ハイスクールDxD Lane Age   作:楓栞

47 / 49
46話

 次の日、昨日の約束通り古河さんとの特訓が始まった。

 まずは走り込みからだ。

 トレーニングルームとなっている居室の端から端までを行ったり来たりして走る。

 

 ただそれだけのことなのだが、それが何十周ともなれば別だ。

「あの、これ、はあっ……いつまで続ければいいんですか?」

「私がいいというまでだ」

 

 俺のすぐ後ろをピタリとついてくる古河さんに聞くとこう返してきた。

 彼女がそういうからには本当にその通りなんだろうがまったく躊躇なく言うあたり鬼軍曹である。

 

「おい、さっきより足が遅くなっているぞ。私に追いつかれないように走れ」

 加えてこれだ。追いつかれないように走れ?

 最初からちぎるつもりで走っているというのに、古河さんは余裕で追いついてくる。

 

 更には息も絶え絶えなこちらと違い、全く息を切らしていない。

 さてはこの女体力お化けなのだろうか。いくら互いに悪魔と言えど数えるのも馬鹿らしくなるほどに走っていれば限界はくるはずなのに。

 考え事をしていると背後から檄が飛んできた。

 

「返事はどうした、月深!」

「はい、すみません!」

 軍の訓練兵のごとく、腹の底から声を出すと丸太よりも重たく感じる腿を精一杯持ち上げて床を踏みしめる。

 

 それからどれほど走っただろうか。ようやく、古河さんから止めとの声をもらった。

 その言葉を聞いて俺はその場に倒れこんだ。

 

 足は棒になったようだし、汗は滝のように流れ視界は明滅している。

 俺が自覚できるのは聴覚だけであり、次に俺が耳にしたものは幻聴だと疑いたくなるものだった。

 

「次は腕立て伏せだ」

「はぁっ……はぁっ……」

 肺が苦しい、息ができないから声が出ない。

 

「さっきと一緒だ、俺がいいと言うまで続けろ」

「はぁっ、はぁっ、今、から……ですか」

「当然だ」

 

 殺す気か、言いかけて口を閉ざす。そんなことをいってもどうにもならない。

 やるしかないんだ、それが強くなるための一番の近道だ。

 

 最後に大きく息を吐くと、床に手をついて言われた通り腕立て伏せを始める。

 全身に重くのしかかった疲労からか腕はプルプルと小鹿のように震えておりほんの数mm腕を沈めただけで崩れそうになった。

 

「なんだそれは、腕立て伏せのつもりか?」

 鬼軍曹め。

「すみません、すぐやります……」

 とは言ったものの最初から限界である。

 

 気力を振り絞って最早根性だけで腕立て伏せを行う。

 たっぷりと時間をかけて一回、また一回と回数を重ねていく。

 永遠とも思える時間をかけてどうにか今日の特訓は終わりを告げた。

 

 

 それからも特訓続きの日だった。

 来る日も来る日も走って、腕立て伏せをして、腹筋をしたりと筋肉トレーニングに励んだ。

 

 最初のころは体力的に厳しいものがあったが、回数を重ねてくると慣れが出てきた。

 恐ろしいものであれほど辛いと思った特訓中にも少しずつ余裕が出てきたのだ。

 

 「あの、古河さん。ちょっと聞きたいんことがあるんですけど」

 走り込み中ではあるが幾分余裕があったため、背にいる古河さんに話しかけてみる。

 なんていたって走っている間ずっと暇なのである。

 

 走り込みの当初は話す余裕なんて微塵もなかったが、今は違う。

「なんだ」

「古河さんっていつからここに、ストレイブラッドにいるんですか」

「藪から棒だな」

「すみません、ただの興味本位なんで言い辛かったら大丈夫です」

「そうだな、大した話でもないし面白くもないが構わないか?」

「はい」

「そうだな、どこから話したものか……まぁ、最初から話したほうが早いよな」

 訥々と古河さんは語りだした。

 

 

 古河牧子は悪魔と人間とのハーフだ。

 父親が悪魔で、母親は人間。

 2人の出会いは碌なものじゃなかった。

 

 一目見て母を気に入った父は魔術で母を拐かすと半ば強引に関係を構築した。

 そして、間もなくして母は子を身籠った。

 父はそれを知ると母を見捨ててどこかへ消えた。

 

