程なくして屋敷の前までやってきた俺たち、当然中にいる黒瀬に用があるので立ち止まってだんまりはしない。
宗方さんの先導に従って黒瀬の部屋を目指す。邸内は薄暗く以前と違って侍従の姿もない。
煌びやかな屋敷もこうなっては幽霊屋敷にしか見えなかった。
どこか不気味さをたたえる廊下を迷うことなく進む宗方さんの背中を負ってやがて黒瀬の部屋の前にたどり着く。
それまで前だけを見ていた宗方さんは振り向くと小声で言う。
「いいですか、これから黒瀬様とお会いしてもらいますがくれぐれも大きな声を出さないでいただきたい」
「は、はあ……それは構わないんですが、えっと……」
なんかやけに緊張していないか? 今までこんなところを見たことがないのだが。
一体黒瀬に何が起きているんだろうか。俄然興味が湧いてくる。
「理由が気になりますか?」
「そりゃまあ、気になりますよ。宗方さんの様子を見るにあまりいい予感はしませんけども」
あの黒瀬のことだ相当ヒステリックになっているとかだろう。それこそ俺を見た瞬間に掴みかかってくるような。
「見ていただければすべてわかりますよ。それでは開けます、何度も言いますがあまり黒瀬様を刺激するようなことはしないでください」
「わかりました」
宗方さんがドアをノックして顔を近づけるとドア越しに優しく語りかける。
「黒瀬様、私です宗方です」
返事はない。居留守かあるいは部屋にはいないのかもしれない。
そう思ったのだが宗方はいると確信しているのかその場を離れなかった。
「入ります」
それだけ言うとドアノブに手をかけて静かに開いた。
ドアは何の抵抗もなく開く。その中は廊下よりも暗かった。カーテンは完全に閉められ証明は1つとして点いていない。
廊下から差し込むわずかな光を頼りに目を凝らすと奥の方、ベッドが不自然に盛り上がっている場所があった。宗方さんは自分の後ろに隠れているように合図した後にベッドへ忍び寄る。
宗方さんより前に出ないよう慎重にその背中を追いながら近づいていくとどうやらそれは掛け布団の塊だった。おそらくは黒瀬が掛け布団にくるまってベッドに座っているのだ。
「黒瀬様」
宗方が声をかけるとかけ布団の山が震えた。
隙間ができて中から顔を覗かせる。
「……何の用」
一日挟んで聞いたその声はいつもの自信に満ちた張りのある声ではなく、とても黒瀬のものとは思えないほどにかすれた声であった。
それに顔が痛ましいことになっていた。ひん曲がってしまった鼻、口から覗く折れた前歯。頬ははれ上がっていて以前の整った顔とは比べ物にならないほどに変形しており、とても直視できない。
そうなったのは当然俺が原因なのだが改めてその事実を突きつけられ、一瞬後悔の念を抱きかけたが必死に弱気になる心を振り払った。
黒瀬が悪いんだ。それに御供さんと違ってまだ生きているのだから、むしろそのくらいで済んでよかったとも言えるだろう。そう自分をひっそりと慰めた。
「あれから一度もお部屋から出てこられませんでしたから僭越ながら様子を伺いに来ました。ご気分は如何ですか?」
「余計なお世話よ、最初に言ったでしょう放っておいてと」
「黒瀬様のビショップとして放っておけませんよ」
「あんた私の味方なんかしてくれたことないじゃない」
「そこを突かれると痛いですね」
怒りというよりも自嘲の気持ちが込められた言葉に宗方さんが肩をすくめる。
「様子を見に来たっていうならもう十分でしょ、帰って頂戴」
「そうしたいところですが本日参ったのはもう1つ理由がありましてね、あなた様に会わせたい方がいるのです」
「なによ、こんな状態でいったい誰に出会えっていうの」
「安心してください、見知っている方ですので。ではどうぞ」
「……? ……ッ!?」
それまで宗方さんに隠れて話を聞いていた俺は前へ進み出た。
黒瀬が俺のことに気付いたようで目を丸く見開いた。
「あ、んた……は……」
「あー、昨日ぶりですね、く……お嬢様」
