季節の変わり目、というのは不思議なものだ。
ソリア学園の空調は完璧で、外気の匂いなんて本来なら薄れていくはずなのに、それでも廊下を歩くと、ふとした瞬間に「空気が変わった」と身体が先に気づく。襟元が少し暑く感じたり、逆に夕方の風が思った以上に冷たかったり。窓に触れた指先だけがひんやりして、季節が進んだことを静かに告げてくる。
ルナは放課後、机の上に広げた進路資料を閉じ、端末を手に取った。
画面には、サヴァイヴのグループチャット。
漂流から帰ってきて、別々の道に散って、忙しさに追われて――それでも切れずに残った、あの頃の「みんな」を繋ぐ箱。
既読がついたりつかなかったり。夜中に突然、意味の分からないスタンプが飛んできたり。たまに誰かが写真を投げて、コメントが一つもつかないまま流れたり。
そんな、ゆるい繋がり。
だが、今日は違った。
通知が一つ、ぽん、と浮かぶ。
送信者は――ハワード。
⸻
【サヴァイヴ組グルチャ】
ハワード:
明日から三日間だけどコロニーに行くから集まろうぜ!!
⸻
ルナは思わず声を漏らした。
「……え?」
隣で資料を整理していたシャアラが顔を上げる。
「どうしたの?」
ルナは端末を見せた。
「ハワードから……“集まろうぜ”って」
シャアラの目が一瞬丸くなり、それから頬が緩む。
「……あのハワードが?」
ルナは笑った。
「多分、向こうで演劇学校の話とかしたいんじゃない?」
シャアラは小さく肩を竦める。
「ハワードらしいね」
言った瞬間、画面がまた光った。
⸻
ベル:
俺、行くよ!
シンゴ:
え、三日間だけってことは、明日から明後日?
具体的に何時集合?
⸻
早い。反射みたいに返ってくる。
ベルはいつも通り短くてまっすぐで、シンゴは情報整理が早い。
そして次に、もっと“らしい”のが来た。
⸻
メノリ:
「集まろうぜ」では要件が曖昧すぎる。
日時、場所、目的を明記しろ。
……しかし、三日だけ戻るのか。お前、何かやらかしたのか?
⸻
ルナは思わず吹き出した。
シャアラも笑いを堪えきれず、口元を押さえる。
「メノリ、いきなり詰める……」
ルナは端末に打つ。
⸻
ルナ:
メノリ、まずは落ち着いて。
ハワードなら単純に寂しくなっただけじゃない?
私は行きたい!
⸻
送信した直後、スタンプが飛んできた。
⸻
チャコ:
「おいおい急すぎやろ!」
ウチのスケジュール確認させぇや!!
⸻
ハワード:
目的:みんなに会いたい
以上!
⸻
ルナが即座に返す。
⸻
ルナ:
目的が可愛い……!
⸻
シャアラも続けた。
⸻
シャアラ:
でも、場所は教えて。迷うと困るから。
⸻
すると、ハワードは間髪入れずに追撃してきた。
⸻
ハワード:
場所は!
えーっと!
……いつも集まってたところ!
⸻
メノリが即座に反応する。
⸻
メノリ:
それがどこだ。
「いつも」の定義は人によって違う。
⸻
ベル:
俺たちが今「いつも」集まってる場所って、学校の教室だよ。
⸻
シンゴ:
いやいや、放課後だと生徒会室の確率が高いよね。
でもコロニーに来るって言ってるから、学園じゃないと思う。
⸻
ルナは端末を握ったまま、笑いが止まらなくなる。
季節の変わり目に、こういう“変わらない”やり取りが刺さる。
そして、遅れて通知が一つ。
リュウジ――の名前が、画面の一番下に浮かんだ。
⸻
リュウジ:
どこだ。
⸻
短い。余計な言葉がない。
それだけで、妙に安心してしまう。
ルナは小さく笑って入力する。
⸻
ルナ:
リュウジも来るの?
⸻
既読はつかない。
だが、その代わりにハワードが暴走した。
⸻
ハワード:
ほら!リュウジも来るって!!
(来るよね!?)
⸻
メノリ:
本人の返事を待て。
⸻
チャコ:
ハワード、勝手に確定すなや!!
⸻
シンゴが現実的にまとめに入る。
⸻
シンゴ:
ハワード、コロニーのどこ?
