転移を使ったので一瞬の出来事だったはずなのにこれまで過ごしたどんな時間よりも濃密で永劫とも思えるひと時だった。
「よっと、到着ッと」
応接室についてようやく下ろされた私は愚物をひっぱたいてやろうとして、クラッと来てしまう。
危うく前に倒れそうになったその時、愚物が抱きとめる。
「ずっと部屋に閉じこもっていたんです。急に立ち上がって何かするのは危ないですよ」
「~~っ!」
急なことに恥ずかしさと怒りがこみあげてくる。
「は、離しなさい今すぐに!」
「はいはい、ソファまで行きましょうか」
私の文句に屈することなく抱きとめるではなく肩を支えた。
「ぁ……」
「ん? 何か?」
「い、いえ、なんでも。は、早く連れていきなさい」
言えるわけがない、いや、認めたくないというべきか。
ほんのちょっぴりだけ、他人の暖かさに焦がれていただなんてことを。
肩を支えられながら連れ立ってソファに向かう。
優しくソファに座らせてもらい愚物もまた隣に座る。
「何故、隣に座るの」
「あ、それもそうですね」
そう言って立ち上がると向かいに座る。
「それで、今回のことは一体どう説明してくれるのかしら?」
「えーとですね、離すと長いんですけどかいつまんでいうなら俺はお嬢様の味方をすることにしたってだけです」
「ど、どういう意味? 話が全然見えてこないのだけど?」
「すみません。ちょっと端折りすぎちゃいましたかね。最初から説明します。まず、お嬢様の御家事情はなんとなく知っています」
「そう、宗方ね……」
あいつめ、余計なことを。
あの羽毛より軽い口は後程縫ってやるとしてまずは説明を聞くのが先決だ。
「です。で、それを聞いてどうしてあんなに成果にこだわっていたのかも知りました。結果出さないとまずいんですよね、だから今月の会議に間に合うように奔走してなんとか目標の成果に届くように自分なりに頑張ってみました」
「何をどうすればあんな成果を出せたのかしら? 大公をうならせるということは虚偽ではないということなんでしょうけどこの短期間の間にそれほどの成果を叩き出すなんてにわかには信じられないわ」
「そうですね。1人だったら到底不可能でしょう。だから俺の友達に頼み込んで協力してもらいました」
友達に頼んだ。もしかして、こいつは——。
「まさか、自らの正体を明かしたというの?」
「それこそまさかですよ。俺は俺が悪魔だなんて言っていません。言わなくても友達は協力してくれましたよ」
「だとしても、そんなことが……」
「いるんですよ、世の中には。人助けのプロってやつがね」
堂々と語るその様に嘘はないように思える。
おそらくこいつは真実のみを語っている。
「ああ、そう」
なんということはない。仕組みそのものは単純だったわけだ。
他人をいいように使って成果を叩き出しただけのこと。
本当にどうでもいいことだった。
成果を出せた理由なんてたかが知れている。だからそれ自体驚きもない。
だって私の興味はそこにはないから。
自分がどうしても気になることはそんなことではなかった。
それを今更ながら思い知る。
聞こうかどうか悩んでやっぱり聞くことにした。
なるべく無関心を装い無感動に尋ねる。
「ねぇ」
「はい」
「どうして私を助けたの?」
さぁ、なんて答えるのかしら。言葉にならない期待を込めて回答を待つ。
「え、ああ同情です」
「同情……? 今、同情って言ったの?」
「ええ、そうです」
「私を哀れに思った、と?」
「その通りです」
「そうかそうか」
すくっと立ち上がり拳を握りしめる。
「随分と私も舐められたものね」
たった一度の敗北で、もう優位に立ったつもりでいるらしい。
人生のたった一幕だけをきいて私を理解したつもりでいるらしい。
ふざけるな。
「ふざけるな、この愚物風情がっ!!」
全身から魔力が迸る。その余波で室内の調度品がひび割れ、観賞植物の鉢が倒れる。
愚物を指さす。
「其処に直れ。あんたを消してやる」
この世から一片たりとて残すつもりはない。
今度こそ確実に殺してやる。
「嫌です」
殺意を向けられてなおその男は動じなかった。
どころか冷ややか目で私を見ている。
「その目で私を見るなっ! 立て、私と戦えっ!」
「お断りします」
「ここまで虚仮にされて我慢しろというの!?」
「怒りたいのならどうぞご勝手に。でも俺は何と言われようとやりませんから」
「ここで抵抗もできないまま死ぬつもり?」
男は何も言わない。どうやらイエスのようだ。