 残された母は1人で子を産み育てた。

 貧しい暮らしだったと牧子は記憶している。毎日の食事にすら事欠く有様で、時に母は何も食べず牧子に自分の分を与えた。

 

 2人でなんとか日々を生きていた。そんな折、転機が訪れた。

 母は人間の男と再婚したのだ。

 それもそこそこに裕福なようで生活は劇的に改善された。

 

 きちんとした食事を三食食べられるようになり、清潔な服を着られるようになった。

 夢にまで見た生活を手に入れ幸福な日々が始まった。

 程なくして、新しい父と母の間に子供が生まれた。

 

 新しい家族を加えて毎日が幸福な連続だった。

 いつまでも続くかと思われた日々はあっけなく崩壊した。

 発端は牧子だった。ある時から牧子は悪魔の能力が発現するようになった。

 人よりも力が強くなって、見えないのが見えて聞こえないものが聞こえるようになったのだ。

 

 それはどんどんと抑えられなくなっていた。

 ある時、牧子が悪魔の羽を広げてしまったところをあろうことか新しい父に見られてしまう。

 新しい父は牧子を化け物と恐れ、その化け物を生んだ母のことも恐れた。

 

 たった一日で幸せは儚く崩れた。

 母と牧子、それと生まれたばかりの赤ん坊だけが取り残され、何もかもが後戻りとなった。

 

 母は牧子を責めるようになことは何も言わず気丈に笑って見せた。

 牧子のせいで何もかもを失ったというのに。

 環境の不満と自責の念に駆られ、牧子は精神の均衡をとれなくなった。

 

 牧子にはもう一つの秘密があった。それは人間の血が混じっているがゆえに神器を所有していたということだ。

 それも凶悪な神器を。

 

 それでも普通ならばその凶悪さが露見することはなかった。普通ならば。

 神器とその所有者は肉体的にも精神的にも密接な関係にある。

 正常な状態ならいざ知らず、まともではない精神状態で発現すればどうなるか。

 

 多少の差異はあれど結末は一緒である。

 神器はその予想を違わず暴走を始めた。

 自らを巻き込み、暴走を始めた牧子だったがピタリとそれは止んだ。

 

 母が犠牲になったのだ。

 きっと何が起きていたのかわからなかったに違いないのに、母は赤子共々命を投げ出し暴走を止めた。

 

 辛くも生き残った牧子だったが、そこには母も赤子もいなかった。

 それが11歳のこと。

 1人となった牧子は、当然寄る辺もなく法の及ばない仄暗い場所で生活を送った。

 

 およそ人の生き方ではないが、完全な人でも悪魔でもない自分には相応しいとそれを受け入れていた。

 だが、半分が悪魔であることは紛れもない事実であり、いつからか悪魔狩りに襲われるようになる。

 

 無論、抵抗し逃走を図った。

 けれどもそんな生活が長続きするわけもなく、遂に牧子は追い詰められた。

 万事休すと思われた瞬間。

 

 

「ボスに出会ったんだ」

「ボスというと先日、話に合った上司ですか」

「ああ、俺はあの人に拾われて救われた。ボスに会ってからはそのまましばらく下について後はストレイブラッドに合流してって感じだな」

「そうだったんですか」

 

 大した話ではないとのことだったが、想像以上に凄絶なものだった。

 彼女が口にする言葉全てに虚偽の物とは思えない真実味が伴っていたのもあって正直かなり衝撃を受けた。

 

 今の心境をうまく言葉では言い表せず俺は何と答えたものか迷う。

 それを察したのか古河さんが機先を制す。

 

「すまん、ちょっと重たかったな」

「いえ、俺の方から聞いたので……」

「全部過去のことだ。私に同情するもしないもお前の自由だし、無理に言葉にしなくてもいい。何が言いたのかというと気にするな、ということだ」

「……はい」

「ちょっとばかり喋りすぎたな。足元が疎かになっているぞ」

「はい、すみません」

 

 本当ならボスの情報を探りたいところだが身の上話をしてもらった上で聞くのはちょっと忍びない。

 また機会はやってくる。今は特訓あるのみだ。

 それ以上は何も言わず黙々と足を動かし続けた。

 

