サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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設計

 新学期。

 久しぶりの教室は、窓から入る光の角度だけが少し変わっていて――それだけで「季節が進んだ」と分かるのが、ルナは不思議だった。

 

 席に鞄を置き、何気なく前と斜め前を見て、胸の奥がきゅっと縮む。

 

 カオルの席が空いている。

 ハワードの席も空いている。

 

 分かっている。二人とも、それぞれの道へ進んだのだ。養成学校、演劇学校。あの初詣の日に、笑いながら「じゃあな」と言って別れた。

 なのに、教室という“いつもの場所”に戻ってくると、欠けたピースが急に目につく。

 

(……寂しいな)

 

 ルナは自分の気持ちに気づいて、小さく笑ってごまかした。

 寂しいのは、悪いことじゃない。大事だった証拠だ。

 

 そんなルナの横で、シンゴは相変わらず元気に喋っているし、ベルはいつもの穏やかな顔で周囲を見守っている。メノリは生徒会の予定表を確認していて、シャアラは教科書の角を揃えながら「新学期って、やっぱり落ち着かないね」とぽつりとこぼした。

 

「……カオル、ハワード、今頃どうしてるかな」

 ルナが小さく言うと、

 

「カオルなら、黙々とやってると思うよ」

 ベルが、肩をすくめるみたいに穏やかに返した。

「ハワードも、案外まじめにやってるんじゃないか」

 

「“案外”は余計だろ」

 メノリが顔を上げ、口元だけ緩める。

「まあ、あいつはあいつなりに必死だろう。逃げずに行ったんだからな」

 

「うん! きっとすごいよ!」

 シンゴが目を輝かせる。

「カオルの操縦、僕、もう一回見たいなぁ。……でも、今は向こうで毎日やってるんだろうし。羨ましい!」

 

 ルナは頷いた。

 羨ましい、と言えるシンゴは強い。自分の“欲しい”を素直に言えるのは、才能だと思う。

 

 そして、ルナは視線を斜め後ろへ向けた。

 リュウジは、いつも通りに机に肘をつき、無表情で窓の外を見ている。新学期だろうが、空席があろうが、たぶん彼の呼吸のリズムは変わらない。

 

(……でも、本当は)

 変わっていないように見せるのが上手いだけかもしれない、とルナは思う。

 自分と同じで。

 

 授業が始まり、休み時間を挟んで、あっという間に放課後になった。

 

 教室がざわつき始める。

 帰り支度、部活の声、廊下の足音。その全部が新学期らしく落ち着かない。

 

 その時、教室の入口から誰かが声を上げた。

 

「おい、リュウジ! 美少女が来てるぞ!」

 

 からかい混じりの声に、クラスがどっと笑う。

 リュウジは面倒くさそうに眉を動かしただけで、立ち上がらない。

 

 ――なのに。

 

 なぜか、ルナの肩がほんの少し跳ねた。

 自分でも分かるくらい、ぴくりと反応してしまう。

 

(美少女って……なにそれ)

 

 胸の奥が、ちくりとする。

 それが何なのか、言葉にしたくなくて、ルナは咳払いで誤魔化した。

 

 教室の扉が開く。

 入ってきたのは、見慣れた顔だった。

 

 長く整えた髪、きりっとした目。

 制服ではなく、仕事着の雰囲気を纏ったその人は、まっすぐにリュウジの席へ向かう。

 

「……サツキさん!?」

 シンゴがぱっと立ち上がった。

 

「久しぶり、シンゴ」

 サツキは軽く手を振り、それからリュウジを見る。

 

「どうしたんだ、サツキ」

 リュウジが短く言った。驚きよりも先に、状況を把握しようとする声だ。

 

「宇宙連邦連盟の仕事でね」

 サツキはそう言って、リュウジの机の上に紙束を広げた。

 薄いフィルムのような紙に、細い線がびっしり走っている。

 

「設計図……?」

 ルナが思わず覗き込み、メノリもシャアラも席を立つ。ベルは一歩遅れて近づき、シンゴはすでに目が完全に“技術者の目”になっていた。

 

「探索船の設計を頼まれたんだ」

 サツキは指先で図面の一部をトントンと叩く。

「長距離航行を前提にしてる。居住区画は最小、センサーと推進系に比重。……それで、操縦士としての意見が欲しい」

 

「俺に聞くな」

 リュウジは即答だった。

 机の上の図面に目も落とさず、淡々と言う。

 