自らに死の危機が迫ろうとあくまでも戦うつもりはないと。
いいだろう、その覚悟がどこまで本気か試してやろうじゃないの。
「そういえば、あの小娘はどうしたの?」
男の眉がピクリと動いたのを私は見逃さなかった。
どうやら未だあの小娘の存在は男の急所らしい。
ならば丁度いい。存分に使わせてもらおうじゃないか。
「もう一度殺して差し上げましょう。そうすれば私の溜飲も下がるというもの」
さぁ、怒れ。私にあの時と同じように敵意を、殺意を向けて見せろ。
「そうはさせないよ。お嬢様」
「なら、私と戦いなさい」
「御供さんは殺させない。でも、お嬢様とも戦わない。それが俺の決断だ」
「なんだと?」
「それが皆が幸せになれる方法だからな」
「ふざけたことを抜かすなぁっ!」
魔力の弾が放たれる。
速度を重視したそれは一瞬にして男の顔のすぐ横を走り抜けた。
男の後方の壁にまで到達し煙が燻る。
「次は当てるわ。さぁ、どうするの?」
「どうもしない。さっき言った通りです。俺は戦わない」
「あんたがどう思うと相手が納得するとでも思う?」
「人によるな、いや悪魔による、か? この場合は」
「まるで他人事みたいね。でも、その通りよ。そして、私は自分よりも弱い相手にだって決して容赦はしない」
漲る魔力に些かの衰えはない。
一歩にじり寄る。
無抵抗の相手をなぶることに何の躊躇いもない。
右手を男に向ける。
そんなこととっくにわかっているだろうに、何故この男は動じないのだ。
「死ぬのが怖くないの?」
「怖いに決まっている」
「ならば、何故抵抗しない?」
「戦うと俺が死ぬし……」
「死ぬかもしれないんだったらあんたも死に物狂いになるのはもう知っているわ」
「ですよねー」
「その腹の底にあるものを見せなさいと私は言っているの」
「うーん、怒りません?」
「もう怒っているけれども、理由を言うまでは生かしてあげるわ」
「物騒が過ぎる。ま、いいか。はいはい、言います」
ふぅと男が息を1つ吐く。
「なんていうか知ってしまったからですよ。だからこうなんかやり辛いっていうか」
「つまり、同情ってことじゃない」
「まとめるとそうですけど、それだけじゃなくて……。何とかしてやりたいって思ったていうか」
「何とか? どういうこと?」
「ですから! ああ、うん、だから~その……」
「何よもじもじして気持ちの悪い。はっきり言いなさい」
「……って思ったんです」
「え、何? もっと大きく言ってちょうだい」
「お嬢様を助けたいって思ったんです、って言ったんです!」
「…………………………は?」
イマコイツナンテイッタ?
タスケタイ、たすけたい、助けたい。
そう言ったのか?
「誰が誰を?」
「俺が、お嬢様」
「なんで?」
「俺がそうしたいから」
「たったそれだけのことで?」
「お嬢様にとってはそれだけでも俺にとっては大事なことなんだよ、です」
「あはは、何それ意味わかんない」
魔力の波がしぼんでいく。
項垂れ立ち尽くす私に男は話しかける。
「俺はこれまでずっとお嬢様のことを誤解していたんだ。いつも毅然としていて、何の不安も後悔もなく自分の道を行ける人。おれはそんなイメージを持っていた。多分それは大体あっていて、だからこそ誤算は生じた。俺の勝手なイメージを押し付けてお嬢様のことちゃんと見れていなかった。わかろうとしなかった。だから俺はお嬢様のことを傷つけてしまった時、すごく驚いたんだ。こんなに傷つきやすい人だったんだって。あの時お嬢様のことだからきっと、一日すればすぐに治るだろうと全然現実を受け入れずに勝手な想像に逃げていたんだ。でも、そうはならなくてこんなはずじゃないのにって何度も思った。俺は後悔した。なんてことをしたんだろうって。許せないことがあったから、自分なりにお嬢様と戦ったけどそこには自分勝手のエゴしかなかった。振り返ってみてそれがよくわかる。もっとちゃんとお嬢様の立場になれていたら、きちんと話せていたらなって。それでも、後悔ばかりじゃ全然前に進めない。どうしたらこの先はうまくできるかなって必死に考えてそれが今日に繋がったんだ。馬鹿にされてるって思うかもしれないけど俺の偽らざる感情だ。どうか信じてほしい」
男が頭を下げる。深く正しく。見るだけで誠意に溢れているとわかった。
わかったから——。
「そういうことだったのね」
男は真摯だった。
私が思うほど以上にずっと強い存在であったのだ。
「ごめんなさい。私もあなたのことを誤解していたみたいだわ」
