サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

90 / 181
トランプ

 二日目の朝は、宿舎の廊下に流れる起床アナウンスで始まった。

 柔らかな電子音のあとに、淡々とした女性の声が「本日の体験プログラムは七時三十分より開始します」と告げる。窓の外には、木星の巨大な縞模様がゆっくりと流れていて、まるで空そのものが生き物みたいだった。

 

 ルナはベッドから起き上がり、軽く伸びをした。

 昨夜は眠れた。……眠れたはずなのに、胸の奥が落ち着かない。こういう場所に来ると、去年の記憶がふと手を伸ばしてくる。

 

「ルナ、起きてる?」

 シャアラが髪をゆるく結びながら、顔を出した。いつもより少し眠そうで、でも目はしっかりしている。

 

「起きてるよ。シャアラは?」

「私も起きた。……なんかさ、昨日のこと思い出して寝つき悪かった」

 シャアラは苦笑して、肩をすくめた。

 

 ルナは頷いた。

「分かる。ここ、安心なはずなのにね」

 

 廊下を出ると、メノリが既に制服の上に防寒ベストを着て立っていた。手にはタブレット。いつもの“生徒会長”の顔だ。

 

「遅いぞ」

 メノリが言う。

「体験だからといって気を抜くな。集合時間は守るべきだろ」

 

「ごめんごめん」

 ルナが笑うと、メノリは「謝るなら次からだ」と軽く釘を刺す。

 

 その背後から、のんびりした声が聞こえた。

「俺はまだ眠いな……」

 ベルが欠伸を噛み殺しながら歩いてくる。大きな体が揺れているのに足音は静かで、相変わらず気配が優しい。

 

「ベル、ちゃんと寝た?」

「寝たけど、木星の光って落ち着かないんだよね……」

 

「分かる! 僕、あの縞模様見てると、時間の感覚がずれる気がする」

 シンゴが元気よく混ざった。すでに髪は整っていて、目がきらきらしている。こういう“新しい設備”のある場所に来ると、興奮が勝つのだろう。

 

「シンゴ、今日は機械室に近づきすぎないでよ」

 ルナが言うと、シンゴは笑って手を上げた。

「大丈夫! 今日は“正式に”触れる時間があるって案内に書いてあったからね!」

 

「……案内にないところには触るなよ」

 低い声が最後に加わる。

 

 振り向くと、リュウジが廊下の影から現れた。目の下に僅かな隈。昨夜の読書のせいだと、ルナはすぐ分かった。

 でも姿勢は崩れていなくて、いつもの距離感のまま、皆の輪の端に自然に入る。

 

「おはよ、リュウジ」

 ルナが言うと、リュウジは小さく頷いた。

「……おはよう」

 

 ――この“おはよう”だけで、妙に安心してしまう自分がいる。

 ルナはそんな自分に気づいて、少しだけ頬の内側を噛んだ。

 

 

 朝食は宿舎併設の食堂だった。

 栄養バーに近い簡易食かと思っていたら、ちゃんと温かいスープと焼き立てパンが出る。バターの匂いがして、シンゴは感激し、ベルは静かにおかわりをした。メノリは「食事は集中力に直結する」と真面目に言い、シャアラは「でもおいしいのは正義」と笑った。

 

 食堂を出ると、開拓体験センターのスタッフが広場で待っていた。

 今日は“開拓二日目:基盤整備と危機対応”というメニューらしい。

 

「午前は居住ドームの環境維持と資材管理、午後は外縁エリアでの探査・設営模擬、最後に緊急対応訓練を行います」

 スタッフが説明し、タブレットで各班に作業内容が配られる。

 

 ルナたちの班は、午前が「居住ドームの環境モニタリング+水循環ライン点検」、午後が「小型ローバーでの地形スキャン+簡易アンテナ設置」、そして最後が「気密トラブル対応訓練」だった。

 

「……最後、嫌な予感がする」

 シャアラがぼそっと言う。

 

「訓練だ。嫌な予感がするなら、備えればいいだろ」

 メノリはいつもの調子で言うが、目は少しだけ硬い。

 去年の“気密”がどれだけ怖かったか、皆が知っている。

 

 リュウジが短く言った。

「訓練の方がいい。実際に起きるより百倍マシだ」

 

 ルナは頷いた。

「うん。だから、今日こそ“ちゃんと”やろう」

 

 

