サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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第66話

サツキとシンゴが、まだ名残惜しそうに工具とデータパネルを前に盛り上がっていたところで、パンッと軽快な音が鳴った。

ペルシアが両手を叩き、にこりともせず二人の背後に立っていた。

 

「はい、そこまで。サービス終了。解散」

 

「え、ちょ、ペルシアさん、もうちょっとだけ――」

 

「シンゴ君、ごめんね。続きはまた今度。機械室でなら、いくらでも付き合うから」

 

 サツキが苦笑しながらそう言った瞬間、ペルシアは彼女の肩をぐいっとつかむ。

 

「“また今度”は、ちゃんと生きて時間を作れた子にしか訪れないの。

 今日はもう十分よ。ほら、行くわよ、サツキ。それから――シンゴも」

 

「え、僕もですか!?」

 

「“裏話”は、子どもが夜更かししてまで聞く話じゃないの。

 はい解散解散!」

 

 有無を言わせぬ力で、ペルシアはサツキとシンゴをずるずると引き離していく。

 ベルが「悪いな」と苦笑いしながらシンゴの肩を引き受け、三人は人の波に飲まれていった。

 

 ラスぺランツァのファンサービスが終わると、ようやくフロアに静けさが戻り始める。

 さっきまでの熱気と歓声の余韻だけが、天井近くにふわふわと残っているようだった。

 

 そんな中、リュウジはこっそりと出口方向へ足を向けようとした――が。

 

「どこに行くつもり、リュウジ」

 

「はい、ストップ。逃亡はダメ」

 

 左右から腕をつかまれた。片方はエリン、もう片方はクリスタル。

 エリンはにっこり、クリスタルは微笑というより“仕事顔”をしている。

 

「いえ、その……そろそろ帰って――」

 

「帰宅じゃなくて、“病院に帰る”」

 

「検査も残ってるでしょう。

 それにそのガーゼ、完全に血、染みてるから」

 

 クリスタルが左瞼のあたりを指差す。リュウジは思わず視線をそらした。

 

「大したことない。視界も――」

 

「リュウジが“大したことない”なんて言ってるの、

 医学をかじってる身としては見過ごせないのよね」

 

「それに、ほら」

 

 エリンがそっと彼の右腕に目線を落とす。

 

「その肩も、さっきだって少し動かすだけで顔が歪んでたよね?

 ちゃんと検査を受けて、固定してもらわないと」

 

「……むう」

 

「さ、行きましょう。

 病院の先生方も、待ってるわ」

 

 自分でも反論しきれず、リュウジは小さくため息をついた。

 エリンとクリスタルは、それぞれ彼の左右に立ち、半ば引きずるように歩き出す。

 

「ペルシアには、ちゃんと病院に送り届けたって報告しておくから」

 

「夕方の打ち上げに出たいなら、なおさら検査は真面目に受けなさい」

 

「……はいはい。了解です」

 

 そんなやり取りを残して、三人はフロアを後にした。

 ラスぺランツァの旗が飾られたロビーに、彼らの背中が小さくなっていく。

 

 ***

 

 夜。

 ソリア学園の寮と住宅が並ぶエリアの一角。

 ルナの家のリビングには、まだ昼間の熱気の残り香のような、わずかなざわめきが漂っていた。

 

「ほな行ってくるで」

 

 玄関ホールで靴を履きながら、チャコがリビングに向かって声をかける。

 ルナはソファから立ち上がり、ダイニングとの仕切りのところまで小走りに近づいてきた。

 

「気をつけてね」

 

 ルナの声は、いつもの明るさを取り戻しつつも、どこか柔らかく沈んでいた。

 安堵と、少しの寂しさと、言葉にならない何かが入り混じっている。

 

「ルナも来なくてええんか?」

 

 チャコが首だけひょいっと出して振り向く。

 そのレンズの奥の瞳は、ルナの表情をじっと探るように揺れていた。

 

 ルナはほんの一瞬だけ迷ったように視線を落とし、それからゆっくりと首を横に振った。

 

「ラスぺランツァの会だもん。

 今回は……みんなの時間でしょ」

 

「そんなん気にせんでもええのに」

 

 チャコは、ふうっとため息をついた。

 

 ルナはふっと笑って、チャコに近づいた。

 掌を伸ばして、チャコの丸い頭を優しく撫でる。

 

「今日は行かないの。

 リュウジ達が“チーム”として帰ってきたことを、お祝いする日だから」

 

 その言い方は、どこか誇らしげだった。

 悔しさややきもちの色は、不思議となかった。

 

 ――ほんとは、ちょっとだけ行ってみたいけど。

 ――あの輪の中に、自然に混ざれる自信は、まだない。

 

 そんな本音をそっと胸の奥にしまい込んだ上での微笑みだった。

 

「そっかぁ……」

 

 チャコは一度だけ、じっとルナを見上げた。

 その視線には、ルナの気持ちをちゃんと分かっている、という静かな理解が宿っている。

 

「分かったわ。

 ほなウチらだけで、しっかり騒いできて、リュウジこき使うてくるわ」

 

「ふふ、それはちょっと見たかったかも」

 

「帰りは遅ならんよう気をつけるさかい、

 何かあれば連絡してな。ちゃんと携帯、枕元に置いときや?」

 

「うん、分かった。

 いってらっしゃい、チャコ」

 

 ルナはドアの前まで歩み寄り、小さく手を振った。

 チャコはくるりと一回転してみせ、いつもの調子で笑う。

 

「ほな行ってくるで!」

 

 ドアが開き、廊下の明かりが一瞬差し込む。

 足音――正確には、チャコの軽い走行音が遠ざかっていき、やがて静寂が戻ってきた。

 

 閉まった扉をしばらく見つめたあと、ルナはそっと息を吐き、リビングへ戻る。

 テーブルの上には、夕方のニュースを見ながら飲みかけていたハーブティーのカップと、

 ソーラ・デッラ・ルーナで配られていた記念パンフレットが開いたままになっていた。

 

 テレビでは、さっき録画したニュースの特集を巻き戻した映像が止まっている。

 リモコンを手に取って再生ボタンを押すと、画面いっぱいにリュウジの姿が映し出された。

 

 左瞼をガーゼで覆いながらも、穏やかな笑顔を浮かべている。

 “やりたいことが見つかった”と語ったときの、あの表情。

 

 ルナはソファに腰を下ろし、膝を抱えるように身体を丸めながら画面を見つめた。

 

(……いい顔、してたなぁ)

 

 胸の中で、ぽつりと呟く。

 どこか張り詰めたものを抱えて飛んでいた頃の彼とは違う、柔らかくて、暖かくて、

 それでいて芯の通った顔だった。

 

 どこで生きるかを、どこで死ぬかと混同していた――。

 あの言葉の意味を、ルナは自分なりに噛みしめる。

 

「……やりたいこと、か」

 

 ぽつりと声に出してみる。

 リュウジが何を選ぶのかは、まだ教えてもらってはいない。

 でも、さっきの“ただいま”と“おかえり”を交わした瞬間、

 彼がもう“死に場所”じゃなくて“生きる場所”を見ようとしていることだけは、はっきりと伝わってきた。

 

 それが嬉しくてたまらない。

 同時に、少しだけ胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 

(私も……ちゃんと、前に進まなきゃ)

 

 膝を抱えた腕に、そっと力がこもる。

 

 窓の外には、コロニーの夜景が広がっていた。

 ソーラ・デッラ・ルーナの三日月型の灯りも、遠く小さく光っているように見える。

 

「……おかえり、リュウジ」

 

 誰もいないリビングで、ルナはもう一度だけ小さく呟いた。

 それは、さっき人混みの中で振り返らずに言った“おかえり”よりも、

 ほんの少しだけ長く、深い響きを持っていた。

 

ーーーー

 

居酒屋の入口の暖簾を、チャコは片手でくぐった。

店内はまだ夕方前で、人の入りもまばらだ。だが、カウンターからはもう、揚げ物のにおいとビールの泡の匂いが漂っている。

 

「えっと、予約しとるんやけど。名前はペルシアで」

 

店員にそう告げると、「奥の個室ですね」と腰を折り、廊下の奥へと案内された。

 