「お嬢様……」
「こうまで言われてしまっては認めるしかないわね。あなたのことを」
心に巣くっていた汚泥にも似た暗い感情がほどけていく。
それを為したのは目の前の男。いろいろあって一時は憎悪すら覚えることもあったけれど今はもうそんなことはない。
素直に感謝すら感じる。
「そういえば名前を聞いてなかったわね。今更だけど教えてくれるかしら?」
「よろこんで。俺の名前は月深結真です」
「ありがとう、月深。私の名前はルーナ・クロセル。いろいろあってお互い複雑でしょうけど、これからは心を替えてやっていきたいと思う。協力してもらえるかしら?」
「当たり前ですよ、お嬢様」
立ち上がりどちらからともなく歩み寄り握手を交わす。
と、すぐに我に返った私は気恥ずかしくなり手を離す。
月深も似たような心境なのか顔がどことなく赤みを増している。
「ちょっと、ここ熱いですね」
わざとらしく手で顔を仰ぐ月深。
明らかに嘘だがそうでもしないと変な気分になりそうなので私もそれに乗らせてもらうことにした。
「そ、そのようね」
「あ、俺、ちょっとお茶淹れてきますよ」
「ええ、お願いするわ」
月深が背を向ける。私はそれを目で追って構えた。
構えた手に魔力が籠る。一秒と経たず臨界に達したそれを何の迷いもなく打ち放った。
轟音とともに月深が応接室のドアとともに吹き飛ぶ。
直撃だった。申し分ない手ごたえ。
「驚いた」
月深は生きていた。破壊された扉の向こうでうずくまっている。
けど、驚いたのはそっちではなく月深が何の防御もしなかったことだ。
おかげで月深はボロボロだ。
背中に直撃した魔力弾は即しに至る威力ではないとはいえ、背中の皮膚を玉ねぎの皮みたいに剝いてしまった。
傷の範囲が広いため、出血がひどく血の水たまりを作っている。
他にも腕があらぬ方向に折れ曲がっており、擦過傷は数えればキリがない。
「どうして避けなかったの」
おそらく月深には私が攻撃することが読めていたはず。
だというのに何の構えも見せず受けてみせた。それが解せない。
その行動の意味を測ろうとしても何の解も導き出せない。
故に問う。その理由を。
しかし、聞いてから果たしてこたえられる状態であるかと疑問に思う。
まぁ、聞いたからと攻撃の手を緩めることはない。
あるいはこの一撃にさしもの月深も倒れ伏したかもしれない。
そう思い期待せずに月深を見やる。
「しぶといのね」
「……生憎とそれだけが取り柄でね」
月深はなんと立ち上がって見せた。
重傷という言葉がぴったりとあてはまる状態にもかかわらず、だ。
ちょんと小突いてしまえばそのまま倒れてしまいそうだが、それでもその目に曇りはない。
それが私をどうしようもなく苛立たせる。
「本当に生意気ね」
「忘れてた、それも俺の数少ない取り柄の1つだ」
「フラフラの癖に口だけは達者みたいだけど……状況は理解できているかしら?」
「もちろん、間もなく俺は死ぬ、だろ?」
「…………あなた」
こいつ本当にあの月深結真なのか?
以前のこいつはもっと生に縋りつくような、そんな生き汚さがあった。
にもかかわらず、今の月深はまるでどうでもいいみたいに自分の死に触れた。
偽物、幻覚と言われた方がまだ真実味があるが……、今のところそのような気配はない。
となると、月深が有する神器の影響とも考えられるが、その推論はもっともあり得そうでいて最も腑に落ちない推測でもあった。
現に神器は出していない。完全に生身だ。
考えてみても答えは出せそうになかったので攻撃ではなく対話を選択することにした。
「それでさっきの質問には答えてくれないのかしら?」
「ああ、さっきのね。どうして避けなかったのか、だっけか。簡単だよ避ける必要がないからだ」
「ふぅん?」
余裕ぶって見せたが、実際のところ私の心中は困惑でいっぱいだった。
それを察せられることのないよう慎重に口を開く。
「私程度の攻撃は恐れる必要もないっていう余裕の表れかしら、だとしたら私も舐められたものね」
あくまでも強気にそれでいて優位はこちらにあるとそれとなく示すことを忘れない。
正直なところ、今の一撃を放つだけで精いっぱいだし、今も立っているのでやっとではあるが、それを知られたくなかった。
なにしろ、相手はあの月深である。得体の知れなさで言えば宗方よりもずっと上だ。
油断はもうしない、やると決めたならばどのようなコンディションであろうとも全力で潰す。
その覚悟を改めて固めた。
意識が朦朧としているのだろう、なかなか返事が返ってこない。