 

 相も変わらず特訓は続いていく。

 気づけば目た目にも変化が訪れた。

 贅肉は削げ、全身が引き締まって筋肉がついた。

 

 今では走り込みだって、腕立て伏せも楽勝である。

 最初こそ苦しかったが、最近では見た目にも変化が出てきたからか少し楽しくすらあった。

 今日も今日とて特訓が始まる、かと思った矢先。

 

「今日は走り込みはいい、神器の訓練だ」

「神器っていうと、これですか」

 右腕に神器を発現させる。

 

「そうだ、お前、それを使いこなせていないだろ」

「よくわかりますね」

「最初に戦った時に真っ先に出すべきなのに、出したのは最後だったからな。自分でも信用していないか、十分に使いこなせていないかのどっちかしかないからな」

 ここまでバレているのであれば嘘を言ってもしょうがないだろう。俺は正直に話すことにした。

 

「仰る通りです、俺は神器を使いこなせていない。いえ、これが何なのかすらわからない」

「ふむ、見たところ龍の手(トゥワイス・クリティカル)に見えるが?」

「最初のころは倍化が発動していました、けどいつの間にか倍化じゃなくて全く別の能力が発動するようになりました。発動条件も能力もわからずで……」

「なるほど、亜種といったところか。最近はよく見かけるらしいと聞くが……まぁいい」

 

 古河さんはポケットから小瓶を取り出した。

 中には錠剤が入っているため、薬のようだ。

 

「それは?」

「簡単に言うと肉体と精神を分離するための薬だ、今からこれを使ってお前には神器と対話してもらう」

「対話をする? いまいち話が見えないんですが……対話をするとどうなるんですか?」

「対話をしてみないことには何ともだな、だが、神器っていうのはお前が思う以上に一筋縄ではいかないもんだ。だからこそ話し合って理解するんだ。それが最も遠くて一番早い」

 

 小瓶の蓋を開けて錠剤を取り出すとこちらに差し出してくる。

 俺が掌を差し出すと、錠剤を一粒落とした。

 

「先にもいったがそれを飲むと肉体と精神が分離する、服用して間もなく酩酊にも似た感覚に襲われるから強く神器を意識しろ、そうすることで神器の深奥にいける」

「いってどうするんです」

「行けば分かる、何をどうしたらいいのかもな。今回ばかりは無理強いしない。嫌なら拒め、覚悟が決まったならば飲め」

 

 古河さんは2歩下がって腕を組んだ。

 どうするかはこちらに完全に任せるつもりのようだ。

 俺の右腕にある神器に視線を落とす。

 

 今よりもっと強くなりたいと望むならこの力から目を背けることはできない。

 やるしかない、か。幸いにも錠剤は小粒である。これなら水もいらなさそうだ。意を決すると俺は錠剤を口に含み嚥下した。

 

 飲んだ直後は、特別これといった変化はなかった。

 3分くらい経った頃だろうか、眩暈にも似た感覚に襲われた俺は立っていられなくなり壁に背を預けて座り込んだ。

 そうこうしていると視界が歪んだ。

 

「気を緩めるな。神器に、右腕に意識を集中しろ」

 どこからかそんな声がした。

 

 上からか下からか方向はわからないが、その声に従って右腕にあるはずの籠手を脳裏に浮かべた。

 ぼんやりとした意識の中、急に冷水を浴びたかのように思考がクリアになった。

 暗く昏い世界がずっと先まで続く光景が広がっていた。

 

 重力がないようで体はフワフワとして安定しない。足場もなく手足をバタつかせても空を掻くばかりだ。

 (ここは……)

 ハッとなり口元に手を当てる。

 

 声がでない。当然だろう。ここは現実の世界ではないのだから。

 ここはそう、神器の中の世界だ。

 (古河さんの言う通り本当に来れたんだ)

 声は出ないがその代わりなのか、心の声ともいうべき思考が波となって広がっているそんな気がした。

 

 しかし、なにもない場所だ。

 見たところただ暗い場所としか思えない。

 古河さんは行けばわかるというが一体どうわかるというのか。

 そういえば対話をしろって言っていたはずだ。

 

 よくよく考えれば突然押し掛けたのだから、なにか挨拶くらいはあった方がいいだろう。

 (こ、こんにちはー!)

