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──”通功の古聖堂”
かつてはトリニティの「第一回公会議」が開催され、今回のエデン条約調印式の会場ともなった由緒ある聖堂。
だが今は、見る影もなくなってしまった。
巡航ミサイルの標的となったことで、華美な装飾は瓦礫と化し、手入れの行き届いていた中庭も灰燼に帰している。
そして瓦礫の上は、
しかし、その地下ではまったく別の光景が広がっていた。
そこに広がるのは、数十キロにも及ぶ
地下墓地と呼ばれてはいるものの、実態は迷宮に近い。
入口は判明しているだけでも三百以上存在し、一歩足を踏み入れれば、迷路のような地下通路が延々と続いている。
しかも、その道は周期的に組み替えられるという徹底ぶりだった。
平時でも足を踏み入れる者はいないその場所だが、人間と呼ぶには頭が一つ多い影がゆっくりと歩いていた。
タキシードを身にまとった異形は、人間どころか生物とよんでいいのかすら怪しい。
本来目鼻が置かれているはずの顔には奇怪な文様が描かれており、いかなる表情も読み取れない。
やがて地下の広間で、人形が立ち止まった。
石床一面に幾何学的な文様が刻まれたその光景は、古代の祭壇を思わせる。
だが、それ以上に目を引くものが真ん中で鎮座していた。
司祭服のような装束に身を包み、背後に絢爛な装飾が浮かぶその姿は、一見すると巨大な神像の様にも見える。
しかし目を凝らせば、胸の奥で脈打つ心臓のような蠢きが覗いていた。
その
トリニティの地下に封じられた古代の教義が受肉し、人工の天使として顕現した神性の怪物。
人形はその姿を恍惚とした表情で見つめていたが、ふと背後に意識を向けた。
そこには何も存在しない。
それでもじっと虚空を見据えたまま、人形はやがて、笑い声にも似た異音を漏らした。
「……先生、そなたもまたここに来るか」
人形の声が興奮を帯びた。やがて抑えきれないといった風にコツコツと音を立てて歩き出す。
「知性と品格、礼儀と信念、そして培ってきた経験と知恵…全てが相応しいそなたなら、理解してくれるに違いない……私の芸術を……”崇高”を!」
最終的に叫びとなった声が、地下の祭壇に木霊した
☆
閃光弾でアル達の隙をついたサオリは、手負いとは思えないほどの速度で街を駆けていた。
しかしそれでも間に合うかはわからない。相手はあの
閃光弾も所詮は時間稼ぎ、一分稼げたら上出来だろう。
だが大人しく捕まるわけにはいかない。もし捕まったら——マダムに殺される。
恐怖が脳裏をよぎった瞬間、後方から飛来した弾丸がサオリの頬をかすめ、着弾と同時に炸裂した。舌打ちとともに走りを続ける。見なくても分かる、こんな芸当ができるのは——
(陸八魔アル…!)
想定よりもはるかに早い。しかし、まだ勝機はある。
古聖堂にさえたどり着ければ、あの“教義”を起動できる。
(それさえできれば、私達の勝ちだ…!)
飛来する弾丸はかろうじて避けられているが、身体は限界に近い。
一発でも被弾すれば気絶は免れないだろう。
だが当たるのは時間の問題だ。閃光弾はまだあるが、この状況では足止めにすらならないだろう。むしろ自分がアルを見失いかねない。
もはや有効な手とは言えないが、これしか無い。走りながらその”命令”を口にする。
「
その瞬間、残存する
四方八方から浴びせられる銃弾に、流石のアルも足を止める
だが、それでも大した時間稼ぎにはならない。
アツコとの連動が弱まり弱体化している今では、すぐに蹴散らされるだろう。
「……ッ!」
アルにやられた足がズキリと疼いた。経験でわかる……これはマズイ痛みだ。
それでも、痛む体を押さえながら古聖堂へと疾走する。
命令を果たすために——皆を助けるために
☆
——数分前
サオリが閃光弾を投げた瞬間、ミサキの頭によぎったのは焦りだった。
普段であれば、サオリが逃げたことはむしろ喜ぶべきことだ。
一人でも生きて帰ってくるのと、部隊が全滅するのとではまるで違う。
だが、今のサオリは冷静さを欠いている。
その状態で彼女がどこへ向かうのか——
サオリが向かった方向を見て、崩れた計画の断片が脳裏でつながっていく。
そこにあるのは——”通功の古聖堂”。そして、その地下で蠢くカタコンベ。
(まさか……!)