(思ったより早よ着いたなぁ……十五時四十分かいな)

 

時計を見ながらそんなことを考えているうちに、店員が障子を軽くノックしてから扉を開けた。

 

「こちらでございます」

 

「おじゃましまーす……」

 

チャコが顔を覗かせると、真っ先に聞こえてきたのは、あの少し甘い声だった。

 

「早かったのね、チャコ」

 

エリンが、グラスを片手ににこりと笑っている。

その隣では――

 

「お疲れ〜」

 

ペルシアが、すでに大きなジョッキを傾けていた。

テーブルの端には、空いたジョッキが何個も並んでいる。

 

「……二人とも早いんやな」

 

チャコは呆れ半分、感心半分で言いながら、エリンの隣に腰を下ろした。

そしてペルシア側に置かれた空ジョッキの数を見て、目を剥く。

 

「って、ペルシア。何杯呑んでんねん!!」

 

「え? まだ五杯だけど?」

 

ペルシアは本気で不思議そうに首を傾げる。

その頬はうっすら赤く、目の下のクマの疲労感と混ざって、なんとも言えない顔になっていた。

 

「“まだ”って言う量ちゃうやろ……」

 

チャコが額に手を当てると、エリンがクスッと笑った。

 

「私達、十五時にはここにいたからね。ペルシア、最初からほぼこれペースだったよ」

 

エリンはそう言って、自分のグラス――淡いオレンジ色のカシスオレンジに口をつけた。

氷がカラン、と心地よい音を立てる。

 

「そっちももう飲んどるんかい。仕事早いなぁ、ラスぺランツァのチーフ・パーサーは」

 

「打ち上げはタイミングが大事なの。遅い人に合わせると、盛り上がりに乗り損ねるから」

 

「さらっと怖いこと言うたな」

 

チャコが肩をすくめたところで、障子がトントンと二度ノックされた。

 

「失礼します〜。クリスタルさんと、えっと……お連れの方ですね」

 

「はーい」

 

スッと立ち上がって障子を開けたのは、クリスタルだった。

その後ろから、少しきょろきょろした様子のマリと、そのまた後ろでおずおずと顔を出すサツキが続く。

 

「五分前行動、ばっちりやね。ウチが一番最後にならんで良かったわ」

 

「むしろチャコがギリギリなんじゃない?」

 

エリンが笑いながら、隣の座布団をポンポンと叩く。

マリがその正面側、サツキがエリンの斜め向かいにちょこんと座った。

 

「ほな、これでラスぺランツァ、勢揃いやな」

 

「一人、足りないでしょう」

 

クリスタルが静かに指摘すると、エリンが「ああ」と頷いた。

 

「リュウジね。さっき連絡があったよ。『縫い直すからちょっと遅れる』って」

 

「……縫い直すってサラッと言うけどな。十八針やで、十八針。ホラーやん」

 

チャコがぞわっとした声を出すと、サツキも思わず腕をさする。

 

「聞いた時、ちょっとゾッとした……。でも、目は残ってて良かった」

 

「本当にね。あれで視力まで落ちてたら、ペルシアが暴れてたと思う」

 

エリンが冗談めかして言うと、ペルシアはジョッキをテーブルに置き、ドン、と軽く拳で叩いた。

 

「暴れるどころじゃ済まなかったわよ。宇宙管理局長室の壁、何枚で足りるかしらね」

 

「物騒なこと言うなぁ、この人ホンマに公務員かいな」

 

「公務員よ。……でも、今日はただの打ち上げの幹事だから」

 

ペルシアはそう言って、深く息を吸い込んだ。

 

「じゃ、全員揃ってないけど――先に始めましょう。あとから来る人は自分で取り戻してもらいましょ」

 

チャコがニヤッと笑う。

 

「ええな、それ。遅刻罰や。リュウジ、泣くで」

 

サツキが少しモジモジしながら、恐る恐る手を挙げた。

 

「えっと……先に乾杯、しちゃって……いいんですか?」

 

「むしろ、しないとペルシアがもう一周分飲み始めるわよ」

 

「失礼ねエリン。もう一周分はとっくに飲んでるわよ」

 

「ほらやっぱりやないか!!」

 

チャコのツッコミに、個室の中に笑いが弾ける。

 

ペルシアは改めて姿勢を正し、ジョッキを持ち上げた。

 

「じゃあ――改めまして」

 

一瞬だけ、その表情が引き締まる。

赤く染まった目元の奥に、三日間の徹夜と不安と、そして安堵が全部詰まったような光が灯る。

 

「生きて、ここに帰ってきてくれて、ありがとう。

 ラスぺランツァ、西の未探索領域における捜索任務――」

 

「――完遂!」

 

チャコが先に食い気味で被せる。ペルシアがクスッと笑う。

 

「……そう、無事に完遂。みんな、本当にお疲れさま。かんぱーい!」

 

「「「かんぱーい!!!」」」

 

ジョッキとグラスがぶつかり合う音が、個室の中に何度も響いた。

ビールの泡がこぼれ、カシスオレンジの氷がカランと転がる。

マリは少しだけ背筋を伸ばしてグラスを合わせ、サツキは両手でグラスを持ったまま、照れくさそうに笑っていた。

 

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜……生き返るぅ……」

 

ビールを一気に喉へ流し込んだペルシアが、椅子の背にもたれかかる。

 

「まだ死んどったんかいな、ペルシアの体感時間どうなっとんねん」

 

「感覚的にはね、ずっとセーシング領域のノイズを聞き続けてたから……未だに耳の奥でザーザー言ってる気がするわ」

 

エリンが、ストローをくるくる回しながらペルシアを横目で見た。

 

「ペルシア、今日はちゃんと食べるんだよ。三日間エナジードリンクしか飲んでなかったんでしょ」

 

「……バレてた?」

 

「ハワードが言ってたわ」

 

「ほな、まずはペルシア用に飯の山やな」

 

チャコがメニューが映るタブレットを引き寄せる。

 

「とりあえず――枝豆、唐揚げ、ポテト、焼き鳥盛り合わせ、だし巻き卵、ナスの揚げ浸し……」

 

「ちょ、チャコ。最初から飛ばしすぎじゃない?」

 

「ラスぺランツァの燃費なめたらアカンで。エンジン六基ぶんぐらい胃袋あるんやから」

 

「誰が六基よ」

 

そんなやり取りをしている間に、次々と料理が運ばれてくる。

湯気の立つ唐揚げ、ほくほくのポテト、出汁の香りが漂うだし巻き。

その匂いに、サツキのお腹が小さく鳴った。

 

「……っ」

 

「今、鳴った?」

 

マリがニヤッと笑う。サツキは顔を真っ赤にして首を振った。

 

「き、気のせいだと思う……!」

 

「気のせいやないな。音響解析せんでも分かるレベルやったで」

 

「チャコ、そういうところだけ耳がいいのね」

 

エリンが笑いながら、だし巻きを小皿に取り分けていく。

 

「はい、まずはペルシア。ちゃんと食べる」

 

「はーい」

 

「サツキも。はい、どうぞ」

 

「ありがとう……エリンさん」

 

「マリも、ほら。座ってばっかりだと、すぐ酔うよ」

 

「分かってます。……でも、だし巻きの匂い、やばい。これは飲めますね」

 

「食べなさいよ」

 

軽口が続く中、ふと、個室の空気が少し緩んだ。

 

マリがグラスを指先でくるくる回しながら、ポツリと言う。

 

「……こうしてみんなで飲んでるの、なんか変な感じだな」

 

「宇宙船の中とは、また違う空気ね」

 

クリスタルが静かに頷いた。

 

「ネフェリスの中は、ずっと緊張したままだったし。

 笑ってる時でも、どこかで、次の瞬間に何か起きるんじゃないかって」

 

サツキが小さく、だが真剣に頷く。

 

「うん……。機械室にこもってる時も、ずっと胸がざわざわしてた。

 でも……こうやって皆でテーブル囲んでると、あの“揺れ”とか“音”が、ちょっと遠くに感じる」

 

「せやな。あの宇宙爆発の“ゴオォォッ”て音、しばらく夢に出てきそうやわ」

 