 教室の空気が一瞬止まる。

 

「え、でも……」

 シンゴが口を開きかけると、リュウジが続けた。

 

「宙から離れて、もう期間が経ってる。サヴァイヴの帰還とブライアンの捜索で操縦はしたが、あれはネフェリスだったからだ」

 言葉が切れているのに、説明は的確だった。

「サヴァイヴの技術と、コロニーの現行技術は別物だ。今の常識も現場も知らない俺が助言したら、返って危険だろ」

 

「でも、サヴァイヴの技術とコロニーの技術が全然違うのは確かだけど……」

 シンゴが悔しそうに眉を寄せる。

「基礎の考え方とか、操縦士の“嫌な感じ”って、共通してるところもあるはずだよ! リュウジなら、そこを言語化できると思う!」

 

「それは現役の操縦士に聞け」

 リュウジは譲らない。

 

 ルナは、リュウジの横顔を見つめた。

 冷たい言い方。突き放しているように聞こえる。

 でも、たぶんこれは“拒絶”じゃない。責任の切り分けだ。

 

 ――やりたい事を見つけた。

 そのための区切りとして、S級パイロットを返上した。

 

 リュウジは、自分で決めた線を、今は守っている。

 中途半端に“過去の自分”を貸して、誰かの未来に傷をつけるのが嫌なんだ。

 

 ルナの胸に、理解と、少しの寂しさが同時に落ちた。

 

「……」

 ルナが何か言おうとして、言葉が見つからない。

 

 その隣で、メノリが腕を組んだ。

 

「断る理由は筋が通ってるでしょう」

 メノリはサツキに視線を向ける。

「“詳しい奴に聞け”ってのは正しい。……ただ、操縦士の感覚は紙の上に出ない。そこを埋めたいなら、別のやり方もある筈です」

 

「別のやり方?」

 シャアラが首を傾げる。

 

「リュウジに“助言”を求めるんじゃない」

 メノリは言い方を選びながら続けた。

「“質問を限定する”んだ。例えば、操作系の配置で危険になりやすいパターン、極限状況で判断を誤るインターフェース――そういう“人間側の落とし穴”だけを聞く」

 

 シンゴがぱっと顔を上げる。

「それ、いい……! 人間工学的な!」

 

 ベルも頷いた。

「俺も、言いたいことは分かる。操縦の上手い下手じゃなくて、事故の起こり方の話なら、経験がある奴ほど強い」

 

 サツキは、少しだけ目を細めた。

「なるほど。……でも、それでもいいかな、リュウジ」

 

「……」

 リュウジは一拍置き、ほんの少しだけ視線を落とした。

 机の上の設計図を、ようやく見る。

 

「限定した質問なら、答えられるかもしれない」

 小さく言って、すぐに首を振る。

「でも、俺の発言が設計に反映されるなら、責任が発生する。俺は現役じゃない。やるなら、監修は現役か、設計主任が取れ」

 

 その言葉に、ルナは思わず息を呑んだ。

 断っているのに、サツキを突き放していない。

 “ここまではできる、ここからはできない”を、はっきり示している。

 

 サツキは苦笑して、肩をすくめた。

 

「……悪いな。無理を言った」

 リュウジが言うと、

 

「ううん、大丈夫だよ」

 サツキは首を横に振った。

「最初から断られる可能性もあると思ってた。……でも、来てよかった」

 

 ルナは、胸の奥がほんの少しだけざわつくのを感じた。

 サツキの「来てよかった」が、リュウジに向けられた言葉だからだ。

 それが仕事上の意味だと分かっているのに、感情の方が先に反応してしまう。

 

(私、何やってるんだろ……)

 

 ルナは自分を落ち着かせるために、手を握った。

 

 リュウジが続ける。

 

「ブライアンなら紹介できる。あと、アズベルト先生」

 言いながら、サツキに端末の連絡先を送る動作をした。

「S級パイロットの二人なら現場も知ってるし、責任も取れる」

 

 サツキは端末を確認して、ぱっと表情を明るくする。

 

「助かる。お願いする時はよろしくね」

 サツキが言うと、リュウジは短く頷いた。

 

 周りの空気が、少し緩む。

 シンゴが嬉しそうに、設計図の端を指でなぞった。

 

