ハイスクールDxD Lane Age   作:楓栞

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19話

それから20分後。再びやってきた宗方さんの声で俺は目を開けた。長かったような余命として考えれば短すぎるような時間が過ぎていた。

 案の定眠ることはできなかったが黒瀬から受けた攻撃によるダメージはなんとか回復できたようだ。本調子とは言えないまでも少しは体が軽くなった。

 

「それでは行きましょうか」

「はい」

 俺は宗方さんとともに連れ立って地下のトレーニングルームを目指す。

 

 トレーニングルームは既に宗方さんとの修行で何度か使用しているため行き方はわかる。

 エレベーターに乗ってしまえばあとはほんの数歩歩いてしまえばそれで済む。

 そのはずなのだが、踏み出す一歩は重くエレベーターまでの道のりが遥か彼方のようだ。

 

 少しずつ宗方さんとの距離が開いていく。

 宗方さんも怪訝に思ったのだろう。振り返って問う。

「月深さん、大丈夫ですか?」

「……大丈夫です、問題ありません」

 

 きっぱりと言い切って見せたかったが一音発するたびに声量は小さくなり震えは隠しきれなくなる。

「本当に大丈夫なんで……」

 両腿を殴りつけて前を向く。歩けと念じながら鉛のように重い足を振り上げ歩く。が、俺の足は思ったように動いてくれない。

 

「あれ、おかしいな。いや、ほんと大丈夫なんで、すぐ行くんで」

 動けよ、この馬鹿。俺は黒瀬のもとに行って御供さんを救わなければいけないんだから。早くしろよ、時間が来ちゃうんだよ。

 

 殴る、それでも動かないからまた殴る。

 おかしいだろう、なんで急にこんな、変だろ!? 今更になってあんな啖呵まで切っておいてそんな真似が許されるわけないだろうが!

 

 振り上げる手は徐々に高く、食いしばる歯は噛み砕かんばかり。それでも足りないようだからとさらに腕を振り上げて――腕を掴まれる。

「宗方さん、違うんだこれは」

 宗方さんは軽蔑するでもなく穏やかな表情でゆっくりと首を横に振る。

 

「わかっています。わかっていますとも」

「ぁ…………」

 優しく切り返され俺は少しずつ頭が冷えていく。

 

「すみません、俺……」

「無理もありません、あなたはこれから死地へと赴くのですから。恐れるというのは生物として正常な機能ですよ」

「でも……俺……」

「そこで、こんなものを用意してみました」

 

 そう言って宗方さんが差し出したのは錠剤の入った小瓶。

「えっと……これは?」

「精神安定剤です。飲むと心が落ち着くものと思っていただければ。ああ、安心してください。変なものは入っていません、即効性のあるものですぐに効きますよ」

「大丈夫なんですか、これ」

 今更宗方さんのことを疑おうとは思わない。というかこの場で仮に裏切ったとしても大勢に大きな影響はない。勝率1%が単に0%になるだけである。

 

 問題はそこではなく、薬がズルに当たるのではないかという懸念だ。

「何の問題ありません。薬の使用の有無は問われませんでしたから。それに後から何と言おうとすべて後の祭り。そもそも薬の効果もただ気持ちを落ち着かせるだけのものなのだから戦いに影響を与えるものではありません」

 

 俺の言わんとすることを正しく汲み取った宗方さんはそう答えた。

 俺は少し悩んだが宗方さんがそういうのならと薬を受け取り、指示通りの数量を取り出して口に含む。

 

 そういえば水がなかったと慌てるが、宗方さんが天然水の入った未開封のペットボトルを差し出した。

 用意がいいことだと内心思いながらありがたく使わせてもらう。

 

 水とともに錠剤を嚥下する。ものの数秒すると少し気持ちが軽くなっていくのが感じられた。

 言っていた通り即効性があるようだ。正直半信半疑ではあったが、死の恐怖から硬直していた体も随分と動くがよくなっていた。

 

「すごいですねこの薬。おかげで何とかなりそうです」

「それは何よりです。おっともうこんな時間だ。先へ急ぎましょう」

 俺がうじうじしている間にかなり時間を喰ってしまったようだ。

 軽くなった体で俺は先へ進みエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 そうして俺は地下のトレーニングルームにたどり着いた。

