私は夜の街を疾駆していた。夜になると気温はグッと落ちて冷たい風が肌を切り裂かんばかりに吹き付けるが、しかし、そんなことが気にならないほどに別のことに気を奪われた。
一刻も早く主であるアイザック・クロセルの下に行かないと、船堀由美はその一心で目的地である姫駒大学へと向かった。
時刻は23時。この時間にもなると流石に生徒もいない。教職員もほとんどは帰ったようで静まり返っていた。
誰の目をつくこともなく構内に入り、約束の場所である旧校舎の空き教室へと足を進める。
目的の教室に着くとそこには既に先客がいた。
「遅かったな、由美。待っていたぞ」
「アイザック様……」
我が主、アイザック・クロセルは確かにそこにいた。
あれだけの目に会わされて尚、私の心は色めき立つ。
でも、それを表に出すことはせず、冷静さを失わないよう律して表情を緩めることはしなかった。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。船堀由美、只今参上いたしました」
「うむ、それで早速なのだが」
「は、はい」
事前に連絡された内容では私を許す旨と会いたいとのことだった。
まさか、彼の方からそう言ってくれるとは思わなかったのだがどういう心境の変化だろう。
出会い頭に詰るでも暴力を振るうわけでもない。ここまで来るまでずっと疑念ばかりが頭を支配していたけど本当に許してくれるつもりなのだろうか。
僅かながらに甘く淡い期待が顔を覗かせる。その可能性を彼は一瞬にして粉々に打ち砕いてくれた。
「死んでくれないか?」
「え?」
禍々しい光が私の腹部を貫いた。
刹那の出来事に抵抗もできなかった。為すすべもなく倒れ伏した。
倒れた私の頭をアイザックは踏みつけた。
「お前が悪いのだぞ?」
視線を上へと向ける。
彼の革靴が視界の大部分を占めていたが端の方に顔が見えた。
何の感慨もないひどくつまらなさそうな顔をしている。
「あのような力を追い求め、あまつさえ勝ってしまうとはな」
グリグリと靴底を揺り動かす。
腹部の灼けるような激痛も苦しいが、彼に頭を踏みつけられていることが一番苦痛だった。
やめてほしいと許しを請いたいが口を動かすだけの体力もない。だから意味のない彼の言い訳に耳を傾けるしかなかった。
「大人しく捕まって沙汰を待ってくれればよかったのだがあろうことかお前は逃げてしまった。これ駄目だ全くもっていかん」
求めてもいない弁明をベラベラとよくもまぁ喋る。殺すなら早く殺せばいいのに。
「仕方がないからこうして俺自ら出向く羽目になってしまった。本当にしょうがないやつだ。眷属になってからというもののお前は俺に迷惑ばかりをかけて挙句の果てがこれか」
頭の乗せていた足をどけて、私の腹の方に足を差し込むと勢いよくひっくり返した。
「せめて謝罪ぐらいは聞かせてはくれないか? 出なければ俺の溜飲が下がらん」
言いたくても言えないのよ。とにかくおなかが痛いの。お願いだから早く楽にしてよ。
そんな願いが通じるわけもなく、アイザックは嘆息すると穴の開いた腹部に足を乗せて力を籠めた。
圧力によって痛みが増した。
「ぐっ、ぁぁ……」
「喋れるではないか。死んだかと思ったぞ。お前は最後の時まで愚図なのだな。もうよい、出来の悪い下級なんぞに礼儀を求めたのが悪かった。疾く去ぬがよい」
アイザックの右手に魔力が集まる。上級悪魔だけあってかなりの波動だ。間違いなく私を殺すに足る威力。
ようやく楽になれる。私はその時を待って目を閉じた。
――これはあなたの可能性を拡げる力。これをどう使うかはあなた次第。あなたを侮った人たちを見返すことだって夢じゃない。
あの時、確かにあの人はそう言った。
そして、こうも言っていた。
――それからあなたを認めない人を殺すことも。この力なら軽々と上級悪魔を超えることができる。
――いつだってその選択肢があることを忘れないで。
目を開く。迸る光はもうすぐ目の前まで来ていた。
魔力が波となって周囲に広がった。
「な……に……?」
アイザックは疑問の呟きを漏らす。
自身が放った魔力弾は確かに相手を貫くはずだったのに、そうはならなかった。
私は健在だった。
「どういうことだ? いったい何故お前は生きている?」
「わからないの?」
ゆらりと私は立ち上がる。先ほどまで声を上げることすらままならなかったこの私がだ。
「私があなたより強くなったからよ」
腹部の血はもう止まっているみたい。傷も塞がり始めている。
全身が噴き出る魔力が自己治癒力を増幅させているらしい。
「なん、だと……? しかしこの魔力は上級をいや、最上級にすら迫る……?」
ふぅん、今の私はそれほどまでに強くなっているんだ。
前の時も結構強くなっていたと思うけど、2度目になって力がより馴染んできているのかも。
「どうこの力?」
両腕を広げて一歩踏み出す。
これほどの力なら彼も認めてくれるに違いない。今まで私を顧みなかった他の眷属だって。きっと無視できない。
さぁ私を見て。認めて。もっと必要として。
さぁ、さぁ、さぁっ!