チャコがジョッキを揺らす。琥珀色の液体が、揺れに合わせて小さく波打つ。

 

「……でも」

 

エリンが、ふと視線を落とした。

 

「またみんなでこうやって飲めてるの、普通に奇跡だと思う。

 ちょっとでも判断遅れてたら、どれかが欠けてたかもしれないし」

 

その言葉に、マリもサツキも、ペルシアも、何も言わずにグラスを口に運んだ。

一瞬だけ、沈黙が落ちる。

 

沈黙を破ったのは、やっぱりチャコだった。

 

「ほな、今のうちに言うといたるわ」

 

「何を?」

 

ペルシアが首を傾げる。

 

「ウチ、ラスぺランツァで一番の功労者は――」

 

「エリン、ってさっき言ってたでしょう」

 

エリンが呆れたように笑うと、チャコは「せやけどな」と続ける。

 

「もう一人、おる。ペルシアや」

 

「……は?」

 

ペルシアの視線が泳ぐ。

 

「セーシング領域外で音拾ってくれへんかったら、ネフェリスは手探りやった。

 音で前の“空気”教えてくれたんは、ほんまデカかったで」

 

クリスタルも静かに頷いた。

 

「そうね。あの時、“右前方で音が変わってる”って言われてなかったら、ブレーキが一歩遅れてたかも」

 

「……で、でも」

 

珍しくペルシアがたじろぐ。

エリンがストローを横にどけ、ゆっくりと口を開いた。

 

「ペルシア。あの時の通信、こっちにはちゃんと届いてたよ。

 “聞こえるか”“まだ持つか”“堪えて”って、何回も」

 

「……あんなの、管制官としては当たり前の――」

 

「当たり前じゃないよ」

 

マリが珍しく、言葉を被せた。

その目は真剣だった。

 

「だって、普通の管制官なら、あのノイズの中で“ネフェリスの音”まで聞き分けようとしません。

 私は通信技士だから分かるけど……あれ、耳壊すレベルですよ」

 

サツキも、箸を握ったまま、しっかりと頷く。

 

「ペルシアさんが“ネフェリスの耳”じゃなかったら、私達、この場にいないと思う」

 

「……あんた達ねぇ」

 

ペルシアは、ぐっとジョッキを持ち上げた。

そして、視線をグラスの中に落とす。

 

「そういうことは、もっとシラフの時に言いなさいよ……涙腺緩いの知ってるでしょ」

 

「そっちの問題なんや」

 

チャコが笑うと、個室にまた、柔らかい笑い声が広がった。

 

「でもまぁ」

 

エリンが空になったグラスをテーブルに置き、手を合わせるように言う。

 

「こうしてみんな、ここにいる。それが一番の打ち上げだよね」

 

「せやな。あと一人、遅刻しとるけどな」

 

「リュウジのこと?」

 

「うん。あいつが来たら、本番開始や」

 

サツキが少し恥ずかしそうに笑う。

 

「リュウジが来たら、“お疲れさま”って言おうと思ってた。

 あの人、なんかいつも“まだ終わってない”みたいな顔してたから」

 

マリもグラスを見つめたまま、小さな声で言う。

 

「そうだね……。ネフェリスのコクピットで、ずっと前を見てたから。

 ちゃんと“終わった”って、言ってあげたいかも」

 

ペルシアが、ふっと口角を上げた。

 

「なら、リュウジが来たら、全員で言いましょ。“お疲れさま”って。

 ラスぺランツァ、これにて任務完了。ね?」

 

「せやな。解散しても、ウチらの中では“チーム”や」

 

チャコがジョッキを持ち上げる。

エリンも、マリも、サツキも、クリスタルも、ペルシアも、それに自分たちのグラスをそっと重ねた。

 

その時、ちょうど個室の外から、店員の声が聞こえた。

 

「ご予約のリュウジ様〜、お連れの皆様は奥の個室にいらっしゃいます」

 

「……あ、来た」

 

エリンが小さく笑い、椅子から立ち上がる。

 

「じゃあ――次は主役の登場から、ね」

 

ペルシアは頬を赤くしたままニヤリと笑い、障子の方へと視線を向けた。

 

個室の障子が、コンコンと二度、控えめに叩かれた。

 

「お待たせしました〜」

 

店員の声に、ペルシアが「はいよ」と返事をする。

障子がスッと開くと、その向こうに立っていたのは――

 

「お邪魔します」

 

左目に白いガーゼ、肩には簡易固定用のサポーター。

それでも背筋はいつも通りまっすぐ伸びていて、S級パイロットの正装ではなく、ラフなシャツにジャケット姿の“普通の若者”がそこにいた。

 

「……リュウジ!」

 

一番最初に声を上げたのは、やっぱりチャコだった。

 

「縫い直し、終わったんか?」

 

「ああ、なんとか。お待たせしました。」

 

リュウジは軽く頭を下げ、ペルシアに会釈してから、空いていた入口側の座布団に腰を下ろした。

 

「……なんやその、“ちょっと遅刻しました”的なノリ。十八針やで、十八針」

 

チャコが呆れ声を上げると、マリがジトっとした目を向ける。

 

「そうだな。会見もファンサもやって、そのあと病院で縫い直して、それから飲み会って……

 普通の人ならベッドとお友達になってる時間だ」

 

「俺もベッドと仲良くしたいところだけどな。今日はさすがに、顔出さないわけにはいかないだろ」

 

「……そういうところよね」

 

エリンが、ため息交じりに笑った。

その手には、すでに空になったグラスではなく、新しいウーロン茶のグラスがある。

 

「はい、これ。リュウジの分」

 

「え、俺、ビール頼もうかと――」

 

「ダメ。未成年なんだから。それにーー」

 

エリンはぴしゃりと言い切る。

 

「傷、開いたらどうするの。縫い直してもらったばかりでしょ。

 肋骨に比べたらマシかもしれないけど、顔の傷は残ったら面倒なんだから」

 

「……ぐうの音も出ないですね」

 

リュウジは観念したようにグラスを受け取り、一口含んだ。

 

「お、素直やん。珍しい」

 

「うるさい。俺だって学習する」

 

「学んだ結果が“S級返上します宣言”なんやから、スケールのデカい勉強やな」

 

「そこを掘り返すか」

 

やりとりに、個室の空気がふっと軽くなる。

ペルシアはジョッキを揺らしながら、じっとリュウジを眺めた。

 

「傷、見せて」

 

「……はい?」

 

「“ペルシアの許可なしに勝手に瀕死になった罪”があるから。確認くらいさせなさい」

 

「罪の名称がひどいな?」

 

渋々といった様子で、リュウジはガーゼの端を少し持ち上げた。

縫い目は見せないよう、ほんの少しだけ。

 

サツキが小さく息を呑む。

 

「……思ったより、ほんとに深かったんだね」

 

「クリスタルが上手く処置してくれたおかげだ。下手したら眼球まで行ってたからな」

 

「そういうことをサラッと言わないの」

 

エリンが眉をひそめる。

クリスタルは腕を組んだまま、静かに頷いた。

 

「ギリギリだった。あと一歩遅れてたら、左眼は諦めてもらうところだったわね。

 ……だから、ウーロン茶で我慢しなさい」

 

「優しい顔してるのに、セリフは容赦ないな、クリスタル」

 

「私は事実しか言わないの」

 

そのやり取りに、マリがくすりと笑った。

 

「でもさ、そういう“ギリギリ”の話を今ここで笑い話にできてるの、やっぱすごいと思う」

 

サツキも、頷きながらグラスを持ち上げる。

 

「うん。……改めて、リュウジ、ほんとにお疲れさま」

 

「ありがとう」

 

リュウジは、素直に頭を下げた。

その仕草に、ペルシアがニヤリと口角を上げる。

 

「じゃ、仕切り直しね。

 本隊が揃ったところで――ラスぺランツァ、“本当の打ち上げ”開始といきましょうか」

 

「さっきも言いましたよね、それ」

 

マリがツッコミを入れると、ペルシアは肩をすくめた。

 

