「さて、どこまで話ましったけ」
「大公が新政府に相手にされなかった、ってところまでです」
「そうでした、そうでした。あ、月深さんもお水飲みます?」
水の入ったグラスを差し出されたが手で制す。
「いえ、どうぞ話を続けてください」
「かしこまりました。えー、ではこほん」
大公は相手にされなかった。
何故か、それは実に単純。忘れられていたからだ。
数十年という月日は1万年を生きる悪魔にとっては然したる時間ではない。
とはいえ大公という存在が皆の記憶の底に沈むには十分すぎる時間だった。
クロセルという名が忘れられたわけではない。ただ、表舞台を離れていた大公という存在自体が臣民の記憶から薄れいてたのだ。
大公だと名乗りを上げても、人々は首を傾げそういえば聞き覚えがあるかも。そんな程度だ。
新魔王に会おうにも面会すら許されなかった。数十年のうちに悪魔のシステムが先鋭化され古い方法では通用しなくなっていた。
アポイントを取ろうかと受付で相談されたが、大公たる存在が待たされるなど我慢できるわけもなく怒りに打ち震えながら帰路に着いた。
領地に戻った後も大公の怒りがおさまることはなく、しばらくは侍従に八つ当たりをした。怒りが収まると次に嘆き、最後に恐れた。
彼が恐れたのは自分が自分でなくなってしまうこと。時の流れに押されて風化してしまうこと。かつてヒエラルキーのトップに君臨し他を支配するはずのものが、気づけば支配される側に回ってしまい、だれからも相手にされなくなる。それが何よりも怖かったのだ。
これまで大公は絶対にして唯一の存在だった、それが今となっては肩書だけの最上級悪魔。
ただの最上級悪魔なのだ。大公ではなくその他大勢いる悪魔の一人。そのようにみられるなど納得できようもなかった。
だから大公はすぐに行動を起こした。
権力を取り戻し支配する側へと再び返り咲くために。
「時に月深さん、大公は復権するためにどのような手段を取ったと思いますか?」
「どのような、ですか。うーん」
前の地位を取り戻すためには果たしてどうすればいい?
悪魔の社会に明るくないしな。
でも黒瀬という存在を考えると……。
「優秀な悪魔を作ろうとした。そして、自分の配下を数をそろえて力を誇示しようとした……?」
「お見事、正解です」
当たってほしくない想像が真実となった。そこから導き出される結論は1つしか浮かばない。
「じゃあ、やっぱり黒瀬は大公によって生み出され自分の手駒として育てられたってことですか」
「その通りです。ルーナ・クロセル様は大公によって生み出され、いえ、造られたのです」
力を誇示するのに数を揃えることは視覚的な観点から言っても無視できない要素だ。
どんなに優れた個も群れの前には屈するほかない。
けれども悪魔の出生率は低い。それは周知の事実。とはいえ数を増やすのは容易ではない。
ならばどうするか。答えは簡単。生むのではなく造ればいいのだ。
もちろん思いついたからと言って早々うまくいくはずもない。
大公は試行錯誤を余儀なくされた。それでも大公はその方法を貫いた。
新魔王派の転生を未だ許せてはいないからだ。古い時代の悪魔に傾倒するつもりも、新しい時代の悪魔に媚びるつもりもない。
自らが道を起こして歩く。そのために造るという方向を以ってことを為し始めた。
「ホムンクルスという言葉に聞き覚えはありますか?」
唐突に宗方さんはそんなことを聞いてきた。
「いえ、知らないです。大公がしていることと何か関係でも?」
「錬金術あるいは魔術によって作り出された人造人間、それをホムンクルスと呼びます」
また知らない言葉が出てきたぞ、辟易しつつなんとなく宗方さんが言いたことを察する。
「つまり、黒瀬はそのホムなんとかってことですね?」
「はい。正確に言うとそのホムンクルスを生み出す技術をベースにして造られた人造悪魔になります」
