サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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テーマパーク

 翌朝――。

 

 ルナはいつもより少しだけ早く目が覚めた。

 冬の朝の空気は冷たいはずなのに、胸の中が妙に温かくて、布団の中でじっとしていられない。

 

(……テーマパーク)

 

 昨日の帰り道、勢いで誘って、リュウジが「一緒に行こう」と言ってくれた。

 その言葉が、まだ耳の奥に残っている。

 

 ルナは身支度を整え、鏡の前でマフラーの位置を何度も直した。

 首元には三日月のネックレス。

 いつもなら適当に済ませてしまうのに、今日はどうしても、少しだけでも可愛く見えたかった。

 

 玄関でコートを羽織り、ポケットの中の小さな紙袋を確かめる。

 無病息災のお守り。

 昨日渡しそびれた、リュウジへの贈り物。

 

(今日は……渡せるかな)

 

 そう思うと、また頬が熱くなった。

 

 インターホンが鳴ったのは、約束の時間ぴったりだった。

 

「……来た」

 

 ルナは深呼吸してからドアを開ける。

 

 そこに立っていたのはリュウジ。

 冬用のコートを着ていて、いつもより少しだけ“休日”らしい雰囲気がある。

 とはいえ、表情は相変わらず落ち着いていて、目だけが少し柔らかい。

 

「おはよう」

 

「おはよう、ルナ」

 

 視線が合う。

 それだけで、心臓が小さく跳ねた。

 

「寒くないか」

 

「大丈夫。今日はいっぱい歩くし」

 

「そうだな」

 

 短い会話なのに、嬉しい。

 ルナは自分の頬が緩むのを止められなかった。

 

「じゃあ行くか」

 

「うん!」

 

◇ ◇ ◇

 

 二人は徒歩で最寄り駅へ向かった。

 正月が過ぎたとはいえ、まだ冬休みの時期。

 駅前には家族連れや若いグループが多く、楽しげな声が飛び交っている。

 

 改札を抜けると、ホームにはすでに人の列ができていた。

 テーマパーク方面の路線は、特に混んでいるらしい。

 

「……みんな、同じ目的地だな」

 

 リュウジが周りを見回しながら言う。

 

「そうね。ロカA1のテーマパーク、今すごく話題だし」

 

 ルナは頷き、ポスターを指差した。

 ホームの壁にも、派手な広告が貼られている。

 “夜のイルミネーション”“限定ショー”“冬だけの特別演出”――

 そんな文字が目に飛び込んでくる。

 

 電車が滑り込んでくると、ドアの前はさらにぎゅっと詰まった。

 

「……ルナ」

 

 リュウジが低い声で呼ぶ。

 

「え?」

 

「人、多い。押されるぞ」

 

「う、うん」

 

 ルナが返事をする間もなく、背中から波のように人が押し寄せた。

 ルナは一瞬、体勢を崩しそうになった。

 

 その時、リュウジの手が、自然にルナの肩を支える。

 

「……大丈夫か」

 

「うん。ありがとう」

 

 ルナは少しだけ目を見開いた。

 支えられた肩の感触が、マフラー越しでも分かるほど近い。

 

(近い……)

 

 それだけで胸が熱くなる。

 

 車内は想像以上に混んでいた。

 吊革も空いていない。

 二人はドア付近に立つしかなかった。

 

「ごめんね。混んでるね」

 

「まあ、予想はしてた」

 

 リュウジは落ち着いた声で答える。

 

 だが、ルナは気づいていた。

 リュウジは人混みが得意じゃない。

 こういう場所では、いつもより表情が硬くなる。

 

 ルナはふと、あることを思い出す。

 サヴァイヴの惑星では、人混みなんてなかった。

 あのときの“密度”は、仲間同士の距離だった。

 

 今は知らない人たちに囲まれていて、それが少しだけ怖い。

 けれど、隣にはリュウジがいる。

 

(大丈夫)

 

 ルナはそう自分に言い聞かせる。

 

 電車が揺れた。

 

 その瞬間、また人の波が動き、ルナの身体が横にずれた。

 ルナは思わず、リュウジの腕に触れてしまう。

 

「……っ」

 

 恥ずかしくて、すぐに離そうとした。

 

 だが、リュウジは動じず、むしろルナが倒れないように身体を少しだけ前に出した。

 

「危ない」

 

 低い声が、すぐ耳元で聞こえた。

 

「ご、ごめん……」

 

「謝るな」

 

 その言葉が、妙に優しく聞こえる。

 

 ルナは顔が熱くなるのを感じ、視線を落とした。

 

 車内アナウンスが次の駅を告げる。

 窓の外にはコロニー内の街並みが流れ、徐々に大きな施設や案内看板が増えていく。

 

『次は、ロカA1テーマパーク前――』

 

 そのアナウンスが聞こえた途端、車内がさらにざわめいた。

 

「着くね」

 

 ルナが小声で言うと、リュウジが頷く。

 

「降りるぞ。離れるな」

 

「うん」

 

 その言葉が、嬉しい。

 “離れるな”なんて、まるで――

 いや、変に考えたらだめだ。

 

 電車が停車し、ドアが開いた瞬間、乗客が一斉に動いた。

 二人は人の流れに押されるようにしてホームへ降り立つ。

 

 ホームも混雑している。

 案内スタッフが誘導し、柵の向こうにはテーマパークの入口が見えた。

 

「うわ……すごい」

 

 ルナは思わず声を漏らした。

 

