別の記者が尋ねる。

 

「S級パイロットはあなたの象徴です。

 返上に不安はないのですか?」

 

「S級は永遠の称号じゃないだろ」

 

 リュウジはさらりと言った。

 

「次に台頭してくるパイロットが現れて、

 時代の舵を渡す。

 現場はそうやって生きてきた。

 なら俺が今、舵を渡す準備をするのは自然な流れだ」

 

 その言葉に、記者たちがざわりと揺れる。

 “英雄の引退宣言”に聞こえた者もいただろう。

 

 でもリュウジは、そこで言葉を切らなかった。

 切らないことで、“別の意味”を残した。

 

「俺は今、学生として生活する。

 それを選んだだけだ」

 

 ペルシアの目が細くなる。

 “言い過ぎるなよ”という圧が、視線だけで飛んできている。

 リュウジは気づいているはずなのに、わざと気づかないふりをして続けた。

 

「……とはいえ、どこかでのんびり暮らすのも悪くないな。

 宇宙ハンターにでもなるかな」

 

 その瞬間、ペルシアの咳払いがもう一度、わざとらしく響いた。

 最前列のチャコが「おいおい」と呆れ、サツキが小さく噴き出す。

 会場にも笑いが波のように広がった。

 

「いや、冗談だ。

 それはペルシアに怒られるか」

 

 ペルシアは涼しい顔で微笑み、

 “その先を言うな”という笑みを返す。

 リュウジは二、三秒、身震いするみたいに肩を震わせた。

 

「アルバイトもしないとな。

 無難に喫茶店で働くのもいいかもしれない」

 

「何言ってるんですか」

 

 フレデリックが苦笑い混じりに言う。

 

「エリンさんがいるから、接客術を教えてもらえれば敵なしだろ」

 

 端の席でエリンが肩をすくめ、

 “やれやれ”という顔で笑った。

 リュウジはさらりと続ける。

 

「それにサツキもチャコもいる。

 メカニックも案外、向いてるかもしれない」

 

「できないことはないと思うけど……」

 

 サツキが女の子らしい口調で、困ったように笑う。

 

「何の話やねん」

 

 チャコが呆れたように腕を組み、

 会場がまた小さく笑った。

 

「宇宙管理局は?」

 

 記者の誰かが冗談混じりに投げると、

 リュウジは即答した。

 

「ダメダメ。

 こき使われそうだし」

 

 言いながら、ちらりとペルシアを見る。

 クリスタルとマリが無言で頷き、

 “それだけはやめとけ”という無言の同盟が成立した。

 

 ペルシアが、にっこりと優しい笑みで言う。

 

「はい、以上ですかね?」

 

 笑顔なのに、目が笑っていない。

 リュウジは明らかに背筋を伸ばし直した。

 

「……冗談は置いとく」

 

 そこでトーンが、ふっと戻る。

 英雄の声ではなく、でも軽口でもない。

 静かで、決めた人間の声。

 

「S級パイロットは返上する。

 ブライアンが戻ったら、返す。

 それが俺の決意だ」

 

 記者が最後に問う。

 

「それでも、あなたは“宙”を捨てるわけではない?」

 

 リュウジは少し考えるように目を伏せ、

 ゆっくりと顔を上げた。

 

「宙に救われたことは、変わらない」

 

 その言い方は、肯定でも否定でもなかった。

 ただ“今はここまでだ”と線を引く、穏やかな声だった。

 

「だから、宙を否定するつもりはない。

 ……ただ、宙だけが俺の全部じゃないってことだ」

 

 そこまで言って、リュウジは立ち上がる。

 制帽に手を伸ばし、軽く整えて、静かに一礼した。

 

「俺の話は以上です。

 ありがとうございました」

 

 拍手が起きる。

 それは“英雄の復活”への拍手じゃない。

 “生き方を選んだ男”への拍手だった。

 

 リュウジは、その拍手の中を、穏やかなままの顔で通り抜ける。

 ――まだ誰にも“その先”を悟らせない背中で。

 

ーーーー

 

会見場の後列。

 ルナたちは固まったまま、リュウジの背中を見ていた。

 

 “S級パイロットを返上する”。

 その一言は、空気の芯を一瞬で抜き取るほど重かったのに、不思議と胸を締めつける痛みは湧いてこなかった。代わりに、静かな波が押し寄せる。

 

 ――ああ、そうか。

 

