サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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生徒会

 放課後の校舎は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。廊下の窓から差し込む冬の光が床に長い影を落として、足音だけがやけに響く。

 

 生徒会室の扉を開けると、メノリは机の上に積み上げた書類の山を見下ろして、小さく息を吐いた。

 ――やることは、相変わらず多い。

 けれど、昔の“多い”とは少し違う。自分ひとりの肩に全部乗せて、潰れそうになりながら抱える忙しさじゃない。

 

 メノリはペンを置き、端末のメモに短く打ち込む。

 

「……よし。残りは明日、役割振り直し」

 

 椅子から立ち上がり、棚の扉を開ける。会計簿、備品台帳、行事の見積もり。やたら几帳面なラベルが並んでいる。

 その中から、紙のチェックリストを一枚抜き取った。

 

 ――買い出し。

 文化部の合同発表会の備品補充。掲示用のテープ、養生、予備の筆記具、印刷用紙、ホッチキス芯。細々したものがまとめて切れていた。

 いつもなら通販で一括注文だ。時間も手間も削れる。

 

 でも、今は違う。

 

 サヴァイヴから帰ってきてから、メノリは自分の目で確かめる方法を選ぶことが増えていた。

 “届いたもの”が違っても、現場では言い訳にならない。

 “確認したつもり”も、危険なだけだ。

 あの星で何度も痛いほど学んだ。

 

 生徒会室の外で、リュウジが壁にもたれて待っていた。腕を組んでいる。顔は相変わらず無表情寄りだが、目だけが周囲をよく見ている。

 

「遅い」

 

 開口一番、短い。

 

「待たせたな」

 

 メノリも同じ温度で返す。

 言い訳はしない。必要ない。

 

「これ、買い出しリストだ」

 

 メノリが紙を差し出すと、リュウジは受け取って目を走らせた。

 

「……地味だな」

 

「生徒会の仕事なんて、だいたい地味だ」

 

「通販で良くないか?」

 

 リュウジが淡々と言う。合理的な意見だ。

 メノリは一拍置いて、肩をすくめた。

 

「今回は店で見る。紙の質、粘着の強さ、芯の規格。全部」

 

「……神経質だな」

 

「神経質で困ったことはない」

 

 メノリの即答に、リュウジは鼻で笑った。

 

「まあ、メノリらしい」

 

「それ、褒めてるのか?」

 

「どっちでもいい」

 

 リュウジはリストを折りたたみ、ポケットに入れる。

 そして、歩き出そうとしたところで、メノリがふと思い出したように言った。

 

「あと、今日はもう一つ。印刷室のインク、予備が少ない。担当の役員に在庫確認させた」

 

「自分でやらないのか」

 

 リュウジがちらりと横目で見る。

 昔のメノリなら、きっと自分でやっていた。やらないと落ち着かなかった。

 

 メノリは歩きながら、あっさり言う。

 

「任せた。問題が出たら呼ぶ。呼ばれなければ、ちゃんと回ってる」

 

「……へえ」

 

 リュウジの声に少しだけ感心が混ざった。

 メノリは気づいていないふりをして、淡々と続ける。

 

「昔は、一人でやった方が早いと思ってた」

 

「今は?」

 

「今も早い。……けど、一人でやると、他が止まる。全体が遅くなる」

 

 言い切ってから、メノリはわずかに目を細めた。

 

「それに、任せるのも必要だ。いつまでも会長が全部握ってたら、次が育たない」

 

 リュウジはしばらく黙っていたが、校門を出たところでぽつりと漏らした。

 

「……変わったな」

 

「変わってない」

 

 メノリは即座に返す。

 

「根っこは同じ。ただ、やり方を増やしただけ」

 

「それを変わったって言うんだ」

 

「うるさい」

 

 メノリが短く切ると、リュウジは口元だけで笑った。

 

