サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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お正月

 ソリア学園は冬休みに入り、街全体もどこか年末特有のゆったりした空気に包まれていた。

 外は冷たい風が吹いているが、家の中は暖房が効いていて静かだ。

 

 リビングでは、チャコがソファに寝転がり、年末恒例の特番をぼんやりと眺めている。

 画面の中では、派手な衣装のタレントたちが大げさなリアクションを取りながら笑っていた。

 

「今年もこの番組やっとるなぁ……」

 

 一方、ルナはテーブルに資料を広げ、タブレットに視線を落としていた。

 指先で画面をなぞりながら、気になった箇所にメモを打ち込んでいく。

 学園の課題、個人的に調べている事柄が混ざり合い、テーブルの上は少し散らかっている。

 

「……ここ、もう少し掘り下げた方がいいかしら」

 

 独り言を呟きつつ、タブレットに入力を続ける。

 冬休みとはいえ、ルナは完全に気を抜くタイプではない。

 

 そのとき――

 

 テレビから流れ始めたCMに、チャコがピクリと耳を立てた。

 

『この冬、ロカA1に誕生!

 家族も、友達も、恋人も――宇宙一の思い出を!』

 

 画面いっぱいに広がるのは、きらびやかなイルミネーションと巨大なテーマパーク。

 夜空を模したドームの下で、光の演出がきらめいている。

 

「あっ……」

 

 チャコは、その映像を見た瞬間、はっとした顔になった。

 

「なぁ、ルナ」

 

「なに?」

 

 ルナはタブレットから視線を上げずに答える。

 

「これ……ロカA1のテーマパークやんか」

 

「そうね」

 

 ルナもちらりとテレビを見る。

 

 チャコは、思い出したようにニヤリと笑った。

 

「プレゼント交換で、ここ行けるペアチケット当たっとったやろ。

 ルナ、いつ行くんや?」

 

「……あー……」

 

 ルナはタブレットの操作を止め、テレビに視線を移した。

 

「どうしようかしらね」

 

「せっかくの冬休みなんやし、行けばええがな」

 

 チャコは気楽な調子で言う。

 

「今の時期、夜はイルミネーションもやっとるみたいやで。

 昼もええけど、夜は特に綺麗らしいで」

 

「そうねぇ……」

 

 ルナは少し考える素振りを見せ、タブレットを閉じた。

 

 しばらく黙り込んだあと、ふと思いついたように顔を上げる。

 

「ねぇ、チャコ」

 

「なんや」

 

「……一緒に行かない?」

 

「は?」

 

 チャコは呆れたように目を細めた。

 

「なんでや」

 

「え、だって……」

 

「他に誘うやつがおるやろ」

 

 チャコはソファに肘をつき、ルナを見る。

 

「なんでウチやねん」

 

「だってぇ〜」

 

 ルナは少し甘えた声を出した。

 

「……なんか、その……」

 

「なに甘えとんねん」

 

 チャコは呆れた声を漏らす。

 

「聞いてみたんか?」

 

「……ううん」

 

 ルナは目を伏せ、少しだけ肩をすくめた。

 

「でも、冬休みに入ってから、連絡もないし……」

 

 その言葉に、チャコは一瞬だけ表情を変えた。

 

「リュウジ、携帯あんまり持ち歩かん言うとったしな」

 

 ラスペランツァのグループトークで、エリンがそんなことを言っていたのを思い出す。

 

「どこか出かけてるのかな……」

 

 ルナの声は、わずかに寂しさを含んでいた。

 

「どうやろなぁ」

 

 チャコはわざとらしく考え込むふりをしてから、ニヤッと笑う。

 

「案外、他所のコロニーに……コレがおるのかもしれんな」

 

 そう言って、小指を立ててみせる。

 

「……」

 

 ルナは一瞬、言葉を失い、視線を落とした。

 

「……そうなのかな」

 

 ぽつりと呟く声は、明らかに元気がない。

 

「冗談やがな」

 

 チャコはすぐに言い直した。

 

「そないな顔すんなや」

 

「……でも」

 

 ルナは顔を上げる。

 

「リュウジの周りって、綺麗な人が多いじゃない?

 エリンさんやペルシアさんとか……他にも」

 

「まぁなぁ」

 

 チャコは肩をすくめる。

 

「リュウジは顔もええし、S級パイロットで将来有望やし。

 モテるのは確かやろうな」

 

「……」

 

「せやから、早よぅ動いた方がええって、ウチ言うとるやろ」

 

「そうだけどさ〜……」

 

 ルナは困ったように声を伸ばした。

 

「あんまりモタモタしとると、ホンマに誰かに取られてまうで!」

 

 チャコはビシッと言い切る。

 

「嫌なら、ささっと誘ってくるんやな」

 

「……分かったわよ」

 

 ルナは観念したようにため息をつき、携帯端末を手に取った。

 画面を見つめ、一瞬だけ指を止めてから、通話ボタンを押す。

 

 呼び出し音が、静かな部屋に響く。

 

 ――数秒。

 ――十秒。

 

『ただいま、電話に出ることはできません。

 しばらく経ってからお掛け直しください』

 

 機械的な音声が流れ、通話は切れた。

 

「……」

 

 ルナは携帯を握ったまま、深くため息を溢した。

 

「ほらな」

 

 チャコは小さく首を振る。

 

「ウチの言うた通りやろ」

 

「……分かってる」

 

 ルナは携帯をテーブルに置き、両手で頬を押さえた。

 

「でも、なんだか……タイミングが分からなくて」

 

「そんなもん、考えすぎや」

 

 チャコはテレビの音量を少し下げる。

 

「行きたいなら行きたい。会いたいなら会いたい。

 それでええんや」

 

「……簡単に言うわね」

 

「簡単やで」

 

 チャコは、少しだけ真面目な顔で続けた。

 

「リュウジは、待たれとるの気づかんタイプや。

 せやから、ちゃんと声にせな、伝わらん」

 

「……」

 

「それに」

 

 チャコはニヤッと笑う。

 

「ルナが誘ったら、断るような男ちゃうやろ」

 