 午前の作業は、ドーム内の管理室から始まった。

 壁面には空気循環、水循環、温度、湿度、二酸化炭素濃度などのグラフが並び、淡い緑色の照明が作業空間を落ち着かせている。

 

「見て、これ。水循環ラインの圧がちょっとだけ変動してる」

 シンゴが指を滑らせ、グラフを拡大する。

 

「ほんとだ。……でも規定範囲内だね」

 ルナが確認すると、メノリが腕を組んで頷いた。

「規定範囲内でも、原因を見逃すな。小さな異常が大きな事故につながるだろ」

 

「じゃあ、実際に配管の接続部を見に行こう」

 ルナが言うと、ベルが一歩前に出た。

「俺が行く。」

 

「僕も行く!」

 シンゴが即答する。

 

「シンゴは手元をよく見ろ」

 リュウジが釘を刺すと、シンゴは「分かってる!」と口では言いながら、少しだけ背筋を正した。

 

 ルナは配役を決めた。

「ベルとシンゴとリュウジが配管ライン。私はモニター側で数値を見て、メノリはチェックリストと記録。シャアラは工具と備品管理お願い」

 

「了解」

 シャアラは軽く手を振った。

 

「私も動こう」

 メノリは言って、記録用のタブレットを操作する。

 昔なら「私が全部やる」と言っていたはずだ。でも今は、頼ることを覚えている。それが分かって、ルナは少しだけ嬉しかった。

 

 配管ラインの点検は、思ったより地味だった。

 透明なカバーの奥を通る細い水路、接続部のパッキン、圧力調整バルブ。ベルがカバーを外し、シンゴが小型センサーで漏れや歪みを探る。

 

「ここ、微妙に結露がある」

 シンゴが言う。

 

「温度差か?」

 リュウジが覗き込む。

 

「たぶん。断熱材の張り方が甘い」

 シンゴが言い、ベルが「貼り直そう」と呟いた。

 

 ルナはモニターで圧の変動と同期する箇所を照合しながら、指示を出す。

「その接続部、断熱材の固定を追加してみて。圧のグラフ、今少し落ち着いてきた」

 

「了解!」

 シンゴは嬉しそうに声を上げ、ベルは黙って作業を進めた。

 

 シャアラは工具を渡しながら、ふっと笑う。

「こういうの、サヴァイヴでもやった気がするね」

 

「やったね」

 ベルが優しく返した。

「でも、あの時は“やらなきゃ死ぬ”だった。今日は“やれば安全”だ」

 

「……言い方、ベルらしい」

 シャアラは少し照れたように笑った。

 

 ルナは胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。

 同じ作業でも、意味が違う。

 “生き延びる”ための必死さじゃなく、“暮らす”ための積み重ね。

 それを、今、皆でやっている。

 

 

 午後は外縁エリアへ移動した。

 ドームの外は、実際の木星圏の環境を模した“開拓フィールド”。薄い装甲壁の向こうに人工重力と遮蔽が整えられ、地面は灰色のレゴリスを再現した素材で覆われている。

 

 全員、軽量の作業スーツを着用し、ヘルメットのバイザーを下ろす。

 空気はある。けれど“外”の空気の匂いは少し違う。乾いていて、機械的で、どこか冷たい。

 

「……思い出すなぁ」

 ルナが小さく呟くと、リュウジが横目で見た。

「思い出すのは勝手だ。でも、今は今だ」

 

「分かってる」

 ルナは短く返す。

 リュウジの言葉は冷たいのに、不思議と突き放してはいない。ルナはそれを知っている。

 

 ローバーは小型で、六輪。シンゴが目を輝かせて操作端末を握る。

「僕が操縦担当でいい?」

 

「暴走させるなよ」

 メノリが言う。

 

「暴走しないよ! ちゃんとルート計算するから!」

 シンゴはむしろ嬉しそうだ。

 

 ルートは“地形スキャンポイント”を三か所回り、最後に簡易アンテナを立てる。

 ベルがアンテナ支柱を肩に担ぎ、シャアラが固定具を抱える。メノリがチェック表を読み上げ、ルナが全体の歩調を合わせる。

 リュウジは最後尾で、周囲を静かに見ていた。歩き方が、どうしても“外”のそれだ。

 

 最初のスキャンポイントでは、シンゴがローバーを止め、地面にセンサーを下ろした。

 タブレットの画面に、地中の密度と空洞の有無が表示される。

 

