夜の寮の部屋は、暖房の風がゆるく回っていて、外の冷たい空気とは別世界みたいに暖かかった。
ルナは自分のベッドの上に、荷物をずらりと並べていた。
「軍手よし……タオル多めによし……ゴミ袋も……よし」
ひとつひとつ声に出しながら確認していく。
明日は、いよいよリュウジの引っ越し本番だ。
「メノリに、シャアラ、ハワード、ベル、シンゴ、それにカオル……」
名前を並べていくと、自然と頬が緩む。
(結構な人数だよね。
これだけいたら、あっという間に終わっちゃうかも)
そう思う一方で、ふと手が止まった。
「……後は、何を用意すればいいのかな」
軍手の束を持ったまま、首をかしげる。
飲み物? 軽いお菓子?
でも、それは向こうで買ってもいいし――と考え込んでいると、
「ルナ、見てみぃ」
机の上からひょこっと顔を出したチャコが、面白そうに両目を細めた。
前脚で器用に携帯端末をつまんで、画面をルナの方に向けてくる。
「なに? どうしたの?」
ルナはベッドから身を乗り出し、チャコの隣に腰を下ろして画面を覗き込んだ。
そこには、見慣れたチャットアプリの画面が表示されていた。
グループ名は――
「La Speranza組」
ラスペランツァで作った、あのチャットグループだ。
「ちょっと、何これ……」
タイムラインには、さっきまでどんどん流れていたであろうメッセージが、スクロールバーと共に並んでいる。
一番上にあるのは、見慣れた送信者名。
チャコ:
『明日はリュウジの引越しや!手伝いに来れる人は集合や!』
その下には、リュウジの新居の地図情報。
最寄り駅からのルートや、周辺のランドマーク付きの丁寧な位置情報。
「もう! 勝手に送ったりして!」
ルナが思わず声を上げると、チャコは悪びれもせず胸を張った。
「ええやんええやん。みんなで祝った方が楽しいやろ?
ウチ、サービス精神旺盛やねん」
「そういう問題じゃないってば……!」
でも、すでにメッセージは一通り返ってきているようで、画面にはいくつもの既読マークと返信が並んでいた。
チャコがスクロールを指で弾く。
「ほれ、みんなの反応、おもろいで」
一番上に表示されたのは、サツキのメッセージだった。
サツキ:
『ごめん、今、冥王星の補給地点にいるから行けないわ』
「……冥王星って」
「遠いところにいるんだね」
ルナは思わず声を上げた。
続いて、別の名前が並ぶ。
クリスタル:
『私は任務で飛び立っちゃう』
そういえば、スターフォックスのクルーだったとルナは納得したように頷く。
その下には、マリのメッセージ。
マリ:
『宇宙管理局の本部で仕事だ。すまない』
「宇宙管理局も大変だよね……」
ルナが小声でつぶやいた瞬間、次のメッセージが目に飛び込んでくる。
ペルシア:
『そういうことは早く言いなさいよ!仕事休めないでしょ!』
「あ〜……」
ルナは思わず額に手を当てた。
「なんか、目に浮かぶよね……」
「せやろ。で、そのあとがこれや」
チャコが指で画面を少しスクロールする。
マリ:
『ペルシアさん、仕事が立て込んでるでしょ』
ペルシア:
『そんなん、てきとうに処理するわ』
マリ:
『“てきとうに”って……』
ペルシア:
『こっちは減給されてるだもの』
エリン:
『まったく……』
「減給ってサラッと言わないでよ……!」
ルナは苦笑しながら、思わず声を漏らした。
「ペルシアさん、ほんとブレないなぁ……」
「おもろいからええねん」
チャコはケラケラ笑っている。
さらにその下には、エリンからのメッセージが続いていた。
エリン:
『ごめんね、私も明日からフライトで行けないわ』
