ハイスクールDxD Lane Age   作:楓栞

34 / 49
33話

 船堀さんの後を追って城の出入口と辿り着いた。指定の場所で荷を下ろすと俺はその場に座り込んだ。

 悪魔になったといえどもああも荷物を背負っていては疲れるというものだ。

 とはいえ、ようやく荷物を降ろして解放された、と思いきやそうはいかなかった。

 

「ちょっとこんなところでボサッとしないで早く支度して」

「支度?」

「そう、正装に着替えて給仕しないと。男性更衣室はあっちだから」

 

 指さすと颯爽とどこかへ行ってしまった。

 きっと女性更衣室に行ったのだろう。着替えるとか言っていたし。

 なら、俺もさっさと着替えないとな。ところで着替えってどこで借りられるんだ?

 

 

 城内をウロウロすることしばらく。

「まいったな」

 俺は迷子になっていた。

 

 外から見た際にも思ったがこの城、相当でかい。中の造りも結構入り組んでいて現在地すらつかめない。

 おまけに誰とも会わない。こんだけ広い会場なのだから従業員もそれなりにいるはずなのに、全く出会わない。

 

 というわけで今の俺は迷える子羊となっていた。

 さて、どうしたものか。歩きながら思案していると耳が音を拾った。

 どこからか微かに聞こえてくるそれは規則的なリズムで響く。音楽だろうか。

 目を閉じて、聞こえてくる方角を探ってみる。

 

「あっちかな」

 耳を頼りにして人のいそうな所へ向かう。音が徐々に強まる。ビンゴだ。

 歩調を早め、音のする方へ急ぐ。

 

 通路の先に光が見える。音楽だけではなく人の声もした。

 ようやくたどり着いたことに安堵し、光の先に躍り出た。

 

「おおっ」

 そこは、なんというか煌びやかという言葉が一番しっくりくるような場所だった。

 大広間に等間隔で並べられたテーブルには、香ばしい匂いのするこれまで見たことのない料理、奥や端の方には一目で高いとわかる調度品の数々。

 

 そして、それらが引き立て役となるしかない、着飾った悪魔たち。あるものは仕立ての良いドレスを、あるものはビシッとタキシードを身にまとっている。

 誰もが華やかで、この部屋の空気も合わさってまさに豪華絢爛というほかない。

 

 そんな光景に目を奪われていた俺は同時に衆目の的になっていることに気付いた。

 皆が呆気にとられ眉をひそめている。

 

「ねぇ、なにあれ」「道化師」「迷子?」「みすぼらしいわぁ……」

 良くない雰囲気を感じ取って引き返そうとした俺は通路の方からクライフさん、お兄さん、それからお嬢様がやってくるのを見た。

 

「貴様ぁ、その格好はなんだ!?」

 第一声はお兄さんの怒声だった。

 この空間は音が良く響くようで、広間の奥の方までしっかりと届いた。

 空気が一瞬でピリッとした。

 

「あー、これはですね」

「よもやこのような場で狼藉を働くとはな……!」

 ズカズカと歩み寄り、拳を振り上げる。

 

「お兄様……っ!!」

 駆け寄るお嬢様のその声で我に返ったか、あるいは場を考えて踏みとどまったのかゆっくりと拳を下した。

 

「まぁまぁ、彼も若い悪魔のようですしそれくらいにしておきましょう」

「クライフ殿……」

「君、私のものを貸そう。こちらにきたまえ」

 お兄さんの射貫かんばかりの視線とお嬢様の不安と心配の入り混じった視線を浴びながら広間を退出した。

 

 クライフさんを先導にしてだだっ広い廊下を進む。

 背中を追いながら謝ればいいのか、感謝すればいいのか考えているとクライフさんが前を向いたまま質問を飛ばしてきた。

 

「君、転生悪魔だろう? 悪魔になってどれくらい?」

「えっと1ヶ月くらいです。あ、遅れましたがさっきはありがとうございます」

「別にいいさ。しかしそうか、1月か。若いね」

「悪魔歴、長いんですか?」

「純血だから生まれた時からだね」

 