「ここ、地中が均一だ。基礎に向いてる」

 シンゴが言うと、メノリが頷いた。

「なら、アンテナ設置予定地として妥当だろ」

 

 二つ目のポイントでは、逆に空洞が見つかった。

「……この下、空間がある」

 シンゴの声が少し硬くなる。

 

「危ないね」

 シャアラが言い、ベルがさりげなくシャアラの近くに立った。

 その動きに、ルナは小さく目を瞬かせる。

 ――ベル、自然に守る側になってる。

 

 リュウジが地面を軽く踏み、音の響きを確かめた。

「避けろ。ここは踏むな。設営するなら補強前提だ」

 

「分かった」

 ルナはすぐに指示を変える。

「スキャン結果は記録して、ここは立ち入り注意に。三つ目のポイントへ行こう」

 

 三つ目のポイントでアンテナ設置に入った。

 ベルが支柱を立て、シャアラが固定具を渡し、シンゴが角度を測り、メノリがチェックを読み上げる。

 

「固定ボルト、締結確認」

「確認」

「水平、許容範囲」

「確認」

「通信テスト、送信」

「……受信、OK!」

 シンゴが嬉しそうに叫び、皆の緊張が少し解けた。

 

「やったね」

 ルナが笑うと、メノリも口元だけ緩めた。

「まあ、当然だろ」

 

 シャアラが小さく拍手する。

「こういうの、いいね。ちゃんと“開拓”って感じ」

 

「俺もそう思う」

 ベルが静かに言った。

 

 ――去年は、“生きる場所”を自分たちで作るしかなかった。

 今日は、“未来の場所”を作る練習をしている。

 同じ“作る”でも、涙が出るほど違う。

 

 

 最後のプログラムは緊急対応訓練だった。

 宿舎に戻る途中、スタッフが全員をホールに集め、簡単に説明をする。

 

「今回の訓練は、居住区画での気密異常を想定します。警報が鳴ったら、班ごとに手順に従って対応してください。焦りが一番の敵です」

 

 その言葉に、ルナの喉が少しだけ乾いた。

 去年、警報の音は“終わり”の音だった。

 でも今は違う。違うはずだ。

 

 ……そのはずなのに、警報が鳴った瞬間、心臓が跳ねた。

 

 キィィィン、と鋭い音。

 赤いランプ。

 壁面モニターに「気密低下」の表示。

 

 ルナは呼吸を整え、声を出した。

「みんな、手順通り! ヘルメット確認、バイザー下ろして!」

 

「了解」

 ベルがすぐに答え、シャアラも頷く。

 

「僕、気密センサー確認する!」

 シンゴが端末を操作する。

 

「落ち着け。走るな」

 リュウジが低く言い、シンゴは一拍おいて速度を落とした。

 

 メノリがチェック表を開く。

「まず、区画の隔壁を閉じる。次に漏洩箇所の推定だろ。ルナ、指揮を続けろ」

 

「うん」

 ルナは頷き、目を動かす。モニターの数値、警報音の種類、空気圧の落ち方。

 ……知ってる。こういう時に必要なのは、“恐怖に飲まれないこと”。

 

 シンゴが叫ぶ。

「漏洩推定、北側通路! 圧の落ちがそこからだ!」

 

「ベル、シャアラ、隔壁閉鎖確認!」

「俺が行く」

 ベルが大きく頷き、シャアラもついていく。

 

 メノリが言う。

「私はここで記録と、次の指示をまとめる。ルナ、行け」

 

 ルナは一瞬だけ迷った。

 去年の自分なら、全部自分でやろうとした。

 でも今は――頼れる。

 

「リュウジ、一緒に来て」

 ルナが言うと、リュウジは当たり前のように頷いた。

「ああ」

 

 二人は北側通路へ向かう。

 途中、通路の壁面に貼られた“応急パッチ”と“泡状シーラント”のラックを確認し、ルナが必要な物を掴む。

 

「……冷静だな」

 リュウジがぽつりと言う。

 

「怖いよ。でも、怖いまま動けるって、サヴァイヴで覚えた」

 ルナは短く返した。

 

 通路の角で、微かな風の流れを感じる。

 音は小さい。でも確かに、空気が抜けている。

 

 ルナが指で示す。

「ここ……!」

 

 リュウジは一瞬で状況を見て、ルナの手元を確認した。

「パッチ貼る。泡はその上から。焦るな」

 