「……だんまりね。さっきの余裕はどこへいったのかしらね」
「言いたい放題、いって、くれるなぁ、全く……」
少ししてそんな戯言が聞こえた。
軽口をたたいているようだが表情はひどく青ざめており、余裕がないことが伺える。
もって、10分あるかどうか……。
そんな状況にありながら月深は逃げなかった。
「俺にはわかっていた……お嬢様が納得していないことぐらい。だから敢えて何もしなかったんだ。俺がお嬢様を信じるために」
わかっていて受けたそこは読めていたので、やっぱりという感想以外はない。
だが、気になる発言があった。
「月深が私を信じるために、ってどういう意味? 普通逆じゃない?」
私が攻撃しないと信じていた、というならわかる。それなら避けない理由にもつながる。
でも、月深は私が不意打ちを仕掛けると理解していながらそれでも信じていたという。
これでは私の何を信じていたのかが不明瞭である。
出血のせいで頭がおかしくなったのだろうか。
そんな風に勘ぐっていると、
「逆じゃないさ。俺がお嬢様を信じるために行動したことに間違いはない」
キッパリと断言された。
「理解に苦しむわ、そんな行動に何の意味があるの? 第一にあなたがなぜ私を信じる必要があるというの?」
月深はぜぇぜぇと苦しそうに息を吸って吐いてを繰り返して、なんとか言葉を絞り出す。
「あんたの話を宗方さんに聞いてから俺なりにお嬢様のことについて想像していたことがある。お前はどんな悪魔なんだろうなって」
「…………それで、どう思ったの?」
「あくまで予想だぜ? 怒るなよ?」
そうやって前置きを置いてから言う。
「多分、お前は一人ぼっちだったんだ。愛してくれる家族もいない。気を許せる友達もいない。ずっと1人でだれにも頼ることなく生きてきた」
「…………」
「そんなお前は多分だけど他人のことなんかこれっぽちも信用していないじゃないかって」
「確かに、その通りだわ」
認めた。月深の言う通りだからだ。私には頼れる存在と言えるものはいない。自分にあるのは自分だけ。
この身一つで道を切り開いてきた。だがそれを恥じる気持ちも後悔も一切ない。
それでいいと思ってこれまで生きてきたのだ。今更外に放り出されてもその生き方を曲げるつもりもない。
でも、そうかなんとなく月深の言いたいことがつかめてきた。
「要はあんた、私と友達になってくれるとでも言いたいの?」
だとしたら実に下らない。期待外れもいいところだ。
「ちげぇよ、馬鹿。ちゃんと話聞いてたか?」
「なに?」
「俺がお前を信じたいってだけだ。友達になりたいなんてこれぽっちも思わないね」
私の予測は大きく外れたようだ。何とかそれだけ理解して、でも余計に意味が分からなくなる。
月深が私を信じる。それに何の意味があるのか。どんなメリットがあるのか、それがわからない。
「じゃ、じゃあ、信じてどうなるっていうの?」
「あ? 意味なんてねえよ」
「はぁ~~っ!?」
もう意味不明である。月深の言うことが理解できるようでいて全く話についていけていない。
ちょっと整理させてほしい。
「私と友達になるとかそういうのではないのよね?」
「そうだ」
「私と仲良くなることで、金銭的援助が得たいとか、自らの地位を上げたいとかでもないのよね?」
「もらえるのなら貰いたいが、今のところはそのつもりもないな」
一部どちらとも取れる意味合いがあったがこの際そんなことはどうでもいい。
「なら私を信じる必要がないじゃない」
「あるぞ。俺が信じたい」
話が堂々巡りになっている。言っていることとやっていることの何もかもがめちゃくちゃだ。
それでも、そこには何の虚飾もなかった。だって目がそう訴えているのだ。月深の瞳が真実のみを告げてくるのだ。
「私の何を信じるの……?」
「これまで見せてもらったお前の強さを。いつか見たお前の弱さだ。強がってでも傷つきやすいどこでにあるような女性の姿だ」
即答。迷いなど欠片もないと言わんばかりに。
「私は強い。弱くなんてない。勝手なことを言うな……」
「お前は好きにふるまえばいい。俺が勝手に信じるだけだ」
月深は言う。好きにすればいいと。
それをできないことを私は知っているというのに。
「私は強くなければいけない。今もそしてこれからも」
「そのために俺は邪魔か?」
「そうよ」
私がこれからも生を得るためには大公の評価に沿うような存在でなくてはならない。
そのためにはキングの駒が必要であるし、月深は不要なのだ。
