先生の活躍を見たいから頑張ったけど、なんかおもてたんと違う 作:goldMg
「それで?」
砂を足蹴に、口があれば唾を吐き捨てていただろうというほどに強く嫌悪感を滲ませながらロボットは進む。
もはや慣れたものだ。アビドス高等学校への道を社長に代わって先導することすらできる。
そんなロボットの疑問とは偏に、また砂漠を訪れた理由に相違ない。
「結局は借金の問題なんだろ? 先生になんとか出来んのか? あ?」
「…………」
「出来ねえだろ? 先生だってそんくらい分かってるんだから、わざわざ俺たちが見に行く必要がどこにあんだよ」
彼らがすることといえば、タチの悪いマスコミの如く少女たちの懸命な日々に粘着して偶に巻き込まれているだけ。
先生に協力するわけでもない。
──場合によっては害悪と呼ばれていい類の野次馬だ。
否、すでに害悪か。
サンダースは、比較的客観視が効いているゆえに現状をそのように整理していた。
社長は舵取りが上手いが、こんな一面を持ち合わせている。
つまり、悪趣味な趣味だ。
公序良俗に則るならば止めるべき。
しかし、それがキヴォトス全体の破滅に関わることと聞かされてしまえば話は変わる。
「なんでヴァルキューレに通報しねんだよ」
「お前は……一零細民間企業から特定の学校の借金がキヴォトス全土を巻き込む紛争の種になるなんて聞かされて信じるのか?」
「俺は信じねえけど、あそこの奴らはお前のこと信じてるんだろ?」
「あのなあ」
呆れた顔だった。
「それは仕事上の付き合いがあるからに決まってんだろ。今の話はそういうの超えてんだよ」
「じゃあ尚更通報はしろよ」
「無理」
「我儘坊やが……それじゃあ今回はなんなんだ」
「…………」
アーマーも合わせて100kgを優に超える体重──砂に靴を半分埋もれさせながらユウジは立ち止まった。
考える素振りすら見せず、用意していたセリフを投げつける。
「この先、どうするかはお前自身が決めろ」
そんな投げやりな言葉。
これまではアレしろだのコレしろだのと言っていたくせに、このタイミングになって丸投げだ。
「どうするかってなんだよ! テメェが大変なことになるって言うから付き合ってんだろうが!」
「…………」
しかし、ユウジはそのまま歩き出した。
抗議など意に介していない。
「答えろ!」
「…………説明はできる。だけど……説明すれば最後、世界が滅ぶ可能性がある」
「──んだよそりゃあ!」
「お前はその時になって謝るのか? 自分の知識欲のせいで世界が滅びましたって──」
「だから……なんなんだよ! なんの話なんだよ! 世界がなんなんだよ! あの女が……なんの関係があるんだ!」
「…………」
「ユウジ!」
無機質なはずのロボットから放たれる、どこまでも有機的な叫び。
青年期からこの世界を見てきた男は顔を歪めた。
「…………」
空の青さが見守る下で、睨み合っている。
一触即発。
弾けそうで弾けない空気がお互いの間に張り詰め──そして萎んだ。
サンダースが持ち上げ、男を指差していた右腕を下ろしたのだ。
「つって……答えるわけもねえか」
どこか諦めたような、肩を落としたような物言い。
立ち止まったユウジを追い越して先を進んだ。
だが、ついてこない彼に向けて僅かばかり振り返る。
「いくんだろ」
「…………ああ」
──────
星明かりが窓から入り込む校舎で、2人の少女が向かい合っている。
しかし、片方は若いとはいえ少女というには少々歳がいっている──女だ。
女は必死な顔で何かを少女に言うが、少女は悲しげに笑うと、目を逸らして月を見上げる。
『そうだね、奇跡でも起きてくれれば良いんだけど…………奇跡、かあ』
奇跡を願う少女は、その実、奇跡など信じていない。
目の前にいる頼もしい女性であっても、この状況をひっくり返すことなどできるはずがないのだから。
諦観に満ちた希薄な意志。
これ以上出来ることはないと、存在そのものが薄く消えてしまいそうだった。
『ホシノ!』
『!』
女は必死に叫ぶ。
焦りを滲ませ、無力な事を自覚しながらも、自らが何とかすると嘯く。
大人として生徒を導き、救うものとして、何かできるはずだと時間を稼ぐ。
語りかけて、足掻こうとしていた。
──それはまさに、大人の力の限界を見せたも同然だった。
『ありがとう、先生』
『っ……!』
『また、明日ね!』
『先生』は悔しそうに校舎を出て、一度振り返った。
だがやはり、暗く表情を沈ませて離れていく。
彼女にできることは、予め定めていた