 純血と聞いて正直ちょっとびっくりした。というのも彼の雰囲気がお嬢様とお兄さんとは異なっていたからだ。

 大して会ってきたわけではないがどちらかというと転生悪魔のような雰囲気に近いと感じていた。だから純血と聞かされてそうだったのかと驚いた。

 

「ルイ殿も言っていたが僕は市井の生まれでね。ここまで成り上がるのは本当に大変だったよ。といっても君には伝わらないか」

「そう、ですね。あまりピンとは来ませんね」

「ははは、君は正直だね。そこは嘘でもそんなことはないと言うもんだよ」

 

 微妙にクライフさんから発せられる圧が高まったような気がする。

 怒っているとか気に障ったとかそんな感情の変化からくるものじゃない。もっと単純に、そう俺の存在そのものをようやく認識したような感じだ。

 

「君は悪魔になって何がしたい?」

 何をしたいか、と聞かれても俺には特にやりたいことなどない。適当に捻りだそうかとも思ったがそれをする意味ないと判断して正直に言うことにした。

 

「特には何もないです」

「…………ほう?」

 これまで軽快だった口が少しの間止まり、ようやく出てきた一言には多分に驚きの色が含まれている、そんな気がした。

 

「そんなに意外ですか?」

「そうだね、とても意外に感じているとも。悪魔とは大雑把に言ってしまえばこの世界においても最も力を持つ種族と言っても過言ではない。欲を滾らせ満たす、私は悪魔こそが究極にして完成された種族だと思っている。君には力がある。無限の未来がある、だというのに欲がないのかい?」

「今のところはですが……追々やりたいことも見つかるものと思っています」

「そうか」

 

 返事は実に淡々としたものだった。

 いたたまれくなくなり俺からも質問してみることにした。

 

「クライフ様は何をやりたい、とかあるんですか?」

「そうだな、昔は上級悪魔になるのが夢だった。いつか出世して誰もが羨むような生活を送ってやるとね。最近になってようやくそれもかなってね。ようやく軌道に乗ってきたところさ。っと着いたな」

 

 クライフさんの自室に着いた俺は衣装を借りて、更衣室で着替えた。

 タキシードは着たことがなかったので手伝ってもらった。タキシードを着た俺を見てクライフさんは言った。

 

「馬子にも衣裳だな」

「本当にすみません。終わったらクリーニングして返しますので」

「不要だ。富めるものは一度施したものを受け取りはしない。なんてね、こういうの言ってみたかったんだ」

 ニヤリと笑うと行こうと促した。

 

「そういえば、さっきの話の続きなんだが」

「はい?」

「つい最近凄い転生悪魔が出たのを知っているかい? 赤龍帝というんだが」

「いえ、存じません」

「そうか、ま、そのうち嫌でも耳に入るだろうがね」

「凄い人なんですか?」

「凄いどころの話じゃないさ、神滅具を有しているとはいえ10代にして最前線でテロリストと鎬を削り冥界をも守って見せた英傑さ」

「へぇ、それはさぞ素晴らしい人なんですね」

「うーん、ところが彼にはとんでもない噂がある」

「噂?」

「うん、なんと彼は主の乳を突いてパワーアップするらしい」

 

 俺にはクライフさんが何を言っているかわからなかった。

 しかし、そんな俺を他所に更に畳みかけた。

 

「彼の特技は女性を裸にし、乳と会話することらしい」

「???」

 余計に意味不明である。

 

「噂、なんですよね??」

「俄かには信じられないだろうが女性の乳房が好きであることを当人も公言しているのだよ。そしてそんな彼を題材にした特撮ドラマをあって名をおっぱいドラゴンと言う」

 

 なるほど男性であれば女性の胸部に欲情するのはわかる。俺自身も確かに好きだ。

 だけど、それを公にしたいと思わない。おまけに何を以ってメディアに出ているのかわからない。

 

「あー、いろいろと凄い方なんですね」

「彼を見習いたいとは思わないが学ぶべきところはあるように思うよ」

 そうこうしていると大広間にたどり着いた。

 

「最後に君に忠告だ。下僕は主の品格の一部を表していると言ってもいい。だらしのない下僕は主にもまただらしのない印象を与えかねない。下僕は主のもう1つの顔なんだよ。くれぐれも恥をかかせないようにな」