 果たしてそれが通じるのかわからないが腹から声を出すかのように呼びかけてみる。

 変化は何もない。静寂だけが重くその場を支配している。

 

 (ここじゃないのか……?)

 そんな疑問がもたげてくる。

 ここが一番奥だと思っていたがその実ただの入り口だとするならばどうだろうか。

 可能性としては挙げられる。

 

 (でも、そうだとしてどこへ進めばいいんだ。この世界に上下や左右の概念はないように見えるんだが……)

 そんなことを考えてうなっていると、ふと閃くものがあった。

 俺はここに来るとき神器を意識することでやって来ることができた。

 

 もしも、意志の力で自在に行き来できるとするならば、更に念じることでもっと先へと進むことができるのではないか。

 やってみる価値はあるかもしれない。

 

 目を瞑ったつもりになって精神を集中させる。

 もっと先へ、もっと奥へ。深く沈みこむような感覚をイメージする。

 するとどうだろう。気づいたら先ほどとは全く違った光景がそこにはあった。

 

 今度は白い空間だ。先まで真っ白の空間に黒い椅子が一つあって、こちらを背を向ける形で子供が腰かけていた。

 直感する。この子こそがこの世界の本質であると。

 

「こんにちは」

 声ではない声を口に出す。

 その子は背を向けたまま何ら反応を示さない。

 

 無視、か。

 俺には興味がないということなのだろうか。

 何にせよ何の結果も得ないままにおめおめと引き返すわけにもいかない。

 

 声をかけ続ければ何か反応をもらえるかもしれない。

 どうやらこの世界では地に足がつくようなので回り込んで、今度は正面から声をかけようとして俺は息を呑んだ。

 

 いや、正確には息を呑む喉も肺もないのだが、とにかくとても驚かされた。

 何故なら、その子はあまりにも不気味だったからだ。

 白髪のその子は顔のパーツが欠けていたのだ。

 

 真っ白なのっぺらぼうの表面に、目と口に当たる部分に真っ黒な穴が空いている。

 それ以外の腕や足といった部位はあるようだが、動かす様子もなくジッと身じろぎもせずここではないどこかにその顔を向けていた。

 

「これ、意志疎通できるのか……?」

 古河さんは対話しろと言っていたがとても通じそうには見えない。

 殴ったり蹴ったりすればまた違った反応が得られたりするのだろうかとも思ったがどうにもそういう気にはならない。

 

 見た目が子供だからかそれとも、何か引っかかるものがあったからか。

 そう俺は目の前の子供と出会った時から違和感を覚えている。

 初めて会ったはずなのに、まるで初めてとは思えないのだ。まるでかつて出会ったことがあったかのような……。

 

「俺とお前はどこかで出会ったことがある……?」

 その時、子供が俺を見た。目がないのに、表情は全く動いていないのにそう感じた。

「お前は誰だ」

 聞いたのは好奇心からではなく恐怖からだ。

 

 肌が粟立つような感覚に突き動かされて聞かずにはいられなかった。

「お前は――」

「――俺だ」

 答えたのは子供ではない。視線を巡らせども誰もいない。

 

 子供と俺意外には。

 どこからともなく聞こえた声は紛れもなく俺の口から発せられたものだった。

 気づけば、俺の視界は低くなっていた。

 

 俺は気づけば俺ではなくなっていた。

 そう、俺は誰でもなかったのだ。

 そこまで理解したところで俺は絶叫した。

 

 俺は俺ではない。自分は自分ではない。

 男でもない、女でもない。

 大学生ではない、高校生ではない、中学生ではない、小学生ではない、幼稚園生ではない。

 老人ではない、大人ではない、子供ではない、幼児ではない。

 それから、それから、それから――人間でもなかった。

 

 

 

 深くて昏い場所でそれはずっと沈んでいた。

 死んだように眠るように。

 何物でもない、それはこれからもそうであるはずだった。

 あの瞬間まで。

 遠く黄昏の空を泳ぐように軽やかに飛翔する存在がいた。

 大地を飲み込まんばかりの羽を広げて、彼方の次元へと消えていく。

 初めて見たその光景はあまりに綺麗で完全に消えてなくなるまでその姿を追い続けた。

 いつまでも、そして、これからも。

 あの■■の■を。

 