エアポート?モール?レストラン?
せめて施設名!
⸻
数秒沈黙。
みんなの既読がじわじわ増える。
そして――ハワードが、ようやく“まともな情報”を投げた。
⸻
ハワード:
ソーラ・デッラ・ルーナの中心モール!
前に正月で福袋買ったところ!
⸻
ルナがぱっと顔を上げた。
「あそこだ!」
シャアラも頷く。
「ああ!ルナとメノリとリュウジが買いに行ったって場所ね」
ベルが返信する。
⸻
ベル:
了解。何時だ?
⸻
ハワードが即返す。
⸻
ハワード:
明日の夕方!
えっと……
みんなが集まりやすい時間で!!
⸻
メノリの返しが鋭かった。
⸻
メノリ:
時間を「みんなが集まりやすい」で投げるな。
お前が決めろ。
⸻
チャコ:
メノリ、今日もキレキレやな。
⸻
ルナは笑いながら打つ。
⸻
ルナ:
じゃあ明日、18:30とかどう?
放課後でも間に合うし。
⸻
シンゴ:
いいね!
僕、寄り道せずに行くよ!
⸻
シャアラ:
私は大丈夫。早めに出る。
⸻
ベル:
俺も行ける。
⸻
メノリも少し間を置いてから。
⸻
メノリ:
……18:30で良い。
ただし遅刻したら許さない。
⸻
ここまで揃えば、もう決まりだ。
ルナがほっとした瞬間――画面がまた光った。
⸻
ハワード:
よし決まり!!!
じゃあ明日!
みんな絶対来いよ!!
(あと、俺、今ちょっと成長したから)
⸻
ルナが首を傾げる。
「成長?」
シャアラも同じ顔をする。
そこへ、シンゴが煽る。
⸻
ベル:
成長したハワードが楽しみだ。
⸻
シンゴ:
荷物、自分で持てるようになったとかか?
⸻
チャコ:
エアタクシー使わんようになったんか?
⸻
ハワードが即座に返す。
⸻
ハワード:
全部違う!!
俺はな!!
“段取り”を覚えたんだよ!!
⸻
メノリが秒で刺す。
⸻
メノリ:
今その段取りを私にやらせているのは誰だ。
⸻
ルナが笑いながらスタンプを押す。
シャアラも小さく笑って、端末を覗き込んだ。
そして、ようやく――リュウジから返事が来る。
⸻
リュウジ:
18:30。了解
⸻
その短い一文に、ルナの胸の奥が少しだけ温かくなる。
来てくれる。
それだけで、何かが少し救われる気がした。
チャコがすかさず噛みつく。
⸻
チャコ:
お、リュウジも来るんやな!ほな、席の確保は任せたで。
人混みは得意やろ?
⸻
リュウジ:
得意じゃない。
⸻
チャコ:
せやったわ。
⸻
ルナが笑いを堪えながら打つ。
⸻
ルナ:
じゃあ私が早めに行って席取る!
……って言いたいけど、私も人混み苦手かも。
⸻
シャアラ:
私も苦手。
でも、みんながいるなら大丈夫。
⸻
ベルが短く。
⸻
ベル:
俺が取るよ。
⸻
その一言に、ルナが思わず端末を握りしめた。
(ベル、頼もしい……)
シンゴも追い打ち。
⸻
シンゴ:
僕、予約できるところなら予約しておくよ!
⸻
メノリが頷くように返す。
⸻
メノリ:
助かる。
ハワードは余計なことをするな。来るだけでいい。
⸻
ハワード:
ひどくない!?
僕、主催者なんだけど!?
⸻
チャコ:
主催者って言うなら、せめて集合場所のピンぐらい送れや。
⸻
ハワード:
ピン?
ピンって何だ?
⸻
ルナとシャアラが同時に打った。
⸻
ルナ:
ハワード……。
シャアラ:
ハワード……。
⸻
ベルが追撃。
⸻
ベル:
段取り覚えたんじゃないの。
⸻
ハワード:
段取りは覚えた!
……覚えたけど、端末の機能はまだ覚えてない!
