・本作品は原作小説「ハイスクールDxD」1~25巻及び「真ハイスクールDxD」1~4巻の内容を基に構成しております。ネタバレを気にされる方は十分にご注意ください。
・本作品は原作小説のエロ要素を限りなく薄めシリアス要素が多めとなっております。残虐的表現、鬱要素等が含まれておりますで苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。
霞む視界。
その息は荒く、ヒューヒューと掠れた音が口から漏れている。
それは死にかけていた。
命が果てるその最期に許された時間。
一瞬とも永劫とも思える歓喜と苦痛に揺れる猶予。
その最中に空を見上げていた。
見上げた空は暗く、されど燦然と丸くて大きな月が孤独にも輝いている。
綺麗だと感じた。この世のものとは思えぬ幻想的な光景。
命の灯が尽きるその時に見るものとしてそう悪いものではない。
月が徐々に翳りを見せる。
遂にその時が来たのだ。願わくば最期の瞬間までーー。
ねぇ、君、死んじゃうの?
何者かが顔を覗かせた。月は欠けたのではない。その顔が月に影を作ったのだ。
女性だった。端正な顔立ちの浮世離れした美貌。そして何よりも目を引くのは藤色の髪。
ふわりと広がったそれは月光を浴びて怪しくそして鮮やかに輝いてる。
今にも消えてしまいそうな命を前に彼女は竦むこともなく側に忍び寄る。
ねぇ、死んじゃうの?
再度の問い。
対して、残された体力をかき集めて全力で返答した。
それは今際の際に発する言葉としてはあまり相応しいものとは思えなかったが、彼女は何も迷うことなく応えてくれた。
そしてーー、
ねぇ、私と一緒に■■って言ってみない?
言葉はもうだせない。
出来ることがあるとすれば首をわずかに縦か横に振るぐらいだろう。
気持ちを伝えるぐらいならそれで何もかもが十分だった。
こうして私の物語が今、ようやくここから始まる。
初めに言っておこう。これは私の記憶だ。
これまで確かに刻んできた軌跡なのだと。
月深結真——それが俺の名前だ。
今をときめく大学2年生である。
特筆すべきもないどこにでもいる大学生という前置きがつくけれども。
そう俺はどこにでもいる学生で、きっと普通のままこの先も生きていくんだろうってそう思っていたんだ。
あの日までは——。
それはある日のこと。
大学の講義終わりに階段を降りていると俺は踊り場で誰かとぶつかってしまう。
不意の衝撃と相手方の勢いもあって俺はその場で尻もちをついてしまった。
「いてて、なんだよもう、ッ…………!?」
顔を上げて見えたものは鮮やかな藤色の髪。
扇のように広がった髪が陽光を浴びて幻想的な雰囲気を醸し出していた。
俺はその光景に目を奪われ、情けないことに固まってしまう。
そうして呆けているうちに当のその人はこちらを一瞥だけして階段を駆け上っていった。
俺は黙ってそれを見ていることしかできなくてようやく我に返った頃にはその人は完全に視界から消え失せていた。
「大丈夫か結真」
そう声をかけてくれたのは俺の数少ない親友の1人である陽朝匠。
眉目秀麗、成績優秀、加えて誰に対しても優しいと3拍子揃ったイケメン男だ。
実際、良くモテており、ふとした瞬間に女性に囲まれていることも珍しくない。
そんな匠が倒れている俺に向かって手を差し出した。
「すまん」
ありがたくその手を掴み立ち上がる。
「ったく、ぶつかっておいて詫びもなしかよ」
匠が去っていた人物の背中を追うように無人の階段を見上げる。
「知っているのか?」
「知っているも何も彼女有名人だろ、知らないのか?」
「あんまり、いや、どっかで見たような気がしないでもないな」
