ハイスクールDxD Lane Age   作:楓栞

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29話

「ふぅ、食べた食べた」

 実に幸せなひと時であった。とはいえもうこれ以上はお腹に入りそうにない。

 チラリと卓上を見やるとそこにはまだ食べきれなかった食べ物が並んでいる。

 

 朝だから一杯食べられないというのもあるが、昼だろうと夜であろうといくらなんでも食べきれる量ではなかった。

 残りは冷蔵庫に詰めて後ほどいただくことにしよう。

 

 そのことを伝えると捨てないんですか? と聞かれてしまったため大変もったいないのでやめてくださいと土下座しておいた。

 あの時のお嬢様の慌てようは大変可愛らしかったと記しておこう。

 

 さて、朝食も食べ終えたところでまったりしたいのもやまやまなのだが、いくつかお嬢様には聞かなきゃいけないことがある。

 幸い、両親はもう仕事に行ったので二人きりだ。お嬢様の魔力で聞かれても大したことにはならないが隣で自分が悪魔だとわかるような会話を繰り広げることには抵抗を感じていた。

 

「お嬢様ちょっとお話したいことが」

「かしこまりました。お茶でも淹れましょうか?」

「いえ、大丈夫です。よければ座ってお話ししましょう」

「では、失礼します」

 

 片付け終えたテーブルに向かい合って座る。

「お話とは今後のことについてで相違ないですか?」

「ええ、仰る通りです」

 

 流石お嬢様。話が早くて助かる。

 お嬢様は本人曰くだが俺の下僕となった。そして、そのことについてお嬢様は文句をつけるどころか納得すらしている。

 

 それがお嬢様のやりたいことだというならその願いを無碍にすることはできない。

 だから、それはいい。問題はこの先の未来における身の振り方である。

 当初、お嬢様がクイーンになるという予定はなく、体面上は俺がお嬢様の下僕であった。

 

 その立場も逆転してしまった。この先も俺とお嬢様の関係を以前のままとするのか、あるいは公開に踏み切るのか。

 なあなあにして引き延ばすことのできない問題と言えよう。

 

「一応、確認しておきたいんですけどお嬢様は俺の下僕になる、っていうことでいいんですか?」

「ええ、構いません。それが私の生まれてきた意味ですから。ふふ、少し前までは考えられないことですわ」

「じゃあ、周りにはどうお伝えするおつもりで?」

「現状は、私が主で、我が王が下僕という体面をとるのがよろしいかと。無論、我が王さえよければですが」

「異論はありません」

 

 お嬢様が言わなければ俺がそう提案するところだったのでスムーズに話が言って何よりである。

「かしこまりました。では、現状維持ということで行きましょう」

 

 ただ、とお嬢様は前置きする。

「眷属を増やすのは控えていただきませんか?」

「もとより増やすつもりはないですが、理由を聞いてもいいですか」

「はい。おそらく今の段階では私と我が王の関係は大公には知られていないと思われます。ですが、いつ明るみになったとしてもおかしくない薄氷のような危うさが常に付きまとっています。そのうえで眷属を増やせばより露見しやすくなってしまう。いつかは大公に知られましょうが、そのいつかを極限まで遅らせるためにもそういった対応をする必要があると考えました」

「なるほど、時間稼ぎですか。でもいつかバレるとしたらまずいことになるのでは?」

 

 これまでお嬢様は俺からキングの所有権を取り返すか、あるいは俺を処分することで自らの立場を守ろうとした。

 もし、今の彼女にその気がないのであればまた、別の方法を考えなければならない。

 そして、それは何よりも険しい道となるだろう。

 

「そうです、今のところ対応として打ち出せるものはありません。ですので限られた短い時間の間に見つけます。私と主が無事に生きる方法を」

「俺も一緒に考えさせてください」

「私の事情に巻き込んでしまったのですから我が王は……」

「そうやって、1人で抱え込んでしまうのはお嬢様の悪い癖です」

「ぁ……」

「俺にだって背負わせてください」

 

 それはいつか國坂に言われたことの真似。

 ここにきてあいつの教えが生きることにやっぱり癪に障るがそれはそれ。

 俺は今度こそお嬢様を1人にするつもりはない。

 