頭の中で最悪の答えが導き出される。
サオリは、あれ——ヒエロニムスを起動しようとしている。
もしあれが起動されたら、トリニティどころかゲヘナ諸共滅ぼせるだろう。
しかし、一番危ないのは——サオリ本人だ。あれが私達を攻撃しないという確証はないのだから。
冷静さを欠いているとはいえ、サオリがそれを把握していないはずはない。
となると、彼女がやろうとしているのは──
(自爆覚悟での兵器起動……!)
させるわけにはいかない。サオリは、アリウススクワッドの大切な仲間だ。
サオリを止めるべく銃を手に取る。しかしその瞬間、ヒナに銃を突きつけられた。
「させないわよ」
「死に損ないが…!」
ミサキは思わず歯噛みする。
説明して大人しくどいてくれる相手ではないが、戦って勝てる相手でもない。
それでも行くしかない。ミサキは無言で、こちらも銃を突きつける。
お互いに張り詰めた空気が流れたときだった。
”待って、ヒナ”
ここにいるはずのない、”大人”の声が響き渡った。
☆
聞き馴染みのある人の声が聞こえ、ヒナは銃を取り落としかけた。
しかし振り返ってみても、それは間違いなく”先生”だ。思わず疑問が口をついて出る。
「先生…なんで…!?」
”それは後で説明する。とりあえず今は銃をおろしてほしい”
「でも…!」
”……生徒たちが傷つけ合うのは、見たくないからね”
『また先生を傷つけるかもしれない』と続けようとした言葉は、先生の目に遮られた。
ヒナは不承不承といった様子で、そっと銃を下ろす。
それを見た先生はわずかに安堵した。撃ち合いが始まるかと思ったが間に合ったらしい。
隣のセナとアズサからも、緊張がほどけるような空気が伝わってくる。
セナがここにいる理由は単純だ。
無理を言って戻してもらう際に、「自分が護衛をするなら」という条件を受け入れさせたのである。
アズサがいるのは偶然に近い。元アリウススクワッドという立場から思うところがあったのだろう、現場で彼女たちを探していたところ鉢合わせしたのだ。
そのときのアズサの表情はまるで幽霊でも見たかのようだった。どうやら彼女は、先生はすでにサオリに撃たれたと思っていたらしい。
とりあえず状況を整理しようと周囲を見回したとき、アズサが異変に気がついたように言った。
「先生……サオリが居ない」
”サオリ?”
「……アリウススクワッドのリーダーだ」
それを聞いて思い出した。帽子を目深にかぶり、鋭い眼光で銃を構えていた少女を。
ここで最後に見たとき、サオリ率いるアリウススクワッドはヒナと対峙していた。
転がるミサキたちの姿を見れば、すでに決着がついたのは明らかだ。
だが、リーダーのはずのサオリの姿がない。味方を見捨てるような子には見えなかった。
——何があったのだろうか
その疑問が言葉になる前に、ヒナがこちらへ説明を始めた。
「…さっきまではそこに居たけど逃げられた。今はアルが追いかけてる」
”アル?…なんでここに?”
「私が個人的に依頼を出したの……先生を助けてもらった」
一瞬アルの名前が出たことに困惑したが、続くヒナの言葉に合点がいく。
あの凶弾から私を救った狙撃はアルのものだったらしい。
あとでお礼を言わなければという場違いな思いが頭をよぎる。
しかし、サオリが逃げたという方向を聞いた瞬間、アズサが顔色を変えた。
「サオリが向かった方向には、あの古聖堂が…!」
”……古聖堂に何かあるの?”
