それは時が止まったかのような光景だった。
でもそれは錯覚でほんの少しずつ時間は進む。
その流れに従って腹部を射抜かれた御供結乃の体から力が失われゆっくりと背中から倒れていく。
咄嗟のことに俺は倒れ落ちるその寸前に御供さんの体を受け止めるので精一杯だった。
抱きかかえたその体は重く再び立ち上がろうとはしない。
「御供さん! 御供さん!」
意識がもうろうとしているようで呼びかけに反応はない。
腹部の傷はというと傷口は広く大量に出血していた。止血しようにも前と後ろからとめどなく溢れている。
こんなのどうしようも――。
いや、何もしないよりは絶対マシだ。弱気になる気持ちを奮い立たせて上着を使って止血を行う。あっという間に血で染みていく様を見ながらも、一方でこのままではと諦めの気持ちが芽生える。
どうしようもなかった。手の施しようがないと俺でも一目でわかる。間もなく彼女は死ぬ。
それがわかるから俺は聞かずにいられなかった。
「どうして、なんでだ!? お嬢様っ!!」
「なぜって頭を打ち抜きたかったのはやまやまだけどあの風向きだと私に返り血がかかるからよ」
「そういうことを言っているんじゃない!」
わざと言っているのではないか、そんなある種希望のこもった気持ちで聞き返すもお嬢様はいたって真面目な様子で答える。
「人間の血なんて汚らしいものを浴びろっていうの? 笑い話にもならない冗談言わないで頂戴」
「――なぜ殺した」
「まだ死んでないようだけど」
「いいから答えろ」
「下僕の癖に生意気ね。いつからあんたはそんなに偉くなったのかしら?」
「いいから早くしろって言ってんだよ!」
沸々と湧きあがる怒りを言葉に込めてぶつける。
お嬢様はそれを聞いて舌打ちをすると盛大にため息をついた。
「大げさね。ただの証拠隠滅よ。ほら満足した?」
「満足? 満足だって? ………………できるわけねえだろうが! 御供が一体何をしたっていうんだ! 彼女はただの一般人だぞ!!」
彼女は何も知らなかった。ほんの少し前までただの女子高生で本来こんな殺伐とした世界とは何のかかわりのない平和な世界で暮らすことができるはずだったのに。
なのに、一体どうして彼女はこんな目に遭わないといけなかったんだろうか。その理由が全然思いつかない。
その答えを求めて俺は黒瀬瑠奈を睨んだ。
「ほっんとうに物分かりが悪い下僕ね。いいわ、教えてあげる」
いい? と彼女は前置きをする。
「その女を求めて英雄派のやつらは私の領地で好き放題してくれた。本来領主はこのような事態になる前に対処しなければいけないの。だというのに今回後手に回りこのような事件になった」
黒瀬が歩み寄り俺の胸ぐらをつかんで引き寄せる。
「わかる? これは本来あってはならぬ雑事。領主代行であるこの私の不祥事となる。絶対にあってはならないのよこんなこと。だからすべてを消す。もちろんこんな小細工は大公は通じない。というよりすでに露見しているでしょう」
それでも、と捲し立てるようにその口が止まることはない。
「ならことが大きくなる前に事態を解決して当事者の口は死で持って閉じてしまえばいい。そうすれば誰にも開けることは叶わない。これが私のやり方よ文句ある?」
「大有りだ」
黒瀬の肩を突き飛ばす。彼女は俺の抵抗を予想していなかったようであっさりと離れていく。
「もうあんたには付き合いきれない。……もう、これっきりだ」
あまりに遅すぎた決断だったかもしれない。
俺がもっとしっかりしていればこんな事態にはならなかった。
腕の中の御供さんを見る。瞳の瞳孔は完全に開いており息もしておらず、心臓は停止していた。
どうにもしてやれず、誰に別れを告げることもなく死んでしまった。
俺の甘さが御供さんを死なせたんだ。死んだ人間が生き返ることはない。
でも、これ以上何も失わないようにするため決断を下す必要があった。
「それは……私の手を離れるということかしら」
「そうだ。――残念だよ、少しは信じられる奴だと思ったのに」
決別の意思を言葉として明確に伝える。
当然黒瀬は烈火のごとく怒り狂うことだろう。ゆっくりと御供さんを地面に横たえていつでも対応できるように腰を浮かせる。
じっと様子を伺うも予想に反して黒瀬は何もしなかった。顔を俯かせただ佇んでいる。それがどうしようもないほどに俺の不安を掻き立てた。
場を沈黙に支配され1秒がとんでもなく長く感じられる。
それから何秒経ったかはわからないが黒瀬が面を上げた。氷のように冷え切った目が俺を射貫く。
「ああ、そう。もういいや」
全身から殺気が迸った。針のように鋭い殺意に晒され硬直してしまう。完全に殺る気になった黒瀬を前にずっと固まっているわけにはいかない。
前にもこういうことがあった経験から硬直していた時間はわずかにとどまる。
しかし、その時間はあまりに致命的だった。逃亡を図るよりも早く黒瀬が動き出す。
「死ね」