お互い敵意を剥き出しにして死力を出して戦ってまだ一日しか経っていない。流石に気まずく、それでも何か言わねばならない。
そう思って絞り出した言葉は傍からすると呑気に挨拶をしているようにしか感じられないだろう。
言ってすぐにマズいかもしれないと思うが時すでに遅し。放り出した音を誰が捕まえられようか。
刺激するなと言われたばかりなのにこれは怒らせただろうかと身構えたが黒瀬は何も反応を示さない。
相変わらず目を見開いたまま瞬きもせずまるで幽霊でも目撃してしまったような、そんな感じで俺を見ている。
そのまま全く身じろぎすることなく固まっている黒瀬の様子を訝しく思い再度声をかけることにした。
「あの、お嬢様……?」
声をかけながら半歩前に足を出す。
次の瞬間。
「ッヒ……、ヒィィィッ!?」
金切り声を上げて後ろにズリズリと下がっていく。だが、すぐ後ろは壁だ。
だというのにまるでそんなことに気付いていないようで壁を背にせわしなく手や足を動かしている。
「……して……て」
蚊の鳴くような声で何かを口走る黒瀬。
「な、なんて?」
「お願いします、許して、許してください……」
頭を床に擦り付けるようにして懇願してきた。
予想外の行動に戸惑う俺。
「あ、え、あれ?」
俺、声をかけただけだよな? なんでそれで黒瀬はあんな反応をするんだ?
それも、そう、黒瀬に限ってありえないと思うがあんな怯えるように……。
けど、一体黒瀬は何に怯えるっていうんだ?
あの黒瀬だぞ。傲岸不遜にして唯我独尊を地で行く彼女が。ありえないだろう。ありえていいはずがない、絶対的強者である黒瀬が俺に平伏するだなんて。
……ありえないけど、勘違いでも見間違えでもなければ確かに怯えている、恐怖しているのだ。
信じられなかった。間違いだと思いたかった。それほどまでに黒瀬はそういう存在だと頭から信じていた。
でも、実際に見て考えれば考えるほどに現実が予想を裏付けていく。
俄かには信じがたいが現状を言葉として表すなら、黒瀬は俺に恐怖しているようだった。
あの部屋にいたのは高貴で泰然としたお嬢様ではなく心に傷を負った、ただの1人の女性だったのだ。
「これでわかっていただけたことでしょう」
場所は変わって黒瀬の部屋の前の廊下。
間もなく黒瀬の部屋を出た俺に宗方さんはそういった。
「ええ、宗方さんが頑なに俺と合わせようとしなかった理由がよくわかりました」
俺は黒瀬の部屋のドアへと視線を向ける。
心底から俺に恐怖しているらしい黒瀬は俺を見た途端に謝罪の言葉をずっと並べ立てた。それでも動かない俺を見て遂には逃走を試みた黒瀬だったが足がすくんでいたのか全くその場から動くことができずついには子供のように泣きじゃくり始めた。
居ても立っても居られなくなり俺たちは部屋を出たわけなのだが、まさかああも重傷とは全く思わなかった。
「どうしてあんな……、そんなに昨日のことがショックだっていうのか……?」
「……これまで黒瀬様にとって勝ち続けることが当たり前でしたから無理もありません」
「それは……」
初めて俺が悪魔の仕事に行ったときにも聞いた言葉だ。あの時は黒瀬様は悪魔の社会は実力主義の社会で結果しか見られないと語っていた。
宗方さんが言う通り彼女はその壮絶な環境の中で常に勝利し結果を出し続けてきたということだろう。
それはわかる、わかるのだが……。
「だからってそんなにショックを受けるものなんですか。なんていうか変ですよ、たった一回負けたくらいですべて終わったみたいな感じじゃないですか。だいたいなんですかあの態度。まるで辛いのは自分だけみたいな……俺も御供さんだってあいつのせいで……!」
黒瀬が初めて弱気になっているところを見たせいだろうか、これまで抑えてきた不満が噴出する。
こんなことを宗方さんに言ってもしょうがないと頭ではわかっているのだが口は止まることを知らない。
「ズルいですよ、自分ばっかり。勝手が過ぎる……!」
そこまで吐き出したところである1つの考えが脳裏をよぎる。