「……はい、よろしくお願いします」

 お嬢様が頷き、直後に眉を曇らせる。

「それで、話は変わるのですが…………、あの人間の娘、いえ、今は悪魔でしたか。彼女は息災でしょうか?」

「御供さんのことですか?」

「はい、私がその手にかけてしまった御供さんのことです」

「一時は精神的に危うい場面もありましたが、今は何とか持ち直していますよ」

「そう、でしたか……」

 

 苦々しい笑みを浮かべて呟いた。

「王にお願いしたいことがございます」

「聞きましょう」

 

 俺は姿勢を正して改め聞く体制を整える。

「御供さんに合わせていただきたいのです」

 瞬間、俺はとあることを思い出した。

 

 

 

 

「もう私にかかわらないでっ!」

 金切り声が耳朶を打つ。

 女の声である。

 声を張り上げて叫び、尚怒り足りないようで言葉を続ける。

 

「どうにかなるって、私を守るってそう言ったじゃないっ!? なのに今更になって……!」

「ごめん、御供さん……、でも、俺は……」

「うるさいっ! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっ!!」

 髪を掻きむしり取り乱す御供さん。

 

 俺を直視しながら怒鳴りつけているようでいて、その実俺ではないどこかを見る。

「返してよっ! パパとママを返して! 私を日常に返してよっ!!」

「御供さん……」

 半狂乱に陥る彼女の姿はとても痛ましいものだった。

 

 そして、その彼女の本音を剥き出しにさせた俺はなんて屑な人間であるかと自分で自分を殴りつけたくなる。

 だが、俺は止めるつもりはない。たとえどれほどなかれ傷つけようとも御供さんを諦めないと決めたのだから。

 

 

 時は遡ってお嬢様と俺がぶつかり合う三日前のこと。

 俺は、月深結真は御供結乃と会う約束を取り付けていた。

 無論、ただ会うのではなく話し合うためだ。

 

 今日までのことと、これからのことについて。

 なかなかに気の重いことである。できることなら逃げだしたいくらいに。

 それが叶わないと知りながらもそうは思わずにはいられなかった。

 

 どれほど後ろ向きに考えようが、時間は待ってくれない。約束の時間は近づきつつある。

 今俺がいる場所は市民会館、その入り口前だ。ここが集合の場所となる。

 

 もちろん人の往来がある入り口付近で話し合うのではなく中にある会議室を借りる手はずとなっていた。

 話し合うにはうってつけの場所だろう。さて、なんでこのような場所を借りられたかというと、それは俺の隣にいる人物のおかげだ。

 

「悪いな、國坂。場所まで用意させちまって」

「いいってことよ」

 何気ない風に言っているが、胸を張って自慢げだ。何ともわかりやすい奴である。

 

「それよりも、大丈夫なの?」

 大丈夫とは、御供さんを助けられるのかということだろう。

 そう聞かれては俺はこう答えるほかない。

 

「全然大丈夫じゃない」

「その割には落ち着いているじゃない」

「そう見えるように振舞っているだけさ」

「そうかい、なら安心だ」

「普通、逆じゃないか? そこは心配するところだと思うんだけど」

「見せかけでも落ち着いて見えるなら冷静な証拠だからね、不安だとは思うけどそのまま頑張りなよ」

「ああ……」

 

 言った通り落ち着いて見えるのはただの痩せ我慢だ。

 内心は心臓が飛び出るんじゃないかってぐらい跳ねている。

 何しろこれから俺は御供さんに厳しい現実を突きつけるのだ。

 

 最悪の場合立ち直れなくなってしまうかもしれない。

 俺の言葉1つで、だ。

 それでも、やると決めた。ならせめて堂々しているべきだろう。最後の瞬間まで。

 

「うん、やっぱりいい顔をしているよ。そんな君に私から最後の助言を贈ろうか」

「助言?」

「誰かを傷つけることを恐れるなってコトさ」

「無茶を言う……」

「それくらいできないと人と人とが分かり合うなんて夢のまた夢だからね」

 