「私も実際に見たことはないが、マダムが用意した兵器があると聞いたことがある。おそらく、それを起動するつもりだ…!」
場の空気が一気に凍りついた。
巡航ミサイルの直撃だけでも混乱に陥っている。そこに新たな兵器まで加われば、被害は計り知れない。
だがそれ以上に——そんなものを、生徒に背負わせるわけにはいかなかった。
”…私が向かう。セナはヒナの介抱をお願い。アズサ、案内を頼める?”
「ダメ!これ以上、先生を危険な目には…!」
ヒナの声は悲鳴に近かった。だが、彼女の身体はすでに限界だ。これ以上無理をすれば、本当に壊れてしまう。
先生はヒナの前にしゃがみ込み、視線を合わせる。
そして、安心させるように静かに告げた。
”大丈夫だよ、ヒナ。生徒たちを守るのは…大人の義務だから”
静かに語る先生の迫力におされ、ヒナは押し黙る。
それを見届けた先生がアズサとともに走り去ろうとしたときだった。
「……待って」
アツコが覚悟を決めたような声で呼び止めた。
アズサだけでなく、黙って話を聞いていたヒヨリ、ミサキまでもが驚いた顔でアツコを見る。
理由は、声をかけたこと自体にはなかった。
アツコは余計な交流を避けるために発声を禁じられており、普段は言葉を発さない。
そのアツコが声を上げるということは、
先生がゆっくりと向き直る。
そんな先生に一瞬躊躇するような素振りを見せたが、すぐに覚悟を込めた目になった。
「私たちも、サオリを止めに、助けに行かせてほしい……!」
ミサキが驚愕の顔をアツコに向ける。
彼女たちにとって“大人”とは搾取する存在にすぎない。そんな相手に身柄を託してよいのかという強い疑念が、その瞳に刻まれていた。
だが、それでもアツコは揺るがない決意を宿した目で言葉を紡ぐ。
「図々しいことも、許されることじゃないのも分かってる。でも……私達は、ずっと今まで一緒に暮らしてきた。地獄も乗り越えた…誰よりも、大切な人だから」
それはアツコの、そしてアリウススクワッド全員の心からの願いだった。
アリウス分校が今の形になる前から共に暮らしてきた彼女たちにとって、仲間は家族同然。
そしてサオリは、いつも皆を引っ張ってきた、姉のような存在だった。
そんなアツコの叫びを無視することなど、できなかった。
”……分かった。アズサと一緒に、古聖堂を案内してほしい”
その瞬間、セナがぎょっとした顔でこちらを見た。普段冷静な彼女には珍しく声を荒げる。
「駄目です!彼女たちは先生を撃とうとしたんですよ!?またそんなことがあったら今度こそ先生が…!」
その反応は当然だ。自分を撃とうとした彼女たちをついていかせるというのだから。
だが先生の決意は変わらない。
”生徒のことを信じるのが、先生だからね”
毅然とした態度で向き合った先生に、セナはなおも葛藤するような様子を見せたが、やがて諦めたような表情で息を吐いた。
「分かりました。私はここでヒナ委員長を介抱します。……どうか、ご無事で」
深く頭を下げるセナに、先生は静かに頷いた。
さきほど戦闘不能にまで追い込まれたアリウススクワッドの面々も、もう立ち上がれる程度には回復している。伊達にアリウススクワッドに選ばれたわけではない。
彼女たちとアズサを見渡しながら、先生は短く告げた。
「行くよ」
その言葉に、全員が力強く頷いた。
☆
一方アルは、死に物狂いでサオリを追っていた。
相手は巡航ミサイルを撃ってきた相手だ。ここで逃がすと何をされるかわからない。
普段の彼女ならとっくに追いつけていただろう。だが、サオリがけしかけてくる
やがて二人は古聖堂へとたどり着く。
その奥には、複製が湧き出してくる地下墓地――カタコンベへと続く巨大な穴が口を開けていた。
サオリはためらいもなくそこへ飛び込む。
一瞬だけ二の足を踏んだアルだったが、すぐに覚悟を決めた。逃がすわけにはいかない。
飛び込んだ先のカタコンベは、まるで地下迷宮のようだった。
道は入り組み、闇に閉ざされ、頼れるのは響く足音だけ。
しかも複製が多すぎる。ここがやつらの源なら当然だろう。
ただでさえ数が膨大なうえに、狭い通路で次々と襲いかかってくるのは非常に厄介だった。
サオリの足音を追っていると、いつの間にか途切れていた。
その場所に踏み込むと、そこは祭壇のような空間だった。
荘厳な装飾が辺りを飾り、複雑な幾何学模様が石床に刻まれている。
しかし、それ以上に目を引いたのは、空間の中央に鎮座する”何か”だった。
一見すれば巨大な神像にも見える。だが、長い鈎爪のような指を持つ四本の腕と、顔にぽっかりと空いた穴が異質な気配を放っていた。
(な、なによあれ……!?)