 外の空気は冷たい。冬の匂いがする。コロニーの空は人工の青なのに、寒さだけは本物みたいだった。

 二人は学園の外の商店街へ向かう。ソーラ・デッラ・ルーナの中心部に比べれば小ぶりだが、生活用品は大抵揃う。

 

 途中、信号待ちでリュウジがふと思い出したように言った。

 

「生徒会の活動、忙しいのか」

 

「忙しい」

 

「楽しいか?」

 

 意外な質問だった。リュウジはこういう“感想”をあまり聞かない。

 メノリは少しだけ考え、正直に答える。

 

「楽しくはない。……でも、嫌いじゃない」

 

「ふーん」

 

「何だ、その反応」

 

「いや。メノリが“嫌いじゃない”って言うの、珍しい」

 

 リュウジが言うと、メノリは小さく舌打ちしそうになって飲み込んだ。

 

「お前はどうなんだ。最近、妙に学校にいる」

 

「俺だって学生だ」

 

「サボりがちな学生が、な」

 

「……」

 

 リュウジは無言で顔を伏せた。

 メノリは思わず笑いそうになったが、堪える。

 

「自業自得だな」

 

「分かってる」

 

 店に入ると、暖房の空気がふわっと包んだ。紙の匂い、プラスチックの匂い、梱包材の匂い。整然と並んだ棚が、妙に落ち着く。

 

 メノリは迷いなく文具コーナーへ向かい、リュウジに言う。

 

「テープ類は俺が見る。リュウジは紙。コピー用紙、印刷用紙、厚紙。リストの規格確認して、手触りも見ろ」

 

「……手触り?」

 

「紙は触れば分かる」

 

「分かるか」

 

「分かる」

 

 メノリの断言に、リュウジはやれやれと肩をすくめた。

 

「じゃあ俺は紙の職人になる」

 

「余計なこと言ってないで行け」

 

 二手に分かれる。

 メノリはテープ棚の前で、同じ“透明テープ”でも粘着と幅と長さが違うのを片っ端から比べた。養生テープも色で用途が違う。貼って剥がす想定があるなら、糊残りの少ないタイプがいい。掲示板に貼るなら、強すぎても弱すぎても困る。

 

(……あの時、木の上で、仮止めにどれだけ苦労したか)

 

 それに比べれば、今は平和だ。だが、“平和だから雑でいい”にはならない。平和の中で雑になると、いざという時に動けない。

 

 少し離れた棚で、リュウジが紙を手に取り、無言で厚みを確かめているのが見えた。

 その様子が妙に真面目で、メノリは心の中で小さく笑う。

 

 やがて合流すると、リュウジの腕にはすでに数束の紙が抱えられていた。

 

「これでいいか」

 

「規格は?」

 

「A4、B5、厚紙は指定のやつ。あと、表面が滑りすぎないやつにした」

 

 メノリは一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を戻した。

 

「……ちゃんと見てるな」

 

「ほめるな。」

 

「別に褒めてない」

 

「今の間は褒めてた」

 

「うるさい」

 

 メノリは自分のカゴを見せる。透明テープ、養生テープ、両面、掲示用、予備。

 リュウジがカゴの中を覗いて言った。

 

「……多い」

 

「足りないよりいい」

 

「足りないなら買い足せばいいだろ」

 

「当日、足りないのが一番困るだろ」

 

「……まあ、そうだな」

 

 レジへ向かう途中、リュウジがふと思い出したように言う。

 

「メノリ、前はこういうのも全部一人で持ってたよな」

 

「……そうだな」

 

 メノリは否定しなかった。

 

「何でやめた」

 

「やめたわけじゃない。……気づいたんだ」

 

「何に」

 

「頼るのは弱さじゃないって」

 

 口にしてから、メノリは自分で少し驚いた。こういう言葉を、口に出すのは得意じゃない。

 リュウジはレジ前で足を止め、メノリを横目で見た。

 

「誰に言われた」

 

「誰にも」

 

 メノリは短く返す。

 

「サヴァイヴで見た。ルナも、シャアラも、ベルも、皆。誰かに頼るから、回る。回るから、生き残る」

 