 そう言って言葉を重ねていく。

「自分と見た目が似ていてなまじ言葉が通じちゃうんもんだから、勘違いしちゃうんだよ。目の前の相手が違う存在だってことに。所詮自分は自分の尺度からしか物事を見れないから」

 

 すっかり真面目な口調でいう國坂のいうことに俺は口を挟まない。というより挟めなかったというのが正しいだろう。

 彼女の真に迫った言葉が無視できなかったのだ。

 

「だから分かり合うためにはお互い傷ついて、知るしかない。自分と他人は違うんだって。そこから分かり合うための一歩が始まるのさ」

「傷つかないで済む方法はないのか」

「ないよ。言葉だけで分かり合えるのなら暴力っていう名のコミュニケーションはとっくに淘汰されている」

「確かに、な」

「つくみんが今まで見せてきた優しさで誰かが救われて物事にがうまいこと進展していたなら、どれほどよかっただろうね」

「そうだな」

 

 そうすればこんなに胃がキリキリする思いをしなくて済んだだろうな。

「御供さんって子は今苦しんでいる。詳しくはわからないけど、どうにもならない理不尽を前にしてね。でも、傷ついてはいない」

「一緒じゃないのか?」

「ちーがーう」

 

 國坂が俺をキッと睨む。

「いい? その子はねよくはわからないけど大変な思いをしているんだと思う。でもそれだけ。要はねどうにもならない現状前にして受け入れられずふさぎ込んでいるんだ。自分のことだっていうのに人任せにしてね。そりゃ傷つかないよ、何もしないだもん。傷つく道理がない」

「いや、それは違うだろう。今回の原因はすべて俺にあるんだ。だから俺がどうにかしなくちゃいけないんだ」

「違わないさ。御供さんは確かに不幸なんだろう。何も悪くなかったんだろう。でもね、彼女がただの被害者でいられる時間はもうとっくに過ぎ去ってしまっているんだよ」

「そんなこと!」

「ある」

 

 國坂が遮る。

 短く、声量も小さな、されど力強く断言した。

 

「何かをできるだけの力と時間を得ながら助かろうとしないのは自分のせいだよ、なのに他人には助けろと要求するのは怠慢だ」

「國坂! 言っていいことと悪いことが」

「何度も言っただろう。私は君たちの事情を知らない。私目線だとそう見えるからそう言っているんだ。黙らせたいなら私を傷つけてみなよ。精一杯、ね」

「……………………ったく、食えない女だ」

「はは、それほどでも」

「褒めてない」

「知ってる」

「…………お前が何と言おうとこれは俺が背負うと決めた責任だ。それで傷つくのが俺だけなら好都合だ」

「傷つくのは怖い、傷つけるのはもっと怖い。だから優しさで誤魔化すの?」

「それは」

 

 本当はわかっている。所詮俺が与えられる優しさは一時のもので誰も救われないことを。

 この期に及んでまだうじうじしている自分の甘えがまたしても顔を覗かせているのだ。

 

「どうにもならない重さに2人で潰される?」

「俺は……」

「嫌ならやるしかない。だからつくみんは全力に彼女に向かい合いなよ。それはつくみんにしかできないことだからね。でもそこさえ過ぎればそこから先は私の仕事だ」

 

 そうだ、これは俺にしかできないことなんだ。誰かじゃなくて俺がやらなきゃいけないことなんだ。

 

「ああ、苦労を掛けるな」

「いいって。――ん、来たよ」

 國坂が視線をどこかへと向ける。

 

 俺も同じ方へと視線を向けてその姿を捉える。

 丸い眼鏡に茶髪のボブカット。学生服を着た女の子。間違いない。御供さんだ。

 迷いのない足取りでやってきた御供さんは腕を伸ばせば届きそうな距離に近づいても挨拶をすることなくいきなり國坂を睨む。

 

「なんですか、この人」

「俺の友人だ。今回の話し合いの場を提供してくれた」

「やほやほ、國坂でーす」

「そうですか。それで、話って何ですか」

 