あれはどう見てもマズイものだ。アルの本能が激しく警鐘を鳴らしていた。
咄嗟に銃を構える。しかし——遅かった。
「……vanitas vanitatum, et omnia vanitas 。ゲヘナも、トリニティも…これで終わりだ」
サオリが焦点の合わない瞳で、薄く笑みを浮かべる。
その瞬間、地響きが轟き、床石が跳ね上がった。
眼前の神像——ヒエロニムスが、軋むような音を立てて、ゆっくりと動き出した。
思わず呆然としたアルの前で、ヒエロニムスが声にならない叫びをあげる。
その叫びに呼応するかのように、足元から
ヒエロニムスが召喚しているのか、存在そのものに引き寄せられているのかは分からない。
だが確かなのは、このままでは戦いどころか、生きて脱出することすら不可能だということだった。
(——まずい!)
ヒエロニムスの暗い穴が、アルたちを見据える。
反射的に踵を返したアルだったが、サオリはその場に立ち尽くしていた。
まるで、自らの死を受け入れるかのように。
次の瞬間、ヒエロニムスの杖が振り下ろされる。
それに呼応するように、十字架のような閃光が空気を切り裂いた。
☆
サオリは、ヒエロニムスが杖を振り上げる様子をぼんやりと見つめていた。
おそらく自分もその攻撃対象に入っているのだろう。だが不思議と恐れはわかなかった。
——全ては虚しい
努力も、足掻きも、この世界では全て無意味だ。
自分が消えたところで、それが変わることはない。
ただ一つ、心残りがあるとすれば――アリウススクワッドの仲間たちのことだ。
ミサキ、ヒヨリ、アツコ……全員の顔が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
(……すまない)
サオリは静かに目を閉じ、来るであろう衝撃に身を委ねようとした。
だが、その瞬間は——訪れなかった。
「ふんっ!」
代わりに訪れたのは、誰かに強く抱え上げられる感覚だった。遅れて爆風が頬をかすめる。
そんなことをするものなど、ここには一人しか居ない。
「あ、危ないじゃないのよ!早く逃げるわよ!」
「陸八魔アル……!?何故私を助けた……!?」
アルにとってサオリは敵だ。助ける道理などない。
だが、アルは一切の迷いなく言い放つ。
「眼の前で死にそうな人を見捨てるなんて、アウトローのすることじゃないわ!」
サオリは思わず目を見開いた。
あの怪物は、人の力でどうにかできる存在ではない。
ならばここで足掻いても意味はないはずだ。全ては虚しいのだから。
だがアルは、“アウトロー”というふざけたような夢だけを支えに、足掻き続けていた。
襲い来る閃光を避けながら、サオリを抱えたアルは必死に出口を目指す。
ようやくたどり着いたその先で待っていたのは、すでに集結していた無数のミメシスだった。
辺りを埋め尽くす影、その数は百を優に超える。
逃げ場は、もうなかった。
それでもアルは諦めた様子を見せない。
残弾も少ない愛銃を肩に担ぎ、口元に笑みを浮かべる。
——アルの最後の大暴れが始まった。