「ん……」
目を覚ますとそこは見慣れない天井、などではなく見覚えのある室内だった。
黒瀬の屋敷、その1室だろう。
俺がここで横になっているということはあの後倒れてしまったということか。
起き上がり御供さんは大丈夫なんだろうかと考えていると不意にドアが開いた。
「おや、月深さん。目覚めましたか」
ドアの向こうから現れたのは宗方さんだった。
「あ、どうも。すみません俺迷惑かけちゃったようで」
「いえいえ、昨晩は大変でしたからね。倒れたとしてもおかしくはありません。迷惑とも思っていませんからご安心を」
「すみません……。そういえば御供さんはどうされました?」
「彼女であれば昨晩のうちにご自宅へと戻っていただきましたよ」
「そうですか……」
それを聞いて俺は胸をなでおろす。
御供さんを脅かす元凶である英雄派は叩いたことだし、襲われる心配もない。
きっと今頃は親子水入らずで普通の生活に戻ったはず。
悪魔になってしまったが元が人間であるから正体さえバレなければ問題なく普通の生活も遅れるだろう。
ひとまずこちらの問題は解決したといえる。
問題があるとすればもう一人の方だ。
「それで、その……黒瀬、いや、お嬢様はどうしていますか?」
「ああ、もう起きられてますよ」
やっぱりと肩を落とす。
俺が目覚めたということは俺より頑丈な黒瀬が起きていたとしてもおかしくない。
その可能性に気づいてはいたがそうとは信じたくなかった。
きっと、いや、間違いなく怒り狂っていたことだろう。
起きた直後に俺を殺しにかからなかった理由は定かでないがもしかして宗方さんが押しとどめてくれているのかもしれない。
「ただ、ですね」
「はい?」
ここで宗方さんはなぜか宙に視線を漂わせる。まるで言いにくいことを言おうとしているような、迷い悩む様子。
いつになく歯切れの悪い宗方さんに内心首を傾げる。
「……いえ、やはりなんでもありません。当面の間はとくに何も起こさないでしょう」
「何もって、黒瀬はあんなに怒っていたんですよ。今襲ってこないのだって演技だとか油断を誘っているとかきっとそんなんに違いありませんよ」
「その心配はないと思います。違いますね、しばらくは何も起こしません。そう断言させていただきます」
思うという予測から、断言という形で言葉に切り替える。
宗方さんが言うならとこれまでは二つ返事で納得しているだろうが今回は別だ。
例え宗方さんと言えど、こと黒瀬のことに関しては自分の目できちんと確認しなければ安心できない。
「宗方さん、黒瀬は今どちらに?」
「自室です」
「そうですか、ありがとうございます」
俺はベッドからゆっくりと立ち上がると全身を襲う筋肉の痛みに顔を顰めながらドアの方へと向かう。
「どちらへ向かうのですか」
すれ違う時宗方さんがそう言葉を投げかけた。
「自分の目で確かめます」
「黒瀬様の下へと向かうおつもりですか?」
「そうです」
「それはどうか止めていただきたい」
「何故ですかっ!? またいつ襲われるとも限らないのに、ずっとその恐怖に怯えろっていうんですか!?」
自分1人ならいい。でも黒瀬はきっと自分以外にも容赦しない。折角生き返った御供さんにだって牙を剝く。
御供さんは俺の都合で巻き込んでしまったただの被害者だ。
その彼女が黒瀬のご機嫌1つで殺されるなんてもう絶対にあってはならないことだ。
怒りと恐怖に打ち震える俺に対して宗方さんは目を伏せて言う。
「どうか少しだけ時間をくださいませんか。少しでいいんです、そうすればあなたにもお判りいただけるはずです」
「でも……」
「ここは私に免じていただけないでしょうか」
「それは……その言葉は卑怯です」
俺が悪魔になってから宗方さんにはお世話になりっぱなしだ。
その恩に報いようと思うのであればここはもう退くしかない。
「わかりました。今はもう止めます」
「そう言っていただけると助かります。必ずお二人でお会いできる場を作りますのでどうかしばしお待ちを」
今はその言葉を信じよう。
俺は黒瀬のことを諦めて自分の荷物を纏めて黒瀬邸を後にした。
時刻は午前11時ごろ。中天にある陽の光は悪魔の俺に容赦なく刺さる。
最近は大分慣れてきたものの、やっぱりキツイ。疲労困憊なだけに余計にだ。
今日は大人しく家に帰って休養をきちんと取ろう。
正門から出て、一度振り向く。俺は頭を振ると帰路に着こうとして見知った人物を見つける。
「匠?」
「……結真?」
俺と同様に黒瀬邸を見上げていたその人物も同じタイミングで俺の存在に気付いたようで2人して見つめあう。