 黒瀬と決着をつけるために、御供さんを生き返らせるために。

 眼前に不敵な笑みを浮かべた黒瀬。俺に向ける敵意はいささかも衰えてはおらずいつでも殺す準備はバッチリといった雰囲気だ。

 

 視線を巡らすと宙に御供さんの死体が体を包むように結界に覆われて浮かんでいる。魔力によるものだろう。

 倒されるまでは絶対に俺に奪わせないつもりらしい。相変わらず嫌な性格をしている。

 俺も怒りのボルテージが上がってくるのを感じながらもそれを制止し、黒瀬と相対する。

 

「29分17秒。ビビッて逃げるじゃないかと思っていたけど……どうやらよほど小娘が大事なようね」

「ああ、お前を倒して御供さんと悪魔の駒はもらっていくぜ」

「本当に憎たらしい奴、今更泣いて許しを請いても手加減はしないからそのつもりで」

「そっちこそ。俺は女性だからって手加減はしないからな」

 

 交わす言葉はそれきりにして俺たちは互いに正対したまま距離を取る。

 黒瀬が宗方さんに視線を飛ばす。お前が開始の宣言をしろってことなのだろう。

 宗方さんにもそれは伝わったようで一度頷くとコインを取り出す。

 

「今からコインを投げます。これが床に落ちたら開始、それでいいですね?」

「構わないわ」

「了解です」

「……では、いきます」

 

 コインを親指で弾く。クルクルと回りながら高く舞う。やがてコインは引力に惹かれて落下を始める。

 数秒と待たずコインは床に届くだろう。

 

 戦いが始まろうとしている。だが、決着はおそらく一瞬。

 黒瀬は俺のことを分析し終えているだろうから初撃で決めてくる。

 余力のない俺は最初の一撃にすべてを込めるしかない。要は先の先を狙うことになる。その一撃が当たらないのならあとは持久戦になる。

 

 そうなれば俺の負けは必須。ゆえに最初が肝心。

 作戦と呼べる大層なものはない。いかに早く神器を発動させて速攻をかけられるか、すべてはそこにかかっている。

 

 そのためには神器をいかに早く発動させるかが重要になる。これまで俺は神器の発動におよそ2秒の時間を要していた。

 けれど、先ほど発動させたときはコンマ数秒とかかっていなかった。その時になんとなくではあるがコツのようなものを掴んだ気がする。

 

 きっと今なら戦闘開始と同時にすぐに発現できることだろう。

 その時はもう間もなくやってくる。コインが落下して床に届くまで1秒とない。

 耳だけを欹てて敵を見据える。

 

 程なくして、キンッと甲高い音が鳴り響いた。

 刹那、右腕の神器を呼び出す。想定通り1秒かからず神器が右腕に現れる。明らかに黒瀬より早い。

 そこで油断することなく己のすべてを最初の一撃に込めるため、すかさず能力を発動させる。

 

「——え」

 最初に思ったのは疑問だった。

 倍加が発動しない。それになんだこれは……神器が黒い……?

 過去、神器を呼び出した際は龍の手は赤を基調とした色合いをしていた。だが、あの色鮮やかな色調は影も形もなくただ黒く淀んだ色をしている。

 

 明らかに異常な事態が起きている。それはわかる。

 わかるけど、こんなの知らない。なんだこれなんだこれ、いったいどうすれば……。

 何故、どうしてと疑問が浮かび焦燥へと切り替わっていく。

 

 頼むよ、御供さんの命がかかっているんだ。この戦いさえ終わってくれればそれでいいのに。

 少しでいいから俺に力を貸してくれ!

 そんな思いも空しく神器は何の反応も返さない。これではただのコスプレアイテムにも劣る。

 

 悲嘆に暮れ茫然自失する俺。ゆえに、隙を生む。

 黒瀬から放たれた魔力。高速で接近するそれに俺は何の受け身を取ることもできず吹き飛ばされる。

 防御も回避も許されることなくまともに受けてしまったせいで立ち上がることもままならない。

 

 そんな俺に黒瀬はわざわざ近づいてきて言う。

「どうやらお得意の神器は使えないようね」

「くろ、せ……お前が何か……」

「はぁ? 人のせいにしないでもらえるかしら。あんたの神器が使えないのはあんたのせいでしょう? 自身の無能を棚に上げて他者を糾弾するなんてお門違いもいいところじゃない」

 