必ず成功する、させると執念を以って臨み、やがて1つの実験が始まり初めて成功に近い結果を叩き出した。
それがルーナ。6万4874体の試作の末に造られた個体。
途方もない失敗を積み上げようやく既定の値にたどり着いた作品。
優れた才能を以って造られた大公にとって都合のいい消耗品。そんな彼女がどんな育てられ方をしてきたのか。
それはただの悪魔にとっても苛烈な日々であった。
クロセルのものとして休みなく教育を施され魔力の扱い方を徹底的に叩き込む。
時に他の失敗作と比べられながら、失敗作よりも劣るような結果を出せば容赦なく罰が下される。運が良ければただの折檻で済む。悪ければ不良品として不要であるとして処分された。
昨日まで生きていたはずの兄や弟、姉や妹たちは過酷な訓練の前に死体となって斃れる。精神と肉体。その両方に恐怖を刻み込まれた彼女はただ大公の言いなりになるほかない。
だから彼女は大公の求めるとおりに結果を出してきた。怒られないために認めてもらうために。
しかし、たとえ彼女が良い結果を出そうとも大公は褒めたりはしない。
何故なら大公は彼女に対して親愛の情など一片も持ち合わせていないのだから。
それでも彼女は独り奮闘し続けてきた。
失敗を許されず、されどこれまでの軌跡が彼女に上級悪魔としての自負と尊厳をもたらす。なによりも大公しか知らない彼女は大公を自然と真似てしまっていた。
敗北を知らず、許されない。そんな彼女があろうことか下級のそれも転生悪魔に負けた。
その結果がもたらした衝撃がどれほどのものだったか。
「それはもう口に出すまでもないでしょう」
すべてを語り終えた宗方さんはそう締めくくる。
そうだ俺は黒瀬がどうなってしまったのかを知っている。だって俺が彼女に勝ったがためにそうなったのだから。
「馬鹿げている……」
俺はため息交じりに漏らす。
大公の思い付きも、その末に造られ棄てられた数の何もかもが。
いろんなことを同時に聞きすぎたせいで頭がパンクしている。
「あまりにも無茶苦茶だ、どうかしているとしか考えられない」
とても正気の沙汰とは思えない。
だけどこの話を聞いて黒瀬がどうしてああなってしまったのかが嫌でもわかってしまった。
結局のところあいつは、大公という抗いようのない存在によって望まぬ形で生を受けてしまった被害者なのだ。
望まぬ役割と役目を生まれたその日から背負わされている。そんなことがまかり通るなんて絶対におかしい。
「悪魔って皆そうなんですか? 自分の都合で罪のない人たちも巻き込んで無茶苦茶するんですか?」
「悪魔によるとしか。なまじ力を持つ存在はできることもその影響も大きくなりますからね。無論全員という訳ではありません。理性をもって種族の区別をすることなく他者を思いやる上級悪魔もいます。反対に欲望のままに他者を巻き込む者たちもいますが」
「こんな風によくわからないプライドのために倫理すら踏み倒して欲望のままに行動する。それが悪魔という生き物の本性だと? だとするなら俺もそのうちそうなってしまうんですか?」
それは考えるだけで恐ろしい将来だ。
「それを決めるのは私ではありません、あなたですよ。それとも誰かにそうだと言われたらその通りになさるおつもりですか?」
「なりませんよ、絶対に」
「であるならば安心だ。月深さんは黒瀬様を傷つけたりできない」
「…………」
そういえばそうだった。
宗方さんは黒瀬のことを思ってこんな話をしてもらったんだ。
狙い通り俺はもう黒瀬に何かをしようだなんて気はとっくに失せている。
話を聞いていただけなのになんだか疲れてしまった俺はソファの背もたれに体を預け天を仰いだ。
「それで」
天井を見上げながら口を開く。
「はい?」
「俺にどうしろっていうんですか」
「と、言いますと?」