「サツキさん、その探索船、航続距離ってどのくらい想定ですか!?」

 質問が飛ぶ。

 ベルも「船体材は?」と続け、シャアラは「宇宙船って、こういう線で描かれてるんだ……」と感心して、メノリは「目的が探索なら、乗員の心理負荷対策も必要だろ」と真面目に言う。

 

 サツキは一つ一つ、丁寧に答えていく。

 それは、仕事の場の会話なのに、どこか“サヴァイヴで皆が役割を持っていた頃”の空気に似ていた。

 

 ルナはその輪の少し外側で、リュウジの顔をそっと見た。

 彼は、輪に混ざるでもなく、離れるでもなく、必要な時だけ口を開き、あとは静かに聞いている。

 

 その横顔が、ルナには少し大人びて見えた。

 ――区切りをつけた人の顔。

 でも、仲間を捨てた顔じゃない。

 

 サツキが図面を片付けながら言う。

 

「この後、エリンさんにも意見をもらう予定なんだ。乗務側の視点も必要だからね」

 

 その名前が出た瞬間、ルナの胸がまた小さく跳ねた。

 美少女、って言葉に反応した自分を思い出して、余計に恥ずかしくなる。

 

 シャアラがルナの顔色をちらりと見て、そっと耳打ちした。

「ルナ、さっきから表情、忙しいよ」

 

「え、な、なにが?」

 ルナが慌てると、

 

「分かりやすい」

 メノリがぼそっと言い、口元だけで笑った。

「心配するな。お前はお前だろ」

 

 ルナは頬が熱くなるのを感じて、うつむいた。

 そのタイミングで、リュウジが小さく息を吐いて言う。

 

「……ルナ」

 名前を呼ばれて、ルナは顔を上げる。

 

「さっきから変な顔してる」

 リュウジは淡々と言った。

 からかいではない。心配でもない。事実の確認みたいな声。

 

「してないよ」

 ルナは即座に返し、少しだけ強めに言ってしまった。

「……してない、はず」

 

 リュウジは一瞬だけ目を細めた。

 それが笑いなのか、呆れなのか、ルナには判別できない。

 

「ならいい」

 それだけ言って、リュウジはサツキに視線を戻した。

「……紹介の件、進めるなら早めに動け。設計は後から変えるほど金が飛ぶ」

 

「分かってる」

 サツキが頷く。

「ありがとう、リュウジ。……じゃあ、私は行く」

 

 サツキが教室を出ていく。

 扉が閉まった後、教室の空気はすっと日常に戻った。

 

 ルナは、胸の奥のざわざわが少し落ち着いていくのを感じた。

 “美少女”という言葉に過剰反応した自分が恥ずかしい。

 でも、恥ずかしいということは――自分の中に、ちゃんと気持ちがあるということでもある。

 

「……さて」

 メノリが手を叩く。

「新学期だ。生徒会も忙しくなる。寄り道して帰るなら気をつけるんだぞ」

 

「そうだね」

 ベルが穏やかに言って、シンゴが笑う。

「でも、分かる! 新学期って、なんか疲れるもん!」

 

 シャアラが小さくあくびをして、ルナは思わず笑った。

 

 空席は、まだ空席のままだ。

 でも、その空席の向こうに、二人の“今”がある。

 

 ルナは、机の端を指でなぞりながら、心の中で小さく呟いた。

(私も、進まなきゃ)

 

 そして、隣にいるリュウジを見た。

 彼は彼で、自分の線を引き直して進んでいる。

 

 新学期の風は、少し冷たい。

 けれど、その冷たさがあるから、春は確かに始まっていく。

 

ーーーー

 

 指定された喫茶店は、エアポートの外れにある小さな店だった。ガラス越しに見える夕方の滑走路は、淡い光を反射して静かに輝いている。

 サツキが扉を押すと、ベルの音が柔らかく鳴った。

 

 奥の窓際――既にエリンが席に着いていた。長い緑髪を肩に流し、手元の端末で資料を眺めている。制服ではないが、きちんとした装いは乗務員らしい清潔感がある。テーブルの上には、湯気の立つハーブティーと、もう一つ空のカップ。

 

「……エリンさん」

 サツキが近づきながら頭を下げる。

「すみません、忙しいのに。急に呼び出してしまって……」

 

 エリンは端末から顔を上げ、いつもの落ち着いた笑みを向けた。

 

「大丈夫よ。こっちも、ちょうど休憩を入れたかったところ」

 そして空のカップを指さす。

「サツキ、座って。飲み物、何がいい?」

 