⸻
メノリ:
最初から言え。
⸻
みんなのスタンプが雪崩みたいに流れる。
笑っている顔、呆れている顔、猫が転がるスタンプ、妙に可愛いハート。
グルチャの画面が賑やかになって、ルナはふと、胸の奥が軽くなるのを感じた。
季節が変わって、環境が変わって、進路が迫ってきて、ペルシアの件もまだ胸のどこかに引っかかったまま。
それでも――こうして「集まろうぜ」の一言で、みんなが反射で集まろうとしてしまう。
サヴァイヴは終わったのに、サヴァイヴの“仲間”は終わっていない。
ルナは端末に、最後の一文を打った。
⸻
ルナ:
じゃあ明日、18:30。
三日間だけでも、みんなで笑おうね。
ハワード、帰ってきてくれてありがとう。
⸻
既読がじわじわ増えていく。
そして、ハワードから返事。
⸻
ハワード:
うん!!
僕、明日めっちゃ楽しみ!!
(あと、ボーリング行こうぜ)
⸻
メノリ:
ボーリングは議題ではない。
⸻
チャコ:
議題にしてまえ。
⸻
ベル:
俺はいいよ。
⸻
シンゴ:
じゃあ僕はガーターフレームありで
⸻
シャアラ:
私も
⸻
笑いの波がまた流れて、ルナは端末を胸に抱いた。
季節の変わり目は、少し寂しくなる。
でも、こういう夜があるなら、悪くない。
明日――三日間だけでも、みんなが揃う。
それだけで、胸の中の曇りがほんの少し晴れる気がした。
ーーーー
了解。設定を反映して、さっきのシーンを「シンゴはメノリにも通常口調」「チャコはメノリ呼び」「参加者にシャアラとリュウジ追加」で書き直すね(内容は同じ流れで自然につながる形に調整)。
⸻
ルナの端末が、机の上で小さく震えた。
画面に浮かんだ通知の送り主は――メノリ。
ルナは反射的に端末を取り上げ、メッセージを開く。
⸻
【メノリ】
集合場所はソーラ・デッラ・ルーナのモール内、レストランフロア。
店は「リヴィエラ・テラス」。
18時30分。遅刻するな。
⸻
相変わらず短い。けれど、こういう時に頼れるのもメノリだ。
「……集合場所まで決めてくれたんだ」
隣でテレビを眺めていたチャコが、しっぽを揺らしながら言う。
「ほぉ〜。メノリ、仕事早いな」
「うん。助かる」
「ハワードは“段取り覚えた”言うてたのに、結局、メノリに投げとるやんけ」
「……うん」
ルナは苦笑して、端末を握り直した。
それでも、胸の奥が少しだけ軽くなる。
みんなで集まる、と決まっただけで、視界が少し明るくなるのだから、単純だ。
ルナは「了解!」と返信し、時計を見る。
放課後の空は、夕方の色に溶け始めていた。
⸻
18時過ぎ。
ソーラ・デッラ・ルーナ中心モール――人の流れと光の波に包まれた通路を、ルナとチャコは並んで歩いた。買い物袋を提げた人、制服姿の学生、仕事帰りの大人たちが交差し、天井の広告がゆっくりと流れている。
「リヴィエラ・テラス……ここだね」
「ええ匂いするわ。腹減ったわ」
「目的が食べることになってる」
「生きるってそういうことや」
妙に説得力があるから、ルナは笑ってしまった。
店の入口はガラス張りで、落ち着いた照明が外まで滲んでいた。少し大人っぽい雰囲気だ。
「……メノリが選びそう」
「せやな。」
ルナが頷いた瞬間、後ろから穏やかな声がした。
「ルナ、チャコ」
振り向くと、ベルが立っていた。相変わらず大きいのに、表情は柔らかい。手には小さな紙袋を持っている。
「ベル!」
「俺、早かったかな?」
「ううん、私たちも今来たところ」
チャコがベルを見上げ、軽く鼻を鳴らす。
「ベル、元気そうで何よりや」
「チャコも元気そうで良かった」
そこへ、別方向から少し早足の足音が近づいてきた。
「いた! 間に合った!」
シンゴが息を弾ませて到着した。端末を握りしめ、いつもの調子で笑っている。
「席、取れてる? メノリが取ったって言ってたけど」
――メノリにも通常口調。
ルナがそれに気づいて、なんだか嬉しくなる。みんなの距離感が、ちゃんと“今”に馴染んでいる。