 ルナは、最後までリュウジの声を逃さないように、指先まで神経を張り詰めて聴いていた。

 なのに、決定的な瞬間に胸の奥で鳴った感情は、驚きでも、悲しみでもない。

 

 “嬉しい”。

 

 その感情が自分から出てきたことに、ルナはまず戸惑った。

 けれど、次の瞬間、戸惑いの方がすっとほどけていく。

 

 リュウジの表情が、今まで見たことがないくらい穏やかだったからだ。

 戦場に立つときの冷たい鋼みたいな目でもない。

 誰かを守ろうとするときの張りつめた顔でもない。

 それらを全部脱いだ、素のままの彼が、そこにいた。

 

 そしてその顔は、解き放たれていた。

 鎖を断ち切ったような、迷いの消えた顔。

 

 ルナは喉がきゅっと詰まって、息を吐いた。

 涙が出そうになった。でもその涙は、怖さからじゃない。

 “置いていかれる”不安からでもない。

 

 よかった。

 本当に、よかった。

 

 胸の底の底で、何かがふわりと浮き上がってくるのが分かった。

 サヴァイヴのとき、漂流船の上で見た夜空みたいに。

 何も持たず、何も背負わず、ただ生きる方向だけを見つけた人の顔だった。

 

 ルナは胸元のネックレスに触れた。

 以前なら、その行為は祈りだった。

 “無事に帰ってきて”と願うための。

 でも今は違う。

 “この人が自分で決めた道を歩けますように”という、背中を押す手の形に近かった。

 

 隣でユイが、ルナの服の端をちょこんと掴んでいた。

 会見の内容をすべて理解しているわけじゃない。

 だけど、リュウジの声の温度や、場の空気の変化は、小さな子にも伝わる。

 

「ルナお姉ちゃん……リゅウジ、やめちゃうの?」

 

 ユイの小さな声が揺れる。

 

 ルナはすぐに首を振った。

 声は優しく、けれど心の芯は迷いがなかった。

 

「ううん。やめないよ。

 ただ、少し……違う形になるだけ」

 

「ちがう形?」

 

「うん。

 リュウジはね、飛ぶのが嫌になったわけじゃない。

 ただ、飛ぶことだけが全部じゃないって気づいたの」

 

 ユイは目を丸くし、少し考え込む。

 ルナはにこっと笑って、頭を撫でた。

 

「だから、大丈夫。

 リゅウジは、ちゃんと生きる場所を見つけたんだよ」

 

 その言葉を言った瞬間、ルナは自分の中の何かが落ち着くのを感じた。

 あの人は、どこかで無理をしていた。

 いつだって“扉の向こうに行く役”を引き受けていた。

 危険の向こう側へ、一番に足を踏み出す役。

 仲間が迷う前に道を決める役。

 そうしなければ、自分が生きる意味がないとでも言うみたいに。

 

 でも、いま目の前で語っていたリュウジは違う。

 “宙に戻るために生きる人”じゃない。

 “生きるための宙”を選び直した人だった。

 

 後ろの席で、ハワードが信じられない顔で固まっている。

 さっきまで会見の「喫茶店で働く」だの「宇宙ハンターになる」だの、軽口に笑っていたくせに、最後の締めの言葉を聞いた途端、喉の奥が鳴ったのが分かった。

 

「……リュウジらしくねぇって言いたいけど、らしいっちゃらしいよな」

 

 ハワードの声は少し掠れていた。

 茶化すみたいな口調なのに、いつもの軽さがない。

 

 メノリが、その隣で静かに頷く。

 

「……あいつは、責任というものを背負いすぎた。

 今の表情は……ようやく肩の荷が降りたって顔だな」

 

 メノリの声は柔らかい。

 彼女はきっと、誰よりもリュウジが“守る背中”の重さを知っている。

 だからこそ、彼が背負い続けていた鎧が外れる瞬間を、ちゃんと受け止めていた。

 

「いいじゃん。S級じゃなくても、リュウジはリュウジだし」

 

 シンゴがぽつりと言う。

 きっぱりした言い方が、妙に胸に響いた。

 

「……うん。

 俺は、正直、怖かったけどな」

 

 ベルが椅子の背にもたれ、息を吐いた。

 彼は窓の外を見ているふりをしながら、視線だけは壇上の背中を追っている。

 

「俺もだ。また一人で飛んでいくんじゃないかって。

 俺たちに黙って、あっち側に行くんじゃないかって」

 カオルが柔らかな表情を浮かべていた。

 

 その言葉に、ルナも胸が少し痛んだ。

 それはルナ自身の怖さでもあったから。

 