 リュウジは何も言わない。

 ただ、小さく頷いた。

 

「……それ、会長っぽい答えだな」

 

「会長だからな」

 

「言い切った」

 

 会計を済ませ、紙袋が増えた。

 リュウジが自然に重い方を持とうとするのを、メノリは目で制した。

 

「半分持て」

 

「俺が持つ」

 

「半分」

 

 メノリの声に逆らうと、面倒になるのをリュウジは知っている。

 結局、二人で紙袋を分けた。

 

 店を出ると、外は夕暮れになりかけていた。

 通りの灯りが一つ、また一つと点き始める。コロニーの空が少しだけオレンジに染まる演出が、どこか落ち着かないほど綺麗だった。

 

「……なあ」

 

 歩きながら、リュウジが珍しく言い淀んだ。

 

「何だ」

 

「生徒会の仕事、俺も手伝った方がいいか」

 

 メノリは足を止めかけた。

 リュウジの口から“手伝う”という言葉が出るのは稀だ。

 だが、メノリは顔に出さず、淡々と返した。

 

「手伝う気があるなら、使う。ないなら要らない」

 

「ある」

 

 リュウジが即答する。

 その即答が、妙に真っ直ぐで、メノリは一瞬だけ視線を逸らした。

 

「……じゃあ、次の行事。搬入の日、来い」

 

「了解」

 

 それだけの会話なのに、どこか胸の奥が温かくなるのをメノリは感じた。

 頼る。任せる。役割を渡す。

 それは、相手を信じるということでもある。

 

「メノリ」

 

「何だ」

 

「……俺、お前が会長で助かってる」

 

 リュウジの声は小さかった。照れ隠しみたいにぶっきらぼうで、だから余計に本音だと分かる。

 メノリは少しだけ口元を緩めた。

 

「今さら言うな」

 

「言いたくなった」

 

「変なやつ」

 

「お互い様だろ」

 

 メノリは鼻で笑い、紙袋の持ち手を握り直した。

 学校へ戻る道。冷たい風。重い荷物。

 なのに、足取りは少し軽かった。

 

ーーーー

 

 袋の持ち手が指に食い込むほどになった頃、メノリとリュウジは生徒会室の前に戻ってきた。廊下の静けさに混じって、扉の向こうからペンを走らせる音と、紙をめくる乾いた音が聞こえる。

 

 メノリがノックもせずに扉を開けると、数人の後輩が一斉に顔を上げた。机に並ぶのは会計資料、行事の進行表、掲示の案、申請書の控え。部屋の空気は、暖房が効いているはずなのにどこか冷たい。集中している時の空気だ。

 

「戻った」

 

 メノリが短く言うと、後輩たちは慌てて立ち上がりかけた。

 

「立たなくていい。お疲れ様、少し休んでくれ」

 

 その声はいつも通り落ち着いている。けれど、部屋の緊張が一段ほど緩んだのが分かった。後輩の一人が、ほっとしたように息を吐く。

 

 リュウジは無言のまま後ろから入ってきて、視線だけで室内を一周した。

 ――その瞬間、後輩たちの目が微妙に泳いだ。

 

 近くで見ると、思ったより普通の学生なのに、普通じゃない圧がある。

 

 メノリはそんな空気を気にせず、荷物を机の端に下ろした。

 

 後輩たちが進捗状況を口々に報告しようとしたところで、メノリは手を上げて止める。

 

「その前に、休憩。頭が固くなる」

 

 メノリは自分のポケットからICカードを出し、後輩の一人に差し出した。

 

「これで暖かい飲み物でも買ってきてくれ。自販機でいい。……ブラックコーヒーを二つ。あと、好きなの選べ」

 

「えっ、でも……」

 

「いいから行け。戻ってきたら続きをやろう」

 

 有無を言わせない口調に、後輩は「はい」と小さく頷き、ICカードを受け取った。別の後輩もそれに続こうとして、メノリが顎で示す。

 