「肝に銘じます」

「立ち振る舞いに自身がないなら、隅っこでジッとしているといい。誰も好んでひよっこの転生悪魔に話しかけようとは思わないだろうからな。ではな」

 

 手を軽く上げると壇上に向かった。

 予定の時間より遅れたことを詫びて、酒の入ったグラスを手に取って掲げると開催の合図をした。

 

 宴が始まった。食事を楽しむもの、会話に興じるもの、思い思いに今を楽しんでいる。

 俺は言われた通り広間の隅っこにいた。時折不躾な視線を投じられるが、彼の言う通り進んで話しかけようとする者はいなかった。

 

 落ち着いて全体を観察できる。お嬢様はどこだろう。見回すとすぐに見つかった。

 紫を基調とする鮮やかなドレスと、髪型も普段はストレートだが今はハーフアップになっていて印象が変わっている。贔屓目抜きでも群を抜いて美しい。

 

 だからだろうか、彼女の回りには男性が良く集まっていた。

 そこにクライフさんが来るとさながらモーゼの十戒のごとく人の波が割れた。

 実に楽しそうに歓談する2人。何をしても絵になる彼女が今や有名な絵画にして美術館に飾っていたとしても違和感がないレベルに仕上がっている。

 

 しばらくすると音楽が流れ始めた。

 何事かと様子を窺っていると男女のペアが出来始めた。揃って踊り始めたのでどうやらダンスの時間らしい。

 

 ひらりと回って踊る男女の仲に、お嬢様を見た。相手はクライフさんだ。

 美男美女が優雅に踊る様は見るものをひきつけ、気付けば彼らを中心にして人だかりができていた。

 

 そうして踊り終えると万雷の拍手が鳴り響いた。俺もまたパチパチとやる気のない拍手を2人に送った。

 と、お嬢様がスカートの裾を掴んで小鳥のように駆け寄ってきた。

 

「我が王、こちらにいらっしゃいましたか」

「お嬢様……」

「すみません、ずっとあいさつ回りをしていたものですからお声掛けができませんでした」

「や、お嬢様が忙しいのは見ていましたから。それよりここでその呼称を使っても大丈夫ですか」

「問題ありません、確認しましたので盗聴の心配はありません。一応念のため盗聴防止の魔力も使用していますので。あ、読唇対策もしておりますのでお好きに喋っていただいて構いません」

「なら、いいんですけど。そういえばさっきは素晴らしかったです」

「さっき、とは何のことでしょうか?」

 きょとんとした様子のお嬢様。

 

「クライフ様とのダンスですよ。皆釘付けでしたよ」

「ああ。そのことでしたか。お褒めいただきありがとうございます」

「ダンスの練習もしていたんですか?」

「え? ええ、まぁ、幼少のころに教えられました」

「やっぱりこの先も悪魔になっていくにはそういうのも必須ですかね?」

「そうですね、あって困るものではないと思います」

 

 普段から特にお互いに喋るというものではないが、今日はどうしたことか会話が続かない。

 とっかかりが掴めず、また打ち返す言葉も思いつかずで会話が成り立たなかった。

 なので俺は何を喋るでもなくただずっと突っ立っていた。お嬢様も何言わない。気まずい時間がただ流れていく。いつまでも続くかのような均衡を崩したのはお嬢様だった。

 

「あのですね、我が王。もしよろしければなのですが――」

「もし、ルーナ殿」

 お嬢様の言葉を遮るようにして男が話しかけてきた。会場にいた誰かだとは思うが挨拶をしたわけでもないので顔も名前も見覚えはない。

 

「なんでしょうか」

 幾分固い口調でお嬢様は応じた。

 

「よければ私めと一曲踊ってはいただけないでしょうか」

「それは……」

 

 どうせ応じるんだろう、そう思っていたが彼女は言い淀んでいる。

 お嬢様が俺を見た。その瞳には色んな感情が渦巻いていて読み切れなかった。

 

「そこの下僕が何か?」

「っ……」

 良くない流れだな。仕方ない一芝居打つか。

 

「すみません、旦那。少し前に粗相を働いたばかりですからこれ以上無体をしないように我が主が見張っていただいていたのですよ」

「なるほど、流石はルーナ殿。下僕の扱いを弁えていらっしゃいますな」

「ルーナ様。どうか私のことは気にせずいってらっしゃいませ」

 