 神器がこんなことになっているのは黒瀬のせい。そう考えていたが俺の考えをキッパリと否定した。

 あの見栄っ張りな黒瀬がこの状況で嘘をつくとは考えられない。やつが仕掛けたことなら嬉々として俺に語り自身の優位性を説いたことだろう。

 

 なら、本当に俺自身の問題ということになるが、何の心当たりもない。

 焦燥で頭が一杯になっている俺を見透かしたかのように黒瀬が嘲笑う。

 

「そういえば神器は持ち主の意思に応じて様々な変化を見せるのだったわよね。神器がいまそうなっているということはあんたが内心恐怖でいっぱいの及び腰になっているせいじゃない?」

「そんなこと……」

 

 ないと言い切れるだろうか。実際戦う前は恐怖で足が震えていた。

 なんとか薬で抑えたとはいえ完全に調子を取り戻したわけではない。見えない部分の心境的な面が神器に反応されて異常をきたしているとも十分に考えられるのだ。

 

 そうなると状況は絶望的だ。

 神器が使えないとなればとても黒瀬に抵抗できるとは思えない。

 何か策を考えなければ……。だけど、いったい何をすればあいつに対抗できるというのか。

 

 視線を巡らしたところで見えてくるのは無機質なトレーニングルームの壁ばかり。使えそうなものなんてない。

「あら、私を差し置いて考え事なんて随分と余裕そうね。けど残念、前回と違ってここに使えるものなんて何1つないわ。それでも姑息で卑怯な手段を取ろうと思うならやってみればいいわ、まあ無理でしょうけどね」

 

 そうだ考える時間を黒瀬が与えるはずもない。そんな余裕も最早どこにもない。

 ほんの少しの希望を蹂躙するように魔法陣が視界全体を覆う。

 体どころか心の準備をする間もなく一斉に放たれる。

 

 至近距離で魔力がさく裂し、強烈な風にあおられて吹き飛ばされる木の葉のように俺は宙を舞う。

 激しく床に体を打ち付けながらも失神を免れた俺が見たのは空に描かれた魔法陣。

 目を伏せたくなるような絶望的な光景。それは夢でもなんでもなく現実として俺に襲い掛かる。

 

 どこかの肉が裂けてどこかの骨が折れる。全身があまりに痛すぎて自分の体がどうなっているのかを正しく認識することもできない。

 それでも気絶することだけはしたくなくてほんの少しだけの細い糸のような意識をかろうじて現実につなぎとめていた。

 

 唯一今の自分にできる精一杯。

 何もできず何も許されない。立つことも声を上げることも。

 ただの狙いやすい的になった俺は何度も魔力の攻撃にさらされて吹き飛ばされる。その度に俺は傷を負ってボロボロになっていく。

 

 体は動かないけど頭だけはなんとか回るようで、死の間際に俺は不思議と焦りを感じることもない冷静な頭で思考していた、何が悪かったのだろうかと。

 もうすぐ死ぬって言う状況でありながらも状況の打開ではなく、これまでを振り返ろうとしている自分に我がごとながら驚きつつも思考は止まらない。

 

 果たして、何がいけなかったのか。どこから選択を間違えてしまったのかを過去を遡って探る。

 思いつくものはいくつもある。例えば黒瀬と一騎打ちに臨んだのが駄目だったのか。わざわざ1対1にこだわらなくてもだまし討ちすれば楽に勝てたかもしれない。

 

 あるいは敵対しようとしたのがいけなかったのか。そもそもの話、御供さんが殺されてすぐに決別を表明するようなことをしたのがいけなかったのかもしれない。

 しばらく時間を置いてから何も言わずにただ御供さんの死体を回収すればよかったのではないか。

 

 それとも御供さんを救おうとしたのが間違っていたのか。あいつの言う通りにしてただ従順に行動していれば御供さんの命が助からなくても俺が死ぬという事態は回避できたことは想像に難くない。

 つまり、自分のしたことは全くの無意味、無駄。

 

 これが勝てないとわかっていながら挑んだ愚か者の末路。

 弱者は弱者らしく強者の言うことにただ従っていればよかったのだ。そんなことを死ぬ直前になって得た教訓とは、なんとも救えない話だ。

 

 それにしても、と魔力がさく裂した際に生じる爆風に晒されながら笑う。

 何度も何度も黒瀬は死体同然の俺に魔力を放つ。

 一体どこからそんな魔力が湧いてくるのか。俺はとんでもない奴を相手にしていたんだと他人事のように思う。

 