「生き残りたいなら私と戦うことね。でなければあなたは死ぬ。無意味に無様に、ね」
これ見よがしに魔力を込めた手を向ける。
漲る波動はただの一撃で肉と骨を食い破り、対象を死に至らしめるだろう。
さしもの月深も本気にならざるを得ないはず。そう、思っていたが。
「何度も言わせるなよ。俺はやらないぜ。というか、うん。俺はもうどう足掻いてもお前を傷つけられないんだ」
「そのまま死ぬ気なのっ!? 黙って殺されるのが望みだとでも!?」
「それはない。だってお前にはできないから」
「できるわ。あんたにはわからないでしょうけど、数え切れないほどの同胞をこの手にかけてきたのよ」
「へえ、そうか。どれくらい殺したんだ?」
愚かにもそんな質問をぶつけてくる。教えてあげるわ、私がいかに冷酷で残酷であるかを。
「聞いて驚きなさい。8114人。それが私が蹴落としてきた数よ」
「そりゃ驚きだ。なんせ殺した数を覚えているんだからな」
「そんなにおかしいことかしら?」
「ああ、おかしいさ。本当に冷酷なら殺してきた者の数なんて数えないし覚えたりしない。やっぱりあんた俺が思っていた人物のようだ」
「何が言いたいの?」
「向いていないって言ってんだよ。だいたいなお前。大層殺してきたなんてのたまうくせに、なんで俺を殺さなかったんだ?」
「それは――」
言われてはたと気づく。
あの隙だらけの背中を、わかっていながら避けなかった月深をなぜ私は殺さなかった?
不要で、無意味な存在であるはずの月深をどうして……?
理屈に合わないというのであれば自らの行動こそ不可解である。
考えてみても確固とした答えは出そうにこない。
それでもこのまま何も言わないのはまるで負けたみたいで悔しいから苦し紛れでも言うしかない。
「……あんたに散々やられてきた恨みに決まっているでしょう」
「それにしては追撃もないし、こうして会話に興じているのは何故だろうな。早くしないと俺が死ぬぜ?」
「そうね、慌てふためくあんたが見られると思っただけにとても残念だわ」
「だとしたらお生憎様だ。せっかくの不意打ちも台無しだな」
「どうかしら、内心はビクビク怯えているんじゃないの? 叫んでもいいわよ? ママ~ってね」
売り言葉に買い言葉。
繰り広げられる舌戦に先に根を上げたのは月深だった。
「お前とそうやっていつまでも話しているのも悪くはなさそうだけど。生憎と時間がないんでな、死ぬ前に言いたいことだけ言わせてもらうぜ」
遂に立っていられなくなったのかその場にへたり込む月深。
喋ることすら苦しいだろうに、それでも何かを言いたいらしい。
「さっきの続きだ。お前が俺を殺せなかった理由を教えてやるよ」
「え……、なんでそれがあんたにわかるというの?」
「多分、俺だからわかる。お前と出会ったきたやつの中で俺が一番付き合い長いだろうし」
わざわざ思い出さなくてもその通りだと納得するしかない。
事実、大公とは報告事項や伝達事項がない限り顔を合わせることはなかったし、私にものを教えてきた学者連中は一方的に喋るだけで返事すら求めなかった。
月深の言う通り、私の人生の中で一番ちゃんと喋ったのは月深以外にはいなかったのだ。
「お前のことを理解してやれる」
「私……を……理解?」
「ルーナ、お前の本当の気持ちのことだよ」
「何がわかる……何を知っている……」
「そうだな、例えば結構馬鹿なところとか。単純な答えに、いつまでも気づけない」
唖然とした。
この男は果たして何を言っているのだろうか本気で考え込んだ。
そうして、少しばかり時間をかけて馬鹿にされているのだと思い、抗議しようとして月深は更に畳みかけてくる。
「慎重なようで詰めが甘い。そんなんだから肝心なところで仕留め損ねる」
「あんた――」
「怒りっぽくて、すぐに周りが見えなくなる。注意散漫になって足元を掬われるんだよな」
「ぐっ……それ以上言うなら」
「頭脳派に見えて実は脳筋。力任せなの好きだよな」
怒るわよとすら言わせてもらえない。
いったいどれほど吐き出せば気が済むのやら。
怒りもとっくに失せてしまい、もはや気のすむまで言わせたやろうとすら思い始める。
「それから――意外に律儀で誠実。一度約束したことはちゃんと守ってくれる」
流れが少し変わった。
「思ったことはちゃんと言ってくれる正直者。俺が間違えていたらちゃんと指摘してくれたよな」
いつの間にか月深が立っていた。
もう立ち上がる力なんて残っていないはずなのにそれでも2本の足で立っている。