 お嬢様が目を見開き、そして、コクンと頷いた。

「失礼いたしました。お誘いいただき大変光栄ですわ。是非お受けいたします」

「ではこちらに。それにしても愚鈍な下僕を持つと苦労いたしますな」

 男は俺を一瞥すると、お嬢様を連れ立って会場の中央へと向かった。

 

 

「面白くねぇな」

「なんか言った?」

「うおっ」

 

 横から声がして跳びあがらんばかりに驚く。

 直ぐ近くにいつの間にか船堀さんがいた。

 

「い、いつの間に」

「ついさっきよ。それにしてもやってくれたわね」

「あー、や、突然のことだったもんで何の用意も無くてですね」

「今後は気を付けることね。それよりもよかったの?」

「さっきとは?」

「自分の主のことよ。あのお方がわざわざやってきたのに蔑ろにしたじゃない」

「蔑ろって、そんなことしました?」

 

 当たり障りのない対応だったとは思うが。というか魔力が話が聞こえないようにしていたからわかるわけないと思うんだが。

「してた、と思う。浮かない顔をしていたもの」

「俺が原因だと?」

 

 船堀さんは首肯した。

「何もないはずなんですけどね」

「どうかしらね」

「いやに自信のある様子ですけど根拠でもあるんですか?」

「無いわ。女の勘よ」

「うわでた。その言葉便利すぎません?」

「かもね」

「ところで船堀さんはあちらに混ざらないんですか?」

「転生悪魔ごときが入る余地なんてないわ」

「そういうもんですか。……そういえば頬のところどうしたんですか?」

 

 さっきから気になっていたのだが船堀さんの頬のところが妙に赤い。チークにしては片方だけが赤みがあって歪だし変だ。

 彼女は頬に指を持ってきて赤みのある部分をなぞる。

 

「やっぱり跡になってたか。消さないと」

 それだけ言ってどこかへいこうとする。

 

「あ、ちょっと?」

「なに?」

「いや、どこにいくのかなって」

「化粧室よ。なに? 付いてきたいの?」

「遠慮しておきます」

 

 船堀さんが大広間から出て行った。

 そして、以後彼女が再び姿を見せることはなかった。

 

 夜も更けてそろそろ欠伸をかみ殺すの難しくなったころ。ようやくクライフさんが締めの挨拶を始めた。

「今日は集まってくれて誠にありがとうございました。皆さんとこうして語りあう最高の機会となりました。最後になりますが私から発表があります。その前にある方を紹介しましょう」

 

 壇上に上がってくる1つの影。お嬢様のお兄さんだ。隣に並び立ったことを確認してクライフさんは再び口を開く。

「改まってのご紹介とはなりますが、ルイ・クロセル殿です」

 拍手が起こる。俺もその場のノリに合わせて適当に拍手した。

 

「えーでは発表の内容の方、報告いたします。この度ルイ・クロセル殿とのレーティングゲームが開催される運びとなりました」

 会場内にどよめきが起きた。

 

「開催はちょうど2週間後の14時からとなります。皆さまには観覧チケットをお渡しいたしますのでご都合会えば是非お越しくださいませ」

 使い魔と思わしき従業員が数名やって来て来場者にチケットを配る。

 俺の方にもやってきてチケットをくれた。恐らくは使い魔だから下僕からその主かに気付けなかったのだろうが有難く頂戴した。

 その後、やっと締めの挨拶に入り宴は終わりを告げた。

 

 

 終わった後もお嬢様はしつこく話しかけられていたが、早々に切り上げて着替えを済ませると彼女の転移魔法陣で姫駒町に帰還した。

 冥界からくるときは大学からだったが今は俺の家の前だ。どうやら気を遣ってくれたらしい。

 

「すみません、お嬢様」

 ありがとうございます、と言おうとしてお嬢様が深く頭を下げた。

 

「申し訳ございません我が王。この度はご不快な思いをさせてしまいました」

「え、あの宴の時ですか? 全然気にしてないんで平気です」

 似たようなことは既に体験済みだから、とは口が裂けても言えなかった。

 