 巨大なゲートには、冬仕様の装飾。

 星や月のモチーフが輝き、入場口の上には大きなスクリーンで宣伝映像が流れている。

 音楽が鳴り、笑い声が響き、遠くからアトラクションの歓声が聞こえてきた。

 

「混んでるな」

 

 リュウジが短く言う。

 

「でも、ワクワクする!」

 

 ルナは目を輝かせた。

 

 人波に押されながらも、ルナは自然とリュウジの袖を掴んでいた。

 すぐに気づいて、慌てて手を離そうとしたが――

 

「……そのままでいい」

 

 リュウジがぽつりと言った。

 

「え?」

 

 ルナが顔を上げると、リュウジは前を見たまま続ける。

 

「迷ったら困る」

 

「……うん」

 

 ルナは小さく頷き、もう一度、そっと袖を掴んだ。

 胸の奥が、きゅっと鳴る。

 

 二人は入場ゲートへ並び、チケットを提示する。

 係員が笑顔で案内し、ゲートが開く。

 

 中へ一歩踏み込んだ瞬間、世界が変わった。

 

 眩しい光。

 色とりどりの装飾。

 大きな広場に響く音楽。

 どこからでも漂う甘い匂い。

 そして――人、人、人。

 

「こんなに……」

 

 ルナは圧倒されつつも笑う。

 

「人気なんだな」

 

 リュウジが呟いた。

 

 ルナは隣を見上げる。

 

「ね、リュウジ。今日は――」

 

 ここで言おうか。

 お守りを渡そうか。

 そう思った瞬間、遠くから大きなパレードの音が聞こえた。

 

 人々が一斉にそちらへ視線を向け、広場の空気がさらに熱を帯びる。

 

「……まずは、あれ見よう」

 

 ルナは自然と笑顔になり、リュウジの袖を引いた。

 

「ああ」

 

 短い返事。でも、その声が優しい。

 

 二人は人の流れに紛れながら、パークの中心へ歩き出す。

 まだ始まったばかり。

 でもルナは確信していた。

 

(今日、絶対に楽しい)

 

 混雑も、寒さも、全部ひっくるめて。

 隣にリュウジがいるだけで、世界が少しだけ眩しく見えるのだから。

 

ーーーー

 

 パークの中心広場は、パレードの始まりと同時に一気に熱を帯びた。

 音楽が鳴り響き、光の装飾をまとったフロートがゆっくりと進んでくる。星や月のモチーフがきらめき、ダンサーたちが鮮やかな衣装でステップを踏むたび、観客の歓声が波のように広がった。

 

 ルナとリュウジは、柵の近く――少しだけ人の密度が薄い場所を見つけて並んでいた。

 それでも肩が触れそうな距離になる。周りの人波に押されないよう、自然と立つ位置が近くなってしまうのだ。

 

 巨大なフロートの上で、光の粒子が舞うように散り、スクリーンには星空が映し出された。

 まるで夜空そのものが、地上に降りてきたみたいだった。

 

「……きれい」

 

 ルナが小さく息を吐いた。

 

 その時、ルナの視線がふっと遠くを見るように揺れた。

 眩しい光の演出が、一瞬だけ別の光景を重ねたのだろう。

 

「ねぇ」

 

 ルナは小声で呟く。

 

「サヴァイヴの時の……星歌の儀みたいだね」

 

 リュウジは一瞬だけ目を細め、次に口元をわずかに緩めた。

 

「……そうだな」

 

 その微笑みは、パレードの光に照らされてもなお、静かで、温かい。

 ルナは胸の奥がくすぐったくなった。

 

 星歌の儀。

 あの惑星で、星を仰ぎ、祈りを捧げた夜。

 怖さも不安も混ざった時間だったのに、今思い出すと不思議と胸が温かくなる。

 

 パレードがクライマックスを迎えると、観客の拍手が一段と大きくなった。

 光の輪が広場に描かれ、最後に大きな星の形が浮かび上がる。

 

「すごいな」

 

 リュウジが珍しく素直に言った。

 

「でしょ?」

 

 ルナは笑って頷いた。

 

 そして、ふと気づく。

 リュウジが“楽しい”と口に出すことは少ない。

 なのに、今の一言は、確かにそういう意味を含んでいた。

 

(嬉しい……)

 

 ルナは小さく胸の奥で呟く。

 

◇ ◇ ◇

 

「次、ジェットコースター行こう!」

 

 パレードが終わると、ルナの気分は一気に弾んだ。

 リュウジの袖を軽く引く。

 

「混んでるぞ」

 

 リュウジが言うが、その声に拒否の色はない。

 

「待つのも楽しいよ」

 

 ルナが笑うと、リュウジは仕方ないとでも言うように肩をすくめた。

 

 ジェットコースターの列は長く、二人は柵の間を蛇行しながら少しずつ進む。

 周囲からは「怖い!」とか「楽しみ!」とか、様々な声が聞こえてくる。

 

「こういうのって……久しぶりだな」

 

 ルナがふっと言った。

 

「遊園地なんて、最後に来たのいつだったか」

 

「俺は初めてだ」

 

 リュウジは短く答え、前方で猛スピードで駆け抜ける車体を見上げる。

 

 ぐわん、と大きな音を立てて一回転。

 乗っている人たちの悲鳴と笑い声が交差して、空気が震える。

 

「ルナ、大丈夫か?」

 

 リュウジが何気なく尋ねる。

 

「大丈夫。リュウジこそ、苦手じゃない?」

 