「努力家で真面目。ほんと頭が上がんないよ」
月深が一歩前に出る。
私は一歩退いた。
「責任感が強い。やれって言われたことを嫌がらずちゃんとやり切ろうとするところマジですごいと思う」
更に一歩、月深が前に踏み出す。
私もまた一歩後ろに下がる。
「いつだって誇り高い。下を向かず、物怖じしないで挑戦するところ、かっこいいと思うぜ」
もう一歩、月深の足が前に出る。
見えない壁に押されるように一歩、また後ろに下がる。
「それから――」
一言いうたびに前に進み出てくる。
その度に後ろへ下がるのだが、もう私の後ろには現実の壁しかない。
月深はもう目と鼻の先だ。
「本当は優しいはずなのに、自分にはそうする資格がないって背負い込んでしまう。俺を殺せなかったのも優しくしてくれた相手に本気になれないからだろ? 自分で言うのもなんだけどな」
「ぁ……」
暖かった。
そこには人の熱があった。
なぜなら月深が私を抱きしめているから。
「やめて」
知りたくない。
「セクハラだよな、ごめん。でも、本当にごめん。俺がそうしたいって、そうしてやりたいって思ったから……ごめん」
耳元であやすように優しく語りかける。
「そうじゃなくて……」
わかりたくない。
「寂しすぎるよ。誰からも優しくされずに生き続けるなんて。だから俺だけは……」
こんなにも。
「いやだ」
「死の間際くらいさ。お願い事いいよな? お前自分に厳しいから、自分は幸せになっちゃいけないって思っているかもしれないけど……少しくらい他人を信じて、信じられてもいいって思うんだ。だから、な、頼むよ。ちょっとだけでいいから素直になってくれ」
他人が。
「いやだよぉ」
「ああ、よかった。死ぬ前に、俺は……言えた。……よ……た。ほん…………に」
月深が力を失ってずり落ちていく。
放っておけばそのまま床に伏すことだろう。
でも、そうはならない。
私もまた抱きしめ返しているから。
「なんで、そんなこと言うのよ……」
抱きしめたまま熱を失いつつある体を支えきれず、でも、離せなくてそのままに膝をつく。
「知りたくなかった! わかりたくなかった! こんな誰かが暖かくて! 他人が愛おしく感じるなんて!」
それから、絶叫するように泣いた。
月深の体に縋りつくように抱きしめ続けた。
つい先ほどまで殺さなければいけないと思った相手だったのに。
「いやだよおぅ……うぅぅ……」
知りたくない。でももう体は知ってしまった。
わかりたくない。でももう心は理解してしまった。
肌と肌で暖かさが伝わる。そこから思いと思いが重なって新たな熱(感情)を生む。
これではもう、強くて冷酷な私ではいられない。
この人(月深)に教えられてしまったのだから。
私は強い。
誇り高きクロセルの娘として求められ生を受けた。
生まれた時から競争の連続で、常に他者と比べられ続けた。同じ造られた存在と。
勝てば生きる。負ければ死ぬ。ひどく単純な摂理。
そこに同情が入る余地はなく、とにかく必死だった。
常勝ではあったが余裕もなく、どれも辛勝だったように思う。
いつも泣きそうになって、吐きそうな気分に襲われていた。
そんな弱音はクロセルの娘には許されない、何よりもこれまで私のために死に続けてきた彼らに申し訳が立たない。
毅然と、前を向いて背後は見ないようにした。
自分が何の上に立っているのかも考えないようにした。
目を閉じるとたまに彼らの顔が思い浮かぶことがある。
そういう時は決まってどんな死に際だったのかと考えてしまった。
次第に眠ることすら怖くなり、夜が耐えがたい時間となった。
眠れない日々が続いた。いくら悪魔と言えど若い時は限界があるというもの。
これではパフォーマンスが落ちると感じた私は自らを気絶させ無理矢理に脳を休めた。
それがずっと続いて、体もやがて慣れて、今になった。
その私が弱いわけがない。
完璧で無比なる存在。
単一の存在として完成されている私は他者の手を借りる必要がない。
だから愛することも愛されることがなかったとしても何ら問題はないのだ。
だが、そんな私に唾を付けるやつがいた。
そいつは私の誇りをへし折り、絶望を与えた。今までの努力を無意味にされたような、周りのすべてが暗黒に染まったかのようなそんな錯覚を。
これまでのすべてを否定されたと悲観した。
この時になってようやく私は失敗作だったのだと思った。
価値を無価値にしてしまった私に生きる意味はない。