「しかし……」

「本当に気にしてませんから。それより送ってくれてありがとうございます。でも、お嬢様の方は大丈夫ですか」

「問題ありません。使い魔に車を寄越すよう命令していますから。もう間もなく到着するはずです」

 

 噂をすればなんとやら、だ。見覚えのあるリムジンカーが近づいてくる。

「思ったより早かったですね。お嬢様、お気をつけて」

「はい、おやすみなさいませ……」

 

 お嬢様がリムジンカーに乗り込む。直ぐに発進してあっという間に見えなくなった。

 今日のお嬢様はどこか様子が変だった。なんというかいつも思ったことははっきりと言ってくれるはずなのにどこか歯切れが悪い。

 

 最後も何か言いたげにしていたが、何だったのだろうか。

「ま、いっか」

 慣れない空間でずっと立ちっぱなしだったものだからとても疲れた。こういう時はさっと寝よう。明日も講義があることだし。

 自らの中に芽生えた疑念を振り払い床についた。

 

 

 次の日。早朝から俺はお嬢様に呼び出された。

 珍しいこともあるものだと指定された場所(例の通り、旧校舎の空き教室だった)に向かう。

 向かった先ではお嬢様がいた。そして、お嬢様のお兄さんも。

 

 入った瞬間に俺はピンときた。こりゃ荒れるな、と。一先ずはいい感じの作り笑いを浮かべて愛想よくいくことにした。

「これはルイ様、おはようございます」

 

 頭を下げ、面を上げた直後鈍い痛みが頬を襲った。

 覚悟していた痛みだ。だって頭を下げた時に距離を詰めていたのだから。殴るつもり満々なのは見え見えだ。

 

 問題はあと何発殴られてやれれば満足するかだが。

 殴られた瞬間に見えたお兄さんの目はまるで煮えたぎる油のような怒りがあった。

 これはただでは済まないかもな。唯一救いなのはお嬢様もお兄さんには頭が上がらないということだ。

 

 彼女は今、顔を青くして震えていた。これが別の相手ならもう敵意を向けていてもおかしくはなかった。お兄さん相手なら激昂して暴れないだけマシと言えよう。

 

「愚図の畜生め。この私に恥をかかせおって」

「は。申し訳ございません」

 

 また殴られた。可能なら同じところを殴らないでほしい。ジンジンするから。

「フン。折角、奴めの鼻を明かす機会を得たというのに借りを作る羽目になるとは。それもお前のような下賤なものにな」

 

 今度はキックだ。膝に当たって痛い。

 思わず顔を顰めるが、それがお兄さんの嗜虐心を煽ったようで口角を吊り上げると頭髪を掴んでそのまま頭を教室に打ち付けた。

 

「所詮は人間などという畜生よな。悪魔になろうとも品性の欠片1つ身につかん」

「お兄様っ!」

 ほとんど悲鳴にも似た声がした。

 

「なんだルーナよ。調教の時間を邪魔するでない」

「差し出がましくも発言をお許しください。その者には昨晩私から十分に教育を施しました。ですからどうかそのこれ以上は……」

「慈悲を求めるか? しかしこれこそが慈悲だ。私自らが教育を施しているのだからな。愚鈍なこの転生者も痛みを以ってすれば少しは学習するだろうよ」

 

 そう言って何度も俺の頭を打ち付けた。

 顔中が痛みを訴える。血の匂いが鼻腔を充満する。

 やべぇ、頭がチカチカしてきた。

 これ以上はと思った時、ようやくお兄さんの手が止まった。

 

「全くいいだろう。妹の涙に免じてこれくらいで勘弁してやろう」

 涙? 真っ赤な視界の中視線を巡らすと涙を流すお嬢様がいた。

「ルーナよ。今の貴様にはちと刺激が強かっただろうがこれもまた強き者の務めだ。弱者には力を以って正してやる必要がある、くれぐれも下僕に感情を裂くような真似をするなよ」

「はい……」

「ではな、精々励むが良い」

 

 最後にわざとらしく俺を踏みつけてお兄さんは出て行った。

 お兄さんが消えるや否やお嬢様は俺に近寄って抱きかかえた。

 