 と、吹き飛ばされた俺に影が差す。吹っ飛ばされたときに仰向けになったようで視界が半分ほど潰れていたが宙に浮く御供さんがよく見えた。丁度御供さんを覆う結界の真下まで来たらしい。

 人間だったころに不可能だったが悪魔の身体能力なら余裕で届く高さだ。それも万全であれば、の話だが。

 

 最早痛覚すら感じなくなった腕や足ではとても届かない。なんてもどかしいことだろう。

 頑張れば手の届く距離なのに触れることがかなわないなんて。

 いや、俺は御供さんに触れて言い資格なんてない。俺が黒瀬に楯突こうとしなければ死ぬこともなかったのだから。

 

 それ以前に俺が御供さんに関わろうとしなければきっと今も御供さんは普通の学校生活を送れたんだ。

 全部、俺が誤った選択をしてしまったせいで……。

 

 ――本当にそうか。選択を間違えたことだけがすべての原因だと言えるのか。

 違う、と思った。それは一見自分のせいにしているようで実のところ他人のせいにしているからだ。

 自分がこうしなかったら黒瀬はそうしなかった。そんな本当にそうだと断定し切れない過去のたらればを吐きながら人のせいばかりしている。

 

 そうじゃない、そうじゃないはずだ。

 俺は間違った決断をしたのかもしれない。でも、御供さんを救いたいと思った気持ちに嘘はなくて生き返らせたいから黒瀬と決別することにした俺の決断は無意味ではなかった。

 

 その決断に意味を持たせられなかったのは紛れもなく俺のせい。自らが起こした行動に結果が供わなかったからだ。

 決して黒瀬のせいではない。力がなくて御供さんを守れなかった俺の方にこそ問題があったのだ。

 

 俺に力があって、たとえ黒瀬を殺すことになったとしても自らの気持ちと決意を軸にして行動を起こすことができればまた違った未来が訪れていたのだから。

 もちろん、それもまたもしかしたらの未来だ。

 

 それでも黒瀬に勝てるだけの実力さえあれば引き寄せることのできた可能性でもある。

 黒瀬は言っていた、悪魔は実力社会なのだと。

 宗方は言っていた、悪魔は出自、家格、階級を軸にした縦社会であると。

 

 力さえあれば他者をねじ伏せ従わせることができる。

 そうだ、俺に足りないのは力だったんだ。まだ、間に合う。力を手に入れてあの黒瀬を屈服させられたなら。これまでのすべてを取り戻すことができる。

 

 力がいる。だが、俺には力がない。だけど力を持っているものは知っている。

「お前だよ、なあ、そろそろ起きろよ」

 右腕の神器が俺の声に呼応したのか、宝玉からまばゆい光を放つ。

 

 宝玉から力が流れ込んでくるのを感じる。指一本動かせなかった体に活力がみなぎる。

 ゆっくりとではあるがなんとか立つことができた。

 その様子を見て黒瀬が眉を顰める。

 

「死に体のくせにまだ抵抗できる力を持っていたようね」

「ああ、どうやらそうみたいだ」

「でも、打つ手はない。できることがあるとすれば地べたに伏せて死ぬんじゃなくて、立ったまま死ぬことぐらいかしら」

「そうかもしれないな、今は……」

 

「Boost!」

 依然としてくすんだ色をしているが、それでも神器は力を取り戻したようでいつものように高らかに鳴る。

 警戒の色を強める黒瀬を前に俺は左拳を振り上げる。

 

「そっちじゃねえよ」

 そのまま拳を神器の宝玉に振り下ろした。

 すっごい痛かったが宝玉に罅が入って砕ける。光は失われ沈黙する俺の神器。

 俺が起こした凶行に理解が追いついていないようで黒瀬は驚き固まっている。攻撃のチャンスとも取れる機会だったが俺はそんなこと眼中になかった。

 

「ただの倍で勝てるわけねえだろうがぁ!」

 俺の神器は龍の手。能力は持ち主の力を倍にしてくれるというもの。

 使い方次第では非常に強力になるが、所詮俺のような悪魔なりたてで元が大したことのない奴なら脅威にもならない神器だ。

 

 力を倍にしても現時点では黒瀬には届かない。修行を重ねて力を付ければ追いつける可能性があるが、それでは遅い。

 今、力が必要なのだ。そのためには倍では意味がない。

 