「とぼけないでくださいよ。俺はもう黒瀬をどうこうするつもりはありません。でも、そのためだけにあんなに詳しく話したとは正直思えない。何かあるんでしょう? 俺にさせたいことが」
「参考までにお聞きしたいのですがどうしてそう思われたのですか?」
今度は天井ではなく宗方さんを直視する。
「やたらと詳しくクロセル家の内情について語ってくれましたよね。変ですよ。大公って人がペラペラと内情を語るなんて思えない。できるとすれば相当近しい立場にあるかあるいは調べたか。どちらにせよ、宗方さん。あんたちょっと胡散臭いです」
「はは、これは手厳しい」
「俺を助けたり、逆に黒瀬の肩を持ったり。その理由は俺たちを殺させたくないから、それとこれはたぶんですけど俺たちに何かさせたいから。違いますか?」
殺させない。宗方さんが何のためにそうしているのかはわからない。でも俺も黒瀬も殺させないようにしているのは状況から見ても確定。
なら、その目的は果たして何なのか。どうしても見当がつかない。だから最後の方はあてずっぽうだ。
「…………」
またうまく躱されるだろうと思っていたが、それまで軽快に喋っていた宗方さんが初めて口を噤む。
もしや、図星か?
「喋らないんですか? 同意とみなしますよ?」
「……そう、ですね。ええ、合っていますよ」
認めた。けど、釈然としない。まるで当たっていようが外れていようがどうでもいいみたいな感じだ。
もう少し追及してみるか。
「認めましたね。なら、その目的は一体なんですか? 黒瀬のことじゃなくてそっちも聞く権利は当然あると思いますが?」
「仰る通りです。私には誰にも言えない隠し事がある。そう隠し事です。隠し事はその名の通り隠されなければいけない。故に言えません、今はまだ」
「どうしても?」
「どうしても、です」
どうやら宗方さんはそれ以上何も言うつもりはないらしい。
これ以上話を引っ張ても無駄だろう。
「そうですか、じゃあこの話はこれまでってことでこれからについて話を良いですか」
「いいえ、この話はまだ終わりにできません」
「え?」
「あなたは肝心なことを聞いていない。いや、正しくはわざと聞かないようにしている」
「何を言って……」
「気にはならないのですか、黒瀬様のことが。初めての失敗を味わい挫折した彼女がどうなってしまうのか」
「それは……俺には関係ないことなので……」
「ここまで話を聞いて本当に無視できますか? 聞きましたよね? 黒瀬様のご兄弟がどのような未来をたどったか」
「でも、でも……あいつは俺や御供さんを」
「だから仕方ないと、どんなにひどい目に遭ったとしてもしょうがないと?」
「……ッ」
「本当にそうお思いで?」
「関係ない! だって、そう! 失敗に終わるならそれでいいじゃないですか!? 一刻も早くこんなバカな方法は潰えるべきなんだっ!」
あいつさえいなければこれ以上誰も不幸な目に遭わなくて済む。
俺が余計なことをする必要なんてどこにない、そのはずなんだ。
「一人の女性の命が失われても構わないと、そういうことですか?」
「さっきからなんなんだよ、アンタはっ!? そんなこと聞いてどうしろっていうんだ!?」
「私はあなたに懸けているのですよ。月深さんなら黒瀬様を立ち直らせていただけるとね」
「無理です。……第一俺じゃなくても宗方さんがやればいい、そうでしょう!?」
「いいえ、あなたです。あなたでなければならない」
「わけがわからない」
気持ちが悪い。宗方さんが何を言っているのかが全く理解できない。こんなに不快な気分にさせられたのは久しぶりだ。俺は立ち上がるとドアへと向かう。
「御供ご夫妻の件はどうかお任せください。恩に着せるつもりはありませんがどうかご再考のほどお願いいたしますね」
「それはできない相談です」
無視しようかと思ったが宗方さんの言葉で御供さんが頭をよぎり、辛うじて返事をした。