「お前な……俺が言えた義理じゃないがもう少しそういったことに興味を持てよ……。えっと名前は確か黒瀬瑠奈っていったかな、俺らと同じ2年生だよ」
「あ、その名前知ってるかも。たしかすごい美人で有名なんだっけ」
「そ。容姿端麗、外国の名家の生まれでミスコンに出れば優勝確実って言われるぐらい美人で有名。その美貌に惹かれて今まで数多の男が告って玉砕してることでも有名だな」
「ふーん、そりゃすごい。そんな彼女があんな慌ただしくしてどうしたんだろな」
「さあ、庶民にはわからない急ぎの用事でもあるんだろ」
「かもな。――あれ」
俺は床を見た。
「どうした?」
匠が怪訝そうな顔で同じ方向を見る。
「いや、なんか落ちてる」
落ちていた物を拾い上げる。ペンケースより1回り大きいくらいの黒色の横長のケースだ。
俺のものではない。匠のほうを見ると首を横に振った。どうやら匠のものでもないらしい。となると状況証拠的に黒瀬さんのものとしか考えられない。
しかし、当の彼女は影も形もない。追いかけようにも彼女がどこへ向かったかなど知らないし、当てもなく探すにはこのキャンパスは相当な面積を要するため、最終の講義が終わってしまった今では探し出すのも難しいだろう。
「落とし物として出しておけばいずれ取りに来んだろ」
「それもそうだな」
「そういえばお前、教授に頼まれごとあったよな。時間大丈夫か?」
「そうだった。ったく國坂のやつ面倒なことを俺に押し付けやがって」
國坂とは俺の親友の1人で女性だ。二十歳にもなってわんぱくな性格をしていて目立ちたがり。それと人助けが趣味な変わったやつだ。更に付け加えると匠の彼女でもある。
大方今日も今日とてどこかで人助けに興じているのだろう。その代わりに面倒ごとは俺や匠押し付けてくるという困った人物だ。
「あれであいつは忙しいんだ。勘弁してやってくれ」
匠が肩をすくめていう。
「俺の味方じゃなくて彼女の味方かよぉ、俺は悲しいぜ」
「うっせー。早く行けっての」
「はいはい、じゃあまた明日な」
「おう、また明日」
匠に別れを告げると、教授が待つ研究室へと向かう。道中無くさないようにケースを鞄にしまって。
「しまった……」
時刻は20時。俺は自宅の部屋の机に向かいながら頭を抱えていた。
目の前には落とし物のケース。
そう、おれは鞄にしまったきり、届け出るの忘れて持ち帰ってしまったのだ。
教授からの頼まれごとがすぐに済むだろうと早とちりしていたのが悪かった。実際は想像以上に時間を食ってしまい気づいたころにはケースの存在をすっかり忘れていた。
これがもし黒瀬さんが大事にしているものならまずいよな。
まあ、やってしまったのは仕方ない。
明日は朝一番に大学の事務所に……いやこの場合は本人を直接探して謝った方がいいのだろうか。
きっとその方がいい。うん、そうしよう。
なら今日は早く寝よう。自慢じゃないが俺は早起きが得意なタイプの人間ではない。授業だって極力1限は避けているくらいだ。早めに寝るに限る。
そう思うのだが、俺はケースから目を離せなかった。
見たところ鍵のようなものはかかってない。わずかに力を籠めると、隙間ができることから簡単に開閉できることがわかる。当然だがこの場に持ち主の目もない。
つまり、容易に中を覗き見ることができるということ。
「いや、しかし……」
黒瀬さんが大事にしているものが中に入っているかもしれないというのに断りもなく開けていいはずがない。
果たしてそんな禁忌を冒していいものかと良心が叫ぶ。
だが、そんな良心もむなしく指に籠る力は強まっていく。
「少しだけ。そうほんの少しだけなら」
一瞬覗き見るだけ、見たらそれ以上はいじらない。そう誓いケースを完全に開いた。