「その10倍、いや100倍はもってこい!」

 神器は持ち主の思いに応じて様々な反応を見せてくれるという。

 特にここ最近は異例な変化をもたらしてくれるとか。

 それだけの力の塊だというのなら、俺の気持ち次第では黒瀬を越えられる可能性すらある。

 

 なら、俺の全力を懸けてでも祈ってみる価値はあるのかもしれない。いや、祈ったら悪魔は成仏するんだっけか。

 祈るんだったら悪魔の王。魔王様か。

「頼むぜ、魔王様。あのバカでムカつくお姫様をぶん殴るだけの力を俺によこせ!」

 

 そのためなら俺は。何を失ってもいい。

「だから頼むよ! 俺のすべてを犠牲にしてもいい! だから――俺に力をよこしやがれぇぇっ!!」

「Inclusion!」

 

 初めて聞く音声が鳴り響き、さらに割れていた宝玉が見る間に再生していく。

 変化はそれに留まらない。これまでは神器が発動すると宝玉は光り輝いていたが今度は真逆。

 宝玉から漏れ出てくるのは黒く暗い靄だ。それが籠手を覆い、それでもまだ漏れてくる靄は腕を伝ってやがて全身を包んだ。

 

 靄に包まれている俺はというと、痛くも痒くもなくなんというか生暖かい風を纏っているかのような奇妙な感覚だ。

 それに意識も変だ。視点がおかしいのだ。自分が自分でないような、自分という存在を少し上から見ている。強いて言うならそんな違和感を覚えるのだ。

 

 例えていうならゲームをプレイしているときの画面の向こうに自身のキャラクターがいてそれを操っていると言えばいいだろうか。

 説明するのも難しい形容しがたい経験ではあるがなんとか言葉として形にするならそれだろう。

 

「は、なによそれ。ほんの少し見かけが変化しただけでまったくオーラに変化がないじゃない」

 と、俺の変化を驚きとともに享受していた黒瀬だったがようやく事態を飲み込んだのか沈黙という均衡を自ら破りにかかる。

 

「悪足掻きはもう終わったかしら? ならとっと死になさい」

 新たな魔法陣が構築され、瞬時に放たれる。

 そのすべてが炸裂し爆風を生む。

 

「ふぅ、散々啖呵を切ったくせに最後はあっけなかったわね。所詮は下級のそれも転生悪魔。恐れるに足りないわ」

 最後に死にざまでも確認しようと魔力で風を生んで煙を吹き飛ばす。

 煙と埃が晴れた先にあったのは無傷の俺だった。

 

「……は?」

 信じられないと言わんばかりに目を丸く見開き呆然とする黒瀬。

 驚いているのは俺もまた同じだ。俺を容易に死に至らしめる攻撃でありながらまったくダメージがない。

 

 加えてあれほどの運動エネルギーがありながら着弾しても何の衝撃も感じない。1mmとて押された感覚がなかった。

「どうなってんだこれ……」

 

 俺にいったい何が起きているんだ。というかこの神器は単に力を倍加するものではなかったのか?

 疑問がとめどなく湧いてきて俺は困惑に頭を支配された。

 混沌とする戦場において奇しくも似たような感情に支配された俺と黒瀬、いち早く立ち直ったのは黒瀬だった。

 

「わかった、わかったわ! ただの小細工、我慢ね! だって! 下級悪魔のあなたに到底耐えられるわけないもの! アハハ、いったいどれほど我慢できるのかしらね!」

 立ち直りが早いのはさすが上級悪魔と言ったところか。だが、黒瀬としても理解が追いついていないようで動揺は隠しきれていない。

 

 それを裏付けるように余裕ぶった笑みを浮かべながら言うがその目は決して笑っていない。

 黒瀬の落ち着きのなさを見てようやく俺も冷静さを取り戻すと、神器の能力についてこれ以上考えることを止めた。

 

 この場で突き止めることは不可能であるし、この奇跡のような状態がいつまで続くかはわからないからだ。

 立ち上がる力がある、黒瀬の攻撃は効かない。その事実だけで今は十分だ。

 黒瀬は半ば恐慌状態に陥っているものの攻撃の手を緩めることなく仕掛けてくる。

 それに対して俺は効かないことをいいことに回避も防御もせずに前へと駆ける。

 