「血が」

 俺の返り血が付いてしまうと忠告したかったが、口が上手く動かない。

 だが俺の言いたいことは伝わったようで彼女はフルフルと首を横に振った。

 

「喋らないでくださいませ。私には回復の魔力は使えませんが痛み止めならできます」

 お嬢様が手を翳して魔力を使うとその言葉通り痛みがだいぶ楽になった。

 それから自分のハンカチで顔を拭いてくれた。

 

「ありがとうございます」

「そんな、礼を言わないでください。全部私の所為なのですから……」

 彼女の瞳から大粒の涙が零れる。泣いていても綺麗だなとこんな時でありながら場違いにもそう感じた。

 

「いや、これも俺の蒔いた種ですから。責任は俺にありますよ」

「どうして……」

 続く彼女の言葉はなかった。何かを言おうとして口を噤んでしまった。

 俺は敢えてそれを聞こうとはしなかった。ふらつく足でなんとか立ち上がる。

 

「我が王、まだ動いては――」

「いや大分痛み止めが効いてきたんで平気です、でも、こんなんですから家に帰りますね。國坂は上手く言っておいてください」

「かしこまりました。でしたら是非お送りいたします」

「そんなことしたらルイ様に睨まれちゃいますよ。普通に講義を受けてください」

 返事も待たずに教室を後にした。

 

 

 顔面が酷い状態なのは鏡を見なくてもわかっているのでなるべく人目につかない道を通ることにした。

 旧校舎を出て大学構内の雑木林に入る。ここならわざわざ通る人もいないだろうと判断したためだ。

 

 そこで俺は偶然にもある光景を目にしてしまった。

 新校舎の裏手、入り口とは真反対のここには死角になっていて普段誰もやってこない。

 そんな場所で怒鳴り声とともに誰かが誰かを蹴っ飛ばしていた。

 どちらも見覚えのある人たちで、一方はお嬢様のお兄さん。もう一方は船堀さんだった。

 

「愚図が、愚図が、愚図が、愚図が!」

 お兄さんが容赦なく船堀さんに蹴りを浴びせている。

 船堀さんは痛みに耐えるように地にうずくまっている。その様子はいたいけな小動物を彷彿とさせた。

 

「腹立たしい程がある。愚図の転生悪魔、無知蒙昧な妹っ! 全てが気に喰わん」

 口から吐き出される言葉は全て俺たちに関するものだ。

 先ほど俺を小突いたくらいでは全く怒りは鎮火しなかったようだ。

 

 しかし、それで自分の眷属に当たり散らすなんて最低だな。

 流石に止めようと思い一歩前に出ようとして踏みとどまった。

 先ほどあれだけ言われておきながら、ここで反抗しようものなら更なる不興を買いかねない。

 

 そうすればお嬢様にも迷惑がかかる。それは許容できない。

 どうにもならない現実に歯噛みし、黙って見ていることしかできなかった。

 しばらく暴力を振るっていたお兄さんだったが、自身のスマホの着信音がすると鼻を鳴らしてから応じた。

 

 さっきの怒りはどこへやら打って変わった猫なで声で話していた。電話が終わると船堀さんに唾を吐いて去っていった。

 船堀さんはゆっくりと身を起こすと校舎に背中を預けて座り込んだ。

 ひとまず脅威は去ったので痛む足で船堀さんの下に向かう。

 

「船堀さん……平気?」

「見てたの?」

「ごめん」

「情けないところ見られたね。でも君も酷い顔」

「さっきいいものを貰いましたから」

「そのようね。お互い今日は厄日ね」

「隣座ってもいいですか?」

「苔の絨毯にダンゴムシと蟻の同居人がいても構わないなら」

「そりゃ賑やかですね」

 よっこらせと隣に座る。

 

「君、治療道具は?」

「生憎と持ち合わせてないです」

「まさかその顔で帰るつもりなの?」

「いやまぁしょうがないかなと」

「だからって……ま、いいや。ちょっと顔を向けて」

 

 船堀さんは鞄から救急キットを取り出して、消毒液やガーゼを取り出した。

「ちょっと沁みるよ」

 ガーゼに消毒液を染み込ませたものを傷口に当てる。

 

「いたたっ」

「沁みるって言ったじゃない。男なんだから我慢する」

 消毒が済むと新しいガーゼを傷口に当ててテープで止めてくれた。

 