 

 

「うわぁぁぁぁっ!!!!! ぁあああっ!! あああああ!!!???」

「っ! 月深!? おい月深!?」

 俺、古河牧子は突然の事態に困惑していた。

 

 月深結真が神器に潜り込んでいる間、俺は月深の状態をすぐそばで見守っていた。

 何かあった際に俺がこいつを守る必要があるからだ。

 不測の事態に備えて、待機すること早7時間。

 

 ここまでは概ね安定した状態だ。通常ならここいらで意識が戻ってくるはず。もしも、10時間以上戻ってこないのであれば強制的にたたき起こす必要もあろうがこのままの状態で推移するのなら問題はあるまい。無論、油断するつもりはないが。

 

 おそらくは何も得られず戻ってくることになるだろうが、神器の付き合い方で最初に肝心になるのは互いが互いを意識することである。

 一方通行の関係では神器とは正しく付き合えない。そのためのファーストコンタクトだ。

 

 含みを持たせた物言いをしたから、月深の性格からいって、きっと残念そうにするだろうが起きたらそれでいいのだと教えてやらねばならない。

 そう思っていたのに、変化が訪れたのは間もなくのことだった。

 

 月深は突如目を見開くと、体を震わせ始めた。

 まるで壊れたおもちゃのように跳ねらせて、うわごとを呟き始めると次に爪を立てて腕や足の肌を掻きむしり始めた。

 

 これはまずいと判断し俺は月深を抑えたが、とんでもない力で暴れるものだから抑えるだけで手いっぱいになっていた。

「一体どうなってやがる、なんだってこんな……!?」

 

 完全にこれは予想外である。肉体と精神を分離して、神器に潜り込ませる以上危険が孕むの常ではあるがここまで暴走するのは見たことがない。

 あの薬には暴走を抑制させる成分があるというのに。

 

「まさか……薬じゃないならあの神器のせいだというのか」

 初めて見た時から龍の手というには異質なのものは感じていたが、単に亜種であるという認識でしかなかった。

 

 「こんなことになるとはな……」

 自身の迂闊さに呆れつつ、今は目の前のことにただ集中することに意識を傾ける。

 今も月深は暴れ続けており、収まる気配はない。

 

 このまま時間が過ぎれば落ち着いてくれるという考えはちょっと甘いだろう。

 落ち着くその前に月深が死ぬ。そんな予感がある。

 手を打つ必要がある。そうでなければ死んでしまう。

 

 どうするべきか思考し、1つ思い当たるものがあった。

 今回のケース。神器が影響しているのだと仮定してみよう。

 月深が暴れていることを鑑みるに月深は今、神器と力比べをしているのではなかろうか。なぜそうなったかはひとまず脇に置いておこう。重要なのは現状なのだから。

 

 現状を例えるならシーソーゲーム。ゆらりと均衡は傾き、どちらが最後の勝者になるか上下し続けている。

 しかし、揺れ動き続けられるのも今だけ。恐らくはいずれ神器の方に軍配が上がる。

 

 何しろ月深は精神だけで自身を保ち続けているのだ。力の塊といっても差し支えない神器、それも未知の存在となれば勝ち目薄だろう。

 けれども、そこに第3の要素が加わればどうだろうか。

 

 勝てずとも負けないことはできる。

 そのためには神器の力を削る必要があるのだが、幸いなことにそのための手段を俺は持っていた。

 

 気は進まないが月深を守るためだ、やるしかない。

 俺は月深の右腕、そこにある神器に手を添えると自らの神器を発現させた。

 神器、聖なる果樹園(セイントツリー)は意志通りに発現した。金属のような籠手でありながらわずかな隙間から小さな植物の芽が覗かせる。

 

 芽はすくすくと成長し籠手に絡みつく。

 太く縄のように成長し尚伸びていく一方で徐々に月深の動きが鈍くなっていった。

 息は上がり唇が渇きひび割れていく。

 

 見るからに干からびていく月深だが当然その理由は、俺の神器である。

 聖なる果樹園(セイントツリー)の正体は植物型神器だ。任意の対象に種子を埋め込むことでそれを宿主として栄養を吸い取り成長する。

 