「メノリが中にいるよ。行こう」
四人で店に入ると、窓際の席にメノリがいた。腕を組み、メニューを開いている。背筋はまっすぐで、姿勢がそのまま“生徒会長”だ。
「遅いぞ」
「まだ18時半前だよ?」
シンゴが笑って返すと、メノリは眉をひそめる。
「そういう問題じゃない」
「はいはい」
チャコが机の縁に手を置き、メノリを見て言った。
「メノリ、店選びええやん」
「当然だ」
ぶっきらぼうなのに、どこか照れがある。メノリがそれを隠しているのも分かる。
その時、入口側がざわついた。
よく通る声が、通路の向こうから響いてくる。
「おーーい!!! みんなーー!!」
ハワードだった。
走ってはいない。だが勢いが“走っている”ぐらいある。両手を大きく振り、舞台から飛び出してきた俳優みたいにこちらに向かってくる。
「ハワード様が来たぞー!!」
「……うるさい」
メノリの即ツッコミが飛ぶ。
ハワードはそのまま席に滑り込み、満面の笑みを作った。
「久しぶり!! 三日だけだけど帰ってきた!!」
「三日でも嬉しいよ」
ルナが言うと、ハワードが指を立てた。
「ほら! ルナは分かってる!!」
「分かってないのはお前だ」
メノリが冷たい。
ハワードが笑いながら身を乗り出す。
「なぁ僕が三日だけ来た理由、気になるだろ!」
「休みだろ」
「そう! 学校が休み!! だから帰ってきた!!」
「分かりやいね」
ベルが穏やかに笑う。
――そこへ、もう一つ足音が増える。
「……遅れて悪い」
低い声。
入口から入ってきたのはリュウジだった。いつも通りの表情だが、人混みに少しだけ疲れた気配がある。
ルナは少し驚いて目を瞬かせる。
「リュウジ!早かったね」
「ああ。」
短い。けれど、その短さがリュウジの“来た”という事実を強くする。
ハワードが目を輝かせた。
「リュウジも来た!? じゃあ完璧じゃん!!」
「何が完璧だ」
リュウジが淡々と言うと、ハワードは気にしない。
「完璧は完璧だよ!」
さらに入口側で、少し控えめな声がした。
「……お、お待たせ」
シャアラが立っていた。少しだけ髪を整え、緊張したように周囲を見てから、みんなの顔を見つけて安心したように息を吐く。
「シャアラ!」
「遅れちゃった……ごめん」
「いいよ、座って」
ルナが手を振ると、シャアラは控えめに笑って席に近づいた。ベルの隣を通る時、少しだけ目が合って、二人とも同時に視線を逸らす。
――その仕草が、あまりに分かりやすくて。
シンゴが小さく笑い、チャコがニヤッとする。
メノリが咳払いをして話題を戻した。
「……で、ハワード。演劇学校はどうだ」
「よくぞ聞いてくれた!? 」
ハワードは嬉しそうに胸に手を当てる。
「僕、褒められたんだよ。テーブルマナー!」
「へぇ」
シンゴが普通に相槌を打つ。
「すごいじゃん。あのハワードが」
「そこに“あの”を付けるな!」
「付けたくなるだろ」
リュウジが淡々と混ぜ返すと、ハワードがぐぬっと唸る。
「とにかくさ! テーブルマナー、姿勢、声、あとアクションの基礎!」
「アクション?」
シャアラが少し身を縮める。
「そう! 走り方、転び方、殴られ方!」
「殴られ方……?」
ベルが首を傾げると、ハワードは急に立ち上がりそうになった。
「例えば――」
「店の中でやるな」
メノリが即止める。
「ちょっとだけ! ちょっとだけ!」
「駄目だ」
「……メノリ、容赦ないなぁ」
シンゴが笑うと、メノリは真顔で言った。
「当然だ」
ハワードは椅子に座り直し、くやしそうに頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻る。
「でもな、僕さ……思ったんだ。演技って、ふざけてるだけじゃできないって」
その瞬間、場の空気がほんの少し静かになる。
ハワードは軽い。けれど、こういう時だけは不思議と真面目になる。