「苦手じゃない」

 

「即答だね」

 

 ルナはくすっと笑った。

 

 やがて順番が回ってくる。

 二人は同じ列に座り、安全バーが降りる。

 係員が確認し、ライトが点灯して――

 

 出発。

 

 最初はゆっくり上昇していく。

 カタン、カタン、と規則的な音。

 高くなるにつれて、パーク全体が見下ろせるようになり、遠くのドーム天井の光がきらめいた。

 

「おお……!」

 

 周囲の乗客が声を上げる。

 

 頂上に到達した瞬間、ほんの一瞬、無音になる。

 そして――

 

 急降下。

 

 胃がふわっと浮く感覚。

 風が頬を切り、視界が一気に流れる。

 ぐるん、と一回転するたび、周囲の悲鳴が渦を巻く。

 

 だが、ルナの口から出たのは悲鳴ではなく、短い笑いだった。

 

「わっ……!」

 

 目は驚きで大きく開いたが、恐怖で固まる様子はない。

 隣のリュウジも同じだった。

 眉一つ動かさず、むしろ落ち着きすぎている。

 

 数分後。

 車体が減速し、駅に戻ってくる。

 

 安全バーが上がり、二人は降りた。

 

「……終わり?」

 

 ルナが思わず呟く。

 

「終わりだな」

 

 リュウジも同意する。

 

 周囲の人たちは「怖かったー!」と笑い合っているのに、二人だけ妙に冷静だった。

 

「なんだろう」

 

 ルナは首を傾げる。

 

「物足りないというか……安心感が違うのかな」

 

 リュウジは小さく息を吐いた。

 

「まぁ、サヴァイヴで生死をかけて生き抜いてきたんだ。

 ジェットコースターぐらいじゃ、怖くないだろ」

 

「……確かに」

 

 ルナは苦笑し、でもどこか誇らしさも感じる。

 あの時の自分たちを思い出すと、今の“物足りなさ”さえ少し愛おしい。

 

◇ ◇ ◇

 

「次はこれ!」

 

 ルナが案内板を指差した。

 “3D恐竜ワールド・シミュレーション”

 巨大なゲートには恐竜の骨格模型が飾られ、入口からして迫力がある。

 

「恐竜……?」

 

 リュウジが眉を上げる。

 

「面白そうじゃない」

 

「まあ、いい」

 

 二人は列に並び、暗い通路を進んでいく。

 やがて案内スタッフに誘導され、シアターのような空間へ入った。

 

 座席はただの椅子ではなく、機械仕掛けで動くらしい。

 安全ベルトを締めるよう指示があり、二人も従う。

 

 照明が落ち、画面が点灯する。

 

 ――ジャングル。

 

 濃い緑の葉が揺れ、湿った風が吹きつける演出がリアルに頬をなでる。

 足元がぐらりと揺れ、まるで本当に車両に乗って森を進んでいるような感覚になる。

 

「すごい……」

 

 ルナが息を呑む。

 

 突然、茂みの向こうから巨大な影が現れた。

 恐竜だ。

 大きな口を開き、咆哮を上げる。

 

 その音に合わせて座席が震え、風が強く吹きつける。

 周囲からは悲鳴も上がった。

 

 だが――

 

 ルナは恐怖で固まる代わりに、リュウジの方へ身を寄せた。

 そして、耳元に小さく囁く。

 

「……大トカゲの方が怖かったわね」

 

 それはサヴァイヴで遭遇した、あの巨大な爬虫類を指していた。

 映像とは違う、本物の恐怖。

 命がかかっていた状況。

 

 リュウジは、画面を見つめたまま小さく笑った。

 

「ああ。所詮は映像だからな」

 

 ルナはその返事に、思わず肩の力が抜けた。

 恐竜の咆哮よりも、リュウジの落ち着いた声の方がずっと心に響く。

 

 シミュレーションはさらに激しくなり、恐竜たちが追いかけてくる。

 座席が大きく揺れ、転倒する演出でぐっと傾く。

 

 周囲の人たちは叫ぶ。

 だが、ルナは叫ばなかった。

 ただ、リュウジの袖をぎゅっと掴んでいた。

 

 リュウジはそれに気づき、何も言わずに、さりげなくルナの方へ身体を寄せる。

 人混みの電車のときと同じ、自然な支え方だった。

 

(……安心する)

 

 恐竜の映像の中で、ルナの心は妙に落ち着いていた。

 隣にいるのがリュウジだから。

 それだけで、どんな演出も怖くなくなる。

 

 やがて映像が終わり、照明がゆっくりと戻る。

 観客たちは「すごかった……!」と口々に言い合い、興奮した様子で出口へ向かっていく。

 

 ルナはベルトを外しながら、リュウジに小さく笑いかけた。

 

「次は何にする?」

 

 リュウジは少し考えるように周囲を見回し、答えた。

 

「……まずは、何か食うか」

 

「それ、いい!」

 

 ルナはぱっと笑顔になる。

 

 こうして二人の“テーマパークの日”は、まだまだ続いていく。

 サヴァイヴで生き抜いた二人だからこそ感じる、特別な安心感。

 それが、休日の何気ない時間を、いつもより少し眩しくしていた。

 

ーーーー

 

 テーマパークの喧騒から少し外れた場所に、休憩スペースがあった。

 屋根付きのテラス席で、冬の冷たい空気を避けられるように透明な風よけが設置されている。けれど完全に閉じているわけではなく、外の匂いやパークの音がほどよく流れ込んでくる。遠くで聞こえるアトラクションの歓声、パレードの音楽の残響、甘い匂い――それらが混ざって、妙に“休日”を実感させた。