彼女が『先生』でいられる時間は、今日はすでに終わっていた。
遅れて、少女は校舎から足を踏み出す。
「…………」
砂に残された足跡は小さく、彼女の体にふさわしい。
息遣いを邪魔するのは遠くから響く風音のみ。
遮るものがない故に風は何処までも突き進む。
砂を運び、アビドスまでやってくる。
進む少女の視線の先で、黄色い壁が巻き上がったのを契機に──
「あーあ……」
何処までもつまらなさそうに。
いじけたように。
少女は立ち止まった。
空をぼんやりと見上げる瞳に力はない。
最強の神秘を宿した存在であっても金の力には勝てない。
「出てきなよ」
ロボット2機は、その言葉に抗う事なく姿を現した。
ステルス迷彩ではない。
どちらも砂漠に適したペイント迷彩のみ。
ただ、近くに残る民家の屋根から降り立った。
困惑の色が近い
「何のつもり?」
『…………』
「何か言いなよ。今、あんまり気分良くないし」
サンダースは気圧され、一歩、また一歩と下がりそうになる。だが、それでもユウジは無言だった。
「やる気?」
捨て鉢な言い草。
今から始めるのもやぶさかではないと言わんばかりだ。
何せ、一度助けてもらったとはいえ相手は正体不明のPMC。目的の掴めない『大人』だ。
信用などできるわけがない。
『それでいいのか?』
「え?」
あくまでユウジは、淡々と質問をした。
『後輩を見捨てるのか?』
「な、何を…………っ! まさか!」
『俺も、無駄に歳を重ねてきたわけじゃない。見なくても分かる事だってある』
「!」
何とも白々しく、そんな事を言った。
彼女達を苦しめる連中と同じような姿をしておいて、気遣うような言葉を吐く。
だからこそホシノの目には、嫌悪の他に困惑が走った。
「……黒服に言われて私を捕まえにきたんじゃないの?」
『そうか……そう誤解されていたんだな』
一つ頷くと、少女に対して提案をした。
余りにも容赦のない提案を。
『
「?」
『おとなしくみんなの元へ戻る気はないか?』
「──」
それは、最早侮辱にすら等しい。
彼女の覚悟を踏み躙るような言葉だった。
大きく目を見開いたホシノは視線を落とし、やがて肩を振るわせる。
「……んだ」
小さく。
「お前に……何が……」
それはやがて、心に宿ったものと同じく。
「お前に何が分かるんだ!」
ただ、自分たちをストーキングしているだけの大人が分かったような口で。
どんな思いで、どんな気持ちで書いたかも知らずに。
どれだけの想いが積み重なっているかも知らずに。
無機質で無神経なロボットに対して、銃口を向けても仕方ない。
「何様だ! お前は!」
『…………俺は……』
「ただ、見にきただけのくせに! 先生と違って何もしなかったくせに! 遊んでるだけのくせに!」
『……そうか』
残念そうに肩を落とす。
仕方のない事だ。
何処まで行っても彼らは、いきなり現れた不審者でしかない。説得などできるわけもないと分かりきっていた。
ホシノ以外のことならば、勢いで流すこともできるかもしれない。しかし、彼女自身のことに関しては──あまりにも心に深く立ち入らなければならない。
関わろうともしなかったくせに、敢えて線引きを無視して進めようとした結果がこれだ。
『悪かったな、さっさと帰るよ』
言いたい放題言って、
サンダースは、
「…………」
『そう睨むなって』
「…………なんのつもり」
『一応な』
肩を竦めるも、一向に離れる気配がない。
ホシノの瞳は更に険しさを帯びていく。
『敵じゃない。だからさ、そう邪険にすんなよ』
そんな言葉で収まるものでもない。
火蓋を切った本人がいないのはどうにかしているが、そんな事関係なく、ホシノの怒りはそのままだ。
いきなりやってきて心に踏み入ろうとした大人。
『先生』とは違って、優しさも誠実さもないロボットだった。
少しの信用とて置けるわけもない。
そんな奴の仲間だって同じように──
『正直、アイツが何のためにここまで来たのかサッパリなんだ。来たくせにすぐ帰りやがるし……お前が何で怒ってるのかも分からん』
「……じゃあ、帰ればいい」
『そんなツラした奴放っといたら寝覚めが悪い。その髪見てると知り合いっつーか後輩思い出すから気まずいしな』
「っ……!」
無視して再び砂の大地に歩みを進める。
やがて速くなり、早足、駆け足、そして常人では追いつけないほどにまでなるが、ハイエンドのPMCという世にも贅沢な存在であるサンダースであればこそ付いていくことができた。
「──来ないで!」
『せめて話聞かせろよ』
「来るなっ!!」
(ダァン!)