「分かってる」

 ルナは頷き、パッチを当て、密着させる。泡状シーラントを上から塗布し、表面をならす。

 手が震えそうになるのを、歯を食いしばって抑えた。

 

 ――大丈夫。訓練だ。

 ――今は、守れる。

 

 数値が少しずつ落ち着く。

 モニターの赤が、黄色に変わり、そして緑に戻った。

 

 警報が止まった。

 

 その瞬間、ルナは息を吐き、膝が少しだけ笑うのを感じた。

 リュウジが横から支えるように立っていて、当たり前のように言った。

 

「……よくやった」

「リュウジもね」

 ルナは小さく笑った。

 

 そこへベルとシャアラが駆け――いや、駆けそうになって止まり、近づいてくる。

「閉鎖完了!」とベル。

「隔壁、問題なし!」とシャアラ。

 

 少し遅れて、シンゴとメノリも合流した。

 メノリは一瞬、皆の顔を見てから、短く言う。

 

「……全員無事。なら合格だろ」

 その声が、少しだけ震えていたのを、ルナは見逃さなかった。

 

 

 訓練終了後、ホールに戻ると、スタッフが拍手をした。

「非常に良い対応でした。特に、班内の役割分担と指揮が明確でしたね」

 

 ルナは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

 サヴァイヴの時、褒められる余裕なんてなかった。

 でも今は、“成長した”って言ってもらえる。

 

 夕食は昨日より少し豪華だった。

 小さなデザートまでついていて、シンゴが歓声を上げ、シャアラが「今日はぐっすり寝れそう」と笑った。

 ベルは静かに「訓練のときのルナ、すごいと思った」と言い、ルナは照れて「やめてよ」と返した。

 メノリは「当然だろ」と言いながら、箸の動きが少しだけ軽い。

 

 リュウジは多くを語らなかった。

 でも、食卓の端で、皆の様子を見ている眼差しが、いつもより柔らかい気がした。

 

 自由時間になり、部屋へ戻る廊下で、ルナはふと足を止めた。

 窓の向こうに、木星の光。

 巨大で、怖いほど美しい。

 

「……ねえ、リュウジ」

 ルナは隣を歩く彼に言った。

 

「何だ」

「今日、ちゃんと“今”を感じられた」

 ルナは小さく笑う。

「去年のこと、忘れられないけど。……でも、今年は今年って思えた」

 

 リュウジは少しだけ黙り、やがて短く答えた。

「それでいい」

 

 その言葉は、励ましでも慰めでもない。

 ただ、肯定だった。

 ルナはそれが嬉しくて、胸の奥がふわっと軽くなった。

 

 二日目は終わる。

 明日は三日目。帰る日。

 けれど今夜だけは、この木星の夜が、少しだけ優しく感じられた。

 

ーーー

 

 夕食を終えた宿舎のロビーは、昼間の訓練の張り詰めた空気が嘘みたいに、ゆるやかな賑わいに包まれていた。壁際の自販機のランプが控えめに瞬き、天井の照明は暖色で、ソファに腰を落ち着ける生徒たちの声が、波のように行き来している。

 

 ルナは紙コップのホットミルクを両手で包み、ふう、と息を吐いた。

 訓練の最後、警報が止まった瞬間の胸の震えが、まだ奥に残っている。だけどそれは、怖さだけじゃない。ちゃんとやれた、という安堵と、皆が一緒にいてくれたという実感が混ざっている。

 

「……ねぇ、トランプやろう」

 唐突に言い出したのはシャアラだった。

 

 シャアラはソファの背に腕をかけ、少しだけ上機嫌な顔をしていた。昼間の訓練で怖かった分、今は何か、軽いことをしたいのだろう。

 普段なら読書に潜る時間のはずなのに――そんな変化が、ルナにはなんだか嬉しかった。

 

「トランプ?」

 ルナが聞き返すと、シャアラは小さく頷いた。

 

「うん。こういう時って、みんなでワイワイした方がいいと思うの」

 言って、シャアラはポケットから小さなトランプの箱を取り出した。宿舎の備品らしく、端が少し擦れている。

 

「……準備いいね」

 ルナが笑うと、シャアラは少しだけ照れて「たまたま、部屋の引き出しに入ってた」と言い訳する。

 

「やるなら、私も参加する」

 メノリが椅子を引いて座った。相変わらず背筋が伸びていて、言葉も硬いけれど、目は嫌がっていない。むしろ、どこか「負けないぞ」という光がある。

 