 

 ルナとリュウジは、フードコートのカウンターでハンバーガーのセットを二つ注文し、出来上がりを待つために外のテーブルに腰を下ろしていた。

 

 ルナは手袋を外し、両手をこすり合わせて息を吐く。

 

「少し冷えるね」

 

「外だからな」

 

 リュウジは短く答え、周囲を一応見回した。

 人は多いが、ここは座って休む人が多いぶん、先ほどのアトラクション付近よりは落ち着いている。

 

 ルナは、さっき受け取ったレシートを見てから、小さく微笑む。

 

「ありがとう。ご馳走様」

 

 ルナは照れたように笑った。

 

 リュウジは一瞬だけ目を瞬かせ、すぐにいつもの調子で言う。

 

「気にするな」

 

 その短い言葉が、妙に胸に落ちる。

 “気にするな”という言い方はぶっきらぼうなのに、そこには当たり前のような優しさが混ざっている。

 

(こういうところ、好きだな)

 

 ルナは心の中でそっと呟き、頬の熱をごまかすようにマフラーを少し引き上げた。

 

 テーブルの上には、呼び出しベルが置いてある。

 金属の小さな四角い機械が、静かに光を待っている。

 

 しばらくして――

 

 ピカピカ、とランプが点滅し、振動と共にベルが鳴った。

 

「鳴った」

 

 ルナが立ち上がる。

 

「取ってくる」

 

「俺が――」

 

 リュウジが言いかけたが、ルナは首を振る。

 

「大丈夫。すぐだし、座ってて」

 

「……分かった」

 

 ルナはベルを手に取り、受け取り口へ向かった。

 人混みの中を縫うように歩く。パークのフードコートは正午を過ぎても混雑が途切れず、トレーを持った人たちが行き交っている。

 

 受け取り口で番号を伝えると、スタッフが笑顔でセットを手渡してくれた。

 ルナは慎重にトレーにハンバーガーとポテト、飲み物を載せる。紙袋の匂いがふわっと立ち上がり、急にお腹が空いていることを思い出した。

 

(早く戻ろう)

 

 ルナはトレーを落とさないよう、ゆっくりと歩いてテーブルへ戻っていく。

 

 ――その途中。

 

 視界の先で、妙な人だかりができているのが見えた。

 

(……え?)

 

 そこは、さっきまでリュウジが座っていたテーブルの周り。

 しかも、集まっているのはほとんどが女性だった。

 

 ルナの歩みが、一瞬だけ止まりそうになる。

 

 近づくにつれて、声がはっきり聞こえてきた。

 

「本物なの? リュウジさん?」

 

「え、S級パイロットの?」

 

「ねえ、連絡先交換してくれない?」

 

「彼女いるんですか?」

 

 質問が矢継ぎ早だ。

 皆が興奮した顔をして、リュウジを囲んでいる。

 

 リュウジは、困ったような――それでも角の立たないような作り笑いを浮かべて、曖昧に相槌を打っていた。

 

「……すみません。今は――」

 

 声は穏やかだが、明らかに“逃げたい”空気が混ざっている。

 それでも、相手を突き放すようなことは言わない。

 ルナは、そんなリュウジを見て、胸の奥がちくりとした。

 

(……やっぱり、モテるんだ)

 

 分かっていた。

 チャコにも散々言われた。

 リュウジの周りには綺麗な人が多いし、S級パイロットという肩書きは強い。顔だって整っている。話題性もある。

 

 でも、実際にこうして目の前で囲まれているのを見ると、頭で理解していたものが急に現実の重さを持つ。

 

(どうしよう……)

 

 ルナはトレーを持ったまま、近づくべきか迷った。

 

 けれど、次の瞬間――

 

 リュウジの視線がルナを捉えた。

 

 その目が、ほんのわずかに“助けて”と言っているように見えた。

 

(……!)

 

 ルナは心臓を跳ねさせながらも、足を止めずにそのままテーブルへ向かう。

 トレーが揺れないよう、ぎゅっと力を入れて歩いた。

 

 リュウジが、囲んでいる女性たちに向けて、少しだけ声のトーンを変えた。

 

「今日は、一緒に来てますので」

 

 その言葉ははっきりしていた。

 曖昧な逃げではなく、きっぱりと線を引く響き。

 

 女性陣の空気が一瞬で変わる。

 

「……え」

 

「一緒にって……」

 

「彼女持ちなの?」

 

 ざわ、と小さな失望と驚きが混ざった声が広がり、次の瞬間には――

 

「そっか……」

 

「ごめんなさい」

 

「邪魔しちゃったね」

 

 チリチリ、と散るように人だかりがほどけていった。

 まるで火花が消えるみたいに、一瞬で。

 

 ルナはテーブルにトレーを置き、ようやく息を吐いた。

 

 リュウジは大きくため息をつき、ルナを見て言った。

 

「……ナイスタイミングだ」

 

「良かったの?」

 

 ルナは椅子に腰を下ろしながら尋ねた。

 “今日は一緒に来てます”という言葉が、まだ耳に残っている。

 その意味を考えると、心臓が勝手に忙しくなる。

 

 リュウジは何でもないように飲み物に口をつけ、喉を潤してから答えた。

 

「ああ。別に構わないだろう」

 

 さらりとした言い方。

 けれど、その言葉がルナには嬉しかった。

 