「あ、そうだ。明日がエリンさんの初フライト……」
ルナはメッセージを見つめながら、小さく呟いた。
すぐその下には、他のメンバーからの返信が連なっている。
サツキ:
『エリンさん、初フライト頑張ってください!』
マリ:
『ハワード財閥での新路線なんですよね?成功を祈っています』
クリスタル:
『絶対大丈夫よ。あなたならやれるわ』
ペルシア:
『落としたら承知しないわよ!』
「励ましと脅しがセットになってる……」
ルナが思わずツッコむと、チャコが肩を揺らして笑った。
「でも、なんかいいやん。
エリン、ちゃんとみんなに見守られてる感じで」
「うん……そうだね」
胸の奥が、少しあたたかくなる。
チャットはまだ続いていた。
ペルシア:
『それよりリュウジ! 合鍵のひとつ寄こしなさいよね』
「ちょっ……!」
思わずルナが声を上げると、チャコが愉快そうに画面をトントンと叩く。
「来たな、問題発言」
すぐに別の返信が飛ぶ。
クリスタル:
『何する気なのよ』
ペルシア:
『これでロカで心置きなく飲めるわ』
「やっぱり飲む気なんだ……」
ルナは頭を抱えた。
エリン:
『気の毒に……』
「気の毒って誰のことかな……」
「そら決まってるやろ。リュウジや」
チャコが即答する。
「でもまあ、ペルシアがおると、あの部屋も賑やかになるやろな〜」
「鍵渡したら、ほんとに毎晩飲みに来そうで怖いんだけど……」
ルナがため息をつくと、チャコはさらにスクロールを続けた。
サツキ:
『リュウジ?』
エリン:
『リュウジは携帯あんまり見ないから、気づいてないと思うよ』
マリ:
『それでは携帯の意味がないのでは?』
ペルシア:
『朝見てびっくりすると思うわよ』
「うわぁ……想像できる」
眠い目をこすりながら、朝イチでこの通知の山に気づくリュウジの顔が、ありありと脳裏に浮かんだ。
さらに、エリンからこんな一文が続いていた。
エリン:
『私は行けないけど、代わりの人を頼んでおいたわ』
「……代わりの人?」
ルナが首を傾げると、チャコがニヤリと笑った。
「せやで。エリン、ちゃ〜んと仕事モード入っとる」
すぐ下には、サツキやマリからの返信も。
サツキ:
『流石エリンさん。仕事モードだ』
マリ:
『いつでもエリンさんはエリンさんですね』
エリン:
『あのねぇ、私だって息抜きぐらいするわよ?』
「ふふっ……」
ルナは思わず笑ってしまった。
真面目で、しっかりしてて、でもどこか抜けてるところもあって。
そんなエリンの姿が、短い文章のやりとりだけでもちゃんと伝わってくる。
「……なんかさ」
携帯を見つめたまま、ルナはぽつりと言った。
「明日、ここに居なくても――
エリンさんたち、ちゃんと“一緒にいる”って感じがするね」
「せやなぁ」
チャコが大きく頷く。
「ロカA2にも、地宇宙のどっかにもバラバラに散っとるけど――
こうやって、まだ“繋がってる”っちゅう感じや」
「うん」
ルナは携帯をそっと自分の方へ引き寄せ、画面を閉じた。
ベッドの上には、まだ軍手とタオルの山。
明日のために用意した小さな準備たちが、静かに待っている。
「よし」
ルナは小さく息を吸い込んだ。
「明日は明日で、ちゃんとやらなきゃね。
リュウジの新しい“家”の最初の日なんだから」
「そうやそうや。ウチも明日は全力サポートするで!」
チャコが胸を叩く。
「軍手もあるし、ゴミ袋もあるし……後は?」
ルナはもう一度部屋を見回し、それから微笑んだ。
「みんなの分の飲み物と、お菓子、かな」
「ええやんええやん。
ほな、ウチは甘いもん担当で――」
「それは自分が食べたいだけでしょ!」