「いえ、私が――」

 

「いいの。今日は“打ち合わせ”でしょ?」

 エリンはそう言って店員を呼び、サツキの注文を先に通した。サツキが席に腰を下ろすと、エリンは自然な動作で端末を横にずらし、テーブルの真ん中に空間を作る。そこにサツキが図面の束を置けるように。

 

「……それで」

 エリンの声が少しだけ仕事のトーンになる。

「探索船の設計、だっけ。操縦側と乗務側、両方の視点が欲しいって」

 

「はい」

 サツキは図面を広げ、指先で要点を示した。

「長距離航行前提で、探索任務にも対応できる。乗員は最小。居住スペースは削って、センサー・推進・補給を優先してます。……ただ、実際に“人が乗る”ってなると、やっぱり不安が残って」

 

「うん、そこが一番落とし穴」

 エリンは頷き、図面を見下ろしたまま言った。

「船は“性能”だけなら強く作れる。でも、運用するのは人間。怖がる人も、焦る人も、空腹の人も、眠い人も乗る。事故は機械より、人の心と習慣のほころびから起きることが多い」

 

 サツキはペンを握り直し、エリンの言葉を逃すまいと姿勢を正した。

 

「まず、私が見るのは“動線”」

 エリンは図面の通路に沿って指でなぞる。

「緊急時に、人がどこへ流れるか。乗員がどこへ走るか。逆流しないか。扉の幅、角、視界。暗闇や煙で視界が悪い状況でも、迷わない構造かどうか」

 

「動線……」

 サツキが呟くと、

 

「それから“見えるもの”」

 エリンは指を止めた。

「表示。光。色。非常灯の位置。非常口の矢印。床面誘導。――乗客は、説明を聞いても忘れる。怖くなると余計に忘れる。だから視界に入る“道しるべ”が必要」

 

「航宙用だから、乗客は基本乗せない想定なんですけど……」

 サツキが言うと、エリンは否定しなかった。

 

「乗客がいなくても同じよ」

 エリンは穏やかに言った。

「乗るのが研究員でも、整備士でも、若いパイロットでも。慣れてない人間が一人混ざった瞬間、船は“旅客機”みたいになる。しかも長距離なら、疲労で判断が鈍る。だから“分かりやすい設計”は絶対に必要」

 

 サツキは小さく息を吐いた。

 宇宙連邦連盟の仕事は、数字と規格と成果が優先される。けれど、エリンの言うことは、数字に表れない“現場の真実”だった。

 

「次は“音”」

 エリンが言う。

「警報音は種類を増やしすぎない。緊急か、注意か、復旧か。迷うと人は止まる。止まるのが一番危ない。あと、アナウンスが通る設計――スピーカーの配置、反響、遮音。個室や貨物区画に人がいたら、聞こえる?」

 

 サツキは頷きながら、メモを取った。

 エリンは淡々と続ける。淡々としているのに、言葉の端々に現場の熱がある。

 

「それと“備え”」

 エリンが図面の一角を指した。

「医療スペース。最低限の処置ができる場所。隔離できる場所も。感染症だけじゃなくて、パニックも“感染”するから」

 

「隔離……」

 サツキの眉が動いた。

 

「落ち着ける場所が必要なの」

 エリンは言い換えるように微笑む。

「人が怖くなった時、閉じ込めるんじゃなくて、安心できる場所に移せるように。照明、匂い、音。そういうのも設計で変わる」

 

 注文していた飲み物が届き、サツキは一礼してからカップを両手で包んだ。

 温かさが指先に伝わる。

 

「……すごいですね」

 サツキが素直に言う。

「設計図って、線の集まりに見えるのに。エリンさんは、そこに人の顔が見えてる」

 

「見えないと困るのよ」

 エリンは軽く肩をすくめた。

「私は乗務員だから。機体の外側じゃなくて、内側の空気を守る仕事」

 

 サツキは図面をめくり、別ページの推進系統に目を落とす。

 

「推進と電源の冗長性は、技術者がかなり頑張ってくれてて……」

 そこで少し言いにくそうに、言葉を止める。

「……操縦士側の意見を聞きたくて、リュウジのところにも行ったんですが、断られました」

 

 エリンの眉が、ほんの少しだけ上がった。

 意外だったのは確かだろう。リュウジは、頼られれば何だかんだで動く。そういう人間だと、エリンも知っている。

 