 ルナはその言葉に、少しだけ救われたような顔をした。

 

「……もう一回、後でかけてみる」

 

「せや。それでええ」

 

 チャコは満足そうに頷いた。

 

 テレビでは、さきほどのテーマパークのCMがもう一度流れ始めている。

 イルミネーションがきらめき、楽しそうな人々の笑顔が映し出される。

 

 ルナはその映像を見つめながら、胸の奥で小さく決意した。

 

(……ちゃんと、聞いてみよう)

 

 携帯を手に取り直し、画面を見つめる。

 まだ、呼び出し音は鳴らない。

 

 冬休みは、まだ始まったばかりだった。

 

ーーーー

 

 結局――

 リュウジから連絡がないまま、年は静かに越えていった。

 

 リビングの壁掛け時計が、カチ、カチ、と規則正しい音を刻む。

 その針が、ゆっくりと、しかし確実に、重なろうとしていた。

 

 テレビでは年越しライブが佳境を迎え、会場の熱気が画面越しにも伝わってくる。

 大勢の観客がカウントダウンの準備をし、ステージの照明が一層まぶしく輝いた。

 

「……もうすぐやな」

 

 チャコはソファに座り、足をぶらぶらさせながらテレビを見ている。

 ルナはその横に立ち、静かに時計へ視線を向けていた。

 

「十……九……」

 

 テレビから聞こえる声に合わせて、観客の歓声が膨らんでいく。

 

「三……二……一……!」

 

 零時。

 

 花火のような演出と共に、画面の中で一斉に歓声が弾けた。

 

「――あけましておめでとう!」

 

 スタジオの声と重なるように、ルナはチャコへ微笑みかけた。

 

「チャコ、あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」

 

「あけましておめでとさん。

 今年もよろしゅう頼むわ」

 

 チャコは気楽にそう返し、画面に向かって軽く手を振った。

 

「新年やなぁ……」

 

「そうね」

 

 ルナは頷きつつも、どこか上の空だった。

 心のどこかで、零時になれば、何かが変わるのではないかと――

 そんな淡い期待を、まだ捨てきれずにいた。

 

 けれど、携帯は沈黙したままだ。

 

(……やっぱり、何もないか)

 

 ルナは小さく息を吐いた。

 

「もう寝るわよ」

 

 ふっと気持ちを切り替えるように、ルナは言った。

 

「明日は八時半にシャアラの家に行くから。遅刻しないでよ」

 

「はいはい」

 

 チャコは返事をしつつ、テレビから目を離さない。

 

「ほな、おやすみ」

 

「おやすみ」

 

 ルナはリビングを後にし、寝室へ向かった。

 

 ――静かな部屋。

 

 ベッドに腰を下ろし、ゆっくりと横になる。

 天井を見上げると、さっきまでの賑やかさが嘘のように、静寂が広がっていた。

 

(新しい年、か……)

 

 胸の奥に、ぽつりと残る小さな寂しさ。

 冬休みに入ってから、リュウジの声を聞いていない。

 

(忙しいだけ、よね……)

 

 そう自分に言い聞かせながら、目を閉じかけた――その瞬間。

 

 ピロン。

 

 静かな部屋に、通知音が鳴り響いた。

 

「……?」

 

 こんな時間に誰だろう、と半ば反射的に思いながら、ルナは枕元の携帯に手を伸ばした。

 

 画面が点灯する。

 

 そこに表示された名前を見た瞬間――

 

「……え?」

 

 思わず、身体が跳ね上がった。

 

 通知バナーには、確かに、見慣れた名前が表示されていた。

 

【リュウジ】

《電話貰ってて悪かった。何かあったか?》

 

 一瞬、呼吸が止まる。

 

「……うそ……」

 

 胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 年が明けた、ほんの数分後。

 それでも、このタイミングで連絡が来たことが、嬉しくてたまらなかった。

 

(遅い時間だし……どうしよう)

 

 一瞬だけ迷う。

 

 けれど、その迷いは、すぐに消えた。

 

「……いいよね」

 

 ルナは深呼吸をひとつして、通話ボタンを押した。

 

 呼び出し音が鳴る。

 心臓の音が、それに重なる。

 

『……もしもし』

 

 聞き慣れた声が、少しだけ低く、少しだけ眠そうに響いた。

 

「リュウジ……?」

 

『ああ。起きてたか』

 

「う、うん……あの、遅い時間にごめんね」

 

『いや、俺が悪い。連絡、全然できてなかった』

 

 その言葉に、ルナの胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

「……忙しかったの?」

 

『まあな。色々と立て込んでて。

 携帯もあんまり見てなかった』

 

「そう……」

 

 やっぱり、そうだったのだと、少しだけ安心する。

 

『それで、何かあったのか?

 何回か着信入ってたから』

 

 ルナは一瞬、言葉を選んだ。

 

「えっと……」

 

 少し間を置いてから、告げる。

 

「明日、皆で初詣に行くの。

 シャアラの家に集合して、それから神社に」

 

『……初詣か』

 

「うん。それで……」

 

 ルナは、ぎゅっと携帯を握る。

 

「一緒に行かない?」

 

 一拍、沈黙。

 

 その一瞬が、やけに長く感じられた。

 

『……ああ』

 

 次に返ってきた声は、穏やかで、迷いのないものだった。

 

『行く』

 

「……ほんと?」

 

『ああ。ちょうど、明日は空いてる』

 

 胸の奥で、何かがふわっとほどけた。

 

「よかった……」

 

 思わず、そんな言葉が零れる。

 

『そんなに心配だったのか』

 

「……少しは、ね」

 

 ルナは素直に答えた。

 

『悪かった。

 ちゃんと連絡しとくべきだったな』

 

「ううん……」

 

 責めるつもりは、最初からなかった。

 

「……あけましておめでとう、リュウジ」

 

 一拍置いてから、ルナはそう言った。

 

『……ああ』

 

 電話の向こうで、リュウジが小さく息を吸う気配がした。

 

『あけましておめでとう、ルナ』

 

 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 

「今年も……よろしくね」

 