「僕もやりたい!」

 シンゴがすぐに手を挙げる。

「こういうゲームって、頭使うから好きなんだ」

 

「俺も」

 ベルが短く言って、ゆっくりと席に着いた。

 ベルの声は落ち着いていて、こういう時でも周りを安心させる温度がある。

 

 最後に、ソファの端で本を読んでいたリュウジに視線が集まる。

 

「……リュウジもやる?」

 ルナが声をかけると、リュウジは本を閉じて、淡々と頷いた。

 

「ああ。暇だしな」

 そう言いながら、椅子を引く動きだけは無駄がない。

 ――この人、何をしても“慣れてる”感じがする。

 

 シャアラがトランプを切りながら言った。

「じゃあ、何にしよう。大富豪でもいいけど……」

 

「……ババ抜きが無難じゃないかな」

 ベルが言う。

 

「うん、ババ抜きにしよう!」

 ルナが賛成すると、シャアラも頷いた。

「じゃあ、ババ抜きね」

 

 カードが配られる。

 それぞれが手札を整理し、同じ数字を捨てていく。最初は皆、軽い笑い声で始まった。シャアラが「はい、どうぞ」と丁寧に差し出し、シンゴが「え、どれだろ」と目を輝かせ、メノリは「ふん」と短く鼻を鳴らしながらも、指先は迷いがない。

 

 ――ただ。

 

 数分後、空気が変わった。

 

「……え?」

 シンゴが目を丸くした。

 

 メノリが一気に手札を減らし、ベルも続けて「上がり」を宣言する。シャアラが「私も……え、もう?」と驚いた声を上げる。ルナも気づけば手札が残り二枚。

 

 そして、リュウジだけが――まだ余裕そうだった。

 

「……何でそうなるの?」

 ルナが思わず呟く。

 

 リュウジは淡々とカードを引かせ、引かせ、引かせる。

 相手が欲しいカードを避けるように、でも自然に。手元の動きに迷いがなく、視線も泳がない。

 

 ルナがカードを引く。

 はずれ。

 シャアラが引く。

 はずれ。

 メノリが引く。

 ……はずれ。

 

「……ちょっと待て」

 メノリが眉を寄せた。

「今、明らかに偏っているだろ。リュウジ、お前、何かしてるのか?」

 

「してない」

 リュウジは即答した。

「カードは普通に差し出してる」

 

「でも、絶対ババ持ってるのリュウジじゃない気がする……」

 シャアラが不安そうに言う。

 

 ベルも首を傾げた。

「俺もそう思う。……なんか、引く方が“引かされてる”感じがする」

 

「引かされてるって何それ!」

 シンゴが笑う。

 

 笑い声が上がる中、ルナが最後の一枚を引いた。

 そして――。

 

「……あ」

 ルナは固まった。

 

 手元に残ったのは、ジョーカー。

 

「えっ、ルナがババ!?」

 シャアラが声を上げ、シンゴが「まさか!」と身を乗り出す。

 ルナは唇を尖らせて、リュウジを見る。

 

「リュウジ……!」

「何だ」

 リュウジは涼しい顔だ。

 

「絶対、誘導したでしょ!」

 ルナが抗議すると、リュウジは小さく肩をすくめた。

 

「誘導っていうか……心理だ」

 そして、どこか淡く笑った。

「心理学を一応、学んでるから。こういう心理戦なら負けない」

 

「心理学って……そんな実践的なの!?」

 シンゴが目を輝かせる。

「すごい! 授業でやるの?」

 

「授業というか、独学だ」

 リュウジは平然と言う。

「相手の癖と、反応と、選び方を見るだけだ」

 

「癖?」

 ベルが聞き返す。

 

 リュウジは、手元のカードを軽く揃えながら言った。

「人は迷うと視線が動く。引く前に指先が止まる。『この辺かな』って当たりをつけると、息が一回だけ浅くなる。そういうのが積み重なると、相手が何を引きたいか、逆に何を引きたくないかが分かる」

 

「……こわ」

 シャアラが小声で呟いた。

 

「怖いって言うな」

 リュウジは淡々と返す。

「別に、悪用してない」

 

 メノリが腕を組んで言った。

「……悪用の基準が怪しいだろ」

 

 ルナは拗ねたふりをして、頬を膨らませた。

「次は負けないからね」

 

