突然だが今日は最悪の日である。
何があるのかって?そう…体育のランニングである!!
午前の授業も終わり、俺はどんよりとした気分で体操着に着替えていた。隣には既に着替えを終わらせた汐音がいる。
肩口あたりまであった髪はゴムで纏められていて、小さなポニーテールのようになっている。お陰で綺麗な瞳がいつもより見えやすくなっていて…
ええい!こういうところでも魅力を発するとは、男であることを忘れてしまいそうになる。
そんな感情もさて置き、俺はこれから始まる地獄の時間に愚痴を吐いた。
「はぁ〜…マジで最悪だ。なんでランニングなんてやんだよ。まだ夏にはなってないとは言え、こんな時期にやるかよ…」
「そんなに文句を言ってもしょうがないよ。ほら、一緒に頑張ろ!」
胸の前でギュッと拳を握りながらぴょんぴょん跳ねる汐音。そう言ってくれるのはありがたいが…俺は運動大嫌いなインドア主義者なんすよ…
「それじゃあ…頑張ったらご褒美にジュース奢ってあげる!」
と、汐音は俺を励ますように声を出す。ジュース…ジュースかぁ。どうせならもう少し何か貰えないだろうか。
「ジュース…もう少し、なんか貰えないか?」
「えー、もう少し?時成は欲張りさんだなぁ。そうだなぁ…」
俺の願いに頭を悩ませ顎に指を当てる汐音。あ、結構ちゃんと考えてくれるんすね。てっきり、普通に断られると思ってたわ…
「そ、それじゃあ…膝枕とか…してあげてもいいけど…」
そう言ってモジモジしながら頬を赤らめる汐音。
膝枕…膝枕!?そ、それはなんという…魅惑的で魅力的な…
そして唐突に俺の中で妄想が広まる。モワモワァン。
『時成…よく頑張ったね。本当に偉いよ。』
俺は汐音のスベスベかつ、柔らかな膝に頭を乗せる。汐音は俺の髪を優しく撫でながら微笑んでくれて…少しだけ頬が赤くて瞳が潤んでる…
『僕、頑張って走ってる時成に見惚れちゃったんだ。汗をかきなから走る時成はとってもカッコよくて…』
そうして、汐音は俺に顔を近付けて…遂には俺と汐音の唇は…
はっ!?俺はなんという妄想を…!汐音は男なのに…男でも可愛ければよくね?良くない!!
男としてのプライドは俺にもある!俺の理想は可愛くて優しい彼女なんだ!性別は女!
はぁ…なぜ俺はあんな妄想を…
自分自身に疑いの心を持って眉間に指を当て、ぐねぐねと指を動かす。汐音はそんな俺を不思議そうに眺めて首を傾げていた。
「えっと…結局どうするの?膝枕で…いい?」
「それでいい、というかそれがいい。頼む」
と、俺は汐音の両手を握って距離を詰め、まじまじとした表情で言った。クソッ!さっきの欲望が抜けきっていなかったか…!
「え、そ、そう…近い…」
汐音は困惑しながらもそう答えた。頬を赤くし、視線を震わせている。
やだー、絶対変人だって思われてるよ〜。だって男の膝枕にこんなに食い付いてるんだぜ?いやまぁ、それ言うなら膝枕を提案してきた汐音もってことになるだろうけど…
――――――――――
はい、というわけで始まるよランニングが。
早速俺達は最初の体操を済ませ、グランドに立つ。白線に靴先を合わせ、教師が鳴らすホイッスルに合わせて走り出す。
「時成、頑張ろ!」
俺の隣でそう微笑んだくれた汐音に頷いて変えす。俺達男子が走らなければいけないのはトラック7周。1周で200mなので1.4kmだ。
あ~やだ。本当にやだ。今、ちょうど1周が終わったところだがもうこの時点でやめたくなる。段々と心臓がドクンドクンしてきて、息が荒くなる。
ふと、隣にいる汐音を時折見つめる。
汐音も段々と息を荒くして頬を赤らめ、スッーと透明な汗を流している。その様子はどこか色っぽくてつい意識が向いてしまう。
俺からの視線に気付いた汐音はニコッと明るい笑顔を浮かべて俺を見た。俺も汐音に小さく微笑み返す。
キツくはあるが、コイツの隣なら、俺はきっと走り抜けることができると思えたのだった。
――――――――――
「はぁ…はぁ…死ぬぅ゛!もう無理だぁ…」
ようやくランニングの授業も終わり俺は地面に倒れ込む。地面に巻かれた砂は太陽光によって熱され、余計に体力を削ってくる。
心臓がクソうるせぇ…凄い頭痛もするし、脳に酸素が足りないことを直感できる。足には力が入らない…これだから体育は嫌なんだよ!