 國坂のうざったい調子に眉一つ動かさずのスルーである。

 これまでの彼女なら驚き戸惑いながらも礼儀よく返事をしていたと思うのだが。

 初めて会った時の印象はそこにない。随分とやさぐれたものである。

 今だって苛立ちを隠そうともしない。無理もないと内心思いつつ言う。

 

「ここじゃなんだし中で話そうか」

「それはいいんですけど……」

 御供さんがチラリと國坂を見る。その目はこの人も一緒ですかと物語っていた。

 

「ああ、安心していーよ。あくまで私は付き添いだからさ。お二人でどうぞ」

「そういうわけだから、行こうか」

 御供さんがコクリと頷くと黙って俺に続いた。

 

「私を呼び出したということは何か進展があったということですよね」

 与太話をするつもりはないようで会議室に着くなり言ってきた。

「……」

「月深さん?」

 黙りこくる俺に怪訝そうな様子だ。

 

 当然だ。話があるというのに何も言わないのだから。

 言わなきゃいけないことがあって、言うべきことも決まっているのに、どうにも口がうまいこと開いてくれない。

 

「あの、何もないなら帰ってもいいですか?」

「え、いや、あの、そうだ。最近調子はどう?」

 何か言わねばと思い口を滑らして自身の失策を悟った。

 

 御供さんの目じりがつり上がる。

「私にそれを聞きますか?」

 語気に僅かばかり苛立ちが混ざる。

 

「そうだよね、ごめん」

「……私を馬鹿にしたいんですか」

「そういうじゃないんだ、本当にごめん」

 深々と頭を下げる。

 

「はぁ、わかりました。……それで本題に入っていただけますか」

 多少なりとも溜飲が下がったようで、落ち着きを取り戻したようだ。

 御供さんは視線を切りつつも聞く姿勢を取ってくれた。

 こうなってはやはり言うしかないだろう。腹を括る時がきたのだ。

 

「話したいことがあります。直接あってどうしても話したいことが」

「はい」

「御供さんのご両親の件です」

「何かわかったんですか!?」

 

 御供さんが立ち上がり身を乗り出す。

 期待と不安をあらわにしている。

 その希望をへし折るのは胸が痛むがそうでもしないとわかってはもらえない。

 

 いつかは折れる希望なら今追ってしまったほうがいい。

 そんな言い訳を立てて、俺はその言葉を口にした。

 

「ごめん、どうにもできなかった」

「…………え?」

「記憶を戻すことはできないそうだ」

 

 畳みかけるように語を継ぐ。

「悪魔の技術をもってしてもどうにもならない、ご両親は一生あのまま君のことを思い出すことはないんだ」

「なんで……?」

 

 先ほどの勢いは失せ、椅子に座って呆然としている。

 そんな御供さんを前に俺はただ謝ることしかできなかった。

 

「ごめん」

「意味わからないです、どうしてそんな酷いこと言うんですか?」

「ごめん」

「ごめんじゃわからないですよっ!」

「そうだよね……、ごめん」

「悪魔なんですよね!? 悪魔ならどうにかしてくださいよ!」

「悪魔にだってどうしようもないこともある」

「だったら、あの時の言葉は何だったんですか。いつもの日常に戻れるって言ってくれたじゃないですか。あれは嘘だったんですか?」

「う、嘘じゃない! あの時は本当にそうなると」

「私をだまそうとしたんですか!?」

「そうじゃない、決してそんなつもりはなかったんだ。ただ君を救いたくて……!」

「全然救えてないですよっ! 口ばっかり達者で全然私は救われていない!」

「ごめん……」

「またそれ、何なんですか本当に……。謝る時間があるならさっさと解決してくださいよ、私を救ってよ……!」

「もちろん、記憶を取り戻す手段については今後も探っていく。けど……、望みは薄いとおもう」

「他人事みたいに言ってくれますね、私の日常を奪っておいてっ……!」

「うん、その通りだ。俺は最低だよ」

 

 ガタッと音を立てて御供さんが椅子から立ち上がる。

「もういいです、これ以上は時間の無駄。もう二度と私の前に姿を見せないでください」

「いやだ」

 

 この場から出ていこうとする御供さんの腕を俺は掴んていた。

「はい?」

「俺には御供さんを放っておくことができない」

「っ! 離してください!」

 