「なんでこんなところに?」
「いや、それはこっちのセリフなんだが」
「というか結真。お前ここから出てこなかったか?」
黒瀬邸を指さす匠。
実にややこしいところを見られてしまった。まさかこの場で知り合いに、それも親友である匠と出くわす打なんて誰が想像しようか。
最近黒瀬といることは知られていたが家にまでお邪魔しているなんてことを知られた日にはよからぬ噂が更に立ってしまう。
どうにか穏便に事を運びたいところだ。さて、どうしたものか。
「ここじゃなんだし場所を移さないか?」
匠の提案に乗っかり俺たちは場所を移すことにした。
人がいない場所がよかったのでちょうど通りかかった公園のベンチを利用させてもらうことにした。
「ほら」
「あんがと」
匠が差し出す缶コーヒーを受け取る。ほんのりと暖かな感触がかじかんだ手に沁みる。
少しの間握ったあとにプルタブを空けて口へと運ぶ。
苦みと僅かな甘さが舌の上に広がる。下に残るほろ苦さと風味の余韻を感じながらどう切り出したものかと考える。
今更俺と黒瀬の間に何もありませんでしたと主張したとしても即座に嘘だと看破されるだろう。
かといって実際にそういう仲という訳でもなくただの主と下僕である。ただ、何も知らない匠に俺は悪魔だと告白するのも変な話だ。
いくら親友と言えど俺の正体を伝えるのは抵抗を感じる。
それならそういう仲だと勘違いしてもらった方が都合がいいだろうか。
いかん、なんか思考が落ち着かない。どう言い訳をしたものかとずっと堂々巡りしている。
ここは聞かれる前に先手を取った方がいいだろう。その間に言い訳を考えよう、場合によっては匠の話に乗っかるのアリだ。
「なぁ、匠は――」
「黒瀬さんと付き合っているのか?」
「どうーーえっ?」
「そうなのか?」
「いや、えっ?」
「否定しないのか?」
「いや、その、え。えー、えーっと」
先手を打とうと思ったら先手を打たれた。話をひっくり返そうにも匠によって巧みに(ダジャレではない)逃げ道をふさがれてしまっている。
悪魔だと正直に言う訳にはいかない。恋仲であると嘘もつけない。
そうしたら次に来るのはどうして黒瀬邸にいたのかという質問だ。
ずっと黙っていたら不審に思われる。なんとか返事をしなければと口を開こうとして、先に匠が言う。
「言えない、か」
「いや、そういうわけじゃ」
「いいさ。お前みたいな唐変木が黒瀬さんと付き合うなんてありえないしな」
「な、なにぉう」
「なんか事情があるんだろ。悪かったな意地悪な質問して」
匠の物言いにつっかろうとしたが付け足された言葉に鼻白み最後まで言えなかった。
「わ、わかればいんだよ、わかれば!」
「ふっ……」
「なんか変なこと言ったか?」
「いや、別に」
そう言って手に握っていた缶コーヒーを口に含む。
「気をつけろよ結真。黒瀬さんはあまりいい噂がしない。何があって一緒にいるかはわからないが可能な限り早く手を切れ。これは親友としての忠告だ」
「噂? それってどんな?」
「本当か嘘かもわからない風の噂さ。あいつと関わるとお前が不幸になってしまう。……とにかく黒瀬さんとはあまり関わるな、いいな?」
「あ、ああ……」
具体的な内容に全く触れない物言いではあったというのに有無も言わせない口調に俺は追及することもできず言葉に窮す。
今まで黒瀬について悪い噂なんて聞いたことはない。その逆もしかりで良い噂も聞いたことはないが。
俺の知っている限りここ最近御供さんの件以外別段悪いことをしたという記憶はない。当然そのことについて知っている人物もいないはず。なのになぜ匠はそんなことを言うのだろうか。
原因に思い当たるものはなく蒸し返すための言葉を吐くことができなかったため、先ほど言いかけたことを再度聞くことにした。
「つーか、お前あんなところで何をしていたんだ。おじょ、黒瀬とは知り合いだったりするのか?」
「別に何も。たまたま通りかかっただけだ。それと知り合いでも何でもないただの他人だ」
そうと言われては何も言えない。あの場で何か怪しいことをしていたのならともかく、外壁の向こうから屋敷を見ていただけ。
一般人なら豪邸を珍しいからという理由で眺めることは何らおかしい行為ではない。
匠もまた同様に偶然通りかかった屋敷を感心しながら見ていたのかもしれない。先の言葉が嘘でなければ、だが。
親友の俺だからわかる匠に走ったわずかな動揺、その機微を見逃さなかった。
匠は嘘をついている。少なくとも匠は偶然通りかかったのではなく何らかの理由があってその場にいたのだ。
俺に対して嘘をついてきたということは黒瀬には知られたくない後ろ暗い事情があると見た。