今の黒瀬はとても弱っている。それこそ俺に抵抗できないくらいに。
なら、そうだ。これまでの恨みも込めて無理矢理言うことを聞かせるぐらいわけないはずだ。何も彼女をいじめようという訳ではない。
俺と御供さんがこれまで受けてきた肉体的、精神的な苦痛に対して弁償してもらうだけ。貴族であるというならちょっとばかり無理を敷いてもどうとでもなる。
我ながら悪辣な思考をしているという自覚はあるが、あの黒瀬相手なら罪悪感を抱くことなく実行はできなくもない。
多分、もう少し時間があれば俺は具体的な方法まで考えていただろう。でもそれを遮るように宗方さんが語り掛けてきた。
「そうです、勝手です。黒瀬様はとても我儘な方です」
「そう、ですよね。なら……!」
「ですが、黒瀬様はこれまで使い捨てられるかもしれないという重圧と戦いながら同郷のものと鎬を削られていました」
「え……」
肯定の言葉が突然全く別のものへと変わり困惑した。
「事ここに至れば仕方ありません。あの黒瀬様を見たのですからあなたにも知る権利がありましょう」
「今更何ですか。黒瀬の可哀想なお話でもしてくれるっていうんですか」
嫌味を込めて放ったが、宗方さんは首肯した。
「その通りです。そして、これを聞いてまだ無体を働きたいとおっしゃるのでしたらその時私はあなたの敵になります」
見透かされている。心臓の鼓動が早くなるのを感じた。嫌な汗を脇にかいた。
宗方さんの実力を片鱗しか知らないがそれでも相当腕が経つことぐらいはわかっている。逆らうのは得策ではないだろう。
それにどんな話を聞かせてくれるのか少し興味がわいてきた。
「わかりました。話、聞かせてください」
「ここではなんですから、1階の応接室へと行きましょうか」
応接室というものを俺はあまり知らない。それでも来客を招いて対応するところだというぐらいの知識はあったのでソファと机があるだけのイメージを持っていた。
でも、そこはそれ。俺は黒瀬がやっぱり貴族なんだという認識を改めさせられた。
とりあえず最初にイメージしていた通り黒瀬邸の応接室にはソファと机があった。ただの机とソファではない。ソファは座ってみるととってもフカフカだし、机はよくわからない装飾が施されている。
部屋をぐるりと見渡せば天井には豪奢なシャンデリア、壁には高そうな絵画と皿が飾られている。
庶民である俺には非常に落ち着かないが、一方の宗方さんはこういった空間にも慣れているのか落ち着いた様子だ。
内装にも目もくれず早速腰を下ろした宗方さんが口火を切る。
「さて、どこから話したものでしょうか。こういう場合は長くなっても最初から順番にというのがいいですね」
眼鏡を押し上げると前のめりになる。
「先日、悪魔のことについてお教えしたことがあったと思います。その時黒瀬様の御家についても触れましたが覚えていますか?」
「えっと悪魔には元は72家っていう大貴族がいたってやつですよね。で、黒瀬はクロセル家っていうその中の1つとかなんとか」
「仰る通りです。先の大戦の影響もあり衰退化したとはいえ今でも血筋事態は脈々と受け継がれており今日至ってもそれなりの影響力を有しています」
「はあ……、それがどうしたっていうんですか」
生憎と悪魔の社会は未だピンと来ていないところが多い。そういうもんだという認識しかないのが実情だ。
宗方さんが悪魔の社会に精通しているのはわかるがそれが一体どう黒瀬と関わるというのか。全然予想がつかなかった。
「悪魔は野心深い、ましてや元72柱ともなればそれは常人には計り知ることはできないでしょう。クロセル大公は後塵を拝すことを良しとしなかった。すべてはそこから端を発するのです」
ルーナ・クロセル。彼女は先の大戦の後に生まれた純潔の悪魔である。
だが育てられた記憶はない。自らを産んだ親の顔もそのぬくもりも知らない。
それもそうだろう彼女は正しく生まれたのではない。彼女は培養槽と呼ばれる擬似的に子宮を模した装置の中で作られたのだから。