「他も行ってきていいぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

 後輩たちは椅子を引き、軽く会釈してから、わらわらと生徒会室を出ていった。扉が閉まると、途端に静寂が落ちる。さっきまでの紙の音さえ、いまは遠い。

 

 リュウジが肩の荷物を下ろしながら言った。

 

「……あいつら、固いな」

 

「固い。会長室だと思ってるんだろ」

 

「会長室だろ」

 

「生徒会室だ」

 

 メノリは机の端を指で軽く叩き、散らばった書類の山を整える。ホッチキスで留め直し、角を揃え、順番に並べるだけで、部屋の情報が整理されていく。

 

 リュウジはその様子を黙って見て、ぽつりと言った。

 

「手慣れてる」

 

「生徒会長だからな」

 

「さっきの“休憩”も?」

 

「休憩も仕事だ」

 

 メノリは端末を起動し、チェックリストを表示する。今日の買い出しで埋まった項目にチェックを入れ、次に残っている欄へスクロールした。

 

「……あと残りは、印刷室のインク確認と、掲示位置の最終決定。それから会計の締め」

 

「締めって」

 

「領収の突合作業。数字は嘘つかない」

 

「人は嘘つくけどな」

 

 リュウジの乾いた一言に、メノリは一瞬だけ目を上げた。

 

「……今さら、何を言う」

 

「事実だろ」

 

「だから、書類で固める」

 

 メノリはファイルから一枚抜き、リュウジの前に置いた。

 

「見て。これ、文化部合同発表の備品補充の見積もり。去年と同じ業者。去年より少し高い」

 

 リュウジが紙に目を落とす。眉がわずかに動いた。

 

「輸送費が上がってる」

 

「そう。理由は“年始の物流混雑”。でも、今は三月」

 

「言い訳くさいな」

 

「だろ。だからこっちは別業者の見積もりも取った」

 

 メノリが別の紙を重ねる。リュウジが二枚を見比べ、指で数字をなぞった。

 

「……こっちは本体が安いけど、納期がギリギリ」

 

「それも問題。納期がギリだと、当日足りない時に詰む」

 

「通販嫌いって言ってたのに、結局、見積もりは通販だな」

 

「見積もりはな。受け取るものの品質は自分の目で確認したいだけだ」

 

 メノリは言い切って、リュウジの反応を待つ。

 リュウジは紙から目を上げずに言った。

 

「……じゃあ、店頭受け取りにしろ」

 

「え?」

 

「店に在庫置かせて、前日受け取り。納期ギリのリスク減る。品質も確認できる」

 

 メノリの手が止まった。

 合理的で、しかもメノリのこだわりを潰していない提案だった。

 

「……その手があったか」

 

「あるだろ。思考が会長モードで固い」

 

「うるさい」

 

 でも、メノリは口元をほんの少し緩めて、端末にメモを打ち込んだ。

 リュウジはそれを見て、さらに言う。

 

「あと、後輩に任せるなら、最初から“ここまでやれ”って線を引け。じゃないと、あいつら全部抱えて倒れる」

 

 メノリの指が一瞬止まり、ゆっくりと再開する。

 

「……分かってる。だから、さっき休憩させた」

 

「休憩だけじゃ足りない」

 

「じゃあ、何だ。お前が生徒会長やるか?」

 

「やらない」

 

「だろ」

 

 メノリが即答すると、リュウジはわずかに肩をすくめた。

 

「でも、お前が倒れたら面倒だ」

 

「面倒?」

 

「面倒。全員、困る」

 

 ぶっきらぼうな物言いなのに、言っていることは真っ直ぐだ。

 メノリは視線を逸らし、書類を整えるふりをした。

 

「……心配してるって言え」

 

「言わない」

 

「頑固」

 

「お互い様」

 

 そこへ、廊下から足音が近づいてきて、扉がノックされた。

 

「戻りました!」

 