そんなツッコミが、夜の寮に小さく響いた。
窓の外では、冬の星が静かに瞬いている。
明日、その星空の下で――
またひとつ、新しい“日常”が始まるのだと思うと、ルナの胸は少し高鳴った。
◇◇◇◇
朝。
眠い目をこすりながら携帯に手を伸ばし、ベッドサイドの棚に置いてある携帯を手探りで掴む。
画面を点けた瞬間――
「……多っ」
通知アイコンの数字が、ありえないくらい膨れ上がっていた。
(誰だ……)
半分寝ぼけたままロックを解除し、通知の元を開く。
そこに表示されたのは「La Speranza組」のグループチャット。
スクロールバーが信じられないくらい小さい。
「……チャコか」
察しがついて、思わず額に手を当てる。
最初に目に入ったのは、チャコが投げたメッセージ。
『明日はリュウジの引越しや!手伝いに来れる人は集合や!』
『新居の場所はここや!』+地図情報
「……勝手に決めるなよ」
ため息を一つ吐きながら、親指で画面をゆっくりスクロールする。
冥王星だの、本部勤務だの、任務だの――
みんなの「行けない」報告と、「頑張れ」メッセージ。
それからペルシアの「合鍵寄こしなさいよね」に、クリスタルのツッコミ。
ロカで飲むだの、気の毒だの、携帯見ないだの、朝見てびっくりするだの。
(……好き勝手言ってるな)
もう一度、深くため息が漏れた。
うるさいけれど、嫌じゃない。
むしろ、こうして騒がれていること自体が、少しだけこそばゆくて、少しだけ安心する。
(合鍵なんか渡したら、ペルシアが入り浸りそうだしな……)
布団の中で上体を起こし、リュウジはチャット入力欄を開いた。
指が覚めていくのと同時に、頭もだんだん冴えてくる。
一度だけ息を整えてから、素早く文字を打ち込む。
『合鍵は渡さない。
エリンさん、頑張ってください。
皆んなも仕事頑張れ。』
打ち終わった文面を一瞬だけ見直し、余計な言葉を付け足したりはしなかった。
(これくらいでいいか)
送信ボタンを押し、そのまま携帯を伏せてベッドサイドに置く。
画面の向こうで、またしばらく騒がしくなるのは目に見えている。
でも、それを見るのは――ひとまず、後でいい。
「……さて」
布団から足を出すと、冷たい床の感触が一気に眠気を引き剥がしていった。
今日は引っ越し本番だ。
みんなが来る前に、やることはいくらでもある。
リュウジはもう一度、軽く伸びをしてから、ようやくベッドを離れた。
ーーーー
冬の朝の空気は、きりっと張りつめていた。
リュウジの今の部屋――一室の前には、すでに何人かの姿が集まりつつあった。
カオル、ハワード、シンゴ、メノリ、ベル、シャアラ。そして、その足元をちょろちょろ動き回るチャコ。
「よし、全員そろったな」
リュウジがドアを開けて玄関から顔を出すと、ハワードが両手を広げる。
「待ってましたー! 本日の主役!」
「やかましい。荷物運びの主役はお前らだからな」
苦笑しながらリュウジが言うと、シンゴが「ね、ね、何から運ぶの?」とウズウズした様子で聞いてくる。
そのとき――
「リュウジ!」
弾丸みたいな勢いで、小さな影が玄関に飛び込んできた。
「うわっ」
思わずリュウジは両腕でその影を受け止める。
軽い体が胸に飛び込んできて、甘いシャンプーの匂いがかすかにした。
「ユイ?」
腕の中から顔を上げたのは、にこにこと笑う少女――ユイだった。
「びっくりした? 来ちゃった」
「なんでユイが……」
驚いているリュウジの背後から、落ち着いた声が降ってくる。
「俺もいるけどね」
振り返ると、廊下の奥に寄りかかるように立っている男の姿があった。