 例えるならばばヤドリギのようなものなのだが、吸い上げる栄養は単に水分や土壌に含まれるような栄養素に留まらない。

 魔力や天使が扱う光の力すらも栄養の対象となる。

 

 根を張る対象を選ばない凶悪な植物、それが聖なる果樹園(セイントツリー)なのだ。

 今回も例に及ばず、聖なる果樹園(セイントツリー)は月深の神器を宿主として力を奪っている。

 

 その過程で月深からも力を奪ってしまっているようだが、不可抗力だろう。

 月深が力尽きる前に神器の方が力尽きる、調整は完璧だ。

 程なくして、月深は完全に暴れるのをやめた。呼吸も落ち着いており、神器の呪縛から解き放たれたと考えていいだろう。

 

「ふぅー」

 床に腰を下ろし、どっと大きく息を吐く。

 一時はどうなるかと思ったがなんとかなったようで一安心だ。

 大分力を奪ったから当分は目を覚まさないだろうな。

 

 それにしても改めて考えてみると色々と不可解だった。

 そこら辺も含めて後で色々と聞かせてもらうことになるだろう。

「あー、疲れた」

 それまでは俺もゆっくりと休ませてもらうとしよう。

 

 

 

 最近天井ばかり見ているか気がする。そう天井を見ながら思う。

 なんとなくの感覚で気絶していたのだと経験から悟っていた。

 最後に覚えているのは神器の中に入ったことだけ。そこで何かを見たような気がするのだがどうにも靄がかかったように判然としない。

 

 それからどうなったのかもやはりわからない。

 古河さんに聞いてみたいがどういうわけか体が怠すぎて動けない。起き上がることすらもできない。全身に重りでも背負っているみたいだ。

 それでも動こうとしたら横を向くこと出来て、でもそのままの勢いでベッドから転落した。

 

 ドシンと鈍い音を立て強かに体を打ち据える。

 と、ドタドタと足音がしたかと思うと部屋のドアが勢いよく開け放たれた。

 小山内さんだ。慌てた様子で部屋の中の様子を確かめ、床に転がっている俺に気付くと駆け寄って体を起こしてくれた。

 

「大丈夫ですか、月深さん」

「ええ、おかげさまで」

 続くようにして倉前さんや古河さんがやってきた。

 小山内さんと同様に俺の名前を呼んで傍まで寄ってくる。

 

「大丈夫かい、月深君」

「無事か月深」

 心配そうにのぞき込んでくる顔を見て俺は返事を返す気力もなく弱弱しく笑みを作った。

 

「ひどく衰弱しているね、とにかく横にしてあげよう」

 倉前が言うと小山内さんと古河さんの3人で俺をベッドに戻した。

 

「目を覚ましたようで何よりだよ月深君、ああ、無理して返事をしなくていいよ」

「そうです、ゆっくりしてください月深さん」

 普段だったら一にも二にも同意しただろうが、今回ばかりはそうもいかない。

 一度大きく息を吸うとなんとか言葉を絞り出す。

 

「ふ、るかわ、さん」

「ああ」

「なに、が?」

 

 何があったんですか、と問いたいがそこまで言い切る力もなく大分簡略した物言いになってしまった。

 幸いにもそれだけで古河さんには通じたようだ。

 

「わかった、だが、その前に今のままじゃ不便だろ。待ってろちょっと用意してくる」

 古河さんがそう言い残して部屋を出ていく。

 程なくして戻ってきた小皿を手にしていた。

 

 古河さんは小皿を一旦脇に置くと俺を抱き起した。

 それから皿の上に盛られていた何かを匙で掬い取り、俺の口元に寄せた。

「果実をすりおろしたものだ、食え、元気が出る」

 色味や風味は林檎にも似ている、危険そうなものには感じられなかったのでそっと口に含んだ。

 

 瞬間、頭から足の先まで痺れるような衝撃を覚えた。

 もちろんその表現は比喩だ。実際にそんな感覚が走ったわけではないが、しかし、覚えた衝撃はそうとしか例えようのないものだった。

 端的に言って口にしたそれは非常に美味だったのだ。

 