大公によって裁かれようと決意し、それから驚くことに私を負かした男に救われた。
その男は絶望を与え、私に敗北を知らしめた相手だったけど、初めて私より強い悪魔にあったと思った。
しかし、私より強い悪魔は大公1人で十分。他に余分はいらない。
それも私に屈辱を与えた相手となれば余計に、だ。
つまるところ、月深結真という悪魔は私にとっての汚点だった。
純白のシーツにあるほんの少しのされど無視できない染み。それに似ていた。
この時痛感したことがある。私は首の皮一枚であったが、生をつないだ。
他者の助けあってこそだが、ちゃんと生きている。だから、どれほどの絶望が襲おうとも、生がある限りは汚名を濯ぐことが可能であると。
消さなければいけない。そう思ったから手を下すことにした。
当然、抵抗も覚悟した。それもまた仕方ないと思った。
彼らもそうであったから、誰だって死にたいと心の底から思って生きる人はいない、と思う。
無論一般論である。それこそ人によるが少なくとも月深の場合は当てはまっていたはずだ。
なのに、彼は抵抗しなかった。
理由を問えば信じているからとの一点張り。
何を根拠にと思いながらも、所詮は口だけの男だろうと高を括っていた。
だが、月深は本物であった。本物の大馬鹿で抵抗なんてしなかった。
同時に彼は私に優しくしてくれた。私はその暖かさを突っぱねた。
信じられなかった、それと、認められなかった。
こんな私にこんな瞬間が訪れていいのかと。
いつの間にか立場も逆転して、追い詰めるどころか追い詰められていて最後の最後まで恨むことなく親身になってくれた。
でも、でも、でも。
これで、月深は消えた。これで私は強い自分に戻ることができる。
一点の曇りもない完璧な自分に。
なのに、どうしてだろう。こんなにも空っぽな気持ちになるのは。
もっと晴れやか気持ちになっていなければいけないのに。
おかしい。絶対に何かがおかしい。
今の私は前の私に戻れていない。
変だと思いつつも嫌だとは思えなかった。どころか愛おしさすら覚える。
……愛おしさってなんだろう。どこでそんな言葉を覚えたんだろうか。でも、今の感情を表すにはその言葉しかないと素直に思った。
わからないことだらけで、それがどうしようもなく新鮮で嬉しかった。
それ以上は危険だと警鐘が鳴る。それ以上理解を深めたら本当に戻れなくなってしまう。
認めるのが怖い。それが当たり前になってしまうのが怖い。
そうだ、と閃く。それはまさしく天啓。
簡単なことだった。記憶を消せばいいのだ。
そうすれば、戻ることができる。
咄嗟に思いついたにしては我ながらいいアイデアだ。
さっそく実践しようとして、何もできなかった。
どうやら手遅れだったようだと気づいて私は、泣いた。
無視できるはずなどできなかったのだ。
この暖かさを——。
「死なせやしないわ。絶対に……!」
頬を伝っていた涙を手で乱暴に拭う。
この温もりをたった一度の機会で手放すことなどできなかった。
もっと、もっと触れ合っていたかった。
だから、言う。屋敷全体に轟かせんと叫ぶ。
「宗方、出てきなさい!いるんでしょう!」
果たして、宗方は現れた。
壊れたドアを潜り、室内の惨劇に目を丸くした。
「ややっ、これは一体!?」
「芝居はいいわ。どうぜ隠形で見ていたのでしょう?」
「ははっ、これは痛い」
ぼりぼりとわざとらしく頭を掻く。
「我らが主の窮地よ、力を貸しなさい」
「これはこれは、見事な変わりよう。流石は月深殿、おっと失敬。真面目にやりましょう。さて、どうされます? 泰山夫君祭でも執り行いましょうか?」
「まだ死んでないわ」
「では?」
「私の生命力を分け与えるわ、宗方、アンタも手伝いなさい」
「構いませんが、具体的にはどうなさるおつもりで?」
「悪魔の駒を使う。私が彼の眷属となることで魔力の経路がつながる。それを利用して生命力を逆流させる」
「なるほど、眷属化に斯様な使い方があるとは露知らず。流石はルーナ様、慧眼にあらせられる」
「世辞はいいわ。魔法円の準備をお願い」
「なれど、よろしいのですか? 彼の眷属になってしまっても?」
「私の王としての力はもう彼に乗っ取られているわ。所謂フリーというやつよ。それに私ならどの駒でも対応できる」
「それも、そうでしたが……」
「皆まで言わなくてもわかっているわ」
「これは失礼」
宗方はこういいたいのだろう。
大公の意に逆らい、転生悪魔の軍門に下っても構わないのか、と。
その答えはもうそうしたいと思った時から決まっている。