『ああ。こちらこそ』

 

 短い言葉。

 それでも、胸にすっと染み込んでくる。

 

「じゃあ、明日……じゃなくて、今日か」

 

『そうだな。

 朝、迎えに行く』

 

「え?」

 

『シャアラの家までだろ。

 寒いし、歩くのも大変だろ』

 

「……ありがとう」

 

 ルナは、思わず微笑んだ。

 

『じゃあ、あんまり夜更かしするなよ』

 

「リュウジこそ」

 

『ああ、気をつける』

 

 少し名残惜しさを感じながら、通話が切れる。

 

 携帯を胸に抱きしめ、ルナは天井を見上げた。

 

(……ちゃんと、伝わった)

 

 新しい年の始まりは、静かで、少し不安で――

 でも、確かに温かかった。

 

 明日。

 皆で行く初詣。

 その隣に、リュウジがいる。

 

 ルナは、そっと目を閉じた。

 

 胸の奥に、穏やかな期待を抱きながら。

 

ーーーー

 

 翌朝。

 ソリアの街は、年明けの空気をまといながら静かに目を覚ましつつあった。

 夜明け直後の冷たい空気が頬を刺すが、空は澄み切っていて、遠くの建物の輪郭までくっきりと見える。

 

 ルナの家の前に、リュウジは立っていた。

 コートのポケットに手を突っ込み、軽く肩をすくめる。

 

(……やっぱり寒いな)

 

 時間はまだ朝早い。

 だが、約束した以上、遅れるわけにはいかなかった。

 

 インターホンを押そうとした、そのとき。

 

「おっそ!」

 

 勢いよくドアが開き、チャコが顔を出した。

 

「いや、時間ぴったりだろ」

 

「迎えに来る言うたから、もっと早いんかと思っとったわ」

 

 チャコはケラケラ笑いながら、すでに厚手のマフラーを巻いている。

 

「ルナは?」

 

「今、靴履いとる」

 

 その言葉通り、ぱたぱたと足音がして、ルナが玄関に姿を現した。

 

「おはよう、リュウジ」

 

「おはよう」

 

 視線が合い、自然と互いに小さく微笑む。

 

 ルナは淡い色のコートに身を包み、首元にはマフラー。

 頬が少し赤いのは、寒さのせいか、それとも別の理由か。

 

「寒くないか?」

 

「大丈夫。ちゃんと着込んできたから」

 

 そう言いながらも、ルナは無意識にマフラーを少し引き寄せた。

 

「ほな、行こか」

 

 チャコが先に歩き出す。

 

 三人は並んで、シャアラの家へ向かう道を歩き始めた。

 

 朝の通りは、まだ人影が少ない。

 店先には正月飾りが残り、昨夜の賑わいが嘘のように静かだった。

 

「ほんまに来てくれるとは思わんかったわ」

 

 チャコが横目でリュウジを見る。

 

「なんや、約束したやろ」

 

「ルナ、だいぶ気にしとったんやで」

 

「……そうなのか」

 

 リュウジは一瞬、視線を前に向けたまま言った。

 

「まあな」

 

 ルナはその会話を聞いて、少しだけ居心地悪そうに咳払いをする。

 

「チャコ、余計なこと言わなくていいの」

 

「ええやんか。事実やし」

 

「もう……」

 

 ルナは少し拗ねたように顔を背ける。

 

 その様子を見て、リュウジは小さく息を吐いた。

 

「……悪かった」

 

「え?」

 

「連絡、遅くなって」

 

 その一言に、ルナは足を止めそうになり、慌てて歩調を合わせた。

 

「別に……責めてないわよ」

 

「でも、気にさせたのは事実だろ」

 

「……少しだけ、ね」

 

 ルナは正直に答えた。

 

 チャコは二人の様子を見て、にやにやしながら少し前を歩く。

 

「いやぁ、新年早々ええ雰囲気やなぁ」

 

「チャコ!」

 

「ほらほら、前見んとぶつかるで」

 

 そう言って、わざと距離を取る。

 

 自然と、ルナとリュウジは二人並ぶ形になった。

 

 冷たい風が吹き抜ける。

 その風に乗って、遠くから初詣に向かう人々の話し声がかすかに聞こえてきた。

 

「……初詣、久しぶりだな」

 

 リュウジがぽつりと呟く。

 

「そうなの?」

 

「ああ。任務とか、移動とかで、正月らしいことはあんまりしてなかった」

 

「そっか……」

 

 ルナは少し考えてから言った。

 

「でも今日は、皆で行くし。賑やかになりそうね」

 

「だな」

 

 しばらく沈黙が続く。

 

 だが、不思議と気まずさはなかった。

 むしろ、その静けさが心地よい。

 

 やがて、シャアラの家が見えてきた。

 門の前には、すでにベルとメノリの姿がある。

 

「お、来た来た」

 

 ベルが手を振る。

 

「おはよう」

 

 メノリも軽く会釈した。

 

「おはよう」

 

 ルナが挨拶し、リュウジも続く。

 

「遅くなってないか?」

 

「全然。今、集まったとこよ」

 

 シャアラの家の扉が開き、シャアラ本人が顔を出す。

 

「みんな、おはよう! 寒かったでしょ」

 

「おはよう」

 

 声を揃えて返事をする。

 

 こうして、全員が揃った。

 

 初詣に向かう前の、ほんの短い時間。

 けれど、その道中は、ルナにとって忘れられないものになりつつあった。

 

 冷たい空気の中で、隣を歩くリュウジの存在が、やけに近く感じられる。

 

(……今年は、きっと)

 

 ルナは、胸の奥でそっと思った。

 

(いい一年になる)

 

 そう確信しながら、彼女は一歩一歩、前へ進んでいった。

 

ーーーー

 

 神社の境内は、正月らしい賑わいに包まれていた。

 澄んだ冬の空気の中、参道には屋台がずらりと並び、甘い香りや香ばしい匂いがあちこちから漂ってくる。参拝客の話し声、鈴の音、子どもたちの笑い声が混ざり合い、どこか懐かしく、温かな雰囲気を作り出していた。