 俺の手を振りほどこうとするが、俺は離すつもりはない。

「離して、離してよっ!」

「なら、俺の話を聞いてくれ」

「嫌です、離してください」

「話を聞いてくれるまで、離すつもりはない」

「このっ、変態! ロリコン!」

「いや、ロリコンじゃ」

「誰かー! 助けてー! 変な人に襲われていますー!」

 

 大声を上げる御供さんだが、必死の声に応じるものは現れない。

「……一応言っておくけど、この時間は誰もいないから無駄だよ」

 その点は國坂に確認済み。念のため國坂に待機してもらっているから何かあれば連絡を飛ばしてくれる。

 

 だから御供さんがいくら叫ぼうとも問題はない。

 しばらく見守っていると叫び疲れたのか自分から根を上げた。

 

「わかりました、話を聞きますから手を離してください」

 手を離す。少しばかり強く握っていたためか跡になっていた。

 跡になったところを手でさすりながら、御供さんは嘆息すると大人しく席に着く。こちらとは目を合わせようとはせず早く言うように促した。

 

「で、話ってなんです」

「ああ、御供さんには元の生活を諦めてほしいんだ」

 バシン。静かな会議室にそれは大きく響いた。

 

「今、なんて言いました?」

 荒く息を吐きながら御供さんが問う。

 身を乗り出し、右手を振り抜いた状態で。

 

 そう、俺は御供さんに平手打ちをされたのだ。

 右の頬がヒリヒリする。

 

 避けようと思えば避けられたが敢えて受けた。御供さんにはそうする権利があると思ったからだ。

 怒るとわかったうえで言った。けれども訂正するつもりはない。もう一度言えというなら応じよう。何度でも。

 

「諦めてほしい、って言ったんだ。前の生活を諦めて悪魔としての生き方を選んでほしい」

 今度は左の頬を叩かれた。

 目を見開き、歯をギリギリと食いしばる御供さん。

 

「聞き間違いでなければパパとママを諦めろと言われたような気がしたのですが私の勘違いですかね?」

「いいや、勘違いじゃない」

「――気でも違いましたか?」

「残念だけど正気だよ。そうじゃなかったらこんなこと口にしない。だから俺は聞くよ、御供さんの答えを」

「わかりきっている答えを聞く必要ありますか?」

「ああ」

「なら言います。もちろん答えは却下です。もういいですよね、もう満足しましたよね?」

「いいや、話はまだ終わっていない」

 

 腰を浮かす御供さんを俺は制す。

 眉を寄せていかにも不満そうな顔をして聞き返す。

 

「まだ何か?」

「ああ、俺の話に納得してないみたいだからな」

「納得なんてできるもんですか! 言うに事を欠いて私に諦めろだなんて、到底受け入れられません!」

「そうだよな、でも俺ももう退くことはできない。ここまで来たらもう俺たちはどちらとも沈むか、あるいは浮き上がるしかないんだ」

「はぁ!? 一体何のことです?」

「俺たちは一蓮托生ってやつだよ」

「わけのわからないこと……。ようはあなたは何もしない、できないってことでしょう!? なら私の邪魔もしないでくださいよ!」

「俺は君の邪魔をするつもりはないよ。ただご両親のことを諦めてほしいだけなんだ」

「なんで、そんな酷いことを言うんですか……」

「事実だからよ。ご両親が君のことを思い出すことはない。希望を持つだけ無意味さ」

「そんなわけない、そんなわけないっ!」

 

 御供さんが弾かれたように立ち上がって飛び出していく。

 今度は止めなかった。

 行先に察しはついている。

 

 ああは言ったものの、やりきれない思いに蝕まれて俺は動けずにいた。

 止まっている場合ではないと何とか足を動かす。

 

 

 あの男が言っていることは嘘だ。全部やけっぱちなんだ。

 私はあの日常にいつでも戻れるはずなんだ。それを今から証明してやる。

 そんな気持ちを抱えて生家へ足を運ぶ。

 

 すぐさまインターホンを鳴らす。

「はい、どちら様でしょうか?」

 聞き慣れたママの声だ。

 