短く整えた髪に、少し無精ひげの気配。ラフなジャンパー姿――タツヤだった。
「タツヤ班長も来たんですか?」
リュウジが目を瞬かせると、タツヤはあからさまにため息をついた。
「何、言ってるの。エリンから聞いてないの?」
玄関の靴を器用にかわしながら、タツヤが部屋の中へ一歩踏み込む。
「エリンが言うとったやろ、“代わりの人に頼んだ”って」
チャコが横からぴょこんと顔を出す。
「あ……」
リュウジは朝のチャットのやりとりを思い出した。
エリンの「私は行けないけど、代わりの人を頼んでおいたわ」という一文。
(そういうことか)
「まぁ、俺ぐらいしか暇な人もいないしね」
タツヤは肩をすくめて笑う。
「それに、トラックを借りてきてるから。
せっかくだし、ガンガン荷物運んじゃいなよ」
窓の外を見ると、建物の前に一台の中型トラックが止まっているのが見えた。
荷台のシートが、冬の風に少し揺れている。
「頼りになりますね、タツヤさん」
メノリが素直に感心したように言うと、タツヤは片手をひらひら振った。
「いやいや、力仕事は若いもんに任せる主義だからね」
「それで、どれを運ぶんだ?」
カオルが部屋の中を見回しながら尋ねた。
今の部屋の中には、すでにいくつか段ボールが積まれていた。
ラベルのついた箱、本棚の前に寄せられた本の山、簡素なハンガーラックにかかった洋服たち。
「とりあえず、奥の部屋にある段ボールと小物、それと洋服は段ボールに詰めたい」
リュウジが指で奥のスペースを示す。
「生活用品とかは、だいたい箱に入ってる。
あとは細かいのをまとめて、運び出すだけだ」
「なら――」
ルナが一歩前に出て、くるりと全員を見回した。
「じゃあ、カオル、ハワード、シンゴ、ベルは、詰め終わった段ボールを下に運んで」
「了解」
カオルが軽く頷く。
「任せろ!」
ハワードが胸を叩くと、ベルが「浮かれすぎて落とさないでよ」と釘を刺す。
「気をつけるさ!」
「僕も頑張るよ!」とシンゴも手をあげた。
「私とシャアラとメノリと、ユイちゃんは、小物と洋服を段ボールに詰めようか」
ルナが続けると、シャアラがパッと顔を明るくした。
「そうしましょう!」
「なんか、サヴァイブのときみたいでワクワクするぜ」
ハワードが笑いながら肩を回した。
「ね! 僕も頑張るぞ!」
シンゴも子どものような笑顔を見せる。
「リュウジとタツヤさんはどうするんだ?」
メノリが少し首を傾げて尋ねた。
「二人とも、手が空いてると逆に動きづらいだろ?」
その問いに、ルナが振り向いて答える。
「リュウジは全体を見てあげて。
どの箱が先で、どこに何を運ぶかとか。
タツヤさんは運転もありますから、それまではゆっくりしててください」
「いいのか?」
リュウジが少しだけ申し訳なさそうに尋ねる。
「いいの。今日の主役なんだから、ちゃんと“指示する側”やって」
ルナは笑ってみせた。
「こっちは、動ける人からどんどん動くからさ」
「分かった」
リュウジは小さく頷く。
「じゃあ、仕分けと指示は任せてもらう」
「ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうよ」
タツヤが苦笑しながら頭をかいた。
「腰やったら笑えないからね。若いもんに任せるのが一番だ」
「最初から、そのつもりだったじゃないですか?」
メノリがジト目になりつつも笑うと、タツヤは「ばれたか」と肩を竦めた。
チャコがぴょんとルナの肩に飛び乗る。
「ほな、リーダールナの出番やな!」
「え、リーダーって……」
「ええやん。サヴァイブでもそうやったやろ?」