追及してみるか? 少し考えて追及はしないことにした。
理由はわからないが匠は俺と黒瀬が接近することをよしていないようだ。下手に疑念を与えて万が一にでも俺たちの正体を感づかれることだけは避けなければいけない。
それに必ずしも悪い影響を与えようとしているとは限らない。今は静観するのが吉だろう。
「そうか。ならいいんだけど」
その言葉を最後に俺たちは押し黙り沈黙が訪れる。
長い付き合いになる俺たちは互いのことを知り尽くしており、互いに口下手なところがあるせいか話題に困ることも多い。
こうして何も言わない瞬間も多々あることなのだがこんなに気まずい雰囲気になるのはなかなかにないことだ。
気まずくなった雰囲気をやわらげるために今度は俺から質問を飛ばす。
「そういえば、最近國坂とはどうなんだ?」
「どうって?」
「少しは関係が進んだのかってことだよ」
匠と國坂が付き合いだしてからかれこれ半年ぐらい経つだろうか。
付き合いだしたと聞いたときはすごく驚いたし、國坂がまさか人を好きになるなんてと困惑もした。
だけど、少し時間を置くとなかなかに似合うカップルだと思った。けど2人でデートしているとかそんな話はあまり聞こえない。
お互いに忙しい、というか國坂が人助けに奔走しているせいでゆっくりとした時間を取れているように思えないのだ。
どちらかというと俺と会っているときの方が多いのでは勘繰るぐらいだ。
匠はこの手のことに関しては奥手な方だろうし、國坂に遠慮しているところもあるのだろうが、親友として少し心配である。
まさかと思うが國坂に振られるのではないかと。
なので親友としてできるところは相談に乗ってやろうという老婆心からの質問なのである。
「いや、まあ多分」
「多分ってなんだよ。ちゅーぐらいはしたんだろうな?」
「まあ一応」
「ほっぺとか言わないよな?」
「…………ほっぺだ」
「かぁっー、お前ときたら。そこは男らしく口に行けよっ!」
「るっせーな、まともに彼女作ったことない奴に言われたくねーよ」
「いたわ! 彼女ぐらい!」
「はっ、どうせあれだろ? 一年位前に言っていた夕麻とかいう空想の女だろ?」
「ぐっ、いたって言ってんだろ、夕麻ちゃんは確かにいたんだ」
「じゃあ、証拠ぐらい出してみろ」
「証拠は……ない」
「ならお前の妄想じゃねーか」
「言わせておけば……ヘタレなチキンのくせに」
「なんだやろうってのか」
「上等だこの野郎」
ベンチから立ち上がってメンチを切る俺たち。
まさに一触即発、次の瞬間には殴りあってもおかしくない状況。
だが、そこに水を差すように電子音が鳴る。それは俺の携帯からだった。
相手は御供さんだ。匠は出てかまわないと目で訴えてきたので素早く電話に出た。
「もしもし」
「…………」
「御供さん?」
「…………」
電話に出たというのに御供さんは何も言わない。
まさか、と嫌な予感が脳裏をよぎる。先日御供さんが襲われたことはいまだ記憶に新しい。
元凶となる相手は黒瀬が自ら排除したとはいえ、その黒瀬が御供さんを押そうということは十分にあり得る。
やっぱり宗方さんの言葉を信じたのはまずかったかと肝を冷やしていると息遣いが携帯越しに聞こえた。
違う吐息じゃない。これは泣き声?
気づくと同時にすすり泣く声が鮮明になっていく。
「御供さん、何かあったのかい?」
「月深さん、私一体これからどうすれば……」
ようやく拾ったその声は明らかに涙ながらに放ったものと予想できた。
しかし、彼女の声音からして命の危機に瀕しているものでもなさそうだと判断できる。
俺は人知れず安堵し、ならどうして彼女は泣いているのだろうかと嫌な予感を拭えずにいた。
「御供さん今どこにいるのかな?」
とにもかくにも彼女から話を聞かないことにはないもわからない。だけど電話越しだといまいち話が進まない。
直接会って聞いたほうが早いだろう。
幸いにして御供さんはこの近くにいるようで合流に時間はかからなさそうだ。
落ち合う場所だけ決めて電話を切る。
「すまん、急用が入った」
「みたいだな、時間を取って悪かった」
「また今度な」
御供さんの下へと急ぐため言葉少なに駆け出す。
「結真!」
背後から名前を呼ばれ立ち止まる。
「忘れるなよ、黒瀬さんにはできるだけ関わるな」
「……ああ、わかっている」
念を押す匠に少し迷いながらもそう答える。いっそのこと何もかもぶちまけてしまえればどんなに楽だろうかと考え、即座にその思考を否定し前を向いて走りだした。
振り返ることなく逃げるようにして。