打ち込まれたスラッグ。
サンダースが首を傾げていなければ、頭部装甲を粉砕して内部回線が露出していたやもしれぬ一撃。
普段ならブチギレマークを表示するサンダースだが、あくまで凪。
どうしようもなく大人だった。
『そんなに怖いか、人を信じるのが』
「知ったような口を聞いて!」
『そりゃあ細かい事情は知らないけどよ。別にいいじゃねえか、よく知らねえ奴が助けたって』
「──助ける?」
その言葉に、また表情がぴくりと動いた。
『あーもう! 言葉の綾だ! 金の問題だろ!? それをどうにかするのは無理だ! そうじゃなくてだな!』
「…………もう、いいよ」
諦めたように、声を絞り出す。
空に浮かぶ星々の明るさも、南から運ばれてきた清涼で心地いい風も、その心には届いていない。
「もう関わらないで」
『だから……』
「放っといてってば!」
先生に話すのとはまるで違う。
話を聞いてくれない、だけど敵じゃない、味方になろうとすらしている大人。
そんな相手にどうすればいいかなど、分かるわけがない。
なにせ、彼女たちアビドスにとって大人は常に敵だったのだから。
少し隙を見せればつけ入り、騙し、はぐらかす。
助けを求めても、返ってくるのは見返りが何かという言葉。
どんな時でも、大人は狡賢くて、彼女達から搾り取ることしか考えていなかった。
そんな時に現れたのが『先生』だった。
自分がプリティーだと声高に主張して憚らない彼女は、実際のところ容姿が優れている。
それだけが原因ではないが、アビドスにとって、彼女と過ごす時間は少なくともマイナスではなかった。
笑顔で、優しく、自分たちを思って行動してくれる。
確かに力を貸してくれる。
手紙に応えてくれた。
そんな『先生』を監視して、事あるごとに現れてちょっかいをかけていく。シロコだけはそこまでだったが、基本的に印象が良いわけがない。
コミュニケーションの少なさもあっただろう。
あくまで彼らが会話をするのは『先生』とであり、生徒達にはそこまで興味が向けられなかった。
こんなタイミングで。
踏ん切りのついたタイミングで今更手を差し伸べられたところで、全てが遅すぎた。
「どうせ見返りが欲しいだけのくせに」
そう吐き捨てると、ホシノは砂漠を1人進んだ。
今度こそ立ち尽くしたロボットを置いて。
あの異形との契約のために。
『──』
ロボットは月を見上げた。
冷たく砂漠を見下ろし、全てを曝け出させる白い月。
そこに何を見る。
何を感じる。
何かを感じるのか。
──────
夜は半ば。
鳥も虫も眠りにつく時間。
極大の放射冷却により地熱が奪われ、底冷えによって人の存在を許さない。
砂漠は過酷だ。
かつては栄華を極めたアビドスですら、侵食によって砂岩が削り取られるようにジワジワと追い詰められた。
善悪ではどうしようもない天地の鳴動。
その一端が、今も彼女たちを襲っている。
だけどそれは、対策委員会が苦しんでいる直接的な原因ではなかった。
彼女達の苦しみはもっと世俗的なもの。
経済というしがらみ──先人が刻んだ轍に彼女達は足を取られているのだ。
それが学生間のやり取りの末のものならば良かった。若くて過ちを犯すこともある彼女達の衝突は、時として成長に必要なものだから。
でも、彼女達を苦しめているのは自分と同じ『大人』。
他者を搾取することに重きを置いた醜い『大人』。
子供を守るために存在するはずの彼らは、その子ども達を苦しめ、涙を流させている。
あんな少数に対して大勢で、お金の力を使って──剰え学校すらも奪おうとしている。
どうしても許せなかった。
──ホシノが失踪した。
それは昨晩感じた違和感をそのまま踏み重ねた結果に過ぎない。
止めるべきだった。
腕を掴むべきだった。
抱きしめて、無理矢理にでも一緒にいるべきだったんだ。
だから、示さなければならない。
自分が『先生』であることを。
────―
『──ようこそおいでくださいました、伊坂コハネ先生。伊坂先生とお呼びしても?』
「…………」
『では伊坂先生、初めにはっきりさせておきたいことがございます。それは──私たちがあなたと敵対するつもりはないということです』