「サヴァイヴの時、僕、みんなに迷惑かけたじゃん。でも……みんなが笑ったり怒ったりしてくれた。あれが、僕……好きだったんだ」
ルナの胸がじんわり温かくなる。
メノリは視線を逸らし、ぽつりと呟いた。
「……馬鹿だな」
「うん、馬鹿だよ」
ハワードが笑う。
「でも、その馬鹿でいいって思ってる。だから、三日だけでも帰ってきたかった。みんなの顔見たかったんだ」
シャアラが小さく微笑んだ。
「……ハワードらしいね」
「でしょ!? 僕らしいでしょ!?」
「うるさい」
「メノリ、冷たい!」
チャコが肩を揺らして笑う。
「ほんま、賑やかすぎるわ。……でも、こういうの、久しぶりやな」
ベルが頷く。
「俺も、こうして集まるのは落ち着く」
リュウジは何も言わず、メニューを開いた。だが、その指先が止まっていない。ちゃんと“ここ”にいる。
ルナはそれが嬉しくて、少しだけ頬が緩んだ。
メノリがメニューを閉じ、言った。
「注文するぞ。ハ騒がしくなる前に腹を満たす」
「賛成!」
「賛成」
「賛成」
シンゴもベルも、シャアラも頷いた。
ハワードは両手を広げ、舞台の幕開けみたいに言った。
「さぁ! 僕の帰省記念――」
「帰省記念じゃない」
メノリが遮る。
「集まり、開幕!!」
「……勝手に開幕するな」
リュウジの淡々とした突っ込みに、笑いが重なった。
モールの灯りが窓越しに揺れ、店内の照明がみんなの顔を柔らかく照らす。
たった三日でも。
こうして集まって、笑って、食べて、話せるなら。
ハワードの“帰ってきた”は、ちゃんと意味を持つ。
ルナは、胸の奥でそっと思った。
――この時間が、今の私たちの“帰る場所”なんだ。
ーーーー
レストランを出ると、モールの通路は夜の光に包まれていた。天井の広告がゆっくりと流れ、床のラインライトが人の流れを誘導するみたいに輝いている。夏休みの夜――なのに、どこか“帰る前”の空気が漂っていた。
みんなで並んで歩きながら、ベルが時計をちらりと見る。
「……そろそろ帰る時間だな」
「そうね。明日も早いし」
ルナが頷いた瞬間だった。
「待った待った待ったぁ!!」
背後から、ハワードが両手を広げて通路の真ん中に立ちはだかった。まるで舞台の役者が“ここからが本編”とでも言わんばかりの大袈裟な動きだ。
「ボーリングしようぜ!!」
キラキラした目で言い切るハワードに、メノリが即座に眉を吊り上げる。
「ダメだ。みんな帰る時間だ」
「えええ!? 今夜はまだ終われないだろ!? 僕が三日だけ帰ってきた記念だぞ!?」
「記念でもだ。生活がある」
メノリの声音はいつも通り厳格なのに、どこか“言い慣れた”感もある。ハワードの暴走を止める係――それが自然に定着してしまっている。
ハワードは口を尖らせて、肩を落とした。
「……まぁ、仕方ないか」
しょんぼりしたと思った次の瞬間、ハワードは何かを思い出したようにパッと顔を上げる。
「……あ、でも! そうだ!」
ハワードが鞄の中に手を突っ込み、ゴソゴソと何かを探し始めた。紙が擦れる音。やけに大きい袋の感触。
「皆んなが帰る前に渡さないと!」
ルナが瞬きをする。
「渡す? 何を?」
すると、チャコが目を輝かせて前に出た。
「なんや!? なんかええもんか!? まさか……土産か!? 火星の銘菓とかあるんか!?」
「火星の銘菓ってなんだよ」
リュウジが淡々と突っ込む。
シンゴも、期待に負けないくらい体を前のめりにして言った。
「ねえねえ、何? 何くれるの? 演劇学校のグッズ? 宇宙服モチーフのキーホルダーとか!?」
「どれでも嬉しいな」
ベルが穏やかに笑いながら言うと、シャアラは控えめに手を口元に当てた。
「ハワード、なんだかすごく嬉しそう……」
「だよね……嫌な予感がする」
ルナが小さく呟くと、メノリが即座に拾う。
「警戒は正しい。あいつが嬉しそうな時は大体ろくでもない」
「ひどい!? 僕のこと信用なさすぎ!!」