「ん…時成、大丈夫?水筒持ってこようか?」
同じく走り終えた汐音が俺を見下ろしてきた。息は荒いし、汗も走り始めた時と比べるといっぱいだ。頬も赤いし…なんか…下品なんですが…その…えっちぃです。
「いや、悪い…立てそうになくて。手伝ってくれるとありがたい…」
俺がそう言うと汐音は優しく頷いて俺の手を握った。汐音は俺に寄り添うように空いたもう片方の手を添えて立ち上がらせてくれる。
肩を支えてもらうようにして立つと汐音の顔がよく見える。それがなんだか恥ずかしくてそっと顔を逸らした。
「どうする?辛そうだし…保健室行く?」
そう聞かれて頭を悩ませる。正直、あまり行きたくない…だって汐音は平然としてて俺だけ疲れ切って保健室に行くってさぁ…ねぇ…?
だが、汐音の心配そうな視線を受けては断ることも出来ない。辛いのも疲れたのも本当のことだ。ここは素直に頷こう。
「あぁ、出来れば保健室までこのまま付き添ってくれないか?正気歩くのもキツくて…」
「もちろん!ゆっくり歩くから、厳しいときは行ってね」
俺がそう言うと汐音は快く頷いてくれた。ゆっくりと歩き出し、保健室へと向かう。
ふぅ…ようやっと休めるわ。
あー体育クソクソ、とそんなことを考えていたからか、途中で小石に躓いてしまい、汐音を巻き込んで倒れ込んでしまう。
「うっ…!いってぇ…!」
「うぅ…時成、大丈夫?」
背中に衝撃が走り、迸る痛みに苦言を呈すと目を開ける。そこには、あと数cmでキスができてしまいそうなほど接近した汐音の顔があった。
はたから見れば汐音が俺を押し倒しているようになるだろうか。え、この状況相当ヤバくね…?頭によぎる不安を確かめようとチラッと視線を横に動かす。
案の定、数名のクラスメイトたちが俺達を見てコソコソ話をしていた。
うおー!やばい!とんでもない誤解をされているじゃあないか!!早く離れないとぉ!!
「し、汐音…早く、離れて…」
そう言いながら汐音の肩を押す。だが、疲れ切った体ではまともに力が出せず、そっと押すだけになってしまう。
「とき、なり…」
俺の名前を呼ぶ汐音を見つめる。なんだか息がさっきより荒くて、頬も緩んで口角が上がっている。俺を見つめる瞳は程よく潤み、深海のような深さがあって…
ま、まるで発情した獣のような…
え、俺って汐音に襲われちゃうの?俺のハジメテは男に捧げることになるのか!?やだー!まって!俺まだ覚悟できてないよー!
まともに動きもしない体をどうにか僅かに動かし、俺は怯えながら汐音を見上げることしかできなかった。
――――――――――
時成の唇が、目の前にある。
あと少し顔を近付ければキスできる。時成からすれば迷惑極まりないのかもしれないけど、僕はからすれば最高の体験になる。
荒い息が漏れる。体が段々と熱くなって、鳴りやまない興奮が胸を埋め尽くす。
あぁ、キスしたい。君の唇を今すぐ奪いたい。君を抱き締めて離さないようにマーキングしてしまいたい。
いいかな?してもいいかな…?
そんな瞳で僕を見つめないでくれ。そんな怯えたような瞳で…いつもなら僕の手を強く引いて、優しく導いてくれた君が…
そんな、まるで僕より弱くて、ちっちゃくて、恐怖に頭を垂れるしかない姿を見せないで…
つい、君のことを…
支配したくなる。
「………!!??」
自分の考えていたことに自分で驚いて意識をハッと浮き上がらせた。
僕は…僕は、何を思っていたんだ?時成を、支配したいって…?ち、違う…僕は、自分の欲望に飲まれて時成を手に入れようなんて…
「ご、ごめんね、時成…すぐ、退くよ…」
時成の体の上からのっそりとした動きで立ち上がる。時成はゆっくりと手を地面に付いて立ち上がった。
「汐音、悪かったな…俺がコケたせいで」
君は目を逸らしながらそう言った。相変わらず立ち姿はフラフラとしているけれど、どうにかこうにかシャンと立とうとする姿はカッコよくも見える。
「僕もごめんね…すぐに退くことができなくて…僕も結構疲れてたから」
君は僕の言葉を聞くと「仕方ない」と優しく言ってくれた。僕はただ、俯くことしかできない。自身の醜い欲望を知って、君に顔向けすることが出来ない。
「保健室には1人で行くわ。汐音にも迷惑かけちまったし…お前は教室に戻っててくれ」
スタスタと保健室に向かう君の背中を見送る。
僕は立ち尽くすことしか出来なくて、伸ばそうとした手をゆっくりと下げた。
違うんすよ…こんなシリアスな感じにするつもりはなかったんすよ…もっと甘くて酸っぱいラブコメにするつもりだったんすよ…ただ、俺のヤンデレ好きと曇らせ好きがつい出てしまって…