「……そう」

 エリンは短く相槌を打つ。

 けれど、すぐに表情が整う。

「リュウジが断るの、意外だけど……どこか“リュウジらしい”気もする」

 

「私も、そう思いました」

 サツキは頷いた。

「“今の現場を知らない自分が助言したら危険だ”って。責任の話をしてました。現役の監修をつけろ、とも」

 

 エリンはカップを置き、指先でテーブルを軽く叩いた。

 考えをまとめる癖だ。

 

「……区切り、つけたんだよね」

 エリンがぽつりと言う。

 

「はい」

 サツキは言葉を選びながら続ける。

「S級パイロットを返上して、やりたい事を見つけたからだと思います」

 

 エリンは、少しだけ目を細めた。

 その表情は、困惑というより――理解に近い。

 

「……そういう時のリュウジは、線を引くの」

 エリンは静かに言う。

「誰かを突き放す線じゃない。自分が守るべきものを守るための線。曖昧にすると、全部が壊れるって知ってるから」

 

 サツキは頷いた。

 その線の引き方は、とてもリュウジらしい。正しい、と思う。正しいが――同時に、寂しくもある。

 

「でも、紹介はしてくれました」

 サツキが言う。

「ブライアンさんと、アズベルトさん。現役と責任の取れる人に、って」

 

「それが答えね」

 エリンは微笑んだ。

「リュウジは断るけど、道は塞がない。……昔からそう」

 

 少し沈黙が落ちる。喫茶店のBGMと、カップに触れる小さな音だけが間を埋めた。

 

 エリンは改めて図面に視線を戻し、話を仕事へ引き戻す。

 

「操縦士の視点が欲しいなら、私から言えるのは“操縦士が孤立しない設計”」

 エリンは操縦席周りの図を指で示す。

「外の情報だけに集中しすぎると、内側が見えなくなる。逆も同じ。だから、通信の窓口を整理して、必要な情報が“押し寄せない”ようにする。特に緊急時、情報が多すぎると判断が遅れる」

 

「情報量の制御……」

 サツキが呟く。

 

「操縦士は強いけど、人間」

 エリンは淡々と言う。

「疲労する。焦る。怒る。怖がる。――その時に、余計な確認を減らす設計が必要。チェックリストが取りやすい場所、手を伸ばす範囲、表示の統一。手袋をしたままでも操作できるボタンの感触。滑り止め。全部、“救命装置”になる」

 

 サツキのペンが止まらない。

 エリンの言葉は、設計の箇所箇所に刺さっていく。

 

「あとね、サツキ」

 エリンが声を少し柔らかくする。

「“完璧な船”を目指しすぎないこと。現場は必ず想定外が起きる。だから必要なのは、想定外が起きても“人が立て直せる余白”」

 

「余白……」

 サツキは繰り返し、ふっと笑った。

「設計で余白を作るって、矛盾してるみたい」

 

「矛盾じゃない」

 エリンはきっぱり言った。

「余白はコストじゃない。保険。命のための余白。……私は、その余白に何度も救われた」

 

 サツキは、その言葉の重みを感じて、背筋が伸びた。

 エリンは、危険な状況を知っている。生きて帰ってきた人の言葉だ。

 

「ありがとうございます」

 サツキは深く頭を下げた。

「今日の話、全部まとめて、技術班にも共有します。……リュウジの件も、無理を言ったのに、道を作ってくれたって伝えます」

 

「それがいい」

 エリンは頷き、最後にひとつだけ付け足すように言う。

「もし、どうしても操縦士の“感覚”が必要なら、現役に聞いて。ブライアンさんでもいいし、アズベルトさんでもいい。だけど――“過去の英雄”に頼りすぎないで。リュウジが今、そこから降りた理由、あなたも分かってるでしょう?」

 

 サツキは、静かに頷いた。

 分かる。

 分かるからこそ、胸の奥が少しだけ痛む。

 

 エリンはカップを持ち上げ、柔らかく微笑む。

 

「大丈夫。船は作れる。人は育つ。道は繋がる」

 そう言って、サツキの図面の端を軽く押さえた。

「あなたが真面目に悩んでる時点で、この船はきっと、ちゃんと“生きた船”になる」

 

 サツキは、胸の奥に溜まっていた息を、ゆっくり吐いた。

 喫茶店の窓の外、夕暮れの滑走路に、ひとつの光が点る。

 それは、これから飛ぶための準備灯みたいに見えた。

 