ハワードが抗議しながらも、袋を抱きしめてニヤニヤしている時点で、信用を勝ち取る気はなさそうだった。
そして――ハワードは、袋の中から“平たいもの”を取り出した。
角がある。紙のような、板のような。
チャコが釘付けになる。
「……なんやそれ、板やん」
「驚くなよ」
ハワードがニヤニヤを深めた。
「驚くなよって言われると、だいたい驚きたくないやつなんだよな」
リュウジの冷静な声が空気を少し締める。
シンゴだけがまだ希望を捨てていない。
「板状の……サイン入りポスターとか!? 僕、そういうの結構好き!」
「お、まずはルナからだな!」
ハワードが袋の中身を覗き込み、堂々と宣言した。
「え、私?」
ルナの顔が引きつる。自分でもわかるくらい、口角がぎこちなく上がった。
ハワードは得意げに、ルナの前に“それ”を差し出す。
白い色紙。
真ん中に、大きく、勢いのある文字。
――《Howard》とサイン。
さらにその下に、これまた勢いで書いたようなメッセージ。
『ルナへ! 僕の輝かしい未来を見届けろ! 愛と友情をこめて!』
一瞬、通路の騒音が遠のいた気がした。
ルナは色紙を受け取ったまま固まる。
そして、頬が痙攣しそうな笑顔で言った。
「……あ、ありがとう……ハワード」
「どう!? 嬉しい!?」
「……う、うん……」
その“うん”は、喜びよりも“理解”に近かった。
チャコが、受け取る前から落胆した声を漏らす。
「……なんやそれ……」
シンゴも、期待していた分だけダメージを受けた顔で、天井を見上げた。
「……サ、サイン色紙……」
「なんだよ! いいだろ!? 僕のサインだぞ!? 将来価値が出るぞ!?」
「今じゃなくて将来なんだ」
ベルが穏やかに、しかし容赦なく刺す。
メノリは深くため息を吐き、腕を組んだ。
「……ハワード。お前の“価値が出る”は信用できない」
「ひどいなぁ!! 僕、今演劇学校で頑張ってるんだぞ!? テーブルマナーも褒められたんだぞ!?」
「それとサインの価値は別問題だ」
メノリが淡々と返すと、ハワードは「ぐぬぬ」と口を尖らせた。
しかし、ハワードは止まらない。
「次! チャコ!」
「ウチ!? ウチにもあるんか!?」
チャコの目が一瞬だけ輝いた。まさかの“機械専用特別仕様”とかを期待したのかもしれない。
ハワードが差し出した色紙は、ルナのものと同じだった。
《Howard》のサイン。
そして『チャコへ! 君の分析力、最高! 僕の舞台を支える存在になれ!』
チャコは色紙を受け取って、固まった。
「……なんでウチ、舞台支えなあかんねん……」
「チャコはジャックインできるだろ!? 照明とか音響とか、未来の演劇には必要なんだよ!」
「未来の演劇、どこまでSFになっとんねん」
チャコが突っ込みながらも、捨てるに捨てられない困った顔をしている。
「次! シンゴ!」
「……うん……」
シンゴは半分諦めた顔で受け取った。
『シンゴへ! 天才少年よ! 僕の主演映画の技術監修を頼む!』
「……主演映画、決まってないよね?」
「これから決まるんだよ! 未来に投資だよ!」
「投資って言葉が便利すぎる」
ベルが笑いながら突っ込むと、ハワードは「分かってないなぁ」と肩をすくめた。
次々と配られていく色紙。
ベルには――『ベルへ! 君の筋肉は舞台の宝! アクション担当だ!』
ベルは困ったように眉を下げながらも受け取る。
「俺、筋肉だけじゃないんだけどな……」
シャアラには――『シャアラへ! 君の涙は観客を泣かせる! 脚本も書いてくれ!』
シャアラは赤くなり、色紙を胸の前で抱えた。
「……え、えっと……ありがとう……」
「シャアラは素直でいいなぁ!」
ハワードが満足げに言うと、メノリが冷たい視線を向けた。
「……次は私か」
「お! そうそう! メノリ!」
ハワードが袋をゴソゴソする。
メノリは警戒を隠さない。だが、ハワードは満面の笑みで言った。
「あ、メノリには僕の演劇のDVDもあげるからな!」