「ま、こんなものかな」

「ありがとうございます、慣れているんですね」

「まぁね」

 

 褒めたつもりなんだけど全然嬉しくなさそうだ。

 でもちょっとだけ心の距離を詰められた気がする。

 丁度良かったので依然から訊いてみたかったことを訊くことにした。

 

「いつから、その、お兄さんからああいった扱いを受けていたんですか?」

 お兄さんの様子からしてとても初めてとは思えない。昨日の宴の時といい日常的に振るわれていると見ていいだろう。

 船堀さんは一瞬迷ってから答えた。

 

「私を転生悪魔にしてすぐ」

「それってどれくらい前から何ですか?」

「1年位前から。どうせどういう出会いだったのかっての気になるんでしょ」

 俺は頷いた。

 

「でも、言いにくいことだったら別にいいんで」

「いいよ、もう見られちゃったし」

 船堀さんは空を見上げながら語り始めた。

 

「最初に知り合ったのは大学のコンパ。そこで意気投合して関係を持った。で、あっちの方から悪魔だって明かされて、眷属に誘われて同意した。その時までは普通の人、いえ、悪魔だと思っていたわ。態度が豹変したのはそのすぐあと」

 

 一度言葉を区切った。自分の腕を手でギュッと掴んで俯く。

「ちょっとしたミスをしたの。社交界でね。体面を気にするアイツは私を叱って詰ったわ。それからちょっと気に喰わないことがあると暴力を振るってきた。間もなくして何をしなくても全部私の所為にしてきた」

「そんな……自分の眷属に……」

「さっきの見たならわかるでしょ? あの人はもう私を悪魔となんか認めてなんかいないわ」

「だって、自分で悪魔にしておきながらそんなの変ですよ!」

「それもあの人の気まぐれでしょ、ちょっとした気の迷い。彼あの時酒が入ってたしね」

 

 酔った勢いで眷属にするなんて正気とは考えられない。俺は言葉を失った。

「もうわかったでしょ。あの人と関わるとろくなことにならない、今はまだそれだけで済んでいるけどもっと苛烈なものになってもおかしくない」

「反抗しようとか、逃げようとか思わないんですか?」

「反抗? 逃げる? そんなことしたらはぐれになるじゃない」

 船堀さんは自嘲した。

 

「でも、死んだ方がマシかもね」

「そんなこと……」

「生きていた方が幸せとでも?」

 

 向けてきた視線、その目には深い闇が広がっていた。背筋が凍り付くほどの闇だ。

 彼女にどんな声をかけようとも俺の言葉が全く心に響くことはないだろう。

 何も言えない。でも、俺は気づけばこんなことを口にしていた。

 

「身勝手ってわかっています、でも船堀さんには生きてほしいって思います」

「君って意外にSなんだね」

 そういう船堀さんは、ほんの少しの笑みを浮かべていて初めて彼女の笑顔を見た気がした。

「もう行かなくちゃ。また怒られるから」

 

 立ち上がって衣服を叩く。

「またね」

「はい、また」

 船堀さんを見送って俺は天を振り仰いだ。

 清々しいほどの青空。だというのにちっとも俺の心は晴れなかった。

 

 

 

「はぁ……」

 私、船堀由美は誰もいない新校舎屋上でフェンスにもたれかかって深いため息を吐いていた。

 らしくないことをしたと先ほどの光景を思い出しながら反芻していた。

 月深結真。私と同じ転生悪魔。同じクロセルの名を持つ主を共にしているということ以外には共通点もない。

 

 だというのに私は気づけば自身の身の上話をしていた。人間は当然として他の悪魔にだって喋ったことはないのに。

 これは偏に彼を意識しているからだろう。それは勿論男という意味ではなく1人の悪魔としてだが。

 

「はぁ……」

 再び吐息を漏らす。

「どうしたの? 浮かない顔なんかして」

「あ、浅科さん」

 

 今、私の目の間にいる女性は私と同じルイ・クロセルの眷属で浅科優と言う。

 ライトブラウンの髪をロングストレートにしていて、風に靡くさまはまるで映画のワンシーンのようだ。

 