「そう言う奴ほど、分かりやすい」

 リュウジが言うと、ルナは「もう!」と声を上げる。

 シンゴが笑い、ベルも「楽しそうだな」と小さく笑った。

 

 シャアラがカードをもう一度切りながら言う。

「じゃあ、もう一回やろう。今度は負けた人が……えっと、飲み物取りに行くとか」

 

「いいね!」

 シンゴが賛成する。

 メノリも「合理的だ」と頷く。

 ベルは「俺、飲み物は任せろ」と言いそうになって、シャアラに「それじゃ意味ないでしょ」と突っ込まれていた。

 

 そして二回戦。

 

 ――結果は、ほとんど同じだった。

 

 リュウジが淡々と勝ち続け、ルナが悔しがり、シャアラが「また!?」と驚き、シンゴが「なんでそんなに強いの!」と笑い、メノリが「納得いかん」と言いながらも目だけは真剣で、ベルは「俺、引き方変えたはずなんだけどな」と首を傾げる。

 

 五回目くらいで、とうとうベルが我慢できなくなったように聞いた。

 

「リュウジ」

 ベルは穏やかな声のまま、真剣な目で言った。

「リュウジより強い人、いるのか?」

 

 その質問に、ルナもシャアラもシンゴも、メノリさえも、視線を向ける。

 リュウジは一瞬、考えるように目を伏せ――そして、口元にほんの少し笑みを浮かべた。

 

「……一度も勝てなかったのは、エリンさんぐらいだな」

 

「えっ」

 ルナが声を漏らす。

 シャアラも「エリンさん……?」と目を丸くし、シンゴは「やっぱりすごいんだ!」と興奮する。

 

「エリンさん、強いの?」

 ルナが聞くと、リュウジは頷いた。

 

「強い。相手の癖を見抜くのが早い」

 リュウジは淡々と語るのに、どこか懐かしそうな響きが混じる。

「俺が自分で気づいてない癖まで把握してた。指の癖、目線の癖、呼吸の癖。……それを全部使ってくる。圧倒的だった」

 

「自分で気づいてない癖って……何それ」

 ルナは半分呆れ、半分感心した。

 

 メノリが眉を寄せる。

「お前、そんなに癖があるのか?」

 

「あるみたいだ」

 リュウジはさらっと返す。

「誰だってある」

 

 ベルが穏やかに言った。

「……エリンさん、怖いな」

 

「怖いって言うな」

 リュウジはさっきと同じように言い、でも今回はほんの少し、柔らかく笑った。

「別に、怖い人じゃない。……ただ、観察が鋭いだけだ」

 

 ルナはその言い方に、心のどこかが引っかかった。

 “ただ鋭いだけ”という言葉の裏に、エリンへの信頼と、少しの敬意が見えたからだ。

 ルナは何も言わず、トランプを握り直す。

 

「よし、次こそ勝つ!」

 シンゴが拳を握る。

 

「無理だろ」

 メノリが即答する。

 

「そんなこと言わないでよ、メノリ!」

 ルナが笑うと、メノリは「私は事実を言っただけだ」と返す。

 シャアラが「でも、楽しいからいいじゃない」と微笑む。

 

 その瞬間、ルナは思った。

 こういう時間が、今の自分たちには必要なんだと。

 怖い訓練をして、昔の記憶が胸を刺しても。

 笑える時間があることで、“今”をちゃんと繋げていける。

 

 六回戦、七回戦。

 リュウジの勝ちは揺るがない。

 ルナは悔しがり、シャアラは「この人、本当に人間?」と半分本気で言い、シンゴは「分析して倒す!」と燃え、メノリは冷静に見えて目だけが闘志で光り、ベルは「俺、次は絶対引かされない」と静かに宣言する。

 

 そんな中で、リュウジはいつもと同じ表情でカードを差し出しながら、ふっと小さく言った。

 

「……こういうの、悪くないな」

 

 その言葉は独り言みたいだった。

 でも、ルナは聞き逃さなかった。

 

「うん」

 ルナは笑う。

「悪くないよ。ね、明日も一緒に帰ろうね」

 

 リュウジは一瞬だけ目を細め、短く頷いた。

「ああ」

 

 ロビーの時計が静かに進み、外の木星の光は変わらず巨大で、ゆっくりと流れていく。

 その夜、トランプの札の音と、皆の笑い声が、宿舎の空気を柔らかく満たしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。