その言葉とともに魔力が俺に向かって打ち放たれる。その速度はいつかの旧校舎のものよりも圧倒的に早く、いかに黒瀬が本気であるかが伺える。
やっぱりあの時は手加減していたのか。間違っても俺を殺してしまわないように。
だが、今回のは受ければ間違いなく死ぬ。いかに悪魔が頑丈と言えど限度はある。あの魔力はその限度を遥かに超える一撃だ。
故に避けることを選択し、右にステップを踏む。頬の横を通り過ぎる死に底冷えするほどの恐怖を覚えるもなんとか紙一重でよけて見せた。
来るとわかっているのであればタイミングさえ間違えなければ避けられるのは身をもって体験している。
だから後手になりつつも1回目はなんとか避けられた。でも、それは1回限りの奇跡。俺にはわかっている。今のはただの様子見に過ぎない。
2撃目は確実に当てられる。それは何をもってしても覆しようのない事実。俺と黒瀬の実力差は天と地どころか太陽と地球ぐらい離れているといっても過言ではないのだから。
なら、諦めるかと言われれば俺はNOと全力で即答する。
だって俺が欲しかったのは1回目と2回目の空白、その1秒が欲しかったのだから。
攻撃をかわすと同時におれの右手にはケースホルダーから取り出した呪符が握られている。
ここから先は賭けになる。魔力を修正させ放つのが先か、あるいは俺が始動呪文を唱えきるのが先か。
「金を以って西と成す。散らし寄れ宿なる灯よ! 金光燦!」
早口で素早く唱え、呪符を黒瀬の前に投げ入れる。コンマ数秒の争いは、果たして俺に軍配が上がった。
魔力が放たれる寸前に煌々と輝く閃光が校庭を白く塗りつぶしす。
「金行の呪符!? 宗方かッ……!!」
流石に俺が呪符を持っていることまで読み切っていなかったようでまともに食らったようだ。
「舐めるなぁ!」
黒瀬を中心に円を描くように外側に向けて魔法陣が構築される。
視界が利かないのであれば、と全方位に魔力の攻撃を仕掛けるつもりらしい。
その攻撃、俺には読めていた!
金行の呪符を取り出したときに俺はもう一枚の呪符を取り出し左手に握っていた。
「其は北にあり。貰い烈して祝は火となる! 火葬輪!」
「今度は火行のっ!? チィっ!」
魔法陣の構築を止めて結界の生成にはいる。
どういう経緯かは知らないが火行の威力を知っているのだろう。攻撃から守りに切り替えるところはさすがと言ったところ。
けれども——。
俺はこの場で戦う気はない。発動した火言は黒瀬ではなく、黒瀬が張り直した外の結界に向かっていき貫いた。
御供さんを抱えて俺はその場を走る。結界を構えて守りを固める黒瀬を置き去りにして。
「…………何も起きない? ……騙したなぁ糞がっ!」
遠く走った先でそんな声が背後から聞こえた。
夕暮れ時。学校帰りの学生や仕事終わりのサラリーマンの往来が多くなる時間帯だ。
俺はそれらの目に留まることがないよう急ぎ足で駆けるとともに人目がつきにくい道を選んで疾駆していた。
成人の男性が少女のーーそれも死体を抱えているところを見られた日には通報は免れないだろう。
死体。そう死体だ。つい数刻前まであった温もりは当に消え去り、かつて御供結乃と呼ばれていた冷たくなった肉塊が腕の中にあるだけ。
でも、俺はまだあきらめていなかった。
御供結乃はもう助かることはない。確かに死んだ。この先何をしても息を吹き返すなんてお伽話じみたことは起きない。
人間、御供結乃は死んだ。もう生き返ることはない。――人間としては。
なら、悪魔としてならどうか、方法はある。
ある時、俺は宗方さんからこんな話を聞いた。
それは悪魔の駒の性質についてだ。悪魔を眷属にするという効果を持ったチェスの駒に見立てた道具。その効果は他の生物にも及び、神仏といった一部の超常的存在を除いてはどのような生物でも悪魔に転生させることができる。
そして、ここからが重要なことなのだが、転生する際生きているものだけでなく、死んだ者さえも悪魔として転生させることができるという。
もちろん、条件はある。まず肉体があること。完全に腐ってしまっては転生はできない。それから死んで間もなく魂が完全に散っていない状態であること。
それらの条件が成立するのであれば元の人格を有したまま復活することができる。実際にそういった事例は少なからず報告されているらしく夢物語という訳ではないようだ。
つまり、俺はこれから御供さんを悪魔として転生させることで生き返らせたいという訳なのだが、そのためには当然悪魔の駒が必要となる。
俺の手元に悪魔の駒は1つとしてない。けど悪魔の駒を持っているものは知っている。そして、入手手段は1つしかない。
黒瀬瑠奈、彼女のもとに残されている悪魔の駒を盗むしか……。
現在、黒瀬が戻るよりも早く黒瀬邸へ向かっているところだがこの人込みだ。他人の目をかいくぐりながらというのは思ったほど以上に神経を削るものでなかなかに進めずにいた。
結局黒瀬邸に着くころにはすっかり陽は落ちていた。