 サヴァイヴのリュウジは、いつも“先へ行く顔”をしていた。

 あの顔を見るたび、置いていかれる怖さと、追いかけたい気持ちがせめぎ合っていた。

 

 でも今のリュウジの顔は違う。

 “どこかへ行く”顔じゃない。

 “ここに居る道を決めた”顔だった。

 

「……ねぇ」

 

 シャアラが、ルナの袖を軽くひく。

 目に涙をためながら、少し照れたように笑った。

 

「ルナ。リュウジ、ほんとうに変わったね」

 

 ルナは瞬きをして、涙を飲み込んだ。

 

「うん。……すごく、いい顔してた」

 

 シンゴはふっと笑う。

 

「サヴァイヴのときも、たぶん、リュウジ」は“生きる意味”を探してたんだと思う。

 飛ぶことでしか自分の場所を作れないって、思い込んでたんじゃないかな」

 

 皆が言葉を失って頷く。

 

 ルナは、リュウジが会見で口にした言葉をもう一度、胸の中で反芻する。

 “どこで生きるかと、どこで死ぬかを混同していた”。

 その告白の重さを、ルナは自分の体温でちゃんと感じる。

 

 ――この人は、死ぬために飛んでたわけじゃない。

 でも、いつの間にか、“飛ぶことが生きる証明”になってしまっていた。

 

 それに気づいたから、顔が解き放たれていた。

 迷いが消えた顔だった。

 

 ルナの胸に、あたたかいものが溜まる。

 それは恋というより、もっと深い、根っこの安心だった。

 逃げない人が、初めて“逃げなくていい場所”を見つけた安堵。

 

 会見が終わり、リュウジが退場する前に「個人的な話があるので、会見後もそのまま待っていてください」と記者に告げた。

 そのときの声は、決意を隠しながらも、やっぱり穏やかだった。

 

 ルナは、その瞬間、自然に笑ってしまった。

 胸の奥が、軽く鳴るのが分かった。

 

 あの人は、まだ何かを隠している。

 “やりたいこと”の正体を言わないまま、笑ってごまかした。

 そのごまかしの仕方が、妙に上手くて、妙に少年みたいで。

 

 でも、ルナは怖くなかった。

 むしろ、誇らしいとさえ思えた。

 

 ――きっと、あなたはまた新しい場所で、何かを作る。

 今までと同じように、誰かを支えて、

 でも今度は、自分のためにも生きる。

 

 ルナは、ネックレスをぎゅっと握った。

 祈りじゃない。

 “信じている”という形で。

 

 心の底から、嬉しかった。

 その感情に、何の曇りもなかった。

 

 サヴァイヴのとき、あの人の背中を追うことしかできなかった自分。

 “手を伸ばしても届かない場所”にいるように見えて、勝手に不安になって、勝手に泣きそうになっていた自分。

 

 でも今は違う。

 

 あの人は遠くへ行くんじゃない。

 “生きるために戻ってくる場所”を選び直しただけ。

 

 ルナは、胸の奥で静かに言った。

 

 ――おかえり、リュウジ。

 今度は、あなたがあなたのために、生きるんだね。

 

 その瞬間、涙が一粒、ぽとりと落ちた。

 悲しい涙じゃない。

 祝福に近い涙だった。

 

 ルナはユイの手を握り、顔を上げる。

 

「ね、ユイちゃん。

 リゅウジは、まだこれからなんだよ」

 

 ユイはこくんと頷き、小さな拳を握った。

 

「うん……! リゅウジ、すごいもん!」

 

 その言葉に、ルナはまた笑ってしまった。

 

 みんなの胸に、同じ温度が灯っていく。

 それは“英雄の復活”じゃなく、

 “仲間が、自分の生き方を選んだ”ことへの、あたたかな光だった。

 

ーーーー

 

控え室の扉が閉まった瞬間、会見場の喧騒が嘘みたいに遠のいた。

 冷房の効いた静けさだけが、白い壁に反響している。

 

 ――いや、静けさではない。

 そこに集まった六人の息が、微妙に揺れていた。

 

 サツキがまず最初に口を開いた。

 さっきまでの緊張が抜けきらない顔で、唇をわなわなさせている。

 

「……り、リュウジ。今の……本気? S級を返上するって……」

 

 サツキの声は、驚きと困惑が混ざっていて、きゅっと細い。

 普段の女の子らしい柔らかさは残っているのに、どこか責めるような響きもあった。

 