「それに……」

 

 リュウジはカップを置き、少しだけ眉を寄せる。

 

「ああいうのは困る」

 

「ふふっ」

 

 ルナは思わず微笑んだ。

 リュウジが困っているのが、ちょっとだけ可笑しい。

 でも、同時に、頼られたみたいで嬉しくもあった。

 

「でもね」

 

 ルナはポテトを一本つまんで、口に運ぶ。

 

「子どもには、ちゃんと対応してあげて」

 

「……子ども?」

 

「うん。さっきも、小さい子がリュウジのこと見てたよ。憧れなんだと思う」

 

 リュウジは少しだけ視線を外し、ポテトを一本つまんで口に入れた。

 

「ああ……」

 

 短い返事。

 けれど、拒否ではない。

 

「子どもには、ちゃんとする」

 

 言葉の端に、柔らかさが混じっていた。

 

 ルナはその返事に、胸の奥が温かくなる。

 

(そういうところ、ほんとに……)

 

 ルナはハンバーガーの包み紙を開き、手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

 リュウジも同じように包み紙を開く。

 

 一口かじると、肉汁とソースの香りが広がり、思わず頬が緩む。

 ポテトの塩気と甘い炭酸が合って、テーマパークの休憩にぴったりだった。

 

 ルナは食べながら、さっきの出来事を思い返す。

 女性たちが散っていった瞬間、胸がちくりとしたのは確かだ。

 でも、それ以上に――

 

(“一緒に来てます”って言ってくれた)

 

 その言葉が、ずっと心の中で温かく揺れていた。

 

 ルナは飲み物を一口飲み、視線をそっとリュウジへ向ける。

 

 リュウジは何事もなかったようにハンバーガーを食べている。

 けれど、時々、ルナの方をちらりと確認するように見る。

 

 その視線が、さっきより少しだけ優しい気がして――

 ルナはまた、小さく笑った。

 

ーーーー

 

 ハンバーガーを食べ終えると、ルナは紙ナプキンで口元を拭きながら、ふうっと満足そうに息を吐いた。

 リュウジはトレーを片付ける場所を確認し、黙って立ち上がる。ルナもそれに続き、二人でごみを分別して戻ってくる。――ただそれだけなのに、並んで歩く時間が妙に嬉しかった。

 

「次、何乗る?」

 

 ルナが地図を広げると、リュウジは肩越しに覗き込んだ。

 

「混んでる。待ち時間短いところから行くか」

 

「うん、それがいいね」

 

 午後のパークはさらに人が増えていた。ファミリーも、若いグループも、冬休みの勢いをそのまま持ち込んでいるみたいだ。

 二人は待ち時間の短いアトラクションを選んで、あちこち回った。

 

 まずは、宇宙船型のライド。座席が左右に揺れながら、光のトンネルをくぐっていくタイプで、最後に急旋回する。

 乗る前は「楽しそう」と思ったのに、いざ乗るとルナは思わず笑ってしまった。

 

 揺れに合わせて、体がふわりと浮く瞬間――サヴァイヴで乗ったオリオン号の中、波で船体が跳ねた時の感覚が一瞬だけ蘇ったからだ。

 

「っ、今の……!」

 

 降りた途端、ルナが言葉を詰まらせると、リュウジも同じ顔をしていた。

 

「ああ。似てたな」

 

「似てたよね。思い出した……」

 

 ルナは小さく笑ってしまう。怖いというより、懐かしさに近い笑いだった。

 

「でも、こっちは安全だ」

 

 リュウジが短く言う。

 

「うん。……分かってるのに、体が反応しちゃうんだよね」

 

 ルナが肩をすくめると、リュウジもほんの少し口元を緩めた。

 

 次に乗ったのは、急流すべりのアトラクションだった。ボートに乗って水路を下る。最後に大きく落ちるポイントがある、定番のやつ。

 列に並ぶ間、周囲の人たちは「濡れるかな」「キャーって叫ぶ準備できてる?」なんて楽しそうに話していた。

 

「ルナ、濡れるぞ」

 

「分かってる。……でも、着替えはない」

 

「じゃあ前列はやめとけ」

 

「うん、真ん中で」

 

 リュウジが自然に席を選んでくれる。そういうところが、妙に安心する。

 

 スタートしてしばらくは、ゆったりとした景色の中を進んだ。

 だが、水しぶきが細かく顔に当たった瞬間、ルナはまた別の記憶に引っ張られる。

 

 雨の中、オリオン号に合図を送るため、南の丘に歩いた日。

 

「……ふふ」

 

 ルナが思わず笑ってしまうと、隣のリュウジが横目で見た。

 

「何笑ってる」

 

「今ね、雨の時のこと思い出した」

 

 ルナが言うと、リュウジも「ああ」と小さく頷く。

 

「俺も。水しぶきで」

 

「でしょ?」

 

 最後の急落下ポイント。

 周囲が悲鳴を上げる中、ルナとリュウジは――叫びはしたけれど、それは恐怖の悲鳴ではなく、勢いで出た声だった。落下の後、ずぶ濡れ……とまではいかないが、ルナの前髪が少しだけ濡れた。

 

「ほら、濡れた」

 

「う、うるさい」

 

 ルナは手で髪を押さえながら笑う。

 リュウジもタオルを差し出すわけでもなく、ただ「拭け」と顎で示すだけなのに、それがやけに優しく感じてしまう。

 