 

「なあなあ、おしるこ買おうぜ」

 

 いの一番にそう言い出したのは、案の定ハワードだった。

 屋台の方を見つめる目は、完全に釘付けになっている。

 

「ダメだ。お詣りしてからだ」

 

 即座にメノリがぴしりと言い切る。

 

「えぇ〜、冷えるし、先に食べたっていいじゃないか」

 

「順番を守れ」

 

「コロニーでもサヴァイヴでも、ほんま変わらへんやっちゃな」

 

 チャコがやれやれと肩をすくめる。

 

「見ていて飽きないな」

 

 その様子を横で見ていたカオルが、口元に小さな笑みを浮かべた。

 

「でもさ、確かにあの匂いはつられるよ」

 

 シンゴはそう言ってお腹をさすり、少し恥ずかしそうに笑う。

 

「あとで皆で買おう」

 

 ベルが穏やかにまとめると、ハワードはしぶしぶ頷いた。

 

「……約束だからな!」

 

「はいはい」

 

 そうして一行は、参拝の列に並んだ。

 ゆっくりと列が進む中、境内の奥にある本殿が少しずつ近づいてくる。

 

 冷たい空気に吐く息が白くなり、ルナはコートの前をきゅっと押さえた。

 隣にはリュウジが立っている。肩が触れそうなほど近い距離だったが、不思議と緊張よりも安心感の方が勝っていた。

 

(こうして皆で並ぶのも、久しぶりね)

 

 サヴァイヴの頃、何かを待つ時間はいつも緊張と不安がつきまとっていた。

 けれど今は違う。

 穏やかで、当たり前のような日常が、こんなにも尊いのだと実感する。

 

 やがて順番が回ってきた。

 

 皆それぞれ、ICカードを取り出して賽銭箱にかざす。

 電子音が小さく鳴り、賽銭が納められる。

 

 手を合わせ、目を閉じる。

 

(今年も、皆が無事でいられますように)

 

 ルナはそう願った。

 それ以上の願いは、胸の奥にそっとしまい込む。

 

 お詣りを終えると、自然とグループはばらけていった。

 

「俺たちはおみくじに行く」

 

 リュウジが言い、カオル、メノリ、チャコがついていく。

 

「おしるこ! 今度こそ!」

 

 ベル、シンゴ、ハワードは屋台の方へ。

 

「私たちはお守りね」

 

 ルナはシャアラと並んで社務所へ向かった。

 

 ――おみくじ売り場。

 

 筒を振り、番号札を引き換えて紙を受け取る。

 

「……」

 

 リュウジは自分のおみくじを開き、しばし沈黙した。

 

 その様子を見て、チャコが覗き込み――次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。

 

「ちょ、ちょっと待てや! 大凶て!」

 

「……は?」

 

 リュウジが眉をひそめる。

 

「大凶って、リュウジ……新年早々、持っとるなぁ!」

 

「まあ、リュウジらしいな」

 

 メノリは吹き出しそうになるのを必死で堪えながら言った。

 

「気にするな。おみくじはおみくじだ」

 

 カオルも肩を叩いて慰める。

 

「お前らはどうなんだよ」

 

 不服そうにリュウジが言うと、三人はそれぞれ自分のおみくじを広げた。

 

「……大吉」

 

「……大吉だな」

 

「ウチもや」

 

 見事に全員、大吉。

 

「なんでだよ……」

 

 リュウジは天を仰ぎ、深いため息をついた。

 

「バランス取れてるってことやろ」

 

 チャコはまだ笑いながら言う。

 

「誰かが大凶引かんと、話にならんやん」

 

「話にするな」

 

 そんなやり取りをしながら、四人はおみくじを結び所に結んだ。

 

 一方――社務所。

 

 色とりどりのお守りが整然と並んでいる。

 

「どれにする?」

 

 シャアラが尋ねる。

 

「そうね……」

 

 ルナは自分用のお守りを一つ選び、手に取った。

 それから、もう一度棚に目を向ける。

 

「……?」

 

「ゆっくり見てていいわよ」

 

 シャアラは微笑んで、一歩下がった。

 

 ルナは、もう一つのお守りを選ぼうとしていた。

 

(リュウジには……どれがいいかな)

 

 健康祈願、厄除け、交通安全、必勝祈願。

 どれも彼に必要なものばかりで、なかなか決められない。

 

(無事でいてほしい……それが一番)

 

 そう思い、ルナは「無病息災」と書かれたお守りをそっと手に取った。

 シンプルで、派手さはない。

 でも、それが一番、彼らしい気がした。

 

「決まった?」

 

 シャアラが声をかける。

 

「……うん」

 

 ルナは小さく頷いた。

 

 その頃、屋台では――

 

「うまっ! あったまる〜!」

 

 ハワードが両手で椀を抱え、大げさに感動している。

 

「食べる前から騒ぎすぎだよ」

 

 ベルが苦笑する。

 

「でも、確かに美味しいね」

 

 シンゴもほっとした表情だ。

 

 こうして、それぞれの時間を過ごしながら、初詣はゆっくりと進んでいく。

 

 やがて、全員が再び合流した。

 

「ほら、約束通り買ってきたぞ!」

 

 ハワードが嬉しそうに言い、皆におしるこを配る。

 

「いただきます」

 

 湯気の立つ椀を手に、皆で並んで食べる。

 

「……やっぱり、こういうのはいいな」

 

 リュウジがぽつりと呟いた。

 

「そうね」

 

 ルナは頷きながら、そっと彼の横顔を見つめた。

 

 新しい年の始まり。

 小さな出来事の一つ一つが、確かに心に刻まれていく。

 

 大凶のおみくじも、甘いおしるこも、選んだお守りも――

 きっといつか、笑って思い出す日が来る。

 

 そんな予感を胸に、ルナは静かに微笑んでいた。

 

ーーーー

 

 参道の賑わいは、まだ衰える気配がなかった。

 初詣を終えた人の波が屋台の列へ流れ込み、湯気と香ばしい匂いが冬の空気に混ざって漂う。甘酒、焼きそば、たこ焼き、串焼き――どれも誘惑が強すぎて、見ているだけで腹の底がむずむずする。

