さてさて場所は変わって喫茶店。昨日俺と汐音が夕食を取った店だ。
窓際の席に座り込む。俺と汐音が隣り合って並び、胡桃さんは俺達と向かい合うように座っている。
「その、兄さんはなんでここに?それにその格好も…」
コーヒーを飲みながら、ゆっくりとした口調で汐音が胡桃さんに問いかけた。胡桃さんはにこやかな微笑みのまま答える。
「ボクはただ買い物してただけだよ?この格好はね、汐音が女装をしてるって噂を聞いて興味が出たから着てみたんだ。似合ってるでしょ?」
ピースサインを作りながら、胡桃さんはくるりとポーズを取った。
いや、弟が女装してるって噂を聞いて一番最初にやることが自分も女装して買い物って…他にもやれることあったでしょ…
「そういう2人は何しにこのデパートに?そんな距離縮めちゃって〜…デートかな!?」
う、うぜぇ…さっきから話してて何となく分かったが、この人普通にうざい。主に高めのテンションと、負け知らずな自信満々の表情が特に…
まるであれだな。陽キャになった汐音みたいだ。な、なんか嫌だなぁ…汐音もこうなる可能性があると考えると、少しだけ肩が沈む。
「俺達はゲーセンに来てたんですよ。お泊まり会をやってて、昨日は汐音に付き合ったから今日は俺の趣味に付き合ってもらおうって…」
普通に返してしまったが大丈夫だろうか。なんかこの人、無駄にいじってきそうで今更ながら不安になってきた…
「へ〜、あの汐音がねぇ…友達できたんだ。良かったじゃん」
「………」
なんだか不穏な雰囲気が漂う。
別に胡桃さんは変なことは言っていない気がするが…なぜ汐音は黙りこくっているのだろう。そう思って汐音と胡桃さんを交互に見る。
ふむ…胡桃さんが汐音を見つめる視線には、冷たさがある気がする。見下しているような、叱責しているような…そんな視線だ。
この2人の間に何があったのかは知らないが、こんな雰囲気は嫌だ。俺の勝手な感情ではあるけれど、兄弟ならできるだけ仲良くするべきだと思う。
「そうですけど、汐音の友達って俺くらいしかいなくて。まぁ、コイツの唯一の友達っていうのも悪くないんですけどね」
隣に座る汐音の手を握り締めてそう言った。俯いていた汐音は顔を上げて、驚いたような、嬉しそうな表情で俺を見上げてきた。
「ふぅ~ん…君しかいないんだ。いやぁ、なんだか安心したよー。汐音の友達が君みたいな人で」
胡桃さんはさっきまでの冷たい表情を消して、人受けの良さそうな笑顔を浮かべて言った。いや、明らかに作った笑顔だったよな…この人結構腹黒いな…
「そろそろ出よっか?ボクも話すこともなくなってきちゃったし」
会話の途切れを感じたのか、胡桃さんがそう言って立ち上がる。
「いいのか、汐音」
「うん…兄さんと話すことは、あんまりないから」
小声で汐音に聞いてみる。けれど、暗い声音でそう返されてしまった。やはり、この2人には何か隠しきれない確執があるのかもしれない。
――――――――――
喫茶店を出て暫く。
店で話していた間にそこそこ時間も経っていたようで、綺麗な夕陽が俺達を照らしていた。
そんな俺達3人はデパートを適当に歩きながら、別れの時を迎えようとしていた。
「それじゃあ、ボクはそろそろ帰るけど…君たちは?」
と、胡桃さんが聞いてくる。俺達も特にやることはなくなった。ゲーセンには満足できたし、胡桃さんとの出会いで何だか疲れたような気もする。
「俺達もそろそろ帰りますよ。やりたいことはやったし、もう時間も時間ですから」
「そっか。それじゃあ、ボクももう…っと、汐音にちょっと話がしたいんだった」
そう言って胡桃さんは帰ろうとしていた足を止めて、汐音に振り返った。汐音も不思議そうに首を傾げている。
その瞬間、胡桃さんの表情が、ふっと変わった。さっきまでの明るい笑顔が消えて、どこか冷ややかな視線が汐音に向けられる。
「いや~さ、汐音も弱くなったよねぇ」
軽い口調だが、その声には明らかな棘がある。
「昔から色々と不出来だったけど、久々に会って今はもっと酷いなぁって思ったよ」
「………」
汐音は俯いて、ただ胡桃さんの言葉を受け続けている。
なんだこの雰囲気は…喫茶店で感じた冷たい視線が、また戻ってきている。いや、さっきよりもっと露骨だ。
「家から逃げて雑魚たちが群がる学校でぬくぬくして…恥ずかしくないの?それで本当にボクの弟か疑いたくなるよ」
胡桃さんの言葉は容赦なく汐音に突き刺さる。汐音は悔しそうに唇を噛みながらも、ぐっと堪えているようだった。
なぜ。なぜ突然胡桃さんは汐音を貶すのだろう。なぜ、弟にそんなことが言えてしまうのだろう。
怒りが胸の中で蟠る。汐音の友人として、胡桃さんの言葉は見過ごすことはできない。だが、2人の関係に勝手に踏み込むのは…
「家から逃げ出して行った底辺校でも結局は一人きりなんでしょ?友達も時成くんしかいないみたいだし…
これで分かったでしょ?汐音はどこでも一人ぼっちなんだから、そろそろ帰ってきたら?お母さんがうるさくってさ、分かるでしょ?」
怒涛の叱責。汐音は相変わらず俯くだけで言葉を発せない。
この2人に何があったのかは知らない。家から逃げたとか、汐音の事情も分からない。だが…こんな言葉はもう、我慢できない…!