 マリは壁に背をつけたまま、肩を落として息を吐く。

 けれど視線は鋭いままだ。

 

「言うタイミング、そこで良かったのか?」

 ぶっきらぼうに言いつつ、心配が隠しきれていない。

 

 クリスタルは少し離れたところで腕を組み、静かに彼を見ていた。

 物静かな声の中に、芯の強さが真っ直ぐに通っている。

 

「……驚いたわ。

 あなたが“降りる側”の言葉を選ぶなんて、思っていなかった」

 

 チャコは副操縦席で使っていた小さな端末をテーブルに置き、ぽりぽりと頬を掻く。

 

「いやぁ、ウチも心臓止まるか思うたで……。

 あの場で言う必要あったんか? って、正直思ったわ」

 

 エリンは一歩遅れて椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばした。

 表情は穏やかだが、目だけはじっとリュウジを見ている。

 

「……リュウジ。

 あなたが決めたことなら、私は否定しない。

 でも、あれは皆にとって、かなり大きな爆弾よ」

 

 リュウジは制帽を椅子の背に引っ掛けたまま、苦笑した。

 左瞼のガーゼが、さっきより少しだけ湿っている。

 

「分かってます。

 でも、あの場で言わないと、俺はまた先延ばしにします」

 

 ぽつりとした声音は、いつもの冷たさじゃない。

 どこか、腹の底からすっきりした人間が出す、やわらかい音だった。

 

 その空気に、誰かが何か返そうとした――その瞬間だ。

 

 控え室の扉が、勢いよく開いた。

 

 冷たい風と一緒に、鬼の形相が雪崩れ込んでくる。

 

「――リュウジィィィィ!!」

 

 低い声。

 それだけで室内の温度が何度か下がった気がした。

 

 ペルシアだった。

 制帽を脱ぎっぱなしで、髪は乱れ、目の下のクマが隠しきれていない。

 でも、それ以上に、目が燃えていた。

 

 彼女は一直線にリュウジへ詰め寄り、机をバン、と叩いた。

 

「あなた、何やってるのよ!!

 あの場で“S級返上します”って、さらっと言ったわね!?」

 

 リュウジは眉を上げるだけで、動じない。

 

「言ったけど」

 

「“言ったけど”じゃない!!

 こっちは会見のシナリオを、あなたの分だけギリギリまで調整してたのよ!

 主役が突然台本破るとか、冗談でもやめて!」

 

 ペルシアの声は鋭い刃だ。

 疲れているはずなのに、怒りのエネルギーだけで立っている。

 

 チャコがそっと、隣のサツキに耳打ちする。

 

「……あれ、ほんまに鬼やな。

 あの人、寝てへん筈やのに、どっから声出しとるんやろ」

 

「チャコ、聞こえてるわよ」

 

 ペルシアが振り向きもせずに刺すように言った。

 チャコは「ひゃっ」と肩をすくめ、口をつぐむ。

 

 ペルシアは再びリュウジに向き直る。

 

「いい?

 S級返上が悪いって言ってるんじゃない。

 あなたの人生よ、あなたが決めればいい。

 でも――」

 

 ペルシアは指を一本立てた。

 

「“場”を考えなさい。

 今、外で待ってる記者と家族と、救助された人たちと、

 それからあなたを“英雄”だって騒いでた連中が、どれだけいると思ってるの?」

 

 リュウジは目を細める。

 返す言葉を探すように、ゆっくり息を吐いた。

 

「……俺が黙ってたら、彼らが勝手に“英雄の物語”を作る。

 それが嫌だった」

 

 ペルシアの目が、さらに鋭くなる。

 

「嫌なら、作られないように“操縦”しなさい。

 あなた、パイロットでしょ?

 それくらいの世論の波、読めない男じゃないでしょう」

 

 言葉が真っ直ぐすぎて、控え室の空気に小さな亀裂が走る。

 けれど、その亀裂を埋めるように、クリスタルが静かに一言添えた。

 

「……ペルシア。

 彼は、本気で言ったの。

 その覚悟ごと受け止めてあげなさい」

 

 ペルシアは一瞬だけ、唇を噛む。

 そして、目を伏せたまま低く言った。

 

「分かってるわよ、そんなこと。

 分かってるから腹が立つの」

 

 その声音に、ほんの少しだけ弱さが混じった。

 リュウジはそれを見逃さなかった。

 

「……悪かった、ペルシア」

 

 彼が謝るのは珍しい。

 ペルシアは「ふん」と鼻で笑う。

 