「……は?」
メノリの眉がピクリと動いた。
ハワードは誇らしげに、色紙と一緒に小さなケースを差し出した。ラベルには手書きで――『ハワード主演(予定)練習用映像』と書かれている。
「DVD……?」
「そう! 僕の演技、研究してくれよ! ほら、メノリは厳しい目で見れるだろ!? そして感想をくれ!!」
メノリの顔は引きつった。
引きつったまま、礼儀正しく受け取る。
「……あ、ありがとう」
その“ありがとう”は、ルナの“ありがとう”と同じ種類だった。礼儀と忍耐でできた言葉。
「……で、最後は」
ハワードが胸を張る。
「リュウジだな!」
ルナの肩がピクリと跳ねた。
なぜか、ここだけ妙に緊張する。
ハワードが袋の中から、特に丁寧に取り出すように一枚の色紙を抜き取った。
「ほら!」
差し出された色紙には、同じ《Howard》のサイン。
だが、メッセージは――やけに短い。
『リュウジへ。僕の舞台で“本物の強さ”を見せてくれ。』
リュウジは受け取って、文字を一度だけ見た。
「………ありがとう」
ハワードは満足そうに頷いた。
「よし! 全員に渡した!!」
最後にハワードは、誇らしげに胸を張る。
「これで僕がいなくても寂しくないだろ!? 僕のサインがあるんだぞ!?」
「寂しさの代わりに困惑が増えた」
リュウジが淡々と告げる。
ハワードが「え?」と固まる。
ベルが苦笑しながら言った。
「でも……まぁ、ハワードらしいな」
シャアラも小さく頷く。
「うん……すごく、ハワードらしい」
シンゴも、色紙を指でトントン叩きながら言った。
「……これ、絶対、メノリの引き出しの奥に封印されるやつだよね」
「封印するな!? 飾れよ!!」
ハワードが叫ぶと、チャコが鼻で笑った。
「ウチの分、壁に飾ったら、部屋の運気下がりそうや」
「ひどい!」
メノリが腕を組んで言う。
「当然だ。だが……受け取った以上、捨てはしない」
その言葉に、ハワードの目が少しだけ潤んだ。
「メノリ……!」
「勘違いするな。仲間としての責任だ」
「それでも嬉しい!!」
ハワードはガバッとメノリに抱きつこうとしたが、メノリが一歩下がり、リュウジがそっと間に入った。
「……やめとけ」
「リュウジまで冷たい!」
「冷たいんじゃない。安全管理だ」
リュウジの穏やかな声が妙に説得力を持っていて、ハワードが「ちぇ」と唇を尖らせた。
ルナは色紙を抱えたまま、少しだけ笑った。
ハワードのプレゼントは、正直言って“嬉しい”の方向性が違う。
けれど――ハワードがそれを心から嬉しそうに渡していることだけは、本物だった。
自分の夢を、未来を、みんなに見せたい。
その気持ちが、色紙の文字の勢いに全部詰まっている。
「……ハワード」
ルナが呼ぶと、ハワードが顔を上げる。
「ん?」
「ありがとう。……うん、ほんとに」
ルナがそう言うと、ハワードは一瞬だけ照れたように鼻の下をこすった。
「だろ? 僕って優しいだろ?」
「調子に乗るな」
メノリが即座に刺す。
「はいはい」
ルナは笑いながら、みんなの顔を見る。
呆れている。
落胆している。
笑っている。
困っている。
でも――誰も怒っていない。
それが、ハワードがこの場にいる証拠だった。
「じゃあ、帰ろうぜ!」
ハワードが言うと、メノリが頷いた。
「そうだな。解散だ」
「ボーリングは!?」
「ダメだ」
「即却下!!」
ハワードは肩を落としつつも、口元は笑っていた。
そして、みんながそれぞれの帰路へ向かうために歩き出す。
色紙の角が、紙袋の中でカサリと音を立てた。
ルナはその音を聞きながら思う。
――価値が出るかどうかは分からない。
でも、この“今”の空気は、きっと忘れない。
ハワードの未来に投資するなんて、やっぱり変な話だ。
けれど――ハワードの夢を笑いながら見守るのは、きっと私たちの役目なのかもしれない。
そんなことを考えて、ルナは色紙を少しだけ抱き直した。