協力したいと、自分は味方であると、生徒を誑かした口でそう宣った。
『アビドスなどという小組織はどうとでもなります。しかし伊坂先生、あなたは別だ。あなたは……私たちにとって脅威になり得る。故に、手を取り合いたい』
「あなたたちは何者?」
『クックック……興味を抱いていただけたようで。私たちはあなたと同じくキヴォトスの外からやってきました──が、貴方とは違う領域の存在です』
座ったままの異形は、自らの胸に手を当てた。
『適切な名前がありましたので、今はそれを拝借して使っております。私たちのことは「ゲマトリア」とお呼びください』
「ゲマトリア……」
『そして私のことは「黒服」とでも。この名前が気に入ってましてね』
楽しそうな雰囲気を漂わせている。
ゲマトリアの黒服、それこそがその異形の今の名だという。
黒服は立ち上がると、聞かせるのが目的かのようにカツコツと音を鳴らしながら床タイルの上をゆっくりと歩く。
先生の目の前で立ち止まると、見下ろす身長差であることがハッキリした。
「……」
先生は、目の前に異形が来ても退かない。
選択肢自体が存在しない。
『一応お聞きしますが、私たちと協力するつもりはありませんか?』
黒服は手を差し出す。
手袋に覆われ、その中にある手が一体どんな質感を帯びているのか分からないが、少なくとも握手をできるだけの形態は持っているようだ。
「断る」
『……左様ですか』
手を垂れさせて数歩分、間を開ける。
『真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、あなたはキヴォトスで何をするおつもりなのですか?』
「ホシノを返してもらいにきた」
『──返す? これはまた異な事を。手に入れるならばともかく……正式に、彼女の全ての権利は私のものとなりました。それを返すというのは理屈が通らない。どういった──』
「これを」
『………………退部届……なるほど、押印がなされていないと』
そう、つまり正式な受理は完了していない。
ホシノが学校を辞めて黒服の所有物になるというロジックによって交わされた契約である以上、その前提である対策委員会の退部が覆されてしまえば契約は成立しないのだ。
言葉遊びだ。
しかし、契約とはそもそもが言葉遊び。
同じ土俵にて行われるものであるならば、それは有効と言えた。
『…………』
漏れる光を揺らめかし、黙して語らぬ黒服の姿がそれを保証している。
しかし、首を傾げてもいる。
『理解できません。あなたが小鳥遊ホシノを助けることに何の意味が? 彼女を解析することにより、我々は神秘の一端を理解することができるかもしれないというのに……その機会を手放すのですか?』
「興味ないね」
『非合理的だ。非論理的で、無意味だ』
「それは黒服、あなたの論理が人のそれと相容れぬものだからだよ」
『そうでしょうか。本当に──そうでしょうか?』
「うん、そうだよ。だからこそ……あの子達の思いを踏み躙り、自分の欲求の為に消費しようとしたんだ」
『否定はいたしません。しかし大人とはそういうものであり、世界とはそういうものです。私が殊更に悪辣なわけではなく、私と同じ欲求を抱いてる存在があれを見れば誰もが同じように行動する筈です』
黒服は言う。
砂漠で喉を渇かしている者がいれば、水を与えるのも当然だ。
ただし、そこには利益が伴う。
需要に対する供給として差分が生じる。
その時点での飢えが大きいほど、差分に対して支払わなければならないモノが大きくなるのは当然だと。
『ただ、普遍的な事例の中から私だけを論って不当だと断ずる。それこそ傲慢ではありませんか?』
「──違う」
『ほお……ではこれなら如何でしょうか。ホシノから手を引けば、アビドスは私が守ります。カイザーPMCも私がどうにかして差し上げましょう。そうすれば、アビドスは問題なく通い続けられます』
「断る」
『……どうして?』
首を捻る。
『どうあっても敵対すると? ──無力なのに。戦う術を持たない無力な存在なのに?』
──大人のカードを取り出す。