 

「リュウジ、イカ焼き食べようぜ!」

 

 ハワードが目を輝かせ、屋台の方へ顎をしゃくった。

 もうそろそろ帰る時間だというのに、彼の胃袋だけはまだ正月モード全開らしい。

 

「……まだ食うのか」

 

 リュウジは呆れ顔で息を吐く。

 

「だってよ、正月だぞ? 屋台だぞ? イカ焼きだぞ?」

 

「理屈になってない」

 

 そこへ、シャアラがコートの襟元を押さえながら口を挟んだ。

 

「もう帰るわよ」

 

 言い方は柔らかいが、譲らない響きがある。

 一月一日。家族と過ごす予定がある者も多いし、帰宅してゆっくりする人もいるだろう。

 

「私はお母さんたちとお雑煮食べるって約束してるの」

 

「俺も家の手伝いがある」

 

 ベルが穏やかに言い、シンゴも頷いた。

 

「僕も……親がちょっとね。正月ぐらいは顔出さないと」

 

 カオルも軽く肩をすくめる。

 

「俺は昼から予定あるしな」

 

「皆、忙しいのね」

 

 ルナは苦笑しながら、皆の様子を見回した。

 

 それでもハワードだけは、まったく引く気がない。

 

「僕はまだいるよ! 今日は一日、空いてるし!」

 

「お前……」

 

 リュウジは額を押さえた。

 

「ほんと、自由だな」

 

「自由こそ正義!」

 

 ハワードは胸を張って言い切った。

 

 その声に、ルナは思わず吹き出しそうになる。

 サヴァイヴの頃、あの何もない惑星で“自由”なんて言葉は、別の意味を持っていた。

 だが今のハワードの自由は、確かに眩しい。

 

 リュウジはしばらく考え込むように黙り、最後にため息混じりに呟いた。

 

「……分かった。付き合ってやる」

 

「よっしゃ!」

 

 ハワードが両手を上げて喜ぶ。

 

「リュウジ、最高!」

 

「うるさい」

 

 そこへ、メノリが静かな声で続けた。

 

「私も付き合おう」

 

「メノリも?」

 

 ルナが驚くと、メノリは涼しい顔のまま頷く。

 

「その代わり、二人には買い物に付き合ってもらうぞ」

 

 言い切る口調は、提案というより命令に近い。

 

「……買い物」

 

 ハワードが嫌な予感の顔をする。

 

「正月の買い物って、あれか?」

 

「福袋とか、必要なものとか」

 

 メノリはさらりと言う。

 

 その言葉に、ルナの目がきらりと輝いた。

 

「それいいわね。じゃあ私も残ろうかな。福袋、買いたいし」

 

「えっ、ルナも?」

 

 シャアラが驚き、ルナはにこっと微笑んだ。

 

「だって正月だもの。少しぐらい楽しんでもいいでしょ?」

 

「ルナ……」

 

 シャアラは一瞬迷ったような顔をしたが、すぐに優しく笑った。

 

「分かった。でも無理しないでね。寒いし」

 

「うん。ありがとう」

 

 そして、チャコはあくびを噛み殺しながら手を振った。

 

「ウチは帰るで。観たい特番もあるしな」

 

「チャコ、寝正月する気満々だろ」

 

「ええやんか。正月はダラダラする日や」

 

「それ誰が決めたんだよ」

 

「ウチが今決めた」

 

 チャコはケロッと言い、ひらひらと手を振った。

 

「ほなな、ルナ。変なもん買わされるなよ」

 

「買わされるって何よ」

 

 ルナは頬を膨らませたが、チャコはもう振り返らずに去っていく。

 

 こうして、初詣の境内に残ったのは――

 ハワード、リュウジ、メノリ、ルナの四人。

 そして、帰路についたのは、シャアラ、カオル、ベル、チャコ、シンゴだった。

 

◇ ◇ ◇

 

「よし! まずはイカ焼き!」

 

 ハワードが先導して屋台の列へ突撃する。

 

「お前、さっきから食うことしか考えてないだろ」

 

「当たり前だろ。屋台は戦場なんだ!」

 

「戦場って……」

 

 リュウジが呆れた声を漏らすと、ルナが小さく笑った。

 

「でも、なんか楽しいわね」

 

「だろ?」

 

 ハワードは満足そうに頷いた。

 

「こういうの、サヴァイヴのときは無理だったからな」

 

「……確かに」

 

 リュウジの声が少しだけ柔らかくなる。

 

 列に並び、焼き台の前で店主が豪快にイカを焼くのを眺める。

 醤油の香ばしい匂いが鼻腔を刺激し、ルナの胃がきゅっと鳴った。

 

「はいよ、イカ焼き二つ!」

 

 手渡された紙皿を、ハワードとリュウジが受け取る。

 

「いただきます!」

 

 ハワードは一口かじり、目を輝かせた。

 

「うっま……! これだよ、正月は!」

 

「……悪くない」

 

 リュウジも一口かじり、思わず頷いた。

 

「だろ? だから言ったんだ」

 

「偉そうに言うな」

 

 そのやり取りを見ながら、ルナは笑いを堪えきれず、くすくすと肩を揺らした。

 

◇ ◇ ◇

 

 続いて、メノリの提案で焼き餅の屋台へ移動する。

 

「焼き餅も食べたい」

 

 メノリが言うと、ハワードは即座に賛同した。

 

「いいね! もち最高!」

 

 店主が焼き網の上で餅を返し、ぷくっと膨らんだ表面に焦げ目がついていく。

 醤油を塗られた瞬間、香りがさらに立ち上った。

 

「はい、焼き餅四つね」

 

 紙に包まれた餅を受け取り、それぞれ手に持つ。

 

 ハワードはすぐに自分の餅を見比べ始めた。

 

「……ん?」

 

 そして、メノリの方を覗き込む。

 

「メノリの方が大きいな」

 

 言った瞬間、メノリの目が細くなる。

 

「どれも同じだ」

 