 後輩が顔を出し、ICカードを両手で差し出す。手には熱いカップが二つと、他にも何本か缶が入った袋。

 

「ブラック二つ、買ってきました。あと、みんなの分も……」

 

「そこへ置いてくれ。ありがとう」

 

 メノリはICカードを受け取り、後輩の頭を軽く撫でるように視線を落とした。

 後輩は少し驚いた顔をして、照れたように「はい」と返事をして退いた。

 

 リュウジの前にブラックコーヒーが置かれる。

 湯気が立つ缶を見て、リュウジが短く言った。

 

「……分かってるな」

 

「何が」

 

「ブラック」

 

「当たり前だろ」

 

 メノリが言うと、リュウジは一瞬だけ咳払いのように息を吐いた。否定も肯定もせず、缶を開ける。プシュッという音が、生徒会室に小さく響いた。

 

 後輩たちが戻ってきて、各自の席に着く。空気が再び“作業場”に戻った。けれど、さっきより少し柔らかい。

 

 メノリが机を叩き、全員に視線を向ける。

 

「よし。続きをやろう。さっきの進捗、順番に言え。焦らなくていい。分からない所があったら止めろ」

 

「はい!」

 

 報告が始まる。

 掲示の案が二種類ある。印刷室のインクは残り三本。申請書の控えが一部足りない。

 メノリは次々に指示を出す。

 “全部自分でやる”指示じゃない。“誰に何を任せるか”の指示だ。

 

「インク確認はナツメ。足りない分、品番を控えて、明日俺に回せ」

「掲示位置はミナトとユウ。実際に現地を歩いて、混雑導線に被らない所を探せ」

「控えの不足は俺がやる。原因だけ洗い出しておけ」

 

 後輩たちが動き出す。

 リュウジは横で黙って聞いていたが、ふと一枚の書類を指で弾いた。

 

「これ、署名欄が空いてる」

 

 メノリが一瞬で目を向ける。

 

「……どれ」

 

「この申請。委員会の承認印が抜けてる」

 

 メノリが紙を取り上げ、確認して舌打ちしそうになって飲み込む。

 

「……ほんとだな。」

 

 後輩が青ざめた顔で言った。

 

「す、すみません!気づかなくて……!」

 

「謝るな。今気づいたなら間に合う。担当、誰だ」

 

 メノリの声は厳しいが、責める色は薄い。問題は“誰が悪いか”じゃなく“どう直すか”だと、メノリは分かっている。

 

「僕です!」

 

「じゃあ、今すぐ委員会室に走れ。印だけ貰って来い。リュウジ、時間あるか」

 

「ある」

 

「なら、ついてやれ。迷うなよ」

 

「……了解」

 

 リュウジが立ち上がると、後輩が驚いたように目を丸くした。

 リュウジはその反応を気にする様子もなく、短く言う。

 

「行くぞ」

 

「は、はい!」

 

 二人が扉へ向かう背中を、メノリは一瞬だけ見送った。

 昔の自分なら、自分が走っていた。

 けれど今は、任せた。ついていける人に役割を渡した。

 

 メノリはふっと息を吐き、コーヒーを一口飲む。

 苦い。けれど、頭が冴える味だ。

 

「……さて」

 

 メノリは机に手を置き、残った後輩たちに視線を戻した。

 

「次。会計の締めに入る。数字は嘘つかない。だから、こちらが嘘をつかないように揃えるぞ」

 

 後輩たちが一斉に頷く。

 生徒会室の空気が、再び静かに回り始めた。

 

 メノリは胸の奥で、ほんの小さく思う。

 仲間に頼るのは、弱さじゃない。

 ――そして、リュウジがこうして当たり前みたいに手を貸すようになったのは、少しだけ不思議で、少しだけ心強い。

 

ーーーー

 

 放課後の空が、いつの間にか濃い藍色に沈んでいた。生徒会室の窓ガラスに映る室内灯が、外の闇を押し返すように四角く浮かび、廊下の明かりはすでに夜の色を帯びている。

 