果たしてその中身は。
「――チェスの駒?」
それは紛れもなくチェスの駒だった。
キングやクイーンを模したであろう駒が各種入っている。チェスはあまり知らないが自陣の分だけという意味であればきちんとそろっているように見える。
「うん?」
と思ったがビショップの駒が1つ足りないようだ。開けた瞬間に落ちてはいかなかったし、念の為にと辺りを見回すもどこかに落ちている様子もない。
どうやら元々1つ無いようだ。
そんなことよりも、だ。一目見た時から気になることがある。
色だ。チェスの駒はまるで黒瀬さんの髪と全く同じの藤色だった。
鮮やかな色合いで惚れ惚れしてしまう。
なぜかキングの駒だけは無色だったが、それはそれで異色さを放っていていい。
俺はケースから慎重にキングの駒を取り出す。
落ち着いたそれでいて、気品さすら感じる一品だ。
「綺麗だな……それにとっても高そうだ」
その時俺は匠の言葉を思い出していた。たしか匠はこう言っていた。黒瀬さんは海外の名家の生まれだと。
海外の生まれならチェスを嗜んでいたとしてもおかしくはない、いやむしろ彼女の雰囲気にピッタリだろう。
さらに言うなら裕福な家庭のようだし、チェスをやるにあたっての自分用の特注品、あるいは誰かにもらった記念品かもしれない。
だとしたらこれは明らかに俺の手に余るものだろう。
熱くなっていた思考が、徐々に冷えて恐怖心が芽生えていく。
いい加減もう触るのはよそう。キングの駒をティッシュでよく吹いた後にそっと戻してその日はもう開けなかった。
翌朝。外では小鳥の謳うような鳴き声が聞こえてくる。
のどかでいつものような朝ではあるが俺の心は曇天のごとく暗かった。
「……全然寝られなかった」
あのチェスの駒が一体いくらするんだろうとか、万が一訴えられたらどうしようとか考えていたら気づいたときには夜が明けていた。
夜が明けたタイミングでこれ以上は寝られないと判断し食事をして支度を整えていた。
時刻は6時過ぎ。今日は2限から授業がある。自宅から大学まで自転車で20分なのでまだのんびりどころかもうちょっと寝ていても問題ない。
しかし、今となっては時間に早く過ぎてほしいと思う。いや、逆に遅くなってほしいとも思う。
大学に行って落し物を届けなければいけない。でもいけば何が起きるかわからない。
怒られるぐらいなら問題ない。最悪の場合は訴えられて賠償金。そんな未来を幻視する。
のしかかる重圧は重く、大学を休もうかという気持ちさえ芽生えてくる。
でも、と思う。
「こうしていても仕方ないか」
大学に行かなかければそれはそれで罪悪感にチクチクと刺され続けるのである。家にいても結局針の筵であることには変わらない。
ならば自分から向かっていくことでこの罪悪感から解き放たれたい。
そうと決まればだ。
重い腰を上げて鞄を手にする。教材があるのでいつもそれなりに重いのだが今日はいつにもまして重い、そんな錯覚を覚える。
出発前に例のケースが入っているかの最終確認を行う。何度も確認したがちゃんと入っていた。
そうだ念には念を入れて中身も確認しておこう。数がそろっていないことが後から分かるのは非常に問題だ。
慎重に開けて中身を改める。
そして、驚愕した。
そこにあるはずのキングの駒が消失していたからだ。変化はそれだけではない。
昨日まで鮮やかに輝いていた藤色の駒は全て今日になって黒く淀んだ色になっていた。
「な、はあ? っああ??」
驚きのあまり口から変な声が漏れる。
いやいや意味が分からん! どうなっているだこれは!!
わけがわからない、理解が追いつかない。なんだ、空気にさらすのがまずかったのか!?
それとも時間の経過でそうなるのか!?