「いや、絶対違うって。ほら、見てみろよ」

 

「見なくても分かる。焼き餅の大きさに差があるわけがない」

 

「でもさ、ほんのちょっと……」

 

 ハワードはなおも食い下がる。

 

 ルナは二人のやり取りを見て、吹き出しそうになった。

 

「ハワードって、ほんと……」

 

「食べ物のことになると子どもみたいだろ」

 

 リュウジが小声で言い、ルナは頷いた。

 

 ハワードは最後に、悪びれもせず言った。

 

「じゃあ、交換してもいいか?」

 

 メノリは一瞬だけ呆れたように目を伏せ、次にふっと口元を緩めた。

 

「お好きなように」

 

 クスッと笑みを浮かべる。

 

「よっしゃ!」

 

 ハワードは嬉しそうに餅を交換し、さっそくかじりついた。

 

「うまい! やっぱ正月は餅だな!」

 

「味は変わらないのに……」

 

 ルナが呆れ半分に笑うと、リュウジも小さく肩を揺らした。

 

 屋台の湯気と人の熱気に包まれながら、四人はゆっくりと参道を歩く。

 帰る組がいなくなった分、少しだけ静かになった空気が、かえって心地よかった。

 

「さて」

 

 メノリが手袋越しに餅を持ちながら言う。

 

「食べ物はこれでいいだろう。次は買い物だ」

 

「うわ、来た……」

 

 ハワードが嫌そうに顔をしかめる。

 

「大丈夫よ、ハワード。福袋って楽しいものなんだから」

 

 ルナが笑って言うと、ハワードは不満げに唸った。

 

「……リュウジ、助けて」

 

「俺に振るな」

 

 リュウジはため息をつきつつも、どこか楽しそうに目を細めた。

 

 こうして――

 初詣の“その後”は、まだまだ続きそうだった。

 

ーーーー

 

 初詣の境内を後にして、四人はそのままソーラ・デッラ・ルーナのショッピングモールへ移動した。

 正月の空は澄んでいたが、モールの入口をくぐった瞬間、外気とはまるで別世界の熱気が押し寄せてくる。

 

 ――ざわざわ、わいわい、がやがや。

 

 年始のセールと福袋目当ての人波が、床を埋め尽くすようにうねっていた。

 上から吊られた横断幕には大きく「HAPPY NEW YEAR SALE」の文字。

 あちこちで福袋の列ができ、スタッフの呼び込みが響き、子どもたちが走り回り、紙袋が擦れる音が空間を満たしている。

 

「……うわ」

 

 ハワードが思わず声を漏らした。

 

「人、多いな……」

 

 リュウジも珍しく言葉が少なく、周囲を見回している。

 

「正月って、ここまで集まるもんなんだな」

 

「甘く見てたよ」

 

 ハワードが肩をすくめる。

 

 その横で、メノリは一切ひるむ様子がなかった。

 むしろ、目が真剣になっている。

 

「さて、やるか!」

 

 拳を軽く握りしめるように気合いを入れる。

 

「そうね!」

 

 ルナも、同じように前を見据えた。

 さっきまでの初詣の穏やかさとは打って変わって、今のルナは“買い物モード”に切り替わっている。

 

「ちょっと待て」

 

 ハワードが思わず言う。

 

「何をそんな戦場みたいに……」

 

「戦場だ」

 

 メノリが即答した。

 

「福袋とセールの棚は、取った者勝ちだからな」

 

「そうそう」

 

 ルナも頷く。

 

「欲しいサイズが無くなるの、あっという間だから」

 

「……怖い」

 

 ハワードがぼそりと呟く。

 

 その言葉を聞き流すように、メノリとルナはそそくさと洋服売り場の方向へ歩き出した。

 その後ろを、ハワードとリュウジが渋々ついていく。

 

 ――そして、気づけば。

 

「……俺たちは、荷物持ちだよな」

 

 リュウジがぽつりと言う。

 

「そうだな。完全に」

 

 ハワードも同意した。

 

「まあ、言い出したのメノリだし」

 

「断れなかったの俺達だ」

 

 ため息をつきながらも、二人とも歩調は合わせている。

 

◇ ◇ ◇

 

 洋服売り場は、モールの中でも特に人が密集していた。

 ラックはずらりと並び、福袋の山が入り口付近に積み上げられ、試着室の前にはすでに列ができている。

 

「まずはここだな」

 

 メノリが迷いなく一つのブランドコーナーへ向かった。

 

「これ、去年から気になってたのよね」

 

 ルナも目を輝かせる。

 

 二人はさっそくコートやニットのラックを見始め、手触りを確かめ、タグをめくり、サイズ表記を確認していく。

 

「これ、メノリに似合いそう」

 

「そうか? 色が少し派手ではないか」

 

「そんなことない。メノリって意外とこういうのも合うと思う」

 

「……なら、試してみるか」

 

 メノリが一着を手に取ると、ルナもすぐに別の候補を抱える。

 

「じゃあ私はこっちのカーディガンも見てみようかな」

 

 その動きが早い。迷いがない。

 

 その横で、リュウジとハワードは――

 

「……で、俺たちは何をすればいいんだ」

 

「とりあえず、荷物持てってことだろ」

 

 言っているそばから、ルナが振り返った。

 

「リュウジ、これ持ってて」

 

「はいはい」

 

 差し出されたコートを受け取る。

 

 次にメノリが無言で紙袋を押し付ける。

 

「持て」

 

「命令かよ」

 

「当然だ」

 

 リュウジが肩をすくめた瞬間、今度はハワードにも荷物が回ってきた。

 

「ハワード、これお願い」

 

「えっ、僕?」

 

「うん。軽いから大丈夫でしょ」

 

「……軽いのは最初だけだよな、これ」

 

 ハワードは早くも嫌な予感を漂わせた。

 

◇ ◇ ◇

 

 メノリは試着室へ向かい、ルナはその間に別のラックを探る。

 

「これ、安くなってる!」

 

 ルナの声が弾む。

 

「ほんとだ、三割引き」

 