『…………先生、それは価値あるモノだ。確かに力をもたらすでしょう。しかし、貴方自身よりも価値があるモノではない。それによってもたらされる力も同じこと…………ですから、しまっておいてください。貴方の生活を守る為にも』
「断る」
『なぜ?』
再び詰め寄る。
真上から見下ろす距離で、壊れた機械のようの同じ言葉を繰り返す。
『なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?』
「分からない?」
『理解できません、その判断はどうしてなのか。一体どんな理屈があればアビドスをそこまで助けようなどと思うのか。出来もしないことを──』
故にこそ、語る。
「ホシノが……セリカが、ノノミが、シロコが、アヤネが──みんなが苦しんでいるのに、それに対して責任をとってあげられる人がどこにもいなかった」
『…………だからどうしたというのですか? 先ほども言った通り、彼女たちが苦しんでいるのは自然現象と社会現象の一種です。あなたが責任を負うとでも言うのですか? ただ通りがかっただけの、出会っただけの他人であるあなたが? 何故?』
「それはね……私が大人だから、だよ」
『──つまり大人とは責任を負うものであると、そう言いたいのですか? ですがその考えは間違っています。大人とは、望む通りに社会を改造し、法則を決めて、規則を決め、常識と非常識を決め、平凡と非凡を決める者です』
部屋の明かりが明滅し、消える。
圧力すら生まれたかのような重苦しさ。
黒服は首を傾げたまま更に口を開く。
『権力によって権力の無い者を、知識によって知識のない者を、力によって力の無い者を支配する、それが大人です』
『自分とは関係の無い話、なんてことは言わせません』
『あなたは、このキヴォトスの支配者にもなり得ました。この学園都市における莫大な権力と権限。そしてこの学園都市に存在する神秘。その全てが、一時的とはいえ貴方の手の上にありました』
『しかし、あなたはそれを迷わず手放した』
『理解できません』
『その選択に、なんの意味があるのですか? 真理と秘義、権力、お金、力……その全てを捨てるなんていう選択肢を、どうして!』
「──言っても、理解できないと思うよ」
交渉は決裂した。
だが、最初から分かっていたことだ。
彼女がここに来た時点で、それは決まっていたことだ。
その先が肝要なのだ。
アビドス砂漠のPMC基地の中央にある実験室。
そこにホシノはいた。
神秘の裏側──恐怖の適用が生徒に対して可能かという実験の材料として。
『精々頑張って生徒を助けるといいでしょう。微力ながら幸運を祈ります』
「……」
『しかし一つだけ──ゲマトリアはいつでもあなたを見ていますよ』
用事は済んだ。
最初からゲマトリアなど眼中にすらない。
ホシノの居場所さえわかればそれで良かった。
建物から出る為にエレベーターの前まで来たコハネは、昇降ボタンを押さずに一度振り返る。
『なんでしょうか。やはり気が関わったとか?』
「いいや、違うね。だけど……先生として、一つ教えてあげる。貴方は前提から間違っていたから」
『前提? それは……聞いておきましょうか』
「大人がみんな、喉の渇いた人に高値で水を売りつけるなんて──それこそ過ぎた妄想だってこと。少なくとも私はそういう人たちを知ってるよ」
『……覚えておきましょう』
──────
「みんな、ただいま!」
「先生! 戻ってきたわね!」
意気揚々と、コハネは委員会の扉を開けた。
そこにはアビドスのメンバーが揃っている。ただ、1人を除いて。
しかし、あの手紙を読んでなお心が砕けぬ彼女らを見て、心が晴れやかになるのは当然と言えた。
「何か掴んできた顔だね」
「うん! ホシノの居場所は分かったよ!」
「じゃあ、改めて──」
「ホシノを助けに行こう!!!!!!!」
「え、うるさ」
「うるさいくらいの方がいいでしょ!!!!」
「……はあ」
「さあ、ホシノをここに取り戻すよ!!!」
校舎内に響き渡る声。
まるで子供のような笑顔で、太陽のような笑顔で、彼女は生徒達を見る。
呆れた顔のアビドス生徒は、伊坂コハネという人物がどんな手合いなのかをある程度理解していた。
「それで……そのあとは叱ります! みんながなんと言おうと!」