 その後も、ホラー系の館に入った。

 暗い通路を進み、突然出てくる演出に悲鳴が上がる、よくあるタイプだ。ルナは怖いのが苦手だったはずなのに、途中から別の意味でおかしくなってしまった。

 

 角を曲がった瞬間、飛び出してきたのは“巨大な影の怪物”――という設定のはずが、着ぐるみの動きがどこかぎこちない。

 

「……あれ、転びそう」

 

 ルナが小声で言うと、リュウジも同じタイミングで呟いた。

 

「中の人、必死だな」

 

「言っちゃダメだよ!」

 

 二人は声を殺して笑った。

 暗闇の中で笑いを堪えるのは、サヴァイヴの夜の見張りの時みたいで、余計に可笑しかった。

 

「静かにしてください!」

 

 スタッフの声が飛ぶ。

 二人は同時に口元を押さえ、目だけで「ごめん」と言い合う。

 それでも肩が震えるのは止まらなかった。

 

 アトラクションを降りるたび、同じことが起こる。

 刺激や演出に反応するより先に、サヴァイヴの記憶がひょいと顔を出してしまうのだ。

 危険だったはずの思い出なのに、今はもう笑って話せる。それが不思議で、でも嬉しかった。

 

「私たち、なんか変だね」

 

 ルナが言うと、リュウジは首をかしげた。

 

「変か?」

 

「うん。普通はもっと、怖いとか、すごいとか、そういう感想になるのに……」

 

「俺たちの“普通”が、ちょっとズレてるだけだ」

 

「……それ、ひどい言い方」

 

 ルナは頬を膨らませる。

 

「事実だろ」

 

「もう」

 

 ルナがわざとらしく睨むと、リュウジは視線を逸らしつつも、口元がほんの少し笑っている。

 その小さな変化を見つけるたび、ルナは胸がくすぐったくなった。

 

◇ ◇ ◇

 

 夕方になると、空がゆっくりと色を変え始めた。

 パークのあちこちに灯りがともり、街灯の光が道を柔らかく照らす。

 そして、夜の目玉――イルミネーションの点灯が始まった。

 

 広場の中心にある巨大なツリー。

 星のモチーフがいくつも重なり、光の粒が降るみたいにきらきら揺れる。

 周囲の建物の縁取りも、光のラインが走り、道の上には光のアーチがかかっていた。

 

「……わあ」

 

 ルナは思わず足を止める。

 

「きれい」

 

 リュウジも同じ方向を見て、小さく息を吐いた。

 

「派手だな」

 

「派手だけど、嫌じゃないでしょ?」

 

「まあな」

 

 ルナはツリーの光を見上げながら、そっとポケットの中の小さな紙袋に触れた。

 無病息災のお守り。

 今日、渡すと決めていたのに、アトラクションに夢中になってタイミングを逃していた。

 

(……今?)

 

 でも、この光景の中で渡すのは、少し気恥ずかしい。

 ルナは胸の鼓動を落ち着かせるように、ゆっくり息を吐いた。

 

 イルミネーションの道は混んでいた。

 写真を撮る人、手をつないで歩くカップル、子どもを抱えた親。

 人の波が途切れず、ルナは何度か肩をぶつけそうになった。

 

「ルナ」

 

 リュウジが低い声で呼ぶ。

 

「人、多い。……こっち」

 

 そう言って、リュウジはさりげなくルナの進路を守るように位置を変えた。

 真正面から来る人を避けるように一歩前へ出て、ルナがぶつからないようにする。

 直接触れてはいないのに、“守られてる”感じがして、ルナは頬が熱くなる。

 

「ありがとう」

 

「別に」

 

 いつもの調子。

 でも、その“別に”が、今日は少しだけ優しい。

 

「ねえ、あそこ」

 

 ルナが指差した先に、ゲームセンターの看板が光っていた。

 イルミネーションの合間にある屋内施設で、休憩代わりに入る人が多いらしい。

 

「ちょっと休憩しない?」

 

「いい。寒いしな」

 

 リュウジの返事は早かった。

 どうやら彼も少し冷えていたらしい。

 

◇ ◇ ◇

 

 ゲームセンターの中は、外の寒さが嘘みたいに暖かかった。

 電子音とBGMが混ざり合い、クレーンゲームの景品が眩しい照明に照らされている。

 子どもたちが歓声を上げ、コインの落ちる音がリズムのように響く。

 

「久しぶり、こういうとこ」

 

 ルナが辺りを見回す。

 

「俺は……ほとんど来たことない」

 

「えっ、そうなの?」

 

「必要ないからな」

 

「必要とかそういう問題じゃないと思う」

 

 ルナが笑うと、リュウジは肩をすくめた。

 

 二人はクレーンゲームの列へ向かった。

 イルミネーション仕様の限定景品らしく、星や月のぬいぐるみが並んでいる。

 中でもルナの目を引いたのは、白いクマのぬいぐるみだった。首に小さな星型のチャームが付いている。

 

「かわいい……これ欲しい」

 

 ルナが言うと、リュウジは筐体を眺めた。

 

「取れるのか?」

 

「……挑戦してみる!」

 

 ルナはコインを入れ、アームを動かす。

 狙いを定め、ボタンを押す。

 

 ウィーン……ガシッ。

 

「……あっ」

 

 アームはぬいぐるみを掴んだが、持ち上げた瞬間にすべって落ちた。

 惜しい。少し位置が動いただけだった。

 

「うそ、今の結構いけたのに」

 

「力が弱いんだろ」

 