「いいの。こういうのは何回やってもいいのよ。

 とくに、誰かが“自分はまだ終わってない”みたいな顔をしてる時は、ね?」

 

そう言って、真っすぐリュウジを見る。

 

リュウジは視線を逸らしかけて――ふっと、苦笑で誤魔化した。

 

「……さすが“ネフェリスの耳”。心のノイズまで拾うとは」

 

「うまく言うじゃない」

 

ペルシアは、少しだけジョッキを持ち上げた。

 

「ラスぺランツァ。

 全員生還、おめでとう。そして――おかえり」

 

「「「おかえり」」」

 

マリ、サツキ、エリン、チャコ、クリスタルが順に、あるいは重なるように声を重ねる。

リュウジは一瞬、言葉を失った表情を浮かべ、それから静かに笑った。

 

「ただいま、戻りました」

 

ーーーー

 

個室の空気が、じわじわといい具合に温まってきていた。

テーブルの上には、空きジョッキとグラス、揚げ物の皿、枝豆の殻。壁に掛かった安っぽい時計は、いつの間にか十八時を回っている。

 

「……でさ」

 

ペルシアが、ジョッキをテーブルにどんと置いた。中身はもうほとんど残っていない。

 

「さっきの記者会見で“宇宙ハンター頼んだのは俺です”とか、よくもまぁ涼しい顔で言えたわよね」

 

向かいで座っているリュウジは、片目に白いガーゼを貼ったまま、苦笑いを浮かべていた。

 

「いいだろ別に。俺が勝手にやったことだ」

 

「そういう問題じゃないの。あんた、こっちは減給三ヶ月なんだからね?」

 

「それはお前が上手くやれなかったからだろ」

 

「はぁ!? 今なんて言った!?」

 

ジョッキをまた掴みかけたペルシアの肩を、エリンが慣れた手つきでぽんぽんと叩いた。

 

「はいはい、そこまで。ペルシア、そんな勢いで飲み続けてたら本当に胃に穴が空くって前から言ってるでしょ」

 

「もう空いてるかもしれないわよ……」

 

「じゃあ余計にストップ。ほら、水」

 

エリンは空いたグラスをさっと回収し、代わりにウーロン茶を置く。その自然な流れに、サツキとマリが揃って感心したように目を丸くした。

 

「……エリンさん、やっぱり仕事モードのままですよね」

 

「うん。あの、スイッチ切ってるように見えて、実はまったく切れてません……」

 

「聞こえてるからね?」エリンがくすりと笑う。「ほら、リュウジも。さっきから枝豆ばっかり食べてないで、ちゃんと他のも食べなさい」

 

「十分休んでると思いますけど、俺」

 

「顔が“電池残量ぎりぎりです”って言ってる」

 

「そんな顔してるか?」

 

「してる」

 

クリスタルが即答した。マリとサツキも、なぜか同時にこくこくと頷いている。

 

「多数決で負けてるわね、リュウジ」

エリンが、笑いながら彼のコップを取り上げた。「はい、一回おしまい。代わりにこれ」

 

テーブルの端から、取り分け皿に乗ったポテトと唐揚げが押しやられてくる。

 

「子ども扱いされてないか、俺」

 

「子ども扱いされてるで」チャコがケラケラ笑った。「でもしゃぁないやろ、怪我人なんやし」

 

「……否定できないのが悔しいな」

 

リュウジは、渋い顔のまま唐揚げを一つつまんだ。さく、と衣がいい音を立てる。

 

 

「せやけどさ」

 

チャコが、グラスを両手で抱えながら、きょろきょろと仲間の顔を見回した。

 

「ウチ、なんやかんやで一番怖かったんは、セーシング領域越える前のあの空気やな」

 

「……空気?」マリが首を傾げる。

 

「リュウジの雰囲気のこと?」エリンが言うと、チャコは「それや」と指を鳴らした。

 

「なんやろな、背筋がゾワッとするっちゅうか。サヴァイヴの時も何回も見てきたけど……あの“覚悟決めた時の顔”や」

 

サツキが小さく息をのむ。

 

「……分かる。ネフェリスの中、急に空気が変わった気がした。すっと、温度が下がるような」

 

「ああ。あれ、こっちは知らない雰囲気だった」マリも真剣な顔になる。「今までの訓練とか任務じゃ一度も感じたことない種類の“本番”っていうか……」

 

「お前ら、怖がりすぎだ」

 

リュウジが頭を掻いた。「あれは――まぁ、そうだな。悲劇のフライトの時を、思い出してたんだと思う」

 

しん、と一瞬、空気が沈む。

 

「“今度こそ、誰も死なせないように”って?」

クリスタルの声は静かだった。

 

リュウジは、一拍置いて頷く。

 

「そういう大層なもんじゃない。単に……あれ以上、同じ思いはしたくなかっただけだよ」

 

「それを“大層じゃない”って言い張るあたりが、あんたの悪いとこなのよねぇ」

 

ペルシアが小さくため息をついた。

 

「いいじゃない」

 

エリンが、ふわりと笑う。

 

「結果的に、誰一人欠けずに戻ってこられたんだもの。理由なんて、後からどうとでも言い換えられるわよ。ね?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

リュウジは、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 

話題は、徐々に重いものから、くだけた方へと流れていった。

 

「なぁなぁ、エリン」チャコが、楽しげに身を乗り出す。「あの宇宙爆発ん時や。ウチら吹っ飛ばされてんのに、あんた、よう動いたなぁ。あれ、肋骨はやっぱヒビ入っとんたんか?」

 

「入ってるよ」

 

エリンはあっさり言った。

 

「今も入ってる。さっき病院で“患者のすることじゃない”って看護師さんに怒られたもん」

 

「そうでしょう!」

マリとサツキが同時に突っ込んだ。

 

「エリンさん、普通に笑って言ってますけど、本来なら絶対安静レベルですよ、それ」

 

「そうですよ。今思えば、その状態で、シャトルに飛び移る時なんて」

 

「でも行かなきゃ、ブライアンさん達に水も薬も届かなかったでしょ?」

 

エリンは、当然のことのように言ってのける。

 

「それに、あの距離ならまだ大丈夫って、ちゃんと計算してたから」

 

「何の計算やねん……」

 

チャコが呆れ顔をする。

 

「“ヒビが完全に折れるまでの猶予時間”とかそんな感じじゃないかしら」クリスタルが肩を竦めた。「あの子、そういうの体感でやるから」

 

「怖いこと言わないでよ、クリスタル」

 

「事実でしょ」

 

エリンは苦笑しつつ、グラスの氷をカランと鳴らした。

 

「でも、私ばっかり褒められてるけど、一番の無茶はどう考えてもネフェリスだからね?」

 

「そうですね」

 

サツキが深く頷く。

 

「神経応答制御で、あそこまで無理やり持たせた船なんて、聞いたことないです。正直、あと一時間遅かったら、本当にバラバラだったと思います」

 

「ウチも、ちょっとビビったで……」チャコがぽりぽりと頭を掻く。「あんだけジャックインしてたら、普通はウチの方が先に焼けとるからな」

 

「よく平然と言えるわね……」

 

マリが呟いたが、その目はどこか誇らしげでもあった。

 

 

ふいに、ペルシアが手を叩いた。

 

「――よし、真面目な話は一旦終わり! 打ち上げっぽい話に切り替える!」

 

「さっきまで十分に騒いでなかった?」クリスタルが笑う。

 

「まだよ。全然よ。まずはこれ!」

 

ペルシアは、テーブルの端から紙袋を引っ張り出した。中から現れたのは、小さな箱がいくつか。

 

「なに、それ」サツキが身を乗り出す。

 

「お土産。っていうか、ご褒美。ラスぺランツァ結成記念バッジ」

 

「バッジ?」マリが目を瞬かせる。

 

ペルシアが一つ箱を開けると、中には小さなメタルバッジが入っていた。

円形のプレートに、ネフェリスを模したシルエット。その下に、細い文字で“Lasperanza”の刻印。

 

「……やるやん」

 

チャコが思わずつぶやいた。

 

「でしょ?」ペルシアがドヤ顔をする。「本当はもっと派手なデザイン提案されたんだけど、あんた達、絶対つけないでしょ、そういうの」

 