チャコにニヤリと笑われて、ルナは少しだけ頬を赤くする。
「……じゃあ」
ルナは両手を軽く叩いた。
「さあ、張り切っていきましょう!」
「おー!」
ハワードがやたら元気な返事をし、シンゴもそれに続き、ベルが苦笑しながら頷く。
「ユイ、一緒に服たたむ?」
シャアラが優しく声をかけると、ユイは「うん!」と満面の笑みで頷いた。
メノリはタオルや小物を仕分けるために、段ボールとマジックペンを手に取る。
「カオル、最初の箱は本?」
「そうだな。重いから下から詰めよう。ハワード、シンゴ、準備はいいか?」
「もちろんだ!」
「が、頑張る!」
それぞれが持ち場に散っていく。
狭いはずの部屋が、急に活気でいっぱいになった。
誰かが笑い、誰かが箱を運び、誰かが服をたたみ、誰かがラベルを書く。
その中心で、リュウジは部屋全体を見回しながら、必要なときだけ声をかけていく。
「その箱、割れ物多いから、“上積み厳禁”って書いておいてくれ」
「了解!」
「服の箱は、新居でクローゼット側に運びたい。印つけといてくれ」
「分かった!」
タツヤはそんな光景を、少し離れたところから眺めていた。
「……サヴァイブのときはこんな感じだったのかな」
小さく呟いたその言葉に、リュウジは苦笑で応える。
「命がかかってないだけでも、まだマシですよ」
「そうかもね」
タツヤは腕を組み、窓の外のトラックに視線を向けた。
「でも、こうやって誰かの新しい生活の最初の日に、
みんなが集まって動き回ってるの、悪くない」
「……ええ」
リュウジは仲間たちの背中を見ながら、静かにうなずいた。
段ボールに詰められていくのは、ただの荷物じゃない。
ここまで一緒に過ごしてきた時間の一部――
それを、新しい場所へ運んでいく。
その作業を、こうして笑いながらやれる自分たちは、きっと幸せなのだと。
「よし、次の箱も運ぶぞー!」
ハワードの声が響き、シンゴが「待ってよー!」と追いかける。
「割るなよー!」
ベルのツッコミに、みんなの笑い声が重なった。
冬の冷たい空気の中で、その音はどこか温かかった。
ーーーー
トラックの荷台に、最後の段ボールが持ち上げられた。
「よっと!」
ハワードが声を上げながら箱を押し込む。
その隣でカオルがバランスを見て、位置を調整した。
「そこ、もう少し奥。倒れたら面倒だぞ」
「分かってるって! こう見えて僕、力仕事も繊細なんだからね」
「どの口が言うんだ」
苦笑しながらカオルが支え、ベルが横からストッパー代わりに別の箱を詰める。
シンゴは少し息を切らせながらも、最後の一本のロープを荷台に回していた。
「ここ、結んじゃっていい?」
「ああ、それで大丈夫だろ」
メノリが確認して頷き、ロープの端をしっかりと固定する。
玄関先では、ルナとシャアラとユイが箒を持ち、小さなゴミを掃き集めていた。
チャコはその周りをちょろちょろしながら、床の隅をセンサーで確認している。
「よし、こんなもんかな」
リュウジが玄関から外へ出て、荷台を見上げた。
部屋の荷物は、ほとんどがトラックの中に収まっている。
「いやー、結構入ったな」
ハワードが腰に手を当て、大げさに伸びをした。
「でもさ」
ふと、空を見上げながら続ける。
「大いなる木に引っ越ししたときに比べれば、全然楽だな」
その一言に、空気がふっと和らいだ。
「……あー、あれね」
ルナが思わず苦笑する。
「砂浜から数時間かけてさ……
シャトルの鉄板とか、資材とか、ひたすら山道を往復してさ」
「そうそう!」
ハワードが勢いよくうなずいた。
「砂浜は砂で足取られるし、途中は斜面だし、虫は多いし、天気は急に変わるし!