「ば、化け物がぁっ!」
魔力弾が放たれ直撃する。けれども湧き出る魔力が鎧となって弾いた。
抵抗されるとは思わなかったけど、そんなことはどうでもいい。彼は今私のことを何ていった?
「化け物? 私が?」
「お前意外に誰がいる、この化け物がっ!」
どうして彼がそんなことを言うのかわからない。
あなたのために強くなったはずなのに。これだけ強ければレーティングゲームにだって簡単に勝てる。
勝利すればあなたの役に立つ、だから私が必要なはずでしょう?
だから、そんなに遠くに行かないでよ。
「ば、馬鹿な!?」
アイザックが展開しようとしていた転移魔法陣を魔力でもって押し流す。
これで彼はどこにも逃げること出来ない。
「く、くそっ」
魔力弾が幾重にも放たれる。しかしそのどれもが魔力の鎧を貫通することなく霧散した。
「来るな、来るなぁっ!」
もう、うるさいなぁ。
あんまりにもしつこく抵抗するのでちょっと強めに彼の右手首を握る。
ボキリと嫌な音がして手があらぬ方向に曲がった。
「っあああああああ!?」
アイザックが大袈裟に悲鳴を上げた。少し力加減を誤ったようだ。
それにしてもなんだって彼はこれくらいのことでいちいち声に出すんだろう。
私はもっと痛くても叫ぶなと命令したくせに。
これはちょっとお仕置きが必要かな。今度は右の足首を握ってみた。
「ぎゃぁぁあああああ!!」
「アイザック様。殿方がこれくらいのことで悲鳴を上げてはいきませんよ?」
だけどアイザックは聞く耳を持たない。終いには泣きじゃくる有様だ。
「たす……たすけてくれ……たのむ」
これが上級悪魔? なんて無様な姿なんだろう。
「駄目じゃないですかアイザック様。お願いするときは敬語じゃなきゃ」
いつだって私にはそれを強いてきたくせに。
これは罰が必要だ。左手首を握り締める。
骨の折れて、肉に折れた骨が食い込み軋む音がした。
「ゆ、ゆるして……くだ、さい」
「まだまだですよアイザック様。お願いするときは誠意を見せるために頭を下げろって言ったじゃないですか」
えい、お仕置きです。
拳骨を作って左の足首に向かって振り下ろした。
肉が裂けて血が飛び散った。
「ん~~っ!!」
声にもならない絶叫をあげるアイザック。
いいですよ、その顔。私は笑いが止まらなかった。
あら? 気付くと彼は倒れたまま動かない。死んではいない。痛みのあまり気絶してしまったようだ。
いけない人だ。話はちゃんと最後まで聞けと気絶すら許さなかった彼がそれを守ることができていない。
けど罰を与えようにもいろんなところの骨を折ってしまった。さて、次はどうしようかな。
出来の悪い主なのだから、こんな人いない方がいいかも? なら命を貰おうか。
手に魔力を集める。当たれば全身に行き渡って内部からぐちゃぐちゃに壊してしまう魔力だ。
彼の終焉に相応しい一撃だ。せめて華々しく送ってあげようと時間をかけて生成していた。
「……だれ?」
集中していたところに水を差すように気配がした。
「船堀さん……?」
「なんだ君か」
そこには結真がいた。
大学構内に侵入して早々地響きのようなものがしたので駆け付けてみるとそこは惨劇が繰り広げられていた。
てっきりお兄さんが船堀さんのことを襲っているのかと思っていた。
しかし、その実態は違った。目の前の光景が信じられず呆然と頭に思い浮かんだ名を呼ぶ。
「船堀さん……?」
そして、その人は振り向いて応えた。
「なんだ君か」
そこにいたのは船堀さんだった。
しかし、本当に船堀さんなのだろうか。
全身から迸る魔力もそうだが、何よりもその姿だ。半分ほど人の形を失っており、身体の各所の筋肉が異様に盛り上がっていて爬虫類を彷彿とさせるような鱗が肌を覆っているし、片目もあれは猫? いや、蛇のそれに近い形状をしている。
名前を呼んだのだってほとんど勘だった。初見で彼女とわからない。とにかくそれくらい不気味だった。
どうしてこんなことに。呼び出したお兄さんが船堀さんを襲うことは容易に想像できたが、逆に船堀さんがお兄さんを追い詰めているとは想像の埒外だ。
「船堀さん、これは一体どういう状況なんですか」
船堀さんの様子の所為で反応が遅れたが、お兄さんが血塗れで倒れているというのも十分驚愕に値することだ。
とはいえ、状況からなんとなく察することはできる。船堀さんが例の違法ドーピングとやらの力でパワーアップしてお兄さんを倒してしまったのだろう。
なので推察することは難しいことではないが、目の前のことに頭がパンク寸前になっていてどうにも心を落ち着かせられる時間が必要だった。