ーーーー

 

 カップの底に残った温かさを指先で確かめるように、エリンは両手で陶器を包み直した。窓の外では、夕暮れの滑走路灯がひとつ、またひとつと点っていく。

 サツキの広げた探索船の図面は、紙の白さのままでも、どこか“冷たい”匂いがした。金属と真空と、想定外の匂い。エリンはそれをよく知っている。

 

「……ところで、サツキ」

 エリンは視線を図面から外し、ふと軽い調子に戻した。仕事の話をし続けると、相手の肩が固くなるのを分かっているからだ。

「この探索船の話、ペルシアにも聞くの?」

 

 サツキは一瞬、息を呑んでから頷いた。

「あ、はい。声は掛けさせて貰ったんですけど……忙しいからって言われて、断られました」

 

 エリンの眉が僅かに動く。予想外というより、嫌な予感に近い反応だった。

 

「……そうなのね」

 エリンは小さく呟き、カップを置いた。

「最近、ペルシアの様子が変なのよね」

 

「そうなんですか?」

 サツキの声が少しだけ上ずる。

 ペルシアはいつも騒がしくて、強くて、勝手で――それでも芯のところで、誰よりも仲間の命を大事にする人間だ。サツキにとっては、遠い大人というより“戦場の先輩”に近い。そんなペルシアが“変”という言葉で語られるのは、胸の奥がざわついた。

 

「うん」

 エリンは頷き、視線を落としたまま続ける。

「連絡しても、繋がらないのよね。既読にもならない時があるし……いつもなら、面倒くさそうにでも返すのに」

 

 サツキは唇を噛む。

「……ペルシアさん、仕事が立て込んでるって言ってました。宇宙管理局の方で、何か大きい案件があるのかも」

 

「それならそれで、ひと言ぐらい言うでしょ」

 エリンは、いつもより少しだけ鋭い声になった。すぐに自分で気づき、息を整える。

「……ごめん。私、ちょっと気にしすぎかも」

 

 サツキは首を横に振った。

「いえ。エリンさんが“変”って言うなら、気にした方がいい気がします」

 

 エリンは苦笑して、軽く肩をすくめた。

「そう言われると、余計に怖くなるわね」

 

 少しの沈黙。喫茶店の奥でスプーンが触れ合う音がした。外からは遠いアナウンスが、ガラス越しにぼんやりと流れてくる。

 

 サツキは話題を戻すように、図面の端を指で押さえた。

「探索船の件は……ペルシアさんに無理に頼むつもりはないです。私の方で、現役の操縦士や整備の人にも話を回して、別ルートで集めます」

 

 エリンはサツキの手元を見て、頷いた。

「それがいい。ペルシアは頼めば来る時もあるけど、来ない時は“来ない理由”がある。そこに無理に踏み込むと、逆に拗れることもあるから」

 

「拗れる……」

 サツキが聞き返すと、

 

「ペルシアはね」

 エリンは言葉を探してから、やわらかく続ける。

「怖い時ほど、強い顔をするの。強く振る舞えば振る舞うほど、誰にも触れられなくなる。……それが長所にも短所にもなる」

 

 サツキは息を飲んだ。

 それは“ペルシア”という人物の説明であると同時に、エリン自身が何度も目にしてきた“人が壊れないための癖”の話にも聞こえた。

 

「でも、繋がらないのは……やっぱりおかしいですね」

 サツキが小さく言う。

 

「うん」

 エリンは頷き、今度は迷いなく携帯端末を取り出した。

「……ちょっとだけ、もう一回かけてみる。今なら、忙しくても切るぐらいはできるでしょ」

 

 指先が素早く操作し、発信音。

 ――コールは鳴る。けれど、繋がらない。

 規則的な呼び出し音が、妙に長く感じた。

 

「……やっぱり」

 エリンは通話を切り、画面を見つめる。

 “圏外”ではない。着信拒否でもない。ただ、出ない。

 サツキはそれだけで、背中に冷たいものが走った。

 

「メッセージ、送ります?」

 サツキが提案すると、エリンは端末を持ったまま少し考えた。

 

「送るわ」

 エリンは短く言い、文字を打ち込む。

 ――『忙しいのは分かってる。返事はいらないから、無事なら一言だけ。心配してる』

 送信。既読はつかない。

 