「分かってるじゃない」クリスタルがにやりと笑う。「これくらいシンプルなら、制服の裏襟とかにつけておけるわね」

 

「エリンには、ちゃんとハワード財閥のジャケットに合うように色味も調整してあるわよ」

 

「え、ほんと?」エリンが驚いたように目を丸くした。「……あ、ほんとだ。ネイビーに合わせてある」

 

「ウチのは?」チャコが箱を覗き込む。

 

「チャコのは同じだけど、裏に“ジャックイン禁止”って刻印しようかしら」

 

「なんでやねん!」

 

笑いが起きる。

それぞれが箱を開け、自分のバッジを手のひらに乗せて眺める。その一瞬だけ、みんなの表情が少し、しんと静まった。

 

「……ありがとな、ペルシア」

 

リュウジがぽつりと言う。

 

「ふふん。減給三ヶ月の慰謝料代わりよ」

 

「慰謝料で済ませる額じゃないと思うけどな」

 

「はいはい。そういうツッコミは受付終了」

 

ペルシアは、わざとらしくグラスを掲げた。

 

「――というわけで、ラスぺランツァ正式結成を祝して、改めて乾杯!」

 

「おー!」

 

ジョッキとグラスが、一斉にぶつかり合う。

氷の音、炭酸の弾ける音、誰かの笑い声。そのすべてが混ざり合って、ようやく“打ち上げ”という名の夜が本格的に始まったように感じられた。

 

 

何巡目かのドリンクが届く頃には、話題はすっかりくだけたものになっていた。

 

「で、リュウジはほんまにS級返上するんか?」

 

チャコが、唐突に聞いた。

 

「いきなりそこ突っ込む?」サツキが苦笑する。

 

「気になるやろ? ウチは気になってしゃぁない」

 

「……するつもりだ」

 

リュウジは、グラスの中身を軽く揺らしながら答えた。

 

「今日みたいな会見で言った以上、そう簡単に撤回できないしな」

 

「宇宙飛行士を辞めるとは言ってないけどね?」

 

エリンが、にやりと目を細める。

 

「ええ、そこはちゃんと聞き分けてたから。ねえ、リュウジ?」

 

「……エリンさんには、本当に何も隠せないですね」

 

「隠す気ある?」

 

「ないかもしれない」

 

「……のろけてる?」マリが小声でサツキに囁いた。

 

「のろけてるというか、なんというか……」サツキも小声で返す。

 

「それは言わない約束だ」

 

クリスタルがさらりと挟み、二人は慌てて口をつぐんだ。

 

「でもさ」ペルシアが、少しだけ真面目な目つきでリュウジを見る。「あんたがどこで何しようと勝手だけど、覚悟はしときなさいよ」

 

「覚悟?」

 

「宇宙に戻りたくなっても、“あの時やめるって言ったじゃないか”って、全部あんた自身に跳ね返ってくるからね」

 

ペルシアは、グラスをくるくると回した。

 

「S級パイロットを返上するってことは、“いつでも第一線に駆り出される”立場から、一歩外れるって意味でもあるんだから」

 

「分かってる」

 

リュウジは、静かに頷いた。

 

「だから、ブライアンが本当に復活するまでは返上しない。そこまでは、きっちりケリをつけるつもりだよ」

 

「……あ」

 

エリンが、ほんの少しだけ柔らかい顔になった。

 

「なによ」ペルシアが目を細める。

 

「ううん、なんでもない。ただ――」

 

エリンは、グラスを口元に運び、一口飲んでから続けた。

 

「そういう所、ほんと変わってないなって。ドルトムントにいた頃から」

 

「ドルトムントの頃を知ってる人に言われると、なんかこそばゆいですね」

 

「いいじゃない。変わってないところもあって、変わったところもあって、そのバランスが一番いいんだから」

 

エリンは、少しだけ意味ありげに笑った。

 

「少なくとも今のリュウジの顔は――“どこで死ぬか”じゃなくて、“どこで生きるか”を考えてる顔だよ」

 

リュウジは、返事の代わりに、グラスをほんの少しだけ掲げた。

 

 

その後も、話はあちこちに飛びながら続いていった。

 

「ウチ、次はネフェリスに専用カスタムつけたいなぁ。ジャックインしやすいシートとか」

 

「それ、絶対コンプライアンスに引っかかるだろ」マリが即座に突っ込む。

 

「じゃあ合法ジャックインシートにしよ」

 

「どこが合法なんだ……」

 

「私、ネフェリスの医療ブロック増設案、真剣に出そうかしら」

クリスタルが頬杖をつきながら言う。「ブライアンみたいな重傷者想定したら、あのスペースじゃ足りないわ」

 

「それなら、恒星間輸送船との兼用モジュールにして――」サツキの目がきらきらし始める。

 

「あ、始まった」エリンが苦笑した。「メカ話モード」

 

「止まらなくなりますね、あれ」マリも肩を竦める。「でも嫌いじゃないです」

 

「ウチは好きやで。聞いてるだけで楽しいわ」

 

チャコがくくっと笑い、テーブルの下でそっと足をぶらぶらさせた。

 

ふと、ペルシアが時計を一瞥した。

 

「――まだ時間、大丈夫ね」

 

「まだ余裕あるさ」リュウジが言う。「そもそも、俺はここから家、近いし」

 

「そうね。だったら……」

 

ペルシアの目がきらりと光った。

 

「もう一軒、行く?」

 

「まだ飲むんかい!」と、ほぼ全員が同時に突っ込んだ。

 

「当然でしょ? ラスぺランツァ初打ち上げよ? ここで終わるわけないじゃない」

 

ペルシアは、いたずらっぽく笑いながら、もう空になりかけているジョッキを掲げた。

 

「二軒目は、ちゃんと食べ物中心の店にしましょう」エリンがフォローを入れる。「このままだと、ほんとに明日、全員点滴コースになるから」

 

「ウチはまだいけるで!」チャコが元気よく手を挙げた。

 

「……私は、ほどほどでお願いします」マリが控えめに続く。

 

「わ、私も……でも、もうちょっとだけなら」とサツキ。

 

「クリスタル?」

 

「もちろん最後まで付き合うわよ?」

 

視線が最後にリュウジへ向かう。

 

「……俺に拒否権は?」

 

「ない」ペルシアとエリンとチャコの三人が、完璧なハーモニーで即答した。

 

リュウジは、観念したように小さく笑った。

 

「じゃあ――もう少しだけ、付き合うよ。ラスぺランツァの、最初の夜くらいはな」

 

そう言って、彼はジョッキを持ち上げた。

まだ終わらない夜の続きが、この先に待っていることを誰もが分かっていて――それでも、誰一人として、その先を急ごうとはしなかった。

 

今この瞬間を、ただ噛みしめるように。

ネフェリスで死ぬかもしれなかった自分たちが、こうして笑い合えているという、当たり前ではない奇跡を、何度も何度も確かめるように。

 

ラスぺランツァの飲み会は、まだまだ終わりそうになかった。

 

ーーーー

 

ペルシアが選んだ二次会の店は、ソーラ・デッラ・ルーナの片隅にひっそりとあるおでん屋だった。

 暖簾をくぐると、カウンターだけの細長い店内に、出汁のいい匂いと湯気がふわっと流れてくる。

 

「うわぁ……」

 サツキが思わず声を漏らした。「なんか、落ち着きますね……」

 

「ええ匂いやなぁ……」

 チャコはカウンターの上の大根や玉子を、キラキラした目で見上げている。

 

「寒いしね」

 ペルシアはコートを脱ぎながら、躊躇なく店主に声をかけた。

「おでん適当に盛り合わせで。それと――熱燗、五本ね」

 

「五本!?」

 マリが目を丸くする。「いきなりですか……」

 

「寒いときはこれに限るのよ」

 ペルシアは当たり前のように言って、自分の席を決めると、隣にエリンを座らせ、その隣にチャコ。その反対側にリュウジ、サツキ、マリ、クリスタルが横並びになった。

 

 ほどなくして、土鍋に入ったおでんの大皿と、湯気の立つ徳利が並んだ。

 