なぜそうなったのかその理由を考えては様々な仮説が頭に浮かびあって消えていく。
いや、色が変わった理由を考えている場合じゃない。今は見た目がどうこうよりもキングの駒を探すのが先決。
俺は早速キングの駒の捜索を始めた。
「無い、無い……」
どこを探してもない。そう大きくもない部屋である。捜索に掛ける時間はそう必要でもない面積である。
なのに見つからない。机やベッド、目に見えるものすべてをどかすも駒は見つからない。まるで神隠しに遭ったかのように。
昨夜帰ってきてから一度も家の外には出ていない。だから家のどこかには絶対あるはず。
そう考えてリビングやトイレ、キッチン等も見てきたがやはり見当たらない。
探し始めて1時間以上は経っただろうか。部屋の隅々まで探すも結局見つからなかった。
額に着いた汗をぬぐう。
時計を見ると8時を示していた。猶予は残されていない。
こうなればもう腹を括るしかないだろう。
一旦キング以外の駒を返す。そして、後日必ず見つけて返す。そう言うほかない。
魂まで出ていきそうな重いため息を吐いて俺は鞄を手に玄関を出る。
「っ…………?」
それは外に出た瞬間のことだ。
体が急に重くなった、そんな奇妙な感覚に襲われる。
それにやけに肌がヒリヒリする。天候のせいではない、今日の天気は予報では一日曇りだ。実際空は分厚い雲に覆われており日差しが差し込む余地はない。
徹夜明けのせいかもしれない。返すものを返してどこかの教室でひと眠りするとしよう。
自転車にまたがり調子の出ない体に鞭を打ってペダルを回し始めた。
駐輪場に自転車を停めて、大学の正門に歩み進めるとそこにはなぜだか人だかりができていた。
「ねえ、あれって……」
「ああ、なんで紫翠姫が……」
「まさか、待ち合わせ?」
「ありえねよ。あの紫翠姫だぞ」
風に乗ってひそひそ声が聞こえてくる。
妙にざわついているが……、はて、何か催し物でもやる日だったかと首を傾げつつ人込みをかき分けて進んでいく。
通り抜けようとする俺に集まったものたちは全く道を譲ろうとしないため、時間はかかったもののどうにか正門にたどり着く。
まったく、いったい何だったというのか。後ろの集団を一瞥した後に前を見る。
「「あ」」
それは全くの同時だった。あちらが俺を見て、俺もその人視界に収める。そして、ようやくこの人だかりの意味を理解した。なるほど彼女であればこの人込みができるというのも納得である。
固まる俺に対してその人は全く臆することなく近づいて腕をつかんだ。
「ちょっときて」
「いや、ええ、わっ黒瀬さん??」
突然の出来事に声が上擦りつつ彼女——黒瀬瑠奈さんの名前を呼ぶ。
「いいから、大事な話がある」
よく通る声でそう言った。意味深でどうともとれる発言。
それは周りいた人たちにばっちりと聞かれ、瞬間、男性からはどよめきが、女性からは黄色い歓声が上がった。
「ねえ。今の聞いた!?」「ああ。間違いない! 大事な話だって言ったぞ!」「なんだってあんな冴えない男が!」「こうしちゃいられないわ拡散しなきゃ」
ああ、終わった俺の学園生活。さようなら薔薇色ではないが平和で穏やかな未来。
俺はすべてを諦め黒瀬さんに引っ張られていった。
「で、あなたが持っているんでしょ」
黒瀬さんは校舎裏まで俺を連れてくると開口一番にそう切り出した。
当然その意味に気付かない俺ではない。一度頷いた後に鞄から黒瀬さんが落としたであろうケースを取り出した。
「……! やっぱりね」
差し出す前に俺の手からケースをひったくるようにつかみ取った。
「よかった……」
そのケースを我が子を抱くかように胸の前で抱きしめる。やはりというか相当大事なものらしい。そんな彼女にこんなことを言うのは大変気が引けるのだが、言わないわけにはいかないだろう。
一度大きく吸って、覚悟を固めると口を開く。
「大変言い難いんだけど、実は――っていない!?」
黒瀬さんは忽然と姿を消していた。
「さっきまでそこにいたと思ったのに、いつの間に……?」
勇気をもって真実を語ろうとした俺は、肩透かしを食らいしばらくその場で立ち尽くした。