「そんなこと言わないで!」

 

 ルナはもう一回挑戦する。

 でも、二回目も三回目も、あと少しのところで落ちる。

 

「……悔しい」

 

 ルナが唇を尖らせると、リュウジがぽつりと言った。

 

「貸せ」

 

「え?」

 

「やる」

 

 リュウジがコインを入れ、操作レバーに手を置く。

 その手元が妙に慣れているように見えて、ルナは目を瞬かせた。

 

「来たことないって言ってたのに」

 

「来たことないだけだ」

 

「なにそれ」

 

 リュウジは無言で狙いを定める。

 アームが降り、ぬいぐるみを掴む。

 そして――持ち上がる。

 

「おっ」

 

 ルナが声を上げた瞬間、ぬいぐるみはまた落ちた。

 だが、今度は落ち方が違う。景品口の近くへ転がった。

 

「……今の、すごい」

 

「次でいける」

 

「えっ、次?」

 

 リュウジはもう一回コインを入れる。

 

「待って、私もやる!」

 

 ルナが慌てて言うと、リュウジは一瞬止まって、ルナを見た。

 

「じゃあ、最後だけな」

 

「最後?」

 

「最後」

 

 ルナは頷き、真剣な顔でレバーを握った。

 狙いは――さっきリュウジが動かした位置。

 アームが降りる。

 

 ガシッ。

 

 持ち上がる。

 ぬいぐるみが揺れる。

 落ちそう――!

 

「……お願い!」

 

 ルナが思わず祈るように呟いた、その瞬間。

 

 コトン、と景品が出口へ落ちた。

 

「……!」

 

 一瞬、信じられなくて、ルナは固まった。

 次に、ぱっと顔を輝かせる。

 

「取れた!!」

 

 ルナが飛び跳ねると、周囲の子どもがつられて笑った。

 ルナは恥ずかしくなって口を押さえたが、嬉しさが勝ってしまう。

 

 景品口からクマを取り出し、ぎゅっと抱きしめる。

 ふわふわの感触が腕に伝わって、ますます顔が緩む。

 

「やったぁ……!」

 

「よかったな」

 

 リュウジの声は相変わらず淡々としている。

 でも、口元がほんの少し上がっていた。

 

「リュウジのおかげだよ。位置、動かしてくれたから」

 

「俺が取ったんじゃない。お前が最後押した」

 

「でも、リュウジがいなかったら絶対取れなかった」

 

 ルナはクマを胸に抱えたまま、少しだけ照れくさそうに笑った。

 

 リュウジは視線を逸らして、短く言う。

 

「……そうか」

 

 その返事が、妙に優しく聞こえて、ルナの心臓がまた跳ねた。

 

 イルミネーションの光が、ゲームセンターのガラス越しにちらちら映る。

 外はきらきらで、内側は電子音と暖かさ。

 その中間みたいな場所で、ルナはふと思った。

 

(今、すごく楽しい)

 

 サヴァイヴで生き抜いた日々があったからこそ、こういう“普通”の楽しさが胸にしみる。

 そして、その楽しさを一緒に感じられる相手がリュウジであることが――ルナには何より嬉しかった。

 

「ねえ、もう一個やっていい?」

 

「……次は、別のやつにしろ」

 

「えー、ケチ」

 

「ケチじゃない。財布が危ない」

 

 ルナが笑うと、リュウジも小さく息を吐いて、諦めたように言った。

 

「一回だけだ」

 

「やった!」

 

 ルナはまた別の筐体へ向かう。

 リュウジはその後ろを、ゆっくりついていく。

 

 夜はまだ続く。

 イルミネーションは、きっともっと綺麗になる。

 そしてルナは――ポケットの小さな紙袋の存在を、もう一度だけ確かめた。

 

(渡すなら……今日)

 

 胸が少しだけ熱くなる。

 でも、焦らなくていい。

 今はただ、この時間を大事にしたかった。

 

ーーーー

 

 ゲームセンターを出ると、外の空気が頬をひんやり撫でた。

 けれど寒さより先に、目の前に広がった光景が二人の息を奪う。

 

 夜のイルミネーション――それはただの飾りつけではなく、テーマパーク全体を別世界に変えてしまう“演出”だった。

 

 道の両脇に連なる光のアーチは、まるで星屑のトンネルみたいにきらめき、足元には光の波が流れる。

 建物の縁取りには細い光のラインが走り、遠くのツリーは巨大な星の塔のようにそびえている。

 色と光が溶け合い、現実と夢の境目が曖昧になる――独創的で、少しだけ浮遊感のある世界。

 

「……すごい」

 

 ルナは思わず立ち止まった。

 目の前の光景が、言葉を追い越して胸に飛び込んでくる。

 

「こんなの……見たことない」

 

 声が、自然に小さくなる。

 まるで大きな音を立てたら、この景色が壊れてしまいそうだった。

 

 ルナの胸元で、銀色の三日月のネックレスがふわりと揺れた。

 イルミネーションの光を受けて、きらりと反射する。

 淡い光の粒が、三日月の縁に沿って滑るように走り、ルナの白い息に混じって瞬く。

 

 ルナはそのまま、空を見上げる。

 光のアーチの向こうに、ドームの天井がぼんやりと見える。

 星空ではないのに、星空みたいだと思った。

 

 その横顔を――

 

 リュウジが見ていた。

 

 ルナは気づかない。

 ただ、感動したまま、光の世界を見上げているだけだ。

 