なのにさ、“大いなる木の上に家建てよう”とか言い出すんだから!」
「“高いところの方が見晴らしがいいじゃないか!”ってはしゃいでたの、誰だっけか?」
メノリがさりげなく追い打ちをかける。
「ちょっ、そんな昔の話を掘り返さなくても!」
「でもまあ」
シンゴが笑いながら荷台をぽんと叩いた。
「あのときに比べたら、今回はトラックがあるだけ、すごく楽だよね。
運転してくれる人もいるしさ」
「だろ?」
トラックの運転席のドアにもたれていたタツヤが、片手を上げた。
「文明の利器、万歳ってやつだな。
じゃ、そろそろ出発するか」
「よし、みんな乗る準備して!」
ルナの声に、それぞれが動き始める。
「ウチとルナは後ろのタクシーやな」
「うん。ユイちゃんも一緒ね」
「はーい!」
ユイが元気よく手を上げた。
リュウジはもう一度、今の建物を振り返った。
(……世話になったな)
短く心の中でだけ礼を言って、トラックの助手席側に回り込む。
「じゃ、乗るぞ」
タツヤが運転席に乗り込み、エンジンをかける。
低い振動音とともに、トラックがゆっくりと動き出した。
◇ ◇ ◇
トラックと数台の車が連なり、坂道を登っていく。
見慣れた街並みを抜け、少しずつ視界が開けていく高台。
冬の空は白っぽく、冷たい光を街に落としていた。
「ここ、昨日も来たもんな」
助手席でリュウジが呟くと、タツヤはハンドルを握りながら頷いた。
「だいぶ見晴らしがいいところだな。
夜は夜で、きっと綺麗だろ」
「だといいですけど」
「いい部屋、じゃないか。立地も悪くない。
……あいつらが安心できるなら、なおさら、な」
「あいつら?」
「ルナたちだよ」
タツヤは視線を前に向けたまま、少しだけ口元を緩めた。
「“あいつのところなら安心して預けられる”って思える場所に住んでくれたら、
それだけで、俺たちはだいぶ楽になるからね」
「預けるって言い方、やめてください」
「事実だろ?」
そんな会話をしているうちに、トラックは新居のアパートに到着した。
◇ ◇ ◇
トラックをアパートの前に停めると、後ろから来ていた車たちも、少し離れたスペースに止まっていく。
「着いたー!」
ユイが車から飛び出し、見上げるようにアパートを眺める。
「ここが、リュウジの新しい家?」
「ああ」
リュウジはトラックから降りて、アパートを見上げた。
淡いクリーム色の外壁、白い手すりのバルコニー。
昨日見たばかりの光景なのに、今日見るとすでに少し違って見える。
「いいところだね」
シャアラが素直に感嘆の声を上げた。
「日当たりも良さそうだし、風も気持ちいい」
「眺めもよさそうだな」
メノリが少し目を細める。
「ソリア学園からもそんなに離れてないし、通うのも便利そうだ」
「こう、帰ってきたときに“ほっとする感じ”があるな」
ベルがアパートをじっと見つめながら言う。
「騒がしすぎず、静かすぎずっていうかさ」
「ほら、ユイちゃん、あそこ。リュウジの部屋は二階の角だよ」
ルナが指さすと、ユイが「ほんとだ!」と目を輝かせた。
「いい部屋だな」
カオルが短く言った。
「玄関も広いし、荷物運びやすそうだ」
「うん。いい感じ」
シンゴも同意するように頷く。
「トラックの出し入れもしやすいし、車もすぐ横付けできるしな」
タツヤも全体を見回して、満足げな表情を浮かべた。
「……よし」
リュウジは、改めてアパートの入り口に目を向ける。
(ここが――これからの“帰る場所”になる)
胸の奥で、じわりと何かが広がる。
不安と期待が半分ずつ混ざったような感覚。
そこへ、ハワードが勢いよくくるりと振り返った。
「よし!」
両手を腰に当て、空に向かって声を張り上げる。
「今日はパーティだな!」
「おい、まだ荷物も上げてないだろ」
カオルが即座にツッコむ。
「細かいことは後回しだよ! 引っ越しといえばパーティ!