「私だよ、結乃だよ!」

「あなたは、あの時の……」

「ママ、私を思い出して!」

「何を言って……あなたっ!?」

 

 ガタンと大きな音を立てて玄関の扉が開け放たれる。

 肩を怒らせてその人は歩み出る。

 

「しつこいぞ君。いい加減にしないか!」

「パパ……」

「また、それか」

「お願い……私を思い出して」

「いいかね。私たちには――」

 

 言わせてたくない。それだけは聞きたくない。

「私はパパとママの娘なの!」

「お前のような子供はいない!」

「ぁ……」

 それが決定打だった。

 

「これに懲りたらもう二度と顔を見せるな、不愉快だ!」

 パパが戻っていく。背中が遠くなる。

 その背中を捕まえたくて手を伸ばして、でも、届かない。待ってはくれない。

 

 吸い込まれるようにしてパパとママが家の中へ消えていく。扉は重く閉ざされる。

 玄関までのたった数mの距離が無限のようにも感じられた。

 私は項垂れ立ち尽くすことしかできない。

 

 絶望が去来する。生きる気力が急速に失われていくのを感じる。

 だからだろう、その足取りに迷いはなく向かいたい場所へと歩き始めた。

 

 

 

 それは町の外れにある人の寄り付かない廃ビルだ。

 杜撰な管理により鍵もかけられていなくて、誰でも入ることができて難なく屋上まで侵入できた。

 

 10階建てのビルだからここから落ちたらきっと即死のはず。

 そのためにわざわざこの場所を選んだ。生きる理由を失った自分には相応しい死に場所だ。

 

 柵を乗り越えると、眼下には姫駒町が一望できた。

 地上で行き交う人間が蟻のようだ。みんな忙しそうにしている。

 この時間帯だと帰る人が多そうだから、きっと帰宅途中なんだろう。

 

「いいなぁ、帰る場所があって」

 もう私にはもうないものだ。だから視界に映る人間全員が憎たらしい。

 風が強く、遮るものがないためにひどく寒い。風に押されて体もふらつく。

 

 早く済ませてしまおう。

 一歩。ただ前に踏み出せばすべて終われる。

 そうして私はその身を空へと放り投げた。

 

 一瞬の浮遊感。地上に激突するまでそう時間はかからないはず。

 でもその瞬間を見るのは怖かったから目は開けられなかった。

 最初に感じたのは熱だった。他人の暖かさだ。抱擁されたのだと直感的に感じられた。

 

 須臾の後に衝撃が訪れる。しかし、予想していたものよりも軽い。

 目を開けると憎い顔が見えた。

 

「いてて……、御供さん平気?」

 月深さんが私に抱き着いていた。その意図は最早言葉にするまでもない。

 助けられたのだ。相当な高さだけど悪魔の身体能力なら何とか出来てしまうのだろう。

 

「月深さん、なんで邪魔をしたんですか……!?」

「いや、まぁ、そりゃ見捨てられるわけないでしょ」

「余計なことを……というかいつまで抱き着いているんですか」

「うわ、ごめん」

 

 慌てた様子で離れる月深さん。

 立ち上がって埃と砂を叩き落とす彼のそばで、どうにも立ち上がる気力がわかず私は座り込んでいた。

 

「どうして、私を……?」

「さっきも言ったけど放っておけなかったから」

「理解不能です。関係ないでしょうに」

「ある、君は俺の眷属だ。主として俺は君を導く義務がある」

「勝手に眷属にしておいて何様ですか、大体私がどこで何をしようと勝手じゃないですか」

「そうだね、勝手にすればいい。だから俺も勝手にさせてもらった。君、死のうとしていただろ」

「ええ、その通りです。もう生きている意味がなくなったので」

「生きる理由?」

 

 おどけた風に聞いてくるこの男が非常に神経を逆なでする。

 そんなに言わせたいというのなら、言ってやる。

 

「決まっているじゃないですか。私の帰る場所何処にもないんですよ。もういつもの日常に戻ることすらできないんです。その絶望がわかりますか? ああ、そうか。何も失ったことがない月深さんにはわかるわけないですよね」

「そうだね、うん」

 