「ほな、二次会やな」

 チャコがぐいっとお猪口を掲げる。

 

「ラスペランツァ、まだ解散禁止だからね」

 ペルシアもお猪口を持ち上げて笑う。「――改めて、お疲れ!」

 

「お疲れさま!」

 

 乾いた音で、小さなお猪口同士がぶつかり合う。

 

 ひと口、ふた口――熱燗の熱さが喉を通り、胃に落ちていく。さっきまでの居酒屋とは違う、じんわりとした温かさが身体に染みてくるようだった。

 

 

「なぁなぁ」

 チャコがほろ酔い気分でぐるりとみんなを見渡した。

「ウチ、前から気になっとってんけどさ。ラスぺランツァで一番お酒強いの、誰なん?」

 

「それはもう、エリンでしょ」

 

 ペルシアが即答した。お猪口を指でくるくる回しながら、ニヤリとエリンを見る。

 

「ちょっと」

 エリンは苦笑する。「なんで私限定なのよ」

 

「だってそうじゃない」

 ペルシアは楽しそうに肩を竦めた。

「顔色ひとつ変えないで、ずーっと同じペースで飲むのよ? 怖いわよ、あれ。機械みたいに」

 

「機械言わないで」

 エリンはため息をつきつつ、また一口、呑んだ。

「ただ、ペース崩すと後で立てなくなるから、一定にしてるだけ」

 

「それを“普通に強い”って言うんですよ、エリンさん」

 リュウジが、苦笑混じりにコップを置いた。

 

マリが目を瞬かせる。「リュウジはいくらでも飲めそうな顔しるけどな」

 

「どんな顔だよ」

 リュウジが片眉を上げると、ペルシアが笑った。

 

「でも分かる。見た目だけなら“酒で全部流してそうな人生”なのにね」

 

「言い方」

 エリンが吹き出す。「リュウジは、あまり飲まない方がいいタイプだよ。限界まで飲み続けそうだし」

 

「そうですよね」サツキもうなずく。「あの、あんまり酔っ払って操縦席とか座られたら困りますし……」

 

「安心しろ。そういう無謀なことはしないから」

 

 リュウジが肩を竦めたところで、チャコが「ふむふむ」と何やら真剣な顔になる。

 

「じゃ、エリンが一番強くて、次がペルシア、その次がクリスタル……って感じかな?」

 

「なんで私が二番目なのよ」

 ペルシアが笑いながらお猪口をあおぐ。「私はこう見えて繊細なのよ?」

 

「どの口が言うんですか」マリが小声でぼそっと漏らす。

 

 クリスタルは、そんなやりとりをおかしそうに見ながら、淡々と熱燗を味わっていた。

 

「まぁ、いいわ。せっかくだし、もうちょっと本音トークしない?」

 ペルシアが愉快そうに目を細める。「お酒も入ってきたところで――」

 

「お、きたきた。本音トークタイムやな」

 チャコが身を乗り出す。「まずは年齢や!」

 

「そこから?」エリンが苦笑した。

 

 

「はい、年齢!」

 チャコが順番に指を差していく。「ペルシアから!」

 

「私?」

 ペルシアは肩をすくめ、あっさりと言った。

「二十一」

 

「え、ペルシアさん、二十一なんですか?」

 サツキが驚く。「もっと上かと思ってました……」

 

「正直」マリも小声で同調する。「あ、いえ、その……」

 

「言いたいことは分かってるから大丈夫」

 ペルシアはどこか誇らしげにお猪口を掲げた。

「責任の重さと、胃の荒れ具合が年齢を底上げしてるだけよ」

 

「はい、次エリン!」

 チャコが指を向ける。

 

「私も二十一」

 エリンは淡々と答えた。「ペルシアと同い年」

 

「なんで同じ二十一で、ここまで雰囲気が違うのかしらね……」クリスタルが笑う。

 

「そりゃ、ペルシアは胃が荒れすぎてるからやろ」チャコがうんうん頷く。

 

「余計なお世話よ。――で、私は二十一。クリスタルは?」

 

「私は二十四」

 クリスタルは、さらりと言った。「一応、この中では“お姉さん側”ね」

 

「やっぱり……」サツキが納得したようにうなずく。「落ち着きが違います」

 

「嬉しいこと言ってくれるわね。じゃ、マリとサツキは?」

 

「わ、私は二十歳です」

 マリが背筋を伸ばす。「一応、成人しましたので……き、今日のお酒は合法です」

 

「そこまで言わなくていいから」

 ペルシアが吹き出す。「サツキは?」

 

「わ、私も二十歳です」

 サツキは少し照れくさそうに、お猪口を胸元で両手に挟んだ。

「……やっとみんなと同じ席で飲めたなって、ちょっと嬉しいです」

 

「ええやんええやん」チャコがニヤニヤする。「ほな、リュウジは?」

 

「俺?」

 リュウジは少しだけ考えてから、苦笑した。

「……十四」

 

「ほんまか?見えへんで」チャコが笑う。

 

「年齢より背負わされてるものが多すぎるだけだよ」

 エリンがフォローを入れる。「中身は、ちゃんと同世代」

 

「“ちゃんと”かどうかは微妙なラインね」

 ペルシアがからかうように笑った。

 

 

「ほーい、年齢も出揃ったところで――」

 チャコの目が、悪戯っぽく細くなる。「次のお題行こか」

 

「嫌な予感しかしない」マリがそっとエリンの袖をつまむ。

 

「恋愛でしょ?」

 ペルシアが先に言った。「絶対それ来ると思ったわ」

 

「話が早くて助かるわぁ」

 チャコが嬉しそうにお猪口を傾ける。

「ラスぺランツァ、みんなそれなりにカッコええし綺麗やしさ。今まで恋愛したことあるんか、気になるやん?」

 

「はい来たー」クリスタルが苦笑する。「お酒が入ると、絶対こういう話になるのよね」

 

「というわけで、順番に暴露してってや」

 チャコは遠慮なくペルシアを指さした。「ペルシアから!」

 

「なんでいつも私からなのよ……」

 ペルシアは一瞬だけお猪口を見つめ、それから観念したように口を開いた。

「……片手で数えられるくらい、ってことにしておいて」

 

「いるにはいるんですね」

 サツキが目を丸くする。

 

「いた、ね、過去形」

 ペルシアは自嘲気味に笑った。

「仕事増えてからは、“宇宙が恋人”みたいな生活だったし。付き合っても、結局こっちの都合で壊すことの方が多かったから」

 

 その言葉に、テーブルの空気が少しだけしんとした。

 エリンが、それ以上踏み込まないよう、あえて明るい声で話を切り替える。

 

「はい、じゃあ次はクリスタル」

 

「私?」

 クリスタルは肩を竦めて、わずかに笑った。

「まぁ、そこそこ。宇宙ハンターやってる頃にね。あの手の仕事してると、似たような人種とくっついたり離れたりするものよ」

 

「なんか、めちゃくちゃ納得します」マリが呟く。

 

「今は?」とチャコ。

 

「今は仕事が恋人で十分」

 クリスタルはあっさりと言い切った。「あんた達見てる方が、よっぽど面白いしね」

 

「“あんた達”って、ひとまとめにされると困るんだけど」

 エリンが笑う。

 

「じゃ、マリ」

 ペルシアが、柔らかく視線を向けた。「マリは?」

 

「え、わ、私ですか……?」

 マリはお猪口を持つ手を慌てて整え、視線を落とした。

「えっと……一応、告白されたことはありますけど……付き合ったことは、ないです」

 

「ほー?」チャコが身を乗り出す。「どんなやつや?」

 

「ただの同級。同じクラスの」

 マリは耳まで赤くして、早口で続けた。

「でもそのとき、既に管制の研修始めてて……私、仕事で頭がいっぱいだったから。お断りしました」

 

「マリらしいな」ペルシアがくすりと笑う。「君、ほんと真面目だもんね」

 

「そういうペルシアさんに言われると、なんか複雑です……」

 

 

「じゃ、次はサツキ」

 エリンが、意地悪ではなく、どこか優しい目で促した。

 