 加えて目鼻立ちも整っていて、衣服もベーシックなのものではあるがとても似合っている。

 大人びていながら愛らしさもある。どこからどうみても完璧だ。隙がなさ過ぎて嫉妬すら覚えない。

 

「こんにちは船堀さん。今日もいい天気ね。でも屋上はちょっと遮るものがなくて寒いわね」

 風が吹き抜ける度にブルリと体を震わせて腕を摩っている。

 

「なら戻ったらいいじゃないですか。お友達待っているんじゃないですか」

「あら、私は屋上にいるであろうお友達をお誘いにきたつもりなんだけど?」

 友達。その一言に私の胸は弾んだ。

 

 それを悟られないように努めて冷静に言い放つ。

「そう言っていただけるのは嬉しいんですけどあんまり私に構っているとよからぬ噂が立ちますよ?」

「ただ友達と話しているだけで変な風に捉える人を友達何て言わないわ」

「じゃあここにると体が冷えて風邪引いちゃいます」

「悪魔はそう簡単に風邪をひきません。そ、れ、に。じゃーん」

 

 浅科さんはコートの内ポケットから缶コーヒーを取り出して私に放ってきた。

 緩い放物線を描く缶を両手で受け止めた。まだ温かい。勝ったばかりのようだ。

 

「ナイスキャッチ」

 用意がいいことにもう1つ買っていたようだ。プルタブを開けて飲んだ。

 

「こう寒い日はコーヒーに限るわね~」

 実に美味しそうに飲む人だ。だからというわけではないが貰ったそれを私も早速飲んだ。

 

「講義いいんですか?」

「うん、サボタージュすることにした」

「わ……主がよく思わないのでは?」

 

 私のためにやめてください、と言いかけて思い直した私は慌てて言い換える。

「ちょっとぐらい平気よ。それに同じ眷属のためですもの」

 その言葉に私は眉をひそめた。

 

 彼には言わなかったが、私は他の眷属からいじめを受けている。

 それは私だけが転生悪魔だからだ。他は全員が純血であり、眷属の汚点として捉えられている節がある。

 

 ただし、1人だけ私を対等に見てくれる人がいる。それが浅科さんだった。

 彼女だけが悪口を言わないし暴力を振るわない。どころか何かと気にかけてくれて主に露見しない程度に支えてくれていた。

 

 浅科さんがいなければ私はとっくに精神的に潰れていたかもしれない。それくらい恩のある人だ。

 どうして私によくしてくれるのかそれがわからないのが唯一の不満だ。

 

「ごめんなさい。今のはちょっと不謹慎だったわね」

 私の心の機微を察したのか申し訳なさそうにしている。

 

「いえ、気にしていませんから」

「そういえば近々レーティングゲームがあるわね」

 重くなった雰囲気を払拭するように話題を変えた。

 

「このところ負けが続いているし、主に勝利を捧げられるようにお互いに頑張りましょうね」

「頑張る? お互いに?」

 ささくれだった内心を再び抉られたような気がして知らず言葉に棘が芽生えた。

 

「頑張れるのは私以外ですよ」

「でも次こそは」

「次もその次も一緒ですよ。私に活躍の場を与えられるわけないでしょう」

 

 主の私の扱いはレーティングゲームにおいても変わることはない。

 常に私に先陣を切らせる。でも、それは一番槍の名誉を与えられたというわけではなく、罠がないかを確認するための特攻役だ。

 

 明らかに敵が待ち構えているとわかっていながらも吶喊させられる。それがどれだけの苦痛と恐怖をもたらしたか。きっと彼女にはわからないだろう。

 犠牲(サクリファイス)。誰かを囮にして勝利の一手を打つ。正しい戦略だと思う。犠牲になるのがものを考える生きた駒だという点に目を瞑ればだが。

 

「もう期待はしません」

「船堀さん……」

 これには浅科さんもかける言葉を失ったようだ。

 大人気ない真似をした。私は自省した。

 

「すみません。ちょっと言い過ぎました。コーヒーありがとうございました。失礼します」

「待って」

 横を通り過ぎようとして、腕を掴まれた。

 

「まだ何か?」

「私からちょっと提案があるの」

 そういう浅科さんはこれまで見たことのない顔をしていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。