これ、文明社会の基本!」
「そんな基本、あったっけ……?」
ベルが若干呆れ顔になる。
「でも、ちょっとだけワクワクするよね」
シンゴが笑う。
「荷物運ぶのも楽しそうだし、終わったあとのご飯も楽しみだし!」
「それ分かるわ」
シャアラがくすっと笑った。
「せっかくみんなで集まってるんだもの。ただ運ぶだけじゃ、もったいないものね」
「ほらほら、パーティ言うても、その前にやることや」
チャコが前にぴょんと出る。
「荷物運ばんと、パーティする場所もないで!」
「それはそうだね」
ルナが笑って頷く。
「じゃあ、まずは荷物運び、頑張ろう。
そのあとで、ちゃんと“新居祝い”しようよ」
「賛成〜!」
ハワードが手を挙げ、シンゴも「賛成!」と続く。
「ユイも運ぶ!」
「ユイは軽い箱ね」
メノリが優しく言う。
「割れ物とかは、こっちで持つから」
「はーい!」
それぞれが荷台の前に並び始める。
大いなる木に家を建てたときみたいに、命がけで何かを運ぶわけじゃない。
でも、胸の中に湧く感覚は、あのときに少しだけ似ていた。
(ここから、また始めるんだな)
リュウジは、荷台のロープを解きながら、心の中でそう呟いた。
「よし。じゃあ――」
みんなの顔をぐるりと見渡し、リュウジは声を上げた。
「第二ラウンド、行くか」
「おーっ!」
元気な返事が、冬の空に吸い込まれていった。
ーーーー
冬特有の冷たさが空気の中に染みていて、
ショッピングモールのガラス扉を開けた瞬間、
温かい空気と人いきれ、そしてクリスマスソングがふわりと三人を包み込んだ。
明日は――12月24日、クリスマスイブ。
ハワードが突然、
「クリスマスは僕の家でパーティだ!!」
と大声で宣言したため、急遽みんなでプレゼント交換をすることになった。
その準備のため、ルナ・メノリ・シャアラの三人は
ソーラ・デッラ・ルーナのショッピングモールに来ていた。
だが、ルナは……
どこか、心ここにあらずという感じで、棚の前で小さな小物を手にしながらため息をつく。
「……どうしたの?ルナ」
シャアラがそっと肩に触れる。
「うん……? 何でもないよ」
笑顔を作って返すが、その声に覇気がない。
「元気出して、ルナ」
「リュウジが来れないのは残念だけど……気を落とすな」
メノリも優しく声をかける。
そう――
リュウジはクリスマスパーティの誘いを、こう言って断っていた。
「悪い。先約がある」
理由も言わず、それ以上話そうともしなかった。
(誰かと会う予定……?
男友達なら普通に言うはずだし……
女の人……? それとも……)
今日一日、ルナは落ち着かなかった。
心のどこかがずっとそわそわしていた。
「ありがとう、二人とも。私は大丈夫だよ」
今度は本当に微笑みをつくり、二人に向き直る。
「ほら、みんなのプレゼント、選んじゃいましょう!」
「うん!」
「そうだな」
メノリとシャアラは顔を見合わせて頷いた。
三人は雑貨屋やアクセサリー店を回り、
それぞれの友達の顔を思い浮かべながら、真剣に選び始める。
シャアラは可愛いハンドクリームのセット、
メノリはちょっと大人な革小物、
ルナはベルに似合うアクセサリーや、シンゴに喜ばれそうなイヤーマフを手に取りながら思案していた。
そんな中、ふとルナの視線が止まる。
「あ……」
「どうしたの?」
シャアラが振り向く。
「エリンさん……?」
少し先のコーナーで、
緑色のロングヘアを肩に落とした女性が冬物の洋服の前で悩んでいた。
間違いなく――エリンだった。
ルナは迷わず二人に声をかけ、三人でエリンへ近づく。
「エリンさん!」
声をかけると、エリンは驚いたように振り向き、目を丸くした。
「あら、ルナ?メノリにシャアラまで」
ルナは丁寧に頭を下げる。
「お買い物ですか? お邪魔してすみません」
「いいのよ。あなたたちこそ、こんなところで何してるの?」
ルナたちは視線を交わし――先にルナが答えた。
「明日、ハワードの家でクリスマスパーティーをするので……
そのプレゼントを買いに来ていました」
「あら、楽しそうじゃない」
エリンが柔らかく笑う。
「よかったら、いま少し時間ある?