「は、はあぁぁ!? なによそれなによそれなによそれぇ!?」

 自慢の攻撃が通じなかったことに黒瀬は大層驚いているようでその声は最早悲鳴に近い。

「ふざけるなぁっ!」

 

 激昂とともに魔法陣が形成される。

 余力を残していたのだろう。その数は2桁どころか3桁にまで達している。塵一つ残さず消す、そんな意思を如実に感じさせる。

 裏を返せば事ここに至り黒瀬も本気になったということ。それほどまでに追い詰めているということでもあるのだ。

 

 この機を逃すことはできない。この猛攻の前に俺は耐えきれないかもしれないと覚悟のうえで進路はそのままに走り続ける。

「死ねええぇぇぇっ!!!」

 100を超える魔法陣、そのすべての魔力の弾が俺に向かって差し向けられた。

 

「死ねるかよおぉぉぉっ!!!」

「Unchangeable!」

 目を瞑っていても網膜を焼いてくる色とりどりの閃光、地理ごと吹き飛ばす爆風が俺の全身を襲った。

 

 それは先ほどの比ではなく天井に達するほどに煙をが立ち昇る。

 黒瀬にとって手ごたえは十分に感じられた。

「アㇵ、やった。終わった。これで終わった」

 

 魔力がきっちり着弾するところは黒瀬にも見えた。そのすべてが対象に狙いたがわず当たったのだ。価値を確信した黒瀬は煙が揺らめくのをみた。

 煙を抜けて現れる影。目を凝らす黒瀬が見たものは。

 

「…………ぁ?」

 姿勢は低く、腕で頭を覆い突っ走る五体無事の俺だった。

「よぉ、そっちにいたかよお嬢様?」

「あああ、ありえないありえないありえないありえない! ……なんで!? なんで無事でぇ!?」

「俺も知るかよ。でも1つ言えるぜ。今の俺はお前より強いってことだ!」

「はぁ!? はあぁっ!? 意味わかんない! あんたが私より強い? 強いですって!? そんなことありえないのよ!!」

 

 余裕を完全に失った黒瀬はでたらめに魔力を打ってきた。

 当たるものもあればそうでないものある。

 そのすべてが俺には効かない。痛痒もないし怯みもしない。

 

「死ね死ね死ね死ね、死ねえぇよおおおっ!」

 黒瀬は明らかに取り乱している。

 徐々に距離を詰める俺に向かって狙いを定める余裕がないほどだ。

 俺を近づけまいと手を振るうたびにあらぬ方向へ乱射される魔力。

 

「効くかよそんなん!」

「来るなぁぁっ!!!」

 黒瀬の足元が怪しく輝く。攻撃に使用するものとは別の魔法陣が形成されようとしている。以前にも数度見たことがあったそれは確か転移の際に使う魔法陣。

 

 まさか、逃げようとしているのか? なんて往生際の悪い奴。

「そうはさせるか!」

 思うと同時、全身を覆っていた靄が足元から床を伝って即座に移動し黒瀬の魔法陣に触れた。

 

 ただそれだけでパリンと儚い音を立てて魔法陣が壊れ、光が消え去る。

「な、……んで……?」

「逃がすわけねえだろ!」

「ヒッ!? 来るな、来るなぁぁぁぁ!!!」

 

 黒瀬はまだあきらめがつかないのか漆黒の羽を広げて背を向けようとしている。

 その行動を俺の一歩が妨げる。力強く床を蹴り飛ばしてむんずと黒瀬の腕を掴む。

「お、おまえのような下級悪魔風情に私が! この私がぁっ!?」

「うるせぇ、吹っ飛べクソ女っ!」

「わたしがああああああああああああぁぁっ!!!???」

 

 俺は黒瀬を引き寄せると渾身の右こぶしを奴の顔に捻じりこんでやった。

 肉を叩く感触が拳に跳ね返り、直後黒瀬がぶっ飛んでいく。その勢いや凄まじくトレーニングルームの端の壁まで吹き飛んでいくとそのまま壁にめり込んだ。

 

 ドォンと派手な音を立てて部屋全体が揺れ、天井から埃が舞い落ちる。

 会心の一撃。手ごたえは十分にあった。

「はぁはぁ、やった……、のか」

 

 黒瀬が這い出てこようとする気配は今のところない。手ごたえからして死んではいないと思うがしばらく起きてきそうにはなさそうだ。

 戦いは俺の勝ちと言っていいだろう。

 安堵の息を吐くと、気が抜けたせいか靄が自然と消えていった。

 全身から力も抜けて膝から崩れ落ちる。

 