悪魔は非常に長い永遠とも思える時間を生きる超常の存在だ。反面出生率は低く新生児は毎年数えるほどしか誕生しない。
だが、悪魔にとってはそれで良かったのだ。悪魔ほどの存在を脅かせる存在は少ない。
死亡率もまた低い悪魔にとっては大した問題にはならなかったのだ。
あの大戦が始まるまでは。
悪魔、天使、堕天使。3大になる軍勢は世の覇権を求めて長きにわたる戦いを繰り広げた。
その結果は痛み分け。いや、魔王を失い72の御家を保てなくなった悪魔たちは果たしてそんな言葉で済ませられるだろうか。
答えは否である。
全体の数を減らし、力もまた失った。次世代を担う新生児はまるで生まれる気配はなく民は困窮した。
悪魔の中でも特に優れたものたちは優秀な種や個体を悪魔として迎え入れる方法、すなわち多種族を悪魔へと転生させる手段を確立し種の延命を図った。
それが功を奏し以前には及ばないものの再び他勢力との均衡を取り戻すに至る。
だが、当然としてその方法に意を唱えるものがいた。
今や新時代を築く悪魔たちに急弾するのは最も古い時代を生き抜いてきた純血の悪魔たち。
彼らにとって他所の血が交わるのはとても看過できるものではなかった。
世論は2分され今度は内戦が起きるのではないかと危惧された。
新世代の悪魔らは旧時代の悪魔話し合う場を設けようとしたが不幸な事故から交渉は決裂し内戦へと踏み切った。
結果として新世代の悪魔たちが勝利した。
旧世代の悪魔は処刑こそ免れたのものの多くが力を削がれた。
クロセル家も旧世代の悪魔に加担していた。直接的ではなく間接的な関与だったためそこまで重い処罰は下されなかったが脈々と純血の悪魔として築いてきた名家としての信用を失い、周囲から白い目で見られるようになった。
それからクロセル家は没落していくようになる。
土地を剥奪され、要職を外された。臣民からは嘲笑を浮かべられた。
耐えがたい屈辱を味合わされたのだ。
今だけだと彼らはグッとそれをこらえた。人の噂も七十五日。それは悪魔にも言えることで流行りというはあっという間に過ぎるもの。
この瞬間さえ乗り越えてさえしまえばまた自分の時代はやってくるのだと信じていた。
それから数十年が流れたころ、大公はある日首都を訪れた。
いい加減ほとぼりも冷めたころだろうと思い、そろそろ要職の席を明け渡してもらおうと政府機関に出向く。
本来ならばあちらの方から出向いてもらうべきなのだが、なかなかに新魔王は顔を見せない。
なかなかに強情な態度に大公はしびれを切らし自ら赴くことにしたのだ。
そして、その一時間後彼は首都に背を向けその場を後にすることになる。
結論から言おう。
大公は政府から全く相手にされることはなかった。
何故か? それは——。
「それは?」
話の続きが気になり唾を飲む。
「はい、それは——」
「…………」
「続きはCMの後!」
いつの間にか前のめりになっていた俺はそのまま前へとズッコケた。
「いやいや、それはないでしょう」
「失敬、ちょいと水を飲ませてください」
「ああ、そういう」
宗方さんが立ち上がる。給湯室に向かうようだ。
「すぐに戻りますので~」
ずっと喋りっぱなしだったので喉が渇くというの頷ける。気になるところでお預けされてそれこそCMを挟まれた気分ではあるがとりあえず宗方さんを待つとしよう。
それにしても、と思う。
「悪魔の社会ってのも大変なんだな」
貴族がどうとか誇りがどうとか。
ちょっと人間臭い。いや、人間が悪魔臭いのか。
なんにせよ、これまでの話を聞いて大公っていうのがどういう存在なのかが見えてきた。黒瀬、ルーナのことも少しだけ理解しかけてきた。
だから、この後もどういった話が繰り広げられるのか嫌でも想像がつき始める。
話が再開すればその想像が正解かもわかる。もしも、正解なのであれば俺はその時黒瀬にどんな顔を向ければいいのか、それもまた今から考えなければいけないだろう。
俺は宗方さんが戻ってくるまで眉間に皺が寄ったままだった。