「うんうん、賛成です! 自分で言ったコトを守れなかったわるーい子にはお仕置きが必要ですからね!」
「おかえりって言って、ただいまって言わせよう! どんな顔してても絶対に言わせるんだから!」
フンギャー! と拳を振り上げて意志を強く固める。
この中で一番はしゃいでいた。
「な、何よそれ! 恥ずかしいんだけど! むず痒い!」
「……私はする」
「私もします!」
「わ、私も……ちょっと恥ずかしいけど……」
「ええっ!? みんな、何言ってるの!?」
私だけがおかしいのとばかりに狼狽えている。
しかし視線の集中に耐えかねて口を開いた。
「わ、私は絶対やらないから!」
「そう言ってられるのも今のうち! さあ、みんな! ホシノ救出のために準備するよ!」
しかし、シロコが先生の腕を抱く。
「先生……今の私たちだけじゃ勝てないよ」
セリカは唇を尖らせる。
「便利屋は?」
ノノミが後ろから両肩に手を乗せる。
覗き込んで、彼女の赤い瞳と目を合わせる。
「確かに便利屋の皆さんは私たちを助けてくれましたが……もう一度お願いしてもいいのでしょうか?」
「……ふっふっふ」
「…………先生?」
「ふーっふっふ!」
腕組みで不敵な笑みを浮かべ始めた。
「私に、考えがあります!」
「考え!? そ、それって一体──」
次の次の次の日、いつも通りに登校したシロコはあるものを見つけた。
「いっちに、さんし、ごろく、しちはち!」
「……なにしてるの?」
念入りに体操をしているコハネだ。
学生の着るようなジャージまで着ている。
いつもの教員然とした服装とは違うので最初は他校の生徒かと思ったくらいだ。
「──あ、おはようシロコ!」
「うん、おはよう先生。……ところで、今は何をしてたの? 体操?」
「体操!」
「あ、体操なんだ」
「そりゃあ体操だよ!」
「なんで?」
「へぅぅっ!」
「え?」
シロコは、本当に不思議そうだった。
悪意などまるでなく、純粋な気持ちで尋ねただけだった。
だからこそ、より深く心に刺さっていた。
屈伸体操をしていたコハネはしゃがみ込んでそのまま崩れている。
「何か変なこと言っちゃった? ごめん」
「う、ううん……いいんだよ、シロコ……若さっていいなあ……」
「先生も私たちと同じくらいに見えるけど」
確かにコハネは幼顔だった。
「うぐううっ!」
だからこそ、もっと深く刺さった。
「あ! シロコせんぱーい!」
「セリカだ」
「シロコちゃーん!」
「ノノミも来た」
一番遅かったのはアヤネだ。
よなべして地図情報を更新していたらしい。
「みんな、準備は万端だね?」
「あったりまえじゃない! アイツらけちょんけちょんにしてやるんだから!」
「私はいつでも良いよ」
「お菓子もたっぷり用意しました!」
「私が、安全なルートを案内します!」
コハネは、満足げに頷くと空を指差した。
視線が指先に集まると同時、口を開く。
「では、今よりホシノ救出作戦を開始します!」
「私が言いたかったのに……」
──────
──ねえ、ホシノちゃん。
──私ね、ホシノちゃんと初めて会った時、これは夢なんじゃないかって思って、何度も頬をつねったの。
──ホシノちゃんみたいな、可愛くて強くて、頼れる後輩がそばにいてくれるなんていう夢みたいなことが、本当に嬉しくて……。
──うーん、上手く説明できてないかもしれないけど……。
──ただ、こうしてホシノちゃんと一緒にいられることが、私にとっては奇跡みたいなものなの。
『……毎日毎日、こうして一緒にいるじゃないですか。
昨日も今日も、明日もそうです。こんな当たり前なことで、何を大袈裟なことを』
──はぅ……だって……。
『「奇跡」というのはもっとすごくて、珍しいもののことですよ』
──……ううん、ホシノちゃん。
──私は、そうは思わないよ。
──ねえ、ホシノちゃん。いつかホシノちゃんにも可愛い後輩ができたら、その時は──
「あ…………」
天井の壁紙が目に入る。
プレゼントしてもらったものだ。
アジや、クラゲや、エビや──クジラ。
「…………はあ」
懐かしい夢を見た。
懐かしい思い出を夢に見た。
懐かしい顔を夢に見た。
懐かしいセリフを口にした。