「まったく…聞いてるの?遂に耳まで落ちぶれて…!?」
「それ以上、口を開かないでください」
胡桃さんの腕を掴んで壁に押さえつける。できるだけ優しくやったつもりだが、胡桃さんの腕を掴む手には自然と力が入ってしまう。
胡桃さんの顔に近付いて、低めの声で言う。
「汐音は俺の友人です。アンタたち兄弟にどんな因縁があるのかは知らないけど…汐音を貶す言葉はもう許さない」
俺の言葉を聞いた胡桃さんは、驚いたように目を見開いた。
そして次の瞬間、その白い頬が見る見るうちに赤く染まっていく。
「っ…!」
胡桃さんは小さく息を呑んで、視線を泳がせている。さっきまでの冷たい表情は完全に消え失せて、まるで別人のように狼狽えていた。
やがて俯いて、身体から力が抜けていくのが分かる。壁に寄りかかるうに、小さく震えながかる。
「き…」
「き?」
胡桃さんが何やら呟いている。だが小さすぎて、何を言っているのか聞き取れない。俺が首を傾げると、胡桃さんは顔を真っ赤にしたまま、大きな声で叫んだ。
「きゃーー!!」
「え、え!?」
まるで女の子のような、可愛らしい悲鳴。その予想外の反応に驚いて、つい手を離してしまう。
胡桃さんはその隙をついて俺の手から逃れると、両手で自分の頬を押さえながら息を荒くした。その仕草がまた妙に可愛らしい。
「あ、あんなに…顔を近付けて…何するつもりだったの!?」
上目遣いで俺を見ながら、震える声でそう聞いてくる。
「え、いや…何もするつもりはなかったけど…」
突然そんなことを聞いてくる胡桃さんに困惑しながらそう返す。だが、胡桃さんは俺の答えに納得いかないようで、顔を赤らめたまま声を上げる。
「ウソだよ! あんなに顔を近付けて…ボ、ボクにキスしようとしたんだろ!?ボクをとっ捕まえてキスしてねじ伏せて自分のものにしようとしたんだろぉ!?」
なんという被害妄想だよ!いくら外見が美少女とは言え、初対面の相手にそんなことするか!
「ボ、ボクは屈しないからな!ちょ、ちょっとドキッとしたけど…そんな簡単には屈しないんだからな!覚えてろよー!」
最後まで顔を赤らめたまま、胡桃さんはそう叫んで走り去ってしまった。
その後ろ姿は、どこか小動物が逃げていくようで...まるで嵐のような人だったな。つーか最後のアレはマジでなんだったんだよ...
「あ、あちゃ〜…ああなっちゃったか…」
と、困惑している俺の隣に汐音が歩み寄ってきた。先ほどまでの暗い表情ではなく、いつもの汐音に戻ってくれたらしい。
「さっきの胡桃さん…何だったんだ?」
「兄さんは家の長男で大切に育てられてきたからね…一定以上の距離まで人に近付かれると時々ああなるんだ」
俺が聞くと汐音はそう答えた。なるほど、つまるところ箱入り息子というわけだ。にしてもあそこまで反応しますかねぇ…
と、そんな風に思っていると汐音が俺の手を優しく握ってきた。どうしたんだ、と思って隣にいる汐音に視線を向ける。
「時成…ありがとうね、怒ってくれて。まだ事情は話せないけど…いつか、ちゃんと話すよ。 本当に、ありがとう」
汐音は俺を上目遣いで見つめてそう言った。瞳は潤んでいて、俺の手を掴む手のひらは僅かに震えている。
まったく、そんなお礼を言われることじゃないのに。俺はただ…そう、ただ友達がバカにされて怒ってしまっただけの阿呆なのだ。
「別にお礼を言われるほどのことでもねぇよ。 個人的に胡桃さんにカチンと来ただけだ。だから…そんな嬉しそうに泣くな」
言うと、汐音はハッとしたように涙を拭った。 そして、柔らかな笑顔を浮かべるとそっと歩き出した。
「それじゃ、僕たちも帰ろう?できれば、手はこのままで…」
汐音の言葉に頷いて、手をギュッと握り締める。俺も今は何だか、こうしていたい気分だったのだ。
夕陽に照らされながら、俺達は帰路についた。 隣で優しく笑う汐音の笑顔は、いつもより美しく見えた。
胡桃は初心な子なのですよ。腹黒くて頭いいけど押しに弱い子が僕の癖の一つなんすよねぇ。