「わ、私ですか……」

 サツキは、箸で大根をつつきながら、しばらく黙り込んだ。

「……ないです。付き合ったことも、ちゃんと恋愛したことも、たぶん」

 

「“たぶん”て」チャコが笑う。

 

「だって、ずっと工場と学校とを行き来してただけだし……」

 サツキは照れくさそうに続けた。

「師匠達と一緒にいるのが、ずっと楽しかったから。それ以外のこと、考えたこともなくて」

 

「メカニックって、みんなそうなのよね」

 クリスタルが懐かしそうに笑う。「機械と仲間以外、視界に入ってない」

 

「……でも、最近、思うことはあります」

 サツキはぽつりと言った。

「誰かを守りたいとか、一緒に飛びたいって思う感覚、あ、これが恋愛ってやつなのかなって」

 

「おお?」

 チャコの耳がぴんと立つ。「それ、誰のことや?」

 

「ないですないですないです!」

 サツキは慌てて首を振った。「今のは、その……一般論です!」

 

「一般論で“誰かを守りたい”は言わんやろ」チャコがじと目になる。

 

 サツキは耳まで真っ赤になって、大根を口に押し込んだ。

 

 

「じゃあ、エリンは?」

 ペルシアが、わざとらしく口角を上げる。

 

「私?」

 エリンは短く息を吐いて、少しだけ視線を泳がせた。

「……ないよ。付き合ったことも、ちゃんと恋愛したことも」

 

「ウソやん」チャコが即座に言う。「こんな綺麗で出来る女やのに?」

 

「ドルトムント時代、ファンレター山ほど来てたでしょあなた」

 ペルシアも続ける。「乗客からもクルーからも」

 

「ファンレターと恋愛は別物だから」

 エリンは苦笑しながら、お猪口を指でなぞった。

「チーフ・パーサーって、ね。誰よりも冷静で、誰よりも健康で、誰よりも安定してないといけない職業だから」

 

「だから?」ペルシアが静かに促す。

 

「誰か一人を好きになるのが、怖かった」

 エリンは視線を落としたまま続けた。

「もし機内で何かあって、その人だけを優先しそうになったら……そう考えると、踏み出せなかった」

 

 静かに、おでん鍋のコトコトと煮える音だけが響く。

 

「……エリンさんらしいですね」

 リュウジがぽつりと呟いた。「全部、自分で背負おうとするところが」

 

「リュウジにだけは言われたくない」

 エリンは顔を上げて、少しだけ笑った。「そっちこそ、人一倍、背負い込むくせに」

 

「俺は――」

 

 リュウジが言いかけたところで、チャコがすかさず割り込む。

 

「ほな、そのリュウジや」

 

「……俺?」

 リュウジはお猪口を置き、思わず姿勢を正した。

 

「リュウジ、恋愛したことあるん?」

 チャコの目は、好奇心でいっぱいだ。

 

 しばらくの沈黙の後、リュウジはわずかに息を吐いた。

 

「……ないな。少なくとも、自分で“これは恋愛だ”って断言できるようなものは」

 

「マジで?」マリが驚く。「あの、パイロットのくせに?」

 

「“くせに”ってなんだよ」

 リュウジは肩を竦める。

「ドルトムントでも、サヴァイヴでも、それどころじゃなかったし。こっち戻ってからも、ずっと“どこで死ぬか”ってことばっかり考えてた」

 

 そう言って、ほんの少しだけ、自嘲するように笑った。

 

「でも今回、ちょっと変わりました、って顔してるよね」

 エリンが穏やかに言う。

 

「……まぁ」

 

 リュウジはそれ以上を言葉にしなかった。ただ、ウーロン茶をひと口飲んで、視線を横に逸らした。

 

 

「……というわけで、今まで恋愛経験ゼロが三人、と」

 ペルシアが指折り数える。「リュウジ、エリン、サツキ」

 

「ゼロって言い切らなくていいでしょ」エリンが顔をしかめる。「なんか、まとめて言われると恥ずかしいんだけど」

 

「ええやんええやん」チャコがニヤニヤする。「ウチ、ちょっと安心したで」

 

「なんで安心するのよ」サツキがむくれる。

 

「だって、みんなそれぞれ“宇宙のこと”とか“仕事のこと”ばっかり考えて生きてきたんやなぁって思ったらさ」

 チャコは、少しだけ真面目な声になった。

「なんか、仲間、って感じするやろ?」

 

 その一言に、誰もすぐには返事ができなかった。

 おでんの湯気がふわりと上がり、熱燗の香りと混ざって鼻をくすぐる。

 

「……そうかもね」

 

 エリンが静かに笑った。

 

「みんな、それぞれのやり方で、“どこで生きるか”探してきたんだと思うよ。恋愛する余裕がなかっただけで」

 

「余裕なかった、は分かるな」

 クリスタルが頷く。「私も、気づいたら二十四だもん。次振られたら、さすがにちょっと考えるわ」

 

「誰に振られる前提で話してるんですか」マリが突っ込み、また笑いが戻ってくる。

 

 

 熱燗の徳利は、気づけば二本目、三本目と空になっていた。

 

 外は相変わらず寒いはずなのに、店の中は、おでんと酒と、仲間同士のやり取りで、不思議なぬくもりに満ちている。

 

「なぁ」

 チャコが、ふと真顔になって言った。

「ウチ、今日、一番嬉しいかもしれん」

 

「急にどうしたの」エリンが首を傾げる。

 

「だってさ」

 チャコは、カウンターにちょこんと肘をついて、みんなの顔を順番に見た。

「宇宙で死にかけて、戻ってきて、こうしておでん囲んで、恋バナして、アホみたいに笑っとるやん?」

 

 少しだけ、言葉が詰まる。

 

「……こんなん、贅沢やで。ウチらみたいなんには、もったいないくらいや」

 

「もったいなくなんかない」

 

 リュウジが、静かに言った。

 

「ここまで生きて帰ってきたんだ。これくらい、許されてもいいだろ」

 

 その言葉に、ペルシアがふっと笑う。

 

「そうね。じゃあ――」

 

 彼女は新しい徳利を手に取り、ひとりひとりのお猪口に注いでいった。

 

「恋愛しようがしまいが、どこで生きようが、どう死のうが。今日この瞬間、あんた達がここにいるって事実に」

 

 最後に、自分のお猪口にも酒を注ぎ、ぐいっと掲げた。

 

「――ラスぺランツァに、乾杯」

 

「乾杯!」

 

 小さなお猪口が、また軽やかな音を立てる。

 二次会の夜は、まだしばらく、終わりそうになかった。

 

ーーーー

 

湯気の立つおでん鍋の匂いと、熱燗の香りが混じり合って、個室はさっきよりだいぶ“あったかい”空気になっていた。

 

「熱燗、もう一本追加で」

 

ペルシアが、空になった徳利をトン、と卓に置いた。頬はうっすら赤く、目の下のクマは残ったままなのに、どこか晴れやかな顔をしている。

 

「ペルシア、ペース早すぎない?」

エリンが呆れたように笑いながら、ちびちびと自分のグラスを傾ける。

 

「ん? まだ全然。ずっとエナジードリンク漬けだったんだし、今ぐらい良いでしょ」

 

そう言いながら、運ばれてきた徳利の栓を器用に抜き、湯気の立つ酒を自分の猪口になみなみと注ぐ。

 

チャコは練り物の皿をつつきながら、ふと何かを思い出したように顔を上げた。

 

「そういやさぁ、ペルシアって元々、ドルトムント財閥の旅行会社で、リュウジとエリンと一緒に働いとったんやろ?」

 

箸の先で大根を突きながら、何気なく切り出す。

 

「そうよ」

 

ペルシアはあっさり認めると、そのまま熱燗をくい、と一口。喉が波打つのを見て、マリとサツキが同時に「はや…」と小声で漏らした。

 

「私は十八で副パーサーだったのよ」

 

「「えぇっ?!」」

 

マリとサツキだけじゃない。クリスタルも、チャコも、思わず声を揃えて目を丸くする。

 

「十八で副パーサーって、普通じゃありえないからね?」

クリスタルが半ば呆れたように笑う。

 

「よく言うわよ」

 