喫茶店で温まらない?」
三人は顔を見合わせて頷き、そのままエリンに連れられて近くの喫茶店へと向かった。
◇ ◇ ◇
店内は暖房でぽかぽかしていて、
甘いココアやコーヒーの香りがふわりと漂っていた。
四人は窓際のテーブルへ腰を下ろし、
それぞれ飲み物を注文してから本題へ入った。
「で――」
エリンが紙袋をぽんと置いて言う。
「今日買っていたのはね、これ」
袋の中から出てきたのは、
色違いのマフラーが六本。
「クリスマスプレゼントよ」
「素敵ですね……」
シャアラが思わず見とれる。
ルナは、そんな可愛いマフラーを見つめながら――
エリンの優しさが胸に沁みた。
しばらくお喋りを楽しんだあと、
エリンがコーヒーを一口飲んで、ルナへ視線を向ける。
「ところで……ルナ、少し元気ないみたいだけど?」
「えっ」
シャアラとメノリが驚いてルナを見る。
エリンは優しい視線のまま、問いかける。
「どうしたの?」
ルナは一瞬迷ったが、嘘をつくのも嫌で、小さく息を吸った。
「明日……クリスマスパーティをするんです。
それでプレゼントを選んでいて……」
「ええ、聞いたわよ」
「でも……リュウジが来ないんです」
その言葉を口にすると、自分で驚くくらい、胸が痛んだ。
「ああ……」
エリンはすぐに表情を曇らせた。
「……ごめんなさい。私が謝ることじゃないんだけど」
「いえ、エリンさんが悪いわけじゃ……」
「ううん。実はね」
エリンは少し困ったように笑う。
「明日、ペルシアがパーティをやるって言い出してね。
偶然にも、ラスペランツァのメンバーの予定が空いてしまったの」
ルナは目を瞬かせる。
「え……?」
「ペルシア、サツキ、マリ、クリスタル……
みんな久しぶりに揃うから、『リュウジも呼べ』って話になってね」
エリンは申し訳なさそうに続けた。
「ごめんね、あなたたちのパーティを断ることになるんだもの」
「そんな……」
ルナは視線を落とす。
確かに、ラスペランツァの仲間の集まりなんて滅多にない。
それを邪魔するようなことはしたくなかった。
「でもね」
エリンはふっと口元を緩めた。
「こっちは早めに切り上げるから。
リュウジには“そっちのパーティに出るように”って、私から伝えておくわ」
「えっ……」
「リュウジがあっちに顔を出しても、すぐ終わるから。
それに、あなたたちのクリスマス……きっと大事でしょう?」
エリンはルナの目を見て、優しく微笑んだ。
胸の奥の重さが、少しずつほどけていく。
「……ありがとうございます、エリンさん」
「礼を言われるほどのことじゃないわよ。
ただ、仲間がみんな笑って過ごせるのが、一番だって思うだけ」
メノリとシャアラも同時ににっこり笑う。
「よかったね、ルナ」
「リュウジ、ちゃんと来てくれるよ」
「……うん」
ルナはカップを両手で包み込みながら、ほんの少しだけ目を潤ませた。
(よかった……
明日、一緒にいられる……)
喫茶店の窓の外には、ゆっくりと雪が降り始めていた。
白い雪が街を彩り、クリスマスイブ前日の街をさらに輝かせている。
ルナの胸の奥にも――
やわらかな光が、静かに灯っていた。