 リュウジは、いつもみたいに無表情を装おうとした。

 けれど、無理だった。

 

 イルミネーションの光に照らされたルナの顔は、普段より柔らかくて、どこか幼い。

 目はきらきらして、口元は自然に緩んでいて、頬は寒さで少しだけ赤い。

 その胸元で三日月のネックレスが光るたび、ルナ自身も光をまとっているみたいに見える。

 

(……綺麗だな)

 

 思わず、そう思ってしまった。

 

 言葉に出したら、ルナは驚くだろうか。

 照れて、頬を膨らませるだろうか。

 それとも、笑うだろうか。

 

 リュウジはそんなことを考えた自分に気づいて、微かに目を細めた。

 いつから、こんな風に――ルナのことを、ちゃんと見てしまうようになったのか。

 

 その時、ルナがリュウジの方へ振り返った。

 

「リュウジ、見て。あそこ……!」

 

 指差した先には、光の川が流れるような演出があった。

 床のイルミネーションが、淡い青から紫、そして銀色へと変化していく。

 

「まるで、本当に光が流れてるみたい」

 

「ああ」

 

 リュウジは短く返事をしたが、視線はまだルナの顔の余韻を引きずっていた。

 

 ルナはそんなことに気づくはずもなく、嬉しそうに歩き出す。

 そして胸元で、クレーンゲームで取った白いクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

 

 ――そのぬいぐるみは、今日の小さな戦利品。

 リュウジが位置を動かしてくれて、最後にルナが落とした“二人で取った”ぬいぐるみ。

 

 ルナはそれを抱えたまま、光の世界を歩く。

 ぬいぐるみの白い毛並みにもイルミネーションが反射して、ふわふわの輪郭が淡く輝いた。

 

 そして今度は――

 

 ルナが、リュウジの横顔を見た。

 

 光のアーチが、リュウジの輪郭を縁取っている。

 普段はどこか影を抱えたような横顔が、今は柔らかい光に照らされて、少しだけ違って見える。

 まつ毛の影、鼻筋の線、口元の硬さ。

 どれも見慣れているはずなのに、イルミネーションの中だと、急に“特別”に見える。

 

(……かっこいい)

 

 ルナは心の中で思ってしまい、慌てて視線を逸らした。

 でも逸らした先の光景も綺麗で、また視線が戻ってしまう。

 

 リュウジは歩きながら、時々周囲を警戒するように見回していた。

 人の流れ、子どもの動き、写真を撮る人たちの位置。

 混雑の中でルナがぶつからないように、自然と自分の立つ場所を調整している。

 

 それはとてもさりげなくて、ルナが意識しなければ気づかないぐらい。

 でもルナは、気づいていた。

 

 さっきも、イルミネーションの道で人とぶつかりそうになった時、リュウジはすっと前に出てルナを守るように位置を変えた。

 触れてはいないのに、背中に風を受ける位置を変えて、ルナが冷えないようにしてくれた。

 

(優しい……)

 

 言葉にしなくても、行動で伝わってくる。

 リュウジらしい優しさ。

 

 ルナはぬいぐるみを胸に抱えたまま、そっと息を吐いた。

 

(今日は……ここに来れて良かった)

 

 そう思った瞬間、胸の奥が温かくなって、少しだけ目が潤みそうになった。

 もちろん、泣きたいわけじゃない。

 ただ、嬉しいだけ。

 サヴァイヴで生き抜いた日々があって、ソリア学園の日々があって、いろいろあって――

 その全部の先に、今のこの時間がある。

 

 ふと、遠くで音楽が鳴り始めた。

 イルミネーションショーの時間らしい。

 ツリーが一斉に輝きを増し、光が波のように広がる。

 

「始まった」

 

 リュウジが呟く。

 

「うん……!」

 

 ルナは嬉しそうに頷き、ぬいぐるみを抱える腕に力が入った。

 

 光が瞬き、星が降るように煌めく。

 音楽に合わせて色が変わり、まるでパークそのものが呼吸しているみたいだった。

 

 ルナはその光景を見つめながら、ふとポケットの中の小さな紙袋を思い出す。

 無病息災のお守り。

 渡すタイミングを探していたもの。

 

(……今なら)

 

 でも、今渡したら、言葉が詰まってしまいそうだ。

 イルミネーションが綺麗すぎて、胸がいっぱいで、ちゃんとした言葉が出てこない。

 

 ルナは一歩だけリュウジの近くへ寄った。

 人混みの中だから、自然な距離だ。

 でも、心の距離も少し近づいた気がする。

 

「……リュウジ」

 

 ルナが小さく呼ぶ。

 

「ん?」

 

 リュウジが視線を向ける。

 その目が、イルミネーションの光を映して柔らかい。

 

 ルナは言おうとした。

 “今日はありがとう”って。

 “すごく楽しかった”って。

 “リュウジと来れて嬉しい”って。

 

 でも、全部言う前に、口元が勝手に笑ってしまった。

 

「……ううん、なんでもない」

 

「そうか」

 

 リュウジは短く答え、また前を見た。

 

 その横顔が、さっきよりもっと眩しく見える。

 

 ルナは胸元のぬいぐるみを抱きしめたまま、心の中でそっと言った。

 

(また、こういう日が来るといいな)

 

 イルミネーションの光が、二人の影を淡く伸ばす。

 そして三日月のネックレスが、また一度きらりと光った。

 

 その光を、リュウジが――

 今度は確かに、言葉にしないまま、目で追っていた。

 

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