 メノリは試着室から顔を出して確認し、頷いた。

 

「それなら買ってもいいな」

 

 そう言って再びカーテンの奥へ消える。

 

 リュウジは荷物を抱えたまま、試着室の前で立ち尽くす。

 

(……何やってんだ俺)

 

 だが、隣を見ると、ハワードも同じように紙袋を抱えていた。

 

「なあ、リュウジ」

 

「なんだ」

 

「僕ら、サヴァイヴで木材運んだり鉄板運んだりしたよな」

 

「ああ」

 

「それに比べれば、紙袋は軽い……はずだよな」

 

「……そう思いたい」

 

 二人は真顔で頷き合う。

 

 その時、試着室のカーテンが開いた。

 

 メノリがコートを羽織って出てくる。

 いつもはきりっとした雰囲気の彼女だが、鏡の前に立つと表情が少しだけ柔らかくなる。

 

「どうだ?」

 

 ルナが一歩近づき、ぐるっとメノリを見回した。

 

「うん、すごくいい。形が綺麗。メノリにぴったり」

 

「……そうか」

 

 メノリは照れたように目を逸らし、袖口を整える。

 

 リュウジはその様子を見て、思わず口を開いた。

 

「似合ってると思うぞ」

 

「……意外だな。リュウジがそういうこと言うのか」

 

 メノリが少し驚いた顔をする。

 

「言わないと、いつまで経っても終わらないからな」

 

「なるほど」

 

 ルナが笑う。

 

 ハワードは腕の荷物を持ち替えながら言った。

 

「僕も似合ってると思う! だから早く決めよう! 荷物が増える前に!」

 

「それは本音だろ」

 

 リュウジが突っ込むと、ハワードは即答する。

 

「当たり前だ!」

 

◇ ◇ ◇

 

 その後も二人の買い物は続いた。

 

 ルナは福袋コーナーに目を輝かせ、メノリは必要なものを冷静に選ぶ。

 

「これ、福袋の中身が見えるタイプだ」

 

「罠じゃないのか?」

 

 リュウジが警戒すると、ルナが首を振る。

 

「罠じゃないわよ。こういうのは良心的なの」

 

「良心的でも、結局買うんだろ?」

 

「もちろん!」

 

 ルナの即答に、ハワードが笑った。

 

「ルナ、そういう時だけ迷いないよな!」

 

「当たり前でしょ」

 

 ルナは楽しそうだ。

 買い物袋を抱えるリュウジを見上げて、ふっと笑う。

 

「……リュウジ、重くない?」

 

「まだ大丈夫だ」

 

 そう言いながら、リュウジは紙袋の数を確認する。

 

(まだ……というのが怖い)

 

 ハワードも同じことを考えていたのか、目を泳がせた。

 

「メノリ、そろそろ終わりにしないか?」

 

「まだ始まったばかりだ」

 

「嘘だろ」

 

「嘘じゃない」

 

 メノリはきっぱり言い切る。

 

 ルナも負けじと続けた。

 

「次は靴下とか小物も見たいし」

 

「増える一方じゃないか!」

 

 ハワードは悲鳴に近い声を上げる。

 

「覚悟しろ」

 

 リュウジが淡々と言うと、ハワードは肩を落とした。

 

「僕、なんでイカ焼きって言っちゃったんだろ……」

 

「全部そこからだな」

 

「うう……」

 

 だが、二人が文句を言いながらも付き合っているのは、結局――

 メノリとルナが本当に楽しそうだからだ。

 

 ルナは福袋を手に取って目を輝かせ、メノリは必要なものを選びながらも、時折ふっと笑う。

 そんな二人の姿は、サヴァイヴの過酷な日々とは別世界で――

 それでも、あの時一緒に生き抜いた仲間だからこそ、こういう時間が胸にしみた。

 

(こういうのも、悪くない)

 

 リュウジは紙袋を抱え直し、ルナの後ろ姿を見つめる。

 

 ルナは気づかないまま、次の売り場へ向かって走り出しそうな勢いだった。

 

「ルナ、走るな」

 

「走らないわよ!」

 

 言い返す声は明るい。

 

 ハワードはその光景を見て、ふっと笑った。

 

「……なんかさ」

 

「ん?」

 

「こういう普通の正月って、いいな」

 

「……ああ」

 

 リュウジも短く頷く。

 

 その横で、メノリが振り返り、当然のように告げた。

 

「次は福袋の列に並ぶぞ。二人とも、荷物を落とすなよ」

 

「はいはい……」

 

「了解……」

 

 二人は諦め半分に返事をしつつ、

 それでも、どこか笑いをこらえながら、再び歩き出した。

 

ーーーー

 

 買い物を終えた頃には、ショッピングモールの吹き抜けに差し込む光がすっかり斜めになっていた。

 夕暮れの色はガラス越しに淡く広がり、年始のざわめきも少しずつ落ち着いていく。館内放送は閉店時間を告げ、福袋の山もほとんど姿を消していた。

 

 そして――

 ハワードとリュウジの腕には、紙袋が山ほどぶら下がっていた。

 

「……重い」

 

 ハワードが腕をぷるぷる震わせる。

 

「当たり前だ」

 

 リュウジは淡々と返しつつも、腕にかかった袋の数をさりげなく持ち替えた。自分の分より、明らかにハワードの方が多い。だが、その文句を言う前に――

 

「たくさん買ったわね」

 

 ルナが呆れ半分、楽しさ半分の笑みを浮かべる。

 

「いい買い物だった」

 

 メノリも満足そうに頷いた。

 その顔は、初詣のときよりずっと柔らかい。必要なものを揃えられた安心と、正月らしい高揚が混じっているのだろう。

 

「ハワード、家まで頼むぞ」

 

 メノリが当然のように言う。

 

「分かってるよ!」

 

 ハワードは渋々答えた。

 その返事だけで、彼の腕が限界に近いことが分かる。だが、メノリは容赦がない。

 

 モールを出ると、外の空気はきゅっと冷えていた。

 吐く息が白い。上着の隙間から入り込む風が、ほんの少し頬を刺す。

 