ひととき足りとて忘れたことはない。
どうしようもなく頼れて、かっこよくて可愛くて、私を助けてくれる子だった。
私が遺してしまった。
私には救えなかった。
だからアビドスは今も存在する。
こんなどうしようもない生徒会長について来てくれたあの子が、今も頑張っている。
後輩はできたのかな。
仲良くやれているのかな。
それを知ることすら私には許されていない。
偉そうなセリフを吐いておいて、私は何をしているんだろう。
あの子は今、何をしているんだろう。
──────
…………。
『──!』
…………。
『────!』
………………。
『──ろ!』
………………。
『起きろ、コラ!』
「…………ぅ……」
重たい瞼を開けると、そこにはロボットPMCがいた。
例の──サンダースだ。
『何死んだ目してんだ、コラ!』
「…………なん…………で……?」
『なんでもクソもあるか! あっ、ちょっ……オラァ!』
身体が動かせない。
力じゃない、何かによって縛られていた。
それは仕方ない。
それはどうでも良い。
私の所有権はもう、あの忌々しい黒服のものになったから。
何をされても仕方がなかった。
あのアームが私の身体に何かをしようとしている。
あんな気持ち悪い奴がする事だ。
きっと、痛くて辛い事に決まっている。
でも、それでみんなが助かるなら。
アビドスがこれ以上、大人から傷つけられなくて済むなら。それで良かった。
なのに──
「なに……やってるの……」
『──見てわかんねえか!? 時間稼ぎだよ!』
ロボットは、そのアームを押し留めている。
殴って、蹴って、掴んで、撃って、阻止している。
何の為に?
『やっぱりガキだな! こんな見え透いた罠に引っかかりやがって!』
「わ……な……?」
『分かんねえか!? 分かってたらあんな契約結ばねえもんな!』
途中で音もなく消えて、姿を見なくなったはずだった。
何の為に来たのかとは思いつつも、どうでも良かったから半ば忘れていた。
そもそも、どのタイミングで中に入り込んだんだろう。
『侵入者排除シーケンス開始』
『おいおい、ひでぇ話だな! お客様かつ古株だぞこちとら! ったく……仕方ねえな本当に』
(ジジジ)
電子音を鳴らしながら、手の内に現れた武装。
なにかしらの技術によって透明にしていたそれを、攻撃が激しくなった事により解放したらしい。
『オラッ! お高い機材諸共くたばれ!』
(ダダダダダダッ!)
『アイツ、中で銃撃ってやがるぞ! グハッ!』
『やべえ! ク、クビが飛ぶ! 早く捕まえろ! ウギャッ!』
『どうやってだよ! アガッ!』
相対しているのはカイザーPMCの傭兵だ。
それを攻撃しているということは、サンダースは本当に私の敵じゃなかったってこと?
でも、なんでそこまで?
『くそ……ジリ貧か……いいや、負けない!』
「……逃げなよ」
『ああ?』
「関係ないじゃん。それに──」
この珍妙なロボットが私を助ける意味なんて本当にないんだ。
私は契約した。
私を自由にさせる代わりに、アビドスの借金を減らしてもらうって。あれだけ負担が減れば、みんなでも返せる。
だから、こいつが余計な事をしてそれを反故にされるのが一番嫌だった。
そう説明したのに、サンダースは肩を竦めた。
『あのなあ……だから言ってんだろ。そんなの意味ねえって』
「え──」
『借金を全部肩代わりするわけじゃねえんだろ? だったら、いくらでも好きなように利子をいじれるじゃねえか。それによ…………そもそも黒服とカイザーが組んでるのに、アビドスを本当に解放させられるようなプランを黒服が持ってくると思うか? それにカイザーPMCが協力すると思うか? カイザーだぞ? 天下のカイザー様だぞ? 舐めてるぜお前、大人をよく』
「…………」
『もういいや! お前はそこで静かにしてろ!』
──────
『先輩はすぐそこにいるはずです!!』
『ん、壊れない……もう一度……』
『あ、アヤネちゃん!? どうしてここに!?』
『シャーレに貸してもらったヘリで! ホシノ先輩は!?』
『ここです! でもドアが開かなくて……!!』
『こんのっ!!』
(ドカアアァァァァンッ!!!)