 月深さんは1人頷いて苦笑した。

 てっきり反論いれてくると思っていただけに拍子抜けだ。

 

「その通りだよ。御供さんの言う通り俺は何も失ってない。だからその苦しみを本当の意味で理解していない」

「なら……」

「でも、御供さんは苦しんでいるんだよね。なら、俺は君を助けたいと思うよ」

 

 私は知らずこぶしを握り締めていた。

「ああ言えばこう言う。本当に何なんですかあなたは! もう放っておいてくださいよ」

 こんなにも辛い私に何食わぬ顔で話しかけてくるこの男がムカつく。

 うざい、今すぐにでも消えろ。もう私に――。

 

「もう私に関わらないでっ!」

 ただ言葉を吐き出すだけじゃなくて乱雑に拳を振るう。

 

「私を守るなんて無責任なことを言ったくせに、ノコノコと素知らぬ顔して! 本当は私のことを憐れんで蔑んでいたんでしょう!?」

「御供さん……、でも俺は」

 

 顔や胸に当たる拳を月深さんは避けようとしない。苦しそうに呻くだけだ。

 気づきたくなかった。必死になって遠ざけようとしていた。

 

 だというのに、こうして向き合うことで通じ合うものがあった。

 苦しんでいたのは私だけではなかったんだと。

 

「うるさい、言い訳しようとするなぁっ!」

 とっくに乾いていたと思っていた眼から涙がこぼれていく。

 やり場のない怒りと悲しみを振り下ろす相手が欲しかっただけと気づきたくはなかった。

 でも、甘えられる時間は長くは通じない。

 

「戻れるじゃなかったの!? ねぇ!? 何かも私失ったよ!? 帰る家も服もごはんもパパとママもぉっ!?」

「ごめん……」

「謝んなよぉっ! うざいんだよっ! もう、黙ってよぉ……、お願いだからもう私を1人にしてよ……」

 

 ここまでいって月深さんはただの一度だって弱さを見せなかった。

 弱かった私はその甘さについ縋ってしまった。

 それ以上はもう何も言えない。少なくとも彼に怒りをぶつけることはもうできなかった。

 

 地べたに伏せてただ泣く。

 悔しくて、悲しくて、怒りたくて、いろんな感情が自分の中で綯交ぜになって1つにまとまらない。

 どこにどう感情を落ち着けたらいいのかがわからない。その煩わしさから早く解き放たれたかった。

 

「もう苦しいんだよ、だからお願い楽にさせて……」

 これまでの全部が八つ当たりだった。

 そうするぐらい自分の心がぐちゃぐちゃでどうしようもなかった。

 

 でも、私は答えを得たんだ。たった1つのシンプルな方法を。

 生きているから余分な感情を抱える。苦しんでしまう。なら死ねばいんだ。そうしたら何もかもから解放される。

 輝かしかったあの頃を思い出にしたまま死ねる。

 

「ねえ、いいでしょう?」

 媚びるように縋るように許しを請う様に問う。

 彼は優しくその手を私に差し向けて――。

 

 「断る」

 私の頬を引っぱたいた。

 

 「勝手だなんてことはわかっている。でも言わせてもらう。御供さんがどんなに苦しんでいても俺は生きてほしいって思う。いくら悲しいからってそこで諦めて死ぬなんてもっと悲しいよ」

 「…………」

 「俺が君の居場所になって見せる、できることは何でもする。だから、生きてくれ」

 月深さんが私の肩を掴んで真正面から訴える。

 「私にこれ以上苦しめなんて月深さんは酷い人ですね」

 「俺ってわがままだから。俺だけじゃなくて、いつか時間はかかるかもだけど御供さんにも幸せになってほしい」

 「パパとママを忘れて、ですか」

 「忘れなくていいさ、いつまでも抱えて苦しめばいい。そのうえで幸せになるんだ。俺もその手助けをするから、さ」

 

 そう言って私に手を指し伸ばす。

 「一緒に行こう」

 おずおずと手を動かす。

 

 月深さんは急かさない。私の手(こたえ)を待っている。

 もう私の中に迷いはなかった。いつの間にか涙も止んでいた。

 

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