 分かれ道が近づく。

 メノリとハワードの家は同じ方向らしく、そのまま二人は連れ立って歩き出した。

 

「ちょっとは持てよ」

 

 ハワードが紙袋の山を揺らしながら言う。

 

 メノリは涼しい顔で言い返す。

 

「レディファーストだ」

 

「レディファーストって、僕が言うセリフだろ!?」

 

「知らないな」

 

「冷たい!」

 

 ハワードの悲鳴に、メノリはほんの少し口元を緩めた。

 それが余計に悔しいらしく、ハワードはぶつぶつ文句を言いながらも、歩調を合わせていく。

 

 その背中を見送りながら、ルナは思わずクスッと笑った。

 

「あの二人は変わらないな」

 

「確かにな」

 

 リュウジも同意するように頷く。

 

 ルナは視線を二人の背中から戻して、リュウジの横顔を見上げた。

 

「でも、エアタクシーを使わないところは、ハワードも成長しているんじゃないかしら」

 

 その言葉に、リュウジがふっと笑う。

 

「確かに。前だったら、真っ先に呼んでる」

 

「でしょ?」

 

 ルナも笑い、肩をすくめた。

 

 こうして、二人も帰路についた。

 夕暮れの街並みは、どこか新年らしい飾りが残り、通り過ぎる人々も大きな袋を抱えている。正月の空気はまだ温かく、寒さの中でも不思議と心が軽かった。

 

 リュウジの腕にも紙袋がいくつも下がっている。

 それを見てルナが心配そうに眉を下げる。

 

「荷物、重くない? 少し持つわよ?」

 

「いい」

 

 リュウジは首を横に振った。

 

「大丈夫だ」

 

「でも……」

 

「平気だ」

 

 短い言葉だが、妙に頼もしい。

 

 ルナはそれ以上言わず、歩きながら手袋越しに自分の指を握りしめた。

 ――今なら、聞けるかもしれない。

 そう思うと、胸が少しだけどきどきした。

 

「あのさ」

 

 ルナは恐る恐る切り出す。

 

「リュウジ、明日とか明後日とか……何してる?」

 

 言い終わってから、しまったと思うほど緊張が走る。

 断られたらどうしよう。変に思われたらどうしよう。

 そんな不安が一瞬で頭を埋める。

 

 けれど、リュウジはあっさりと答えた。

 

「特に予定はないな」

 

「え……」

 

「引っ越したばかりだし。大掃除も必要ない」

 

 去年までの慌ただしさが嘘みたいに淡々とした口調だった。

 

「そ、そっか……」

 

 ルナは胸の奥で、ほっとするのを感じた。

 そこで勢いを借りるように、言葉を続ける。

 

「じゃあさ」

 

 ルナは少しだけ声を小さくして、でも逃げないように前を見て言う。

 

「良かったら、明日……ロカA1にできたテーマパークに行かない?」

 

 一瞬の沈黙。

 ルナの心臓が、また跳ね上がる。

 

「テーマパーク?」

 

 リュウジが少しだけ眉を上げる。

 

 そして、思い出したように「ああ」と呟いた。

 

「あれか。プレゼント交換の……ペアチケット」

 

「そう、それ!」

 

 ルナは頷きながら、少し照れたように笑った。

 

 リュウジは一度、ルナの顔を見てから、軽く肩をすくめる。

 

「別に構わないが……いいのか?」

 

「もちろん!」

 

 ルナは間髪入れずに答えた。

 

 そして、言ってしまってから頬が熱くなる。

 けれどもう止められない。

 

「リュウジと行きたかったもの!」

 

 言い切った瞬間、ルナは自分の言葉の破壊力に気づいて、少しだけ目を泳がせた。

 でも、リュウジは笑わない。からかったりもしない。

 

「……そうか」

 

 リュウジは、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「なら、一緒に行こう」

 

「……うん!」

 

 ルナの声が弾む。

 

「楽しみだなぁ……!」

 

 言葉にした途端、胸の奥がふわっと軽くなった。

 明日という日が、急に眩しく感じられる。

 

 そうして歩いているうちに、ルナの家が見えてきた。

 玄関前でリュウジは立ち止まり、持っている荷物を静かに置いた。

 

「……ここでいいのか?」

 

「ええ、ありがとう」

 

 ルナは微笑んだ。

 

 リュウジは少しだけ頷き、短く言う。

 

「じゃあな」

 

「うん。……また明日ね」

 

 ルナがそう返すと、リュウジはほんの一瞬だけ視線をルナに留め、何か言いかけるように口を開いたが――結局、何も言わずに踵を返した。

 

 その背中を見送りながら、ルナは玄関のドアを閉める。

 胸がじんわり温かい。

 

◇ ◇ ◇

 

 部屋に戻ると、チャコがソファに寝転がったまま、テレビの特番を見ていた。

 画面では派手な演出が続き、笑い声が響いている。

 

「ぎょうさん買うてきたな」

 

 チャコは振り向きもせずに言う。

 

「ええ」

 

 ルナは満面の笑みを浮かべた。

 

「すごくいい買い物だったの」

 

「そらよかったな」

 

 チャコはあくび混じりに返す。

 

 ルナは荷物を片付けようとして、ふとポケットの中にある小さな紙袋の感触に気づいた。

 指先でそっと触れる。

 

(……あ)

 

 それは、初詣のときに選んだお守りだった。

 無病息災。

 リュウジに渡すつもりで、ずっと大事にポケットに入れていたもの。

 

 ――結局、今日渡せなかった。

 

 ルナは小さく笑う。

 

「……また今度でもいいよね」

 

 そう呟きながら、お守りの入った紙袋をそっと胸元に引き寄せた。

 明日、テーマパークに行く。

 そのときに渡せばいい。きっと。

 

 ルナの頬が、また少しだけ熱くなる。

 

 テレビの笑い声を背に、ルナは静かに息を吐いた。

 

 新しい年の始まりは、まだ始まったばかり。

 明日が待ち遠しくて、心がふわふわと落ち着かない。

 それでも――その落ち着かなささえ、今は嬉しかった。

 

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