 机の上には、まだ紙の山が残っていた。申請書の控え、行事の進行表、会計の突合作業用の一覧。ペン先が紙を走る音と、ホッチキスの金属音がときどき響く。

 後輩たちも集中しているが、肩の力が落ち始めているのが分かる。目が乾く。背中が丸くなる。息が浅くなる――あれは“限界が近い”サインだ。

 

 メノリは端末の時刻を見て、ぱちん、とペンを置いた。

 

「今日はここまでにしよう」

 

 その声に、数人の後輩が同時に顔を上げた。驚きというより、救われたような反応だ。

 

「もう暗い。気をつけて帰るんだ」

 

「はい……!」

 

「あと、報告は明日でいい。無理して仕上げる必要はない」

 

 メノリがそう言うと、後輩たちは一斉に帰り支度を始めた。ファイルを閉じ、机の上を片付け、椅子を戻す。いつもはきっちり揃えるのに、今日は動きが少しだけ慌ただしい。

 それでも最後に一人が、申し訳なさそうに小さく手を挙げた。

 

「……会長は、帰らないんですか?」

 

 メノリは端末から目を上げ、淡々と答える。

 

「キリのいい所までやったら帰るから大丈夫だ」

 

「でも……」

 

「大丈夫だ」

 

 それ以上は言わせない。厳しいようで、後輩の不安も分かっているからこその線引きだった。後輩は「はい」と頭を下げ、最後に生徒会室の灯りを気にするように振り返ってから廊下へ出ていった。

 

 扉が閉まると、空気がすっと静かになった。

 作業の音が消え、残るのはメノリの端末の操作音と、紙が擦れるかすかな音だけ。

 

 その静寂の中で、リュウジが椅子の背にもたれ、短く言った。

 

「……お前、帰らないのか?」

 

「帰る」

 

「今?」

 

「今じゃない」

 

 メノリは答えながら、資料の束を整えた。いつも通りのやり取り。言葉は少ないのに、伝わる。

 

 リュウジは小さく息を吐いて、机の上の紙を指先で弾いた。

 

「帰らないなら、俺も帰れない」

 

 その言い方が少しだけ不満げで、でも投げ出す気がないのが分かる。

 メノリは視線だけ向けて、紙の束を一つ差し出した。

 

「なら、リュウジ。ここホチキスを頼む」

 

 無造作に渡された紙を、リュウジが受け取る。

 

「……これ全部か」

 

「全部」

 

「何で俺が」

 

「手が空いてるから」

 

「理不尽だな」

 

「社会はだいたい理不尽」

 

 メノリが言い切ると、リュウジは諦めたように立ち上がり、ホッチキスを手に取った。

 ぱちん、ぱちん、と規則正しい音が部屋に戻る。

 その音を聞きながら、メノリは少しだけ肩の力を抜いた。

 

 サヴァイヴから帰ってきて、メノリの中で変わったものがある。

 “全部、完璧に終わらせてから帰る”という癖。

 それは責任感ではあるが、同時に孤独でもあった。終わるまで誰も巻き込まない。巻き込めない。自分がやれば早い、と信じていたから。

 

 けれど今は、手伝う人がいる。

 頼っていい。任せていい。

 その代わり、任せた分だけ全体が回る。

 

 メノリが帳簿の数字を追っていると、リュウジがふっと言った。

 

「……お前、さっき後輩に“休め”って言ったよな」

 

「ああ」

 

「自分は休まない」

 

「休んだら終わらない」

 

「矛盾してる」

 

「後輩に同じことをさせないために、自分がやるだけだ」

 

 リュウジがホッチキスを止めて、メノリを見た。目は笑っていないが、怒ってもいない。ただ、確かめるような視線だ。

 

「……それ、結局また一人で抱えるやり方に戻ってないか」

 

 メノリは一瞬だけ沈黙した。

 図星の針が軽く刺さる。けれど、刺さっただけだ。倒れるほどじゃない。

 