清涼な空気に満ちた夕暮れ。
硝煙の匂いが未だ消えぬその場において、しかし既に戦闘は終了していた。
「あはは……」
茜色の空の下で少女が1人、笑っている。
ありえない現実を前にして。
大人が彼女を助けに来たという事実を目にして。
夢だと思ったそれは夢じゃなくて、一人一人の目を見ると笑顔で返してくる。
それは期待。
彼女たちが言わせようとしている言葉が何かは分かっても、それに応える事には照れがあった。
何せ、
しかし、ここまでされて応えないのは道理に反している。
それに、彼女の胸の内に湧き上がる感情が、行動を肯定していた。
だからこそ、恥ずかしそうしながら。
それでいて嬉しそうに。
「──ただいま」
途端に、騒がしくする少女たちと1人の大人。
離れていた距離を一気に詰めていた。
この中で最も背が低い彼女を抱きしめて、ほっぺたを揉んで──そのいずれもが笑顔だ。
「ぶえええええ!」
いいや、1人だけ。
最もしっかりしていなければならないはずの人が大粒の涙を流している。
「うええええ! ふひいいいいいん!」
「あはは……も〜……コハネちゃんは泣き虫だなあ」
「だ、だっでええええ!」
助け出されたばかりの、自分よりも背が低くて、歳が若い少女の胸に顔を埋めて泣いていた。
「よがっだよおおお!」
「……ありがとね、先生──ハッ!」
そこで思い出す。
何があったのかを。
何故、自分がまだ両足で立っているのかを。
(タッタッタ)
ホシノが捕まっていた場所に再び赴いた。
押し上げた扉の向こう、多くの機械の破片が転がっている中。解放された直後は、夢見心地で気にしていなかった。
『忘れ……られて……なかった……か』
「あなたは……」
そこに倒れていたのは、数回顔を合わせたロボットPMCだった。
両腕と片脚は大破し、武装も全損。
煤けた表面塗装と、砕けた
バチバチと電気を漏らす姿は満身創痍そのものだ。
だが、確かに動いている。
コアのチップは普通に生きているようだ。
だが、流石にインターフェースは辛うじてと言ったところか。
『なにが35分前に実行したよ、だ……バカが……』
「……そっか……あなたが守ってくれていたんだね、サンダース」
『あの野郎……』
ロボットは恨み言を吐いている。
敵ではなく味方にというあたりがこのロボットらしいと、『先生』は笑った。
「もし良ければ、私たちが送って行くんだけど……会社の場所を教えてくれれば」
『……いや、いい』
「え…………でも壊れてるよ?」
『俺が……歩いて、来た……とでも……思ってん……のか?』
(ブロロロロ)
「!」
『自律駆動……乗れば……勝手に連れ帰って……くれる、んだよ』
「…………す……」
『?』
「すっごおーい!」
『!?』
「え〜いいなあ〜! 私も乗ってみたい! 完全自律のバイク!」
ペタペタとバイクを触り始めると、試しに跨ってみる。
ちなみに何の許可も得ていない。
『非許可者の接触を確認。エリミネーションモードに──』
『やめ……ろ』
『登録者02 サンダース様の指示を確認。接触者をゲストモードで登録しますか?』
『それも、しなくて──』
「はいはいはい! 登録しまーす! ……アロナ! オネガイ!」
『伊坂コハネをゲストモードで登録しました』
『──はあっ!?』
「うわあ、かっこいい! ブオンブオン! ブオうわああっああああぁぁぁぁ──」
コハネは外に飛び出した。
制御が効かず、しかしジャイロセンサーによって倒れる事もなく、暴走している。
「と、とまらなっ……バイクは免許持ってないの! だ、誰か! だれかあああああ!」
──自律駆動モード破損