 流石に限界だった。ぜぇぜぇと息は荒くしばらく呼吸が落ち着きそうにもない。

 そうこうしていると俺の前に御供さんの体がふわりと着地した。

 どうやら黒瀬が気絶するか負けを認めるかした時に解除される仕組みになっていたようだ。

 

 この調子ではすぐに結界から助け出すこともできなかっただろうから好都合だ。

 ちょうど御供さんが目の前にいることだし、早速転生させることにした。本当ならもっと休んでからにしたいが黒瀬が起きだしてしまう前にことを為したほうがいい。

 

 悪魔の駒は黒瀬が持っているはず。全身にのしかかる倦怠感は尋常ではないが黒瀬が動けないうちにくすねる必要がある。

 今にも倒れそうな体に鞭を打ちなんとか立ち上がる。

 

 と、俺の前に宗方さんが姿を現す。

「お見事でしたね」

「偶然の勝利ですよ。ただ勢いに任せてなんとかなっただけです」

 

 神器がなければそのまま殺されていた。

 原因はわからないけどこれが神器の本来の力だったのだろうか。

「いやいや、土壇場で神器の力を引き出した大立ち回り。私感服いたしました、さあ、これもどうぞ」

 

 そういって取り出したのは黒瀬が持っていたであろう悪魔の駒が入ったケース。

 一歩踏み出すだけでも相当しんどかったのでとても助かった。ありがたく受け取ると転生の儀式に取り掛かる。

 

「ありがとうございます」

「呪文は大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありません」

 

 以前それとなく黒瀬から聞き出していた。まさか、こんな時に役立つとは思いもよらなかったが。

 儀式と言ってもそう大したものではなく駒の所有者となっている俺が転生の呪文を唱えるだけ。

 

 宗方さんがジッとこちらを見ているのが気にはなるが邪魔をするつもりはないようでただ見守るだけつもりのようだ。

 早速ケースを開けて、そこで俺はピタリと止まった。

 

「……? どうされました?」

 不審に思った宗方さんが訝しげに問う。

「いや、そのー悪魔の駒って使用するときどれを選べばいいのかな、と」

「ああ、そういうことでしたか。それなら心配ありません。その方がどの駒に適性があるかは近づけてみればわかりますよ」

「なるほど」

 

 言われた通り悪魔の駒を御供さんに近づけてみる。するとビショップの駒が淡く光った。

 これが適性があることのサインなのだろう。

 ケースから僧侶の駒を取り出して御供さんの胸に置かせてもらう。

 

「えー、我、月深結真の名において命ず。汝、御供結乃よ。いま再び我の下僕となるため、この地へ魂を帰還させ、悪魔となれ? いや、成れか。汝、我が『僧侶』として、新たな生に歓喜せよ!」

 

 僧侶の駒が黒く鈍い光を発して身体へと溶けるように沈んでいく。

 これで儀式は完了だ。成功したことに俺は安堵の吐息を漏らす。ふと、成功したことと蘇生することはまた別の問題であると気づき気を引き締め直す。

 

 しばらく固唾をのんで御供さんの様子を見守っていたが今のところ変化はない。

 少し不安になってきたころ、瞼がピクリと動いた。やがて、唇も震え呼吸を始めた。

「ん…………ぁ、あれ、ここは……あ、月深さん? あのここは……?」

 

 瞼を開いてきょろきょろと周りを見て俺を見つけた御供さんが質問を投げかける。

「俺がわかるか?」

「え? は、はい、わかりますよ?」

 起きたら目の前に俺がいて変な質問を受けて驚いていることだろう。それでも御供さんは応えてくれた。ちゃんと御供さんとして。

 

「…………よかった、本当に良かった」

 御供さんが死んでしまった時から抱えていたその荷がようやく下りた。

 心の底から安心して張りつめていた緊張を解いた。そのせいだろうか、涙が止まってくれないのは。

 

「あの、どうして泣いているのですか……? それにどうして私はこんなところに……?」

「全部説明するよ、ここがどこで何が起きたのかを。ちょっとだけ驚かせてしまうかもしれないけど聞いてくれるかな」

「は、はぁ……」

 いまいち状況を掴めていないだろうにそれでも御供さんは頷いてくれた。

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