「今さら謝っても会見は巻き戻らない」

 

 そこで彼女は、ぐるりと全員に視線を走らせた。

 さっきまでの怒りを、きっちり整理した軍人めいた目だ。

 

「いい? 今からあなたたちは――“来場者へのサービス”を徹底してやること。

 質問対応、サイン、写真、家族のケア。

 全部、最後まで。途中で倒れるのは禁止」

 

 サツキが「は、はい!」と背筋を伸ばし、

 マリも「了解」と短く返す。

 クリスタルは「分かったわ」と淡く頷き、

 チャコは「せやな、ここまで来たら最後までや」と妙に真面目そうに言った。

 エリンも静かに微笑んで肯く。

 

 ペルシアはそこでようやく、ため息をついた。

 怒鳴ったせいで喉が乾いたのか、机の上の水に手を伸ばす。

 

「それから――」

 

 小さく咳払いして、ペルシアはまた指を立てた。

 

「夜十六時から打ち上げを予約した。

 全員、必ず来ること」

 

「……え?」

 

 サツキがきょとんとした。

 

「打ち上げ、ですか?」

 

「そう。

 “ラスぺランツァ帰還”の正式な区切りよ。

 あなたたちも逃げないで参加すること」

 

 ペルシアの声には命令みたいな強さが戻っている。

 だけど、その強さの奥に、誰にも触れさせない――“ほっとしたい気持ち”が垣間見えた。

 

 チャコが目を丸くする。

 

「ペルシア、アンタ……その状態で店予約したんか?

 どこにそんな体力残っとったんや」

 

「残ってないわよ。

 だから“強制参加”にしたの」

 

 ペルシアはふっと笑った。

 笑みの端が少しだけ震えている。

 

 リュウジはそれを見て、肩をすくめる。

 

「……了解。

 全員、行くぞ」

 

「当たり前」

 ペルシアは即答した。

 

 そして、もう一度リュウジだけを睨むように見つめる。

 

「あなたもよ。

 病院を抜け出す癖、そろそろ直しなさい」

 

「へいへい」

 

「返事が軽い」

 

「軽くしないと、また怒られるだろ」

 

 リュウジがそう言うと、ペルシアの口元がほんの少しだけ緩んだ。

 その小さな隙に、エリンが静かに言った。

 

「ペルシア。

 ……ありがとう。

 私たちを“帰ってきた側”にしてくれて」

 

 ペルシアは一瞬だけ目を逸らす。

 

「……別に。

 私の仕事だもの」

 

 けれど、その声はさっきよりずっと優しかった。

 

 控え室の空気が、怒りの刃から、静かな安堵へと変わっていく。

 誰も口に出さないけれど、全員が同じことを感じていた。

 

 ――この人も、ずっと踏ん張ってたんだ。

 

 ペルシアは制帽をかぶり直し、扉へ向かう。

 

「よし。

 それじゃ、現場に戻るわよ。

 ラスぺランツァ、“最後の仕事”よ」

 

 彼女が先に出ていき、残された六人が顔を見合わせる。

 

 サツキが小さく笑った。

 

「……怒られて、なんだか安心しました」

 

 マリも肩の力を抜く。

 

「同意。

 ペルシアさんが怒鳴れるってことは、もう大丈夫ってことだし」

 

 クリスタルが静かに頷く。

 

「ええ。

 怒りは、生きてる証拠よ」

 

 チャコがくいっと口角を上げた。

 

「ほな、来場者サービス、しっかりやるで。

 終わったら……打ち上げやんな?」

 

 エリンが「ええ」と笑みを返し、

 リュウジは制帽を手に取り、立ち上がる。

 

「行くぞ、ラスぺランツァ」

 

 誰も迷わない。

 全員が、一歩ずつ扉へ向かって歩き出した。

 その背中にはもう、さっきまでの緊張も、恐怖もない。

 

 帰ってきたからだ。

 そしてこれから、“帰ってきた人たちの時間”が始まるからだ。

 

 そっと歩きだしたリュウジの肩にペルシアが手を回した。

 「それと、あなた会見で私に恥をかかせたわよね」と聞こえるか聞こえない声が届いた。

 

 「・・・・」

 何も答えないリュウジの耳には、冷たい笑い声が届いた。

 

 「今夜、覚悟しなさいよ」

 ペルシアの手から肩が離れていく。

 背筋が凍りそうな気持ちを抱きながらも、リュウジの足は前を向いて歩いていた。

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