「戻ってない。今日はリュウジがいる」

 

「……俺を都合よく使うな」

 

「都合よく使ってる」

 

 あっさり認めると、リュウジは口元を引きつらせた。

 

「開き直るな」

 

「開き直ってない。事実を言っただけだ」

 

 リュウジが小さく笑いそうになって、咳払いに変えた。

 ぱちん、ぱちん、と作業が再開される。

 

 しばらくして、メノリが資料をファイルに戻し、机の端に積み直した。その動きは丁寧だが、どこか軽い。

 

「……帰りが遅くなるのも、悪いことばかりじゃないな」

 

 独り言みたいな声だった。

 リュウジが眉を動かす。

 

「何だ、それ」

 

「静かになる。余計な邪魔が入らない」

 

「邪魔って」

 

「生徒会室は、昼は見学者が多い。相談、用件、頼み事。全部まとまって来る」

 

「……会長って大変だな」

 

「今さらだ」

 

 メノリが最後の資料を片付けた、その時だった。

 

「メノリー!終わった?」

 

 扉が勢いよく開いて、明るい声が生徒会室に流れ込んできた。

 顔を覗かせたのはルナとハワードだ。二人とも制服のまま、帰り支度を整えた状態で、廊下の光を背にしている。

 

「さぁ帰ろうぜ!」

 

 ハワードが元気よく言い、ルナがその横で笑った。

 

「こんなに遅くまで……大変だったね」

 

 メノリが「終わった」と短く答えようとしたところで、ルナの視線が室内を一周して止まる。

 

「あれ? リュウジも手伝っていたの?」

 

 リュウジがホッチキスを机に置き、短く返す。

 

「まぁな」

 

 その一言に、ルナが嬉しそうに目を細めた。

 リュウジがこうして誰かのために残るのが、ルナにとっては“当たり前じゃない”ことを、本人はよく知っている。

 

「じゃあ、みんなで帰ろう」

 

 ルナが言うと、ハワードが大きく頷いた。

 

「そうそう! 四人で帰るの、なんかいい感じだろ!」

 

「……うるさい」

 

 メノリが呆れたように言うが、その口元がわずかに緩んでいる。

 リュウジはそれを見て、何も言わなかった。

 

 消灯を確認し、扉を閉め、四人は廊下へ出た。

 校舎の廊下は夜の匂いがした。窓の外の暗さがガラスに貼りつき、遠くの非常灯だけがぽつぽつと光っている。足音がやけに響く。

 

 自然と隊列ができた。

 メノリとハワードが前を歩き、ルナとリュウジが後ろを歩く。

 

 前を行くハワードは、やたら手振り身振りが大きい。今も両手を広げたり、胸を叩いたり、突然立ち止まって空を見上げたりしている。

 メノリは呆れたように肩をすくめながら、でもときどき笑っている。笑うのを堪えているようで、堪えきれないようでもある。

 

「……ね、見て」

 

 ルナが小声で言い、前を歩く二人を顎で示した。

 

「ハワードの演技を、メノリが見てるんだって」

 

 リュウジは前方を見たまま、短く言った。

 

「それは適任だな」

 

「でしょ」

 

 ルナが微笑む。その微笑みは、どこか安心しているみたいだった。

 ハワードの“夢”を茶化さずに見られる人。ちゃんと指摘できる人。真剣に向き合ってくれる人。

 それがメノリだと、ルナも思っている。

 

 リュウジが少し口の端を上げた。

 

「ハワードの演技見たら、笑いを堪えるのに必死だしな」

 

「それは言えるかも……」

 

 ルナの顔が、耐えきれずに少し歪む。声を出すとバレるから、肩を震わせるだけで笑う。

 

「だって、急に変な顔する時あるもんね」

 

「ある。昨日も昼休みに変な声出してた」

 

「え、何それ」

 

「『俺は世界を救う役者だ!』とか」

 

「言いそう……!」

 