 これまでに感じたことのない豊潤かつ旨味の洪水が舌の上を駆け抜け喉を滑り落ちる。

 一瞬の出来事に俺は硬直し、古河さんが持っていた小皿を奪い取ると、皿を傾けて一気に飲み込んだ。

 

 さっきの味は決して気の迷いではなく、先よりもより鮮明にそれは俺を満たした。

 まだ足りない、でも、皿に盛られた分はもうない。あまり用意はされていなかったようでたったの一口で食べきってしまった。

 

 あんなに美味しかったのだからもっと用意してくれてもよかっただろうに。

 仕方なく俺は更に残った汁を舌で舐めて掬い取る。

 

「コホン」

 古河さんが空咳を打つ。

 ハッと我に返ると俺はバツの悪そうな顔を浮かべて小皿を脇に置いた。

 

「どうやら元気は取り戻したようだな」

「あはは……どうも」

 これは恥ずかしい。いくら美味しいとはいえ皿まで舐めるとははしたなさすぎる。

 

「元気になったか?」

「え、あっ」

 

 言われてようやく俺はあれほど重くのしかかっていた怠さが消えていたことに気付いた。

 どころか今からでも走り込みができそうなくらいに快復している。

 

「すごい、さっきの果実のおかげですよね。一体なんなんですかあれ」

「薬用効果のある悪魔用の果実だ」

「そんなのあるんですか、いったいどこで手に入れられるんですか?」

「希少なものでな、どうやって手に入れたかは秘密だ」

「そこをなんとか!」

「そんなことより、気になっていたことがあるんじゃないか?」

「それは……そうでした」

 

 あれほど美味しいものであればいくら大金をつぎ込もうと惜しくはない。

 また是非食べたいものだが、秘密というのであれば仕方がない。この話はまた今度にしよう。

 確かにそっちよりも済ませるべきことがある。

 

「すみません、改めて何があったかお聞きしてもいいですか」

「何がといっても特別何かあったわけじゃねえ、お前が薬を飲んで7時間くらいした後に突然暴れ始めた。明らかに神器が暴走を始めた傾向があった」

「暴走……」

 全く覚えがない。

 

「その様子から察するに何が原因かもわからないとでも言いたさそうだな。だが、お前は確かに神器の中に入って何かを見たはずだ、何でもいい覚えていることはないか」

 覚えていること、そうだ、俺は見たはずなんだ。強い感傷を覚えたはずだ。

 なのに、その正体を思い出せない。わかることがあるとすれば。

 

「何かとてつもなく大きくて強大なものをみた、ような気がします」

 僅かに印象に残っているものがあるとすればそれくらいなものだ。

 

「随分と抽象的だな」

「彼の神器にはそれだけ強大な存在が封印されているということかしら」

「龍の手(トゥワイス・クリティカル)だぞ、いくら亜種かそれに類するイレギュラーだとしてもそんなことがあり得るのかよ」

「ふむ、彼の奥底にある渇望が心象として現れたというのはどうだい?」

「うぅん、考えられなくもないけど確実なことは言えないわね」

 

 俺を他所に、倉前さん、小山内さん、古河さんはあーでもこーでもないと議論を交わしている。

 神器に疎い俺はその内容に全くついていけずただ茫然としているほかなかった。

 やがて、収拾がつかなくなったのか議論を打ち切ると、今日はゆっくりと休むようにと念を押して出ていった。

 

 古河さんのくれた不思議な果実のおかげで怠さは完全に消えており、ついでに眠気も完全に失せている。

 このまま横になってもいいのだがとても寝られそうにもない。

 

 当然修行をするわけにもいかないし、顔でも洗って勉強でもしようかと考え洗面台に向かうことにした。

 人気のない廊下を歩く。居間まで行けば誰かいそうだが今は誰かと会話する気分にもならないし必要もない。

 

 さっさと洗面台まで行くと電気をつけて鏡に映る自分の顔を見てギョッと目を見開く。

 一歩後退った後に瞼をこする。

 そこには自分の顔が鏡にきちんと映っていた。

 顔を洗いに来たはずなのにその気は失せてしまいしばらくその場に固まったように立ち尽くす。

 

 あの時映った顔。気のせいなのだろうが一瞬、ほんの一瞬だが俺の顔が真っ白で全ての顔のパーツを失くしたのっぺりとしたものに見えた気がした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。