 エリンは端末を伏せ、深呼吸した。普段の彼女なら、感情を顔に出さない。けれど今は、ほんの僅かに不安が滲んでいる。

 

「……ごめんね、サツキ。せっかく打ち合わせしてるのに」

「いえ」

 サツキは真っ直ぐ首を振った。

「私も、ペルシアさんには……助けられてばかりですから。放っておけないです」

 

 エリンはその言葉に、ふっと笑みを戻した。

「そういうところ、いいわね。……だからあなた、仕事で信頼される」

 

 サツキは頬を掻いて、少しだけ照れたように視線を逸らす。

「信頼、というより……怖いだけです。怖いから、確認したくなる」

 

「それは、正しい怖さよ」

 エリンは断言する。

「怖いのに見ないふりをするのが一番危ない。宇宙船も、人も同じ」

 

 エリンは話を切り替えるように、再び図面へ指先を落とした。

「ペルシアが動けないなら、代案。あなた、もう一つ“窓口”作っておくといい」

 

「窓口?」

「運用の窓口。現場で指揮を執る人」

 エリンは操縦席周りと乗員スペースの境目を示す。

「設計が固まっても、最後は“誰がこの船を使うか”で変わるの。運用ルール、緊急手順、訓練計画。そこまで一緒に考えてくれる人が必要」

 

 サツキは頷く。

「……宇宙管理局の運用班か、宇宙連邦連盟の規程班に当たってみます」

 

「うん。あと、操縦士の“癖”を吸い上げる役が欲しいなら――」

 エリンは少し言いにくそうに、言葉を止めた。

 

「……リュウジですか?」

 サツキが先に口にすると、エリンは苦笑した。

 

「そう。でも、今のリュウジは“区切り”を守ってる」

 エリンは静かに言う。

「だから、無理に引き戻すような頼み方はしない方がいい。もし必要なら、技術の話としてじゃなくて、“安全の話”として、短い確認を一つだけ。そういう頼み方なら、リュウジは応える可能性がある」

 

「安全の話として……」

 サツキは復唱し、メモに落とす。

 

「リュウジはね、断る時でも“守りたいもの”がある時は、ちゃんと守るの」

 エリンはそう言って、少しだけ遠い目をした。

「だから断られたってことは、“今の自分が関わることが危険だ”って、本気で思ったんでしょうね。……責任感が変な方向に尖ってるのよ、あの子」

 

 サツキは小さく笑った。

「そこ、すごく想像つきます」

 

 エリンも笑う。けれど、笑いの後にほんの一拍、影が落ちる。

 ペルシアのことだ。

 

「……ペルシア、どこにいるのかしら」

 エリンは独り言みたいに呟いた。

「忙しいって言うなら、声ぐらいは聞きたいのに」

 

 サツキは、カップを握る手に力を入れた。

「私の方でも、宇宙管理局の知り合いに当たってみます。行動予定とか、せめて所属ブロックの状況とか」

 

「ありがとう」

 エリンは、まっすぐサツキを見た。

「……でも、深入りしすぎないで。ペルシアは、踏み込まれるのが苦手。助けを求めるのも下手。だから、こちらから行きすぎると、余計に距離を取る」

 

「分かります」

 サツキは頷いた。

「“無理やり助ける”じゃなくて、“帰ってこれる場所を残す”……そういうやり方ですよね」

 

 エリンは、少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。

「うん。そう。それ」

 

 窓の外で、またひとつ灯りが点る。

 滑走路の光は、飛び立つためでも、降りてくるためでもある。

 帰るための道しるべだ。

 

 エリンは深呼吸して、いつもの落ち着いた声に戻った。

 

「よし。探索船の話、続きましょう。ペルシアのことは……私がもう少し探る。あなたは船を作る。役割分担ね」

「はい」

 サツキは姿勢を正した。

「……エリンさん。ありがとうございます」

 

「礼はいらない」

 エリンは図面に指先を置き、仕事の顔になる。

「私は“中の空気”を守るのが仕事。船も、人も。……それに、ペルシアがいない間は、私がうるさくしておかないと、あの人が帰ってきた時に怒られるもの」

 

 サツキは小さく笑って、頷いた。

 その笑いの奥に、同じ不安が残っている。

 けれど、今はまだ、確かめる術が少ない。

 

 だからこそ――二人は、目の前の図面に向き合った。

 “人が戻ってこられる船”を作るために。

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