 ルナが吹き出しそうになって慌てて口を押さえる。

 リュウジも珍しく、声を出さずに笑った。ほんの一瞬だけ、目が柔らかくなる。

 

 前方からハワードの声が飛んできた。

 

「おーい! 何コソコソしてんだよ!」

 

 メノリがため息混じりに言う。

 

「聞こえるぞ、ハワード。廊下で騒ぐな」

 

「騒いでないって! 熱い夢を語ってるだけだ!」

 

「それを騒ぐって言うんだ」

 

「ひどい!」

 

 ハワードが大げさに胸を押さえ、メノリが呆れたように肩をすくめる。

 けれど、その目はどこか楽しそうだった。

 

 ルナが小さく言った。

 

「……メノリ、笑ってる」

 

 リュウジが頷く。

 

「笑ってるな。珍しい」

 

「ハワードって、すごいよね。場を明るくするの、自然にできる」

 

「本人は自覚してないけどな」

 

「そういうところも含めて、ハワードらしい」

 

 ルナが言うと、リュウジは少し間を置いて答えた。

 

「……サヴァイヴの時から変わらない」

 

「うん。変わらない」

 

 その“変わらない”が、今は嬉しい。

 変わってしまったものもある。戻らない時間もある。

 それでも、こうして一緒に笑えるものが残っている。

 

 階段を降り、玄関ホールへ出ると、外の冷気がガラス越しに感じられた。自動扉が開いた瞬間、冬の空気が一気に頬を撫でる。

 

「さむっ!」

 

 ハワードが大げさに肩をすくめ、メノリが淡々と言う。

 

「だから早く帰るって言っただろ」

 

「でもメノリが遅いから!」

 

「お前が邪魔しに来たからだ」

 

「邪魔じゃねーよ! 迎えだよ迎え!」

 

 言い合いながらも、二人は自然に同じ歩幅で歩いていく。

 その背中を見ながら、ルナがこっそり笑って、リュウジに言った。

 

「……あの二人、ほんと変わらないね」

 

「変わらないけど、少しずつ変わってる」

 

「え?」

 

 ルナが首を傾げると、リュウジは前の二人を見たまま、ぽつりと言った。

 

「メノリが“付き合ってる”。ハワードの話を、ちゃんと最後まで聞いてる」

 

 ルナは一瞬だけ目を丸くして、それからふっと笑った。

 

「……そうだね」

 

 気づいてしまう。

 メノリの中で何かが揺れていること。

 ハワードがそれに気づいているのかどうかは、まだ分からないけれど。

 

 校門を出て、四人は帰路の分かれ道に向かう。街灯の下で影が伸び、コロニーの夜が静かに深くなっていく。

 

 ルナが少しだけ歩幅を落とし、リュウジと並ぶ距離が近くなる。

 声を落として、ルナが言った。

 

「……リュウジも生徒会の手伝い、えらいね」

 

「えらくない」

 

「えらいよ。だって、残ってたじゃない」

 

「メノリが帰らないなら、帰れないだけだ」

 

「それ、優しいって言うんだよ」

 

「言わない」

 

「言うの」

 

 ルナが笑って言うと、リュウジは小さく息を吐いた。

 否定しない代わりに、話題を逸らすみたいに言う。

 

「……今日は疲れたか」

 

「ちょっと。だけど、みんなで帰るの、楽しいわ」

 

「……そうだな」

 

 その「そうだな」が、ルナには嬉しかった。

 たった一言なのに、ちゃんと気持ちが重なる。

 

 前方で、ハワードが振り返って叫ぶ。

 

「おーい! 早くしろよ! 置いてくぞ!」

 

「置いてけ」

 

 メノリが即答し、ハワードが「ひどい!」と騒ぐ。

 ルナは笑い、リュウジも少しだけ口元を緩めた。

 

 夜の校舎は遠ざかり、四人の足音だけが静かな通りに続いていく。

 冷たい風の中でも、今日の帰り道は、どこか温かかった。

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