「構わない、すべての責任は私にあるわ。時間がない、早く取り掛かって頂戴」
「委細承知いたしました、さてご協力いただきますかね」
宗方がどこからか数珠を取り出し、その場で拝み始めた。
「オン――」
その一言で、凛と空気が張り詰めた。
元々静かな場ではあった、だが、宗方がただ一言声を発しただけでそれまでとは比べ物にならないほどに雰囲気が激変したのだ。
何者にも邪魔できない静謐で厳かな空間が出来上がった。
例えるなら強烈な風が吹き抜け、後には凍てつくような冷たさが残ったような、そんな感覚。
宗方は止まらない。
「オン・アミリティ・ウン・ハッタ!」
刹那、部屋の四隅から光の線が立ち昇り部屋全体を覆った。
魔法円の出来上がりである。これで待機に流れてくる魔力に邪魔されることはない。
依然、宗方は拝んだままだ。魔法円の維持をしているためだ。
私が命じたように彼は忠実に仕事をこなしてくれた。
次は自分の番である。
悪魔の駒が入ったケースを取り出すと、私はクイーンの駒を取り出した。
適当な判断ではない。
キングと魔術的な経路を通す以上、もっともキングに近しいものを選ぶ必要があったから。
とはいえ、それも誤差程度だろうが。それでも1%でも成功の可能性を上げるためには必要なことだ。
なにしろ、これまで誰もやったことのない魔力行使なのだから。
即席の、それもただの思い付きに基づく方法を実践するなどとは、以前の私なら考えられない状況である。
その変化に戸惑いつつも、よどみなく思考は回る。
「主が御名、月深結真に乞う。我が名、ルーナ・クロセルの名において誓う。主がクイーンと成りて、我が命を永劫に捧ぐ。さすれば我が呼び声に応え導き給え」
クイーンの駒が私の体に潜り込んでいく。
キングの承認が得られていないため駒の加護はまったく得られていない。
けれどもそれはどうでもいい。問題は主と私との間に経路がきちんと生まれているかどうかだ。
オリジナルの呪文を唱え終えるとすぐさま魔力の運転を始める。
慎重かつ綿密に主へと魔力を流し込んでいく。これで魔力が全く流れないようなら儀式は失敗。すべてがご破算となり、主は死ぬ。
恐怖はない。興味がないからではなく成功以外考えられないからである。
果たして、魔力は正常に流れた。成功である。
興奮も喜悦もない。何故なら一度目の関門を抜けただけに過ぎないから。
本番はこれからだ。
駒の恩恵は得られていない。それは主の承認がないからであり、一方的に申請してしまったことに起因している。
だが、眷属になれていないのかというと、それは違うと断定できる。
確かに恩恵はないが魔術的な経路は通っている。こうして魔力が流れていくことが証明している。私のクイーンの立場としてはいわば仮登録状態にあると言えよう。
本来ならこのような方法を取ったところで眷属にはなり得ないが、元々のキングの所有権が私にあったのだからそこを突けば成功する余地はあると思っていた。
「さて……」
後は私の生命力を流し込むだけなのだが、ここが最大の難関だった。
作り上げた経路は決して強力なものではなく、むしろ、ひどく脆いものである。
下手に魔力を全開にして生命力を流し込めば対象を癒すどころか破壊することにすら繋がりかねない。
さらに経路に関連した問題がもう1つ。
それは生命力の供給ロスである。
不完全な経路は壊れやすいうえに綻びがある。いうなれば錆びて穴や隙間だらけとなってしまった排水管と言ったところか。
流れはしてもどんどん漏れ出ていってしまう。
一万年以上を生きる悪魔にといえど生命力を供給できる量には限りがある。
瀕死の主の息を吹き返らせるに足るのかかどうか、それが今の私と主に繋がっている経路の問題点なのだ。
「泣き言は言っていられない、集中しろ……私」
これより先は精密な魔力の操作を要求される。
失敗の許されない瞬間が続く。
疲労と緊張で汗が浮かんで頬を流れていった。
指が震える。視界が滲んでブレる。
コンディションは最悪以外の何物でもない。
いつもはこうならないように体調管理をしていたからこんな調子で重要な場面に当たるのは実に久しぶりだ。
今の自分に本当にできるのか、そんな甘えが私の足を引っ張りに来る。
「くだらない」
そう、独語する。一蹴してみせる。
私は強いから。
彼が信じてくれている。だから、負けない。
震えが止まる。甘えが消える。決意が固まる。
為すべきことが見えてくる。
それで十分だった。