「ああ、これね。うん、アイザック様を殺そうと思ってね」
吐き出された言葉は俺を更なる驚愕の谷底へと突き落とす。
同時に彼女の精神が正常のものではないことも理解した。
常軌を逸している。船堀さんはお兄さんのことを想っていたはずだ。勿論日々のストレスから殺してやりたいと思ったこともあっただろう。
でも、こんな殺害しようと行動に移せるレベルだったとは考えにくい。あの力が彼女の心の箍を外してしまったと見るべきか。
「らしくないですね、好きな人を殺そうだなんて」
「そうかな? でも安心してよ君も直ぐに殺してあげるからさ」
何処に俺を殺すことに安心できる要素があるのか。会話のキャッチボールもまともにできないぐらいに平常心は失われているようだ。
「穏やかじゃないな船堀さん。何があなたをそうさせているんだ?」
「待っててね。アイザック様はもう殺すからさ。次は君の番だから。その次は黒瀬様だよ」
無茶苦茶だなおい。支離滅裂な発言だが俺に向けてくる殺意は本物だ。それとお嬢様に向けるものも。
これじゃ戦いになる。なんとか会話を繋げないと。
「悪いけど船堀さんと戦いたくないんだ。落ち着いて話でもしない?」
「まったくうるさいなぁ。はやく殺してあげるいってるじゃん」
殺気! 感じた瞬間には弾かれたように体は横っ飛びに動いていた。
俺が先ほどまでいたところを魔力弾が駆け抜けていった。
それは壁を貫いてその先の雑木林まで速度が衰えぬまま向かっていき、爆発した。
あ、危なかった。避けられなかったら体が蒸発していた。それにこれが日中だったなら一般人も巻き込まれていたかもしれない。
もしかしたらを想像してゾッとする。
まさか、彼女が周りのことを全く考えず乱暴に力を振るってくるとは。
話し合うために来たのであって、戦うために来たんじゃない。けど船堀さんがその気だというならこれはいよいよ俺も覚悟を決めないと。
「変身ッ!」
右手に神器を現出させる。
相も変わらずくすんだ黒色の籠手。どんな能力を有しているのかさえもわからないが、頼れるのはこいつしかない。
「頼むぜ相棒」
一度籠手を摩って、船堀さんを直視する。
「次に殺してあげるって言っているのに、戦る気なの?」
「ああ、そんなおっかない魔力を出されていたらおちおち話し合いもできないからな」
やると決めたからには速攻あるのみ!
先手必勝で飛び出す。無謀にな船堀さんに思いっきり右拳を食らわせた。
だが、返ってきた感触はコンクリートでも殴ったかのような硬いものだった。
全然衝撃が伝わった気がしない。対する船堀さんも痛痒などないようでケロッとしている。
直後、殺意のすべてが俺に向けられる。背筋が凍り付くかのような悍ましい気を全身に浴びる。
魔力弾が来る。当たれば絶命必死の一撃だ。俺はなんとかバックステップを踏んで躱すと距離を取った。
直後、船堀さんから放たれた魔力弾は直前まで俺のいた場所に着弾し大きな穴を作り上げた。
今のは危なかった。迫りくる死の予感を肌で感じながら再び構える。
「今の何? まさか攻撃したつもり?」
船堀さんが嘲笑を浮かべる。
痩せ我慢じゃないだろう。本当に効いてない。
思ったほど以上に固い。これは正面からじゃ分が悪いか?
再度、突貫。ステップを踏んで右に行くと見せかけて左に回り込み背後をねらう。
狙い通り俺は船堀さんの背後を取ることに成功した。
背中ならどうか。渾身の右拳を見舞う。
だが、返ってきた感触に俺は歯噛みした。コンクリートをも穿つはずのパンチが全然効いていない。
よろめくこともなく、落ち着いて視線を巡らす船堀さん。
俺は慌てて距離をとった。船堀さんは余裕があるのかあちらから攻撃を仕掛けてはこない。
十分な距離を取って相対する。
ほんの二撃与えただけで随分と息が上がっていた。肉体的というより緊張から来る精神的なものだ。
船堀さんから視線を逸らすことなく大きく息を吐いて吸ってを繰り返して整える。
しかし、思ったほど以上の難敵だ。迸る魔力は余すことなく鎧となって全身を包んでいてとても堅牢だ。加えて何気なく放たれる魔力は一撃で命を刈り取れるときた。
「最強すぎんだろ」
思わず言葉が漏れる。攻守ともに隙が無さすぎる。
このまま攻勢を続ければ少しは攻撃が効くようになるのだろうか。
一発貰っただけで命が吹き飛ぶ状況下での持久戦はしんどいなんてもんじゃない。
「それでもやってやるさ」
倒すためではなく、救うために俺は戦う。
簡単にいかない戦いだ。何といったって今の船堀さんは俺の遥か上を行く力を持っている。
そんな格上の存在と戦う術を俺は宗方さんから教わっていた。