エリンが、お猪口をくるくる回しながら、じっとペルシアを見やった。

 

「元々は私が副パーサーで、ペルシアがチーフパーサーだったのに」

 

「「はああああ!?」」

 

今度は本気で全員が固まった。チャコなんて、危うくちくわを落としそうになって慌てて拾う。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。ペルシアさんがチーフで、エリンさんが副パーサーってことですか?」

マリが確認するように訊く。

 

「うん、最初はね」

 

エリンはあっさりと頷いた。その横で、ペルシアが肩をすくめる。

 

「私には柄じゃないしね。ああいうの、ずっと背筋伸ばして“お客様~”って笑ってるの、性に合わないのよ」

 

そう言いながらも、当時を思い出したのか、どこか懐かしそうに目を細める。

 

「それに、エリンがチーフパーサーになった方が、私がやるより絶対いいでしょ」

 

ペルシアが冗談めかしてそう言うと、リュウジとエリン以外、全員が「うんうん」と素直に頷いてしまった。

 

「ちょっと! そこで全員納得しない!」

 

「事実やろ?」とチャコが笑う。「エリンの“接客モード”、怖いぐらいやで。さっきのテレビもやばかったわ」

 

「そうそう。あれ見てたら、“あ、この会社に命預けてもいいかも”って素直に思うもんね」

クリスタルも頷く。

 

「でも、ペルシアは私よりも凄いのよ」

 

エリンが静かに口を開いた。その言い方に、場の空気が少しだけ真面目になる。

 

「そうなんか?」

チャコが首を傾げる。

 

クリスタルが興味深そうに、リュウジの方へ視線を向けた。

 

「ねえ、リュウジ。どっちがすごいと思う?」

 

問いを投げられたリュウジは、一瞬だけ視線を泳がせたあと、迷うことなく口を開いた。

 

「チーフパーサーは、乗客も、従業員も、全部を見なきゃいけない。特に、旅客機みたいに客が多い場合は……ペルシアの方が向いてると思う」

 

「ほう?」とチャコが身を乗り出す。

 

「ペルシアの耳は、人の声から感情を読み取る。どこがざわついてるか、どこに不安が溜まってるか……そういうのを、音で拾ってる。そういう意味では、三百六十度ぜんぶを常に監視してるのと同じだ」

 

ペルシアは、熱燗の猪口を持ったまま、目を瞬かせた。

 

「……よく見てるわね、あんた」

 

マリが、少し身を乗り出して尋ねる。

 

「じゃあ、エリンさんは?」

 

「エリンさんは――」

 

リュウジは、自然と敬語になっている自分に少し苦笑しながら、続けた。

 

「今回みたいな少人数の航行とか、一部の乗客に深く寄り添う役なら、エリンさんの方が向いてる。ネフェリスみたいに、狭い空間で、限られた人数の心を整えるのは……誰よりも上手い」

 

「……リュウジ」

 

エリンが、少しだけ目を見開いた。

 

「それに、エリンさんはペルシアとは違う形で、チーフパーサーとしての“覚悟”がある。だからペルシアは、その地位を譲ったんだろ?」

 

一瞬、卓の上から湯気の音だけが聞こえる静けさが流れた。

 

ペルシアは、ふっと笑って、猪口を口元に運んだ。

 

「ほんと、よく見てるわね、あんた」

 

「見てへんようで、よう見とるからな、リュウジ」とチャコが肩で笑う。

 

「それならどうして、ペルシアは宇宙管理局に移ったの?」

 

クリスタルが、前から気になっていた疑問を口にする。

 

「そうですよね。あのまま副パーサー続けてても、おかしくなかったんですよね?」

マリも同意するように言った。

 

ペルシアは徳利を取ると、今度は全員の猪口に順番に注いで回りながら、肩を軽くすくめた。

 

「その方が、私の力を存分に発揮できるからよ」

 

「力?」とサツキが首を傾げる。

 

「私は“耳”で状況を読む。宇宙管理局にいれば、コロニーの声、管制の声、宇宙船の声……もっと遠くまで届くでしょ? どこで何が起きてるか、まとめて聞こえてくる」

 

そう言って、ペルシアは自分のこめかみを指でとん、と軽く弾いた。

 

「だったら、そこで“誰をどこに飛ばすか”を決める方が、性に合ってるの。前に出るより、マイクの向こうで全体を動かす方が、ね」

 

「格好いいこと言うなぁ」

チャコがニヤニヤ笑う。

 

「格好いいじゃなくて、合理的よ。…それにさ」

 

ペルシアは、少し言い淀んでから、熱燗を一気にあおった。

 

「私がチーフのままだと、エリンが“本気”出さないでしょ」

 

「ちょっと」

エリンが呆れたように眉をひそめる。

 

「でも、分かる気がします」

サツキが、熱燗を両手で包みながらぽつりと言った。「エリンさんって、前に立つための人――っていうより、“誰かの隣に立つために”強くなる人、って感じがして」

 

「……サツキ、詩人か」とクリスタルが苦笑する。

 

「や、やめてくださいよ、そういうのは」とサツキが頬を赤くした。

 

マリもこくりと頷く。

 

「エリンさん、今回もそうでした。リュウジの隣で、みんなの“コンディション”をずっと整えてた感じがします。私達、途中から、“エリンさんがバタバタし始めたらヤバい”って基準で見てましたし」

 

「それ褒めてる?」

エリンが苦笑する。

 

「もちろんです」

マリがきっぱり言った。「エリンさんが落ち着いてる限り、“まだ大丈夫だ”って全員が思えましたから」

 

「そういう意味ではさ――」

 

ペルシアが徳利を掲げて、わざとらしく咳払いした。

 

「今回、ネフェリスで一番凄かったのは、やっぱりエリンだと思うけどね、私は」

 

「またそうやってハードル上げる」

エリンが困ったように笑った。

 

「でも、俺もそう思いますよ」

 

リュウジの言葉に、全員の視線が一斉に向いた。

 

「俺達が全員、自分の力以上のものを出せたのは、エリンさんが“場所”を整えてくれたからです。飲み物も、食べ物も、声かけも……“当たり前”みたいにやってましたけど、あれがないネフェリスは想像できない」

 

「……やめなさい、そういう言い方」

 

エリンは、少しだけ視線を落とした。熱燗をグイッと飲み干す。

 

「私自身は、今回の任務で、まだまだ足りないところだらけだったって思ってるんだから」

 

「それでも、やっぱり凄かったって話や」

 

チャコがわざと明るく割り込む。「せやから、今日は飲んで食べて、素直に“お疲れさん”でええねん」

 

「そうそう。反省会は、また別の機会にいくらでもできるしね」

クリスタルも笑ってグラスを掲げた。

 

「ほら、乾杯しとく?」

 

「まだ飲むの?」とマリが苦笑する。

 

「当たり前でしょ。打ち上げってのは、“もう十分飲んだかな”って思ってからが本番なんだから」

ペルシアが自信満々に言う。

 

「それ、ただの飲兵衛の理論だよね」

エリンが呆れ混じりに笑う。

 

ペルシアは全員のお猪口にまた酒を注ぎながら、ちらりとリュウジを見た。

 

「リュウジはウーロン茶で我慢ね。十四歳に熱燗飲ませたら、さすがに私が怒られる」

 

「分かってますよ」

 

リュウジは素直にウーロン茶のグラスを掲げた。その横顔には、以前のような張り詰めた影はない。柔らかい、それでいてどこか達観した光がある。

 

「じゃ――」

 

ペルシアがグラスを高く掲げる。

 

「ラスペランツァの成功と、ブライアン達、それからネフェリスに。乾杯」

 

「「乾杯!」」

 

グラス同士が触れ合う音と、おでん鍋のくつくつ煮える音が、小さな個室に心地よく響いた。

 

熱燗のペースは、相変わらずペルシアが一人で引き上げていく。

けれど誰も、それを止めようとはしなかった。

 

三日間、狂ったようにエナジードリンクとノイズと悲鳴に晒されていた彼女にとって、今この瞬間は――

やっと、本当の意味で“帰ってこられた”時間なのだと、全員がどこかで分かっていたから。

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